2001年1月19日 司法制度改革審議会中間報告に対する意見書 未決及び矯正処遇に関する事項を中心に          日本弁護士連合会   1 はじめに−未決処遇・矯正処遇は審議会の審議対象  司法制度改革審議会(以下、「審議会」という。)の中間報告は、未決及び矯正処遇(既決処遇)についてほとんど触れていない。では今回の審議会の審議の対象外かというと、そうではない。  中間報告は、 「(3)国民の期待に応える刑事司法の在り方 ア 刑事司法に対する国民の期待―その使命・役割―」のなかで、「(イ)犯罪者の改善更生、被害者等の保護」(53頁)という見出しを掲げて、「犯罪者の矯正処遇、更生保護に関わる制度及び人的体制の充実には一層の意を用いていかなければならない。」(54頁)と記述され、 「5.国民の司法参加―国民的基盤の確立―」の「(2)参加拡充の在り方」のなかで「エ その他」としてわざわざ「(イ)保護司」について項目を掲げて論じ、「犯罪や非行を行った者の更生保護は刑事司法の延長線上に位置し」(65頁)と位置づけている。  であるから、矯正処遇(既決処遇)が審議の対象であることは明らかである。それにしてはこの程度の記述しかないことが何とも淋しい。  未決処遇については、「(3)国民の期待に応える刑事司法の在り方」のなかの「エ 新たな時代における捜査・公判手続の在り方」のなかで、「被疑者・被告人の身柄拘束に関連する問題」が項目として取り上げられており(59頁)、代用監獄、弁護人との接見交通、弁護人の取調べへの立会いなどが指摘されている。従って、未決処遇が審議の対象となることも疑いない。  そこで、日弁連としては、拘禁二法案対策本部を設置してこの約20年間未・既決処遇について検討してきた成果を踏まえ、ここに司法制度改革審議会中間報告に対する意見書を提出する次第である。ただし、未決処遇に関しては、昨年7月25日(第26回司法制度改革審議会)の「国民の期待に応える刑事司法の在り方」についての当連合会意見表明に際し、網羅的にふれており、ここでは永年一貫して要求してきている代用監獄の廃止等に絞って意見を述べることにする。  なお、昨年11月28日法務大臣の諮問機関である矯正保護審議会(会長・稲田克巳元福岡高検検事長)が「21世紀における矯正運営及び更生保護の在り方について」と題する提言を法務大臣に提出している。時宜を得た答申であり、この意見とも関連するので、以下、この提言も適宜引用する。  さらに、2000年6月法務省矯正局と日弁連との間で、受刑者処遇についての勉強会が開始された。両者が受刑者処遇の改善について率直な意見交換の場を持つこととなったことは真に画期的なことである。同年11月その勉強会の一環として合同で、イギリス、ベルリンの各重警備と開放の合計4ヶ所の刑務所を調査した。その他イギリス内務省の刑務所局、イギリス・ドイツの犯罪者の社会復帰に関わるNGO等も回った。それらの海外調査の結果も付加しながら、意見を述べることとする。 2 被疑者・被告人の身柄拘束(未決処遇) (1)中間報告  中間報告は、「被疑者・被告人の身柄拘束に関しては、代用監獄の在り方、起訴前保釈制度、被疑者と弁護人の接見交通の在り方、令状審査、保釈請求に対する判断の在り方など種々の問題の指摘がある(規約人権委員会の勧告等)」とし、「被疑者・被告人の不適正な身柄拘束が防止・是正されなければならないことは当然である。…今後とも、刑事手続全体の中で、制度面、運用面の双方において改革、改善のための検討を続けるべきである。」とする(59頁)。  国際的な動向は、被疑者・被告人の身柄拘束に関して、きわめてデリケートな感覚をもっている。不適正な身柄拘束が防止・是正されなければならないことにきわめて大きな注意を払っている。  根本的には、「司法府の地位の強化(司法府の独立)」(5頁)の観点から、「行政に対する司法のチェック機能を充実させることは重要であり」(52〜53頁)、代用監獄や監獄における行政機関の措置に対する司法の有効適切なコントロールが求められる。 (2)代用監獄の廃止  死刑再審4事件をはじめとする繰り返されてきた冤罪事件の根本原因が、代用監獄の存在とそれを利用した取調の過程で作られた虚偽の自白にあることは何人の目にも明らかである。  規約人権委員会の日本政府報告書に対する審査に基づく最終見解(勧告)も22項において、「委員会は、規約第9、10および14条で定められている権利が起訴前の勾留においては次のような点で保障されていないことを深く憂慮する。この勾留は警察のコントロール下で最大23日間可能であり、被疑者は速やかでかつ効果的な司法的コントロールのもとに置かれないが、この23日間の勾留期間中は保釈が認められておらず、取調べの時間および期間に関する規則が存在せず、勾留中の被疑者に助言し援助する国選弁護人が存在せず、刑事訴訟法第39条3項の下では弁護人へのアクセスが厳しく制限され、取調べは弁護人立会いのもとで行われない。