日本弁護士連合会 第57回人権擁護大会シンポジウム 第2分科会基調報告書 障害者権利条約の完全実施を求めて ―自分らしく、ともに生きる― 2014年10月2日(木) 函館国際ホテル 天平 日本弁護士連合会第57回人権擁護大会 シンポジウム第2分科会実行委員会 はじめに 2014年1月20日,日本は,「障害者の権利に関する条約」の批准書を国連に寄託し,これにより同年2月19日,同条約は日本について効力を生ずることになった。「合理的配慮の否定」も含む「あらゆる形態の差別」を「障害に基づく差別」として禁止し,「あらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有」の保障を求める同条約の締約国となった日本は,同条約を完全実施すべく,立法措置,行政措置をはじめとする全ての適当な措置をとらなければならない(4条)。 日弁連は,2001年10月,第44回人権擁護大会でシンポジウムを開催の上,「障害のある人に対する差別を禁止する法律の制定を求める宣言」を採択して以来,差別禁止法の制定を一貫して訴えてきた。2006年の国連における同条約採択以降は,同条約の早期批准と共に,整備されるべき国内法として差別禁止法があることを求め続けてきた。 昨年の「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」の制定を経て,同条約を批准した本年,日弁連が第57回人権擁護大会において,「障害者の権利に関する条約」の完全実施をテーマとするシンポジウムを開催することは,極めて意義深いものがある。 今回のシンポジウム開催にあたって準備した本報告書は,第1章で同条約の成立と日本の批准までの経緯を述べ,第2章で同条約が保障する障がいのある人の人権の内容を論じ,第3章で日本における障がいのある人のおかれた現状を詳しく述べた上で,第4章で同条約の完全実施に向けて提言を行うものである。 2001年の人権大会は,差別禁止法の制定を目指すという,いわば「夢」を語るシンポジウムであった。同条約を批准し,締約国となって迎える今回のシンポジウムは,「障害者の権利に関する条約」の完全実施という「現実」を語るシンポジウムになる。 「夢」が一つの「起点」となって,十分とは言えないまでも「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」制定等の国内法整備を経て,同条約の批准に至った。本報告書と今回のシンポジウムを,同条約の完全実施に向けた新たな「起点」にしなければならない。 2014年10月2日 第57回人権擁護大会 シンポジウム第2分科会実行委員会 委員長 野村 茂樹 本報告書に表記された下記【 】内の条約又は法律名の正式名称は,以下のとおりである。 1【障害者権利条約】【権利条約】 正式名称:障害者の権利に関する条約(2006年12月13日採択,2008年5月3日発効,2007年9月28日署名。2014年1月20日批准,同年2月19日国内で効力発生) 2【障害者基本法】 正式名称:「障害者基本法」(昭和45年5月21日法律第84号)最終改正:平成25年6月26日法律第65号 3【差別解消法】 正式名称:「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(平成25年法律第65号) 4【総合支援法】  正式名称:「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律」(平成17年11月7日法律第123号)最終改正:平成26年6月25日法律第83号 5【雇用促進法】  正式名称:「障害者の雇用の促進等に関する法律」(昭和35年7月25日法律第123号)最終改正:平成26年6月13日法律第69号 6【精神保健福祉法】  正式名称:「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(昭和25年5月1日法律第123号)最終改正:平成26年6月25日法律第83号 7【医療観察法】  正式名称:「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(平成15年7月16日法律第110号)最終改正:平成26年6月13日法律第69号 8【障害者虐待防止法】  正式名称:「障害者虐待の防止,障害者の養護者に対する支援等に関する法律」(平成23年6月24日法律第79号)最終改正:平成24年8月22日法律第67号 9【バリアフリー新法】  正式名称:「高齢者,障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」(平成18年6月21日法律第91号)最終改正:平成26年6月13日法律第69号 10【補助犬法】  正式名称:「身体障害者補助犬法」(平成14年5月29日法律第49号)最終改正:平成23年6月24日法律第74号  なお,「障害」「障害者」「障害者団体」の表記について,基本的には「障がい」「障がいのある人」「障がい者団体」に統一している。ただし,権利条約の訳文について「 」で引用している部分,或いは,法律・条例・公式文書の名称等は「 」で引用しなくとも「障害」「障害者」のままとした。 