第3章 日本における障がいのある人の今 本章ではまず,第1節で日本の障がいのある人に関する施策の推移について詳論する。 第2節以降では,権利条約が対象とする各分野について,「雇用」「欠格条項」「教育」「子ども」「家族」「女性」「アクセシビリティ:移動・施設利用」「アクセシビリティ:情報保障」「地域生活」「商品・サービス・不動産」「所得保障」「医療・健康」「司法」「参政権」「法的能力」「虐待」に分類をし,それぞれ,主として「関連する権利条約の規定」「障がいのある人の各分野における現行法制度等」「障がいのある人への差別事例」に分けて論じる(なお,ここでいう「差別事例」は,「差別と考えられる」「差別と思われる」事例や障がいのある人の権利侵害事例を広く含むものであり,権利条約や差別解消法の定める「差別」とは同義ではない)。 最後に,「国内実施と監視(モニタリング)」では,権利条約33条各項に沿って,日本における現状と課題を述べる。 また,第2節以降の「差別事例」において挙げた事例等の出典については,次の略語を使用している。 ・内閣府平成21年調査((公財)日本障害者リハビリテーション協会提供) →略:内閣府 ・上記以外の●年度の内閣府調査 →略:H●内閣府 ・千葉県「障害もある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」における収集事例 →略:千葉県 ・北海道「北海道障がい者条例」における収集事例 →略:北海道 ・熊本県「障がいのある人もない人も共に生きる熊本づくり条例」における収集事例 →略:熊本県 ・さいたま市「さいたま市誰もが共に暮らすための障害者の権利の擁護等に関する条例」における収集事例 →略:さいたま市 ・大阪府「障害を理由とした差別と思われる事例の募集結果について」(2013) →略:大阪府 ・京都府「障がいのある人もない人も共に安心していきいきと暮らせる京都づくり条例」における収集事例 →略:京都府 ・茨城県「障がいのある人もない人も共に幸せに暮らすための茨城県づくり条例」における収集事例 →略:茨城県 ・全日本手をつなぐ育成会「差別に関する意識調査アンケート」(2013) →略:育成会 ・障がいと人権全国弁護士ネット編「ケーススタディ障がいと人権」(生活書院) →ケーススタディ ・2014年6月6日に日弁連が実施した当事者団体ヒアリングの結果(巻末資料参照)      →「・・・ヒアリング」 第1節 日本の障がいのある人に関する施策の推移 T 施策の概観 1 古代法制と障がい者福祉 律令における福祉法制の最も基本的な条文は「戸令(こりょう)」の中の「鰥寡条(かんかじょう)」であり,古代法制における要援護者の範囲,私的扶養優先の原則,世帯単位の原則,地方行政権限,行路病人の処遇と実施責任の所在等が定められていた。そして,その私的扶養の優先や要援護対象の制限性等に関する思想は,明治維新を経て近代化した後も,日本の障がい者施策においてなお継承されてきたということができる。 2 太平洋戦争敗戦後から1980年まで 日本で,国家による障がいのある人を対象とした施策が本格的に始まったのは太平洋戦争敗戦後である。 戦前においては,障がいのある人を経済的救貧の対象としての一面のみをとらえて,一般的な窮民対策としての恤救規則(1874年)及びその改正法である救護法(1929年)が規定されていた。精神障がいに関しては,路上の狂?人に対する取り締まりに関する行政警察規則(1875年)等に表れているように治安・取締りの対象でしかなかった。 その後,敗戦を機に現行日本国憲法が制定され,基本的人権に生存権が明記され,社会福祉に対する施策が実施されることになり,生活保護法(1946年),児童福祉法(1947年),身体障害者福祉法(1949年)のいわゆる福祉三法が制定され,さらに,福祉事業を民間事業者が行うことを定めた社会福祉事業法(1951年,現社会福祉法)が制定された。 これらの法律によって,社会福祉の基礎構造が形成されることになり,以後長く続く制度が確立することになった。その内容は,福祉サービスが行政の措置として提供されること,その事務は,国の責任を前提として国から委任を受けた地方公共団体の長により国の機関として処理されること,その費用は応能負担とするというものであった。 この制度によって,制度構築以前と比べて必要な分野別に重点的な基盤整備が進められることになったが,制度間の格差が生じること,施策の対象となる障がいのある人の範囲が限定的であったこと,根本に保護主義的な思想があることなど多くの問題が存在していた。 その後,1960年代に入ると高度経済成長期を迎えることとなり,国民年金法に基づく無拠出制の福祉年金の支給が開始され(1960年),また,一般就労への促進を図る身体障害者雇用促進法(1960年)が制定された。 しかし,一方で,援護施設を中心にした精神薄弱者福祉法(1960年)が制定されて,知的障がいのある人の入所施設の増加が顕著になった。 精神障がいのある人についても,精神衛生法(1950年)がライシャワー事件を契機に改定(1965年)され,その後精神病床も世界に類を見ないほどに増加することとなった。 また,1970年には,施策の基本を示す心身障害者対策基本法が制定されたが,その目的は発生の予防や施設収容等の保護に力点を置くものであった。これは,終生保護に対して起きたノーマライゼーションの思想や脱施設化へ向かう世界的動向とは相反する施策であった。 教育の分野においては,1979年には養護学校の義務化が実施されて,就学猶予・免除の扱いとされてきた障がいのある児童の全員就学体制が整備されたが,一方で,世界的動向であった統合教育と相容れない原則分離の教育形態が基盤となってしまった。 3 施策の転換期(1980年代から2000年まで) 1980年代に入って「完全参加と平等」をテーマとした国際障害者年(1981年),障害者に関する世界行動計画(1982年)及び国連・障害者の十年(1983年〜1992年)が実施された。 この時期に日本においても,1950年代にデンマークで提唱されて世界的に障がい福祉の基本理念として広まったノーマライゼーション,すなわち,「障がいのある人が異常なのではなく,障がいのある人を排除し,障がいのある人に普通の生活を保障していない社会のほうこそ正常化のために努力しなくてはならない」という理念が広まっていった。 いわゆる福祉八法改正(1990年)においては,身体障害者福祉法や知的障害者福祉法に在宅福祉サービスが法定化されるとともに,地方分権化が図られ,従来の機関委任事務が団体事務に改められた。 身体障害者福祉法の改正では,1条の目的において,「身体障害者の自立と社会経済活動への参加を促進するため,身体障害者を援助し,及び必要に応じて保護し,もって身体障害者の福祉の増進を図ることを目的とする」とされ,従来あった「更生」という言葉が削除された。これは,障がいを努力により自分で克服するべき対象という考えから社会の側が社会参加のために支援するべきという方向性が示されたものといえる。 1993年には,心身障害者対策基本法の改正という形式により障害者基本法が成立し,障がいの定義に精神障がいが含まれることになった。 同法1条は「障害者の自立と社会,経済,文化,その他のあらゆる分野の活動への参加を促進することを目的」と法の目的が明記されている。 1995年には,精神保健法が精神保健及び精神障害者の福祉に関する法律に改定されて,法の目的に自立と社会参加促進が取り入れられた。しかし,同法が1999年に改正されるまでは精神に障がいのある人の保護者は,日々の生活の介護だけでなく,治療を受けさせ,他人に害を与えないよう監督する義務が負わされていた。 1998年には,精神薄弱者福祉法が知的障害者福祉法と改められた。 また,地方自治体レベルでまちづくり条例が普及して,高齢者,身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律(交通バリアフリー法,2000年),補助犬法(2002年),高齢者,身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(ハートビル法,1994年)が制定され,さらに2006年には,ハートビル法と交通バリアフリー法を統合化したバリアフリー新法が制定された。 4 2000年代から現在まで 2003年には従来の措置制度から契約制度への転換を目的に支援費制度が施行されたが,財政破綻を理由に2005年に障害者自立支援法が制定され2006年から施行された。 しかし,同法については,立法段階から「障害程度区分」,利用者負担(応益負担),介護保険との統合など多くの問題点が指摘され,施行後は応益負担を違憲とする訴訟や支給決定の取消しなどを求める訴訟が全国的に提起された。 このような当事者運動,訴訟での和解などによって,2012年には,障害者自立支援法を総合支援法とする法律が制定され,障がいのある人の定義への難病等の追加や,2014年度から「障害程度区分」にかわって必要な支援の度合いを総合的に示す「障害支援区分」を導入することなどが定められた。 また,2003年には,医療観察法が成立したが,同法についても人権侵害であるとの意見も根強く,反対運動が続いている。 また,2004年には,自閉症,アスペルガー症候群,その他の広汎性発達障がい,学習障がい,注意欠陥多動性障がい等の発達障がいのある人に対する援助等を定めた発達障害者支援法が成立したが,必ずしも十分な支援が保障されるものではなかった。 さらに,2006年には学校教育法が改正され,従前の盲学校,ろう学校及び養護学校が特別支援学校に一本化される等,特別支援教育の推進が謳われるようになったが,障がいのある子どもとない子どもの分離教育が原則形態であることは変更されていない。 2004年の障害者基本法改正では,基本的理念として障がいのある人への差別をしてはならない旨が規定された。 さらに同法は,2011年に改正され,全ての国民が障がいの有無にかかわらず尊重される共生社会の実現をめざすこと,差別を禁止すること,「合理的配慮」の概念が盛り込まれた。また,障がい者の定義規定(2条)では,身体,知的,精神の三障がいに限局しない社会モデルによる定義が初めて定められた。 また,同年,障害者虐待防止法が成立した。 さらに,2013年には,障害者基本法の「差別の禁止」の基本原則を具体化した差別解消法が成立した。障害者差別禁止の適用範囲や差別事例に対する救済機関のあり方など,後に述べるように差別解消法が成立した後においても多くの課題が残されている。 この間,国際社会においては,障がいのある人の権利保障に向けた取組が進められ,既に述べたとおり,2006年には国連総会で権利条約が採択された。様々な政策分野において,障がいを理由とする差別の禁止と「合理的配慮」(障がいのある人が他の者と平等に全ての人権等を享有・行使するために必要な調整等)を求めるこの条約に,日本は2007年に署名し,2014年に批准した。 5 条例制定の動き 地方公共団体においては,上述したように,1990年前後から福祉のまちづくりに関連する条例が制定されてきたが(大阪府福祉のまちづくり条例・1992年等),その後2006年には,全国に先駆けて千葉県で,障がいのある人に対する差別禁止を内容とする障がいのある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例が制定された。 千葉県条例においては,@全て障がいのある人が,障がいを理由として差別を受けず,個人の尊厳が重んぜられ,その尊厳にふさわしく,地域で暮らす権利を有すること,A障がいのある人に対する差別をなくす取組を,障がいのある人に対する理解を広げる取組と一体的に行うべきこと,B障がいのある人に対する差別をなくす取組は,様々な立場の県民がそれぞれの立場を理解し,相協力することにより,全ての人がその人の状況に応じて暮らしやすい社会をつくるべきことを旨とすることを基本理念として定めている。 そして,障がいのある人に対する差別とは,@障がいがあることを理由として不利益な取扱いをすること,及びA障がいのある人が障がいのない人と実質的に同じような日常生活や社会生活を営むために必要な合理的な配慮に基づく措置を行わないことを意味するものとしている。 そして,現実に差別に関する問題が発生した場合には,各地域の相談員や専門職員が相談に応じ,さらに地域の相談で解決の難しい事案については,県に設置された「障害のある人の相談に関する調整委員会」が第三者的な立場で問題の解決を図るものとされている。 千葉県条例施行後2007年には295件,2008年は263件,2009年には233件,2010年には231件,2011年には196件,2012年には193年の相談受付があり,地域に密着した差別事例の解決に向けて積極的な取組がなされている。 その後,同様の障がいを理由とする差別の禁止を内容とする条例が,北海道,岩手県,埼玉県さいたま市,熊本県,東京都八王子市,長崎県,大分県別府市,鹿児島県,沖縄県,京都府,茨城県で制定されている(2014年7月現在)。 条例においては,法律には規定されていない事項,例えば,障がいの定義,差別の概念,法的義務の範囲の拡大や地域に密着した効果的な紛争解決機関の創設など,いわゆる「上乗せ,横出し」条項を規定することによる手厚い権利保障を実現することが可能となる(差別解消法制定時の附帯決議参照。)。 また,2013年,聴覚に障がいのある人の権利を保障するため,手話が言語であることを明記して手話の普及のための施策を定めた鳥取県手話言語条例が鳥取県で制定された。以後同趣旨の条例が北海道石狩市,北海道新得町,三重県松坂市,佐賀県嬉野市でも制定されている(2014年7月現在)。 U 障がいの概念(医学モデルから社会モデルへ) 1 医学モデルから社会モデルへの変革 障がいの概念については,権利条約において従来の医学モデルから社会モデルへの転換が図られたことはすでに述べたとおりである(第2章第1節U『障がいとは何か−「医学モデル」と「社会モデル」』)。これをもとに,日本における障がいのある人の範囲や障がいの概念について述べる。 2 日本の国内法における「障害者」の範囲 日本では,戦後1949年に身体障害者福祉法が,1960年に精神薄弱者福祉法(後の知的障害者福祉法)が制定されたにもかかわらず,精神障がい,特に統合失調症に関しては,1950年の精神衛生法(現在の精神保健福祉法)の下で医療の対象にとどめ置かれたことに伴い,長く,身体障がい及び知的障がいが障がいであるとされてきた。精神障がいが障がいの範囲に含まれることとなったのは国際障害者年及びその後の10年間の国際的な動きに影響を受けて改正された1993年の障害者基本法からであり,以後,「障害者」の範囲は,「身体障害者」,「知的障害者」,「精神障害者」の3障がいに限定されてきたが,現在,発達障がい者や難病者なども含む立法も生まれている。 このように,日本の障がいについての法整備が個別の障がい種別ごとに拡張されてきたのは,福祉,教育,労働,社会防衛的な精神医療などの個別の政策の対象をどう確定するかについて,その個別施策の目的に沿って特定の「障害」だけを念頭にアプローチされてきたことによる。その結果として,現在においも「障害者」の範囲は法律ごとに異なり,統一されたものとはなっていない。 3 日本の障がいの概念 このように制度ごとに障がいのある人の範囲を異にしてきたが,従来の立法の共通点は,障がいを医学モデルで把握していた点である。例えば,2011年に改正される前の障害者基本法の「障害者」の定義は,「身体障害,知的障害又は精神障害(以下『障害』と総称する。)があるため,継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。」とされていた。これは,障がいのある人が背負う困難の原因を「障害」「があるため」として,個人の機能障がいや能力障がいに求めていたのである。医学モデルに基づく典型的な定義であった。 しかし,権利条約の批准に向けた障がい者制度改革の流れの中では,そのような医学モデルの障がい概念を社会モデル的に変容させることが不可避となった。 現在においても,必ずしも「障害」の定義が各法律間で統一されているものではなく,改正された雇用促進法や総合支援法を含め従来の医学モデルに基づく定義がなされている法律も多くみられるが,一方で,障害者基本法,差別解消法,障害者虐待防止法においては上記「社会モデル」の考え方を踏まえた定義となっている。 すなわち,障害者基本法が2011年に改正され,2条で「障害者」を「身体障害,知的障害,精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であって,障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。」としている。 ここにおいて,障がいのある人が背負う困難の原因として「障害」のみならず,「社会的障壁」が取り上げられたのである。さらに,「社会的障壁」とは「障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物,制度,慣行,観念その他一切のものをいう。」と定義されている。 しかも,損傷(インペアメント)を三障がいに限らず「その他心身の機能障害」とすることにより,がん,難病などの慢性疾患や,手帳取得基準に満たない軽度,中度障がいなど,あらゆる心身の機能障がいを包括した点においてもこれまでにない画期的な改正であった。 4 障がいあるいは障がいのある人の定義のあるべき姿 こうしてみると,現行法は,立法技術的には,障がいの概念について医学モデルに立脚する方式と社会モデルに立脚する方式があり,障がいの範囲について特定の機能障がいに限定する方式と限定せずに包括する方式があることになる。 しかし,障がいの範囲をどのように設定するにせよ,障がいのある人が抱える困難の原因を考える上で,社会的障壁の存在を無視することはできないことに鑑みると,全ての立法において,社会モデルに立脚することが求められる。また,限定列挙方式には必然的に制度の谷間を産む構造が内包されていることを考えると,多くの障がいのある人に共通のサービスを提供することを目的とする立法においては,障がいを包括した規定によるべきである。 ちなみに,総合支援法では,障がいの定義は従来の医学モデルを踏襲した上で,「身体障害者」,「知的障害者」,「精神障害者(発達障害者を含む)」及び一定の難病患者に限定されており,同法に基づく支援の対象が限定されている。 しかし,これでは,社会的障壁による日常生活や社会生活に伴う様々な困難をなくすために必要な支援といったものはサービス体系に位置づけらなくなることに加え,制度の谷間を産むことになり,どちらの面から見ても,権利条約19条が求めている地域社会支援サービスたりえない。 今後は,各法律で統一が図られていない現状に鑑みて,より社会的モデルに依拠して制度の谷間を産まない包括的な定義へ向けて検討がなされるべきである。 V 差別解消法の成立 1 差別解消法成立に至る経緯 日本では,権利条約批准に先立ち,2013年6月26日に差別解消法が公布された。 政府は,2007年9月に権利条約に署名し,2009年12月に,権利条約の締結に必要な国内法の整備を始めとする障がい者制度の集中的な改革を行うために,内閣に「障がい者制度改革推進本部」を設置した。そして,同本部の下で,障がい者施策の推進に関する事項について意見を求めるため,障がい当事者,学識経験者等からなる「障がい者制度改革推進会議」(以下「推進会議」という。)が開催されることになった。 政府は,推進会議の意見を踏まえて,2010年6月,「障害者制度改革の推進のための基本的な方向について」を閣議決定し,新しい法制の制定に向けた検討を効果的に行うために,2010年11月からは推進会議の下で「差別禁止部会」が開催された。 差別禁止部会では,日本で制定されるべき差別禁止法制の内容についての検討が行われた。総論として,差別禁止法の必要性,障がいの概念,差別の捉え方やその類型などの議論,及び,障がいのある人の生活分野に即した各論として,公共的施設・交通機関,情報・コミュニケーション,商品・役務・不動産,医療,教育,雇用,国家資格等,家族形成,政治参加(選挙等),司法手続などの各分野についての議論がなされた。 その後,障害者政策委員会が発足して推進会議の議論を引き継ぎ,意見が取りまとめられた。 そして,この意見を踏まえ,政府は「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律案」を作成し,同法案は2013年4月26日に閣議決定され,第183回通常国会に提出された。その後,衆・参議院で可決されて差別解消法が成立し,同年6月26日に公布された。施行日は2016年4月1日である。 日本ではこれまで,障害者基本法の改正により同法に加えられた「何人も障害を理由として差別されてはならない。」という抽象的な差別禁止規定しかなかったため,国の施策の方針を規律するという基本法の性質上,同法の差別禁止規定に裁判規範性が認められることはなかった。裁判規範性とは,裁判で権利主張する際にその根拠となりうる法規範性を指す。つまり,障がいのある人が何らかの差別を受けた時,障害者基本法の差別禁止規定を根拠に裁判を起こしても,法的根拠を欠くことからその主張が認められないということになる。 これに対し,差別解消法は裁判規範性が認められる個別法であり,同法の差別禁止条項を根拠に裁判で争うことができる法律である。このような法律がようやく日本で初めて誕生した意義は大きい。 2 差別解消法の概要 (1)差別解消法の趣旨目的 差別解消法は,差別の禁止に関する具体的な規定を示し,それが遵守されるための具体的な措置等を定めることにより,障害者基本法に定められる差別禁止の理念を具体化する法律として位置づけられる。 差別解消法は1条で,法の目的を,「全ての障害者が,障害者でない者と等しく,基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ,その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを踏まえ」「障害を理由とする差別の解消を推進し,もって全ての国民が,障害の有無によって分け隔てられることなく,相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資すること」と定めている。 (2)障がいの定義 差別解消法では,障がいの定義は障害者基本法と同様に,「身体障害,知的障害,精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であって,障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。」とされている(2条1号)。 障がいの定義は,上述したように,一定程度,医療モデルから社会モデルへの転換がなされたといわれている。つまり,医学的に特定される機能障がいだけではなく,機能障がいと社会の側にある障壁の相互作用により,日常生活又は社会生活に制限を受ける状態が作り出されるとの考え方を採用した定義になっている。 この社会モデルの考え方は,合理的配慮という概念とベースを共通にしている。すなわち,社会の側から一定の配慮をすることで社会的不利という状態が解消されるという考えと共通するものである。 (3)差別規定 差別解消法で最も重要なのは,差別の内容である。差別として,@不当な差別的取扱いと,A必要かつ合理的な配慮を行わないこと,の二つが定められた。 また差別が禁止される相手方は,「行政機関等」と「事業者」の二つに分けられる。 a 不当な差別的取扱い 不当な差別的取扱いについては,行政機関等につき7条1項で,事業者につき8条1項で,「障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより,障害者の権利利益を侵害してはならい,」と定められている。これらはいずれも法的な義務である。 不当な差別的取扱いの具体例は,障がいを理由に,ホテルやレストランが宿泊拒否や入店拒否をすること,飛行場で搭乗拒否すること,タクシーやバスの乗車拒否をすること,アパート入居の契約を拒否することやアパート入居に際して通常より高い敷金を求めること等である。 b 必要かつ合理的な配慮をしないこと(行政機関等) ア 合理的配慮の不提供 差別解消法では,「必要かつ合理的な配慮をしないこと」が差別の二つ目の類型とされており,合理的配慮の不提供と呼ばれる。行政機関等については以下のように定めている。 