右決議実現のため決議理由資料送付の件(臨時決議)

刑事訴訟法第39条は


身体の拘束をうけている被告人又は被疑者は、弁護人又は弁護人になろうとする者と立会人なくして接見し、又は書類若しくは物の授受をすることができる。


と規定している。この権利は通常“秘密交通権”と呼ばれているので本要望書に於ても言葉に熟せざるものあるが、“秘密交通権”なる表現を用いることにする。


犯罪の摘発は正義の実践である。


けれども


国家権力を背景に持つ捜査官憲の訴追の前に立たされたとき貶たる一私人に過ぎない国民の地位が、如何に溺弱無力なものであるかは吉田石松の例をみただけで思い半ばに過ぎるものがある。


彼は若くして強盗殺人の嫌疑を受くるや、一切の弁解は排斥せられて有罪の判決をうけ、二十余年の獄中生活で青年を空費し、出所後28年の冤罪の訴に後半生は消磨させられた。


やっと再審無罪が確定したときは80余才の老翁として残骸をさらすに過ぎなかった。  


苛政は虎よりも猛し、という言葉があるが、人権感覚を失った国家権力は、天災地変よりも残虐であると言わねばなるまい。


我々は一生罪を犯すまいと決意することは自由であり、その決意に基いて一生を貫くことも必らずしも不可能ではない。けれども、一生官憲から嫌疑を受けないと断言することは不可能である。何故なら決意は内心の自由に属するけれども、官憲の嫌疑は内心の決意とは因果関係なき外来の事件であるからである。


この故にこそ、近代国家は、官憲の嫌疑に対して無力な国民を防護するために、被疑者の権利を擁護する方策を講じている。


何人も理由を直ちに告げられ、且弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない。」との憲法34条の規定がそれであり、この規定を具体化して刑事訴訟法39条が秘密交通権を規定したのは、この配慮に基くものであって、之は人権保障と裁判の公正を担保するための重要な規定である。


この秘密交通権が制定された当初は割合に遵守されたようであるが、それは束の間であって、いくばくもなくして官憲はこの規定を喜ばなくなり、つづいて嫌悪するようになり更に敵意をいだくようになって、折角憲法が意図した基本的人権は危殆にさらされるようになった。


このため我が日弁連はこの弊害を除去するため、過去何回かに亘り、当局に対し、秘密交通権の尊重を要望し、その確保に努力してきたのであるが当局には反省の色なく、秘密交通権の侵害は却って増大する傾向にあり、今回更にこの決議をなさざるを得ざる実情にあることは誠に遺憾に耐えない。


本決議の理由を明確にするため、秘密交通権侵害の実例を摘示することから始めるが、公正を期するため、佐伯千仭博士の“刑事訴訟法と人権”という著書から先ず2、3の例を引用する。


  1. ある地方検察庁において、20余日の勾留中、被疑者は1回も弁護人との面会を許されなかった実例がある。その被疑者は、朝8時に取調べのため検察庁に引きだされ、夕方5時過ぎでなければ拘置所に帰されず、ために弁護人が面会しようとすれば、朝8時前か午後5時以後拘置所に出かけなければならないが、そのような時間では拘置所が面会をうけ付けない。休憩時間には仮監に入れられているので、そこでも面会の場所でないと言って面会は拒否される。かくてその弁護人は20余日の勾留中1回も被疑者に面会することができなかったというのである。
  2. 或る大都市の検察庁での実例があるが、選挙違反事件で拘束された女性被疑者は、弁護人の連日の要求にも拘らず、17日間面会を許されなかった実例がある。

右2例は余りにも極端であって、殊にか弱き女性の場合、人権問題は通りこして人道問題でさえあると思われる。


それ程でなくても我々の同僚が経験しつつある事実は次の如き状態である。


  1. 弁護人が逮捕された被疑者に面会するために警察に赴くと、警察では「弁護届をとるだけにしてくれ」という場合が決して少くない。而もその弁護届だけと言うのは、警察官が用紙を預っていって、被疑者に署名捺印させて来ることを意味しているのであって、いっかな弁護人と会わせようとしない。
  2. 弁護人の方で面会もせずに選任をうけることはできないと抗議すると、やっと被疑者を引き出しては来るが、弁護届をとるだけにして、事件について話をしてくれるなと談話を禁圧する。
  3. 右の如き非常識なことはなくても、接見室に案内せず、「ここで会ってもらえますか」と言って、警察職員の多勢いる部屋で接見させようとする場合。
  4. 大部屋や警察官の隣で面会してくれという、根拠として、接見室の設備がないことを理由とする。仮にあっても机も椅子も取り去られていたり、他に流用せられ、甚だしきは物置となっているため使用することができないのである。
  5. それでも弁護人の抗議によって、接見室に案内したり、別室に案内しても警察職員が容易に立去ろうとしない。