委員会は、規約第9、10、及び14条に適合するように、日本の起訴前勾留制度を直ちに改革するよう強く勧告する。」としたうえで、更に、23項で、「委員会は、取調べをしない警察の部署によるとはいえ、『代用監獄』が別個の独立した権限によるコントロールに服していないことを憂慮する。このことは、規約第9条および14条に定められている被拘禁者の権利が侵害される可能性を大きくしかねない。委員会は、第三回政府報告書の審査時の勧告を再度強調し、『代用監獄』制度を規約に定められた基準をすべて満たすものにするよう勧告する。」として、代用監獄制度の制度的な問題点を真正面から取り上げて改革を求めているのである。代用監獄について、中間報告は、「被疑者の自白を過度に重視する余り、その取調べが適正さを欠く事例が実際に存在することも否定できない。」(59頁)と正当に指摘しているが、その根底に代用監獄そのものの制度的問題があることの認識が不十分である。代用監獄は世界的に類例を見ない人権侵害的な制度として、早期に廃止しなければならない。自白に頼らない捜査への転換を図るためにも、代用監獄の廃止は不可避なものである。 (3)取調べの適正さの確保  また、最終見解は、25項で、「委員会は、刑事裁判における多数の有罪判決が自白に基づいてなされているという事実に深い懸念を抱いている。圧迫により自白が引き出される可能性を排除するため、委員会は、警察の留置場すなわち代用監獄における被疑者の取り調べが厳格に監視され、また電気的な方法(訳者注:テープレコーダやビデオレコーダ)により記録されることを強く勧告する。」と勧告する。  被疑者と弁護人の接見交通については、中間報告が、「被疑者に対する公的弁護制度が確立され、被疑者と弁護人との接見が十分なされることにより、取調べの適正さの確保に資することになるという点は重要であり、その充実が図られるべきである。」(60頁)と、適切に指摘するが、問題はその具体化である。  中間報告は、「被疑者の取調べが適正を欠くことはあってはならず、それを防止するための方策は当然必要となる。その具体的な方策として、取調べ過程・状況の書面による記録を義務づけることは、最低限必要な措置と言え、記録の正確性、客観性を担保できるような制度的工夫が施されるよう、更なる検討を」と呼びかけている(60頁)。  取調べ過程・状況の書面による記録の義務づけは、まさに最低限必要な措置である。諸外国では、取調の時間などを記録した書面を必ず弁護人に交付するなど捜査過程の可視化に努めている。  また、中間報告は、「取調べ状況の録音、録画や弁護人の取調べへの立会い」についても触れている(60頁)が、これらについての評価を留保している。しかし、イギリスでは、取調べ状況の録音と弁護士の立会いが警察証拠法によって1984年から実施され、自白の任意性に関する争いが激減し、当初消極的であった警察当局から高く評価されている。弁護人の取調べへの立会いについては、アメリカ、カナダ、イギリスなどだけでなく、最近では台湾などにも導入されており、国際的なスタンダードとなりつつある。 (4)保釈制度と運用の抜本的改善 前述のとおり、規約人権委員会の勧告22項は、起訴前23日間の勾留期間中に保釈が認められていないことにも深い懸念を示し、「規約第9,10条及び14条に適合するように、日本の起訴前勾留制度を直ちに改革するよう強く勧告する」と結んでいる。保釈は、規約の「刑事上の罪に問われて逮捕され又は抑留されたものは−妥当な期間内に−釈放される権利を有する。裁判に付される者を抑留することが原則であってはならない」という規定(9条3項)が直接関わっている。  勧告は、起訴前保釈制度の導入をも求めているのであって、起訴後の保釈の原則と例外が逆転した運用は、当然強く批判されているのである。捜査、訴追側に傾いた裁判官の意識改革に期待できないとすれば、法律改正(刑訴法第89条−権利保釈の除外規定の見直し)も視野において抜本的改革がはかられるべきである。人質司法といわれる現状の改善は急務である。 3 日本の矯正処遇は積極的に評価できるか  上記「(イ)犯罪者の改善更生、被害者等の保護」のなかで、中間報告は、「我が国の刑事司法は、これまで、犯罪者が社会復帰を果たし再び犯罪を犯さないようにその改善更生を図っていく上でも、重要な役割を果たしてきた。それは、当該犯罪者自身の福利に役立つのみならず、社会の平穏な秩序を維持し、国民生活の安全を確保することにも寄与するものである。」(53〜54頁)と積極評価している。  果たして、日本の矯正処遇がこのように積極評価できるものであろうか。  