日本弁護士連合会 第58回人権擁護大会シンポジウム 第2分科会基調「成年後見制度」から「意思決定支援制度」へ 〜認知症や障害のある人の自己決定権の実現を目指して〜 2015年10月1日(木) 幕張メッセ国際会議場 コンベンションホールA はじめに 2014年,日本は,ついに障害者権利条約を批准した。障害者権利条約第12条(法の前に等しく認められる権利)は,障がい者がすべての場所において法律の前に人として認められる権利を有すること,他の者と平等に法的能力を享有すること,法的能力の行使に当たって,必要とする支援を利用することができることを定めている。 同条約によれば,人は誰でも自分のことは自分で決めることができるのであり,自分で決めるに当たっては最大限の支援を受けることができるはずである。 2000年4月に始まった成年後見制度は,自己決定の尊重と残存能力の活用及びノーマライゼーションの理念を掲げているが,最も多く利用される後見類型では成年後見人の包括的な代理権を認め,保佐類型においても一定の行為については取消権が付与される等,包括的に代理・代行決定を認める制度設計となっている。また,本人の意思決定については,「成年被後見人の意思を尊重し,かつ,その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない。」(民法第858条)と定めるのみで,その具体化は後見人の裁量に委ねられている。 諸外国に目を向けると,イギリスでは,意思決定能力法(MCA)が,代理・代行決定は本質的に本人領域への侵犯と捉え,誰にでも意思決定能力があることから出発し,本人の意思決定を最大限支援することを定めている。本人の意思決定を支援する立場にある人たちに対しては,行動指針が公表されている。また,どうしても代理・代行決定を必要とする場合には,本人の意思を代弁する者(独立意思代弁人,IMCA)を制度化するなど,本人の意思決定を支援するための仕組みが整えられている。オーストラリアでは,2008年,障害者権利条約の批准を機に,南オーストラリア州で始められた意思決定支援(SDM)モデルのパイロットプログラムにおいて,6か月という短期間の介入にも関わらず,本人が,自信を取り戻し,自分の意思を表明し,自ら意思決定をすることができるまでになったという報告がされている。 今こそ,我が国においても,精神上の障害があっても,誰でも人生の様々な場面で自分のことを自分で決めることができることを大前提とし,その意思決定を支援する仕組み・法制度を構築すべきときである。 2015年10月1日 第58回人権擁護大会 シンポジウム第2分科会実行委員会 委員長 川島 志保 本報告書に表記された下記【 】内の条約又は法律名の正式名称は,以下のとおりである。 1【障害者権利条約】,【権利条約】 正式名称:障害者の権利に関する条約(2006年12月13日採択,2008年5月3日発効,2007年9月28日署名。2014年1月20日批准,同年2月19日国内で効力発生) 2【障害者基本法】 正式名称:「障害者基本法」(昭和45年5月21日法律第84号)最終改正:平成25年6月26日法律第65号 3【障害者総合支援法】  正式名称:「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律」(平成17年11月7日法律第123号)最終改正:平成26年6月25日法律第83号 4【障害者差別解消法】   正式名称:「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(平成25年法律第65号) 5【特定商取引法】 正式名称:「特定商取引に関する法律」(昭和51年6月4日法律第57号)最終改正:平成26年4月25日法律第29号 6【高齢者虐待防止法】 正式名称:「高齢者虐待の防止,高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」(平成17年11月9日法律第124号)最終改正:平成26年6月25日法律第83号 7【障害者虐待防止法】  正式名称:「障害者虐待の防止,障害者の養護者に対する支援等に関する法律」(平成23年6月24日法律第79号)最終改正:平成24年8月22日法律第67号 8【精神保健福祉法】  正式名称:「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(昭和25年5月1日法律第123号)最終改正:平成26年6月25日法律第83号  なお,「障害」,「障害者」の表記について,基本的には「障害」,「障がい者」に統一している。また,権利条約の訳文について「 」で引用している部分,あるいは,法律・条例・公式文書の名称等は,「 」で引用しなくとも「障害者」のままとした。 目 次 はじめに 凡例 第1編 意思決定支援の時代へ 1 第1章 意思決定支援の意義 4 第1 なぜ今,意思決定支援か 4 第2 意思決定支援とは何か 6 第2章 日本における「自律」の保障の現状 17 第1 日本における高齢者・障がい者の意思決定支援の現状 17 第2 現行の成年後見制度の問題点 21 第3 日本の現状についての当事者団体等の認識・評価 24 第4 専門職後見人の本人の意思の尊重に関する実態調査アンケート結果 27 第3章 障害者権利条約と意思決定支援 35 第1 障害者権利条約の発効,批准 35 第2 障害者権利条約の趣旨 35 第3 条約第12条(法律の前にひとしく認められる権利)の制定経過 36 第4 国連障害者委員会「一般的意見第1号」 39 第5 権利条約第12条の理解の仕方 42 第4章 諸外国の例 44 第1 イギリスMCA調査報告 44 第2 サウスオーストラリア州における意思決定支援(SDM)モデル 75 第5章 国内における意思決定支援の取組 101 第1 横浜市後見的支援制度の取組について 101 第2 NPO法人PACガーディアンズの活動について 106 第3 大阪市成年後見支援センターの市民後見人の実践 111 第4 NPO法人自立生活センターグッドライフ 115 第5 たこの木クラブ 119 第6 青葉園 123 第7 障害者支援施設「かりいほ」 128 第8 NPO法人おかやま入居支援センター 131 第9 ACT-J 136 第10 パーソナルサポーター事業(千葉県)の取組について 140 第11 認知症高齢者の医療選択をサポートするシステムの開発等 143 第12 日本福祉大学におけるフォーカスグループインタビュー 148 第2編 意思決定支援制度大綱 151 第1章 意思決定支援法の制定と総合的な制度整備の必要性 153 第1 意思決定支援法の制定の必要性 153 第2 意思決定支援法で定める内容 154 第3 総合的な制度整備についての提案(第3章第1節〜第4節) 155 第2章 意思決定支援法 156 第1節 意思決定支援 156 第1 意思決定支援における基本原則 156 第2 意思決定支援の内容 156 第3 総合的な法制度や体制の整備 165 第2節 代理・代行 167 第1 代理・代行の考え方 167 第2 代理・代行における基本原則 168 第3 代理・代行(総論) 169 第4 重要な事実行為についての代行決定 171 第3節 監督付任意代理制度(現行任意後見制度) 180 第1 総論 180 第2 制度概要各論 180 第3 判断能力が不十分な状態での監督付任意代理契約の締結 186 第4節 法定代理制度(現行法定後見制度) 187 第1 総論 187 第2 制度概要各論 188 第5節 行為能力制限の縮減・廃止について 197 第1 現行法における行為能力制限制度 197 第2 障害者権利条約違反 198 第3 日弁連の行為能力制限に関する立場〜成年後見法大綱(1998年4月)について 199 第4 結論―現行の行為能力制限制度は廃止 201 第5 今後の検討課題(行為能力制限制度の完全撤廃について) 201 第3章 意思決定支援の総合的な制度整備 204 第1節 意思決定支援法に基づく総合的な制度整備と施策の推進 204 第1 意思決定支援制度を統括する中核的行政庁の創設 204 第2 司法機関と監督機関の分離 204 第3 意思決定支援に関する行動指針の策定と周知・啓発 205 第4 研修・教育の機会提供 206 第5 相談対応,助言,意見対立調整のための専門機関の設置 206 第6 独立意思代弁人による無償のアドボカシーの提供 206 第7 地域での総合的な意思決定支援体制の確立 207 第8 意思決定支援のための多様な仕組みの構築 208 第9 任意後見の普及促進,日常生活自立支援事業の充実強化 208 第2節 意思決定支援と経済的被害の予防・救済 210 第1 自律と保護 210 第2 高齢者や障がい者等への経済的被害の状況 210 第3 現行法制について 215 第4 あるべき予防と救済 218 第3節 意思決定支援と虐待防止法制 224 第1 虐待防止法の趣旨―個人の尊厳 224 第2 意思決定支援法の下での虐待防止法の役割 224 第3 虐待対応における自律と保護 225 第4 虐待対応後の本人への心理的ケアの重要性 226 第4節 意思決定支援と精神保健福祉法制 227 第1 精神保健福祉法の正当性に対する問題点 227 第2 意思決定支援原則の観点から見た現行法の問題点 227 おわりに 231 巻末資料 233 第1編 意思決定支援の時代へ 尋ねてほしい。 見た目の行動から決めつけないで なぜ周りの人が,僕が望んでもいないことをさせようとするのか,それが不思議でした。 将来のために必要だからという場合は,理解できます。それとは別に,気持ちを勝手に想像して,僕がそうしたがっていると思い込まれてしまうのが問題なのです。 会話ができないのだから,僕の思いを推測して話さなければいけないこともあるでしょう。その言葉が僕の気持ちにそったものだったかどうかは,僕だけが知っています。だから,僕の気持ちを代弁したものだと勝手に断定されると,間違っていた場合,悲しい気持ちになります。 「私は,君がこう考えていると思っているよ」と言ってほしいのです。自分の想像は外れているかもしれないけれど,一所懸命に考えた結果がこれだと言ってもらえると,納得します。僕は話せないし,表情や態度でも表現できないのだから,気持ちをわかってもらえないのは仕方ありません。 いちばん嫌なのが,わからないからといって,見た目の行動だけで気持ちまで決めつけられることです。答えられなくても,尋ねてくれたらいいのにと,思います。そうしてもらえれば,その人が僕を大切に思ってくれていると伝わるからです。 僕について話をしているにもかかわらず,まるで僕がその場にいないかのような態度をされると傷つきます。自分は,その辺の石ころみたいな存在なのだろうか。ただ,周りの人の意見だけで動かされ,すべてが決められていく。自分の意思をみんなのように伝えられない僕は,なんて無力なのだろう。小さい頃,何度こんなふうに思ったことでしょう。 気持ちを伝えられないということは,心がないことではありません。周りの人がさせたがっていることが,本人のやりたがっていることだとは限らないのです。そのことを忘れないでください。 (東田直樹「風になる‐自閉症の僕が生きていく風景」ビッグイシュー日本より) 第1章 意思決定支援の意義 第1 なぜ今,意思決定支援か 1 支援さえあれば意思決定できる 人は,様々な事柄について,自ら意思決定をしながら生活を送り,その人生を自律的に生きる権利を有する。この「自律」の保障は,人格的自律権,あるいは,自己決定権の一環として,憲法第13条により保障されている重要な基本的人権である 。この「自律」の保障は,国際的にも,人である限り尊重されるべき基本的価値,根源的価値として承認されているものであり,すべての人に保障されなければならない。認知症や知的障害,精神障害等のために判断能力が不十分であるからといって,その権利を奪われるものではない。 日弁連は,10年前の2005年第48回人権擁護大会において,「高齢者,障がいのある人が地域で自分らしく安心して暮らすために」をテーマにシンポジウムを開催し,大会宣言として,「高齢者・障がいのある人の地域で暮らす権利の確立された地域社会の実現を求める決議」を採択した。そして,高齢者や障がい者の「地域で安心して暮らす権利」を実現していくためには,当事者が権利侵害から護られるだけでなく,その自己決定によって自らの生活のあり方を決め,自分らしい生き方を選択・追求できることこそが重要であるとして,「当事者主権」の視点をスローガンに掲げ,そのことをアピールした。  しかし,その後の10年間の現状はどうであろうか。 高齢者や障がい者の福祉サービス利用については,2000年以降,「利用者本位」や「対等なサービス利用」を目指して,介護保険制度や障害福祉サービスにおける支援費制度(その後,障害者自立支援法から障害者総合支援法に改正)が導入され,措置から契約へと福祉サービスの提供方法は大きく変わった。しかし,実際には,当事者の意思に基づく支援よりも介護・福祉サービスを提供する側や周囲の家族等の「保護的」視点が重視され,多くの場面で,当事者以外の者が本人に「客観的に必要」な処遇を判断し,提供しているのが実情である。  「自己決定の尊重」を理念として改正された成年後見制度が利用されているケースでも,後見人が,本人は何も分からない状態だからと,本人の意向は聞こうともせず,周囲の意向だけを聞いて本人のことを決めたり,本人が明確に意思を示しているのに,その意思に反して職務を行ったりして,本人の自己決定権が侵害されている例が見られる。中には,「おうちに帰りたい」と本人が40年間にわたって声を上げているのに,親族後見人がその声を無視して精神科病院に強制的に入院(医療保護入院)させ続け,成年後見制度が親族後見人によって強制入院を正当化するために利用されているようなケースも見られる。人権擁護の砦であるべき裁判所も,そのような事態を目にしながら何の問題意識も持たず,是認している。  それが,今の我が国の現状である。  自己決定の尊重や,利用者本位ということが理念して掲げられてきているにもかかわらず,どうしてこのような現状になっているのであろうか。  それは,結局のところ,精神上の障害がある人には意思がなく,自己決定ができないのだという観念が,我々国民の意識の中に深く根付いてしまっているからにほかならない。 そのため,本人の自己決定は,その意思が周囲に理解される形で表明されている限りにおいて「尊重」されるにすぎず,表明されていても,周囲が「本人の客観的利益」に反すると判断した場合には,「何も分かっていないから」として,それはもはや本人の意思とはみなされず,無視されるのである。  したがって,この現状を変えるためには,意識の中に深く根付いた観念を,根底から転換しなければならない。  「どのような障害があろうとも,人にはみな意思があり,支援さえあれば意思決定ができる。」  その確信の下,本人は意思決定ができないとして代わりに決めるのではなく,本人が意思を決定し,表明できるように必要な支援を尽くす。  意思決定に困難がある人の「自律」が保障されるには,そのような「意思決定支援」の理念と基本原則を国民の間に定着させていくことが必要なのであり,今,そのための法制化とその支援を実効性のあるものとして実現するための体制整備が求められている。 2 「意思決定支援」についての国際的潮流 (1) 障害者権利条約の要請 他者が代わりに決めるのではなく,必要な支援をすることにより本人自らが意思決定できるようにすること,これは,日本も2014年1月20日に批准した障害者権利条約によって強く要請されている。同条約は,「全ての障害者によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有」を促進・保障すること並びに「障害者の固有の尊厳の尊重」を促進することを目的とし(第1条),その「一般原則」として,「固有の尊厳,個人の自律(自ら選択する自由を含む。)及び個人の自立の尊重」を掲げている(第3条(a))。 これは,障がい者が,個人の尊厳と自律を核とするすべての基本的人権の享有主体であることを確認するものであり,ここには,同条約前文(c)にいう「全ての人権及び基本的自由の普遍性,不可分性,相互依存性及び相互関連性」の考え方が反映されている。この考え方は,旧来のいわゆる「自由権・社会権二分論」とは異なり,同条約第3条が「一般原則」として掲げる尊厳や自律等の普遍的価値の実現には,自由権と社会権は分かちがたく一体として同時に保障されなければならない,とするものである。例えば,同条約第19条が定める「地域社会で生活する権利」の実現には,特定の生活施設で生活する義務を負わないという自由権の保障と,地域で生活するために必要なサービスや支援を利用することができるという社会権の保障の双方が必要である。 そして,同条約は,機能障害を以て障害と捉えてきた従来の障害概念(いわゆる障害の医学モデル)を根本転換し,障害を「機能障害(impairment)のある人と,その人に対する態度や環境による障壁(attitudinal and environmental barriers)との相互作用(interaction)」と捉える(いわゆる障害の社会モデル)。この社会モデルの観点からは,国家が個人の自律に介入しない(自由権の保障)だけでは不十分であり,国家が障がい者の自律を適切に支援(社会権の保障)してこそ,その自律は実質化され得る。同条約第12条は,そのような考え方に立って,「自律」の保障のため,障がい者が法的能力を平等に享有することを確認するとともに,法的能力の行使についての必要な措置の確保を締約国に求めるものであり,ここに,「意思決定支援」の理念が表れている。 これまで,精神上の障害がある人は,意思決定の能力がないものとして,他人によって代わりに決められ,自己決定の権利を奪われてきた。同条約第12条は,その権利を実質的に保障するために,意思決定を支援する措置の確保が必要であるとし,そのために,従来,精神上の障害により判断能力が不十分な人の保護の手法として用いられてきた代理・代行決定の仕組みから,意思決定支援の理念に則った仕組みへと指導理念を根本的に転換することを締約国に迫っているのである。この条約第12条は,その位置付けから,条約の核心をなす規定であるともいわれている。 (2) イギリスMCAの諸原則 このような意思決定支援の理念を重視する制度へ転換する動きは,国連における障害者権利条約の採択(2006年)と相前後して,諸外国でも見られるところである。 イギリスでは,2005年に意思決定能力法(the Mental Capacity Act 2005,MCA)が成立し,この10年間で,その実践を大きく進めてきている。@人口動態,A医学の進歩,B人権思想及びC無力な人々への虐待の事実が認識されてきたことを受けて,意思決定に困難を抱える人々の人権保障としての「意思決定の確保」,「エンパワーメント」,「搾取からの保護」の理念に貫かれた法制度の必要性が提唱され,2005年に意思決定能力法が制定された。 同法は,他者が本人に代わって意思決定や代行をすることは,本質的に,本人領域への侵犯と捉え,まず本人自らの意思決定を最大限に支援することを求めている(エンパワーメントの優先)。(イギリスの制度と実践の詳細は,第1編第4章第1参照) 第2 意思決定支援とは何か 1 「自律」の保障は基本的人権 (1) 前記のとおり,障害者権利条約第12条は,基本的人権の不可分性の考え方や,障害の社会モデルの観点から,「自律」を実質的に保障するため,意思決定を支援する措置の確保を締約国に求めている。 もっとも,障害者権利条約は,決して「新しい人権」を創出したものではない。 この点について,川島聡「障害者権利条約の基礎」(松井亮輔・川島聡「概説 障害者権利条約」7頁)は,次のとおり述べている。 「この条約に内在する『新しい概念』(支援を受けた意思決定,自立生活,合理的配慮,インクルーシブ教育等)は,障害者のみならず,社会政治的に弱い立場に置かれている他の主体(高齢者,妊婦,父子家庭・母子家庭の親や子,孤児,ストリートチルドレン,宗教的少数者,在日外国人,先住民等)にとっても,きわめて魅力的な概念になりうる」「障害者権利条約は,このように『新しい概念』を創出した一方で,『新しい人権』を創出しなかった。だからこそ,それは『既存の人権』の質を一層豊穣化させる可能性を強く秘めるものになった。その豊穣化の源泉にして,本条約の基礎を成しているのが,『人権価値の社会モデル的理解』である。」,「これは,人権価値未実現の状況に社会モデルの視座からアプローチすることを意味する。」 (2) このことは,日本国憲法の下においても同様であり,「自律」の保障は,元々憲法によってすべての国民に保障されている固有の基本的人権である。 すなわち,日本国憲法第13条は,前段において,「すべて国民は,個人として尊重される。」と規定する。これは,個々人が人や社会との関わりの中で自律的に自己の生き方を選択・実践していくことを根源的価値として,個人のそのようなあり方を尊重すると宣言するものである。そして同条後段は,「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」(幸福追求権)を規定する。この幸福追求権は,個人が自律的生を生きるのに不可欠の権利という位置付けを与えられており,これこそが日本国憲法の保障する基本的人権をなすものである。 したがって,「自律」という根源的な人権価値の実現において支援を受けることが必要である場合には,その支援を受ける権利は,憲法上の固有の基本的人権として保障されなければならないのである。 2 障害者基本法等において「意思決定支援」が法文化された経緯   「意思決定支援」が基本的人権の保障であることについては,障害者基本法等において「意思決定支援」の文言が法文化された経緯とも合わせて理解する必要がある。   そこで,以下では,その経緯について見ておくこととする。 (1) 障害者自立支援法についての違憲訴訟と障害者制度改革 障害者基本法及び障害者総合支援法の中で「意思決定の支援」の文言が条文規定に取り入れられた経緯の背景には,2006年に施行された障害者自立支援法での「応益負担」導入と,それに対する集団違憲訴訟がある。 自己選択,利用者本位でのサービス利用の理念の下,措置制度を転換して支援費制度が導入されたが,国は,財政上の理由から,支援費制度に代わる障害者自立支援法の下で,サービス利用について「応益負担」を求めた。 しかし,障害のある人にとって,サービス利用は,自己決定の権利など,憲法によって保障された基本的人権を享有する上で必要不可欠なものであり,自立支援法は,人権を享有する上での「利用料」を課すものであった。 それに対して全国で集団違憲訴訟が提起された。この訴訟は,正に,同時期に成立した障害者権利条約が掲げる基本的人権の不可分性の意義や,「自立」あるいは「自律」とは何かを問うものであった。 立ち上がった当事者たちの熱意は世論を動かし,2010年1月,訴訟は,この種の訴訟としては異例といえようが,国との間で,自立支援法を廃止して新法を実施することについて基本合意が交わされ,和解により終結した。 そして,基本合意に基づき,内閣府に障がい者制度改革推進本部が設置され,推進本部の下に障がい者制度改革推進会議が置かれた。 (2) 障がい者制度改革推進会議での議論(自己決定支援の必要性について)  推進会議の中で,論点の一つとして,「自己決定支援の必要性についてどう考えるか」が挙げられ,意見が交わされた。そこでは,概要,以下のような意見が出された。 @ 必要であり,法定すべきである。自己決定は,自己決定することができる情報へのアクセスの保障とともに,それが困難な人のためには,そのための支援が保障されていなければならない。この支援の具体的な方法は,障がい者自身のエンパワーメント事業,相談支援等,多角的に行われるべきである。 A 障がい者自身のセルフアドボカシー・エンパワーメントという点から必要である。 条約が規定し,また,国際的にも確認されてきている自律概念の核には,「障がい者の自己決定」がある。その際,先験的に「自己決定できる者」と「できない者」がいるわけではないことに注意を払う必要がある。そうではなくて,ピアサポートや自立生活体験等の体験的エンパワーメントを経て,時には失敗もしながら,自らの生活イメージを確立していくプロセスが含まれなければならない。 B 障がい者による十全な「自己決定」がなされるためには,少なくとも次の三つの条件が満たされなければならない。 第一は,何を決定するにせよ,決定の対象としての「選択肢」が十分に存在しなければならない。そうでないと,その「自己決定」は空疎なものになりかねない。「決定」とは「選択」を必然的に伴う行為であり,「選択の余地がない」状態では,そもそも「決定」する意味がない。したがって,障がい者が「自己決定」する際の対象となる内容(福祉サービスや社会的参加の内容など)が充実していることが不可欠である。  第二は,「決定」に当たり,十分な情報が提供されなければならない。  第三は,独力での「自己決定」に困難を伴う障がい者の場合,本人の意思や利益を実質的に代理できる権利擁護者や支援者の働きが適切に保障されることである。 C 自分の意見などを言い表すことが困難になっている人が多いので,本人の気持ちに寄り添い,本人が自分の考えを主張し,その実現に力を出せるように支援することが必要である。 D 自己決定権を確実に,あるいは妥当性をもって実現するためには,自己決定そのものを支援するシステムが必要である。また,自己決定権には限界があることも明確にしておくことが必要である。自己決定権の限界は,本人による決定(選択)が客観的に見て明らかに危険であったり,不利益であったりする場合において,本人の自己決定権の行使の名の下に放置することが社会正義に反する場合である。したがって,そうした限界事例や明らかに意思決定が困難ないし不可能な障害のある人にとっては,その保護者(又は代理人)による意思決定(又は支援)が実質的には自己決定権の行使と評価すべきことになる。 (3) 障害者基本法改正についての意見 2010年12月17日,障がい者制度改革推進会議は,「障害者制度改革の推進のための第二次意見」において,障害者基本法の改正についての意見を取りまとめた。 意見書は,冒頭で,次のとおり述べている。 「現在,『障害者の権利に関する条約(仮称)(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)」の国連採択(平成18(2006)年)を契機に,障害者権利条約の締結に向けて,同条約が要請する障害者の権利を実現する枠組みと水準に見合う国内の障害者制度改革をどのように行うのかということが日本の大きな課題となっている。」,「今般の基本法の改正は,障害者権利条約を締結し,同条約の規定を遵守するために必要な国内の制度改革全体の理念と施策の基本方針の要に位置し,今後の障害者施策の方向に大きな影響を与えるものとして,極めて重要かつ大きな意義があるということができる。」 そして,基本法の目的として,基本的人権の享有主体性の確認,格差の除去と平等の権利の保障,インクルーシブ社会の構築の観点を盛り込むべきであるとしている。 また,基本理念として,「基本的人権の享有主体」,「地域社会で生活する権利」,「自己決定の権利とその保障」,「情報アクセスと言語・コミュニケーションの保障」の観点を盛り込むべきであるとしている。 「基本的人権の享有主体」については,次のとおり述べている。 「法の目的でも述べたように,すべて障害者は,基本的人権の享有主体であり,障害者権利条約の理念である,『障害者を保護の客体から権利の主体へ』という考え方の転換を基本理念にも反映すべきである。」 「自己決定の権利とその保障」については,次のとおり述べている。 「すべての障害者は,障害のない人と平等に自己選択と自己決定の権利を有する。 しかし,自己決定にあたって,必要な社会的体験の機会がなかったり,支援する立場にある者から選択肢が示されないなど,十分な情報を含む判断材料が提供されないことや,独力で決定することだけが自己決定とされ,支援の必要性が軽視されたり,必要な支援を提供もせずに,本人が決めたことだからとして責任を転嫁されること等もある。 自己決定にあたっては,自己の意思決定過程において十分な情報提供を含む必要とする支援を受け,かつ他からの不当な影響を受けることなく,自らの意思に基づく選択に従って行われるべきである。」 (4) 障害者基本法における「意思決定の支援」 2011年2月,東京都発達障害者支援協会は,同推進会議による「障害者制度改革の推進のための第二次意見」について,日常生活における意思決定支援の観点が不十分であるとして,「知的障害者等の意思決定支援制度化への提言」を推進会議に提出した 。 2011年4月,政府は障害者基本法改正案を国会に提出したが,同法案には「意思決定支援」の用語は入っていなかった。 しかし,その後,議員修正により,「意思決定支援」の文言が加えられることになり,2011年7月,同法案は可決された。 2011年6月15日の衆議院内閣委員会では,修正案について次のとおり趣旨説明がなされている。 「まず,ポイントの第一点目は,『障害者の意思決定の支援』を二十三条に明記したことでございます。重度の知的,精神障害によりまして意思が伝わりにくくても,必ず個人の意思は存在をいたします。支援する側の判断のみで支援を進めるのではなく,当事者の意思決定を待ち,見守り,主体性を育てる支援や,その考えや価値観を広げていく支援といった意思決定のための支援こそ共生社会を実現する基本と考えております。この考え方は,国連障害者権利条約の理念でありまして,従来の保護また治療する客体といった見方から人権の主体へと転換をしていくという,いわば障害者観の転換ともいえるポイントであると思っております。」 こうして改正された障害者基本法は,第1条及び第3条において,障がい者の基本的人権の享有主体性と,障害の有無にかかわらず平等に基本的人権を享有することを確認し,第23条において,次のとおり「意思決定の支援」の文言が盛り込まれた。 「国及び地方公共団体は,障害者の意思決定の支援に配慮しつつ,障害者及びその家族その他の関係者に対する相談業務,成年後見制度その他の障害者の権利利益の保護等のための施策又は制度が,適切に行われ又は広く利用されるようにしなければならない。」 (5) 新法制定に向けた総合福祉部会の提言 2011年8月30日,障がい者制度改革推進会議の中の総合福祉部会は,「障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言−新法の制定を目指して−」を取りまとめ,自立支援法に代わる新法の制定についての提言を行った。 この取りまとめに至る部会での議論においては,部会構成員により,「新法における『権利擁護』『意思決定支援』等に関する提言書」として提言がなされている 。 同提言書は,現状においては,障がい者が何らかの意思決定を行う際に,障害ゆえに制約がある場合にあっては,本人の意思決定を支援することが保障されているとはいえないとして,新たな意思決定支援制度の創設が求められるとし,創設すべき意思決定支援の制度の全体のイメージについて,次のとおり述べている。 「意思決定支援の制度を考えるにあたっては,その当事者のライフスタイル全体における様々な場面,ステージにおいて,どのように意思決定をする力を支援していくか,ということが検討されなければならない。」 「意思決定支援というのは,その時点における障害当事者がどのような意思決定ができるかという狭いものではなく,ライフスタイルを通した持続的,継続的な関わりの全体をさすものである。類別すると,@意思を形成する支援,A形成された意思を表出することを促す支援,B本人の利益にかなう意思決定が適切に行われるための支援であり,これがニーズに応じて重層的に行われる必要がある。」 しかし,2011年8月30日の部会提言の中では,意思決定支援については,民事法(成年後見制度)の関連という位置付けの中で,「現行の成年後見制度は,権利擁護という視点から本人の身上監護に重点を置いた運用が望まれるが,その際重要なことは,改正された障害者基本法にも示された意思決定の支援として機能することであり,本人の意思を無視した代理権行使は避けなければならない。また,本人と利害相反の立場にない人の選任が望まれる。」,「同制度については,そのあり方を検討する一方,広く意思決定支援の仕組みを検討することが必要である。」と述べられるにとどまった。 (6) 障害者総合支援法における「意思決定の支援」 2012年1月,東京都発達障害者支援協会等都内5団体は,「障害者総合福祉法における『意思決定支援』制度化の提言」を発表し,障害福祉サービスの目的に「意思決定支援」を明記するよう求めた。 しかし,2012年3月,閣議決定されて国会に提案された障害者総合支援法の法案には,「意思決定支援」の文言は含まれていなかった。  その後,当事者団体からの要望を踏まえて議員修正案の協議が進められ,障害者総合支援法と知的障害者福祉法に「意思決定支援」の文言が明記されることとなった。  障害者総合支援法第42条 「指定障害福祉サービス事業者及び指定障害者支援施設等の設置者(以下「指定事業者等」という。)は,障害者等が自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう,障害者等の意思決定の支援に配慮するとともに,市町村,公共職業安定所その他の職業リハビリテーションの措置を実施する機関,教育機関その他の関係機関との緊密な連携を図りつつ,障害福祉サービスを当該障害者等の意向,適性,障害の特性その他の事情に応じ,常に障害者等の立場に立って効果的に行うように努めなければならない。」  知的障害者福祉法第15条の3 「市町村は,知的障害者の意思決定の支援に配慮しつつ,この章に規定する更生援護,障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律の規定による自立支援給付及び地域生活支援事業その他地域の実情に応じたきめ細かな福祉サービスが積極的に提供され,知的障害者が,心身の状況,その置かれている環境等に応じて,自立した日常生活及び社会生活を営むために最も適切な支援が総合的に受けられるように,福祉サービスを提供する者又はこれらに参画する者の活動の連携及び調整を図る等地域の実情に応じた体制の整備に努めなければならない。」   また,障害者総合支援法の成立に際しては,附則において,法律施行後3年を目途として,障がい者の意思決定支援のあり方や,障害福祉サービスの利用の観点からの成年後見制度の利用促進のあり方等について検討を加え,その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとされた。 (7) 意思決定支援のあり方についての検討 この附則による検討規定を受けて,厚生労働省の委託事業として,2013年度より,意思決定支援のあり方並びに成年後見制度の利用促進のあり方に関する基礎的,実践的調査研究が行われてきている。 同基礎的調査研究では,当事者団体や成年後見制度に専門職として携わる各団体等に対し,意思決定支援に関するアンケートが行われた。アンケートでは,「貴団体では意思決定支援とはどのような支援だと考えますか。」,「意思決定支援が必要と思われる場面や具体的な手法,その範囲等についてお書きください。」などの質問項目があり,その結果が報告書に取りまとめられている。 また,厚生労働省は,2014年12月から,障害者総合支援法の附則における3年後見直し規定等を踏まえ,障害福祉サービスの実態を把握した上で,そのあり方等について検討するための論点整理を行うことを目的として,「障害福祉サービスの在り方等に関する論点整理のためのワーキンググループ」を開催している。 同ワーキンググループでは,「障害者の意思決定支援の在り方」について,当事者団体からのヒアリングを行い,検討が行われてきている。 (8) 小括 以上のとおり,「意思決定支援」の文言が障害者基本法等において法文化された経緯の背景には,障害者自立支援法に対する違憲訴訟と,同訴訟の「基本合意」を受けて設置された障がい者制度改革推進会議での議論があった。そして,同推進会議では,障害者権利条約の批准に向けて,障害者基本法の改正や障害者自立支援法の改正,差別禁止法の制定等について議論がなされ,障害者基本法の改正では,「すべて障害者は,基本的人権の享有主体であり,障害者権利条約の理念である,『障害者を保護の客体から権利の主体へ』という考え方の転換を基本理念にも反映すべきである。」との見地から,同法第1条の目的として,「全ての国民が,障害の有無にかかわらず,等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのつとり,全ての国民が,障害の有無によつて分け隔てられることなく,相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため」との文言が書き加えられた。 「意思決定支援」の文言が法文化された障害者基本法第23条等の規定は,上記のような障害者基本法の基本理念(それは障害者権利条約の理念を反映したものである)を実現するために,国及び地方公共団体に対し,障がい者等に対する相談業務や成年後見制度等の権利擁護制度を「意思決定の支援」に配慮しつつ適切に行う責務を課す規定として位置付けられている。この規定は,それだけでは具体的な法的根拠規定となるものではなく,そのために今後の法整備が求められているが,「意思決定支援」が基本的人権の保障であることは,こうした経緯や障害者基本法における位置付けも踏まえて理解されなければならない。 3 「意思決定支援」の整理 以上のように,意思決定支援については,現在,厚生労働省が研究調査を進めているとともに,当事者団体等からのヒアリングを行っており,福祉に携わる人々や研究者らの間でも議論が始められている。  しかし,その調査結果や当事者団体等からのヒアリング結果を見ても,「意思決定支援」についてのイメージや捉え方は必ずしも一様ではないことがうかがわれる(本シンポジウム実行委員会による当事者団体等からのヒアリング結果については第1編第2章第3参照)。  そこで,意思決定支援とは何かを考える上で,また,具体的な支援のあり方を考える前提として,まずは,それぞれに言われている「意思決定支援」について整理を試みる。 (1) 「意思決定」に関するプロセスとの関係  意思決定支援は,文字どおりに捉えれば,「意思決定」を支援するということになる。 この意思決定の形成過程を分析すると,情報を取得し,これを短期記憶し,それらの情報を比較検討し,取捨選択するという過程を辿ることになり,決定された意思は外部に表示されることをもって初めて把握することができることから,この形成過程と表示までを意思決定と捉え,そのすべての過程における支援を意思決定支援とする考え方がある。 これに対し,意思決定が外部に表示されるだけにとどまらず,意思決定をすることはその決定の実現に向けてなされるものであるから,その意思実現までをも含めて意思決定と捉え,意思実現支援までを意思決定支援に含めるという考え方もある。  これまで意思決定支援と言われているものを見ると,このプロセスのうち,どこまでの部分を意思決定支援として捉えるか,あるいは,どの部分に焦点を当てて捉えるかにより,違いがあるように思われる。 (2) 具体的な個別特定の事柄との関係 意思決定支援と言われているものには,支援の対象を,具体的な個別特定の事柄についての意思決定と捉えるかどうかで,それぞれ捉え方に違いがあるように思われる。 広い捉え方をすれば,意思決定する力を高める支援や,その人に応じた意思の表明方法を開発したり,コミュニケーションの方法を見出していく支援なども意思決定支援に含まれる。 (3) 意思決定の前提となる基盤,環境,制度整備との関係 障がい者制度改革推進会議での議論でも指摘されているとおり,「決定」とは「選択」を必然的に伴う行為であり,「選択の余地がない」状態では,そもそも「決定」する意味がない。したがって,自己決定権が実質的に保障されるためには,「自己決定(意思決定)」する際の対象となる内容(福祉サービスや社会的参加の内容など)が充実していることが不可欠である。  そのような観点から,支援の行為だけでなく,そうした意思決定の前提となる基盤や環境,制度を整備することも,意思決定支援の一環として捉える考え方もある。 (4) 代理・代行の仕組みとの関係をどのように捉えるか  「代理・代行から意思決定支援へのパラダイム転換」という言い方にも表れているとおり,そこでは,「意思決定支援」は,「代理・代行」の対概念として捉えられているはずである。  しかし,代理・代行を,意思決定支援を尽くした上でのラスト・リゾート(最後の手段)と位置付けた上で,代理・代行の場面でもできるだけ意思決定支援の考え方を及ぼしていくとする捉え方や,代行決定のシステムを,広い意味での意思決定支援体制に組み込むとする捉え方も見られる 。  また,「代理」には,本人の意思に基づく代理もあり,それは本人の自己決定によるものであるから,否定されるべきものではない。「代理・代行から意思決定支援へのパラダイム転換」というときの「代理」は,あくまでも,本人の意思に基づかない「代理」である。  したがって,支援の仕組み等について検討する際には,「意思決定支援」の概念の中に,代理・代行の場面や仕組みも含めて捉えるのかどうか,その場合の「代理」は本人の意思に基づくものを想定しているのかどうか,前提認識を共通にして検討する必要がある。  (5) 法的な視点とソーシャルワークの視点  意思決定支援の捉え方として,法的な視点から捉えるのと,ソーシャルワークの視点からの捉えるのとでは,それぞれに関心の向けられるところに違いが生ずるように思われる。  法的な視点からは,意思決定支援は,既述のとおり,「自律」の保障という基本的人権として確認されるべきものであり,自己決定権の実質的保障という観点から,法整備や制度の整備を進めていくことに考慮が向かう。また,権利条約12条との関係でも,本来なされるべきでない他者決定を排除するため,「意思決定能力」をどのように捉え,どのように判定するかについての研究を深めることも求められる。  一方,ソーシャルワークの視点からは,本人との信頼関係の大切さなど,本人との関係性に焦点を当てながら,個々の場面において,本人が自ら決められるようにするための援助技術のあり方が考慮される。  これらは,視点の違いであって相反するものではなく,自己決定権の保障のためにいずれも重要である。  (6) 「法的能力の行使における支援」と「法的能力の行使における合理的配慮」  国連障害者権利委員会が2014年4月に採択した「一般的意見第1号」は,条約第12条第3項の「法的能力を行使するにあたって必要とする支援」について,次のとおり述べている。  「第12条第3項は,どのような形式の支援を行うべきかについては具体的に定めていない。『支援』とは,様々な種類と程度の非公式(informal)な支援と公式(formal)な支援の両方の取り決め(arrangements)を包含する,広義の言葉である。例えば,障害のある人は,1人又はそれ以上の信頼のおける支援者を選び,特定の種類の意志決定に関わる法的能力の行使を援助してもらうことや,ピアサポート,(当事者の活動支援を含む)権利擁護(advocacy),あるいはコミュニケーション支援など,その他の形の支援を求めることができる。障害のある人の法的能力の行使における支援には,例えば銀行及び金融機関などの官民のアクター(private and public actors)に対し,障害のある人が銀行口座の開設や,契約の締結,あるいはその他の社会的取引の実行に必要な法的行為を遂行できるように,理解しやすいフォーマットでの提供や専門の手話通訳者の提供を義務付けるなど,ユニバーサルデザインとアクセシビリティに関する措置も含まれる場合がある。また,特に意思と選考を表明するために非言語型コミュニケーション形式を使用している者にとっては,従来にない多様なコミュニケーション方法の開発と承認も支援となり得る。」 他方,「一般的意見第1号」は,「非差別には,法的能力の行使において合理的配慮(第5条第3項)を受ける権利が含まれる」とし,「法的能力の行使において合理的配慮を受ける権利」は,「法的能力の行使において支援を受ける権利」とは別であり,これを補完するものであるとした上,合理的配慮(条約第2条で定義)としての変更や調整の内容について,「裁判所,銀行,社会福祉事務所,投票所などの生活に不可欠な建物へのアクセス,法的効力を有する決定に関するアクセシブルな情報,パーソナルアシスタンスが含められるが,これらに限定されない。」と述べている。そして,その上で,「法的能力の行使において支援を受ける権利」は,合理的配慮のように「不釣り合いな又は過重な負担」の抗弁によって制限されてはならないとしている。 これらを整理すると,国連障害者権利委員会の「一般的意見第1号」によれば,「法的能力の行使における支援」には,フォーマルなものとインフォーマルなものがあり,さらにそれを補完するものとして「法的能力の行使における合理的配慮」が位置付けられている。 4 根本的な意識の転換から  このように,意思決定支援の概念には,多義的な側面があるとはいえ,その本質が,「自律」の保障,という基本的人権の保障にあるということには変わりがないものといえる。  障害があるからといって,何も分からないと決めつけ,その人自身のことを周りが勝手に決めるというのは,その人の存在そのものを無視し,尊厳を損なうものである。  何も分からないと決めつけてきた意識を転換し,どのような障害があろうとも,まずはその人の意思を確認することから始める,そして,意思決定をすることに支援が必要であれば支援を行う。  そのことによって,障害の有無にかかわらず,すべての人が自律的にその人生を生きる権利を保障する。   それが,意思決定支援の意義であると考えられる。 <参考資料> 1 社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会「意思決定支援の在り方並びに成年後見制度の利用促進の在り方に関する基礎的調査研究について」(2014年3月) 2 公益社団法人日本発達障害連盟「意思決定支援の在り方並びに成年後見制度の利用促進の在り方に関する研究」(2015年3月) 3 公益社団法人日本社会福祉士会「認知症高齢者に対する意思決定支援としての成年後見制度の利用促進の政策的課題と活用手法に関する実証的研究」(2015年3月) 4 社会福祉法人北九州市手をつなぐ育成会「知的障害者へのより良い意思決定支援に関する調査研究〜サービス場面を中心に〜」(2013年) 5 木口恵美子「知的障害者の自己決定支援‐支援を受けた意思決定の法制度と実践‐」(筒井書房,2014年) 6 木口恵美子「自己決定支援と意思決定支援‐国連障害者の権利条約と日本の制度における『意思決定支援』‐」(東洋大学/福祉社会開発研究6号)25頁 7 石渡和実「『意思決定支援』の考え方からみた未来」(民事法研究会,実践成年後見No.50,2014年)44頁 8 遠藤慶子「本人中心の支援を受けた意思決定(支援付き意思決定)」(民事法研究会,実践成年後見53号)24頁 9 中村昌美「支援された意思決定のケース」(民事法研究会,実践成年後見No.53,2014年)33頁 10 柴田洋弥「意思決定支援に基づく成年後見制度改革試論」(民事法研究会,日本成年後見法学会編「成年後見法研究第12号」,2015年)149頁 11 石渡和実「成年後見制度と『意思決定支援』」(民事法研究会,日本成年後見法学会編「成年後見法研究第12号」,2015年)165頁 12 菅富美枝「支援付き意思決定と成年後見制度」(民事法研究会,日本成年後見法学会編「成年後見法研究第12号」,2015年)177頁 13 池原毅和「障害者権利条約と成年後見制度」(民事法研究会,日本成年後見法学会編「成年後見法研究第12号」,2015年)216頁 14 菅富美枝「障害(者)法学の観点からみた成年後見制度 ‐公的サービスとしての『意思決定支援』」(法政大学大原社研,大原社会問題研究所雑誌641号)59頁 15 社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会「特集 意思決定支援ってなに?」(手をつなぐ2012年8月号) 16 北原守「障害者総合支援法と障害者の意思決定支援のあり方」(福祉の本,月刊福祉2012年12月号) 17 明石洋子「意思決定支援=意思形成支援+意思実現支援」(医学書院,訪問看護と介護2015年2月号)87頁 18 池原毅和「障害者権利条約と成年後見制度」(民事法研究会,実践成年後見No.54,2015年)52頁 19 川島聡「障害者権利条約12条の解釈に関する一考察」(民事法研究会,実践成年後見No.51,2014年)71頁 20 石渡和実「『障害』概念の変遷と障害者権利条約への道程」(民事法研究会,実践成年後見No.41,2012年)4頁 21 新井誠「障害者権利条約と成年後見法」(民事法研究会,実践成年後見No.41,2012年)13頁 22 岩ア香「後見実務における自己決定の尊重と本人保護」(民事法研究会,実践成年後見No.41,2012年)31頁 23 谷村慎介「後見実務と合理的配慮についての私見」(民事法研究会,実践成年後見No.41,2012年)39頁 24 山由美子「自律か保護か」(民事法研究会,実践成年後見No.33,2010年)27頁 25 松井亮輔・川島聡「概説 障害者権利条約」(法律文化社,2010年) 26 上山泰「専門職後見人と身上監護〔第3版〕」(民事法研究会,2015年) 27 菅富美枝「イギリス成年後見制度にみる自律支援の法理」(ミネルヴァ書房,2010年) 28 柴田洋弥Homepage「知的障害者・発達障害者の意思決定支援を考える」   http://homepage2.nifty.com/hiroya/index.html 第2章 日本における「自律」の保障の現状 第1 日本における高齢者・障がい者の意思決定支援の現状 1 高齢者・障がい者の権利保障の前進 日弁連は,国が,社会福祉基礎構造改革の下,いわゆる「契約型福祉社会」へと制度改革を行った2000年以降,第44回人権擁護大会(2001年)において「高齢者・障害者の権利の確立とその保障を求める決議」を,続いて第48回人権擁護大会(2005年)において「高齢者・障害のある人の地域で暮らす権利の確立された地域社会の実現を求める決議」を採択し,高齢者・障がい者が必要な支援を受けながら地域で主体的に生きるための公的責任による基盤整備と,特に判断能力の不十分な高齢者・障がい者の権利擁護の諸課題について提言するとともに,その法的支援の実践に精力的に取り組んできた。 この間,成年後見制度改正(2000年施行),高齢者虐待の防止,高齢者の養護者に対する支援等に関する法律(高齢者虐待防止法)制定(2006年施行),障害者基本法改正(2011年施行),障害者虐待の防止,障害者の養護者に対する支援等に関する法律(障害者虐待防止法)制定(2012年施行),障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法)制定(2016年施行予定)等がなされるとともに,障害者権利条約が批准され(2014年),高齢者や障がい者の権利保障について一定の前進が図られてきた。 2 「自律」の保障の取組の遅れ そして,これらの制度改革における理念として掲げてきたものが,高齢者や障がい者の「地域で安心して暮らす権利」の実現であったが,それを具体的に支援していくためには,当事者が地域における様々な権利侵害から護られるだけでなく,「自分のことを自分抜きに決められない」として,その自己決定によって自らの生活のあり方を決め,自分らしい生き方を選択・追求できることこそが重要であった。 上記の各制度改革においても,それは,「自己決定の尊重」,「利用者本位」などの理念として掲げられてきた。 しかし,こうした自己決定権の保障のための支援という点では,法制度や支援体制の整備は不十分なままであり,実践においても,「自律」を保障するための「意思決定の支援」に焦点をあてた意識的な取組が各地でなされてきたと評価することはできない。 確かに,「利用者本位」や「対等なサービス利用」を目指して,介護保険制度や障害福祉サービスにおける支援費制度(その後,障害者自立支援法から障害者総合支援法に改正)が導入され,措置から契約へと福祉サービスの提供方法は大きく変わったものの,当事者の意思に基づく支援よりも介護・福祉サービスを提供する側や周囲の家族等の「保護的」視点が重視され,家族や支援者等が本人に「客観的に必要」だと評価する支援方針に基づき提供してきたのが実情である。 3 生活支援の場面での実情 まず,その状況を介護や医療といった生活支援の場面において見てみる。 介護・福祉サービスの利用による支援計画を立てるに当たり,特に本人が認知症であったり,重度の知的障害がある場合などには,その意思を確認するための手立てをとらず,支援者と家族等が本人の健康や安全等を配慮したプランを立て,利用契約については家族が契約者となり,また,費用の支払いについては家族が金銭管理を代行することが,一般的に広く行われている。 医療行為が必要な場面における医師の十分な説明に基づく,患者のインフォームド・コンセントも,認知症高齢者や知的障がい者等の場合には,権限のない家族等に対して行われ,本人に理解できるような分かりやすい説明と同意が試みられる実践は少ない。 親亡き後,障がい者の単身生活は不安だからと,在宅生活を続けたいという本人の意向は省みられずに施設入所が検討されたり,独居の高齢者の認知症が進んでくると,近隣や遠くの親戚の不安から,施設入所や入院が進められるなど,どこでどのように暮らすかという居所の決定という重大な事柄に,本人の意思決定が反映されないことも日常的に起きている。 これにつき,本シンポジウム実行委員会の委員が,これまでに各地で相談を受けたり,苦情を受けた事例の一部を紹介すると,次のとおりである。 (1) 在宅で暮らしている一人暮らしの認知症高齢者が,十分に清潔を保てず,適切に買い物したり,食事を三食作れないというだけで,本人が強く在宅生活を希望しているにもかかわらず,娘や行政が関与して,法定の要件を具備していないと思われるのに,精神科病院に医療保護入院させ,数年間の入院生活により本人は認知症が急速に進行し,会話は可能であったのに,発語さえできない状態となった。 (2) 家族が,本人は認知症で記憶の維持ができず話したことをすぐに忘れるから,何を話しても分からないのだと決めつけ,実際には,本人は,話の内容を相当程度理解し,自分の価値観による意思決定は可能であるのに,周りの者だけですべてを決めてしまう。 (3) 認知症高齢者の預金を事実上預かっていた弟が,本人がこの預金や自宅の不動産を知的障害のある一人息子に遺したいと希望しているにもかかわらず,このまま息子に相続させるといずれ継ぐ者がいなくなって国に取り上げられるからという理由で,自分(弟)が責任を持って預かると言いながらすべて弟名義に切り替えてしまい,その後,第三者の後見人が付いても引き渡しを拒んでいる。 (4) 本人が長年親しく付き合っている友人に対し,食事代を出したり,色々な手伝いをしてもらう際にお礼を渡したりすることについて,ケアマネジャーが,認知症が出てきて話したことをすぐに忘れるようになってきたから,本人に説明や相談をしても仕方がないと割り切り,本人の意見を聞くことなく,認知症の本人の状態に乗じた友人による財産の搾取であると決めつけ,友人と会わせないように自宅から施設に保護して分離を図ろうとする。 (5) 身寄りがない認知症高齢者が末期癌となったときに,自らの残された日々を自宅で過ごしたいと希望しても,自宅での看取りをするための医療・介護の方針決定や,そのために介護保険をオーバーする費用の支払い等について,親族による同意や協力がなければ駄目だとして退院が許されず,結局,自宅で最期を迎えたいという本人の切な願いを周囲が受け付けない。 (6) 精神障害のある人が,医療保護入院後,精神疾患が安定し,入院の必要性がなくなり,服薬も少量で済むようになり,本人も強く退院を希望しているにも関わらず,保護者になっていた兄が自宅の本人の部屋を取り壊し,ずっと入院しているようにといって退院を認めず,十数年間も社会的入院をさせられている。 4 成年後見人等の実情 次に,財産管理や法律行為の場面において,本人の判断能力を補うために選任された成年後見人等の職務においても,本人の自己決定の尊重に悖るような事態が生じている。 現行成年後見制度は,2000年の改正で,自己決定の尊重と現有能力の活用,ノーマライゼーションを指導理念とすることになったが,包括的代理権による財産管理等の保護を目的として,虐待や消費者被害からの予防・救済のための役割を果たしてきた一方で,成年後見人等が本人の意思を無視したり,本人の意思に反して職務を行った結果,本人の意思決定の支援とはほど遠い状態で生活を余儀なくされる事態が各地で報告されている。 これにつき,本シンポジウム実行委員会の委員が,各地で後見人に関する法律相談や苦情を聞いたり,後見人の交替や後見監督を行うに当たって具体的に直面した事例を紹介すると,以下のとおりである。 (1) 長期に施設入所中であった知的障がい者が,支援者による長年の働きかけと準備によって,ようやくグループホームへの移行を決心し,地域での暮らしを望むようになったが,親の死亡をきっかけに選任された保佐人が,地域生活に伴うリスクを「心配」して施設からの退所契約とグループホームの利用契約を拒否し,いつまでたっても地域生活への移行がままならない。保佐人は誰のためのものか,という苦情が本人から寄せられた。 (2) これまで親と住み慣れた自宅で生活してきた精神障がい者が,同居の親が亡くなったため,離れて暮らしていた兄が成年後見人になったところ,その後見人が単身生活は危険であるとして,本人が理解できないまま,施設入所契約をして,自宅での生活を断念させられてしまい,すっかり元気をなくしてしまった。支援が入れば,施設入所しなくても十分やっていけると思うのだがと,職員から相談が寄せられた。 (3) ある知的障がい者に,親が遺した十分な預貯金が相続されたにもかかわらず,遺産相続のために成年後見人が就くと,「これから長年の生活でいつどんなことに必要になるか分からない。」として,これまでどおり障害基礎年金程度での生活費の出金しか認めず,本人が休日の余暇活動や好きな趣味や旅行のために預金を使いたいとしても,使わせてくれない。 (4) 両親の遺産分割のために,他の兄弟の申立てにより第三者後見人が就いた途端,その後見人は,本人に一度も面談することもなく,申立てをした兄弟が自分の住所の近くの施設へ移すことを強く求めたことから,支援をしていた事業所に「本人を連れて帰るから。」と引き渡しを求めた。本人は、自閉傾向の強い知的障害があったが,これまで両親が長年の努力で,親亡き後も安心して生活できる基盤として,現在の作業所への通所とグループホームでの生活を送れるようになっていたにもかかわらず,その状況も本人の意向もまったく把握しないままの要求であったことから,事業所は本人の意思に反するとして引き渡しを拒んだところ,後見人が引き渡しを求める訴訟にまで発展した。 (5) 精神障がい者が,親の遺産分割が必要になり難しい法的判断が必要になったため,やむを得ず後見開始の申立てをしたが,後見人が就くと,そのことだけではなく,すべての金銭管理や生活上の契約の判断にも権限が発生してしまった。本人は,日常的な金銭管理や介護の必要などは周囲の人に相談しながら自分で十分に決められるのに,後見人が就いた後は,それもすべて後見人の指示を受け管理されてしまうし,周囲の支援者も後見人の判断を優先するようになった。遺産分割が終わったので「あとは今までどおり自分で管理させてほしい。」と言っても,裁判所も後見人も認めてくれない。 5 当事者団体等からの実情 本実行委員会が,意思決定支援のあり方について,各当事者団体等の支援団体からのヒアリングを行った(その内容の詳細は本編第2章第3を参照)中にも,後見人が本人の意思決定への配慮を行わない実態がいくつか報告された。 その中の具体例としては,次のようなものがある。 (1) グループホームに短期入所していたが,期間満了により地域移行をしなければならず,支援事業所の体験室に来た。本人は最初施設に帰りたいと言っていたが,1週間の中で体験室での生活が気に入り「ここにまた来たい。」と言うようになった。体験室は1週間だけだからと言ったが,それでも「またここに来たい。」と言った。では,自立生活しましょうよということで,支援者と共に動いていた。しかし,その後に別のきっかけから選任された成年後見人が,「自立生活なんて,理想を言ってどうするのですか。」と市役所の障害福祉課から言われ入所施設を紹介され,そのまま本人にも,支援事業所にも,ケースカンファレンスも行われないまま,施設入所契約をしてしまった。受け入れ施設側も,本人との間で自立生活の模索の経過があったことは知らされていなかった。しばらくして本人に会ったときには,すっかり自発的な意欲をなくしている状態で残念であった。 (2) 母と本人で同居生活をしてきたが,母の高齢化もあり,グループホームで親子分離をして暮らしていきましょうという計画を長年にわたり立てていた。しかし,母親が急死し,叔母が成年後見の申立てをした。選任された成年後見人が,従前の経緯を無視してグループホームでなく,勝手に何も検討せずに施設入所契約をした。この件は,支援者全員で抗議し,成年後見人と話し合いを行い,最終的に元々計画をしてきたグループホームでの生活に落ち着くことができた。 6 本人の意思決定が尊重されない現状 このように,日本では,認知症や知的障害,精神障害等によって意思決定を行うことに困難を抱えた場合,本人の意思決定が十分に尊重されるとは限らず,保護あるいは本人の利益という名の下で,第三者による判断により様々な事柄が決定され,その人の生き方さえ左右しかねないという実情がある。 また,たとえ,本人が何らかの意思表示をしたとしても,「客観的に適切ではない」として考慮されず,さらに問題なのは,そのような周囲からの扱いが続く中で,本人が自分のことを自分で決めるということを諦め,怖れ,次第に決める力自体を奪われてしまっていることである。 これらの現状は,日本においては,すべての人に「自律」の保障をするために必要な意思決定支援がなされるべきとの指導理念も,規範も明確には存在せず,本人の生活に関わる者に,必要な意思決定支援を行うべきことを義務付ける根拠法が欠如し,また,それを実践し得るための体制整備が図られていないことに起因している。 介護・福祉サービスにおいて,どんなに「利用者本位」といってみても,対等な契約関係に立てるような意思決定における支援を義務付けなければ,絵に描いた餅である。 医療行為におけるインフォームド・コンセントは実務に浸透してきているとはいえ,意思決定が困難な患者の場合のあり方につき何らの指針もないために,家族が代行して決定せざるを得ない状況がある。 精神科病院の長期入院や障がい者入所施設での長期の生活についても,地域生活移行に向けた本人の意思決定の支援が義務付けられていない。 結局のところ,本人の意思決定は,それが自ら現に表明できる限りにおいて考慮されるに過ぎず,その場合でも,他者が「本人の客観的利益」に反すると判断した場合には,尊重されるとは限らないのである。 第2 現行の成年後見制度の問題点 この意思決定支援の指導理念と基本原則を踏まえた支援の欠如という点では,生活上の様々な意思決定のうち,法律行為について規定している現行の成年後見制度についても,制度上及び運用上の大きな問題点がある。 ここでは,意思決定支援の観点から,現行の成年後見制度の問題点について指摘する。 1 後見類型が大半を占める状況と本人の意思を軽視する風潮 (1) 現行の法定後見制度は,後見・保佐・補助の3類型が設けられている。このうち後見・保佐は,旧法の禁治産・準禁治産の制度をもとにして改正がなされたものであり,補助は,現行制度への改正の際に,自己決定の尊重等の新しい理念に最もなじむ制度として新設されたものである。補助の制度は,自己決定を最大限尊重し,弾力的な運用を可能とする制度として設計され,各人の個別具体的な必要性に応じて利用できる制度として期待された。 しかし,この間の運用の実情を見ると,3類型の中での補助の割合はごく僅かなままにとどまっている。最高裁判所が毎年公表している「成年後見事件の概況」によれば,2014年における3類型ごとの件数(認容件数)は,後見2万6029件,保佐4447件,補助1237件となっており,補助の割合は約4%にすぎず,後見の割合が大半(80%以上)を占めている。 そして,このことが,成年後見制度において,裁判所をはじめ,後見人等や周囲の関係者が本人の意思を軽視する風潮が蔓延する要因にもなっていると考えられる。 すなわち,後見類型は,「精神上の障害により,事理を弁識する能力を欠く常況にある。」ということが開始の要件として設定されている。 そのため,裁判所は,後見類型の場合,そもそも,後見開始に当たり,本人との面談をほとんど実施せず,後見開始についての本人の意思や理解状況を確認しようとしない。しかし,成年被後見人とされた本人に実際に会ってみれば,本人は決して「何も分からない状態」ではないということが分かる。また,会ってみると,この人はなぜ補助や保佐ではなく後見類型とされたのか,補助や保佐の類型でも対応できるのではないかという疑問を持つケースも多い。後見申立ての多くが親族間の事情や思惑などによりなされ,診断書の作成も,必ずしも精神科医ではない主治医等によって作成されていることから,本人との面談をしない中で,本人の意思が手続に反映されていないのである。 (2) また,後見人として誰を選任するかについて,本人の意向を確認して尊重するということをしない。裁判所は,後見人の候補者に関しては,申立人である親族の意向を確認し,さらに,他の親族に対して,わざわざ照会までして意見を聞くにもかかわらず,本人の意向は確認しない。しかも,意見照会の結果の考慮は極めて形式的であり,申立人が挙げる候補者(それは申立人自身であることもある。)について,他の親族から反対意見が出れば,それだけで第三者である専門職を後見人に選任する一方,他の親族から反対意見が出なければ,その候補者に問題があることが明らかでない限り,候補者が選任される。その結果,その候補者が,本人の意向に合致した者であっても,他の親族から反対があれば選ばれず,他方,その候補者が,内心は自らの利益保全を第一に考えていて本人意思尊重の考えなどない者であっても,他の親族から反対意見が出なければ(あるいは他の親族がいなければ),その候補者がそのまま選ばれてしまうのである。すなわち,後見人選任の段階で,本人の意思や意向というものは,まったく考慮されず,完全に本人不在の状態で後見人が選任されているというのが実情である。 そして,後見類型では,後見が開始したということから,本人は,常に事理弁識能力(判断能力)のない状態,つまり,何も分からない状態だということになり,後見人は,本人のことについて何かを決めるときも,本人には聞いても意味がない,仕方がない,ということになるのである。 2 後見類型が大半を占める原因 このことは,現行制度における「判断能力を欠く常況」,「判断能力が著しく不十分」,「判断能力が不十分」という3類型の振り分けのための要件とその判定方法が,適切に機能しえていないことを示している。 本来,人の能力は千差万別であって類型化し得るものでない上,本人にとってどのような支援が必要かということも,本人が置かれている状況によっても様々なのであって,それは医学的に診断された能力の程度に類型的に対応するものではない。 にもかかわらず,現行の法定後見制度は,財産の管理・処分についての能力だけを対象に,本人の能力を医学的診断に基づいて3類型に振り分け,当てはめるという設計になっている。そして,後見類型に該当するかどうかは,日常的な買い物が単独でできない状態にあるかどうかが基準とされている(最高裁判所事務総局家庭局「成年後見制度における鑑定書作成の手引き」) 。その結果,例えば,ヘルパーや親族同伴のもとであれば買い物ができるとしても,後見類型と診断されてしまうことになるのである。 また,後見類型が大半を占めるのは,申立手続や後見開始後の職務において,後見類型のように包括的に権限が付与されているほうが職務を行いやすいという,後見をする側の事情が強く働いていることにも原因がある。 3 包括的な行為能力制限と欠格条項 現行の法定後見制度は,成年被後見人,被保佐人を「制限行為能力者」と定め,成年被後見人の法律行為は取り消すことができるものとし(民法第9条),被保佐人が民法第13条所定の法律行為を行うには保佐人の同意を得なければならず,同意を得ずになされた行為は取り消すことができるものとしている(同法第13条)。 そこでは,対象の行為との関係で個別的に意思決定能力の有無を判定するという発想はなく,精神上の障害があるということから,本人の属性として「判断能力を欠く常況にある者」,「判断能力が著しく不十分な者」という判定を行うものとなっている。 さらに,この成年後見制度上の行為能力制限制度は,現行の法制度上,他の数多くの法令上の欠格条項と結びついている。 これらのことは,成年後見制度の利用を妨げる大きな要因となっているとともに,精神上の障害がある人に対する差別観念を社会全体に広める効果をもたらしている。 4 過大な権限 現行の法定後見制度は,本人の能力を医学的診断に基づいて3類型に振り分け,後見類型については前記2のとおり包括的に行為能力を制限するとともに,その反面として,包括的な財産の管理処分権限を後見人に付与する仕組みとなっている。 その結果,現行の制度のもとでは,特に後見類型では,本人にとって必要のない行為についての権限も含め,過大な権限が包括的に付与され,後見開始時に診断された本人の能力の状態が回復した(高まった)と診断されない限り,権限は永続的に続くことになる。 このことは,本人の意思を無視した権限行使が安易になされることにつながるとともに,後見人の権限濫用の温床となるものである。現に,この間,後見人による財産の使い込み等の不祥事が多発し,それが社会問題となるに至っている。現在,後見制度の運用に関わる家庭裁判所や専門職団体の最大の関心事は,後見人による不祥事の防止にあるといってよい。 後見人に必要以上の過大な権限が付与されることは,後見制度の利用を妨げる要因になっているとともに,後見人による不祥事の多発は,後見制度そのものに対する信頼を低下させている。 5 財産保護の重視と身上監護の軽視 現行の成年後見制度は,旧法からの改正に際し,後見人等による本人の意思の尊重義務と身上配慮義務の規定が設けられた(民法第858条)。これは,認知症高齢者や知的障がい者,精神障がい者等に対する身上面の広範な支援に関する社会の需要が一層高まっている状況に照らし,財産管理の面のみならず,身上監護の面についても,後見事務の遂行の指針となる一般的な責務の内容として,規定を設けることが必要であると考えられたためである。 しかし,民法学者や制度運用に携わる法律実務家の間では,成年後見制度は基本的に財産管理の制度であるという考えがいまだに根強く,そのことが,この間の制度運用にも大きく反映している。 2010年に最高裁判所が突如として導入すると発表し,その後,適用が拡大されてきている「後見制度支援信託」は,後見制度における「財産保護の重視と身上監護の軽視」の象徴ともいうべき仕組みであろう。後見制度支援信託は,前記4で述べたような親族後見人による不祥事の多発を背景として,その防止策として導入されたものである。そこでは,後見人による財産の使い込みを防止するため,財産を信託によって固定化して保護するという発想しかなく,本人の財産をいかに本人のために活用していくかということや,本人がどのような状況に置かれて生活しているかに配慮するという発想は存しなかった。それゆえ,実際に運用が始まれば,本人が精神科病院に何十年にもわたって入院させられているようなケースであっても,とにかく親族後見人が本人の預金を使い込まないようにということだけを考え,信託して保全しようとするようなケースが出てくることになる。後見制度支援信託の対象となるほどの多額の預金があるのであれば,それを活用することで精神科病院から退院し,地域生活に移行できるにもかかわらず,裁判所にはそのような発想でケースを考えるということは期待できないのである。 また,現行の成年後見制度の運用は,後見人の報酬の定め方も,「財産保護の重視と身上監護の軽視」につながるものとなっている。 すなわち,現行制度の運用では,後見人の報酬は,基本的に本人が有する財産の額に応じて定められており,他方,後見人による身上監護面での努力はほとんど反映されない。 そのため,例えば,本人がそれなりに資産を有しているとして,その資産を使って,介護ヘルパーを手配するなどして本人が旅行に行くことを実現したり,今いる施設よりも良い施設を探して移るといったことを実現したとしても,後見人がそのために行った事務は報酬にはほとんど反映されず,むしろ,本人の資産が減少する結果,後見人の報酬は少なくなってしまうことになるのである。 6 任意後見制度が活用されていない 現行の成年後見制度は,任意後見制度と法定後見制度によって構成されている。 任意後見制度は,現行制度への改正に際し,自己の後見のあり方を自らの意思で決定するという自己決定の尊重の理念に則して創設されたものである。法定後見制度との関係でも,自己決定の尊重の理念に,より資する制度であるとして,任意後見制度優先の原則のもとに制度設計がなされ,期待のもとに導入がなされた。 しかし,施行後の状況を見ると,2000年から2010年の10年間において,約5万件弱の任意後見登記がなされたにすぎず,発効(任意後見監督人の選任)している件数は年間700件程度で,活用が広がっていない(一方,法定後見の件数は年間で3万件を超えている)。 しかも,任意後見契約が締結されたケースには,本人の自発的意思によって契約がなされるというよりは,任意後見契約が本人をめぐる親族間紛争の手段として親族によって利用されて契約に至るようなケースも見られる(ある親族が法定後見の申立てを進める一方で,他の親族が,任意後見制度優先原則の下で優位に立とうとして,自らが受任者となって任意後見契約を締結するなど)。 任意後見契約については,契約締結における濫用の問題と,契約締結後における濫用の問題が指摘されている。後者は,いわゆる「移行型」として,任意後見契約とともに,任意後見発効前の財産管理契約も締結し,財産を管理していながら,本人の判断能力が不十分となり,任意後見契約を発効させて任意後見監督人による監督の下に財産を管理すべきであるのに,発効させず,財産管理権を濫用して使い込み等が行われるという問題である。 いずれも,本人無視の発想から起きる問題である。 このような弊害を除去し,任意後見契約が,本来の理念にかなった形で利用されるにはどのようにすべきか,ということが問われている。 第3 日本の現状についての当事者団体等の認識・評価 本シンポジウム実行委員会では,意思決定に困難を抱える高齢者や障がい者の意思決定支援や現行成年後見制度の現状について,どのように評価し,今後どのような方向性が求められるかについて,日本国内の当事者団体等に対しアンケート調査及び聴取調査を行った。アンケートについては14団体から,聴取調査には7団体からそれぞれ協力をいただいた。 この調査の結果,本人保護の観点や本人の意思確認の難しさから,一定の保護の必要性を主張する意見もあるものの,本人の意思が無視されたり,本人に対する過度の権利制限がなされている現状を批判し,本人の意思の尊重,本人の権利の回復,代理・代行制度を必要最小限とすることなど,現行の成年後見制度を改正すべきという意見も寄せられ,当事者団体等の意思決定支援の制度整備に向けた積極的な問題意識が明らかとなった。 【聴取調査に参加いただいた団体一覧】 一般社団法人日本自閉症協会 公益社団法人日本精神保健福祉士協会 公益社団法人認知症の人と家族の会東京都支部 社会福祉法人東京都知的障害者育成会 全国「精神病」者集団 日本障害フォーラム 認定NGO法人DPI(障害者インターナショナル)日本会議 1 現行の成年後見制度に対する意見 (1) アンケート調査 アンケート調査では,介護者亡き後の金銭管理や法律行為の代行等,本人に代わって第三者が円滑に管理することができる,消費者被害に遭った場合に取消権を行使することで本人の財産を守ることができる,本人の意思を尊重することでかえって本人の生活に危険が生じる,信頼できる第三者に財産管理を託すことを有用と考えるなど,本人の社会生活を円滑にし,財産管理の安全性を重視する観点から積極的に評価する意見があった。また,実務上,第三者後見人が選任されることで家族間トラブルを回避できることや,選任された後見人の資質によっては一定の満足を得られるなど,運用面においての積極的な評価をする意見もあった。 これに対し,行為能力の制限は障害を理由とした不平等であり障害者権利条約第12条に反する,公務員就任権の禁止等の資格欠格事由により障がい者本人の権利を制限している,本人の財産や権利等に過度に制限がある,本人の意思決定支援の仕組みがないなど,制度としての成年後見制度の問題を指摘する意見も寄せられた。 また,具体的な運用面においても,後見人等が,施設職員等の支援者の意見を取り入れない,金銭管理や安全性に重点が置かれ,本人の意思をまったく考えていない,日常生活に必要な行為についても後見人が決めてしまうなど,後見人の独断的な判断や本人の意思に基づかない管理がなされていることを指摘する意見,また財産管理が重視されるあまり,軽度の人でも後見類型となり制約が強くなるなど,運用面や後見人の資質に対する批判的意見があった。 (2) 聴取調査 聴取調査においては,本人保護の必要性を訴える意見もあったが,現行成年後見制度に対しては,本人の権利を制限していることを問題視する意見が大勢であった。 「障がい者をターゲットに金銭を搾取する例もある。取消権が有効な場合もある。」(一般社団法人日本自閉症協会) 「保護的な場面で,代理・代行が必要な場合もある。」(社会福祉法人東京都知的障害者育成会) 「意思があるが自分に不利益であったり,そもそも意思がはっきりしない場合もある。意思決定支援では,本人の生活を守れない場合もある。」(公益社団法人認知症の人と家族の会東京都支部) 「精神障がい者の場合,症状が不安定なタイプでは,過度の制限がされる場合もある。」(公益社団法人日本精神保健福祉士協会) 「成年後見制度は,本人の権利が過度に制限される可能性がある点が問題である。」(一般社団法人日本自閉症協会)。 「本人の権利制限をなるべくしない形が望ましい。」(社会福祉法人東京都知的障害者育成会) 2 意思決定支援制度に対する意見 (1) アンケート調査 アンケート調査では,イギリスのMental Capacity Act(MCA)を指摘したり,パーソナル・アシスタント制度,IMCAの必要性,知的障害を持つ本人を中心に家族・後見人・福祉関係の支援者等が一緒に考えて意思決定していく制度等が指摘され,当事者団体において既に意思決定支援についての関心が高いことがうかがわれた。 一方,知的障害は誘導されやすい障害であるという点を指摘して,支援者側からの誘導支援による決定がなされること危惧する意見,意思決定を支援する人が複数であったとしても誘導による決定が行われることを危惧する意見や,障がい者本人の意思を確認することの難しさを述べるなど,特に知的障がい者について,本人の意思決定を支援することの難しさや不安を述べる意見があった。 (2) 聴取調査 聴取調査では,以下のように,本人の意思を確認することの難しさを指摘する意見もあるものの,本人の意思決定を支援するための諸活動や概念の提案がなされ,本人の意思決定を支援することについての当事者団体等の関心の高さがうかがえた。 「日本の重度訪問介護制度,スウェーデンスコーネ市のパーソナルオンブズ制度が参考になる。」(全国「精神病」者集団) 「意思決定支援は3つの段階(意思疎通・情報提供支援,意思拡張・意思実現支援,意思形成支援)に分かれていると考えている。」(一般社団法人日本自閉症協会) 「多くの支援者が色々な視点から支援・協議をして,ベストインタレストを探っていく必要がある。その上で,本人と一緒に決めていく。意思を形成していく経験を積むことが,更に大きなことについての意思を決定していく力を育てることになる。」(社会福祉法人東京都知的障害者育成会) 「支援者は,本人本意かが重要である。本人の能力が低下する前のことを知っていることが望ましい。」(公益社団法人認知症の人と家族の会東京都支部) 「重度の人には,『パーソナルアシスト制度』が望ましい。また,支援者の『チーム』を作って判断することが大事である。支援者は本人と信頼関係を築くことが必要である。但し,第三者のチェックも必要である。支援体制は『重層的』なものが理想である。家族・知人・コミュニティを支援者とする。その上で支援者に対する専門的支援があることが望ましい。」(認定NPO法人DPI日本会議) 「知的障害の場合,伝える力が弱い。また,すぐに迎合してしまう傾向もある。重度の知的障がい者の場合,意思はあるけれど,内容が不明確な場合がある。」(社会福祉法人東京都知的障害者育成会) 「意思があるが自分に不利益であったり,そもそも意思がはっきりしない場合もある。意思決定支援では,本人の生活を守れない場合もある。」(公益社団法人認知症の人と家族の会東京都支部) 3 今後の代理・代行制度に対する意見 (1) アンケート調査 アンケート調査では,現行成年後見制度について積極的な評価が聞かれる一方で,遷延性障害などで本人から直接意思の確認ができない場合についてのみ例外的に利用を認めるべき,成年後見制度は行為能力を制限する点で障害者権利条約第12条に違反する,行為能力の制限をしない支援を進め,本人保護は消費者保護制度の拡充によるべきなど,代理・代行制度を原則廃止すべきという意見も寄せられた。 一方,障害者権利条約第12条は本人の意思決定支援に基づく法定代理の制度自体を否定してはおらず,法定代理制度は必要であるなどの意見もあった。  (2) 聴取調査 聴取調査においても,以下のとおり,現行の成年後見制度の改正を求める意見が多く寄せられた。 「代理・代行について,場面によっては必要だと考えるが,なるべく限定的にすべきである。」(公益社団法人日本精神保健福祉士協会) 「特定の事務の委任はありあるが,代行決定はあり得ない。」(全国「精神病」者集団) 「本人の権利を制限しないという前提で,代理・代行するという制度が望ましいのではないか。」(一般社団法人日本自閉症協会)。 「どうしても意思が決定できない場合に代理・代行は限るべきである。」(社会福祉法人東京都知的障害者育成会)。 「代理・代行決定は原則的には禁止すべきだが,例外として,遷延性障害など,極めて限られた場合にのみ許容されるべきものである。」(認定NPO法人DPI日本会議) 第4 専門職後見人の本人の意思の尊重に関する実態調査アンケート結果 本実行委員会では,成年後見人等の本人の自己決定の尊重への配慮や意思決定支援についての職務の実情と意識状況を把握すべく,公益社団法人日本社会福祉士会,公益社団法人成年後見センター・リーガルサポート,全国権利擁護支援ネットワーク,全国の各弁護士会(高齢者・障害者の権利に関する各委員会)の御協力をいただき,日頃,成年後見等の業務に関わりのある専門職の方々に対して,アンケート形式で,成年後見業務において本人の意思の尊重について,どのような対応等をされているかに関し,2015年3月から5月までの期間で実態調査を行った。 その結果,専門職後見人として実務経験のある,弁護士,司法書士,社会福祉士,法人等から積極的な回答をいただき,合計960名から回答を得ることができた(具体的な質問項目と回答結果は,本報告書末尾の資料編を参照。また,詳細な実践内容についての自由記載回答については,添付のCD-ROM版資料に掲載している。)。 御協力をいただいた各団体及び回答をいただいた各後見人の皆様には,この場をお借りして,厚く御礼を申し上げる。 以下では,その回答から伺える我が国の専門職後見人の本人の意思決定支援に関する現状の分析を行った。 1 本人の意思尊重に関して悩む事項(問1) 後見人等の職務で,本人の意思尊重に関して悩むことの多い事項として回答が多かったものは, 「冠婚葬祭費,謝礼の支出や贈与」 「日常的な金銭管理におけるお金の使い方」 「医療行為」 「必ずしも生活に必要ではない物品やサービスの購入」 の順であった。 具体的には,「冠婚葬祭費は本人に意思確認できないが,元気なときは負担していたと思われるから」,「いくらが適度な小遣いの額か」,「嗜好品等の購入をどこまで認めて良いか」等があり,本人意思と管理の狭間で多くが悩んでいることが分かった。また,医療行為については,インフルエンザ予防接種から終末期の判断も含め,本人の意思が確認できない場合に悩んでいることが伺われた。 2 後見人等が法律行為の代理をするにつき本人の意思確認を行うこと (1) 成年後見等の職務において,新規あるいはルーティーンでない法律行為を成年後見人等として代理する場合に,そのことについて本人に意思確認をするかどうかを確認したところ(問3),「行為によって異なる」が約50%で一番多く,次が「常に本人に確認するようにしている」が約35%であったが,「特に確認していない」という回答が約15%もあった。 そして,これについて,弁護士,司法書士,社会福祉士の専門職ごとに傾向を見たところ,弁護士,司法書士では回答の順序は変わらなかったが,社会福祉士では,「常に本人に確認するようにしている」の回答が約54%と一番多く,「特に確認していない」が約5%という結果であった。社会福祉士は,法律職に比べて,日頃から本人の意思確認に配慮していることが明らかになった。 (2) 次に,意思確認をするかどうかは「行為によって異なる」とした人,「特に確認していない」とした人につき,本人の意思を確認しない理由について尋ねたところ(問4),「確認しても本人は合理的な判断ができない・しにくいから」が約75%で一番多く,「本人は理解や意思決定ができないから成年後見人等が付いており,成年後見人等が判断すれば良いから」が約17%,「本人の意思に関わらない行為だから」が約8%であった。そのうち,「本人の意思に関わらない行為だから」と回答した場合の具体的行為について尋ねたところ,「本人の意思を待つまでもない軽微なものなら,一般的な選択肢を選ぶ」,「本人の生活に直接影響を与えない事務的なことは伝えるとかえって不安になるので伝えない」という本人の生活に「軽微」,「事務的」と思われることから,「配偶者等が生活扶助を求めて来たときは,法的義務なので行った」,「義務の履行」,「空き家への保険契約」という法的な責任が伴い得ることや,「在宅生活が困難で安全確保のために施設入所が必要なケースのとき」,「施設変更。ケアマネジャーと相談」,「介護サービスの具体的内容」という本人の生活の基盤に関わるもの等まで,広い事項にわたっていた。 これらについては,本人の意思尊重という観点からは,「軽微」,「事務的」は本人にとっても「軽微」,「事務的」といえるのか,「法的責任」というのも,本人の「法的責任」よりも,専門職としての「法的責任」が優先的になっていないか,「生活の基盤に関わるもの」についてこそ,悩ましい問題ではあるが,本人の意思決定支援が求められる場面であり,それについて本人の意思を確認しないという姿勢は,保護重視となりすぎていないかなど,検討すべき内容が存在していると思われた。 (3) 次に,「常に本人に確認するようにしている」,「行為によって異なる」と回答した人について,本人の意思を確認するための工夫について尋ねたところ(問5),回答が多かったものは 「本人をよく理解している人に確認してもらう」 「日時や場所を変えて説明する」 「実際に見てもらったり,体験してもらう」 の順であった。 その他工夫をしているという回答には,「単独で複数回聞くだけではなく,親族がいれば親族,そうでなければケアマネ等の担当者を交えて確認する」,「ケア会議等で関係者から情報収集し,その後,関係者と訪問して,立ち会いの上で,意思を確認する」,「迎合的な回答をする場合,誘導とならないように,できるだけ注意をして,結論を急がず,回を重ねて確認する」,「会話が成立しないとき,福祉関係者の意見を聞き,本人の「快」「不快」の反応を見て判断する。結果として,本人の笑顔が一番の意思表示」などや,「お任せ頂けますかと誘い,拒否されなければ,後見人の責任で行う」,「概要を説明して,後は任せてもらっている」や,「意思表示ができない場合は,本人の最善の利益を,生育歴等を鑑みて,関係者で意見交換をして,関係者と共同で,本人の意思決定代行を行っている」など,本人の意思を導き出そうというとする工夫から,説明重視型,また,意思表示できない場合の意思決定代行まで様々な形態がとられていることが分かった。 3 本人の意思確認ができない場合に後見人等が代理にあたって最も重視する事情や情報 そこで,本人の意思が確認できない場合に,成年後見人等として法律行為,身上監護に関する事項を決定するに当たり,最も重視するものを尋ねたところ(問6),回答が多かったものは, 「本人のこれまでの生活歴や経緯」(約32%) 「後見人の判断する客観的な本人の利益」(約26%) 「本人に日常関わっている親族の意見」(約19%) の順であった。 そして,これについて,弁護士,司法書士,社会福祉士の専門職ごとに傾向を見たところ,弁護士,司法書士では回答の順序は変わらなかったが,社会福祉士では,弁護士,司法書士に比べ,「本人のこれまでの生活歴や経緯」(約43%)の割合が多く,また,3位が「本人に代わる親族の意見」ではなく,「本人に日常関わっている福祉関係者の意見」であった。 ここから,本人の意思確認ができない場合に,専門職後見人等の判断材料として,本人の生活歴や経緯が重視されていることが明らかとなり,また,専門職別においては,弁護士,司法書士においては社会福祉士に比して,「本人に日常関わっている福祉関係者」よりも「親族」の意見を重視する傾向があることが分かった。 4 具体的な事例に基づく専門職後見人の職務の判断傾向 アンケートでは,各専門職後見人の意識状況を伺うため,具体的な事例を用いて,後見人としてどう判断するかの対応を尋ねた(問7)。   事例:本人45歳,知的障害,6歳程度      母親と2人暮らし。2000万円ほどの預金とアパート収入あり(父の遺産)。 月々は10万円程度の黒字   本人の希望(問7(1)):60万円の羽毛布団セットを買いたい(なお,使える布団はある)。 (1) これについての回答が多かった順は, 「本人がどうして買いたいのか,良く本人と話し合う」(約49%), 「本人の意向について母親の意見も参考にして,後見人として決定する」(約33%), 「特に必要ないから買わないように本人を説得する」(約10%) の順であり,「本人の意向に従う」(約0.7%)はほとんどいなかった。 そして,弁護士,司法書士,社会福祉士の専門職ごとにその傾向を見たところ,回答の多い順序は変わらなかったが,「本人がどうして買いたいのか,良く本人と話し合う」の回答率は,弁護士(約55%),司法書士(約43%)よりも社会福祉士(約79%)の方が高かった。 なお,その他の回答には,「もっと安くてもいいのではと説明する」,「色々な布団を比較検討する」など本人と話し合う方法であったり,「事前の家裁の意見を聞く」,「最終的には裁判所」といった裁判所に委ねてしまうものがあったり,「6歳程度であれば,意向に従うより,買わないよう説得する方が本人のため」と購入をしないというものまであった。 この設定事例のように,本人の資産に余裕があっても,「本人の意向に従う」はもっとも少なく,まずは,本人の真意を確認している傾向が分かった。また,「特に必要ないから買わないように本人を説得する」という回答は比較的低かったものの,「本人の意向について母親の意見も参考にして,後見人として決定する」が回答2位であることから,後見人として,本人の意向も汲みながらも,他の事情を重視して総合的な判断をしている傾向が一定程度あることも明らかとなった。 (2) この事例では,さらに問7(2)において,布団を買いたいと聞いてから,本人と母親と何度か話をした後,次のような新たな事情が判明した。その場合,後見人として対応をどうするかを尋ねた。 新たな事情:母親が不在のときに訪問販売員が購入を勧めた。本人は,「販売員さんとまた会いたいから羽毛布団セットを買いたい」と言っている。 これに対する対応として回答が多かった順は, 「販売員とまた会いたいという本人の動機について,理由を本人と話し合い,他の方法があれば羽毛布団を買うという決定が変わるのかを確認する」(約64%) 「特に必要ないから,やめるよう本人に説得する」(約15%) 「本人の意向は相当ではないから,後見人として買わないことに決定する」(約11%) の順であった。 その他の回答では,「販売員と会う」,「後見人が就任していることを伝える」「販売員には,取消の上,本人と時間をかけて話し合う」といった販売員に働き掛ける方法などで,購入をしない方向に持って行くものが多かった。 そして,この回答について,弁護士,司法書士,社会福祉士の専門職ごとに傾向を見たところ,順序は変わらなかったが,社会福祉士は弁護士,司法書士に比して,「販売員とまた会いたいという本人の動機について,理由を本人と話し合い,他の方法があれば羽毛布団を買うという決定が変わるのかを確認する」の割合が高く(約81%),一方で,「特に必要ないから買わないように本人を説得する」の割合は低い(約5%)。 これは,販売方法に問題があり得ることが判明すると,回答は,本人の意思確認により慎重になる傾向が明らかになり,特に,弁護士,司法書士の方が購入を否定する傾向が強いことが分かった。 5 保佐人・補助人としての同意権行使の実態 次に,保佐人又は補助人として同意権が留保されているケースについて,同意権の行使の有無について尋ねたところ(問8), 「同意権の行使をした」が約16%, 「同意権の行使をしたことがない」が約84% であった。 同回答について,弁護士,司法書士,社会福祉士の専門職ごとに傾向を見たところ,「同意権の行使をしたことがない」がそれぞれ「行使したことがある」を上回ることで違いはなかったが,「同意権の行使をしたことがある」割合は,弁護士が約13%と,司法書士が約18%,社会福祉士が約22%に比し,少し低かった。 また,「同意権の行使をしたことがある」について,その1事例での行使回数については,1回が約57%,2回が約22%であった。 6 後見人等として取消権行使の検討したことの有無 次に,後見人等として,取消権の行使を行うかどうかを検討する場面に直面することがあったかについて尋ねたところ(問9), 「検討したことがある」が約21%, 「検討したことがない」が約79%であった。 同回答について,弁護士,司法書士,社会福祉士の専門職ごとに傾向を見たが,それほど有意な違いは見受けられなかった。 取消権の行使を行うかどうか検討したことがあると回答した場合,その件数については,1回が約55%,2回が約23%,5回以上10回以内が約8%であった。 7 後見人等として実際に取消権の行使をしたことの有無 さらに,取消権の行使を検討したことがあると回答した約21%のうち,実際に取消権を行使したかどうかについては, 行使していないのが約35%, 1件につき行使したのが約38%, 2件につき行使したのが約12% 5件以上10件以内行使したのが約3% であった。   弁護士,司法書士,社会福祉士の専門職毎の傾向を見たところ,弁護士は,司法書士,社会福祉士に比し,「行使していない」割合が高かった。 8 後見人等として取消権を行使した事例の具体的な事情 このうち,実際に取消権を行使したというケースについて,その事情を尋ねたところ(問10。複数回答可),回答が多かった順は, 「悪徳商法に騙され,被害回復に必要であったため」(約26%) 「本人が大きな取引や契約をして,失敗したため」(約14%) 「本人が借金をして浪費し,負債を取り消す必要があったため」(約14%) の順であった。 その他の回答では,「悪徳商法とまでは言えないが,新聞,冠婚葬祭会館,置き薬,ダイエット商品等を勧められるままに多数購入,ネット,携帯の契約変更をするなど」,「親族による本人名義を使っての複数のクレジット契約,キャッシング」,「借用書」,「居住先があるにもかかわらず,ペットを飼いたいと言うことで,高級賃貸物件の賃貸借契約を締結した」,「ネットで知り合った外国人に会いに行くために航空券を購入」,「携帯電話を複数契約」,「ホストクラブでの高額なシャンパン等のオーダーによる高額な請求」,「御布施」,「不必要な機能の付いた冷蔵庫の購入」など多数のケースが回答されたが,問1の設問にあったような「必ずしも生活に必要ではない物品やサービスの購入」に類するケースについても,取消権が行使されているケースが多数見られた。 9 取消権を実際には行使しなかった対応の理由 一方で,取消権の行使を検討したにも関わらず,実際には行使をしなかった事例について,その理由について尋ねたところ(問11。複数回答可),回答が多かった順は, 「事情の説明や警告により,相手方が任意に撤回に応じたため」(約24%) 「本人に特に不利益がなかったため」(約16%) 「本人が取消権行使に反対したため」(約11%) 「日常生活に関する行為等,本人の行為能力制限が掛からない行為だったため」(約10%) 「取消権の行使をしても被害回復が難しかったため」(約10%) の順であった。 その他の回答では,「破産手続を選択した」,「遺言の作成なので,取消はできないと裁判所から言われた」,「本人に説明して,本人に契約を辞めてもらった」などがあった。 ここで注目されるのは,「本人が取消権行使に反対をしたため」(約11%),「本人に失敗を経験してもらい,今後同じことをしないよう学んでもらうため」(約6%)という回答も一定数存在していることから,本人の意思をそのまま尊重しているケースも見受けられたが,「事情の説明や警告により,相手方が任意に撤回に応じたため」という回答が多いことからすると,取消権の行使を実際にしていなくとも,取消権行使と同様の効果を求め,職務遂行していることが伺われた。 10 後見人等に取消権が付与されなかった場合の対応 次に,もし後見人等に現行の取消権が付与されない制度であった場合,どのような方法で対応できると考えるかについて意見を尋ねた(問12。複数回答可)。回答の多かった順は, 「本人の周りで関わる人を増やし,見守り体制を付けることで未然に防止することができる」(約24%) 「消費者契約法などで対応する」(約23%) 「錯誤無効,詐欺取消,強迫取消などの一般法理で対応する」(約18%) 「本人と常に話をし相談してもらうことで予防する」(約14%) 「新たな消費者保護による法整備が必要」(約9%) 「現行の行為能力制限による取消権がなければ対応できない」(約9%)であった。 現行の取消権がなければ対応できないと感じている専門職後見人は10%もいないことが明らかになった。 その他の回答では,「見守り体制等をとっても,すべてが防げるわけではない。事前の予防策が必要」,「未然の防止策が必要だが,取消権は抑止力になる」,「取消権,一般法理や消費者契約法でも立証の関係から救済ができない」,「ノーマライゼーションの見地からすると,新たに,消費者側の立証が容易な「消費者保護法による法制」を創設して対応すべきであるが,「現行の行為能力制限による取消権」と比較すれば本人保護の範囲は狭まるはずであるから,「対応できる」と断定することには躊躇を覚える」,「弁護士に最善の方策を検討してもらう」などがあった。 そして,同回答について,弁護士,司法書士,社会福祉士の専門職ごとに傾向を見たところ,有意な割合の差は見られなかったが,「本人と常に話をし相談してもらうことで予防する」,「本人の周りで関わる人を増やし,見守り体制を付けることで未然に防止することができる」という回答の割合は,弁護士,司法書士よりも,社会福祉士は多く,また,「現行の行為能力制限による取消権がなければ対応できない」という回答の割合は,弁護士が約11%,司法書士が約10%である一方,社会福祉士は約6%と少なかった。 見守り体制をとり未然防止による対策が有用であるという回答も多い一方,未然防止だけでは対応ができないとする考えも一定の割合であり,未然防止,事後救済として取消権は必要であるという意見も見られた。 もっとも,社会福祉士の回答が示すように,本人と常に話をし相談する,本人の周りで関わる人を増やし見守り体制を付けるなどの未然防止が機能することにより,取消権がなくとも対応できるケースが増えることも期待できると思われた。 11 まとめ 本アンケート調査によって,現在,日本で専門職後見人として成年後見等の職務を担っている方々が,実際の業務において本人の意思の尊重につきどのように対応等をされているか,その一部が明らかになったと思われる。 ただ,アンケートの依頼及び集約について各専門職団体を通じて主に依頼したという経緯から,本アンケートに回答をされた専門職後見人の方々は,日頃から,多くの成年後見等の業務に携わる中,本人の意思尊重に問題意識をもって職務をされている方々が多いと思われる。親族後見人の職務や意識状況は自ずと異なる傾向が予想され,個別に選任されている専門職後見人の職務や意識状況はまた異なった傾向であるかもしれない。 ただ,こうした問題に比較的関心の高い専門職後見人の実務においてさえ,本人の意思尊重をより充実させる必要があるのではないか,保護の観点が重視しすぎていないかなどの問題点も浮き上がったのではないかと思われる。 ? 第3章 障害者権利条約と意思決定支援 第1 障害者権利条約の発効,批准 1 沿革 筋委縮症の障害を持つデビッド・ワーナー(米国生まれ,生物学者)は,1965年からメキシコでCBR(地域に根差したリハビリテーション)活動を開始した。1980年頃から障がい者のためのヘルスプログラムを作成するプロジェクトを始め,その活動の中で障がい者のことを決めるためには障がい者が中心とならなければならないという思いが,“Nothing About Us Without Us”(私たちのことを,私たち抜きに決めないで)という言葉となって行った。この言葉が障がい者の主体性と自立を主張する運動のスローガンとして展開されることになる。後にデビッド・ワーナーがプロジェクトを執筆した本のタイトルともなった 。 障がい者の自立を求める運動は高まっていき,2001年にメキシコのビセンテ・フォックス大統領が国連で障がい者の権利のための条約の制定を提案した。 “Nothing About Us Without Us”(私たちのことを,私たち抜きに決めないで)は2004年国連障害者デーの標語にも採用された。 2 条約の発効と日本の批准 2001年から2006年まで1回の作業部会と8回にわたる特別委員会が開催され,2006年12月13日,国連総会で「障害者の権利に関する条約」(障害者権利条約)が採択され,2008(平成20)年5月3日に発効した。 日本は2007年9月28日,本条約の採択に署名したが,批准のためには,なお国内法の整備が必要であった。そのため,障がい者制度改革推進本部が設置され,我が国の障がい者施策が権利条約に沿うための制度改革が行われた。その結果,2011年8月,障害者基本法が改正され,2013年7月,障害者差別解消法が成立した。これらの法律では,「意思決定の支援に配慮し」という文言が使われている。 これにより一応整備が整ったものとして,2014年1月20日,国連に批准書を寄託することにより,日本は141番目の批准国となった。条約は批准書を寄託後30日目の日に効力を生ずると規定されており,同年2月19日に日本国内でも発効し,既に国内法的効力が発生している。 第2 障害者権利条約の趣旨 1 同条約は,「すべての障害者によるすべての人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有」の促進・保護・確保と,「障害者の固有の尊厳に対する尊重」の促進とを目的とする(第1条)。 すなわち,平等と無差別の原則を通じて「既存の人権」を障がい者に適用することを主眼とする。 2 同条約は,障害が,機能障害(インペアメント)のある人と態度及び環境に関する障壁との相互作用であって,機能障害のある人が他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものから生ずると捉える(前文(e))。 この社会モデルの観点からは,単に機能障害があることをもって人権の享有が妨げられることを可とせず,国家が障がい者の自律を適切に支援してこそその自律は実質化され得ると考えている。 3 また,同条約が“Nothing About Us Without Us”(私たちのことを,私たち抜きに決めないで)というスローガンのもとに制定されたことからも明らかなように,同条約は,これまでの障がい者施策において,「保護の対象」とされてきた障がい者を,「権利の主体」と明確に位置付けている。 第3条では,「(a)固有の尊厳,個人の自律(自ら選択する自由を含む。)及び個人の自立の尊重」を重要な一般原則として掲げており,自分のことを自分で選択して決定するという「自律」が最大限に尊重されなければならないとする。 このような趣旨にたって,同条約は,生命身体の自由や自立生活,健康,教育,雇用・労働,司法アクセスその他にわたる規定をおいている。 第3 条約第12条(法律の前にひとしく認められる権利)の制定経過 条約の中でも第12条は極めて重要な規定である。同条は次のとおり定める。 第12条 法律の前にひとしく認められる権利 1 締約国は,障害者がすべての場所において法律の前に人として認められる権利を有することを再確認する。 2 締約国は,障害者が生活のあらゆる側面において他の者との平等を基礎として法的能力を享有することを認める。 3 締約国は,障害者がその法的能力の行使に当たって必要とする支援を利用する機会を提供するための適当な措置をとる。 4 締約国は,法的能力の行使に関連する全ての措置において,濫用を防止するための適当かつ効果的な保障を国際人権法に従って定めることを確保する。当該保障は,法的能力の行使に関連する措置が,障害者の権利,意思及び選好を尊重すること,利益相反を生じさせず,及び不当な影響を及ぼさないこと,障害者の状況に応じ,かつ,適合すること,可能な限り短い期間に適用されること並びに権限のある,独立の,かつ,公平な当局又は司法機関による定期的な審査の対象となることを確保するものとする。当該保障は,当該措置が障害者の権利及び利益に及ぼす影響の程度に応じたものとする。 5 締約国は,この条の規定に従うことを条件として,障害者が財産を所有し,又は相続し,自己の会計を管理し,及び銀行貸付け,抵当その他の形態の金融上の信用を利用する均等な機会を有することについての平等の権利を確保するための全ての適当かつ効果的な措置をとるものとし,障害者がその財産を恣意的に奪われないことを確保する。 この規定の意味については,既に,後述する国連障害者権利委員会の「一般的意見第1号」が出されているところであるが,その理解に当たっては制定経過を振り返っておく必要がある 。 1 この規定の原型となったのは次の作業部会草案第9条である。 「締約国は, (a) 障害のある人を法律の前に他のすべての者と平等な権利を有する個人として認める。 (b) 障害のある人が他の者との平等を基礎として,財産に関する事項を含めて,完全な法的能力(full legal capacity)を有することを是認する。 (c) 障害のある人が法的能力を行使するための支援が必要な場合には,次のことを確保する。 @ この支援は,その者が必要とする支援の程度に比例し,その者の状況に適合したものであり,かつ,その者の法的能力,権利及び自由に干渉しないこと。   A この支援に関連する決定は,法律で確立された手続,及び,これに関連する法的なセーフガードの適用に従ってのみ行われること。 (d) 自己の権利を主張し,情報を理解し,かつ,コミュニケーションをとることに困難を経験する障害のある人が,自己に提供される情報を理解するための支援と自己の決定,選択及び選好を表明するための支援についても,拘束力のある合意又は契約を結ぶための支援や文書に署名するための支援並びに証人として立ち会うための支援と同様に,これらを利用できることを確保する。 (e) 障害のある人が,財産を所有し又は相続し,自己の財産に関する事項を管理し,かつ,銀行貸付け,抵当その他の形態の金融上の信用を利用する均等な機会を有することについての平等の権利を確保するためのすべての適当かつ効果的な措置をとる。 (f) 障害のある人がその財産を恣意的に奪われないことを確保する。」 この部会草案第9条に対しては,カナダ第3回会期において,判断能力が減退しているため法的能力を行使できない者に対して国家が保護しなければならない(法定後見人,法定代行決定者の選任など)という観点からの修正案が提案された。 ここでは,判断能力が低下した者について後見人等の法定代理人が代行する必要があることを認め,それに対し適正なセーフガードを設けることを確保しようとする議論であった。 しかし,日本政府代表は,ここにいう「personal representative」を「人格代理人」と訳し,「日本法の体系にはこうした仕組みに関する規定はない」と発言していた。 2 第5回会期では,部会草案第9条における「法的能力(legal capacity)」が権利能力を意味するのか行為能力までを含むのかという点が重要な争点となった。 ロシア,中国,イスラム系諸国等は,ここでの「法的能力」は権利能力を意味するにすぎない,と強く主張し,会期終了時にまとめられた暫定草案第9条第2項柱書きには「アラビア語,中国語,ロシア語では,法的能力という用語は,行為能力(capacity to act)ではなく,権利能力(capacity for right)という意味を表している」との脚注が付されることとなった。 日本政府代表もここでいう「法的能力」を「権利能力」と理解していた(外務省ホームページから)。 3 第7回会期においては,たたき台として,部会草案第9条を引き継いだ以下の議長草案第12条が示され,判断能力不十分者に対する法的な対応に関して,支援付意思決定モデルへの完全なパラダイム・シフトを要求するのか,あるいは,ラスト・リゾートとしての代行的意思決定モデルの併用を許容するのかという点が重要な問題として議論された。  議長草案第第12条 「(1) 締約国は,障害のある人が,すべての場所において法律の前に人として認められる権利を有することを再確認する。 (2) 締約国は,障害のある人が,すべての領域において,他の者との平等を基礎として[法的能力(legal capacity)]を有することを認め,かつ,[その能力(that capacity)][その行為能力(the capacity to act)]の行使に支援が必要となる場合には,可能な範囲で,以下のことを確保する。 (a) 規定される支援措置が,それが必要とされる程度に比例しており,かつ,本人の状況に適合したものであること,こうした支援が,本人の法的権利を侵すことがなく,本人の意思及び選好を尊重しており,かつ,利益相反を生じさせず,不当な影響を及ぼさないこと。それが適正な場合には,こうした支援が,定期的かつ独立の再審査に服すべきものとされていること。 [(b) 締約国が,最後の解決手段として法定代理人・代行決定権者(personal representative)の選任に関して,法律によって確立された手続を規定する場合には,こうした法律が,権限のある,公平かつ独立の裁判機関によって,法定代理人・代行決定権者の選任に対する定期的な再審査と,法定代理人・代行決定権者が行った意思決定に対する定期的な再審査とを含めて,適正な保障を規定していること。法定代理人・代行決定権者の選任及びその行動が,この条約と国際人権法に整合した諸原則に則って行われること。] (3) 締約国は,障害のある人が,財産を所有し又は相続し,自己の財産に関する事項を管理し,かつ,銀行貸付け,抵当その他の形態の金融上の信用を利用する均等な機会を有することについての平等の権利を確保するためのすべての適当かつ効果的な措置をとるものとし,また,締約国は,障害のある人がその財産を恣意的に奪われないことを確保する。」 この議長草案第12条には以下の議長による註釈が付されていた。 「法的能力については議論があるため[ ]を残しているが,過去において代理・代行意思決定の仕組みや後見制度が多くの不正を生み出したことを肝に銘じて各国が柔軟な姿勢を示すことを望むものであり,女性差別撤廃条約第15条第2項が法的能力(legal capacity)を用い,『行為能力(capacity to act)』ではなく,『この能力を行使する(exercising that capacity)』という言い回しをしていることから,法的能力(legal capacity)という用語にこだわることを提案する。第2項(a)号は,そこでの支援措置の内容がそれぞれの状況に応じて広範な広がりを持つことを明らかに予定しており,このため第2項(b)号は過剰であり不要であるとの見方を示す者もいたことから,第2項(b)号を削除するのかどうかを検討してもらいたいので,意見の不一致を示すため[ ]を残しておく。」 この第7回会期において,日本政府は,これまでどおり「personal representative」に「人格代理人」と訳語を当て,日本法にはこうした制度は存在しないとの理解を示しながらも,仮に後見制度(guardianship)が「personal representative」の概念に含まれるのであれば,後見人は財産管理事項に関する意思決定に当然関わることになるので,議長草案第12条第3項の中に,意味を限定する修飾文として「本条第2項に抵触することなく」という文言を挿入してほしいという提案をし,さらに第12条第2項(b)から定期的な再審査を要求する文言を削除するよう要請している。 すなわち,我が国の成年後見制度が権利条約に抵触することを認識していたものといえる。 4 この代理・代行決定から自己決定支援へのパラダイム・シフトの理解については,各国政府代表側と当事者団体であるNGO側との見解の相違が顕著であった。 政府代表側は,自己決定支援型へのパラダイム・シフトをより強調するために,「法定代理人・代行決定権者(personal representative)という用語を条約の文言に明示すべきではないという立場(A説)と「法定代理人・代行決定権者」の意義を強調し,この用語を条文にも明示すべきだとする立場(B説)であったのに対し,NGO側は,「0%から100%の支援」という理念を前提に,代理・代行決定型の伝統的な後見制度を廃絶し,支援付意思決定という自己決定型の仕組みへと全面的に転換することを要求していた(C説)。 ただ,A説やB説をとる政府代表側も,自己決定支援の手法が代理・代行決定型の仕組みよりも優先されるべきこと,ただしラスト・リゾートとしては代理・代行決定型の仕組みをなお許容すべきことの二点では一致していた。 5 さらに議論が重ねられた上で,早期に条約を確定させ,できるだけ多くの国に批准してもらうべきという政治的判断から,前記A説の立場に立ち,玉虫色とも評価できる第12条の文言が確定されたのである。 なお,前述したロシア,中国,イスラム系諸国の要請による暫定草案第9条第2項柱書きに付された脚注は,最終段階である第8回再開会期において削除された。 第4 国連障害者委員会「一般的意見第1号」 1 モニタリングの状況 条約第34条以下では,締約国は,条約が効力を生じた2年以内(その後は4年ごと)に条約の履行状況について報告書を障害者権利委員会に提出し審査を受けなければならず,委員会はこの報告書を検討して,締約国に提案や勧告を行うとされている。(これを「モニタリング」という。) このモニタリングが締約国について順次行われてきたが,チュニジア(2011年),スペイン(2011年),ペルー(2012年)をはじめ2014年末までに19か国のモニタリングが終了し,いずれも各国の成年後見制度が第12条との関係で問題があることを指摘されている。 例えば,オーストラリアは,ラスト・リゾートとしての代理・代行決定の存続を条約が容認している旨の解釈宣言を行っていたが,この解釈宣言を撤回する方向で見直すことまで勧告された(2013年)。スウェーデンに対しては,管財人が代行意思決定の形態であり,代理意思決定を支援された意思決定に置き換えるよう勧告がなされた(2014年4月) 。また,次に述べる「一般的意見1号」の後になるが,日本の成年後見制度をより条約に整合するように改正を行った韓国に対しても,代理・代行決定の仕組みを廃止して意思決定支援の仕組みに転換するよう勧告がなされた(2014年10月)。さらにドイツに対しても世話法が第12条に抵触し意思決定支援の仕組みへ転換するよう求められた(2015年3月)。 2 「一般的意見第1号」 モニタリングの進捗によりいずれの国も第12条に従った履行状況が不十分であったことから,障害者権利委員会は,第12条についての正しい理解を求めるため,事前に案を示して意見を求めた上で,2014年4月に「一般的意見第1号」を出した。その重要な記述を抜粋する(下線は筆者による。)。 T.序論 7.締約国は,障害のある人の法的能力の権利が,他の者との不平等に基づき制限されることのないよう,法律のあらゆる領域を総合的に検討しなければならない。歴史的に見て,障害のある人は,後見人制度や強制治療を認める精神保健法などの代理人による意思決定制度の下で,多くの領域において差別的な方法で,法的能力の権利を否定されてきた。障害のある人が,他の者との平等を基礎として,完全な法的能力を回復することを確保するためには,これらの慣行は廃止されなければならない。 8.条約第12条は,障害のあるすべての人が,完全な法的能力を有することを認めている。歴史を通じて,女性(特に結婚時)や少数民族をはじめとする多くの集団が,偏見を理由にその法的能力を否定されてきた。しかし,障害のある人は,依然として,世界各地の法制度において,最も頻繁にその法的能力を否定されている集団なのである。法律の前における平等な承認の権利とは,法的能力が,すべての人の人間性に基づく固有の普遍的な属性であり,障害のある人にも,他の者との平等を基礎として常に認められなければならないことを意味する。法的能力は,市民的,政治的,経済的,社会的及び文化的権利の行使に欠かせない。それは,障害のある人が自分自身の健康,教育及び仕事に関する基本的な決定を下さなければならないときに,特に重要となる。(障害のある人々の法的能力の否定は,多くの場合,投票する権利,婚姻をし,家族を形成する権利,性と生殖の権利,親の権利,親密な関係と医学的治療に関して同意する権利,自由の権利など,多数の基本的権利の剥奪をもたらしてきた。) 9.身体障害,精神障害,知的障害又は感覚機能障害などの障害のある人は皆,法的能力の否定と,代理人による意思決定による影響を受ける可能性がある。しかし,認知障害や心理社会的障害のある人は,これまでも,また今もなお,代理人による意思決定制度と法的能力の否定による影響を過度に受けている。委員会は,障害のある者としての地位や,(身体機能障害又は感覚機能障害を含む)機能障害の存在が,決して,第12条に規定されている法的能力や権利を否定する理由となってはならないことを再確認する。目的又は効果において第12条を侵害するすべての慣行は,障害のある人が他の者との平等を基礎として完全な法的能力を確実に回復できるように,廃止されなければならない。 U.第12条の規範的内容 第12条第1項 11.第12条第1項では,障害のある人が,法律の前に人として認められる権利を有することを再確認している。これは,あらゆる人間が,法的人格を所有する人として尊重されることを保障するものである。これは人の法的能力の承認のための前提条件である。 第12条第2項 12.第12条第2項は,障害のある人が,生活のあらゆる側面において,他の者との平等を基礎として法的能力を享有することを認めている。法的能力には,権利所有者になる能力と,法律の下での行為者になる能力の両方が含まれる。権利所有者になる法的能力により,障害のある人は,その権利を法制度によって完全に保護される資格を得る。法律の下での行為者になる能力により,人は,取引に携わり,法的な関係全般を構築し,修整し,あるいは終結させる権限を伴う主体として認められる。法的主体として認められる権利は,条約第12条第5項で規定されており,そこでは締約国の義務について,「財産の所有又は相続についての,自己の財務管理についての並びに銀行貸付,抵当その他の形態の金融上の信用への平等なアクセスについての障害のある人の平等な権利を確保するためのすべての適切かつ効果的な措置をとる。締約国は,また,障害のある人がその財産を恣意的に奪われないことを確保する」と,概説している。 V.締約国の義務 26.障害者権利委員会は,第12条に関する締約国の最初の報告の総括所見において,関係締約国は「後見人制度及び信託制度を許可する法律を見直し,代理人による意思決定制度を,個人の自律,意思及び選好を尊重した支援付き意思決定に置き換える法律と政策を開発する行動を起こす」必要がある,と繰り返し述べてきた。 27.代理人による意思決定制度は,全権後見人,裁判所による禁治産宣告,限定後見人など,多種多様な形態をとり得る。しかし,これらの制度には,ある共通の特徴がある。すなわち,これらは以下のシステムとして定義できる。(i)個人の法的能力は,例えそれが一つの決定にのみかかわりのある法的能力であっても,排除される。(ii)当事者以外の者が代理意思決定者を任命できる。しかも,当事者の意思に反してこれを行うことができる。(iii)代理意思決定者によるいかなる決定も,当事者の意思と選好ではなく,客観的に見てその「最善の利益」となると思われることに基づいて行われる。 28.代理人による意思決定制度を支援付き意思決定に置き換えるという締約国の義務では,代理人による意思決定制度の廃止と,支援付き意思決定による代替策の開発の両方が義務付けられている。代理人による意思決定制度を維持しながら支援付き意思決定システムを開発しても,条約第12条の順守には十分ではない。 一般的意見では,第12条について,第2項の「法的能力」は権利能力のみならず行為能力を含むことを明示して,障害があることにより行為能力が制限されることを否定し,さらに,一切の代理・代行は認められず,締約国は代理・代行制度を廃止した上で意思決定支援制度にパラダイム・シフトしなければならないとしている。 第5 権利条約第12条の理解の仕方 条約の制定経過を踏まえて,「一般的意見第1号」で明記されたことからすれば,第12条は以下の内容を求めているものと理解される。 1 「法的能力(legal capacity)」の概念 第12条第1項は権利能力を定めたものであり,第2項の「法的能力」は,権利能力と行為能力が含まれることが明らかとされた。 この点から,条約の立場では,精神上の障害があることで行為能力を制限することは認められないということになる。 2 自己決定支援へのパラダイム・シフト (1) 一般的意第1号によれば,特に第12条第3項によって,判断能力不十分者の支援・保護手法を完全に支援付き意思決定の仕組みへと転換したものであり,代理・代行的意思決定の手法はラスト・リゾートとしても許されない。 (2) しかし,この点については多くの締約国が,代理・代行よりも支援付き意思決定の仕組みが優先されるべきであることに異論はないものの,必要な最低限の代理・代行は許容されると理解している。 一般的意見第1号は,NGO団体が強く主張した「0%〜100%の支援」という立場に立つものである。しかし,100%の支援というものと代理・代行との区別は不明である。例えば,遷延性意識障害がある者(いわゆる植物状態)について,支援をすることにより自己決定が導き出せるとは考えにくい。どれほど本人の意向や選好を考慮したとしてもそれは他者決定といわざるを得ないと思われる。 とすると,代理・代行を完全に排除することは不可能であり,これを許容せざるを得ないと解される。そうであれば,必要な最低限の代理・代行を認め,この範囲を不当に拡げないように制限していくことが相当であると考えるべきであろう。 すなわち,条約は,代理・代行から意思決定支援へのパラダイム・シフトを求めているものであるが,支援を行ってもどうしても意思決定できない場合には,ラスト・リゾートとしての代理・代行は許容される。しかし,条約の趣旨を踏まえて,代理・代行決定権者に対しあくまで本人の意向や選好を十分に配慮し本人の立場に立って意思決定を行うという明確な規範を設けることが必要であると考えられる。 (3) なお,現行成年後見制度に対しては,包括的で一律の行為能力制限をしている点において,障害者権利委員会から是正勧告がなされるのはもはや自明のことであるが,上記のように制度改革を行ったとしても,代理・代行を認める点では,これまでの国際モニタリングの経緯から,是正勧告は免れないだろう。 <参考文献> 1 松井亮輔・川島聡編「概説障害者権利条約」(法律文化社,2010年) 2 法政大学大原社会問題研究所/菅富美枝編著「成年後見制度の新たなグランド・デザイン」(法政大学出版局,2013年) 3 川島聡「障害者権利条約12条の解釈に関する一考察」(民事法研究会,実践成年後見No.51,2014年)71頁 第4章 諸外国の例 イギリスのイングランド及びウェールズ地方(以下では単に「イギリス」と称する。)では2005年にMCA(Mental Capacity Act,意思決定能力法)が制定されている。同法は,生活全般に関して意思決定に困難を有する本人に対する意思決定支援を追求し,意思決定支援が尽きたところから代行決定が行われるとして,そのための手続的仕組みの整備を行っている。MCAは,意思決定支援に関して一つの理想的な制度を定めているとの評価がされている。 また,オーストラリアのサウスオーストラリア州においては意思決定支援のモデル実践が行われ,いくつかの国際会議等において,意思決定支援の優れた実践であると紹介されている。 本実行委員会は,今回のシンポジウム実施に当たり,イギリスにおけるMCA法の実施状況や課題とサウスオーストラリア州の意思決定支援の具体的な実践内容を調査するため,イギリスには9人,サウスオーストラリア州には6人を派遣した。視察結果は以下のとおりである。 第1 イギリスMCA調査報告 イギリスMCA調査報告の概要 1 はじめに  視察旅行の目的及び視察先,視察スケジュール等について確認する。 2 MCA(Mental Capacity Act)の下での制度の概要 視察期間中の集中研修等で得られた知見を基に,MCAの基本原則(5原則),MCAに関する行動指針,それに基づく意思決定支援のあり方(本人中心主義の発想),意思決定能力を欠くと判断された場合の代行決定のあり方,代行決定の際の最善の利益(ベストインタレスト)追求の方法について,その概要を報告する。   加えて,MCAに規定されているIMCA(独立意思代弁人)制度,法定後見制度,任意後見制度の概況について触れるとともに,本人の意思,好み,意向を酌み取り,意思決定能力を伸ばしていくためのサロック・ライフスタイル・ソリューションズのプログラムを紹介する。 3 視察報告  全11か所の視察先のうち,特に保護裁判所,後見庁,法律事務所,IMCAサービス提供事業所にスポットを当てて報告する。報告書完全版は添付のCD-ROM版資料を参照。 (1) 保護裁判所(Court of Protection) 保護裁判所において,任意後見人による横領が疑われるケースの審理(通常は非公開)を傍聴し,当事者がどのような主張をし,裁判官がどのような審理の進め方をしていたかに関する概要を報告する。その後,審理を行った上席裁判官とベストインタレストの判断に関する意見交換の内容,及び保護裁判所の役割と現状について報告する。 (2) 後見庁(Office of the Public Guardian) MCAの制定に伴い設立された行政機関であり,任意後見契約の登録作業,法定後見人の監督等を行っている。日本と比較して圧倒的に多い任意後見の現状及び法定後見人に対する助言・監督の方法,横領事件等が発生した場合の補償方法等について報告する。 (3) クラーク・ウィルモット法律事務所及びフット・アンスティ法律事務所 保護裁判所における意思決定能力を欠く本人等の特別代理人としての活動を専門に行っている事務弁護士,及び財産管理に関する法定後見人を行っている事務弁護士の両名から,弁護士としてMCAにどのように関わっているのかについての意見交換の内容を報告する。また,対応するケースに関する弁護士報酬,日本の成年後見制度にみられる取消権がない状況の下での消費者被害対応,イギリス国内での後見人による横領問題等についても触れる。 (4) ブリストル・マインド(Bristol Mind) MCAに規定されるアドボカシー「IMCA(独立意思代弁人)」のサービスを提供する慈善団体であり,実際にこのサービスを提供する管理者及びアドボケイト本人と面談した結果として判明した,IMCAの役割・権限,求められる資質・資格,及び具体的な関与ケース(@認知症高齢者でゴミ屋敷に一人暮らしをしていた女性のセルフネグレクトが問題となったケース,A知的障害及び言語によるコミュニケーションが困難な高齢の男性で,胃ろう増設が問題となったケース)について報告する。 1 はじめに〜なぜ今MCAの視察を行ったのか  (1) イギリスMCA視察旅行の目的 @ 我が国は,国民の4人に1人が高齢者という超高齢社会を迎え,認知症高齢者は462万人,さらに認知症になる可能性がある軽度認知障害の高齢者も約400万人と推計されている。これは,今まで親が財産管理も身上監護も支えるという家庭が珍しくない中で,親の高齢化に伴い,知的障害や精神障害など,精神上の障害により判断能力に困難を抱える障がい者の意思決定を誰がどう支えるかという問題とも直結している。しかし,現行の成年後見制度には,本人の意思決定をどのように支援するかに関する具体的な仕組みが欠落している。また,昨年批准した障害者権利条約に照らしても,行為能力制限を中心に据えた現在の成年後見制度には大きな問題点がある。そこで,判断能力が不十分となっても,本人を権利の主体に据えて,その意思決定を支援することを中心とする制度への転換を求めていくべきである。 A この点について,我々が一つモデルと考えたのは,イギリスで2005年4月に成立し,2007年10月に施行されたMCAである。これは,特定の場面で特定の意思決定を自力で行う能力(意思決定能力)に欠ける個人に代わって意思決定をし,行動するための法的な枠組みを規定する法律であり,イングランド・ウェールズ地方に住む16歳以上のすべての人に適用されている。この法律には,意思決定に困難を抱える人に対する支援のあり方に加えて,日本でいう法定後見や任意後見などの成年後見制度も併せて規定されており,そこでは,意思決定支援を優先する原則と意思決定能力がないと判断されても本人にとっての最善の利益(ベスト・インタレスト)を追求していく原則とが明確に示されている。意思決定能力がないとされる人を,「保護」の名の下に,第三者が全面的に管理したり,その行動を過度に制限したりするのではなく,彼らの意思決定能力を最大限引き出し,可能な限り本人も意思決定の判断過程に参加してもらうことを目的とした法律であるということができる。 B 日本でも,MCAに関するいくつかの研究論文が報告されており,概要を知ることができたが,そもそも「意思決定支援」とはどのようなことをしているのか,できれば現地に行って,実際にMCAがどのように活用されているのかを実務家の視点で検証したいと考え,2015年4月19日から4月25日まで渡英し,海外視察を敢行した。 C MCA視察旅行の目的をまとめると,次の四つである。 ア 意思決定支援とは何か。イギリスMCAの下で,どのように実践されているのか。 イ 最善の利益(ベストインタレスト)は,どのようなプロセスで決定されているのか。IMCA(Independent Mental Capacity Advocate,独立意思代弁人)の役割とは何か。 ウ 法定後見や任意後見の実態。日本との違いは何か。 エ 法定後見や任意後見に対する司法・行政の監督体制は,どうなっているのか。  (2) イギリスMCA調査報告の視察先リスト 実質5日間に渡り,全部で11か所の団体の訪問・調査を行った。 (3) 視察スケジュール 視察団は全員で9名であったが,実質5日の視察日程のうち,1日目〜3日目は全体で行動していたが,4日目,5日目は,A班(制度概観班)とB班(実務集中班)に別れて行動し,B班は意思決定支援を実践している団体(サロック・ライフスタイル・ソリューションズ)で,障がい当事者とともにワークショップに参加した。 また,関係団体の訪問調査をするだけでなく,2日目は,一日かけて,エンパワメント・マターズのスー・リー氏(元IMCA)により,MCAに関する総合的なトレーニングを受けた。またロンドンのみではなく,3日目は地方都市ブリストルを訪問し調査を行った。全体を通じて関係団体はどこも協力的であり,非常に充実した視察を行うことができた。コーディネートを行った法テラス東京の水島俊彦弁護士(当時エセックス大学に客員研究員として留学)に深く感謝する。 ※基調報告書ではページ数の制約ですべての視察先の報告を紹介することができない。完全版を御覧になりたい方は,添付のCD-ROM版資料を参照いただきたい。 2 MCA(Mental Capacity Act)の下での制度の概要 (1) MCAの基本原則(5原則)とは 成年後見制度を中心とした我が国の法制度と大きく異なるのは,MCA第1条に掲げられている基本原則である。この5つの原則については,視察報告を有意義に読み進めるための基本的な知識となると思われるため,最初に場面ごとにまとめて紹介する。  (2) MCAに関する行動指針(Code of Practice) イギリスでは,判断能力が不十分な人の意思決定支援をどう行っていくか,意思決定能力がないとなった時の支援方法,任意後見(Lasting Power of Attorney=LPA)や法定後見(deputy)はどのような義務があるかなどについて,具体的な過去の事例をあげた望ましい実務のあり方の手引きとして,オフィシャルガイドライン(行動指針(Code of Practice))を発行している。 下記の者は行動指針を「尊重」することが法的に求められている。 行動指針に従わなかったからといって罰則はない。しかし,後で本人の同意なく勝手に代行決定を行った責任が問われたときに,行動指針の不遵守の事実が民事及び刑事の裁判の証拠になることがあるとされている。  MCAに関する行動指針(Code of Practice) (3) 意思決定支援のあり方(本人中心主義,put individuals at the centre of decision-making) MCAの中心的な考え方は「本人中心主義」,つまりすべての人が自分で決定し,自分の人生を決める権利を持っているという考え方である。 そのため,支援者は常に自問自答しながら意思決定支援に臨まないといけないし,次のように,大きな選択から小さな選択に細分化し,場面を区切って説明することが必要であるとのことであった。 @ 環境はふさわしいか。決定を議論するのに適切な時期か。 A 十分な時間をとって,十分な情報や明確な選択肢が与えられているか。 B 写真や映像を用いるなど本人が理解しやすい方式で情報が提供されているか。 C 利益,不利益,予想される結果(見通し)を議論しているか。 大事なのはどうして意思疎通に困難を抱えているかを考えながら,コミュニケーションをとることであり,意思決定支援のベースには本人と支援者の信頼関係が不可欠である。  (4) 意思決定能力を欠くということになって初めて代行決定が許される 我が国には「行為能力」という概念があり,一定の事項について判断できなくなっただけで,補助・保佐・後見という類型化された法定後見を発動させることができる(補助のみ開始時に本人の同意が必要)。しかしMCAの下では,行為能力のような一律的な能力判定はせず,あくまで,判断が必要なときに,ある特定の意思決定ができるかどうか(意思決定能力)をみて,これができないということになった場合に,他者による後見的な介入が許され,当該特定の事項に関して代理・代行決定が許容されるということになる。ここでいう「意思決定能力」は,日本の行為能力とは違い,その行為限りの変動し得る一時的なものである。意思決定能力の判定については, @ 本人の精神や脳に影響する損傷や障害があるか(診断的アプローチ)。 A さらに,その損傷・障害のせいで,本人が当該意思決定をすることができない状態か(機能的アプローチ)。 の二つの観点から判断していくことになる。Aについては,以下の四つの要素のいずれか又は複数に該当する場合には「意思決定能力をすることができない状態」と判断される。 そして,仮に意思決定能力を欠くと判断された場合であっても,どのような代理代行決定でもなし得るのではなく,本人にとってのベスト・インタレスト(最善の利益)とは何かを探求し,これに従った代理代行決定であることが求められている。  (5) 最善の利益(ベスト・インタレスト)はどのように決められるのか @ 日本では行為能力がないとなると,すぐに法定後見制度に結びつけられがちであるが,MCAの下では,本人に代わって意思決定をする者(周囲の介護者(親族を含む),医療関係者,任意後見人,法定後見人等)が,その人の最善の利益が何かを見極めつつ意思決定を代行していくことになる。そして何が最善の利益かについては,判断する手順が重要とされ,以下のようなチェックリストに従って判断されている。 A そして,ある特定の重大な意思決定(重大な医療行為,長期の入退院や入退所を伴う居住地の移転等)が必要なときに,本人に当該決定についての意思決定能力がなく,また相談する適切な親族などもいない場合には,主に地方自治体のソーシャルワーカーや病院の看護師等によってIMCAが要請される。IMCA が作成する報告書は,当該決定事項における本人のベスト・インタレストを検討する上で示す最も重要な資料となり,意思決定者が責任を恐れることなく,本人の意思や選好を最大限考慮した形の代行決定を行うための力となっている。 B また,ある特定の事項につき意思決定能力がないということがイコール法定後見の開始とはならない。財産上又は身上監護上の事項のうち,一定の重要な意思決定について本人が意思決定能力を欠いている場合には,支援者が保護裁判所(意思決定能力に欠ける人の事件を専門に取り扱う裁判所)に対し,ベスト・インタレストに基づく代行決定を行うことについて承認を求める事例も多い。さらに,福祉・医療関係者や親族の間で,何が最善の利益か争いが生じた場合や,重大な医療行為等に関する場合も,保護裁判所が,何がベスト・インタレストかを最終的に判断する役割を担っている。 (6) IMCA(Independent Mental Capacity Advocate=独立意思代弁人)について @ IMCAとは,本人に関わる介護・医療のサービス提供者とは独立して,意思決定能力がなく,家族や友人などの適切な支援者がいない当事者について,現在の本人の意思や選好がどのようなものであるかを調査,報告し,それをベスト・インタレストの決定を行う上で,最大限考慮されるよう働きかけを行うという専門職である。IMCAはMCAに規定された法定のアドボケイトであり,ソーシャルワーカーや看護師,他のアドボカシー経験者等がその国家資格を取得して活動している。地方自治体(Local Authorities)が予算を組み,IMCA提供事務所に資金提供しているため利用料は無料である。通常は,介護施設,病院関係者や自治体のソーシャルワーカー等によってIMCAの要請がなされることが多い。 A IMCAはMCAで認められた以下の強力な権限がある。 B IMCAは,優れたコミュニケーション能力,自己の見解について確信をもって伝えられる交渉力,調査能力,健康保険や社会保障に関する卓越した知識などのスキルが要求される職業である。IMCAは,何が本人の最善の利益かについて見解を述べる立場ではないが,現在の本人の意思や選好がどのようなものであるかを独立した立場から調査・表明し,それをベスト・インタレストの決定を行う上で最大限考慮されるよう働きかけを行うという役割を持っている。 C 加えて,イギリスでは,2015年4月からケア法(Care Act)が施行され,「意思決定能力がない」とされる前段階,すなわち本人が「意思決定に相当な困難を抱えている」場合にも,IMCAと同様のアドボカシー活動を行うICAA(Independent Care Act Advocate)の支援が受けられることになった。さらに,本人をケアする立場にある家族等への支援やケアプランの作成・見直し等の場面等にもその活動範囲が広げられた。ICAAについては,IMCAと同様,地方自治体が予算をつけて無料で利用できるが,予算規模は2倍以上となっており,さらなる独立アドボケイトの活躍が期待されている。 (7) イギリスの法定後見制度の概況 @ MCAでは,意思決定能力のない人に対し,保護裁判所が継続的な代理・代行の権限をもって本人を支援することが必要だと判断した場合,法定後見人(Deputy)を選任できる。法定後見人は,2014年時点で,53100名(家族又は友人22043件,地方自治体に登録しているソーシャルワーカー17643件,弁護士(ソリシター)等10414件)が選任され,活動している。イングランド・ウェールズ地方の人口が,日本の約半分と考えると,法定後見人の人数は日本よりやや少ないと見ることができる。 A 本人に財産があるケースでは,ソリシター(事務弁護士)や家族が法定後見人に就任することが多く,財産がないケースでは地方自治体が就任することが多い(実務を行うのは同自治体所属のソーシャルワーカー)。ちなみに,ソーシャルワーカーが就任した場合でも,初年度で年間1170ポンド(約21万円。なお,1ポンド180円で換算。以下同じ。)の報酬の支払いが必要である。他方ソリシターに依頼すると初年度で約5000ポンド(約90万円)の報酬が必要とのことであり,かなり報酬に差がついている。いずれにせよ,2年目以降はある程度定型的な業務が多くなるので初年度よりは低くなるようである。 B MCAの下では,財産管理のみ命じられている法定後見人が圧倒的大多数で,身上監護の法定後見人はわずか400人ほどしかいない(ほとんどが家族)。これは財産管理の意思決定能力が失われても,身上監護に関しては本人の意思決定能力があると考えられるケースが多いためであり,この場合は財産管理に関する法定後見人だけをつければ足りるとの考えに基づいている。なお,意思決定能力は個別の事項ごとに判断されるとのことであるが,財産管理の法定後見人は財産について包括的に権限を与えられることが多く,個別の資産ごとに細分化された権限をもつということは実務上まれである。 C 財産のないケースでは,上述のように地方自治体が法定後見人を務めることが多いが,地方自治体が受けられる人数には,予算の都合上,限りがあるので委員後見人(Panel Deputy=無償で法定後見人に就任することを承諾した専門職(ほとんどすべて事務弁護士)で,後見庁が任命する。)という制度があり,実務上は,報酬が高く見込める事件とセットで選任されるとのことである。なお,年金や生活保護しか収入資産がない人で,財産管理が難しい場合は,法定後見人でなく,労働年金省が任命する社会保障費受取人(Appointee)が年金等を受領し,財産管理を行っている場合もある。こうした背景から,成年後見制度利用支援事業のような低所得者への後見報酬の助成制度はイギリスには存在しないようである。 D 一旦選任された法定後見人の監督については,保護裁判所ではなく,後見事件に特化した行政機関である後見庁(法務省の一組織)が行っている。もし横領の疑いなどの問題が生じれば,後見庁が詳細な調査を行った上で,深刻なケースについては最終的に保護裁判所に対して解任の申立てを求めることもある。後見庁と保護裁判所の役割分担は下記のとおりである。保護裁判所と後見庁が役割分担をすることで,より機能性が高くなり,より迅速で合理的な後見監督が可能になっている。 (8) イギリスの任意後見制度の概況 @ 法定後見に対して,日本よりも圧倒的に活用されているのが任意後見(Lasting Power of Attorney=LPA)である。任意後見人は2014年時点で,累計で約100万名が登録している。ただし日本と違い,LPAは後見庁に登録すれば,通常,財産管理に関してはそのまま効力が発生する。特に現在,政府のウェブサイトで「Choice not Chance」(運任せではなく,自ら選択しよう)というLPAを推進するキャンペーンをやっており,LPAだと法定後見(Deputy)より安いと推進している。その結果,昨年だけで40万件の登録があったという。手続きの簡略化のため,LPA申請書はウェブサイト上で作成し,それをダウンロードできるようになっている。 A 本人に意思決定能力がある場合,身上監護のLPA(医療行為含む)は行使できないが,財産管理のLPAは行使できる。ここでも資産ごとに個別の代理権には細分化しないのが原則である。ただし,例えば本人が自分に能力がある間は代理権を付与しないと代理権授与証書に記載すれば,制限をかけることはできる。 B LPAの手続としては,後見庁でLPAの登録を行うが,その際,本人及び受任者の双方のサインをした上で,本人に意思決定能力があるという証明書(本人を2年以上知っている人,若しくは医師・弁護士等の第三者が作成する)を添付し,登録当日,証人が立ち会う必要がある。本人が特定の者をLPAに任命する場合には,必ず第三者に通知しなければならないということになっているが,第三者は親族などに限定されていない。その結果,本人の意思決定能力がかなり低下している状態なのに,それに乗じてLPA登録をし,経済的虐待を誘発するような濫用ケースも多くみられ,後見庁に寄せられた苦情で後から発覚することが多い。 (9) 本人の意思,好み,意向を汲み取り,意思決定能力を伸ばしていく工夫 〜サロック・ライフスタイル・ソリューションズのワークショップから @ 日本では,いまだインクルーシブ教育が浸透せず,障害のある子どもたちは,健常者の子どもたちと分かれて教育を受けることが多い。その結果,社会に出た時に,障害への無理解や根強い偏見により,差別や虐待に苦しむ事例があとを絶たない。イギリスでも,1974年までは,障がい者は完全に隔離され別の教育を受けてきたが,教育法が改正され,障がい者も同じ教育を受ける権利があると規定された結果,インクルーシブ教育が進んでいる。生活面で障がい者が隔離された環境では,無意識のレベルで障がい者は「違う」存在だという価値観が染み付いてしまう。今の子どもたちというのは,将来,医者や看護師等障がい者をケアする立場になる者であり,偏見を与えないために教育の段階で隔離しないことが重要である。 A 意思決定支援を形だけのものにしないために,障がい者自身が,自分の思いを育て,自分の夢を語り,その実現に向けて何をしたらいいかを考えていく力をつけることがとても重要である。その意味で,サロック・ライフスタイル・ソリューションズのワークショップに参加できたのは,今回の視察旅行の大きな力になった。 B ワークショップでは,MCAの理念に基づき基本的な二つの考え方が示された。    Equal Value Partner = 対等なパートナー     Person Centre Plans = 本人が主役 その上で,本人は支援者とともに,共同作業(白紙のノートカバーを自分の好きなもので埋めていく,生まれてから現在までの出来事を時系列に書いてみる,ポジティブな単語を集める等)を行い,自分がしてみたいこと,目標達成のためにすべきこと等を考え,表明する力を身につけていく。同時に,支援者もまた,本人の意思,好み,意向のくみ取りのために効果的な質問方法やコミュニケーション方法を学んでいく。さらに,障害を持つ本人は,サービスを受けるだけの存在ではなく,組織のディレクターにも就任し,組織運営に携わるという能動的な活動が非常に印象的であった。 このようなワークショップを通じ,MCAは,代行決定の場合には薄れがちな「自分が主人公」という考え方を,ポジティブに育てていくためのツールとして機能しているということを感じた。「障がい者だから何もできない」という健常者の思い込みをなくしていくためにも,単に法律を変えるだけではなく,その理念を実践に移すための幅広いアドボカシー活動が必要であると考える。   【左図】 ミーティングの様子。一緒に作業をしながら自分のしたいことを見つけていく。 【右図】 ライフスタイル・ソリューションズの組織図。ディレクターは障害のある人で構成。 【下図】 ライフスタイル・ソリューションズの人たちと記念撮影。みんな笑顔が輝いていた。 3 視察報告 以下では,今回の視察先の中から,保護裁判所,後見庁,クラーク・ウィルモット法律事務所及びフット・アンスティ法律事務所,ブリストル・マインド(IMCA提供事業所)の四つを紹介する。本来であればすべてを紹介したいところではあるが,基調報告書の頁数との関係で,断腸の思いで割愛せざるを得なかった。完全版は添付のCD-ROM版資料に収録しているため,残りの視察報告書についても,是非御覧いただきたい。  (1) 保護裁判所(Court of Protection) 訪問日時 2015年4月20日(月)午後1時30分〜午後5時00分 訪問先 Court of Protection(First Avenue House 42-49 High Holborn London WC1V 6NP) Central Family Court 6階 第24号法廷 面談者 デンゼル・ラッシュ保護裁判所上席判事(Denzil Lush) @ 裁判傍聴(午後2時00分〜3時30分) 【事案の概要】 母親の任意後見人(LPA)として登録されていた娘と息子を解任するように,後見庁長官(The Public Guardian)が訴えた事件。M氏(77歳女性)は,10年以上前に夫を亡くして一人暮らしをしていた認知症の女性であり,2009年6月に,財産管理に関する任意後見(LPA)に署名した。その中では,任意後見人として,自分の娘S氏(49歳)と息子N氏を任意後見人として指名していた(共同であるいは個別に権限行使可能)。また後見報酬についての同意はなかった。兄弟関係でいうと,N氏が兄であり,S氏が妹である。 その後,M氏の任意後見は,2009年9月に後見庁(OPG=Office of the Public Guardian)に登録された。ちなみに,元々M氏は,子供たちに平等に相続させるような形で遺言書を作成していたが,2011年10月にはソリシターの事務所で95%の資産をS氏に,残りの5%をN氏に相続させるように遺言を書き換えている。 2014年11月に,後見庁は,娘と息子の両方について,任意後見の取消しと,解任を求め,またハンプシャー州議会に,M氏の財産管理のために,法定後見人(Deputy)の選任を求めるように,保護裁判所に訴えを起こした。この訴えの際にOPGの調査官が提出した報告書によると,以下の通りの理由であった。 ア 2014年5月1日にS氏が相当な額のM氏の資産を流用していることが発覚した。現金で引き出された額は22万0799ポンド(約3970万円),小切手で引き出された額は4万4966ポンド(約809万円),銀行振込みで引き出された額は17万6755ポンド(約3181万円)等,トータルで約45万ポンド(約8100万円)がM氏のベスト・インタレストのために使われていなかった。他方で未納のケア料金は3669ポンド(約66万円)。 イ 2014年5月21日に二人の任意後見人を呼び出したが,兄のN氏はすべての収支は妹がしていると答えた。 ウ 保護裁判所の一般調査官(General Visitor)が,M氏を訪問したが,彼女は認知症により,LPAを無効にする能力はなくなっていた。 エ M氏の自宅は現在,36万9950ポンド(約6700万円)で売りに出されている。 A ラッシュ判事の解説(午後3時40分〜午後5時00分) ア 最初に今日の期日の内容について補足説明があった。N氏は自分だけで任意後見をやりたい(その方が無料で済むから)ということであったが,お金がかかっても州のソーシャルワーカーによる法定後見の方がよいと考えるケースではないかとのことであった。使い込みの額は本人の資産を考えると,今後の生活に支障を来すようなものとは考えておらず,取り戻さなくてもやっていけるだろうという見込みのようである。ちなみに,ハンプシャー州のソーシャルワーカーに法定後見人として財産管理をしてもらうときの費用は,以下の通りである。これはソリシターに法定後見人を頼むよりもずっと安いとのことであった。    ・1年ごとのマネジメント報酬(Annual management fee) 1年目 700ポンド(約12万6000円) 2年目〜 585ポンド(約10万5300円)    ・財産管理のマネジメント報酬(Property management fee)  1年間で270ポンド(約4万8600円)    ・後見庁への報告書作成費用(Annual report fee)     1年間で195ポンド(約3万5100円) イ 法定後見人の就任期間については,高齢者の場合,寿命を考えると平均3年間ほどであるが,期間をはっきり区切ると何度も申し立てなければならず煩雑なため,認知症の高齢者のような容態がよくなるという見込みがないケースでは,期間は定めていないことも多いということであった。もっと若い人のケースでは3年ほどに期間を限定しており,その方が人権問題としてはよりよいと考えるが,実務的でないという悩みものぞかせていた。 ウ 今回の審理は1回で結審し,書面で決定を書く予定(決定は書面でも口頭でもよく,裁判官の判断に任されている。)。書面で書くときは結審から2週間程度で決定が出され,そこから3,4週間後にはインターネットで公開されるとのことであった(2014年2月から)。なお個人名は伏せられるが,イニシャル,年齢,職業は開示される。そういったこともあり,審理は原則非公開となっているが,今後は公開の方向になっていくのではないかと考えている。 エ ベスト・インタレストの考え方について,例を挙げて説明があった。現在訴えが挙がってくる事例のうち,75%が高齢者であり,残りの25%が知的・精神・脳障害の事例である。障害者権利条約は知的障がい者を対象とした事例には則するが,他の類型の対象者に適合しているかは,やや疑問がある。例えば高次脳機能障害は,若い男性が多い。事故に遭ってから5年くらいたつと高額な賠償金が支払われる。しかし,特に前頭葉に障害があるケースでは,衝動的な浪費をする場合がある。例えば,ラッシュ上席判事が経験した高次脳機能障害の事例(イギリス2005年意思能力法・行動指針115頁・シナリオ16参照)では,仕事中の事故で高次脳機能障害になった男性が,200万ポンド(3億6000万円)の賠償金を得たが,その財産管理の能力があるかについて保護裁判所に訴えがあったケースがある。彼はロンドンの郊外に7万5000ポンド(約1300万円)の家を買いたいとか,トルコに別荘を持ちたいとか,ロレックスの時計を買いたい,サッカーチームの一番よい席を契約したい等というリストを持ってきた。彼には身体的な障害は残っておらず,少し話した感じでは障害があるとは分からなかった。しかし,40分ほど話すと将来の介護費用が必要なことについて理解ができていないことが分かった。賠償金の4分の3は将来の介護費用であったが,彼は自分に必要なケアとして,専属の運転手と掃除をするハウスキーパーがいればいいと考えるだけであった。そこで裁判所では,このような浪費はあなたのベスト・インタレストではないと判断し,法定後見人を付けることにして,その代わり,5年間頑張ったら,自分への御褒美として,ロレックスの時計を買ってもよいと許可した。そのロレックスを買うお金は,本人に渡さず,本人が選んだ商品の請求書を法定後見人に送ってもらった。しかし,彼は5000ポンド(約90万円)のロレックスを買ったが,数日後に,これを3000ポンド(約54万円)で売り払い,現金化してしまったということであった。 オ また保護裁判所の裁判官やスタッフの構成についても説明があった。保護裁判所はイングランドとウェールズ(人口約6000万人弱)を管轄しており,北アイルランドとスコットランドはまた別の法制度の下にある。ロンドンの保護裁判所では,常駐の裁判官が5名おり,ほかに地方の裁判所からパートタイムで裁判官が派遣されている。裁判官の選任については,Judicial Appoint Comissionという独立機関がある。ほとんどの保護裁判所の判事は,家事事件をやっている弁護士(ソリシターもバリシターもいる)が選任される。ちなみに,裁判官の報酬は,バリシターよりも安い(さらにバリシターよりもソリシターの方が報酬が高い)ため,裁判官になりたがらない弁護士も多い。 カ ベスト・インタレストの判断の中でよく問題になるのは,財産管理についてである。この保護裁判所には年間2万5000件の申立てがあるが,その93%が財産管理に関してであり,7%が身上監護に関してである。ベスト・インタレストの判断についてほとんど審理は開かれず,93%がペーパーのみで審査されている。争訟性が高いのは,今日の事例のように後見人(任意後見人・法定後見人)を誰にするのかということである。今日のような事例が典型的である。 キ 保護裁判所の裁判官一人当たりの事件数は,裁判官によっても異なるが,自分は年間200件から300件ほどである。そのうち決定までいくのは50件。後は当事者間で話合いがつき,和解的解決となる。 ク ベスト・インタレストを判断するに当たって,裁判官が,本人の希望や感覚を直接聞き取ったり,病院や家に行ったりするということはない。保護裁判所にはビジター(調査官)がおり,この人が本人と面談して調査している。ビジターには一般のビジターと特別のビジター(医療,特に精神に関わる専門職)がおり,この保護裁判所では,一般のビジターが70名,特別のビジターが15名配置されている。 ケ また時々ソリシターが,特別代理人(リティゲーション・フレンド,Litigation Friend)として任命され,本人の利益を代表する立場になることがある。例えば後見の事例ではないが,今日の事例でも,遺言書の書き直しの有効性がもし問題になれば,息子から遺言無効の申立てが起こる可能性があり,このときには特別代理人を引き受けるソリシター(通常,オフィシャルソリシターから依頼される)が母を訪問して,母の遺言の意思があったかどうかを確認したり,母の代理人として,遺言無効の審理にも参加できる。 コ 明日,後見事件で特別代理人としてソリシターが関与する事件がある。これは出生時の医療過誤によって全身に酸素が行き渡らず,脳障害を負った16歳くらいの女子の事件であり,この子は450万ポンド(約8億1000万円)の賠償金を受け取り,両親が年1万6000ポンド(約288万円)のお金を使って介護を行っている。もちろん職業的なケアワーカーを雇った方がコストは高くなる。そんな中で,両親がその女子の賠償金の中から,弟の学費として1万7000ポンド(約306万円)を支出したいと言ってきている。それが女子のベスト・インタレストとなるかが問題になっている。もちろんベスト・インタレストとして正当性は薄いと思うが,両親の思いとしては,自分たちが女子の介護にかかり切りになっている分,弟に目がいかないため,学費くらいは出してやってほしいと望んでいる。もし両親が弟のために学費を稼ぐために,職業的なケアワーカーを頼むと,もっと介護費用がかかるため,全体的な介護費用を抑えるために,「弟の学費を出してほしい。」と言うことも理が通っている。そこでソリシターを特別代理人として任命し,女子の立場からベスト・インタレストについて意見を述べてもらう予定にしている。 B 感想 ラッシュ上席判事の言うベスト・インタレストの判断については,非常に多様性があり,本人の意思とは何かだけではなく,色々な要素を考慮しながら決めているとの印象を持った。 また,意思決定能力があるかないかの判断においても,本人が将来の介護費用を見通せるかなど,本人の主観だけでなく,保護的な要素も考えながら判断しているということを感じた。 保護裁判所の法廷にて 〜ラッシュ上席判事と (2) 後見庁(Office of the Public Guardian) 訪問日時 2015年4月24日(金)午後2時30分〜4時50分 訪問先 Office of the Public Guardian, 10th Floor Blue Core, Zone 10.31, 102 Petty France, SW1H 9AJ 面談者 サリー・ジョーンズ氏(Sally Jones, Head of Legal,法務セクションリーダーで事務弁護士) ジャズ・デオ氏(Jaz Deo, SCS support to Head of Legal,サリーさんのアシスタント) ジェンマ氏,ナディア氏(Jemma & Nadia, Trainee Solicitor, 後見庁でのトレーニングを受けている見習いソリシター達)   @ 沿革・組織構成と役割 2007年にMCAに基づき設立された。後見庁の前身となる機関パブリック・トラスティー(Public Trustee)は,MCA成立以前は「公務員が後見人となる業務(Public Guardian)」を行っていた。MCA成立以後は組織としての役割が変更され,ロンドン,バーミンガムとノッティンガムで業務を展開するようになった。 組織構成として,2015年現在で1029名のスタッフが存在している(2012年の段階では654名)。うち,バーミンガム(本所)では,約400名のスタッフが年間40万件に及ぶ任意後見人(LPA)登録作業を行っており,約200名の調査員が後見人について何らかの苦情が寄せられれば調査し,報告するという役割を担っている。ノッティンガム(支店)では,約300名のスタッフが法定後見人(累計5万3100人)の仕事を監督している。ロンドン(支店)では,約20名のスタッフが,後見庁がその機能を果たしているかどうかを法務省に報告するという業務を担っている。高齢化の影響により,法定後見が年間に約10%増加,任意後見に至っては約20%も増加しているため,増員を進めているところである。人員の確保手段としては,設立当初は法務省や厚生労働省などの各省庁から出向してきた人も多かったが,後見庁に勤務するために各地で直接雇用された人も多い。 主な業務として,任意後見人(LPA)の登録,法定後見人(Deputy)による年間会計報告書の監査,法定後見人の監督,法定後見における賠償保証金(セキュリティボンド)の受領,疑わしい法定後見・任意後見についての調査・苦情の受付,調査官の派遣,調査書の受け取りなど,MCAに関わるマネジメント業務を主に行っている。 A 法定後見(Deputy)の現状 ア 基本情報 現在,法定後見人に就任している人は累計5万3100名で,立場としては主に3種類に分けられる。2014年の段階で,家族又は友人(2万2043件),地方自治体(1万7643件),弁護士などの専門職(1万414件)である。なお,ソーシャルワーカーが業として個人で受けることはまったくないことはないが,極めてレアケースである(イギリスの場合,ソーシャルワーカーは主に地方自治体に所属しており,同自治体の法定後見人の履行補助者という形で活動していることが多い。)。慈善団体が法人後見を担うことも時にはあるが,専門職としては弁護士(ソリシター)が多い。財産があるケースではソリシターや家族が法定後見人に就任することが多く,財産がないケースでは地方自治体が就任することが多い(後者のケースでは自治体からの保護費等を受領していることも多いため。)。なお,職務類型としては,財産管理型が圧倒的大多数で,身上監護型の法定後見人は,上記5万3100人中僅か400人ほどしかいない。 イ 法定後見人への支援・監督内容(スタッフの育成も含む。) 後見庁としては,過去2年間にわたって法定後見人の活動を支援する活動を行ってきた。法定後見人は,多くのケースで家族が就任するため,後見人がどのような責任,義務を負っているかを理解していないことが多く,啓蒙活動が必要とのことである。 法定後見人の支援(監督)方法としては,まず保護裁判所から法定後見人の任命に関する書類を入手し,法定後見人に対してコンタクトをとり,その責任等について説明を行う。さらに,毎年定期的に報告書を提出してもらい,チェックを行っている。加えて,ノッティンガムでは問合せ用の電話番号を用意しており,日々の法定後見について,何か質問があればそちらに問い合わせてもらうこともできる。法定後見人ごとに担当者が割り当てられており,該当するスタッフが日々の相談に乗っている。相談内容としては,主に不動産売却,投資(イギリスでは一定条件の下,許容されている。)などの大きなお金が動く時にどのように対応するか,といった財産関係の相談が多い。また,相談対応スタッフとしては,法定後見人に対し,保護裁判所の命令内容や,MCA(行動指針等)について詳しく説明したりすることも多い。 こうした相談対応スタッフに対しては,日々トレーニングを提供することが重要である(サリーさんたちソリシターが,対応に当たっている)。具体的には,MCAの基礎,法定後見,任意後見,保護裁判所の役割,問題が発生した際にどのようなリスクがあるか,等幅広い知識と技術を身につけてもらう。特に,法定後見人からの質問については集計し,問合せの多いものについては,スタッフの研修に還元するようにしている(例えば,不動産の処理に関する質問が多ければ,不動産法について講義するなど。)。時には,後見庁としての見解を示した意見書(Position Statement)を発行するなど統一した対応ができるよう心がけている。 ウ 行動指針(Code of Practice)の作成過程 行動指針については,MCAが成立した2005年から,実際に施行される2007年までの間に作成された(MCAの中に行動指針を作ることが規定されているため。)。原案は,OPGの前身であるパブリックトラスティー,MHAポリシー(精神保健福祉関連セクション),法務省の政策課,保健省の政策課,法改革委員会(ローコミッション)が共同で作成し,その後,パブリックコンサルテーションに付し,慈善団体の意見(パブリックオピニオン)も取り入れて完成した。 エ 個別質問 【質問1】 日本では,低所得で身寄りのない方の法定後見人に専門職が就くことが多いが,イギリスではどのような状況になっているのか。また,専門職に対する地方自治体からの報酬助成制度は存在するのか。 まず,低所得の方については,保護裁判所はなるべく家族・親戚を法定後見人として選任しようとするという傾向にある(日本では近年,専門職の方が家族等より選任されているという状況とは対照的に)。家族等が無理であれば,地方自治体が引き受けるのが通常である。もっとも,地方自治体も予算上の制約があり,最近は受けたがらないようになってきている。この場合,最後の手段として委員後見人(Panel Deputy,無償で法定後見人に就任することを承諾した専門職(ほとんどすべて事務弁護士)で,後見庁が任命する。)に依頼することになる。委員後見人は名誉職のようなものであり,資格状も付与されるので割と人気がある(最近では60名の募集枠に対し,400名の募集が来た。視察で訪問したクラーク・ウィルモット法律事務所のアンソニーさんも委員後見人の一人。)。保護裁判所としては,委員後見人に対し,報酬が見込めないケースを割り当てるとともに,ある程度報酬が見込めるケースも抱合せで選任することもある(筆者注:専門職に対する地方自治体からの報酬助成制度は存在しない。)。 【質問2】 日本では身上監護権限と財産管理権限を分けているケースは一般的とまではいえないが,イギリスはなぜ両方の権限を一人の法定後見人に与えるケースが少ないのか(身上監護の法定後見人が圧倒的に少ない理由は何か)。また,法定後見人の財産管理権限はどの程度広範なのか。 MCAの起草段階で,両者を分けたほうがよいという意見があった。身上監護の後見人には,それこそ延命措置を中止する権限もあるため,例えば家族が法定後見人として身上監護も財産管理もできてしまうと,「本人の命を縮めるような選択をして,早く財産を相続しよう。」というような気持ちが働き得るので危険というのが主な理由である。 法定後見人の財産管理権限は,保護裁判所から任命されるときに規定される。もっとも,不動産売却について必要になったときや権限外の行為を行う必要があるときには,改めて保護裁判所の許可が必要となる。財産の引出しについて,総額を制限することはあり得るが,A銀行だけ,あるいはB銀行だけ引き出してもよいというように個別口座に関する制限をすることは通常しない。 【質問3】 専門職(ソリシター)が法定後見人に就任した場合と,地方自治体が就任した場合とで,どの程度報酬が異なるのか。 ケースにもよるが,ソリシターの場合,初年度で約5000ポンド(約90万円,諸経費含む。)。2年目以降はある程度定型的な業務が多くなるので初年度よりは低くなる。報酬は報告書提出後,裁判所によって決定される。日本のように,資産の額によって基本報酬が決定されるものではなく,複雑さや所要時間によって額が決まる(なお,保護裁判所のラッシュ上席判事によると,地方自治体の場合には初年度で約1200ポンド(約21万6000円)である。)。 【質問4】 法定後見人として,どのような年次報告を行う必要があるのか。特に最善の利益に対する判断について,法定後見人としてはどこまで詳細に報告書に記す必要があるのか(どこまでモニタリングが可能なのか)。身上監護と財産管理の法定後見人で何か違いがあるのか。 定型の報告書様式に基づいて年次報告を行う必要がある。具体的には,(1) どのような内容の最善の利益に基づく代行決定(特に,生活環境の変化,支援者の変化,財産状況の変化を伴う重大なもの)を行ったのか,(2) 上記(1)の意思決定について,本人が決定プロセスにどの程度関わったのか,法定後見人としてどのような情報提供をし,意見を述べたのか(本人ができることなどに関する情報等),(3) 法定後見人として関わったキーパーソン(重要人物)についての名前,住所,関与した理由等を記載,(4) 本人の財産状況(収入・支出の額,それぞれの科目等)を記載することになる(特に身上監護部分については日本よりも詳細に記述するための欄が設けられている)。モニタリングの方法としては,気になる記載があった場合(あるいは報告書を提出しない,遅延している場合)には,まずは法定後見人に電話連絡して詳細を聞き取る(拒否されれば注意勧告)。さらに保護裁判所に所属している調査官(Court Visitor)が直接法定後見人に面談することもある。 法定後見人の横領などの問題で後見庁に通報が来た場合には,その深刻さのレベルについて2日間ほどかけて審査することになる。非常に深刻な状況であると判断した場合には,そのまま保護裁判所に案件を持って行き口座凍結などを実施することもある。中程度から低リスクの場合には,後見庁の調査チームが法定後見人に対し詳細な証拠(口座の取引明細等)の提出を求め,最終的に後見庁がどのような勧告を当該法定後見人に対して求めるかを記した報告書を作成することになる。後見庁の勧告に従わなかった場合には,法定後見人の解任を保護裁判所に求めることもあり得る。 例)お金の管理に関して95%の意思決定能力が失われている本人の法定後見人が,本人の財産を法定後見人が経営する会社へ投資したとの報告があった。法定後見人を問い詰めてみると,その投資は本人にとって最善の利益に基づくものだ,なぜなら「良い投資だから」からとのことであった。現在進行形なので確たることはいえないが,最悪の場合,保護裁判所に解任の申立てをする可能性もある。 【質問5】 実際に横領問題等が発生した場合に,いわゆる「セキュリティボンド(財産損害補償制度)」によって被害金の一部が補填されるというシステムがあるようだが,この点について詳しく説明して欲しい。 前提として,このセキュリティボンド制度は,法定後見人の場合のみ適用され,任意後見人(LPA)に対しては適用されない。具体的な手続としては,「法定後見人が本人の財産から保険会社に担保金を支払う→横領事件が発生→警察へ通報→警察から発行された『横領被害の証明書」を保険会社に提出→保険会社が保護裁判所(最高裁)に対してボンドからの支払をしてもよいかどうか指示を求める→保護裁判所が指示(ほぼ自動的)→保険会社が被害金額の全部又は一部に相当する保険金を本人に支払う→保険会社が横領した(元)法定後見人に対して求償」という流れとなる。保険料は,例えば,年間450ポンド(約8万1000円)の担保金を支払うと300万ポンド(約5億4000万円)まで保障される。一方で資産が少ない(2万1000ポンド(約378万円)以下)場合には,初年度1回のみ担保金を支払うことで年をまたいで保険が継続するようにという交渉もしている。なお,法務省との契約に基づき,保険会社は支払金額に上限を設けてはいない。 一方,法定後見人が専門職(弁護士など)や地方自治体の場合は事情が異なる。すなわち弁護士の場合には,弁護士個人ではなく,当該弁護士が所属する法律事務所が団体として賠償保険に加入することが義務付けられている(選任要件)。地方自治体の場合には破産することはないため,特に保険には加入する必要がない。 後見庁による調査が開始された件数としては,2014年は739件で98%が財産管理の法定後見人によるものである。うち616件が任意後見人によるもので,108件が法定後見人によるもの(任意後見人にはセキュリティボンド制度がないので,回収困難な場合が多い。)。横領が疑われるとの通報は2014年で4805件,うち1865件が本人の家族からの通報。なお,被害金額の総額は把握していない。一方で身上監護の法定後見人による虐待に関する調査がされたのは3件,うち1件は,本人が自分の衣服を食べるので,医師の勧めに従い,本人につなぎを着せて南京錠をかけたというケース(最終的には保護裁判所でその拘束行為は認められている。) B 任意後見(LPA)の現状 現在,累計で約100万件のLPA登録がなされている。2014年だけで40万件(イングランド,ウェールズ全体)のLPA登録があり,2015年には年間45万件になるだろうと予測されている。家族と専門職の割合については統計を取っていないので不明である。イギリスの任意後見の場合,特にそのLPA自体に意思決定能力を失ってから効力発生という規定を置かなければ,後見庁への登録時点でそのまま効力が発生する(本人が意思決定能力を失ったとしても,その効果が続くからLasting(継続する)Power of Attorney(代理権限)という。)。本人の自由意思を尊重する制度であり,国や裁判所が関与すべきでない(その反面,本人はその結果に対して自己責任を負うべき)という考え方がある。 手続としては,任意後見人の登録段階で,本人及び受任者の双方のサインをした上で,本人に意思決定能力があるという証明書(本人を2年以上知っている人,若しくは医師・弁護士等の第三者が作成する)を添付し,登録当日,証人が立ち会う必要がある(誰でもよい)。本人が特定の者を任意後見人に任命する場合には,必ず第三者に通知しなければならないということになっているが,第三者は誰でもかまわない(近所の人でもよいが,実際には親族がその第三者になることが多い。)。 【質問1】 LPAに意思決定能力を失ってから効力発生という規定をおいた場合,その意思決定が失われたとの判断は誰が行うのか。 医療機関によるアセスメント・診断書が必要(アセスメントを行う医療機関の指定も可能)。 【質問2】 LPAに対する苦情を受けた場合,どのように対応していくのか。また,LPAを取消して新たな法定後見人を任命するといったケース(1日目の保護裁判所のようなケース)はどれくらいあるのか。 まずは後見庁が任意後見取消しに関する本人の意思決定能力が残っているかどうかを確認するため,任意後見人及び本人から事情を聴取する。その上で,多額の横領が発覚するなどの問題行為があり,かつ,本人に任意後見を取消す意思決定能力がないと判断された場合,後見庁が保護裁判所に対し,任意後見人の解任(必要に応じて別の法定後見人を選任)を申し立てる。保護裁判所は,任意後見を継続することが本人の最善の利益とならないと判断した場合には,本人に代わって任意後見人を解任する(一方,最善の利益に適うとして法定後見人を選任する),という流れになる。統計を取っていないので正確な数は分からないが,こうしたケースは「僅か」という感覚はある。 【質問3】 本人の意思決定能力がかなり低下している状態なのに,それに乗じて任意後見登録をするような濫用ケースはあるか。 実は非常に多い。例えば,認知症と2011年に診断された本人が2014年3月にケアホームに入居すると同時に,任意後見人として本人の旧友が就くことになった。よくよく書類を確認してみると,その旧友が,任意後見登録時に本人に任意後見を依頼する意思決定能力があると証明する立場にもなっていた(2年以上本人を知る者として)。そもそも登録段階でそのような形式的なチェックが出来なかったという問題もあるが,毎年40万件に及ぶ登録申請があるため,一つ一つチェックするようなシステムが今のところ存在しない。後見庁の調査チームとしては,本人が任意後見の依頼時に意思決定能力がなかったという証拠(例えば,医師がその本人を診察した当時,「意思決定能力がある」との診断書を作成することを拒否した事実等)を集め,必要があれば保護裁判所に申し立てていくことで,一定のセーフガードを果たしている。 【質問4】 実際のところイギリスにおける任意後見は濫用のリスクが大きく,現に認知症高齢者・障がい者に対する任意後見濫用による経済的虐待などの事案も多いということが,これまでの現地研修等でもさかんに言われている。そのような状況にもかかわらず,なぜここまで任意後見の数が増えているのか。本人の意思決定を尊重するとはいっても,一方で障害者権利条約は適切なセーフガードを規定することも求めているのだから,条約を踏まえて更なるセーフガードを構築するような計画はないのか。 任意後見については,法定後見よりも管理コスト減となるという理由から政府がキャンペーンを行って政策的に推進しているため件数が激増している(Choice not Chance,1日目保健省視察参照)。また,近い将来,オンラインのみで任意後見の登録ができるようにもなる見込みである(現時点ではオンラインで作成したフォーマットを印刷して後見庁に提出するという形になっている。)。 私たちの認識としては,障害者権利条約は欧州人権条約(特に第8条:私生活及び家庭生活が尊重される権利)に反しているのではないかと考えている。また,本人が賢明でない判断を行うこともまた本人の人権である。意思決定能力がある本人がどのような決定をしようとも(例えば,自分の家に押し入ってきた強盗に対して任意後見を依頼したとしても),その決定に基づく結果は自分の責任で,その決定に対して他者が干渉することは「余計なお世話」にほかならない。 後見庁の法務セクションのリーダーのサリー・ジョーンズさんたちからお話を伺う。 (3) クラーク・ウィルモット法律事務所及びフット・アンスティ法律事務所 訪問日時 2015年4月22日(水)午後3時〜5時 訪問先 Clarke Willmott LLP(1 Georges Square, Bath Street Bristol BS1 6BA) 面談者  Clarke Willmott LLP ジェス・フラナギャン氏(Jess Flanagan 事務弁護士)保護裁判所の身上監護関連の意思決定案件に対応 キャロライン氏(Caroline事務弁護士)財産管理法定後見人を務める Foot Anstey LLP ケイティ・ウェバー氏(Katie Webber事務弁護士)保護裁判所の身上監護関連の意思決定案件に対応 パトリシア氏(Patricia事務弁護士)財産管理法定後見人を務める @ MCAの沿革と最近の状況 1983年にMHA(精神保健福祉法)が制定された際には,財産管理に関する規定のみが置かれており,身上監護に関する規定は存在していなかった。2005年のMCA制定により初めて,身上監護についてもカバーされた法律が出来た。MCAは欧州人権条約をベースとしているものと考えられており,例えば,同条約第5条(身体の自由及び安全に対する権利)における「何人も,・・・法律で定める手続によらない限り,その自由を奪われない」の規定や,第8条(私生活及び家庭生活が尊重される権利)などの規定などがMCAと関連している。 意思決定の内容について,最近特に問題となっているのは,性交渉や結婚に関する意思決定である。これらの決定は,例え本人に「性交渉をもつこと(もたないこと)」に関する意思決定能力がない場合であっても代行決定はできず,裁判所もそれに関する決定を行うことができない(MCA第27条)。なお,これらの意思決定能力がない相手と性交渉を持とうとした場合には,犯罪行為ともなり得る。 A 自由の剥奪に関するセーフガード(DoLS)の最近の動き 2014年のチェシャウェスト事件最高裁判決によってDoLSの定義が示されたことをきっかけとして,従来DoLSの対象に当てはまらないと思われてきた人たちにも広く適用される可能性が出てきた。そこで,現在,法改革委員会(Law Commission)がこれまでの審判例で蓄積されたDoLSの解釈を新たに法律の条文に盛り込むことを検討している。同委員会からのドラフトレポート(Mental Capacity and Deprivation of Liberty A Consultation Paper)は2015年7月7日に公開され,数年後を目処にMCA,DoLSに関する法改正を視野に入れている。 B Litigation Friends(保護裁判所における特別代理人)の自由の剥奪に関するセーフガード(DoLS)の最近の動き ア 保護裁判所における特別代理人とは 保護裁判所に対して「最善の利益」の審判を求める際,本人が審理に参加する場合に,本人に訴訟(審理遂行)能力が欠ける場合には,その決定過程への実質的な参加を保証するため,必ず本人の発言を支援し又は代弁する役割を担う特別代理人(Litigation Friends)を付けなければならない。 特別代理人は,本人に代わって審理手続を十分に遂行する意欲及び能力があり,かつ利益相反のない者である必要がある(2007年保護裁判所規則第140条)。具体的には,@これまでの手続きに関与していない家族や友人,A第三者の意向を代弁する立場の者―例えばソリシター(事務弁護士),IMCAやICAA等,B(DoLSケースなどにおける)「本人の代表者たる地位を有する関係者」,Cオフィシャルソリシターが候補者となり得る。 C以外の候補者は,自らが適任者であるとして保護裁判所に直接申込むことになる(添付資料として,手続遂行能力に関する能力証明書又は医師,ソーシャルワーカー等の見解を記したレターが必要。)。地方自治体(LA)やNHS,その他の家族は特定の人物が特別代理人に就任することに異議を出すことも可能だが,最終的には保護裁判所が誰を特別代理人にするか決定・変更する権限がある。 イ オフィシャルソリシター(Official Solicitor)が特別代理人として関与するための要件と現状 @本人が訴訟(審理遂行)能力を欠き,A本人の特別代理人として活動することを希望し,かつそれが可能な人がおらず,B特別代理人にかかる費用を本人の財産又は法律扶助から支払うことができる,という三つの要件を満たす場合には,最後の手段として,オフィシャルソリシターが特別代理人となる。もっとも,地位としての「オフィシャルソリシター」はイングランドとウェールズ全体で1名(現在は,アリスター氏が就任)しかいない。そのため,通常は,保護裁判所からオフィシャルソリシターに依頼し,オフィシャルソリシターが各地域の協力ソリシターに請け負ってもらうという流れとなる。 保護裁判所に係属する案件のうち本人の出頭が検討されるものとしては,身上監護(重大な医療行為,居住移転)に関する案件である。