日弁連委員会ニュース 6月号 人権を守る 日弁連人権ニュース 編集責任:日弁連人権擁護委員会 2024.6.1 第100号 名張毒ぶどう酒事件 第10次再審請求特別抗告棄却決定  本年1月29日、最高裁第三小法廷(長嶺安政裁判長)は、いわゆる「名張毒ぶどう酒事件」第10次再審請求の特別抗告審につき、特別抗告を棄却する旨の決定をしました(以下「本決定」といいます。)。 名張毒ぶどう酒事件と再審請求の経緯  「名張毒ぶどう酒事件」とは、1961年3月、三重県名張市葛尾地区の公民館で開かれた懇親会の酒席に出されたぶどう酒(以下「本件ぶどう酒」といいます。)に毒物が混入され、これを飲んだ女性5名が死亡し、12名が傷害を負った事件です。  逮捕・起訴された奥西勝氏は一貫して無罪を主張し、第一審では無罪となりましたが、その後控訴審で逆転死刑判決を受け、1972年6月15日上告棄却により同年7月死刑判決が確定しました。  2005年4月、第7次再審請求において、名古屋高裁は一旦、「再審開始」を決定しましたが、その後取り消されました。  奥西氏は第9次再審請求の途中で病に倒れ、2015年10月4日、獄中で帰らぬ人となりました(享年89歳)。  そして、奥西氏の遺志を引き継いだ妹の岡美代子氏が新たな再審請求人として、2015年11月6日、第10次再審請求の申立てを行いました。 第10次再審請求の主要論点  弁護団は、本件ぶどう酒の瓶口に巻かれていた封緘紙(以下「本件封緘紙」といいます。)の裏面には、製造時に塗布された糊の上に別の糊が塗られていることを明らかにする鑑定(以下「糊鑑定」といいます。)等、多数の新証拠を提出しました。しかし、請求審(名古屋高裁刑事第一部)は何らの事実取調べを行うことなく再審請求を棄却し、異議審(名古屋高裁刑事第二部)も糊鑑定について科学的知見に基づく判断を行うことなく異議申立てを棄却し、再審開始を認めませんでした。  弁護団は特別抗告審において、新証拠である糊鑑定について専門家の意見書、鑑定書等を多数提出し、糊鑑定の信用性をさらに補強し、原決定及び原々決定の誤りを科学的に明らかにしてきました。  糊鑑定は、フーリエ変換赤外分光光度計(FTIR)を使用し、全反射を利用して検体表面の赤外吸収スペクトルを測定するという方法(ATR法)を用いて澤渡千枝・武庫川女子大学生活環境学部生活環境学科教授により行われました。  鑑定の結果、本件封緘紙をぶどう酒の瓶口に貼り付ける際に用いられていた糊のほかに、ポリビニルアルコール(PVA)を原料とする糊(以下「PVA糊」といいます。)が付着していることが明らかになりました(以下「澤渡鑑定」といいます。)。  これは、本件ぶどう酒の瓶が何者かによって別の場所で開栓され、その際本件封緘紙が破られたものの、再度糊付けをするなどして閉栓され、公民館の囲炉裏の間に持ち込まれた可能性を示すものです。 第10次再審請求特別抗告棄却決定  本決定の多数意見は、本件当時に本件ぶどう酒と同種のぶどう酒の瓶に貼られていた封緘紙及びこれをぶどう酒の瓶に貼り付けるために用いられていた糊の各成分自体必ずしも正確には確定し難いなどを理由とし、本件封緘紙には、そもそも如何なる物質が付着しているか分からないということを前提として判断すべきであるなどと判示し、新証拠の証拠価値を認めませんでした。 宇賀克也裁判官の反対意見  宇賀反対意見は、澤渡鑑定等について、その手法が物質の判別に関する標準的な測定方法であって、この鑑定手法自体の妥当性は争われていないことを前提に、要旨次のように判断し、再審を開始すべきであると述べています。  本件封緘紙を本件ぶどう酒の瓶口に貼り付ける際に用いられていた糊のほかに、「PVA糊」が付着していることが明らかになったと考える澤渡鑑定は最も合理的であり、多数意見がいうところの糊以外の物質の付着は、想定し難い状況の下における抽象的可能性の指摘にすぎないのであって、その特定を事件本人側に求めるのは「『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則に反するように思われる」。 