地球環境保全神戸宣言

本文

人類を生み育ててきた地球は、いま、地球生態系の維持がおびやかされるほどに、環境上の危機を迎えつつある。


二酸化炭素・フロンガス等は温室効果をもたらし、更に、フロンガスはオゾン層を破壊し、酸性雨は森林や土壌の荒廃を、開発と伐採は森林の減少と砂漠化を進行させている。また、海洋汚染の拡大と、残留・拡散された化学物質の危険や原子力発電所の事故による放射能汚染など、地球的規模での環境問題は、人類が避けることのできない課題となっている。


すべて人は、尊厳と生存を保つに足る環境において、自由、平等および十分な生活条件を享受する基本的権利を有するとともに、現在および将来の世代のために、環境を保護し改善すべき厳粛な責務を担っている。


われわれは、この日本において、水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそくなどの悲惨で深刻な公害被害を体験し、環境の破壊が、人間の尊厳を回復しがたいほどに侵すものであることを思い知らされた。この深刻な歴史的体験は、「かけがえのない地球」を守れという1972年の国際連合人間環境会議の宣言に生かされた。


しかし、地球環境の危機は、いま、一段と進行している。


われわれは、神戸市から世界に向けて、世界人権宣言40周年の今、人類の生存とその人権の確立の視点に立ち、地球環境保全のための三つの法的原則を緊急に提言する。


人権としての地球環境保全
1. 人は、自然との共存を通じて人類としての永続的存在が保障されるとの理念に立ち、この視点から、すべての人々の生存と環境・自然享有の権利を確立しなければならない。
地球生態系維持の法制への転換
2. いずれの地域においても、また、現世代と後世代の間においても、公平を確保して、「永続可能な発展」を実現するために、地球生態系維持に配慮した環境法制を整備し、この視点からの産業政策の転換と、環境教育の充実が、はかられなければならない。
自国処理の責任と国際協力の強化
3. 世界の環境保全に貢献するためには、それぞれの国がまず国内の公害・環境問題を速やかに解決する責務を果たすべきであり、さらに公害の発生と環境の破壊をともなう他国での事業活動を規制する等国際間の協力を充実強化しなければならない。

この地球環境を子々孫々に残すことは、人類の責務であり、人権の根源であることを自覚し、ここにこの宣言をする。


1988年11月5日
日本弁護士連合会


理由

1. われわれが生きている地球環境は、日光、大気、水、動植物などの相互関連の中で構成された生態系であり、またそれは極めて脆い糸である。


その地球環境が、今日、戦争、核兵器の開発をはじめ巨大化した人間の経済・社会活動によって、生態系を維持し得なくなるほどの危機的状況に追込まれている。


世界における経済成長は、1950年(昭和25年)から1985年(昭和60年)のわずか35年の間に、工業生産において6.5倍、実質GNPにおいて4.3倍の急速な伸びを示している。経済成長の原動力の一つとなっている大量の化石燃料の消費は、大気中の二酸化炭素を増加させ、フロンガスとともに温室効果をもたらし世界の気候に著しい影響を与え、また、酸性雨となって森林を枯損させ湖沼の水質や土壌を酸性化して生物を死滅させるなどしている。さらに、フロンガスの利用は、オゾン層を破壊し、地上への有害紫外線の照射量を増大させて、皮膚癌の発生などの健康被害や生物の生存の危機をもたらしている。


また、カドミウム、有機水銀、PCB、アスベストなどの有害物質が陸地、海洋、大気などの地球環境に排出され、生態系へ大きな影響を与えているだけでなく、近時の技術革新は次々に合成化学物質を生み、その影響を増大させている。


また、近時の大規模な環境破壊の例をみると、1984年(昭和59年)10月から1987年(昭和62年)4月までの間に、インドのボパールにある殺虫剤工場の噴出事故で2,000人以上が死亡し、20万人を超える人が失明または負傷した。また、メキシコ・シティーで液化ガスのタンクが爆発して、1,000人の死者がでた。ソ連のチェルノブイリでは、原子力発電所の原子炉の爆発により、欧州全土が放射性降下物の影響を受け、将来における発癌が危惧されている。スイスでは、倉庫が火事になった際に、農薬、溶剤、水銀がライン川に流出し、何百万の魚を殺し、東ドイツとオランダで飲料水が危険に晒された。


さらに、発展途上国における熱帯林の商業伐採、人口増による食糧増産のための耕地拡大や薪炭材確保のための森林伐採は、毎年本州の約半分に相当する1,130万ヘクタールの森林を喪失させ、九州と四国とを併せた面積に相当する600万ヘクタールを不毛の土地にしてしまうと言われている。


このように、現代は、人為的に生物進化の流れ、遺伝子に急激、苛酷な影響を与え、かつ、生態系の回復が不可能なほど環境資源を食い潰し、次の世代に回収不能の債務すなわち、不可逆的な環境破壊による生存の危険を遺しつつある。このような地球規模での環境破壊の問題は、地球上のすべての人が、緊急に解決しなければならない課題である。


2. 世界人権宣言の前文、第1条、第3条及び国際人権A規約第12条1項に規定するように、人間は平等に尊厳を保持しかつ生命、身体の安全に対する権利を有する。また、1972年にストックホルムにおいて開催された国際連合人間環境会議においても、「人間の環境の両面、すなわち自然のままの環境と人間によって作られる環境は、ともに、人間の福祉と基本的人権―さらには生存権そのもの―の享受のために必要不可欠なものである。」と宣言された。このように、人は尊厳と福祉を保つに足る環境において自由、平等および十分な生活条件を享受する基本的権利を有している。