日本の矯正処遇は人口あたりの被拘禁者数が世界最低の水準で推移していること、刑務所暴動などが長期にわたって発生していないことなどは評価できる。他方で、刑務所の規則が厳しすぎること、懲罰が公正に審理されていないこと、非常に長期間独居拘禁の対象とされているものがいること、刑務所と外部との交流が厳しく制約されていることなどは規約人権委員会等の国際機関やアムネスティ・インターナショナルなどの国際的人権団体からの批判にさらされてきた。  そして、このような批判は国内においても、広く良識ある人々に共有されるようになった。たとえば、月刊誌「自由民主」2000年11月号に評論家の犬養智子氏が「司法と警察にも、市民の目が入るべきだ。民主化と透明化が最も必要なのは、この分野である。…私は重罪には相応の刑期が必要だと思うが、かといって受刑者に刑務所内で苦痛を与えるのはおかしい。刑期が刑罰なのであって、受刑者が人間的な暮らしをし、社会復帰の準備をするのは、民主社会の原則だ。日本の刑務所は昔の監獄並みだと、国際的な批判も高まっている。欧米の刑務所は予算もあり、中では自由で、部屋に花や鳥を置き、読書も自由、運動も充分できる。日本は冷暖房も充分ではく、酷暑の夏に上着、ズボンを脱げば懲罰という。…受刑者の社会復帰のためのヴォランティアの訪問は、欧米では盛んだが、日本では非常にむずかしい。」(論壇「司法と警察の民主化を」)と論じている。  まさにここに書かれていることが私たちの実感である。中間報告の現状に対する肯定的評価は、より公平な目で国際的な批判の視点も踏まえて見直されるべきではないか。 4 国際化 (1)規約人権委員会の最終見解を基本に  「司法制度改革は国際的視点を抜きに論ずることはできない」(中間報告32〜33頁)。「人権問題や環境問題等の地球的課題や国際犯罪等の問題にどのように取り組んでいくべきなのか」(33頁)。  中間報告は、「犯罪の国際化等が今後一層進展し、各国が協調して犯罪の予防及び撲滅へ効果的・効率的に取り組んでいく必要性がつとに指摘されている」(59頁)とする。  受刑者移送条約はその一環であろう。受刑者の社会復帰を促進するために、各国が協調して、経験を交流し、改善を図ることはきわめて有益である。その際、「人権保障に関する国際的動向も踏まえつつ」(58頁)、国際人権規約をはじめとする国際文書に基づき改善を図ることは当然である。 ここでは、まず第一に規約人権委員会の最終見解(勧告)が参照されるべきである。刑事拘禁に関連して規約人権委員会が27項で指摘した問題点は以下の通りである。 「委員会は、規約2条3項(a)、同7条、及び同10条の適用について深刻な問題が生じている日本の刑務所制度の諸側面に関し、深い懸念を抱いている。特に、委員会は以下の事項について懸念を有している。 a)受刑者が自由に話をしたり、周囲と親交を持つ権利、プライバシーの権利等を含む基本的な権利を制限する苛酷な所内規則 b)厳正独居の頻繁な使用を含む苛酷な懲罰手段の使用 c)規則違反を犯したとされる受刑者に対する懲罰を決定するについて、公正で開かれた手続の欠如 d)刑務官による報復行為に対し、申し立てを行った受刑者に対する保護が不十分であること e)受刑者による申し立てについて調査するための信頼できるシステムの欠如 f)残酷で非人間的な取扱いと考えられる革手錠のような保護手段の多用」 (2)欲しいアジアから学ぶ視点  また、中間報告は、アジア等の発展途上国に対する法整備支援の継続を説いているが、アジアとの関係がここでのみ登場する。しかし、いまや、韓国、台湾などから日本が学ぶべきことが多くなっている。  韓国では、日本の当番弁護士をまねて、当直弁護士制度ができたが、その後、起訴前保釈制度が実現した。国際人権規約選択議定書にも加入し、既にこれに基づいた申立もなされた。  台湾では、警察拘禁はわずか24時間程度で、警察取り調べには弁護士の立会いが認められ、取り調べのテープ録音も実施されている。刑務所での教育や職業訓練も極めて活発である。  むしろ、わが国はいち早く人権の保障された刑事司法制度を取り入れたアジア諸国の経験から虚心に学ばなければならないのである。 5 個人の尊重と社会復帰の理念 (1)中間報告と個人の尊重原理  司法は、「国民一人ひとりにとって、かけがえのない人生を懸命に生きる一個の人間としての尊厳と誇りに関わる問題であるという、憲法の最も基礎的原理である個人の尊重原理に直接つらなるものである」(中間報告6頁)。  中間報告は、「個人の尊重(憲法第13条)と国民主権(同前文、第1条)が真の意味において実現されるために何が必要とされているのか」という基本的理念と方向から、「従前の統治客体意識と横並び的、集団主義的意識を背景に国家(行政)に過度に依存しがちな体質が持続する中で、様々な国家規制や因習が社会を覆い、社会が著しく画一化、固定化してしまった」という問題意識をもって出発する(4頁)。  