刑事裁判の鉄則と宇賀反対意見  そもそも科学的証拠について、考え得る反対仮説を潰さなければ証拠価値が認められないと考えることはできませんし、そのような考え方を弁護人に押し付けるのは、「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に悖るものです。  宇賀反対意見が指摘するとおり弁護人が科学的証拠によって最も科学的に合理的と考えられる仮説を提示しているのですから、「抽象的可能性」まで潰さなければ新証拠の価値を認めないというに等しい多数意見の決定は刑事裁判の鉄則に反し許されません。 第11次再審請求にむけて  弁護団は、第11次再審請求においては、白鳥・財田川決定が示す刑事裁判の鉄則に最も忠実な宇賀反対意見こそが、範とされるべき決定であることを新証拠の提出とともに明らかにしていく覚悟です。  そして、雪冤を果たすことなく他界した奥西氏の名誉を、一刻も早く回復する所存です。 (名張事件弁護団 菊地 令比等) 人権ニュース 『人権を守る』100号発刊を祝して  人権擁護委員会から、年に4回(3・6・9・12月)発行されている人権ニュース『人権を守る』が、今号で発刊100号となりました。  この『人権を守る』は、これまで日弁連が行ってきた人権擁護活動を多くの会員や外部の団体に対して積極的に発信するツールとして、極めて重要な役割を担ってきました。会長声明や意見書、人権救済申立事件の措置事案の公表、人権関係の勉強会やシンポジウムの実施、人権擁護大会の案内や報告、再審事件や各種重要裁判の経過及びその結果の報告など、その時々で重要な出来事を余すところなく報じてきました。  現在、民事裁判の諸手続にみられるデジタル化、IT化の流れは確実に進んでいるものの、今もなお、あえて紙媒体で日弁連の人権活動報告を行うことは重要なことであり、その重要性は今後も決して変わるものではありません。  思えば、私が1983年に弁護士登録をした当時、女性の権利は弱く、障がい者や外国人の権利も蔑ろにされていました。それから40年余りが経過し、日本国憲法が保障する「人権」や「権利」が徐々に社会に浸透し、当時とは比較にならないほど、状況は改善されましたが、まだまだ不十分です。未だ多様性を認め合う寛容な社会にはなっていませんし、子どもや高齢者・障がい者、外国人、貧困にあえぐ方々、犯罪被害者やえん罪被害者は、深刻な人権侵害を受け続けています。  そのため、私たちは一丸となって、法の支配を社会のすみずみにまで行きわたらせ、立憲主義と恒久平和主義を守り、市民の人権を守り、そして、全ての弁護士が希望を持つことのできる新たな司法の未来につないでいかなければなりません。  被害を訴える方々の救済には一刻の猶予もありません。見て見ぬ振りをすることも、後回しにすることも決して許されません。日弁連は、今後も、人権を守る砦として、積極的に人権擁護活動を行っていきます。  人権擁護活動は、弁護士としての1丁目1番地です。晴れて発刊100号を迎えた『人権を守る』では、今後も全国の会員や外部の団体に対して、日弁連の人権擁護活動を積極的に広く発信していただきたいと思います。 (日本弁護士連合会 会長 渕上 玲子) 水俣病被害者の早期かつ全面的な救済を! 〜「ノーモア・ミナマタ第2次訴訟熊本地裁判決」について〜  水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法(以下「特措法」といいます。)による救済措置の対象から外れた多くの人たちが東京、大阪、熊本、新潟の4地裁に訴訟を提起したいわゆるノーモア・ミナマタ第2次訴訟については、昨年9月の大阪地裁判決において原告128名全員が水俣病に罹患していると認定され、国、熊本県及び原因企業に対する損害賠償請求が認められました。この画期的な大阪地裁判決に続く熊本地裁の判断も注目されておりましたが、熊本地裁は、本年3月22日、原告144名全員の請求を棄却する判決を言い渡しました。 明暗を分けた要因  正反対の結論となった大阪地裁判決と熊本地裁判決ですが、明暗を分けた大きな要因の一つとして、両判決における疫学的知見に対する裁判所の姿勢の違いが挙げられます。  大阪地裁判決は、「信頼できる疫学的研究によって、曝露と疾病との間の疫学的因果関係を示す指標である寄与危険度割合(あるいは原因確率)が高いことが認められる場合には、(中略)疫学的因果関係が認められることは、法的因果関係を判断する上で重要な基礎資料となるというべきである。」