目 次 はじめに 凡例 第1章 権利条約の成立から批准までの歩み 1 第1節 権利条約成立の経緯 1 T 人権条約化への機運 1 U 権利条約の採択 3 V 権利条約策定過程の特徴 4 W 日本の取組 5 第2節 批准に至る経緯 5 T 諸加盟国の条約批准状況 5 U 日本の批准に至るまでの経緯 6 第3節 各国の障がいのある人の権利法制 8 T アメリカ合衆国 8 U オーストラリア 9 V ニュージーランド 9 W イギリス 10 X 香港 10 Y 韓国 10 Z 米州条約 11 [ EU 11 第2章 権利条約による障がいのある人の人権保障 13 第1節 権利条約の基本的コンセプト 13 T 権利条約が障がいのある人の人権を確認したことの意義 13 U 障がいとは何か―「医学モデル」と「社会モデル」 14 V 一般原則 15 W 自由権と社会権の不可分性 17 X 障がいに基づく差別の禁止 18 第2節 権利条約の履行確保のための諸制度 21 T 総説 21 U 障害者権利委員会 23 V 締約国会議 29 W 個人通報制度及び選択議定書の批准 34 第3章 日本における障がいのある人の今 36 第1節 日本の障がいのある人に関する施策の推移 37 T 施策の概観 37 U 障がいの概念(医学モデルから社会モデルへ) 40 V 差別解消法の成立 42 第2節 雇用 46 T 権利条約の規定 46 U 障がいのある人の雇用についての現行法制度等 48 V 障がいのある人への差別事例 53 第3節 欠格条項 56 T 権利条約の規定 56 U 欠格条項についての現行法制度等 57 V 障がいのある人への差別事例 58 第4節 教育 59 T 権利条約の規定 59 U 障がいのある人の教育についての現行法制度等 59 V 障がいのある人への差別事例 65 第5節 障がいのある子ども 68 T 権利条約の規定 68 U 障がいのある子どもについての現行法制度等 68 V 障がいのある子どもへの差別事例 71 第6節 家族 73 T 権利条約の規定 73 U 障がいのある人の家族についての現行法制度等 75 V 障がいのある人への差別事例 77 第7節 障がいのある女性 79 T 権利条約の規定 79 U 障がいのある女性についての現行法制度等 80 V 障がいのある人への差別事例 84 第8節 アクセシビリティ:移動・施設利用 87 T 権利条約の規定 87 U 障がいのある人の移動・施設利用についての現行法制度等 88 V 障がいのある人への差別事例 89 第9節 アクセシビリティ:情報保障 92 9−1節 情報保障 92 T 権利条約の規定 92 U 障がいのある人の情報保障についての現行法制度等 94 V 障がいのある人への差別事例 99 9−2節 災害時の情報保障 102 T 権利条約の規定 102 U 災害時における情報保障の意義 103 V 東日本大震災の事例 103 W 災害時要援護者の個人情報開示 105 第10節 地域生活 108 T 権利条約の規定 108 U 障がいのある人の地域生活についての現行法制度等 110 V 障がいのある人への差別事例 115 第11節 商品・サービス・不動産 118 T 権利条約の規定 118 U 障がいのある人と商品・サービス・不動産についての現行法制度等 119 V 障がいのある人への差別事例 122 第12節 所得保障 123 T 権利条約の規定 123 U 障がいのある人の所得保障についての現行法制度等 124 V 障がいのある人への差別事例 126 第13節 医療・健康 127 T 権利条約の規定 127 U 障がいのある人の医療・健康についての現行法制度等 127 V 障がいのある人への差別事例 130 第14節 司法 134 T 権利条約の規定 134 U 障がいのある人の司法手続についての現行法制度等 134 V 障がいのある人への差別事例 137 第15節 参政権 141 T 権利条約の規定 141 U 障がいのある人の参政権についての現行法制度等 142 V 障がいのある人への差別事例 144 第16節 法的能力 146 T 権利条約の規定 146 U 障がいのある人の法的能力についての現行法制度等 150 V 日本における判断能力の支援における権利侵害事例 150 第17節 虐待 151 T 権利条約の規定 151 U 障がいのある人への虐待についての現行法制度等 152 V 障がいのある人に対する虐待事例 155 第18節 国内実施と監視(モニタリング) 158 T 中央連絡先(フォーカルポイント) 158 U 調整の仕組み 159 V 実施の促進・保護・監視の枠組み 159 第4章 権利条約の完全実施に向けて何をするべきか 166 第1節 各分野の問題点と課題の解決に向けて 166 T 差別の解消 166 U 雇用 169 V 欠格条項 185 W 教育 186 X 障がいのある子ども 191 Y 家族 195 Z 障がいのある女性 204 [ アクセシビリティ:移動,施設利用 205 \ アクセシビリティ:情報保障 207 \−1 情報保障 207 \−2 災害時の情報保障 208 ] 地域生活 210 ]T 商品・サービス・不動産 214 ]U 所得保障 216 ]V 医療・健康 217 ]W 司法 223 ]X 参政権 227 ]Y 法的能力 229 ]Z 虐待の防止 232 第2節 差別解消法の基本方針とガイドラインの方向性について 234 T 障がいを理由とする差別についての総則 234 U 教育 244 V アクセシビリティ:移動,施設利用 247 W アクセシビリティ:情報保障 250 X 商品・サービス・不動産 252 Y 医療・健康 254 Z 司法 256 [ 参政権 258 第3節 モニタリングと国内人権機関 260 T 権利条約33条2項の規定 260 U 国内人権機関とパリ原則 260 V 日本における国内人権機関設置をめぐる経緯 261 Y 結語 261 第4節 選択議定書の批准に向けて 262 T 権利条約選択議定書の規定 262 U 個人通報制度の意義 262 V 選択議定書の批准の状況 263 