未・既決の被拘禁者処遇においても、個人の尊重から出発すべきことはいうまでもない。軍隊的行進のような前近代的、時代錯誤的風習は一掃されるべきだ。  受刑者処遇の基本的観点は、社会復帰の理念であり、そのためには、自立的、自覚的な人間にどう教育していくかが問われている。凶悪犯罪に対して厳罰化を求める声があるのは事実であるが、被害者が真に望んでいることは加害者の心からの反省であるという理解も深まってきている。暴力犯罪や薬物犯罪を犯す者の多くが家庭内暴力やその他の暴力犯罪の犠牲者であった例が極めて多いとも指摘されている。犯罪者の社会復帰のためには自らの過去を深く見つめること、そして、被害者の状況について理解できるようになるという精神的な態度の変革が必要である。矯正保護審議会が矯正教育に被害者の視点を取り入れるとしていることは高く評価できる。  規則による締め付けは指示待ち人間しか作らない。「集団への強い帰属意識」は、「個性の発露である独創的な着想や新たな価値体系の創造、多様な価値観を有する人々の有意的共生を図り、…グローバル化の進展する国際社会にあって十分な存在感を発揮」(中間報告4頁)できない。「『集団に埋没する個人』ないし統治客体意識は、決して日本の国民の固有不変の特性ではないことを肝に銘じ」(9頁)なければならない。  「『国民一人ひとりが、統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画していくことが、21世紀のこの国の発展を支える基盤であるという認識を共有する』ことを確認」(5頁)し、個人の尊重と自立に基礎を置いた処遇理念、教育理念の刷新と実現が望まれる。これこそが社会復帰の要である。 (2)まず改善必要な作業に対する報酬制度  矯正保護審議会も、「社会復帰後の自立を促進するため、人間尊重と社会連帯を基本とした処遇を実践すること」(6頁)と提言している。矯正保護審議会提言は、「我が国においては、これまで一貫して社会復帰思想を基本理念とする実務運営がなされており、これが国民にも受け入れられてきた。」(6頁)と記述されているが、わが国の矯正処遇が個人の尊重を基本とした社会復帰理念に基づくものであったとはいえない。提言は、犯罪被害者に「作業賞与金や領置金の送付等、具体的な慰謝につながるような行動を組み込んだ新たな教育プログラムを開発・実施していくことが必要である」(10頁)と提案している。しかし、日本では刑務作業に対して平均月額3000円程度の賞与金が支払われているにすぎない。このような低額では出所後の社会復帰の役に立たず、大幅に増額する必要がある。  我が国でも明治時代には労働した受刑者に賃金が支払われていたこと、戦後司法省内からも賃金制採用が提案されていたこと、諸外国でもオーストリア等賃金制を採用する国が出始め、刑務作業に対して一般社会の賃金に近い労働報酬を支払う方向が強まっていること等を考えると、日本でも「賃金制」採用を検討すべきである。労災補償、雇用保険等の社会保険も、受刑者の労働者性を認めれば適用可能となる。  オーストリアでは、賃金制をとり、刑務労働の対価としての賃金は平均して月額約15,000円であり、その半分は釈放時のために保留される。ドイツでは平均賃金の7%の報酬を支払うための法改正が進められていた。イギリス南部のドーバー海峡の近くにある島にあるスタンフォードヒル開放刑務所では、労災は一般人と同じ基準で支給されている。 ベルリン市内にあるテーゲル閉鎖刑務所では、事故保険に加入し、州が保険料を全額支払っている。そこでは、出所後、受刑前に得ていた賃金の65パーセントの失業保険が支払われる。  釈放時にお金がなければ、再犯を食い止めることは至難である。ヨーロッパ諸国では刑務作業は労働であり、それにふさわしい対価としての賃金が支払わなければならないという考え方である。 (3)外部交通の自由化が重要課題 @ 友人やNGOとの交通権を  社会復帰のためには、「施設内生活を社会生活に近づけていくことが適当である」(提言14頁)。そのためには、まず、社会と施設内との交流を活発化することである。しかし、わが国の受刑者・死刑確定者は友人やNGOと手紙をやりとりすることすら認められていないのである。1999年2月26日最高裁第二小法廷はある死刑囚が訴えていた死刑確定者が新聞に投稿する自由があるかを問う事件で、拘置所長が監獄法46条1項に基づいてした死刑確定者の信書の発送を不許可とする処分に裁量権を逸脱した違法はないとして、上告を棄却する判決を下した。しかし、この判決には弁護士出身の河合裁判官の反対意見が付されている。 A 弁護士との秘密交通権を  受刑者の弁護士へのアクセスも重要である。