と判示し、疫学調査を踏まえた疫学的知見を最大限尊重する姿勢を示しました。  一方、熊本地裁判決は、「当該疫学的因果関係が、個々人の法的因果関係においてどの程度の証明力を持ち得るかは、当該疫学的因果関係の内容や当該疾病に関する医学的知見等を踏まえて個別具体的に検討すべきものであ」るとして、大阪地裁判決と比べると、疫学的知見の意義を限定的に扱っているということができます。  こうした両判決の疫学的知見に対する姿勢の違いが、メチル水銀への曝露と疾病との因果関係についての判断だけでなく、他原因との識別可能性や、曝露終了から発症までの潜伏期間についての判断にも影響を及ぼし、正反対の結論を導くに至ったものと考えられます。 除斥期間の適用  熊本地裁判決では、原告144名全員の請求を棄却したものの、25名については水俣病に罹患したことを認定しています。しかし、熊本地裁判決は、この25名については、改正前民法724条後段の定める除斥期間の経過により損害賠償請求権が消滅しているとの理由で請求を棄却しました。  除斥期間の適用については、大阪地裁判決においても争点の一つとなっていました。この点について、大阪地裁判決は、遅発性水俣病の場合、損害の全部又は一部が発生した時が除斥期間の起算点となるとした上で、具体的な起算点としては神経学的検査等に基づいて水俣病と診断された時であるとし、結論として除斥期間の適用を否定しました。  一方、熊本地裁判決は、除斥期間の起算点を損害の全部又は一部が発生した時とするのは大阪地裁判決と同様です。しかし、具体的な起算点について水俣病を発症した時点と解し、各原告の曝露終了から概ね10年以内に水俣病の症状が現れるであろうと考えられるとして、水俣病に罹患したことを認めた原告についても発症時期から20年の除斥期間が経過していると判断しました。 今もなお続く水俣病問題  このように、大阪地裁判決と熊本地裁判決とで判断が大きく分かれたことにより、それぞれの控訴審においてどのような判断がなされるのか、今後の動向が注目されます。また、今回の熊本地裁判決の対象となったのは、熊本地裁に提訴した原告のうち審理が先行したごく一部であり、まだ1200名を超える原告について、現在も熊本地裁で審理が係属中です。  日弁連は、昨年12月14日付けで水俣病認定審査業務に関する環境省の審査基準の改定等を求める意見書を公表し、人権擁護委員会水俣病問題検討プロジェクトチーム(以下「本PT」といいます。)は、本年3月29日、議員連盟及び環境省との意見交換会を実施しました。その後、本年4月18日には、ノーモア・ミナマタ第2次訴訟の新潟地裁判決も言い渡され、同判決は、国の責任を否定したものの、26名の原告を水俣病と認め、原因企業に損害賠償を命じました。  相次いで言い渡された大阪、熊本、新潟の3つの地裁判決は、それぞれの判断内容は異なるものの、特措法等の従前の救済施策から外れた者についても水俣病と認定したケースがある点で共通しており、熊本地裁判決においても、水俣病と認定された原告25名のうち21名は、特措法の対象地域外でメチル水銀に曝露しています。このことは、未だに救済されない水俣病被害者が現在も多数存在することを示すものです。それにもかかわらず、環境省の審査基準(いわゆる「新通知」)によって、公害健康被害の補償等に関する法律による水俣病被害者の救済が機能していない実情があります。本PTは、前述の日弁連意見書によりそうした実情を指摘しましたが、近時の3つの地裁判決を受けて、改めて会長声明案の準備を進め、本年5月9日、「水俣病問題についての各地での判決を受けて、水俣病被害者の早期かつ全面的な救済を求める会長声明」が発出されました。  本PTは、今もなお続く水俣病問題に、引き続き取り組んで参ります。 (人権擁護委員会水俣病問題検討 プロジェクトチーム 特別委嘱委員 吉野 雄介) 人生の最終段階の医療・介護の決定のあり方を考える連続シンポジウム 「自分らしく人生を全うするために第4回 神経難病の方の場合を中心に」を開催  本年4月6日、人権擁護委員会第4部会(医療に関わる人権問題に関する部会)は、2022年10月開催の第1回(高齢者の場合)、昨年3月開催の第2回(子どもの場合)、昨年7月開催の第3回(救急の場面)に続き、表題の連続シンポジウムをオンライン形式で開催しました(参加者約160名)。 