W 結語 263 第5節 権利委員会への報告とモニタリング 263 T 批准後の報告に関するかかわり 263 U パラレルレポートの作成 264 V 質問事項への回答の作成 264 W 建設的対話のモニタリング 264 X 継続的なモニタリング 265 第5章 結語 266 海外視察報告 269 巻末資料 405 第1章 権利条約の成立から批准までの歩み 第1節 権利条約成立の経緯 T 人権条約化への機運 1 20世紀の人権条約 国連は,1948年「世界人権宣言」を採択したが,これに法的拘束力を与えるため,1966年,「経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約),「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)を採択した。この条約は,「すべての人」の権利と自由を定める一般条約であるが,各領域に特化した個別条約の必要性が意識され,20世紀中に,「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」(人種差別撤廃条約)(1965年),「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」(女性差別撤廃条約)(1979年),「拷問及びその他の残虐な,非人道的な,若しくは品位を傷つける取り扱い又は刑罰を禁止する条約」(拷問等禁止条約)(1984年),「児童の権利に関する条約」(子どもの権利条約)(1989年)が採択された。 しかし,障がいのある人に特化した人権条約は,20世紀中には成立せず,わずかに子どもの権利条約の2条と23条に「障害」「障害を有する児童」に関する規定が盛り込まれ,1994年の社会権規約委員会一般的意見5号で「障害のある者」を採択するにとどまっていた。 2 障がいに特化した人権条約化への動き (1) 国連の動き a 国連の障がい者政策は,当初,リハビリテーションと予防が中心であった。1950年,国連の経済社会理事会は,「身体障害者の社会的リハビリテーション」と題する決議を採択し,リハビリテーション分野における技術援助協力を重視した。 また,1975年の経済社会理事会で障がいの予防が国連の障がい者政策の主要課題とされた。いずれも障がいのある人の被る不利の原因をインペアメントに還元させる医学モデルの考えに立脚していた。 b 1970年代に入ると「障がい問題は人権問題である」との認識が芽生え,1971年に「知的障害者の権利宣言」,1975年に「障害者の権利宣言」が採択されるに至った。もっとも,「知的障害者の権利宣言」では,他の者と同等の権利を有するのは「最大限実現可能な程度まで」と定められていた。 c 1976年には,1981年を「国際障害者年」と宣言する総会決議を採択した。ただ,その決議では,障がいのある人を社会に適応させることを国際障害者年の最初の目標に位置づけていた。 ところが、1981年に至る6年間,毎年採択された「国際障害者年」と題する国連決議の内容は次のとおり少しずつ変化を見せていった。 ア 「国連障害者年」は英語で当初“International Year for Disabled Persons”と表記されていたが,やがて“International Year of Disabled Persons”と表記されるに至った。“for”から“of”に変わったことで明らかなとおり,障がいのある人は施策の対象から権利の主体へと位置づけられるに至ったのである。 イ 当初は国連障害者年のテーマとして「完全参加」だけであったが,その後,「平等」が加わり,「完全参加と平等」がテーマとなった。 ウ 「個人と環境との関係として,障害をとらえるべきである」という表現が決議の中に入るに至った。障がいが,医学モデルから社会モデルとして捉えられ始めたのである(医学モデル・社会モデルについての詳細は後述第2章第1節U「障がいとは何か」)。 さらに国際障害者年の「完全参加と平等」というテーマを達成するための長期計画として,国連総会は1982年,「障害者に関する世界行動計画」を策定した。これにより,国連の障がい者政策として,予防,リハビリテーションに加え,機会均等が加わり,これらの3つが国連の障がい者政策の三本柱となった。 d 世界行動計画が策定された翌年の1983年から1992年まで10年間を「国連障害者の十年」として,世界行動計画が実施されることになった。「十年」の中間的評価のため,1987年8月にスウェーデンで国連の専門家会議が開かれたが,国連の専門家会議として初めて障がいのある人が過半数を占め,障がいのある人に対する差別を撤廃する国際条約を策定するための特別会議の開催を提案するに至った。これを受けて,イタリアは1987年に国連総会で条約策定を提案したが,合意されることはなかった。国連に予算がないとか,条約化のメリットが乏しいとか,障がいのある人だけを対象とする人権条約は障がいのある人をかえって「周辺化」してしまうなどの理由が,反対意見として出された。 1989年と1990年に,今度はスウェーデンが障がいのある人の権利条約を提案したが,合意は得られず,いわば妥協の産物として1993年に「障害者の機会均等に関する基準規則」が国連総会で採択されることとなった。これにより「機会均等」が明確に意識されることになったが,結局のところ,障がいのある人の人権を守るためのガイドラインに過ぎず,国際法的な法的拘束力は認められないものであった。 e 1990年には,アメリカ合衆国で障がいのある人に対する差別禁止を内容とするADA(Americans with Disabilities Act of 1990)が制定され,全世界の障がいのある人に大きな影響を与えるに至った。