ただし,これは全体数のごく一部であり,実際に本人が出頭する場面はほとんどみられない。大多数の案件は財産管理に関するものであり,書面審査で足りるからである。したがって,オフィシャルソリシターは,身上監護に関する事件で本人の出頭が必要とされており,かつ,上記の要件を満たす場合という,極めて限定的な場面でのみ保護裁判所から依頼を受けるという建前になっている。 もっとも,近年は身上監護に関する案件が増加し,それに伴いオフィシャルソリシターの順番待ちリストの件数が飛躍的に増えていることから(重大な医療行為が差し迫っているなど,案件によっては優先的に取り扱うこともある。),保護裁判所は家族を特別代理人として選任する傾向がより強まっているとのことである。しかし,家族は本人との利益相反が問題となる可能性が高いことから,ジェス氏としては,IMCAが特別代理人になることを推奨している(IMCAの保護裁判所への関与件数は増加傾向にあるものの,あまり積極的に裁判に参加したがらないため,現在は意識を高めていくための活動を行っているところである。)。 ウ 特別代理人としての具体的な活動内容 (ア) 本人に最善の利益に沿った形で審理を進める。 (イ) 本人が自らの意思決定能力があればそのようにしたであろう意思決定を行う。 (ウ) 本件に関連する本人の希望や感情を裁判所に訴えかけていく。 (エ) 審理が欧州人権条約6条(公正な裁判を受ける権利)及び第8条(私生活及び家庭生活が尊重される権利)と乖離していないか,本人の希望や感情から離れていないかについて疑問を投げかける。 (オ) (特にDoLSのケースにおいて)最も制約の少ない選択肢が考慮されたかどうかを検討する。 (カ) 仲裁役・調整役を担う(例えば地方自治体と家族が対立している中で,新しい風を吹き込む。いつ裁判官に話をするか,どういうサポートがあればよいか等を検討し,審理をうまくまとめていく。)。 C 近年の動き:事前認証型特別代理人(Accredited Legal Representative,ALR)制度の導入 2015年の保護裁判所規則改正に伴い,2015年7月1日から,事前認証型特別代理人(ALR)という制度が導入された。従来は,本人が審理に参加する際には特別代理人を付ける(同候補者からの申請を受けて,その都度,裁判所が適任か否かの最終判断をするというのが原則)という規定であったが,今回の改正法第3A条では,ALRは本人が審理に参加するか否かを問わず選任され得ること,かつ,緊急時など特別代理人を選任するプロセスを経る余裕がない場合でも,裁判所が直接,特定の認証済ソリシターをALRに任命できることとなった。これまで以上に本人の実質的な参加を促すこと及び従来の特別代理人との棲み分けを図ること(ALRは比較的簡易なケースで,特別代理人はより複雑なケースで利用されることを想定)を目的としている。 D 補足:保護裁判所への申立費用 財産管理に関する意思決定内容の場合,本人が自己の財産(不動産,預金等)から,すべての費用を支払う(裁判所手数料,弁護士費用,その他。なお,裁判所手数料は通常は一件あたり400ポンド(約7万800円)とされており,収入等に応じて軽減,免除され得る。)こととなる。一方,身上監護に関する意思決定内容の場合には本人は負担せず,保護裁判所の審判に参加したグループがそれぞれ自己負担することが多い。お金がないから裁判所に行かないということを避けるためとされている。最終的には保護裁判所がそれぞれの負担額を決定することとなるため(MCA第55条),例えば,一方の当事者(地方自治体の職員等)が2回連続不参加で審理が進まなかったような場合,他方当事者(家族,アドボケイト等)が審理の遅延によりかかった費用を前者に負わせるということも可能である(同条(6)項)。 なお,本人の資力によっては,特にMCAの第16条・第21条ケースについては,リーガルエイド(英国における法律扶助制度)が利用できる場合があるが,ケース・バイ・ケースである。とりわけジェス氏の法律事務所がよく取り扱うDoLS案件については,比較的扶助が通りやすいとのことである。 E 補足:保護裁判所への申立費用 【質問1】  弁護士(ソリシター)は,どれくらい身上監護に関するDeputy(法定後見人)の職務に関与しているのか。日本では,成年後見人は,専門職であっても,財産管理のみならず身上監護も含めて行うことが一般的であるが,イギリスではどうか。 前提として,イギリスにおける身上監護に関する法定後見人の絶対数は極めて少ない(目安として,年間の法定後見人の割合としては,財産管理型は約19000件に対し,身上監護型はわずか190〜200件程度である。)。しかも,身上監護型のほとんどのケースでは,裁判所は家族を法定後見人に選任している。専門職が就任する場合と比較して,報酬の支払いが不要な場合が多いためとされている。 【質問2】 一般の弁護士(ソリシター)は保護裁判所の最善の利益判断のための審理にどのようなきっかけで関与することが多いのか。 通常は,本人の家族又はIMCAその他アドボケイト,ケアホームスタッフなどから相談が来ることがきっかけとなる。また,オフィシャルソリシターと提携しており,その案件が既に保護裁判所に係属しているような場合には,保護裁判所から,オフィシャルソリシターを介して,特別代理人を請け負ってもらえるかどうかの打診が来る。 【質問3】 特別代理人となった際の弁護士報酬についてはどの程度,及びどのように支払われるのか。 通常,弁護士費用は本人の不動産又は(本人が受給可能であれば)法律扶助から支払われる。費用については定型的に算定するのが難しいが,通常,1時間あたり20ポンドから40ポンド(約3600円〜7200円)で,10時間〜30時間以上の関与となることが多いのではないかと思われる。 【質問4】 現時点で,特別代理人になるための何らかの資格は存在するのか。 現時点では存在しないが,事前認証型特別代理人(ALR)制度が2015年7月より導入されることになるため,今後,弁護士会(Law Society)による,本人の意向や希望を適切に代弁するための技術に関する研修の提供及びその資格を確固たるものにするための認証システムの開発が期待される。 【質問5】 どれくらいの数の弁護士(ソリシター)が,MCAが規定するLPA(任意後見)やDeputy(法定後見)に関与しているのか。 LPAの新規件数(全体)は,2013年の場合,身上監護が約700〜800件に対し,財産管理は約34000件。このうち弁護士がどれくらい関与しているかについては,正確な数字は把握できていない(通常,ソリシターは個人と直接LPAを締結する,あるいは本人の家族から法定後見人に就任するよう依頼されることが多いため。)。 【質問6】 精神的な障害を抱え,契約に対する意思決定能力に問題があると見られる人々は,日本においては詐欺被害にあったり,ヤミ金の被害にあったりすることが多い。日本の成年後見制度の場合,成年後見人は本人に代わって取消権を行使することができる(取消権とは,本人や相手方当事者の同意・不同意にかかわらず,訴訟手続きによらずにその契約を取消すことができるという,いわば成年後見人の「特権」のようなものである)が,イギリスではどうなっているのか。特にソリシターとしてはどのようにしてこのような消費者被害に対応しているのか。 イギリスにおける法定後見人としては,LPAやその他の書面で何らかの制約が設けられているのでなければ,本人に代わって契約を取り消す(代理)権限がある(経済的虐待や詐欺被害に関する調査を含む)。ただし,実際の契約を取り消せるかどうかは契約内容による。相手に争われれば,最終的には裁判に訴えざるを得ない(筆者注:結論として,イギリスにおける法定後見人は,日本の成年後見人のような取消権は存在しないものと解される。)。ソリシターとしては,契約の条項に取消の規定があるか,契約締結時に本人に当該契約についての能力があったか,などについて個別に検証することになる。政府の規定上,会社は内部統制規約(Due Diligence)を持たねばならないとされており,通常は,相手に意思決定能力あるかどうかを確かめないといけない,という規定になっている。しかし,問題がある会社は,そうした規約を守っていないのが実態。近年,特に問題となっているのは特にオンライン上の取引である(オンラインで簡単にお金が借りられるサービスが存在する。)。 【質問7】 日本の成年後見のような取消権がない状況下で,例えば,どのようにして消費者被害の予防を図っていくのか。 新たな消費者被害の予防の方法としては,例えばクレジットエージェンシー(信用情報機関)に対し,自分のクライアントの名前をリストに入れてもらうことで,その後の被害が出ないようにすることは可能である。 【質問8】 例えば,親族間の贈与契約などを利用した不当な経済的搾取については,どのように対応しているのか。取消権がないと,このような場合に覆せなくて困ることはないのか? 親族間贈与に関しては,予防的措置としてMCA第12条においてかなり厳しい条件が課せられている。(筆者注:不当な財産搾取と判断された場合には,MCA第44条によって5年以下の禁固又は罰金又は両方の刑が科せられる可能性もある。また,経済的虐待であるとの疑いがあれば地方自治体によるセーフガード(虐待対応)案件の対象となり得る。)なお,家族による経済的虐待がこの数年で激増。ラッシュ判事も最近,贈与について厳しい判断を出している。 【質問9】 日本では後見人による横領問題が発生しているが,イギリスではそのような問題は発生しているのか。その発生の予防及び発生した場合の対応措置としては,どのようなものがあるのか。 イギリスでも後見人による横領は大きな社会問題となっている。 まず,法定後見人が任命された場合には,保護裁判所が法定後見人を監督する。監督費用は年間320ポンド(約57600円)で,本人の財産から支払われる。法定後見人は後見庁に対し,年間報告書を作成し提出する。その年間報告書には,すべての収入及び支出,及び重大な代行決定の内容にいたるまで詳細に記載する必要がある。後見庁は必要があれば法定後見人のところに調査官を派遣し,すべてが順調に進んでいるかのチェックすることができる。そして,保護裁判所がすべての法定後見案件が順調かどうか,あるいは何か問題がないかどうかを確認するため,後見庁の代表者は同裁判所に対して法定後見に関する報告書を提出する必要がある。 次に,本人の財産補填の方法としては,法定後見に限定されるが,「セキュリティボンド制度」というものがある。この制度は,本人の財産から一定額をボンド(保険料)として積み立てておき,万が一,後見人等による横領等が発生すれば,そのボンド額に応じて設定された上限額まで,後見庁と契約している保険会社が補填するという仕組みになっている(その後,保険会社が求償手続に入る。)。本人の毎年の収支を考慮してボンド額が定められる。例えば,財産が20万ポンド(約3600万円)の場合,年間200ポンド(約3万6000円)となる。ただし,保険の上限額は決まっているので,必ずしも全額戻ってくるとは限らない。 一方で,任意後見(LPA)については,セキュリティボンド制度はなく,後見庁による監視・監督機能も法定後見(Deputy)に比べると弱い。年間報告書の提出も要求されない。もちろん,弁護士としては後で問題を指摘されないよう,収支すべてについて明瞭にしておくことがLPAとして望ましい実践である。もしLPAに対する何らかの懸念があれば,後見庁に連絡し,その懸念を伝えることができる。それに基づき調査が行われ,問題が発覚すれば,後見庁が保護裁判所に訴えて,LPAを解除してもらう(保護裁判所視察参照)。これが現時点では,LPAの唯一の被害救済手段となっている。LPAは費用も安く,簡易・迅速というメリットがあるが,最初の登録時のチェック以外に監督の定めがない(さらに登録時のチェックについても緩い)という点が問題である。あくまでも「本人が誰に頼みたいか」という意思を尊重するというのが法の趣旨ではあるが,あまりにも簡単に任意後見人を選任できるというのはセーフガードの観点からは問題ではないかと考えている(例えば,現に経済的虐待を行っている家族が,本人に成り代わって,オンライン上で「その家族をLPAとして選任する」として申し込んだとしても,それをチェックする機能は現時点では存在しない。)。 4人の女性弁護士(ソリシター)たちと 活発な議論を交わす。 (4) ブリストル・マインド(Bristol Mind) 訪問日時 2015年4月22日(水)午前10時〜午後0時30分 訪問先 Bristol Mind (35 Old Market Street, Bristol, BS2 0EZ) ※Clarke Willmott LLP(法律事務所)の会議室を借りて面談 面談者 トム・ホール氏(Tom Hore,管理責任者) ケイ・フランクセン氏(Kay Francksen,IMCA) @ ブリストル・マインド及びIMCAについて ブリストル・マインドは,IMCA(イムカ)やIMHA(イムハ)などのサービス提供事業者で「Mind」という全国規模の慈善団体の一つである。今回の訪問の目的は,IMCAとして実際に働いている方からその仕事の様子を伺うことであった。 IMCAとは,Independent Mental Capacity Advocateの略で,MCAでは第35条以下に規定されている。MCAで創設されたIMCA制度の目的は,能力を欠く本人の中でもとりわけ無力で,家族や友人などの適切な相談相手のいない人に対して,一定の重大な意思決定(重大な医療行為及び居住場所の変更等)が必要な際に,独立した立場にあるIMCAが本人の意向や見解を本人に代わって表明し,本人の意向等がベスト・インタレストの判断において最大限考慮されるよう働きかけることをもって,本人を支援する点にある(MCA行動指針第10章)。 A IMCAになるには? ア IMCA又はIMCA DoLSの研修を修了すること 研修は筆記のアセスメントと実地研修で構成される(資格がない見習いの状態で実地研修ができるのは,有資格者のもとでサポートを受けながら研修を行うのが通常だから。したがって,実地研修を受けるためにはIMCAを提供するサービス事業所に雇用されている必要がある。一方,IMCAになりたくても,そうした事業所に雇用されていない人にとっては,資格取得は困難な道のりである。)。 イ DBS(Disclosure and Barring Service,犯罪履歴調査)をパスすること 過去の犯罪歴のチェック(警察の記録,自治体のソーシャルサービスの記録,教育機関の記録等。教師,看護師,ケースワーカー,ヘルパー,アドボケイト等もDBSチェックを受けなければならない。)を受ける必要がある。 ウ 安定した人格であること エ 独立した立場で動ける人であること B IMCAになる人の背景 非常に広範囲である。例えば,地域の発展に尽力する仕事をしている人,認知症,精神障害,発達障害の人たちと働いてきた専門家,人権に基づいた仕事をしてきた人,ソーシャルワーカー,看護師,独立アドボケイトとして働いたことのある人。 C IMCAに必要なスキル ア 素晴らしい(ファンタスティックな)コミュニケーション能力:本当に重要 イ 非依頼型のアドボカシースキルを身に着けていること 意思決定能力に欠けるとされた本人の希望をどのように解釈するのか。本人が望んでいること,かつて望んでいたことを読み取る力が必要である。 ウ 交渉力 自分の見解について確信を持って伝えることができる能力:非常に重要 例えば,何年も経験のある地位の高い医師は自分の意見を変えることがほとんどないが,それでも変えさせる必要がある。 エ 調査能力 オ タイムマネジメント能力:ものすごく忙しい上,要急案件も多い。 カ 分析・問題解決能力 キ 健康及び社会保障システムについての卓越した知識  ク 様々な種類のクライアント(障害や困難の度合いが違う)と働く知識 日々の経験から学んでいくものなので,一般的には長く経験すればするほど良い仕事ができる。 D MCAで規定されているIMCAの権利 ア 本人と1対1で会う権利 イ その人に関するあらゆる記録(医療記録,看護日誌,ケース記録,ソーシャルワーカーが残したコンピューター記録,過去の虐待に関する調査記録,警察記録,裁判記録など)の閲覧 ウ 決定過程において相談を受ける権利 IMCA自身がベスト・インタレストを決定することはできない。しかし,意思決定者は必ずIMCAの意見を考慮しなければならない エ 意思決定能力のアセスメントのやり直し要請,アセスメントに対する異議申立て オ 本人のベスト・インタレストとなるとは思われない(IMCAの報告書や情報提供に意思決定者が十分な配慮を払っていないと思われる場合)当該決定事項に対する異議申立て ベスト・インタレストが決定された後の異議申立ては少ない。それまでに交渉で変更することが多いから。 カ 医療に関するセカンドオピニオンの要請 ※IMCAとして仕事を始めた当初は,上記に掲げたIMCAの様々な権利について医療現場や家族等にあまり知られておらず,揉めることもあった。現在はかなり浸透してきている。 E ケーススタディ 【メアリー(認知症80代後半の女性,ゴミ屋敷で独居,セルフネグレクト)の事例】 彼女の家の中は,大量の物にあふれ,腐った食べ物が散らかっており,虫や動物もあちらこちらにいるなど,非衛生的でひどい生活環境であった。セルフネグレクトが疑われたので,MHA(精神保健法)の規定に基づき,ソーシャルワーカーの判断によって自宅から病院へ移された。もっとも病院に移した後,実際にはMHAが適用されないケースであるということが分かったため,別の場所へ転居する必要があった。 メアリーには家族は存在するものの,姉は高齢であり,メアリー自身が彼女に対しては相談したくないと話していた。また,夫は既に亡くなっており,夫の家族とも疎遠になっていた。そのため,メアリーの近隣者かつ友人(MCA以前の任意後見人(EPA)でもある。)が,医師やソーシャルワーカーも同席する最善の利益会議に参加し,彼女がレジデンシャルケアホーム(小規模型老人ホーム。以下「ケアホーム」という。)に移ることがベスト・インタレストであると同意した。しかし,メアリーはその決定に対して「ケアホームには行きたくない」と声高に反対し,家に住み続けたいという希望を表明した。 上述のソーシャルワーカーは,メアリーの友人が,メアリーの家に戻りたいという気持ちを無視しており,互いに利益相反もあることから,彼女のベスト・インタレストに基づいて行動していないのではないかとの懸念を抱いていた。そこで,このソーシャルワーカーによってIMCAが要請された。 IMCAとしては,意思決定者のソーシャルケアマネジャーに対して,メアリーの見解や希望はきちんと聞かれるべきであり,自宅へのトライアル帰宅のための調整がなされるべきであること,また,このケースについては保護裁判所に持ち込む必要があるのではないかという点を伝えた。保護裁判所の前例をみると,「自治体はリスクを嫌うべきではなく,認知症の高齢者に対しては,本人が自宅での生活を望み,老人ホームでの生活を望まないようであれば,自宅生活のトライアルを許容すべきである」とされていたからである。 その後,ケアパッケージ(訪問介護1日4回)の条件付きで自宅生活のトライアルが認められ,メアリーは自宅に帰った。しかし,彼女は自分に介護が必要だと思っていないのか,支援を拒否し,介護のためにヘルパーが訪問しても家に入れてくれなかった。その後,訪問介護を1日4回から2回に減らしてみたが,これもほとんど拒否されてしまった。メアリーがヘルパーに許容したのは,会話と食事の準備だけだった。彼女はヘルパーが来ることに反発していたものの,ヘルパーと会話すること自体は楽しんでいた。彼女は時折,友人やヘルパーが今どこにいるのかを忘れてしまい,友人やヘルパー提供事業所に電話して抗議することもあった。メアリーは一日のうちほとんどをベッドの上で過ごしていた。IMCAである私がメアリーを訪問して,「今の生活に満足しているか?」と聞いた際には,彼女は「自宅で過ごせて満足しているわ。けれど,本当に満足するためには20年前の生活に戻るしかないわね。とにかく,棺桶に入るまで,この家からは離れたくないわ。」と答え,自宅で最後まで生活することを希望していた。また,彼女は他の人々が彼女に代わって勝手にケアホームに行くという決定をしていたことにひどく腹を立てており,自分自身がどこに住むかを決めるべきであると主張していた。 このような状態が,5か月続いた。自宅でのケアは相変わらず問題があったものの,ひとまず十分といい得るものであった。しかしながら,彼女はまた新聞の買いだめを始めてしまった。ある日,ソーシャルワーカーが定期チェックでメアリー宅を訪問したところ,青白い表情になって倒れていた。本人は嫌だと言っていたが,救急隊員は病院に搬送しないと生命の危機に関わると判断し,病院へ救急搬送したところ,重度の貧血であったことが判明した。2パイント分の輸血がなされた(緊急治療)。 病院からの退院時期が迫った時,最善の利益会議が再度行われた。 ソーシャルワーカーは「トライアルは失敗に終わった。自宅に帰らせないことが最善の利益だ。」と言ったが,私はIMCAとして「まだ『失敗』を証明できていない。状況はそれほど悪化していない。」との見解を述べた。その後,ソーシャルワーカーとそのマネジャーを交えてさらに話合いが行われた。私は,「死ぬまで自宅を離れたくない。」,「むしろ自宅で死んでいた方が幸せだった。」といえるくらい強い主張をメアリーがしていたことを知っていたので,そうした本人の希望を伝えた。しかし,「メアリーが自宅でのケアを拒否する態度を示していることは,それが彼女のケアニーズに対する彼女の思慮のなさを示すものであり,結果として,もはや自宅にとどまることが彼女の最善の利益ではない」,「死なせるわけにはいかない」というソーシャルワーカーの判断を覆すことはできず,しぶしぶながら同意せざるを得なかった。 結局,メアリーはケアホームへ移ることになったが,当初行く予定だったケアホームではなく,私が見つけたケアホームに移った。そのケアホームではメアリーは落ち着いて生活しているように見えたのだが,ある日,ソーシャルワーカーと医師が彼女を訪問し,MHA(精神保健法)に基づく後見命令の期限が切れたことを説明したことをきっかけに,本人は,自分が自宅に住んでいないことをはっきりと認識し,再び,「家に帰して!」,「家に帰して!」と強く主張するようになった。 このような状態に至り,IMCAとして,このケースが保護裁判所に移行すべきケースであるかどうか,法的なアドバイスを求めることにした。また,彼女がケアホームにおいて自由を制限されていることについて,近年の判決によるとDoLS(自由の剥奪に対するセーフガード)の適用対象にもなる。私は,現在, DoLS下における本人代理人(DoLS Representative)と保護裁判所における本人の特別代理人(Litigation Friend)となっている。正に,これから保護裁判所に行くところである。 このようなケースはイギリスでも増えている。ケアホームの印象は必ずしも良いものではないが,それでも空きがないような状況。田舎だと周りにケアホームがないこともあり,遠くに移らなければならず,そうすると,本人がこれまでの過ごしてきた生活環境が台無しになってしまいかねない。 【ウィリアム(知的障がい79歳男性,言語コミュニケーション困難,胃ろう)の事例】 言語療法士(Speech and Language Therapist= SLT)からIMCAの要請がなされた。ウィリアムは軽度から中度の知的障害を有し,十分な栄養を摂取するための胃ろう増設術に関する意思決定を行う能力に欠けているとアセスメントされていた。彼には適切に相談できる家族や友人はいなかった。医師決定者は,ウィリアムにとってのかかりつけ医師(General Practitioner= GP)だった。 ケアホーム(小規模老人ホーム)で開かれた初回の最善の利益会議の時点で,ウィリアムの健康状態はあまり芳しくなかった。一週間ほど何も食べず,十分な水分も取っていなかったので,かなり体重が落ちていて,食べ物を飲み込むことも危険な状態だと考えられていた。彼は食べ物に好き嫌いがあるというような記録もあったが,実際のところ生命に関わるような状態になっていた。加えて,ウィリアムは肺の感染症を再発していたが,経口抗生物質の摂取を拒否していた。胃ろう増設術はウィリアムの十分な栄養摂取と健康問題の再発防止を図るための解決策の一つとして議論されていた。 最善の利益会議が開かれた。言語療法士はウィリアムの精神能力に関するアセスメントをかかりつけ医は彼の身体的な健康状況について精査するよう照会を受けていたが,その結果も判明した。胃ろう以外の選択肢についても議論された。ウィリアムは,彼が好きだと思われていた食べ物や飲み物を提供されたが,彼は常に見られていることを嫌がっているようにも見えた。そうしたことが彼の食事に対する楽しみを損ねてしまい,支援スタッフとの関係にも悪い影響を及ぼしているように見えた。会議では,ウィリアムが胃ろう増設術を受け,彼の栄養摂取の維持及び増加を試みることについて,(IMCAも含めて)関係者は同意した。一方で,彼の生活の質(QOL)を向上させるために彼が好きな食べ物や飲み物を細かく分けて提供することは続けるべきだという点についても同意された。私は,IMCAとして,彼の見解を直接明確に把握することはできなかったが,ウィリアムを良く知るスタッフに対する彼のしぐさから,彼の気持ちを推測することはできた。医師は彼が既に弱り,栄養失調状態になっていることから,胃ろう増設を早急に行うことを提案し,それは関係者によって同意された。 私は,IMCAとして,胃ろう増設することがどちらかといえばウィリアムの気持ちを反映したベスト・インタレストだろうと,要請元の言語療法士と意思決定者に対して報告を行った。しかし,病院において若干の混乱が見られた。手術の週間リストを渡されていた医師がウィリアムのことや彼の背景事情を良く知らなかったのである。そこで,私は,ウィリアムの背景事情を彼に代わって説明した。結局,ケアホームのスタッフが胃ろうの安全な扱い方を学ぶ研修を受け終えるまで,胃ろうの手術は延期された。 ウィリアムは胃ろうをつけた状態でケアホームに戻ってきた。その後,彼の健康状態は改善し,IMCAが訪問したときにはとても良い状態に見えた。彼は室内や屋外のアクティビティを楽しんでいるようにも見えた。彼は胃ろうに加えて,見守りの下,口から飲み・食べることも継続している。 このケースでは,特に本人が「死にたい」と思って食事を取らなかったというものではなく,彼自身は生きること楽しんでいたように思われていた。結局のところ,なぜ食べなくなったのかはいまだに原因が分かっていない。ある精神科医は,もしかしたら同じケアホームに住んでいた仲の良い友達が死んだことで鬱状態になったことが原因かとも疑っていたが,診断の結果,そういうことでもなかった。今も,原因は不明である。 F まとめ IMCAが関わっているケースで,本人がハッピーエンドに至るのはまれである。しかし,IMCAが介入したことで,介入しなかった時よりもより良いエンディングを迎えることは多い。介入することで,本人の権利が尊重され,QOLも向上するからである。 IMCAが関わるケースの中には,その人の人生の終わりの数か月間,ということもある。 IMCAは誰でも要請できるわけではない。医療の現場では,本来,医師が要請すべきである。しかし,往々にして医師本人ではなく,他の人に行わせることが多い。 ケアが必要な人すべてにソーシャルワーカーがついているわけではない。職業として本人のケアに関わっている人(プロフェッショナル)であれば,直接IMCAを要請できる。 IMCAの要請に当たっては,IMCA提供契約を結んでいる自治体を通す必要はない。しかし,そもそもIMCAの提供事業所が身近な地域にあることを知らない人も多い。 管理責任者のトム・ホール氏とIMCAのケイ・フランクセン氏 第2 サウスオーストラリア州における意思決定支援(SDM)モデル オーストラリア・サウスオーストラリア州SDMモデル報告の概要 はじめに 1 背景 SDMモデルがどのようにして作られ,世界でどのように評価されているかを報告 2 SDMモデル概要 SDMモデルによる支援方法の概要の報告 3 意思決定者それぞれの旅(ストーリー) SDMモデルにより実際に支援を受けた人たち6人から,支援内容,その結果などについて,支援者も交えて聞いた話を報告 4 ストラスモント・センター訪問 1971年に州が開設した知的障がい者入所施設である。600名が暮らしていたが,訪問時から数か月で全員が地域生活に移行する。オープン時は軍隊モデルで運営されていたが,施設でコントロールされた生活を送ることは障害のある人の人生が失われる(本人の人生を盗む)ことに気付き,本人への対応方法をいくつか考えた後,障害のある人の声が発せられるようにすることが大切ということになり,SDMプロジェクトと協力するようになったことや退所者の生活状況などについて聞いた話を報告する。 5 権利擁護庁訪問 判断能力のない人の権利を促進・保護するために設立された州の行政機関である。障害者権利条約とSDMプロジェクトの関わり,意思決定支援についてのオーストラリアにおける段階的(ステップ)モデル,ステップモデルについて判断の自律度と第三者による意思決定への介入の相関関係について,SDMプロジェクトの位置付け,カナダのブリティッシュコロンビア州,アルバータ州の制度などの概要,意思決定支援をする場合の考え方,意思決定する力がないとされる場合の基準などについて聞いた話を報告する。 6 まとめ はじめに サウスオーストラリア州視察の理由  私たちがオーストラリアのサウスオーストラリア州に興味を抱いたのは,同州における意思決定支援の取組が世界から注目されているという話を聞いたことからである。 障害のある人は,これまで意思決定させてもらえない環境で暮らすことが多かった。このような事情はサウスオーストラリア州でも同じであったようであるが,同州では時間をかけて本人中心の支援を考えるようになり,現在では意思決定支援のモデル事業を運用するまでに至っている。  私たちは,意思決定支援の具体的な内容を学ぶためにサウスオーストラリア州に赴いた。  そこで見聞きしたのは,苦闘しながら意思決定支援の大切さにたどり着いた人たちの話,支援を受けて自ら意思決定するようになった人たちの話であった。  意思決定支援をするにはどのように考え,どのようにすべきなのか,サウスオーストラリア州の取組は大きな示唆を与えてくれるように思う。 1 背景 本意思決定支援モデル(Supported Decision-Making model,以下「SDMモデル」という。)は,オーストラリアが2008年に障害者権利条約を批准したことをきっかけとして2010年に開始されたサウスオーストラリア州権利擁護庁(Office of the Public Advocate)による2年間の意思決定支援パイロットプロジェクトに端を発している。その後,同庁でプロジェクトを担当していたシェア・ニコルソン氏が中心となり,健康・福祉に関する苦情解決サービス機関HCSCC(Health and Community Services Complaints Commissioner)が同プロジェクトを引き継ぐ形で発展してきた。1期目は2013年10月〜2014年5月,2期目は2014年8月から2015年6月とされ,それぞれ独立して評価されている。このモデルが世界的に注目されるようになったのは2012年にアムネスティインターナショナル主催の国際会議(inアイルランド)で紹介されたことがきっかけとなっているが,2015年2月にオーストリアの首都ウィーンの国連オフィスで開かれた世界各国500人以上の意思決定支援者が集まるZeroプロジェクト主催の世界会議において,同モデルが意思決定支援の「実践」に関する優れた取組であるとして紹介されたことにより,さらに注目度を増している。関係者の中では,SDMモデルは,障害者権利条約が意図する意思決定支援の正に「実践」であり,短期間の介入によって本人に劇的な変化が見られていると専ら評価されている。 なお,第3期よりシェア氏はHCSCCから独立し,ASSETという団体名でこのモデルのさらなる普及を図っていく予定となっている。 2 SDMモデル概要 (1) チームによる意思決定支援・構成メンバー このモデルは,障害のある人が「意思決定者(Decision Maker,DM)」として中心に置かれ,周囲の支援者とともに一つのチームとして構成されている。具体的には,七つの立場に分かれている。 @ トレーナー(Trainer) 各チームの動向を注視し,ミーティングへの出席,ファシリテーターへの支援及びスキルアップのためのトレーニング等を行う。現在は1名(シェア)。3期目からは増加。 A 見習いファシリテーター(Trainee Facilitator) サービス提供事業者に所属する職員の中から選出される。毎週8時間をこのモデルのために費やすとの合意を事前にHCSCCとの間で取り交わしており,ファシリテーターとして活動する際には同事業者からは独立して活動する。本人の意思決定には直接関わらないものの,定期ミーティングの参加者を集めたり,各人の発言を促したりする役。チームごとに1名。 B 意思決定者(Decision Maker,DM) 障害を持つ本人。チームの最終的な意思決定者であり,自らの意思を表明する役割を担う。 C サポーター(Chosen Supporters) 本人が選んだ,無償で本人に寄り添い,本人の意思決定を支援する人(本人の近しい友人,特に親しい家族など。近しい人がいない場合には,ボランティアなどが対応)。チームごとに1,2名で構成。 D 非公式ネットワークに属する人(Informal Networks) 友人,家族,ボランティアなど,本人の周囲に存在する人で,本モデルのルールに沿って本人の意思決定支援を行うことについて賛同している人。 E サービス提供事業者(Service Provider) サポートワーカー(いわゆるヘルパー)など,サービスを本人に提供する側の職員で,本人の生活向上に寄与する立場の人。現在のサービスを提供している者に限らず,新たなサービスを提供し得る者も含む。 F 地域社会の人(Community Connections) 本人が属する地域社会の構成員で,意思決定支援を行うことについて賛同している人(例えば,図書館職員,ジムトレーナー,不動産業者,旅行業者,自治会メンバーなど)。最初は少ないが,ミーティングを重ね,本人の行動範囲が広がるとその分,増加していく。ミーティングごとにメンバーが入れ替わることも多い。 ※コアメンバーは@〜C。D〜Fは「その他のチームメンバー」と呼称されることもある。 【左図】 トレーナーのシェア氏を基点として,今期は12名のファシリテーター(内部サポーターを含む)を育成中。第3期はトレーナーが3名に増加し,合計21名のファシリテーターを育成予定。 【右図】 チームモデルであり,常にメンバーが17名いるわけではない(1ミーティングあたり平均5〜7名出席)。 (2) 本モデルにおける日常的な意思決定支援の方法 このモデルは,@トレーナー・見習いファシリテーターによる意思決定者(本人)のリクルート,A本人が意思決定したいと考える内容に基づく合意書面の作成(ここまでで2,3か月程度),B本人のための意思決定支援チームの組立て及び合意から原則6か月の短期介入による意思決定支援,C介入終了(トレーナー・見習いファシリテーターの脱退)及びサポーター及び他のチームメンバーによる支援継続という一連の過程を辿る。 Aについて,意思決定者は見習いファシリテーター,サポーターとの間で,自身が意思決定支援をしてほしいと考える内容(例えば住居,医療・福祉ケア,趣味,お金の使い方,交友関係等。ただし,違法行為は除く。)や,その支援の提供方法(例えば,特定のコミュニケーション方法を使う,それぞれのメリット・デメリットを分かりやすく説明する等)について「合意書」を取り交わす(法的拘束力はなく,本人,支援者側どちらからでも,いつでも合意を取り消すことができる。)。 Bについて,上記合意に基づき,ファシリテーターが本人の意向に基づきチームメンバーを確保していくことにより,徐々にメンバーが意思決定者の周りに構築されていく。チームメンバーは,本人の意思決定を支援し,本人の希望を適える手助けをするためだけに存在する。したがって,SDMモデルにおいては,ベスト・インタレスト(サウスオーストラリアの場合,この用語は一般的に,客観的に第三者の目から見て本人にとって最善と思われる決断,という意味で使用される。)に基づく説得行為や代行決定は許容されない。 ファシリテーターが主宰する1週間又は2週間ごとの定期ミーティング(1時間から2時間程度)を軸にチームは動いていく。ミーティングの流れとしては,a)障害者権利条約の理念に即したグラウンドルール(本モデルにおける各メンバーの役割)の確認,b)合意書に記載された事項に関する履行状況の確認と協議,c)本日のまとめ・次回ミーティング予定・ミーティング間の各自のタスクの確認,d)トレーナーによる見習いファシリテーターのレビュー(振り返り)という順に進んでいく。b)ミーティング内容について具体的に述べると,合意書作成の段階での本人の希望は,一般的にやや抽象的なもの(例えば,新しい場所に転居したい,人との付き合い方を学びたい,お金の管理ができるようになりたい,海外旅行がしたい等)も多いため,会議の中でそれぞれ細かく議論されていく。例えば,転居したいと話すAさんに対しては,「どのような場所に住みたい?」,「どんな家に住みたい?部屋の構成はどんな感じ?」,「誰と一緒に住みたい?」といったようにAさんの希望する転居内容を探っていく。ミーティングで得られたAさんの気持ちや意向を踏まえて,次回のミーティングまでにAさんを含むメンバー各自がやることを確認する(新しいメンバーの勧誘(不動産業者に出席してもらう,ボランティアメンバーに参加してもらう,金銭管理のスキルアップのためのセミナーに参加する等。)。さらに,d)レビューでは,ミーティング後,トレーナーと見習いファシリテーターが部屋に残り,席の配置の仕方,ミーティングの進行方法,質問の仕方,本人の変化などについて30分程度振り返り,ファシリテーターとしての能力を高めていく。このほか,毎月1回,コミュニティ・プラクティス(実践報告会)というイベントも用意されている。 (3) SDMプロジェクトの成果 原則半年間という短時間の介入にも関わらず,「意思決定者」本人,及びその生活に大きな変化が見られるようになっている。多くのケースで,これまで長年福祉サービスに依存し,最初はうつむいてまったく話そうともしなかった本人が,チームとの信頼関係の構築及び小さな意思決定の積み重ねの結果として自信を取り戻し,ミーティングを重ねる度に発言が増え,自分の意思を表明していく,そしてより大きな意思決定をすることができるようになっていく,という経過を辿る。 第2期のSDMプログラムに参加している意思決定者は,主に軽・中程度の知的障がい者が多い。もっとも,中には双極性障害,脳機能障害を複合的に持っていたり,過去に他者に対する傷害・暴行行為を行った経歴を持っていたりと,日本ではいわゆる困難ケースとされる人々や,障害の程度が重く,従来は「自分で意思決定できない人(代行決定が必要な人)」と判断され得る人たちも参加している。 いずれのケースにしても,本モデルに基づく意思決定支援が提供された結果,彼自身の人生が好転した,自信がついて発言も多くなった,彼自身が様々な意思決定のための前提となるスキルを身につけた,いわゆる問題行動が見られなくなった,以前の彼・彼女とはまるで別人のように明るくなったなどの肯定的な結果が多く見られる(中間評価報告書からの引用)。特に,意思決定者(本人)自身の満足度がとても高い。ある意思決定者は,「すべて自分のためにみんながいる(All About Me.)。」と答えている。皆が自分を「説得したり,責めたりするために」いるのではなく,自分の意思決定のためのチームとして存在しているということ,またミーティングごとに小さな意思決定を積み重ねることによって以前の自分ではできなかったことができていくという実感が,本人の自信や自己肯定感の向上につながっていくのではないかと考えられる。こうした満足感は,本人,支援者が,本モデルの過程において,「本人ができないこと(バリア)」に関心を向けるのではなく,「どうやったらそれを実現できるか。」という可能性を追求していることからこそ得られるものであろう。さらには,意思決定者だけではなく,チームに関わった支援者自身がその結果を目の当たりにすることによって,従来の「ベスト・インタレスト」から「本人の表出された希望」に基づく価値判断へと変化していくこともまたSDMモデルの特徴といえるだろう。 【左図】 ミーティングの様子(合意後3回目)。車椅子に座る女性が意思決定者。 【右図】 ミーティング後のレビュー。右がトレーナーのシェア氏,左が見習いファシリテーター。 3 意思決定者それぞれの旅(ストーリー)   SDMモデルにより支援を受けた人たち6人についての話を以下に報告する。その人たちが意思決定者(Decision Maker)に選ばれ,意思決定支援を受けて自ら意思決定していくようになる過程は旅(journey)に例えられている。SDMモデルによる支援は6か月程度で一応終わるが,その人たちが意思決定する生活は引き続き存在するので,今はまだ旅の途上にある。 それぞれの人のプロフィール,どのようにして意思決定者になったのか,ファシリテーターやサポーターはどのようにして選ばれたのか,支援に当たって困難であったことは何か,合意(agreement)はどのようにして,どのような内容が作られたか,支援により本人に現れた変化,SDMモデルによる支援結果の持続可能性はどう考えられるかなどについて,本人も交えてミーティングをしたので,その内容を報告する。このような項目が議論される理由は,SDMモデルに従った支援が行われているからであり,SDMモデルの内容は前記2のSDMモデル概要を参照されたい。 ※報告書中の意思決定者の名前については,ご本人の希望に応じて適宜変更している場合がある。 第1話 パットさんの旅の話〜サポーターの選定,後見命令とSDMモデル                       画:中村真由美弁護士 (1) パットさんについて 38歳男性でストラスモント・センターに住んでいる。強迫神経症的なところがあり,時々暴力的になる。2004年にハウスメイトを殺害した。裁判で責任能力がないということになり,裁判所から行動制限の命令(例えば,外出時には職員が同行なしに1人では出られない,薬をきちんと飲む,保釈審議会に定期的に報告する,24時間1対1対応をするなど)が出された。後見命令も出ており,兄弟のトニーさんとマリオさんが後見人になっている。 パットさんは楽しいことが好きで,ユーモアのセンスがあり,音楽が好きで,手作業が好き。 多くの人にとっては危険人物と思われているが,ファシリテーターのアンドリューさんは,パットさんは罪の意識と汚名を自分でも感じながら生きていると思っている。パットさんと地域社会との関わりは限られている。 アンドリューさんは,パットさんとはいい関係を保っているが,何度も攻撃され,首を絞められそうになったこともある。 (2) 意思決定者(DM)の募集 6人の候補者がいて,うち5人は去って行った。 募集過程においては,一人一人と彼らの選んだトピックについて話し,彼らの生活についての質問をした。 ある女性は双極性障害があり,ファシリテーターに対し性的に接近してくることがあったので断った。別の男性は興味を示したが,会議中に暴力的になって,部屋から出て行けと言われてしまった。ある男性は最近目が見えなくなったこともあり,暴力的な行動や自傷行為が続いていた。もう1人の男性は(SDMよりも)時計に異常に興味があり,最終的には参加しないことになった。ある男性は飛行機やロボットに非常に関心があり,ミーティングがまったく進まなかった。 様々な経緯から,最終的にパットさんが意思決定者に選ばれた。 (3) ファシリテーター ファシリテーターはアンドリューさん。ディスアビリティ・アクティビティ(障がい者支援施設の名前)で働き,ストラスモントでも働いたことがある。大学の勉強中に働き始めたが,卒業後,学位を取得して障がい者のための仕事をしたいと考えた。職場では利用者から暴行を受けて肋骨を折ったり,プライベートでは家族が亡くなったりして,一時期は彼自身が大変な状態だったが,同棲相手や同僚に助けられて,なんとかやってきている。 (4) サポーターの選定 パットさんの自宅で何度も会い,毎日の生活のこと,家族のこと,どんなことに興味があるのか話した。最初,パットさんはアンドリューさんたちのことを疑いの目で見ていた。しかし会う度に疑いは減っていき,何週間か続けた後,彼の生活について話をするために定期的に会えないかと話をした。 ミーティングに誰に来て欲しいか聞いたところ,二人の兄弟と父と母に来て欲しいと言った。 1回目のミーティングに兄弟のマリオさんが来た。マリオさんも疑いを持っていたが,やってみることに決まった。もう1人の兄弟トニーさんは出る気がない,とマリオさんが話した。両親は,健康状態が良くないので出席できないということだった。 (5) 困難であったこと パットさんには後見命令が出ていた。オーストラリアは,成年後見制度により,財産管理命令(パブリックトラスティなどが管理人になる),後見命令(生活・医療関係の代理・代行)が出されると後見人が選任される。成年後見制度はSDMに優先するとされているので,できることが限られていた(成年後見制度で後見人の権限とされていることについて,SDMの合意書は作成できない。SDMの支援により本人が意思決定できるようになり,後見命令を取り消してもらう申立てをする活動をすることになる。)。 (6) 合意(agreement)について 裁判命令もあり,後見命令もあるので,できることは限られており,生活様式の面に限られる。毎日のアクティビティの面だけになる。 彼は人を喜ばせることが好きなので,当初,関係者は,彼が理解していなくても合意してしまうのではないかと心配していた。傾向として,彼がしたくもないのに合意するということがあって,あとで嫌だと言うこともあるので,したいと言うことがあれば,「本当に参加するのか,実施するのか」を確かめなければならない。彼の決断についてしっかり理解しなければならない。 数か月かけて,彼のやりたいことのリストを作ることが出来た。 (合意内容) ・新しいことをはじめる ・手作業をする ・新しいビデオゲームをする ・映画を見る ・図書館の会員になる ・写真をアップデートする ・イタリア料理をする ・ダンスなどのグループに入る ・水泳をする (合意内容実現に向けた取組)  ファシリテーターとしては,毎回ミーティングに新しい人を呼ぶことを目標にした。また,パットさんのゴール目標や合意書に合うような地域社会のサービスやグループを探した。  ミーティングに来てくれる人を探すのは難しかった。彼と話をするのは構わないけれど,実際にミーティングに来るのは難しいという人が多かった。スタッフにパットさんの参加する活動を探してほしかったが,中々やってもらえなかった。  元々は,施設側が提供していたアクティビティの長文リストがあったが,そのほとんどは行きたくないとパットさんは表明した。  現在は,彼の本当にやりたいと思っていたアクティビティに参加していて,やる気があるようだ。 (7) パットさんの変化 パットさんに現れた効果はめざましいものがある。 幸せな気持ちを感じることが多くなり,外交的になった。心配もずいぶん減った。対処能力も身についた。暴力や身の危険を感じることはなくなった。家族,特にマリオさんとのつながりが回復した。父,母のところにも行き,家族のイベントにも参加するようになった。 新しいカメラを買い,家族との写真を撮った。長い間家族と会っていなかったので,アルバムの家族写真は更新されていなかったが,この機会に更新することができた。 メンズシェッドという作業場にも毎週顔を出している。ハリーさんという人といい関係を築いている。彼に道具の使い方を教えてもらって色々と作っている。 図書館にも入会して雑誌や本を借りている。 買い物リストを作ったりして料理はスタッフの手助けは最小限にして自分でしている。 家事にもさらに参加するようになった。プールや映画にも行っている。iPadを持っているので,写真や動画を撮ったりゲームをしたりしている。 マリオさんは,自分の兄弟が変わっていくのにびっくりしており,パットさんが作業場で作った作品などを見て驚いていた。一方,もう一人の兄弟であるトニーさんとの関係はほんのわずかしか改善されていない。 (8) 持続可能性 今のところ,SDMはライフスタイルに関する決断に限られているが,別の面について決断ができるかが試されることになる。 アンドリューさんの考えでは,ディスアビリティ・アクティビティ側はパットさんが自分で決めることを嫌々見ていたようであり,今後,彼に別の分野の決定について決断させてくれるかどうか分からない点が課題だろうとのことである。 第2話 ミックさんの旅の話〜サポーターの選定,多くの合意内容 (1) ミックさんについて ミックさんは31歳のエネルギーとアイディアにあふれた男性。軽度の知的障害,境界性人格障害,愛着障害がある。 生まれた時はデュークという名前であったが,今はミックと呼んでほしいと言っている。友達を作るのは得意だが,それが長続きするのが難しい。色々なことをしたがる。普通の男性がすることをしたがる。自分自身が主人公になった話をすることがある。 1992年に家族との問題でストラスモントの施設に入り,10年間居住していた。居住環境が彼のニーズに合わなかったので,色々な経過があり刑務所に入ることになった。 刑務所から出た後,事情があってストラスモントに戻れず,エマージェンシーハウス(緊急施設=政府の公的な借家)に入り,今もそこで暮らしている。 1回目に引き続き,2回目もSDMに参加している。 (2) 意思決定者(DM)の募集   1期目に引き続いての参加者。 (3) ファシリテーター ファシリテーターはディアンさんとジャックさん。 ディアンさんはストラスモント職員で障がい者部門の地域移行チームで働いている。SDMでは第1期が見習いファシリテーター,第2期はファシリテーター兼見習いファシリテーターの内部サポーターとして活動。SDMプロジェクトを通して自分自身の価値に目覚め,障がい者の人についてどう信じるかということを学んだとのことである。 (4) サポーターの選定 ミックさんは,最初,10年来知り合いのジョージさんをサポーターに選んだ。ジョージさんはアデレードヒルに不動産を持っていて,ユースホステルのような施設を持っている。ミックさんはジョージさんのために働いていて,色々な手間仕事,例えば庭仕事やペンキ塗り,修繕などをしていた。 1回目のミーティングにジョージさんは来たが,ミックさんはその次には母親をサポーターにするということに気持ちが変わった。そのため,1回目の後,ジョージさんが降りた。 2回目のミーティングに母親やいとこが参加した。ミーティングの中で母を後見人とする後見命令が出ていたことが分かった。母親は,病気がちでもあり,かつ,後見命令についてもよく知らなかったため,降りてしまった。 次に,いとこのカレンさんがサポーターになった。カレンさんは3回目のミーティングに来た。SDMのことはあまり知らなかったのでOPA(権利擁護庁)に話を聞いたところ,後見命令の出ている人について合意書を作らなければならないことを知った。それでカレンさんも降りた。 ジョージさん,家族が次々に降りてしまったが,ミックさんが新しいガールフレンドのマンディーさんと出会ったということが分かった。しかし,マンディーさんがミーティングに来てみると,彼女はガールフレンドではなく,年齢もミックさんの倍くらいあることが分かった。 ジャックさんとシェアさんは,この時点で彼のサポーターを紹介することを考えた。ストラスモント・センターのボランティア部門に行って,ジャックさんがサポーターを見つけてきた。チャールズさんであった。 もっとも,その後,サポーターであったチャールズさんが海外に行くことになったため,最初にサポーターだったジョージさんにまた来てもらうということになった。ジョージさんとは10年間の長い関係がある。ただ,倫理的な問題,つまり雇用関係があったのでサポーターになることには問題があったが,これまでの2人の10年も続いた関係を大事にすることにしてサポーターになることが認められた。 最後のミーティングにはジョージさんもチャールズさんも参加して,新しいチームが出来そうである。 チームでは,チャールズさんは読み書きを教え,ミックさんはジョージさんのために手間仕事をしていた。 (5) 困難であったこと @ サポーターを選ぶのに紆余曲折があり,合意書を成し遂げるためのチーム構成が不安定であった。 A 合意書の内容を進めていく上で非常に高いハードルがあった。それは無犯罪証明書(Police Check)の取得である。ミックさんがボランティアをするにしても,この証明書がないと相手にしてもらえない。 (6) 合意内容(agreement)について ミックさんが色々な夢を見る人なので,合意書は色々な希望を盛り込んだものになった。居住環境,健康,技術教育,財政すべてが盛り込まれた。動物愛護協会のボランティアにもなりたいと言った。 合意はできたが,どういうチームを構成するか,シェアさんとも協議したが紆余曲折を経た。合意書には色々なことが盛り込まれていたので,どれに焦点を当てていくかを考えることが重要であった。ミーティングは,ミックさんの家やコミュニティカレッジ,学校で開催した。 (合意事項について成し遂げたこと) ・煉瓦工のコースに登録した。  ・ホワイト・カード(建築関係で働くことができる登録)を得た。 ・ジムに行ったり,フットボールクラブに行ったり,転居準備をしたりした。 ・サポーターであるチャールズさんに読み書きを習った。 (7) ミックさんの変化 SDMプロジェクトに入ってから警察の世話になることがない。 ミックさんは明るい未来を持っていると思う。複雑な個性を持っているが,彼が手にすることのできるすべての機会を利用して,未来を切り開いていく可能性があると思う。 (8) 持続可能性 一つは,人間関係でジョージさんやチャールズさんとの関係をどうやって持続していくかということである。もう一つの重要な課題は,警察からの証明書入手の問題である。これを手に入れることは非常に重要である。 ミックさんの周りに,お金を払っているのではない人(ボランティア)がいることが大切。 最初の合意書はあまりに多岐にわたっているので,新しい現実的な焦点を絞ったものに作り替える必要がある。 第3話 マイケルさんの旅の話〜サポーターのミーティングへの参加確保 (1) マイケルさんについて 37歳,男性,知的障害と精神疾患,てんかん,脳機能障害がある。理解が難しいところもあるが,口頭でのコミュニケーションは可能である。何かするときに遅かったり,1回ではできず繰り返しする必要があったりする。彼は寂しがり屋で仕事もないため,頻繁にエリアマネジャーやスタッフ,リズさんに電話をかけてくる。 SDM以前は色々な問題行動(例えば,人々を怖がらせたり,うつ状態となり自傷行為を起こしたりするなど)を起こしていた。2年前,彼が激怒した際,他の入居者を危うく死に至らしめるほどの暴行行為を行った。 一人暮らしで,1日6時間介護を受けていた(身の周りの世話や買い物や銀行へ行く付き添い)。介護費用は,1週間に3200オーストラリアドル(約30万円)かかる。 財産管理命令(管理人はパブリックトラスティー)と後見命令(手術の必要があった)が出ている。 (2) 意思決定者(DM)の募集 面接をして6人の中から選んだ。候補者の中には,自宅でミーティングすることがすごく怖い,絶対に嫌ということで断った人もいる。 最終的には,マイケルさんが積極的だったので選ばれた。 (3) ファシリテーター ファシリテーターはリズさん。 看護師の資格を持っていて,ストラスモントで障がい者の支援事業に関わっている。 (4) サポーターの選定 マイケルさんは,母がサポーターになってほしいと言ったが,母は乗り気ではなかった。次に,マイケルさんの友達で障害がある夫婦がいた。サポーターへの就任を打診した。1回ミーティングに参加したが,自分たちの子どもに時間を使いたいということで,結局サポーターにならなかった。教会の牧師に1回ミーティングに来てもらったが,ほかの仕事が忙しくてサポーターにならなかった。 最終的には,マイケルさんの友達でフランクさんという福祉関係で知り合った公務員がサポーターになり,すべてのミーティングに参加している。 マイケルさんは里親夫婦にもサポーターになってもらうことを希望した。里親は高齢の夫婦で,健康状態も良くなかったので,無理ということになったが,後にSDMに協力することになり,2人とも最近はミーティングに毎回出席し,チームの一員になっている。 このほかに,元のサポートワーカーが2人サポーターになった。ミーティングには2回参加しただけである。 (5) 困難であったこと 困難の一つは,定期的なミーティングに人々を参加させることであった。 ミーティングは,原則として毎週何曜日の何時と決まっている。友達の2人は時間が早すぎると言ったので遅い時間に設定したが,その2人は結局来なかった。 何とか克服できたのは,ネットワークがあったからだ。車の運転を習いたいと言ったとき,シェアさんから知り合いを紹介され,ネットワークの重要性を感じた。 (6) 合意(agreement)について 日付は今年の1月21日。 マイケルさんとシェアさんとリズさんと2人の元サポートワーカーとフランクさんで作った。 達成した部分もマイケルさんが変更した部分もたくさんある。 最終的に合意が出来て,サインするときに,マイケルさんはネクタイを締めてスーツを着て,礼装で来た。人に見せることのできる形の文書が出来上がることが,彼にとって大切であり,自信の源だったと思う。 (合意内容) 家を引っ越す(三つのベッドルーム,里親の近く,バスルームは二つが望ましい,前にも裏にも庭があるところ<理由は,犬を飼いたい>,大きな歩行器が使える大きな部屋と大きなドアがあること,新しい家,家の中にオフィスがあってほしくない。)。 (7) マイケルさんの変化 プロジェクトを通じてマイケルさんが自信をつけてきており,安定している,周りのことを理解してコントロールできていると里親が言っている。 (8) 持続可能性 フランクさんは友人であって,将来もサポートを続けてくれると思われる。 里親は,最初は乗り気でないようだったが,後半には前向きな発言をするようになった。 マイケルさんのチームは,フランクさんや2人の里親によって続くと思われる。 里親がマイケルさんの変化を見てきていることから,続けられると思われる。 第4話 ブロンティさんの旅の話〜結婚の話,後見命令とSDMモデル (1) ブロンティさんについて ブロンティさんは40歳のダウン症の男性。音楽が好きで,話す時に吃音になることはあるが,歌は普通に歌うことができる。 サポート付き住宅でほかの障がい者と一緒に生活し,包装をする作業所で週4日働いている。 姉妹2人が後見人。後見人による代理・代行の対象は,医療行為,金銭管理,居住に関することなど多岐にわたる。 (2) 意思決定者(DM)の募集 仕事で関わっている約30人の障がい者のうち,SDMから一番利益を得る人は誰か,自分が上手く関係を持てるのは誰か等の観点から,12人と面接してブロンティさんをDMに選んだ。 面接したものの選考で外れてしまった11人について,後になって,彼らが次はいつ面接をするんだと言ってきた。面接自体が彼らにポジティブな影響を与えていると思った。 (3) ファシリテーター ファシリテーターはタンビアさん。ストラスモントで働いている公務員。8年間,障がい者に対するサポートケア(通院支援やアクティビティへの送迎手伝い)の仕事をしてきた。 (4) サポーター 最初にブロンティさんがした決断は,以前に関わっていた福祉関係者であるクリスティンさんをサポーターに選ぶことだった。姉妹であり,後見人であるコニーさんとオードリーさんは,「家族だから」という理由でサポーターには選ばなかった。 サポーターを選び,ファシリテーター,サポーターと週に1回ミーティングをすることにした。ミーティングの場所は毎回変えることにしたが,これはよかったとブロンティさんは考えている。 (5) 合意書(agreement)の作成 @ ブロンティさんは,週1回,アクティビティ(ボーリング)のときに30分程度会うペトラという女性と人生をともに歩むことを強く希望した。ペトラさんは,知的障害のある女性で,ブロンティさんとは違うホームで生活していた。何年も前から知り合いだったが,会う時間も少なく,周りにはスタッフもいるので,親しい関係ではまったくなかった。 ブロンティさんの希望に対し,周囲は大変驚いた。毎日ブロンティさんと会う人でも初めて聞く話だったからである。姉妹たちは結婚に同意しないだろうと思われた。 A ブロンティさんの希望を叶えるために,まず,ペトラさんをデートに誘うことをミーティングの場で検討した。ブロンティさんは,ミーティングでペトラさんの話をすることが楽しかったと言う。 ブロンティさんは,ペトラさんをランチに誘い,映画に行った。 B 次に,ブロンティさんがペトラさんにプロポーズすることを検討した。ミーティングでは,ファシリテーターやサポーターなど,参加者がそれぞれのプロポーズについての考えや経験を話した。 ブロンティさんは,婚約指輪を買い,ペトラさんにプロポーズした。ペトラさんは「イエス」と言い,ブロンティさんは幸せな気持ちになった。 C 婚約後,ブロンティさんは姉妹たちに電話で婚約の事実を知らせた。彼は,「姉妹も恋愛関係を持って,結婚して,子どもを持つことをしているのだから,自分も同じようにする権利がある」と主張した。姉妹たちの一人はブロンティさんの結婚を祝福し,もう一人は歓迎しなかった。 D 現在,ブロンティさんは,ペトラさんと結婚すること,今年の12月に結婚式を挙げること,新居で一緒に暮らすことを目指している。 結婚式のため,実際にホテルを下見したり,リムジンを見に行ったりした。 新居については,寝室が二つあるユニットで,ファミリールームやプールがあるといい,週に月曜から木曜まで仕事をしているので職場に近いところがいい,などの希望が表明された。住居について話をするため,エリアマネジャーに手紙を書き,希望が通るよう要望しているところである。 今後,人を助ける仕事をしたいので,食事宅配することを希望している。 (6) 困難と成果 @ 困難として,後見命令が出ていたことがある。 結婚自体は後見命令に含まれていないので自由にすることができるが,それにまつわる金銭管理や居住などは,後見命令がないとできない。 A ブロンティさんは,結婚の希望を持っていたが,SDMプロジェクトに参加して初めて希望を口にした。プロジェクトに参加しなければ,話をする機会はなかったと考えられる。 周囲は驚き,姉妹たちは一度は反対したが,ブロンティさん自身が,自分にも姉妹たちと同じように結婚する権利があると述べることができた点は大きな前進であると考えられる。SDMプロジェクトの中で最も大きな成果は,ブロンティさんが,自信と勇気を持つようになったことである。自分のしたいことを制約なく人に言うことができるようになった。 (7) 課題と持続可能性 @ 課題 ア 家族との関係,軋轢をどう克服するか。 イ ブロンティさんとペトラさんがもっと時間をかけて話し合ったり,デートをしたりすることができるか。 ウ サポーターが仕事の関係で午前中のミーティングに出られないので,ミーティングを夕方に開くなどの時間調整。 A 持続可能性 サポーターはやる気と能力がある人なので,今後は,書類をすべてサポーターに引き継ぎ,継続して意思決定者を支援してほしいと思っている。 第5話 マイケルさんの旅の話〜ビッグイシューNo1販売員,父親はビジネスパートナー (1) マイケルさんについて マイケルさんは,34歳の知的障害,学習障害があり,身体障害で車椅子利用の男性。一人暮らしをしているが,朝1時間,夕方3時間半自宅で介護を受け,夜間は宿泊スタッフがいる。SDMに参加する前,彼は怒りやすく,うつ気味で状況は悪化しつつあった。 以前は障がい者の作業所で働いていたが,現在は,シティでビッグイシューという雑誌を販売している。 (2) ファシリテーター ファシリテーターは,最初はマイケルという人だったが転居したため,デビーさんが引き継いだ。デビーさんはCaraに勤める開発エデュケーターである。看護師として,知的障がい者を対象とするNPOの施設で働いてきた。さらに,チャイルドケア開発のコースに入り,障害学の学位を取得した。また,高齢化と知的障害について大学院で学んだ。高齢化,障害の政府部門のCEOを経て,Caraで働くようになった。 デビーさんは引継ぎ前にも何回かミーティングに出ている。 (3) サポーター サポーターはマイケルさんの父親リチャードさんである。 リチャードさんは,マイケルさんの父親であり,かつサポーターでもあるということで,「私はいつも息子にとって一番良いことを考えて行動してきたつもりです。しかし,私の期待ではなく,彼にやらせてみようというふうに私の考えは変わって来ました。」「できるだけ情報を与えるようにしています。そうすればリスクは減ります。」と話していた。 (4) 合意内容について @ マイケルさんの希望は,当初の合意書では,まずアパートを他の人とシェアしたい,予備の寝室に誰か住んでほしい,その人はできれば仕事をしていて,たばこを吸わない,障害のない人であってほしいというものだった。 もっとも,その希望は後に変更された。マイケルさんは,インターネットでキャンドルを販売するビジネスのために,予備寝室をオフィスとして使うことにしたためである。インターネットで机を探し,購入しようとしたが,事情を話したら無料で手に入れることができた。 キャンドルビジネスのために,名刺を作り,会社番号を取り,材料の卸業者を決めた。また,マイクロエンタプライズという中小事業の支援団体に申込み,審査が通ったので,プロダクトマネジャーが派遣され,7月から事業を始める予定になっている。 事業準備は多忙を極めている。父親兼サポーターのリチャードさんは,「自分はマイケルのサポーターというよりも,ビジネスパートナーだ。」と話した。 A また,マイケルさんとしては,障がい者作業所で働いていたが,賃金が安いこと,頼みもしないのに委員会メンバーに決められてしまったことが不満だった。人に使われるのではなく,自分自身の仕事,自分がボスの仕事をしたいという希望があった。 そこで,(キャンドルビジネスの準備期間中に)ビッグイシューという雑誌を売る仕事を始めた。ミーティングに,既にビッグイシューの販売を始めていたスティーブさんに来てもらい,具体的に話をしてもらった。 現在では,マイケルさんは,1週間に1000ドルを稼ぐこともあるトップセラーになっている。マイケルさんによれば,売上げの秘訣は,「まず顧客を知ること。知り合いになり,リピーターになってもらい,繰り返し買ってもらうこと。」であるという。 マイケルさんは,「命令されてではなく,自主的に働くというのが良い点だ。」と話していた。 B そのほか,次のような希望が合意書にリストされ,実現に向けて行動した。 ・障害のない人と交流したいとの希望について,オーストラリアン・フットボールチームのサポーターになった。 ・健康の問題,例えば食べ物を電子レンジに入れるのが難しいとか,運動を毎日するのができないということについて,トレーナーにミーティングに来てもらい,相談した。通常訪問でのトレーニングはしないが,理学療法士が,マイケルさんの自宅を訪問して指導してくれることになった。 ・休日における旅行(インディペンデントホリデー)の希望について,既に経験があり,類似の障害を持つヘザーさんをミーティングに呼んだ。 ・公共交通機関を利用したいが,困難があったので,ヘザーさんが政治家に手紙を書き,ミーティングに呼んだ。交通担当大臣がフォーラムを開き,マイケルさんやヘザーさんの話を聞く機会を設けることになった。 ・自分で金銭管理をしたいという希望があった。現在は,キャンドルビジネスのための普通口座と事業用口座,センター名義とビッグイシュー関係で2口座ずつ,計6口座を管理している。 第6話 ダイアナさんの旅の話〜スコットランドに行きたいという希望の真意 (1) ダイアナさんについて ダイアナさんは,知的障害があり,車椅子を利用している女性である。 7年間Caraのグループホームで生活している。 SDM第1期に彼女のハウスメイトが意思決定者となり,生活が変わっていったのを目の当たりにして,第2期に意思決定者としての参加を希望した。 (2) ファシリテーター ファシリテーターはジョアンさん。障がい者支援を30年にわたり行っており,Caraのチームリーダーになっている。SDMプログラムには第1期からチームメンバーの一員として関わってきたが,第2期からは自分がファシリテーターとなって活動することを希望した。 (3) サポーター 友人のカレンさんがサポーターである。家族がチームに入るのをダイアナさんは望まなかったので,家族はプログラムに参加していない。 (4) 合意書の作成 @ ダイアナさんは,スコットランドに行くという希望を表明した。 当初,周囲はスコットランド旅行に行くという希望だと受け取り,合意書を作成した。 しかし,実は20年前にスコットランドを旅行している時に出会った恋人のロジャーさんを探したいということだった。ダイアナさんの記憶は障害の影響もあり,曖昧だったが,赤十字を通じて人捜しをした。 赤十字は,紛争中の人捜しをすることはあっても,今回のような人捜しは通常行わない。しかし,例外的に協力してもらえることになり,オーストラリア赤十字からイギリス赤十字を通じ,この人ではないかという人を特定したという連絡が最近あった。 A もう一つの希望は,ニュージーランドに旅行に行くことだった。 当初,ダイアナさんの家族は,タスマニアに行くことを提案し,一旦は家族の意向に従ってダイアナさんもそれに同調した。しかし,サポーターのカレンさんから「本当にあなたはタスマニアに行きたいの?」と聞かれ,改めて自分がどうしたいのかを検討した。その結果,「タスマニアは私には寒すぎる」と思い至り,ニュージーランドに行くことに決めた。 ニュージーランドには,クルーズで行きたいということだった。 そこでまず,本人と介護者2人が泊まる部屋の広さは十分か,できれば車椅子で行けるバルコニーのある部屋が良い,などを含め,障がい者がクルーズに参加できるか調査した。旅行代理店と話をした。 旅行代理店は非常に前向きで,ミーティングに来て,写真やスライドを見せてくれたほか,具体的にニュージーランドのどこに行くのか,各停泊地のオプション旅行に車椅子で参加できるかなどを旅行会社に問い合わせてくれた。さらに,旅行代理店が1か月に1回チャリティーをして,寄付金を集めてダイアナさんのクルーズの資金援助もしてくれることになった。 B ハープの演奏を聴きたいという希望もあった。 調べてみると,ちょうどコンサートが開かれてしまったところで,間に合わなかった。 知り合いでハープを弾ける人に話をしてみたが,車椅子利用者が演奏を聴くことに否定的だった。しかし,この報告を今回のファイナルワークショップでしたところ,参加者から,ハープ演奏者について心当たりがあるという話が出た。 (5) 困難と成果 @ 赤十字や旅行代理店など,パートナーシップにより協力してもらい,関係を広げていくことができた。 また,旅行代理店や旅行会社が,積極的にダイアナさんがクルーズ旅行に行けるよう支援したことによって,今後,他の障がい者や車椅子利用者が旅行に行く道が開ける可能性もある。 A ダイアナさんは元々非常に従順で,文句を言わず,何でも受け入れるという態度だった。それが自分の考えを言って,積極的な態度になった。サポーターのカレンさんは,以前は「私にはできない」,「お金がかかりすぎる」,「家族はきっと反対する」などと言っていた人(ダイアナさん)が自分の可能性を認めることになったことを体験し,自身にとっても有益だったと話した。 (6) 持続可能性 持続可能性について心配はしていない。チームの中心メンバーは,ダイアナさんの希望をよく分かっている。ファシリテーターがミーティングに参加できなくても,このグループは他の人が中心にミーティングを開き,ダイアナさんの表明された希望を聞き,実現のために努力していくことには疑問がない。 ダイアナさんとサポーターのカレンさんは2人ともSDMに参加して自信が付いた。こういう自信が付いたことで,2人はスタッフに対してより信頼を寄せ,またスタッフも2人と関わることをより楽しめるようになった。2人が自分の人生の色々なことを自分で決め,表明された意思をスタッフが居住環境の中で実現することを手助けしていくことになる。 4 ストラスモント・センター訪問  (1) ストラスモント・センターの歴史 @ ストラスモント・センターには20年前には600名の知的障がい者が暮らしていた。現在は20名しかおらず,しかも今回の訪問の2,3か月後には全員が引っ越す手配をしてる。なお,アデレードでは施設を廃止するというのが20年来の方針である。 A オープン時は軍隊モデル ストラスモント・センターは1971年にオープンした。政府にとっては一大プロジェクトであった。この施設が開設されるまで,知的障がい者と精神障がい者は一緒に暮らしていたが,当事者の声は失われていた。そのため,1960年代後半,障がい児を持つ親たちが政府に対して,施設の設立を求めた結果であり,ストラスモント親の会を作って,関与をしている人もいる。   オープン時は,軍隊モデルに基づいてストラスモント・センターは設立された。医療監督者と看護師がいて,訓練を受けていないホームアシスタントと呼ばれる人たちがいた。ホームアシスタントは母親的な特色を持つ立場だったが,母親というのは,人が発達することを助けるわけではなく,「これをしなさい」と指示を出す。コントロールと健康面に関心があり,遵守すべきことはたくさんあり,サポート計画の対象は健康面だけだった。マズローの三角モデル(心理学者アブラハム・マズローが提唱した欲求5段階説)の2段目の健康と安全しか充たすことはできなかった。 B 障がい者は大人数の施設にいると個人の人生が失われる 80年代に革命が起き始めた。西オーストラリアからやって来たガイ・ハミルトンが,ノーマライゼーションの考えに基づき,他の人が地域で暮らしているのと同じような生活を障がい者もすることができるとして,私たちに変化を求めた。しかし,彼はその当時人気がなく,我々も変化の必要性を感じられなかった。多くの専門家が何かよい方法を議論しているようだった。その後,新しいモデルとして,看護師を中心としたサポートから,デベロップメント・エディター(Developmental Educator=DE)を中心としたサポートに切り替えた。もっとも,DEには看護師も多くいたが,その看護師たちは,後に,大学で勉強することになった。その結果,DEは充実していった。私たち3人(ピーター,デビ,シェア)はそういうところの出身である。そして同時に分かってきたことは,障がい者は,大人数の施設にいると,個人の人生が失われるということだ。この当時,ストラスモント・センターに入所していた障がい者30人ほどが,3,4名規模の支援付き住居に移った。 ストラスモント・センターのシニアマネジャーが,同センターの閉鎖や脱施設化について,家族を対象とした大きなミーティングを開催した。しかし,当事者の親たちは,その当時,家族にどんな影響があるか大変心配しており,同センターの閉鎖や脱施設化に反対する親たちが,ほかの親や影響力の強い団体にも影響を及ぼし,私たちの仕事が大変妨げられてしまった。個別アプローチの有用性を学び,それ以降,より良いサービスを受けるように移動させるときは,本人や家族に話すようになった。 その後,新しい一般サービスの計画を立て,計画のゴールを,生活の中の9つの面,例えば金銭面,家族,職業,所有などにした。目標,ゴールを設定することで,色々なことが可能になるが,このサービスは,その人に合わせたサービスではなく,サービスにその人を合わせたものになってしまった。そのスタイルで続けていたものの,リスク管理には良かったかもしれないが,結局,個人の要望を充たすことはできなかった。 その後,ライフスタイルプランニングという方法を使うことになった。障がい者とサポーターがミーティングに参加して,ゴールを同意して設定する。しかし,率直に意見を言う人がいない限り,彼らの声はやはり失われたままだった。 C 「ために」しようではなく,「ともに」しようへ 90年代から,入所者を一般住宅に移動させることが多くなってきた。500名くらいが地域社会で暮らすことになり,一般的に3人から5人で一軒に共同生活をしている。1人で暮らしている人もいる。もっとも,ここまで来ても,本人達の声は十分に発せられていないということが分かった。 そこで,アクティブサポートモデルという訓練プログラムを始めた。このモデルのキャッチフレーズは,「ために」しようではなく,「ともに」しよう,「一緒に」しよう(Do with, not for)ということである。サポートワーカーは,彼らができるだけ自分の人生を歩めるように,自分の生活を自分でコントロールできるように支援しようとしている。Choice(選択)というのがこのモデルの特徴である。しかしながら,このモデルでは,きちんとした訓練なしに,また確固たる見解もなしに行ってきたため,成功は限られてしまった。 D SDMプロジェクトの開始 現在,ストラスモント・センターでは新しいモデルを用いている。今回は資金が沢山出ている。施設で暮らす人のための助成金が多く出ている。 「一度について一人だけ」という個別プランを重視した支援をしている。遅すぎるのではないかという批判もあるが,個人として一人一人のニーズに目を配るというのが信条である。「一度について一人だけ」という個別プランニングをして,色々と話をして,望みを探るが,障がい者が何を一番望んでいるか分かったときには,大変恐ろしくなった。どうやって良いのか分からなかったからだ。リスクマネジメントの面でも,大変心配になった。しかし,その希望を叶えるために献身的にやり,前進したと思っている。 当時,大変恵まれたことに,シェアさんからSDMの話があった。途中,シェアさんから難題を突きつけられて,軋轢が生じたこともあった。施設で20年以上も暮らしていた人たちがいたので,一人暮らしを決断するのは難しかった。個別の住宅に移っている人たちもいて,上手く生活をしていて,期待を遥かに超える人もいるのだが,一方,その人たちは潜在的な可能性を秘めていたが,実現していなかった。「一度について一人だけ」プロジェクトとSDMプロジェクトの目指すところが一致した。いまだ,20人がストラスモント・センターに暮らしているので,この人たちに対処するために,SDMの協力を期待している。 SDMは関わっている当事者以外にも利益がある。私たちも耳を傾けるということを学んでいる。当事者を真ん中に置き,その人が自分の人生をコントロールすること,私たちは彼らを所有しているのではないということ,その人たち自身が人生を持っていて,リスクをも引き受けること,私たちの仕事はコントロールすることではなく,側に立って見守ることだということなどだ。 良い例として,ストラスモント・センターに15年間生活をしていた若い女性のエピソードがある。1年ほど,彼女は一人暮らしをしているが,6か月ほど前に私のところに来た。大変個性の強い性格の持ち主だが,それでも私のところに来て,「旅行に行って良いか。」と許可を求めてきた。施設にいると,そういう自分で決める力というものが失われてしまう。私は,安全ではないので,「NO」と言いそうになった。しかし,私も変わらなければならないと思い,「リスクがあることは分かっていますが,あなた次第だ。」と言った。「もしトラブルに巻き込まれたり,まずいことになったらどうするの?クインズランド州に行ってしまっても,私たちはここにいるのだよ。」と言った。彼女は,「毎日電話をする。お金は十分にある。」と言った。「すべてついているホテルに泊まる。お金も沢山持って行く。ホテルの金庫に一部のお金は入れておく。」とも。すべて彼女が計画を立てた。そんな彼女に対して,私たちは15年間,「あれは駄目。これは駄目。」と言い続けてきた。 将来思い返すことになれば,私たちは批判的に自分たちを見ることになるだろう。それ自体は悪いことではなく,私たちも発展してきたことの証明だ。 (2) ストラスモント・センターの変化と今後について @ 限界への挑戦 私たちは,ストラスモント・センターにおいて,ステップごとに改善を心掛けてきた。60年代,知的障がい者と精神障がい者が一緒に暮らしていて,ストラスモント・センターができることで,天国になるのではないかと思い,その時の期待は当たっていた。もっとも,私たちは常に限界に挑戦してきた。限界は変わって行く。限界に挑戦するために大切なのは,指導力だと思う。また,何に到達したいのかというビジョンも必要となる。そして,そのビジョンを達成するために,何が障害となっているのかを考え,改善することを信じて行わなければならない。 強い言葉を言えば,人々は「無知」だと思う。このSDMプログラムによって何が可能なのかを人々に見てもらわないといけない。チャンスを作らねばならない。それが一度達成されると,物事が達成されるスピードは速くなる。今いるところで満足してはいけない。もっと,することはたくさんある。 A すべての人は決断することができる ストラスモント・センターにおける戦いはほぼ終わったが,アデレードにはもう一つの二流の施設があり,入所者は数百人から80人まで減ったものの,今も医療モデルで運営している。医療モデルから権利に基づいたモデルに変更しているのだが,信じない人が沢山いるので,対立がある。医療ケアからライフモデルケアに半分くらい変えたが,問題の一つは,誰が決断を下すかということだ。看護師が,何が一番良いかを決めることが多いのだが,看護師たちは部屋に入って,骨折していればその足しか見ない,その人全体は見ないのだ。 そこで,私たちは,入所しているすべての人にプロファイルを作った。そして,大きな決断,小さな決断,それぞれ誰が決めるのかを決めた。これは,すべての人は決断を下すことができるという考えに基づいている。すべての人は意思決定ができるという推定に立った上で,その意思決定内容を特定して支援していくようにしている。それに向かって歩いている。 B サービスする方がコントロールすると本人の人生を盗むようなことになる 何年もかかって学んだことは,サービスする方がコントロールすると,本人の人生を盗むような結果になるということだ。サービスプロバイダーの立場から言うと,彼らに完璧な生活をして欲しいと思うのだが,間違いを起こしてはいけないとか,リスクがあってはいけないとか,サービスプロバイダーに不利なことがあってはいけないと考えることは,当事者にとって良い生活にはならない。普通の人でもそうだが,何かをするとリスクがあるのは当然のことであるし,そのおかげで人生は楽しくなるのだ。真にその人をサポートするためには,その人の希望に沿ったサービスを提供する必要がある。簡単なことではない。何かへまをすると,報告書を作成しなければならず,当事者に自分の人生をコントロールすることや,上手く行かないときには,それはそういうものだということも,ネグレクトにならない限度で教えなければならない。私たちは本人が何か失敗したりすると,大臣に申し開き(報告書の提出)をしなければならない。例えば,自転車から落ちたりするとそういうことになる。 当事者が希望することをサポートするということと,何かあるかもしれないというおそれとの対立,注意義務対リスクへの尊厳(Duty of care vs dignity of risk)ということになる。リスクアセスメントについては,当事者にリスクアセスメント上,難しいと話をしても,それでもやりたいという場面があるから難しいのだ。誰のリスクなのか,当事者のリスクか,サービス事業者のリスクなのか,ということを考えねばならない。 (3) 退所者の生活状況について〜本人中心のサポート ストラスモント・センターは20人がすべて退所することによって廃止されることになる。退所後は,重度障害を持っている人には,それぞれのコミュニティーにスタッフがおり,24時間支援付きの住宅に暮らしていており,サポートができる状態にある。一般住宅に住んでいる人の方が,健康状態が良いし,振る舞いに関する問題も減る。また,家族との関係も良くなる。ただ,一般住宅に住んでいても,地域との関わりがほとんどないという問題がある。一般住宅に住んでも,サポートしているのは有給のスタッフのため,地域との関わりや友人作りには協調していない。課題としては,地域との関わり,友人作り,人生のコントロールをさせるということだ。SDMはそれを改善するための一つの戦略である。地域に出た後に抑制的な生活をすることもあったが,本人中心(Person-centred)のサポートを行うようになってからは,変わりつつある。自分の選ぶ人生を送って欲しいのだ。まだ,旅は途中だ。地域から施設に戻りたいと希望する人は,一人もいない。ここでも一つのエピソードがある。複数の障害を持つ人たちが数百人生活していた施設を閉鎖したということで,マスコミがそれを取り上げたいと取材依頼がきた。ところが,みんな出て行ってしまっていたので,わざと退所の場面を作った。退所場面の撮影のために,話もできない重度障害の男性が施設に車椅子で連れてこられた。その時,ひどい恐怖の表情を浮かべていました。彼はまたその施設に戻されるのではないかと思ったようだ。彼に「撮影用だよ。」と話をしたら表情が和らいだ。このことに尽きる。 5 権利擁護庁訪問  (1) 権利擁護庁(Office of the Public Advocate,OPA)とは OPAは,サウスオーストラリア州で,判断能力のない人の権利を促進・保護するために設立された独立した行政機関である。OPAは,@情報提供と教育,A紛争解決,B調査,C最終手段としての後見人,Dアドボカシー(擁護)を行う。後見人を選任するのは,OPAとは独立した準司法機関の役割を持つ後見委員会(Guardianship Board)である。SDMプログラムはOPAから始められた。 (2) 障害者権利条約とSDMプロジェクトの関わり オーストラリアにおける戦略を決めるに当たり,障害者権利条約は重要な指針(ガイドライン)となっている。障害者権利条約は「障害とは肉体的,精神的障害だけではなく,環境や相互作用の中で生じる障壁(バリア)そのもの」と定義し,OPAで始めたSDMプロジェクトでは,障がい者は自分で意思決定できないという態度を改め,さらにはそのような状況に置かれた環境を克服することを重視している。さらに,障がい者とその人を取り巻く友達や家族,サービスで働く人々,広くは住民に対する教育,スキルを身につけるということも含まれている。一つの権利を実現するためにはすべての権利を実現することが必要である。誤りの一つは,決定権を奪うことでその人を守ることが出来ると考えることだ。人によっては,障害者権利条約第12条(Equal recognition before the law)を実際に実行したら,かえってその人が危険にさらされるのではないかと心配する人もいるが,私たちはそのようには考えない。第12条とともに第16条(Freedom from exploitation,violence and abuse),第5条(Equality and non-discrimination)も重要だ。「拘束行為」は,よく政府機関やサービス提供事業者が,その人の安全のために必要だというのだが,実際には拘束が罰として行われたことが往々にしてあった。欧州人権裁判所は,このような罰としての拘束行為は明確ではなく(not explicit),間接的なもの(implicit)であっても,罰として捉えるべきであると明確に言及した。SDMは人に対する尊厳,平等という考えに基づいて実行されているが,障がい者の被害(罰)を止めるための一つの大きな手段であると考えている。SDMプロジェクトの原則,つまり人間に対する尊厳と尊敬に基づいて実行される中で,障がい者を拘束するような実態はなくなっていくと思われる。 (3) 政策見直し(Review) @ 現在の後見制度は,イギリスにおける成年後見制度,精神保健法,「ノット・ギルティ」制度(障害があることにより有罪と見なされないという制度)等を初めとするパレンス・パトリエ(Parens patriae,国親思想)の思想に基づいて作られている。この現在の後見制度,精神保健法は,法制度の中に意思決定能力についてきちんと書かれておらず,意思決定支援についても含まれていないので,改革が必要である。改革の基礎には,人に対する尊厳があり,その考え方を表す言葉はパーソンフッド(Personhood)だ。 A オーストラリア全州,サウスオーストラリア州には政策をReview(見直し・再検討)する機関があり,後見制度のReviewを行っている。National decision making principles(オーストラリア全土における意思決定に関する原則)2014は,(ア)平等に意思決定に参加できる権利(The equal right to make decisions),(イ)支援を受ける機会を得る権利(Support),(ウ)自分の生活に影響する決定に対して意思決定支援を受ける権利(Will,preferences and rights),(エ)濫用防止のための安全策(Safeguards)について見直し提案を行い,オーストラリア立法措置改革委員会のレポートも提出されており,政府,司法大臣,法務省がどのように扱うか見守っているところだ。SDMにおける具体的安全策としては,意思決定支援に関する法律により,サポーターに対し支援に関する法的義務を新たに課すところ,サポーターが代行決定ではなく,本人の意思決定を支援する存在であることを明確にし,本人の意思決定が意思決定支援に基づくものかどうかを法律上認識できるようにすることが重要である。オーストラリアの意思決定に関するモデルは段階的(ステップ)モデルを採用しているので,代行意思決定は以前ほどされていないが,場合によっては必要であると考えられている。カナダやヨーロッパの一部では,後見制度を廃止して,SDMだけをやれば良いという考え方もあるが,まったく意識のない人,全く意思決定が出来ない人はどうすればよいかという問題があるので,後見制度を全く廃止することは出来ないと考えており,ステップモデルでやっていくところである。SDMプログラムでは,サポーターの教育,養成を通じて,代行決定を減らしていく。代行決定は,権利を奪うことなので良いことではないのだ。しかし必要なこともある。法制度改革委員会では,意思決定支援(意思,好み,生活)に関するガイドライン,代行決定に関するガイドラインを出している。 (4) 段階的(ステップ)モデル(Stepped model)について @ 意思決定の段階 (モデルの図@) 自律が高ければ自分で決められるので外部介入は少なく,自律的意思決定(Autonomous Decision Making)ができる。しかし,自律度が最低・ゼロに近ければ外部からの介入が最大になっていき,最終的には代行決定となる(Substitute Decision Making)。その中間的に二つの段階があり,意思決定に際して助言・サポートするという一般的な支援者側の義務,合理的な配慮が前提となっている補助的意思決定(Assisted Decision Making)と,第三者が意思決定支援を行うことが前提となっている支援付意思決定(Supported Decision Making)がある。 A 支援付意思決定について   (モデルの図A) 支援が必要であったとしても,自律度が比較的高ければ,SDMは合意,つまり意思決定者である本人が同意する形で行う(Supported Decision Making by Agreement)。この合意(文書化される)は現実に行われ,機能しているが,現在はこの合意文書に法的意味はないため,法的な合意文書として裏付けるべきともいわれている。サポーターには支援の義務があるということで,他の機関も合意された内容を合法のものとして受け入れる義務があると考えられるからだ。 