4人のパネリストからの報告  加藤高志会員(大阪)から企画趣旨の説明があった後、4人のパネリストがACP(人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合う取組)に関する報告を行いました。  荻野美恵子・国際医療福祉大学医学部教授は、医師の立場より、神経難病のうち筋萎縮性側索硬化症(ALS)・多系統萎縮症(M SA)の病状等の一般的な説明をした上で、本人が正しく意思決定するための十分な医療・介護・福祉等の横断的な情報提供が必要であるがそれができる人材が少ないこと、他人の価値観を押しつけてはいけないこと、事前に将来像まで説明し患者に生き方の意味を考えてもらい繰り返し話し合い「協働意思決定」をすることが重要であることを報告しました。  川口有美子・NPO法人ALS/MND(運動ニューロン疾患)サポートセンターさくら会副理事長は、ALS患者の支援者の立場より、重度障害をもつ難病患者の社会的障壁は医療モデルの中ではなく社会モデルの中で解決すべきであること、支援者側から権利を支えるという観点が重要であることを強調しました。  青木志帆会員(兵庫県)は、弁護士及び社会福祉士の立場より、公的介護の支給量は患者にとっては心配事の一つに過ぎず、24時間の介護保障で家族に迷惑をかけなくて済む環境ができたとしても患者の生が保障されるわけではないこと、治療だけではなく最後まで生き抜くための伴走する医療をどう提供し保障していくのかが重要であることを問題提起しました。  前村聡・日本経済新聞社医療面編集長は、記者の立場より、京都ALS嘱託殺人事件の京都地裁判決を説明した上で、患者が安心して生きられる支援制度や仕組みが必要であること、死と生は表裏一体であり、死にたいと思うことを否定するのではなく共感していくことにより死より良い道がないか模索することが大事であることを投げかけました。 パネルディスカッション  加藤高志会員及び増田聖子会員(愛知県)がコーディネーターを務め、神経難病の中でも主にALSの患者を念頭に置いて議論しました。  その議論の中ではALSに関する情報・社会資源は地域や関与する病院によって格差があること、インターネットで簡単に根拠のない情報が手に入ってしまうこと等に課題があり、状況に応じて継続して情報提供することを意識づけること、足りない部分は他職種による関与で補うこと、家族会による支援をすること等が重要であるとの指摘がありました。  また、ACPにあたって自己決定したという事実に拘泥することなく、患者が常に本心を語っているとは限らないことやすべてのことを想定することは困難であるため、一度した自己決定が最終決定ではないことを意識する必要があることや、家族に対するアプローチの仕方も重要で、家族が負担を抱え込まないよう患者個人単位でのサポートも必要であるとの指摘もありました。 今後について  連続シンポジウムは、今回で終了となります。人生の最終段階における医療や介護の決定のあり方は、人生の最終段階での自己決定に関わる重要な人権問題であることから、4回のシンポジウムで得られた課題をもとにさらなる研究を重ね、今後の活動に生かしたいと考えています。 (人権擁護委員会第4部会 部会長 森 浩之輔) 民間事業者の合理的配慮が義務化 シンポジウム「障害者差別解消法の改正を踏まえて求められる対応」を開催  本年4月23日、弁護士会館において日弁連が主催、東京三会が共催し、表題のシンポジウムを開催しました。会場とオンラインのハイブリッドで開催し、会場には52名、オンラインで282名の参加がありました。 民間事業者も義務化  冒頭の野呂圭日弁連副会長の挨拶に続き、板原愛会員(東京)から「障害者差別解消法とその改正について」と題する報告がありました。同法は、行政機関等と民間事業者による障害者への差別を禁止し、差別の中身として、「不当な差別的取扱い」と「合理的配慮の不提供」の二つを規定しています。2016年の同法施行時には、民間事業者による合理的配慮の提供は努力義務でしたが、障害者権利条約等の影響もあり法改正がなされ、本年4月1日よりこれが義務化されました。