「健康権」の確立に関する宣言

本文

健康に生きる権利(「健康権」)は、憲法の基本的人権に由来し、すべての国民に等しく全面的に保障され、なにびともこれを侵害することができないものであり、本来、国・地方公共団体、さらには医師・医療機関等に対し積極的にその保障を主張することのできる権利である。


思うに、疾病は公害・労災等社会的背景をもって発生増大し、他方、医療では、薬づけ・人体実験・医療過誤等において、患者の主体性が軽視されるという憂うべき現象も少なくなく、また、医療過疎・難病対策、健康保険・公費負担医療、救急医療等医療制度も未だ不充分な状況にある。


われわれは、医療現場はもとより、立法・行政・司法の国政の各分野においても「健康権」が真に確立され、患者のための医療が実現されて国民の健康が確保されることを期待し、その実現に努力する。


右決議する。


昭和55年11月8日
日本弁護士連合会


理由

  1. 憲法は、すべて国民は個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とし(十三条)、全て国民は法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されず(十四条)、すべての国民に対し健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障し、国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない(二十五条)旨を規定している。これらの条項は、生存権の重要な部分をしめる医療と人権に関する憲法の基本的な考え方を明らかにするものである。
  2. 戦後初期の医療保障は、戦前の救護法・健康保険法・厚生年金保険法・国民健康保険法・船員保険法など医療給付にかかる公的扶助・保険関係法制と、あわせて、戦後戦後導入された労働者災害補償保険法や公衆衛生関係法など緊急的な立法に重点がおかれた。ところが戦後の経済発展、とりわけ大量生産、重化学工業の飛躍的発達は環境汚染、自然破壊を急速に進行させ、全国各地に公害をもたらし、企業内では「合理化」の赴くところ新たな労働災害と職業病を生むにいたった。そして昭和三十年以降の高度経済成長政策は、産業社会、地域社会、家族社会の著しい変化をもたらし、これに対応して、多くの矛盾を内包しながらも、「国民皆医療保険化」「国民皆保険化」への道を歩んだ。
  3. しかし、今年の医療の現状は決して満足すべきものではない。年々増大する保険料、医療費の自己負担及び差額ベッド料・付添費などに典型的にみられる保険外負担は、国民の生活を圧迫するだけでなく、診療の機会を制限し、せっかく医療保険制度に加入していても救急医療制度の不備や医療過疎のために医療を受けられない場合も少なくない。健康保険法もさまざまにかたちを変えながら、国民の負担増、受診抑制の方向で改正がはかられている。
    医学の発達は医療の普及を飛躍的なものにしたが、これに伴って医療が人の健康を損ない、破壊するという現象があらわれ、医原病や薬原病は新しい問題を提起した。診療は患者の主体性を尊重し、患者に対する説明と患者の承諾のもとで行われているといい得るであろうか。新薬の開発に際して、患者不知の間に行われる人体実験も少なくないのである。
  4. われわれは以上のような実情を憂い、予防(予防注射事故)、医療行政(スモンその他薬事行政)あるいは健保制度(診療報酬査定減点の違法)等に関連し、個別的ケースを通じて、国民の健康にかかわるさまざまな権利を裁判において主張し、また医療における人権侵犯の絶滅を期す制度改善要求を続けてきた。
  5. 裁判所は「健康権」侵害に対する損害賠償訴訟等については一定の範囲でこれを認容してはいるものの、生存権規定の解釈については、著しい逸脱がある場合の裁判規範性を認めつつも、プログラム規定と解する立場を変更していない。立法・行政機関は、国民の健康に関する立法・行政については、それぞれの機関の裁量に属するものであるとし、医療機関も診療についての医師の裁量を広く主張し、国民の健康に関する積極的権利を容認しようとしない。しかし、これらの現象は、立法や行政が憲法の最高法規性を否定し、裁判所が違憲審査権を放棄し、医療機関が国民の信託によって専ら医師に与えられた権限であることを見落としていることに他ならない。
  6. いまや、憲法の医療補償原理に基づき、誰でも、何処でも、いつでも、予防・治療・リハビリテーションの包括的医療給付を得ることができる原則に則した医療制度の改革がなされるべきときであり、それを求めるべき根拠としての「健康権」が憲法的要請として確立されなければならない。われわれは、医の倫理が確立されることを期待するとともに、国民の具体的な権利としての「健康権」が、医療現場をはじめ立法・行政・司法の国政上でも確立されるよう、あらためて提言し、自らもその実現に全力をあげることを誓うものである。