「あらゆる地域、分野のあらゆる人々の法的正義へのアクセスが実質的に保障されていることは、司法制度が国民のための存在であるための前提的要請である」(中間報告29頁)。受刑者も国民であり、司法へのアクセスが等しく保障される必要がある。それは国際的には、当然の権利とされている。  ところが、刑務所内の暴行や人権侵害を問題とする訴訟を担当する弁護士と受刑者の面会は厳しく制限されている。秘密交通権は否定され、証人尋問の打ち合わせにも訴訟の相手方である刑務所当局が立ち会ってメモを取っている。時間は30分に制約される。  2000年9月7日最高裁判所は看守に暴行を受けたとして国家賠償訴訟を提起している受刑者と弁護士との面会が30分に時間制限されたこと、面会に立会いがついて、十分な打合せができなかった場合には違法であるとした高松高裁判決を取消し、いずれの取り扱いも、違法ではないとする判決を下した。高裁判決は規約の国内法的効力を認め、被拘禁者保護原則やヨーロッパ人権裁判所の判決例についても人権規約解釈の指針とすることができるとした点で画期的なものであったが、最高裁はこのような積極的な下級審の判断を全面的に覆してしまったのである。しかし、この判決には弁護士出身の遠藤判事による反対意見が付されている。  欧米では刑事拘禁の改善が裁判所の判例法として発展してきたことを考えると、わが国の一連の最高裁判決の多数意見はキャリア裁判官の国際人権法に対する無理解、市民的常識からの乖離を示していると言うことができ、官僚司法打破の重要性を示唆するものと評価することができる。 中間報告は、「国民の法的正義へのアクセスをあまねく保障すること…は、弁護士、弁護士会の社会的責務と言うべきである。」(29頁)というが、こと受刑者については、弁護士が受刑者に面会することが制限されている。「適正・迅速かつ実効的な司法救済を得られる」(33頁)よう、早急に改善されたい。 B 仕切板の撤去と電話の導入  わが国の面会室には依然として仕切りプラスティックがあり、電話は全く導入されていない。欧米では、電話は常識である。仕切板はごく例外的なテロ犯罪などの場合を除いて使用されていない。家族との関係を維持するためには、面会と手紙だけでなく、電話は不可欠である。また、自営業者にとっては、仕事を維持するために必要不可欠である。社会復帰のためには、家族が維持され、仕事が維持されていることが何よりも重要である。刑務所の中に閉じこめて、社会との関係を遮断していくのではなく、いかにして社会復帰を図るために、社会との関係を維持していくかを考える。だから、仕切板のない自然な雰囲気の面会や電話により、家族・社会との関係を維持することは社会復帰のための有益な施策といえる。  電話は一切できず、面会も仕切板越しにわずかの時間しか許されない。家族との意志疎通がきわめて困難になる。これでは家族が崩壊し、釈放されても、帰るところがなくなっているといった状況を加速させてしまう。釈放後の住まいと職を確保することが再犯を防ぐための根本だ。 (4)長期の独居拘禁の見直しを 日本の刑務所の一つの特徴は懲罰を科されているもの以外にも、昼夜間を通じて独居房に拘禁されているものが少なくないことである。未決拘禁者は独居房と雑居房に分けられ、雑居房内での私語は黙認されているが、独居房に収容されたものが、隣の房のものと連絡することは固く禁じられている。受刑者の多くは昼間は工場で共同生活を送っているが、一割程度の受刑者が集団生活に不適当とされ、昼夜間の独居拘禁とされている。独居拘禁の理由は精神の障害や他の受刑者とトラブルを起こすなどの理由の外、刑務所当局に対して訴訟を提起していることなども理由とされている。受刑者の場合、独居房内でも単独で作業が強制される。袋はり等の作業につかせるものであるが、長期に及べば身体的にも精神的にも健康を害することになるおそれの高いものである。最近の国会に対する政府の答弁書によれば、無期懲役囚の中には30年以上も独居拘禁となっているものがおり、10年以上の者は20名以上に上ることが判明している(平成12年10月25日提出 質問21号)。  刑務所内の生活を厳しい規則が規律し、この違反を懲罰によって取り締まることや規律秩序に従えないものは共同生活から排除するというやり方は改められなければならない。 (5)より自然な処遇環境を @ 評価できる厳しすぎる規則の緩和  最近の刑務所には肯定的に評価できる変化も見られる。国際的な批判の強かった刑務所の工場内でのわき見や私語の禁止の規則が、完全に廃止されたわけではないが、一部緩和されたのがその例である。  最終見解27項aは「受刑者が自由に話をしたり、周囲と親交を持つ権利、プライバシーの権利等を含む基本的な権利を制限する苛酷な所内規則」の存在を指摘している。しかし、最近は軽作業の場合のわき見は厳しく取り締まられなくなっている。