板原会員は、同法の概要、改正法の内容、差別の具体例等を、視覚に障害のある自身の経験も踏まえて説明しました。 ガイドブックを刊行  続いて、原香苗会員(仙台)が、法改正に併せて人権擁護委員会が編集した「事例からわかる相談担当者のための障害者差別解消ガイドブック」(ぎょうせい)の刊行について報告しました。原会員からは、当該ガイドブックの趣旨、内容に加え、ガイドブックに収められた事例中、聴覚障害者が観覧車に乗ろうとしたら安全上の理由から「聴覚障害者のみの搭乗はできません」と断られた事例に関する記述内容について紹介がありました。 差別解消に向けての取組  シンポジウム後半は、法改正を踏まえて求められる対応について、板原会員をコーディネーターとしてパネルディスカッションを行いました。パネリストとして今泉妃美子氏(全日本空輸株式会社CX推進室CX戦略部)、松尾章司氏(東京都手をつなぐ育成会本人部会・ゆうあい会会長)、志村正彦氏(東京都福祉局障害者施策推進部共生社会推進担当課長)が登壇しました。  今泉氏からは、全日本空輸株式会社でのユニバーサルサービスの取組についての説明に加え、現場ではマニュアルと教育の両面から合理的配慮の徹底を進めていること、ベースとなる考え方は伝えるが現場で社員自身が臨機応変に柔軟に判断できるようにしていることなどの取組が紹介されました。また、要望に添えない場合、どのような理由で対応できないかを誠意をもって説明して理解を得るようにしていること、代替手段を提案するようにしていること、できる範囲を一緒に考えていくようにしていることなどの話がありました。  松尾氏からは、職場において、知的障害のある当事者にとっても分かりやすい就業規則作りをしたことや、不動産を探しているときに知的障害があることを伝えたところ不動産屋の態度が急変したことなどの紹介があり、「障害のある人が何に困っているのかについて耳を傾け一緒に考えてほしい」「個人としてみていただきたい」とのメッセージがありました。また、法律関係の文書や契約書など、難しい文書については、障害の程度によるものの、ルビがふってあれば大丈夫ということではなく、分かりやすい言葉で伝えてほしいとの話がありました。  志村氏からは、東京都障害者差別解消条例に基づく相談や紛争解決の仕組みについての紹介があり、民間事業者からの相談も一定数あり法改正後も困ったことがあれば積極的に相談いただきたいというメッセージがありました。また、相談の現場では、相談担当者が障害者・事業者の対話の調整を図り、多くの事案が解決に至っていること、相談対応の姿勢としては、対立構造ではなく当事者とやり取りをしながら解決策を見つけていきたいという話がありました。  最後に板原会員から、今回の法改正が、対立ではなく、ともに社会に参加していくことに役立っていくことを願うというメッセージがあり、田門浩会員(東京)からの閉会挨拶をもってシンポジウムが終了しました。 求められるものは対話と相互理解  全体を通じ、障害当事者と障害がない人が互いに理解することの大切さや、障害当事者の社会参加を実現するために対話(障害者差別解消法上の「建設的対話」)を重ね、一緒に考えていくことの重要性が伝えられたシンポジウムであったと思います。あらためて、一人でも多くの方にこの法改正を知ってもらう必要があると感じたシンポジウムでした。 (人権擁護委員会 障がいを理由とする差別禁止法制に関する特別部会特別委嘱委員 関哉 直人) 名古屋刑務所視察報告記  人権擁護委員会第3部会(刑事被拘禁者の人権に関する部会)では、毎年全国の刑務所見学を実施しており、本年は2月8日に名古屋刑務所を視察しました。  名古屋刑務所では2001年、刑務官が受刑者に放水等の暴行を加え死傷させる事件が発生しました。同事件を契機に行刑制度の抜本的改正が必要という議論となり、05年、監獄法が改正され刑事被収容者処遇法が成立しました。  また、22年6月、懲役刑と禁固刑を一本化した「拘禁刑」の創設等を内容とする改正刑法が成立し、来年から施行される予定です。  ところが、22年12月、またしても同施設で刑務官が受刑者の顔や手を叩く、顔にアルコールスプレーを噴射したりするなどの暴行・不適切処遇を行っていたことが判明しました。