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スペシャル対談

映画監督の周防正行さんと元厚生労働事務次官の村木厚子さん。
おふたりのこれまでのご経験から、
えん罪について、組織について、
今後の再審法改正について語り合いました。

PROFILE

  • 周防正行さん

    周防正行さん

    映画監督。「シコふんじゃった。」「Shall we ダンス?」「終の信託」などで知られる。
    「それでもボクはやってない」では刑事裁判の現状をリアルに描いて話題を呼び、第31回日本アカデミー賞ほか数々の賞を受賞。法制審議会の委員も務めた。
    「再審法改正をめざす市民の会」共同代表。

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  • 村木厚子さん

    村木厚子さん

    1978年労働省(現・厚生労働省)入省。2009年の郵便不正事件で被告人となるが、翌年無罪確定。
    復職後、事務次官を務める。退官後、生きづらさを抱える少女や若い女性の支援、罪に問われた障害者の支援などに取り組む。

それでも再審法は変わらない!?
どうしたら私たちはその壁を壊せるか?

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検察官が起訴すれば、99.9%は有罪になるといわれる日本の刑事裁判。また検察に有利な証拠しか開示されず、有罪の事実を追認するだけの場になっている不条理な裁判など、この国の司法制度に大きな矛盾が内在しています。ある痴漢えん罪事件を知ったことを契機に「それでもボクはやってない」という映画を作った周防正行監督。虚偽公文書作成・同行使の容疑で逮捕され、最終的に無罪を勝ち取った村木厚子さん。えん罪事件を映画で描いた監督とえん罪事件の当事者は、のちに法務省法制審議会のメンバーとなりますが、そこで、えん罪をなくすための制度改正への道がとても厳しいことを知ったといいます。えん罪をなくし、発生したえん罪は速やかに救済されるための制度にするには、どのようにすればよいのでしょうか。足りないことだらけの再審法は、どのように改正すべきなのでしょうか。今回は法律の専門家ではないお二人が携わった(巻き込まれた)えん罪事件と、再審法の改正についてお話を伺いました。

映画「それでもボクはやってない」はこうしてできた

- 周防監督は2007年に、痴漢事件を題材に刑事裁判の現状を描いた映画「それでもボクはやってない」(※)を制作されました。

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周防正行さん
(以下、周防)

新聞で「痴漢事件で東京高裁逆転無罪!」という記事を見たことがきっかけですね。調べてみると、電車内で痴漢をしたとして逮捕された被告人の大学時代の友人たちが、さまざまな支援活動をして弁護団に協力し無罪になったということがわかった。署名活動のようなこともやっているんだけれど、電車内の状況を再現したビデオを作ったりとか、新聞の投書欄にみんなで投書して裁判がおかしいということを訴えたりとか、ありとあらゆることをやっている。実際、有罪だとする証拠は被害者だという女性の証言だけで、他には何もない。それで有罪になるのかと。この国の裁判は何かおかしくないか? いったい司法制度はどうなっているんだろう? と思ったのが、映画を作ろうと思ったきっかけです。
取材をしていくと様々な疑問点が出てきました。まず、証拠は、検察側が有罪立証に使うものだけを法廷に出すということ。裁判官も弁護人も全ての証拠を見られるわけではないのです。素人考えでは、証拠はいったんすべて出して、そこから有罪か無罪かを判断するものだと思っていました。ところが無罪方向にとれる証拠は、存在していても出てこなかったりする。痴漢事件に限らず、全ての事件がそういう仕組の中で裁かれている。ビックリしました。映画制作にあたっては殺人事件や強盗事件ではなく、身近に起こり得る、もしかしたら自分も今日にでも当事者になるかもしれない痴漢事件にすることで、我が事として考えられる刑事裁判映画にしようと思いました。

※「それでもボクはやってない」
電車内で痴漢の容疑をかけられた青年が、無実を訴え続けるも起訴され、一審で有罪判決を受ける。なぜこんなことになるのか、刑事手続を丁寧に見せながら描く。痴漢事件を題材に、刑事裁判の現実とその怖さを描いた映画である。