「障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において,その実施に伴う負担が過重でない時は,障害者の権利利益を侵害することとならないよう,当該障害者の性別,年齢及び障害の状態に応じて,社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならない」(7条2項) つまり,@障がいのある人から意思の表明があること,A負担が過重でないことを要件として,B性別,年齢,障がいの状態に応じて,合理的配慮をしなければならない,という形になっている。 この合理的配慮の不提供という差別類型は,性別や人種に関する差別禁止法が古くから発達している欧米においても,障がい分野に限って認められてきた概念であり,一定の合理的な配慮がなされて初めて,障がいのある人が障がいのない人と対等な機会が与えられ,実質的な平等が達成されるとの理解に基づいているといえる。 イ 意思の表明 障がいのある人の「意思の表明」については,精神障がいや内部障がいのように外見的にわからない障がいの場合,障がいのある人から合理的配慮を求める意思の表明がなければ,相手側は障がいの有無や必要な配慮の内容を知りえないため,意思の表明があることを合理的配慮の実現に向けた手続きを開始するために求めたものである。したがって,意思の表明は,相手方が知り得ればよいことになるので,障がいのある人本人だけでなく家族や支援者等が本人を補佐して行うことも認められる。 ウ 過重な負担 「過重な負担」については,権利条約でも「過度の負担がないこと」が合理的配慮の定義に入れられているとおり,相手側に何もかも要求できるわけではなく,配慮義務に一定の限界があることが示されている。何をもって「過重な負担」とするかについては,事業等の規模やその規模から見た負担の程度,財政状況,業務遂行に及ぼす影響といったものが考慮要素となる。 注意を要するのは,零細な商店などにエレベーターの設置を義務づけることが仮に「過重な負担」として否定される場合であっても,それ以外の合理的配慮まで免れるものではないということである。例えば,スロープの設置や人手などの他に選びうる手段を使って車いすの人を安全に移動補助することは合理的配慮の内容として要請されるであろう。 エ 性別,年齢,障がいの状態 「性別,年齢,障害の状態に応じて」という文言は,権利条約が独立章を設けて,「障害のある女子」や「障害のある児童」について定めていることから,差別解消法においても,障がいのある女性や子どもに対する個別の配慮を要請する趣旨から入れられたものである。障がいがあることと女性であること(あるいは子どもであること)という複数の属性から生じる差別を「複合差別」と呼ぶが,複合差別に対する手当としてかかる文言が入ったことが,運用面で生かされることが期待される。 また性差別などと比較し,障がいは個別性が強い属性であることから,例えば,視覚障がいや聴覚障がいといった障がい種別によって一律の扱いをすることは適切でなく,個々の障がいの状態やその場の環境に応じて合理的配慮の内容も自ずと異なってくることから,「障害の状態に応じて」との文言が入れられたものである。 c 必要かつ合理的な配慮をしないこと(事業者) 事業者についても合理的配慮義務の概念は全く同じであるが,「事業者は,その事業を行うに当たり,障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において,その実施に伴う負担が過重でないときは,障害者の権利利益を侵害することとならないよう,当該障害者の性別,年齢及び障害の状態に応じて,社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするように努めなければならない。」と規定され,義務の性質が法的義務でなく努力義務にとどまっているところが大きな違いである(8条2項)。ただ,この点については,附則により検討を要する事項(附則7条)となっており,見直しの方向性にあるといえる。 (4)紛争解決 差別解消法は,自治体が,障害者差別解消支援地域協議会を設置することができると定め(17条),地域の公的機関や民間機関によるネットワークの中で,相談事例が適切に対応されるよう,情報の共有・管理や日常的な連携が図られることを意図している。国会答弁によると,同協議会が相談を受ける機能を持つことも可能であるとされるが,独自に助言あっせんする機能は付与されていない。この協議会が全ての自治体で設置され,十分に機能することが望まれる。また今後,この協議会の設置が努力義務でなく必置とされることが期待される。 また,差別を起した事業者に対しては,報告徴収,助言・指導,勧告といった行政措置をとり得る仕組みが取り入れられ,事業者が合理的配慮をしない場合にも対処できるものとなっている(12条)。さらに,報告徴収に従わなかった場合には罰則規定もある(26条)。 このように,民間事業者の合理的配慮は努力義務にとどまっているが,努力義務であってもこの指導,勧告といった行政措置の対象になる。したがって,民間事業者も,法令順守の観点から極力合理的配慮を履行することが望まれる。 第2節 雇用 T 権利条約の規定 1 権利条約27条 (1)内容・意義 権利条約の中で,雇用についての最も中心的な規定は27条である。 同条1項においては,締約国は障がい者が他の者と平等に労働についての権利(障がい者に対して開放され,障がい者を受け入れ,及び障がい者にとって利用可能な労働市場及び労働環境において,障がい者が自由に選択し,又は承諾する労働によって生計を立てる機会を有する権利を含む)を有することを認め,あらゆる形態の雇用に係る全ての事項に関して障がいを理由とする差別を禁止すること(同条1項(a)),他の者と平等に公正かつ良好な労働条件,安全かつ健康的な作業条件及び苦情に対する救済についての障がい者の権利を保護すること(同条1項(b)),公的部門において障がい者を雇用すること(同条1項(g)),積極的差別是正措置などを通じて民間部門における障がい者の雇用を促進すること(同条1項(h)),職場において合理的配慮が障がい者に提供されることを確保すること(同条1項(i))などのための適当な措置(立法措置も含む)をとることにより,労働についての障がい者の権利が実現されることを保障・促進するものとされている。 同条2項においては,締約国は,障がい者が,奴隷の状態又は隷属状態に置かれないこと及び他の者と平等に強制労働から保護されることを確保するものとされている。 従来,障がい者雇用に関する国際的スタンダードとされてきた国際労働機関(ILO)の「職業リハビリテーション及び雇用(障害者)に関する条約」(第159号条約,1983年採択)との大きな違いは,ILO第159号条約は,2条に「加盟国は,この条約の規定を国内事情に適し,かつ,国内慣行に即した措置によって適用する。」とあるとおり,条約を実施するためにとるべき措置について加盟国の裁量の余地を残しているのに対して,権利条約27条には,そのような締約国に裁量を認めるような規定が設けられなかったことにあるといわれている。 (2)差別の禁止 権利条約27条1項(a)においては,「あらゆる形態の雇用に係る全ての事項・・・に関し,障がいを理由とした差別を禁止すること」とされているが,ここでいう「差別」には,直接差別はもちろん間接差別も含まれると解されているだけでなく,合理的配慮の否定が含まれることは権利条約2条によって明らかにされている。 権利条約27条1項(a)の規定は,条約交渉当初のたたき台とされた作業部会草案の22条(労働への権利)の中には含まれていなかったが,労働及び雇用に関する個別条文においても障がい者差別を明確に禁止すべきであるとの意見が参加国から出されたことにより,第6回特別委員会かでの議論を経て作成された議長草案の27条において初めて挿入されたものである。 なお,権利条約27条1項(i)においても,締約国が,職場において,障がいのある人に対する合理的配慮の提供が確保されるための措置をとることが求められている。 上記のとおり,権利条約27条1項(a)及び2条においても,締約国が合理的配慮の提供が確保されるための措置をとることが求められているし,権利条約5条3項においても,締約国は,平等促進・差別撤廃のために合理的配慮が提供されることを確保するための適当な措置をとるものとされている。 そうすると,仮に同条1項(i)において合理的配慮の提供について規定しなかったとしても,締約国が職場における合理的配慮の提供が確保されるための措置をとることが必要であることは疑うべくもないが,あえて同条1項(i)において合理的配慮の提供について明記したことは,職場において合理的配慮の提供の確保が欠けることがないよう重ねて強調する趣旨といえる。 (3)あらゆる形態の雇用 同条1項(a)の「あらゆる形態の雇用」については,一般労働者と同様に就労することが困難な障がいのある人を対象とした代替雇用(保護雇用)が含まれることが重要である。 これに関して,ILOからは「開かれた労働市場で働くことができない,世界全体では数百万人にものぼる人々のための代替雇用の規定が欠如していることを憂慮する。開かれた労働市場で働くことができない障害のある人々に対して,有用で報酬を伴い,かつ,昇進及びできるならば一般雇用への移行の機会を提供することを確保する条件で,代替雇用が提供されるべきである」との意見があった。しかし,一方で代替雇用を含めることによって障がいのある人に対する劣等処遇を温存することになりかねないとの反対意見もあった。 そのため,「代替雇用」について明記はされなかったものの,「あらゆる形態の雇用」という表現によって,代替雇用を保護の対象に含めることとされた。 このことが,後記のとおり,労働基準法や最低賃金法の保障を受けない福祉的就労に就く障がいのある人が多数存在する日本において,果たすべき役割は大きい。 (4)積極的差別是正措置 同条1項(h)の「積極的差別是正措置」であるが,従業員の一定割合について障がいのある人の雇用を義務付ける「雇用率制度」もこれに含まれるものと解されている。 雇用率制度は,ILOの「障害労働者に対し,その労働能力を基礎として,均等の機会を確保するため特別の措置を講じなければならない。使用者に対して・・・必要な場合にはこれを強制して,障害労働者の合理的な割合を使用することを勧奨しなければならない」との第71号勧告(1944年)などに基づくものであるが,そのILOが,「実質的な機会及び待遇の均等を確保するためのこうした特別の措置は,ひとたび採択されたら,特別措置は引き続き必要で有効かどうか確かめるために,定期的に再検討されなければならない。特定の労働者若しくは特定のセクターに対する差別待遇から生じた不均衡を補償することが目的であるだけに,こうした措置は明らかに一時的な性質を備えていることに留意しなくてはならない。」との見解を示していることを忘れてはならない。 権利条約5条4項により,事実上の平等を促進し,又は達成するために必要な特別な措置は,この条約に規定する差別と解してはならないとされるが,雇用率制度などの積極的差別是正措置については,その必要性・有効性について絶えず検証が必要であり,また,差別を温存することにならないよう,あくまで過渡的な措置として位置付けられなければならない。 2 その他の規定 権利条約の中には,雇用についての規定として,27条以外にも,締約国は,職場・労働市場に対する障がい者の貢献についての社会全体の意識を向上することを定めた8条2項(a)(B),差別なく他の者と平等に職業訓練等の機会を与えられることを確保することなどを定めた24条5項,障がい者の自立などのために特に雇用などの分野において包括的なリハビリテーションの企画・強化・拡張することを定めた26条1項,社会的な保障のため障がい者が退職に伴う給付・計画を平等に利用することを確保するための措置をとることを定めた28条2項(e)などがある。 U 障がいのある人の雇用についての現行法制度等 1 はじめに 最近の統計では,身体・知的・精神障がいのある人の総数約788万人(身体障がい約394万人,知的障がい約74万人,精神障がい約320万人)のうち,雇用施策の対象とされている18〜64歳の在宅者は約324万人(身体障がい約111万人,知的障がい約41万人,精神障がい約172万人)といわれている。 障がいのある人の雇用に関する中心的な法律としては,雇用促進法があるが,これはあくまで一般労働者と同様に働くことができる障がいのある人を対象とするものであり,それが困難な障がいのある人を対象とした代替雇用に位置付けられるいわゆる福祉的就労については,総合支援法に規定されている。 2 一般就労 (1)差別の禁止 2013年6月に成立した差別解消法5条において,行政機関及び事業者は,社会的障壁の除去の実施についての合理的配慮を行うため,施設の構造の改善,設備の整備,関係職員に対する研修など必要な環境整備に努めなければならないとされた。 また,同法13条において,行政機関及び事業者が労働者に対して行う差別解消のための措置については,雇用促進法の定めるところによるとされた。 そして,差別解消法と同時期に改正された雇用促進法34条,35条,36条の2,36条の3においては,事業主は,労働者の募集・採用においては均等な機会を与えることが求められ,採用後にあっては賃金その他の待遇に関して不当な差別的取扱いが禁止され,合理的配慮に関しては,募集・採用においては障がいのある人の申出により,採用後にあっては申出がなくてもこれを提供しなければならないとされた。募集・採用というこれまで事業主に広い裁量が認められてきた場面においても,均等な機会や合理的配慮の提供を認めたことについては,一定の肯定的な意見がある一方,合理的配慮の提供について,障がいのある人の申出を要件としたことについては,障がいの内容によっては,必要な合理的配慮の内容を伝えることが困難な場合もあり,そのような場合にこそ合理的配慮が必要であるにもかかわらず,申出を要件としたことについては否定的な意見がある。 不当な差別的取扱いの禁止や合理的配慮の提供等のために必要があるときは,厚生労働大臣は,事業主に対し,助言・指導・勧告することができ(同法36条の6),紛争が生じたときには,紛争調整委員会による調停や都道府県労働局長による勧告等が可能となったが(同法74条の6,74条の7),合理的配慮の欠如を含む差別禁止規定に違反した場合の私法上の効果については定められなかった。 これらの差別禁止の対象は,手帳を持つ障がいのある人だけでなく,手帳を持たない障がいのある人や難病患者も対象となりうる点で,後述の雇用率制度よりも対象が広い。 これら改正法の施行日は2016年4月1日であり,差別禁止に関する指針(同法36条)及び合理的配慮の適切かつ有効な実施を図るための指針(同法36条の5)の作成が進められているところである。 (2)雇用率制度 障がいのある人に対する雇用施策は,雇用促進法において,事業主に,障がい者雇用率に相当する人数の雇用を義務付け,これを達成していない企業から納付金を徴収し,これを達成した企業に調整金,報奨金を支給する雇用率制度を中心として行われてきた。 従来の法定雇用率は,手帳を持つ身体障がい者及び知的障がい者のみを義務付けの対象とするものであったが,2013年6月の法改正によって,手帳を持つ精神障がい者についても,対象とされることになった。ただし,その改正法については,日本経済団体連合会の反対により施行日が大幅に遅れ,2018年4月1日となり,しかも,2018年4月1日から5年間は激変緩和という根拠を欠く名目のもとに法定雇用率を低く設定するとされており,精神障がい者の雇用義務化の完全実施が大幅に遅滞する結果となった。 また,雇用率制度における法定雇用率及び実雇用率は,「常時勤務する職員」(雇用促進法38条)や「常時雇用する労働者」(同法43条)を基準として算定すべきものとされている。この文言を素直に解釈すれば,正規職員や正規社員(期間の定めのない労働者)をもって算定すべきとなるはずだが,厚生労働省や高齢・障がい者・求職者雇用支援機構は,法の文言を歪曲して解釈し,非正規職員や非正規社員も実雇用率にカウントしている。 さらに,雇用率制度の実雇用率は,法人ごとにカウントするのが原則であるが,障がい者の雇用に特別の配慮がなされるなど一定の要件を満たした子会社については,特例として,その子会社に雇用されている労働者を親会社に雇用されているものとみなして実雇用率をカウントすることができるといういわゆる「特例子会社」制度がある(同法44条)。特例子会社の数は,2003年6月1日時点で129だったのが,2013年5月末日時点で378へと,10年で3倍近く増加している。この制度については,障がいのある人の雇用促進に一定の役割を果たしているとの肯定的な意見がある一方で,親会社とは賃金体系など労働条件も異なり,格差を生む構造を作出しているとか,親会社とは離れた職場に障がいのある人を隔離しているなどの否定的な意見もある。 実雇用率のカウントについては,障がいのある人を1人雇用した場合に1人とカウントするのが原則であるが,重度の障がいのある人を1人雇用した場合には2人分としてカウントできるといういわゆる「ダブルカウント」制度がある。民間企業で雇用されている重度の障がいのある人は,1999年に6万5366人だったのが,2007年には7万9496人へと21.6%増加しているのに対し,民間企業で雇用されている重度以外の障がいのある人は,1999年に12万3830人だったのが,2007年には14万4208人へと16.5%しか増加していない。この制度については,重度の障がいのある人の雇用促進に一定の役割を果たしているとの肯定的な意見がある一方で,医学モデルで重度と判定されても職務能力が同様とはいえないとか,障がいの軽重で差別的取扱いをするものであり,ダブルカウントされる側にとって恥辱であるなどの否定的な意見もある。 現在の法定雇用率(2013年4月1日以降のもの)は,一般の民間企業が2.0%,特殊法人等が2.3%,国・地方公共団体が2.3%,都道府県等の教育委員会が2.2%とされている。 これに対して,2012年度の実雇用率は,民間企業が1.69%,国が2.31%,都道府県(知事部局)が2.46%,都道府県(その他の機関)が2.32%,市町村が2.25%,教育委員会(都道府県)が1.88%,教育委員会(市町村)が1.87%となっており,民間企業及び教育委員会は法定雇用率を達成していないところが多いのが現状である。 精神障がいのある人を雇用義務の対象に加えて算定した場合や,非正規労働に従事する障がいのある人を除いて算定した場合には,さらに法定雇用率を達成していないところが増えることは必至である。 法定雇用率の例外として,障がいのある人が就業することが困難とされる業種について,業種ごとに定めた割合により雇用義務を軽減するという除外率制度があり,これは2002年の雇用促進法改正により2004年4月に廃止されているが,経過措置として,廃止の方向で段階的に除外率を引き下げるものとされた。しかし,それから6年余り経った2010年7月以降の除外率でも,小学校で55%,幼稚園で60%など高い除外率が残されており,問題はさらに大きくなる。 なお,法定雇用率を達成しない場合のペナルティとして,上記の納付金の他,障がいのある人の採用についての計画を作り,その実施を勧告し,それを達成しない企業名を公表する制度がある。 民間企業については,2012年度も2013年度も企業名が公表された企業数はゼロ,国や都道府県の機関(教育委員会を除く)については,2006年度から2013年度まで7年連続で勧告がなされた件数はゼロ,教育委員会については,2013年度に勧告がなされた件数はゼロであった。 上記のとおり,法定雇用率を達成していない民間企業及び教育委員会が多いにもかかわらず,勧告・公表が機能しているとはいいがたい状況にある。 生の声としても、「障がい者を雇用する企業に対する助成金や優先発注,障がい者雇用率を達成していない企業の公表などにより受け入れ企業を増加させることが必要」(北海道),「特に地方では少ないので,大企業の優遇だけではなく地方の中小企業に対する配慮も必要」(北海道)など障がいのある人が住んでいる地域での雇用の場を確保する取組を求める意見が多数存在した。 関連する裁判例としては,法定雇用率達成に向けて取り組む上で,各企業における法定雇用率達成状況に関する情報が不可欠であるとして,上記情報を持つハローワークを管轄する労働局に情報開示請求をした障がい者雇用率情報公開訴訟(東京地裁平成15年5月16日決定ケーススタディ19頁)などがある(同決定では,身体・知的・重度・軽度などの区分における人数の多くが0か1であることからすれば,企業名が明らかになると個人が特定され,新たな嫌がらせ等が生ずるおそれが否定しがたいとして不開示決定が維持されたが,そもそも新たな嫌がらせ等が生ずるおそれがあること自体問題であるし,個人が特定されるのも法定雇用率の達成が不十分なためであった。)。 (3)就労・定着支援 全国545箇所ある公共職業安定所(以下「ハローワーク」という。)における相談・職業紹介,全国47箇所ある地域障害者職業センターから事業所への職場適応援助者(以下「ジョブコーチ」という。)の派遣,全国318箇所ある障害者就業・生活支援センターによる就業・生活の相談・関係機関との調整などが行われている。 ハローワークにおける職業紹介については,新規求職申込件数及び就職件数は,身体障がいのある人・知的障がいのある人・精神障がいのある人のいずれについても増加傾向にある。2012年度の新規求職申込件数は,身体障がいのある人が約6.8万人,知的障がいのある人が約3万人,精神障がいのある人が約5.7万人となっている。2012年度の就職件数は,身体障がいのある人が約2.6万人,知的障がいのある人が約1.6万人,精神障がいのある人が約2.3万人となっている。 地域障害者職業センターのジョブコーチの配置数は,2013年3月末現在,1230人である。ジョブコーチの派遣以外の職業リハビリテーション計画の作成も含めた支援実績は,2012年度の支援対象者は3670人であり,職場定着率は86.7%となっている。 障害者就業・生活支援センターによる就業・生活の相談・関係機関との調整の2012年度の対象者は約11万人であり,就職件数は約1.5万件,就職率は73%とのことである。 3 福祉的就労 総合支援法における就労系障害福祉サービスとしては,一般就労が可能と見込まれる人に対する就労移行支援事業と一般就労が困難である人に対する就労継続支援事業がある。 就労移行支援事業には,利用期間が2年と定められており,事業所内や企業における作業や実習,職場探し,就労後の職場定着への支援などを行うものである。 就労継続支援事業は,雇用契約に基づく就労が可能な人に対するA型と雇用契約に基づく就労が困難な人に対するB型に分けられるが,いずれも利用期間の制限はない。A型であれば,雇用契約に基づいた就労の機会の提供,B型であれば,雇用契約によらない就労や生産活動の機会の提供などが行われる。 上記各事業については,「障害福祉サービス」の名の下,就労移行支援事業で訓練を受けたり,就労継続支援A型及びB型事業で就労する場合,原則として,福祉サービス利用料を徴収される。労働法規の対象となっているのも,就労継続支援A型事業のみであり,就労移行支援事業や就労継続支援B型事業は,労働法規の対象とはされていない。 上記各事業は,旧障害者自立支援法によって設けられたものであるが,同法にかわって総合支援法が制定される際に,障がい者制度改革推進会議総合福祉部会による2011年8月30日の「障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言−新法の制定を目指して−」において,上記各事業を「障害者就労センター」(障がいのある人が必要な支援を受けながら働く場であり,就労実態に応じて労働法規を適用し,最低賃金も確保する。利用期限を設けず,利用料も徴収しない。)と「デイアクティビティセンター(作業活動支援部門)」(就労支援の場であるので工賃を支払い,労働法規の適用はない。利用期間の期限はなく,利用料も徴収しない。)に再編することが提案されたが,総合支援法には全く反映されなかった。 2012年度,特別支援学校の卒業生が一般就労につくのは約24.3%にすぎず,約64.7%は上記いずれかの事業を利用している。2011年10月時点の就労移行支援事業の利用者は約1.6万人,就労継続支援A型事業の利用者は約1.3万人,就労継続支援B型事業の利用者は約12.9万人である。 これらの事業の最大の目標である一般就労への移行が実現したのは,2011年度,わずか約0.5万人(3.6%)にとどまり,一般就労への壁は非常に厚い。 