前記の「国連障害者の十年」は「意識向上の十年」と評価されたものの,「意識向上から行動へ」が強く意識されるに至り,依然として障がいのある人が人権侵害に直面している状況を改善すべく,法的拘束力を有する障がいに特化した人権条約の必要性が強く意識されるようになった。 (2)障がい者団体等の動き 障がい者団体等は,1990年代後半から,権利条約の実現に向けた取組を加速させた。国際リハビリテーション協会(RI)の「2000年代憲章」(1999年)や障害者インターナショナル(DPI),RI,世界盲人連合(WBU),世界ろう連盟(WFD)等の国際障がいNGO(非政府組織)が集った「世界障害NGOサミット」の「新世紀における障害者の権利に関する北京宣言」(2000年), DPIの「障害者の権利に関する国際条約への取り組みについての声明」(2001年)などは,いずれも権利条約の制定を強く求めていた。 国際NGO団体は,権利条約の制定を求めるため連帯することとし,DPI,WFD,WBU,国際育成会連盟(II),世界盲ろう者連盟(WFDB),世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワーク(WNUSP)は,1999年に国際障害同盟(IDA)を結成し(その後,RIと国際難聴者連盟(IFHOH)が加盟),活発に活動を続けた。 後述U1のとおり,メキシコが国連で条約提案を行ったのは,メキシコ政府に障がいのある人(団体)が直接的に働きかけたからといわれている。メキシコ提案にかかる条約化が成就したのも,障がい者団体による各国政府への地道な働きかけが功を奏したものと評価される。 U 権利条約の採択 1 国連総会における条約の提案 2001年12月,第56回国連総会で,メキシコは「障害者の権利及び尊厳を保護・促進するための包括的総合的な国際条約」決議案を提案するに至った。国連総会は,条約案を検討するためのアドホック委員会を設置することを決議した。また,アドホック委員会第1回会合が開かれる前に,アドホック委員会へのNGOの参加を可能にする総会決議が採択された。 2 アドホック委員会における条約交渉 第1回会合(2002年7月29日〜8月9日)では,権利条約作成の是非やNGOの参加資格等が議論された。 第2回会合(2003年6月16日〜27日)では,権利条約の制定に異議を唱える国は一つも現れなかった。そして,作業部会を設立して,そこで作業部会草案を作成することとした。作業部会の構成は,政府代表27名(アジア7名,アフリカ7名,中南米5名,西欧5名,東欧3名),NGO代表12名(実際には,国際障害同盟IDAに参加する7つの国際組織の代表と5つの地域代表)及び国内人権機構代表1名の合計40名からなり,日本も作業部会メンバーとなった。 作業部会は,2004年5月1日から同月16日まで開かれ,作業部会草案がとりまとめられた。作業部会草案の内容は,非差別に限定したものではなく,自由権・社会権を含む包括的な人権条約の内容を有するものであった。この作業部会草案には,2003年の国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)専門家会議における「バンコク草案」が大きく影響している。 その作業部会草案をもとに,第3回会合(2004年5月24日〜6月4日),第4回会合(2004年8月23日〜9月3日),第5回会合(2005年1月24日〜2月4日),第6回会合(2005年8月1日〜12日)が重ねられ,この後に,アドホック委員会第2代議長であるドン・マッケイ議長(ニュージーランド国連大使)が,議長草案を作成し,第7回会合(2006年1月16日〜2月3日)が開かれ,その最終期日に修正議長草案が合意された。 その修正議長草案をもとに,第8回会合(2006年8月14日〜25日)が開かれ,その最終日に条約案の基本合意をみるに至り,同年9月〜11月に開催された起草委員会における法技術的な調整を経て,同年12月5日に再開会されたアドホック委員会第8回会合にて,アドホック委員会としての権利条約案が採択されるに至った。 3 国連総会による採択 これを受けて2006年12月13日,第61回国連総会において,前文・本文50箇条からなる権利条約,並びに本文18箇条からなる選択議定書が,全会一致で採択された。 V 権利条約策定過程の特徴 1 Nothing About Us, Without Us 本権利条約の採択の経緯において,何より特筆すべきは,NGOとして障がい者団体が条約交渉に参加し,大きな影響力を発揮したことである。条約は国家間の約束事であるから,条約交渉は本来であれば政府間の交渉になるが,障がいのある人の「Nothing About Us, Without Us」の考えに基づき条約交渉がなされたのである。 アドホック委員会にNGOの参加の機会が与えられ,やがてオブザーバーとして発言する機会が認められるに至った。条約草案を作成した作業部会の構成メンバーとして,政府代表と並んでNGO代表も加わっている。政府代表の中にも,日本のように障がいのある人が加わっている国も多かった。 2 International Disability Caucus (IDC) の結成と貢献 障がい者団体をはじめとする70以上のNGOは国際障害コーカス(IDC)というゆるやかなつながりをもち,当事者の声が条約に反映されるよう活発に活動した。アドホック委員会が開催されていない期間でも,IDCはメーリングリストを通じて議論を展開した。 その貢献は,個別の規定に障がいのある人の主張が反映されただけでなく,締約国の一般的義務を定める4条3項の当事者参画の規定となって実を結んだ。 