警察や裁判官は私の味方ではなかった

- 一方、村木さんは、えん罪事件の当事者として裁判に関わり、最終的に無罪を勝ち取られました。

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村木厚子さん
(以下、村木)

もう事件から十数年経ちましたけど、私は役所が偽の証明書を出したという罪で逮捕され、164日間拘束されました。無罪判決が出るまでは1年3カ月でしたから、他のえん罪事件に比べれば長い期間ではありませんでしたが、被疑者、被告人という立場、そして自分がまったく関係していないにもかかわらず自分がやったと言われ続ける体験をしました。それで日本の司法制度や裁判って、こうなっているんだと初めて知りました。もともとは警察官や検察官、裁判官といったプロの人たちが、きちんと判断してくれる世界だと信じていた。私が勾留されて思ったことは、「あれ? まだ判決が出ていないのに、もう私は罰を受けている」ということです。また、外と遮断されることで正常な判断ができなくなっていく怖さも感じました。警察官や検察官は真実を探してくれる人たちだと信じていたのに、私の有罪判決を勝ち取るために働いている人たちなんだと、我が身に降りかかってみて初めてわかりました。

周防

私も本当に色々な人を取材しましたけど、皆さん信じてるんですよ、警察や検察、裁判所を。警察に捕まったことがある人なんてそうそういませんから、何か疑われたときに警察官に本当のことを言えばわかってもらえると思っている。だから取調べに積極的に応じちゃう。そこで調書を取られて、まず警察官に裏切られる。次に検察に連れて行かれ、検察官に怒鳴られて、人格を否定されてここでも裏切られる。本当のことを言っているのになぜ信じてくれないんだって。最後は裁判所で裁判官に裏切られる。ここまで自分を否定され、信じてもらえない恐怖を想像してみてください。逮捕、勾留、裁判を経て、推定無罪なんてありえないってことを経験するわけですよ。みんな推定有罪で法廷に立たされている。ですから村木さんの場合だったら、村木さんはこういう理由でこういう罪を犯したっていう、そういう自分たち(警察、検察)のストーリーに沿った供述を得るための場所が取調室で、それを追認するのが裁判所。どこも真相究明の場所ではないのですね。

村木

だんだん自分がおかしいんじゃないかっていう……自分を疑う方向へいきますよね。誰かと話していれば、違う!現実はここだって思い直せるんですけど、座標軸がどんどん崩れていく感じがありましたね。人の記憶はあてにならないものだと自分でもわかっているから、そこまで言われたらもしかしたら自分の記憶違いかと思ってしまう。

司法の正義はどこにある?

周防

そこをどんどん突いてくるっていうか。警察や検察が、要するに人を追い詰めて自分たちにとって都合のいい供述を引き出す場所だったと知ったときに、この人たちは何のために仕事をしているんだろうと思いました。

村木

彼らは彼らで、これが取調べの正義なんだってきっと思っているだろうと思うんですよ。本来は、警察官や検察官が有罪だと信じて証拠を集めて理屈を作る。それと同じことを弁護士ができて、きちんと証拠を集めて無罪を主張する。最後に両方の言い分を聞いて、裁判官が判断する。それが正しい姿であると思うのだけど、有罪を立証するためのあらゆる武器を与えられてるのは警察・検察だけで、その人たちが権利を行使して、裁判はそれを追認する場所になっているように思えます。この構造がいびつであることに我々が気づかないのは、本当に怖いことです。

「新時代の刑事司法制度特別部会」で知ったこと

- お二人は法制審議会の「新時代の刑事司法制度特別部会」に有識者として参加されました。いわば法律を作るバックステージを見られたと思うのですが、そのときのことをお話しいただけますか?

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周防

村木さんは、なぜ「新時代の刑事司法制度特別部会」に有識者として参加されたんですか?