自律度が一段下がると,一種の裁判所による決定(命令)によるSDMになる(Supported Decision Making by Tribunal Appointment)。例えば,前頭葉の損傷のために,意思決定はできるが思いつきなどでやってしまう人の場合に,何か行う前に,友人や兄弟にまずは相談しなさいという形で命令を下すことができる。なお,この制度はサウスオーストラリア州では採用していない。 代理人協定制度(Representational Agreement)は,カナダのブリティッシュコロンビア州で採用されている,より重い障害の人について,意思決定を任せるという制度である。意思決定支援も行っていくが,場合によっては代行決定も出来る一種の混合形態といえる。サウスオーストラリア州にも,事前の医療同意において,代理人が設定されるが,その代理人は最終的には代行決定もするが,まずは意思決定支援をして,どうしても出来ないときに代行決定するという混合形態の制度がある。国連でも代行決定について議論されているが,学者マイケル・バーグは,代行決定を行うための隠れ蓑として使われていると批判している。個人的には意思決定支援を行う場合に,これを代行決定が含まれることは良くないと考えている。ケースによっては,代行決定が必要になることはあり得るが,それははっきりと裁判所により決定されることが望ましく,いつの間にか意思決定支援から代行決定に移行してしまうことが可能となっている形態は良くないと思う。 共同意思決定者(Co-decision Maker)は外部介入が一番大きくなって,自律度が低い場合は,本人だけではなく,共同意思決定者と共同で二人とも同意することが必要という制度だ。もっとも,2人の意見が異なった場合には本人の意向が通るという仕組みになっている。カナダのアルバータ州で行われている。 B ステップモデルは自律と外部介入の程度を関連させて,最終的な外部介入の程度を決めていくということだ。ステップモデルがないと,意思決定支援が功を奏しないと,一挙に代行決定に移行してしまう。中間に,選択肢が用意されていることが良いことである。 (5) 意思決定支援に当たって @ 意思決定を考える際には,まずは人には意思決定する力があるということが前提となり,また,それは全般的な能力ではなく,それぞれの分野ごとの意思決定する力(Decision specific)ということである。 A 意思決定に当たっては,法律,人権,精神医学,神経科学のエビデンスに基づくことも必要である。最近の科学の進歩により,人はリスクに対する態度には様々なものがあるということが分かってきた。衝動に対する医学的な研究も進んできている。ある日本の研究からは,人によってリスクのある決定をする場合の反応に違いがあるということが分かった。その違いの原因は,遺伝であったり学習の違いであったりもするが,必ずしも障害とは関係ない。意思決定に関しては,単にその人の決定を尊重するだけではなく,なぜそのような意思決定をするかということも考慮に入れなければならない。人によって,自分の責任を重く取る人と,他の人にも任せて責任を取らない人がいるという違いもある。人によって,どの程度の量の情報が必要かも違う。ある人は,少ない情報でぱっと決めてしまうし,別の人はより多くの情報がないといけなかったり,慎重に決めたりする。これは異常ではなく,それぞれの決定が尊重されるべきものである。そのため,サポートする人は,意思決定に色々なスタイルがあることを理解して尊重する必要がある。 (6) 意思決定する力(Capacity)がないとは 特定の意思決定場面において,意思決定する力が損なわれたとされる基準は,@意思決定に関連するどんな情報も理解できない,Aそういった情報を保つことが出来ない,Bそういった情報を意思決定する中で利用できない,Cどんな方法でも自分の決定を伝えられないというときになる。最近,事前の意思決定に関する法律(Advance Care Directives Act 2013 and Consent Act Capacity)ができ,その中で定められている。 しかし,一方で,単に限られた短時間だけしか情報を保持できないという理由では,情報保持が出来ないと判断してはならない。例えば,中度のアルツハイマー病で,いろいろな意思決定はできるが,すぐに忘れてしまい,また翌日に決定しなければならない人は,意思決定する力はある。あるいは,あるときには,完全な意思決定が出来,別のときには,まったくできない,行ったり来たり,波があるという人もいるということを踏まえておく必要がある。 基本的な考えは,その人の意思決定する力を最大限尊重するということである。 6 まとめ これまで意思決定させてもらえず,決定しても取り上げてもらえず,周りの人が本人についてのことを決めるという環境で育った人は,急に,自分のことだから今日からは自分で決めなさいと言われて情報を提供されてもすぐに決定することはできない。 そういう人について,この人は物事を決められないから意思決定できない人だと判断するのは早計である。 また,本人が決めたことが周りの人の考えることと違う場合(例えば,周りの人は本人が在宅での生活はできないと判断しているのに,本人は在宅で暮らしたいというような場合),本人は適正に物事を決める力がないから意思決定できないと判断するのも本人の意思に応えているということにはならない。 サウスオーストラリア州の意思決定支援モデルの取組は,本人が意思決定する力をつけるよう配慮されており,意思決定する力を得た本人による意思決定を目指している。 意思決定支援はチームで行い,中心に本人を置いてその周りに調整役,指導役であるファシリテーター,本人が信頼し支援してもらうことを希望した友人や家族などのサポーター,本人の意思を実現するための様々な関係者がおり,毎週1回程度のミーティングをしながら本人が表明した希望を実現するように活動する。意思が実現することに自ら関わることで本人は意思を表明することへの自信と勇気を得るようになり,新たな意思決定すべきテーマにも自信を持って臨むことができるようになる。 サポーターの人たちも,当初は本人のためにはこれがいいのだと自分たちの考えるベスト・インタレスト(最善の利益)に基づいて支援しようとするが,訓練を経たファシリテーターの指導により,ベスト・インタレストの考えではなく,本人の意思を中心にした支援をすることに自らも変わっていくようになる。 ファシリテーターが一定期間経過後は支援から外れるが,そうなっても,残ったサポーターが本人のために意思決定支援を続け,問題が発生したときにはファシリテーターが戻ってきて調整に当たる。 サウスオーストラリア州の支援モデルは,すべての人は意思決定することができることを前提に,本人には意思決定する経験と力を得るように,周りのサポーターにはベスト・インタレストの考えから本人中心の意思決定支援へと考え方を切り替えてもらい,本人も周りも変わることで継続的な支援を可能にするシステムを目指しており,意思決定支援の一つのあり方を示している。 ? サウスオーストラリア州調査日程 5月18日(月) ストラスモント・センター ・ストラスモント・センターについての話 ・SDMモデルの全体像についての話 ・意思決定者を交えて話を聞く 5月19日(火) 午前:権利擁護庁 ・SDMプロジェクトと意思決定する力に応じた支援の方法などの話 午後:パープルオレンジ ・本人が社会において自分の役割を獲得するために必要な四つの役割を経済の用語を用いて説明。SDMモデルの考えにも影響を与えている 5月20日(水) HCSCC (Caraにて) ワークショップ: ・SDMモデルについての説明 ・第1期ファシリテーターが担当した個別の意思決定者に対する支援の内容,本人の変化などについての話 5月21日(木) HCSCC(Caraにて) ワークショップ: 第2期ファシリテーターが担当した個別の意思決定者に対する支援の内容,本人の変化などについての話 5月22日(金) Cara ・カラのSDMモデル導入についての話 ・意思決定者を交えて話を聞く ※調査結果の詳細については,添付のCD-ROM版資料を御覧いただきたい。 <お詫び> 添付のCD-ROM版資料の第4「意思決定者それぞれの旅(ストーリー)」のうち,第6話ダイアナさんの似顔絵は別人の絵を掲載しています。正しくは本基調報告書掲載のとおりです。お詫びして訂正します。 第5章 国内における意思決定支援の取組  日本国内においても,障がい者の意思決定を支援するため,意思決定支援を意識した取組や,意思決定支援の要素を含んだ取組等が各地で意欲的に行われている。 それらの取組は,障がい者本人に寄り添う支援者が,本人との信頼関係を築きながら,本人の日常生活の場面において本人の意思を引き出す支援であったり,本人の居住場所の決定という重要な意思決定を支援し,本人の意思を実現するための取組であったり,第三者の立場から,本人の意思や必要な支援を探る取組であったり,医療行為の場面における意思決定の支援,意思決定ガイドライン策定のための基礎研究など様々であるが,これらの実践的な活動が,日本における意思決定支援のあり方や制度設計を考える上での重要な参考例となるものと思われる。 以下,本実行委員会の委員において訪問等を行った,各地における意欲的な取組を紹介する。 (紹介する取組の一覧) 第1 横浜市後見的支援制度の取組について 第2 NPO法人PACガーディアンズの活動について 第3 大阪市成年後見支援センターの市民後見人の実践 第4 NPO法人自立生活センターグッドライフ 第5 たこの木くらぶ 第6 青葉園 第7 障害者支援施設「かりいほ」 第8 NPO法人おかやま入居支援センター 第9 ACT−J 第10 パーソナルサポーター事業(千葉県)の取組について 第11 認知症高齢者の医療選択をサポートするシステムの開発等(京都府立医科大学) 第12 フォーカスグループインタビュー 第1 横浜市後見的支援制度の取組について 1 後見的支援制度とは何か (1) 制度の目的 ・障害のある人を支援している人や地域住民などが,制度に登録した人を日々の生活の中で気にかけたり定期的な訪問をしながら,日常生活を見守る。 ・障害のある人とその家族の,将来の希望や漠然とした不安などの相談を受ける。 ・生涯にわたり,障害のある人に寄り添いながら,その人の願う地域での暮らしが実現できる方法を一緒に考える。 (2) 制度の対象者〜障害の種類は問わない ・日常の見守りを希望する障害のある人(とその家族) ・将来の生活について相談したい障害のある人(とその家族) ・実施区に住んでいる18才以上の障害のある人 (3) 利用料〜利用者の側からは報酬は受け取らない 2 後見的支援制度を立ち上げたきっかけ 親亡き後を心配する親からの「条例を作ってほしい」という声を市長が受け,2001年12月25日に「横浜市後見的支援を要する障害者支援条例」を作った。 その後,障害者基本法に基づく障害者計画・総合支援法上の障害福祉計画を作ることになり,第2期の障害者プラン(2009年〜2014年)を立てるに当たり,「障害者の自己選択と自己決定の実現を図る社会の構築」が掲げられ,1973年からあった在宅心身障害者手当(一人年額2万5千円〜6万円,年間予算約18億円)を止めて,その予算を使い,2010年4月から「将来にわたるあんしん施策」を実施していくことになった。 障がい者・家族へのニーズ把握調査の結果,「将来にわたるあんしん施策」として17事業(現在は28事業)を立ち上げることになり,その中の「親亡き後も安心して地域生活が送れる仕組みの構築」の柱の中に「後見的支援推進事業」が掲げられた。2009年5月から2010年2月まで当事者・家族・支援者・弁護士などで組織される「後見的支援推進プロジェクト」で検討した結果,「親なき後のキーパーソンの不在」,「施設中心の生活だとその型にはまるように障がい者本人の生活を狭めてしまう」,「同一法人のサービスを利用するのは安心だが,遠慮していいたいことが言えない」などの問題が指摘され,「親亡き後の本人の地域生活を支えるために従来の障害福祉サービスとは異なる制度が必要」という結論となった。そして2010年10月に「横浜市後見的支援制度」が横浜市内18区の内4区でスタートした。 3 後見的支援制度の仕組み (1) 横浜市は後見的支援推進法人(以下「推進法人」という。)を横浜市社会福祉協議会障害者支援センターに委託している。横浜市は後見的支援運営法人(以下「運営法人」という。)を各区に1か所委託し,後見的支援室を設置(委託料は1か所約2000万円)し,2015年3月現在,市内18区中14区で後見的支援室が委託されている。 (2) 後見的支援制度の利用は登録制となっている。意思確認できる方は本人の意思で登録してもらい,意思確認が難しい方も,本人の表情や仕草,また御家族とのやりとりを通して,できるだけ本人の意向を確認し,登録してもらっている。中核地域生活支援センターやコミュニティフレンドではなく,登録制にしたのは,本人の気持ちを大事にしながら,ずっと寄り添っていく,親亡き後を念頭に,先を見通してじっくり付き合っていこうという考え方による。 (3) 登録者数は,2014年12月現在630人である。障害種別ごとに見ると,知的障がい者が427名(67.8%),精神障がい者が122人(19.4%),身体障がい者が40人(6.3%),重度心身障がい者が16名(2.5%),高次脳機能障害が2名(0.3%),発達障害9人(1.4%)となっている。参考までに,横浜市の障害者手帳所持者数のデータ(2014年3月末時点)では,知的障がい者24171人,精神障がい者26475人,身体障がい者が98706人である。 (4) 後見的支援制度における支援者の役割 あんしんマネジャー  これまでの障害のある人の暮らしや将来への希望等を聞き,「後見的支援計画書」を作る。各後見的支援室の統括的な役割。 あんしんサポーター 後見的支援計画書に沿って,定期的(月1回など)に本人の日中活動の場や暮らしの場などを訪問する。資格は問わず,むしろ市民的な感覚が重要と考えられている。 あんしんキーパー  地域住民や,本人の職場等にいる人など,本人の様子に普段とは違う変化があった場合などに,後見的支援室に連絡。地域で声掛けや見守り,後見的支援室につなぐ役割もある。 担当職員 各後見的支援室の統括的な役割。マネジャーやサポーターが働きやすいように支援する。 4 後見的支援において意思決定支援にどういう役割を果たしているか (1) 言葉で自分の思いを伝えるのが困難な人の意思をくみ取るきっかけになっている まず,月1回訪問しながら信頼関係を築き,その人の生活を丁寧に追いかける。「情報提供」「傾聴」する場を積み重ねることで,障害のある人本人がエンパワーメントされ,意思が自ら伝えられるようになる。あんしんサポーターには約1時間の訪問の中で,何を聞き,何を感じたかを報告してもらっている。あんしんサポーターが何かをやっていくというのではなく,ただ,ひたすら本人や家族の気持ちに寄り添い,聞いていく役割を持っている。 (2) 「何もない」といっても,何も課題がないということではない 本人の意思決定を引き出すために,あんしんサポーターは,生活現場,職場など,様々な活動先にも一緒に行ったりしている。そこで本人がどんな様子だったかを親や事業所に伝える。例えば,苦情や要望について本人が訴えていたとしても,まずそれに寄り添い,本当か嘘かは確認しない。後見的支援は,人を巻き込み調整するのが仕事。直接何かをすることは少ない。ただし,担当職員につなぎ,解決への調整を行う場合はある。 (3) どうやって本人意思をくみ取れるのか 重度の障がい者でも作業所での様子,仕草,表情等をつぶさに横にいて観察して,嬉しいのか,嫌なのか,関わる中で分かってくる。 障がい者の方でも相手によって意見を変える場合がある。後見的支援室が感じたものが本人の本意なのか,それを誰が決めていくのかの問題がある,しかし本意なのか本意ではないのかを考えることは,やはり上からの目線だと思う。こうした方がいいという決めつけをせず,本人を丸ごと受け止める。本人が本当のことを話すのには,時間がかかる上,信頼関係も必要である。障がい者本人と横並びの目線で話を聞く。 制度目的は長い人生の引継ぎである。暮らしてきた歴史がある。一緒に考えながら,じっくりと向き合うのが大事である。親がいると話せないことがある。そんなときは本人の思いを大事にして進めている。本人の希望の実現可能性が難しいとしても,まずは一緒に悩みながら本人の気持ちに寄り添っている。例えば親亡き後に,本人が一人暮らしを希望した事例があった。生前の母は,死後にグループホームへの入所を希望していた。周囲は厳しいかなと思ったが,今は一人暮らしをやりながら困難な部分を一緒に悩みつつやっている。 5 具体的事例〜【知的障害を持つ40代男性Aさんのケース】                     【本人】知的障害,内科疾患,父母と同居 小・中・定時制高校と進むが就職してもすぐに退職し,昼夜逆転の生活を送る。障害者手帳をとって作業所に通うがなじめず,職業センターを通して一般企業障がい者雇用枠で就労している。                     【母】 現在の会社で定年まで勤めてほしいとの希望を持っている (1) 経緯 母が緊急入院をしたことをきっかけに,将来への不安があり,家族の薦めで登録する。最初は母と一緒に面談をしていた。最初は,本人「大丈夫です。」,母も「特に問題はありません。」との回答だった。 →自分から困ったことは一切話さない (2) 母とは別々に話を聞くようになり,登録から1年が経つ頃から少しずつ変わっていった。 →「仕事を続けることが辛い。」,「仕事を辞めたい。」 →なぜ辛いのかを聞いていくと,色々ことを語り始めた ・仕事の指示がすぐ飲み込めず,当日にならないとどんな仕事があるのか分からないのが不安。 ・職場で話をできる人がいない。 ・就労している障がい者の集まりにも行ってみたいが,会社を早退しなければならないので行けない。 ・母は毎日,自分のためにお弁当を作って送り出してくれる。だから母には仕事を辞めたいとは言えない。 (3) 母にそれとなく,本人の気持ちを伝える。職場にも訪問して,仕事ぶりを見たり,働く障がい者の集まりにも一緒にいって,その時に楽しそうな様子だったことを,母に伝えたりする。また職業センターにも,本人が職場で困っていることを伝えて,職場との調整をしてもらう。 (4) まとめ〜Aさんの隠れた思いをくみ取るために 本人の「大丈夫です。」という言葉を鵜呑みにしない。自分の困りごとや不安を上手く伝えられず,困ったときに誰に伝えていいか分からないだけかもしれない。 まず話を聞く中で信頼関係を作ること。Aさんの「仕事を辞めたい。」という言葉の裏にある原因を聞き取る。一緒に寄り添いながら,課題を引き出していくことが必要である。 6 感想   意思決定支援には,本人の思いを育てる意思形成支援と,本人に寄り添ってその実現に助力する意思実現支援がある。どちらも,いきなり現れた第三者にできることではない。長い時間をかけて,本人や家族と寄り添い,様々な体験を共有したあんしんサポーターやあんしんマネジャーだからこそ,本人が何に困っているかをさりげなく見い出し,どうしたいかを一緒に考え,これを表明する力を育てることができると思う。その意味で,横浜市後見的支援制度は,地域を巻き込んだ優れた意思決定支援の実践であると評価できると考える。 第2 NPO法人PACガーディアンズの活動について 1 2015年4月24日,千葉県船橋市にあるNPO法人PACガーディアンズに,弁護士4人で訪問し,同NPOの業務体制や活動内容をお聞きした。 2 法人の目的 PACガーディアンズ(以下「PAC」という。)のPACとは,Protection and Advocacy Chiba の略語で,千葉県で障害のある人の権利擁護を目的として活動をしている。元々は千葉県全域で広く活動をしていたが,現在は,東葛地域を中心として,主に,障害のある人の成年後見相談と法人後見の受託を行っている。 3 法人後見についての業務体制  組織としては,法人理事会,困難事例に対処するための専門家委員会(弁護士,大学教員,社会福祉士,司法書士,精神保健福祉士,税理士,行政書士,一級建築士など12名)が設置されている。さらに,成年後見支援センター運営委員会が事務局を兼ねており,実質4名の事務スタッフが担当している。そのうち1名は非常勤である。また,ケースごとに事務執行者主任と事務執行補助者を定めて複数で対応している。事務所には常時2名待機する態勢を取っているが,訪問のため外出していることも多い。 4 活動内容 (1) 相談業務 電話・訪問・来所での相談を受けている。2011年7月より,船橋市から船橋市障害者成年後見支援センターの業務を受託している。 (2) 法人後見業務 2008年2月より,流山市から法人後見を開始した。船橋市から法人後見についての受任依頼がくる。 (3) コミュニティフレンド コミュニティフレンド,すなわち障害のある方と社会活動や余暇をともにするといった,地域の中で友人として関わりを持つ活動をしている。また,コミュニティフレンドの紹介やマッチングをするコーディネーターを置いている。 5 活動実績 (1) 相談件数は,1か月200件を超える。人からの紹介が多いが,ホームページを見た人・施設・病院・親・行政から相談がある。高齢者からの相談もあるが,障がい者専門で立ち上げた経緯から,受任には至らない。御本人の自宅への訪問相談やケア会議への参加など,訪問件数が増えている。 (2) 法人後見の現在の受任実数は50件。内訳は,後見12件,保佐30件,補助7件,未成年後見1件。障害の内容による内訳は,知的34件,精神15件。 (3) コミュニティフレンドは,現在38件,フレンドは33人。支援者は女性が多い。法人後見受任者にも利用者有。本人の年齢は,高校卒業位の年齢から60代まで。利用料は無料。 6 法人後見の体制 (1) 業務体制    申立てについては,本人申立て又は親族申立ての支援を行っている。要望があれば,申立書の作成はPAC事務局で行う。法人との単独受任のほか,法人と家族との複数後見となる場合もある。実際の支援は,法人から委託を受けた事務執行者2名(親族後見人もいる場合は合計3名)で当事者を支援する。事務執行者は,主任(ベテラン)と補助が組んで行っている。事務執行者からは,対応が困難等,困りごとがあれば,事務局へ相談がある。事務所で解決できなければ,専門家委員会に相談し協議する。事務執行者は原則として事実行為はしないが,せざるを得ない状況も多々ある。そのような場合,できる限りヘルパー等支援者に入ってもらえるよう,本人に話すが,他者と関わることが苦手な方も多く,難しい。 (2) 事務執行者を複数体制としている趣旨 単独者の価値判断によるパターナリズムに陥らないようにする。当事者の趣旨を複数で確認する(思い込みがないか,事実の確認。事務執行者によって解釈や聞き取り内容が異なることもあり,複数での確認が有益である。)。特に困難ケースでは複数担任が望ましい。相互点検により円滑な業務遂行が図れる(特にお金のやりとりがある場合)。業務執行者の育成に適する。法人として事務執行者の継続が図れる。相性によって担当の交替も可能となる。 (3) 家族が親族後見人として参加するケース   @ 親御さんが後見人であるが,将来高齢となった場合のことを考えPACにも後見人に就任してほしいと希望。→親御さんが高齢になった時に,PACが単独就任となった。   A 親御さんが病気のため,親族が後見人候補者となった。PACと複数後見就任。裁判所は,複数後見人に後ろ向きであったが,親御さんの心情を考慮して,親族に入ってもらった。 (4) 事務執行者の担い手について    PAC主催「成年後見人候補者養成講座」を受講し,事務執行者名簿に登録した。成年後見支援センター運営委員会が選任した方が事務執行者として活動する。養成講座は年に1回,2日間講義を行っている。その後は,複数事務担当者として活動しながら学ぶ。    講座では,PACの理念,障がい者・高齢者の理解,成年後見制度の理解を内容とする。    事務執行者として登録される方は6割。登録すると事例検討会に参加できる。すぐに事務執行者として活動できないが,登録したいという方もいる(家族に障害のある方がいる,後見制度を学びたい等)。 (5) 相談業務の実際について 申立てをしなくて良い人は困っていなければ使わなくても良いというアドバイスをしている。また,できる限り軽い類型が望ましいと考えている。主治医,親族等関係者より後見類型で申立てと相談があると再度家族や医師と相談するよう勧める場合もある。後見・保佐・補助どの類型でも支援は変わらないと伝えている。補助類型の相談では,本人は必要ないと言って,家族,支援者が必要だと考えているケースが多い。 (6) 後見活動について @ 本人の生活状況     受任事件50人の住まいは,施設,在宅,グループホーム,病院などである。補助類型7人は,自宅又はグループホームである。自宅の方のうち,一人暮らし14人,姉弟二人暮らし1組,夫婦二人暮らし1組。住まいは,船橋市又はその近隣市町村。 A 受任事件のやりとり    <事例1>     精神的障害のある一人暮らしの方の場合。日常的に「電球が切れた。」,「洗濯機が動かない。」等,「どうしたらよいか。」というような連絡がある。他に支援者がなく,後見人等が自宅訪問して対応することを繰り返している。     飼い猫について,猫の世話の支援ワーカーにお手伝いに入ってもらったケースもある。 <事例2>     精神的障害のある一人暮らしの方。退院をして,生活保護を受給して,アパートを借りて自由にお金を使って暮らしたいと希望。     まず,一人暮らしに必要な冷蔵庫や洗濯機を買うためのお金を貯める必要があったが,何もないところから生活が始まった。1週間分の生活費を管理することができず,生活費がないと絶えず連絡がある。 他のケースでも,渡した生活費で一遍に食べ物を購入し,吐くまで食べてしまう方もおり,言われたことすべてに応じることはできないでいる。自分のお金を自由に使いたい,私たちもそうしたいと考えるが,お金の使い方については苦慮している。本人,関係者とケース会議等で検討しながら,対応をしている。 <事例3>     夫婦双方への支援。2人とも補助類型。入所施設で知り合い,結婚。親戚の反対は特になかった。夫は定年退職し,妻はパート勤務。マンションのローンを組んで完済した。補助人が就く以前は隣に住む親族とその子どもが金銭管理を支援していたが,金銭管理のことで本人ともめることも多く,専門家に任せたいと相談があった。 <事例4>     高次脳機能障害のある方。後見類型。お金の管理に問題のある方だった。 働く意思があり,牛丼屋の仕事を見つけてきたが,夜勤があり,医師は勤務が難しいと考えていた病気のこと,後見人が就いていることを本人は面接時に話さなかった。 後見人が付いていること,病気のことを後見人が職場に告げるべきか,悩んでいたが,結局,夜勤が思った以上に大変で続けることが難しかったため,本人が病気のことを告げて,仕事を辞めた。 <事例5>     在宅の精神的障害のある方。お風呂に半年入らない。着替えもしないで,1,2か月経って服が汚れたところで捨てるということを繰り返していた。聞くと,水が怖いとのことであった。まず手を洗うことから始めてみようと考えている。 B 支援方針 ア 支援者との性別のマッチングについて      支援者と本人との性別については,同性が良い場合もあれば,異性が良い場合もあると考えている。    イ 本人への支援について まず,本人にチャレンジしてもらい,見守って,結果を見て,どうするか支援者と本人で,共にまた考えていくということもある。失敗も大事だと考えている。      栄養摂取の問題も大切である。一人暮らしの人は,配食弁当やヘルパーに食事作りを依頼している。毎日見られるわけではないので,後日,何を食べたかについて聞く。 C 意思決定支援について     本人の意思をサポートする上で,お金の使い方は大きな問題である。お金をどう使うかは,その人の価値観の問題が関わってくるため,どこまで関与するか悩ましい。その人が何をしたいと思っているかを意識しながら支援をしている。     両親が亡くなってしまった後に支援を始める場合,本人のことをある程度知るまでに時間がかかることがある。     頻繁にお金が欲しいと言ってきて,事務所で1時間くらいかけて話をすることもある。納得して帰ることもあれば,こういうふうに使いたいと言ってくる人もいる。     アパートで生活する場合,保証人は保証協会に頼む。後見人は保証人にならない。緊急連絡先欄に署名している。施設入所契約についても同様である。     入居施設の場合,代理権で行う。同意権の行使は,どこかで働きたいというケースくらいである。 (7) コミュニティフレンドの活動について @ 活動について     友達というスタンスが他にはないので,要望が多い。対応しきれていないため,事務所でお菓子を持ち寄り,カフェをすることになった。 A 事例     後見人はついていないが,高等養護学校にいた男女二人が交際をしていた。結婚を意識していて親御さんから相談があった。お姉さん役がいないかということだった。親御さんは,突っ走ってしまわないようにという心配もあった。     女子は一人暮らしをしたいと言っていたが,結婚や生活についての具体的なイメージができていなかったため,電気ガス水道代が払えるかといった小さなところから,話をしていった。その後,女子からは連絡がなくなってしまったが,相談はつながっている。家族の要望と本人の要望は違う。 (8) 法人の現在の問題点について    マンパワーが足りない。    支援する人をどう育てるか,次の世代に引き継いてもらいたいが,今のところ難しい。    このPACという団体の理念に賛同してくれる人に入ってもらいたい。 (9) 現行の成年後見制度について @ 保佐・補助で同意を問題とするケースはあったか     同意権や取消権を実際に使ったことはない。     ネット詐欺にあって,相談に来られたケースで,同意権をつけてほしいと言われたケースがある。     補助では,同意権を設定しても代理権で対応している。 A 成年後見制度の改正について     現在の家庭裁判所は,締め付けるだけで,使い勝手が悪い。     成年後見制度を考える場合,成年後見制度の法律だけではなく,福祉法の分野の検討なども検討していくことが必要である。 7 感想 複数の事務執行者が担当することによって,パターナリズムに偏りすぎず,より適切できめ細やかに本人の意思決定を支援できるという経験に裏付けられた指摘は,貴重なものであり,様々な意思決定支援の現場で生かされていくことが望ましい。 また,本人が失敗することも大事であるという考え方や,相談や支援での絶妙な本人との距離が,本人の意思決定能力を育てつつ継続的な支援につながっていることを,実践例を見て感じることができた。 ? 第3 大阪市成年後見支援センターの市民後見人の実践 1 大阪市市民後見人について (1) 大阪市成年後見支援センター事業の概要 大阪市市民後見人は,大阪市が実施する大阪市成年後見支援センター事業において養成されている。大阪市成年後見支援センター(以下「センター」という。)は,大阪市が,成年後見制度の利用促進を図り,同制度の利用を専門的に支援するため,2007年6月に設立され,大阪市より上記事業を受託した大阪市社会福祉協議会が運営している。同事業において,地域福祉の視点から,親族以外で後見人の業務を行う第三者後見人の担い手として,市民後見人を養成し,その活動を支援している。 (2) 養成研修と市民後見人バンクへの登録 市民後見人の養成は,毎年,その意義や活動内容等に関する説明会を開催し,受講者を公募するところから始まる。養成講座は,基礎講習(4日間)から始まり,面接で選考された50人程度が,次のプログラムである実務講習(9日間,計45時間・23科目)及び施設実習(4日間)を受講する。その後,実務講習終了者の面接選考が行われ,市民後見人バンクに登録される。基礎講習及び実務講習では,弁護士などが講師となり,本人意思の尊重等について具体的な事例を示しながら講義を行っている。事例検討や施設実習の振り返りではグループワークを取り入れている。2015年7月末日現在のバンク登録者は222人である。 (3) 市民後見人の選任とその後の活動支援 センターは,家庭裁判所が後見人として市民後見人が適切であると判断した事案(親族間の対立等がなく,複雑な法的紛争を抱えていない等)について後見人候補者の推薦依頼を受け,受任調整会議(大阪市職員,センター職員,学識経験者,弁護士等の専門職で構成)を開催する。同会議では,事案の内容,被後見人の居所と市民後見人の居所又は勤務地との位置関係等が検討され,バンク登録者の中から当該事案に最も適切な者を候補者として選定し,家庭裁判所に推薦する。その後,家庭裁判所が当該候補者と面接した上で,市民後見人として選任される。2015年7月末日現在の受任者(市民後見人に選任された者で,終了・辞任を含む)は,129人である。また,センターは,選任された市民後見人の活動についても,職員や専門職による随時又は定期の相談や受任者研修などの支援を行っている。 2 大阪市市民後見人の活動事例 【活動事例1】 グループホームで暮らしている視覚障害と知的障害がある20歳代の男性Aさんの市民後見人活動 (1) コミュニケーションの取り方,本人意思のくみ取り 市民後見人は,週1回程度グループホームを訪問してAさんと面談している。Aさんは,音に関することに興味があり,「乗り物のマイクの形はどうなってるの?」,「バスと電車のスピーカーは,カラオケから聞こえてくる音と何故違うの?」,「インターホンのスピーカーは,どうしてザーザーと音が入ってくるの?」等々市民後見人に尋ねてくる。質問が始まると30分程度続くこともあり,市民後見人はその質問に答えていくが,それでも質問が続くため,Aさんに伝えなければいけないことがある時は,最初に「大切な話があるので,よく聞いてくださいね。」と,いつもより大きな声で話す。市民後見人は,自分が話している内容をAさんが理解できているのかを確認するため,話の途中で「分かりますか?」と聞くが,いつも「はい」と答えるので,市民後見人は「どのように分かったか言ってみてください。」ともう一度聞くことにしている。Aさんは,理解できていないときは無口になってしまう。その時には,市民後見人は,内容をもっと優しく言い換えて理解できるまで話をしている。 (2) 社会参加への働き掛け 市民後見人とAさんの面談時間は,当初1時間程度であったが,その後2時間程度となり,前の週末にどこへ行ってきたのか,作業所での様子や,何か困っていることはないか,不満に思っていることはないかなどを聞き,あれば事業所へ報告したり,世話人さんにホームでの様子を聞いたりしている。また,視野を広げ社会参加をしてもらうため,市政だよりや,地下鉄に置いてあるパンフレットを面談時に持参し,Aさんが興味を示すものについてイベント参加の声掛けをしている。 (3) 自立に向けての支援 市民後見人は,就任後,AさんのためにCDコンポとウォークマン,DVD付きテレビを購入した。これは,20歳代の男性なら持っていてもおかしくないと思ったからであった。この電気機器の購入をきっかけに,Aさんの自立の一歩として,リモコン等の操作が自分でできるようになるまで,市民後見人は,訪問の度に操作方法を説明した。これまで,デイルームにあるテレビのリモコンをAさんが自分で操作したことはなかったが,Aさんが操作を覚えるのに時間はかからなかった。操作方法を習得した頃から,Aさんは自分でするという意欲が芽生え始めた。これを機に,市民後見人は,Aさんに,入浴時には自分で体を洗ったり,服を着たりすることなどに少しずつ挑戦してもらい,グループホームの世話人には,Aさんができないところを手伝う支援方法に変えてもらうように申し入れた。 このような支援を続ける中で,Aさんは同行援護のヘルパーと2人で,初めて日帰りの個人旅行をすることができた。そのきっかけは,Aさんとの会話のなかで「昔の電話機に触れてみたい。」という話がでたことであった。市民後見人が調べてみると,広島県に古い電話機を展示している所があるとわかった。それをAさんに話すと,行ってみたいということになったので,市民後見人は,日帰り旅行の計画書や見積書を作成し,Aさんは初めて個人旅行を経験した。 (4) 市民後見人からの一言 まず,よく会話をしてコミュニケーションをとっていくのが一番だと思います。会っていくうちに,硬かった表情も軟らかくなり,自分から何でも話してもらえるようになり,いつも帰り際には「今度いつ来ますか?」と言っていただけるようになりました。Aさんは,まだまだこれからの人生が長いので,色々な経験をし,チャレンジしてもらいたいのと,快適な生活が過ごせるように活動していきたいと思います。 【活動事例2】 身体障がい者療護施設に入所している,視覚障害,聴覚障害,知的障害(療育手帳A),統合失調症と認知症がある60歳代の男性Sの市民後見人活動 (1) コミュニケーションの取り方,本人意思の酌み取り @ Sさんは施設に入所して15年。訪ねてくる人は誰もなく,日中は,1年中同じところに座っているだけの毎日を過ごす日々だった。Sさんが椅子から離れるのは,トイレ,風呂,リハビリ,就寝時に自室(個室)に戻るなどの限られた時だけだった。Sさんは,耳元に大きな声で話せば聞こえているようであるが,話の内容が理解できているかどうかは分からなかった。いつも表情は固くて無表情である。問いかけや受け答えには,誰にでも,何にでも,みんな「はい」と答える。「はい」としか言わないSさんを見て,市民後見人は,障害を持つ人でも,その人なりのやり方でなんらかの自己主張ができるし,していいはずなのに,Sさんはこの環境の積み重ねが諦めを生んで,自分の意思を表すことを忘れているのではないかと思った。 A 市民後見人は,言葉を使ってのコミュニケーションができなくても,「他の方法で自分の思いを伝えてもらうことができるのではないか」と思い,とりあえずSさんの傍で時間を過ごして,Sさんの様子を細かに観察することで,何かが見えるのではないかと思った。まず手始めに1週間に1回程度の訪問をして,約2時間ばかりSさんの顔を見て,雑談をしながら(市民後見人からの一方的な話),訪問時間中Sさんにくっついて過ごしてみた。Sさんは,目,耳が不自由なので,周りの気配がつかめないため,急に話しかけると驚くので,まず,そっと肩に手を掛けてから声をかけた。いつも冷たい手は,パーキンソンの震えがあるので,震えが強い日は手を握ることもある。 B 市民後見人は,Sさんが時々発する短い単語の内容が分からなかったが,面会を重ねるうちに,短い一つ一つの単語からSさんの言いたいことが想像できるようになってきた。時には,市民後見人がどんなに話しかけても上の空で,機嫌の悪い日もあった。そんな日は背中をさすりながら,ゆっくりと話しかけて時間を過ごした。そのようなことを続けていくうちに,Sさんの気分の良し悪しが便の出具合でなっているのだと気づくようになった。Sさんにも,我慢をしている不満や希望,不安などがあるようで,痩せたこと,体がだるいこと,動き難いこと,乾皮症でかゆくなること,お腹の調子,など身体のことは,「入院」,「注射」,「弱い」,「あかん」という言葉で,度々発語するようになっていった。 (2) まず,本人のことをたくさん知る 市民後見人就任から約3か月後,施設長,指導員から市民後見人に,重要事項説明・ケアプランの説明があった。その場で,市民後見人は,次の要望を行った。@着衣が臭うのは着替えをせずに日常着のまま就寝しているからではないかということ。Aお粥食を続けている理由を知りたい。カロリー制限の必要があったための対応とは聞いているが(体重測定の実数字を確認),今,減量が必要と思われない体重なのに続けている意味を知りたい。そして,毎月体重が減っている原因を探りたいので主冶医との話を希望すること。B精神科医師にSさんの病気について聞きたいこと。 この席で,市民後見人は,施設長から「職員が漫然と日常的にしていることで,気付かないことがある。市民後見人さんに気付いてもらい,教えてもらうことを期待している。」と言われた。受任当初は,施設職員に市民後見人の役割を理解してもらうことが難しいこともあり,「これまでのことも知らない,何も分からん,親族でもないのに本人のことが分かるのか。」と怒鳴られたこともあった。市民後見人は,「知らないくせに。」と言われたので,Sさんのことをできるだけたくさん「知る」ことに努めた。 (3) 新たな気づきから本人の意思を酌み取り,支援につなげる @ 市民後見人は,訪問を続けているうちに,施設職員から聞いていたこと以上にSさんには「できる」ことがあるのが分かってきた。確信はなかったが,できないのではなく,「しなかったから」できなくなったような気がした。Sさんの能力が眠っているならば,刺激で活かされて目を覚ましたら,これからの過ごし方が変わって来るのではないかと思い,ラジオをイヤホーンで聞くことを思いつき,試してみた。何度か聞いているうちに,「おとこ」,「おんな」,「きれいなぁー」,「ピアノ」,「ギター」という単語が出てきた。耳から色々な音が聞こえれば,「言葉が出てくる」という確信のようなものがつかめたので,施設の責任者に補聴器の使用について相談した。しかし,統合失調症なので,補聴器を使うことで病気が悪化する懸念や,発作が起きる可能性があるということで反対された。市民後見人は,「ダメで元々である。とりあえず,精神科,耳鼻科の医師に相談して欲しい。」と頼み込んだ。その結果,約3週間で補聴器がすんなりと着用できるようになった。Sさんは,音が聞き取りやすくなり,CDカセットの音楽を聞いている。お気に入りは北島三郎とフランク永井である。 A 無音に近い世界から音が聞きとれるようになって,精神科医が「感情の起伏がない」と言ったSさんの表情は大きく変わった。それまでは周りには無関心のように見えたが,他人と関わる兆しもでてきた。職員は,「補聴器一つで,こんなに変わるなんて驚きました。固定観念で物を見てはいけないと,反省しています。」と言ってくれた。就任から2年経過した頃,市民後見人はSさんが月に2回の外出支援を受けられるように手配し,Sさんはまた一つ新しい経験を積み重ねた。そして,今では発語の種類が多くなり,「淋しい」,「やかましい」など感情を言葉で表現したり,笑い声が聞けるようになった。 (4) 市民後見人からの一言 声を掛けた時の彼の笑顔から,ようやく,少しだけ受け入れられたような気がする。が,まだまだ「してもらえる人」という段階だと私は思っている。その人の人生を左右するくらいの責任がある後見活動は,根気と誠意の積み重ねだと思う。障害を持つ人は,その人の障害に合ったスピードで,生活をされている。相手に合わせ,慌てないで,ゆっくりと,見守っていく。どの程度寄り添えているのかの答えを出すのは,「彼」だと私は思う。 3 感想 二事例とも,週に1回,約2時間の面会を重ねて,本人のペースに合わせながら,時間をかけて信頼関係を築いていくなかで,本人の意向や要望をくみ取り,それを次のステップにつないで,そこからまた新たな意思をくみ取って支援につなげている。このような支援のあり方は,現行の後見活動における意思決定の支援,ひいては,意思決定支援制度の下における支援方法として非常に参考になると思われる。また,これらの活動から,支援者には,本人との何気ない会話等のなかから,本人が発信しようとしている事柄に気づき,これを受けとめる力が求められ,そのためにも本人のことをよく知ることの重要性を痛感した。 大阪市市民後見人は,大阪市成年後見支援センターの支援(専門相談,受任者研修等)を受けながら活動しており,このような支援体制の存在は大きいといえる。もっとも,現場においては,個々の市民後見人が,オリジナリティーを発揮しながら活動している部分も決して小さくない。これらの点からすれば,本事例は,意思決定支援制度の下で,支援者を支援する体制が構築されれば,一般市民にもこのような支援を行うことが可能であることを示す実践例であるともいえる。 第4 NPO法人自立生活センターグッドライフ 1 NPO法人自立生活センターグッドライフとは  (1) 設立 1994年に設立(今から約20年前)。すべての人が地域で当たり前の生活を送ることができるように,障がい者・高齢者に対して必要なサービスを提供することを目的とする。主に,身体障害・知的障害の方の入所施設又は親元からの自立生活を支援し,その後の生活支援を行う。 (2) 利用者数 80名(身体障がい者40名・知的障がい者40名ほど) (3) 障害の程度 身体障害・知的障害の方も両者とも障害支援区分が5か6の方が7割近くに達する。ただし,ボーダー(手帳の取得に達しない)の発達障害の方も数名いる。 2 団体として意思決定支援を行うようになった契機 (1) 本団体の設立の時期と重なるように,知的障がい者(自閉症の15歳の少年)の生活支援を行うこととなり,そこから意思決定支援を行うようになった。 (2) 基本的には,利用希望者から入所施設から出たいという要望があり,その意思を尊重し支援をしている。利用者との話し合い,行政との交渉,アパート探し,グループホーム探し,自立プログラム等を行う中で,意思決定支援は,当然のごとく行ってきた。 (3) 日常が当たり前に意思決定支援なので,それを切り出しては考えたことがない。 3 自立生活をしたいという利用者意思の内容・確認方法 (1) 入所施設から出たいのか,単なる施設に対する不満なのかが判然としないこともあるので,利用者の意思を一つ一つ丁寧に確かめていく。表出する発言等が必ずしも真意とは一致しない場合もある。 (2) 従前は,障がい者は,入所施設という考え方が多く,行政もその考えで指導をしてきた過去がある。しかし,入所施設では,「自分がやりたいことができない」,「すべて職員が決めてしまう」,「自分自身のお金が自由に遣えない(職員がすべて管理して,支出についても自由に決定できない)」,「自分の希望や気持ちが伝わらず,蓋を閉められてしまう」等,はっきり言って檻の中にいるのと同じである。 (3) ただし,入所施設を出れば,もっと自分が幸せになれると思って利用者は自立生活を開始するが,実際に施設から出てみると,思い描いていた生活とのギャップを感じることが多いのも事実である。具体的には,ヘルパー時間数の不足,ヘルパーさんとの相性(支配的になる・性格が合わない・技術不足)等で不満等を持つなどである。 4 自立生活支援を行っている方及びチームの場合の構成員 ヘルパー/介護コーディネーター/グループホームのスタッフ(世話人・生活支援員)/日中活動のスタッフ/自立生活PGの担当者等(都度担当を決めている) 5 生活支援をする際の留意点 (1) ヘルパー体制は,基本的に同じヘルパーは週1回としている。ヘルパーを毎日利用する人は,担当のヘルパーは週7名で毎日異なる人にしている。毎日異なるヘルパーだと利用者の負担は大きくなるかも知れないが,一方で,例えば,同じヘルパーが週3日入ると,利用者に対して支配的になりやすいのも事実である。あるヘルパーが支配的になると,利用者の意思が反映されなくなるし,3年くらい経つと,「決めたとおりにやってくれない」とトラブルになることもある。例えば,相性の合わないヘルパーでも週1回なら我慢できるという状況もある。 (2) 介護者が支配的になることの具体的な内容 ・利用者の部屋の雰囲気すら全部変わる。支配的な人のイメージが,利用者のイメージの中心に入り込むという感じ。 ・一度支配関係ができると,利用者がそのヘルパーに対して,依存していくことが多い。気が付いたら利用者のイメージとまったく異なっていた例がある。 6 生活支援における意思決定支援 (1) 意思のくみ取り方 ・利用者の口から出てくる言葉が,必ずしも本当の意思ともいえない。十人十色で対応している。くみ取り方については特に基準や方法というものがあるのではなく,その利用者特有のものであるから,日々接する中で考えていくしかない。 ・言葉で意思を発することができない人も,行動で意思が分かる(自閉症の方など)。 ・一度意思を表示しても,色々な人に影響されて変化することも多い。その影響自体は,当然のことで,良いと思っている。 ・利用者の意思が本当にどこにあるのかは,介護者は,常に意識している。見ていると,明らかに介護者が操作したなという意思も見受けられる。 ・毎日利用者と接していると,利用者の意思がどこにあるのか,結局は分からないということもある。利用者の意思というのは,利用者が決めたときの意思であり,結果でしかない。 ・利用者も,ヘルパーごとに,相手を見て発言内容も変わる。 (2) 意思決定支援に関する利用者単位のケア会議等 ・ケア会議カンファレンスについては,必要性に応じて行う。情報共有という意味でもある。ただ,そこで「決める」ということは,あまりしない。 ・例えば,その利用者の担当ヘルパー・コーディネーターが集まって,全体でその利用者のお金の遣い方を決めると,その決定内容に,利用者が縛られるということになる。生活は,誰かが外から決めるものではない。 ・犯罪に関わるようなことにならなければ,利用者の自由にできるのが当たり前であり,それを制限することは極力しない。 (3) 利用者の金銭の支出に関する意思決定について ・基本的には,利用者の意思を優先している。まずは,利用者の意思が先にある。支援者は,利用者を超えて支援できるものではない。意思は,利用者を超えて存在するものではない。利用者の意思が最初にある。これは日々本当に感じることである。 ・金銭の支出については,その時ついているヘルパーさんと利用者との話し合いで決めている。 ・利用者は,自分のお金を自由に使いたいという気持ちが非常に強い。特に,入所施設から出てきた人は尚更である。 ・中には,1か月で300万円も使ってしまう人がいた。貯金が2000万円くらいあっても,それを使い切って生活保護になり,生活保護費が出ると生活保護費を3日で使ってしまう人もいる。それについても,あくまで利用者のお金だから,自由に使うのは当然なのかと思ったりする。勿論,高額な買物について相談を受けたら,説得することがあるが,それを受け入れる人は,あまりいないかもしれない。 ・日々問題だらけだが,障害程度が重いと常に介護者が身近にいるため,異常な金銭の動きはない。問題なのは,介護者がいつも近くにいない,ボーダー・軽度の人の支援である。24時間見ていられるわけではないので,知らない間にカードを作って100万円単位で借りて,最後に警察に行くようなことがある。このような方々には,支援が難しく,端から見ると明らかにおかしいと思われる意思決定に対する対応が難しい。介護者が何度説得しても,分かってもらえないというジレンマがある。 (4) 消費者被害の発生 ・消費者被害については,実際にある。明らかに利用者が取引を望んでいなければ,支援に入る。これはまずいというというものについては,利用者が取引を望んでいても,アドバイスする。強く説得もする。ただ,最終的には,それは支援者側が強制的に止めるというものではない。 ・消費者被害のことがあるから,取消権のある後見制度を利用しようとは思わない。取消しても被害回復は難しいし,後見を付けることによるデメリットが多いからである。財産を守ることが後見かもしれないが,それは,利用者の望みではない。 (5) 服薬・手術 ・病院等には,ヘルパーが一緒について行って医師から説明を受ける。ヘルパーが利用者にそれを説明している。 ・適切な薬を利用者が飲まないという場合には,飲まない人は絶対に飲まないので,無理強いはしない。利用者は,ほとんど皆納得し飲んでいる。薬を飲まないことのリスクも説明している。 ・手術する場合も,ヘルパーがその都度ついて,一緒に医師からの説明を聞いている。さらに,ヘルパーが利用者にきちんと説明する。 (6) 日々意思決定支援をされているヘルパーの本音 ・利用者のお金を預かっている=権力を持っているということになると思う。 ・意思決定支援といっても,細かい,お金以外のことも,ヘルパーの価値観が反映されるので,なんだか嫌というか,やりたくないなと思うこともある。ヘルパーが判断するたびに,利用者に介入している気がする。 ・利用者が,ヘルパーの顔色を見ているなと思うことがある。担当ヘルパー以外の人の方がいいのかなと思うこともある。ただし,比較することも難しい。 ・利用者に対し権力を持っている分,配慮が必要である。 7 後見制度の利用者について及び今後の利用について (1) 現在の成年後見制度に対する考え ・団体利用者80名のうち,後見人がついているのは1名だけである。この方は,ここの利用者になる前に元々親御さんが後見人になっており,親御さんが亡くなられたから,別の人が付いたというものである。 ・積極的に後見制度を利用しようとは思わない。今の後見制度というのは,意思決定を制限するものだからである。 ・消費者被害のことがあるから,取消権のある後見制度を利用しようとは思わない。後見をつけることによるデメリットが多い。財産を守ることが後見かもしれないが,それは利用者の望みではない。 ・後見を利用しているその一人の方については,従前の後見人は,貯金を減らすことにうるさくて,収入の範囲でしか支出はしてはならないとして,利用者は,本当に何もすることができなくなっていた。施設に入るのと同じ状態となってしまったことがある。 ・財産を減らさないという考えもあるかもしれないが,お金を使って色々なことをしたいという気持ちは,障がい者だけではなくて誰もが持つものである。体が自由に動く若いうちに使いたいっていう気持ちを理解してほしい。高齢者の方と比較的若い障がい者の人を同じ考えで対応するのが,おかしいかなと思う。 ・後見人にそのような問題があって,利用者から後見人を変えてくれと請求できないのが非常に辛い。 (2) 意思決定支援について,あったら良いなと思う制度は ・お金の支出等を「利用者の意思を前提として,意思に沿って」手伝ってくれる制度。 ・日常生活自立支援事業は,社会福祉協議会の管轄となっているが,あの制度がもっと開かれ,柔軟に使用できたらという意見が多い。ただし,その場合,費用を行政負担にすれば利用者が増えると思われる。預金口座から1回6000円下ろすのに,手数料2000円では,頻繁に利用できない。 ・後見的な利用が必要なときだけ利用できる制度。後見制度は,一度つけたら終生の利用となってしまう。例えば,裁判所の手続は,弁護士に頼まないと難しいので,このようなときだけ利用できるよな柔軟な仕組みが欲しい。 8 感想 グッドライフへの聴取調査の中で,「生活は,誰かが外から決めるものではない」という言葉が非常に印象的であり,グッドライフの利用者の意思決定に対する誠実且つ真直な考えを表現していると思った。グッドライフは,長年にわたり多くの知的障がい者の意思決定支援をしてきたが,それは意思決定の前提となる意思表示のくみ取り方そのものからの実践であった。グッドライフの支援の姿勢は,利用者の意思を尊重し,利用者と話し合い,一緒に悩みながら支援する,ということを当たり前のものとして実施しており,利用者の性格・特性・言葉にはならない行動等からも利用者の意思を検討するという,正に利用者を中心した意思決定支援であると思った。 また,現行の成年後見制度については,消費者被害のことを考えても,本人の権利が制限されるので積極的に利用しようとは思わない,と話されているのが印象的であった。あくまで本人の意思を尊重する姿勢に,本人のためとは何かということを改めて考えさせられた。 第5 たこの木クラブ 1 たこの木クラブとは  (1) 活動内容 1987年9月に子供会活動を中心として活動を開始した市民団体である。たこの木クラブは,以下の様々な活動の拠点であり,活動を生み出しては外に発信し,バックアップしていく団体である。 ・自立生活獲得プログラム(親元を離れアパートやグループホームといった場で当事者自らの生活を獲得するためのプログラム) ・地域生活支援(地域で暮らす当事者の様々な課題を共に考え,その解決に向けた支援を行う) ・すいいち企画(水曜日の午後に当事者が集まり,当事者が様々な事柄を企画する) ・たこの木通信の発行(月1回) ・地域で生きるための相談(人が暮らす上で起こる様々な事柄について相談に乗る) ・障がい者居宅介護基準該当事業所「はてなのたね」(当事者が制度を理解し自らが利用の主体となるように,ヘルパー派遣を行う) ・NPO法人ねじり草(たこの木クラブの様々な活動の中から自立生活獲得プログラム事業を実施する) ・学習会や交流の機会づくり(自立生活支援や移動支援,触法障害者支援,成年後見制度等々,地域で暮らす障がい当事者に関わる様々な課題を他団体や事業所とともに考え担う機会を作る) (2) 利用者数  おおよそ50〜60名 (3) 障害の内容 知的障害・精神障害・自閉症・知的障害を伴う発達障害 2 団体として意思決定支援を行うようになった契機 就学問題から始めたこともあり,親の影響を排除して,いかに本人の気持ちを確認するか,という問題意識があった。親と一緒の時と親から離れた時で,子供の発言内容が異なるということが事例としてあり,本人の気持ちは一体どうなのだろうと考えるようになった。 3 利用者の意思決定支援の方法 (1) 意思決定支援をする前提として,ヘルパー・入所施設の職員以外の色々な人と接する機会を作ることが大切である。幼い頃から複数の中で本人が意思を持てるように育てていかないといけない。障がい者の意思決定を重要視するなら「意思を明らかにするための保障」をしてあげないと,今まで意思を奪っておいて,今さら「はい,あなたの意思は,意思決定は」と言われても困ってしまう。 (2) 例えば,自閉症の方は,自分自身で「情報を得すぎて混乱する」ことが分かっているので,あらかじめ一つのことに決める。それがこだわりと誤解されている。この場合,提供されたものを整理してあげることが大切である。選択肢から選択・決定するプロセスの支援が必要である。 (3) 何が本人の意思なのかという問題について,例えば,本人の意思が見えにくい重度知的障害の人については,本人の意思に近づいていくアプローチの繰り返しが必要である。「支援の側が選び」その後「本人の状態」との差異を確認すること(修正)を重ねることで本人の意思に近づいていく。この精査のプロセスを複数人で行えると,より精査の内容が良くなる。本人が確定的に了解していない事柄については,常に戻れるよう「とりあえず決めましょう」というスタンスが大切である。 (4) 軽度知的障害の方もアプローチは同じだが,ヘルパーごとに発言内容が異なったりし,迎合的になったり,混乱を自らが招くことがある。そこで,先程のアプローチ方法を用いながら,個別に行ったことを修正していくことが必要である。 4 場面によって意思決定支援の方法は変わるか (1) 日々繰り返し行う事柄についての意思決定支援 選択肢の提供,選択するためのプロセスの支援,決定されたことについての意識化,その上で一つ一つの選択が繰り返される中で日々検証する機会とする。 選択肢の提供,選択するためのプロセス(選択肢に対する実感・本人の選択基準・選択した際の本人が引き受ける面と支援者が引き受ける面・それらにまつわる個々の支援者の価値観や常識等々の影響等の検討),選択したものに対する評価等,そして,自らが選んだという実感に基づき次を選んだ時に,それが容易に実現できる体制を作る。正に,自己選択・自己決定・自己実現そして再び自己選択が日々の暮らしの中で循環していくための支援といえる。それは,間違った選択も本人の実感として次に向けて修正することや,逆により確かな選択とできるような支援も日々の暮らしの中での事柄故に,支援の側は様々な事柄を意識することで,当事者との信頼関係や長年の経験を積み重ねていく中で生み出されていく。 (2) 何年かに一度・生涯に一度だけ現れる事柄についての意思決定支援 例えば,冷蔵庫を買う場合,本人が決めることに苦労したり,本人が何を欲しているか解らない場合,結局は支援者間で決めるしかない部分がある。ただし,上記(1)の場面で日々の意思決定支援を行っていれば,おのずとそれぞれの支援者たちが当事者との関係の中で意見を出し合い,協議する中で決めていくこともできる。 自立生活を始める際のアパートの選択場面では,本人をよく知る人間が,アパートを決める際に検討する事柄の一つ一つを,様々な支援者とともに協議して選ぶ。 また,どのような仕事に就くかという場面でも,本人は実際にやってみないと実感を抱けないけど,本人を知る人がたくさんいれば,様々な意見を出し合う中で,本人により近いところでの決定がなされるように思う。ただし,これは障害故に閉ざされている面が多いために失敗が許されないという面が強くある。一度決めたことを実現するだけでも,非常に厳しい状況がある。そうして決めた事を実現するまでの苦労が多ければ多いほど,それが頓挫してしまった場合,一度なされた自己決定が絶対的なものとして襲ってきて,収拾が不可能になってしまうこともある。 例えば,高校進学を目指す知的障がい者が,確実に入学できる専門学校に入学した。入学に当たっては,知的当事者故に高校側と支援体制を構築するのに大変な苦労があった。ところが,実際に入学してみると,専門学校のため実習等が多く,その実習がとても苦手で興味もなく,学校に行きたがらなくなった。多くの人の手を借りて実現したことだから,周囲は学校に行くよう懸命に勧める。しかし,結局退学し,1年後再度普通学校を受検したら,嬉々として普通学校に通ったということがある。 このような場面では,本人や周囲によって決定されたことは,あくまでも「とりあえず」の決定で,それが本当に当事者自らの決定というには,その後具体的にことが進んだところでしか判断できないというスタンスが大切である。 (3) 社会のスタンダードを巡る事柄についての意思決定支援 例えば,障がい児が「支援学校」を選択する際には,「なぜ,支援学校なのか?」を問わず,「普通学級」や「公立高校」に就学・進学する時には,「なぜ,普通学級なのか?」「高校進学が本人の為か?」等と聞かれる。また,困難な状況にある自閉症を伴う知的障がい者に対して,「どうして施設に入れないのか?」とは聞くが「どうして自立生活をさせないのか?」とは聞かない。「聞く」ということの中に,実は障がい者に対する私たちの価値観や偏見がたくさんあり,「障がい者は」という思い込みの中で当事者の意思決定を求めている。 これは,本人や家族や周囲の支援者たちを巡る意思や意思決定やその支援というよりも,社会が何をスタンダードとし,障がい者故に当事者やその周辺に社会の価値観や常識に「決定させられている」ということに目を向ける必要がある。そのためには,前記(1)の場面で当事者と常に向き合い,日々の成功と失敗を繰り返しつつ,常に意識化し,修正を恐れず,日々をつないでいくことが大切である。 5 成年後見制度について (1) 成年後見制度について 成年後見制度は危うくて使えない。なるべく使わないようにしている。成年後見制度は一旦選任されたら終わりみたいなところがある。 (2) 「成年後見制度は危うい」という意味について @ 成年後見人が本人の意思やそれまでの経緯と関係なく勝手に契約できてしまう。成年後見人という立場で何でもできてしまう。それにもかかわらず,家庭裁判所は「後見人の判断なのだから」で終わらせてしまう。 A 今や何でも契約が必要とされる。施設への入所契約も本人の環境を知らない成年後見人が勝手に行ってしまうということが現実に起こっている。 ア 実例1)地域移行施設に3年間入所していた。期間満了により地域移行をしなければならず,たこの木クラブの体験室に来た。本人は最初施設に帰りたいと言っていたが,1週間の中でたこの木クラブの生活が気に入り,ここにまた来たいと言うようになった。体験室は1週間だけだからと言ったが,それでもまたここに来たいと言った。では,自立生活しましょうということで,支援者と共に動いていた。しかし,突然選任された成年後見人(弁護士)が,市役所に施設を紹介されて,そのまま何の検討もせずに施設入所契約をしてしまった。その成年後見人は,役所から「自立生活なんて,理想を言ってどうするのですか」と言われたらしい。 イ 実例2)自閉症の方がグループホームで暮らしていたところ,相次いで両親が亡くなったため,親戚が成年後見の申立てをした。選任された成年後見人が,従前の経緯を無視してグループホームを退所させ,他の施設に入所契約させようとした。グループホームがこれを拒否したところ,成年後見人が人身保護法の救済請求をしてきた。グループホームも弁護士を立てて成年後見人と交渉し,最終的にはそのままグループホームにいることができた。 B 一方で,成年後見制度を利用することで本人を奪還できた例もある。ある事業所が,介護支給量の多い知的障がい者を囲いこみ(女性をあてがう等した),なぜか特定の事業所だけがヘルパーを抱えて,介護報酬が格段に上がったという例があった。何かおかしいということで,支援者が見に行くも,本人との面会を拒絶された。事業所の食い物にされていた。成年後見人を付けて本人を奪還した。 (3) 成年後見制度の問題点について @ 裁判所が本人の生活実態を見ずに「後見人の判断だから」,「後見人の意見が正しい」とする点については,やはり「チェックする機関」,正確には「チェックしあう機関」,「協議しあう場」が必要なのではないか。 A 成年後見制度の場合,決定に関与する人が後見人と監督人だけである。これで本人の意思を分かるのは難しい。 B ニュージーランド等で実践されている「ファミリーグル―プカンファレンス」がある。このような小さなコミュニティで「市内後見」をするのが最も本人の意思に近くなるのではないか。その小さなコミュニティの枠組みをどう保障するかは,検討する必要があるが,成年後見人は,本来,従前の生活環境を含め色々考慮しなければならない。したがって,地域で本人を見る人達・支援する人等,一緒に考える人・一緒に悩む人が必要なのではないか。本人を中心として対等な立場で議論しなければならないし,議論の結果出されるものが,法律(制度)によって本人の最善の利益をチェックできる体制にしないといけない。 C 「市内後見=本人の生活空間を後見する身近な人たちの意思・考えを確認しながら,本人の意思を検証していく」べきではないか。例えば,市内後見という小さなコミュニティの中で,代表後見人を選出して,目に見える形で関係を構築し,その中で,本人の意思を検証していく。ただし,コミュニティ長期化の弊害もあるので,常に支援する新たな人を加えていく。 D 例えば,現状では一旦成年被後見人となった者は,一生成年被後見人のままとなる。それを,期間限定・目的別というようにもっと柔軟に制度設計ができないのか。(期間・目的等によって)成年後見制度を利用して,その後も本人にとって成年後見制度が必要ならば,継続を協議し,更新すべきかを決められる制度にしてはどうか。現在の成年後見制度は,本人の能力しか見ないが,本人は環境が整えば意思決定できる,環境が整わないから判断能力に問題があると結果的に判断されることがある。判断能力の有無は,本人の意思決定支援の体制が出来ているのかを含めて見てほしい。 6 感想 意思決定支援は,一つの事項について一度で終わるわけではない。そのとき“一応”行った意思決定は本当に本人が望んでいることだったのか,事後的に検証を繰り返していかなければならない。意思決定支援は“点”ではなく,“線”で捉えるべきで,一人の人間だけでなく,多くの人間,地域が一緒になって,できれば幼い頃から,日々,支えていける仕組みを作っていく必要があると思われる。 ? 第6 青葉園 1 施設概要 青葉園は,西宮市総合福祉センターの一角に位置している。同センターには,青葉園のほか,西宮市社会福祉協議会事務局,障害者総合相談支援センターにしのみや,西宮市高齢者・障害者権利擁護支援センターなどが入っている。 青葉園は,1981年に設立された。障害児の通園施設(現在は児童発達支援センター)であるわかば園の隣(現在はわかば園の診療所になっている)に,成人の重症心身障がい者の通所施設として,西宮市社会福祉協議会の運営で始められた。まったくの法外施設で,西宮市独自の補助しかない中でのスタートであった。制度基盤が何もない中で,一緒に地域でどうやって生きていくのかというのが出発点である。 1985年に,道路を挟んだ反対側の現在の場所に移った。半数以上が,胃ろう,導尿などの医療的ケアを必要としている人たちなので,医療と連携が不可欠で必要に迫られて地域医療を作ってきた。嘱託のドクターがいて,地域の医者にもつないで,他科の医者とコーディネートする。開業医と総合病院とネットワークを組んで,地域での医療支援連携をしている。例えば,入院せず青葉園で担当医が抗がん剤を点滴するなどである。 権利擁護支援もPASネットとも連携して,地域に根差した活動を行っている。様々な制度導入の経過を経て現在は,障害者総合支援法上の生活介護事業所である。 同じ建物内にある西宮市高齢者・障害者権利擁護支援センターは,PASネット及び西宮市社会福祉協議会との共同受託で運営されている。PASネットは,法人後見も行っている。また,西宮市社会福祉協議会の生活支援員が家庭を訪問し,福祉サービスの利用援助や日常的金銭管理等を支援したり,日常金銭管理に必要な通帳・印鑑を預かる福祉サービス利用援助事業も行っている。 青葉園通所者が地域活動を先導して,作り出してきた経過がある。地域のつながりを生み出してきた。例えば,地域の人に介護してもらうのではない。地域の人たちと一緒に,農作業をし,そして,収穫祭をして,地域のみんなで祝う。高齢者も畑の行事があるときは化粧するなど,前の晩は楽しみにしてくれている。収穫したものを売ると,近所の人が買いに来てくれる。近所の子どもが勝手に集まって宿題したりしている。このようにして,コミュニティが広がっている。 2 青葉園での意思決定支援の取組 ある実践例について,以下のとおりの説明を受けた。 西宮総合福祉センターの敷地に,仮設住宅をリフォームした青葉園の建物があり,そこで,谷野千栄美さんは,日中活動をしている。谷野さんは,30年前から青葉園に通所している。ここでは,谷野さんを真中において,その周りに20名ほどの支援者がいる。数年前にお父さんが亡くなられて,今はPASネットが法人後見をしている。 谷野さんは,言葉を発することはできない。なので,支援者が谷野さんの言葉を聞き取るというのではない。一緒に楽しいことを作っていこうというスタンスで共に進めていく中で,言葉に頼らないコミュニティを深めていく。谷野さんが楽しいと自分らも楽しい。輪になりながら,一緒に考えながら,悩みながら色々なことを進めてきた。谷野さんは福山雅治の大ファンで,九州,横浜と追っかけをしている。旅行にも行く。先日は飛行機に乗った。外から見たら,谷野さんの意思に関係なく,支援者が勝手に谷野さんを連れ出し,谷野さんのお金で旅行に行っていると思われるかもしれない。でも,青葉園のスタッフは,長い関わりの中から,谷野さんとの関係を一緒に作り上げてきた。本人の楽しみが分かる中で,一緒に本人が主人公の物語を歩んでいく。 週1回月曜日に谷野さんも含めて支援会議を行っている。支援会議の中で細かくどういうことを行うかを決めていく。谷野さんはデリケートで,支援者が変わると体調を崩すこともあった。ただ,胃ろうをしてからは元気になった。それであちらこちら行けるようになった。もちろん,谷野さんを理解してくれる医者がいることが大きいが,支援者が勝手に動いているわけではない。これまで谷野さんと支援者が関わってきた文脈の中で,谷野さんと支援者らが一緒に考えて「何をするか」,そして「どう生きるか」を作り出している。 谷野さんが言葉あるいは明確なサインで意思を表明するのを聞き取るわけではない。しかし,谷野さんは,調子が良いときは,いい顔をしてくれる。また,ふんふん言ってくれる。ハイ,ハイではないが,文脈で選択肢を出し,表情を読む。そのようにして,谷野さんの意思を一緒に探り考えていくのである。 谷野さんは,地域で暮らす日本で最初の言葉の出ない重症心身障がい者である。今も市営住宅で一人暮らしをしている。重症心身障がい者の場合,支援ができる人材が不足している。障害が重くなればなるほど,支援体制を作るのは難しい。 現在,言葉やサインでのコミュニケーションが難しく多くの支援が必要な人で,一人暮らしをしているのは,青葉園では3名である。一般論として,買い物に行ったとき,例えば,支援者が「牛乳買いますか?」と聞く。牛乳は必要なものであるが,本人に意思確認しながら,本人に決めてもらう。これを通じて自分が決めなければいけないという状況を本人が理解していく。その理解がさらにコミュニケーションを深めていく。そのように,青葉園ではいちいち聞かれることになる。親と住んでいるときは,そんなことはないだろうが,青葉園の支援者はいちいち聞くことを行っている。 谷野さんも,最初表情はあまりなかった。でも,ここへきて,色々なことをいちいち聞かれることで,強くなったようである。谷野さんは,まばたきとか,手の動きなどのコミュニケーションの糸口もない。他の人では,右足を挙げると「はい」,左足を挙げると「いいえ」と表現できる人もいるが,谷野さんの場合は,自己意識の表出の方法がない。そこで,「推測」が多い。つまり,言葉でしゃべるのではなく共にする経験が重要である。経験が増えてきたら,分かり合えることが増えるというわけである。信頼感が重要である。 そのほか家族からの情報も重要となる。谷野さんの場合,当初谷野さんのお母さんも本人も支援者も一緒に活動していく中で,お母さんが色々な話をしてくれた。25年前にお母さんが亡くなり,一人暮らしが始まったが,新しい支援者にも,お母さんがしてくれたようにして引き継いでいく。支援の輪の中に巻き込まれていく。本人を中心にすえて支援することが肝心である。 谷野さんは,パンダが好きなので,東京の上野動物園にも,和歌山県の白浜にあるアドベンチャーワールドにも行った。福山雅治のコンサートにも行った。最初は不安だった。でも,「行ってみよか。」で行った。結果的に,波及的に支援の輪が地域に広がった。博多まで飛行機に乗って,福山雅治のコンサートを見に行った。そうしたら,ちょうどお祭り(博多どんたく)の時期で,それも見ることができ,そのおかげで,谷野さんはお祭りが好きだということ分かった。大変楽しんでくれた。 3 青葉園での本人中心支援計画 青葉園での個別支援計画について,以下のとおり説明を受けた。 青葉園では,20年以上前から,それぞれ人によって違うので,個別に支援計画が必要となり,個人総合計画と名付けて,個別の計画を作っている。途中,阪神・淡路大震災があり,そのとき,本人の存在自体がいかに大切かを思い知った。本人がどう生きようとしているのかがまずあって,それとどう響きあって支援していくのかが重要である。本人と支援者との間に起こった物語により,どうしていくのかを一緒に考える。今でいう事業者が作成する個別支援計画ということになるが,それより,本人主体の思いが強い。相互に起こった出来事を書き記しながら,それを証拠に,本人はこう思っているのではないかと話し合うものである。 そして,相談支援センター「のまネット」が関係者を集めて本人中心会議を開き,本人中心支援計画を実施してきた。法律が変わって計画相談が始まった。その際にこれらの経過を踏まえて, ・「相談支援権の保障」になる ・契約に基づくため,相談支援の継続性が保証できる ・相談支援をすすめる仲間を増やす という観点から,西宮の計画相談の形ができた。基幹型の相談支援センターである障害者総合相談支援センターにしのみやと,計画相談を進めていく指定特定相談支援事業者たちとがタッグを組んで本人中心の相談支援を行っている。基幹型が指定特定に寄り添う。本人のことをよく知る指定特定が本人中心に進められるように計画を作製していく。必ず本人を囲んで家族や関係事業者,後見人等が集まり,本人中心の支援会議を開く。計画を作る。西宮の場合,「サービス等利用計画案」ではなく,「本人中心支援計画案」という形にしている。書類もその形にしている。西宮では個別支援会議を「本人中心支援計画会議」と呼んでいる。 本人を一番よく分かっているところで,本人中心支援会議をする。そこで,本人中心アセスメントシートを作成し,本人中心支援計画案を作成する。必ず本人を中心に置く。「本人は,どこで何をしたいと思っていると思いますか。」と,本人と分けて聞く。言葉による表現がない人の場合は,色々な人に聞く。どういう方向に物語が展開してこうとしているのか。頻回に本人中心支援会議をする。本人中心に「支援の局面」を変えていこうとするのが,西宮の方針である。本当の意思決定支援の展開ができるかどうかが,今問われていると思う。 途中で見学した「本人中心支援計画会議」も,本人,親,兄姉,相談支援専門員(基幹と指定特定),グループホーム職員,日中活動(青葉園)職員,(65歳以上であるため)介護保険の相談員が同席していた。別の事案では,専門職後見人も本人中心支援計画会議に必ず同席しているとのことであった。 以前,アメリカのパーソンセンターモデルを見学したことがあった。そこでは,本人はうろうろしているが,お菓子を食べに戻ってくる。支援者と家族だけでは,話はすぐついてしまう。しかし,本人もいるところで,ずっと続けていくうちに,支援者や親の意識が変わってくる。常に本人がいる状況が大切である。そのうち,私のためにやってくれているのだということが本人自身も分かってくる。イメージが湧いてくるのである。青葉園でも同じである。 将来的なことを踏まえながら,支援計画を作っていくことが必要である。本人中心支援の展開が大事である。支援者,家族も,本人が立ち上がっていくのと同時に,周りも立ち上がる。青葉園の個人総合計画は,単なるサービス提供事業者の個別支援計画ではない。また,西宮市の本人中心支援計画は単なるサービス利用計画ではない。どこまで共に,心を揺さぶりあいながら,一緒にやっていけるのか。それができることが,真の共生社会の実現につながると思う。 ここで重要なのは,本人と支援者の相互エンパワーメントの仕組みである。青葉園の活動を通じて,本人と支援者が相互にエンパワーメントしていることを感じている。支援者もまた,本人にエンパワーメントされている。そして,地域社会もまた同様である。 4 質疑応答 (質問) 胃ろうの場合に,本人の意思をどうやって確認するのか。 (回答) まず,意思決定支援というより本人の物語形成という展開だと思っている。意思決定支援が必要な者にどのように意思決定支援していくかという枠組みを作りたくない。意思決定支援が必要な人と必要でない人を分けること自体が間違っているのではないか。胃ろう形成についても,本人中心の会議において,本人がはっきり決めたということでもなく,もちろん多数決でもなく,本人の物語形成の過程として意思形成されていくことになる。随分と一緒に苦しんで長い経過の中で辿り着いた。落としどころを導いたのが本人という認識をみんなが持っている。本人との共同作業である。本人を抜いて,家族や支援者が,本人の最善の利益を考えるというのとは根本的に異なる。 (質問) 相互主体という考え方をあえてとったのはどうしてか。 (回答) 青葉園の立ち上げは,自立生活運動の影響を受けている。当然本人主体の考え方に基づいている。しかし,本人主体を自ら表明しにくい人と捉えるためには,支援者側も主体を掛けないと,本人が立ち上がっていくところを見ることができない。本人を主体にするためには,相互主体の考え方をとらないと困難であるからである。 相互主体は,共同決定ではない。共同決定は,誘導が入る。相互エンパワーメント支援の展開こそが必要である。 (質問) 意思決定支援法のドラフトについて (回答) 関係世界を生きている以上,意思決定ができない人はいない。意思決定できないと捉えた瞬間に,意思決定できない人が存在してしまう。こちら側の想像力と創造力の欠如の中で意思決定できない人を作ってしまっている。また,選択肢を示すのが意思決定支援ではない。例えば,関係の深い者(好きな支援者)が一生懸命選んでくれたものが最良の選択肢であることもある。それは誰にだってある。心の共々の関係の中でその奥底から立ち上がるのが意思決定である。選択肢を示すことで,隠ぺいしてしまっているところもある。本当に欲しいものはそこにはないのだということに真摯に向き合うことも必要である。繰り返しになるが,意思決定できない人はいない。そこを基盤に据えている。 5 感想 青葉園では,障害者権利条約ができるずっと,ずっと前から,本人を中心に据えて,本人中心支援を行ってきた。地域で暮らしていくことが「不可能」な人なんかいない!というコンセプトの下,言葉の出ない重症心身障害の人の地域での一人暮らしを支援し続けてきた。意思決定支援というと,一方通行の支援のように聞こえるからか,青葉園では,本人中心支援といい,本人を中心に円形の支援を展開している。そして,そこから一人一人を主人公にした物語が展開されていき,自分らしく自分の物語を生きていく主体者が本人で,支援者たちは本人と一緒に喜んだり,悲しんだり,悩んだりして,一緒に希望を持って共に立ち上がっていく。正に双方向の営みである。そこに凄みを感じた。それを何十年も前からやってきていたのには,正直感嘆するしかない。時代がようやく青葉園に追いついてきたのかもしれない。 第7 障害者支援施設「かりいほ」 1 2015年6月17日,18日に,社会福祉法人紫野の会が運営する障害者支援施設「かりいほ」を訪問した。訪問をしたのは,女性の弁護士3人,男性の弁護士2人の合計5人である。 一日目は午後2時前に到着し,施設長から概要等の話を伺った上で施設の敷地を案内していただいた。夕食後には,利用者さんとお話させていただき,利用者さんが各々部屋に帰った後は,施設長と若手職員2名から飲みながらお話を伺った。夜は職員宿舎として使っている戸建ての家の一室を使わせていただき,翌朝朝食を食べた後,利用者さんの活動の時間が始まる前にお暇した。 2 「かりいほ」概観 (1) かりいほは,色々問題を抱える障害のある人のやり直しの場を作るべく,1979年に開設された(養護学校義務の年でもある。)。 施設を作るに当たり,色々と場所を探したそうである。新幹線もなかった当時,東京から日帰りができる距離内で,広大な土地があるところ,そこに,家族的なケアが受けられる施設を作りたいという思いであった。 (2) 開設当初は,法人の役員のお子さん15名と,都内でも「大変」と言われている人を「大変」な順から15名受け入れたそうである。 かりいほは,開設当初から「ここ以外に居場所のない人」を受け入れる場所であった。そして,それは今も同じであり,利用者さんのうち罪を犯して刑務所や少年院等に収容された経歴のある人は,3分の1くらいとのことであった。 開設時は,支援員の人数が少なかったこともあり,職員全員が住み込みで勤務していたとのことである。現在は,住み込みの職員は,施設長夫婦をはじめ10名とのことである。現在,入所者の平均年齢は30代〜40代程度であり,全員日常生活は自立している。 (3) かりいほが提供しているサービスは,制度の枠組みでは,施設入所支援と,生活介護である。しかし,実際は,宿泊棟だけでなく,敷地内に点在する一戸建てにも利用者が居住しており,制度が想定する「施設入所支援」とは異なる。もっと言ってしまうと,現状の制度に当てはまるものがない。 (4) 日中の支援についても,「生活介護」というと,一般的には,障害が重く生活全般に介助が必要な人を対象として,簡単な作業等をさせるようなイメージだと思う。かりいほでは,生活介護=個別支援と捉えており,その利用者が,「ここに居られる」ための支援をオーダーメイドで行っている。 例えば,多数との人間関係が苦手で作業がストレスになってしまう人は,趣味のレース編みをして一人で部屋で過ごすことを日中の活動にしたり,月1回サッカー観戦に行くことを活動の内容とするなどである。 「〜班」(例えば織物班とか農作業班とか。)という固定のものは作っていない。作業に参加される個々の利用者さんの活動内容は,その人によって大体決めているそうであるが,確定するのは,その日の朝とのことである。 (5) また,支援の方向性を検討するときには,本人の希望をできる限り聞く,叶えるようにしているそうである。例えば,まったく就労経験がなく,グループホームが何なのか知っているかも怪しい利用者さんが,「1年後には就職して,グループホームで生活をしたい」という希望を持っている場合,彼の希望を叶える方向で支援を組み立てる。 利用者からすると,自分の考えを受け入れてもらってはじめて,職員側の考えも受け入れてもらえるようになるという。 こういった「生活介護」もまた,元々制度が想定していたものや,一般的に提供されているものとは違うものだと思う。 (6) 利用者さんとの話 夕食後,施設長からの「『お客さん』(私たち)と話をしてもいい人は残って」の声掛けに,10人くらい残ってくれた。 利用者さんに生活の様子を聞くと,朝は午前6時30分起床,掃除等をした後,午前7時30分からラジオ体操。午前7時40分〜朝食,就寝は午後10時であり,買物は月3回(1日,10日,20日)。お金は月初めに渡され,自分で管理しており,日用品等は自分で購入するとのことであった。作業の内容は,施設側の指示に従う。ある利用者さんは,「『何をやりたい』とか,希望は言わないね。そんなこと言ってる場合じゃない。」とおっしゃっていた。途中,午後7時40分からの「おやつの時間」を挟み,午後8時30分頃まで話を伺った。 窃盗を繰り返して刑務所に入った後,かりいほに来た人。 刑務所に,長く居たんだと言う人。 少年院に居たんだと言う人。 一度かりいほを「卒業」したものの,また戻ってきた人。受け入れてくれるところがあれば,グループホームに行きたいなあ。働いて,旅行に行きたいなあ,と言っていた人。 いらいらすると,人を殴るかわりに,自分を殴ってしまう人。 一見穏やかに生活しているように見えても,それぞれが色々な背景や思いをもってここで生活しているのだと思った。話を伺った数名は,10年以上かりいほで生活しているとのことであった。他の居場所,次のステップは,現実問題としてなかなか難しいのかなと思った。 また,利用者さんと話をしてみて,一応生活スケジュールは細かく決まっているのだなあ,そういうところはやっぱり施設なのだなあと思った。個別支援とはいえ,集団生活なのだから,当然といえば当然だが。 (7) 職員さん 夜は施設長と若い住み込みの職員さん2名とお酒を飲みながらお話を伺った。施設長が「あれは上手くいった」と紹介してくれたケースがあった。男性利用者のケースであるが,幼少期に母親の愛情を受けられなかったためか,ある物に執着し,窃盗を繰り返してしまう。再犯を繰り返したが,辛抱強く関わり続け,25年経って,本人から「もうやめた」という話があり,立ち直ったという。 25年!司法関係者の言う「入り口支援」という言葉がどうしても薄っぺらく感じられてしまう。押さえつけるのではなく,受け入れられ,支えられる経験を通じて,ようやく執着から解放されたのだと思う。そこまで息の長い関わりができる支援チームが作れるだろうか,と思った。 また,若い職員さんが「こんなに人と向き合ったのは初めてです」とおっしゃっていたのが印象に残っている。 3 感想 (1) 利用者さんの思いに寄り添う支援を行うためには,支援者がどこまで,腹を据えられるか,だと思った。どうしても,支援者側は失敗や問題が怖い。先手を打って問題が起こらないようにしたい。つい,「そんなわがままな」と思ってしまう。 そういうものを全部捨てて向き合ってみる。そうすることで,彼ら・彼女らの背負っているものや,「問題行動」の原因を探り当てたり,本人がゆっくり,ゆっくりと,変わっていくことを支える関わりができるようになるのかもしれない。 一方で,向き合い方とは別に,制度上の問題もある。現在の福祉サービスは,サービスのメニューが決まっていて,いわばそれを組み合わせて支援を形作るものであるが,今のかりいほは,実質は,既存のサービスのどれにも当てはまらない。既存のサービスメニューに当てはめていくのでは,その人にあった支援の形を作るのに限界があるのだと思う。 また,何がその人にとっての「豊かな生活」なのかも考えされられた。入所施設だから,人里離れているから,だめだろうか。地域に戻るってどういうことだろう。町の中のグループホームに住んで,就労支援事業所に通うことが地域生活だろうか。でも,考えてみると,一概に言えなくて当然かもしれない。支援者側が答えを出すものではなくて,利用者さんと一緒に考えていくものだと思う。 今回の施設訪問を通じて,色々な問題提起を受けた気分である。立場の違いとか,制度上の制約とか,難しいことはあっても,向き合い方を変えようと努力することで,本当の意味での支援に少しでも近づけるかもしれないと思う。 (2) 今回の訪問は,日弁連の人権擁護大会で,「意思決定支援」を考えるために行った訪問であったが,地域で生きることが「しんどい」,「緊張する」という人々が,ここかりいほでは生きられるという実際を見て,意思決定支援という言葉の「支援」の意味を深く考えた。私の人生を変えるかもしれない記憶に残る訪問であった。 第8 NPO法人おかやま入居支援センター 1 NPO法人おかやま入居支援センターの概要 (1) 設立 2009年3月設立されたNPO法人(特定非営利活動法人)である。 @ (目的)住居の確保が困難な方々の入居を支援するために,関係機関と協力してネットワークを形成し,必要に応じて入居時の保証人になるなどの方法により,住居を確保し,誰もが安心して暮らせる街作りの一翼を担うことを目的としている。 A (組織)理事は,全員が専門職(弁護士,司法書士,社会福祉士,行政書士,宅地建物取引主任者,医師,精神保健福祉士)。理事会は毎月1回行われ,支援の可否を決定している。 B (利用対象者)高齢者(原則65歳以上)・障がい者,入居できるアパート等の確保が困難な者。ただし,利用には,NPO法人おかやま入居支援センター(以下「NPO法人」という。)の会員又は関係機関の人と一緒に申込みをする必要がある(※関係機関とのネットワークがないと支援できないため)。 NPO法人おかやま入居支援センター『精神障害者入居等支援体制強化事業 実績報告書』2頁(2015年3月)より抜粋  (2)NPO法人おかやま入居支援センター設立のきっかけ @ 弁護士から見た経緯 精神障がい者の地域移行が進まない。精神保健福祉センターからは賃貸住宅への入居時の保証人が見つからなくて困っていると聞いた。そこで調査してみると,保証人が見つからないという以外に,差別や偏見でそもそも貸してくれる物件が少ないという事が分かった。岡山高齢者障がい者ネットワーク懇談会 (以下「岡山ネット懇」という。)でこの話をしたところ,精神障がい者の賃貸の仲介に意欲のある善意の不動産業者(阪井ひとみさん)を紹介してもらった。 A 不動産屋(阪井ひとみさん)から見た経緯 日本中に空き家や空き部屋が多数ある。アパートや借家など賃貸住宅の3割から4割は空き部屋で,全国で487万戸あるとも言われている。実家を空き家にしている家は全国で270万戸もある。それなのに,精神障がい者は,精神障害というだけの理由で,不動産屋の店で断わられてしまったりして,部屋を見ることすらできない。部屋を紹介されても一か所しか見られない。一般の人は部屋をたくさん見て決めるのに。これらを理不尽に感じた阪井さんは,自分で精神障がい者が入居できるマンション「トキワソウ」を建築して,入居してもらった。しかし,入居後の支援を考えた時,個人的な支援に限界を感じていたところ,ネット懇を通じて,弁護士や精神保健福祉センターと結びつくことができた。 B 上記の出会いから,岡山ネット懇の専門職が精神障がい者の支援のネットワークを形成し,精神障がい者の日々の生活を支援する体制を作って,貸主が安心して貸すことができる体制を作った上で,不動産業者が住まいの確保をすることにより,貸す方も借りる方も安心できる支援の枠組みを作り,住宅や生活の諸問題を一挙に解決するべく法人を設立した。 設立当初は,岡山県精神保健福祉センターからの委託事業(退院支援,転居支援等)が中心であったため精神障がい者の支援が多かったが,現在は,身体障がい者,高齢者,被虐待者の支援も行っている。 (3) 支援の仕組み @ 支援の仕組み 個別の支援者がいるケースしか支援しない。支援者がいない場合には,岡山ネット懇の相談に引き継いで,支援者を見つけることになる。理事会において,毎月1回審査をしている。支援決定は,入居支援決定(物件探し支援・ネットワーク形成支援)と保証支援決定(保証人・緊急連絡先)がある。理事会において支援決定する場合には,担当理事を決めている。担当理事は,最初のケース会議に出席している。 