このため,現実には,福祉的就労が「働く場」となっているが,2012年度の月額の平均工賃(賃金)は,就労移行支援事業が2万1175円,就労継続支援A型事業が6万8691円,就労継続支援B型事業が1万4190円とどれも非常に低いが,とりわけ圧倒的に利用者の多い就労継続支援B型事業の賃金の低さは顕著である。障害年金とあわせても十分な収入が得られないことは明白である。最近,就労継続支援A型事業の事業所において,4時間程度の就労を行わせ賃金を月額6万円程度に抑える一方,特定求職者雇用開発助成金(6か月以上障がいのある人を雇用している事業主に給付される)の給付を受けるなど不正事案も問題となっている。 大阪府箕面市では,一般就労と福祉的就労の中間的な位置付けとして,中度・重度の障がいのある人が働ける職種開拓を行い,障がいのある人を雇用する事業所に対し企業としての経営努力や障がいのある人自身の経営参画などを求める一方で,公的資金で障がいのある人の賃金を補填する「社会的雇用」の制度を20年来実施しているとのことであり,注目される。 V 障がいのある人への差別事例 1 募集 ・履歴の記入を自筆とする企業があり,視覚障がいのある人が排除されている(内閣府)。 ・求人広告で電話応対を条件とする企業が多く,聴覚障がいのある人は排除されている(さいたま市)。 ・県職員採用試験に特別に身体障がいのある人を対象とするものがあるが,精神障がいのある人も加えて欲しい(千葉県)。 など,特定の障がいのある人を排除した形での募集が行われているとの意見があった。 2 採用 ・車椅子の男性がトイレの設備がないことを理由に採用が困難といわれた(内閣府)。 ・安定剤を飲んでいると話したときに面接を中止にされた(内閣府)。 ・目が悪いことを理由に断わられた(大阪)。 ・耳が聞こえないと事前に伝えて会社の面接に行ったのに,「職場に耳の聞こえない人がいないからコミュニケーション方法がわからない」といわれて断られた(大阪府)。 ・「身体・知的の人ならOKだけど,精神は遠慮したい」といわれた(千葉県)。 など障がいを理由として採用を拒否されたとの意見が多数存在した。 3 雇用の条件 ・工賃と年金だけでは生活が成り立たない。最低賃金を踏まえた時給制を検討して欲しい(北海道)。 ・働く場で利用料をとるところまであり,労働に対する対価が支払われていない(さいたま市)。 ・肢体不自由で他の社員が私を補助するから,他の社員と同じ賃金では不満が出るといわれて,大卒なのに高卒扱いで採用された(内閣府)。 ・同じ作業をしているのに賃金が安い(ヒューマンネットワーク熊本)。 など採用された場合でも賃金水準が低いとの意見が多数存在する。 裁判例としては,障がいのある人を採用する場合には一律に,最初の6か月は嘱託契約社員として契約を締結し,その後に正社員に移行させるという雇用方法をとったことが差別であるとして争われた日本曹達事件(東京地裁2006年4月25日判決労判924号112頁)がある(なお,同判決では,障がいを理由として,嘱託契約社員という正社員に比べて不利益を課すにもかかわらず,障がいの内容を十分把握できない雇用契約締結の段階で障がいの内容ごとに個別の嘱託契約期間を定めることは困難であるという理由だけで,差別ではないとされた。)。 また,長年にわたり主任という地位につき,習熟した技能を持つ人(知的障がい)の賃金が労働基準法等関係法令に基づいて適正に算出される金額よりも低額となっていたAサプライ事件(東京地裁八王子支部2003年12月10日判決ケーススタディ49頁)などもある(なお,同判決においては,当該知的障がいのある人は業務上災害により死亡しており,その逸失利益が問題となったが,上記違法な賃金ではなく,同年代の平均収入である賃金センサスに基づき算定された。)。 4 雇用の継続 ・パニックになって何か事故を起こすと会社の汚点になるといわれて解雇された(内閣府)。 ・うつ病になったことを会社に告げたら「もう来ないで下さい」といわれた(千葉県)。 など障がいを理由とする解雇も多数存在する。 障がいを理由とする解雇が安易に行われるのは,厚生労働省のモデル就業規則が解雇要件として,「精神又は身体の障害により業務に耐えられないとき」(厚生労働省労働基準局監督課「モデル就業規則」)と記載していることが背景となっているものと思われる。 裁判例としては,左眼に視力障がいを抱えた重機運転手について,業務不適格であるとして解雇されたサン石油事件(札幌高裁2006年5月11日判決労判938号68頁)がある(なお,同判決においては,左眼に視力障がいがあるから重機の運転業務に不適格であるとはいえず,解雇は権利濫用であるとされた。)。 他にも,頸椎症性脊髄症により左上肢に障がいを抱えた歯科衛生士が歯口清掃検査をできなくなったなどとして解雇された横浜市学校保健会事件(東京高裁2005年1月19日判決労判890号25頁,ケーススタディ33頁)など多数存在する(なお,同判決においては,検査方法の工夫によっては歯口清掃検査を行うことができたため,就労環境の整備や負担軽減の方策などにつき検討すべきであったのに検討が尽されておらず,解雇は無効であるとの主張がなされていたが,就労環境の整備や負担軽減の方策は,障がいのある人の社会参加の要請という観点を考慮しても,また,将来的検討課題として取り上げるのが望ましいことではあるにしても,社会通念上使用者の障がいのある人への配慮義務を超えた人的負担ないし経済的負担を求めるものとして,排斥されてしまっていた。)。 5 昇進 ・15年働いても障がい者ということで嘱託扱いだった(内閣府)。 ・公務員で特定の職種での採用ではないのに,20年間人事異動もなく全く同じ仕事をしている(千葉県)。 など昇進について不利益に取り扱われているとの意見もあった。 6 職場環境 ・障がいを理由に本格的な訓練をさせない(内閣府)。 ・障がいで電話ができないのに電話対応の訓練を強制的にさせられた(内閣府)。 ・車椅子ではトイレなどに時間がかかるのでといわれて社内旅行に参加させてもらえなかった(内閣府)。 ・他の従業員からいじめを受けた(千葉県)。 ・会議で手話通訳を付けて欲しいといっても,「企業秘密があるからだめ」といわれた」(千葉県,大阪府)。 ・会社側で手話や要約筆記を用意するときの費用を行政が援助するなど,障がいのある人が支援を受けやすい環境づくりが必要(北海道)。 ・ヘルパーが使えないため,身体障がいのある人の勤務中の排泄について支援が必要(北海道)。 ・通勤時の移動支援が必要(北海道)。 ・雇用主から性的関係を強要された(ヒューマンネットワーク熊本)。 ・店舗で備品がなくなったとき,発達障がい者のみロッカーや鞄の中を勝手に開けられて調べられていた(さいたま市)。 など,雇用主や他の従業員からの不適切な取扱いがあったとの意見が多数存在する。 裁判例としては,神経因性膀胱直腸障がいのため起床後排便に時間を要する人が,バス運転業務において,従前,比較的遅い時間からの勤務時間とするなどの配慮を受けていたのにそれが打ち切られたとする阪神バス事件(神戸地裁尼崎支部2012年4月9日決定労判1054号38頁)がある(なお,同決定では,会社が従前同様の配慮を行わないことが公序良俗ないし信義則に反するものとして,そのような配慮がなされない勤務シフトで勤務する義務がないことが確認された。)。 また,知的障がいのある人が勤務する事業所の機械内で作業していたところ,それが終わらないうちに機械の運転が再開されたため機械に巻き込まれて死亡した事故につき,使用者側が機械操作に習熟していたのだから緊急時に一人で対応できたなどと主張したAサプライ事件(東京地裁八王子支部2003年12月10日判決ケーススタディ49頁)などもある(なお,同判決では,機械操作に習熟していたとはいえ,使用者は,知的障がいのため慣れていないことや予期せぬトラブルに臨機応変に応じて対処することが能力的に困難であることを認識していたのであるから,そのような人がトラブル時に適切な指導,監督を受けられる体制を整える必要があったなどとして,使用者の安全配慮義務を肯定した。)。 7 職業訓練・就労支援 ・ジョブコーチを増員して欲しい(北海道)。 ・本人の力に合わせた就業内容・就業時間を設定して欲しい(北海道)。 ・職業訓練事業機関に手話通訳者が用意されていない(さいたま市)。 など職業訓練・就労支援で体制が不十分との意見があった。 <参考資料> 1 内閣府「平成25年度障害者白書」(2013年6月) 2 厚生労働省職業安定局障害者雇用対策課「最近の障害者雇用の現状と課題」(2013年9月) 3 厚生労働省「障害者の就労支援対策の状況」 http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/service/shurou.html 4 厚生労働省「障害者雇用率制度における除外率制度の見直しについて」(2010年11月) 5 職業安定局高齢・障害者雇用対策部障害者雇用対策課「平成25年度障害者の雇用状況に関する企業名公表」(2014年3月) 6 朝日雅也「雇用の分野における差別〜雇用促進法改正も踏まえて」実践成年後見No.48・25頁以下(2014年1月) 7 岩村正彦ほか「障害者権利条約の批准と国内法の新たな展開−障害者に対する差別の解消を中心に」論究ジュリストNo.8・4頁以下(2014年2月) 8 伊藤修毅「障害者雇用における特例子会社制度の現代的課題−全国実態調査から」立命館産業社会論集47巻4号(2012年3月) 9 杉原努「障害者雇用率制度における『ダブルカウント方式』の考察」Core Ethics Vol.5(2009年) 10 松井亮輔,川島聡編『概説障害者権利条約』(法律文化社,2010年) 11 長瀬修,東俊裕,川島聡編『増補改訂障害者の権利条約と日本−概要と展望』(生活書院,2012年) 12 厚生労働省「障害者雇用対策の概要」 http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/shougaishakoyou/index.html 13 大阪市箕面市「社会的雇用モデル事業について(提案)」(2011年6月) 第3節 欠格条項 T 権利条約の規定 欠格条項とは,資格・免許制度等において障がい又は障がいに関連する事由を理由として資格・免許等の付与を制限したり,障がいのある人に特定の業務への従事やサービスの利用等を制限・禁止する法令上の諸規定をいう。 欠格条項には,絶対的欠格条項と相対的欠格条項がある。絶対的欠格条項は,例えば,「目が見えないものには免許を与えない」というように,ある障がいがある場合に資格や免許の付与等を完全に制限するのに対し,相対的欠格条項は,例えば,「精神障がいがある者には免許を与えないことがある」というように,ある障がいがある場合に資格や免許の付与等が制限される場合があると定めているものである。 欠格条項に関わる権利条約の規定としては,締約国が障がいのある人に対する差別となる既存の法律,規則,慣習及び慣行を修正し,又は廃止するための全ての適当な措置(立法を含む。)をとることを義務付けた4条1項(b),締約国が障がいを理由とするあらゆる差別を禁止し,いかなる理由による差別に対しても平等かつ効果的な法的保護を障がいのある人に保障するとした5条2項,締約国は障がいのある人が生活のあらゆる側面において他の者と平等に法的能力を享有することを認めるとした12条2項,締約国は全ての障がいのある人が他の者と平等の選択の機会をもって地域社会で生活する平等の権利を認め,障がいのある人がこの権利を完全に享受し,地域社会に完全に受け入れられ,参加することを容易にするための効果的かつ適当な措置をとるとした19条,締約国は,障がいのある人が他の者と平等に労働についての権利を有することを認め,あらゆる形態の雇用に係る全ての事項(募集,採用及び雇用の条件,雇用の継続,昇進並びに安全かつ健康的な作業条件を含む。)に関し,障がいを理由とする差別を禁止するための適当な措置をとるとした27条1項(a)などがある。 U 欠格条項についての現行法制度等 政府は,障害者基本法で策定を義務付けられた障害者基本計画として,1993年3月に「障害者対策に関する新長期計画」を策定したが,その中でバリアフリーに関し,4つの障壁(バリア)という考え方を打ち出し,それらの障壁の除去に向けた施策を計画的に推進するとした。4つの障壁とは,交通機関・建築物等における物理的な障壁,資格制限等による制度的な障壁,点字や手話サービスの欠如等による文化・情報面の障壁,障がいのある人を庇護されるべき存在としてとらえる等の意識上の障壁であり,欠格事由は制度的な障壁として整理された。 その後,政府は,1999年8月9日の「障害者に係る欠格条項の見直しについて」(障害者施策推進本部決定)において,当時の63の欠格条項について,真に必要なものであるか否かを検討し,必要性の薄いものについては廃止し,真に必要と認められるものについては,絶対的欠格条項から相対的欠格条項に変更したり,障がいのある人を表す規定(「障害者」を欠格事由とする規定など)から障がいのある人を特定しない規定(「心身の故障のため業務に支障があると認められる者」を欠格事由とする規定など)へ変更するなどの方針を示した。 上記検討は,2001年に成立した「障害者等に係る欠格事由の適正化等を図るための医師法等の一部を改正する法律」及び2002年に成立した「障害者等に係る欠格事由の適正化等を図るための関係法律の整備に関する法律」等により終了したものとされており,上記63の欠格条項のうち,検察審査会法,栄養士法,調理士法など10については廃止されたが,医師法,通訳案内業法,家畜改良増殖法など多くは絶対的欠格条項から相対的欠格条項に改正されるにとどまったし,銃砲刀剣類等所持取締法5条3号・同法施行令8条や鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律40条2号・同法施行規則47条など絶対的欠格条項が残されたものもある。 その後,2013年6月に成立した差別解消法5条においては,行政機関及び事業者は,社会的障壁の除去の実施についての合理的配慮を行うため,施設の構造の改善,設備の整備,関係職員に対する研修など必要な環境整備に努めなければならないとされ,同法7条においては,行政機関等は障がいを理由として障がい者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより障がい者の権利利益を侵害してはならない(同条1項),障がい者から社会的障壁の除去を必要としている旨の意思表明があった場合でその実施に伴う負担が過重でないときは社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的配慮をしなければならない(同条2項)とされた。 しかし,2013年6月に成立した改正道路交通法89条,101条の6などでは,自動車運転免許の新規取得時や更新時に,統合失調症,てんかん,そううつ病など特定の疾患に該当するかなどについて質問票の提出を義務付け,虚偽の報告をした者に刑事罰を科すとともに,医師は,診察を受けた者が統合失調症,てんかん,そううつ病など特定の疾患に該当し運転免許を受けていることを知ったときは,その診察結果を都道府県公安委員会に届け出ることができるとされた。同年11月に成立した自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律(以下「自動車運転死傷行為処罰法」という。)3条2項,同法施行令3条でも,統合失調症,てんかん,そううつ病など特定の疾患の影響に基づき人を死傷させた場合に重罰を科すこととされた。 このように,障がいに着目して,障がいのある人に不利益を課す法令が新たに成立する状況は未だ続いている。 V 障がいのある人への差別事例 1 直接差別 ・ろう者について医師免許・自動車運転免許の取得を制限するのは不当(ろうの患者をろうの医師が診てもよい,健聴者でも音楽を聞いていてクラクション聞こえない人もいる)(千葉県)。 ・県職員採用試験に特別に身体障がいのある人を対象とするものがあるが,精神障がいのある人も加えて欲しい(千葉県)。 ・障がいのある人の暮らす場,住居を探すのに苦労する(北海道)。 ・自動車運転免許の更新のときにてんかんの持病を申告したら厄介者という対応をされた。また,通常の適性検査であれば,土日でも受けることができるのに,てんかんの場合は平日にしか受けられず,仕事を休まなければならなかった(茨城県)。 など障がいを理由に直接的な制限を受けているとの意見が多数存在した。 2 間接差別・合理的配慮の欠如 ・資格取得のための手話通訳を保障して欲しい(北海道)。 など資格取得そのものに直接的な制限がない場合であっても,実際上は取得の妨げになっているとの意見や, ・施設警備をしているが,現在は相対的欠格条項になったものの,つい最近まで絶対的欠格条項だったので,見えない差別を感じ,うつ病を患っていることを打ち明けられない(さいたま市)。 など,資格そのものに直接的な制限がない場合であっても,心理的な妨げになっているとの意見が存在した。 <参考資料> 1 障害者欠格条項をなくす会「障害者基本法改正へ3つの提言」(2010年11月) 2 障害者欠格条項をなくす会「障害者欠格条項をなくす会ニュースレター60」(2014年4月) 3 臼井久実子,瀬山紀子『障害者欠格条項の現状と課題』障害学研究4・110頁以下(2008年10月) 4 池原毅和『精神障害法』(三省堂,2011年) 5 障害者政策委員会差別禁止部会『「障害を理由とする差別の禁止に関する法制」についての差別禁止部会の意見』(2012年) http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/seisaku_iinkai/pdf/bukai_iken1-1.pdf 第4節 教育 T 権利条約の規定 権利条約24条は教育全般について規定しているが,その内容は以下のとおりである。 まず障がいのある人が教育を受ける権利を有することを確認し,これを差別なく機会均等に保障しなければならないことを規定する(24条1項本文)。差別なくとは,権利条約2条において定義されているとおり,障がいに基づくあらゆる区別・排除・制限がされずに教育の機会が保障されるということであり,また合理的配慮が提供されていなければならないということである。 そして教育の目標としても,従来の社会権規約及び子どもの権利条約に規定する教育の一般的目標に加え,「自己の価値に対する意識を十分に育成」することを掲げ(24条1項a),これらを実現するために,あらゆる段階の教育制度をインクルーシブなもの,すなわち,障がいのある人を社会に受け入れたものとすること(24条1項本文)としている。 さらにこの1項を受けて,2項においては各人の権利としてより具体的に,一般教育制度から排除されず,初等・中等の義務教育から排除されないこと(2項a),自己の住む地域社会でインクルーシブ(障がいのある人・子どもを社会,学校でいえばクラスに受け入れた)な初等・中等教育にアクセスできること(受けることができること)(2項b),教育を受ける権利を実現するために合理的配慮が保障されること(2項c)と規定し,合理的配慮を伴うインクルーシブ教育を各人に重畳的に保障している。 また合理的配慮にとどまらず,有効な教育を促すための必要な支援を一般教育制度内で保障すること(2項d),個別支援措置はフルインクルーシブ(障がいのある子どもをクラスの一員として完全に受け入れること)を目標とすること(2項e)を規定している。 また,コミュニケーション障がいのある人の教育への権利を規定し(3,4項),特に手話については,2条の言語の定義に手話を含め,手話の習得を推進して聾者社会の言語的同一性の確立を推進するとした。 以上の内容は,高等教育,職業訓練,成人教育,生涯学習において保障されなければならない(5項)。 要するに権利条約は,あらゆる段階のあらゆる種類の教育について,障がいを理由に差別されることなく,合理的配慮を受けつつインクルーシブ教育が保障されなければならないとしているのである。 U 障がいのある人の教育についての現行法制度等 1 学校教育制度の現状 (1)特殊教育から特別支援教育 日本の学校教育制度は,1947年に制定された学校教育法によって定められているが,障がいのある人に対する教育は,特殊教育を施すこととされ,障がいの種類と程度によって養護学校等の学校・学級が指定される,分離別学特殊教育の二本立て学校教育体系となっていた。ただし,1947年の法制定時には,全国の都道府県に養護学校等を設置することが間に合わなかったので,都道府県に対する学校設置義務は1979年まで延期されていた。この間,障がいのある子どもは義務教育の就学を猶予・免除されることが可能となり,義務教育さえも保障されていなかったため,1960年代に入ると,保護者及び教育関係者らは養護学校の早期の設置を求め,また関西を中心に,部落の人権教育に取り組んでいた学校・教師らが,障がいのある子どもを地域の小中学校に積極的に受け入れてきた。この中で1979年の学校教育法の全面施行となったのであるが,従来は未だ養護学校等が設置されていないことを理由に地域の学校に就学できていた子どもも,以降は養護学校への就学が措置されることになり,地域の学校からの排除が法的に正当化されることとなった。これに対し,多くの障がいのある人及び教育関係者らは,「養護学校義務化」として猛反発し,全国各地で反対闘争が巻き起こった。しかし,政府は分離別学の学校教育の完全施行を強行し,障がいの種類と程度による別学体制を完成させた。 1979年当時の国際的な流れを振り返ると,アメリカにおいては,既に1975年の全障がい児教育法(現在は,障がいのある個人教育法)の制定・施行によって一般教育への障がいのある人の機会均等が保障されていたし,イタリアにおいてもインクルーシブ教育の実践が始められていた。また,国連でも,1981年国際障害者年にはじまる国連の障害者行動計画において,原則として統合教育が提唱されていたのであり,この時期,これら国際的な流れに逆らい,分離別学を強行したことは,日本が統合教育・インクルーシブ教育を実現することについて,多大な遅れをもたらすことになった。 その後も,国際社会においては,1989年に国連で採択された子どもの権利条約(1994年日本批准),1993年の障害者の機会均等化に関する基準規則,1994年のサラマンカ宣言等において,障がいのある人の教育の原則は統合とインクルージョンであることが再三確認され続けるのだが,日本はこれら国際社会の動きを無視し続けたのである。 そしてようやく,文部科学省が2001年に「場の教育からニーズの教育へ」との方針を打ち出し,2002年に認定就学者制度を導入した。この認定就学者制度とは,学校教育法施行令22条の3の表に定めるいわゆる就学基準からは特殊教育相当児童として特殊学校に措置されるべき子であるが,受け入れ先の学校がバリアフリーになっている等の特別な条件がある場合には,例外的に普通学校への就学も認めるというものである。また,2004年に改正された障害者基本法において,従来の教育条項に交流・共同教育の増進が加えられた。これは,障がいの種類と程度による分離別学教育を維持したまま,特殊学校・学級に就学している子どもたちも普通学校・学級と交流教育をすることによって相互理解を進めるというものである。さらに,2006年には,学校教育法施行令を改正し,就学先決定に際し保護者の意見を聴取する旨の規定を設け,2007年には,学校教育法を改正し,名称自体も差別的であった特殊教育を特別支援教育に改め,小中学校の普通学級においても障がいのある子どもへの特別支援教育が可能となるように改正をした。 以上のように2002年以降,順次学校教育法及び同法施行令,障害者基本法の関連条項が改正されてはきたが,しかしこれらの動きは決してインクルーシブな方向性ではなかった。分離別学の教育体制の中で,いくら例外的な場合として認定就学児童を地域の普通学校に就学させても,また分離したまま交流教育を重ねても,更に名称を特殊教育から特別支援教育と変えても,何ら実態を変えるものではなく,また普通学級内での特別支援教育とは,従来から普通学級に在籍していたいわゆる発達障がいのある子どもに特別支援教育をするということであり,決して特別支援学校・学級にいる子どもを普通学級において教育するという方向性は持っていない。逆に,原則分離の中で個別支援をすればするほど,ますます分離を深めるという結果さえ生じていたのである。 (2)障がい者制度改革における教育 障がいによる分離別学の教育制度は,権利条約によって法的規範に高められたインクルーシブ教育の原則に明確に反している。よって権利条約の批准のためには,どうしてもこの分離別学体制を改める必要があったのであり,これは2010年から始まった障がい者制度改革において進められた。 