村木

私は自分の事件があって、日本の司法制度がえん罪を生みやすい構図をもっているのではないかと思っていました。当然に警察や検察は、犯人を探さなきゃ!逮捕しなきゃ!そして逮捕した人は有罪にしなきゃ!と自分の職務としてそう思うわけですよね。その真面目な職務遂行の中にえん罪を生む構図が隠れていて、これは制度としてその構図を変えないとダメだと思ったからです。そんなときに制度改正をするための審議の場があるということで声がかかったので、喜んで参加をしました。

周防

でも当事者というか、被疑者、被告人を経験した方が、法制審議会の委員になるケースなんて初めてでしょう?それに法制審議会って、司法に関係ない人が委員になることのない世界ですよね。あのときは村木さんの事件もあって特別だったのでしょうね。僕も日弁連から「日弁連枠っていうのがあって推薦するから、取材のつもりで!」と言われて参加しました。実は映画を作ったあと、モヤモヤが残りっぱなしだったから文句を言ってやろうと(笑)

本当は組織や制度を変えたくない?

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周防

僕は、素人の言葉を直接ぶつける、素人の疑問を聞いて欲しいと思って出ていきました。ところがこの会議は「自分たちは仕事の中でこのような間違いを犯してしまったから、これを正していくにはどうしたらいいか、多くの人の意見を聞いて議論をしよう!その上で新しい制度を作っていきましょう!」というものではなかった。裁判所とか検察とか警察とか、それぞれを代表する人が委員として呼ばれているけど、皆さんのご意見は自分たちの組織を守りたいっていう、要するに実は現行制度を変えたくない人たちの集まりなんじゃないかっていうのが、すごくありました。それが最初の驚きで、あとは会議の雰囲気の硬さにも圧倒されました。意見なんてとても言える雰囲気じゃないんですよ。一度、全面的な証拠開示について意見を述べましたが、完全に否定されました。お前にナニがわかるんだ?と言われた感じ。自分たちが作った証拠開示制度は、世界に誇る最も良い制度なんだって堂々と言われてしまいました。

村木

私もそれをすごく強く感じたし、裁判官とか検察官とか警察官とか、司法っていうのはプロが慣れあっている場所になってしまっているのではないかと思いました。子どもの頃は、国民一人ひとりが公正な裁判を受ける権利を有すると憲法に書いてあって、それは国民の権利だと教えられていたのだけど、あの会議に行ったときに、司法の場というのは専門家の人たちが仕切る場所なんだと思いました。結局国民は主体ではなくて客体なんだと。もう裁判員制度は始まっていましたが、僕たちの専売特許だから素人さんは黙って僕らの意見に従いなさいって思っていますね。そのことに、すごく違和感がありました。治安維持とか真相の解明とか、そういう大義の前では小さな間違いは仕方がないと言われている感じがしました。それが間違っているのに、なぜこの人たちはわからないんだろうということが悔しかったですね。

周防

僕は自分の映画の冒頭に「10人の真犯人を逃すとも1人の無辜を罰するなかれ」という格言を出したのですが、あの会議にはそう思っている人は少ないなと感じました。要するに10人の真犯人を逃すくらいなら1人ぐらい間違えて捕まえても、その方が治安を維持できる、っていうのが彼らの本音だと感じましたね。

証拠は全部開示するように決めるべき

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周防

通常審で証拠がすべて開示されない現状があって、僕はそれを全面的に開示して欲しいと思ったんです。再審において、通常審で開示されなかった証拠が開示されて無罪になった事件がありますよね?こんなにはっきりと、無罪の証拠が隠されていたっていうことが明らかになっている。だから再審の世界で証拠開示が進めば、かつてこれだけの不正が裁判で行われていたっていうことが明らかになるだろうと。そこから、通常審の証拠開示をなんとかしようという話にならざるを得ないだろうと思っていました。だから再審における全面的な証拠開示については、この会議の中で言わなければいけないと思っていました。そう思っていたら、東京電力女性社員殺害事件で再審を担当された裁判官が口火を切ってくれました。「再審事件における、証拠開示のルール作りをするべきだ」と。会議も終わりに近づいた頃に袴田事件の静岡地裁再審開始決定が出て、弁護士の委員からも再審の証拠開示についてルールを作らなければいけないのではないかという話が再び出ました。そうしたら、はじめに再審の証拠開示について発言した裁判官の後任の裁判官に「(前の裁判官の)個人的な思いとしてはよく理解できるが、再審というのはそれぞれによって事案の内容とか性質、証拠構造も違えば請求理由も違う。再審に一般的な共通のルールを当てはめることはなかなか難しい」と引導を渡された。僕としては、不正が明らかになったんだから、この点はきちんと議論をすることを求めたのですが、1回の会議では2〜3回発言できたら良い方で、なかなか進めることができなかった。