また、私語についても直ちに懲罰の対象とせず、まず注意をして、改善されない場合に懲罰の対象とする取り扱いに緩和された。 これは法務省が受刑者の動作要領について緩和することを認める刑務官に対する指示を行ったためであり、弁護士会が各地の刑務所を視察した際に受ける刑務所内の印象も軍隊調のものからかなり通常の生活に近いものに変わってきている。 A 男性施設にも女性職員を  また、「異性の職員が就労している場面を見せることなどを通して、施設内が完全に男性社会又は女性社会にならないよう留意する」(矯正保護審議会提言14〜15頁)ことも大事である。  ロンドン郊外にあるベルマーシュ刑務所では、職員のうち23パーセントが女性である。ドイツにおいても、多数の女性職員が処遇スタッフとして働いていた。男性刑務所内で女性職員が通常のスタッフとして働くことは、処遇環境をより自然なものにする。導入によって暴力事件が減少したという報告もある。是非導入を検討してほしい。 B 職員と受刑者の私語禁止は行き過ぎ  また、是非再検討してもらいたいのは職員と受刑者の私語の禁止の規則である。この規則は刑務所内で禁制品を差し入れたりする不祥事を受けて、強化されている。しかし、職員と受刑者の間に自由なコミュニケーションがなくては、社会復帰に向けた有益な処遇も困難である。不祥事の防止は研修によって職員の倫理的な自覚を高めることによって防止すべきであって、職員と受刑者のコミュニケーション自体を絶ってしまうことは、職員と受刑者の間の良好な人間関係を基本に築かれてきた「担当行刑」の良さを殺してしまうのではないかと恐れるのである。一線の職員の高い倫理観を信じ、自由なコミュニケーションを認める中から、新たな行刑の未来を切り開いて欲しい。 6 職員の待遇改善と増強 (1)司法の一翼としての矯正基盤の充実を  「司法改革は、従前の静脈が過小でなかったかに根本的反省を加え、21世紀のあるべき『この国のかたち』として、その規模及び機能の拡大・強化を図ろうとするものである」(中間報告7頁)。「司法の人的、制度的基盤の抜本的拡充・強化」こそが「今般の司法制度改革の要諦」(9頁)である。  中間報告(23頁)は、制度の直接の担い手となる法曹を支える裁判所書記官等の裁判所職員、検察事務官等の検察庁職員についても「適正な増加を図っていかなければならない」と明記し、加えて、「全体としての司法機能の拡充のためには、裁判結果の実現、すなわち、…刑事裁判の執行に携わる矯正、保護関係の法務省職員…について、その人的体制の充実・強化にも十分な配慮を払うことが必要である」と断言する。しかも、「国家公務員の総数についてはこれを削減することが行政改革の重要な課題であるが、司法制度改革は行政改革の基本的理念にも沿うものであり、司法を支える人的基盤については、行政改革を円滑に実施する観点からも、その充実・強化を図っていくべきであって、…他の行政分野とは異なる取扱いをする必要がある」と付言する。  「中央省庁等改革基本法には、今後10年間で職員を10パーセント削減することが規定されて」いる(矯正保護審議会提言30頁)が、「犯罪者の矯正処遇、更生保護に関わる制度及び人的体制の充実には一層の意を用いていかなければならない。」と指摘する(中間報告54頁)のが中間報告の矯正処遇に関する唯一の提言である。  問題は、「制度及び人的体制の充実」の具体化である。刑務所職員がどのくらい増強されるべきか。 (2)行刑改革はまず職員の待遇改善と人員増から  職員の数を世界と比べると、極めて少ない職員数で一定レベルの処遇を維持していることは評価すべきところであるが、職員の超過勤務が常態化し、休暇取得もままならない実状は根本的に反省しなければならない。新しい積極的な処遇の試みは、職員の勤務状況に一定の余裕があることが前提である。イギリスにおいても、1990年代に行刑改革を進める際に、真っ先に人員の増強と待遇の改善に取り組んだ。刑務所職員が受刑者の社会復帰の仕事に携わる専門職として社会的にも正当に評価され、社会的な尊敬を受けるためには、人員の飛躍的な増大と給与条件の大幅な引き上げが必要である。  矯正保護審議会は、「『個別的処遇計画』の策定に当たるべき心理学、教育学等の専門知識を有する職員が絶対的に不足している」(7頁)と指摘する。「成人矯正施設では、多数の被収容者を少数の職員で適正に管理する必要があ」るが、「分類制度の見直しにより適正規模の集団編成を行えば、各類型ごとの集団管理の在り方についてより細かな気配りが可能となり、ひいてはそれが処遇の個別化の推進に寄与する」(8頁)と述べている。  従って、例えば、諸外国にみられるように、類型によっては、手紙の検閲は抜き打ち検査にとどめるとか、家族面会は集団で一斉に行うことにより、職員の負担を軽減する方策も検討に価しよう。  