A 申込同行者     申込同行者の4分の1以上が精神科医療機関や精神保健福祉分野の行政機関に所属している。次いで多いのが,弁護士,障がい者福祉系事業所などである。多い順に記載すると,精神科医療機関,弁護士,障がい者福祉系事業所,地域包括支援センター,介護福祉系事業所,社会福祉士,福祉事務所,更生保護関係機関などである。 B 利用実績 支援申込数(2009年3月〜2015年2月)(下記表参照)は189件(精神障がい者が多い。)である。 そのうち,支援決定したのは110件。その余は,他の支援が受けられるようになった等の理由で理事会審査の前に申込み取下げ(49件)になったり,本人が支援に拒否的である等の理由で法人としての支援が難しく不受理となったもの,他の支援の方策を検討するため保留となったものなどである。 支援決定110件の内訳は,入居支援が6件,保証支援が100件(保証人85件,緊急連絡先15件),残り4件は支援決定したものの実際の支援が始まる前に死亡された等で取下げとなった。 NPO法人おかやま入居支援センター『精神障害者入居等支援体制強化事業 実績報告書』4頁(2015年3月)より抜粋   C 保証支援(保証人)の内容     まずは,民間保証会社の利用を検討している。 NPO法人が保証人となった場合,保証債務の履行リスクはある。そのため,保証契約を締結する際,保証の範囲を限定したり(家賃の9か月分まで),NPO法人への支払い遅れの連絡から1か月以上遡らないとの内容にして,滞納があれば直ちに連絡をしてもらえるようにする等工夫をしている。また入居者本人にはNPO法人の協力会員となってもらい,1年で5000円の会費を支払ってもらう。これまで,実際にNPO法人が保証履行したのは2件にとどまっている。 なお,公営住宅の保証人は,県内に居住する自然人に限られていたが,条例を改正するよう働きかけを行い,法人も公営住宅の保証人となることができるよう改正された。 D 入居後の定着支援    入居の支援だけでなく入居後の定着の支援もする。例えば,入居後孤立化してしまい体調が悪くなるケースや,人との関わりができていないケースが出てきたからである。 具体的には,センターの事務局のある「サクラソウ」の入り口にソファー,喫煙所,カフェ(入居者で運営:視察の際にもコーヒーをいただいた。)を設け,「たまり場」をつくっている。「サロン」を作ったこともあるが,利用者が固定化してしまった(「いつもAさんがいるから行かない」とBさんが言う。)ことから,たまり場という緩やかな場所を提供することとした。  (4) 今後の課題 @ 広域的入居支援ネットワーク構築     (岡山,鹿児島,高知の入居支援事業実施団体との連携)     2014年9月から上記3団体の連携事業実行委員会を立ち上げ,住宅確保要配慮者の入居支援と地域生活支援は,全国共通の課題であることが確認された。2015年1月13日公的な家賃債務保証制度を実施している一般財団法人高齢者住宅財団に協力の申し入れを行った。 A 全国の宅建協会へ発信     一般社団法人岡山県宅地建物取引業協会(岡山県宅建協会)に呼びかけを行い,入居場所の確保をお願いしている。同協会に「居住支援特別委員会」を設置してもらった。 さらに,公益社団法人全国宅地建物取引業協会連合会(全宅連)にも働きかけ,全国的に「居住支援特別委員会」を設置するよう働きかけている。 2 阪井ひとみさんの言葉(スタンス) ・その人が住みたいところが「住まい」である。支援者が動きやすいところではない。どこでどう暮らすかを,本人が選択することができるように支援をする。物件を探す場合には,本人主導で行う。だから,ワーカーが「その部屋に入ると通り道だから仕事がしやすい」などと言って,誘導しては駄目である。「自分が気に入った部屋に住みたい。」自分が住みたいと思って決めた部屋だから大事に使用してくれる。大事に使用してくれることが分かったら,貸主も安心して貸せる。「住」が安定すると,「衣食」も変化してくる。支援者は「本人を支援するのに適した者に適宜交代しても構わない」という発想の転換が必要である。 ・不動産業者は,ビジネスとして賃貸をしている。どんな借主も仲介料を払っていただく「お客様」である。なのになぜか,上から目線の不動産屋が多い。 中には,悪質な借主もいる。天井に注射器で雨漏りを作ってクレームをつけてくるなんて人もいる。そういう場合は不動産業者にリストが回ってくる。そういう場合に不動産屋は役に立つ。餅は餅屋である。 ・入居者の調子が悪くなったらなるべく早く通院・入院する方が良い。それは入居者も解っているけれど,入院するとすぐに退去してくれという大家さんが多い。退去となると,入居者は,家財道具をゴミとして処分されることが多い。本人にとっては「宝物」なのに。それを恐れて,入居者は通院・入院をしないようにする。 しかし,「生活保護の人であれば,入院しても福祉事務所は数ヶ月間家賃を払い続けることができる」ということを教えてあげたら,大家さんは「家賃が入るならそのまま退去しなくていい。」と言ってくれた。そうなると,入居者は早く医療機関と繋がるので,入院にしても短期の入院ですむ。そうすると借家・部屋を明け渡さないですむという好循環となる。 3 感想 (1) MCA5原則のようなものではないが,本人の意思決定の支援を丁寧にする,本人の意思から離れないという姿勢が貫かれていると感じた。 (2) 入居支援決定の中に,「支援ネットワークの形成」があるところが特徴である。支援ネットワークの形成が,安定的な貸主・借主の関係を作るのに不可欠いうことが肝に銘ぜられた。 (3) 阪井ひとみさんのエネルギッシュな活動に目を奪われた。また,上記2にあげた阪井さんの言葉は,阪井さんの当事者(貸主も借主も)の意思を大事にするスタンスがよく分かる。自分の地域でも不動産屋さんのキーパーソンを見付けたいと思った。 ? 第9 ACT-J 1 ACT(Assertive Community Treatment)とは  (1) ACT誕生の経緯 日本では,歴史的に,精神疾患を抱えた当事者たちは,地域と切り離された病院や施設でケアされてきた。とりわけ重い精神疾患を抱えた当事者たちは,長期間の入院や施設入所を強いられ,人生や暮らしについて著しい制限を受けてきた経緯がある。現在も1年以上の長期入院者が20万人を超えており,世界でもっとも多い。 ACTは例え重い精神障害を抱えた人であっても,病院や施設による収容中心のケアから,地域生活中心の暮らしを実現させることを目指して導入された科学的根拠に基づいたプログラムである。 (2) ACTの特長 重度かつ継続する精神障害を持つ人たちに対して,包括的で地域に密着したトリートメントを提供するサービスモデルである。 既存のサービスでは地域生活の継続が困難な人たちを対象として,個別化されたサービスを直接提供する。 障害を抱えながらも,その人の希望や長所を生かした,質の高い地域生活の実現と維持を目標としている。 2 ACTプログラムを支えるもの (1) ACTを支える方法論,「アウトリーチ」と「多職種チームアプローチ」   @ アウトリーチ 訪問する,手を差し伸べるということである。 利用者には,自分は病気ではない,治療は必要ないと感じている者や,強制的な介入による医療不信を持っている者,長期療養中の入退院により退社,離婚に追い込まれ,社会や家族から孤立した者が多い。それと併せて彼らは生活のしづらさを感じている。このような利用者に対して,訪問して生活上の困りごと,病気との付き合い方,就職に関する相談等を提供している。 A 多職種チームアプローチ 現在ACT-Jには,11人のコメディカル(看護師,精神保健福祉士,作業療法士)と精神科医がおり,複数担当制を採っている。1人の利用者に対して2人から4人の担当者が付き,それらが入れ代わり立ち代わり利用者に関わり,訪問して,多様な視点で対象者を見ている。このことにより,様々なアイディアを利用者に提供し,利用者がその中から,利用者の意思,希望で取捨選択することができる。職種によるそれぞれの違いを敢えて関わりの中で活かしていくようにしており,それぞれが得た情報については,ミーティングで共有するようにしている。ミーティングは毎朝60分から70分くらいかけて行っている。 (2) ACTを支える考え方(理念),チーム全体が目指すもの @ Recovery oriented 希望や自尊心を取り戻し,障害や病気があっても社会のなかで自分が求める生き方,自己実現を追及するという考え方である。 これまでの医療が安定志向,薬を飲んで何も問題がなければそれで良いという面があるが,症状・生活の安定を目標とするのではなく,そもそも本人の生きる希望,目標は何かということを常に確認しながら,より良い時間の過ごし方,より良い日常を求めていく。その過程では失敗しても修正して次に取り組めば良い,という働きかけをしている(トライアンドエラー)。  リスクも伴うが,サポートして成長過程につなげていくという姿勢で取り組んでいる(ハイリスクハイサポート)。例えば,薬を飲みたくないという利用者に対し,頭ごなしに否定するのでなく,薬を飲まなかった場合にどのような事態が発生するかを予想し,その対策を確認した上で,期間を決めて薬を止めてみて,週1回だった訪問を毎日の訪問にして点検していくようにしたり,仕事をしたいという利用者に対し,希望に合う仕事を見つけて,体験してもらい,その体験の場にチームの担当者が訪問して感触を確かめながら会社との交渉をしたりするなど,事前に予測を立ててチャレンジをしてもらう。   A ストレングス 人が持つ様々な強み(生活,環境,経済的,教育,身体的,過去の経験,精神的等)に目を向け,本人のリカバリーに生かすという考え方である。自分の足で立って歩けるようになるために,ストレングスをチャレンジへの足掛かりにする。   B エンパワーメント 自己決定力を取り戻すためということに加え,ACTによる支援を自分で自分の面倒を見ることのきっかけにしていくという考え方である。   C エンゲージメント 利用者と関係性を築いていく際に,安心や信頼といった感情を基に,互いに積極的に関わる関係性の持続を約束するという考え方である。   D Person Centered 本人中心主義。暮らしの場で当事者が輪の中心にいて,チームが伴走するという考え方である。 3 ACTの実践から見えてくるもの,模索していること (1) ACTにはフィデリティ基準(そのプログラムがオリジナルモデルにどの程度忠実であるかをみるための基準)があり,対象者の基準(統合失調症等の重い精神疾患を持つことなど)やスタッフのケースロードが1対10以下であることが示されていることから,支援の対象を限定してはいるが(現在の利用者は75人程度であり,80人程度が限度ではないかと思われる。),家族支援を含めた濃密な支援をしている(現在の利用者の45%程度が家族と同居しており,家族支援にもかなりの力を割いている。)。何をするにも本人中心が原則なので,日常的に小さな意思決定・意思確認をたくさんやっており,本人と確認,共有しながらプランを作成している。 (2) 利用者の「最善の利益」を判断するのは難しいし,結果は先にならないと分からないが,一緒に考え,迷ったりしながら,「最善の解釈」,彼の判断が何を意味しているかを心掛けており,それについては,チームで責任を持つという姿勢でいる。 (3) 後見について,精神障害に限っては家族が後見人になることが良いとは限らない。家族が疲労していたり,負担が大きく,関係性を拒んでしまうこともある。同居していても,共依存になっていたり,極端なパターナリズムに陥っている場合もある。そのため,ACTで後見人の利用を勧めるのは限定的(資産多額の場合等)である。 面会の頻度の問題等から後見人と利用者との関係づくりに時間がかかり,後見人の役割の部分について,安心して任せられるというところになかなか至らないという現状もある。 現行の後見制度に違和感を持っている当事者は非常に多い。特に知的障害の当事者は自分たちが面倒を見ていくという意識があり,敬遠している印象がある。 (4) なるべく入院に頼らない支援という背景には,入院した場合に本人の権利擁護について,病院とのコミュニケーションが難しい,隔離,拘束をめぐっての意見が対立しやすいという点もある。強制的な隔離,拘束は医療不信にも繋がりやすいと考えている。ただし,ACTでは,入院するか否かの境界線上にいる利用者が多いため,強制介入(措置入院等)の頻度は高くなり,これについてはチーム内で意見が分かれることもある。 (5) 精神障がい者の医療に関する意思決定が日本で十分になされていないのは,医師のトレーニング不足,医師の多忙に原因があると思われる。多忙については,チームで取り組むことにより改善される部分はある。 (6) 利用者についての情報をチーム以外の第三者が蓄積,共有することで意思決定が容易になるということも考えられるが,トレーニングが必要な上,思い入れがあるため家族には難しいのではないか。 (7) アウトリーチのチームの増加による改善も考えられるが,質の確保が課題である。地域が管理の枠組みになってしまわないか懸念している。 (8) 精神病院自体がない方が良いという考えもあるが,精神病院の存続を前提としても,日本では人が医療に縛られ過ぎているとは感じる。強制入院はできるだけ敷居を高くしていくことが必要と考えている。強制入院がなかなかできないから,医療が早め早めの対応をしていくという方向が望ましいのではないか。 (9) 「親亡き後」の問題について,信託,遺贈,プランドギビング等を活用していくことができないか検討している。 (10) 後見制度を改善して普及させることも重要であろうが,ファミリーグループカンファレンス等,新しい意思決定の方法を応用していくということも検討している。 4 事例の紹介 地域で生活しているが,問題行動を起こし,地域住民,不動産業者から転居を求められている利用者がいる。本人はそこに住み続けたいという希望を持っているが,近隣との関係が限界に達している。 最終的には本人を含めたケア会議を行って決めるが,現状からすると,転居はやむを得ないと思われる。ただ,今回何故転居を求められているかを本人に考えてもらい,それを今後の転居先での生活に活かしていけないかを検討している。 5 感想 ACTの理念については,素晴らしいものであり,後見人として活動するに当たっても示唆に富むものであって,共感を覚えた。後見人としては,どうしても被後見人に問題を起こしてほしくない,平穏な生活を送ってほしいという考えになりがちではないかと思われるが,問題を起こさない平穏な生活というものが,被後見人の望むものなのかという視点が足りなかったのではないかと考えさせられた。 また,ACTの活動と,弁護士との関わりについても,ACTのスタッフの方からすれば,費用の問題があるものの,ACTの活動に弁護士に関与してほしいと思ったことが何度もあるとのことだった。その一方で,現状の後見制度は今一つ使いにくいとのことであり,弁護士の関与が指すものは,弁護士に後見人になってほしいということではなかった。現場のスタッフからすると後見人が期待していたようなものと違い,半年に一回訪問するという程度だけで思いのほか関与してくれないということである。また,家族からすると,事情も知らない第三者に財産を管理されるということにも抵抗があるとのことである。このような意見に,弁護士と現場との需要と供給のギャップを考えさせられた。 現状の制度の中で,弁護士の職務として,専門職後見人の職務として,何をすべきかを考えさせられるとともに,そもそも現状の制度自体も,より当事者にとって分かりやすくかつ使いやすいものにすべきではないかということも考えさせられる訪問だった。 第10 パーソナルサポーター事業(千葉県)の取組について 1 パーソナルサポーター事業発足の経緯 (1) 2013年11月に,千葉県立施設袖ヶ浦福祉センター養育園(指定管理者:千葉県社会福祉事業団,児童施設(以下「養育園」という。)の利用者が職員による虐待によって死亡するという事件が発生し,その後,同更生園(成人施設)でも,職員による利用者への暴行・虐待が行われている事実が判明した。 (2) そこで,県では問題の全容を究明するため,外部の有識者を委員とした「千葉県社会福祉事業団問題等第三者検証委員会」を組織し,そこで出された「外部チェックの強化」のための提言の実行として,パーソナルサポーター(以下「サポーター」という。)事業を実施することとなった。 2 パーソナルサポーター事業の概要 (1) 目的 利用者本人のニーズを主体とした支援の実現(利用者本人のニーズ及び障害特性に合った,施設内での支援環境の向上及びグループホームや障がい者施設等への円滑な移行(卒園)の実現)。 事業開始当初は,虐待防止,早期発見のための活動を中心に据えていたが(記録の確認,利用者との面談,入浴時に観察して痣等がないかチェックすることなど),事業を運用するにつれて,徐々に支援環境の向上や円滑な卒園の実現という目的にシフトしている最中である。 (2) 対象者等 現段階では,養育園(児童施設)の入寮者を対象としている。 2014年3月に5名の入寮者に対し,各1名のサポーターを付ける形で事業を開始した。同年10月に事業の範囲を拡大し,さらに8名の入寮者に対し,各1名サポーターを付け,2015年5月時点で養育園の入寮者のうち12名に各1名サポーターを付けている。 サポーターには,県内の障がい児者の相談支援等の経験豊富な人物(事業所の責任者クラスの人物)に依頼している。 県からは,各サポーターに月1〜2回程度養育園を訪問するよう依頼しており,具体的な訪問日時の調整などは,個々のサポーターと養育園で直接行う形となっている。養育園の訪問以外に,サポーター同士が情報交換を行える会議等を定期的に開催することなどによって,よりよい活動をしてもらえるように工夫している。 (3) パーソナルサポーターの活動内容 @ 本人との面談及び支援記録の確認等からの本人のニーズの把握 A 移行(卒園)に向けた支援の組立てに関する利用者,保護者及び支援員へのサポート(利用者及び保護者への相談支援事業所や体験利用施設等の紹介,支援員への関係機関との情報共有・連携に関するアドバイス等) B 施設内での支援環境の向上に関する支援員へのアドバイス・施設への提案等 C 施設における中長期の見通しを持った個別支援計画作成・実施に関するサポートやアドバイス(利用者本人,支援員及び家族他支援関係者間での共通認識醸成のサポート) D 不適切な支援の疑いのある記録等を確認した際の県への連絡 (4) これまでの派遣による成果 サポーターが養育園を訪問する中で,利用者の支援方法等についての改善点を報告し,県の側でそれをまとめる形で,これまで二度にわたり「利用者の支援等に対する提言」を袖ヶ浦福祉センターに対して通知した。 サポーターが養育園訪問時に,対象者とだけでなく,職員ともコミュニケーションを取ることで,職員の意識向上や,利用者の支援に関するヒントを得る機会が生まれ,利用者の支援に活かされている面が出てきている。 3 パーソナルサポーターの実際の関わり方(あるパーソナルサポーターとの意見交換から) (1) パーソナルサポーターの業務 サポーターの業務としては,養育園を訪問して,@利用者の様子を確認する,A支援記録を確認した上で,職員からも話を聞いて利用者の様子も確認する,B利用者の行動を見守って確認し,気付いたことを職員にアドバイスする,ことなどを行っている。当初は,虐待の未然防止,早期発見のための活動という意味合いが強かったが,現在では,それにとどまらず職員のケアやサポート,相談相手になるようなことも重要と考え,積極的に職員から話を聞くように心掛けている。 利用者の行動を見守るにしても,何時間滞在して見守ったらよいのか,どのくらいの頻度で訪問すべきかなど,当初は分からないことが多かったが,他のサポーターのやり方も聞いて参考にしながら行っている。 意思決定支援に関しては,意思確認,意思決定といっても,自閉症児の場合,利用者の意思表示を受け止める職員に,利用者が何を求めているのか察知する能力が必要と考えている。 利用者の意思の受け止め方についても,職員の間で意思統一する必要があると考えている。 支援者の側には,単純に利用者の言葉どおりのことをするのではなく,利用者とのこれまでの関わりの中で,本人の隠された意図を酌み取る能力が求められている。 (2) 利用者と職員のコミュニケーションが具体的に改善された例 @ 以前は,サポーターがいつ訪問するかについても部屋に表示がなく,利用者に明示されていなかった。現在では,訪問するサポーターの名前と顔写真が部屋に掲示してあり,今日来ることが利用者に分かるようになっている。 A 声掛けの言葉がバラバラになって利用者を混乱させないように(「食堂に行こう」,「ご飯だよ」など),写真付のカードを作成し,それを利用者に示すことで,「食事」,「トイレ」ということがいつも同じ形で利用者に伝わるように工夫がなされた。 B 日中作業を行うときに,今日の課題を順番に並べて用意するようになり,利用者が来たら,今日やらなければならないことが一目で理解できるようになった。 次にどうなるか,という見通しが利用者の側で明確になると,利用者の精神的な落ち着きに繋がる。 上記の取組は,サポーターの派遣前も,個々の職員が単発的に試みたことなどはあったようだが,職員が「言語指示を受け止めにくい人に対してどんどん言語で指示を出して混乱させている。」という問題点を共有して,対応するようになったのは,サポーターが入るようになってからだと思われる。 (3) 職員の間の情報共有 利用者の特性について,職員の間で共有する方法としては,ケース会議などがある。その際に,「この利用者については,こういう場面ではこういう応対をしてください。」というところまで意識を共有できれば望ましい。 (4) 地域移行への支援 地域移行への支援について,サポーターの役割として最近付け加わったばかりということもあり,まだまだ手探りの段階である。 いざ卒園後の受入れ先が見つかったとしても,利用者本人に対しては,まず受入れ先の写真を見せて,「ここに見学に行かない?」と誘って見学をして,その後は,「何時間か生活してみない?」,「今度は泊まってみない?」といった形で,利用者に徐々に体験をさせながら理解させていかないと,意思決定も難しいのではないかと考えている。 卒園先についての選択は,利用者が望めばかなえられる等価値の選択肢を複数示せる状況にあればよいのだが,それは困難だと思われる。自分が担当している利用者についても,グループホームという選択肢はあると思うが,「在宅」という選択肢は現実問題として困難であると思うし,「今の施設にいつまでも住む」という選択も,児童施設である以上,困難である。とすると,「利用者にすべての選択をさせる」ということよりも,利用者が取らざるを得なかった道でも,そこでの生活を穏やかに充実したものにするためにどれだけ努力できるかということを優先して考えざるを得ない。 利用者本人に選択させるとしても,利用者に新しい落ち着き先での生活を具体的にイメージさせることができないと,選択できないと思われるので,前述したように,利用者に体験させながら満足できるように慣れさせていくといったやり方を取らざるを得ないと思われる。現実問題として,心から施設で生活したいという人は少ないと思うが,自宅で生活できない人も大勢いる。 4 感想 本人のニーズを主体とした支援の実現(利用者本人のニーズ及び障害特性に合った,施設内での支援環境の向上及び卒園の実現)という目的のため,施設や家族でない第三者が利用者本人のニーズを把握し,意見を表明するという点で,イギリスのIMCAにも通じる事業であると感じた。また,その具体的な支援内容も,利用者本人と支援者とのコミュニケーションの改善等にも及ぶなど,本人の意思決定支援につながる支援がなされているように感じられた。 ? 第11 認知症高齢者の医療選択をサポートするシステムの開発等 1 「認知症高齢者の医療選択をサポートするシステムの開発」 (1) 「認知症高齢者の医療選択をサポートするシステムの開発」 @ 京都府立医科大学大学院医学研究科精神機能病態学精神医学教室准教授・医学博士である成本迅氏らの行うプロジェクトのうち意思決定支援に関する主なものは,「認知症高齢者の医療選択をサポートするシステムの開発」である。このプロジェクトは,社会技術研究開発センター(RISTEX:Research Institute of Science and Technology for Society <リステックス>)により「コミュニティで創る新しい高齢社会のデザイン」研究開発領域において2012年に採択されたプロジェクトの一つである。 このプロジェクトは, ア 認知症高齢者の医療同意能力を専門家以外でも評価できるツールの作成 イ 同意能力が低下した高齢者の意思決定をサポートするプロセスの開発 ウ 医療資源の乏しい地域でも運用可能な医療同意サポートシステムの開発 の三つを目標として掲げられ, 「本プロジェクトでは,認知症高齢者の方が,医療,福祉,行政の多職種によるサポートを受けてスムーズに医療を受けることができるようにするためのシステムの開発を目的としています。具体的には,現場で使用しやすい同意能力判定ツールを作成することと,生活の質を考慮した最善の医療選択ができるようご本人と家族,サポートする人たちが話し合うプロセスのモデルを開発することを目指しています。医学,法学,心理学の専門家,行政,高齢者,認知症高齢者とその家族が参加して,病院や地域で実際に運用しながら,現場で運用可能なシステムを創り上げていきたいと考えています。」(J-DECS認知症高齢者の医療選択をサポートするシステムの開発「ホーム」「はじめに」http://j-decs.org/より引用)とされている。 A 成本医師は認知症の診断に関わられてきた経緯等から,医療同意に関する仕組み作りには医療現場を知った医療者が関わる必要を感じたことがこのプロジェクトを始められる動機であったとのことである。 (2) 現状 このプロジェクトは,開始後既に3年目に入っている。 このプロジェクトの二本柱は,同意能力評価と代行決定のプロセスの透明化である。同意能力評価の普及はこれからの課題であるが,代行決定のプロセスの透明化に関しては,公益社団法人成年後見センター・リーガルサポートと共同して検討され,先般,同法人から公表されている。 このプロジェクトでは,意思決定支援に関し,2015年4月1日,暫定的に作成したマニュアルないしガイドブック3種を公開している(以下のURLからダウンロードできる。)。 ●医療従事者向け http://researchmap.jp/mu5cvcmjs-56600/?action=multidatabase_action_main_filedownload&download_flag=1&upload_id=80788&metadata_id=32243 ●地域支援者向け http://researchmap.jp/mu9hk4r34-56600/?action=multidatabase_action_main_filedownload&download_flag=1&upload_id=80789&metadata_id=32243 ●地域住民向け http://researchmap.jp/mupos9yfd-56600/?action=multidatabase_action_main_filedownload&download_flag=1&upload_id=80790&metadata_id=32243 以下,医療従事者向けマニュアルを中心に,その具体的内容や考え方等を紹介する。 @ 医療従事者向け意思決定支援マニュアル ア 「医療行為を決定するときに考慮すべきこと」 (ア) 医療現場においては,家族の同意を得ればよいという風潮がある。そこで,医療行為への同意は患者本人の「一身専属的行為」であるということについて,しっかり認識してもらうことが意図されている。 (イ) 「本人の意思決定支援と代行決定のプロセスの透明化に関するフローチャート」では,できる限り本人の自己決定に戻るということと代行決定の過程を透明化することが考えられている。また,本人が同意するという決定過程を「記録」して手続きの適正を担保する必要性も意識されている。 (ウ) 本人に同意能力がない場合には,その治療方針の決定過程に第三者の目を入れるという意味で同意能力の有無の判定が必要とされる。それは,出来高診療という現報酬体系下において過剰医療を防ぐという効果も見込める。 (エ) イギリスMCAにみられるような「免責」という効果は,こうした制度の普及を後押しすると考えられる。 イ 「認知症の重症度ごとに考えてみましょう」 このマニュアルでは,軽度と中等度〜重度の場合を分けて,軽度の場合は意思決定支援を中心に,中等度以上の場合は本人の意向に沿った治療を代行決定していくことが想定されている。認知症の程度は,シームレスな連続的な概念だが,医療現場では,比較的はっきりと分かれてくる傾向があるからである。そして,代行決定の場合でも,家族と一緒に,本人ならどうするかを考えることが求められている。 ウ 「本人の気持ちに目を向けてみましょう」,「本人の理解を促し,意思を酌み取る工夫」 具体的な意思決定の支援方法,コミュニケーションの取り方を説明されている。 エ 「同意能力評価が必要になるのはどんな時?」 (ア) 医療行為の同意には,@理解,A認識,B論理的思考,C選択の表明の4要素が必要であると考えられている。忙しい医療現場を考えた場合,最も大切な「理解」の力をチッェクすることが最重要であり,「本人の言葉で説明をしてもらう」ことが求められている。「認識」は自分のこととして理解していることが必要で,例えば,統合失調症の患者が病気やそれに対する治療を認識していても,自分は「神の子だから治療は必要ない」という場合,医療同意に必要な「認識」はないとみる。「論理的思考」は,いくつかの選択肢のメリットとデメリットを比較することができることが求められる。 (イ) 同意能力評価が必要か否かは,既に病名が付けられているかどうかで決められるものではない。例えば,アルツハイマー病の患者の場合,会話を上手く取り繕い,「はい」,「はい」と返事する人も多いことから,肯定文と否定文の両方で確認することを勧めている。また,記憶力の障害があるだけで理解力を維持している患者もおり,その場合,何度か同じ質問をしても同様の回答がなれるのであれば,本人の意思とみてよいと考えられる。さらに,治療拒否の場合にも同意能力評価が必要であり,治療をする場合,しない場合,それぞれのメリットとデメリットのバランスを考慮して同意能力を検討することとされている。 (ウ) 医療行為のうち,侵襲性の大きい重要な医療行為や医療拒否の方向の決断には,第三者が関与する必要性があり,特に,リスクが大きくなくメリットがあるにもかかわらず拒否される場合には,理由を明らかにするためにも慎重な決定過程を経ることが求められる。このように第三者的立場に立つ者が個別ケースに関与することが望ましい,少なくとも監査的立場で事後的にチェックできるようにする必要がある場合がある。この点,現実にそのような機能を果たしているのは,臨床倫理委員会であるとみられる。臨床倫理委員会は,確かに第三者的立場の委員も参加しているが,治療現場からの相談があった場合に開催されることが多く,日常的に常時開催することは難しい現状にある。 (エ) 同意能力評価には,精神上の評価と当該医療行為についての二点での評価が必要だが,ともに内科や外科等の一般科医師で対応することが考えられている。認知症専門医がすべての医療行為に関わるのではなく,侵襲性の高い治療をする場合やメリットが高く危険性が少ない治療を患者が拒否している場合などに限定することが考えられている。 (オ) 一応,その日のうちに同意能力を判断することが想定されているが,家族との関係への配慮も必要であり,外来では難しい面もある。それを補う意味でも,多職種の関与,医療への通訳という役割が必要になる。そのため,研修でこうしたマニュアル等を使用するなどし,同時に,地域包括ケアの普及が必要だと考えている。他方,入院すると,長期間での判断が可能になり,看護師等が多面的に機能する。しかし,診療報酬算定の影響から外来と入院後の機能分化と入院期間の短期化が顕著になっている現状から,看護師等も日常的に時間が取れない状態にある。そこで,病院内部に専門職を置くより,外来での相談体制を充実する方が現実的であると考えられる。それゆえ,在宅での意思確認体制が必要,重要になるため,地元の開業医との連携やそれを支える仕組みを地域包括ケアに組み入れていき,地域全体として質の向上を図る必要がある。 (カ) 医療現場では,例示されている胆のう炎の治療にみられるように,医療の進歩等により本人の選択肢が増えていることから,今後も意思決定支援の場面が増えてくることが予想される。 オ 「入退院までの流れと各職種の役割」 (ア) プロセスの段階ごとの説明等の工夫を記載している。「記録」に関して,現実にカルテ等をみてみると,説明内容とそれに対する本人の反応が記載されていないことが多い。インフォームド・コンセント(IC)は広まっているが,「ICをとったか?」という使われ方にみられるように,医師が説明をするということまでで,患者側が「分かったと言った。」という同意までは意識されていないことも多い。医療現場での忙しさを考えると,時間的に,医師に対し適切な「記録」を求めることが難しい現実があり,その点に配慮し,短い記載で,患者に理解能力があり,その人が了解したという例示を工夫されている。看護師に記録してもらうという実践もあるとのことである。 (イ) なお,患者に家族がいない場合,後見人の立場からすると,マニュアルに「後見人には医療同意権がない。」ことを明記しておいてほしいところであろう。これに対し,医療者側からみると,患者に後見人が就いている場合は極めてまれであり,医療者と後見人側との温度差につながっているようである。後見人は,患者に関する情報源の一人としては家族と同等であると考えられ,身寄りのない患者の場合,臨床倫理の観点からチームで治療方針を決めていくことが望ましいと考えられる。 カ 「家族への支援」 中等度以上の認知症の患者で,家族に聞く場合の説明の工夫が示されている。 A 「在宅支援チームのための認知症の人の医療選択支援マニュアル」 地域支援者には,家族と医療機関とのつなぎ役が期待されている。そのために「高齢者の人生経過図」により認知症高齢者の人生経過という鳥瞰的な視点から,地域支援者の役割を認識してもらうようにされている。 ケアマネジャーがその業務において家族の意向のみを聞いていたという事案もあり,本人の「一身専属的行為」であることをしっかり認識してもらう必要がある。他方,ケアマネジャーから「医師とのコミュニケーションが一番難しい。」との意見をもらうこともあり,医師側の意識改革も必要だと考えられている。 B 「認知症の人と家族のための医療の受け方ガイドブック」 「LINE」のような形式で話合いのきっかけなどを例示され,資料としてチェックリストが添付されている。事前指示について,その作成時期の問題,作成時に不当な圧力がかかっていないか,誠に本人が記載したものかなど,判断の難しい問題があり,このマニュアルでは踏み込んでいないとのことである。 (3) 実践 @ 初診時に同意能力評価を行うことが多く,成本医師が評価をした後,別室で臨床心理士が再評価を行っている。また,入院時や退院時のカンファレンスの際に行うこともある。実際に診療にあたっていると,軽度認知症に関わることも多く,その場合,家族ではなく,本人に説明をして処方薬3種(アリセプト,レミニール,メマリー)の選択をしてもらっている。 A また,京都府京丹後市にある市立弥栄病院において,このマニュアルを使った実践を行っている。京丹後市では,救急患者もほぼすべて同院に運ばれることもあり,医療と患者との関係性が近いため,連携が取りやすいとのことである。 B 全国的にみると,こうした実践は稀である。臨床倫理のカンファレンスは全国的に行われており,同意能力(コンセントキャパシティ)が臨床倫理の観点から問題とされるようになってきているが,臨床倫理のカンファレンスは意思決定に特化しているわけではない。 (4) 小括と課題 @ 医療に関する意思決定支援について,病院へ来たときの一時点ではなく,在宅時から連続的に捉え,支援者も関与して支えていくべきものであると考えている。そうすると,地域包括ケアの概念と重複してくるものといえ,各地域において構築していくべきものである。 ただし,プロジェクトの現状は,ケアマネジャー等支援者までであり,地域住民まで広げることができていない。また,地域支援者は,医療現場を知らないことも多く,例えば,地域における介護の中心的役割を担うケアマネジャーが医療現場では一般的である「DNR(救命措置を拒否するという宣言)」という言葉を知らないということもあり,地域と病院・医療の知識レベルや意思等の均一化が必要であると感じている。 A このマニュアルは,認知症や統合失調症以外の方にも応用可能であると考えている。また,精神科に長期間入院され,高齢化している方を対象に,同意能力の評価を行うことも予定している。東京の北村メンタルヘルス研究所の北村俊則医師らは,統合失調症等精神疾患の患者を対象に,同意能力評価を測定するガイドライン等を作成されており,上述の同意の4要素の論文の翻訳も手掛けられている。統合失調症は症状が比較的安定している時期にあることが多いのに対し,認知症は症状が進行し,よりダイナミックな経過をたどるため,地域における理解,支援も患者の状態,症状に応じたものが求められる。 B 認知症高齢者が救急搬送されることも多く,一般科でもかかるマニュアルに興味を持たれている。また,専門化の結果,他の診療科の治療について十分知らないことも多く,認知症専門医等との連携の必要性が認識されている。研修等により個々の医師の認知症への対応力向上が必要であり,のみならず個々の医師を支援するために認知症サポート医が連携する必要があり,認知症サポート医の派遣ができる体制の拡充も必要である。さらに,このマニュアルにより,看護師等への浸透を図ることも期待できる。 2 高齢者の地域生活を健康時から認知症に至るまで途切れなくサポートする法学,工学,医学を統合した社会技術開発拠点 成本医師らによる意思決定支援に関するプロジェクトは,もう一つある。文部科学省により2013年度から産学連携の「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)」が開始され,そのCOI-T(トライアル)の一つとして採択された「高齢者の地域生活を健康時から認知症に至るまで途切れなくサポートする法学,工学,医学を統合した社会技術開発拠点」の設置を目指すプロジェクトである。このプロジェクトは,「高齢になっても自分の財産を上手く管理して楽しく充実した生活を過ごせるシステムの構築」と「認知症になっても安心・安全に過ごせる見守りシステムの開発」の二つを達成目標とされる。 意思決定支援に関して,このプロジェクトでは,リスクの高い商品の購入や特別な配慮が必要な場面が想定される金融取引において,英国アルツハイマー協会の「認知症の人にやさしい金融サービス」等を参考にして銀行員向けマニュアルを作成するなどの活動をされている。 3 感想 同意能力判定に関しては,従前,統合失調症を中心にした検討がされていたようであるが,認知症高齢者についてのものは,全国でも京都府立医科大学だけのようだ。今後の高齢化社会において認知症高齢者の増加が見込まれる状況において,その必要性はとても大きい。医療現場の実情に根ざして,医療行為の意思決定支援の具体策をマニュアルとして多くの人に使えるように工夫がされており,普及が待たれる。 ? 第12 日本福祉大学におけるフォーカスグループインタビュー 1 前提  (1) フォーカスグループインタビュー(以下「FGI」という。)とは,社会調査方法の手法であり,情報収集と情報分析とに大別できる。 グループに対して,事例をもとに数種の質の高い実践例をディスカッションし,判断,工夫につき,検討するものである。質問や意見を通して事例についての課題等整理して創造的に関わる。データ,プロセス,判断につき整理,分析をする。将来は,実践に当たってのガイドラインを作成できれば理想的であるが,そこまでいかなくとも可とする。 (2) 2015年5月3日(日)午前10時〜午後5時 事例としては通常の事例(3事例)で,FGIの対象を限定,居所指定,医療同意等の問題につきインタビューが行われた。 また,事案の対象者としては,認知症高齢者,知的障がい者,精神障がい者,時間の関係もあり,高齢者と障がい者として,@生命,A人生,B生活支援の三層構造を前提として,@本人の意思決定,A意思疎通,B意思実現を考える。 日弁連としては,民法第858条の意思尊重義務が存在することから,どのような実践例が存在し,どのように意思決定を尊重する手法があるのか等を目的としてインタビューに参加し,確認することとした。 ただし,意思形成の支援,意思確認(表明)の支援,意思実現の支援があるとして,意思実現については,実現制度にも問題点が存する(予算上の問題等)ことから,今回は,意思形成の支援,意思確認(表明)の支援に限定する方向(意思実現も重要であるとの指摘あり。)で検討した。 2 権利擁護支援方法に関するヒヤリング調査 〜意思決定支援を中心に〜 (1) 意思決定支援のうち支援領域,生活支援を中心に生命や人生領域にも関わることがある。 (2) 事例についての概要と論点 【事例1】 障害(知的・精神)のある方 「生活」日々の暮らし・生活様式・生活方法・生活手段など生計,家庭,人間関係,就労,教育,地域生活,文化活動等々の幅広く多彩な,個別性の強い社会生活上,意思決定をするに当たって困難を持つ人への支援 @ 出会いと退院希望調整,病院・本人・地域の考え方の相違と調整 A (再入院と転退院) B 大阪,お金,恩師,万引き,警察等のアクティングアウト対応と支援 C (保護入院及び退院支援) D さらなる支離滅裂行動カバーと医療保護・任意等入退院支援 E 地域サービス業者からのサービス拒否 【事例2】認知症(虐待)を持つ方 「人生」の集大成としての生き方を決めるに際して,認知症・虐待などにより,特に意思形成から表明に至る決定プロセスの困難を持つ人への支援 @ 出会いと在宅希望と周囲の意向の相反・調整,責任論への対処 A 生活支援の課題とその対外的対処 B 当事者への心的支援とその対処 C 医療との関係 生活上のリスクとセーフティ判断 【事例3】医療依存度の高い(胃ろうやIVH) 「生命」に係わり,意思決定を行うに当たって,医療の体制や考え方及び法的枠組みとの関わりが強い支援 @ 医療によるニーズ発見 ・発掘 A IVHか胃ろうか医療との交渉と本人の意思支援者側の根拠合意形成プロセス B 同意書等の医療との対立点 C 転院先との連携 ネットワーク構築 D 意思決定の振り返り (3) 事例提示によるFGI 支援場面と行為における論点の抽出 @ 詳細状況及び判断根拠,支援行動等の振り返り提示 A 関わりの意思形成→意思表明→意思実現のプロセス整理 B 価値のぶつかり・せめぎあい状況分析 C 連携範囲と連携内容分析 D (アドボカシーとしての意味付け) E 事例を超えて一般化(同じような事例,同じような場面でどのようなことをしているのか。) 3 感想 (1) 3事例についての概要,FGIの結果の情報収集と情報分析については添付CD-ROM版資料3を参照されたい。 (2) FGIによる社会調査方法については,初めての体験ではあったが,質問,意見等をグループにおいて検討する手法としては,意思形成の支援,意思確認(表明)の支援という観点から,事例の説明を通して,それぞれの概念(意思形成の支援,意思確認(表明)の支援)を実践するための支援場面と対応した所作が本人の支援になっているかどうかにつき,浮き彫りとなり,極めて有意義であった。 もちろん,分析結果(添付CD-ROM版資料3参照)については,FGIの結果につき,詳細な分析がなされており,今後は,FGIの結果の集積により,意思決定支援ガイドラインの作成がなされ,事例を超えて一般化,標準化がなされれば,民法第858条の意思尊重義務の履行をするにつき,どのような実践例が存在し,どのように意思決定を尊重する手法があるのかが,つまびらかになると思われる。 第2編 意思決定支援制度大綱 本編では,第1編の検討の趣旨を踏まえて,すべての人の人格的自律権が実質的に保障される社会を築くために,どのような法律を制定し,どのような制度を構築していくべきかについて,一つの法制度及び体制整備の提案を示すものである。 もとより,ここで示すものは当実行委員会としての一つの案にすぎず,今後,当事者や各関係諸機関・関係諸団体とも協議を進め,多くの検討すべき課題や論点について議論を深めていかなければならないところではあるが,そのためのたたき台としての役割を果たすことができればと考えている。 以下,第1章で「意思決定支援法」の制定と総合的な制度整備の必要性について述べた上,第2章において,意思決定支援法で定める内容について述べる。第2章第5節では,成年後見制度の再構築との関係で行為能力制限制度の縮減・廃止について述べる。そして,第3章において,意思決定支援のための総合的な制度整備について述べる。 第1章 意思決定支援法の制定と総合的な制度整備の必要性 第1 意思決定支援法の制定の必要性 1 統一的立法の必要性 「意思決定支援」については,既に見たように意思決定支援に関する法整備はほとんどなされておらず,僅かに障害者基本法において,「国及び地方公共団体は,障害者の意思決定の支援に配慮しつつ,障害者及びその家族その他の関係者に対する相談業務,成年後見制度その他の障害者の権利利益の保護等のための施策又は制度が,適切に行われ又は広く利用されるようにしなければならない。」との規定が設けられており,また,障害者総合支援法及び知的障害者福祉法でも「意思決定の支援に配慮し」という文言を用いた規定が設けられているにすぎない。 しかし,そこにも意思決定支援の理念や諸原則,具体的な支援のあり方については何ら規定されていない。既に各地で様々な支援の取組が行われているところであるが,第1編第1章で述べたとおり,意思決定支援は多義的であるとともに,適切な支援としての指針もなく,思い思いの支援がなされている現状にある。 また,障害者基本法の上記規定では,意思決定の支援に配慮しつつ成年後見制度が「適切に行われ又は広く利用されるようにしなければならない。」とも定められているが,第1編第3章で見たとおり,障害者権利条約は,障がい者の自律の保障のため,成年後見制度のような代理・代行の決定の仕組みから支援付き意思決定の仕組みへの転換を求めており,成年後見制度に関する国の施策の進め方について,条約との整合性が問われている。 そもそも意思決定支援は,障害者権利条約第12条第2項が「生活のあらゆる側面において」とするとおり,法律行為に限定されないのはもちろん,医療行為や居所の決定,身分上の行為などの人生における重要な意思決定が含まれるだけでなく,日常的・社会的な生活を送る上で必要とされる場面における意思決定全般が含まれる。このような人の生活全般に関わる事柄が対象となる以上,すべての人の人格的自律権が保障される社会を実現するためには,個別の法律で部分的に改正する形で手当てするのでは不十分である。意思決定支援の理念,基本原則,支援のあり方,必要な体制整備を進めるための国や地方公共団体の責務等,意思決定支援の法制度を基礎づける総合的な根拠法を立法化する必要がある。 そこで,本報告書では,意思決定支援の理念を実現し,すべての人の人格的自律権の保障を図るため,統一的な立法として「意思決定支援法」を制定し,それに基づき総合的な制度整備を推進することを提案するものである。 2 意思決定支援法の位置付け 意思決定支援法は,意思決定支援の基本原則や基本事項,国や地方公共団体の責務等を定め,関連法制度を含めた法体系の要としての基本法的な性格を有するとともに,意思決定支援が尽きたところでは代理・代行が許容されるという考え方から,意思決定支援の延長上に代理・代行制度を位置付け,成年後見制度はこの法律の下で再構築する。 そして,障害者権利条約における意思決定支援の原則の指導理念をできる限り反映させるため,代理・代行が本来,他者決定として他人の領域に対する介入である点を考慮し,安易に代理・代行に移ることや本人の意思や選好によらない濫用的な代理・代行を排除するという観点からの規制を設ける。 第2 意思決定支援法で定める内容 1 意思決定支援の基本原則,基本事項,国の責務(第2章第1節) 第1編で見たとおり,意思決定支援の捉え方は多義的な面があるが,共通して理解されるべき内容も明らかになってきている。 そこで,意思決定支援法においては,関連法規の要となる根拠法として,意思決定支援の基本原則と基本事項を定めるとともに,意思決定支援の総合的な制度整備を推進する国及び地方公共団体の責務について定める。 本編第2章では,意思決定支援法に規定される意思決定支援の内容について述べる。 2 代理・代行における基本原則と成年後見制度の再構築(第2章第2節) 意思決定支援の尽きたところでは代理・代行による意思決定が許容されるとしても,代理・代行が本来他者決定として他人の領域に対する介入であることからすれば,本人の意思や選好によらない濫用的な代理・代行を排除するという観点からの規律を設ける必要がある。 そこで,本編第2章第2節において,代理・代行における基本原則について述べた上,事実行為に関する代行決定で問題になることが多い医療同意,居所決定,身体拘束について述べる。 次に,第2章第3節章及び第4節章では,成年後見制度の再構築として,監督付任意代理(任意後見の再構築)及び法定代理(法定後見の再構築)について述べる。 なお,現行の成年後見制度における行為能力制限(同意権留保,取消権)については,精神上の障害によって判断能力が低下している者を属人的に区別し,一律に自己決定権を制限する点,様々な欠格条項と結びついて差別の助長につながっている点等において,意思決定支援の理念に照らし,大幅な改革が必要である。第2章第5節章では,この点について述べる。 第3 総合的な制度整備についての提案(第3章第1節〜第4節) 意思決定支援の原則の指導理念を実現するため,意思決定支援法に基づき総合的な制度整備を進める必要がある。 第1編で見たとおり,意思決定支援の内容は多義的であり,様々な意思決定支援についての具体的な制度整備や行動指針の策定等は,総合的かつ柔軟になされていくものである。 第3章では,求められる総合的な制度整備についての提案を行う。まず,全体的に必要な制度整備の課題について第1節で述べたその上で,意思決定支援法の整備とともに,重要な法整備の課題である消費者被害等の経済的被害の予防・救済,虐待防止法の整備,精神保健福祉法の改正について,第2節〜第4節で述べることとする。 ? 第2章 意思決定支援法 第1節 意思決定支援 第1 意思決定支援における基本原則 1 「すべての人は意思決定能力があることを前提とする」 本法の出発点というべき原則である。イギリスMCAの第1原則と同旨である。 精神上の障害があることが意思決定能力を欠くことを推定するものではないことをいうものであり,精神上の障害がある人も障害がない人と同じく自律した人間として捉える。 もちろん,新生児や遷延性意識障害のある人など現実に意思決定能力が認められない場合もあるが,いわば「人間観」として意思決定能力があることを前提とするものである。 この前提に立つことから,意思決定に支援が必要か否かは事柄や場面によって判断されるべきことになる。 2 「意思決定ができないと判断する前にあらゆる意思決定のための支援がなされなければならない」 意思決定支援優先の原則を定めるものであり,MCA第2原則と同旨である。 本法は,必要な支援を尽くした上でなお意思決定ができないと判断された場合は当該事柄の決定について代理や代行による他者決定を許容するものであるが,安易に他者決定に移行することを極力制限し,あらゆる支援が尽くされた上での判断となる。 したがって,意思決定できるか否かの判定を先行させるような対応は否定されるのであり,自己決定するためにいかなる支援が必要なのかを考え,その支援が実施されることが求められる。 3 「客観的に不合理にみえる意思決定を行ったということだけで,本人には意思決定能力がないと判断されることはない」 ときに本人が自らの意思決定に基づき合理的とは思われない判断をすることもある。このような場合,往々にして客観的に合理的でないということから意思決定能力がないという判断をしがちである。しかし,意思決定能力の有無と意思決定が合理的か合理的でないかは別の問題である。自己決定の尊重は失敗の自由を認めることでもあり,合理的か否かで意思決定能力が判定されてはならない。MCA第3原則と同旨である。 第2 意思決定支援の内容 1 意思決定支援の意義 本法において具体的規定で定める意思決定支援は,ある特定の事柄について本人が意思決定をすることについて困難を抱えている場合に,その自己決定を導くためになされる支援をいう。 第1編第1章で述べたとおり,意思決定支援の捉え方については種々の議論がなされており,必ずしも明確ではない。 精神上の障害のある人の多くは,意思決定といっても,昨日,今日で容易に自ら意思決定できるわけではなく,これまで自ら意思決定する機会を与えられず,意思決定の主体性を奪われてきた人が大半であろう。こうした人の意思決定を支援するためには,普段から本人に寄り添い本人との信頼関係を築きながら,本人の置かれた状況,生活環境,これまでの社会経験等を踏まえて,本人が自ら意思決定できるよう支援するための環境整備が必要であることは言うまでもない。 また,本人が意思決定できたとしてもそれを実現していくためには多くの困難を抱えていることも多く,自己決定に基づく自己実現のための支援も不可欠であるといえる。 このような支援は,これまでにも国内外において創意と工夫によって実践されてきたところである。 これらの支援は,それを必要とする個々人の特性に応じて柔軟で適正な支援が充実されるべきものであり,法律によって意思決定支援を定義付けすることにより却ってその内容を固定化してしまうことは相当ではなく,その意味から意思決定支援はできる限り広く捉えていく必要がある。 しかし,意思決定支援の内容を広く捉える場合には,精神上の障害があることをもって意思決定することが困難な人であると決めつけてしまう危険を内在する。これは障害者権利条約が立つ「障害がある人も支援を受ければ意思決定できる」という前提に反するものである。障害者権利条約は,過去の歴史において障害のある人が意思決定できない者と決めつけられ,本人の意思を顧みない代理・代行決定がなされてきたことを権利侵害と捉えこれを排除しようとするものである。かかる視点に立った場合,最も注意を要するのは,意思決定支援が奏功しないため代理・代行決定を行わざるを得ない場面であり,安易に代理・代行に移ることや本人の意思を顧みない代理・代行決定がなされることを排除しなければならない。すなわち,代理・代行決定が必要になる場合としては,「ある特定の事柄について本人が意思決定しなければならない場面において,本人がその決定をすることについて困難を抱えている場合」であり,この場面を中核に据えて基本原則に従った意思決定支援がなされなければならないということになる。 2 意思決定支援を受ける人 本法において具体的規定で定める意思決定支援では,意思決定支援を受ける人を属人的基準によって限定しない。 現実には,精神上の障害によって判断能力が不十分な人が意思決定について支援を受けることになることが大部分であるとしても,それは事柄によっても異なるし,場面によっても異なるのであり,事前に,抽象的に支援を受ける人を確定できるものではない。 決定された意思は表示されてはじめて把握できることから,表示することに困難を抱えている場合も意思決定支援が必要となるのであり,これは精神上の障害の有無に関わらない。 すなわち,ある特定の事柄について意思決定すべき場面においてその意思決定に困難を抱えている場合であれば,必ずしも精神上の障害の有無に関わらず,すべての人が支援の対象となり得る。 ただ,未成年者については,年齢的に未熟であることを理由として親権に服することになるため,本法の対象からは除かれることになる。それでも親権の行使に当たっては本法の趣旨は十分に配慮されるべきである。 3 意思決定支援の対象事項 本法において支援の対象となる意思決定事項は,法律行為のみならず日常生活上の事実行為や医療行為,身分行為等,すべての事項を対象とする。 人は社会生活を送る上で様々な意思決定が必要となる。それは何を食べるか,何を着るかといった日常生活上の事実行為から,法律行為や医療行為,さらに身分行為も含まれる。本人が直面する事柄について意思決定が必要であるものの,そのために支援を要する場合には,本人が意思決定できるよう適切な支援を受けられるようにすべきである。 そこで,支援の対象となる意思決定事項は,法律行為に限らず,日常生活上の事実行為や医療行為,身分行為等,すべての事項が対象となる。支援を受けることによって,自らの意思決定を導き出すのであり,その決定はあくまで自己決定である。 したがって,現行法上,一身専属権とされている医療行為や身分行為など本来本人のみが決定すべき事柄であっても支援を受けるべき事項に含まれる。 4 意思決定を支援する人 (1) 意思決定を支援する人は,ある特定の事柄について本人が意思決定するときに,本人の生活に関わりがあるすべての人が本法の対象となる。 意思決定支援の対象となる事項は,法律行為だけでなく事実行為も含まれ,また,日常的に直面する事柄から自分の暮らしや人生に関わる重大な事柄まで多種多様であるため,あらかじめ支援すべき者を定めておくことはできない。本人が意思決定について支援を必要とするときに,本人の生活に関わりがある者をすべて支援の担い手としなければ,必要な場面に応じた適切な支援は実現できない。 そこで,本人の生活に関わりがある者はすべて意思決定支援者として本法の対象とする。例えば,障害のある人が家族と生活している場合には家族も意思決定支援者となるし,ホームヘルパーが家事援助をしている最中に意思決定すべき事柄が生じた時は,ホームヘルパーーも意思決定支援者となる。本人を訪問していた日頃から付き合いのある親しい友人がいる場面では,その友人も意思決定支援者となる。医療行為については,医学的な知識を必要とする情報提供は医師や看護師等の医療従事者が意思決定支援者となるし,それを本人に分かりやすく伝えるには,本人の身近にいる家族やケアマネジャー等も意思決定支援者となる。 (2) この点について,すべての人を意思決定支援者とすることは,却って支援することについての責任の所在があいまいになり,十分な意思決定支援がなされない恐れがあるとして,誰か特定の者を意思決定支援者と定めるべきではないかという考え方もあろう。 しかし,ここで述べているのは,意思決定支援は,誰か特定の者だけが行うのではなく,本人の生活に関わりのある人が広く行うものである,ということである。本法の基本理念は,障害があることをもって一律に支援が必要な人だと決め付けることはしないということである。誰か特定の者を意思決定支援者と定めておくことは,支援が必要な事柄や場面に関係なく,判断能力の不十分な人を,精神上の障害を理由に,およそ意思決定支援が必要な人だと決めつけるに等しく,この理念に反すると考える。 また,意思決定支援の対象となる事柄は,生活の全般に及ぶものである以上,特定の支援者だけで生活全般のすべての場面にわたって支援を行うことは不可能であり,意思決定する事柄や場面に応じて,その意思決定を支援するのにふさわしい者による支援こそが本人にとって最も適切な支援を期待できるのである。後述するように,特定の事項については,監督付任意代理や法定代理の制度によって,特定の者が特定の事項について意思決定支援者となることまで排除するものではない 。 (3) また,意思決定支援は本人に関わりのあるすべての人が行うというとき,意思決定の結果に利害関係を有する者(例えば,取引の相手方)も意思決定支援者として想定するのかということも問題となる。相手方が自己に有利な意思決定を導くために限定された支援を行ったり,それによって得られた意思決定を自己決定だと主張することがあり得る点である。 例えば,日常生活自立支援事業における金銭管理や福祉サービスの利用契約を締結する必要がある場面において,当該金銭管理や福祉サービスを提供する事業者が利害関係を有する立場にあるという理由で,意思決定支援者から除外するとなると,本人にとって必要な金銭管理や福祉サービスの利用ができないという事態に陥ることになる。また,本人が銀行窓口や ATMで預金を引き出す必要がある場面やスーパーで買い物をして支払いをする場面において,銀行員や店員が利害関係を有する立場にあるという理由で,意思決定支援者から除外するとなると,本人にとって必要な預金の引き出しができない,買い物もできないという事態に陥ることにもなりかねない。そうなると本人の権利擁護が後退しかねない。 他方,高齢者や障害のある人を狙った悪徳業者を想定すると,このような悪徳業者を意思決定支援者から除外せず,当該業者が意思決定支援を尽くしたとして契約の有効性を主張した場合,本人の権利利益が護られないという事態も考えられる。 この問題については,当実行委員会において意見を統一することができなかった。 利害関係を有する相手方も意思決定支援者から除外されないと考える立場は,そもそも法律であらかじめ特定の者を「意思決定を支援する人」から除外することは技術的に困難であるし,また,本法では,後記のとおり,適切な意思決定支援が尽くされたかどうかをチェックする支援の適正を担保する仕組みを用意しており,その適正チェックにおいて,そもそも当該事柄が本人に意思決定してもらう必要のある事柄かどうかが問題とされるのであり,通常,悪徳業者との契約(例えば,金融商品の購入)は,本人が意思決定しなければならない事柄ではないとして,当該業者の意思決定支援の適正は担保されない,つまり否定されることになると考え,意思決定を支援する場面においては,本人にとって必要な金銭管理や福祉サービスの利用ができない事態に陥らないよう,利害関係を有する相手方であっても排除せず,意思決定支援者として認める立場をとる。 他方,利害関係を有する相手方を意思決定支援者から除外すべきと考える立場は,日常生活自立支援事業における金銭管理や福祉サービスを提供する事業者や銀行やスーパーの店員等であっても,本人と利害関係を有する相手方である以上,意思決定支援者にはなり得ず,あくまで情報提供者として本人に対して金銭管理や福祉サービスの内容や商品の内容を分かりやすく説明すべき立場にあると捉えるべきであるとする(ただし,これも意思決定支援の重要な一部分ではないかとの疑問もある。)。 この点については,意思決定支援者を限定するかどうか,限定する場合にどのような要件の下で限定するのか,今後も引き続き検討を重ねた上で結論を出したいと考える。 5 意思決定支援の方法 (1) 意思決定支援において配慮すべきこと 具体的な意思決定支援の方法については,意思決定すべき事柄や本人の状況,直面する場面などによって異なるものであり,一義的に定めることはできない。そこで,個々の支援する事柄や場面に応じて,その時に意思決定支援法の定める基本原則に照らして,具体的な支援のあり方について政省令などで「行動指針」といった基準を策定し,その「行動指針」に照らして,適切な意思決定支援がなされたかどうかを判断することができるようにすべきである。そして,この行動指針等を意思決定支援者となる可能性のあるすべての国民に啓発・周知されるべきである。 意思決定支援において共通して配慮すべき事項としては, @ 必要な情報の提供 意思決定に必要なあらゆる関係する情報を与えられているか。 選択肢がある場合,すべての選択肢に関する情報が本人に与えられているか。 A 適切な方法での意思疎通 情報が本人に理解しやすい形(単純な言葉で話す,図形を用いるなど)で提供されているか。 言葉による意思疎通が困難な場合には,他の方法(コンピュータを用いるなど)で意思疎通を図っているか。 意思疎通を助ける人(家族,支援者,通訳,言語療法士等)の協力があるか。 B 本人のリラックスした状態での支援 一日の中で,本人の最も理解力が高まるリラックスした時間帯・場所にて支援しているか。 よりよい状況で本人が意思決定できる時まで意思決定を延期できないか。 C 本人への支援 ある特定の事柄について意思決定するに当たっては,様々な観点からの助言が必要となる場合もある。その場合には,弁護士,医師等の専門家の助言を得ているか。 などが考えられる。 (2) 重要な事項についての意思決定支援のあり方の具体例 @ 財産管理における意思決定支援の方法 相続で得た多額の遺産の管理は困難であっても,日常生活に必要な財産管理であれば,意思決定支援さえあれば自分で決めることができる場合もある。例えば,2か月に一度受け取る年金をまとめて手元に置くと,1週間で使い切ってしまう人であっても,本人の希望する日常生活を送るためには,1か月にいくらの生活費が必要なのか,まとまったお金を手元に置くと使い切ってしまうのであれば,1週間ごとに必要な生活費を届けてもらえば自分で管理できるのか,そのために利用できる金銭管理サービスとしてどんなものがあるか,といった情報を本人に理解しやすい方法で提供すれば,本人が自分の望む日常生活に必要な財産管理の方法を選択することができる場合もある。お金の計算ができないからといって財産管理能力がないと決め付けるのではなく,財産管理の内容によっては,意思決定に困難を抱える人であっても,意思決定支援さえあれば自分で決めることができるということである。 A 居所決定における意思決定支援の方法 在宅で介護を受けながら生活するのか,それとも施設やグループホーム等に入所するのか,居所を選択することは人生の大きな決断であって誰しも容易に決定できるものではない。例えば,認知症のために意思決定に困難を抱えている人が,長年住み慣れた自宅が老朽化したため,別の居所を選択しなければならない場面に直面した場合,家を探して在宅での生活を続けるのか,それとも施設やグループホーム等に入所するのか,施設等に入所するとして,どんな種類の施設等があるのか,そこでどのような介護サービスが受けられるのか,多様な選択肢があり,その人にとって人生のの大きな選択である。こうした居所の選択については,丁寧に本人の気持ちに寄り添いながら,本人が何を望んでいるかを傾聴し,本人の望む暮らしを実現するためには,在宅での生活がよいのか,施設等に入所した方がよいのか,どんな種類の施設等がよいのか,本人に理解しやすい方法で必要な情報を提供することが重要となる。特に,施設入所を選択するに当たっては,言葉や写真による説明だけでは具体的なイメージを持つことは難しいと思われるので,本人と一緒に施設やグループホーム等を見学したり,本人に体験入所をしてもらうなど,本人が施設やグループホーム等での生活を具体的にイメージできるよう実体験してもらうことが意思決定支援の方法として有効であろう。 B 医療同意における意思決定支援の方法 医療同意は,現行法上,一身専属権とされており,何よりも本人の意思決定によって決められるべき重大な事柄である。例えば,嚥下力が低下した身体的状況の中で,胃ろうをするかどうか決断をしなければならない場面において,胃ろうを選択した場合のメリットとデメリットについて説明を受けなければ,誰であっても決断することはできない。胃ろうをすることなく,経口で食事を摂取することを選択するならば,食事という生活の楽しみを残すことはできるが,誤嚥性肺炎の危険は残るであろう。要はこういったリスクある選択に対し,医療従事者は,どのようにして本人に対して必要な情報を提供し,その理解を助け,本人の意思決定を酌み取っていけばよいのかを,本人と試行錯誤しながら向き合って考えて行かなければならない。 C セルフネグレクトにおける意思決定支援の方法 本人が必要な医療や介護の支援を拒否している,いわゆる「セルフネグレクト」については,虐待に準ずるものとして虐待防止法によって保護をすべき事案といえる。しかし,その前段階としては意思決定支援の問題として捉えて支援をすることも必要である。 例えば,廃品を集めてきて自宅内に山積みとなり不衛生な状態で生活しているような場合,片付けや掃除をすることについて本人はどのように考えているのかを確認しなければならない。もし,本人が廃品を集めることや掃除をしないことを自らの判断によって決めており,その意思決定の過程で何らの精神上の障害による影響もないのであれば,それは自由な意思決定によるもので,意思決定に懇案を抱えているわけではなく,意思決定支援としては介入できないのが原則となる(この場合でも生命・身体に対する重大な影響がある場合には,虐待防止法に準ずる保護はあり得る。)。 しかし,多くの場合,何らかの精神上の障害が影響し,そのため本人の生命や身体に悪影響が及ぶことが理解できないということがある。このような場合には,まずは本人との間に信頼関係を形成する努力をするとともに,何が問題なのか,本人にどのような不利益が生じるのか,それを避けるためにどのような方法があり,それによって本人にどのような結果がもたらされるのかを,本人に分かるように情報提供し理解をしてもらう支援をする必要がある。 それでも本人が理解できない場合には,虐待防止法に準ずる保護として本人の意思に反してでも介入すべきことがあるということになろう。 重要なのは,本人が拒否をしているから本人の意思決定なのだと安易に考え,その意思決定の分析や信頼関係形成による支援を放置してはならないということである。 6 支援の適正担保 本法では,意思決定支援について基本原則を定めており,それを具体的場面ごとに基準を示す「行動指針」の策定を想定しており,これに従うことによって適正な支援がなされることを予定しているが,時には誘導的な支援であったり,本人に不利益を及ぼすような決定が意思決定支援の結果による自己決定だとされる危険性もないわけではない。 そこで,支援の適正を担保するための仕組みを用意することは重要である。 本法では,適切な意思決定支援がなされたものかどうかは,事後的なチェックに服せしめることで,その支援の適正が担保されることを予定している。このチェックにおいては,支援の対象となる事柄がどのようなものか,本人にとっての利益・不利益,本人の状況,その場に他に誰か居たか,誰がどのような支援を行ったか,といった事情を考慮して支援の適正がチェックされる。例えば,日常生活自立支援事業における金銭管理や福祉サービスの利用契約を締結する場面では,本人にとって必要な金銭管理や福祉サービスの利用契約であり,また,本人が当該サービスを利用できなければ日常生活が維持できない状況にあるような場合には,仮に当該契約の相手方である社会福祉協議会が意思決定支援を行ったとしても,支援の適正は担保されるであろう。他方,金融商品の販売勧誘を受けて購入するような場面では,本来,そもそも本人が意思決定しなければならない事柄に直面しているわけではない状況で,当該契約の相手方である販売業者が意思決定支援を行ったとしても,その状況や意思決定支援の必要性,支援者の属性等に鑑みれば,支援の適正は否定されることになろう。 支援の適正が否定される場合には,当該意思決定は支援付きの意思決定ではなかったということになる。本人は改めて当該事柄について適切な支援を受けた上で意思決定をし直すことができる。 適切な意思決定支援なくして契約締結についての意思決定がなされたような場合,現行の消費者契約法違反による取消権等のほか,詐欺や強迫,錯誤等の一般法理による救済が適用されるのはもちろんであるが,これらの救済については要件の充足や立証の負担等の問題もある。 そこで「支援付きの意思決定でなかったことによる取消権」というものを創設することも検討されるべきである。この「支援付きの意思決定でなかったことによる取消権」は,行為能力を制限しない取消権であって,原則として本人しか取消権を行使できないものとする。もっとも,取消権を行使すべき状況にあるにもかかわらず,本人が取消権を行使することによって得る利益や行使しないことによって失う利益等について比較検討できないなど,本人が取消権行使を拒むような場合,その取消権行使について,意思決定支援が必要な場面であると評価される場合が多いであろうし,支援を尽くしても本人が精神上の障害のために取消権行使を拒んでいると判断された場合には,当該取消権行使についての意思決定能力がないとして,法定代理権に基づき他者が取消権を行使することになると考えられる。 この「支援付きの意思決定でなかったことによる取消権」については,さらに要件や行使方法,判断権限などについて,今後検討すべきである。 7 意思決定支援に伴う様々な支援の拡充   本法において具体的規定で定める意思決定支援は,本人がある事柄について意思決定しなければならない場面(代理・代行への移行)を中核とするが,本法に基づく総合的な意思決定支援制度の整備を進める上では,個々人の状況に応じた様々な態様の意思決定支援が推進される必要がある。ここでは,そのような様々な態様の支援について触れる。これらの支援のあり方の充実も,意思決定支援の実効性を高めるため,体制整備等において十分に踏まえることが求められる。 (1) 普段の意思疎通方法の支援 ある特定の事柄について本人が意思決定をしなければならない場面において困難を抱えている場合に,本人が当該事柄について意思決定するための情報を十分理解し,それを外部に表示し,周囲の者が本人の意思決定を受領できなければ意味がない。 したがって,元々意思疎通に困難を抱える人については,普段から意思疎通できるよう周囲の者による支援がなされる必要があり,こうした普段の意思疎通方法の支援は,意思決定支援の前提となる不可欠な支援である。 (2) 本人の意思を酌み取る支援 この点から,意思疎通方法が確立されていない場合に,言語による意思疎通ができない人であっても,その人の表情や行動(例えば,普段と異なる特異な行動)等から,それが本人の意思を発現する何らかのサインであることを見逃さないよう配慮することも必要となる。意思疎通方法が確立されていない場合,その人は,意思決定をしなければならない場面であるにも関わらず,それを周囲の者に伝えることができず周囲の者も理解できなければ,適切な支援が受けられないという事態も想定される。 このように意思疎通方法が確立されていない人については,普段と異なる行動から本人の意思を酌み取ることも,意思決定支援の前提条件として不可欠な支援である。 (3) 生活や福祉的側面における支援 障害のある人は生活において様々な不便に直面しており,これらの点で支援が必要なことはいうまでもない。訪問介護や訪問看護をはじめ,様々な福祉サービスに結び付ける支援がなされることは重要である。 これらの支援は意思決定支援とは異なる側面における支援といえる。ただし,これらの支援の中で,本人に決めてもらわなければならない事柄があるときはその点については意思決定支援の問題となる。 (4) 平素からの意向確認支援 意思決定支援を行うためには,普段から本人がどのような問題を抱えているのか,本人がどのような意向や選好を有しているのか,本人がどのように自らの意思を伝えられるのかなどを把握しておかなければ,その場面において適切な意思決定支援を行うことは困難である。 医療行為の場面においても,治療が必要となった時点ではじめて本人と面談する医師が治療に関する本人の意思決定を支援することには限界があり,普段からの本人の健康状態や本人の意向を確認しておき当該医師への情報提供がなされることも必要である。 このような支援の仕組みが整備されることが適切な意思決定支援につながることになる。 (5) 本人の意思を実現していく支援 適切な意思決定支援によって自己決定が導かれたのであれば,その決定を実現していくことは意思決定支援とは異なる問題である。 もっとも,本人が独力でその意思決定を実現することが困難な場合,これに対する支援は当然必要な支援である。そのためには,本人を取り巻く関係者が協力体制のもとで実現に向けての支援をしていくことも必要であろう。 サウスオーストラリアにおけるSDMモデルは,本人に対する丁寧な聴き取りによって本人が行いたい項目を列挙して協定を結び,十数人のグループが本人に関わって一つ一つを実現していくというものであり,このような仕組みは日本においても必要ではないかと思われる。 (6) 本人に意思決定できる力をつける支援 障害のある人が生活する上で様々な意思決定を自らできるようになるためには,意思決定する経験を多く積んで力をつけていくことが何より重要なことであり,こうした経験を積む機会を多く提供されなければ,本人が自分で自分のことを意思決定できるようにはならない。 このように本人に意思決定できる力を付ける支援は,本人による意思決定を実現するための不可欠な支援として,幼少時の家庭での養育や学校教育課程から継続的・系統的に大いに取り組むべきである。 8 意思決定することができないということ (1) 意思決定することができないということ 意思決定することができないということは,他者決定に移行するかどうかの判断基準である。意思決定能力がないということを認定することが目的なのではない。安易な他者決定を防止すべき趣旨からこの判断は重要である。 この判断においては,「合理的でない判断をするということによって意思決定ができないと判断してはならない」という原則(MCA第3原則)が考慮されなければならない。 人は誰しも常に合理的判断をするわけではなく,精神上の障害のない者であっても不合理な意思決定をすることはあり得る。 しかし,このことは,不合理な判断をすべて受け容れなければならず,自己決定による自己責任を導くというものではない。 精神上の障害がある場合,そのことによって影響を受けることにより不合理な決定が導かれている場合もあり得るのであり,その点のチェックは必要である。 本人が客観的に不合理な意思決定をした場合,その決定が,真に本人が適切な支援の下に決定したものかどうか,つまり,(@)自分の置かれた状況を客観的に認識して,意思決定を行う必要性を理解し,(A)そうした状況に関連する情報を理解,保持,比較,活用して,(B)何をしたいか,どうすべきかについて,自分の意思で決定しているか,再チェックすることも必要となる。このように本人が客観的に不合理な意思決定をした場合には,その決定について再チェックすることが必要である。しかし,再チェックに当たりここで重要なことは,客観的に不合理な決定であるからといって,本人を説得したり,本人の決定を変更させるような働き掛けを行うべきではないことに留意すべきである 。あくまでも本人が真に適切な支援の下で決定したものかどうかを確認するのが再チェックである。 したがって,この点での本人の意思決定を再チェックする支援も,本法の規律する意思決定支援の一つに含まれることになる。 (2) 真意の探求 上記のような再チェックをした上で,自己決定がなされたものであると確認できたとしても,実際には,本人の真意が別のところにある場合もある。例えば「犬を飼う」という意思決定がなされた場合,本人の真意は犬を飼うことにより防犯の役割を果たすことで安心した日常を送れるようにすることが目的だという場合もある。そうであれば,犬を飼うことによるメリットやデメリット,防犯としての他の利用できる方法の情報提供などを支援することがあり得ることになる。 注意すべきは,不合理な判断を是正して合理的な判断を導くという支援ではないということである。 (3) 判定者 支援をしても意思決定できないという判定をするのは,第一次的には,当該場面において支援をした者になる。 この判定は代理・代行決定の許容につながるものであるので,代理・代行決定が適切なものかどうかが評価される際に,意思決定できないと判断したことが相当か否かもチェックされることになろう。 例えば,重要な事柄については,意思決定ができないと判定された場合,その事柄について法定代理人の選任申立てとなるが,その審理において意思決定できないとの判断もチェックされることになる。 もっとも,代理・代行に移ってよいのか否かについての判断が難しいということがあるため,支援をした者が適切な支援を尽くせたかどうかを自己診断できるようなチェックリストも用意されるべきであり,また判断に困った場合にはその点の相談ができるような機関が設置される必要もある。また事柄によっては,支援の内容の適正さのチェックも含めて複数の者による判定や関係者による会議での判定などが必要であろう。 この点において,支援の内容や判定について相談できる機関等の整備も不可欠である。 第3 総合的な法制度や体制の整備 1 国や地方自治体の責務 意思決定支援の理念及び基本原則を実質化するための制度,施策を実現することについての国や地方自治体の責務を「意思決定支援法」において明文化すべきである。 (1) 意思決定支援のための制度の整備や施策の実施 国及び地方自治体において,意思決定支援のための制度や仕組みの構築をはじめ,様々な制度の総合的な整備と施策の実施を進める。 (2) 中核的行政庁の設置 上記の総合的な制度の整備や施策を推進するため,主務官庁となる中核的行政庁を設置する。 (3) 行動指針の策定と周知啓発 具体的な意思決定支援のあり方についての行動指針を策定し,国民に対する周知・啓発を行う。 (4) 相談等機関の設置 各市町村において,一定の身近な地域ごとに,意思決定支援のあり方に関する相談対応や助言を行う専門機関を設置する。また,意思決定支援のあり方について,関係者間の会議でも見解が分かれて解決がつかない場合には,当該専門機関において,意見対立の調整を行う役割も担うものとする 。 (5) 独立意思代弁人(IMCA)制度の創設    意思決定支援をする人は本人の周りにいる関係者であり,必ずしも専門家ということではない。そのため,重要な事柄について,適切な支援の方法や本人の意思の理解,意思決定できないとの判定,さらに代理・代行決定を行う場合に従うべき本人の意向や選好などについて,相談機関とは別に専門家による助言等も必要である。 イギリスMCAでは,重要な医療や介護につき,代理・代行決定がなされる場面で,本人の意向や選好を本人に代わって代弁する「独立意思代弁人(IMCA)」が設定されているが,これを必要な場面を拡大した日本版の独立意思代弁人制度を創設する。 2 求められる体制整備 1の国及び地方自治体の責務として行われるべき体制整備としては,上記の項目に加え,次の点についての体制整備をはかることが,実効性ある意思決定支援を担うために重要である。 (詳しくは,本編第3章において述べる。)。 (1) 地域住民や地域福祉において住民相互が意思決定支援に配慮することを推進する条例や地域におけるネットワーク態勢の整備などを進めること。 (2) 本人の周囲にある人々が,その場面ごとに適切な支援を行うためには,意思決定支援の理念とあり方について,すべての国民に広く周知・啓発を図るとともに,誰もが意思決定支援が必要な場合に実践できるためのトレーニングの機会を,学校教育過程や地域における研修等,様々な場面で提供すること。 (3) 意思決定を行う本人が,必要に応じて,意思決定のために必要な支援(必要な情報提供や特性に応じた説明,判断に当たっての相談や助言)を自ら求めることのできる力を,発達段階に応じて習得できる教育の機会を創設すること。 第2節 代理・代行 第1 代理・代行の考え方 1 代理・代行の許容 本人がある事柄について意思決定をしなければならない場面においては,本人による意思決定を導くために周囲の者による様々な支援がなされなければならない。これらの支援によって本人が意思決定することができれば,それは本人の自己決定である。 しかし,様々な意思決定支援を行ったとしてもどうしても本人が意思決定することができない場合には,その事柄について決定をすることが迫られているのであるから,本人に代わって誰かが決定せざるを得ない。付言しておくと,現時点において,決定をしてもらう必要があるからこそ,支援を尽くした後の代理・代行決定が問題となるのであり,必ずしも現時点で決定が必要というわけではないという場面であれば,引き続き必要な意思決定支援を継続し意思決定を導けばよいのであって,代理・代行の問題とはならない。このような場面まで代理・代行を認めることは,本人の領域に対する過度な介入といわざるを得ない。 第1編第3章で説明したとおり,障害者権利条約に関する「一般的意見」は,一切の代理・代行を認めないという立場をとるが,本報告書では,適切な意思決定支援を尽くしても本人による意思決定が導けない場合には,代理・代行としての他者決定は許容されると理解する。 ただし,障害者権利条約の趣旨を十分に反映させる必要はあり,十分な意思決定支援がなされないまま,安易に代理・代行を行ったり,その代理・代行が本人の意向や選好に基づかないようなものや必要な限度を超えるようなものであることは許容されないと考えられ,適正な代理・代行のための原則を定める必要がある。 2 代理・代行の定義 (1) 本報告書では,法律行為についての他者決定を「代理」,事実行為についての他者決定を「代行」とする。 (2) 正当な権限を付与された任意代理人あるいは法定代理人による決定としては,法律行為についての代理の場合や居所決定,医療行為の決定についての代行の場合が想定される。 3 代理・代行の法的位置付け 代理・代行は,基本的には他者による本人の領域への介入であり,本人に代わって他人が決定することについては,その正当な権限を有することが必要である。 しかし,例えば日常生活用品の購入の決定など,事柄によっては,そのような正当な権限を有する者を付するまでもない場合もあり得るのであり,そのような場合における代理・代行を否定することは,却って本人の利益が守られないこともある。 ただ,その場合の構成として,本法では,何らかの法的な「権限」を付与して有効とするものではなく,権限のない者による代理・代行決定は,基本原則に従う限りにおいて違法とは見なされないと考えるものである。 第2 代理・代行における基本原則 ここでの原則は,事実行為についての「代行」決定だけではなく,権限が付与された者による法律行為の「代理」決定等にも及ぶものである。 1 本人が意思決定することができない場合に行われる代理や代行は,本人の要望や信念,価値観などを十分に考慮した本人の意思と選好の最善の解釈に適うものでなければならない (1) 代理・代行が許容される場合であってもそこでなされる他者決定については,あくまで本人の立場にたって導かれるものでなければならず,代理・代行者自身の価値観や基準によってなされてはならないことを求めるものである。 (2) イギリスMCAにおいては同様の趣旨を「ベスト・インタレストの原則(第4原則)」として提示する。 「最善の利益(ベスト・インタレスト)」の用語は,一般的には客観的な最善の利益として使用されてきた。そこでは,本人の意向よりも客観的に見て合理的であるか否かという保護的観点からの検討が許容され,重視されていた。 しかし,このような客観的な最善の利益によるとき,代理・代行者による価値観が押し付けられ,本来の本人の自己決定権が歪められる危険性もある。国連障害者権利委員会の「一般的意見」では,客観的な最善の利益によるべきではなく,「意思と選好の最善の解釈」によるべきであると指摘しており(第21項),サウスオーストラリアでもこの点の危惧から,「最善の利益」ではなく,「表出された本人の意思」に基づくべきことが唱えられている。 イギリスMCAの第4原則も,本人の過去及び現在の要望や感情,本人が有していた信念,価値観,選好などを最大限に考慮した「最善の利益」を追求している点で,客観的な最善の利益とは異なる概念としているが,混乱を避けるため,ここでは「最善の利益」という用語を使わず,本人の意思や選好を考慮し,本人が意思決定能力を有していたならば導かれたであろう最善の決定を行うべきことが求められるものとする。 (3) 何をもって,本人の意思や選好を考慮した最善の決定となるかについては,イギリスMCAが「チェックリスト」を用意しており,参考になる。 そこでは,   (@)本人の年齢や外見,状態,ふるまいによって,判断を左右されてはならない   (A)当該問題に関係すると合理的に考えられる事情については,すべて考慮した上で判断しなければならない (B)本人が意思決定能力を回復する可能性を考慮しなければならない (C)本人が自ら意思決定に参加し主体的に関与できるような環境を,できる限り整えなければならない (D)尊厳死の希望を明確に文書で記した者に対して医療処置を施してはならない。他方,そうした文書がない場合,本人に死をもたらしたいとの動機に動かされて判断してはならない。安楽死や自殺幇助は,認められない。 (E)本人の過去及び現在の意向,心情,信念や価値観を考慮しなければならない (F)本人が相談者として指名した者,家族・友人などの身近な介護者,法定後見人,任意後見人等の見解を考慮に入れて,判断しなければならない   とする。 (4) ここにおける判断は,客観的な利益を一切排除するということを意味するものではないことに注意を要する。 イギリスにおいても,「バランスシート方式」が取られており,本人にとっての潜在的利益と潜在的不利益とを列挙することによる検討がなされるが,そこにおいて本人の心情や意向といった主観的要素を重んじるという手法である。 しかし,本人の主観的要素を適切に評価していない場合には,それが客観的利益に適っているからと言って代理権行使の相当性が認められるということにはならない。 (5) この判断に当たっては,重要な事柄については,代理・代行者が一人で決め得るとすることは相当でない場合がある。そのような場合には,本人に関わる者らによる会議において検討することが必要であろう。 また,本人の意向や心情,信念,価値観等を調査し専門的立場からこれを代弁するイギリスMCAにおける独立意思代弁人(IMCA)のような制度も必要である。    さらに,これについて相談できる公的機関の設置も不可欠である。 2 代理・代行が許容される場合であっても,それは必要最小限のものでなければならない (1) 必要な意思決定支援を尽くしても本人がその事柄について意思決定できない場合に,代理・代行が許容されることになるのであるが,それは当該事柄について必要な範囲に限定されることになる。 それ以外の事柄については何らの支援もなされていないし,支援の結果意思決定できないと判断されたわけでもない。したがって,必要以上に代理・代行の範囲を広げることは過度の介入として正当化されない。障害者権利条約第12条第4項も必要性・補充性の原則を求めている。 (2) また,代理・代行が許容されるのは,その事柄について,その場面においての判断であり,一度,意思決定することができないと判断して代理・代行が許容されたとしても,それがその後も継続するものと考えてはならない。前記MCAのチェックリスト(B)も常に本人が能力を回復する可能性があることを考慮するとされている。 異なる場面ではあらためて意思決定支援を尽くした上で,判断されなければならない。 第3 代理・代行(総論) 1 代理・代行を行う者 (1) 基本的には,本人が決定しなければならない事柄が生じたときに,本人との信頼関係に基づいて本人を支援している者が意思決定支援を行い,支援が尽きたところでその事柄について代理・代行決定を行うことになる。 例えば,在宅で生活している場合には,家族等が意思決定支援者であり代理・代行者となり,施設で生活している場合には,施設職員等が意思決定支援者であり代理・代行者となる。 (2) 一定の重要な事柄に関しては,正当な権限を付与された者(任意代理人・法定代理人)であることが必要となるため,これら以外の者が代理・代行をすることはできない。 (3) 任意代理人や法定代理人が選任されている場合には,それらの権限内の事柄に関しては,その前提としての意思決定支援者となり,代理・代行者となる。任意代理人や法定代理人以外の関係者も意思決定の支援をすることはできるが,これら権限のある者の関与のもとでなされるべきであり,その上で権限のある者による代理・代行がなされることになる。 2 代理・代行ができる事柄 (1) 本人が決定しなければならない事柄は,日常生活上のものから重要な法律行為,身分行為,医療同意等まで様々である。 