公害被害者の救済制度改善に関する決議

本文

公害健康被害補償法は、昭和49年9月施行以後公害被害者の救済に一定の積極的役割を果たしてきた。しかし同法は、制定時からすでに救済内容、手続等の面での不十分さが指摘され、その後も各種公害被害の救済をめぐって各地で訴訟が提起されるに至っている。


他方では同法の廃止を求める産業界の動きも急である。


しかし公害は終っていない。そればかりか、多数の被害者が救済されないまま放置されている実情にある。


われわれは、公害被害救済の理念として原状回復、完全賠償、被害者参加の原則を改めて確認する必要があると考える。


関係当局は、すべての公害被害者の迅速かつ完全な救済を図るべきであり、とりわけ第1種地域につき、すみやかに次の改善措置を講ずべきである。


  1. 二酸化窒素を地域指定の指標とし、指定地域を拡大すること
  2. 認定手続等において主治医意見を最大限尊重するとともに、認定審査会における法律家委員の増員を図ること
  3. 慰藉料を積極的に加味して、補償給付を大幅に増額すること
  4. 療養所等の施設を設置するとともに、健康回復のために有効適切な施策を研究開発すること
  5. 認定手続および保健福祉事業の実施などについて被害者参加のルールを確立すること

右決議する。


昭和57年10月30日
日本弁護士連合会


理由

1.公害健康被害補償法は、四日市公害訴訟判決などを直接の契機として、基本的に民事責任を踏まえた損害賠償補償制度として制定された。


本法が、昭和49年9月に施行されて以来、8年を経過した現在、全国37地域で8万人を超える大気汚染被害者が、同法の救済を受けている。


本法が、簡易・迅速な手続によって被害者に対し、7種の補償給付を支給し、保健福祉事業を実施するに至ったことは、深刻な公害被害の実情から当然のこととはいえ、被害救済の面で一定の積極的機能を果してきたものといえよう。


2.しかし、本法については制定当時からすでに救済内容、手続等の面でその不十分さが指摘され、国会の附帯決議の中にもそれが反映されていた。


日弁連は、憲法施行30周年記念行事の一環として、昭和52年5月14日「公害健康被害補償法実施の現状と問題点」と題するシンポジウムを開催し、報告書を公表し、12項目の改善提案をした。


3.これを受けて被害者団体は環境庁に対し精力的に本法の改善を働きかける一方、西淀川、川崎など各地の被害者は近年再び完全賠償と清浄な大気の回復を求めて次々に訴訟を提起するという状況がみられる。


産業界は本法制定の当初は紛争の抑止と経営の安定効果をねらって本法の成立を受容したものの、最近に至って硫黄酸化物の改善のみを理由に大気汚染公害は終ったと宣伝し、第1種地域の指定を解除すること、昭和48年以降に生まれたものや、居住・通勤をはじめたものを、認定対象からはずすことなどを声高に求め、関係方面への働きかけを強めている。


このような状況のなかで、環境庁は、本法についての国会の附帯決議や、日弁連提案にかかる本法の指定地域および補償給付内容の拡充などの要請には消極的なまま産業界の働きかけに呼応する方向で本法の再検討を進めている現状がある。


4.かかる重要な時期にあたって、われわれは、本法に対する従来の調査研究を踏まえ、かつ、2年余に亘って行った実態調査の結果ならびに本大会シンポジウムにおける討議の結果、次の認識および結論に達した。


すなわち、二酸化硫黄を代表指標とする時代から二酸化窒素を代表指標とする時代へと汚染の様相は変化しつつも、大気汚染公害は、いまだ過去の歴史的事実となったのではなく、現在もひきつづき重大な社会問題であり、いまだ多数の公害被害者が完全な救済が得られないまま放置されているということを再認識した。そして、公害被害救済の理念として既に確認されている健康回復を中心とする原状回復・完全賠償・被害者参加の原則が、すべての公害被害者のために制度的に充足される必要があることは勿論であるが、とりわけ第1種地域については、被害者の完全な救済を図るために本法について、本決議に列挙提言する改善措置が緊要と考える。以下その理由を各項毎に述べる。