ベルマーシュ刑務所では、200人くらいが一同に集まって丸テーブルを挟んで仕切り板なしで家族面会できる。見回りの職員は全体で数名である。ベルリン州では、成人男性中33パーセントが開放刑務所に収容される。  「不安定な社会情勢が持続する中で、現在、被収容者は増加し続けており、今後とも比較的高い収容率のまま推移することが予想される。一方では、行政のスリム化が進み、政府全体の計画に基づいた公務員定数や予算の削減が実施されており、施設の新設や職員の増員は望めない状況にある。」といわれているが、「職員の増員及び施設の機能維持のための増築を行うことができるよう関係官庁等への働き掛けを並行して行う必要がある」(12頁)。日弁連も矯正当局のこのような努力を全力で支えたい。  過剰拘禁対策は今後深刻さを増すと思われるが、開放施設や仮釈放の促進、保護観察の充実などの外、諸外国で導入されている「自宅監視システム」(12頁)なども検討されよう。 7 社会に開かれた行刑を (1)第三者機関の設置  中間報告は、「司法ないし裁判の過程が法律専門家以外の国民に分かりにくいという指摘がなされているが、国民が法曹とともに司法の運営に広く関与するようになれば、司法と国民との接地面が太く広くなり、司法に対する国民の理解が進み、司法ないし裁判の過程が国民に分かりやすくなる。その結果、司法の国民的基盤はより強固なものとして確立される。このような観点からも司法参加を拡充する必要がある。」(61頁)と指摘する。  それは、「プロフェッションについて、国民との豊かなコミュニケーションを確保する中で、いかにして良き社会の形成に向けてその質を高めていくかという一般的課題とも関連している」(11頁)。  このような観点は、刑務所・拘置所における処遇についてもそのまま当てはまる。拘禁施設の運営に国民の視点から第三者を関与させることが必要である。いわゆる第三者機関の設置こそ、その要である。  その場合、「いわゆる各省割拠主義的な行政体制が持続する中で、内外の時代環境の変容に対応する柔軟かつ力強い国政の運用が阻害されてきたこと」(4頁)に思いを致し、関係機関や市民、法律家を含む多元的な構成を持つ第三者機関が望ましい。  そこに「国民の意見をより適切に反映させる仕組みを整える必要があるが、その前提として、情報公開の推進により、司法の国民に対する透明性を向上させ、説明責任を明確化することが不可欠である」(43頁)。  矯正保護審議会は、「意を尽くして国民に説明してもなお同意の得られない施策は見直すべきとの考え方に立ち、各種施策に対する意見を求めていくことが今後は必要」(28頁)と述べているが、この視点が大事だろう。  規約人権委員会の最終見解は9項で政府から独立した国内人権救済機関の設立を求め、27項は「e)受刑者による申立てについて調査するための信頼できるシステムの欠如」と述べている。日本にはヨーロッパ諸国に見られるような、施設から独立した訪問者委員会、オンブズマン、刑務所査察官等の制度はない。矯正局内部の巡閲官、法務大臣への情願などの制度は存在するが、制度の公開性がなく、その効果を検証できない。但し、近時法務省矯正局は日弁連に対して情願における審査を実質的なものとし、救済できる可能性を高めているという説明がなされている。情願制度の運用の動向については慎重な観察が必要である。また、内部的な不服の手続と独立機関による救済が併存することは各国でも一般的であり、いい意味での競争があってよいと思われる。 2000年10月の日弁連人権擁護大会では公権力による人権侵害をも対象とする国内人権救済機関の設立が提案された。法務省の人権擁護推進審議会も人権機関の構想をまとめる段階にさしかかっている。検討中の案では、刑務所内の虐待事件などは取り扱うとされている。このような一般的な人権機関に監獄内部の人権侵害を取り扱うことも考慮すべきである。  しかし、あらゆる人権問題を扱う機関の実効性には疑問が残る。行刑当局から組織的に独立し、効果的な調査の権限を持ち、行刑機関に特化した第三者的な権利救済機関の設立が不可欠である。  また、この第三者機関が、不服申立や苦情に対する簡易迅速な対応を行うことにより、ADRとしての機能をもあわせもち、「多様な分野の専門家の知見を活かしたきめ細かな紛争解決や…より廉価な紛争解決が可能となる」(中間報告41頁)役割を果たし、また紛争自体を未然に防止し、また減少させることにも役立つ。 (2) 開放処遇と外部通勤の推進を  矯正保護審議会は、「個々に異なる特性・犯罪性を有する受刑者を同一のスタート地点から出発させることによる問題」(22頁)を指摘し、「家族や雇用主との関係が保持されており、犯罪傾向が進んでいない受刑者の場合であれば、職員の監視下に置かず、直接社会の実情に触れさせ、また、自らの主体的な努力によって釈放後の社会生活に必要な条件整備を行わせることも有効である」(9〜10頁)と指摘する。  