a 障害者基本法の改正 2011年7月,障害者基本法は抜本改正され,法の目的として,障がいの有無にかかわらず分け隔てられることのない共生社会の構築を挙げ,教育条項である16条1項に障がいのある子どももない子どもも共に学ぶことを掲げ,これに対する配慮を行政の施策義務とすることが明記された。 そして,教育条項の2項に,本人・保護者の意向が可能な限り尊重されなければならないことが明記された。特殊教育(特別支援教育)か普通教育かについて,保護者の有する教育選択権の問題として保護者の選択によるものとされなければならなかったのだが,分離別学を措置として強制しうる義務教育においては,これが認められてこなかった。社会権規約は保護者に教育選択権を認め,また子どもの権利条約が子どもの養育についての責任は第一義的に保護者にあることを規定し,さらに民法は親権者の監護教育権(民法820条)を規定しているが,日本では障がいのある子どもの義務教育については,保護者に教育の自由を認めていなかったといえる。これについて,ようやく「意向尊重」という文言で,障害者基本法に明記されたのである。 なお,共に学ぶこと及び本人・保護者の意向尊重は,法文中は「可能な限り」とされ,立法時からその言葉の意味を消極的に解せざるをえないものとしてかなり危惧されたのだが,これについても「最大限」であるという意味であると国会答弁で確認されている。よって最大限共に学ぶことに配慮し,かつ最大限本人・保護者の意向を尊重しなければならないとされたのである。 これを受けて,2013年7月に策定された障害者基本計画においてインクルーシブ教育システムの構築が位置付けられ,その内容も,障がいの有無によって分け隔てられることなく,合理的配慮を含む必要な支援のもと,可能な限り障がいのない児童生徒と共に受けることができる仕組みを構築するとされた。 従来文部科学省は,インクルーシブ教育の定義を曖昧にし,特別支援教育をあたかもインクルーシブ教育を目指すものであるという意味合いで使うこともあったが,今回の基本計画では,脚注に以下のように定義された。すなわち,インクルーシブ教育システムとは,人間の多様性の尊重等の強化,障がいのある人が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ,自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下,障がいのある人とない人が共に学ぶ仕組みとされている,としたのである。要するに,インクルーシブ教育システムとはまずは何はともあれ共に学ぶ教育であるということを定義において認めたのである。 b 学校教育法施行令の改正と通知―原則分離別学から「総合的判断」へ そして制度上の差別としてあった学校教育法及び同法施行令については,2013年9月にようやく改正し,施行令22条の3の表に該当する子どもは原則として別学とする旨の規定を改め,就学先については総合的に判断すると変更したのである。この障がいの種類と程度による分離別学システムはインクルーシブ教育システムとは相容れないものであり,権利条約の批准のため国内法整備として,その改正は必至であった。確かに既に各自治体の取組によって,施行令22条の3の表に該当すれば直ちに特別支援学校への就学が義務付けられるとの運用は少なくなってはいた。しかし,この規定が本人・保護者への執拗な説得の根拠となり,最後は強制しうる根拠として機能していたのであり,これがようやく改められたのである。 ただし,インクルーシブ教育制度というためには,まずは地域の子どもたちは地域の学校に就学できることが原則として保障されていなければならないのだが,これについては注意深く避けられ,あくまで教育委員会が総合的に判断するとされた。 そしてこの施行令改正に伴い,2013年9月1日付で,文部科学省は,前記の改正障害者基本法16条全体を引用し,この規定を踏まえて対応する必要があるとし,「保護者の意見については,可能な限りその意向を尊重しなければならないこと」との通知(25文科初第655号)を出し,各県教育委員会を通じ全国の市町村に周知された。これは前記障害者基本法を受けてのことで,当然のことではあるが,ただしこの改正に関わり,県教育委員会が市教育委員会に対して「これまでと何ら変わるところはない」という説明を行ったところがあったことから,国会で文部科学省に対する質問として取り上げられた。文部科学省からは各教育委員会における「就学指導の手引き」の改訂状況を含め,取組について把握していないという答弁がなされ,改正趣旨が周知されていない実態が露呈している。 2 障がいのある子どもの就学実態 (1)義務教育における実態 2012年の義務教育段階における全児童・生徒数は約1040万人で,そのうちの2.9%(30万2000人)が特別支援教育の対象者であるとされている。その内訳は,0.69%(7万2000人)が通級による指導で,1.58%(16万4000人)が特別支援学級,0.63%(6万6000人)が特別支援学校において就学している子どもたちである。なお依然として就学猶予・免除児童は存在し,その数も2003年度は2214人だったが,2013年度は3572人と1300人以上も増加している(学校基本調査24頁)。 学校教育法施行令は2013年9月に改正されたが,それ以前であっても法が予定していた就学先以外で学ぶ子どもたちは存在し,文部科学省によって把握されていた人数は次のとおりである。特別支援学級で学ぶ子どものうち約11%(1万8000人)は,就学相談等において特別支援学校の対象者(いわゆる学校教育法施行令22条の3該当者)であるとみなされた子どもたちである。通常学級については,約2000人の子どもたちが学校教育法施行令22条の3該当者である。通常学級で学ぶ障がいのある子どもたちについては,この他就学指導を経ずに通常学級で学ぶ子どもたちも存在することから,文部科学省において正確な人数は把握されていないのが実態である。 近年の特別支援教育の対象者は,増加傾向にある。この10年間において最も増加したものに通級による指導を受けている子どもの人数を挙げることができ,2.2倍に増加している。特別支援学級においても同様の傾向がみられ,2.0倍に増加している。公立小学校・中学校の設置数が減少している状況においても,特別支援学校については81校の増加である。在籍者数は約3万人増で,1.3倍である。 障がいのある子どもの就学環境は,少しずつではあるが整備されつつある。介助や学習支援を行う特別支援教育支援員は,2007年に地方財政措置により公立小中学校に配置され,2009年には公立幼稚園に,2011年には公立高等学校に配置されている。2014年度においては,4万6300人の配置が見込まれている。また,2013年度から特別支援就学奨励費の支給対象は特別支援学校だけであったが,通常学級で就学する障がいのある子どもにも一部拡大されている。 しかしながら,障害者権利条約で規定しているインクルーシブ教育システムが日本において構築されているとはいいがたい。2011年度における児童生徒の1人あたりの教育費を比較すると,特別支援学校は一人当たり740万2125円で,小学校の8.2倍,中学校の7.1倍で,特別支援学校に偏重した配分になっている。本来は,障がいのある子どもがどの教育機関で就学しようとも,教員の配置基準等については同じように適用されるべきであろう。特別支援教育が特別支援学校を中心に発展してきたことに鑑みると,インクルーシブ教育システムに転換するためには,地域の学校,特に通常学級における環境整備が重点的に講じられる必要がある。 この他,例えば,地域の学校で学ぶ障がいのある子どもに対する通学支援については,福祉と教育の谷間問題として長らく放置されており,もっぱら保護者に学校への送迎を任せるだけで問題解決に至っていない。通学は日々のことなので,保護者が病気等で対応できない場合は障がいのある子どもが欠席せざるを得ない状況になる。 さらに,障がいのある子どもが地域の学校に就学する際に,教育委員会から保護者の付添いが求められ,現在も付き添っている保護者は多くみられる。先に述べたように,特別支援教育支援員が配置されるようになり,さらに自治体が単独費で介助員等を配置するなどの取組は進められてきているが,障がいのある子どもにとって必要な支援員が配置されなかったり,逆に支援員等が障がいのある子どもの学校生活の妨げになる事例もある。特に,課外活動や校外学習においては,保護者に付添いを強要したり,介助者が配置される場合であっても保護者が費用を負担している事例が全国的にみられる。昨年は,校外学習において介助員や看護師が配置されているにも関わらず,保護者に対して付添いが求められ,教育委員会の意向に沿わなかったために障がいのある子どもを校外学習に参加させなかったという悲惨な事件が起きている。 (2)高等学校における実態 障がいのある子どもの高校進学率については,通常学級で学ぶ障がいのある子どもについての基本的統計資料がないため全体の実態把握が難しいが,中学校特別支援学級と特別支援学校中学部卒業者の95.8%が特別支援学校高等部に進学しているという統計がある。高等学校等進学率は98.4%であり,障がいの有無で進学率はあまり変わらないものの,障がいのある子どもについては特別支援学校高等部への進学にあまりにも集中し過ぎていることは明白である。 これは,高等学校の入学試験において,障がいに対する配慮が提供されないことや,卒業単位が習得できないと決めつけるなど,障がいのある子どもに対する誤解や偏見に基づく硬直化した対応が行われていることが背景にあり,障がいのある子どもの高等学校進学を阻んでいる。 2010年に都道府県立高等学校に対して行われた聞き取り調査によると,在校生における障がいのある生徒の人数について把握していると回答した自治体はわずか7箇所で,残りの40箇所は人数さえも把握していない。このことは,県教育委員会においては障がいのある子どもが高等学校に入学する想定すらないことを示しているといえる。障がいのある子どもが高等学校に入学することが当然のことならば,その子どもに対して配慮が必要になる場合が起きるであろうし,そのための基礎的データとして人数把握が行われてしかるべきだからである。 この厳しい状況に対して,障がいのある子どものための入学枠を設けたり,定員内であれば不合格者を出さずに入学を認めるようにするなどの高等学校への入学等の取組が運動関係者によって行われてきているが,近時の定時制を含む高等学校の統廃合の影響も受け,高等学校への門戸は広がってきているとはいい難い。 (3)大学等高等教育における実態 2013年度の高等学校から大学等進学率は53.2%で,専修学校への進学率を加えると,70.2%である。一方,特別支援学校高等部の卒業後進路は,大学等の進学が2.5%,就職が27.7%である。最も多いものは,63.9%の社会福祉施設への入所・通所であり,障がいのある人の大学進学率は非常に低い割合に留まっている。 障がいのある子どもの進路に関する統計から概観すると,多くの子どもたちは特別支援学校高等部に入学し,その後は社会福祉施設への入所・通所になっている状況にあることが分かる。したがって,10代後半以後は多くの障がいのある人は地域社会から完全に切り離されてしまっているのではないかという懸念を払拭できない。 ただし高等学校に在籍している障がいのある生徒の実数が把握されていないため,ここからの大学進学の人数も正確な数字が出されていない。独立行政法人日本学生支援機構が大学以降の高等教育に在籍する障がいのある学生の実態調査をし,2014年に調査報告をまとめているが,これによると,障がいのある学生は,大学に通学している者は9985人,全大学生約60万人のうち,0.39%であり,通信,専修学校,大学院等全ての高等教育の人数としては1万3449人であり,うち,教科書等何らかの支援を受けている学生は,7046人である,との調査結果が発表されている。 V 障がいのある人への差別事例 教育現場における差別は,それが学校・学級という閉鎖空間で行われ,かつ教師・学校・教育委員会と本人・保護者との力関係が固定化している中で行われるものであることを特徴としており,顕在化しにくい。にもかかわらず,各種アンケート調査においても学校における差別事例として多くのケースがあげられている。以下に紹介するものはこれら集計されたアンケートの中の抜粋であり,そもそもこれらアンケートに集計されていないケースも多々あることと思われる。 1 就学先の決定に関わる差別 先述したように,日本は2013年度までは,障がいの種類と程度による分離別学が原則とされており,地域の学校への就学を求めても,「適正就学」を理由に就学を拒否しうるとされていた。この制度の中,地域の学校への就学を求めた裁判も散見され,また裁判にまで至らなかったが,不当な取扱いを受けたケースは多数に及ぶ。 (1)就学・就園裁判 a 奈良県下市町立中学入学拒否事件(奈良地裁2009年6月25日決定判例自治328号) 2009年,奈良県下市町立中学は,車いすを使用する少女に対し,学校がバリアフリーになっていないことを理由に入学を拒否した。これに対し,同年4月,少女と両親は奈良地裁に義務付け訴訟を提起し,6月,裁判所は原告の申立てを受けて,町に対し仮の入学許可を出すよう義務付ける決定を出した。その後,町は正式に中学への入学を認め,少女は晴れて2学期から下市町立中学の生徒として通学ができるようになった。 b 東大和市立保育園入園拒否事件(東京地裁2006年1月25日決定判例時報1931号) 2005年,東京都東大和市は,カニューレ(咽喉に空けた穴に常時装着して気管への空気の通り道を確保する器具)を装着した幼児の保育園入園を拒否した。これに対し保護者は,入園承諾を義務付ける訴訟の提起及び仮の義務付けの申立てをし,裁判所は,入園不許可処分の違法性を認め,いずれも認容された。幼児は市立保育園からその後地域の小学校にも就学することができた。 c 徳島県藍住町立幼稚園入園拒否事件(徳島地裁2005年6月7日決定) 2005年,徳島県藍住町は,障がいを理由に町立幼稚園の入園を拒否した。両親はこれを不服として義務付け訴訟を提起し,徳島地裁は原告の申立てを受けて,障がいを理由に直ちに入園を拒否することは許されず,教職員の加配(配置人数を増やすこと)さえすれば十分対応できることから経済的理由で加配を拒否することは許されないとして,障がいのある幼児の入園に関して就園を仮に許可するよう決定を下した。この決定後,同幼児は入園することができた。 (2)アンケート調査による実態 ・就学時健診で教育相談を受けたとき「発達障がい児が普通クラスにいると周りが迷惑」と言われた(発達障がい/さいたま市)。 ・「故意に階段から突き落とされても責任を求めないことが入学の条件」と校長に言われた(肢体不自由/熊本県)。 ・高校に合格したら,学校側から,親が仕事を辞めて付き添わないと入学を断る,周りに迷惑と言われた(熊本県)。 ・入学と同時に,「文句を言わない」という契約書を書かされた(熊本県)。 ・進路教育相談の際,市の教育委員に「障がい児の選択肢はないんだ」「隣の学区にはいけません」「通常学級,特別支援学級→特別支援学校の流れはあっても,逆に戻ることは2度とない」などと頭ごなしに言われた(さいたま市)。 ・就学委員会や主治医から,通常級の在籍で問題ないと判断されたにもかかわらず,小学校担任から「発達障がいがあるなら特別支援学級に行ってください。普通学級では特別な指導は行えません」と言われた(発達障がい/さいたま市)。 ・小中高校入学の際,「何かあったときに困るから」と言って入学を拒否された(肢体不自由/京都府)。 ・高校では「たとえ試験で合格点であっても不合格にする」と言われた(肢体不自由/京都府)。 2 障がいに基づく排除・制限等 就学後も,学校・学級において,障がいを理由に授業・学校行事から排除され,制限されるなどの不当な取扱いを受けている事例は枚挙にいとまがない。 以下アンケート調査から例を挙げる。 ・小学校通常級担任から,授業時間に問題を起こすと困るので,母親が授業に付き添うよう依頼された(発達障がい/さいたま市)。 ・小学校から,校外学習で問題を起こすと困るので,母親が校外学習(遠足)に同行するよう,前日に依頼された。幼稚園では,保護者が同行しなくても大丈夫だったことを伝えたが,まったく聞いてもらえなかった。学校側は密着型の同行を求めたが,保護者の希望で遠くから見守る形で校外学習に協力した。結局,当日は何の問題も起きなかった(発達障がい/さいたま市)。 ・普通学級に通っていたとき,授業参観でたくさんの親が見ている中で,子どもが順番に当てられ,わが子の番で,「この子はできないからとばす」と言われた(知的障がい)。 ・小学校入学当初,プール学習の際には補聴器を外すので,親の付添いがないとプールの中に入れさせないと学校側から言われた(聴覚・平行機能・知的/京都府)。 3 合理的配慮の欠如 合理的配慮さえあれば教育の機会を均等に与えられ,また共に学ぶことができるのに,その配慮を得られず不利益を与えられているケースも多い。合理的配慮の提供義務は,権利条約に明文化され,日本の法律上の文言として初めて規定されたのは2011年に改正された障害者基本法においてであるが,しかしこれは障がいのある人に新たな権利を付与したものではない。言葉としては耳新しくてもかねてから障がいのある人は何ら配慮されなかったことによる不利益を被り続けてきたのであり,これが不平等な結果をもたらすものであることは認識されている。今回権利条約と障害者基本法・差別解消法によって国内規範となったが,それは今まではかような差別が容認されてきたということではない。 (1)裁判で認められたケース 先述の徳島県藍住町立幼稚園入園拒否事件は,権利条約採択前の2005年6月の決定であるが,ここにおいて既に合理的配慮の不提供は違法であるとの論理が判旨上展開されている。しかも町は,教職員の加配措置は町の経済的事情からできないと主張したことに対し,裁判所は「幼児教育の重要性や,行政機関において障害を有する幼児に対してできる限りの配慮をすることが期待されていることなどに鑑みれば,地方公共団体が,財政上の理由により,安易に障害を有する幼児の就園を不許可にすることは許されない」と明確に判断している。 (2)アンケート調査による実態 ・通常級では,発達障がいがあるため,クラスでは邪魔者扱いされて,担任からは何の支援もしてもらえなかった。教室を抜け出しても,放任状態で2時間以上も校庭で遊ぶような毎日だった。特別支援学級に体験見学に訪れたが,ここでは知的に遅れがないため,お客様扱いで,他に手のかかる児童の指導にかかりきりで,ここでも放置されてしまった。通常級でも特別支援学級でも居場所がなく,学校教育に失望した(発達障がい/さいたま市)。 ・聴覚障がいのある子どもが通常の小学校,中学校,高等学校に通う場合,授業はもとより,学年全体で聞く,例えば,進路説明会などは会場が広い所で行われることが多く,教師の話すことを聞き逃すことが多くなる(聴覚障がい/さいたま市)。 ・普通中学校で教室の移動などで大変な思いをした。階段の上り下りが大変。 ・中学校の中間試験や期末試験,あるいは,高校入試に英語のヒアリングがあった。耳が聞こえないので,さっぱり内容が分からず,適当に回答した(聴覚)。 ・食べられる食材が限られるので,入学前相談では弁当持参の許可を受けていたが,入学式の後校長の異動により弁当持参がダメになった(発達・高次脳/京都府)。 <参考資料> 1 2014年3月13日 参議院内閣委員会 神本みえ子議員による文部科学省政務官に対する質疑 http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=28169&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=10&DOC_ID=3300&DPAGE=1&DTOTAL=53&DPOS=4&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=28253 2 特別支援学校高等部(本科)卒業者の状況−国・公・私立計− http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2014/05/30/1348287_1.pdf 3 特別支援学級数及び在籍児童生徒数の推移−国・公・私立計− http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2014/05/30/1348287_1.pdf 4 特別支援学校高等部(本科)卒業者の状況−国・公・私立計− http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2014/05/30/1348287_1.pdf 5 障害児を普通学校へ全国連絡会 「障害をもつ子どもの都道府県立高校受験に関する調査」(2010年) 6 文部科学省生涯学習政策局政策課「学校基本調査−平成25年度(確定値)結果の概要−」(2013年12月) http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/kekka/k_detail/1342607.htm 第5節 障がいのある子ども T 権利条約の規定 権利条約7条は,障がいのある子どもにつき,独立の項目を設け,締約国が,障がいのある児童が他の児童と平等に全ての人権及び基本的自由を完全に享有することを確保するための全ての必要な措置をとることを求めている(7条1項)。 締約国が,かかる措置をとるに当たっては,障がいのある児童の「最善の利益」を主として考慮するとされており(7条2項),さらに,締約国は,障がいのある児童が,自己に影響を及ぼす全ての事項について自由に自己の意見を表明する権利並びにこの権利を実現するための障がい及び年齢に適した支援を提供される権利を有することを確保することとしている(7条3項)。そして,障がいのある児童が自己の意見を表明したり,自己の権利の実現のための支援を受けるに当たっては,障がいのある児童の意見が,他の児童と平等に,その児童の年齢及び成熟度にしたがって相応に考慮されるとしている(7条3項)。 このように,権利条約は,障がいのある子どもが,障がいの特性及び年齢に応じた支援を受け,人権の享有主体として尊重されることを明示しているのである。 なお,日本が,1994年に批准した「児童の権利に関する条約」では,子どもの権利として「生きる権利」「守られる権利」「育つ権利」「参加する権利」が規定されている。障がいのある子どもが人権の享有主体として尊重されるための支援に当たっては,このような児童の権利に関する条約の観点も踏まえることが重要である。 U 障がいのある子どもについての現行法制度等 1 障がいのある子どもを取巻く法制度 (1)障がい児支援の法的位置づけ 障がいのある子どもに対する支援が法的に位置づけられたのは,1947年に制定された児童福祉法による。同法においては,当初その支援の内容は,入所施設の整備として進められた。すなわち,1965年には重症心身障がいのある子どもを含む障がいのある子どもの入所施設が制度上位置づけられ,1965年以降は,通園の制度化も進められた。 また,1965年には,乳幼児の健康と母親の健康の増進を目的として母子保健法も制定された。同法は,ここで法制度化された乳幼児の健康診断を通じ,障がいの早期発見―早期療育につなげることに寄与してきた。同法制定時に制度化された健診制度は,3歳児健診のみであったが,1999年に1歳半児童健診が規定され,さらに2001年に新生児の訪問指導が新設される等,健診制度は拡充されてきた。この健診制度は障がいの早期発見―早期療育には一定の成果を上げたが,その反面,障がいのある子どもの「地域の子ども」としての育ちを阻害してきた側面があることは否めない。すなわち,母子保健法に基づく健診による,障がいの早期発見は,多くの場合,障がいのある子どもを通所,入所等の障がいのある子ども専用の施策につなげる役割を果たし,地域の子どもとして育ちを支援する一般施策から完全に切り離してしまう実態を生んでいる。このことは,学校教育法施行令が,障がいのある子どもの就学先判断を,学校保健法が定める6歳児に予定されている就学時健診によって振り分けることを前提としているにもかかわらず,近時はこの6歳児健診を待つまでもなく,母子保健法による乳幼児健診によって子どもの障がいが把握され,地域とは離れた場所での早期療育が行われることにより,地域の学校への就学がはじめから想定されなくなることに典型的に表れている。ただし,保育園就園については,児童福祉法において,保護者の就労等「保育に欠ける」ことを要件にしており,障がいを理由に入園を拒否することは一般的にはできないこととされている。