法務省は有識者等により構成する第三者委員会を設置し、昨年6月、再発防止のための提言が提出されました。  今回の視察は、このような背景を踏まえ、名古屋刑務所でどのような取組が行われているのかに着目して臨みました。 施設の概要  名古屋刑務所は定員2427名で収容区分はM(精神上の疾病又は障害があり医療を必要とする者)、P(身体上の疾病又は障害があり医療を必要とする者)、F(外国人)、LB(刑期十年以上)、B(犯罪傾向が進んでいる者)です。  07年当時は収容率129%と定員を超える過剰収容状態でしたが、その後被収容者数は減少し、訪問時点の被収容者数は811名で収容率は33・4%でした。  地域の性質上、外国人受刑者が多い(146名)ため、国際対策室を設置して対応している点、矯正管区内の医療重点施設として人工透析室等の設備を整えている点が特徴です。 暴行事件の再発防止策  名古屋刑務所は、前記のような暴行事件を二度と起こさないために、名古屋刑務所再生プロジェクトチームを設置し、「処遇困難者に対する適正処遇の徹底」「刑事施設視察委員会との連携強化」「職員研修体系の見直し」を再生三本の矢として、再発防止策に取り組んでいるとのことです。このうち適正処遇の徹底については、まず、概ね70歳以上で認知症を有している等自立生活が困難な者に福祉的支援を行うため、シニアサポートセンターによるユニット処遇(現在8名)が行われています。視察時にも指導員のオルガン伴奏に合わせて、高齢受刑者が合唱している様子を見ました。  また、集団処遇に馴染むことができない受刑者については、単独室ユニットというグループに分け、精神状態の安定や集団処遇への移行に向け寄り添う処遇を行っていました。その一環として受刑者に熱帯魚やリクガメ等ペットの飼育をさせる試みが行われていました。  職員側への再発防止策として、日常受刑者と接する職員は装着型カメラを使用することとし、不適切な対応がないか検証を行う取組を始めています。また、報道でも取り上げられたように、被収容者の呼称は呼び捨てを止め「さん」「君」付けとし、職員への呼称も「担当さん」「職員さん」と呼称し、不適切な呼称(「おやじ」等)をしないことが原則化されました。また、職員にアンガーマネジメント研修・ストレスマネジメント研修を行うと共に、職員のメンタル面に配慮し、若手職員が公私を問わず先輩職員に気軽に相談できるようメンター制を導入しているそうです。 おわりに  視察の際、所内の壁に「過ちは二度と繰り返さない」という張り紙を多く見ました。所内を視察後、所長をはじめ幹部職員と意見交換を行いました。法改正による矯正教育の大幅な変革期の中で信頼を取り戻すべく、所長が先頭に立ち取り組んでいくという強い決意を感じました。名古屋刑務所が今後どう変わっていくか注目しましょう。 (人権擁護委員会第3部会 副部会長 吉田 純二) 勉強会「ヒューマンライツはなぜ実現しないのか」を開催 〜埋もれたヒューマンライツ 人権とhuman rightsは同じなのか〜  本年3月29日、人権擁護委員会は、第6部会(国際人権問題及び戦後補償問題に関する事項)の戸塚悦朗会員(第二東京)を講師として、勉強会「ヒューマンライツはなぜ実現しないのか」を開催しました。本稿ではその概要を報告します。 憲法上の人権と国際人権条約上の人権  伊藤正己元最高裁判事は、国際人権規約について、「その各規定は日本国憲法に比して細かな点にわたっており、違憲の主張についてこれを却けうるときでも、その合憲の論拠をもってしては規約違反の主張に対応できないことが少なくないと考えられた」と述懐しています(国際人権法学会学会誌「国際人権」創刊号)。憲法の保障する人権よりも国際人権規約の保障する人権の方が広範だという指摘です。例えば外国人に入国の自由や在留の権利はないとするマクリーン事件判決に対して、自由権規約12条4項は生活の基盤のある国に帰る権利を保障しているといった具合です。  ところが日本の裁判実務では、裁判官の多くは国際人権条約など用いずとも憲法だけで人権を十分に保障できると考えているように見受けられます。このような状況はなぜ生じたのでしょうか。 「人類の権利」としてのhuman rights  憲法が保障する人権は国内法の次元で憲法によって保障される権利です。米国でいうなら市民権で、歴史的にみると18世紀末の米国やフランスの「権利宣言」にその現れがみえます。  