まさにその通りであろう。ベルリンの開放施設ハーケンフェルデ刑務所は外部通勤できる。刑務所は宿泊施設といった感じであり、100人の受刑者に対する職員の割合が、ベルリンの閉鎖施設が50人、この開放施設が28人というように、開放施設の方が安くつく。すでに職を持っており、2年以上の判決を受けた受刑者がここに来る。原則として最低8時間はこの施設内に居なければならない。これは、職を持っている人の仕事を奪わず、刑期を勤めさせるというきわめて合理的なドイツらしい考え方だ。これなら確かに、釈放後職がなく再犯するという事態を防ぐことができるだろう。年間21日間の有給休暇もある。東ドイツ時代のクレンツェ書記長がここに最近まで収容されていた。彼は休暇中特別に外国にも行けたという。これは、過剰拘禁に対する対策ともなるだろう。  矯正保護審議会が指摘するように、「社会復帰後、就労を安定させることが最も重要な課題となると考えられることから、…職場定着と就労維持を目的とした処遇を準備し、その充実を図る。」(11頁)ことがきわめて重要である。開放処遇と外部通勤の推進を強く求めたい。 (3)矯正と保護の連携と保護司の実費弁償を  冒頭に掲げたように、中間報告は、「5.国民の司法参加―国民的基盤の確立―」の「(2)参加拡充の在り方」のなかで「エ その他」としてわざわざ「(イ)保護司」について項目を掲げて論じている(65頁)。  そこでは、「国民の司法参加の拡充という観点からも、この制度を更に充実させるため、実費弁償の在り方を含め、国民の幅広い層から保護司の適任者を確保するための方策を検討すべきである。」とする。  保護司にボランティアとしての犠牲を強いることに甘んじるのではなく、実費弁償を講じるのは当然の措置であり、さらには有給化をも検討すべきであろう。  さらに、受刑後の就職や住居の保障などベーシックな生活のサポートについて、矯正行政と保護行政が有機的に連携して、出所が住むところも仕事もないままに、街頭に放り出されているような、到底社会復帰の困難な状況を作り出さないようにすることが急務である。まず、矯正と保護の人的な交流から始めて、日常的な協力関係が必要である。また、この分野はイギリスとドイツではNGOの活躍が目立つ(イギリスのナクロ、ベルリンのヘルムート財団)。精神的なサポートまでを含めて活動するには、行政よりもNGOの活動が求められている分野なのかもしれない。保護司や篤志面接委員などのすそ野の上に、受刑者の社会復帰に係わる就職や住居の保障などの課題について関わる実行力のあるNGOを作りだし、矯正と保護という法務省当局サイドとボランティア的なNGOとが協働していくことが求められている。 (4)民間ボランティアと外部スタッフの積極的受け入れを  矯正保護審議会は、「ボランティアとしての民間の人材を積極的に受け入れていくことが必要である」(25頁)という。  ボランティアに限らない。「地域から教師等の受け入れを活発化させ」、「地域社会からの人材を矯正施設の中に受け入れ、実情をありのままに見せることにより、地域社会からの理解を得るという」(29頁)視点が求められている。  スタンフォードヒル開放刑務所では、教育は大学に外注し、安い額で入札した大学が受注、教育スタッフを派遣する。地域との強調が重視され、プールが地域の身体障害者や子供に開放されている。  このような視点からも、「民間委託を推進することが適当である」(30頁)。諸外国の刑務所では、いたるところで作業指導者やソーシャルワーカーや心理学者が活躍している。カウンセラー、セラピストたちが外部から委託されて活躍している。医者も契約で来ている。日本の場合は医務官として刑務所に属する公務員である。  外部委託者が契約により刑務所の中で常勤的に働くということは、刑務所から独立した立場で自由に働くことができることを意味する。外の風が自然に入ってくる。刑務所の中で何か問題が起これば、密閉されないで明るみに出る可能性が出てくる。  なかでも、「専門医及び他の医療スタッフの確保を進めていくことが必要である」(32頁)。 8 終わりに  いかに受刑者の再犯を防ぎ、その社会復帰を実現するか、そのために有益な教育、職業訓練を実施するための処遇という考え方が人間性を尊重するだけでなく、結局は社会の安全、犯罪の減少に役に立つのである。このような処遇は受刑者本人とその家族の平穏な社会生活につながるだけでなく、被害者とその家族や社会にも受け入れられるものである。このことを日本も理解して、懲らしめのための刑罰、釈放後は何の対策もないという姿勢から一刻も早く脱却し、真に社会復帰へとつながる矯正行政を構想して欲しい。