3 条約化のスタートの遅れと条約交渉の早期進捗 権利条約は,確かに20世紀には成立をみなかったが,成立の是非も含めて議論が開始されてわずか5年あまりで採択されるに至った。他の人権条約,例えば子どもの権利条約では条約審理・交渉に10年以上を要したことと対照される。条約が採択された際,国連事務総長は権利条約が「国際法の歴史上,最も早く交渉が進み,インターネットによる幅広いロビーイングから生まれた最初の人権条約である」と語った。 人権条約採択に向けてのスタートが遅れたのは,障がいのある人は永らく保護の客体と考えられ,その主体性が認められなかったために,参画が遅れたからとも考えられる。初めて障がいのある人が過半数を占めた1987年国連専門家会議が契機となって,イタリアやスウェーデンが国連総会に障がい者権利条約を提案するに至ったことは,象徴的である。条約交渉が早期に進んだのは,IDCがNGO間の調整役を果たし,アドホック委員会が開かれていない期間においてもメーリングリストで議論を展開したからに他ならない。各国の障がい者団体は,各国政府とは異なり,国境の壁を越えた連携を保ちながら,その成熟した力量を発揮したのである。 W 日本の取組 日本政府は,アドホック委員会へのNGO参加の国連決議について,共同提案国となり,作業部会のメンバーにもなった。 また,権利条約成立を一つの目的として多くの障がい者団体が結集した日本障害フォーラム(JDF)は,アドホック委員会の開催前には,外務省を中心とした各関係省庁と協議を重ねた。そして,障がいのある当事者(車いす使用)である東俊裕弁護士を条約交渉の日本政府代表団の顧問に委嘱し,第2回から第8回のアドホック委員会に東俊裕弁護士は日本政府代表団の一員として参加した。 前述のESCAPのバンコク草案作成にあたって,日本の障がい者団体は大きな貢献をなした他,条約案においても司法へのアクセスを提案したことを契機として独立の条項として規定(13条)されるに至った。また,日本政府は発展途上国の障がい者団体(NGO)が国連のアドホック委員会に参加できるようにするため,日本が拠出する国連の障害者基金の中で旅費を援助していた。 このように,日本の障がい者団体や日本政府は,本条約の採択に大きな貢献をしたと評価できる。 <参考資料> 1 外務省「国連における障害者権利条約採択までの議論」(2014年1月) http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/shogaisha.html 2 東俊裕「障害者の人権条約を巡る国連第2回特別委員会参加報告」月刊ノーマライゼーション障害者の福祉23巻通巻265号12頁(2003年8月) 3 角茂樹「障害者権利条約への道-第3回障害者権利条約に関するアドホック委員会に出席して」月刊ノーマライゼーション障害者の福祉24巻通巻276号36頁(2004年7月) 4 鈴木誉里子「 障害者権利条約〜国連総会における採択までの経緯と概要」月刊ノーマライゼーション障害者の福祉29巻通巻330号14頁(2007年1月) 5 川島聡「基調講演 障害者の国際人権保障−その歴史と課題」リハビリテーション研究130号2頁(2007年3月) 6 東俊裕監修『障害者の権利条約でこう変わるQ&A』(解放出版社,2007年) 7 ドン・マッケイ 基調講演「障害者権利条約 その原点と最新動向」(日本障害フォーラムセミナー『権利条約の原点とわが国の課題』資料集15頁,2009年) 第2節 批准に至る経緯 T 諸加盟国の条約批准状況 権利条約45条1項によれば,20番目の批准書又は加入書が寄託された後30日目の日に効力を生ずる,と規定されている。2007年3月30日,ジャマイカが最初の批准国となった。その後の2008年4月3日にエクアドルが20か国目として批准し,これにより,同年5月3日に権利条約が発効した。 日本は2014年1月20日に141番目の国・地域として批准書を寄託し,同年2月19日に日本において効力が生じた。同年6月30日現在までに批准等をした国は巻末資料の資料1−3T「権利条約批准国一覧表」のとおりである。 U 日本の批准に至るまでの経緯 1 日本政府による署名と批准の準備 日本では,内閣に設置されていた障害者施策推進本部のもとに「障害者権利条約に係る対応推進チーム」(2004年6月23日障害者施策推進課長会議決定)が置かれ,これを中心に,政府間交渉に向けた対応や批准に向けた検討を行ってきていた。 権利条約は2007年3月30日から署名のために開放されていたが(権利条約42条),日本は,同年9月28日に署名をした。 これとあわせて政府は,権利条約の締結について検討を行い,同年12月25日に策定された新たな「重点施策5か年計画」において,権利条約の「可能な限り早期の締結を目指して必要な国内法令の整備を図る」ことが掲げられた。 2 内閣府の提示 翌2008年11月26日の中央障害者施策推進協議会において内閣府は「障害者施策の在り方に係る検討状況について」を発表し,そのなかで,権利条約の締結に際し,障害者基本法について考えられる主な改正事項を提示した。 @定義関係:差別行為の明示 A定義関係:合理的配慮の否定の明示 B基本的理念関係:上記に係る差別行為等の禁止 C国・地方公共団体の責務関係:上記に係る差別行為の防止義務 D国民の理解関係:上記に係る差別行為となるおそれのある事例の収集,公表 E国民の責務関係:上記に係る差別行為の防止の努力 F中央障害者施策推進協議会関係:障がい者施策に関する調査審議,意見具申,実施状況の監視等の所掌事務の追加 G中央障害者施策推進協議会関係:関係行政機関に対する資料の提出等の協力要請 H上記の他,今後検討を踏まえた所要の改正 といった9項目が示された。 