これらの事柄について意思決定支援の対象となることはいうまでもないが,意思決定支援の場合は支援によって導かれた決定は本人による自己決定であるのに対し,代理・代行が許容される場合,その決定は他者決定である。 したがって,事柄の性質上,他者決定に委ねることができないものや正当な権限者でなければできないことなどがある。 (2) 問題となる重要な事実行為については個別に詳論することとし,ここではいくつかの事柄について述べておく。 @ 財産管理 財産管理という場合,不動産や預貯金の管理から日常的な小遣いの管理まで含まれ得る。 不動産の管理については,契約等の法律行為があり得るが,これらについては権限のある者でなければ法律効果が生じないため,権限がある者によるべきこととなる。 預貯金の管理についても継続的に法律行為が繰り返されることになるため,正当な権限がある者によるべきものである。 一方,本人が自由に処分し得る日常的な小遣いの範囲内における程度のものについては,権限がない者でも,適切な代理・代行決定がなされれば,本人が有する現金の中から支払いをすることは許容されるものとする。 A 身分行為 身分行為については本人の意思決定によるべきことであり,原則として代理・代行は認められないが,そのことについて裁判所から権限を付与された法定代理人による場合は代理権を行使できる。 B 身上監護等 現行成年後見制度において財産管理に対置される身上監護については,医療,住居,施設の入退所,介護や生活維持,教育やリハビリに関する契約等の法律行為が挙げられる。これらの契約については,正当な権限を有する代理人でなければ法律効果は本人に帰属しない。 一方,日々の生活における事実行為に関しての決定については,本人に対する意思決定支援が尽きたところでは,権限のない者についても,適正な代行決定も許容される。 3 代理・代行の効果 (1) 正当な権限を付与された者による代理・代行決定は法律上も有効な他者決定となる。 ただし,その他者決定が,意思決定支援優先の原則を充たし,代理代行の基本原則に基づいていることが必要であり,これらに従っていない場合は,代理権の濫用の問題として事後チェックされることになる。 (2) 権限のない者による代理・代行 権限を有しない者による代理は無権代理であり,代行の場合は事務管理としてその適正が評価されることになる。 すなわち,それらの者による代理・代行決定がなされたからといって,その決定が法的に有効なものとして本人に帰属することになるわけではない。 しかし,その代理・代行が,前述の原則に従った適正なものと認められる場合には,本人の利益のためになされたものであるから,代理・代行者に責任を負わせることは相当ではない。 そこで,次の要件を充足する場合には,代理・代行者の行為は不法行為とならない(違法性を欠く)ものとすべきであろう。 @ 当該決定に関する事項が,代理代行が許容されるものであること A 意思決定支援を尽くした上で,本人が当該事柄について意思決定できないと判断するための合理的手順を踏んでいること B 意思決定できないと判断したことが客観的に相当であること C 当該決定を行うにあたり,本人の意向や選好を考慮するための方策がとられていること D 当該決定が本人の意思の最善の解釈に合致すると信ずることが相当であること この点に関し,民法における事務管理の適正(民法第697条)についての通説的見解は客観的に本人の利益に適合することを求めているが,権利条約の趣旨を踏まえれば,主観的な本人の利益が優先されるべきであり,同条第2項が原則であると修正されなければならない。 第4 重要な事実行為についての代行決定 1 はじめに (1) 私たちの日常生活は,様々な事実行為の判断の積み重ねである。朝何時に起きるか,朝ご飯に何を食べるかに始まり,今日はどの服を着るか,どこに出かけるか,誰と会うかなど,一つ一つを自分で決めながら生活を送っている。このような日常生活に関わる細かな決定は,認知症や精神障害によって様々な意思決定に困難を抱えるようになっても,多くは,なお自分でも判断ができる事柄である。したがって,できるだけ本人の意思決定能力を認め,丁寧に本人の気持ちに寄り添いながら,一つ一つの行為に本人が何を望んでいるかを傾聴し,本人の望む暮らしを実現するように助力することが大事であり,原則として代行決定はなじまないと考えるべきである。 (2) しかし,医療同意や居所決定等重要な事実行為については,できる限りの支援をしても本人が意思決定できない場合には,誰かが代わりに決定しなければ本人の権利が護られない事態に直面する。 現行成年後見制度では,事実行為は本来の後見人の職務ではないとされてきた。しかし実際の後見業務の中で,事実行為と法律行為は厳密に分けることは難しく,また医療や介護などの生活支援の現場では,法律行為以外の決定の方が圧倒的に多いため,事実行為の判断についても,何らの基準も無いまま後見人が代行決定している例は多い。さらに,現在の成年後見制度の利用者はほんの一握りであり,それ以外の当事者は,親族や医療・介護スタッフなどが,事実上,事実行為について代行決定を行っていることも多いと考えられる。 (3) そこで,重要な事実行為についてどのように考えるべきかについて,以下に検討する。 2 医療同意 (1) 代行決定の必要性 自律の保障は,医療においても同様であり,どのような医療を受けるかについての決定権は,拒否する権利を含めて,患者に帰属するものとして保障されなければならない。患者は,医療行為に関する説明を受け,理解した上で,同意,選択又は拒否することができ,そのために必要な支援を受けることができる。 医療行為に関する説明を理解し,判断ないし決定するための能力は,患者の医療行為に対する自己決定権行使にかかる能力であり,当該医療行為の性質,当該患者の状況に応じて,個別に判断されるべきものである(日弁連「医療同意能力がない者の医療同意代行に関する法律大綱」(2011年12月15日),以下,「医療同意大綱」という。)では,「『同意能力』とは,疾患及び傷病の治療を目的とする医療行為を受ける成年者が,自己の状態並びに当該医的侵襲の性質,意義,内容及び効果並びに当該医的侵襲に伴う危険性の程度につき認識し得る能力をいう」としている。なお,この定義によると,いわゆる延命治療の中止は同意の対象から除外されると説明されている。)。そして,患者が支援を得ることによって自ら判断することが可能な場合には,患者の自己決定権の保障の原則を尊重して判断されるべきである。 しかしながら,必要な支援がなされてもなお,患者である本人が,医療行為に関する説明を理解し,判断ないし決定することができない場合のあることは否定できない。そのような場合には,本人の医療を受ける権利そのものを保障するためにも,本人以外の者が本人に代わって決定(代行決定)することを承認するのが相当である。 (2) 代行決定者 @ 医療同意 医療行為の同意は,医療行為に伴う侵襲行為の違法性阻却事由と位置付けられている。したがって,医療行為を行おうとする医療者自身が代行決定をする者(代行決定者)となることは相当ではない(ただし,緊急時に患者の生命又は健康に対して重大な害を及ぼす危険を回避するために直ちに医療行為を行う必要があるときは,緊急避難等の一般原則により,若しくは患者自身の推定的同意に基づき当該医療行為は違法ではないと解されるのであって,医療者が代行決定をしているわけではない。)。また,同意の有無及び内容は,医療行為を行おうとする医療者が当該医療行為を行うか否かの判断を分ける事柄であるから,当該医療行為について本人に同意能力がないことと,代行決定しようとする者にその権限があることについては明確性と安定性が要請される。 A 同意代行者となる者 この点,日弁連の「患者の権利に関する法律大綱案の提言(2012年9月14日),以下「患者の権利法大綱案」という。) は,患者に能力が欠如している場合は,「原則として,患者の家族その他患者を保護する者」を代行決定者とするとの一般的なルールを提言しており(同大綱案2-2-2@),医療同意大綱はさらに具体的な提案をしている。 すなわち,意思能力がある本人は,同意代行者を選任することができるものとする一方,本人が同意能力(定義は上述した)を欠くときは,原則として,ア家庭裁判所の審判により医療行為の同意権限を付与された成年後見人,イ配偶者(婚姻の届出をしないが,事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む),ウ成年の子,エ親,オ兄弟姉妹の順序で本人に対する医療行為につき同意権を代行することができるものとしている(医療同意大綱第3章)。もっとも,上記アについては,医療同意大綱は成年後見人に対する医療同意権付与に関する規定を設ける提言であり,現行成年後見制度を前提としているといえるが,要は「家庭裁判所の審判により医療行為の同意権限を付与された者」である。 B 同意代行権限付与の手続き 上記イ以下の者ら(近親者である)についても,近親者であるというだけで当然に同意代行権限を有するわけではない。あくまでも,当該医療行為について本人に同意能力がない場合に限られる。したがって,本人の同意能力の有無に関する判断が必要となる。この判断を家庭裁判所等の第三者機関に行わせないとすれば,医療行為を行おうとする医療者が本人には能力がないとの判断をした上で,上記イ以下の者らに当該医療行為に関する同意代行を求めるか,同意代行することとなる上記イ以下の者らが,本人に同意能力がないとの判断をした上で,同意代行することのいずれかが考えられるであろう。 しかしながら,医療者が本人の同意能力の有無・程度について意見を述べることはむしろ望まれることだしても,前述のとおり,医療行為の同意は,医療行為に伴う侵襲行為の違法性阻却事由と位置付けられており,医療行為を行おうとする医療者自らが誰から同意を得れば良いのか(本人からの同意ではなく,同意代行者からの同意でよいこと)を決めて良いとすることには違和感がないとはいえない。同意代行することとなる近親ら自らが,本人に同意能力のないことの判断をすることについても,自らに権限が生ずる根拠のあることを自ら判断するというにほかならず,果して,それで適正が担保されるのか懸念されるところである。 この点,医療同意大綱は,現行成年後見制度を前提としているだけでなく,本人に医療行為の同意能力の有無が問題になり得るようなケースでは,成年後見人が選任されていることを基本としている。したがって,医療行為の同意代行が問題となるようなときは,既に選任されている成年後見人が医療行為の同意権限を付与する審判を申立て又は後見開始の審判とともに医療行為の同意権限を付与する審判が同時に申し立てられることを想定している。こうして,医療同意大綱は,本人が同意能力を欠くことの判断は,基本的に家庭裁判所によって行われることになるものと考えているといえる。 他方,現行成年後見制度を前提としない場合,「家庭裁判所の審判により医療行為の同意権限を付与された成年後見人」が「家庭裁判所の審判により医療行為の同意権限を付与された者」に読み替えられるとしても,医療同意大綱では,配偶者や子などの近親者(該当する近親者がいればの話であることは当然)が同意代行者となることの方がむしろ原則となるように思われる。なぜならば,医療行為の同意代行が問題となった時点で既に選任されている成年後見人はいないからである。また,その時点であらたに家庭裁判所に医療行為の同意権限を付与する審判を申立てても,同意権限を付与された者は当該医療行為に限り同意権限を付与されただけで,将来にわたって広汎に権限を行使できることになるわけではない点で「便利さ」があるわけでもなく,それならばかかる申立てをするまでもなく,近親者が自ら同意代行者となれば済むからである。 このようなことから,現行成年後見制度を前提としない場合,誰が同意代行者となるのかを改めて検討する必要があるとともに,本人に同意能力がないことの判断を誰がどのような手続によって行うのかについて,迅速性・柔軟性に配慮しつつも適正を担保する仕組みを考えなければならない。 C 同意代行権限の個別性 意思決定能力の有無は,意思決定が求められる事柄ごとに判断し,属人的な判断を認めないことを徹底すれば,医療行為の同意能力の有無についても,同意が求められる医療行為ごとに判断されるべきこととなる。この点,前述のとおり,医療行為に関する説明を理解し,判断ないし決定するための能力は,患者の医療行為に対する自己決定権行使にかかる能力であり,当該医療行為の性質,当該患者の状況に応じて,個別に判断されるべきものであり,医療同意大綱が「『同意能力』とは,疾患及び傷病の治療を目的とする医療行為を受ける成年者が,自己の状態並びに当該医的侵襲の性質,意義,内容及び効果並びに当該医的侵襲に伴う危険性の程度につき認識し得る能力をいう。」としているのも同じ趣旨であるということができる。 ただし,一定の期間にわたって医療上の意思決定を行う必要があるときに,そのすべてについて,いちいち医療行為の同意代行権限を裁判所の審判により付与されなければならないとすることは現実的でなく,また,必ずしも適切であるとは限らない。 (3) 代行決定のあり方 代行決定者は,医療同意をするに当たっては,本人の意思を尊重しまた本人の身上に配慮すべきである(医療同意大綱第4章第4項)。医療の同意権は自己決定権に基づくものであるから,本人に同意能力がなくても本人の意思を酌み取ることが求められ,その際,本人の個人的意向や心情に配慮することが重要である。 また,本人に死亡のおそれ又は重大かつ長期に及ぶ障害の発生する相当のおそれがある医療行為については,代行決定者が単独で判断することは相当ではない。この点について,医療同意大綱は,家庭裁判所の許可ではなく,高度の専門的医療知識を有しかつ迅速な判断ができる医療同意審査会(仮称)の許可を得ることとすることを提言している(同大綱案第4章第2項)。 (4) 治療を拒否する事前の意思表示の取扱い 前述の通り,自己決定権として,どのような医療を受けるかについての決定権は,拒否する権利を含めて,治療を受ける者自身に帰属するものとして保障されなければならない。こうしたことから,患者の権利に関する法律大綱案でも,「全ての人は,十分な情報提供と分かりやすい説明を受け,理解した上で,自由な意思に基づき自己の受ける医療行為に同意し,選択し,拒否する権利を有する。」(1-8)とし,「患者は,医師及びその他の医療従事者から,自己の病状,医療行為の目的,方法,危険性,予後及び選択し得る代替的治療法などにつき正確で分かりやすい説明を受け,十分に理解した上で,自由な意思に基づき,医療行為につき,同意,選択又は拒否することができる。」(2-2-1@)としている。 ただし,医療行為,とりわけそれを行わないことが本人の死に直結するような医療行為を拒否する方向に働く意思又は意向もしくは心情をどのように取り扱うかについては,その真実性や真摯さをどのように担保するのかや,生命の保護との関係をどのように考えるべきかといった点など議論の分かれる問題に深く関わることとなる。 特に,本人が上記のような治療にかかる決定をする能力を失っておりかつ治療を拒否する事前の意思表示が存在するときに,当該意思表示をどのように取り扱うかについては,より一層困難な問題を生ずるとされ,なお慎重な検討が必要である。 (5) 代行決定についての責任 @ 免責の対象 MCAは,同意能力がない人に対し行われた医療について,本人の最善の利益のための治療等であること等,同法が定める要件を満たしている場合に,医療提供者を免責する規定(第5条)を設けている 。ただし,ここで免責の対象となっているのは,同意能力のある本人が同意している場合に医療提供者が負うことのない責任である(医療行為の過失についてまで,同条によって免責されるわけではない。したがって,「何かあったとき」の医療者のための備えとして規定されているものではないことに注意しなければならない。)。 MCAがこのような免責規定を必要としているのは,本人に同意能力がないときに,医療者自らが「意思決定者(能力を欠く人に代わって意思決定をし,行動する。)」として,医療行為を行うことになっているが,本人の同意を欠いたまま行われる医療行為に伴う侵襲行為が違法であることに変わりはないからである。 この点,医療同意大綱は,本人に同意能力がない場合には,本人に代わって同意を代行する者(権限)が必要であると考え,前述のとおり,医療同意代行者を定めるべきであるとしている。つまり,本人に同意能力がない場合においても,権限ある同意代行者が同意することによって,同意能力のある本人が同意した場合と同じように,医療行為に伴う侵襲行為の違法性が阻却される反面,権限のない者が同意代行することは念頭にない,という仕組みである。このような仕組みを前提とする限り,権限に基づき同意代行した者にとってMCA第5条のような免責規定は不要であるし,権限のない者による同意代行について免責をあらかじめ規定するのは背理である。 A 同意権限を不要とする仕組みについて では,本人に同意能力がない場合にMCAのように免責規定を用意する代わりに,同意代行に必ずしも権限を必要としないとする仕組みを新たに導入することについてはどうであろうか。このことを検討する際,少なくとも次の二点に留意しなければならない。 一つには,本人に同意能力がない場合に特定の他者に同意代行の権限を付与し,その者の同意代行によって本人による同意があったのと同じ効果(違法性の阻却)を得る方法によると,あくまでの本来は権限のない他者の決定であり違法であるが(あるから),これに免責を与える方法によるとのいずれを採用するかは,意思決定支援を徹底することから必然的に決まるものではないと思われる。 もう一つは,MCAは,本人に同意能力がない場合は,医療者が意思決定者になるとしている点である。確かに,自ら侵襲行為を行う医療者にこそ,侵襲行為についての免責が必要になる。一方,同意は医療行為に伴う侵襲行為の違法性阻却事由であると理解されるのにもかかわらず,その医療行為(侵襲行為)を行う医療者自らが決定することには違和感があるであろう。少なくとも我が国においては,医療者が決定者となることを真正面から承認することには困難があるように思われる。 B 代行決定の内容に関する責任 MCAも医療行為の過失について免責するものでないことは前述した。しかし,同意代行者が権限に基づき代行した同意について善管注意義務違反等を問われる場合に備えて,これを免責する規定を設けておく必要があるかどうかという問題は残る。この点,現行成年後見制度のもとでも,後見人の代理行為について,その善管注意義務違反等を問われるケースがあり,後見人にとって無視できないリスクになっている。 この点,安易に定型化することはできないが,当該医療行為を行うことが本人の最善の利益に適うときには同意代行者を免責するという仕組みを考えてよいかもしれない。その際,本人の最善の利益に適うと判断・評価するためのルールが同時に設けられることが必要であろう。 3 居所決定と代行 (1) 居所に関する代行決定の問題 @ 要介護状態になったとき,在宅での介護を続けるのか,施設に入所するのか,もし施設に入所するとして,どんな施設に入所するのか,そしてそこでどんな医療や介護を受けるか等の問題に直面する。これもほとんどは身上監護に属する事実行為の判断の積み重ねである。例えば,在宅での介護・医療を受けるのか,終末期においては病院で最期まで延命治療を受けるのか,それとも緩和ケアを受けながら施設等で自然に死を選ぶのかなど,多様な選択肢があり,その中でどのような選択をするかは,その人の生き方や価値観に大きく関わる問題である。それゆえ,居所決定は,本来,本人がどう考え,どう判断するかが一層問われなければならない問題である。 A しかし,我が国の介護の現場では,長い間,意思決定に困難を抱える人や,またその可能性のある人について,家族等の中から「身元保証人」を要求し,身元保証人に対し「同意書」に署名押印を求め,身元保証人による代行決定を安易に認めてきた。また施設への入所契約や,その際の重要事項なども,介護の現場では身元保証人による事実上の代行と代筆が広く行われてきた。しかし,このシステムも,近年の高齢社会や無縁社会の進行の中で,いざというときに頼れる家族や知人がおらず,「身元保証人」を立てることができない高齢者や障がい者が多くなっており,身元保証人がいない故に施設に入れない,あるいは必要な介護が受けられないという問題を生じている。 B そもそも居所の決定については,本来は本人の意思決定及び本人の置かれた客観的状況(心身の状況や住環境,経済的状況等)によって決められるべきものであり,また本人が施設入所に関して意思決定能力がないという場合には,何より何が本人の最善の利益かによって決めていくべき問題である。例えば,本人が施設介護を望み,また本人の生活能力や,自宅での生活環境からしても,施設移行が望ましいという場合には,身元保証人の有無を問わず施設入所に移行できるようにするべきである。逆に本人が在宅生活を望み,困難があっても様々な在宅サービスを駆使すれば本人の望む暮らしを支えられる見込みがあれば,まず在宅での生活を念頭に置いて,本人に必要な介護サービスの情報を提供し,その理解を助け,本人の意思決定を酌み取っていく必要があり,本人と試行錯誤しながら,向き合って考えていくべきである。そして,もし本人があらゆる支援をしても意思決定が難しいという場合に,本人の最善の利益とは何かを誰が代行決定し,どんなケアを実施していくのかを決めていかなければならないのである。その意味では,「身元保証人」という曖昧な存在に,代行決定を安易に委ねてしまう従来のやり方は,意思決定支援制度の中で,大きな転換を求められているというべきである。 C そこで,今後の制度として考慮されるべきなのが,イギリスにある独立意思代弁人(IMCA=Independent Mental Capacity Advocate)制度である。IMCAは,判断が必要とされる時点において特定の意思決定能力に欠ける本人に対する支援として,一定の重大な身上監護面において,本人に関わる介護・医療のサービス提供者とは独立して,本人の意思や信条,選好がどのようなものであるかを調査・報告し,それを最善の利益の決定を行う上で最大限考慮されるよう働きかけを行う専門職である。加えて,最善の利益による決定の前に,意思決定能力の判定方法を含めMCAが求める適切な意思決定支援のプロセスが踏まれていたかどうかを事実上チェックする機能も有する。これは地方自治体が補助金を出して民間団体に委託している事業で,これを利用する費用は常に無償であり,アドボカシー活動に関する国家資格を持つ者が実際の活動を行う。例えば施設入所や身体拘束などの重要な意思決定を行う際に,本人に当該意思決定能力がないと判断され,かつ誰も支援者がいない場合,本人のために介護・医療のサービスを提供している者は,IMCAに直接支援を求めることができる。IMCAは強力な情報開示請求権により,本人の最善の利益の判定に必要なあらゆる資料を入手し,本人や親戚,知人,今まで関わってきた福祉関係者からも事情を聞くことができる。IMCAの報告書は,当該決定事項における本人の最善の利益を考慮する上で最も重要な書類となる。 我が国でも,IMCAのような本人のアドボカシーのための専門職を養成し,これをいつでも無償で派遣できる仕組みを作るべきである。そして,その専門職には,本人がどこに住み,どんな介護を受けるか等に関する意思決定能力に欠けている状況において,本人にとっての最善の利益を決定する必要がある場合に,その決定に本人の意思,信条,選好,意向が十分に反映されるよう,本人の声を代弁する機能を持たせるべきである。また,関係者による意思決定支援が適切なプロセスの下に行われたかどうかについても,そのような専門職の関与によって,再検証が可能となるような仕組みの構築が必要だろう。 D 他方で,身元保証人がなくても施設入所を可能にすべきということになれば,それに伴うリスク(利用料の支払いの確保,死後の遺体の引受や動産の処分等)を施設だけに押しつけず,誰がどう分担するかの問題も考えていかなければ,現実的ではない。そのためには現在,事実上よく行われている年金振込口座の施設での管理にどう法的な根拠を与えるか,また死後の遺体の引き取りや動産処分について,相続人がいないか,相続人がいても動かない場合の相続財産管理人の権限強化や手続の簡易化などの法整備も考えていかなければならない。 (2) 障がい者の居所について   障がい者については,そもそも住まいに関する選択肢が少ないがために選択の余地なく居所が決められてしまうという現実があることも否定できない。また,単にハコモノ(グループホームやアパートなどの建物)だけでなく,生活を支える障害福祉サービスの内容やその担い手(事業所等)の有無によっても当該地域で生きるための居所が限定されてしまうことも少なくない。このように,居所についての意思決定・代行決定が意味を持つためには,前提として,現在の貧弱な在宅生活を支える制度を充実させ,本人の希望する生活に即した住まいやサービスを提供することが必要不可欠である。   さらに,精神障がい者については,条例によって精神病床の居住系施設への転換を可能とさせる省令が出されたが,これは,地域の社会資源がないために社会的入院を余儀なくされている精神障がい者の退院・地域移行に対するごまかしであり,居所についての選択肢の真の拡大になっていない。このような乏しい資源を前提とした居所についての意思決定・代行決定がなされないよう,まずは地域で暮らせる体制作りを優先すべきである。 4 身体拘束の問題 (1) 介護や医療の現場においては,身体拘束その他の行動制限(以下「身体拘束」という。)の適否が問題となるケースが少なくない。身体拘束は,本人の人格権や人身の自由という基本的人権に対する重大な制約になるため,原則として禁止されるべきものである。もっとも,本人又は第三者の生命又は身体を保護するため緊急やむを得ない場合においては,身体拘束は例外的に許容されると解されている。そして,緊急でやむを得ない場合といえるためには,@切迫性(本人又は第三者の生命又は身体が危険にさらされる可能性が著しく高いこと),A非代替性(身体拘束を行う以外に代替する介護方法がないこと),B一時性(身体拘束が一時的なものであること)の3要件が満たされることが必要であると解されている(厚生労働省「身体拘束ゼロの手引き」(2001年3月7日)参照。精神保健福祉法第37条第1項の規定に基づく厚労大臣が定める処遇の基準もほぼ同様である。)。 (2) ところで,身体拘束を例外的に許容するための上記3要件の有無の判断は,本人を拘束する側(施設側)が第1次的に行っているというのが現状である。また,例えば,成年後見人についてみると,成年被後見人の身体拘束それ自体に対する決定権限は付与されていない。したがって,現行制度の下では,成年後見人にとっては,成年被後見人の身体拘束の決定は職務範囲外の事項ということになる。それゆえ,成年後見人としては,不当な身体拘束については,身上配慮の観点から,公的な苦情解決機関への申立てを行うなどして対処するほかない。さらに,身体拘束について直ちに司法的チェックを行うなどにより身体拘束の適法性を担保する仕組みが存在しない。   なお,入院中の精神障がい者については,処遇改善請求手続において争う手段があるが,身体拘束については,事実上,身体拘束をされている時点では請求すらできず,後日争う場合はその違法性を立証する証拠に欠けるという困難性があり,やはり身体拘束の適法性を実質的に担保する仕組みは存在しないといわざるを得ない。 (3) しかしながら,上記のとおり,身体拘束は人格権や人身の自由という基本的人権に対する重大な制約であるため,その適否の判断を身体拘束する側(施設側)のみが行うこと,あるいは,その適否の判断を身体拘束する側(施設側)が行うことについて何らの司法的チェックもなされないことは,本人の権利擁護上,問題があるというべきである。 思うに,本人の権利擁護の観点上,身体拘束の適否の判断を身体拘束する側(施設側)のみに行わせないような仕組み,あるいは,その適否の判断を身体拘束する側(施設側)が行うについて外部からのチェックを行う仕組みの創設が検討されるべきである。例えば,裁判所が身体拘束に関して代行決定し得る第三者(代行決定者)を選任したり,あるいは,身体拘束の適否を直ちに裁判所が審査するなどの仕組みなどの創設が考えられる。また,病院については実地検査を予告なく行うなど,現在の手続を活性化することによっても改善の余地がある。身体拘束の適否については真剣に取り組むべきである。 第3節 監督付任意代理制度(現行任意後見制度) 第1 総論 意思決定支援法の下において,特定の個別的な事柄について精神上の障害により意思決定に困難を抱える人が,周囲の支援者から支援を受けても意思決定ができない場合には,当該事柄についての代理・代行の場面に移行することになる。このことは,本人があらかじめ特定の人物に,そうした場面における代理・代行を委ねるという仕組みの存在を否定するものではなく,そうした仕組みは自己決定の一つの発現として,当然に認められるべきものである。 現行制度の下においても,本人の自己決定を尊重する趣旨から任意後見制度が設けられているが,実際の利用件数は予想されていたほど多くない。そして,現行の任意後見制度については,次に述べる問題点も指摘されている。 ・財産管理の主導権を握ろうとの意図の下,判断能力が低下した本人に,内容をきちんと理解させないまま任意後見契約を締結させてしまう(即効型の場合)。 ・本人の判断能力が低下したにもかかわらず任意後見監督人による監督を避けたいがために監督人選任申立てが行われず,本人が放置された状態が継続してしまう(移行型,将来型の場合)。 そこで,本法において現行の任意後見制度を再構築するに当たっては,こうした問題点を改善する仕組みが必要となる。なお,本法では現行任意後見制度と区別する意味で,「監督付任意代理制度」との名称を使用する。 第2 制度概要各論 1 契約の方式・形式 監督付任意代理制度は,本人が行うべき意思決定を第三者に委ね,第三者がこれを代理・代行することを内容とするものであるため,委任もしくは準委任の一種であって,任意・代理の一種であるとの位置付けになる。 一般的な任意代理においては,代理人の行為について本人による監督・是正が期待可能であり,実際にも本人が監督・是正している。しかし,監督付任意代理契約においては,任意代理人が権限を行使する場面では,本人は精神上の障害により支援を受けても意思決定ができない状態,すなわち本人による監督や是正を期待しがたい状態にあることから,本人の利益保護のために,一般的な任意代理とは異なる仕組みが必要である。 そこで,監督付任意代理契約の締結は,現行の任意後見契約と同様に,公正証書の方法によらなければならないものとする。そして,監督付任意代理契約の作成に携わる公証人に,契約内容についての実質的審査権を認めるべきである。 すなわち,現行制度では公証人には契約内容についての実質的審査権がないため,契約内容が本人に不当に不利益を及ぼすおそれがある場合,公証人はその旨のアドバイスはできても本人がそのアドバイスに従わない場合には,そうした内容の任意後見契約公正証書を作成せざるを得ないとの問題点が指摘されている。 そこで,監督付任意代理契約では,公証人に同契約の内容についての実質的審査権を与え,一定の場合には公正証書の作成を拒否することができることとし,監督付任意代理契約の発効場面において本人に不当な不利益が及ばない様,本人の利益を擁護する役割の一端を担ってもらうべきである。この点については,2009年に日弁連が示した「任意後見制度に関する改善提言」でも述べているところである。 2 監督機関への登録・嘱託 現行の任意後見制度においては,公証人は,任意後見契約公正証書を作成したときは,登記所に任意後見登記の嘱託をすることを要するものとされている(公証人法第57条の3)。監督付任意代理制度においても,これと同様に,契約締結後直ちに監督機関である行政機関に登録されるものとし,かかる登録については公証人が嘱託するものとする。 3 代理・代行事項の定め方 (1) 対象事項 代理・代行事項(以下「代理事項」という。)は,法律行為に限らず,事実行為や医療行為,身分行為についての意思決定も含まれる。  (2) 代理権目録への記載 監督付任意代理制度は,現行制度よりも一層本人意思の尊重の理念を推し進めたものとすべきであることから,監督付任意代理契約における代理事項は,個別具体的に定められることが望ましい。 しかし,(1)の通り,監督付任意代理契約においては日常生活におけるありとあらゆる行為についての意思決定が対象行為となり得,これを逐一個別具体的に代理権目録に記載しなければ契約を締結できないというのも煩雑である。また,後述するように代理権限の段階的付与を認めるため,代理権目録の記載が包括的であっても,本人に特段の不利益はない。 そこで,代理事項の記載に当たっては,一定程度包括的な記載でも許容されるものとする。 4 代理・代行権限の発効 (1) 総論 代理・代行権限(以下では単に「代理権限」とする。)は,支援を受けても意思決定ができなくなった当該行為についてのみ認められる。ある行為について支援を受けても意思決定ができなくなったからといって,現行の成年後見制度の様に,当該行為を超えて広く一般的に代理権限が認められることはない。 (2) 申立権者について 現行の任意後見制度においては,監督人選任の申立権者は,本人,配偶者,四親等内の親族又は任意後見受任者とされている(任意後見に関する法律第4条第1項)。 監督付任意代理制度においては,任意代理人候補者への代理権行使許可の申立てに関する本人への意思決定支援が最優先されることを大前提とした上で,代理権行使許可の申立ては,本人,任意代理人候補者の他,本人の支援をしている者に広く申立権を認めるものとする。申立権者の範囲を広く認めた方が,特定の行為について支援を受けても意思決定ができない状態に本人が陥った場合に,速やかに代理権行使許可の申立てへと繋げることができ,本人の利益に適うと考えられるからである。なお,申立権者の範囲を広く認めると,本人の意思に反したり,適切かつ十分な支援を受けていないにもかかわらず代理権行使許可の申立てがされてしまい,本人の利益が害されることが懸念されるが,この点については,現行の任意後見制度と同様に,原則として本人の同意を必要とすることにより防ぐことができるというべきである。  (3) 申立義務を認めるか 既述の通り,現行の任意後見契約においては,監督人による監督を避けたいがために,適切なタイミングで監督人の選任申立てが行われず,本人が放置される事態が生じてしまう,という問題が指摘されている。 これは,監督人選任の申立権者が必ずしも常に本人の側にいるわけではないことから発生する問題であるため,根本的には後見人候補者や親族をはじめとする支援者が,本人に寄り添ってその状態を把握し,任意後見を開始するのが適切な状態になったときには直ちに申立権者にその旨を通知して速やかに監督人選任の申立てを行う,という支援体制を構築して解決するのが望ましい。 しかし,本法では,次に述べる理由により,明文で任意代理人候補者に申立義務を課すこととする。 すなわち,監督付任意代理契約を締結する本人の意思は,「支援を受けても意思決定ができなくなったときには自分に代わって任意代理人に意思決定を行ってほしい。」というものであり,本人のこうした意思を合理的に解釈すると,その中には,「支援を受けても意思決定ができなくなったときには,任意代理人候補者に代理権限の行使を許可してもらうために,速やかにその申立てをしてほしい。」という意思も含まれているということができるのではないか。そうであるならば,監督付任意代理契約の一方当事者である任意代理人候補者には,ある行為について本人が支援を受けても意思決定ができない状態に陥っていないかどうかを見守り(任意代理人候補者自ら本人を見守ることが困難であれば本人を日常的に支援している者からそうした情報を収集し),もしそのような状態に陥ってしまったのであれば速やかに意思決定についての代理権行使許可の申立てをするべき法的義務を課し,本人が放置されることのないよう努めなければならないとするべきである。  (4) 代理・代行権限の段階的行使許可 監督付任意代理制度は,特定の行為について支援を受けても本人が意思決定できない場合に,第三者に意思決定の代理権限の行使を許可するものであるところ,本人の意思決定が可能な部分についてはできるだけ本人に決定をしてもらうべきであって,本人の現有能力を尊重すべく,任意代理人に対しては,必要な事柄についてあるいは事柄に応じて段階的に代理権限行使を許可できるものとする。  (5) 法定代理との関係について〜取消権・同意権を含めて 現行任意後見制度では,権限の抵触の防止等の理由から,法定後見が開始する場合には任意後見は終了するものとされている(任意後見に関する法律第10条第3項)。そのため,任意後見が開始した後,本人に取消権や同意権による保護が必要になったとして法定後見が開始した場合には,任意後見が終了してしまうため,本人の意向がその時点で断絶されてしまうという制度となっている。 監督付任意代理では,現行任意後見制度と異なり,代理権目録に記載された事項のうち個別的な事柄ごとに代理権行使が認められることになることを基本とするので,監督付任意代理契約が発効している場合でも,それ以外の事柄について法定代理権を付与することは可能であり,監督付任意代理と法定代理とは併存し得ることになる。 なお,日弁連は,2009年に「任意後見制度に関する改善提言」にて,本人の判断能力の低下の度合いに応じて,裁判所の判断により,任意後見人に,本人の法律行為についての取消権・同意権を必要な範囲で付与することができるようにすべきであるとの提言をした。本提言は,任意後見開始後に法定後見が開始されると任意後見が終了してしまうという現行制度を前提に検討されたものであったが,上記のとおり,本法では監督付任意代理と法定代理とは併存し得る仕組みとなっており,本提言が設定していた前提とは異なるため,その議論は本法にはそのまま当てはまるものではない。そして,消費者被害等から本人を保護するための方策は,監督付任意代理人に取消権・同意権を付与する以外の方法もあり得る。そうすると,本提言については,本法との関係においては,その必要性について,抜本的な再検討が必要であるということになる。 5 受任者 (1) 資格制限 監督付任意代理制度においても,現行制度と同様に,任意代理人となるには特段の資格を要しない。すなわち,本人の親族,知人はもとより,弁護士,司法書士等の法律実務家や社会福祉士等の福祉専門家も受任者となることができ,また,社会福祉協議会等の法人も受任者となることができる。  (2) 不適格者への対策 現行の任意後見制度では,即効型を除き,任意後見契約を締結してから任意後見人となる受任者が実際に代理権を行使するまで相当の時間が経過していることが想定されている。そのような場合,契約締結後の事情の変化により,受任者が本人に対して虐待をするようになってしまった等,契約締結時の本人意思に忠実に従って受任者に代理権を行使させることが好ましくない事態も発生し得る。そこで,このような場合には,本人の利益保護のため,監督人選任の申立てがあっても監督人は選任されず,むしろ法定後見を開始することができるとされている(任意後見に関する法律第4条第1項但書,第10条第1項)。 この点,監督付任意代理制度においても,代理権行使許可の申立てを受けた行政機関(後述8)は,申立て前に本人が当該行為について適切かつ十分な支援を受けていたか否かを判断するだけでなく,当該受任者に本人への虐待等,任意代理人の任務に適しない事由がないかどうかも判断すべきである。  (3) 体制整備 以上のとおり,監督付任意代理契約における受任者の資格については,上記以外には特に制限を設けないこととし,受任者となり得る人材を広く認めるという制度設計とすることは,同契約の利用を促進させる一つの要素となろう。 しかし,監督付任意代理契約を利用しようとする者からすれば,人格的に信頼ができるというだけでなく,意思決定支援や本人意思の酌み取りについて専門的かつ高度な訓練を受けた者を受任者にすることができた方が望ましい。そこで,制度利用者の満足感,安心感の充足のため,制度設営者である国は,高度な専門的スキルを持った任意代理人候補者を紹介できるようにすべく,そうしたスキルの教育制度を整備することの他,そうしたスキルを身に付けた人材の登録・紹介制度も用意して,候補者の紹介を希望する利用者のニーズに応えていくべきである。また,国は,任意代理人に対する研修制度を設けるなどして,任意代理人のスキルの維持,向上に努めていくべきである。 6 代理・代行権限の行使 任意代理人が代理権を行使する際には,本人の意思や選好を考慮し,本人が能力を有していたならば導かれたであろう最善の決定を探求し,それに沿って権限を行使しなければならないこと等は,代理・代行の基本原則から導かれる。 7 公示 監督付任意代理契約が締結された場合には,代理権行使の段階における監督を実効あらしめるため,同契約の締結の事実とその内容,本人と任意代理人候補者の住所,氏名,生年月日が監督機関である行政機関のデータベースに登録されなければならない。 この登録は,監督付任意代理契約の締結に立ち会った公証人が,監督機関である行政機関に対して嘱託をして行うとすることは既に述べたとおりである。 8 監督 (1) 総論 監督付任意代理契約は,本人が代理・代行人に対し,法律行為に限らず事実行為も含めて意思決定の代理・代行を委ねることを内容とするので,委任契約,任意代理としての本質を有することになる。そして,通常の任意代理であれば,本人は自らの力で代理人の行為を監督して自らの利益を守ることができる。しかしながら,監督付任意代理契約にあっては,任意代理人が意思決定の代理・代行を実行する場面では本人は支援を受けても意思決定ができない状態にあるため,本人による監督を期待できない。また,受任者となるべき者について,特別な資格を要求するわけでもない。そのため,監督付任意代理制度においては,任意代理人が適切に行為するよう本人に代わって監督する第三者の存在が不可欠である。  (2) 司法機関と行政機関の権限分配について 現行の任意後見制度では,後見人の活動について監督人が監督を行い,家庭裁判所は監督人から報告を受けて間接的に関わる,という仕組みになっているが,監督付任意代理制度にあっては,現行制度の様に監督人が必ず選任されるという仕組みではなく,基本的には次のように司法機関と行政機関に権限を分配した仕組みとする。 まず,任意代理人の解任については,いったん付与された代理権限を剥奪することになるため,司法機関である家庭裁判所がこれを行うべきである。 他方,解任以外の権限,すなわち代理権行使許可の判断や,任意代理人の日常的な行為についての監督は,行政機関が行うべきである。これは,任意代理人の日常的な監督が,同人からの相談やこれに対する助言などを含むもので障害や福祉に関する専門的知識が必要になる場合もあることから,事柄の性質上,司法機関よりも行政機関に委ねる方が適切であるし,マンパワーの点でも行政機関に委ねた方がより充実した監督を期待できると考えられるからである。 任意代理人は,日常的な活動について,行政機関の監督に服するが,同機関の監督を実効あらしめるため,同機関に対して活動報告書を提出しなければならない。活動報告書の提出時期や頻度については,代理権が付与された行為の性質に応じ,同機関が決定すべきである。 このように,監督付任意代理における任意代理人の日常的な活動については,相談,助言も含めて行政機関が監督するということになり,現在よりも充実した監督が期待できるので,監督付任意代理制度においては必ずしも任意代理監督人を選任する必要はない。しかしながら,任意代理人の属性(親族などの一般人か弁護士などの専門職か)や事案の性質(例えば,特定の銀行口座の入出金の管理や特定の賃貸不動産の管理など,ある程度の期間にわたり本人に代わって意思決定を行う必要があるか)を考慮し,監督の実効性を高めるため,必要に応じて行政機関が任意代理監督人を選任することもできるとする。  (3) 期間制限について 行政機関が任意代理人候補者に代理権の行使を許可する場合,監督付任意代理契約に権限行使の期間の定めがあればそれに従い,期間満了時には対象行為の性質や本人の意思決定能力に応じて更新の要否を審査するものとする。監督付任意代理契約に権限行使の期間の定めがない場合には,事柄の性質に応じて権限を行使できる期間を設けなければならず,期間満了時には,対象行為との性質や本人の意思決定能力の状況に応じて,更新の要否を審査することになる。 9 意思決定能力の低下がある場合でも本人の希望により任意代理を開始できるか 監督付任意代理契約締結時には意思決定能力にまったく問題がなく同契約が成立したことを前提として,ある行為について支援を受ければ意思決定はできるもののその能力が低下してきた場合にも本人の希望により監督付任意代理を開始できるかについて検討する。 この点,本人の自己決定権の尊重,本人意思の尊重という意思決定支援の基本理念に鑑みれば,本人の不安感の払拭や意思決定を慎重に行いたいといった理由から,本人が第三者に意思決定を委ねたいという意向を持つのであれば,これを認めるべきである。 しかし,本人が適切な支援を受ければ意思決定ができる状態にあり,これまで述べてきた典型的な監督付任意代理の適用場面とは異なる。 したがって,本人の希望による監督付任意代理の開始を認めるにしても限定的な範囲で認めるべきであり,また,本人の希望による監督付任意代理開始に特有な,典型的な監督付任意代理とは異なる規律についても検討すべきである。 例えば,本人の希望による監督付任意代理の開始を認めるためには,対象行為を契約締結段階で特定し契約書上に明記すること,代理代行権限付与の際にはあらかじめ本人の同意を得なければならないとすべきである。 また,本人の希望による監督付任意代理が開始されると一定の公的な監督が実施されることになるが,これは見方を変えると,本人自身が行うことができ,かつ行うべきでもある監督を公的機関が担うことを意味する。そこで,対象行為については,継続的な財産管理や居所決定,身分行為,医療同意など,公的監督に見合うだけの一定の重要な行為に限定して認めるべきである。 さらに,任意代理人に対する監督については,同人の解任だけは司法機関である家庭裁判所が行い,それ以外の監督は行政機関が行うべきである。ただし,本人に意思決定能力が残っており本人による監督が一定程度期待できる以上,監督の程度は典型的な監督付任意代理よりも後退するというべきで,日常的な監督の具体的内容については当該行為の性質や本人の意思決定能力の程度等から,監督を担う行政機関が決定すべきである。さらに,代理・代行権限の行使許可に当たって,監督を担う行政機関は事柄の性質に応じて行使期間を設けなければならず,期間満了時には本人に任意代理人による権限行使を更新するか否かについての意向を確認した上で,更新の可否を判断すべきである。 第3 判断能力が不十分な状態での監督付任意代理契約の締結 ここでは,現行任意後見制度のうち即効型と呼ばれる類型で問題となるように,監督付任意代理契約締結の時点で既に本人の判断能力が一定程度低下している場合でも同契約を締結して同制度を利用できるか,について検討する。 いわゆる判断能力が不十分といわれる状態にある人が,希望する人に特定の事柄の代理・代行を委ねたいと考えた場合,契約締結について単独では意思決定を行うことができないが支援を受ければ可能な人については,意思決定支援を受けることにより,監督付任意代理契約を締結することができる。 ただし,既に述べた現行の即効型任意後見契約の問題点,すなわち能力が低下した本人が内容をきちんと理解しないまま不利益な内容の契約を締結してしまうという問題は,この場合にも妥当するおそれがある。そのため,必要かつ十分な意思決定支援が行われ,本人が内容を十分に理解した上で契約を行う必要があることはいうまでない。意思決定支援の方法については,例えばあらかじめ作成された定型的な契約モデルをもとに本人の意思を確認していく等,本人の有する意思決定能力に応じた工夫が必要である。 加えて,前述の公証人の実質的審査権が十全に行使される必要がある。すなわち,公証人は,能力が不十分なゆえに本人が不利益な内容の契約を締結することのない様,契約内容について精査すると共に,契約締結について本人が必要かつ十分な意思決定支援を受けた上での自己決定かも含め本人の契約締結能力を慎重に審査・判断する必要がある。 さらに,代理権行使許可申請があった際には,行政機関による本人の同意(同節第2の4(2)参照)の有無の確認に当たり,本人の能力,状態に応じた丁寧な説明や対応が求められる。 ? 第4節 法定代理制度(現行法定後見制度) 第1 総論 1 本節の「法定代理制度」は,現行成年後見制度における法定後見制度を意思決定支援の考え方に基づいて再構築したものである。 2 現行法定後見制度は,後見,保佐,補助という三元説をとり,例えば後見類型の場合,精神上の障害により財産の管理処分に関する事理弁識能力を欠く常況にあると判定された場合は,本人はすべての法律行為ができないものとされ,成年後見人に包括的な財産管理権(すべての法律行為についての代理権)が付与される。しかし,財産管理に関する判断能力とそれ以外の事柄についての判断能力は異なるものであり,このような人単位の基準によって本人の能力を制限することは過度に広範な制限であるといわざるを得ない。保佐の場合も事理弁識能力が著しく不十分と判定されることにより,当然に,民法第13条第1項に規定する九つの法律行為について同意権が留保され(行為能力制限),個別に判断能力の有無を審査されない。 3 意思決定支援の考え方は,精神上の障害がある人も確定的に意思決定能力がないと認定されない限り意思決定できるということを前提とし,意思決定に困難がある場合には支援をすることが必要であるとする。 しかし,本人がある事柄についての意思決定を必要とする場合において,周囲の者が様々な方法で意思決定支援を尽くしても,本人が意思決定をすることができないことはあり得る。このような場合,意思決定を必要とする事柄が,例えば,継続的に繰り返される財産管理等の法律行為や居所決定など一定の重要な事柄であるときは,本人の利益を護るため,正当な権限を付与された法定代理人が選任され,本人に代わって意思決定を行う必要がある。 そして,意思決定をすることができないということは,意思決定を必要とする当該事柄についての支援を受けた結果であって,支援を受けていない他の事柄についても意思決定ができないということにはならないので,法定代理人の選任は,あくまで支援を受けた個別の事柄ごとに判断しなければならない。この点,現行法定後見制度は,本人の事理弁識能力の程度によって後見・保佐・補助の三類型に分類し,後見人には包括的な代理権が付与されるので,実際に本人が意思決定できる事柄についても後見人が本人に代わって意思決定を行うことができ,その結果,本人の自己決定を侵害する事態も生じている。 そこで,本法の法定代理制度は,判断能力の低下の程度による類型化はせず一元説の立場に立ち,支援をしても本人が意思決定をすることができない場合の当該事柄について法定代理人が選任され個別具体的な代理権が付与されるものとする。【事柄ごとの代理権】 また,本法における法定代理人は,本人意思尊重義務を負う。この点は現行制度と同様であるが,現行制度のように,具体的な指針が示されておらず代理人の裁量に大きく委ねられた本人意思尊重義務ではない。本法における法定代理人は,代理・代行における基本原則に従わなければならず,本人の要望や信念,価値観などを十分に考慮し,本人が当該事項について意思決定能力を有していたならば導かれたであろう本人の意向等を尊重した最善の決定を行うことが求められる。【代理・代行の基本原則の適用−最善の決定】 その他,本法の法定代理は,個別行為の代理権行使に必要とされる範囲で足りること,また,本人の意思決定能力は常に回復する可能性を考慮しなければならないことや,代理権の濫用防止の観点(障害者権利条約第12条第4項参照)から,代理権の存続期間を定め,定期的な見直しのシステムなども設けている。【期間制限と見直し】 第2 制度概要各論 1 代理人の権限 意思決定支援は,ある特定の事柄について本人が意思決定しなければならない場面において,本人がその決定をすることについて困難を抱えている場合に,その自己決定を導くためになされるものであり,意思決定できるか否かはあくまで特定の事柄について個別的に判断することになる。そうすると,代理権付与に当たっては,包括的代理権ではなく,特定の事項について個別具体的に代理権を明記すべきである。 例えば,銀行取引については,「本人名義の○○銀行△△支店普通預金口座番号××の口座に関する取引の代理権」となり,現行法定後見制度(補助,保佐)における「金融機関との取引に関する代理権」というような包括的な定めは認められない。本人の能力と支援によっては,多額の預金を管理することは困難であるが,少額の預金であれば管理はできる場合もあり得るのであり,必要最小限での代理権付与とすべきである(例えば,「50万円以上の取引に関する代理権」の付与)。 なお,本人が遷延性意識障害状態にあるような場合には,一般的に代理人による代理権行使が必要となる範囲は広くなると考えられるが,そうであるからといって本人が意思決定を必要としていない事柄についての代理権まで含んだ包括的代理権を付与することは,本人への過度の干渉となるので,必要な代理権を個別列挙すべきである。 また,法定代理人の不祥事防止の観点から,例えば,多額の残高がある預金口座の取引代理権を付与する場合には,一定額以上の出金については,監督官庁が発行する許可書を必要とすることなどが考えられる。 法定代理人は,後述のとおり善管注意義務を負っており,本来であれば,適正な代理権行使が確保されるはずである。しかしながら,近年,親族後見人はもとより専門職後見人による財産着服等が頻発していることからすれば,代理人による財産着服を防止する方策を検討すべきである。このような成年後見人等の不祥事は,現行制度における成年後見人の権限が包括的かつ広範であることに起因するものと考えられるところ,個別代理権付与とすることによって一定程度の抑止効果が期待できるといえる。しかし,高額の預金管理等においては,なお着服等の危険性が残るため,代理権行使に一定の制限を定めることができるとするべきであろう。もちろん,預金取引に限らず,その他の代理人の行為についても適正な行使が確保されるよう制限を設けることも相当である。上記「指示書」の発行は,家庭裁判所による決定(例えば「50万円以上の払い戻しについては,後見庁の指示を受けなければならない」など。)に基づき,監督官庁の監督権の一環としてなされることになる。 2 代理人選任,代理権付与の申立て  (1) 申立権者 特定の事項について意思決定することができないと判断された場合,本人に代わって当該事項にかかる権利を行使できるよう,法定代理人を選任し,代理権を付与する手続が必要となる。 この法定代理人選任の申立権者としては,本人に必要とされる意思決定の代理行使が迅速かつ有効に機能するよう,本人及び本人と一定の身分関係あるいは法律関係にある者,すなわち,配偶者,4親等内親族,任意代理人,法定代理人に申立権を付与すべきである。 また,福祉関係者等から行政に対する情報提供に基づき的確に代理支援につなぐことができる様,市区町村長にも申立権が付与される必要がある。 なお,本人以外の者が申立てをするときは,原則として本人の同意を得なければならないとすべきである。  (2) 職権におる選任・付与 さらに,家庭裁判所の職権による代理人選任,代理権付与を認めるべきであると考える。 現行法定後見制度は,申立主義を採用した上で,適切な申立権者がいない場合に備えて,特別法により市区町村長に申立権を付与した。しかし,この首長申立ては,予算上の問題やマンパワー不足等により,必ずしも有効に機能しているとはいえず,申立てまでに半年から1年程度を要したという事例もあり,やむを得ず判断能力が著しく減退している本人申立てという形式をとらざるを得ない事態も生じている。そこで,本人支援の実効性を確保するため,職権による代理人選任,代理権付与を導入すべきである。 これによって,代理人選任手続開始の間口が広がり,支援が必要な者に対し,適時に適切な代理人が選任されることになる。もっとも,このように間口を広げるとしても,家庭裁判所が自ら支援を要する者を探し出すことは困難であるから,広く市民(本人の支援に関わっているが申立権者ではない者)が裁判所の職権発動を促すことができる仕組み作りが不可欠である。 本法では,代理や代行の前に意思決定支援を優先させることが前提とされており,職権発動を促すことが本人に対する過度の介入となるものではなく,もし不当な場合にはこれを救済する仕組みも設けている。 3 代理人選任及び代理権付与機関 法定代理人を選任し,代理権を付与する機関は家庭裁判所とする。 法定代理人の選任,代理権の付与は,権利や義務に関わる権限を他人に付与するものであるから,司法機関による判断が相当であり,家庭裁判所が担うべきである。 付与の対象となる代理権は,本人が意思決定を必要とする事項についての代理権であり,本人が当該行為について意思決定することができないのか,当該代理行為を行う必要性があるかなどについて,本人の周囲にいる支援者の状況も勘案した上で決定すべきことになる。特に本人がどのような意思決定支援体制の中にあるかは判断の中で重要な要素を占めることになり,現行法定後見制度よりも実質的な審査になると考えられる。 なお,意思決定できないとの判定については当該事柄の性質によって程度の違いがあることは考えられ,例えば,一身専属的な事柄についてはできる限り本人の意思によるべきであるためかなりの能力減退が要求されることになるし,継続的な財産管理の場合にはその程度はやや緩やかになることもあり得ると考えられる。 4 不当な代理権付与についての救済手続 家庭裁判所による法定代理人の選任及び代理権付与の審判について不服がある場合としては,@そもそも本人に意思決定能力があるという場合,A代理の必要性がない場合,B選任された代理人が不適当である場合が考えられる。これらの場合には,不服のある本人(@及びAについては,本人が適法に申立人となった場合を除く)又は前記申立権者が,不服申立て(即時抗告)をすることができるものとする。 上記@について,代理人選任及び代理権付与の審判は,当該事柄について本人は意思決定することができないと判断するものであること,また,上記Aについて,例えば,本人の意思決定を支援してきた者が,日常の生活で生じる行為に関して代行決定を行うことで足りる場合であれば法定代理人選任の必要性はないことから,これらの場合に代理人選任の審判がされたときは,本人に不服申立てが認められるべきである。さらに,上記Bについて,現行法定後見制度では,後見等開始審判に対する即時抗告は認められるものの,後見人等の選任の審判に対して不服申立てを認める旨の規定はない(家事事件手続法第123条第1項)。誰を後見人等に選任するかは,家庭裁判所が諸事情を総合的に考慮して判断すべきもので,家庭裁判所の後見的役割に委ねることで足りると考えられていることによるものであるとされている。しかし,本法における代理人には,本人の意向や価値観などを十分に考慮し,本人にとって最善の決定を行うべき義務が課されている。そのためには,法定代理人は,本人の意向等を十分に酌み取ることができる者でなければならず,誰が代理人に選任されるかは,本人の自己決定権を実質的に保障する上で極めて重要であり,本人の利害に大きな影響を及ぼすといえる。したがって,本人は,代理人選任審判についても不服申立てができるとすべきである。この不服申立てを認めても,本法の下では,現行法定後見制度のような「後見開始審判」は存在しないので,同審判の効力が生じながら,後見人選任審判のみが確定しないという事態は生じない。 また,本人の判断能力が減退していて自ら不服申立てができない場合も考えられるため,代理人選任,代理権付与の申立権限がある者にも,不服申立てを認めるべきである。 さらに,選任された法定代理人も,その代理権の範囲について不服申立てができるものとする。本人に任意代理人が存する場合,それにもかかわらず法定代理人が選任された場合(本法では事柄ごとに代理権を設定するという考え方に立つため,事柄が異なれば任意代理人と法定代理人は併存しうることになる。)には,当該任意代理人は,自らの代理権と抵触する限度において不服申立てが認められるべきであろう。 5 代理人の担い手  (1) 適任者の選任 法定代理人は,当該代理権を行使することに最も適切な者が代理人として選任されなければならない。現行の法定後見人等の担い手は,親族,弁護士,社会福祉士,司法書士,市民,法人などであるが,意思決定支援制度においては,これらの者のほか,本人の意思決定支援を実践してきた福祉関係者等も法定代理人の担い手になり得ると考えられる。 現行法定後見制度では,一般には事案に応じた適任者が選任されることになっているが,本人が抱えている一部の問題の解決に適した後見人が選任されることが多く(例えば,債務整理が必要な場合は弁護士),そのような場合であっても当該後見人に包括的代理権が付与されるので,必ずしもすべての面において適任者であるといえない場合もあり得る。しかし,本法における代理権の付与は,個別代理権の付与であるため,当該代理権の行使につき適任者を選任することになるため,適任者の絞り込みはしやすいと考えられ,法定代理人に必要以上の過度の負担を負わせるものではなく,本人のための適切な支援体制を構築できることになる。 (2) 代理権ごとの選任が原則 代理人の選任は,事柄ごとの意思決定能力の個別的判断を前提とすれば,代理権ごとに適任者が選任されるべきであり,複数の異なる性質の代理権付与が必要な場合(例えば,特定の預金口座の管理と福祉サービス契約等の代理権など),それぞれの代理権行使にふさわしい法定代理人が選任されるという考えが馴染みやすい。そうすると,本法の下では,複数代理が原則形態になるとも考えられるが,多数の代理人が存在することによる本人の不利益(相互に関連する事柄で,代理人間の不十分な連携による支援への支障等)も考えられることから,それらを同一人に付与することもあり得る。  (3) 研修の必要性 法定代理人に選任された者は,意思決定支援優先や本人の意向等に従うことについて適切な理解が不可欠である。現行法定後見制度では,後見人に選任された親族が,後見人の職務内容についての理解が不十分であるがゆえに不適切な職務を行ってしまうことが少なくないため,親族後見人向けの研修等が実施されている。意思決定支援制度の下でも,弁護士や司法書士のように所属する団体で研修を受講することができない親族等の代理人については研修が必要である。ただし,実施主体が異なると研修内容の適正が担保されないおそれがあるので,後述する行政機関が代理人支援の一環として,統一した内容の研修を実施すべきであると考える。 6 代理人の義務 法定代理人には,本人意思尊重義務,身上配慮義務,善管注意義務及び代理権行使の報告義務が課される。 (1) 本人意思尊重義務 家庭裁判所の審判によって代理権が付与されたとしても,その行使において代理人が自由に判断できるというものではなく,本人の意思や選好を考慮し,本人が,当該事項について意思決定能力を有していたならば導かれたであろう最善の決定がなされなければならない。障害者権利条約に関する一般的意見第1号が,一切の代理・代行は認められないとしたのは,代理・代行決定権者の行うあらゆる決定は,本人自身の意志や選好に基づいてではなく,本人の客観的な「最善の利益」になると信じられていることに基づいていることが一つの理由であり,代理権行使における本人意思尊重義務を遵守することは,意思決定支援制度における代理許容の核心をなすといえる。したがって,いくら客観的利益が確保されたとしても,本人の要望や信念,価値観などの追求を無視し,これに反する代理権を行使した場合には,同義務違反として代理人解任事由になるとすべきである。 現行成年後見制度においても,後見人等は,職務遂行にあたって本人の意思を尊重しなければならない義務を負うが(民法第858条等),ここで要求されているのは,あくまでも本人の意思への配慮に留まっており,必ずしも本人の意思の優先までもが求められているわけではない。また,立法担当者及び通説の理解によれば,同条の規定は,成年後見人等が一般に負うべき成年後見人等の身上面に関する善管注意義務の内容を敷衍しかつ明確にしたものにすぎず,特別な義務を新たに創設したわけでないとされている(上山泰「成年後見制度における「本人意思の尊重」−ドイツ世話法との比較から」大原社会問題研究所雑誌622,2010.8)。これに対して,意思決定支援制度における本人意思尊重義務は,本人意思の「配慮」ではなく,本人意思等を十分考慮し,本人が意思決定能力を有していたならば導かれたであろう最善の決定をしなければならならい法的義務を課すものである。 なお,代理権が付与されるのは,当該行為について意思決定支援をしても本人が意思決定できないと判断された場合であるが,その判断は代理権付与時点におけるものであり,本人の状況あるいは本人を支援する状況は常に変動があり得ることを前提とすべきであって,当該代理権行使にあたっても本人に対する意思決定支援がまずなされなければならない。 (2) 身上配慮義務 意思決定支援制度の下での身上配慮義務は,個別代理権であるため,現行法定後見制度のような包括的な一般規定としての身上配慮義務のように,各種後見事務全般に関する義務ということにはならない。もっとも,意思決定支援制度のもとで福祉サービス利用契約締結の代理権を付与された代理人は,当該代理権行使に当たって,本人の心身の状態や生活状況に配慮し,本人に最も適したサービスが利用できるようにしなければならないことは,現行制度の後見人が当該代理権を行使する場合も同じであり,個々の代理権行使の場面における身上配慮義務の内容に違いはないといえる。  (3) 善管注意義務 代理権行使は,本人の権利や義務,生活に関わる行為を代理するものであることから,善管注意義務が課せられる。 (4) 代理権行使の報告義務 家庭裁判所によって選任された法定代理人である以上,その代理権行使の状況等について報告義務が課せられる。この報告の宛先については,後述のとおり,選任機関と監督機関を分離すべきであると考えるため,監督官庁に対してなすことになる。 7 代理権の存続期間  (1) 存続期間の必要性 意思決定支援制度の下では,個別行為についての代理権付与であるため,その代理権行使に必要とされる期間内で代理権の効力が認められれば足りる。また,本人が意思決定能力を回復する可能性を常に考慮されなければならないことや,存続期間のない代理権は濫用されていても発覚が遅れて本人に回復困難な損害を生じさせるおそれがある。そこで,代理権の付与に当たっては,必要な期間を勘案して期限を定めるべきである。また,本人の心身の状態等から,ある程度継続的な代理権行使が必要な場合であっても,一定期間を限度として,その期限を経過した場合には,代理権付与審判の効力は当然に失われるものとし,その後も代理権付与が必要な場合には,あらためて申立てを要するものとする。 (2) 現行法定後見制度の問題点と意思決定支援制度下での考え方 現行制度では,成年後見人は,一旦審判がなされると本人が亡くなるまで継続し,時間的制約はない。これは本人の状況の変化を顧みないものであり過度に広範な制限であるといえ,成年後見人等による本人財産着服行為にもつながりかねない。 意思決定支援制度の下では,例えば,本人が相続人となった場合の遺産分割に関する代理権であれば,その遺産分割の処理に必要と考えられる期間を定めて代理権を付与すればよい。また,遷延性意識障害状態の人の銀行取引など,長期にわたる代理権が必要となる場合であったとしても,本人の状況は常に変動し得るという原則に立つ限り無期限というわけにはいかない。いずれかの時点で本人の状況や支援体制に変化はないかなどをみて,代理権付与を継続する必要があるかつにいて再審査の機会を設けることが必要であると考えられる。この場合の期間としては,ドイツ世話法が世話の設定期間を最長7年に限定していることが参考になる。 (3) 期限到来時の対応 なお,期限が到来した場合に当然に効力がなくなるとするのではなく,更新の手続で足りるのではないかという考え方もある。しかし,簡易な更新の手続を認めることは本人の状況等の見直しがなおざりにされる恐れもあり,常に本人を中心にすえるという考え方からは相当ではない。手間はかかるとはいえ,あらためて申立てをすることで,代理人の必要性や代理権の内容が再度実質的に審査される機会を確保すべきである。もっとも,一度申立てが行われていることで本人に関する基礎資料は揃っているので,期限到来時の申立てや審査が円滑に行われるための配慮が必要である。 8 代理人の監督・支援  (1) 行政機関による監督 現行法定後見制度では,家庭裁判所が成年後見人等の監督権を有しているが,家庭裁判所は,後見開始審判事務や累積的に増加する事件への対応で,人的・物的体制が限界に達しており,実効性のある監督ができていないのが現状である。監督機能の実効を確保するには,後見人からの事務報告を求めてチェックするだけではなく,後見活動に関して,福祉サービス事業者等本人の支援者から情報を収集すること等が必要であり,時には現場に出向く必要も生じる。このようにして得た情報等をもとに,金銭着服等の違法行為や不適切な後見事務による本人の権利侵害のおそれを早期に発見し,迅速かつ適確に対処できるだけの人的・物的機能を具備していることが不可欠である。このような機能を,家事事件の審判や調停,離婚等の人事訴訟,少年保護事件等を扱う司法機関である家庭裁判所に求めることには無理があるといわざるを得ない。 そこで,本法の下では,代理人選任,代理権付与機関と,代理人の監督・支援機関を分離し,後者については上記監督機能を備えた行政機関に委ねるのが相当であると考える。選任と監督を分離すると,選任された事実について,家庭裁判所から監督機関への通知が必要となり,監督機関は個人情報を取得管理することになり,その点からも民間の団体ではなく行政機関が担う必要がある。また,法定代理人には,大きな裁量を認めて,代理権行使が裁量権の範囲内か否かについて監督をするということよりも,代理権行使を支援していくことこそが重要であると考えられ,その機能は司法機関よりも行政機関の方がふさわしいと考えられる。イギリスでは保護裁判所とは別に監督機関として後見庁が存し,ドイツでも世話裁判所とは別に後見庁が設けられている。この体制づくりができた場合には,選任された法定代理人は,代理権行使において監督官庁の監督・支援を受けることになり,監督官庁に対し報告をすべき義務を負うことになる。なお,行政機関による監督権行使の結果,法定代理人の職務執行停止や解任等が必要となった場合には,行政機関から家庭裁判所に通報し,裁判所が当該権限を行使することになる。 (2) 法定代理人の養成等 監督官庁には,行政の多様なスキルを活かして,監督のほかに,法定代理人となり得る者を養成する権限を有し(適切な団体への委託を含む),法人について認可権を有するとすることが考えられる。 現在,成年後見人等の担い手については各団体等において養成がなされているが,必ずしも一定の質が確保されているとはいえない。弁護士や司法書士,社会福祉士については各団体で養成研修等を実施しているが,弁護士であっても,各弁護士会単位で養成研修を実施しており,統一した研修はなされていない。近時注目されている市民後見人についても,厚生労働省により研修モデルが公表されているが,各地方自治体に委ねられているため,自治体によって取組も内容も異なる。特に法人については,質の確保のための要件が定められておらず,結局のところ家庭裁判所も選任してみなければ分からないというのが実情ではなかろうか。意思決定支援制度は,現行制度と大きく異なるため,新制度の趣旨の理解は不可欠であり,統一した養成研修等がなされる必要がある。そこで,法定代理人について一定の質を確保するため,監督機関に養成権限を一本化することも考えられる。ただ,専門職団体や市民後見人を養成する地方自治体については,当該団体等において適切な内容の養成ができるのであれば,監督官庁から養成研修を受託できることとする。この場合でも選任された法定代理人は監督官庁の監督に服する。法人については,一定の組織構成や内部研修がなされ質が確保できているものについて,監督官庁が認可するという方法が,また,親族等については,あらかじめ養成することは困難であるため,法定代理人として選任された後に,監督官庁による監督支援として研修を受ける方法が考えられる。なお,このような体制が整うとすれば,法定代理人の給源ともなり,家庭裁判所が法定代理人を選任するに当たって,候補者を監督官庁に打診したり,委託された各団体等に推薦依頼をかけたりすることも可能になるのではなかろうか。 9 代理人の解任,辞任  (1) 法定代理人の解任 法定代理人の解任について,申立権者として本人は明記すべきであるが,それ以外の親族に解任申立権を認めるか否かはなお検討を要する。現行法定後見制度における解任申立てが,親族紛争に利用されている現状があることに鑑みれば,これらの者に直接の申立権を認める必要は無く,職権に服せしめるのが相当と考えられる。 監督官庁が監督支援を担うことからすれば,監督官庁に解任の申立権を認めることは相当であるが,監督官庁が家庭裁判所に対し,解任事件を立件するよう職権発動を促せば足りると考えられる。 (2) 法定代理人の辞任 法定代理人の辞任は,本人に対する不利益を考慮し,やむを得ない事由がある場合に限り,当該法定代理人の申立てにより家庭裁判所の許可を必要とする。 辞任をする法定代理人は,後任の法定代理人選任申立てをしなければならない。後任の法定代理人は,家庭裁判所が職権により選任することも可能であるが,その場合の費用を誰に負担させるかという点を考えた場合,辞任する法定代理人に申立て義務を課すことにより費用負担者を適切に定めることが可能となる。 10 代理人の報酬 (1) 現行法定後見制度の報酬付与 現行法定後見制度では,成年後見人等の報酬は,本人の財産から支弁されることになっている(民法第862条)。これは成年後見制度が財産管理の制度として位置付けられていることにより,私人の資産を管理するための費用である成年後見人の報酬を公費で負担することは相当ではないという考え方によっている。しかしながら,成年後見制度が資産の有無にかかわらず福祉サービス利用等の身上監護のためにも必要な制度として位置付けられたことから,報酬を支弁するに足りる資力のない者については,公費による報酬助成の制度が設けられた(成年後見制度利用援助事業による報酬助成)。もっとも,この制度は市区町村の取組によって大きな違いがあり,報酬助成の要件を,首長申立事案で,かつ,本人が生活保護受給者又はそれと同程度の資力の者に限定している自治体が少なくない。このしわ寄せが無報酬の成年後見人等を重宝する事態にまで至っているといっても過言ではない。 また,現行制度では,成年後見人等に対して「報酬を与えることができる」と規定しており(同条),報酬を当然の前提としていない。これは,元々後見制度が家族内での問題と捉えられていたことに起因すると考えられる。ところが,超高齢社会の中で,認知症等により精神上の障害を有するに至ることは特別なことではないものとなり,かつ,家族制度の崩壊から第三者後見人が選任される割合が半数を超えている現状において,成年後見制度は,もはや社会として取組べき問題となっている(成年後見の社会化)。 (2) 意思決定支援制度における報酬の考え方 @ 個別的代理権の付与と報酬  意思決定支援制度では,法定代理人に付与される代理権は個別の事柄ごととなるのが原則であり,現行法定後見制度のように包括的な権限が付与され包括的な職責を課せられるのとは異なる。しかし,事柄ごとではあっても,法定代理人として適切な代理権行使を行うべき義務等が課せられるのであるから,それに見合う報酬が付与されるべきである。 そして,報酬付与の考え方として,代理権行使(これに付随する活動を含む。)に対する報酬は,基礎的報酬として国が負担することとし,本人に資力があるときには,上乗せの報酬を本人の負担とすることができる仕組みにすることが考えられる。 意思決定支援制度において,本人が支援を受けても意思決定をすることができない場合に,法定代理人を選任し,代理権を行使して本人の意思決定を補完することは国の責務であるから,基礎的報酬は国の負担とすべきであろう。このようにすることによって,代理人の選任が必要であるにもかかわらず,報酬を支払う資力がないために代理人選任申立てを躊躇せざるを得ないという事態を回避することもできる。この基礎的報酬の額は,代理権の内容を分類し(例えば,不動産売買契約,金融機関との取引,施設入所契約,福祉サービス利用契約など),その分類に応じて一定の基準額を定める方法が考えられる。 他方,本人に資産がある場合には,それに応じて本人の負担とすることも国家予算との関係からみて不当とは言えない。そこで,代理権付与の対象となる事柄によって,基礎的報酬を超える報酬の付与が相当である場合,例えば,不慮の交通事故に遭って意思決定することができなくなった身寄りのない高齢者について,法定代理人が本人の意向や価値観を踏まえて代理権を行使するために,本人情報の収集等に困難を極めたような場合などは,本人の負担によって上乗せ分の報酬を付与するという二段階構成とする方法が考えられる。 なお,資力の無い者には,公的代理人制度を創設することによって対応することも考えられるところであり,今後さらに検討すべき問題である。 A 報酬付与の方法等 報酬の付与は,代理人が代理権の行使を適切に行使したかどうかの審査が必要となるため,代理人を監督する監督官庁において判断するのが適切であると考えられる。もっとも,報酬付与が適正に行われるよう,家庭裁判所が代理人選任時に基礎的報酬額を定めるとともに上乗せ報酬額の範囲(例えば,月額5万円を上限とするなど)を定めておくなど,家庭裁判所が一定程度関与する方法も考えられる。なお,法定代理人には前記の本人意思尊重義務等が課される以上,親族関係の有無にかかわらず,報酬が付与されるべきである。ただし,親族の法定代理人が報酬付与を望まない場合等は,報酬付与申立てをしないことは当然許される。? 第5節 行為能力制限の縮減・廃止について 第1 現行法における行為能力制限制度 1 行為能力制限制度   法律行為がその本来の効力を生ずるには,行為の結果それによって自分の権利義務が変動するということを弁識するに足るだけの精神能力=意思能力を有する者によってなされなければならない。このような意思能力がない者のなした法律行為は無効と解される。  しかし,意思無能力者の法律行為を無効とするとき,行為の当時意思無能力者であったとしても後にそれを証明することは困難であるとともにこの証明がなされた場合は取引の相手方に不測の損害を与えることになる。  そこで,意思能力のない者を定型化して,意思無能力者を保護するとともに取引の相手方を警戒させる必要があることから,行為能力制限制度が設けられた。  すなわち,民法における行為能力制限制度は,独立取引能力の不十分な者を定型化するという仕組みをとっているのであり,これによって意思無能力者の保護と取引の安全を図ることを目的とする。  なお,日本の民法はフランス法を母法とするものであり,英米法においては「行為能力」という概念が存在しない。 2 現行成年後見制度  現行の成年後見制度は,成年被後見人,被保佐人等を「制限行為能力者」と定め(民法第20条),成年被後見人の法律行為は取り消すことができるものとし(同法第9条),被保佐人が民法第13条所定の法律行為を行うには保佐人の同意を得なければならず,同意を得ずになされた行為は取り消すことができるものとしている(同法第13条) 。また,被補助人は,民法第17条により特定の法律行為について補助人の同意を得なければならないとの審判を受けた場合に制限行為能力者とされる。なお,この審判については本人の同意が必要である(民法第17条第2項)。 このような行為能力制限制度が設けられている趣旨については,立法担当者は本人の保護の観点から次のとおり説明している 。 すなわち,成年被後見人については,「旧法第9条では,『禁治産者ノ行為ハ之ヲ取消スコトヲ得』と規定され,禁治産者の行った法律行為は,財産行為である限り,例外なく取消しの対象とされていた。これは,禁治産者は,心神喪失の常況にある者であり,自ら法律行為を行う場合には,意思無能力の状態にあることが通常であることから,意思無能力による無効の主張立証を行う負担を回避して,禁治産宣告の事実のみに基づいて自己に不利益な法律行為を一方的意思表示により否定することで本人の保護を図るものであった。新法においても,原則として右の理は妥当することから,・・・成年被後見人の法律行為が原則として取消し得るものであることが明らかにされた。」としている 。 また,被保佐人については,「被保佐人が行為能力を制限されるのは,精神上の障害により判断能力が著しく不十分であるため,契約等の法律行為の利害得失を適切に判断することが困難であり,他人(保佐人)の援助を受けないと,誤って自己に不利益な契約を締結するなどして,自己の権利・利益が害されるおそれがあるからである」としている 。 第2 障害者権利条約違反 1 障害者権利条約と行為能力制限 第1編第3章で述べたとおり,権利条約第12条において,「締約国は,障害者が生活のあらゆる側面において他の者との平等を基礎として法的能力を享有することを認める」とし(第2項),「締約国は,法的能力の行使に関連する全ての措置において,濫用を防止するための適当かつ効果的な保障を国際人権法に従って定めることを確保する。当該保障は,法的能力の行使に関連する措置が,障害者の権利,意思及び選好を尊重すること,利益相反を生じさせず,及び不当な影響を及ぼさないこと,障害者の状況に応じ,かつ,適合すること,可能な限り短い期間に適用されること並びに権限のある,独立の,かつ,公平な当局又は司法機関による定期的な審査の対象となることを確保するものとする。当該保障は,当該措置が障害者の権利及び利益に及ぼす影響の程度に応じたものとする。」(第4項)と定める。 権利条約第12条第2項における「法的能力」の享有の平等について,その「法的能力」が権利能力のみならず行為能力を含むものであるかについては,条約の成立過程で議論があったが,成立時点において多くの締結国が権利能力及び行為能力のいずれもを含むものと解釈をしており,さらに,国連障害者委員会が2014年4月に採択した「一般的意見第1号」において,条約第12条第2項の「法的能力」が行為能力をも含むことを明言した。 また,その点についていずれの解釈をとろうとも,条約の下で,締約国は障害に基づくあらゆる差別を禁止するものとされ(条約第5条第2項),障害者に対する差別となる既存の法律,規則,慣習及び慣行を修正し又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む)をとるものとされているのであるから(条約第4条),精神上の障害を理由に行為能力を制限することは,少なくとも,厳格な基準の下での合理的な区別として許容され得るものでない限り,認められない 。また,条約第12条第4項の定めからしても,障がい者に不当な影響を及ぼすような行為能力制限制度が条約違反となることは明らかである。 2 現行の成年後見制度は障害者権利条約違反  このような障害者権利条約との整合性という観点から見たとき,現行の成年後見制度における行為能力制限制度は,明らかに条約に反するものといわざるを得ない。  すなわち,現行の成年後見制度は,精神上の障害を理由に,「判断能力を欠く常況にある者」と「判断能力が著しく不十分な者」という能力類型を設定し,前者を成年被後見人,後者を被保佐人として,前記第1のとおり,その行為能力を包括的・類型的に制限するという仕組みをとっている。そこでは,対象の行為との関係で個別的に能力の有無を判定するという発想はなく,精神上の障害があるということから,本人の属性として,「判断能力を欠く常況にある者」「判断能力が著しく不十分な者」という判定を行うものとなっており,精神上の障害自体と直接に結びつける形で行為能力を制限している(障害自体に基づく直接差別)。  さらに,この成年後見制度上の行為能力制限制度は,現行の法制度上,他の数多くの法令上の欠格条項と結びついている。その結果,行為能力制限制度は,成年被後見人や被保佐人について,精神上の障害があるがゆえに「能力のない人」という烙印を押すものとなり,精神上の障害がある人に対する差別観念を社会全体に広める効果をもたらしている。  旧来の禁治産制度から現行の成年後見制度への改正がなされた際,そうした欠格条項については一定の見直しがなされたが,118件の欠格条項が存置された 。選挙権については,現行の成年後見制度のもとで,成年被後見人による違憲訴訟が提起され,東京地方裁判所により違憲判決が下されたことから ,それを機に立法解決が図られたが,公務員就任に関する欠格条項など,他の多くの欠格条項の見直しにはつながっていない。  最近でも,ある自治体で雇用され,5年間にわたってパソコンを使った事務の仕事に従事していた知的障害のある男性が,その自治体の勧めで保佐申立てを行い,保佐開始決定を受けたところ,公務員の欠格事由が生じたとして解雇されたという件があり,違憲訴訟が提起されて問題になっている 。  このように,現行の成年後見制度における行為能力制限制度は,精神上の障害がある人について包括的に行為能力を制限するという点で,判断能力が不十分な本人の利益を保護するという目的との関係でも明らかに過剰な制約を課すものとなっているとともに,精神上の障害がある人に対して「能力のない人」という烙印を押して差別し,その社会参加を著しく阻む制度となっている。  そうした点において,現行の成年後見制度における行為能力制限制度は,明らかに障害者権利条約に違反しているものというほかない。 第3 日弁連の行為能力制限に関する立場〜成年後見法大綱(1998年4月)について 1 大綱がまとめられた経緯  次に,日弁連の行為能力制限に関するこれまでの考え方,立場を確認しておく。 日弁連は,現行の成年後見制度への改正が国において議論されていた当時,新しい成年後見制度のあり方について,日弁連としての意見を取りまとめ,1998年4月,「成年後見法大綱(最終意見)」として提言を行っている。  この成年後見法大綱は,日弁連会長が日弁連司法制度調査会に対し,成年後見制度の調査・研究について諮問を行ったことを受けて,新しい成年後見制度のあり方についての調査・研究が行われ,その結果が取りまとめられたものである。調査・研究は,欧米6か国の成年後見制度の調査を経て進められ,中間意見書として「成年後見法大綱(中間意見)」が取りまとめられた上で全国の弁護士会に意見照会が行われた。そして,それに対して35の弁護士会から回答が寄せらた。それらの意見も踏まえて,「成年後見法大綱(最終意見)」が取りまとめられたものである。 2 「後見開始によって行為能力は制限されない」制度を提言  この成年後見法大綱において,日弁連は,行為能力制限について,「後見開始によって行為能力は制限されない」とする制度を提言している。  その理由について,大綱は次のとおり述べている。 「a 人権尊重,自己決定権の尊重という基本理念から本人の行為能力を制限すべきではない。そもそも,まったく『能力』を有しない人は,植物状態の人などを除き,存在しない。  禁治産者であっても,実態としては,判断能力をまったく欠いているわけではない。それにもかかわらず,全面的に本人の行為能力を否定し,本人の意思如何にかかわりなく,その行為を他人(後見人)が取消し得るとするのはあまりにも人格,人権を無視するものである。 b 成年後見制度の目的は,精神又は身体に障害がある人に『普通の生活』を送るために必要な援助を提供することにある。『能力』ある限り,本人の意思をできるだけ尊重し,本人が自分でできることは自分で行い,また適切な援助を提供することで,健常者と同様に,『普通の生活』を送るのに必要な種々の法律行為ができるようにするのは当然である。  成年後見制度を援助の制度と考えれば,本人の行為能力を制限しないことに行き着く。 c 過去に準禁治産者に視聴覚言語障害者が列挙されていたために,判断能力に問題はなくてもこれらの障害の故に取引を断られることが問題となった。また,現在でも禁治産者は判断能力がまったくない人間であるとの認識が一般的であるように思われるが,その主要な原因は,行為能力が全面的に剥奪されることにある。  行為能力を制限すると社会からの隔離,差別につながり,残存能力を生かす機会を奪うことになる。 d 行為能力を制限すると,後見開始によって本人が『劣った人間である』との烙印を押されたと受け止めることは避け難く,抵抗感を払拭することは困難である。行為能力ありとする方が利用者に受け入れられやすい。」 このように大綱においては,明確に「後見開始によって行為能力は制限されない」とするとの立場を明らかにしている,これについては,同旨を盛り込んだ中間意見についての各弁護士会に対する意見照会においても,各弁護士会として反対する意見は皆無であったとされている。そして,現在まで,日弁連として,この大綱の立場を見直す意見を表明したことはない。 3 現行制度の矛盾  上記のような「後見開始によって行為能力は制限されない」という制度は,成年後見制度の基本的な枠組みとして,一元的構成(現行制度のように複数の保護類型を設けるのではなく,制度利用者の必要性に応じて柔軟に援助する仕組み)を前提とするものであった。  しかし,現行の制度は,一元的構成は採用せず,従前の後見・保佐の2類型に新しく補助の類型を新設した3類型の多元的構成を採用し,後見,保佐の類型では,後見・保佐の開始により包括的・類型的な行為能力制限を行う制度とした。   その理由について,立法担当者は次のとおり説明している 。 (1) 本人保護の実効性の観点から,一定の範囲の代理権又は同意権・取消権による保護措置を法律で定めておく必要性がある。 (2) 一元的制度を採用しても,実務上類型化は不可避であるが,運用基準が統一されていないのであれば利用者にとって不公平・不適正であり,国民の理解を得られない。 (3) 申立ての段階で制度利用者にとって予測可能性がある方が利用しやすい。 (4) 保護の対象となる事項ごとの個別的な本人の判断能力の鑑定は,実務的に困難であり,これを行うために審理が長期化するおそれがある。 (5) 一元的制度を採用すると,資格制限(欠格事由)が維持される方向になり易いのに対し,新たな類型を新設することで,資格制限のない類型とすることが可能となる。  しかし,現行制度が施行されて以降のこの間の実務運用に照らしても,上記のような説明は,いずれも当てはまらないことが明らかになったというべきであろう。 そもそも,上記の(2)ないし(5)で挙げられている理由は,後見・保佐の開始によって行為能力を制限することを前提とするものであり,行為能力を制限しないとすれば,これらの理由は成り立たない。しかも,(4)の鑑定に関しては,行為能力を制限するには鑑定が必要という前提で,鑑定を容易にするために類型的制度にしたはずであるのに,実際の実務運用では,約9割の事案で鑑定が省略さたにもかかわらず行為能力制限は行うという矛盾した問題状況が生じている。 第4 結論ー現行の行為能力制限制度は廃止 以上のとおり,現行の成年後見制度における行為能力制限制度は,障害者権利条約の下では,もはや許容されえないものであることは明らかである。 日弁連の成年後見法大綱における立場も,これと同趣旨であり,2000年からの現行成年後見制度の運用状況に照らしても,改正立法担当者の趣旨説明は実態を反映しておらず,その制度の合理的必要性を維持できる状況にはない。 よって,意思決定支援制度の下で成年後見制度を再構築するに当たっては,法定代理(法定後見)の開始により行為能力が制限される制度は,廃止するものとする。 また,成年後見制度の行為能力制限と関連した欠格条項は,すべて廃止されなければならない。 