しかし,後述する差別事例にも表れているように,実態としては障がいのある子どもの入園が拒否されるケースが全国的にみられる。 その後,障がい児支援については,制度を利用する仕組みに関する改革が進み,2003年度施行の支援費制度,2006年度施行の障害者自立支援法にあわせて各種の制度改正が行われ,2010年に成立した,いわゆるつなぎ法(「障がい者制度改革推進本部等における検討を踏まえて障害保健福祉施策を見直すまでの間において障害者等の地域生活を支援するための関係法律の整備に関する法律」)に,以下の児童福祉法の改正内容が盛り込まれ,障がいのある子どもに対する地域の中での支援が一定程度位置付けられた。 a 児童発達支援及び放課後等デイサービス 障がい児通所支援に関し,新しい障がい児支援制度では,従来の障がい種別で分かれていた体系が再編・一元化されて「児童発達支援」となり,その中で,従来は予算事業として行われていた重症心身障害児(者)通園事業が法定化された。 また,「児童発達支援センター」が,地域支援機能を発揮するために障がいのある子どものいる家庭からの相談等に応じ,かつ必要な支援を提供するものとして位置づけられた。 b 保育所等訪問支援 保育所等での障がいのある子どもの受入れを促進するために専門機関が保育所等を巡回して療育支援を行う制度が制定され,障がいのある子どもが可能な限り多く保育所等に通えるように,指定を受けた事業所が保育所,幼稚園,小学校,特別支援学校,認定こども園,その他児童が集団生活を営む施設にスタッフを派遣し,障がいのある子ども本人に対する集団生活への適応のための訓練や訪問先施設のスタッフに対する支援方法の指導等を行うこととされた。 c 障がい児相談支援 原則として障害福祉サービスを利用する全ての場合において相談支援専門員による「サービス等利用計画案」を作成し,市町村が支給決定する際に勘案することとされたが,障がい児通所支援については,実施主体が市町村になることに伴い,新たに「障害児相談支援」が制度化され,「サービス等利用計画案」に相当するものとして「障害児支援利用計画案」を作成することとされた。 (2)制度改革における障がい児支援 権利条約の規定を受け,障害者基本法は次のように改正された。まず,新たに「療育」の項目が新設され,障がいのある子どもに対する療育は地域社会の可能な限り身近な場所で保障されなければならないと規定された(障害者基本法17条)。加えて,新設された相談条項において,意思決定支援が設けられた。障害者基本法は,性別,年齢に応じた支援が保障されるべきであるとしているのであり(障害者基本法23条),障がいのある子どもについても,それぞれの意見を表明し,意思決定をするにあたり年齢に応じた支援が必要であることが規定されたといえる。 また2015年度からは,子ども・子育て支援法に基づく子ども・子育て支援新制度がスタートする予定であるが,その中でも,障がいのある子どもの支援につながる取組の制度化に関する事項として,例えば,次のようなものが検討されている。 ・小規模保育,家庭的保育等において障がいのある子どもを受け入れた場合に,障がいのある子ども2人につき保育士1人を配置する。 ・保育所,幼稚園,認定こども園において障がいのある子どもを受け入れ,主幹教諭,主任保育士等が関係機関との連携や相談対応等を行う場合に,地域の療育支援を補助する者を配置する。 更に保育所等での医療的ケアについて,社会福祉士及び介護福祉士法の一部改正により,一定の研修を受けた介護職員等において,一定の条件の下で実施することが可能となった。これによって,保育所等において医療的ケアの必要な子の入園が可能となった。 以上のように,障がい児支援を取り巻く法制度は,少しずつ地域での早期インクルージョンに移行しつつあるが,以下に述べるようにその実態はまだまだ不十分である。 2 障がいのある子どもの実態 障がいのある子どもの主な居場所に関する実態は以下のとおりである。 (1)保育園への障がいのある子どもの入所率 保育所では2012年度に全国で約5.1万人の障がいのある子どもが受け入れられている(保育所利用児童全体の約2.3%:厚生労働省調べ)。また,放課後児童クラブでは2013年度に全国で約2.5万人の障がいのある子どもが受け入れられている(放課後児童クラブ利用児童全体の約2.8%:厚生労働省調べ)。 2012年度には,「保育所等訪問支援」が創設され,2013年12月時点で合計443か所が設置されているが(厚生労働省調べ),実際に事業を行っているのは247か所(利用者約1200人)であり,十分な体制は整っていない状況である。 (2)児童発達支援及び放課後等デイサービス 児童発達支援センターの設置数は,2014年1月現在で福祉型が410か所,医療型が116か所である(厚生労働省調べ)。 また,学齢期における児童の支援の充実のため,放課後や夏休み等の長期休暇の際に生活能力向上のための訓練等を継続的に提供するデイサービスとして「放課後等デイサービス」が創設された。2014年1月の状況をみると,児童発達支援は2700施設(利用者約6.7万人),放課後等デイサービスは4102施設(約7.1万人)となっている。もっとも,障がいのある子どもが学童保育の利用を断られるケースが存在することも一方で明らかになっている。 (3)通所,入所施設利用 障がいのある子どもの通所,入所施設の利用人数は,2012年4月の約8.9万人から増加し,2013年4月には約11.5万人となっている。通所支援のみでみると約8.6万人から約11.1万人に増加している。また,直近の状況をみると,2014年1月時点で,障害児通所支援・入所支援の利用者数合計が約14.4万人,そのうち通所支援の利用者は14.0万人となっている。 V 障がいのある子どもへの差別事例 1 保育 (1)保育における障がいのある子どもに対する差別事例として,圧倒的に多いのが,入園拒否の事例である(千葉,大阪等)。 入園拒否の一例として,東大和市立保育園入園拒否事件(仮の義務付け:東京地裁2006年1月25日決定判時1931号10頁,本案:東京地裁2006年10月25日判決判タ1233号117頁)を紹介する。 2005年,東京都東大和市は,カニューレ(咽喉に開けた穴に常時装着して気管への空気の通り道を確保する器具)を装着した幼児の保育園入園を拒否した。これに対し,保護者は,入園拒否処分の取消しと入園承諾を義務付ける訴訟及び行政事件訴訟法に基づく入園承諾の仮の義務付けを申し立てた。東京地裁は,入園不許可処分の違法性を認め,いずれも認容された。幼児は,私立保育園からその後地域の小学校にも就学することができた。 (2)入園拒否の事例以外では,一時保育の預かり拒否の事案も多く寄せられている。 例を挙げると, ・4才になる難聴の娘について,手話講演会の受講中,公立保育所に一時預り保育を申し込んだところ,人手が足りない,他に難聴幼児通園施設に通っているなら,すでに市の恩恵をうけているとみなされ,公立で安い保育料で預ける対象にはならないという理由で断られた(さいたま市)。 ・3歳のダウン症の男の子の母親。夫の経営する会社の総務・経理などの仕事を,出産後は家事育児の合間や夜中に自宅でやっており,近所の公立保育園に一時保育を利用したいと申し込んだところ,障がいのある子どもは一時保育の利用はできないと断られた(さいたま市)。 というような事例が寄せられている。 (3)その他の事例では, ・歩行が不自由という理由で,年下のクラスに入れられた(千葉県)。 ・学童保育の要綱欄に,障がい児は除くとあった(千葉県)。 ・集団行動ができないことに対して,担任に「親の愛情が足りない」,挙句の果てに「来ないでほしい」とまで言われた。卒園するまで「親が悪い」と言われ続けた(千葉県)。 ・保育園入園時,同時に入園した子は1日預かっておられたが,「手がいるから」と,「子どもがなれるまで」ということで1か月間午前中預かりとされた(熊本県)。 ・幼稚園で,お遊戯や合唱発表時に,障がいのために問題があると困るという理由で参加させてもらえなかった(さいたま市)。 ・学童保育の担当者に,発達障がいの説明をしたにも関わらず,不適切な対応をされ,子どもが学童に行くのを嫌がり,結局辞めざるを得なかった(さいたま市)。 といった例が寄せられている。 2 家族からの差別 障がいのある子どもが,障がいのある子どもの家族から受けた差別も,多くの事例が寄せられている。 以下,事例を挙げる。 ・祖母から「孫は2人だけ」というようなことを言われ,ショックだった。健常児二人のことは頭に入っているが,障がい児の子は孫のうちに入っていないようだった(千葉県)。 ・息子は特殊学校に通学しているが,姑は障がいのある人に異常な偏見を抱いているため,そのことを話せないでいる(千葉県)。 ・子がダウン症。弟の結婚式のとき,相手方の両親から「結婚式には来ないでくれ」と言われた(千葉県)。 ・そんな子は家の血ではないといわれた(千葉県)。 ・親から「あなたは,耳が聞こえないから何もできないんだから,お母さんがやるから何もせんでいい」と子どもの時に言われた(熊本県)。 3 サービス提供 障がいのある子どもが,生活の様々な場面で,サービスの提供を受けられないという事例も多く見られた。サービスの不提供は,障がいのある子どもに限らず,成人についても問題となるものであるが,障がいのある子どもの場合,成人に比べて本人が声を挙げにくく,保護者等が訴えざるを得ないという現状がある。 保育園の入園拒否,サービスの不提供の根底には,分離教育と同様の視点があると思われる。 以下,事例を紹介する。 ・ある店で,障がいのある子どもが先に入って商品を見ていたら,「入店しないでください」と言われ,どうしてかと聞いたら,「何となく気持ちが悪い」と言われた(千葉県)。 ・障がいのある息子とある神社に観光に行ったとき,障がい者はだめと断られた(千葉県)。 ・宿をとるとき,知的障がいのある子どもがいると言ったらひどい部屋になった(千葉)。 ・特殊学校の小学校5年生(自閉症)の親。小学校4〜6年生を対象にしたテニス教室に「本人だけでなく親も付き添うから」と申し込もうとしたところ,「申込みを遠慮してください」と断られた(千葉県)。 ・習い事をするとき「普通の子と一緒にするとほかの親から苦情が出るかもしれないので,時間をずらしてほかの生徒さんが集中する時間は来ないでほしい」と言われたことがある(千葉県)。 ・バリアフリーの対応がない公園には,子どもさんが遊びに行けない。一か所だけ,ある公園には「車いす用の砂場」と表示された砂場があるが,手が届いて砂をいじれる程度のもの。そのように非常にちぐはぐな,一見福祉に配慮していますという見せかけをやっている,という感じだ(北海道)。 ・劇場での観劇のとき,子ども(自閉症)が動くので,別室の小さなビデオセットで見るようにされた(熊本県)。 4 医療 医師等医療従事者の障がいに対する無理解・差別的言動に基づく事例が多く見られた。 以下,例を挙げる。 ・児童相談所での判定時,医師から「福祉の世話にならなければ生きていけない価値のない子ども」と言われた(千葉県)。 ・病院にダウン症の娘を連れて行ったところ,治療の間中「もう大きいんだから,変な声を出すんじゃない」と言われ続けた(千葉県)。 ・小学校入学前診断の時,精神科の医師に,犬・猫との対比で話をされた(千葉)。 ・障がい児と診断した医師から,「この子のことは諦めてもう一人産みなさい」と言われた(千葉県)。 ・1歳半の検診時障がいのため立てない娘を支えて立たせたところ,「身長を測るのだから,甘やかさないで早く立たせてください。ちゃんと立てないんですか?」ときつい口調で言われた。障がいのため立てない旨を説明すると,「困ったわね,立てる子の測定器しかないのよね。」と目をそらせながら言われた(千葉県)。 ・歯医者に初めて行ったとき,障がいがあることを告げると,「障がいがあっても静かにできる子もいる。親のしつけの問題だ。」と言われた(千葉県)。 ・市役所の検診のとき,「こんな病気の子は二十歳までしか生きられない」と言われた(熊本県)。 ・一般の小児科で,医師に事前に発達障がいがあることを伝えたが,子どもが指示に従えなかったことに対して,医師から「わがまま,甘やかせ過ぎ」と言われた(さいたま市)。 第6節 家族 T 権利条約の規定 1 家庭及び家族の尊重 権利条約は,家族が「社会の自然かつ基礎的な単位」であるとした上で(前文(x)),「家庭及び家族の尊重」と題して以下のとおり詳細な規定(23条)を設けた。 (1)同条1項は,(a)婚姻や家族などの事項に関する差別を撤廃するため,婚姻することや家族を形成する権利が認められること,(b)子の数や出産間隔を決め,生殖や家族計画についての情報や教育を受ける権利が認められ,さらに権利を行使する手段を提供されること,(c)生殖能力を保持することなどを確保することを目的とした適当な措置を取ることを締約国に求めている。 (2)同条2項は,子の最善の利益は至上であるとの認識のもとで,障がいのある人が子を育てる際,子の後見や養子縁組における障がいのある人の権利と責任を確保するとともに,子の養育への援助を締約国に求めている。 (3)同条3項は,家庭生活における障がいのある子どもの平等の権利を確保し,実現することや障がいのある子どもの隠匿,遺棄,放置,隔離の防止のため,子や家族への情報提供や支援などを早期に提供することを締約国に求めている。 (4) 同条4項は,権限のある当局が司法審査に従うことを条件とする法律や手続きにより,子どもの最善の利益のために必要と判断した場合を除いて,子どもが父母の意思に反して分離されないことを締約国が確保することを求めるとともに,いかなる場合においても,子どもや父母の障がいに基づいて分離されないことを確認している。 (5)同条5項は,近親の家族が障がいのある子どもを監護できない場合,より広い範囲の家族,それも不可能な場合には地域社会の中で家庭的環境のもとでの代替的な監護を提供する努力を締約国に求めている。 2 障がいのある人にとっての23条の意義 23条は,以上の内容を規定しているが,1項は,否定的に見られがちな障がいのある人の結婚や家族を持つ権利,また,いわゆるリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する女性の自己決定権)が障がいのある人にも差別なく保障されなければならないことを改めて確認するとともに,これまで正面から取り組まれることが少なかったこれらの権利行使を可能にする支援の必要性を示し,さらに,歴史的に,あるいは現在もなお経験しているかもしれない障がいのある人に対する優生思想などに基づく不妊手術を否定した点に大きな意義がある。 2項は,障がいのある人も障がいのない人同様に子を育てる権利を有していることを前提に,子の後見や養子縁組において障がいに基づく不当な扱いを受けないことを示す点で大きな意義がある。 3項は,障がいのある子どもが家庭内においても差別待遇を受けていることや障がいのない子どもに比して,障がいのある子どもに対する遺棄や放置などが多い実態に基づき規定されたものであり,それらの防止のための支援の必要性を明らかにした点に重要性がある。 4項は,親子分離を原則的に禁止するものであるが,親子分離が例外的に許される場合であっても,障がいに基づく分離は許されないとしたところに重要な意義がある。 5項は,障がいのある子どもについて,家族による監護ができない場合に施設収容がなされることが多かったことに鑑みて,少なくとも地域社会の中での家族的な環境における代替的監護を用意するよう求めたところに重要な意義がある。 U 障がいのある人の家族についての現行法制度等 1 本節が対象とする3つの場面について 本節では,家族について下記の3つの場面に分けて検討する。 ・障がいのある人が結婚や出産を含む家族形成で差別される場面 ・障がいのある人本人が家庭で差別される場面 ・障がいのある人の家族自身が差別される場面 これらの場面の検討にあたって,前提として,障がいのある人も同じ人間であり,普通の場所で,障がいのない人と同じような普通の暮らしをすることが当たり前であることを認識する必要がある。そして,そのような暮らしをすることを障がいのある人に対して否定することが差別であること,普通の暮らしができるように合理的配慮をすべきことが,法制度上も確認される必要がある。 2 障がいのある人が結婚や出産を含む家族形成で差別される場面 (1)結婚 日本国憲法は24条1項で「婚姻は,両性の合意のみに基づいて成立する」と定めており,このことは障がいのある人についても当然のことである。しかし,後述する差別事例に見られるように,障がいのある人が結婚を反対される事例が非常に多い。 優生思想との関係については(2)で述べる。 (2)妊娠・出産 いわゆる優生思想は,障がいのある人の生殖能力を奪うことの正当化に用いられやすい考え方である。日本でも優生保護法という法律が存在していた。この法律は,戦後の混乱期の中で中絶の一部を合法化するものであった。 しかし,優生保護法は,その目的として「不良な子孫」が生じることを防止する優生思想を含んでいた。そして,障がいのある子どもを産む可能性のある人に,医師の申請だけで強制的に(本人の同意なしに),優生手術を受けさせることができるという規定があった。実際に,障がいのある人や障がいのある子どもを産む可能性のある人に対して,不良な子孫が増えないようにするために,優生手術を受けさせる事例が多く生じた。その数は,1949年から1996年までの間で,1万6477人にのぼる。 さらには,明らかに上記の優生保護法にさえ基づかない優生手術の事例もあった。 すなわち,障がいのある女性に対して,障がいのある人は子どもを生み育てることはないのだからと,「生理時の介助軽減のために」,子宮摘出を強制した事例である。 1983年の毎日新聞報道で,知的障がいのある女性に対して実際に子宮摘出を行ったことを正当化する医師の見解が紹介されたことがある。しかし,生理時の介助軽減のための優生手術は,優生保護法にも定められていないものであって,明らかに違法な行為であった。 また,優生保護法の改正案として,胎児に障がいがある場合に人工妊娠中絶を容認する規定が国会に出されたこともある。これに対しては,障がいのある人に対する差別であるとして反対運動が起き,結局廃案となった。このような障がいそのものに着目して優生手術や人工妊娠中絶が合法化される範囲を拡大しようとした動きがあったことも指摘しなければならない。 かようにして,優生保護法及びその背後にある優生思想は,障がいのある人や特定の病気を持つ人に対する結婚や子の出産を阻む効果をもたらすものであった。優生保護法は,障がいのある人や障がいのある子どもを産む可能性のある人に対して,将来結婚して子を産み育てるというライフスタイルの選択権を剥奪するものであって,著しい人権侵害法であったというほかない。 現在は,上記のような障がいや病気を特定して優生手術等の対象とする規定や強制的な優生手術を認める規定は削除され,法令名も平成8年より母体保護法に改称されている。 なお,ハンセン病について,らい予防法や優生保護法等ハンセン病を対象とした法令が違憲であること,早急に改正しなかった不作為が違法であることを理由に,国家賠償請求を認容した判決がある(熊本地裁2001年5月11日判決判事1748号30頁)。 もっとも,1998年,国連の自由権規約人権委員会(第64回会期)の総括所見(パラグラフ31)は,日本に対して,「委員会は,障害を持つ女性の強制不妊の廃止を認識する一方,法律が強制不妊の対象となった人達の補償を受ける権利を規定していないことを遺憾に思い,必要な法的措置がとられることを勧告する。」として,強制的に優生手術を受けさせられた人に対する補償を求めたが,いまなお日本は必要な措置を執っていないことも指摘すべきである。 (3)子育て 障がいがあることで子育てが困難になる場合,その困難を取り除くための支援が必要である。 その支援の一例として,障害者自立支援法(現総合支援法)における居宅介護(家事援助),重度訪問介護のサービス提供の際に,育児をする親が十分に子どもの世話ができないような障がいがある場合に,付随的に「育児支援」を行うことができるよう運用上の工夫も試みられてきた(平成21年7月10日厚生労働省事務連絡「障害者自立支援法上の居宅介護(家事援助)等の業務に含まれる「育児支援」について」)。 しかし,一般的に障がいのある人の子育て支援を定めた法令はない。子ども・子育て支援法も障がいのある人が子育てに困難を感じた場合を特に想定した規定は置いていない。また,障がいのある人は,子育てに際して困難を感じたときに,適切な情報や相談窓口がなく孤立した状況に置かれることもあるが,そうした場合に備えた規定もない。 親権や親子分離については第4章第1節で検討する。 3 障がいのある人本人が家庭で差別される場面 上記のように障がいのある人が結婚や出産をするときに,家族から反対される事例は多く,他のきょうだいの場合とは異なる親の差別的対応に苦しむ障がいのある人も多い。 しかし,家族間のこのような差別的対応が法的にも差別と認定される可能性は否定できないが,基本的には,家族間の問題として法的介入は困難であろう。ただ,このような差別的対応に激しい差別的言動が伴う場合には,精神的虐待に当たる場合もあろう。 かかる場合には,障害者虐待防止法の対象となる(詳細は後記17節「虐待」を参照)。 ただ,家庭内での差別的待遇が「差別」はなく「障害者虐待」にまでいたらない事例について,現時点では直接規律する法令は存在しないようである。そして,現に,下記事例のように家庭内での深刻な差別的待遇は多く存在している。 4 障がいのある人の家族自身が差別される場面 家族内に障がいがある人が存在するために家族自身が受ける差別について,差別禁止を直接の目的として定めた法令は見当たらない。 差別とまでは直ちに言い切れなくても,障がいのある人の家族は,障がいのある人の子育てや介護等につき,社会からの支援を受けられず情報もなく孤立状況に追い込まれることがある。 障がいのある人の家族に対する支援について定めた法令として総合支援法があり,障がいのある子どもの保護者に対しても支援サービスの利用申請等を認めている。しかし,家族本人に対する支援を直接の目的とした法令ではないこともあり,家族の負担の緩和としては十分な規定がなされているとはいい難い。 また,前出の障害者虐待防止法は,その正式名称「障害者虐待の防止,障害者の養護者に対する支援等に関する法律」のとおり,障がいのある人を直接養護する立場にある人(多くは親のことが多い)に対する支援をも定める。支援の具体的内容としては,市町村障害者虐待防止センターによる養護者を対象とした相談,指導,助言があるほか(同法32条2項2号),市町村による養護者の負担軽減のための措置もある(同法14条1項,2項。養護者の心身の状態によっては短期間市町村が養護を代行することも想定されている)。 しかし,それらだけでなく,さらに障がいのある人の家族に対する支援一般に着目した法制度の整備が望まれる。 V 障がいのある人への差別事例 家族に関しては,次のような差別事例が認められる(主に内閣府,類似事例につき他に千葉県,さいたま市等も参照した)。 1 障がいのある人が結婚や出産を含む家族形成で差別される場面 ・障がいを理由として結婚を認めない(結婚や婚約を解消させた例もある。家族構成員から反対された事例がきわめて多いが,職場の上司等家族外から反対された事例もある)。 ・障がいを理由に出産を禁止したり,人工妊娠中絶をさせた(上記は特に同内容の回答が多数目立った)。 ・盲ろうを理由に,出産を禁じられたが,子どもがほしい。育児等について周りの支援体制が整っていれば可能と思う。 ・結婚相談所に入会しようとしても,「あなたは障がいがあるから結婚は難しいですね」と言われてしまい,結局入会をあきらめた。 ・息子の結婚相手の母,姉が,目の見えない子どもが生まれると苦労すると言って反対している(視覚障がいのある人の母の事例)。 ・子どもができたとき,「生みますか」と聞かれた。 ・施設で「どうせ結婚できないだろう」「生理時の介助が大変」という理由で,子宮を摘出された(肢体不自由)。 ・ 重度障がいを理由に医師から人工妊娠中絶を勧められた。遺伝の可能性があるとして,家族からも勧められた。 ・障害基礎年金の今の制度では,障がいが認定される時点で,子どもがいない場合,その後子どもができても子の加算がつかない。 ・障がいのある人同士の結婚を両親が反対する。 ・ 障がいのために出産ができなかったことで,夫と離婚しろと夫の家族から言われた(内部障がい)。 ・親に障がいがあるが,子どもにはないため,子どもの授業参観や学校行事に参加しようとしても,子どもに障がいがない以上,学校としては何も配慮できませんといわれて,必要な配慮が受けられなかった。 