3 障害者施策推進課長会議による改正事項 同年12月26日の内閣府主管の障害者施策推進課長会議において,「障害者権利条約の締結に際し必要と考えられる障害者基本法の改正事項について」という題のもとに8項目の改正事項が示された。 @差別の定義を新たに設け,差別について類型的に記載する A差別の定義においては,「合理的配慮の否定」が差別に含まれることを明記する B基本的理念として規定された差別の禁止についてAを踏まえたものとする C国及び地方公共団体の責務として規定された差別の防止についてAを踏まえたものとする D国民の理解のために@及びAにおいて定義された差別に該当するおそれのある事例を国が収集し公表する E国民の責務における差別防止の努力についてAを踏まえたものとする F中央障害者施策推進協議会関係について障がい者基本計画の作成及び変更の際の意見聴取に加えて,障がい者施策に関する調査審議,意見具申及び施策の実施状況の監視等の所掌事務を追加する G中央障害者施策推進協議会について関係行政機関に対する資料提出等の協力の要請ができることとする などの内容であった。 4 日本障害フォーラムの反対 このようにして政府は,2009年3月の権利条約の批准に向けて動いていた。 これに対し,日本障害フォーラム(JDF)が,国内法整備をきちんと担保した上での批准が必要であり,拙速な形式的な批准は絶対に避けなければならない,との意見を明らかにするなど,障がい者団体側が,拙速な批准を阻止する動きに出たことなどにより,条約締結の承認を国会に求める閣議決定は,閣議の寸前に案件から外された。日弁連も同年3月13日に会長声明を公表し,国内法の整備がされないまま権利条約が批准されると,権利条約が求めている人権保障システムの確立が先送りされる結果だけをもたらさないかという強い懸念を示すとともに,人権保障システムの基本的枠組みの構築を強く求めた。 5 障がい者制度改革推進本部の設置と障がい者制度の集中的な改革 同年に民主党を中心とする新しい政権への交代があり,同年12月8日に閣議決定により障がい者制度改革推進本部が設置された。これは,権利条約の批准に必要な国内法整備を始めとする障がい者制度の集中的な改革を行うなどを目的とするものであった。同月15日,障がい者制度改革推進会議を開催することが推進本部長により決定され,同会議において障がい者制度の改革について議論が進められることになった。 推進会議の構成員として障がいのある当事者・団体が多数参加し,弁護士や学者等も加わって障がい者制度改革について議論が行われた。日弁連も,人権擁護委員会障がいのある人に対する差別を禁止する法律に関する特別部会などの関係する弁護士が中心となって推進会議の議論をバックアップした。このような議論は,2010年6月7日に,「障害者制度改革の推進のための基本的な方向(第一次意見)」,同年12月17日に「障害者制度改革の推進のための第二次意見」として取りまとめられた。第一次意見は,障がい者制度の改革に向けた全般的な課題を,基礎的課題,横断的課題,個別分野の3つの分野に分けて取りまとめたものであり,政府はこれを受けて,2010年6月29日に権利条約の締結に向けた改革の工程表「障害者制度改革の推進のための基本的な方向について」を閣議決定した。第二次意見は,主に障害者基本法改正の方向性を示すものであった。 また,同年4月12日,推進会議において,総合的な福祉法制の制定に向けた検討行うために総合福祉部会を開催することが決定され,同月27日から2012年2月8日までの間,19回にわたって開催された。同部会での議論は,2011年8月30日に「障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言−新法の制定を目指して−」として取りまとめられた。 さらに,2010年11月1日,推進会議において,障がいを理由とする差別の禁止に関する法制制定に向けた検討を行うために差別禁止部会を開催することが決定され,同月22日から2012年7月13日までの間,21回にわたって同部会が開催された。その議論は,障害者政策委員会差別禁止部会に引き継がれ,同月27日から同年9月14日までの間4回にわたって同部会で議論が続けられた。この議論は,「『障害を理由とする差別の禁止に関する法制』についての差別禁止部会の意見」として取りまとめられた。 6 障がい者制度改革による成果と権利条約の批准 このような国内法整備の流れの中で,上述の各意見書との乖離が残された形ではあったが,2011年7月29日に障害者基本法の改正,2012年6月20日に総合支援法,2013年6月19日に差別解消法が成立した。 これを受けて,内閣は同年10月15日に権利条約の批准の承認案を国会に提出する旨閣議決定をし,同年11月19日に衆議院,同年12月4日に参議院にて可決された。これを受けて内閣は,2014年1月17日に権利条約を批准する旨の閣議決定をして,同月20日に141番目の国・地域として批准書を寄託し,同年2月19日に日本において効力が生じたのであった。 権利条約の批准について,日弁連は,2013年12月4日に会長声明を発表した。同声明では,政府は,2009年3月13日に公表された上記会長声明や当事者団体の意見等を踏まえて国内法整備を経た上で権利条約批准の承認に至ったことについては,評価するものであるとしつつも,社会的障壁の除去の実施について民間事業者の合理的配慮義務が努力義務にとどまり,国内人権機関も設立されていないなど,国内法整備は,必ずしも十分とはいい難く,権利条約の趣旨を国内において実現させるために,国は,引き続き国内法整備を行うことが必要であるとしている(巻末資料3−4)。 