提言第1項について

第1種地域の指定は、これまでのところ、二酸化硫黄の汚染度をもって大気汚染の指標として行われてきた。そのため同じ東京都区内でも4区のみが指定を受けられず、東京都特別区長会はこれら未指定4区についても窒素酸化物等による汚染も考慮し指定地域とするよう求めている。中公審の昭和49年11月25日付答申も、二酸化硫黄を指標とするのは当時の資料的制約によるものであり、時代の流れとともに変化してゆく主要汚染物質に着目し、新しい知見をもとに、より合理的な地域指定を行う必要性があることを認めていた。本法施行前後から二酸化窒素が代表的汚染物質とみられるようになり、その測定の積重ねも進み、これを主要な指標とする健康影響データーも集積されるに至った。これによると、呼吸器症状の増加が認められる限界濃度をはるかにこえる二酸化窒素汚染がつづいていることが明らかとなっている。二酸化窒素を地域指定の指標とし指定地域の拡大を図るべきである。


提言第2項について

本法に定める諸給付を受けるためには、認定審査会の審査を経る必要がある。審査会の審査は、損害賠償保障制度という本法の基本的性格にかんがみ、被害の実情を正確に反映すべきものであり、その判断は、医学的条件を踏まえた法的判断である。そのため審査会委員には医師のみならず法律その他の分野の学識経験者が充てられることとなっている。また被害者の実情を正確に反映させるために、主治医の意見を尊重することの重要性が国会決議等でもくりかえし指摘されてきたところである。


ところが本法施行後の実態をみると、医学的検査結果を主治医に回付しなかったり、審査会意見と主治医意見が異なる場合に主治医に照会する取扱いが励行されなかったりして、検査結果偏重の運用がなされ、そのため被害の実態を正確に把握したとはいい難い審査会実務が認められる。また法律家委員の機能の重要さが指摘されながら、1名の任用すらない地域もあり、また任用している地域でもその数は少いのが現状である。主治医意見尊重のルールを確立するとともに法律家委員の増員を図るべきである。


提言第3項について

本法に定める障害補償費は平均賃金の80%を給付水準とし、障害等級に応じその100%、50%、30%の給付割合による給付がなされている。そのなかには慰藉料の存在を認めることはできない。 ところで、公害事件に限らず不法行為損害賠償制度のなかでは慰藉料は非常に重要な位置をしめるものである。また現状の低い給付水準では、到底、大気汚染被害者の損害を填補することはできない。


慰藉料を積極的に加味し障害補償費につき給付水準を平均賃金の100%以上とするなど、補償給付を大幅に増額すべきである。


提言第4項について

公害被害者救済の第一義的課題は被害回復を中心とする原状回復である。本法において原状回復の使命を担うものは公害保健福祉事業であるが、本法での同事業の位置づけは弱く、その事業内容のなかには療養所等の恒久施設の建設は運用上認められていない。また現行の事業をみても関係自治体の法定負担分、超過負担等の問題もあって、その実態はまことに肌寒い状況にあると言わざるを得ない。福祉事業と主治医の治療行為との間の連携も図られてはいない。そして他方では、その不備を補うべく被害者団体が医療機関の協力のもとに自主的に健康回復事業を運営しているという実情もある。この分野における環境庁の研究調査の成果も極めて乏しい。


被害者からは、患者がいつでも自由に入所して専門医療関係者の治療と指導を受けられる療養所建設が強く要望されている。


企業の拠出金で設立されている保養所の利用実績も高い。


転地療養事業の推進のため、療養所等の施設の建設を認めるとともに、健康回復のため有効適切な施策を積極的に研究開発すべきである。


提言第5項について

本法の救済制度のなかでは、被害者には給付の申請をすること、異議申立や行政不服審査請求をすること、審査請求に出席を求められる場合があること以外に参加の途はない。


しかし、前記のとおり本法は損害賠償補償制度であり、認定手続、保健福祉事業の実施手続などに参加することは、被害者の本来的権利に属すべきものである。


実際上も、認定審査手続に被害者または代理人が積極的に参加し、あるいは、保健福祉事業の実施に際し被害者が要望を提出するなどを通じ成果をあげた実例も見られる。


公害被害者の完全救済のため、認定手続および保健福祉事業の実施などについて積極的に被害者の意見をとり入れるなど被害者参加のルールを確立する必要がある。


以上の諸点を踏まえ、われわれは本法につき当面改善すべき重要課題として右5項目の提言をする次第である。