2 障がいのある人本人が家庭で差別される場面 ・親や家族が障がいのある人本人の意思にかかわらず物事を決める。本人は蚊帳の外におかれる(精神障がい。ほかに聴覚障がいのある人などで同内容の事例多数)。 ・家族が自己の家族の障がいを隠したり,恥じるような言動をしたりする(視覚障がい。ほかに聴覚障がいのある人,精神障がいのある人,肢体不自由のある人などで同内容の事例多数)。 ・弟の結婚式に出席させてもらえなかった(肢体不自由。他にも視覚障がいのある人が身内の結婚式に出席できなかった事例や聴覚障がいのある人の事例など同様の事例が複数あり)。 ・家族が手話を覚えてくれず,家族の会話から取り残される。口頭での会話で通じると思われているがそうではない(聴覚障がい。聴覚障がいのある人につき同内容の事例がもう1件あるほか,家族とコミュニケーションがとれない盲ろうの人の事例もある)。 ・子ども扱いが続き,命令や指示が多く,自立できない(知的障がい)。 ・親族内での相談に加えてもらえない。家族から年金を取られたこともある(盲ろう。聴覚障がいのある人が相続の際に相談に加えてもらえなかった事例もある)。 ・家族が本人の障害者年金を管理しており,本人は家族の許可がないとお金を使えない。そのために生活や行動に制約がある(視覚障がい。なお,この方は,実兄から暴力を受けたり,両親から冠婚葬祭への出席や結婚を禁止されたり,義兄に両親の遺産を使い込まれたりしている。ほかに,障害者年金を家のローンに入れられたという精神障がいのある人の事例もある)。 ・一つ屋根の下で一緒に暮らしてくれない(精神障がい。ほかに家族という小さな社会でも居場所がなく安心できたことがなかったという精神障がいのある人の事例や,障がいを理由に家を出されて一人暮らしを強いられ,自身の子どもは両親が育てている聴覚障がいのある人の事例もある)。 ・親戚の間で理解を得られない。別の家族だからと他人事のように見られる(聴覚障がい)。 ・両親が,障がいのある子どもの病名を,子本人の承諾なしに,家族以外の人に告げる(重複障がい)。 ・精神的虐待,時には身体的虐待を受けた(肢体不自由)。 ・家族での毎年のスキー旅行に,障がいを理由に連れて行ってもらえなかった(重複障がい)。 3 障がいのある人の家族自身が差別される場面 ・ 家族に障がいのある人がいることで付き合うなと言われた(視覚障がい。ほかに,「あの家とかかわらないほうがいい」と言われた精神障がいのある人の家族等同事例が多数)。 ・近所の人が「お母さんは障がいがあってかわいそう」「ご飯は誰が作るの」と小さな子どもにいう(視覚障がい。ほかに自身の子どもが「おまえの親は目が見えない」といっていじめを受けた視覚障がいのある人の事例,子どもが「お前の親はびっこのくせに」と言われた肢体不自由のある人の事例もある。兄の障がいを理由に弟がいじめられた重複障がいのある人の事例もある)。 ・兄弟の結婚に際して嫌がらせをする人がいる(視覚障がい。ほかに,自身の子どもが親の障がいを理由に結婚の話を解消された視覚障がいのある人の事例も2件ある)。 ・冠婚葬祭に障がいのある人を参列させたことについて,他の家の人が非難した(肢体不自由)。 ・知的障がいのある兄を持つ弟が,兄が下校中に迷子になったことで,近所中で,弟も知的障がいがあるのではないかとのうわさが広まった(知的障がい)。 <参考資料> 1 松井亮輔,川島聡編『概説障害者権利条約』(法律文化社,2010年) 2 齋藤有紀子編『母体保護法とわたしたち』(明石書店,2002年) 3 高山佳子・濱野有夏「女性障害者の現状と今後:優生保護法から母体保護法への移行のなかで」(横浜国立大学教育紀要37集・12項以下,1997年) 4 末広敏昭『優生保護法』(蜻蛉社,1981年) 5 障害者政策委員会差別禁止部会『「障害を理由とする差別の禁止に関する法制」についての差別禁止部会の意見』(2012年) http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/seisaku_iinkai/pdf/bukai_iken1-1.pdf 第7節 障がいのある女性 T 権利条約の規定 複数の要因から起きる差別を複合差別という。 権利条約は,障がいのある女性の困難さを,障がい及び女性であることの二つの要因から起きる複合差別の問題として掲げ,6条「障害のある女子」として明文化した。 障がいのある女性の複合差別の問題については,それ自体が問題化されることは決して多くなかった。女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約においても,障がいは差別の問題としてではなく,社会保障の問題の中で労働不能になる一つの事由として掲げられるに過ぎなかった。権利条約にジェンダーの視点が取り入れられたこと自体,非常に画期的なことであり,特に「締結国は,障害のある女子が複合的な差別を受けていることを認識する」と明記された点には大きな意義があるといえる。障害者機会均等に関する基準規則(1993年)において「特に障害を持つ女子・女性が結婚する,性的存在である,親となることに対する否定的態度」が問題とされていたが,かかる視点は権利条約6条にも生きており,女性の権利及び自由を享有することの困難さに対して意識的でなければならない。もちろん,今後の法改正・制度の見直しにおいてもジェンダーの視点を考慮しなければならないことは明らかである。 また,権利条約は,31条において適切な統計及び資料の収集について明文で規定しており,障がいのある女性の視点を意識した統計資料の収集・整備も明確に求められている。 U 障がいのある女性についての現行法制度等 1 はじめに 障がいのある女性は,「障がい」と「女性」という二つの差別の要因が重なるため,貧困・性的被害を始め,障がいのある男性よりも,さらに困難な状況にある。 しかし,障がいのある女性の抱える困難さについては,問題として社会に提起されないできた。 2 国連女子差別撤廃委員会(CEDAW)の総括所見 2009年8月に発表された国連女子差別撤廃委員会(CEDAW)の日本政府に対する総括所見は,「脆弱な立場にある女性グループ」の項目において,次のように意見を述べている。 パラ53 委員会は,雇用へのアクセス,保健,教育及び社会給付に関してしばしば複合差別を被っている,脆弱な立場にある女性グループについての情報・統計の欠如に留意する。 パラ54 委員会は,締約国が,次回の報告で条約でカバーされている全ての領域で,脆弱な立場にある女性グループの事実上の状況を示す総合的な姿及び個別のプログラムと達成された事柄の情報を提供することを要求する。委員会は,締約国が脆弱な立場にある女性グループの特定のニーズを考慮に入れるジェンダープログラムを採択することを要請する。 3 その後の法制度等の状況 (1)第3次男女共同参画基本計画 第3次男女共同参画基本計画(2010年12月17日決定)は,第8分野として,「高齢者,障害者,外国人等が安心して暮らせる環境の整備」を掲げ,「障害者が安心して暮らせる環境の整備」の施策の基本的方向として,「障害のある男女それぞれへの配慮を重視しつつ,障害のある人もない人も共に生活し活動できる社会の構築を進める。その際,障害のある女性は,障害に加えて,女性であることで更に複合的に困難な状況に置かれている場合があることに留意する必要がある。」と述べているが,具体的施策の中で,障がいのある女性に関するものは,複合的な障がい者施策の推進に当たり,「男女別の統計情報の充実等についても検討するなどして男女共同参画の視点に充分配慮する」及び「障害者の自立を容易にするための環境整備」の中で,「子育てをする障害のある女性への理解や,支援に何が必要なのかについて地域での理解を深めるための取組を行う」との項目が掲げられているに過ぎない。 (2)障害者基本法 2011年の障害者基本法の改正においては,10条(施策の基本方針)に,施策の実施に当たり,障がいのある人の性別を考慮すべきことが盛り込まれ,障害者基本計画においては,「障害特性等に配慮した支援」として障がいのある人の性別が明記され,さらに「特に,女性である障害者は障害に加えて女性であることにより,更に複合的に困難な状況に置かれている場合があることに留意する」旨記載された。 この点については,DPI女性障害者ネットワークは,障がい者制度改革推進会議に対する要望書の提出や国会内における集会の開催を通じて,障害者基本法の改正に際して総則に「障害のある女性」の項目を設け,障がいのある女性の権利擁護に必要な施策を講じる国・地方公共団体の責務を明記することや,各則における同様の規定などを求め,実際に障がい者制度改革推進会議がまとめた「障害者制度改革の推進のための第二次意見」においては「障害のある女性」の項目が明記されていた。しかし,最終的には,結果として3カ所に「性別」の文字が規定されるのみであった。第二次意見から実際の改正法の規定が後退してしまったことは残念ではあるが,同法14条(医療,介護等)と同法26条(防災及び防犯)に「性別」の文字が規定されたことは障害者基本法の歴史上初めてのことであり,障がいのある女性当事者の声によって,その意識は一歩前進した形となった。 (3)差別解消法 また,2013年6月に成立した差別解消法は,障がいのある女性に対する複合差別の問題について,7条(行政機関等における障害を理由とする差別の禁止)及び8条(事業者における障害を理由とする差別の禁止)の各2項において,「当該障害者の性別」を合理的配慮の一要素と定めている。さらに,2013年6月18日参議院内閣委員会は,障がいのある女性に対する複合差別について,次のとおり附帯決議をした。 第1項………(略)また同条約の趣旨に沿うよう,障害女性や障害児に対する複合的な差別の現状を確認し,障害女性や障害児の人権の擁護を図ること (4)配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律 配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(「DV防止法」)は,2004年の改正において職務関係者による配慮等について,「被害者の国籍,障害の有無等を問わず,その人権を尊重する」ことを明記し,当然のことではあるが,障がいのある被害者もDV防止法の保護の対象であることを確認的に規定した(同法23条1項)。 しかし,障がいのある女性からの相談,被害に対する支援等のための具体的な方策はほとんどないのが現状である。 例えば,DV相談の多くはまずは電話相談だが,ファックスやメールによる相談ができなければ聴覚障がいのある被害者はアクセスできない。また,DVシェルターはバリアフリーになっていないため,車いすの被害者が一時保護を求めても,入居が拒否される事例が多く聞かれる。さらにDVシェルターが,身体障がいや精神障がい等により介助や支援を必要とする人の入居を拒否する事例も聞かれる。このような状態が放置されるのでは,より被害に遭いやすい障がいのある女性が,より保護を受けづらいという本末転倒な結果になる。そもそも,わざわざ「障害の有無を問わず」という規定がDV防止法に盛り込まれたにもかかわらず,DV被害統計に障がいの有無についての統計が不完全な形でしか取り込まれておらず,障がいのあるDV被害者のニーズ調査や,自治体の施策状況の調査なども実施されていない。 (5)各自治体の条例の規定 京都府障害のある人もない人も共に安心していきいきと暮らしやすい社会づくり条例は,2条(基本理念)において「共生社会(全ての府民が,障害の有無によって分け隔てられることなく,相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会をいう。以下同じ。)の推進は,全ての障害者が,障害者でない者と等しく,基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んじられ,その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを前提としつつ,次に掲げる事項を旨として行われなければならない。」と規定した上で,同条4項において「全て障害者は,障害のある女性が障害及び性別による複合的な原因により特に困難な状況に置かれる場合等,その性別,年齢等による複合的な原因により特に困難な状況に置かれる場合においては,その状況に応じた適切な配慮がなされること。」として,障がいのある女性が抱える困難についての適切な配慮を明文で規定している。さらに,同条例8条(社会的障壁の除去のための合理的な配慮)においては,「当該障害者の性別…に応じて…必要かつ合理的な配慮をしなければならない」と規定されている。 これまで,DPI女性障害者ネットワークをはじめとする各団体は,障がいのある女性の施策が盛り込まれるよう提言・意見具申等の様々な働きかけを行ってきたが,とりわけ京都府における前記条例においては,以下に述べるとおり,障がいのある人の当事者団体の働きかけが大きな意味を持った。2009年1月時点で京都府内の42の障がいのある人の当事者団体が集まって「障害者権利条約の批准と完全実施をめざす京都実行委員会」(以下「京都実行委員会」という。)が結成され,前記条例づくりの様々な要望・提言を行った。実際に,2012年3月には,京都実行委員会が障がいのある女性当事者が京都府の条例検討会議に参加していないことを指摘して,障がいのある女性の参加者枠が増やされ,その後に障がいのある女性の複合差別の問題が条例検討会議において活発に議論されることとなった。実際の議論においては,DPI女性障害者ネットワークを通じて集められた事例の一部の提示がされつつ,意見書も提出され,障がいのある女性の複合差別の深刻さを訴え続けたことで次第に議論が活発化し,複合差別の構造や障がいのある女性の現実が条例検討会議内で共有されていった。また,学習会やシンポジウムも複数回行われ,2013年10月のパブリックコメント募集では,「障害女性への複合差別」に関わるものだけでも140通のパブリックコメントが全国から寄せられることとなった。 このような障がいのある女性当事者の運動によって,京都府における同条例は,障がいのある女性についての複合差別の問題を明記した内容となったのである。全国の条例の中で唯一,障がいのある女性への複合的な困難が条文で明記されるという,非常に画期的な条例は,条例の制定において当事者参加が図られ,検討会議において実質的で真摯な議論がなされた結果であるといえる。 4 現状 以上のとおり,各法令において「女性」や「性別」の視点が認識されてきたこと自体は望ましいことである。 しかしながら,その認識は未だ不十分であり,障がいのある女性の複合差別の問題について,その深刻さが十分に社会に認識され,理解されているとはいいがたい現状にある。 男女共同参画会議監視専門調査会は,2012年7月,「第3次男女共同参画基本計画の実施状況についての意見」において,「各種の統計情報については,男女の置かれている状況を客観的に把握することができるようなものであることが重要である。………障害者についての男女別の統計情報が現状では未整備である。………施策を効果的に推進するためには,男女それぞれの置かれた状況等を客観的に把握することが必要であることから,政府においては,………可能な限り男女別でデータを把握するよう努めるべきである」と指摘している。しかし,未だに,障がいのある女性に対する複合差別の実態を明らかにするデータはほとんど存在しない。 この点については,2009年9月26日障害学会第6回大会シンポジウム「障害と貧困−ジェンダーの視点からみえてくるもの」瀬山紀子氏の報告原稿から,障がいのある女性の実態として貧困の問題が明らかとなっている。同原稿によれば, a 障害女性の就労率(福祉的就労を除く)は,28.4%と一般女性の64.9%よりはるかに低いばかりか,障害男性の42.4%と比べても,障害男性の66%程度に過ぎない。 b 年間の就労収入では,障害女性は50万円未満が52.2%,50〜99万円が21.7%と99万円未満の人が7割を占めている。障害男性は,0〜50万円未満が35.3%,50〜99万円が7.8%と99万円未満の人は43.1%であり,障害女性の就労収入の低さが明確になっている。 c 単身世帯の年間所得の平均では,一般男性409.4万円,一般女性270.4万円,障害男性181.39万円,障害女性92.00万円となっており,障害のない男女間の所得の格差も大きいが,障害女性は障害男性の半分の所得に過ぎない。 ということが指摘されており,障がいのある女性の貧困が,大きな問題であることは明らかである。 また,以下で述べる差別事例から,障がいのある女性についての性的被害の問題は極めて深刻であることが明らかとなっている。 しかも,以下に挙げる差別事例は,障がいのある人についての差別事例に関する各種調査で寄せられた多数の回答の中のごく一部であって,表面化していない数多くの事例が実際には生じていると考えられる。 貧困・性的被害といった深刻な問題があることは明らかであるにもかかわらず,未だ障がいのある女性の困難に対する社会の意識が非常に希薄であるという現状が残念ながら存在している。実際,「障がい」と「女性」であることの複合差別を可視化する公的な統計データすらほとんど存在しない。 V 障がいのある人への差別事例 1 差別事例の類型 差別事例として圧倒的に多かったのは性的被害であった。 性的被害のうち,特に視覚障がい,肢体不自由,聴覚障がいのある女性の痴漢被害(胸・臀部・下半身を触られる。手を握られる等)が多く,入浴やトイレ,バスの乗降等の介助の場面や,医療の場面で被害に遭うという報告が多数存在した。その他にも,視覚障がいのある女性についてはストーカー被害や,タクシーで人気のない場所・ホテルに連れて行かれるなどの事例も散見された(DPI女性障害者ネットワークが行った障害女性についての被害差別調査(2011年)。以下「DPI女性障害者ネットワーク」という。)。例えば,「こちらが見えないのをいいことにバスの中で痴漢行為を働いた男がいた。個人タクシーに乗車したところラブホテルに連れ込まれそうになった(内閣府)。」という事例も報告されている。 また,暴力被害の事例も複数あり,特に肢体不自由や難病の女性については,抵抗もままならないまま暴力にさらされるという極めて不条理な事例が報告された(DPI女性障害者ネットワーク)。 2 各場面における差別事例 (1)福祉・介助の場面 差別事例としては,入浴・トイレに関する異性介助の問題が最も多く,性的被害が生じやすいことが確認された。実際に ・絶対同性介助がいい(女性)(内閣府)。 ・若い女性障がい者の入浴介助,トイレ介助に男性がつくことは,やめてほしい(内閣府)。 という声が多数聞かれ,中には自らが「物として扱われているよう」な気持ちになるとの声も見受けられた(DPI女性障害者ネットワーク)。また, ・駅員にガイドを依頼したところ,エスカレーターをおりる際,介助とみせかけて胸に触った(内閣府)。 ・入浴介助(ストレッチャーによる)時に,他者のいないところで突然に局部を指で押し広げてチェックされた(千葉県)。 などという悪質な性的被害の事例も報告されていた。 (2)労働の場面 障がいの種類にかかわらず,退職勧奨や正職員になれないなどの不当な差別事例や,そもそも働くこと自体を拒むような形式だけの採用面接・周囲の発言が報告された。また,配慮のない過度な就労や職場いじめに該当するような事例もあった(DPI女性障害者ネットワーク)。 ・同僚の男性が見える位置で用を足したり着替えたりするという事例(DPI女性障害者ネットワーク)。 ・てんかん発作で意識がないときに,特に女性が職場でセクハラを受ける(京都府)。 などといったセクハラの事例のほか,重大な性的被害も複数報告された。 ・雇用主からの性的関係の強要(熊本県)。 ・性的な関係を強要する(上司から障がい者へ)(内閣府)。 などといった上司からの性的関係強要のみならず, ・マッサージ士として就職したにもかかわらず,上司から売春を命じられた(内閣府)。 という事例もあり,労働の場面における障がいのある女性の被害は極めて深刻である。 なお,セクハラ相談室における配慮のない対応による二次被害の事例も報告された(DPI女性障害者ネットワーク)。 (3)医療の場面 医師や男性看護師によるセクハラ被害が多数報告された。 ・全盲女性の病室に,男性看護師や医師が黙って入ってくる(内閣府)。 という全く配慮のない行動や, ・患者女性にリタリンを処方しながら「お楽しみにも使えるよ」と言った医者もいる(内閣府)。 ・肢体不自由の女性が婦人科を受診した際「こんな状態でどうやって行為(SEX)するの?」などという発言を受ける(DPI女性障害者ネットワーク)。 など,不適切であり,かつ,女性の尊厳を侵害するような発言の事例が報告された。 また,鎖骨骨折の入院治療の場面でありながら, ・検査すると言って主治医以外の先生が来て,右太股から血液をとり始める。左のストマーをショーツでおさえていた手を払いのけ,下半身が全裸となる。先生の顔を見ると先生の目はストマーをじろじろ見ていた(さいたま市)。 という事例や, ・視覚障がいのある女性が妊娠中の検診で内診台のカーテンを閉めてもらえず,閉めて欲しいと伝えたところ「見えないんだからいいんじゃないの?」などと発言された事例(DPI女性障害者ネットワーク)。 もあった。さらに重大なものでは, ・病院での女性患者は職員にレイプされた事を4〜5回親に訴えていたが,そのたびに,関係妄想だと説明されていた。事件が起きた後の捜査でこの女性患者の言っている「レイプ」が事実である事が証明された(内閣府)。 という事例もあり,治療を受けるという弱い立場につけ込んだ悪質な事例も報告されている。 (4)学校の場面 学校においては,生徒からのいじめ事例,教師からの性的被害や無理解な差別発言が複数見受けられた。前者については, ・他の生徒から胸に触るなどの性的虐待を長期にわたって受けた(内閣府)。 ・からかって「服を脱げ」という男子児童に対し,知的に障がいのある女子児童がかまってもらっていることを喜んで服を脱ぎ始め,からかいがエスカレート(内閣府)。 といった事例などがある。後者については, ・養護学校の通学バスで男の先生に娘が胸を触られた(千葉県)。 ・身体測定で男性教員が女子を測定する(DPI女性障害者ネットワーク)。 ・担任は,娘がトイレに行く時,クラスの子ども達の前でパンツを脱がせた。親がやめてほしいと話すと,担任に「お母さん,何をバカなことを言っている。障がい児に恥ずかしいという気持ちがあるわけないでしょ。どうせスカートでかくれてしまうからいいじゃないの。」と言われた(さいたま市)。 などという事例が報告された。また,体制の問題として,養護学校や盲学校において, ・更衣室がなく同じ教室で着替える,男女別の更衣室があるにもかかわらず男子の方が多いため一部男子が女子更衣室で一緒に着替える,修学旅行で男女同部屋だった(DPI女性障害者ネットワーク)。 などの事例も報告された。 (5)その他の場面 以上の場面ごとの類型には当てはまらないものの,その他多くの差別事例が以下のとおり報告された。 ア まず,非常に多く報告された事例はトイレに関するものである。 ・市役所の男子トイレの奥に洋式で手すりのついたトイレがあるが女子には使いづらい(内閣府)。 ・劇場でのトイレが少ない(障がい者女子トイレ)(内閣府)。 ・公共のほとんどの場所で,障がい者用トイレは男女兼用になっており,設置場所もどちらかのトイレの入り口付近にあることが多い(千葉県)。 など,トイレの設備・設置場所等に関する報告が多数存在した。また,類似の事例として ・ある温水プールの障がい者用更衣室は男女共用になっている。突然巡回の係員(男女ともに)が入ってくることがあるが,健常者ならば女子更衣室に男性の係員が入ることはまずないはず。また,トイレも施錠できないシステムになっており,毎回びくびくしながらトイレに入っている(千葉県)。 との事例も報告された。 イ 男性職員対応に関する事例は異性介助以外の場面でも複数報告された。具体的には, ・妊娠検診で女性手話通訳者がいなくて男性通訳者が対応して抵抗がある,福祉職員に男性が多く生理の悩み・症状などを話せない(DPI女性障害者ネットワーク)。 などといったものであり,障がいのある女性の困難として強く意識されるべき問題である。 ウ 障がいのある女性について性的被害の事例が多数存在することは前述のとおりであるが,その後の二次被害についても事例が見受けられた。例えば ・発達障がいのある女子中学生が不審者被害に遭い交番に駆け込んだとき,気が動転してパニックになっていたこともあって要領よく説明できずにいたところ,連絡を受けて駆け付けた親が警官から「娘さんの学校での成績はどうですか?」と聞かれ,さらに「娘さんはよく嘘をつきますか?」