第3節 各国の障がいのある人の権利法制  権利条約は2006年12月13日に国連総会において採択され,2008年5月3日に発効したが,それ以前から,障がいのある人の権利法制を制定する国家が少なからず存在し,また,EUや米州機構も障がいのある人の権利に関して多国間にわたる法制を設けていた。以下,主な法制について説明する。 T アメリカ合衆国 1 リハビリテーション法504条(Rehabilitation Act of 1973) 1973年にアメリカ合衆国のリハビリテーション法に504条が追加された。連邦政府の財政支援を受ける企画や活動において,障がいのある人に対する排除・差別を禁止するという内容であり,世界で初めての障がいのある人に対する差別を禁止した法律である。この条項を施行するために,1977年にアメリカ合衆国の保健教育福祉省が差別の具体的内容を定めた施行規則を公表した。この規則は,合理的配慮がない場合も差別に該当するとしたものであり,世界で初めて障がいのある人に対する合理的配慮をめた。 2  障がいのあるアメリカ人法(Americans with Disabilities Act of 1990:ADA) リハビリテーション法504条では,規制の対象は連邦政府とその財政支援を受けるものに限られていた。これに対し,ADAは,より明確でかつに障がいのある人に対する差別を禁止した法律であり,1990年に制定された。内容は「雇用」,「公的サービス」,「民間団体により運営される公共施設及びサービス」,「電気通信」から構成され,各分野において障がいのある人に対する差別を禁止し,合理的配慮の否定も差別に該当すると規定している。その後,2008年にADA改正法(The ADA Amendments Act of 2008: ADAAA)が成立し,障がいの定義や障がいのある人に対する差別の定義の拡張などがなされた。 3  裁判外救済について 上記1及び2に関する裁判外救済について,1964年公民権法(Civil Rights Act of 1964)が適用され,雇用分野については,雇用機会均等委員会(Equal Employment Opportunity Commission: EEOC),その他の分野については,司法省(Department of Justice: DOJ)が担当し,それぞれがガイドライン制定,調停,提訴等の権限を有している。 U オーストラリア   障がい差別禁止法(Disability Discrimination Act 1992:DDA)が1992年に制定された。 「総則」「障がい差別の禁止(雇用差別,その他の分野の差別,障がい基準,ハラスメントを伴う差別,犯罪,適用除外)」「行動計画」「オーストラリア人権委員会の機能」「他の犯罪」「障害差別コミッショナー」「雑則」で構成される。2009年に大幅な法改正がなされた。 同法改正により,障がいのある人に対する合理的調整の履行を拒否することも差別として明記される一方,過度の負担の抗弁が規定され,その立証責任は,それを主張する者にあると明記された。また,間接差別における要求及び条件の合理性を証明する立証責任は,被告にあるとされた。最新は2013年改正のものである。裁判外救済機関は,人権委員会(Human Rights Commission)である。ガイドライン制定,差別の申立てに対する調査,調停等の権限を有している。 V ニュージーランド  ニュージーランドでは,1993年にニュージーランドにおける差別を取り扱う法令としてニュージーランド人権法(Human Rights Act)が制定され,障がいも差別の禁止事由の一つに規定された。2001年には人権法が改正されてそれまで人権法の適用を免除されていた政府・公的部門が全面的に適用をうけることになった。  2008年には権利条約を批准するために規定が一部見直された。  同法には,「人権委員会(Human Rights Commission)」「政府等による差別」「違法な差別」「法適用をめぐる紛争の解決」「人権審議裁判所」「調査」などの規定が置かれている。  また,同法は,間接差別(indirect discrimination)も差別に含めている。ただ,合理的配慮については明確な規定はなく,各分野において便宜の提供を期待することが合理的でない場合には差別に該当しないと規定している。  裁判外救済機関は人権委員会であり,人権法に定める事由を理由とする人権侵害・差別について,相談,調停,人権審議裁判所への委託等を行う権限を有している。詳細については,巻末資料4-2を参照。 W イギリス   障がい差別禁止法(Disability Discrimination Act 1995:DDA)が1995年に制定され,2005年に改正された。「障がい」「雇用」「他の分野の差別」「教育」「公共交通」「国家障がい委員会」「補則」「雑則」で構成され,障がいのある人に対する差別が禁止され,雇用主等には非差別の証左の一部として合理的調整を行う義務が課せられた。裁判外救済機関として障がい権利委員会(Disability Rights Commission)が設置され,ガイドラインの制定,仲裁,調査等を行う権限を有していた。   なお,2010年に,平等法(Equality Act 2010)が制定され,DDAは同法に統合された。この平等法は,年齢,障がい,性適合,婚姻及び同性婚,妊娠及び出産・育児,人種,宗教又は信条,性別,性的指向を保護対象とし,直接差別(direct discrimination),間接差別(indirect discrimination),障がいに起因する差別(discrimination arising from disability),合理的調整義務(duty to make a reasonable adjustments)の不履行としての差別,ハラスメント(harassment),報復的取扱い(victimisation),違法行為の指示等を禁止している。