村木

ですよね。私もあのときに一番感じたのは、ものすごい無力感でした。テーマをいっぱいもっていたけれど、3年もやって、どれ一つとして思うところまでいかなかった。再審も、横に置いときましょって言われてなんの抵抗もできなかった。無力さを感じました。

周防

袴田事件の第二次再審静岡地裁で村山浩昭裁判官が再審開始決定を書かれましたが、村山さんもやっぱり再審事件を経験して、証拠開示の必要性を強く感じたといっています。僕が法制審議会で聞いた最初の裁判官の方も、東京電力女性社員殺害事件の再審を担当された方だった。裁判官だって我が身で経験すれば証拠開示の重要性を痛感されるんです。袴田事件は無罪なのに、死刑になっていたかもしれない。証拠は、通常審から全面開示すべきですね。

村木

裁判って本当に怖くて、その人の命を合法的に奪うことができる。身体の拘束もそうですね。だからその担っているものの大きさと、そこで間違いがあったときに何が起こるかについて、本当にみんなが知らなきゃいけない。やっぱり私もルールが大事だと思うんですよ。結局物事を進めていくときに、ルールがないと個人の裁量に委ねられてしまう。再審請求の手順って何も決まっていないんですね。裁判ごとにやり方が違うことが問題だと思います。間違いを認めない、そして反射的に抵抗するという行動パターン。これを防ぐためにはルールで止めないといけないと思います。法律で証拠は全部開示しなければならないと決めて、変なバイアスがかからない構造にしなければいけないですね。

それでも再審法は変わらない!?

- 袴田事件の再審開始決定から9年が経ちましたが、いまだに再審について、また制度の改正について変わる気配が感じられません。このことについてはどうお考えですか?

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周防

袴田事件で確定判決から40年以上経ってようやく死刑台から生還されるわけですが、他にも遅々として進まぬ再審事件がたくさんあって、せめて最初にきちっと証拠開示が行われていたら、無罪になっていたと思われる事件ばかりです。にもかかわらず、再審法っていうのは戦後一度も改正されてない。なんで? って思わざるをえません。

村木

袴田さんの場合もそうですけど、この再審にかかっている時間っていうのは人生の時間を全部犠牲にしている。取り返せないんですよね、時間って。私は1年3カ月でしたけど、職業生活をある日いきなり断ち切られて、裁判に長い時間がかかったら、定年に達して二度と職場に戻れないっていう恐怖がすごくあったんです。とにかく間違いであったなら1日でも早く自分の人生に戻してあげることが本当に大事で、再審のルールをちゃんと整備して早くプロセスが進むようにしなければいけません。

周防

その人の人生もそうですけど、周りの多くの人を巻き込みますからね。人生を奪われる人がどんどん拡がっていく。時間がかかればかかるほど、です。それに絡んで、軽微な罰金刑などの中にも実はえん罪がたくさんあるかもしれないことは、あまり知られていない。ある弁護士に聞いたんですけど、痴漢事件で弁護を頼まれて接見に行ったら、はじめ本人は「やっていない。頑張る」って言うから、裁判をやろうと思っていたらしいんです。ところがそのあとに奥さんが面会して、「私はあなたのことを信じるから、やったと言って出てきて」と言ったらしいんです。僕の映画を見たということでした。裁判を闘っても良いことなど何もないから、私はあなたのことを信じるから認めて出てきてって。これはなんなんだろうと。有罪を認めた方が効率的だなんて。そんな制度はおかしい。制度を変えれば改善できることはたくさんあるのに。