などと尋ねられた(茨城県)。 という事例が報告された。結局,この事例では,被害現場まで直接行き,被害者の頭部にも傷があって血が滲んでいたことが判明したことで女性警官が呼ばれ,その後は落ち着いた対応をしてもらえたようだが,障がいについての無理解が原因となった二次被害の事例である。 3 裁判事例 (1)千葉県浦安市立小学校特殊学級に在籍していた知的障がいのある女子生徒が,当時の担任であった男性教諭から,頭を殴られるといった暴力や胸を掴んで触られるなどの性的被害を受けたとして損害賠償請求が認められた事案(千葉地裁2008年12月24日判決,東京高裁2010年3月24日判決)。 なお,同一事案については,強制わいせつ罪の刑事裁判が先行しており,第一審(千葉地裁2005年4月28日判決)及び第二審(東京高裁2006年2月15日判決)ともに,被害者の証言の信憑性が問題とされ無罪判決が確定していた。 (2)茨城県水戸市の有限会社アカス紙器において,知的障がいのある女性従業員が同社社長から強姦等の性的虐待,殴る蹴るといった暴行を受けたとして,損害賠償請求が認められた事案(水戸地裁2004年3月31日判決判時1858号118頁/判タ1213号220頁,東京高裁2004年7月21日判決)。 なお,刑事事件としては強姦罪・強制わいせつ罪については不起訴となっている。 (3)重度の身体障がいのある女性が入院中,レントゲン撮影を受ける際に男性医師からわいせつ行為を受けた等として損害賠償請求が認められた事案(東京地裁1995年5月16日判決判時1552号79頁/判タ876号295頁)。 なお,控訴後に和解が成立している。 (4)川崎市立中学障がい児学級において,知的障がいのある女子生徒(当時,中学1年生)に対して,男性の担任教師がトイレなどで継続的にわいせつ行為を行ったとして,懲役1年6月の実刑判決が確定した事案(横浜地裁川崎支部1999年6月21日判決,東京高裁2000年11月20日判決)。 (5)いずれも先生と生徒,使用者と被用者,若しくは医師と患者という力関係を背景に起きた極めて悪質かつ重大な事件であり,その被害内容は女性の尊厳を踏みにじる決して許されないものである。また,上記(1)及び(2)については,民事事件では請求が認められているものの刑事事件としては無罪ないし不起訴となっている点も留意しなければならない。 第8節 アクセシビリティ:移動・施設利用 T 権利条約の規定 1 9条(施設及びサービス等の利用の容易さ) 権利条約9条1項は,障がいのある人が,都市と農村の双方において,物理的環境,輸送機関,施設を利用できることを確保するために,締約国が適切な措置をとることを求めている。この規定は,障がいのある人が自立して生活したり,完全に社会参加するには,建物,道路,公共交通機関の利用なくしてはあり得ないことに鑑みて,置かれている。 また,同条2項(a)は,同様の趣旨から,公衆に解放され,又は提供される施設及びサービスの利用の容易さに関する最低基準及び指針を作成し,及び公表し,並びに最低基準及び指針の実施を監視すること締約国に求めている。 2 18条(移動の自由及び国籍についての権利) 権利条約18条は,障がいのある人の居住の自由及び国籍についての権利とともに,それらの前提となる移動の自由についての権利を有することを認めている。 3 20条(個人の移動を容易にすること) また,権利条約20条は,障がいのある人が,自ら選択する方法で自ら選択する時に負担可能な費用で移動することを容易にするために,効果的な措置が採られる旨を規定している。 4 30条(文化的な生活,レクリエーション,余暇及びスポーツへの参加) さらに,権利条約30条は,障がいのある人の文化的な生活に参加する権利を認め,障がいのある人が,図書館,博物館,映画館等へアクセスすることや,国の文化的に重要な記念物及び遺跡へアクセスすることを確保するための全ての適切な措置をとる旨を規定している。 U 障がいのある人の移動・施設利用についての現行法制度等 1 バリアフリー新法(高齢者,障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律) 障がいのある人の移動,施設利用については,運動により,全国で,いわゆる「街づくり条例」の制定が広まっていた中,1994年に,高齢者,身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(通称「ハートビル法」)が制定され,2000年には,高齢者,身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律(通称「交通バリアフリー法」)が制定された。 2006年6月には,上記「ハートビル法」と「交通バリアフリー法」の2法が統合され,「バリアフリー新法」が制定され,同年12月より施行された。 この法律の目的は,公共交通機関等や建築物の構造及び設備を改善するための措置等を講ずることにより,高齢者,障害者等の移動上及び施設の利用上の利便性及び安全性の向上の促進を図る(同法1条)ことにある。そして,国及び地方公共団体はその目的達成のために必要な措置を講ずるよう努めなければならないのであり(同法4条,5条),8条以下及び同法施行令において,その具体的な措置等について詳細に定めている。 この「バリアフリー新法」に伴い,高齢者,障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律施行規則,並びに,移動等円滑化のために必要な旅客施設又は車両等の構造及び設備に関する基準を定める省令も定められている。 2 公共交通機関等の移動等円滑化基準の適合義務 同法8条から13条において,公共交通事業者,道路管理者,路外駐車場管理者,公園管理者等がその施設等を新設又は改築するとき(分野によっては大改築に限られる)はそれぞれ政令で定める基準に適合させる義務(基準適合義務)があることが明記されている。しかし,既存の施設等には,その努力義務が課されるにすぎない。 3 建物等の移動等円滑化基準の適合義務 また,同法14条以下においては,一定規模(合計床面積2000u)以上の不特定多数の人が利用する劇場,官公署等や主として障害のある人や高齢者などが利用する福祉施設等(特別特定建築物,同施行令5条)を建築しようとする建築主等は,移動等円滑化のために必要な建築物特定施設の構造及び配置に関する政令で定める基準に適合させなければならず(基準適合義務),これに適合しない場合は建築基準法に適合しないものとして建築確認がされないこととしている。 具体的には,同法施行令11条から23条までにおいて,廊下,通路,移動経路,便所等について,詳細にその基準が定められている。例えば,同法施行令18条において,上記特別特定建築物等においては,高齢者,障がい者が円滑に移動できるよう,傾斜路,エレベーター等が設置されている場合を除きその経路上に階段又は段を設けないこと,戸を設ける場合には,自動的に開閉する構造その他の車いす使用者が容易に開閉して通過できる構造とし,かつ,その前後に高低差がないこと,などが定められている。 しかし,既存の特別特定建築物や特定建築物以外の多数が利用する特定建築物の建設については,努力義務でしかない。 なお,特定建築物に関しては,地方公共団体は,条例で追加したり,建築の規模を別に定めることなどができるとされており,地域の実情を反映できるようにはなっている。 4 重点整備地区における事業の実施義務 同法4章以下において,市町村は,国が定める基本方針に基づき,区域内の旅客施設を中心とする地区や,高齢者,障がいのある人等が利用する施設が集まった地区(重点整備地区)について,移動等円滑化に係る事業の重点的かつ一体的な推進に関する基本的な構想(基本構想)を作成することができるとされている。この基本構想については,既存の建築物等もその対象となり,基本構想に基づき策定された事業計画に対しては,実施の義務が課せられている。 5 補助犬法 補助犬法は2002年に成立している。これにより,国,地方公共団体,公共交通事業者,不特定多数の者が利用する施設の管理者等は,その管理する施設等を身体障がいのある人が利用する場合,身体障害者補助犬の同伴を拒んではならないとされ,民間事業主及び民間住宅の管理者は,従業員又は居住者が身体障害者補助犬を使用することを拒まないよう努めなければならないとされている。しかし,これに違反した場合の措置については,規定がない。 V 障がいのある人への差別事例 1 物理的,設備的な現状(ハード面) 物理的,設備的な状況(ハード面)から,以下のような現状がある。 (1)交通機関 ・駅では,階段があり,エレベーターやスロープがない場合がある(内閣府)。ユニバーサル・トイレがない(京都府)。 ・あっても,遠回りや迂回をしなければならないとか,鍵が掛かっていて係員を呼ばなければ使用できない(京都府)。 どこにあるのかが分かりにくい。などの現状がある。また, ・電車では,聴覚障がいのある人が,乗車中に電車が緊急停止してもなぜ止まったのか分からない(遅延放送も分からない)(千葉県)。 ・駅構内で事件・事故が発生しても状況が把握できない。次の停車駅も分からない(内閣府)。 駅ホームの柵が無く落下の危険がある,点字ブロックがなくて正しい方向が分からないなどの現状がある。さらに, ・交通機関の自動券売機にある係員呼出ボタンで係員を呼べるが,音声でコミュニケーションできず精算するのに時間が掛かる(千葉県)。 ・視覚障がいがあり,バスの行き先を表示する文字が確認できない。音声案内,電光掲示板,及び,時刻表の点字表示などが必要(内閣府,大阪府)。 ・バスでは,低床バスの運行が少ない(千葉県)。 ・飛行機に1人で乗せてもらえない(内閣府,熊本県)。 ・フェリーでは,階段などがバリアフリーとなっていない。自動車内にいるしかない(熊本県)。 などの現状がある。 (2)公共施設 ・公共施設,飲食店,理容店,コンビニエンス・ストアでは,入口に段差があったり,店内が狭い(千葉県,北海道,熊本県)。 ・ユニバーサル・トイレ(オストメイト対応トイレを含む)がない(内閣府,さいたま市,大阪府,京都府)。 ・エレベーターや店内が狭い(電動車いす利用者等)(熊本県,京都府)。 ・映画館,劇場,野球場では,見えづらい最前列や最後列など,特定の座席位置を強いられる(内閣府)。字幕の出ない邦画の内容を理解することができない(聴覚障がい)(千葉県)。 などの現状がある。道路では, ・交差点信号で音声がない(視覚障がい)(熊本県)。道路や歩道に段差がある(内閣府,北海道)。 ・点字ブロックについては,車椅子で通行しにくい,雨で滑る(内閣府)。 などの現状がある。さらに,古い寺院等の文化財については,車椅子のまま入ることが許されない,スロープがない,などの現状がある。 (3)緊急時 緊急時に関しては, ・火災等の緊急時の情報が分からない(聴覚障がい)。 ・エレベーター内に閉じ込められて,意思疎通ができない(聴覚障がい)(千葉県)。 ・避難が難しい(視覚障がい,肢体障がい,内閣府)。 などの現状がある。 (4)地方格差 バリアフリー設備の整備は,大規模建物が比較的少ない地方においては,都心に比べて大幅に遅れている。 2 制度,利用拒否,周囲の対応等(ソフト面) 制度,利用拒否,周囲の対応等(ソフト面)から,以下のような現状がある。 (1)制度 ・精神障がいに対し,バスや鉄道で割引等がない地域がある(内閣府,北海道,さいたま市,大阪府,京都府)。 (2)利用拒否 ・スーパー銭湯の入浴拒否(車椅子利用者:最高裁2014年7月3日決定ほか,難病:大阪府)。 ・タクシー等の乗車拒否(内閣府),盲導犬の入店拒否(内閣府,千葉県)。 ・スポーツジムの入会拒否(内閣府,千葉県,大阪府)。 ・プールの利用拒否(内閣府,熊本県,大阪府,育成会)。 ・遊園地の入園拒否,又は制限が多い(内閣府,千葉県,熊本県,育成会)。 などの現状がある。 (3)周囲の対応等 ・障がいのある人専用の駐車場に,障がいのない人が置いてしまう(内閣府,熊本県,大阪府)。 ・一方で,見た目に分からない障がいのため,駐車して警備員から注意された(千葉県)。 ・点字ブロック上の駐車,駐輪(内閣府,京都府)。 ・他の乗客から,まるで汚い物を見るような目で見られた。蔑視の目(特に知的障がい)。 などの現状もある。 3 合理的配慮の欠如,改善すべき点 次のような,合理的配慮の欠如と思われる相談事例もある。 ・駅員等から,(エレベーターやスロープがないのに,)「手伝えません」,文句を言いたそうな表情,文句を言われる。「次の便でお願いします。」(内閣府,北海道)。 ・「もっと,前もって連絡しろ」(ラッシュ時も含む)(北海道)などと係員に言われた。 ・駅員に対し,降りる駅と乗車位置を言わなければならない(京都府)。 ・下車駅を運転手に伝えるために,渡し板の裏側に下車駅を書いたマグネットが貼られており,他人に見られる位置にその板が置かれる(北海道)。 ・事前に予約しなければならない(内閣府,北海道)。 ・電車で,障がい者は午後9時以降は乗って欲しくないと言われたことがある。(車いす)。 ・ 座席指定の券を買っても,車いすで一人で列車に乗る時には車掌が手伝ってくれず,デッキで過ごすしかない。 ・「女性専用車」に乗せられる(内閣府)。 ・鉄道の乗り換え時など,企業間の連携がない(内閣府)。 などの現状もある。 4 裁判事例等 (1)実際に障がいのある人に対する差別や不利益が発生し,訴訟等にもなっている。 ・精神障がいのある人が,航空機への搭乗を拒否された事例(日弁連2004年3月29日警告・人権救済申立事件,ケーススタディ)。 ・上肢下肢障がいと言語障がいのある人が,航空機への搭乗を拒否された事例(大阪高裁判決,ケーススタディ)。 ・高架駅にエレベーターの設置を求めた事例(大阪高裁2000年1月21日判決,ケーススタディ)。 ・鉄道に車いす仕様トイレの整備を求めた事例(最高裁2002年10月25日決定判タ1131号142頁,ケーススタディ)。 ・駅員が車いすのブレーキを掛けないという介助ミスをした事件(東京高裁2003年6月11日判決判時1836号76頁,ケーススタディ)。 ・柵等の不設置のために視覚障がいのある人がホームから落下し電車にひかれ重傷を負った事例(大阪地裁2001年10月15日判決,大阪高裁2003年6月30日和解,ケーススタディ)。 ・視覚障がいがあり駅のホームを白杖を使って歩いていたら,白杖が他の人にぶつかり結果として他人を転倒させ,ケガをさせてしまい,損害賠償請求訴訟を提起された事例(新潟地裁長岡支部2013年9月10日判決) ・駅直結との宣伝でマンションを買ったところ,段差があり,車椅子利用者は直結に進むことができなかった事例(東京地裁2001年2月18日判決・高裁和解)。 ・それまで何回も車椅子で浴室へ入場していたのに,突然,入浴を拒否された事例(最高裁2014年7月3日決定ほか)。 (2)しかし,現実の裁判等の中では,障がいのある人の権利の侵害が認められ,その権利擁護が図られる事例は,極めて少ない。 そのため,法整備やガイドラインの整備が必要不可欠の急務となる。 第9節 アクセシビリティ:情報保障 9−1節 情報保障 T 権利条約の規定 1 権利条約は,情報保障について,9条(施設及びサービス等の利用の容易さ)及び21条(表現及び意見の自由並びに情報の利用の機会)でまとまって述べている。 2 権利条約9条は,同条1項において,@障がい者が自立して生活し,及び生活のあらゆる側面に完全に参加することを可能にすることを目的として,情報通信機器及び情報通信システムを利用する機会が確保されるべきこと,そして,Aそのためにサービス等の利用の容易さに対する妨げ及び障壁を特定し,撤廃されるべきことを求めている。 同条2項においては,その具体的な措置として, (a) 公衆に開放され,又は提供される施設及びサービスの利用の容易さに関する最低基準及び指針を作成し,及び公表し,並びに当該最低基準及び指針の実施を監視すること。 (b) 公衆に開放され,又は提供される施設及びサービスを提供する民間の団体が,当該施設及びサービスの障がい者にとっての利用の容易さについてあらゆる側面を考慮することを確保すること。 (c) 施設及びサービス等の利用の容易さに関して障がい者が直面する問題についての研修を関係者に提供すること。 (d) 公衆に開放される建物その他の施設において,点字の表示及び読みやすく,かつ,理解しやすい形式の表示を提供すること。 (e) 公衆に開放される建物その他の施設の利用の容易さを促進するため,人又は動物による支援及び仲介する者(案内者,朗読者及び専門の手話通訳を含む。)を提供すること。 (f) 障がい者が情報を利用する機会を有することを確保するため,障がい者に対する他の適当な形態の援助及び支援を促進すること。 (g) 障がい者が新たな情報通信機器及び情報通信システム(インターネットを含む。)を利用する機会を有することを促進すること。 (h) 情報通信機器及び情報通信システムを最小限の費用で利用しやすいものとするため,早い段階で,利用しやすい情報通信機器及び情報通信システムの設計,開発,生産及び流通を促進すること。 をそれぞれ明記している。 3 権利条約21条は,表現の自由,知る権利,平等に情報サービスを受ける権利について定めた条文である。本条の原文は,「freedom of expression and opinion,and Access to information」であり,言論の自由(freedom of speech and brief)ではなく,意見や情報の表明の自由を要求しているものである。 日本国憲法においては,憲法21条が表現の自由を保障しているのはもちろん,知る権利や情報サービスを受ける権利についても,憲法21条等によって保障されるものと解されているところであり,障がいのある人も,他の人と同様に,情報や意見を受け取り,自由に発信できる権利を有していることは当然である。 本条は,障がいのある人がこれらの権利を行使するために,あらゆる形態の意思疎通をできるような措置をとることを求めている。 とくに,IT技術の発展に応じた対応が求められることを明らかにしていること(インターネットが含まれることが明記されている。),手話について(権利条約2条は,手話を言語として明記している。)その使用を認め,促進すべき旨明記したことは,注目すべきである。 U 障がいのある人の情報保障についての現行法制度等 以下,視覚障がいのある人,聴覚障がいのある人,知的障がい・発達障がい等のある人の順に記載する。 なお,災害時の情報保障については,一括して節を改めて記載する。 1 視覚障がいのある人について (1)現状 一言で視覚障がいのある人といっても,視力や視野等の個人差があるが,多くの視覚障がいのある人は,墨字(点字に対し,視覚的に確認できる文字のこと)の情報入手や発信において困難を抱えている。 視覚障がいのある人が墨字処理をすること,つまり墨字を読んだり書いたりすることは,視覚障がいのある人の日常生活や社会生活にとって解決しなければならない最も大きな課題の一つである。この点について,現状の制度を概観し,その上で,これら現状の制度下で生じている差別ないし不適切な取扱いについて整理する。 (2)現在の制度や取組 視覚障がいのある人が墨字を処理するための制度や取組の主なものとしては,次のようなものを挙げることができる。 a 点訳 点訳とは墨字を点字に訳すことである。著作権法では,点訳には,著作者の許諾を受ける必要がないと定められている(同法37条)。点訳は点字出版所等による点字本発行の事業としてなされている場合もあるが,点訳のほとんどはボランティア活動の一つとして行われている。点字図書館などでは点字図書の貸出しが行われている。 しかし,出版されている墨字図書のうち点訳されるのは全て合わせても1割にも満たない状況である。また,近年では,パソコンを用いた点訳が一般的になり,点訳作業の効率が上がっているが,それでも,点訳には相当な時間がかかり,1冊の本を点訳するのに数か月を要することもある。 公的サービス及び公共サービスで点字が使用できる例は多くはないが,視覚障がいのある人には,点字による投票が認められている。2003年の公職選挙法改正により,国政選挙において「候補者名簿及び名簿届出政党等名簿」の点字版が投票所等に備え付けられたり,投票用紙に選挙の種類を点字で記載したり,点字による「選挙のお知らせ」を配布するようになった。また,地方自治体の広報の点字版を発行しているところもある。郵便物のあて名は点字でも可能である。 ところで,厚生労働省の「身体障害児・者実態調査」によると点字ができるのは視覚障がいのある人のうち12.7%に過ぎないので,点訳がなされたからといって,それで全てが解決するというわけではない。 b 音訳 音訳とは墨字を人が朗読して音に訳すことである。 一部の公共団体が,広報等を録音テープやCD等の録音媒体で提供する例があるほか,点字図書館やボランティアにより通常の書籍を音訳した録音図書が制作されており,点字図書館等を通じて貸出しが行われている。音訳も,点訳同様,著作権法により,著作者の許諾なく行うことができると定められている。しかし,制作される録音図書の数は,年間8000タイトル程度で,発刊される書物全体19万タイトルの20分の1程度にとどまっている。 なお,2003年の公職選挙法の改正により,音声による「選挙のお知らせ」の配布が可能になった。 c 対面朗読,ホームヘルパーや同行援護者による代読・代筆 ア 対面朗読とは対面リーディングや対面音訳ともよばれるものであり,それは朗読者(音訳者)に視覚障がいのある人が直接墨字文書を読んでもらうことである。対面朗読サービスは一般的には点字図書館や公共図書館で行われている。 イ 視覚障がいのある人の多くが,総合支援法に基づき,ホームヘルパーや同行援護制度を利用している。 そして,家の中で必要となる代読・代筆(行政機関から届いた文書や手紙等の墨字の処理等)はホームヘルパーに依頼し,外出先で必要となる代読,代筆(金融機関で預貯金を払い戻す際の申込書の記入等)については,同行援護者(ガイドヘルパー)により行っている。 d パソコン等の支援技術の活用 近年,視覚障がいのある人のパソコンの使用が増えているが,これは,パソコンにインストールして,ワープロ,表計算,メーラーなどの一般のソフトウェアを音声化するスクリーンリーダーなどの画面読み上げソフトが普及したためである。文字を見ることのできない視覚障がいのある人が,文字表記による情報アクセスができるようになったことは,視覚障がいのある人の近年の情報アクセスの大きな進歩である。 スクリーンリーダーなどの画面読み上げソフトが普及したことにより,多くの視覚障がいのある人がインターネットを活用できるようになった。ワールドワイドウェブで利用される技術の標準化をすすめる団体であるW3Cは,視覚障がいのある人がスクリーンリーダーで読み上げやすいようにウェブサイトの規格を決めている。しかし,スクリーンリーダーで読めないウェブサイトもまだ多くあり,視覚障がいのある人の情報アクセスを阻んでいる。 e テレビ放送等 視覚障がいのある人向けのテレビ放送のサービスとして,解説放送が行われている。2007年10月30日に総務省が示した「視聴覚障害者向け放送普及行政の指針」では,権利処理上の理由等により解説を付すことができない放送番組を除く全ての放送番組の10%に,2017年度までに解説放送を付与することとしている。しかし,字幕は100%付与することとしているので,解説放送は,字幕よりも普及が遅れている。 2 聴覚に障がいのある人について (1)聴覚に障がいのある人について,ろう者という記載が用いられることがある。そこで,まず,概念について簡単に説明をする。「ろう」とは生まれつき耳が聞こえないことをいい,「聴」とは耳が聞こえることをいう。 聴覚障がいのある人の情報保障において,手話の重要性は論を待たない。権利条約2条は,言語とは,音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいう,と定義をし,同21条(e)において,手話の使用を認め,及び促進すること,を定めている。さらに,同24条3項(b)(c)や同30条4項において,教育や文化的な生活について障がいのある人の言語を重視している。 手話は音声日本語とは異なる独自の体系を有する言語であり,手話を使用するろう者が知的で心豊かな社会生活を営むために大切に受け継がれてきたものであるが,社会の理解が不十分であり,立法,行政,司法などの国及び地方公共団体のみならず,社会全体において手話を使うことが十分保障されず,教育の現場においても手話は日本語学習の妨げになるとの誤った認識が広まった。