救済機関として,助言斡旋仲裁局(Advisory Conciliation and Arbitration Service)と平等人権委員会(Equality and Human Rights Commission)があり,前者は,あっせん,仲裁,助言を行い,後者は,ガイドライン制定,調査,質問,勧告を行う権限を有している。上記DDAの障がい権利委員会は,平等人権委員会に吸収された。 X 香港   障がい差別禁止条例(Disability Discrimination Ordinance 1995: DDO)が1995年に制定された。「総則」「一般的に適用される差別」「雇用分野における差別及びハラスメント」「他の分野における差別及びハラスメント」「その他の違法行為」「一般適用除外」「委員会」「執行」「雑則」で構成される。過度の負担に該当しない限り合理的配慮をしない場合は,条例違反になる。   裁判外救済機関として機会均等委員会(Equal Opportunities Commission: EOC)が設置され,調査,調停等の権限を有している。 Y 韓国   障がいのある人に対する差別禁止法が2007年に制定された。「総則」「差別禁止(雇用,教育,財と用益,司法・行政手続及びサービスと参政権,母・父性権・性等,家族・家庭・福祉施設・健康権等)」「障がい女性及び障がい児童等」「障がい者差別是正機構及び権利救済等」「損害賠償,立証責任等」「罰則」で構成される。正当な便宜供与の拒否も差別に該当する。   裁判外救済機関として,パリ原則に基づき立法・司法・行政のいずれにも属さない国家人権委員会に属する障がい者差別是正小委員会があり,調査,調停等を行う権限を有する(なお,詳細については,海外視察報告編第3章を参照)。 Z 米州条約   米州機構の加盟国は,アメリカ合衆国,カナダ,全南米諸国の合計35か国にのぼる。1999年にこの米国機構の総会で,障がいのある人に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する米州条約(Inter-American Convention on the Elimination of All Forms of Discrimination against Persons with Disabilities)が採択された。 同条約は,障がいのある人に対する差別を撤廃し,障がいのある人の社会への完全統合を促進するために,アクセシビリティの実現を求めるなどの施策を締約国に約束させている。 [ EU   雇用及び職業における均等待遇の一般的枠組みを設定する指令(Council Directive 2000/78/EC of 27 November 2000 establishing a general framework for equal treatment in employment and occupation, 2007/78/EC)が,2000年にEU理事会で採択された。   宗教・身上,障がい,年齢,性的志向に関わりなく全ての者に対する雇用・就労分野の差別禁止(直接・間接差別・ハラスメント),障がいのある人に対する合理的配慮の義務などが規定された。   この指令に基づいて,EU加盟国内法において置換(transposition)の手続が取られ,全27加盟国で法制定・改正が完了した。 <参考資料> 1 引馬知子「資料1 EUにおける障害者差別禁止法制(引馬知子氏提出)」(第2回障がい者制度改革推進会議差別禁止部会,2011年) http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/b_2/pdf/s1.pdf 2 長谷川聡「資料2 イギリスの障害者差別禁止法制(長谷川聡氏提出)」(第2回障がい者制度改革推進会議差別禁止部会,2011年) http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/b_2/pdf/s2.pdf 3 長谷川珠子「資料1 アメリカの障害者差別禁止法制(長谷川珠子氏提出)」(第3回障がい者制度改革推進会議差別禁止部会,2011年) http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/b_3/pdf/s1.pdf 4 長谷川聡「資料1 イギリスの障害者差別禁止法制(長谷川聡氏提出)」(第4回障がい者制度改革推進会議差別禁止部会,2011年) http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/b_4/pdf/s1.pdf 5 崔栄繁「資料2 韓国の障害者差別禁止法制(崔栄繁氏提出)」(第4回障がい者制度改革推進会議差別禁止部会,2011年) http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/b_4/pdf/s2.pdf 6 ミネソタ大学人権図書館「障害のある人に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する米州条約 AG/RES. 1608, 7 June 1999.」 http://www1.umn.edu/humanrts/japanese/Jdisabilitytreaty.html