一方、human rightsは、第2次世界大戦の災禍を繰り返さないようにと、地球上のすべての人に保障されるものとして構想されて国連憲章に盛り込まれた、新しい権利です。外務省もその新しさを当初は意識していたようで、従前用いられていた「人権」という訳語ではなく「人類の権利」(1942年1月1日連合国宣言がhuman rightsという言葉を史上初めて国際文書で採用した、その外務省訳)という新しい訳語を用いました。ところがポツダム宣言を訳したときから「人権」と訳すようになってしまい、国際法上の次元ですべての人に保障される「人類の権利」の存在が見えなくなってしまいました。 新しい訳語「ヒューマンライツ」の提案  この状況を打破する手段が、human rightsに新しい訳語「ヒューマンライツ」をあてることです。この訳語を用いれば伊藤元最高裁判事の前述の指摘は、「憲法上の人権の侵害と認識されない場合でも、ヒューマンライツ侵害と認識されることはあり得る」となります。人権とヒューマンライツが明確に区別して認識され、ヒューマンライツが掘り起こされます。  さらに、(これまでは「国際人権条約」と訳されていた)国際ヒューマンライツ条約を国内法上の次元で実施するための方法として、@憲法98条2項の条約遵守義務の履行、A裁判所による国際ヒューマンライツ条約の国内適用、B国際ヒューマンライツ条約の国内実施機関の創設、C個人通報制度を活用できるようにする選択議定書の批准、さらには、D国際ヒューマンライツ条約の国内実施義務を確認し、国際ヒューマンライツ条約違反は憲法98条2項違反とみなす法律の制定などが考えられます。このDが実現すれば条約違反も上告理由となり、実務に好影響が期待できます。 ヒューマンライツを国是に!  昨年の世界幸福度ランキングで日本は47位。1位のフィンランドは、憲法が定める基本権と国際法上のヒューマンライツを別々の言葉で表現して、いずれも憲法で保障しているそうです。ヒューマンライツの浸透度合いの差が幸福度ランキングに影響している可能性があるように思えます。講師のしめくくりのメッセージは、ヒューマンライツを国是として、すべての人の幸福度向上のために政策目的を転換すべき、というものでした。  質疑応答では、憲法の基本的人権も人類の多年にわたる努力の成果とされており、人類の権利として構想されているのではないかとの質問があり、講師から、出発点は同じだったとしても、そこから生まれてきた国際ヒューマンライツ条約の内容と憲法下の実定法の内容は大きく異なってしまっており、別のものと捉え得ると考えている旨の回答がありました。その他にも活発な質疑があり、刺激的で充実した勉強会でした。 (人権擁護委員会第6部会 委員 仲 晃生) シンポジウム「技能実習制度廃止後の新制度を看板の付け替えにしないために〜外国人労働者の権利と地方企業の視点から改めて考える」を開催  本年3月11日、人権擁護委員会外国人労働者受入れ問題プロジェクトチーム(以下「本PT」といいます。)主催で、技能実習制度廃止後の新制度の在り方をテーマに、表題のシンポジウムを開催しました。 法改正に向けた動き  2022年7月29日、古川禎久法務大臣(当時)が、技能実習制度について、「長年の課題を歴史的決着に導きたい」と話し、制度の見直しを議論する考えを示しました。その後、技能実習制度及び特定技能制度の在り方に関する有識者会議が、外国人材の受入れ・共生に関する関係閣僚会議(以下「関係閣僚会議」といいます。)の下に設置され、昨年11月30日、同有識者会議が最終報告書(以下「最終報告書」といいます。)を作成しました。本年2月9日、関係閣僚会議は、「技能実習制度及び特定技能制度の在り方に関する有識者会議最終報告書を踏まえた政府の対応について」(以下「政府対応方針」といいます。)を閣議決定しました。なお、本シンポジウム実施後の本年3月15日、政府は、技能実習制度に代わる「育成就労」制度を新設する法案(以下「改正法案」といいます。)を閣議決定しました。 