以上は法律の規定に目をそむけているか、理智をよそおって立会の機会をもとうとする例であるが、捜査官の方でも、その抵抗はまだ消極的である。


ところがこれが昂じてくると次の如き態度となる。


「接見禁止になっていますので、面会できません。」


といって、頭から面会を拒絶する場合。


この接見禁止なるものは、刑訴207条、同81条の規定によるものであろうが、それは理由にならぬ筈である。なぜならこの規定は、弁護人を明らかに除外しているのであって、接見禁止の決定によって、弁護人との交通は何等の制限を受ける筋合いはないからである。


にもかかわらず、捜査官はこの決定をふり廻して弁護人との接見を拒絶し得る如く考えているらしい。


法律に対する無理解によるものか、或は理智を装うて弁護人との交通を防圧しようと画策しているのか、如何に抗議し説明しても頑として聴き入れない。


「兎に角接見禁止になっているのですから、検事の許可をもらってきてくれ。」というのである。


  1. ここで接見指定の効能が発揮されるのであるが、接見指定を取るために検察官に会おうとすると、故意か偶然か検察官をつかまえることがなかなか容易でない。かくて1日2日と過ぎて、被疑者の防衛のために大切な時間は惜しみなく徒過されるのが通例である。
    やっと検察官にめぐり会って接見指定の請求をすると今しばらく待っててくれといって、ここで又数日が経過して、接見指定が10日間の勾留満期の直前になることも決して少なくはないのである。
  2. 或る検察官は、弁護人の接見指定は最初の勾留10日間に1回、延長勾留10日間に1回という基準を立てて接見を指定したことがある。この基準は如何なる法律によったものか、根拠不明であり、そのような検察官の指定であるから、10日の終りに近づいてなされることも当然の帰結である。
  3. 或る検察官は、「まだ検事の方で取調べが終っていませんので、それまで待って下さい。」といって指定を遅らせた例がある。

この検察官は、警察の調べがすみ検事の取調べ調書ができてきてから弁護人に会わすという考え方をしているのであって、秘密交通権が法律の規定によるものであり、被疑者の権利であることを忘れているのではないかと疑われる。かくて接見指定は検事の取調べ後という、奇怪な現象がまかり通るのである。


そもそも接見指定というものが斯くの如き状態で行なわれてよいのであろうか。なる程刑訴39条3項では、被疑者と弁護人の秘密交通に関し、


(捜査官は)捜査のため必要あるときは、公訴の提起前に限り、その日時・場所および時間を指定することができるという規定をおいている。


捜査官はこの規定に基き接見指定をなすのであるが、前述の如き指定事例は、既にこの条文の解釈を誤り、乱用に陥っているといわねばならない。何故なら「捜査上必要あるとき」とは、捜査上の具体的必要ある場合に限るのであって、検事が取調べるまで待てというようなことが許される筋合ではない。仮にこの文言が明確さを欠いているとしても、次の但し書を見れば、捜査官等の解釈の誤りであることは明かである。


但書に曰く


但し、その指定は被疑者が防禦の準備をする権利を不当に制限するようなものであってはならないと。


捜査官はこの但書を見落し、或は無視しておられるのではなかろうか。この但書ある以上、勾留満期の直前に指定したり検事が取調べ後に接見指定をなすが如きは明かに法律をじゅうりんしているものと言わねばならない。


以上は接見指定乱用によって接見を防圧してその機会を失わしむる例であるが、更に注意すべきは被疑者が弁護人と接見した後で捜査官が、「弁護人とどんな話をしたか」「弁護人から何を教えてもらったか」「その弁解はお前の智恵でなくて、弁護人に教えてもらったのだろう」と追及して弁護人との接見内容の秘密を侵害せんとする行き過ぎがあることである。


秘密交通は立会なくして接見し、自由に防衛を講じ得る権利であるから、何人からもその会談内容を探知されるものであってはならない。然るに取調べの官憲が直接にその内容を被疑者に訊問し、追及するのは重大な法律違反でなければならない。その実例をあげる。


  1. 或る選挙違反で、被疑者が自白をひるがえすや、弁護人に教えてもらったのだろうと追及して再度自白せしめた。(この件は無罪になったから虚偽の自白であったことは明らかである。)
  2. 或る選挙違反事件で被疑者が弁護人との接見を拒否した実例がある。接見後その内容の追及を恐れたが為である。

右の如きは捜査官から接見内容を追及せられる結果、被疑者は自己にかけられた本来の嫌疑に対する防衛の外に弁護人と接見したために新たなる防衛に奔命せざるを得ざるのみならず、その恐怖心のため、心にもなき自白をする危険すら生ずる惧なしとしないのである。


被疑者は法律を犯したものとして、捜査官の追及を受けているものである。その違反者を摘発する正義の代表者たる捜査官が秘密交通権を侵害して捜査を進めては、取調べる者が取調べられる者も同じレベルになり下ることであって、国家の恥辱これに過ぎたるはなしと言わねばならない。


更にまた、かくの如き法律違反によって獲得した証拠は汚れたる証拠である。かくの如き汚れたる証拠によって断罪しては裁判を神聖にするものとは言えない。


我々は、ここに重ねて捜査当局に対し、秘密交通権の尊重を要望し、本要望をなす所以である。


昭和39年12月10日
会長、人権委員長連名