沖縄の軍事基地の整理縮小と早期撤廃に関する件(宣言)

本年5月15日、沖縄の施政権は返還され、国民多年の宿願は一応達成された。


しかしながら、沖縄100万の県民にとって、人権侵害を含む諸悪の根源たる強大な米軍の軍事基地は、復帰前と殆ど変ることなく存在し、その一部は特別な立法措置を以て自衛隊等が引き続き使用するなど、機能的にはむしろ強化の傾向さえ窺われる。これら軍事基地の存在は、平和で豊な新生沖縄の建設にとって決定的な障害となっている。


政府および国会は、このような沖縄の現状を直視し、これら軍事基地の整理縮小と可能な限り早期の撤廃をはかり、以て平和と人権尊重を基調とする日本国憲法の完全実施を実現し、県民の人権回復と福祉の向上を期すべきである。


右宣言する。


1972年(昭和47年)11月25日
第15回人権擁護大会、於那覇市


理由

本年5月15日、沖縄に対する米国の施政権はたしかに返還された。


想えば、米軍の軍事占領以来実に27年余、平和条約によってその意思に反して異民族の支配下におかれてからでも、すでに20年という永い間、沖縄100万の同胞は筆舌につくしがたい辛苦と忍従を強いられてきた。


例えば広大な軍事基地建設のための土地取り上げ、布令・布告による人権無視の施政、頻発した米軍人・軍属による犯罪の横行、日夜をわかたない基地公害、裁判移送命令事件にみられるような司法自治の否定など、沖縄は世界人権宣言も日本国憲法も無縁な特殊地域の観があった。


この間、わが日本弁護士連合会は、その社会的使命に鑑み、かかる沖縄が一日も早く平和憲法の下に復帰し、県民の人権が回復されることを期する立場から数次にわたって調査団を現地に派遣して人権侵害の実態を明らかにするとともにその根本原因を探求し、その結果を公にし、さらに関係当局には適時必要な要望・提言を行ってきた。


例えば、昭和36年3月発表の「沖縄司法制度の研究」をはじめ、第1次から第3次におよぶ調査報告書と、定期総会において2回、人権擁護大会において前後4回にわたって行われた宣言・決議はその顕著な事例である。


そしてわれわれの帰結は、要するに沖縄の人権侵害を含む諸悪の根源が広大にして本土に比べ200倍をこえる高い密度をもつ強力な米国の軍事基地の存在自体であり、かつこれを十分に機能せしめるものとして施政権が米国に握られていることにある以上、県民の人権回復の途は、このような軍事基地の撤廃ないし徹底的整理縮小と施政権の返還がともに行われること以外にはありえないとするものであった。


にもかかわらず、施政権返還後なお軍事基地は量的に殆ど縮小されることなく存続し、その上一部の形式的には返還された軍用地も、本来その性格・内容ともに違憲の疑いの濃い「沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律」にもとづいて自衛隊等が引き続き使用する途が開かれており、県民多数の意思を無視して着々とその引き継ぎが進められている。


想うに日米安保条約の適用の下で、これら沖縄における軍事基地の機能は、本土の基地および米軍・自衛隊等と結合されその運用如何によってはむしろ一層強化されるものということができる。この点に関しとくに重視しなければならないのは、ベトナムにおける米合衆国軍隊の苛烈な軍事行動との関連である。


かくては、沖縄県民の人権回復はおろか、基地依存の経済から脱して平和で豊な沖縄を建設しようとしている県民の切実な願望実現の途は全く閉ざされ、祖国復帰は名のみのものとならざるを得ない。


まして政府のとった不適切な通貨交換措置が復帰後の物価高に一層の拍車をかけ、土地政策の貧因は大資本の大量土地買い上げを思うにまかせ、復帰後の経済開発をゆがめ、さらにこのような状況下の企業誘致は必然的に基地公害に加うるに産業公害の発生を招くこととなるばかりでなく、今なお基地周辺はいわゆる管理売春および青少年非行化の温床たつことから脱却しえず、いよいよ祖国復帰に対する県民の期待を著しく裏切ることとなろう。


したがってわが国政府および国会は、沖縄復帰に伴う、法制および経済措置を平和憲法の実現と人権の回復および平和安定経済への転換に即応するものとするため、根本的な再検討を行い、当面前記「公用地暫定使用法」の適用を強行することなく、むしろ可能な限り早期の基地の整理縮小をはかるべきである。


われわれは復帰後半年をへた沖縄の現状をふまえ、「沖縄と人権」を基本テーマとする県民参加のシンポジュウムにおける討議をへた上、以上の所信を公にするとともに、その実現のため最大の努力を払う決意をここに宣明するものである。


注(1) 提案会
東京弁護士会、第二東京弁護士会、沖縄弁護士会


注) 要望先
内閣総理大臣、総理府総務長官、衆・参両院議長、各党党首、駐日アメリカ大使