改正法案の概要と問題点  シンポジウムでは、本PTの中村優介会員(東京)より、最終報告書及び政府対応方針の概要を説明の上、日弁連がこれまで意見書や会長声明において指摘してきた技能実習制度の問題点(名目と実体の乖離、高額な手数料徴収、転籍の原則禁止や監理団体の独立性・中立性の担保の在り方の問題、救済制度の実効性等)について、改正法案で十分な改善が図られているか検討が行われました。重要な点としては、改正法案において、本人意向の転籍が可能となったにもかかわらず、日本語習得要件を課されたり、その終期が明記されることなく、「当分の間」同一の機関において就労した期間が一定の期間(分野ごとの設定で1〜2年)を超えていることといった要件を課されるなど、新制度においてもなお課題が残されていることなどの指摘がありました。  また、入管問題検討PT座長である丸山由紀会員(東京)は、有識者会議においては全く議論されていない「永住者」の在留資格取消を容易にする方針が、政府対応方針で明らかにされたことの問題点を取り上げました。永住許可取消のハードルを下げることにより、永住者や、今後永住許可を受けるすべての外国籍者の立場を不安定にし、ひいては、外国籍者に対する差別や偏見を助長するおそれも否定できないことなどの説明がありました。 国際基準という視点を持った制度設計の必要性  国際労働機関(ILO)駐日事務所の田中竜介氏からは、外国人労働者の受入れに当たっては、国際スタンダードに則った対応が重要であるとして、その具体例が示されました。例えば、@日本は、アジアで唯一、職業仲介において労働者からの手数料徴収を禁止するILO181号条約(民間職業仲介事業所条約)を批准している国であることから、二国間条約によって、送出国にも同原則を徹底すること、Aデジタル技術などを活用し、労働条件の透明化を図り、問題が発生した時の苦情申立てにつなげること、B就労によって習得することができる技術の明確化、C監理団体の情報開示を図り、企業が優良な監理団体を選ぶことを可能にする制度設計等、制度を改革していくうえで有為な提案が多数示されました。 選んでもらえる受入れ環境の構築  上田グローバル共生社会づくり研究会の佃芳典代表及び大月良則事務局長は、海外人材獲得競争が、国家間、あるいは都市と地方の間で激しくなる中、制度で人材を縛り付けるのではなく、外国人と日本人が良き隣人として共に暮らしやすい地域社会を構築することで、海外人材に選んでもらえるような、上田市におけるグローバル地域共生のモデル構築の取組を紹介しました。  入国後講習での、地域の皆さんによる社会習慣やルールについての情報提供、相互支援の体制の構築、ボランティアを通じた関係の構築、交流イベントの実施など、共生社会を目指しての取組による成果は、他の自治体にも重要な示唆を与えてくれるものと思われます。 地方と外国人の人権・共生の視点から  信濃毎日新聞は、20年〜21年にかけて、「五色のメビウス ともにはたらきともにいきる」というキャンペーン報道を実施し、外国人労働者が直面する問題や、企業側が置かれている現実、技能実習制度の構造的な問題等を明らかにする一連の報道を行いました。その際に取材班代表・デスクを務めた牛山健一氏(現東京支社報道部長)は、改正法案の問題点に加え、都市を地方が支え、地方を外国人労働者が支えている実態や、地方と都市の間の賃金格差といった、社会の構造上の問題に取り組んでいく重要性についても言及しました。 さいごに  現在の日本において労働力の確保は喫緊の課題であるにもかかわらず、転籍制限や家族帯同禁止等、労働者の権利を制限する方法を取り続ければ、日本が海外人材から選ばれない国となる現実的な懸念が登壇者の多くから示されました。時間を要する取組ではありますが、人権が守られ、安心して暮らせる共生社会構築に向けた誘導政策が重要であることを、地方の取組などを通じて学ぶ機会となりました。 (人権擁護委員会外国人労働者 受入れ問題プロジェクトチーム 特別委嘱委員 加藤 桂子) 編集後記  100刊分(四半世紀)の人権擁護活動の重みと人権ニュース編集委員会の歴史が骨身に染みます。200号を発刊する頃にはどのような社会になっているでしょうか。年々時が経つのを早く感じ、本号発刊の6月には年明けから早くも半年が経つというのは信じられません。社会の変化も時が経つのも早く感じますが、護られるべき価値を見逃さずに擁護できるよう刮目して活動したいと思います。 (人権ニュース編集委員会 委員 木村 正)