第5 今後の検討課題(行為能力制限制度の完全撤廃について) 成年後見制度の新たな再構築にあたり,行為能力の制限を完全に廃止するべきか,一定の厳格な要件の下で必要最小限の制限を残すべきかについて,消費者被害の防止・救済等の観点を含めて,本実行委員会でも議論を重ねてきた。 この点,日弁連の成年後見法大綱は,後見開始によって行為能力は制限されないとした上,一定の同意権留保は認めることとしていた。すなわち,「本人の能力その他の状況によって,単独で行為すると重大な不利益を受けるおそれがあると認められるときは,後見人の同意を要するものとする。」とし,同意権留保の要件は,「本人の回復不能な損害を回避するため」,「身上及び財産について本人の著しい不利益を回避するため」等,本人の能力の程度からではなく,援助の必要性の側から規定すべきであるとしていた。 同意権留保がなされた場合,同意権者が本人の行為に同意せず,あるいは本人が同意を得ずに行った行為を取り消せば,本人の意思決定は同意権者の決定によって否定されることになるのであり,国連障害者委員会が「一般的意見第1号」で示した見解からすれば,本法に規定する「意思決定支援制度」のもとでは,このような限局的な行為能力制限の制度も必要なく,廃止されるべきものということになろう。また,行為能力制限は障害を理由とした差別であるものの,厳格な基準の下での合理的な区別として許容され得るとの立場においても,本人の権利・利益を守るために,他のより制限的でない方法では十分ではなく,同意権留保の制度が必要かについて積極的な立法事実が求められよう。諸外国では,イギリスなど,行為能力制限制度のない国も存する。 したがって,本法において提案する「意思決定支援制度」においては,行為能力制限制度を完全に撤廃する方向で制度設計を提案したいと考えてきた。 ただ,第1編第2章第4の専門職後見人等の実践アンケート調査では,現行の制度の下で,行為能力制限制度による取消権が行使されているケースや,取消権の存在が和解・示談による解決に有効であったと見られるケースが少なからず存在する実情も見られた。また,高齢者等の消費者被害の防止・救済の観点から,行為能力制限制度は必要な資源であるとの見解も強く主張されている。そこで,これらの取消権が行使されている実務において,その行使が適切なものであったのか(本来,取消権が行使されるべきであったのか,他の方法でも本人の権利を守ることができなかったのか,それにより本人の意思決定が不当に抑制されていないか等),あるいは,本人が行為に至るまでの本人に対する見守りや支援のあり方はどうであったのかについて,詳細な分析と検証が必要である。 その上で,新たな成年後見制度の再構築の下での行為能力制限制度の必要性について,その態様や要件を吟味して(例えば,同意権留保の設定を本人の意思にかからしめたり,あるいは,取消権の行使は本人しかできないとするなど)限定的に認めるのか,一切必要ないとして廃止するのかについて,さらに検証と議論を深めるべきである 。 今後の検証においては,「少なくとも成年後見人や支援者が十分に日常的なコミュニケーションをとっていれば取消権を行使しなければならないような事態は起こりにくい。取消権を行使しなければならないような場合は成年後見人が成年被後見人とのコミュニケーションを怠っていたか,悪意のある相手方が成年被後見人を食い物にしようとして接近してきているような場合がほとんどであろう。前者は支援の充実によって解決されるべき問題であり,後者はむしろ障害のある人に対する搾取や虐待の防止,あるいは,消費者保護の法律によって解決されるべき問題である」との指摘 を踏まえるべきであろう。 また,消費者被害等の救済を図るための手段を,属人的な行為能力の制限に求めるのではなく,消費者保護法理の拡張のような,より一般的な手段に置き換えていく工夫が必要であるという指摘は重要である 。 <参考資料> 1 上山泰「制限行為能力制度の廃止・縮減に向けて」(民事法研究会,日本成年後見法学会編「成年後見法研究第8号」,2011年)20頁 2 菅富美枝「イギリス法における行為能力制限の不在と一般契約法理等による支援の可能性」(民事法研究会,日本成年後見法学会編「成年後見法研究第8号」,2011年)35頁 3 熊谷士郎「日本法における消費者保護法理・意思無能力法理等の活用可能性」(民事法研究会,日本成年後見法学会編「成年後見法研究第8号」,2011年)51頁 4 小林昭彦/原司「平成11年民法一部改正法等の解説」(法曹会,2002年) 5 法務省民事局参事官室「成年後見制度の改正に関する要綱試案の概要」(有斐閣,「ジュリスト1141号」,1998年)4頁 6 大村敦志「『能力』に関する覚書」(有斐閣,「ジュリスト1141号」,1998年)16頁 7 河上正二「成年後見制度における類型論」(有斐閣,「ジュリスト1141号」,1998年)23頁 8 磯村保「成年後見の多元化」(有斐閣,「民商法雑誌122-4・5-16-474」) 9 新井誠「補助類型一元化への途」(実践成年後見No.50,2014年)62頁 10 赤沼康弘「事理弁識能力と自己決定の支援」(民事法研究会,日本成年後見法学会編「成年後見法研究第5号」,2008年)16頁 11 五十嵐禎人「意思能力の判定方法」(民事法研究会,日本成年後見法学会編「成年後見法研究第5号」,2008年)23頁 12 熊谷士郎「成年後見制度における『能力』と鑑定」(民事法研究会,実践成年後見No.25,2008年)13頁 13 熊谷士郎「意思無能力法理の再検討」(有信堂,2003年) 14 須永醇「意思能力と行為能力」(日本評論社,2010年) 15 中舎寛樹「意思能力・行為能力・責任能力・事理弁識能力」(有斐閣,「民法トライアル教室」,1999年)1頁 16 新井誠・西山詮編「成年後見と意思能力−法学と医学のインターフェース」(日本評論社,2002年) 17 澤井知子「意思能力の欠缺をめぐる裁判例と問題点」(判例タイムズ社,判例タイムズ1146号,2004年)87頁 18 鹿野菜穂子「高齢者の取引被害と意思能力論」(有斐閣,「高齢者の生活と法」,1999年)45頁 第3章 意思決定支援の総合的な制度整備 第1節 意思決定支援法に基づく総合的な制度整備と施策の推進 国及び地方公共団体は,意思決定支援が,様々な生活上の場面で実効的に実施されることを確保するため,総合的な制度整備を行い,施策を推進することが求められている。 本節では,以下,@意思決定支援制度を統括する中核的行政庁の創設,A司法機関と監督機関の分離,B意思決定支援に関する行動指針の策定と周知・啓発,C研修・教育の機会提供,D相談対応,助言,意見対立調整のための専門機関の設置,E独立意思代弁人による無償のアドボカシーの提供,F地域での総合的な意思決定支援体制の確立,G意思決定支援のための仕組みの構築,H任意後見の普及促進,日常生活自立支援事業の充実強化について述べる。 第1 意思決定支援制度を統括する中核的行政庁の創設 新たな意思決定支援制度の下では,第2以下で述べるような,意思決定支援のあり方についての行動指針の策定や周知啓発,相談・助言等のための専門機関の設置など,行政機関が果たすべき役割の比重がより一層大きくなる。 したがって,意思決定支援法の制定に当たり,意思決定支援制度を統括する中核的行政庁を創設し,当該行政庁が所管する行政機関において,意思決定支援のための様々な制度整備や施策を推進すべきである。 第2 司法機関と監督機関の分離 意思決定支援法は,成年後見制度を廃止するものではなく,意思決定支援法の下で成年後見制度を再構築しようとするものである。 したがって,意思決定支援の制度とともに,成年後見制度を運用する機関やその体制のあり方が問題となる。 日本では,家庭裁判所による後見監督がパンク状態であると言われて久しく,特に身上監護については監督らしい監督がほとんど行われていない。審判後に,家庭裁判所が本人と面談すること自体がほとんどなく,後見人活動が,本人の意思に合致するかの検証を行う機会もほとんどない。 もっとも,このことは,裁判所だけが解決の責任を負わされるべき問題ではない。裁判所は,本来,紛争処理を行う司法機関であり,財産管理の適正を長期間にわたって継続的に監督することや,身上監護のあり方に関して継続的に相談を受けたり指導を行うといったことは,性質上,司法に求められる作用にはなじまない面がある。 この点,イギリス(第1編第4章第1)では,法定後見についても,任意後見についても,「保護裁判所」という後見に専門特化した裁判所を作り,そこで意思決定能力を有するか否か,財産管理や身上監護に関する様々な決定・指示,意思決定能力のない人への法定後見人の選任,任意後見の有効性の判断,義務を履行しない法定後見人や任意後見人の解任など,様々な司法的判断を行っているとともに,他方,法務省の一組織として後見庁という中核的行政機関を設置し,後見監督業務は後見庁がすべて行っている。 新たな意思決定支援制度の下では,既述のような,意思決定支援のあり方についての行動指針の策定や周知啓発,相談・助言等のための専門機関の設置など,行政機関が果たすべき役割の比重がより一層大きくなる。 したがって,今後の方向性として,意思決定支援法の制定に当たり創設する中核的行政庁(前記第1)が所管する行政機関において,意思決定支援のための様々な制度整備や施策を実施するとともに,より効率的で迅速な後見監督や,後見人等に対する研修,支援活動,苦情処理等の役割を担っていくようにすべきである。 司法機関である裁判所には,意思決定支援のあり方をめぐって生ずる紛争解決の機能を充実させ,行政による専門機関の下で意見調整が図りきれない場合の最終的判断機関として機能し得るようにすべきである。 第3 意思決定支援に関する行動指針の策定と周知・啓発 意思決定支援は,以前から認知症や知的障害,精神障害等で意思決定が困難な人たちのために,本人の側で日々支えている人によって事実上行われてきた。意思決定支援者は,親族であることもあれば,契約により本人に医療や介護等のサービスを提供する事業者の職員であることもあり,また成年後見人等として代理代行権限を持つ者であることもあった。また,意思決定支援は,医療行為,契約行為,財産管理,介護・福祉サービス利用,居所の決定,その他日常生活の様々な場面において行われてきた。 しかしながら,現行の法制度の下では,意思決定支援を実施するに当たって何の規範もなく,意思決定能力を欠くということはどのように判断されるか,能力判定の前にどのような意思決定支援を行わなければならないか,本人の最善の利益とはどのように判断すべきなのか等について,それぞれが独自の考えで実施せざるを得ない。それが「本人のため」といいながら,まったく本人の意思とかけ離れた支援を生じさせてしまう原因となっている。 意思決定支援は,本人に関わるあらゆる人によって,生活上の様々な場面においてなされることが求められるが,そのためには,具体的にどのような場面において,どのような支援がなされるべきであるのかが示され,それがすべての国民によって共有されるようにする必要がある。 そこで,意思決定を支援する立場にある人々が,その場面ごとに適切な支援を行えるようにするため,意思決定支援に関する具体的な行動指針(意思決定支援ガイドライン)の策定を行い,国民に対して広く周知啓発を図る必要がある。 イギリスMCAは,行動指針において,例えば,自力での意思決定を助けるために配慮することとして、以下のようなことを挙げている。 @ 必要な情報の提供 意思決定に必要なあらゆる関係する情報を与えられているか。 選択肢がある場合,すべての選択肢に関する情報が与えられているか。 A 適切な方法での意思疎通 情報が本人に理解しやすい形(単純な言葉で話す,又はビデオ等を用いるなど)で提供されているか。 言葉による意思疎通が困難な場合には,他の方法で意思疎通を図ってみたか。 意思疎通を助ける人(家族,支援者,通訳,言語療法士等)はいるか。 B 本人のリラックスした状態 一日のうちで本人の理解力がよりよい状態にある時間帯はあるか。 本人が緊張しない場所があるか。 よりよい状況で本人が意思決定できる時まで意思決定を延期できないか。 C 本人への支援 本人の選択又は意思表示を手助けできる人はいるか。 ただし,そのような行動指針の策定と周知啓発に当たっては,支援のあり方は,本人が有する障害の内容・程度やそのときの状態等によって個別性を有するものであり,マニュアル主義に陥るべきでないことにも留意しなければならない。 第4 研修・教育の機会提供 国及び地方公共団体においては,誰もが意思決定支援が必要な場合に実践できるためのトレーニングの機会を,学校教育過程や地域における研修等,様々な場面で提供することも求められる。 また,意思決定を行う本人が,必要に応じて,意思決定のために必要な支援(必要な情報提供や特性に応じた説明,判断に当たっての相談や助言)を自ら求めることのできる力を,発達段階に応じて習得できる教育の機会を創設することも求められている。 第5 相談対応,助言,意見対立調整のための専門機関の設置 意思決定支援のあり方については,各自の価値観によって左右される面が否めず,様々な場面において行われるべきものであるから,必ずしも行動指針だけで明確に指針が打ち出せるわけではない。そのため,意思決定支援のあり方について判断に困難が生じたり,本人や意思決定支援者との間,あるいは意思決定支援者間において意見対立が生じたりすることも少なくないと考えられるため,各市町村において,一定の身近な地域ごとに意思決定支援のあり方に関する相談対応や助言を行う専門機関を設置すべきである。 さらに,単に助言や相談をするだけではなく,意思決定支援のあり方について,関係者間の会議でも見解が分かれて解決がつかない場合には(例えば,施設側と親族とである介護サービスの適否について意見が異なる場合),当該専門機関において,意見対立の調整を行う役割も担う仕組みを作るべきである。 第6 独立意思代弁人による無償のアドボカシーの提供 イギリスでは,身上監護面において本人に関わる介護・医療のサービス提供者とは独立して,意思決定能力のない当事者の意思決定を支援していく専門職(独立意思代弁人(IMCA)=Independent Mental Capacity Advocate)が存在する。これは,地方自治体が補助金を出して民間団体に委託している事業である。利用料は無料であり,アドボカシー活動に関する国家資格を持つ者が実際の活動を行う。例えば施設入所や身体拘束などの重要な意思決定を行う際に,本人に意思決定能力がなく,かつ誰も支援者がいない場合,本人のために介護・医療のサービスを提供している者は,IMCAに直接支援を求めることができる。IMCAは強力な情報開示請求権により,本人のベスト・インタレストの判定に必要なあらゆる資料を入手し,本人や親戚,知人,今まで関わってきた福祉関係者からも事情を聞くことができる。IMCAの報告書は,当該決定事項における本人のベスト・インタレストを示す最も重要な書類となり,介護・医療サービス提供者が責任を恐れることなく,本人にとって最もよいサービスを提供できる力となっている。また施設内だけで検討するのではなく,第三者の視点で,その介護・医療サービスが本人の望むものであるのかのチェックを行うことで,不適切なケアを予防・是正する効果も期待できる。 日本でも,このIMCAに習って,意思決定支援に関する単なる相談機関にとどまらず,介護・医療サービス提供者とは独立した立場で,判断能力が不十分な当事者の立場に立って,様々な調査活動を行い,本人のベスト・インタレストに基づく決定に本人の意思,信条,選好,意向が十分に反映されるよう,本人の声を代弁していく専門職(独立意思代弁人)を養成し,無償で支援を受けられるようにすべきである。しかも,このようなアドボカシー活動を依頼すると,利用料が発生するということになると,本人や支援者が気軽に頼めなくなるため,市町村レベルの地方自治体に予算をつけ,誰もが,無償で,いつでも独立意思代弁人の支援が受けられる態勢を確立すべきである。 第7 地域での総合的な意思決定支援体制の確立 仮に意思決定支援法を策定したとしても,意思決定支援法の名の下に,孤立した高齢者や障がい者に対して,「自分で決めたことだから」と,さらに放置する口実になれば,まったく立法の意味はない。意思決定支援法の理念を生かし,実践していく地域の受け皿を確実なものにしていかなければ,結局誰も意思決定を支援しようとせず,真に意思決定支援を必要とする高齢者・障がい者当事者に援助の手が届かない。 国連障害者委員会も,「一般的意見第1号」において,「地域社会における生活の権利(第19条)を踏まえて第12条第3項を解釈すると,法的能力の行使における支援は,地域に根ざしたアプローチを通じて提供されなければならないということになる。」と述べているところである。 そのため,本人の意思決定を支援し,個別ケアを実施できるだけの豊かな福祉をまず地域の中で整備すべきである。地域生活を送る上で,必要な住居,介護,医療,就労等の支援を,そもそも選択することができなければ,自己決定権は絵に描いた餅となる。その上で,本人を取り巻く親族や,医療や介護サービスの事業所等が風通しよく連携し合いながら,本人と深い信頼関係を築くこと,いくつかの選択肢を分かりやすく示しながら,本人が何を望んでいるかの思いを育て(意思形成支援),その思いの実現に協力していく(意思実現支援)体制を作ることが大事である。 都道府県や市町村は最終的に意思決定支援の制度整備を引き受ける責任主体になり,地域の中で誰でも必要なときに,必要な支援を得られる相談体制を作っていく必要がある。例えば,地域包括支援センターなど地域の中で様々な相談窓口になる様々な組織と緊密に連携した権利擁護センターの設立,地域福祉において住民相互が意思決定支援に配慮することを推進する条例の整備など,意思決定に困難のある高齢者や障がい者の意思決定支援のための総合的な支援システムを地域の中で立ち上げ,確立していかなければならない。 第8 意思決定支援のための多様な仕組みの構築 意思決定支援を受ける権利は,すべての人に保障されなければならない。国連障害者権利委員会は,2014年4月に採択した「一般的意見第1号」において,「国は,特に孤立しており,地域社会で自然に発生する支援へのアクセスを持たない可能性がある人々のために,支援の創出を促進する義務を有する。」と述べている。 第1編で報告した海外や国内における様々な意思決定支援の取組等からも示唆を得ながら,意思決定支援のための多様な仕組みを構築していくことが求められている。 例えば,第1編第4章第2で報告されているサウスオーストラリア州の意思決定支援モデルでは,障害のある人を「意思決定者」として中心に置いたチームを構成し,チームとして意思決定支援を行う仕組みがとられている。そして,そこでは,「最善の利益」に基づく説得行為や代行決定は許容されず,チームメンバーは,本人の意思決定を支援し,本人の希望を叶える手助けをするためだけに存在するとされている。同州では,後見制度は存在しており,この意思決定支援の仕組みも,後見制度による制約から完全に自由なものとして構築されているわけではないようであるが,完全に本人の立場に立って意思決定支援の役割を担う支援者と,保護的観点から「最善の利益」を考慮する機関が別個に切り離されているという点は,新たな仕組みのあり方を考える上で示唆的である。 意思決定支援のための仕組みについては,これまで,主に障がい者を対象とした支援の仕組みについては研究や提案等がなされてきてはいるが,今後は,認知症高齢者も含めて念頭に置いて,意思決定支援のあり方を検討していくことが求められる。 第9 任意後見の普及促進,日常生活自立支援事業の充実強化 意思決定支援のための仕組みとしては,既存の制度の活用という観点から,任意代理である任意後見制度を活用することも考えられる。障害者権利条約が廃止を求める代理制度は,あくまでも,本人の意思に基づかない代理制度である。国連障害者委員会は,「一般的意見第1号」において,「(d)個人によって正式に選ばれた支援者の法的承認が利用可能であり,かつ,これを利用する機会が与えられなければなら」ないと述べている。任意後見制度は,そのような法的に承認された支援の制度として機能する可能性を有すると考えられる。 また,国連障害者委員会は,「(e)条約第12条第3項に定められている,締約国は必要とする支援に『アクセスすることができるようにするための』措置をとらなければならないという要件に従うため,締約国は,障害のある人が僅かな料金で,あるいは無料で,支援を利用でき,財源不足が法的能力の行使における支援にアクセスする上での障壁とならないことを確保しなければならない。」とも述べており,資力のない人でも利用できる支援の制度という点では,社会福祉協議会が実施している日常生活自立支援事業(福祉サービス利用援助とともに,日常的な金銭管理サービスや預かりサービスを通じて見守り・支援を行う事業)が,そのような支援の制度として機能する可能性を有しているように思われる。 これまで,日本では,任意後見に関しては,2000年から2010年の10年間において,約5万件弱の任意後見登記がなされたにすぎず,発効(任意後見監督人の選任)している件数は年間700件程度で,活用が広がっていない(法定後見の件数は年間で3万件を超えている。)。したがって,任意後見人の受任者となる人材の養成や登録,研修の実施を推進するとともに,任意後見制度の普及促進を図ることが求められている。 また,日常生活自立支援事業については,需要が多いにも関わらず,公的予算措置が十分でなく,利用申込をしても待機者が多いために利用できない状況が生じている。利用の必要が生じたときにいつでも利用できるよう,予算措置を拡充することが求められている。 第2節 意思決定支援と経済的被害の予防・救済 第1 自律と保護 意思決定に困難を抱える者について,必要な支援によって可能なかぎり本人が自ら意思決定をすることを実現する社会への転換・促進を図るに際しては,これらの者に対する経済的被害の危険への対応が不可欠である。 我が国は,既に超高齢社会にあるが,高齢者の消費者被害は多発しており,さらに増加する状況にある。経済的被害は,高齢者だけのものではないが,特に高齢者は,情報量の少なさや判断力・交渉力の低下などの脆弱性に加え,保有する資産の多さ,高齢者のみ世帯の増加などから,悪徳業者に格好の「カモ」(ターゲット)にされている。障がい者についても,その脆弱性に付け込んだ消費者被害は多い。 経済的被害は,被害者の生活を一変させる。悪質業者による消費者被害は,そもそも訴訟手続等によっても回復が困難であることが多いが,高齢者や障がい者は,就労によって生活水準を回復することが困難なことも多く,より十分な対応が考えられなければならない。 「保護」には「制約」が伴うが,「自律」には「リスク」が伴う。大切なのは,このバランスであり,片方の理念のもとに,片方の実益を放棄することは許容されない。意思決定に困難を抱える者が,不相当なリスクに悩まされず,かつ不必要な制約を受けず,安心して自律的に生活を送ることのできる環境の整備が目指されなければならない。 本節では,このような考えから,意思決定支援と経済的被害の予防と救済との関係を考察する。なお,経済的被害というと消費者被害が想定されがちであるが,これに限られるものではない。親族や隣人による経済被害,宗教に関係する経済被害も深刻であり,本節のテーマは,広く意思決定に困難を抱える者の経済的被害とする(ただし,各種の虐待防止法が規定する経済的虐待については,本章第3節で扱う。)。 第2 高齢者や障がい者等への経済的被害の状況 1 高齢者消費者の被害 (1) 被害の状況 高齢者が消費者被害のターゲットとされていることは,既に周知の事実である。行政においては繰り返し注意喚起が行われ,国民においても周囲の「見守り」の重要性が広がりつつある。しかし,高齢者の消費者被害の相談件数は,依然として高水準である。 次の三つの図表は,平成27年版消費者白書から引用したものである。これらの図表から,高齢者の消費者被害が増加していること,それが人口の伸び以上であること,若年層と比べて被害額が高額であることなどが分かる。 なお,2014年度に全国の消費生活センターに寄せられた高齢者(65歳以上)の相談件数は26万949件となっているが,これは,2004年の同相談件数(12万9392件)の2倍以上である 。 出典:「平成27年度消費者白書」(消費者庁) (2) 具体的ケース 一概に消費者被害といっても,いくつもパターンがある。まずは,整理のために,独立行政法人国民生活センターのウエブサイトに掲載された記事を基に,取引被害の例をいくつか取り上げる。なお,取り上げる例は,意思決定に困難を抱える者の被害に限られないが,これらの者の方がより被害に遭いやすいと思われるものである。 <ケース1:元本割れの可能性のある金融商品 > 75歳一人暮らしの高齢者が,普通預金を定期預金にしようと銀行に出向いたところ,定期預金よりも利率の高い金融商品があり,しかも元本保証と言われ投資信託を紹介され契約した。後に,株価が下落した際に,担当者に「元本が保証されるのですね。」と確認したところ,「株価が一定額以下になると元本保証はなくなる。 」と説明された。そのような説明は契約時には聞いていないし,元本割れの可能性を知っていたら契約していない。 <ケース2:ブティックでの次々販売 > 71歳独身の一人暮らし女性が,2006年から2010年まで,デパート内ブティックにおいて,何度にもわたり,婦人服等280点(総額約1100万円)を購入したケース。同人は,2010年になって「5年前から認知症に罹患している。」と診断された。 <ケース3:新聞の訪問販売 > 両親が老人ホームに入居することになり,新聞を解約しようと販売店に連絡した。すると,「解約するのなら,購読期間が残り6年半あるので,契約時に渡した景品代を返してほしい。」と言われた。販売店は,景品としてテレビ(5万円相当)ビール(5万円相当)を渡しているという。やむを得ない事情による解約なのに,10万円近くのお金がかかるのは納得できない。 <ケース4:悪質リフォーム > 60代男性の家に,「近所で工事をしているので挨拶に来た。」と男性が訪ねてきた。「お宅の屋根の鬼瓦が傾いているのが気になっていた。隣の家に落ちると大変だ。今なら残っている漆くいを使って1000円で直してあげる。」と言われ,1000円ですぐ直してもらえるなら,と修理をお願いした。作業終了後「瓦が浮いている。このままだと雨漏りするので屋根全体を工事したほうがいい。」と言われ,雨漏りしたら大変だと慌ててしまい,約20万円の工事の契約をした。しかし,冷静になってみると契約を急ぎすぎたような気がする。 <ケース5:アダルトサイトによる詐欺請求 > 60代男性のケース。1年ほど前の冬,スマートフォンでアダルト動画を見た後で料金を9万円請求され,コンビニエンスストアにて,分割で2回支払った。その後,夏になって「滞納しているから23万円払うように。」と電話があった。支払わなければならないか。 <ケース6:還付金詐欺 > 60代女性のケース。公的機関を名乗る人から,「払いすぎた医療費の還付がある。」と電話があった。「金融機関では還付に対応できないので,市役所かコンビニ,あるいは病院のATMに行くように。」と言われ,ATMの前から携帯電話で教えられた先に連絡し,指示通りに操作をして還付の手続きをしたが,通帳を確認すると,知らない人物に100万円近く送金してしまっていた。 以上の各ケースは,有効な予防方法も,被害回復の可能性も大きく異なる。例えば,ケース1からケース3は,訴訟で勝訴判決を得れば,被害回復を図ることが期待できる。ケース4はそれが容易でない,ケース5では困難となり,ケース6では回収見込みは極めて乏しくなる。一方で,ケース4から6では,訴訟を提起しさえすれば高齢者側の主張がほぼ認められるであろうが,ケース1からケース3では相手方が抵抗した場合,これが困難になることもある。例えば,ケース1で,金融機関担当者が「元本欠損の可能性は,説明はしている」と主張した場合,高齢者側がどのように説明を受けていないことを立証するのかという問題がある。高齢者消費者被害を予防・救済するためには,個々の被害類型ごとに,個別具体的に有効な手段を探ることが必要である。 (3) 高齢者消費者被害の特徴 高齢者の消費者被害には,以下のような特徴がある。 @ 「健康・お金・孤独」という不安に付け込まれる。 A 認知機能の低下や,社会との接点の希薄化による情報の少なさが原因になっている。 B 在宅でいることが多い。 訪問販売や電話勧誘販売被害に遭いやすい。訪問販売員でも来れば嬉しいという独居高齢者がいる。 C 被害に遭っていることに気づかないこともある。 D 被害を恥じて,申告しないケースもある。 E 加害者との人間関係を気にし,申告をしないケースもある。 F 被害回復のための行動において,被害状況の再現が困難なこともある。 G 被害回復にかかる費用や時間を気にして,泣き寝入りするケースもある。 H 受けた被害を就労で回復することができず,生活への影響が大きい。 2 障がい者の消費者被害 障害があるといってもその状況は様々であるが,それぞれの障害によって生じる弱い部分に付け込まれた消費者被害が生じている。PIO-NETに登録された「心身障がい者関連」「判断能力不十分者契約」に関する相談件数も,年々増加傾向にあり,2010年度に1万5460件であったものが,2013年度には2万1542件となっている 。 また,判断能力には特に困難は抱えていなくても,情報収集力の弱さに付け込まれたり,孤独やお金についての不安に付け込まれたりすることもある。近時では,一度被害に遭った者が「カモ」とされて,二次被害に遭うケースも頻発している。さらに,つながりの強い障がい者グループ内で,別の障がい者を(意図してかせずしてかは別にして)消費者被害に引き込むという問題も発生しており,その特徴に応じた予防と救済が検討される必要がある。 3 消費者被害以外の経済被害について (1) 宗教被害 霊界や因縁話を持ち出して不安に陥らせ,多額の金員を騙し取る商法が霊感商法や霊視商法である。「開運商法」のキーワードに限っても,PIO-NETに登録された相談件数は,年間2500件以上に上っており ,いまだに被害は多い。今後,高齢者の死への不安に付け込んで,経済的被害を与えるケースが増えることは容易に想像できる。 消費者被害として関連法で救済できる場合もあるが,多額の寄付などをさせられているケースなど,必ずしも消費者法の適用があるとはいえないものもある。  (2) その他の経済被害 同居の親族や,近くに親族のいない者については,隣人から経済的搾取を受けているケースがみられる。これらは,消費者被害として関連法で救済することが期待できないが,消費者被害以上に被害が深刻であるケースもあり軽視できない。場合によっては,高齢者虐待防止法及び障害者虐待防止法により,「虐待」として保護を図る対応も必要である。 第3 現行法制について 1 現行法制の概観 (1) 意思決定に困難を抱える者の経済的被害への対処においては,「予防」,「救済」という二つの観点が必要である。また,「救済」は,民事ルールを中心とした法整備を中心に考えるべきとしても,「予防」においては,行政規制・刑事罰,民事ルールにより形成される行為規範の他,周囲の者による援助などの事実上の取組を含めて考察する必要がある。 そして,上記各ケースで確認したように,意思決定に困難を抱える者が危険にさらされる経済的被害は,一律ではない。そこで,個別の被害類型ごとに,「予防」と「救済」の現行制度の効果を整理したものが別表「経済的被害の予防と救済」である。同表の「効果」中,「普通の事業者」は上記ケース1から3を,「悪質業者」は上記ケース4及び5を,「特殊詐欺」は上記ケース6の様なものを想定している。    同表から,被害類型に応じて,予防・救済ともに有効な対応策が異なることが分かる。 なお,同表では表現できていないが,高齢者の能力の程度によっても,とるべき対応は当然異なることになる。 (2) 別表の内,「判断能力の不十分」に着目して設けられている予防と救済の制度としては,次のようなものがある。後記【 】中の記載は,「別表1:経済的被害の予防と救済」との対応を表している。    @ 社会福祉協議会の日常生活自立支援事業      本人の委託に基づき他人による金銭管理の代行を行うものである【予防3】。    A 成年後見制度 裁判所の選任に基づき他人による財産管理【予防3】や同意権・取消権を行使し得るものである【予防・救済13】    B 任意後見制度      本人の委任に基づき他人による財産管理等の代理権を設定するものである【予防3】    C 行為規範(行政規制)【予防6】       判断能力の不足に乗じた勧誘の禁止「老人その他の者の判断力の不足に乗じ,訪問販売に係る売買契約又は役務提供契約を締結させること」を禁止(特定商取引法第7条第4号・同規則第7条第2号等)。 適合性の原則「顧客の知識,経験及び財産の状況に照らして不適当と認められる勧誘を行うこと」を禁止(特定商取引法第7条第4号・同規則第7条第3号等)。 なお,条例によって,判断能力不十分に乗じた勧誘の禁止を規定する自治体もある 。    D 意思無能力,公序良俗違反      一般条項による救済。裁判例が複数ある【救済9】。 (3) また,直接的には,「判断能力の不十分」を要件としないが,実質的に意思決定に困難を抱えた者の保護・救済を目的とする規定として次のもの    E 過量販売解除 特定商取引法第9条の2,割賦販売法第35条の3の12等【救済11】。 2 予防についての考察 一旦消費者被害に遭った場合の被害回復の困難性は,既に述べた通りである。悪質業者や特殊詐欺のケースでは,回収可能性がほぼ無いと考えておいた方がよく,いかに事前に被害予防をするかが非常に重要である。 この点,別表に整理したように,事前の被害予防に有効と言われているのが,周囲の者による見守り活動【予防2】と,他人による財産の管理【予防3】である。 ただ,見守り活動といっても,常に周囲に適切な見守り者がいるとは限らないし,見守り者も,四六時中本人についているわけにはいかない。高齢者が,家族と同居していても被害に遭うケースもあり,それだけで万全というわけではない。 一方,他人による財産管理は,契約を締結しても金を渡さなければ,回収可能性の問題から被害回復を諦めなければならないという事態は防ぎ得る点で有効であるが,日常生活自立支援事業はもちろんのこと,保佐類型や補助類型,任意後見においても,通常はすべての金銭管理を本人が行わずに他人が管理するわけではないので,本人がその範囲で支払いをしてしまうという限界もある。その上,有効な事後救済手段(契約の解消手段)がなければ,やはり効果を発揮しない。また,他人による財産管理は,適切な財産管理機関があるのかという問題や,本人の自由を過度に制約することにならないかという問題もある。 3 救済についての考察 (1) 事後救済が有効な被害類型(別表「通常の事業者」)についても,高齢者の消費者被害については,それを困難ならしめる事情がある。高齢者被害の特徴としてまとめた項目(第2・1・(3))のうち,被害申告をしないケースの存在(D,E),被害状況の再現が困難であるケースの存在(F),被害回復にかかる費用や時間を気にして泣き寝入りするケースの存在(G)などである。 このうち,Fは,高齢者側が,「騙された」「そんな説明は聞いていない」と主張しても,個別具体的な状況の説明において記憶が曖昧であったり,混乱が見られたりして,この点を事業者側に指摘されることもある。一方で,事業者側では,「説明した。」,「本人が望んだ契約である。」と主張し,かつ形式上,この主張を満たすような書面が整えられていることが見受けられる。「不当勧誘」など一定事項の立証(又は反証)を要する契約解消規定については,この問題があることを認識しておく必要がある。 また,Fの問題は,Gにも大きな影響がある。「実効性のある」,「本人負担の少ない救済方法」がなければ,本人の被害回復を求める気持ちは遠のくばかりである。高齢者の経済被害救済は,法廷で弁護士が行うのでなく,支援者等が消費生活センターの助けを借りながら,速やかに行えることが望ましい。「不当勧誘」など一定事項の立証(又は反証)を要したり,内容の明確でない一般条項しか主張できなかったりとすると,事業者側に言い訳をする余地を与え,結局,気力を振り絞り,時間・費用をかけて訴訟を行わざるを得なくなる。 (2) 以上の点から,不相当に締結された契約の解消のために,次のような規定が必要である。 まず,締結された契約の不当性に応じた明確な取消又は解除条項を定めることである。ただ,上記の通り,これには立証の負担や事業者側に言い訳をする余地を与えるという問題がある。 立証上の問題を緩和するためには,過量販売解除権【救済11】の様に,客観的な状況を要件とする解除権を設ける規定も有用である。ただ,この様な解除権は,設定できる場面が限定的であり,すべての問題に対応できるわけではない。事業者側においては,「本人が望んだのである」と主張し,容易に契約の解消を受け入れないものもある。  (3) 以上の問題点を踏まえると,契約の解消という点に着目すれば,最も有効な手段は,成年後見制度における取消権の行使である。この取消権は,裁判所の事前認定(成年後見開始や保佐開始の審判,補助における補助人の同意を要する旨の審判)により,被後見人等の法律行為について,無条件の取消権を付与するものであるが,個別に立証を要せず,事業者側に言い訳する余地を与えない,弁護士等の専門家でなくとも容易に行使可能であるという利点がある。 ただ,第2章第5節で述べたとおり,現行成年後見制度では,一律的で包括的な取消権の設定によって,本人の能力制限が過剰に行われてしまっているという問題がある。無条件の取消権は,その有用性の反面,制度のあり方によっては,本人の自律を妨げるものとなりかねず,その制度の設計と活用の場面においては,より制限的でない他の手段による被害予防や救済の活用を含め,慎重な検討が必要である。 4 まとめ 消費者契約法の制定(2000年公布,2001年施行),消費者庁・内閣府消費者委員会の設置(2009年),特定商取引法の改正 ,割賦販売法の改正など,我が国において消費者法制は,少しずつ進んできた。認識されなければならないのは,このような消費者法制の進歩にも関わらず,高齢者や障がい者など意思決定に困難を抱える者に対する多数の経済被害が生じており,さらに増加しているという事実である。 そして,今後増々,高齢化が進む中で,資産の多くを保有する高齢者が,事業者にとってさらに重要なマーケットとなるとともに,詐欺師にとっても格好のターゲットになることは目に見えている。経済被害を予防・救済するために,より効果的な制度を検討していくことは,その「自律」の保障とともに,意思決定に困難を抱える者が安心して地域で暮らす権利の基盤を支える車の両輪として,極めて重要な課題である。 第4 あるべき予防と救済 1 個別的かつ総合的な対処 意思決定支援制度による「自律」の保障と経済的被害からの「保護」とは,考慮すべき次元を異にする側面もあるが,「保護」に「制約」が伴い,「自律」に「リスク」が伴うことから一定の場面で相反する関係に立つことが自明である。 また,以上みてきたように,意思決定に困難を抱える者の経済被害といっても様々であり,効果的な対処も被害ごとに異なる。また,一つの方法で容易に解決が図れると考えることも誤りで,いくつかの「合わせ技」でもって取り組む必要がある。 そして,意思決定に困難を抱える者の能力も,支援を受け得る体制も,それぞれである。人によっては,強力な保護的対処が自由の過度な制約になる場合もあろうし,人によっては,保護を進めなければ,本人が不相当なリスクを負うこともある。 以上からすれば,経済的被害からの予防と救済も,身上監護等への福祉的支援と同様,意思決定に困難を抱える者ごとに,かつ,個別の事項ごとに「どこまで意思決定支援による自律的意思決定がなされることが相当で,どこからが意思決定支援を超えた保護を図るべきなのか。」を見極めて,個別的かつ総合的な対処としてなされることが必要である。また,制度設計としては,様々な需要に対応できるよう,多様なメニューが用意されることが望ましい。 2 具体的な制度検討 以下,総合的で個別的な保護を実現するために,いくつかの制度・取組のあり方を具体的に検討する。 (1) 見守りネットワークの構築と見守り活動 意思決定に困難を抱える者の消費者被害防止のために,いわゆる「見守りネットワークの構築」と「見守り活動」が有益であることが認識され,各地自治体で取組が進んでいる 。日弁連も,2013年12月19日に「高齢者の消費者被害の予防と救済のためのネットワークづくりに関する意見書」を取りまとめ,全国知事会会長,全国市長会会長等に提出した 。 このような見守りネットワークの構築は,現に存在する福祉分野の見守り活動に,消費者被害の予防と救済という点を付加することが一つの方向性であり,行政における消費生活部門と福祉部門との連携と協働が不可欠である。 しかしながら,このような体制の構築には,まだまだ地域差がある。消費生活部門と福祉部門とが,顔の見える関係を持つことが望ましいが,自治体の規模が大きくなると,両部門の間の交流が乏しいという状況も見受けられ,特に意識的な取組が必要である。 また,高齢者の消費者被害は,要介護認定を受けた者ばかりが対象になるのではない。福祉分野の見守り活動の対象となりにくい,要介護認定をまだ受けていない高齢者に対する見守りや,情報提供のあり方も考えられなければならない。加齢によって,「被害を受けやすい状況」は日々進行していくが,高齢者本人の側では,この状況を自ら認識しにくい。 現在,国が進めている「地域包括ケア」の推進においても,消費者被害からの予防の観点を明確に位置づけ,高齢者や障がい者に対する経済的被害防止と救済の観点からの見守りネットワークの構築と見守り活動の充実が,今後,さらに進められる必要がある。 (2) 不招請勧誘の禁止 消費者被害の大きな温床の一つが,不招請勧誘 である。自宅にいることの多い高齢者については,訪問販売や電話勧誘販売が,主な被害態様になっている。 訪問販売については,契約を締結する意思がないことを示した者に対しては再勧誘をしてはならないとされている が(特定商取引法第3条の2第2項),「訪問販売お断りステッカー」等を貼付してもこの意思表示にならないというのが,現在の消費者庁の見解である。しかし,一旦,不招請勧誘がなされると,なかなか退去を求めにくい消費者もおり,適切でない。 ただでさえ歪められやすい意思決定に困難を抱える者の意思決定について,不招請勧誘が極めて危険であることは明白である。それゆえに,これらの者が,事前に不招請勧誘を受けないことを意思決定し,その危険を未然に防ぐことのできる制度が,メニューとして不可欠である。 この点,内閣府消費者委員会では,2015年3月から実施されている特定商取引法専門調査会において,不招請勧誘規制の議論を行ってきた。訪問販売については,「訪問販売お断りステッカー」の制度化,電話勧誘販売については,「電話勧誘拒否番号登録制度」の法制化が議論されてきているが,これらの制度の法制化は,是が非でも実現される必要がある 。 (3) 不当な働きかけを原因とする契約解消規定 @ 意思決定に困難を抱える者については,意思決定が歪められやすい者が少なくないことから,不当勧誘等,不当な働きかけによって法律行為がなされた場合には,その法律行為の解消を図り得る規定が設けられることが当然に必要である。 しかるに,現在の民法では,詐欺・強迫による取消権等限られたものしか規定されていない。消費者契約法においては,不実告知,断定的判断の提供,不退去・退去妨害による取消権等の規定はあるが,限定的であり,現実のニーズを十分には満たしていない。特定商取引法上の規定も同様である。 A この点,不当勧誘等による契約の解消に関する規定の充実については,2009年から法制審議会において行われた民法(債権関係)の規定の見直しにおいても議論されたところであったが,消費者契約法等での規定が望ましい等の意見から,最終的には,改正案に盛り込まれなかった。 2014年11月から実施されている内閣府消費者委員会の消費者契約法専門調査会では,同法の改正において,「執拗な電話勧誘」,「威迫等による勧誘」による取消,「不招請勧誘」,「合理的な判断をすることができない事情を利用する類型」による取消などが議論されている。消費者契約法は,その成立において「施行後5年を目途に見直しを図ること」とされたが実体法部分の改正がなされないままに今日に至っている。同法で解決できない不当な消費者契約の存在が明らかになっていること,そして高齢化率の上昇による要支援者の増加に照らせば,消費者が不相当な契約から脱却できる方向で,速やかな法改正がなされることが必要である 。 B ただ,これらの規定は,意思決定に困難を抱える者の経済的被害の救済において,次のような限界があることは認識されなければならない。 まず,これらの規定が消費者契約法に規定される場合,消費者被害でない類型の経済被害には用いることができない。 次に,これらの規定は,意思決定に困難を抱える者の側に一定の立証を要求する。勧誘状況の再現能力に問題のある者がいること,事業者側が不当な勧誘を否定した場合に,被害を受けた側がコストと時間をかけて,被害回復のための活動を行わなければならないこと,それゆえに泣き寝入りをしてしまう被害者も出てしまうことは既に述べた通りである。 C しかしながら,個別の状況に応じた法律行為の解消規定を設けることは,意思決定に困難を抱える者の経済的被害の予防と救済の第一歩目のメニューとして不可欠である。多様な状況に対応できる一般条項も必要だが,何が不当な働きかけ・勧誘であるかを示し,相手方の言い訳の余地を少なくするという意味で,条項の具体化は非常に有益である。 まずは,現在行われている消費者契約法改正の議論において,不当勧誘規制が実現され,次にこれが消費者取引のみならず,経済被害全般に整備される方向で議論される必要がある。 (4) 意思決定支援が十分でないことを理由とする取消   @ 必要な意思決定支援によって可能なかぎり自ら意思決定のできる社会への転換を考えるとき,「意思決定支援がなかったこと」あるいは「意思決定支援が十分でなかったこと」を理由とする取消権の創設は,検討すべき事項である。     意思決定に困難を抱える者が,法律行為をするについて,適切な意思決定支援がなされるべきであったのに,その機会がなかったということは,当然にその意思表示に瑕疵があることを窺わせるし ,適切な意思決定支援の周知・普及をさせるためにも有用な制度であるように思われる。   A ただ,この取消権には,次の様な課題があり,導入のためには,さらなる今後の研究と議論の熟成を待つ必要がある。 ア まず,同取消権の創設により,意思決定に困難を抱える者はもちろん,そうではない者も,これまで以上に経済取引に不便が生じないかという問題がある。一般の事業者においては,後日取消権が行使されることを防止すべく,当該取引をする者が,その事項について,意思決定に困難を抱える状態にあるのかどうかを見極め,この判断がつかない場合には,慎重に意思決定支援を求める立場をとるであろう。とすれば,結局,その事項について意思決定に困難を抱えていない者まで,意思決定支援に長けた第三者の立ち合いなど,必要な意思決定支援がなされたとの確認がとれない限りは,取引ができないとことなってしまうのではないかという懸念がある。 イ 次に,同取消権は,その行使において,意思決定に困難を抱える者において一定の立証を行うことを必要とする。これについては,立証責任の転換によりその負担を軽減することも考えられるが ,いずれにせよ事業者側には,言い訳をする余地があり,さも十分な意思決定支援があったかのように装う資料を残す対処がなされることも考えられる。 ウ さらに,意思決定の支援をした者がある場合には,取消権の行使のために,その者に「私の意思決定の支援が十分ではななかった」旨の証言をさせることになってしまう可能性がある。これが,献身的に意思決定を支援した者と本人との関係を悪化させることにつながらないかという懸念がある。 エ 最後に,隔地者間の取引における問題がある。例えば,インターネット通信販売において,取引相手が,当該本人が,意思決定に支援を要する状態であるのかどうかをどのように判別するのかという問題であり,ウエブサイトで分かりやすい表示を心掛けることは当然だが,それだけで意思決定支援がたりるとは思われない。   B また,同取消権の創設の議論において,「適切な意思決定支援さえあれば,契約がもはや取り消せなくなる」と安易に考えられることのないよう,注意が必要である。 消費者被害をはじめとする経済的被害は,意思決定に困難を抱える者だけの問題ではなく,知的能力・精神的能力に何らの問題がなくても,消費者被害の被害者になる人は多数いる。人間の判断能力が完全であるということはあり得ず,人は常に間違いを犯す(経済学者でも,結婚相手を後悔することはある。)。契約の拘束力は,一定以上の脳や精神の働きを確保できる者が,一定以上の正常な環境でした行為について,自己責任として認められるものである。 意思決定支援を要する人たちは,先天的な障害や後発的な疾患によって,知的能力や精神的能力に問題を抱える人たちである。意思決定支援によって,意思決定に困難を抱える人に,どの程度自己責任を負わせることが相当なのかは,今後の意思決定支援に関する技法の確立と,その支援を行う人的体制の整備の中で確認されなければならず,慎重な検討が必要である。 (5) 無条件取消権・解除権 @ 上に述べた通り,現行成年後見制度における行為能力制限制度のように,意思決定に困難を抱える者に,無条件取消権(又は無条件解除権。以下「無条件取消権等」という。)を付与するという「保護」的な制度は,意思決定支援の理念である「自律」と一定の緊張関係を持つ。 A しかし,行為能力制限制度は,意思決定に困難を抱える者に,個別の事情を問わず,立証の負担も課さずに,また時間やコストをかけずに,無条件に契約を解消する機会を与え,やり直す機会を与えようとするものである。 そして,無条件取消権等の有用性は,消費生活相談の現場で,無条件の撤回・解除権である「クーリング・オフ制度」が重用されていることからも明らかである。ただ,同制度は,限られた商法・業法にしか規定されていない上,行使期間も短く,およそ意思決定に困難を抱える者一般の救済には十分でない。 加えて,自ら経済的被害に遭いやすいことを自認して,無条件取消権等の付与を希望する者もいることや,上記の通り経済的被害の救済には様々な事情に応じるべく多様なメニューを用意する必要があるという点からして,無条件取消権等の重要性は認識される必要がある。日弁連の成年後見制度大綱やドイツの世話法においても,同意権留保による取消権が規定されている。 B 問題は,無条件取消権等の制度が,過度の制約を与える等の不利益を課さないように設計されなければならないという点である。 まずは,この制度が支援する側の便宜のみに用いられないように,裁判所等の取消権等付与機関において,本人に対する意思確認を中心に慎重な審理をすることが必須である。取消権等の付与においては,具体的な取引を区切って設定されるべきであるし(「30万円以上の取引」とするなど),本人の状況が改善すれば,取消権等の設定を取り消すことも考えられるべきである。 また,取消権等付与の要件として,「精神上の障害」という現在の成年後見制度利用の要件が,烙印的であり利用者の行動を狭める方向での社会的認識を生むという批判からは,要件を別の基準に置き換えるなどの工夫も考えられる 。 いずれせによ,この問題は,今後さらに高齢社会が進むわが国において,判断能力の低下と経済取引や契約のあり方をどう考えるかという,国民一人一人に関連する重要問題であり,国民的な関心の高まりと慎重な議論が期待されるところである。 別表1:経済的被害の予防と救済 第3節 意思決定支援と虐待防止法制 第1 虐待防止法の趣旨―個人の尊厳 日本では,2006年4月1日に高齢者虐待防止法が,2012年10月1日に障害者虐待防止法が施行された。 認知症や高齢による判断能力の低下,知的障害や精神障害といった障害のために,高齢者や障がい者は,親族や入所する施設の職員などによる虐待を受けやすい地位にある。虐待が個人の尊厳を侵害する重大な事態であることに鑑み,高齢者や障がい者の尊厳を守り,高齢者や障がい者が安心して生活する権利を保障する趣旨でこれらの法が定められた。法は,市町村や都道府県が虐待の予防や早期発見,虐待解消のために対応すべきことを定めている。 第2 意思決定支援法の下での虐待防止法の役割  意思決定支援法の下では,現行の成年後見制度は,後見人等に対して過剰な権限が付与される仕組みを改め,意思決定支援の原則に従って再構築されることとなるが,これは,本人の自律という基本的人権の保障を目的とするものである。自律の保障は,本人の自己決定を放任することではないのであり,その実現のためには,虐待防止法制も含め,これまで高齢者・障がい者の権利擁護のために構築されてきた制度のさらなる充実が必要不可欠である。  高齢者虐待防止法は,高齢者虐待の防止と保護を図るため,市町村において,後見制度の申立てを適切に行うものと定める(同法第9条)。また,市町村において,高齢者の消費者被害について,相談に応じたり,消費生活センター等の機関を紹介するものとし,消費者被害の防止,救済の場面においても,後見制度の申立てを適切に行うものと定める(同法第27条)。障害者虐待防止法においても同様の定めがなされている。  現行の虐待防止法制が定めるこれらの規定は,意思決定支援法の下で意義を失うものでない。意思決定支援法の下では,市町村は,高齢者・障がい者の虐待や消費者被害の防止と保護を図るため,再構築された任意代理・法定代理の制度につなげ,本人が適切な意思決定支援を受けられる状況を整えることになるのである。 意思決定支援法による成年後見制度の再構築は,後見人等に対して必要のない過剰な権限が付与されることを改めるが,それは,他方で,必要なときには適切に支援につながる仕組みが一層充実強化されることを前提としている。両者はいわば車の両輪であり,その意味で,意思決定支援のためには総合的な体制整備が必要なのである。 現状においては,高齢者や障がい者が不当な取引で被害にあった場合,成年後見制度を利用したり,消費者被害を予防し,二度と被害に合わないための方策として地域の見守りネットワークの活動が挙げられるが,被害の回復を図ったり被害を予防するのに十分とはいえない。 虐待対応及び消費者被害の防止については,市町村などが現行よりさらに積極的かつ適切に虐待対応できるよう,虐待防止法の改正がなされなければならない 。 第3 虐待対応における自律と保護 1 虐待からの保護 虐待防止法は,本来,本人が他者から受ける権利侵害を防止し,本人を保護することを目的とするものであるが,虐待が生じている場面では,ときとして,本人が自らが置かれている状況を容認しているセルフネグレクトと呼ばれるような場合がある。 しかし,自律の保障は,自己決定の放任ではないのであり,意思決定支援の考え方は,従来の虐待対応の仕組みや考え方に何ら影響を及ぼすものではない。セルフネグレクトのような場合でも,個人の尊厳を確保し,本人を虐待から救済し保護するため,従来通り,虐待防止法の保護機能が働く場面である。虐待対応に責任を負う市町村などの行政が虐待の判断を行い,本人を虐待から救済・保護し,虐待解消のために対応すべきであることはこれまでと変わらない。「虐待」に該当するか否かの判断は,本人がその状況を容認しているかどうかということとは関係なく行うものであるし,いわゆる「やむを得ない措置」によって本人を養護者から分離するかどうかの判断も,保護のための緊急性があるかどうか等を考慮しつつ市町村の責任においてなされるものである。 自律あるいは自己決定との関係で言えば,虐待と評価される状態は,本人が自由な意思に基づいて自己決定を行う前提が奪われている状態であり,あるいは,本人の自己決定の基盤そのものを失わしめる状態といえるのであって,そのような場面は,自律あるいは自己決定の保障のために,それを放任するのではなく,パターナリスティックな介入が求められる場面であるということができる。 2 本人の意思に反して「やむを得ない措置」をとる場合 上記のとおり,虐待対応においては,養護者との分離保護が必要と判断され,やむを得ない事由による措置をとり施設に入所させる場合がある。この場合の措置権の行使は,本人の意思や意向と関係なく行うことができることにはなっているが,しかし,本人が施設に入所することを明確に拒んでいるような場合,その本人の意思や意向に反して強制的に入所させることはできない。これは,居所についての代行決定(第2編第2章第2節)において,代行決定ができるとしても本人の意思に反して強制的に進めることはできないのと同じである。 もっとも,そうであるからといって,その状態をそのまま放置することにはならない。そこでは,ソーシャルワークの技術によって本人の意思に働きかけ,入所に結び付けることが求められる。 3 セルフネグレクトからの保護 虐待防止法の施行にあたり,本人が必要な医療や介護の支援を拒否する,いわゆる「セルフネグレクト」は「虐待」の種別に盛り込まれなかった。しかし,これに対する対応や支援が必要であることは昨今,マスコミでも取り上げられ問題となっているいわゆる「ごみ屋敷」問題からも明らかである。セルフネグレクトも今後,虐待の一種別として虐待防止法のなかに盛り込まれるべきであり,やはり他の虐待種別の場合と同様,「生命又は身体に重大な危険が生じているおそれのある」場合には意思決定支援による解決ではなく虐待防止法に準じて保護を行うべきである。対象となる人が高齢者か障がい者かにより,老人福祉法や知的障害者福祉法などの「やむを得ない事由による措置」を採り,施設入所やサービスの導入を行い,生命又は身体への危険が生じている状態を解消する必要がある。 セルフネグレクトに対する虐待防止法に準じた保護において,本人に対する働き掛けや本人の意思の尊重が必要であることは上記2で述べると同様である。 岸恵美子氏の「ルポ ゴミ屋敷に棲む人々」 の中で,セルフネグレクトの原因は,認知症や精神疾患による認知・判断力の低下だけでなく,社会的孤立,人生の困難な出来事からの絶望,世間体や遠慮からの気兼ねやプライドなどの原因が複雑に絡み合っていることにあると分析されている。つまり,意図的な支援拒否のように見えるような場合でも,様々な要因にがんじ絡めになり,自暴自棄になっているケースがある。生活の質を上げるためにサービスが必要であると周囲が考えたとしても,認知症や精神障害によって判断能力が低下していない本人がこれを拒否すれば,その意思を無視して,施設入所やサービスを導入することは難しい。やむを得ない事由による措置を利用して,契約以外の方法でサービスを提供することはできるが,これを受け入れない本人に無理矢理サービスを受けさせることは困難である。 このような場合にまず必要なのは,本人が正確な情報と知識を持って行動しているかの確認であり,それが疑わしい場合,本人に必要な情報を提供し,適切な時間,場所,方法によって意思疎通を図っていくことが必要である。大切なのは一度拒否されれば,自由意思による拒否のため支援できないとあきらめないことである。セルフネグレクトは長い時間をかけて健康や心身の安全を損ない,やがては孤立死に至る一種の自殺行為であり,これを自己決定だからといって支援しないで放置することは,支援が必要な者をますます孤立させ,社会がネグレクトしている結果となるからである。 第4 虐待対応後の本人への心理的ケアの重要性 虐待を受けると,人は心身ともに弱ってパワーレスになり,本人らしく生活できなくなったり,自分のことを自分で決めることができない状態になる。虐待を受けた人が再度,本来の力を取り戻して,自分らしく生活し,自分のことを自分で決めることができるようになるには,虐待により傷ついた本人の心理的ケアを行うことが必要である。 障害者虐待防止法第1条は虐待を受けた障がい者の保護と自立の支援のための措置を定め,虐待を受けた障がい者がその後の生活において,自分で自分のことを決め,その人らしく生活していくよう支援することを求めている。同法も虐待により傷ついた本人の心理的ケアが行われることを求めている。そして,高齢者虐待防止法はこのことに直接触れてはいないが,別異に解する理由もなく,高齢者虐待においても同様のことが求められていると考えるべきである。意思決定支援制度のもとにおいて,具体的にその方法を検討し実行すべき支援である。 第4節 意思決定支援と精神保健福祉法制 第1 精神保健福祉法の正当性に対する問題点 日弁連は,第57回人権擁護大会(2014年)において,「精神障害者」のみを対象とする「精神保健福祉法(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律)」(以下本節においては単に「法」という。)に定める強制入院については,障害者権利条約(以下本節においては「本条約」という。)第14条第1項の観点から早急に見直すべきことを宣言した。この点で,既にこの法律の正当性については本条約の観点からは問題があるといわざるを得ないが,今回は,さらに,本条約から導かれる精神障がい者の意思決定という観点から,この法律の問題点について論じる。 第2 意思決定支援原則の観点から見た現行法の問題点 1 任意入院と患者の意思決定 本法第20条は,「精神科病院の管理者は,精神障害者を入院させる場合においては,本人の同意に基づいて入院が行われるように努めなければならない。」と任意入院が原則であることを定めている。しかし,以下の点でこの原則は徹底されておらず,不十分である。 (1) 同意能力判定基準の不存在    本法は,任意入院できる状態にあるか否か,すなわち,患者に同意能力があるか否かが任意入院と非自発的入院である医療保護入院とを分ける重要な基準となるにもかかわらず,この点の判定に関する規定はまったくなく,運用上も各医師(法第20条第4項にあるとおり,精神保健指定医に限らず退院を制限できる。)の自由な裁量に委ねられているのが実情である。 (2) 医療不信の原因    基準が不明確なために,患者が数日間だけ任意入院したいと思って病院に行っても,その場で医療保護入院等の非自発的入院をさせられる可能性がある。また,入院開始時は任意入院でも,後日退院が制限され,非自発的入院に切り替えられる可能性は常にある(法第20条第3項,同条第4項)。そのため,患者が帰りたいときに自宅に帰ることができるという保障はなく,患者は安心して任意入院できず,そもそも病院に行かない,という態度をとることも少なくない。 このように,現在の精神保健福祉法は,任意入院すら患者の意思決定が尊重される制度になっていないといわざるを得ない。患者の自発的な医療を受ける権利を保障する仕組みを作るべきである。 2 医療保護入院における同意の位置付け 本法の医療保護入院制度は,一定の範囲の家族等のうちいずれかの者の同意があるときは,本人の同意がなくてもその者を入院させることができるとされており(法第33条),政府はこれを本人に対するインフォームド・コンセントを家族が代行する趣旨である旨説明している 。しかし,これは意思決定支援原則の代行という観点から見て極めて重大な問題をはらんでいる。 (1) 代行決定者 本法は,第33条第2項において,一定の欠格事由に当たらない限り,当該精神障がい者の配偶者,親権を行う者,扶養義務者及び後見人又は保佐人に医療保護入院の同意権を認めているが,そこでは本人との実際の関係性はまったく考慮されておらず,例えば会ったことのない伯父も同意できる可能性がある。 これは,第2編第3章において述べた代行決定者のあり方とまったく異なるものであり,実質的な本人の保護が考慮されていないといわざるを得ない。 (2) 手続保障の不存在 他方で厚生労働省は,同意した家族等が後に入院に反対した場合であっても,退院請求手続によって対応すべきと,つまり「入院を継続できる」取扱いとしており ,同意後は代行決定者としての役割を認めていない。この点で大きな矛盾がある。 さらに,この点を措くとしても,医療保護入院後に本人の同意能力の有無が定期的に判定される手続はまったくない。また,患者自身が精神医療審査会に対し退院請求等によって不服を申し立てる場合にも,本人のための権利擁護者を付ける権利は制度的にも予算的にも保障されておらず,精神医療審査会の認容率も約3%程度にすぎず,権利擁護のための手続が実質的に保障されていないといわざるを得ない。 3 長期入院者の地域移行(退院)における意思決定支援と課題  (1) 現在の問題点 現在の日本には,厚生労働省が認めただけでも約5万人のいわゆる社会的入院患者 が存在するが,その多くは任意入院患者であるといわれている。また,その背景として,入院が長期に及んだために患者が帰ることのできる環境がなくなってしまい,さらに,患者自身にも退院して単身で生活する意思がないので入院が続いていると説明されることがある。そのため,長期入院者に対する「退院に向けた意欲の喚起」が支援策の一つとして挙げられている 。 しかしながら,日本では長く,施設収容の方針が採られ,民間精神科病院を乱立させ長期間入院させることが当然のこととして行われてきた。その過程の中で,「退院したい」という当然に生じる患者の素朴な意思は,「無理」,「あきらめなさい」という職員らの言葉によって踏みにじられ,患者たちは退院について考えないようになってしまったのである。今まで一度も「退院したい」と思ったことのない患者がいるだろうか。一人一人の退院の希望に対して,医療の必要性を説明しながらであっても退院したいという意思が尊重され,配慮されてきたならば,これが失われることはなかったはずである。 今後の施策を進めるに当たっては,まず,過去に彼らの退院したいという意思を無視し封印してきたという歴史を振り返り謝罪することから始めるべきである。そして,我々弁護士も,この問題について,ハンセン病患者と同じ過ちを繰り返してはならない。心を閉ざしてしまった患者の表面的な言葉だけでなく,一人一人の不安に向き合い,本当の意思を探求し,それを実現すべく,退院支援に取り組むべきである。  (2) 具体的な課題   @ 入院中心主義から地域精神医療へ     現在の日本は,世界的に見ても人口10万人当たりの精神病床数がOECD平均の4倍と突出しており ,明らかに過剰入院である。また,予算的にも,入院にかける医療費は通院にかける費用よりも多く,さらに,精神医療費に対し精神福祉費は極めて少ない。このような入院中心の仕組みを地域精神医療を充実させる方向に変えなければならない。 具体的には,地域で精神障がい者が安心して暮らすためには,頻回の往診や訪問看護,生活支援が必要であるから,これらの医療や福祉のサービスが十分に利用できるよう費用負担も含めた制度設計がなされ,それを支える事業所を設置しやすくするための環境等を整備すべきである。既に,全国にはACT(包括型地域生活支援プログラム)を実践する等して地域精神医療を支えようとする取組があり,本シンポジウム実行委員会でも今回ACT-Jを視察しその有効性を実感したところであるが,これらの取組が制度的に後押しされているとは言い難い。例えば,精神科クリニックと訪問看護ステーションが連携しやすくし,訪問看護ステーションには精神保健福祉士を配置しやすくし,就労支援や入院者への訪問などについてもサービス対象に盛り込むなど,何らかのインセンティブをつけて行くことが求められよう。国は現状を分析した上で,積極的に推進すべきである。また,2005年に成立した障害者自立支援法(現障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律)によって精神通院医療(自立支援医療)の負担は一部増え,現在これを軽減するための経過措置について延長が重ねられているところであるが,このような負担増は実質的な医療拒絶につながるものであるから,直ちに自立支援医療以前の制度に戻すべきである。   A 住まいの確保     また,精神障がい者が地域で暮らすためには,住まいの確保は不可欠であり,具体的には,差別・偏見なく住宅を提供してくれる賃貸人・不動産業者,入居時に保証人を要請される問題への対処,入居後のトラブル防止と発生した場合の速やかな解決のための支援等が求められる。これらの問題に関連職種がネットワークを作って取り組んでいる例が本シンポジウム実行委員会でも視察したNPO法人おかやま入居支援センターである。ここで実践されているのは,単なる不動産物件の提供だけではなく,当初から本人の希望に寄り添った物件探し,入居支援,入居後の定着支援であり,正に精神障がい者当事者の意思決定を支援した活動であった。このような活動が全国的に広がるためには,国や地方自治体が率先して関連業界への働きかけを行い,ネットワーク作りを呼びかけることが求められ,弁護士もこのネットワークに参加していかなければならない。   B 家族に頼らない支援ネットワークの構築 上記のACTや住まいに関するネットワークとも重なるが,さらに精神障がい者の日常生活を支援する関係者のネットワーク構築が求められる。現在も障がい者が利用できる福祉サービスは存在するが,退院時にまず第一に同居家族の意向を病院が気にする現状に現れているとおり,精神障がい者については特に家族による支援に頼っているのが現状であり,これは保護者制度が廃止された今も変わらない。しかし,これをそのままにしていては家族は疲弊し,本人との関係も悪化するおそれがある。家族の存在は重要であり,本人も家族も希望する限りその関係性は保つべきであるが,基本的には日常生活に必要な支援については,家族がいなくとも対応できるよう十分な制度を設計すべきである。 具体的には,介護支援専門員のように,障がい者在宅生活支援サービスのケアマネジメントの中心となる人を設け,この者を中心にサービス事業者等の支援者でネットワークを構築Fし,本人の意思を全員が(ケアマネジャーだけではない)確認し尊重していくことのできる関係性を作るべきである。現行法上の成年後見人や保佐人等のような形で弁護士が関わることも当然あり得るところである。精神症状には変動があり,24時間対応も求められるが,その点も十分対応できるよう人的制度的な設計が望まれる。 おわりに 日弁連の高齢者・障害者の権利に関する委員会(2015年6月から「日弁連高齢者・障害者権利支援センター」)は,2005年,2009年に成年後見制度についての改善提言を出していました。制度発足10年を機に一般財団法人民事法務協会に設けられた研究会にも委員を派遣し,立法改正を要する点を含めて制度の課題等を検討しました。2011年3月には「最高裁判所提案『後見制度支援信託』に関する意見書」を発表し,国連障害者権利条約を踏まえて,「早急に協議・検討を行い,本人のためのより良い成年後見制度と意思決定を支援するための制度作りに全力を尽くす」ことを明記しました。2012年からさらに成年後見制度の問題点を検討し,もはや運用改善ではなく法律改正が必要であると認識し,国連障害者権利条約との関係において,2013年4月には委員会として「意思決定支援法構想」があがっていたところ,同年12月に日本も障害者権利条約に批准することが閣議決定されたことで,成年後見制度を同条約の趣旨を踏まえた「意思決定支援法」に抜本的に改革する必要があると考え,そのための研究を進めました。 日弁連では,2014年10月の第57回人権擁護大会で障害者権利条約を取り上げ,「精神上の障害による判断能力の低下に対する行為能力制限について,現行の画一的かつ包括的な制限を,個々人に応じた必要最小限の制限に改めるべきである。」との内容が宣言に盛り込まれ,シンポジウムでも条約第12条の重要性が指摘されました。そこで,既に意思決定支援について研究を重ねている当事者団体や関係団体から日弁連が意思決定支援について検討を深め意見を出すことが期待されている状況に応えるため,同条約の中でも最も重要とされる「第12条 法律の前に等しく認められる権利」を単独で取り上げ「意思決定支援法構想」を提案すべきであると考え,委員会として第58回人権擁護大会に立候補し,採用されたのです。 そして高齢者・障害者の権利に関する委員会だけでなく関係委員会からも委員が選出され当実行委員会が組織されました。 しかし,実行委員会で議論を進める中で,意思決定支援の概念が統一されていないこと,意思決定支援ということに対する保護的観点からの批判が根強いことなどの問題点も明確化しました。さらに,一般の弁護士の中には障害者権利条約を十分に理解せず成年後見制度を改正する必要性を感じていない者も少なくないことも明らかになりました。既に当事者団体等からは意思決定支援の重要性や成年後見制度が条約違反であるという意見が出されており,政府機関も意思決定支援についての検討を始めている状況にあり,日弁連として明確な指針を示すことに大きな期待が寄せられているはずなのです。 当実行委員会では,両論があることを踏まえて,条約の趣旨に則った一つの提案として本報告書を取りまとめました。 ここでの基本は,「障害のある人をそれだけで区別しない」というものです。 本報告書はあくまで当実行委員会の見解であり,必ずしも日弁連の意見となるものではありませんが,障害がある人の自己決定権が確立される社会に向かうスタートになれば幸甚です。 2015年10月1日 第58回人権擁護大会 シンポジウム第2分科会実行委員会 ★ここから 巻末資料     目 次 資料1 障害者の権利に関する条約(政府公定訳)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・236 資料2 障害者権利委員会一般的意見第1号・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・254 資料3−1 成年後見業務における本人の意思の尊重に関する実態調査アンケート調査用紙・・・・・267 資料3−2 成年後見業務における本人の意思の尊重に関する実態調査アンケート集計表・・・・・・・273 資料3−3 成年後見業務における本人の意思の尊重に関する実態調査アンケート集計グラフ・・・287 資料1 障害者の権利に関する条約(政府公定訳) 前文  この条約の締約国は、 (a)国際連合憲章において宣明された原則が、人類社会の全ての構成員の固有の尊厳及び価値並びに平等のかつ奪い得ない権利が世界における自由、正義及び平和の基礎を成すものであると認めていることを想起し、 (b)国際連合が、世界人権宣言及び人権に関する国際規約において、全ての人はいかなる差別もなしに同宣言及びこれらの規約に掲げる全ての権利及び自由を享有することができることを宣明し、及び合意したことを認め、 (c)全ての人権及び基本的自由が普遍的であり、不可分のものであり、相互に依存し、かつ、相互に関連を有すること並びに障害者が全ての人権及び基本的自由を差別なしに完全に享有することを保障することが必要であることを再確認し、 (d)経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、市民的及び政治的権利に関する国際規約、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約、女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約、拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約、児童の権利に関する条約及び全ての移住労働者及びその家族の構成員の権利の保護に関する国際条約を想起し、 (e)障害が発展する概念であることを認め、また、障害が、機能障害を有する者とこれらの者に対する態度及び環境による障壁との間の相互作用であって、これらの者が他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものによって生ずることを認め、 (f)障害者に関する世界行動計画及び障害者の機会均等化に関する標準規則に定める原則及び政策上の指針が、障害者の機会均等を更に促進するための国内的、地域的及び国際的な政策、計画及び行動の促進、作成及び評価に影響を及ぼす上で重要であることを認め、 (g)持続可能な開発に関連する戦略の不可分の一部として障害に関する問題を主流に組み入れることが重要であることを強調し、 (h)また、いかなる者に対する障害に基づく差別も、人間の固有の尊厳及び価値を侵害するものであることを認め、 (i)さらに、障害者の多様性を認め、 (j)全ての障害者(より多くの支援を必要とする障害者を含む。)の人権を促進し、及び保護することが必要であることを認め、 (k)これらの種々の文書及び約束にもかかわらず、障害者が、世界の全ての地域において、社会の平等な構成員としての参加を妨げる障壁及び人権侵害に依然として直面していることを憂慮し、 (l)あらゆる国(特に開発途上国)における障害者の生活条件を改善するための国際協力が重要であることを認め、 (m)障害者が地域社会における全般的な福祉及び多様性に対して既に貴重な貢献をしており、又は貴重な貢献をし得ることを認め、また、障害者による人権及び基本的自由の完全な享有並びに完全な参加を促進することにより、その帰属意識が高められること並びに社会の人的、社会的及び経済的開発並びに貧困の撲滅に大きな前進がもたらされることを認め、 (n)障害者にとって、個人の自律及び自立(自ら選択する自由を含む。)が重要であることを認め、 (o)障害者が、政策及び計画(障害者に直接関連する政策及び計画を含む。)に係る意思決定の過程に積極的に関与する機会を有すべきであることを考慮し、 (p)人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的な、種族的な、先住民族としての若しくは社会的な出身、財産、出生、年齢又は他の地位に基づく複合的又は加重的な形態の差別を受けている障害者が直面する困難な状況を憂慮し、 (q)障害のある女子が、家庭の内外で暴力、傷害若しくは虐待、放置若しくは怠慢な取扱い、不当な取扱い又は搾取を受ける一層大きな危険にしばしばさらされていることを認め、 (r)障害のある児童が、他の児童との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を完全に享有すべきであることを認め、また、このため、児童の権利に関する条約の締約国が負う義務を想起し、 (s)障害者による人権及び基本的自由の完全な享有を促進するためのあらゆる努力に性別の視点を組み込む必要があることを強調し、 (t)障害者の大多数が貧困の状況下で生活している事実を強調し、また、この点に関し、貧困が障害者に及ぼす悪影響に対処することが真に必要であることを認め、 (u)国際連合憲章に定める目的及び原則の十分な尊重並びに人権に関する適用可能な文書の遵守に基づく平和で安全な状況が、特に武力紛争及び外国による占領の期間中における障害者の十分な保護に不可欠であることに留意し、 (v)障害者が全ての人権及び基本的自由を完全に享有することを可能とするに当たっては、物理的、社会的、経済的及び文化的な環境並びに健康及び教育を享受しやすいようにし、並びに情報及び通信を利用しやすいようにすることが重要であることを認め、 (w)個人が、他人に対し及びその属する地域社会に対して義務を負うこと並びに国際人権章典において認められる権利の増進及び擁護のために努力する責任を有することを認識し、 (x)家族が、社会の自然かつ基礎的な単位であること並びに社会及び国家による保護を受ける権利を有することを確信し、また、障害者及びその家族の構成員が、障害者の権利の完全かつ平等な享有に向けて家族が貢献することを可能とするために必要な保護及び支援を受けるべきであることを確信し、 (y)障害者の権利及び尊厳を促進し、及び保護するための包括的かつ総合的な国際条約が、開発途上国及び先進国において、障害者の社会的に著しく不利な立場を是正することに重要な貢献を行うこと並びに障害者が市民的、政治的、経済的、社会的及び文化的分野に均等な機会により参加することを促進することを確信して、 次のとおり協定した。 第1条 目的  この条約は、全ての障害者によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し、及び確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進することを目的とする。  障害者には、長期的な身体的、精神的、知的又は感覚的な機能障害であって、様々な障壁との相互作用により他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げ得るものを有する者を含む。 第2条 定義  この条約の適用上、  「意思疎通」とは、言語、文字の表示、点字、触覚を使った意思疎通、拡大文字、利用しやすいマルチメディア並びに筆記、音声、平易な言葉、朗読その他の補助的及び代替的な意思疎通の形態、手段及び様式(利用しやすい情報通信機器を含む。)をいう。  「言語」とは、音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいう。  「障害に基づく差別」とは、障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のあらゆる分野において、他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は妨げる目的又は効果を有するものをいう。障害に基づく差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む。  「合理的配慮」とは、障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。  「ユニバーサルデザイン」とは、調整又は特別な設計を必要とすることなく、最大限可能な範囲で全ての人が使用することのできる製品、環境、計画及びサービスの設計をいう。ユニバーサルデザインは、特定の障害者の集団のための補装具が必要な場合には、これを排除するものではない。 第3条 一般原則  この条約の原則は、次のとおりとする。 (a)固有の尊厳、個人の自律(自ら選択する自由を含む。)及び個人の自立の尊重 (b)無差別 (c)社会への完全かつ効果的な参加及び包容 (d)差異の尊重並びに人間の多様性の一部及び人類の一員としての障害者の受入れ (e)機会の均等 (f)施設及びサービス等の利用の容易さ (g)男女の平等 (h)障害のある児童の発達しつつある能力の尊重及び障害のある児童がその同一性を保持する権利の尊重 第4条 一般的義務 1 締約国は、障害に基づくいかなる差別もなしに、全ての障害者のあらゆる人権及び基本的自由を完全に実現することを確保し、及び促進することを約束する。このため、締約国は、次のことを約束する。 (a)この条約において認められる権利の実現のため、全ての適当な立法措置、行政措置その他の措置をとること。 (b)障害者に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し、又は廃止するための全ての適当な措置(立法を含む。)をとること。 (c)全ての政策及び計画において障害者の人権の保護及び促進を考慮に入れること。 (d)この条約と両立しないいかなる行為又は慣行も差し控えること。また、公の当局及び機関がこの条約に従って行動することを確保すること。 (e)いかなる個人、団体又は民間企業による障害に基づく差別も撤廃するための全ての適当な措置をとること。 (f)第2条に規定するユニバーサルデザインの製品、サービス、設備及び施設であって、障害者に特有のニーズを満たすために必要な調整が可能な限り最小限であり、かつ、当該ニーズを満たすために必要な費用が最小限であるべきものについての研究及び開発を実施し、又は促進すること。また、当該ユニバーサルデザインの製品、サービス、設備及び施設の利用可能性及び使用を促進すること。さらに、基準及び指針を作成するに当たっては、ユニバーサルデザインが当該基準及び指針に含まれることを促進すること。 (g)障害者に適した新たな機器(情報通信機器、移動補助具、補装具及び支援機器を含む。)についての研究及び開発を実施し、又は促進し、並びに当該新たな機器の利用可能性及び使用を促進すること。この場合において、締約国は、負担しやすい費用の機器を優先させる。 (h)移動補助具、補装具及び支援機器(新たな機器を含む。)並びに他の形態の援助、支援サービス及び施設に関する情報であって、障害者にとって利用しやすいものを提供すること。 (i)この条約において認められる権利によって保障される支援及びサービスをより良く提供するため、障害者と共に行動する専門家及び職員に対する当該権利に関する研修を促進すること。 2 各締約国は、経済的、社会的及び文化的権利に関しては、これらの権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いることにより、また、必要な場合には国際協力の枠内で、措置をとることを約束する。ただし、この条約に定める義務であって、国際法に従って直ちに適用されるものに影響を及ぼすものではない。 3 締約国は、この条約を実施するための法令及び政策の作成及び実施において、並びに障害者に関する問題についての他の意思決定過程において、障害者(障害のある児童を含む。以下この3において同じ。)を代表する団体を通じ、障害者と緊密に協議し、及び障害者を積極的に関与させる。 4 この条約のいかなる規定も、締約国の法律又は締約国について効力を有する国際法に含まれる規定であって障害者の権利の実現に一層貢献するものに影響を及ぼすものではない。この条約のいずれかの締約国において法律、条約、規則又は慣習によって認められ、又は存する人権及び基本的自由については、この条約がそれらの権利若しくは自由を認めていないこと又はその認める範囲がより狭いことを理由として、それらの権利及び自由を制限し、又は侵してはならない。 5 この条約は、いかなる制限又は例外もなしに、連邦国家の全ての地域について適用する。 第5条 平等及び無差別 1 締約国は、全ての者が、法律の前に又は法律に基づいて平等であり、並びにいかなる差別もなしに法律による平等の保護及び利益を受ける権利を有することを認める。 2 締約国は、障害に基づくあらゆる差別を禁止するものとし、いかなる理由による差別に対しても平等かつ効果的な法的保護を障害者に保障する。 3 締約国は、平等を促進し、及び差別を撤廃することを目的として、合理的配慮が提供されることを確保するための全ての適当な措置をとる。 4 障害者の事実上の平等を促進し、又は達成するために必要な特別の措置は、この条約に規定する差別と解してはならない。 第6条 障害のある女子 1 締約国は、障害のある女子が複合的な差別を受けていることを認識するものとし、この点に関し、障害のある女子が全ての人権及び基本的自由を完全かつ平等に享有することを確保するための措置をとる。 2 締約国は、女子に対してこの条約に定める人権及び基本的自由を行使し、及び享有することを保障することを目的として、女子の完全な能力開発、向上及び自律的な力の育成を確保するための全ての適当な措置をとる。 第7条 障害のある児童 1 締約国は、障害のある児童が他の児童との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を完全に享有することを確保するための全ての必要な措置をとる。 2 障害のある児童に関する全ての措置をとるに当たっては、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。 3 締約国は、障害のある児童が、自己に影響を及ぼす全ての事項について自由に自己の意見を表明する権利並びにこの権利を実現するための障害及び年齢に適した支援を提供される権利を有することを確保する。この場合において、障害のある児童の意見は、他の児童との平等を基礎として、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。 第8条 意識の向上 1 締約国は、次のことのための即時の、効果的なかつ適当な措置をとることを約束する。 (a)障害者に関する社会全体(各家庭を含む。)の意識を向上させ、並びに障害者の権利及び尊厳に対する尊重を育成すること。 (b)あらゆる活動分野における障害者に関する定型化された観念、偏見及び有害な慣行(性及び年齢に基づくものを含む。)と戦うこと。 (c)障害者の能力及び貢献に関する意識を向上させること。 2 このため、1の措置には、次のことを含む。 (a)次のことのための効果的な公衆の意識の啓発活動を開始し、及び維持すること。 (i)障害者の権利に対する理解を育てること。 (ii)障害者に対する肯定的認識及び一層の社会の啓発を促進すること。 (iii)障害者の技能、長所及び能力並びに職場及び労働市場に対する障害者の貢献についての認識を促進すること。 (b)教育制度の全ての段階(幼年期からの全ての児童に対する教育制度を含む。)において、障害者の権利を尊重する態度を育成すること。 (c)全ての報道機関が、この条約の目的に適合するように障害者を描写するよう奨励すること。 (d)障害者及びその権利に関する啓発のための研修計画を促進すること。 第9条 施設及びサービス等の利用の容易さ 1 締約国は、障害者が自立して生活し、及び生活のあらゆる側面に完全に参加することを可能にすることを目的として、障害者が、他の者との平等を基礎として、都市及び農村の双方において、物理的環境、輸送機関、情報通信(情報通信機器及び情報通信システムを含む。)並びに公衆に開放され、又は提供される他の施設及びサービスを利用する機会を有することを確保するための適当な措置をとる。この措置は、施設及びサービス等の利用の容易さに対する妨げ及び障壁を特定し、及び撤廃することを含むものとし、特に次の事項について適用する。 (a)建物、道路、輸送機関その他の屋内及び屋外の施設(学校、住居、医療施設及び職場を含む。) (b)情報、通信その他のサービス(電子サービス及び緊急事態に係るサービスを含む。) 2 締約国は、また、次のことのための適当な措置をとる。 (a)公衆に開放され、又は提供される施設及びサービスの利用の容易さに関する最低基準及び指針を作成し、及び公表し、並びに当該最低基準及び指針の実施を監視すること。 (b)公衆に開放され、又は提供される施設及びサービスを提供する民間の団体が、当該施設及びサービスの障害者にとっての利用の容易さについてあらゆる側面を考慮することを確保すること。 (c)施設及びサービス等の利用の容易さに関して障害者が直面する問題についての研修を関係者に提供すること。 (d)公衆に開放される建物その他の施設において、点字の表示及び読みやすく、かつ、理解しやすい形式の表示を提供すること。 (e)公衆に開放される建物その他の施設の利用の容易さを促進するため、人又は動物による支援及び仲介する者(案内者、朗読者及び専門の手話通訳を含む。)を提供すること。 (f)障害者が情報を利用する機会を有することを確保するため、障害者に対する他の適当な形態の援助及び支援を促進すること。 (g)障害者が新たな情報通信機器及び情報通信システム(インターネットを含む。)を利用する機会を有することを促進すること。 (h)情報通信機器及び情報通信システムを最小限の費用で利用しやすいものとするため、早い段階で、利用しやすい情報通信機器及び情報通信システムの設計、開発、生産及び流通を促進すること。 第10条 生命に対する権利  締約国は、全ての人間が生命に対する固有の権利を有することを再確認するものとし、障害者が他の者との平等を基礎としてその権利を効果的に享有することを確保するための全ての必要な措置をとる。 第11条 危険な状況及び人道上の緊急事態  締約国は、国際法(国際人道法及び国際人権法を含む。)に基づく自国の義務に従い、危険な状況(武力紛争、人道上の緊急事態及び自然災害の発生を含む。)において障害者の保護及び安全を確保するための全ての必要な措置をとる。 第12条 法律の前にひとしく認められる権利 1 締約国は、障害者が全ての場所において法律の前に人として認められる権利を有することを再確認する。 