また、この地球環境は人類全体の財産であり、それ故、地球上の全ての人は、工業国、発展途上国のいずれの地域においても、さらに現世代と後世代との間においても公平、平等に地球環境の恵沢を享受することができる、またそれが可能な環境を保護し、改善すべき厳粛な責務を担っているのである。


3. 日本においては、特に、昭和30年代後半からの経済優先の政策が遂行されたため、高度経済成長をもたらした反面、われわれは水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなどの、悲惨で深刻な公害被害を体験した。環境破壊が、公害を発生させ、やがて、人間の健康や生命を蝕み、さらに人間が人間として生きていく基本的な権利である人間の尊厳さえも犯すことを思い知らされた。


この歴史的体験は、「かけがえのない地球」(Only one Earth)を守れという先の国連人間環境会議のストックホルム宣言に生かされ、さらに、1987年の「環境と開発に関する委員会」の報告書「地球の未来を守るために」(Our Common Future)へと引き継がれている。


しかし、こうした努力にもかかわらず、各国政府は現実的かつ有効な方策を取り得ていないため、地球環境の危機はいま一段と進行している。


悲惨で深刻な歴史的体験をした日本においてさえ、未だ、水俣病患者は完全には救済されず放置され、大気汚染についても、窒素酸化物、炭素酸化物等に改善はみられず、悪化の傾向さえある。アスベストの危険の排除についての有効な手段も見出せず、フロンガスへの対応も遅れ、酸性雨による森林の枯損の心配もある。加えて、トリクロロエチレン等のハイテク産業に伴う新たな有害物質による健康被害が懸念される状況にある。しかるに、政府は、財界の強い意向を受けて、二酸化窒素の環境基準を緩和し、公害健康被害補償法を「改正」して、新たな呼吸器系疾患の公害被害者の救済の途を閉ざす等、公害・環境行政についての重大な後退をし、憂慮すべき状況にある。さらには、これらの問題が解決されないまま、公害輸出と批判されるような企業の経済活動が海外で行なわれている。


4. われわれは、一層深刻になりつつある地球環境の保全のために、日本の公害被害の歴史的な体験と現状を踏まえ、世界人権宣言40周年の今、人類の生存と人権確立の視点に立って、この神戸から各国の国民と政府およびあらゆる国際機関に対して、次の三原則を緊急に提言する。


(1) 人権としての地球環境保全

人類は地球の生態系の一構成要素に過ぎず、他の生物相と同じく自然環境と共存しない限り永続的には存在し得ない。しかるに、人はこれまで前述した人類の生存すら危ぶまれる生態系の危機を目の前にしながら、地球生態系の維持を内容とする自然環境の保全を軽視してきた。それは、自然環境の価値を正当に評価せず、人類生存の基盤として、全ての権利の基礎にあることを深く認識しなかったことによる。人類の永続的生存を可能にする生態系の保全の理念に立脚して、人が人として生存することと、これの基盤としての環境・自然を享有する権利を確立することが急務である。


(2) 地球生態系維持の法制への転換

地球上の全ての人は、国、地域を越えて、自然の恵みを実質的公平に、そして、環境資源を喰い潰すことなく享受し、かつ、後世代の人が同じく享受し得るように引き継ぐことが、人が類として永続的に存在し続ける途である。このような永続可能な発展(Sustainable Development)を実現するためには、生態系維持の原点に立って、環境管理計画、環境アセスメント、モニタリング、さらに各種行政計画への住民参加などを採り入れた環境・開発法制の整備が必要である。また、これまでの産業政策が地球環境を悪化させ、ひいては人の生存さえ危うくしてきた歴史的現実をみるとき、これからの産業政策は「環境か開発か」の二者択一の段階ではなく、環境保全の枠組みのなかで、あるべき施策の見直しと転換が図られなければならない。


さらには、人が良好な自然環境を享受する権利を自覚し、自ら現在と将来の地球環境を保全するために、先に述べた環境についての考えをあらゆる人に理解してもらうことが必要であり、このための環境教育の一層の充実が図られなければならない。


(3) 自国処理の責任と国際協力の強化

今や、公害・環境問題は国境を越えて他国にも影響を及ぼしている。このため、各国政府が現在の地球環境保全の責務を果たすには、自国内で発生した有害廃棄物は自国内で処理し、公害の発生と環境破壊を未然に防止すべきであり、それぞれの国が自国内の公害・環境問題を速やかに解決すべきである。


さらに、今日の世界の経済活動は国家・経済体制を越えて行われているが、工業国では、自国内で販売が禁止されている製品を製造して発展途上国に輸出するなどの公害輸出等新たな問題が起きている。また、企業は規制基準の緩い諸国において自国の規制値を越える有害物質の排出を前提にして産業活動を行っている。このような公害発生、環境破壊をともなう製品の輸出、他国での生産、開発等の事業活動は事業全体の属する国の政府の責任において規制して、他国での公害被害・環境破壊の発生を未然に防止すべきである。


右のような国家を越えた公害被害・環境破壊の発生を防止するために、各国政府および国際機関は、国際的な規制基準の制定、国際条約、国際協定等の締結に努め、地球環境保全のための国際的なモニタリングなど環境保全の各制度を充実するべく国際間の協力を強化しなければならない。


この地球環境を子々孫々に残すことは、人類の責務であり、人類の根源であることを自覚し、ここにこの宣言を提案する。