間違いの原因を探し、失敗から学ぶ文化へ

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村木

今ある仕組みはとても間違いが起こりやすく、バイアスがかかりやすくなっているっていうことは事実ですよね。ですからこれをちゃんと是正して、できるだけ真実に近づけるような科学的な裁判制度にもって行くことが必要ですね。あと、間違ってはいけないというプレッシャーはすごいと思うんです。警察にも検察官にも裁判官にもかかっているこのプレッシャーが、間違えたとわかったときにそれを認めて謝るということを難しくしている気がします。それから、市民側の理解も必要な気がします。何かあるとすごく責め立てるっていうところを是正しないと。間違いが起こったら間違いが起こった原因をちゃんと探して、次に間違いが起こらないようにみんなで前へ進むことが大事だと理解して欲しい。

周防

普通に考えれば、なんで間違いが起きたのか、どこが間違ったのか検討することが必要だと誰でもわかるはずなのに、司法はできない。なぜなのか?再審はその素材の宝庫ですよね。裁判官も検察官も警察官も弁護士も、みんなが問題をさらけ出して検証しないといけないですよね。

村木

「失敗を責める文化から失敗から学ぶ文化へ」っていう言葉があって、私はそれ、すごく好きな言葉なんです。失敗を責め立てても何も生まれない。責任追及するためではなく、原因追究するための活動をきちんとやって次の制度改正につなげていく。失敗から学んで制度を良くしていくようになるといいなって思います。

どうすれば再審法は改正されるのか

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周防

再審ってものすごく時間がかかるじゃないですか。再審開始決定というけど、これは裁判をやり直すことが決定したというだけで、まだここからも裁判が続く。どんどん人生を奪われますよね。

村木

私は再審ではないですが、自分の裁判のときに弁護人が苦労したのは、相手に証拠開示をさせられるかどうかっていうことだったんですよね。再審でも、結局あとから証拠が出てきたことが無罪判決につながっている。だからとにかく、証拠開示は全部することを原則にすべきでしょうね。あとは検察官が再審の開始に反対できるんですよね。これですごく時間がかかる。

周防

不服申し立てですよね。地裁で再審開始決定が出ても検察官が不服申し立てをして、高裁へ。高裁で開始決定が維持されても、次は最高裁。これで何年もかかる。再審を「開始する決定」についての不服申し立てで争わずに、すぐに裁判をやり直せば、いまより明らかに時間はかからなくなる。

村木

無罪方向の新しい証拠なり何なりが見つかっての再審請求ですよね。それを裁く場としてやり直しの裁判があるのに、その前哨戦で時間稼ぎのようにいくらでもこんなことができる。本当に理不尽ですよね。

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周防

今の法律は再審を認めさせないための仕組みなの?と思ってしまうほど不備がある。時間が経てば高齢の請求人は亡くなっていくし、証人も減っていく。再審が速やかに開始されるように法改正しなければ、救済になりませんよね。まず再審請求の申し立てがあったら裁判所も検察も速やかに対応する。弁護人の証拠開示請求に応じる。再審開始決定が出たら、検察官は不服申立てをせずに、速やかに裁判を開始すること。再審決定を最高裁まで争うなんて、救済にならない。再審法って、憲法に従い、間違って有罪になった人を救うための制度なのに、その制度がこんなにも当事者に不利益を及ぼす制度になっているのは不思議です。

村木

そうですね。私、検事から言われた言葉の中ですごく印象に残っている言葉があって、「真実は誰にもわからない」と言われたんです。でも、やってない本人とか、やった真犯人は真実を知っている、真実はあるんです。だから真実を知らない検事や裁判官は必死で真相に近づこうと努力をしなきゃいけない。より、真実に近づけるための仕組み作りなんだって思えば、多分司法関係者の誰にとっても、そして国民にとっても良い仕組みになるはずだと思います。

- 本日はありがとうございました。

スペシャル対談-02(長野智子×小林元治)はこちらiconicon