2 締約国は、障害者が生活のあらゆる側面において他の者との平等を基礎として法的能力を享有することを認める。 3 締約国は、障害者がその法的能力の行使に当たって必要とする支援を利用する機会を提供するための適当な措置をとる。 4 締約国は、法的能力の行使に関連する全ての措置において、濫用を防止するための適当かつ効果的な保障を国際人権法に従って定めることを確保する。当該保障は、法的能力の行使に関連する措置が、障害者の権利、意思及び選好を尊重すること、利益相反を生じさせず、及び不当な影響を及ぼさないこと、障害者の状況に応じ、かつ、適合すること、可能な限り短い期間に適用されること並びに権限のある、独立の、かつ、公平な当局又は司法機関による定期的な審査の対象となることを確保するものとする。当該保障は、当該措置が障害者の権利及び利益に及ぼす影響の程度に応じたものとする。 5 締約国は、この条の規定に従うことを条件として、障害者が財産を所有し、又は相続し、自己の会計を管理し、及び銀行貸付け、抵当その他の形態の金融上の信用を利用する均等な機会を有することについての平等の権利を確保するための全ての適当かつ効果的な措置をとるものとし、障害者がその財産を恣意的に奪われないことを確保する。 第13条 司法手続の利用の機会 1 締約国は、障害者が全ての法的手続(捜査段階その他予備的な段階を含む。)において直接及び間接の参加者(証人を含む。)として効果的な役割を果たすことを容易にするため、手続上の配慮及び年齢に適した配慮が提供されること等により、障害者が他の者との平等を基礎として司法手続を利用する効果的な機会を有することを確保する。 2 締約国は、障害者が司法手続を利用する効果的な機会を有することを確保することに役立てるため、司法に係る分野に携わる者(警察官及び刑務官を含む。)に対する適当な研修を促進する。 第14条 身体の自由及び安全 1 締約国は、障害者に対し、他の者との平等を基礎として、次のことを確保する。 (a)身体の自由及び安全についての権利を享有すること。 (b)不法に又は恣意的に自由を奪われないこと、いかなる自由の?奪も法律に従って行われること及びいかなる場合においても自由の?奪が障害の存在によって正当化されないこと。 2 締約国は、障害者がいずれの手続を通じて自由を奪われた場合であっても、当該障害者が、他の者との平等を基礎として国際人権法による保障を受ける権利を有すること並びにこの条約の目的及び原則に従って取り扱われること(合理的配慮の提供によるものを含む。)を確保する。 第15条 拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰からの自由 1 いかなる者も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない。特に、いかなる者も、その自由な同意なしに医学的又は科学的実験を受けない。 2 締約国は、障害者が、他の者との平等を基礎として、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けることがないようにするため、全ての効果的な立法上、行政上、司法上その他の措置をとる。 第16条 搾取、暴力及び虐待からの自由 1 締約国は、家庭の内外におけるあらゆる形態の搾取、暴力及び虐待(性別に基づくものを含む。)から障害者を保護するための全ての適当な立法上、行政上、社会上、教育上その他の措置をとる。 2 また、締約国は、特に、障害者並びにその家族及び介護者に対する適当な形態の性別及び年齢に配慮した援助及び支援(搾取、暴力及び虐待の事案を防止し、認識し、及び報告する方法に関する情報及び教育を提供することによるものを含む。)を確保することにより、あらゆる形態の搾取、暴力及び虐待を防止するための全ての適当な措置をとる。締約国は、保護事業が年齢、性別及び障害に配慮したものであることを確保する。 3 締約国は、あらゆる形態の搾取、暴力及び虐待の発生を防止するため、障害者に役立つことを意図した全ての施設及び計画が独立した当局により効果的に監視されることを確保する。 4 締約国は、あらゆる形態の搾取、暴力又は虐待の被害者となる障害者の身体的、認知的及び心理的な回復、リハビリテーション並びに社会復帰を促進するための全ての適当な措置(保護事業の提供によるものを含む。)をとる。このような回復及び復帰は、障害者の健康、福祉、自尊心、尊厳及び自律を育成する環境において行われるものとし、性別及び年齢に応じたニーズを考慮に入れる。 5 締約国は、障害者に対する搾取、暴力及び虐待の事案が特定され、捜査され、及び適当な場合には訴追されることを確保するための効果的な法令及び政策(女子及び児童に重点を置いた法令及び政策を含む。)を策定する。 第17条 個人をそのままの状態で保護すること  全ての障害者は、他の者との平等を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する。 第18条 移動の自由及び国籍についての権利 1 締約国は、障害者に対して次のことを確保すること等により、障害者が他の者との平等を基礎として移動の自由、居住の自由及び国籍についての権利を有することを認める。 (a)国籍を取得し、及び変更する権利を有すること並びにその国籍を恣意的に又は障害に基づいて奪われないこと。 (b)国籍に係る文書若しくは身元に係る他の文書を入手し、所有し、及び利用すること又は移動の自由についての権利の行使を容易にするために必要とされる関連手続(例えば、出入国の手続)を利用することを、障害に基づいて奪われないこと。 (c)いずれの国(自国を含む。)からも自由に離れることができること。 (d)自国に戻る権利を恣意的に又は障害に基づいて奪われないこと。 2 障害のある児童は、出生の後直ちに登録される。障害のある児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有するものとし、また、できる限りその父母を知り、かつ、その父母によって養育される権利を有する。 第19条 自立した生活及び地域社会への包容  この条約の締約国は、全ての障害者が他の者と平等の選択の機会をもって地域社会で生活する平等の権利を有することを認めるものとし、障害者が、この権利を完全に享受し、並びに地域社会に完全に包容され、及び参加することを容易にするための効果的かつ適当な措置をとる。この措置には、次のことを確保することによるものを含む。 (a)障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと。 (b)地域社会における生活及び地域社会への包容を支援し、並びに地域社会からの孤立及び隔離を防止するために必要な在宅サービス、居住サービスその他の地域社会支援サービス(個別の支援を含む。)を障害者が利用する機会を有すること。 (c)一般住民向けの地域社会サービス及び施設が、障害者にとって他の者との平等を基礎として利用可能であり、かつ、障害者のニーズに対応していること。 第20条 個人の移動を容易にすること  締約国は、障害者自身ができる限り自立して移動することを容易にすることを確保するための効果的な措置をとる。この措置には、次のことによるものを含む。 (a)障害者自身が、自ら選択する方法で、自ら選択する時に、かつ、負担しやすい費用で移動することを容易にすること。 (b)障害者が質の高い移動補助具、補装具、支援機器、人又は動物による支援及び仲介する者を利用する機会を得やすくすること(これらを負担しやすい費用で利用可能なものとすることを含む。)。 (c)障害者及び障害者と共に行動する専門職員に対し、移動のための技能に関する研修を提供すること。 (d)移動補助具、補装具及び支援機器を生産する事業体に対し、障害者の移動のあらゆる側面を考慮するよう奨励すること。 第21条 表現及び意見の自由並びに情報の利用の機会  締約国は、障害者が、第2条に定めるあらゆる形態の意思疎通であって自ら選択するものにより、表現及び意見の自由(他の者との平等を基礎として情報及び考えを求め、受け、及び伝える自由を含む。)についての権利を行使することができることを確保するための全ての適当な措置をとる。この措置には、次のことによるものを含む。 (a)障害者に対し、様々な種類の障害に相応した利用しやすい様式及び機器により、適時に、かつ、追加の費用を伴わず、一般公衆向けの情報を提供すること。 (b)公的な活動において、手話、点字、補助的及び代替的な意思疎通並びに障害者が自ら選択する他の全ての利用しやすい意思疎通の手段、形態及び様式を用いることを受け入れ、及び容易にすること。 (c)一般公衆に対してサービス(インターネットによるものを含む。)を提供する民間の団体が情報及びサービスを障害者にとって利用しやすい又は使用可能な様式で提供するよう要請すること。 (d)マスメディア(インターネットを通じて情報を提供する者を含む。)がそのサービスを障害者にとって利用しやすいものとするよう奨励すること。 (e)手話の使用を認め、及び促進すること。 第22条 プライバシーの尊重 1 いかなる障害者も、居住地又は生活施設のいかんを問わず、そのプライバシー、家族、住居又は通信その他の形態の意思疎通に対して恣意的に又は不法に干渉されず、また、名誉及び信用を不法に攻撃されない。障害者は、このような干渉又は攻撃に対する法律の保護を受ける権利を有する。 2 締約国は、他の者との平等を基礎として、障害者の個人、健康及びリハビリテーションに関する情報に係るプライバシーを保護する。 第23条 家庭及び家族の尊重 1 締約国は、他の者との平等を基礎として、婚姻、家族、親子関係及び個人的な関係に係る全ての事項に関し、障害者に対する差別を撤廃するための効果的かつ適当な措置をとる。この措置は、次のことを確保することを目的とする。 (a)婚姻をすることができる年齢の全ての障害者が、両当事者の自由かつ完全な合意に基づいて婚姻をし、かつ、家族を形成する権利を認められること。 (b)障害者が子の数及び出産の間隔を自由にかつ責任をもって決定する権利を認められ、また、障害者が生殖及び家族計画について年齢に適した情報及び教育を享受する権利を認められること。さらに、障害者がこれらの権利を行使することを可能とするために必要な手段を提供されること。 (c)障害者(児童を含む。)が、他の者との平等を基礎として生殖能力を保持すること。 2 締約国は、子の後見、養子縁組又はこれらに類する制度が国内法令に存在する場合には、それらの制度に係る障害者の権利及び責任を確保する。あらゆる場合において、子の最善の利益は至上である。締約国は、障害者が子の養育についての責任を遂行するに当たり、当該障害者に対して適当な援助を与える。 3 締約国は、障害のある児童が家庭生活について平等の権利を有することを確保する。締約国は、この権利を実現し、並びに障害のある児童の隠匿、遺棄、放置及び隔離を防止するため、障害のある児童及びその家族に対し、包括的な情報、サービス及び支援を早期に提供することを約束する。 4 締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。ただし、権限のある当局が司法の審査に従うことを条件として適用のある法律及び手続に従いその分離が児童の最善の利益のために必要であると決定する場合は、この限りでない。いかなる場合にも、児童は、自己の障害又は父母の一方若しくは双方の障害に基づいて父母から分離されない。 5 締約国は、近親の家族が障害のある児童を監護することができない場合には、一層広い範囲の家族の中で代替的な監護を提供し、及びこれが不可能なときは、地域社会の中で家庭的な環境により代替的な監護を提供するようあらゆる努力を払う。 第24条 教育 1 締約国は、教育についての障害者の権利を認める。締約国は、この権利を差別なしに、かつ、機会の均等を基礎として実現するため、障害者を包容するあらゆる段階の教育制度及び生涯学習を確保する。当該教育制度及び生涯学習は、次のことを目的とする。 (a)人間の潜在能力並びに尊厳及び自己の価値についての意識を十分に発達させ、並びに人権、基本的自由及び人間の多様性の尊重を強化すること。 (b)障害者が、その人格、才能及び創造力並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること。 (c)障害者が自由な社会に効果的に参加することを可能とすること。 2 締約国は、1の権利の実現に当たり、次のことを確保する。 (a)障害者が障害に基づいて一般的な教育制度から排除されないこと及び障害のある児童が障害に基づいて無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教育から排除されないこと。 (b)障害者が、他の者との平等を基礎として、自己の生活する地域社会において、障害者を包容し、質が高く、かつ、無償の初等教育を享受することができること及び中等教育を享受することができること。 (c)個人に必要とされる合理的配慮が提供されること。 (d)障害者が、その効果的な教育を容易にするために必要な支援を一般的な教育制度の下で受けること。 (e)学問的及び社会的な発達を最大にする環境において、完全な包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置がとられること。 3 締約国は、障害者が教育に完全かつ平等に参加し、及び地域社会の構成員として完全かつ平等に参加することを容易にするため、障害者が生活する上での技能及び社会的な発達のための技能を習得することを可能とする。このため、締約国は、次のことを含む適当な措置をとる。 (a)点字、代替的な文字、意思疎通の補助的及び代替的な形態、手段及び様式並びに定位及び移動のための技能の習得並びに障害者相互による支援及び助言を容易にすること。 (b)手話の習得及び聾社会の言語的な同一性の促進を容易にすること。 (c)盲人、聾者又は盲聾者(特に盲人、聾者又は盲聾者である児童)の教育が、その個人にとって最も適当な言語並びに意思疎通の形態及び手段で、かつ、学問的及び社会的な発達を最大にする環境において行われることを確保すること。 4 締約国は、1の権利の実現の確保を助長することを目的として、手話又は点字について能力を有する教員(障害のある教員を含む。)を雇用し、並びに教育に従事する専門家及び職員(教育のいずれの段階において従事するかを問わない。)に対する研修を行うための適当な措置をとる。この研修には、障害についての意識の向上を組み入れ、また、適当な意思疎通の補助的及び代替的な形態、手段及び様式の使用並びに障害者を支援するための教育技法及び教材の使用を組み入れるものとする。 5 締約国は、障害者が、差別なしに、かつ、他の者との平等を基礎として、一般的な高等教育、職業訓練、成人教育及び生涯学習を享受することができることを確保する。このため、締約国は、合理的配慮が障害者に提供されることを確保する。 第25条 健康  締約国は、障害者が障害に基づく差別なしに到達可能な最高水準の健康を享受する権利を有することを認める。締約国は、障害者が性別に配慮した保健サービス(保健に関連するリハビリテーションを含む。)を利用する機会を有することを確保するための全ての適当な措置をとる。締約国は、特に、次のことを行う。 (a)障害者に対して他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準の無償の又は負担しやすい費用の保健及び保健計画(性及び生殖に係る健康並びに住民のための公衆衛生計画の分野のものを含む。)を提供すること。 (b)障害者が特にその障害のために必要とする保健サービス(早期発見及び適当な場合には早期関与並びに特に児童及び高齢者の新たな障害を最小限にし、及び防止するためのサービスを含む。)を提供すること。 (c)これらの保健サービスを、障害者自身が属する地域社会(農村を含む。)の可能な限り近くにおいて提供すること。 (d)保健に従事する者に対し、特に、研修を通じて及び公私の保健に関する倫理基準を広く知らせることによって障害者の人権、尊厳、自律及びニーズに関する意識を高めることにより、他の者と同一の質の医療(例えば、事情を知らされた上での自由な同意を基礎とした医療)を障害者に提供するよう要請すること。 (e)健康保険及び国内法により認められている場合には生命保険の提供に当たり、公正かつ妥当な方法で行い、及び障害者に対する差別を禁止すること。 (f)保健若しくは保健サービス又は食糧及び飲料の提供に関し、障害に基づく差別的な拒否を防止すること。 第26条 ハビリテーション(適応のための技能の習得)及びリハビリテーション 1 締約国は、障害者が、最大限の自立並びに十分な身体的、精神的、社会的及び職業的な能力を達成し、及び維持し、並びに生活のあらゆる側面への完全な包容及び参加を達成し、及び維持することを可能とするための効果的かつ適当な措置(障害者相互による支援を通じたものを含む。)をとる。このため、締約国は、特に、保健、雇用、教育及び社会に係るサービスの分野において、ハビリテーション及びリハビリテーションについての包括的なサービス及びプログラムを企画し、強化し、及び拡張する。この場合において、これらのサービス及びプログラムは、次のようなものとする。 (a)可能な限り初期の段階において開始し、並びに個人のニーズ及び長所に関する学際的な評価を基礎とするものであること。 (b)地域社会及び社会のあらゆる側面への参加及び包容を支援し、自発的なものであり、並びに障害者自身が属する地域社会(農村を含む。)の可能な限り近くにおいて利用可能なものであること。 2 締約国は、ハビリテーション及びリハビリテーションのサービスに従事する専門家及び職員に対する初期研修及び継続的な研修の充実を促進する。 3 締約国は、障害者のために設計された補装具及び支援機器であって、ハビリテーション及びリハビリテーションに関連するものの利用可能性、知識及び使用を促進する。 第27条 労働及び雇用 1 締約国は、障害者が他の者との平等を基礎として労働についての権利を有することを認める。この権利には、障害者に対して開放され、障害者を包容し、及び障害者にとって利用しやすい労働市場及び労働環境において、障害者が自由に選択し、又は承諾する労働によって生計を立てる機会を有する権利を含む。締約国は、特に次のことのための適当な措置(立法によるものを含む。)をとることにより、労働についての障害者(雇用の過程で障害を有することとなった者を含む。)の権利が実現されることを保障し、及び促進する。 (a)あらゆる形態の雇用に係る全ての事項(募集、採用及び雇用の条件、雇用の継続、昇進並びに安全かつ健康的な作業条件を含む。)に関し、障害に基づく差別を禁止すること。 (b)他の者との平等を基礎として、公正かつ良好な労働条件(均等な機会及び同一価値の労働についての同一報酬を含む。)、安全かつ健康的な作業条件(嫌がらせからの保護を含む。)及び苦情に対する救済についての障害者の権利を保護すること。 (c)障害者が他の者との平等を基礎として労働及び労働組合についての権利を行使することができることを確保すること。 (d)障害者が技術及び職業の指導に関する一般的な計画、職業紹介サービス並びに職業訓練及び継続的な訓練を利用する効果的な機会を有することを可能とすること。 (e)労働市場において障害者の雇用機会の増大を図り、及びその昇進を促進すること並びに職業を求め、これに就き、これを継続し、及びこれに復帰する際の支援を促進すること。 (f)自営活動の機会、起業家精神、協同組合の発展及び自己の事業の開始を促進すること。 (g)公的部門において障害者を雇用すること。 (h)適当な政策及び措置(積極的差別是正措置、奨励措置その他の措置を含めることができる。)を通じて、民間部門における障害者の雇用を促進すること。 (i)職場において合理的配慮が障害者に提供されることを確保すること。 (j)開かれた労働市場において障害者が職業経験を得ることを促進すること。 (k)障害者の職業リハビリテーション、職業の保持及び職場復帰計画を促進すること。 2 締約国は、障害者が、奴隷の状態又は隷属状態に置かれないこと及び他の者との平等を基礎として強制労働から保護されることを確保する。 第28条 相当な生活水準及び社会的な保障 1 締約国は、障害者が、自己及びその家族の相当な生活水準(相当な食糧、衣類及び住居を含む。)についての権利並びに生活条件の不断の改善についての権利を有することを認めるものとし、障害に基づく差別なしにこの権利を実現することを保障し、及び促進するための適当な措置をとる。 2 締約国は、社会的な保障についての障害者の権利及び障害に基づく差別なしにこの権利を享受することについての障害者の権利を認めるものとし、この権利の実現を保障し、及び促進するための適当な措置をとる。この措置には、次のことを確保するための措置を含む。 (a)障害者が清浄な水のサービスを利用する均等な機会を有し、及び障害者が障害に関連するニーズに係る適当なかつ費用の負担しやすいサービス、補装具その他の援助を利用する機会を有すること。 (b)障害者(特に、障害のある女子及び高齢者)が社会的な保障及び貧困削減に関する計画を利用する機会を有すること。 (c)貧困の状況において生活している障害者及びその家族が障害に関連する費用についての国の援助(適当な研修、カウンセリング、財政的援助及び介護者の休息のための1時的な介護を含む。)を利用する機会を有すること。 (d)障害者が公営住宅計画を利用する機会を有すること。 (e)障害者が退職に伴う給付及び計画を利用する均等な機会を有すること。 第29条 政治的及び公的活動への参加  締約国は、障害者に対して政治的権利を保障し、及び他の者との平等を基礎としてこの権利を享受する機会を保障するものとし、次のことを約束する。 (a)特に次のことを行うことにより、障害者が、直接に、又は自由に選んだ代表者を通じて、他の者との平等を基礎として、政治的及び公的活動に効果的かつ完全に参加することができること(障害者が投票し、及び選挙される権利及び機会を含む。)を確保すること。 (i)投票の手続、設備及び資料が適当な及び利用しやすいものであり、並びにその理解及び使用が容易であることを確保すること。 (ii)障害者が、選挙及び国民投票において脅迫を受けることなく秘密投票によって投票し、選挙に立候補し、並びに政府のあらゆる段階において実質的に在職し、及びあらゆる公務を遂行する権利を保護すること。この場合において、適当なときは支援機器及び新たな機器の使用を容易にするものとす る。 (iii)選挙人としての障害者の意思の自由な表明を保障すること。このため、必要な場合には、障害者の要請に応じて、当該障害者により選択される者が投票の際に援助することを認めること。 (b)障害者が、差別なしに、かつ、他の者との平等を基礎として、政治に効果的かつ完全に参加することができる環境を積極的に促進し、及び政治への障害者の参加を奨励すること。政治への参加には、次のことを含む。 (i)国の公的及び政治的活動に関係のある非政府機関及び非政府団体に参加し、並びに政党の活動及び運営に参加すること。 (ii)国際、国内、地域及び地方の各段階において障害者を代表するための障害者の組織を結成し、並びにこれに参加すること。 第30条 文化的な生活、レクリエーション、余暇及びスポーツへの参加 1 締約国は、障害者が他の者との平等を基礎として文化的な生活に参加する権利を認めるものとし、次のことを確保するための全ての適当な措置をとる。 (a)障害者が、利用しやすい様式を通じて、文化的な作品を享受する機会を有すること。 (b)障害者が、利用しやすい様式を通じて、テレビジョン番組、映画、演劇その他の文化的な活動を享受する機会を有すること。 (c)障害者が、文化的な公演又はサービスが行われる場所(例えば、劇場、博物館、映画館、図書館、観光サービス)を利用する機会を有し、並びに自国の文化的に重要な記念物及び場所を享受する機会をできる限り有すること。 2 締約国は、障害者が、自己の利益のためのみでなく、社会を豊かにするためにも、自己の創造的、芸術的及び知的な潜在能力を開発し、及び活用する機会を有することを可能とするための適当な措置をとる。 3 締約国は、国際法に従い、知的財産権を保護する法律が、障害者が文化的な作品を享受する機会を妨げる不当な又は差別的な障壁とならないことを確保するための全ての適当な措置をとる。 4 障害者は、他の者との平等を基礎として、その独自の文化的及び言語的な同一性(手話及び聾文化を含む。)の承認及び支持を受ける権利を有する。 5 締約国は、障害者が他の者との平等を基礎としてレクリエーション、余暇及びスポーツの活動に参加することを可能とすることを目的として、次のことのための適当な措置をとる。 (a)障害者があらゆる水準の一般のスポーツ活動に可能な限り参加することを奨励し、及び促進すること。 (b)障害者が障害に応じたスポーツ及びレクリエーションの活動を組織し、及び発展させ、並びにこれらに参加する機会を有することを確保すること。このため、適当な指導、研修及び資源が他の者との平等を基礎として提供されるよう奨励すること。 (c)障害者がスポーツ、レクリエーション及び観光の場所を利用する機会を有することを確保すること。 (d)障害のある児童が遊び、レクリエーション、余暇及びスポーツの活動(学校制度におけるこれらの活動を含む。)への参加について他の児童と均等な機会を有することを確保すること。 (e)障害者がレクリエーション、観光、余暇及びスポーツの活動の企画に関与する者によるサービスを利用する機会を有することを確保すること。 第31条 統計及び資料の収集 1 締約国は、この条約を実効的なものとするための政策を立案し、及び実施することを可能とするための適当な情報(統計資料及び研究資料を含む。)を収集することを約束する。この情報を収集し、及び保持する過程においては、次のことを満たさなければならない。 (a)障害者の秘密の保持及びプライバシーの尊重を確保するため、法令に定める保障措置(資料の保護に関する法令を含む。)を遵守すること。 (b)人権及び基本的自由を保護するための国際的に受け入れられた規範並びに統計の収集及び利用に関する倫理上の原則を遵守すること。 2 この条の規定に従って収集された情報は、適宜分類されるものとし、この条約に基づく締約国の義務の履行の評価に役立てるために、並びに障害者がその権利を行使する際に直面する障壁を特定し、及び当該障壁に対処するために利用される。 3 締約国は、これらの統計の普及について責任を負うものとし、これらの統計が障害者及び他の者にとって利用しやすいことを確保する。 第32条 国際協力 1 締約国は、この条約の目的及び趣旨を実現するための自国の努力を支援するために国際協力及びその促進が重要であることを認識し、この点に関し、国家間において並びに適当な場合には関連のある国際的及び地域的機関並びに市民社会(特に障害者の組織)と連携して、適当かつ効果的な措置をとる。これらの措置には、特に次のことを含むことができる。 (a)国際協力(国際的な開発計画を含む。)が、障害者を包容し、かつ、障害者にとって利用しやすいものであることを確保すること。 (b)能力の開発(情報、経験、研修計画及び最良の実例の交換及び共有を通じたものを含む。)を容易にし、及び支援すること。 (c)研究における協力を容易にし、並びに科学及び技術に関する知識を利用する機会を得やすくすること。 (d)適当な場合には、技術援助及び経済援助(利用しやすい支援機器を利用する機会を得やすくし、及びこれらの機器の共有を容易にすることによる援助並びに技術移転を通じた援助を含む。)を提供すること。 2 この条の規定は、この条約に基づく義務を履行する各締約国の義務に影響を及ぼすものではない。 第33条 国内における実施及び監視 1 締約国は、自国の制度に従い、この条約の実施に関連する事項を取り扱う一又は2以上の中央連絡先を政府内に指定する。また、締約国は、異なる部門及び段階における関連のある活動を容易にするため、政府内における調整のための仕組みの設置又は指定に十分な考慮を払う。 2 締約国は、自国の法律上及び行政上の制度に従い、この条約の実施を促進し、保護し、及び監視するための枠組み(適当な場合には、一又は2以上の独立した仕組みを含む。)を自国内において維持し、強化し、指定し、又は設置する。締約国は、このような仕組みを指定し、又は設置する場合には、人権の保護及び促進のための国内機構の地位及び役割に関する原則を考慮に入れる。 3 市民社会(特に、障害者及び障害者を代表する団体)は、監視の過程に十分に関与し、かつ、参加する。 第34条 障害者の権利に関する委員会 1 障害者の権利に関する委員会(以下「委員会」という。)を設置する。委員会は、以下に定める任務を遂行する。 2 委員会は、この条約の効力発生の時は12人の専門家で構成する。効力発生の時の締約国に加え更に六十の国がこの条約を批准し、又はこれに加入した後は、委員会の委員の数を6人増加させ、上限である18人とする。 3 委員会の委員は、個人の資格で職務を遂行するものとし、徳望が高く、かつ、この条約が対象とする分野において能力及び経験を認められた者とする。締約国は、委員の候補者を指名するに当たり、第4条3の規定に十分な考慮を払うよう要請される。 4 委員会の委員については、締約国が、委員の配分が地理的に衡平に行われること、異なる文明形態及び主要な法体系が代表されること、男女が衡平に代表されること並びに障害のある専門家が参加することを考慮に入れて選出する。 5 委員会の委員は、締約国会議の会合において、締約国により当該締約国の国民の中から指名された者の名簿の中から秘密投票により選出される。締約国会議の会合は、締約国の3分の2をもって定足数とする。これらの会合においては、出席し、かつ、投票する締約国の代表によって投じられた票の最多数で、かつ、過半数の票を得た者をもって委員会に選出された委員とする。 6 委員会の委員の最初の選挙は、この条約の効力発生の日の後六箇月以内に行う。国際連合事務総長は、委員会の委員の選挙の日の遅くとも四箇月前までに、締約国に対し、自国が指名する者の氏名を二箇月以内に提出するよう書簡で要請する。その後、同事務総長は、指名された者のアルファベット順による名簿(これらの者を指名した締約国名を表示した名簿とする。)を作成し、この条約の締約国に送付する。 7 委員会の委員は、4年の任期で選出される。委員は、1回のみ再選される資格を有する。ただし、最初の選挙において選出された委員のうち6人の委員の任期は、2年で終了するものとし、これらの6人の委員は、最初の選挙の後直ちに、5に規定する会合の議長によりくじ引で選ばれる。 8 委員会の6人の追加的な委員の選挙は、この条の関連規定に従って定期選挙の際に行われる。 9 委員会の委員が死亡し、辞任し、又は他の理由のためにその職務を遂行することができなくなったことを宣言した場合には、当該委員を指名した締約国は、残余の期間その職務を遂行する他の専門家であって、資格を有し、かつ、この条の関連規定に定める条件を満たすものを任命する。 10 委員会は、その手続規則を定める。 11 国際連合事務総長は、委員会がこの条約に定める任務を効果的に遂行するために必要な職員及び便益を提供するものとし、委員会の最初の会合を招集する。 12 この条約に基づいて設置される委員会の委員は、国際連合総会が委員会の任務の重要性を考慮して決定する条件に従い、同総会の承認を得て、国際連合の財源から報酬を受ける。 13 委員会の委員は、国際連合の特権及び免除に関する条約の関連規定に規定する国際連合のための職務を遂行する専門家の便益、特権及び免除を享受する。 第35条 締約国による報告 1 各締約国は、この条約に基づく義務を履行するためにとった措置及びこれらの措置によりもたらされた進歩に関する包括的な報告を、この条約が自国について効力を生じた後2年以内に国際連合事務総長を通じて委員会に提出する。 2 その後、締約国は、少なくとも4年ごとに、更に委員会が要請するときはいつでも、その後の報告を提出する。 3 委員会は、報告の内容について適用される指針を決定する。 4 委員会に対して包括的な最初の報告を提出した締約国は、その後の報告においては、既に提供した情報を繰り返す必要はない。締約国は、委員会に対する報告を作成するに当たり、公開され、かつ、透明性のある過程において作成することを検討し、及び第4条3の規定に十分な考慮を払うよう要請される。 5 報告には、この条約に基づく義務の履行の程度に影響を及ぼす要因及び困難を記載することができる。 第36条 報告の検討 1 委員会は、各報告を検討する。委員会は、当該報告について、適当と認める提案及び一般的な性格を有する勧告を行うものとし、これらの提案及び一般的な性格を有する勧告を関係締約国に送付する。当該関係締約国は、委員会に対し、自国が選択する情報を提供することにより回答することができる。委員会は、この条約の実施に関連する追加の情報を当該関係締約国に要請することができる。 2 いずれかの締約国による報告の提出が著しく遅延している場合には、委員会は、委員会にとって利用可能な信頼し得る情報を基礎として当該締約国におけるこの条約の実施状況を審査することが必要であることについて当該締約国に通報(当該通報には、関連する報告が当該通報の後三箇月以内に行われない場合には審査する旨を含む。)を行うことができる。委員会は、当該締約国がその審査に参加するよう要請する。当該締約国が関連する報告を提出することにより回答する場合には、1の規定を適用する。 3 国際連合事務総長は、1の報告を全ての締約国が利用することができるようにする。 4 締約国は、1の報告を自国において公衆が広く利用することができるようにし、これらの報告に関連する提案及び一般的な性格を有する勧告を利用する機会を得やすくする。 5 委員会は、適当と認める場合には、締約国からの報告に記載されている技術的な助言若しくは援助の要請又はこれらの必要性の記載に対処するため、これらの要請又は必要性の記載に関する委員会の見解及び勧告がある場合には当該見解及び勧告とともに、国際連合の専門機関、基金及び計画その他の権限のある機関に当該報告を送付する。 第37条 締約国と委員会との間の協力 1 各締約国は、委員会と協力するものとし、委員の任務の遂行を支援する。 2 委員会は、締約国との関係において、この条約の実施のための当該締約国の能力を向上させる方法及び手段(国際協力を通じたものを含む。)に十分な考慮を払う。 第38条 委員会と他の機関との関係  この条約の効果的な実施を促進し、及びこの条約が対象とする分野における国際協力を奨励するため、 (a)専門機関その他の国際連合の機関は、その任務の範囲内にある事項に関するこの条約の規定の実施についての検討に際し、代表を出す権利を有する。委員会は、適当と認める場合には、専門機関その他の権限のある機関に対し、これらの機関の任務の範囲内にある事項に関するこの条約の実施について専門家の助言を提供するよう要請することができる。委員会は、専門機関その他の国際連合の機関に対し、これらの機関の任務の範囲内にある事項に関するこの条約の実施について報告を提出するよう要請することができる。 (b)委員会は、その任務を遂行するに当たり、それぞれの報告に係る指針、提案及び一般的な性格を有する勧告の整合性を確保し、並びにその任務の遂行における重複を避けるため、適当な場合には、人権に関する国際条約によって設置された他の関連する組織と協議する。 第39条 委員会の報告  委員会は、その活動につき2年ごとに国際連合総会及び経済社会理事会に報告するものとし、また、締約国から得た報告及び情報の検討に基づく提案及び一般的な性格を有する勧告を行うことができる。これらの提案及び一般的な性格を有する勧告は、締約国から意見がある場合にはその意見とともに、委員会の報告に記載する。 第40条 締約国会議 1 締約国は、この条約の実施に関する事項を検討するため、定期的に締約国会議を開催する。 2 締約国会議は、この条約が効力を生じた後六箇月以内に国際連合事務総長が招集する。その後の締約国会議は、2年ごとに又は締約国会議の決定に基づき同事務総長が招集する。 第41条 寄託者  この条約の寄託者は、国際連合事務総長とする。 第42条 署名  この条約は、2007年3月30日から、ニューヨークにある国際連合本部において、全ての国及び地域的な統合のための機関による署名のために開放しておく。 第43条 拘束されることについての同意  この条約は、署名国によって批准されなければならず、また、署名した地域的な統合のための機関によって正式確認されなければならない。この条約は、これに署名していない国及び地域的な統合のための機関による加入のために開放しておく。 第44条 地域的な統合のための機関 1 「地域的な統合のための機関」とは、特定の地域の主権国家によって構成される機関であって、この条約が規律する事項に関してその構成国から権限の委譲を受けたものをいう。地域的な統合のための機関は、この条約の規律する事項に関するその権限の範囲をこの条約の正式確認書又は加入書において宣言する。その後、当該機関は、その権限の範囲の実質的な変更を寄託者に通報する。 2 この条約において「締約国」についての規定は、地域的な統合のための機関の権限の範囲内で当該機関について適用する。 3 次条1並びに第47条2及び3の規定の適用上、地域的な統合のための機関が寄託する文書は、これを数に加えてはならない。 4 地域的な統合のための機関は、その権限の範囲内の事項について、この条約の締約国であるその構成国の数と同数の票を締約国会議において投ずる権利を行使することができる。当該機関は、その構成国が自国の投票権を行使する場合には、投票権を行使してはならない。その逆の場合も、同様とする。 第45条 効力発生 1 この条約は、20番目の批准書又は加入書が寄託された後30日目の日に効力を生ずる。 2 この条約は、20番目の批准書又は加入書が寄託された後にこれを批准し、若しくは正式確認し、又はこれに加入する国又は地域的な統合のための機関については、その批准書、正式確認書又は加入書の寄託の後30日目の日に効力を生ずる。 第46条 留保 1 この条約の趣旨及び目的と両立しない留保は、認められない。 2 留保は、いつでも撤回することができる。 第47条 改正 1 いずれの締約国も、この条約の改正を提案し、及び改正案を国際連合事務総長に提出することができる。同事務総長は、締約国に対し、改正案を送付するものとし、締約国による改正案の審議及び決定のための締約国の会議の開催についての賛否を通報するよう要請する。その送付の日から四箇月以内に締約国の3分の1以上が会議の開催に賛成する場合には、同事務総長は、国際連合の主催の下に会議を招集する。会議において出席し、かつ、投票する締約国の3分の2以上の多数によって採択された改正案は、同事務総長により、承認のために国際連合総会に送付され、その後受諾のために全ての締約国に送付される。 2 1の規定により採択され、かつ、承認された改正は、当該改正の採択の日における締約国の3分の2以上が受諾書を寄託した後30日目の日に効力を生ずる。その後は、当該改正は、いずれの締約国についても、その受諾書の寄託の後30日目の日に効力を生ずる。改正は、それを受諾した締約国のみを拘束する。 3 締約国会議がコンセンサス方式によって決定する場合には、1の規定により採択され、かつ、承認された改正であって、第34条及び第38条から第40条までの規定にのみ関連するものは、当該改正の採択の日における締約国の3分の2以上が受諾書を寄託した後30日目の日に全ての締約国について効力を生ずる。 第48条 廃棄  締約国は、国際連合事務総長に対して書面による通告を行うことにより、この条約を廃棄することができる。廃棄は、同事務総長がその通告を受領した日の後1年で効力を生ずる。 第49条 利用しやすい様式  この条約の本文は、利用しやすい様式で提供される。 第50条 正文  この条約は、アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語及びスペイン語をひとしく正文とする。  以上の証拠として、下名の全権委員は、各自の政府から正当に委任を受けてこの条約に署名した。 <資料URL> 権利条約の英語正文のURL: http://www.ohchr.org/EN/HRBodies/CRPD/Pages/ConventionRightsPersonsWithDisabilities.aspx 資料2 障害者権利委員会一般的意見第1号 障害者権利委員会 第11回セッション 2014年3月31日―4月11日 一般的意見第1号(2014年) 第12条:法律の前における平等な承認 2014年4月11日採択、2014年5月19日版 T.序論 1.法律の前における平等は、人権保護の基本的な一般原則であり、他の人権の行使に不可欠である。世界人権宣言と市民的及び政治的権利に関する国際規約では、法律の前における平等の権利を特に保障している。障害者権利条約第12条では、この市民的権利の内容をさらに詳しく説明し、障害のある人が、従来権利を否定されてきた分野に焦点を合わせている。第12条では、障害のある人の権利を新たに付け加えることはせず、障害のある人の法律の前における平等の権利を、他の者との平等を基礎として確保するために、締約国が考慮しなければならない具体的な要素について、説明しているにすぎない。 2.本条文の重要性を考慮し、委員会は、法的能力に関する議論のための対話型フォーラムを進めてきた。専門家、締約国、障害者団体、非政府機関、条約監視団体、国内人権機関及び国際連合機関による第12条の規定に関する極めて有益な意見交換から、委員会は、一般的意見においてさらなる指針を示すことが急務であると考えた。 3.これまで再検討されてきた、さまざまな締約国からの最初の報告に基づき、委員会は、条約第12条の下での締約国の義務の正確な範囲について、一般に誤解があることを認める。実際のところ、人権に基づく障害モデルが、代理人による意思決定のパラダイムから、支援付き意思決定に基づくパラダイムへの移行を意味するということは、これまで一般に理解されてこなかった。この一般的意見の目的は、第12条のさまざまな構成要素に由来する一般的義務を検討することである。 4.この一般的意見は、第3条に概略が述べられている条約の一般原則、すなわち、固有の尊厳、個人の自律(自ら選択する自由を含む。)及び人の自立に対する尊重、非差別、社会への完全かつ効果的な参加及びインクルージョン、差異の尊重、人間の多様性の一環及び人類の一員としての障害のある人の受容、機会の均等、アクセシビリティ、男女の平等、障害のある子どもの発達しつつある能力の尊重、そして、障害のある子どもがそのアイデンティティを保持する権利の尊重を前提とした、第12条の解釈を反映している。 5.世界人権宣言、市民的及び政治的権利に関する国際規約、障害者権利条約は、それぞれ、法律の前における平等な承認の権利は、「すべての場所において」有効であると明記している。つまり、国際人権法の下では、人が法律の前に人として認められる権利を剥奪されること、あるいは、この権利が制限されることは、いかなる状況においても許されない。これは、たとえ公の緊急事態であっても、この権利のいかなる適用除外も許されないと規定している、市民的及び政治的権利に関する国際規約第4条第2項によって強化される。これと同等な、法律の前における平等な承認の権利の適用除外に関する禁止条項は、障害者権利条約には明記されていないが、障害者権利条約の規定は既存の国際法から逸脱するものではないと定めている同条約第4条第4項に基づき、国際規約の規定により、この権利は保護される。 6.法律の前における平等の権利は、また、他の中核となる国際人権条約及び地域人権条約にも反映されている。女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約第15条では、法律の前における女性の平等を保障し、男性との平等を基礎として、契約の締結、財産の管理及び司法制度における権利の行使に関して、女性の法的能力を認めることを義務付けている。人及び人民の権利に関するアフリカ憲章第3条では、法律の前におけるあらゆる人の平等の権利と、法律による平等な保護を享有する権利を規定している。米州人権条約第3条では、法的人格を認められる権利と、誰もが法律の前に人として認められる権利を、正式に定めている。 7.締約国は、障害のある人の法的能力の権利が、他の者との不平等に基づき制限されることのないよう、法律のあらゆる領域を総合的に検討しなければならない。歴史的に見て、障害のある人は、後見人制度や強制治療を認める精神保健法などの代理人による意思決定制度の下で、多くの領域において差別的な方法で、法的能力の権利を否定されてきた。障害のある人が、他の者との平等を基礎として、完全な法的能力を回復することを確保するためには、これらの慣行は廃止されなければならない。 8.条約第12条は、障害のあるすべての人が、完全な法的能力を有することを認めている。歴史を通じて、女性(特に結婚時)や少数民族をはじめとする多くの集団が、偏見を理由にその法的能力を否定されてきた。しかし、障害のある人は、依然として、世界各地の法制度において、最も頻繁にその法的能力を否定されている集団なのである。法律の前における平等な承認の権利とは、法的能力が、すべての人の人間性に基づく固有の普遍的な属性であり、障害のある人にも、他の者との平等を基礎として常に認められなければならないことを意味する。法的能力は、市民的、政治的、経済的、社会的及び文化的権利の行使に欠かせない。それは、障害のある人が自分自身の健康、教育及び仕事に関する基本的な決定を下さなければならないときに、特に重要となる。(障害のある人々の法的能力の否定は、多くの場合、投票する権利、婚姻をし、家族を形成する権利、性と生殖の権利、親の権利、親密な関係と医学的治療に関して同意する権利、自由の権利など、多数の基本的権利の剥奪をもたらしてきた。) 9.身体障害、精神障害、知的障害又は感覚機能障害などの障害のある人は皆、法的能力の否定と、代理人による意思決定による影響を受ける可能性がある。しかし、認知障害や心理社会的障害のある人は、これまでも、また今もなお、代理人による意思決定制度と法的能力の否定による影響を過度に受けている。委員会は、障害のある者としての地位や、(身体機能障害又は感覚機能障害を含む)機能障害の存在が、決して、第12条に規定されている法的能力や権利を否定する理由となってはならないことを再確認する。目的又は効果において第12条を侵害するすべての慣行は、障害のある人が他の者との平等を基礎として完全な法的能力を確実に回復できるように、廃止されなければならない。 10.この一般的意見は、おもに第12条の規範的内容と、新たに発生する締約国の義務に焦点を合わせている。委員会は、今後の総括所見、一般的意見及びその他の公文書と併せて、引き続き、この分野における活動に取り組み、第12条に定められた権利と義務のさらに詳細な説明(guidance)を提供していく。 U.第12条の規範的内容 第12条第1項 11.第12条第1項では、障害のある人が、法律の前に人として認められる権利を有することを再確認している。これは、あらゆる人間が、法的人格を所有する人として尊重されることを保障するものである。これは人の法的能力の承認のための前提条件である。 第12条第2項 12.第12条第2項は、障害のある人が、生活のあらゆる側面において、他の者との平等を基礎として法的能力を享有することを認めている。法的能力には、権利所有者になる能力と、法律の下での行為者になる能力の両方が含まれる。権利所有者になる法的能力により、障害のある人は、その権利を法制度によって完全に保護される資格を得る。法律の下での行為者になる能力により、人は、取引に携わり、法的な関係全般を構築し、修整し、あるいは終結させる権限を伴う主体として認められる。法的主体として認められる権利は、条約第12条第5項で規定されており、そこでは締約国の義務について、「財産の所有又は相続についての、自己の財務管理についての並びに銀行貸付、抵当その他の形態の金融上の信用への平等なアクセスについての障害のある人の平等な権利を確保するためのすべての適切かつ効果的な措置をとる。締約国は、また、障害のある人がその財産を恣意的に奪われないことを確保する」と、概説している。 13.法的能力と意思決定能力とは、異なる概念である。法的能力は、権利と義務を所有し(法的地位)、これらの権利と義務を行使する(法的主体性)能力である。それは社会への有意義な参加のための重要な鍵となる。意思決定能力とは、個人の意思決定スキルを言い、当然、人によって異なり、同じ人でも、環境要因及び社会的要因など、多くの要因によって変化する可能性がある。これまで、世界人権宣言(UDHR)(第6条)、市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)(第16条)及び女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(CEDAW)(第15条)などの法律文書において、意思決定能力と法的能力は明確に区別されてこなかった。現在、障害者権利条約(第12条)は、「精神の異常」とその他の差別的レッテルが、法的能力(法的地位と法的主体性)の否定の合法的な理由にはならないことを明確に謳っている。条約第12条の下では、認識された、あるいは実際の意思決定能力の不足が、法的能力の否定を正当化するものとして利用されてはならない。 14.法的能力は、障害のある人を含むすべての人に与えられる固有の権利である。指摘されたように、これは二つの要素から成る。第一の要素は、権利を有し、法律の前に法的人格として認められる法的地位である。これには、たとえば、出生証明書を得ること、医療扶助を求めること、選挙人名簿に登録することと、パスポートを申請することが含められる。第二の要素は、これらの権利に基づいて行動し、それらの行動を法律で認めてもらう法的主体性である。障害のある人が、しばしば否定され、あるいは制限されるのは、この要素である。たとえば、障害のある人の財産の所有は法律で認められているが、その売買に関する行動は必ずしも尊重されていない。法的能力とは、障害のある人を含むすべての人が、単に人間であるという理由に基づき、法的地位と法的主体性を有することを意味する。それゆえ、法的能力に関するこれらの要素はともに、障害のある人が実現すべき法的能力の権利として認められなければならない。これらは分けることはできないのである。  意思決定能力という概念は、それ自体、極めて議論の余地がある。それは、一般的に示されるような客観的、科学的及び自然発生的な現象ではない。意思決定能力は、意思決定能力の評価において支配的な役割を果たす領域、専門職、慣行がそうであるように、社会的及び政治的文脈に左右される。 15.これまで委員会が審査してきた締約国の報告の大半において、意思決定能力と法的能力の概念は同一視され、多くの場合、認知障害又は心理社会的障害により意思決定スキルが低下していると見なされた者は、結果的に、特定の決定を下す法的能力を排除されている。これは単純に、機能障害という診断に基づいて(状況に基づくアプローチ)、あるいは、否定的な結果をもたらすと考えられる決定を本人が行っている場合(結果に基づくアプローチ)、もしくは、本人の意思決定スキルが不足していると見なされる場合(機能に基づくアプローチ)に決定される。機能に基づくアプローチでは、意思決定能力の評価と、その結果としての法的能力の否定が試みられる。ある決定の性質と結果を理解できるかどうか、及び/又は関連情報を利用したり、比較検討したりできるかどうかによって決まることが多い。機能に基づくこのアプローチは、二つの重要な理由から誤っている。(a)それは障害のある人に対して差別的な方法で適用されている。(b)それは人間の内なる心の動きを正確に評価できるということと、その評価に合格しない場合、法の前における平等な承認の権利という、中核となる人権を否定できるということを前提としている。これらのアプローチのすべてにおいて、障害及び/又は意思決定スキルが、個人の法的能力を否定し、法律の前における人としての地位を下げる合法的な理由と見なされている。第12条は、法的能力に対するそのような差別的な否定を許容するものではなく、むしろ、法的能力の行使における支援の提供を義務付けるものである。 第12条第3項 16.第12条第3項では、障害のある人がその法的能力の行使に当たり必要とする支援にアクセスすることができるようにする義務を、締約国が有すると認めている。締約国は、障害のある人の法的能力を否定することを避けなければならず、むしろ、障害のある人が法的効力のある決定を下せるようになるために必要と考えられる支援へのアクセスを提供しなければならない。 17.法的能力の行使における支援では、障害のある人の権利、意思及び選好を尊重し、決して代理人による意思決定を行うことになってはならない。第12条第3項は、どのような形式の支援を行うべきかについては具体的に定めていない。「支援」とは、さまざまな種類と程度の非公式な支援と公式な支援の両方の取り決めを包含する、広義の言葉である。たとえば、障害のある人は、1人又はそれ以上の信頼のおける支援者を選び、特定の種類の意志決定にかかわる法的能力の行使を援助してもらうことや、ピアサポート、(当事者活動の支援を含む)権利擁護、あるいはコミュニケーション支援など、その他の形態の支援を求めることができる。障害のある人の法的能力の行使における支援には、例えば、銀行及び金融機関などの官民のアクターに対し、障害のある人が銀行口座の開設や、契約の締結、あるいはその他の社会的取引の実行に必要な法的行為を遂行できるように、理解しやすいフォーマットでの提供や専門の手話通訳者の提供を義務付けるなど、ユニバーサルデザインとアクセシビリティに関する措置も含まれる場合がある。また、特に意思と選考を表明するために非言語型コミュニケーション形式を使用している者にとっては、従来にない多様なコミュニケーション方法の開発と承認も支援となり得る。障害のある多くの人にとって、事前計画が可能であるということは、支援の重要な一形態であり、これにより自らの意思と選好を示すことができ、他者に希望を伝えられない状況にある場合は、これに従ってもらうことになる。障害のあるすべての人には、事前計画に参加する権利があり、他の者との平等を基礎として、その機会が与えられなければならない。締約国は、さまざまな形の事前の計画の仕組みの選択肢を、多様な選好に合わせて提供することができるが、すべての選択肢は非差別的でなければならない。事前計画のプロセスを完了することを求められた場合、個別に支援が提供されなければならない。事前の指示が効力を持つようになる(及び効力を失う)時点は、障害当事者によって決定され、指示の本文に記載されなければならず、当事者の意思決定能力が不足しているという評価に基づいて決定されてはならない。 18.提供される支援の種類と程度は、障害のある人の多様性のために、人によって著しく異なる。これは、条約の一般原則の1つとして、「差異の尊重、並びに人間の多様性の一環及び人類の一員としての障害のある人の受容」を定めた第3条(d)と一致している。個人の自律と障害のある人の意思決定能力は、危機的状況下を含め、常に尊重されなければならない。 19.障害のある人の中には、第12条第2項にある、他の者との平等を基礎とした法的能力の権利の承認のみを追求し、第12条第3項に規定されている支援を受ける権利の行使を希望しない者もいる。 第12条第4項 20.第12条第4項は、法的能力の行使を支援するシステムになくてはならない保護措置の概要を説明している。第12条第4項は、第12条の他の部分及び条約全体と併せて理解されなければならない。それは締約国に対し、法的能力行使のための適切かつ効果的な保護措置を創設することを義務付けている。これらの保護措置のおもな目的は、個人の権利、意思及び選好の尊重を確保することでなければならない。これを達成するために、保護措置により、他の者との平等を基礎として、濫用からの保護を提供しなければならない。 21.著しい努力がなされた後も、個人の意思と選好を決定することが実行可能ではない場合、「意思と選好の最善の解釈」が「最善の利益」の決定に取ってかわらなければならない。これにより、第12条第4項に従い、個人の権利、意思及び選好が尊重される。「最善の利益」の原則は、成人に関しては、第12条に基づく保護措置ではない。障害のある人による、他の者との平等を基礎とした法的能力の権利の享有を確保するには、「意思と選好」のパラダイムが「最善の利益」のパラダイムに取ってかわらなければならない。 22.すべての人は「不当な影響」の対象となる危険があるが、意思決定を他者の支援に依存している者の場合、これが悪化する可能性がある。不当な影響は、支援者と被支援者の相互作用の質として、恐怖、敵意、脅威、欺瞞又は改ざんの兆候が見られることを特徴とする。法的能力の行使に関する保護措置には、不当な影響からの保護を含めなければならない。しかし、この保護は、危険を冒し、間違いを犯す権利を含む、個人の権利、意思及び選好を尊重するものでもなければならない。 第12条第5項 23.第12条第5項では、締約国に対し、金融及び経済的問題に関して、障害のある人の権利を他の者との平等を基礎として確保するために、立法上、行政上、司法上及びその他の実践的な措置を含む措置をとることを義務付けている。金融及び財産への障害のある人のアクセスは、障害の医学モデルに基づき、これまで否定されてきた。障害のある人の金融問題にかかわる法的能力を否定するこのようなアプローチは、第12条第3項に従い、法的能力の行使に対する支援に置き換えられなければならない。ジェンダーが、金融と財産の分野(注1)における差別の理由として利用されてはならないように 、障害もこれに利用されてはならない。 V.締約国の義務 24.締約国は、あらゆる種類の障害のあるすべての人の、法律の前における平等な承認の権利を尊重し、保護し、実現する義務を有する。この点に関して、締約国は、障害のある人の、法律の前における平等な承認の権利を剥奪するいかなる行動も避けなければならない。締約国は、障害のある人が法的能力の権利を含む人権を実現し、享有する能力を、非国家主体及び民間人が妨害しないようにするために、行動を起こさなければならない。法的能力の行使を支援する目的の1つは、障害のある人の自信とスキルを確立し、彼らが将来望むなら、より少ない支援でその法的能力を行使できるようにすることである。締約国は、支援を受ける人が法的能力の行使において、支援を減らしてもよいとき、あるいは支援を必要としなくなったときに、その判断が下せるように、研修を行う義務を有する。 25.すべての人が(障害や意思決定スキルにかかわらず)生まれながらに持つとされる法的能力、すなわち「普遍的な法的能力」を、全面的に認めるには、締約国は、目的又は効果において障害に基づく差別となる法的能力の否定を廃止しなければならない。(注2) 26.障害者権利委員会は、第12条に関する締約国の最初の報告の総括所見において、関係締約国は「後見人制度及び信託制度を許可する法律を見直し、代理人による意思決定制度を、個人の自律、意思及び選好を尊重した支援付き意思決定に置き換える法律と政策を開発する行動を起こす」必要がある、と繰り返し述べてきた。 27.代理人による意思決定制度は、全権後見人、裁判所による禁治産宣告、限定後見人など、多種多様な形態をとり得る。しかし、これらの制度には、ある共通の特徴がある。すなわち、これらは以下のシステムとして定義できる。(i)個人の法的能力は、たとえそれが1つの決定にのみかかわりのある法的能力であっても、排除される。(ii)当事者以外の者が代理意思決定者を任命できる。しかも、当事者の意思に反してこれを行うことができる。(iii)代理意思決定者によるいかなる決定も、当事者の意思と選好ではなく、客観的に見てその「最善の利益」となると思われることに基づいて行われる。 28.代理人による意思決定制度を支援付き意思決定に置き換えるという締約国の義務では、代理人による意思決定制度の廃止と、支援付き意思決定による代替策の開発の両方が義務付けられている。代理人による意思決定制度を維持しながら支援付き意思決定システムを開発しても、条約第12条の順守には十分ではない。 29.支援付き意思決定制度は、個人の意志と選好に第一義的重要性を与え、人権規範を尊重するさまざまな支援の選択肢から成る。それは、自律に関する権利(法的能力の権利、法律の前における平等な承認の権利、居所を選ぶ権利など)を含むすべての権利と、虐待及び不適切な扱いからの自由に関する権利(生命に対する権利、身体的なインテグリティを尊重される権利など)を保護するものでなければならない。さらに、支援付き意思決定システムは、障害のある人の生活を過剰に規制するものであってはならない。支援付き意思決定制度は、多様な形態をとる可能性があり、それらすべてに、条約第12条の順守を確保するための特定の重要な規定が盛り込まれなければならない。それには、以下が含まれる。  (a) 支援付き意思決定は、すべての人が利用可能でなければならない。個人の支援ニーズのレベル(特にニーズが高い場合)が、意思決定の支援を受ける上での障壁となってはならない。  (b) 法的能力の行使におけるあらゆる形式の支援(より集約的な形式の支援を含む。)は、客観的に見て個人の最善の利益と認識されることではなく、個人の意志と選好に基づいて行われなければならない。  (c) 個人のコミュニケーション形態は、たとえそのコミュニケーションが従来にないものであっても、あるいは、ほとんどの人に理解されないものであっても、意思決定の支援を受ける上での障壁となってはならない。  (d) 個人によって正式に選ばれた支援者の法的承認が利用可能であり、かつ、これを利用する機会が与えられなければならず、国は、特に孤立しており、地域社会で自然に発生する支援へのアクセスを持たない可能性がある人々のために、支援の創出を促進する義務を有する。これには、第三者が支援者の身元を確認する仕組みと、支援者が当事者の意志と選好に基づいた行動をしていないと第三者が考える場合、支援者の行動に対して第三者が異議を申し立てられる仕組みを含めなければならない。  (e) 条約第12条第3項に定められている、締約国は必要とする支援に「アクセスすることができるようにするための」措置をとらなければならないという要件に従うため、締約国は、障害のある人がわずかな料金で、あるいは無料で、支援を利用でき、財源不足が法的能力の行使における支援にアクセスする上での障壁とならないことを確保しなければならない。  (f) 意思決定の支援は、障害のある人の他の基本的権利、特に、投票する権利、婚姻をし(あるいは市民パートナーシップを確立し)、家族を形成する権利、性と生殖の権利、親の権利、親密な関係と医学的治療に関して同意する権利、自由の権利を制限する正当な理由として、利用されてはならない。  (g) 人は、いかなる時点でも、支援を拒否し、支援関係を終了し、あるいは変更する権利を持つものとする。  (h) 法的能力と、法的能力の行使における支援にかかわるあらゆるプロセスについて、保護措置が設けられなければならない。保護措置の目標は、個人の意志と選好の尊重を確保することである。  (i) 法的能力の行使における支援の提供は、意思決定能力の評価に左右されるべきではない。法的能力の行使における支援の提供では、支援のニーズに関する新しい非差別的な指標が必要とされている。 30.法律の前における平等の権利は、市民的及び政治的権利に関する国際規約に根ざし、市民的及び政治的権利として長年認められてきた。市民的及び政治的権利は、条約批准の瞬間に付随するもので、締約国はこれらの権利を直ちに実現するための措置をとる必要がある。しかるに、第12条に定められている権利は、批准の瞬間に適用され、即時の実現の対象となる。第12条(3)にある、法的能力の行使のための支援に対するアクセスを提供するという締約国の義務は、法律の前における平等な承認に向けた市民的及び政治的権利の実現に必要な締約国の義務なのである。漸進的実現(第4条第2項)は、第12条には適用されない。締約国は、批准時に、第12条にある権利の実現に向けた措置をとることを、ただちに始めなければならない。これらの措置は、慎重な検討の上、十分に計画されたものでなければならず、障害のある人及びその団体と協議し、その有意義な参加を得なければならない。 W.条約の他の規定との関係 31.法的能力の承認は、障害者権利条約に定められている他の多くの人権の享有と、切っても切れない関係がある。これらの人権には、司法へのアクセス(第13条)、精神保健施設への強制的な監禁からの自由の権利と、精神保健治療を強制的に受けさせられることがない権利(第14条)、身体的及び精神的なインテグリティを尊重される権利(第17条)、移動の自由及び国籍の権利(第18条)、どこで誰と生活するかを選択する権利(第19条)、表現の自由の権利(第21条)、婚姻をし、家族を形成する権利(第23条)、医学的治療に同意する権利(第25条)、投票し、選挙に立候補する権利(第29条)が含まれるが、これらに限定されない。法律の前に人として認められなければ、これらの権利と、条約で定められている他の多くの権利を主張し、行使し、強化する能力は、著しく低下する。 第5条:平等及び非差別 32.法の前における平等な承認を達成するためには、法的能力が差別的に否定されてはならない。条約第5条は、法律の前及び下におけるすべての人の平等と、法律による平等な保護を受ける権利を保障している。また、障害に基づくあらゆる差別を明確に禁止している。障害に基づく差別は、条約第2条に「障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限であって、他の者との平等を基礎としてすべての人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする目的又は効果を有するものをいう」と定義されている。障害のある人の法律の前における平等な承認の権利を妨げる目的又は効果を有する、法的能力の否定は、条約第5条及び第12条の侵害である。実際には、国は、破産や刑事上の有罪判決などの特定の状況を理由に、個人の法的能力を制限することができる。しかし、法律の前における平等な承認と差別からの自由の権利は、国が法的能力を否定する場合、すべての人に対して同じ基準に基づいて行わなければならないということを義務付けるものである。法的能力の否定は、ジェンダー、人種又は障害などの個人的な特性に基づいて行われてはならず、また、そのような特性を持つ人々に対し、異なった扱いをする目的や効果を有するものであってはならない。 33.法的能力の承認における差別からの自由は、条約第3条(a)に正式に記されている原則に基づき、個人の自律を回復し、人間としての尊厳を尊重するものである。自分自身で選択をする自由には、多くの場合、法的能力が必要となる。自立と自律には、個人の決定を法的に尊重してもらうための力が伴う。意思決定における支援と合理的配慮のニーズが、個人の法的能力を疑問視することに利用されてはならない。差異の尊重と、人間の多様性の一環及び人類の一員としての障害のある人の受容(第3条(d))は、同化主義に基づく法的能力の付与とは相いれない。 34.非差別には、法的能力の行使において合理的配慮(第5条第3項)を受ける権利が含まれる。合理的配慮は、条約第2条で、「障害のある人が他の者との平等を基礎としてすべての人権及び基本的自由を享有し又は行使することを確保するための必要かつ適切な変更及び調整であって、特定の場合に必要とされるものであり、かつ、不釣合いな又は過重な負担を課さないもの」と定義されている。法的能力の行使において合理的配慮を受ける権利は、法的能力の行使において支援を受ける権利とは別であり、これを補完するものである。締約国は、障害のある人が法的能力を行使できるよう、不釣り合いな又は過剰な負担ではない限り、変更や調整を行う義務がある。そのような変更や調整には、裁判所、銀行、社会福祉事務所、投票所などの生活に不可欠な建物へのアクセス、法的効力を有する決定に関するアクセシブルな情報、パーソナルアシスタンスが含められるが、これらに限定されない。法的能力の行使において支援を受ける権利は、不釣り合いな又は過重な負担の主張によって制限されてはならない。国は、法的能力の行使における支援へのアクセスを提供する、明白な義務を有する。 第6条:障害のある女性 35.女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約第15条では、男性との平等を基礎とした女性の法的能力を定めており、これにより、法的能力の承認が、法律の前における平等な承認に不可欠であることを認めている。「締約国は、女子に対し、民事に関して男子と同一の法的能力を与えるものとし、また、この能力を行使する同一の機会を与える。特に、締約国は、契約を締結し及び財産を管理することにつき女子に対して男子と平等の権利を与えるものとし、裁判所における手続のすべての段階において女子を男子と平等に取り扱う。(第2項)」この規定は、障害のある女性を含む、すべての女性に適用される。障害者権利条約では、障害のある女性が、ジェンダーと障害に基づく、複合的かつ交差的な形態の差別の対象となる可能性があることを認めている。たとえば、障害のある女性は強制不妊手術を受ける割合が高く、性と生殖にかかわる健康の管理と意思決定を否定されることが多いが、これは、障害のある女性は性行為に同意できないという思い込みからである。また、男性よりも女性に対して高い比率で、代理意思決定者を強制的に任命している司法管轄区域もある。したがって、障害のある女性の法的能力を、他の者との平等を基礎として認めなければならないと再確認することが、特に重要である。 第7条:障害のある子ども 36.条約第12条は、年齢にかかわらず、すべての人の法律の前における平等を保護しているが、一方で、条約第7条は、発達しつつある子どもの能力を認め、「障害のある子どもに関するあらゆる決定において、子どもの最善の利益が主として考慮される」(第2項)ことと「障害のある子どもの意見は、その年齢及び成熟度に応じて十分に考慮される」(第3項)ことを義務付けている。第12条に従い、締約国は、障害のある子どもの意思と選好を他の子どもとの平等を基礎として尊重することを確保するために、自国の法律を検討しなければならない。 第9条:アクセシビリティ 37.法律の前における平等な承認の権利は、障害のある人が自立して生活すること及び生活のあらゆる側面に完全に参加することを可能にするために必要であることから、第12条に定められている権利は、アクセシビリティ(第9条)に関する国の義務と緊密に結び付いている。第9条は、公衆に開かれ又は提供される、施設もしくはサービスへの障壁を明らかにし、撤廃することを要求している。  情報通信のアクセシビリティの欠如とアクセシブルではないサービスは、一部の障害のある人にとって、実際に法的能力の実現を阻む障壁となる可能性がある。それゆえ、締約国は、法的能力を行使するためのすべての手続と、それに付随するすべての情報通信を、完全にアクセシブルにしなければならない。締約国は、法的能力の権利とアクセシビリティの権利の実現を確保するために、自国の法律と慣行を見直さなければならない。 第13条:司法へのアクセス 38.締約国は、障害のある人の、他の者との平等を基礎とした司法へのアクセスを確保する義務を有する。法的能力の権利の承認は、多くの点で司法へのアクセスに不可欠である。他の者との平等を基礎とした権利と義務の実施を求め、障害のある人は、法廷で対等な立場に立ち、法律の前に人として認められなければならない。締約国は、また、障害のある人が、他の者との平等を基礎として法定代理人を利用できるようにしなければならない。これは多くの司法管轄区域において問題とされてきたことで、法的能力の権利を妨害されている人が、そのような妨害に対する(自分自身による、あるいは法定代理人を通じた)異議申し立ての機会を得、法廷で権利を守れるようにすることなどを通じて、改善されなければならない。障害のある人はこれまで、弁護士、裁判官、証人又は陪審などの、司法制度における重要な役割から排除されることが多かった。 39.警察官、ソーシャルワーカー及びその他の第一応答者は、障害のある人を法律の前で完全な人として認め、障害のある人からの苦情や意見を、障害のない人の場合と同様に重視する訓練を受けなければならない。これには、これらの重要な職業における訓練と意識向上が伴う。また、障害のある人は、他の者との平等を基礎として証言する法的能力を付与されなければならない。条約第12条は、司法、行政及びその他の法的手続において証言する能力を含む法的能力の行使における支援を保障している。そのような支援は、多様なコミュニケーション方法の承認、特定の状況におけるビデオ証言の許可、手続上の配慮、専門の手話通訳及びその他の支援方法の提供など、さまざまな形態をとる可能性がある。裁判官も、障害のある人の法的主体性と法的地位を含む法的能力を尊重するための訓練を受け、自らの義務を自覚しなければならない。 第14条及び第25条:自由、安全及び同意 40.障害のある人の法的能力の権利を、他の者との平等を基礎として尊重することには、障害のある人の身体の自由及び安全の権利を尊重することが含まれる。障害のある人の法的能力の否定と、本人の同意を得ていない又は代理意思決定者の同意を得た、本人の意思に反する施設への監禁は、現在も問題となっている。この慣行は、恣意的な自由の剥奪となり、条約第12条及び第14条の侵害である。締約国は、このような慣行を廃止し、障害のある人が明確な同意なくして施設に入所させられた事例を再検討する仕組みを確立しなければならない。 41.到達可能な最高水準の健康を享受する権利(第25条)には、十分な説明に基づく自由な同意に基づいた医療の権利が含まれる。締約国は、すべての保健医療専門家(精神科の専門家を含む。)に対し、いかなる治療についても、十分な説明に基づく自由な同意を、障害のある人から事前に得ることを義務付ける義務を有する。他の者との平等を基礎とした法的能力の権利と併せて、締約国は、代理意思決定者が障害のある人の代わりに同意することを認めない義務を有する。すべての保健医療職員は、障害のある人が直接参加する適切な協議を確保しなければならない。また、アシスタントや支援者が、障害のある人の代理となったり、その決定に不当な影響を与えたりすることが決してないよう、全力を尽くさなければならない。 第15条、第16条及び第17条:個人のインテグリティの尊重と、拷問、暴力、搾取及び虐待からの自由 42.いくつかの総括所見で権利委員会によって指摘されてきたように、精神科及びその他の保健医療専門家による強制治療は、法律の前における平等な承認の権利の侵害であり、個人のインテグリティの権利(第17条)、拷問からの自由(第15条)、そして暴力、搾取及び虐待からの自由(第16条)に対する違反行為である。この慣行は、人が医学的治療を選択する法的能力を否定し、それゆえ、条約第12条の侵害である。締約国はこの代わりに、障害のある人が危機的状況下を含め常に決定を下す法的能力を尊重し、サービスの選択肢に関する正確かつアクセシブルな情報の提供と、非医学的アプローチの利用を確保し、自立支援へのアクセスを提供しなければならない。締約国は、精神科及びその他の医学的治療に関する決定における支援へのアクセスを提供する義務を有する。強制治療は、心理社会的障害、知的障害及びその他の認知障害のある人にとって、特に問題となる。強制治療は、効果がないことを示す経験的証拠と、強制治療の結果、深い苦痛とトラウマを経験したメンタルヘルス制度利用者の意見にもかかわらず現在も継続している、世界各地の精神保健法に対する侵害であることから、締約国は、強制治療を容認し、あるいは実行する政策と法的規定を廃止しなければならない。委員会は締約国に対し、身体的又は精神的インテグリティに関する決定は、当事者が十分な説明に基づく自由な同意を示した場合にのみ下せるようにすることを勧告する。 第18条:国籍 43.障害のある人は、あらゆる場所で法律の前に人として認められる権利の一部として、氏名を有する権利と出生を登録する権利を有する(第18条第2項)。締約国は、障害のある子どもの出生時登録を確保するために必要な措置をとらなければならない。この権利は児童の権利に関する条約(第7条)に規定されている。しかし、障害のある子どもは、他の子どもと比較して、登録されない可能性が過度に高い。これは彼らの市民権を否定するだけでなく、しばしば医療と教育へのアクセスも否定し、死をもたらす可能性さえある。彼らの存在に関する公式な記録がないため、死亡しても特にとがめられることがないと言える。 第19条:自立した生活と地域社会へのインクルージョン 44.第12条に定められている権利を完全に実現するには、障害のある人がその意思と選好を育み、表明する機会を持つことが、他の者との平等を基礎とした法的能力の行使に欠かせない。これは、第19条に定められているように、障害のある人が他の者との平等を基礎として、地域社会で自立した生活を送り、選択し、日々の生活を管理する機会を持たなければならないということである。 45.地域社会における生活の権利(第19条)を踏まえて第12条第3項を解釈すると、法的能力の行使における支援は、地域に根ざしたアプローチを通じて提供されなければならないということになる。締約国は、さまざまな支援の選択肢に関する認識の向上など、どのような種類の支援が法的能力の行使に必要かを学ぶプロセスにおいて、地域社会が有用な資源であり、パートナーであることを認めなければならない。締約国は、障害のある人の社会的ネットワークと、地域社会による自然発生的な支援(友人、家族及び学校など)を、支援付き意思決定への重要な鍵として認めなければならない。これは、地域社会への障害のある人の完全なインクルージョンと参加を条約が重視していることと一致する。 46.障害のある人の施設への隔離は、引き続き、条約で保障されている多数の権利を侵害する、知らぬ間に広く蔓延してしまった問題となっている。この問題は、障害のある人の施設収容に他者が同意することを認める、障害のある人の法的能力の否定が広まることで悪化する。また、施設の所長に入所者の法的能力が付与されているのが一般的であり、これにより、入所者に対するすべての権力と支配力を施設側が手にすることとなる。条約を遵守し、障害のある人の人権を尊重するには、脱施設化を達成しなければならず、また、すべての障害のある人の法的能力が回復され、彼らがどこで誰と生活するかを選択できる(第19条)ようにしなければならない。個人がどこで誰と生活するかという選択が、法的能力の行使における支援へのアクセスの権利に影響を与えるものとなってはならない。 第22条:プライバシー 47.代理人による意思決定制度は、条約第12条と相いれない上に、障害のある人のプライバシーの権利を侵害する可能性もある。代理意思決定者は、通常、当事者に関するさまざまな個人情報及びその他の情報へのアクセスを得るからである。支援付き意思決定システムを確立するに当たり、締約国は、法的能力の行使における支援を提供する者が、障害のある人のプライバシーの権利を全面的に尊重することを確保しなければならない。 第29条:政治への参加 48.法的能力の否定や制限は、特定の障害のある人の政治への参加、特に投票する権利の否定に利用されてきた。生活のあらゆる側面における法的能力の平等な承認を完全に実現するには、公的及び政治的活動における障害のある人の法的能力を認めること(第29条)が重要である。これは、障害のある人の、投票する権利、選挙に立候補する権利及び陪審員を務める権利などの政治的権利の行使からのいかなる排除も、個人の意思決定能力では正当化できないことを意味する。 49.締約国は、秘密投票による投票において、障害のある人が自ら選択する支援にアクセスし、すべての選挙と住民投票に差別を受けることなく参加する権利を保護し、促進する義務を有する。委員会は、障害のある人が希望する場合、法的能力の行使における合理的配慮と支援を受けながら、選挙に立候補し、政府のすべての段階において効果的に公職に就き、すべての公務を遂行する権利を締約国が保障することを、さらに勧告する。 X.国内レベルでの実施 50.上述の規範的内容と義務を踏まえ、締約国は、障害者権利条約第12条の完全な実施を確保するために、以下の措置をとらなければならない。  (a)障害のある人が、あらゆる生活の側面において、他の者との平等を基礎として法的人格と法的能力を有する人であることを、法律の前で認める。これには、代理人による意思決定制度と、目的又は効果において障害のある人を差別する、法的能力を否定する仕組みの廃止が必要である。締約国が、すべての者との平等を基礎とした法的能力の権利を保護する法律用語を考案することが推奨される。  (b)障害のある人の法的能力の行使におけるさまざまな支援へのアクセスを確立し、承認し、これを提供する。これらの支援のための保護措置は、障害のある人の権利、意思及び選好の尊重を前提としたものでなければならない。支援は、上記パラグラフ29に定められた、条約第12条第3項を順守するという締約国の義務に関する基準を満たすものでなければならない。  (c)第12条を実施するための法律、政策及びその他の意思決定プロセスの開発と実施において、障害のある子どもを含む障害のある人とその代表団体を通じて緊密に協議し、その積極的な参加を得る。 51.委員会は締約国に対し、障害のある人が法的能力を平等に認められる権利を尊重するベストプラクティスの研究開発を実施し又はこれに資源を充て、法的能力の行使を支援することを奨励する。 52.締約国は、公式及び非公式な代理人による意思決定に対抗する効果的な仕組みを開発することを奨励される。この目的のために、委員会は締約国に対し、障害のある人が生活において有意義な選択をし、その人格を発達させる機会を確実に持てるようにすることと、彼らの法的能力の行使を支援することを強く求める。これには、社会的ネットワーク構築の機会、他の者との平等を基礎として働き、生計を得る機会、地域社会における居所の複数の選択肢、あらゆる教育段階におけるインクルージョンが含まれるが、これらに限定されない。 (注1)女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(the Convention on the Elimination of All Forms of Discrimination against Women)第13条(b)を参照のこと。 (注2)障害者の権利に関する条約(the Convention on the Rights of Persons with Disabilities)第2条、第5条を参照のこと。 原文: United Nations CRPD/C/GC/1 Convention on the Rights of Persons with Disabilities Distr.: General 19 May 2014 ADVANCE UNEDITED VERSION Original: English Committee on the Rights of Persons with Disabilities Eleventh session 31 March -11 April 2014 General comment No 1 (2014) Article 12: Equal recognition before the law http://tbinternet.ohchr.org/_layouts/treatybodyexternal/Download.aspx?symbolno=CRPD/C/GC/1&Lang=en Office of the High Commissioner for Human Rights.United Nations Human Rights. http://www.ohchr.org/EN/HRBodies/CRPD/Pages/CRPDIndex.aspx 仮訳:公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会 資料3−1 成年後見業務における本人の意思の尊重に関する 実態調査アンケート調査用紙 記載日 2015年  月  日 お持ちの資格[ 弁護士 ・ 司法書士  ・社会福祉士 ・ 法人後見  ・その他(                      )] 後見活動をされている主な都道府県[                 ] お名前[               ]※ 匿名でも結構です 問1 あなたが成年後見人等として職務を行うに当たり,本人の意思の尊重に関する以下のような点について悩まれたことがありますか。該当する番号全てに○を付けてください(複数回答可)。 1 日常的な金銭管理におけるお金の使い方 2 必ずしも生活に必要ではない物品やサービスの購入 3 冠婚葬祭費,謝礼の支出や贈与 4 借入(知人等からの借入も含む。) 5 福祉サービスの選択と契約の締結 6 居所の決定 7 医療行為 8 その他 9 特に悩んだことはない 問2 問1で「1〜8」のいずれか1つ以上に○を付けた方にお聞きします。上記の事柄について,具体的な内容をお教えください。 問3 成年後見人等の職務において,新規のあるいはルーティンではない法律行為を成年後見人等として代理する場合,そのことについて本人の意思を確認していますか。該当する番号に○を付けてください(遷延性意識障害にあるなど全く意思疎通が不可能な場合を除きます。)。 1 常に本人に確認するようにしている   →問5へ 2 特に確認していない   →問4へ 3 行為によって異なる   →問4及び問5へ 問4 問3で「2 特に確認していない」又は「3 行為によって異なる」と回答された方に伺います。本人の意思を確認しない理由について,以下のうち該当する番号に○を付けてください。 1 確認しても本人は合理的な判断ができない・しにくいから 2 本人は理解や意思決定ができないから成年後見人等が付いており,成年後見人等が判断すればよいから 3 本人の意思に関わらない行為だから 具体的にどのような行為かお書きください: 問5 問3で,「1 常に本人確認するようにしている」、「3 行為によって異なる」と回答された方に伺います。本人に確認したが十分な返答がない場合,あるいは本人が判断するのが難しい場合,本人の意思を確認するために何らかの工夫をしていますか。例えば,以下の方法を試みたことがあるかについて,「ある」,「ない」の該当する箇所に○を付けてください(複数回答可)。 1 説明を絵や写真などで示す ある ない 2 実際に見てもらったり,体験してもらう ある ない 3 日時や場所を変えて説明する ある ない 4 本人をよく理解している人に確認してもらう ある ない 5 その他 ある ない 具体的にお書きください: 問6 本人の意思が確認できない場合,成年後見人等として法律行為又は身上監護に関する事項を決定するに当たり,最も重視するもの1つに○を付けてください。 1 本人のこれまでの生活歴や経緯 2 本人に日常関わっている福祉関係者の意見 3 本人に日常関わっている親族の意見 4 推定相続人の意見 5 ケア会議での意見 6 後見人の判断する客観的な本人の利益 問7 あなたが,知的障害のある方の後見人に選任されていると仮定します。本人の年齢は45歳ですが,知的能力は6歳程度です。本人は母親と2人暮らしで,父親の遺産が入って2000万円ほどの預金があり,アパートの家賃収入があるため月々の収支は10万円程度の黒字です。 (1) あなたが本人と面談した際,本人から突然「60万円の羽毛布団セットを買いたい」と言われました。本人が現在使用している布団は,多少古くなっているもののまだまだ使える状態です。この状況で,あなたならどう対応しますか。該当する番号に一つだけ○を付けてください。 1 本人の意向に従う 2 特に必要ないから買わないように本人を説得する 3 本人がどうして買いたいのか,よく本人と話し合う 4 本人の意向について母親の意見も参考にして,後見人として決定する 5 その他 具体的にお書きください: (2) 「羽毛布団セットを買いたい」と本人から聞いてから,後見人であるあなたは母親も交えて何度か本人と羽毛布団セットの購入について話をしました。その結果,母親が不在のときに羽毛布団セットの訪問販売員が本人に購入を勧めたことが分かりましたが,本人は「販売員さんとまた会いたいから羽毛布団セットを買いたい。」と言っています。この状況で,あなたならどう対応しますか。該当する番号に一つだけ○を付けてください。 1 本人の意思どおり,羽毛布団を買うことに賛成する 2 特に必要ないから,やめるよう本人を説得する 3 本人の意向は相当ではないから,後見人として買わないことに決定する 4 販売員とまた会いたいという本人の動機について,理由を本人と話し合い,他の方法があれば羽毛布団を買うという決定が変わるのかを確認する 5 その他 具体的にお書きください: 問8 あなたが保佐人又は補助人として同意権が留保されているケースについて,同意権を行使したことがありますか。該当する番号に○を付け,2と回答された場合,その回数についても記入してください。 1 これまでに同意権を行使したことはない 2 同意を行使したことがある →1つのケースで何回ぐらいありますか。(年間平均     回) 問9 あなたは成年後見人等として,取消権の行使を検討したことがありますか。またその際,実際に取消権の行使を行いましたか。該当する番号に○を付けてください(複数回答可)。 1 取消権行使を検討したことがある   →行使を検討した件数    (    )件   →うち実際に行使した件数  (    )件  →0件の方は問11へ 2 取消権行使の検討が必要なことがなかった → 問12へ 問10 どのような場合に取消権を行使しましたか。該当する番号全てに○を付けてください(複数回答可)。 1 本人が借金をして浪費し,負債を消す必要があったため 2 悪徳商法に騙され,被害回復に必要だったため 3 財産を贈与又は搾取され,取り戻す必要があったため 4 本人が大きな取引や契約をして,失敗したため 5 その他 具体的にお書きください: 問11 あなたが取消権の行使を検討したにもかかわらず,行使しなかったケースについて,行使しなかった理由は何ですか。該当する番号全てに○を付けてください(複数回答可)。 1 事情の説明や警告により,相手方が任意に撤回に応じたため 2 消費者契約法,錯誤無効,詐欺取消,強迫取消など一般法理で対応できたため 3 日常生活に関する行為等,本人の行為能力制限が掛からない行為だったため 4 取消権を行使しても被害回復が難しかったため 5 取消権を行使する相手方が特定できなかったため 6 本人が取消権行使に反対したため 7 本人に特に不利益がなかったため 8 本人に失敗を経験してもらい,今後同じことをしないよう学んでもらうため 9 その他 具体的にお書きください: 問12 成年後見人等について取消権がなかった場合,どのような方法で対応できると考えますか。該当する番号全てに○を付けてください(複数回答可)。 1 本人と常に話をし相談してもらうことで予防する 2 本人の周りで関わる人を増やし,見守り体制を付けることで未然に防止することができる 3 錯誤無効,詐欺取消,強迫取消などの一般法理で対応する 4 消費者契約法などで対応する 5 新たな消費者保護による法制が必要 6 現行の行為能力制限による取消権がなければ対応できない 7 その他 具体的にお書きください: 問13 本人の自己決定の尊重に関して悩んだ案件の具体的な取組について,経験談をお聞かせください。 以上 御協力いただき,ありがとうございました。 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