1970年に,旧厚生省は,ようやく手話奉仕員養成事業を開始したが,当時はボランティア的活動に依存していたのが実情であり,旧厚生省が,公的資格として,旧厚生省告示により手話通訳技能認定試験(手話通訳士試験)の実施をはじめたのが1989年,厚生労働省令に基づく試験とされたのは2009年からである。 手話を言語と位置付ける以上,言語平等の観点から,聴覚障がいのある人に対して,容易に手話によるコミュニケーションができるようにされなければならない。2011年に改正された障害者基本法は,3条3項で「全て障害者は,可能な限り,言語(手話を含む。)その他の意思疎通のための手段についての選択の機会が確保されるとともに,情報の取得又は利用のための手段についての選択の機会の拡大が図られること」と規定している。 この選択の機会の確保・拡大は,公的サービス・公共サービスについてなされるべきはもちろんであるが,私的な場面においても,できるだけ同様に機会の保障がなされるべきである。 そして,そのためには,手話通訳者の養成及び経済的保障が欠かせない。 現在は,上記のとおり,手話通訳士の全国統一試験が行われ,有資格者として,道半ばではあるが,手話通訳者としての就職の道が開けつつある。 なお,本集会の開催地である函館市では手話通訳・要約筆記の派遣事業をおこなっているものの,登録通訳者数は増加せず横ばいの状態が数年間続いており,イベント等の際には手話通訳者等に負担がかかる場合もあることから,手話養成講座などで手話や要約筆記への関心をつなげる努力をしているところである(2014年7月9日函館新聞)。 (2)改正障害者基本法が,意思疎通のための手段についての選択の機会の確保を規定したことを受け,全日本ろうあ連盟は手話言語法(手話言語法とは,手話が言語としてろう者に活用されるための具体的な施策の確立を規定する法律)の制定を求めている。 手話言語法が制定されることで,単に手話についての社会的理解が促進されるだけではなく,手話による保障を獲得する,手話で学ぶ,手話を学ぶ,手話を使う,手話を守るといったことを,法律の具体的根拠条文を示して求めることがより容易になると期待される。現在,法制定に先行して,鳥取県,北海道の石狩市及び新得町,三重県松阪市,佐賀県嬉野市では,手話言語条例が制定されており(2014年7月1日現在),同様の条例制定を検討している自治体もある。 (3)障害者基本法が,「言語(手話を含む。)その他の意思疎通のための手段」という規定をしているとおり,手話の他にも,マスコミュニケーションの手段であるテレビで手話画像を用いること,テレビで字幕スーパーを流すことや,学校の授業・講義・集会などで要約筆記を行うこと・ノートテイク(ノートテイクとは,話の内容や,その場に起こっていることを文字にして,聴覚障がいのある受講者に伝える通訳をいう。)をすること等も重要である。 例えば,聴覚と視覚の両方に障がいがある人は,手話を読みとることはできないので,コミュニケーションの保障という観点からは,さらに別の方法が必要になる。 また,聴覚の障がいの程度も個人差があり,難聴者の場合には,手話の保障よりも,要約筆記やノートテイクの保障が必要になる場合もある。とりわけ,聴覚障がいのある学生の学習の場における情報の保障の観点からは,ノートテイク・パソコンノートテイク・ONPを用いた手書き要約筆記等の保障が必須であり,教育現場での支援の充実が必要である。 (4)聴覚障がいといっても,生来的に失聴している人(「ろう者」)や早期に失聴した人の場合には,手話を用いるのが一般的であるが,中途の失聴の場合には墨字は読めても手話は理解できず,要約筆記を必要とする人もいる。 聴覚についての中途障がいの場合,口話で意思を伝えることはできるが相手の意思を聞き取れることが容易でないことから,結果として地域社会の中で疎外感を持つ事態に陥ることも少なくない。そのような実情を踏まえて,東京都では,中途失聴者の手話講座が開催されており,好評を得ている。中途失聴の人を講師として養成して,地方でも中途失聴者が手話を修得できる環境を作る流れが期待される。 (5)このように,聴覚障がいのある人に対する情報保障という場合,その人に適応した伝達手段が保障されなければならない。それゆえ,権利条約2条が手話その他の形態の非音声言語と規定しているように,情報保障を検討する場合,上述した他の法律等の解釈に際しても,この趣旨を踏まえることが必要である。 そこで,聴覚障がいのある人が,自由に情報を入手し,情報を伝達することを可能にするための合理的配慮として,チラシや案内にはファックス番号の記載,メールアドレスを掲示すること,また,意思疎通支援者を用意することが重要になる。 3 知的障がい等のある人について (1)知的障がいのある人への情報保障についても,他の類型と同様に,日本では,不十分であったといわざるをえない。 その原因は,大きくは,@知的障がいのある人に対する情報保障という視点そのものの欠落,A知的障がいの特性から情報保障の方法・態様について配慮すべき場合があることの視点の欠落,の2点にある。 そして,これらの視点の欠落は,行政のみならず,知的障がいのある人の生活に密接に関わってきた福祉・施設関係者,我々司法関係者を含めた社会全体に共通してみられることである。 (2)知的障がいのある人に対する情報保障という視点そのものが欠落する背景には,知的障がいのある人には,当該情報の意味がわからないであろうと決めつける偏見,そして,当該情報に基づき,あるいは当該情報を利用して,物事を判断し,あるいは意見を表明することができないのだから,情報を逐一伝える意味がないとか伝える必要がないと考えてしまう偏見がある。 その結果,「何も知らされていない。」「いつのまにか意見を言う前に決められている。」という差別が生じている。かかる差別事例は特定の時期,場所に限られた現象ではない。また,それは,その情報が「知的障がいのある人」や「本人に関する事項」であっても同様である。 しかしながら,判断材料となる情報提供を受けることができなければ,当該情報に基づき,あるいは当該情報を利用して,物事を判断し,あるいは意見を表明することができないのは,障がいの有無にかかわらず,誰にとっても同じであろう。情報保障のないことは,個人の人格的発展を可能性の段階から奪われているものである。 知的障がいのある人にその機会すら与えないのは,知的障がいのある人の可能性を奪うことであり,とりわけ子どもにとっては,情報提供のないことに慣れてしまう危険,情報に基づき自ら考え,判断する体験を失うといった,教育の視点からも重大な損失である。現在,学校教育において,インターネットや情報機器が急速に取り入れられており,障がいのある子どもがそこから取り残されるということは,非常に大きな問題である。 (3)情報伝達の態様について,視覚障がい・聴覚障がいのある人に対してなされる合理的配慮(朗読サービスや手話ニュース等)は,知的障がいのある人にとっても,情報アクセスの保障として有意義である。その意味で,視覚障がい・聴覚障がいの項にて言及されている実情は,知的障がいのある人にとっても大きな課題である。 知的障がいのある人にとっては,平易な用語でゆっくりと話された言葉や,ひらがなあるいはルビの付された言葉が用いられれば,その情報の理解は,相当容易になる。そして,そのような配慮を行うことは,他者にとって過大な負担ではない。むしろ,そうしないことは,合理的配慮を欠き,差別に当たるものである。 (4)発達障がいのある人は,一般に誤解されがちであるが,必ずしも知的障がいを伴うものではなく,「発達障がい」という概括的なくくりをすることが困難なほど,情報保障についての配慮を必要とするかどうかについての個人差が大きい。 そのことが前提となるが,発達障がいの中には,ディスレクシアなど,文字による情報入手が困難な障がいがある。そのような障がいがある場合には,録音図書や朗読サービスが必要なこともあり,マルチメディアDAISY(デイジー)規格(テキストと画像を使用して,テキストに音声をシンクロ(同期)させて読むことができるもの)の図書を活用することが,情報保障上有益である。また,障がいのある児童及び生徒のための教科用特定図書等の発行及び普及の促進を図る趣旨で,「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律」が議員立法により2008年6月に成立し,これにあわせて教科書用特定図書等の複製に関する著作権法の改正がなされ,マルチメディア教科書を製作するためのデジタルデータを教科書会社が提供することになった。 (5)障がいの類型としてはこれまであげてきた類型と異なるが,吃音(きつおん)障がいのある人にとっては,ゆっくりと平易な会話をすることによって,緊張が緩和され,意思疎通が容易になるので,こうした配慮が必要である。 V 障がいのある人への差別事例 1 視覚障がいのある人の事例 (1)点訳 ・視覚障がいのある人の就職,受験,会議に出席する場合などに点字ほか認識できる媒体の利用を配慮してほしい(内閣府)。 ・(行政の文書の(筆者注))送付封筒の差出人を点字にしたり,点字・メールなどでの受付をすること(内閣府)。 ・必要資料を点訳し,視覚障がいのある人にも墨字資料を渡すこと(内閣府)。 ・飲食店に点字のメニューがないため,店員さんに読んでもらったが,忙しそうだったため,メニューの途中で決めた。点字メニューがあれば一人で店に入れるし,店員にも手数をかけないで済む(千葉県)。 (2)音訳 ・福祉サービスだけでなく,視覚障がいのある人は情報不足になりやすいのであらゆるものに点字化,録音化を望む(内閣府)。 ・ホームページで画像データが多く,音声での確認が難しくなってきている。国・自治体のお知らせや広報文書などの点字版・録音版の作成や音声コードの添付を行うこと(内閣府)。 (3)対面朗読,ガイドヘルパーや同行援護者による代読・代筆 ・以前住んでいた県で,視覚障がい者のホームヘルプサービスとして,代読・代筆をお願いしたところ,最初は「前例がないため」と断られた(内閣府)。 ・生命保険に代筆ができなくてなかなか入れない(内閣府)。 ・視覚障がいのある人は,指紋以外個人を認証できるものが公的に明確でなく自筆を要求されても書けないなど,代筆も認められないことが現状として存在する(内閣府)。 ・総会,会議などで,手話と同様,書類など読む人(説明)がそばについてほしい(内閣府)。 ・見えないので,デパート等で店の中の商品やその値段がわからない。目や足になってくれる案内の人がほしい(千葉県)。 ・金融・郵政大臣からは,銀行に対して視覚障がいのある人については,代筆を認めるように通知が出されているが,代筆する者を指定するための書類等には自署を求められ,その対応は統一されていない(京都府)。 (4)パソコン等の支援技術 ・ホームページの取扱いが充実し,この際スクリーンリーダーでも簡単に読める画面作りをして欲しい(内閣府)。 ・情報保障のための福祉機器の要望を出したが,利用率が少ないことから断られた。自分にぴったりの機器は人それぞれだからニーズが少ないのは当たり前である(内閣府)。 ・HPの表記をPDFからワード若しくはテキストに変えてほしい(内閣府)。(ワードやテキストなら音声変換ソフトにより読むことができるがPDFだと音声変換ソフトが使えない。(筆者注)) ・インターネットのログインにおいて,画面に表示された数字を入力する認証方式が広く採用されているが,視覚障がいのある人には利用できないので,視覚障がいのある人に利用できるようにすること(内閣府)。 ・タッチパネル方式の液晶画面などにおいては,視覚障がいのある人が利用できるようテンキーを付けるなどして,視覚障がいのある人に利用できるようにすること(内閣府)。 ・買い物に行くことが不自由なのでインターネットショッピングを申し込んだが,項目が多すぎて読み上げソフトで商品を選ぶことがむずかしい。視覚障がいのある人にも使いやすいホームページを増やして欲しい(京都府)。 (5)テレビ放送等 ・テロップや外国語の翻訳字幕などの文字情報を読み上げること(内閣府)。 ・障がいのある人に関する情報(啓発情報やパラリンピックなどの番組)を増やすこと(内閣府)。 (6)その他 ・サービス等々を受けるにあたり,多くは申請制度になっている。サービス等受けられる方に行政は積極的に情報を提供すべきであり,TEL,FAX,メール提供者リストを作るべき(内閣府)。 ・視覚障がいのある人と話す際,@「あちら」などと指差しをせず,言葉で説明すること,Aうなずきやアイコンタクトが確認できないので,声で分かるようにするなど工夫をすること(内閣府)。 ・幼児言葉で話しかけること(はやめてほしい(筆者注))(内閣府)。 ・介助者などにだけ話しかけること(はやめてほしい(筆者注))(内閣府)。 ・表示の文字や絵柄を見やすくしたり,利用者が自由に変えられるようにしてほしい(内閣府)。 ・講演ではスライドで示すだけでなく言葉や音声で説明すること(内閣府)。 ・博物館等では展示物がケースに入っており,視覚障がいのある人には何が展示してあるのか分からない。安全に,迷うことなく,展示物を破損することなく,さわって記憶できる展示方法・展示物を充実させる(千葉県)。 ・視覚障がいというと全盲が有名だが7〜8割は弱視。今はタブレットPCで確認もできるので,データを配布するなどの合理的配慮も考えて欲しい(弱視者問題研究会ヒアリング)。 ・セキュリティーの問題から,画面拡大ソフトや音声読み上げソフトの利用がしにくくなっている現状がある(弱視者問題研究会ヒアリング)。 ・読書について,著作権法37条の認定団体の要件が厳しすぎるため改善を求めたいと考えている(弱視者問題研究会ヒアリング)。 2 聴覚障がいのある人の事例 ・電車遅延の情報が駅の放送のみで,聴覚障がいのある人には伝わらない(千葉県)。 ・一部の選挙において,政見放送に字幕や手話がつかない(千葉県)。 ・職場での打合せや会議,研修への手話通訳者の派遣がほとんどなく,要約筆記者の派遣は手話通訳者よりさらに少ない(第一生命経済研究所アンケート)。 ・工場・サービス業などの分野で,音による判断や音声による指示ができない,聞こえないことにより作業の際,危険があると判断され,採用そのものがなかなかされない状況がある(全日本ろうあ連盟ヒアリング)。 ・スキルアップのための研修に際し,障がい特性による配慮(手話通訳,要約筆記などの情報保障)が明確でないため,社内で行われる資格取得,教育訓練などの研修受講が難しいという状況にある(全日本ろうあ連盟ヒアリング)。 ・市議会の傍聴がいつでもできるように手話通訳が用意されていない(さいたま県)。 ・法廷における聴覚障がいのある人の傍聴に際して手話通訳者の位置に制限を与える裁判長がいる(さいたま県)。 ・さいたま市では女性の手話通訳者が多いため,医療場面や生活場面で,男性であればより深く話ができることや女性に対応されたくない場面でも,女性の通訳が対応している(さいたま県)。 ・障がいで電話ができないのに,電話対応の業務訓練を強制的にやらされた(内閣府)。 ・職業安定所で希望職種を出しても,初めから「この仕事は無理」との一点張りで,屈辱感を味わったり,求職活動の意欲減退,自分の障がいを恨むなど自己肯定感がますますもてなくなったりする(内閣府)。 3 知的障がいのある人などの事例 (1)知的障がいのある人がいるのに,早口であったり,わかりにくい言葉を使ってしまうことは,各地で報告されている。 この点について,2010年1月から開催された内閣府の障がい者制度改革推進会議では,視覚障がいのある委員には点字資料が,知的障がいのある委員には,ルビ付きの資料が配布され,意見を言う時は手を挙げて名前を言ってから分かりやすい言葉を使って意見表明をするというルールが確認された。これは,情報保障が必要な障がいをもつ人に大切な約束事である。もっとも,委員の方々は,この約束事を守るために努力はされているが,時間が押してきた場合など,簡単に守ることはできず,会議の進行を途中で止め,分かりやすい表現に言い直してもらったりするための「レッドカード(進行をいったんストップする。)」「イエローカード(ゆっくりわかりやすい言い直しを求める。)」がたびたび挙げられた。 (2)その他,以下のような差別事例がある。 ・本人により理解度が違うので,長期的に障がいを理解して支援するケアマネージャーや,噛み砕いて説明してくれる人がほしい(千葉県)。 ・自閉症のほとんどの人は,普通の説明言葉では理解できない。絵カードとか写真を使ってのカード又はビデオテープに収めて見てもらう方法で理解を促してほしい(千葉県)。 ・多くの知的障がいのある人は,各種サービス等の説明を受けていない。また,参加したとしても十分な説明がないため,議論に入ることができない。地域格差も大きい。(東京都知的障害者育成会ヒアリング)。 ・法律の世界では,障がいのある子どもに関する話はほとんど出てこない。(児童発達支援協会ヒアリング)。 ・吃音のある人に対する合理的配慮として,例えば緊張すると吃音になりやすいのでできる限り緊張しないような配慮をしてもらいたいし,意見を言うのが苦手な人が多いことを分かって欲しい。ゆっくりと時間を待って欲しいし,会話でも沈黙の時間が必要になる。少し待ってもらうという理解が欲しい。(言友会ヒアリング)。 <参考資料> 1 長瀬修,東俊裕,川島聡編『増補改訂障害者の権利条約と日本−概要と展望』(生活書院,2012年) 2 松井良輔,川島聡編『概説障害者権利条約』(法律文化社,2010年) 3 崔栄繁「障がい者制度改革推進会議―当事者参加と運営」月刊ノーマライゼーション障害者の福祉30巻通巻350号(2010年9月) 4 社会福祉法人聴力障害者情報文化センター『手話通訳士実態調査事業委員会報告書』(2010年3月) 9−2節 災害時の情報保障 T 権利条約の規定 1 災害時の生命・身体の安全の確保については,11条が,「危険な状況」の具体的ケースとして,武力紛争や人道上の緊急事態と併記して,自然災害を直接明記しており,「障害者の保護及び安全を確保するための全ての必要な措置をとること」を国に義務付けている。 これは,かかる状況下において,障がいのある人の生命・身体の安全が重大な危険にさらされることから,10条で,障がいのある人が,他の者との平等を基礎として,生命に対する固有の権利を有することを明記したにもかかわらず,より踏み込んで保護及び安全確保を強く要求したものと理解される。 実際,国連国際防災戦略(UNISDR)は2013年10月10日,世界の身体に障がいのある人の災害避難対策に関する初のアンケート調査結果(126カ国,約5400人を対象)を発表したが,同アンケートによれば,自然災害発生時に「即座に問題なく避難できる」人は約2割にとどまり,十分な避難時間が確保できたとしても,38%が問題なく避難できると回答する一方で,58%が「困難」,4%は「不可能」と答えているなど,各国の防災対策上,障がいのある人への配慮の必要性があることが浮き彫りになった。 2 災害発生時における情報提供は,当事者にとって死活的重要性を有するものであり,障がいのある人の保護及び安全の確保の前提となるものであるから,情報保障について定める権利条約前記9条(施設及びサービス等の利用の容易さ)及び21条(表現及び意見の自由並びに情報の利用の機会)からも,災害発生時における生命・身体の安全及び情報提供を受ける権利が保障されるものと解される。 U 災害時における情報保障の意義 1 大規模な災害の発生時には,障がいの有無を問わず,誰もが生命・身体の安全そのものの危機にさらされうる。そして,誰にとっても,災害の現在の状況についての情報,今後の見通しについての情報,現在生じている危険及び生じうる危険についての情報,避難の要否及び避難すべき場合いつどこにどうやって避難すべきかという情報,電気・水道・ガス等のライフラインに関する情報等の提供を受けることが不可欠である。 さらに,これらの情報は,@その情報を受けとった人が,平時とは異なる行動を,速やかにとらなければならない内容の場合もあること,Aその情報自体が,短時間で随時更新される性質のものであることから,可及的速やかに伝えられる必要がある。よって,災害時における情報保障は,必要性・緊急性が極めて高いものである。 2 災害発生時に平時とは異なった配慮を要する人のことを,一般に,災害弱者と呼ぶが,2013年の改正災害対策基本法においては,「要配慮者」「要支援者」という用語が用いられている。 要配慮者とは,「高齢者,障害者,乳幼児その他の特に配慮を要する者」と定義され,「国及び地方公共団体は,災害の発生を予防し,又は災害の拡大を防止するため,要配慮者に対する防災上必要な措置に関する事項の実施に努めなければならない」こととされている(8条の15)。 要支援者とは,要配慮者のうち,「災害が発生し,又は災害が発生するおそれがある場合に自ら避難することが困難な者であって,その円滑かつ迅速な避難の確保を図るため特に支援を要するもの」をいうとされている(49条の10,1項)。 3 要配慮者,要支援者である障がいのある人に対する災害時の情報保障は,残念ながら不十分であり,そのために障がいのある人が適切に避難できず,あるいは情報が伝わらないことにより,災害被害が拡大したことは,阪神・淡路大震災や新潟県中越地震等の大規模な震災や,東海豪雨等の風水害・台風災害が発生するたびに,くりかえし指摘され,報道されてきた。全国各地の障がい者団体や防災研究者等が,警鐘を鳴らしていた。 しかしながら,その指摘・教訓が生かされないまま,東日本大震災では,極めて多くの高齢者や障がいのある人が亡くなり,また津波等の被害に遭った。東日本大震災での犠牲者の約6割は65歳以上であり,障がいのある人の死亡率はない人のそれを大きく上回り,被災住民全体の約2倍にのぼった(内閣府)。 V 東日本大震災の事例 1 障がいのある人への情報保障に問題がある場合としては,@そもそも情報が知らされない場合,A情報の伝達方法に問題があり,意味が正確に伝わらない場合,B障がいについての理解や電子機器やインターネット技術の活用によって,容易に情報伝達が可能になったのにそれが有効活用されていない場合,などがある。 東日本大震災においては,これらの問題がいずれも生じ,その悪影響は障がいのある人の被災死亡率が約2倍の高さにもなるという形で如実に現れており,また,被災した障がいのある人や支援者からは,数多くの悲痛な報告がなされている。 東日本大震災の被災事例は,さまざまな媒体で公表されているが,以下避難が間に合わなかったケース,幸い人命被害は生じなかったが,情報保障の観点から問題のあったケースを,それぞれ紹介する。 また,今後の対策につながる事例として,避難訓練を通じての情報共有事例及び情報保障を行う前提として重要な事例を紹介する。 2 死亡という悲劇が生じてしまった事例 障がいのある人への情報保障を適切に行なうことで,かかる結末を回避する可能性を高めていかなければならない。 ・車椅子生活だった福島県いわき市の30代男性は,親族が助けに向かったが,目前で津波にのみ込まれた。重さ約4.5キロの人工呼吸器を付けていたが,近隣住民には障がいが重いことを知られておらず,避難に手間取ったようだった。 ・同じく車椅子を利用していた福島県浪江町の60代女性は夫の留守中に津波にのまれ亡くなった。夫は「高さ約40センチの玄関から外に出るスロープがなく,戸惑っている間に津波が来たようだ」と涙をこぼしながら語った。 ・知的障がいのある福島県相馬市の10代男性も,津波の犠牲になっていた。母親によると,いつも一緒にいる祖母が道路に散乱した屋根瓦を片付けていたため,逃げずに自室にとどまったという。(以上毎日新聞2011年9月20日地方版) ・手足や呼吸のための筋肉が衰える難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した60代の岩手県釜石市の男性は,救急車に乗せられる直前,津波に流され亡くなった。地震発生時,保健師は事態が急迫していると判断,保健所から災害優先電話で119番通報して男性を助けようとした。しかし,何度かけてもつながらない。「寝たきりの患者を搬送してください」。やっと電話が通じたのは十数分後だった。地元消防や保健所などによると,救急隊の4人が男性宅に到着した時,既に玄関が浸水しており,男性を担架に乗せた直後,大量の水がなだれ込んで男性と隊員1人をのみ込んだ。隊員は生還したが,男性は亡くなった。(毎日新聞2011年12月24日東京朝刊) 3 人命被害は回避できたが適切な情報保障ができていない事例 ・住民の死亡・行方不明が700人以上に及んだ宮城県名取市。聴覚障がいのあるAさんは地震発生時,やはり耳の聞こえない妻Bさんと自宅にいた。Aさんの兄Cさんが血相を変えて車で駆けつけてきたのは50分後。「早く乗れ!」。Cさんは津波が来ると手ぶりで伝え,夫婦を車に押し込んだ。川沿いの土手を飛ばす車の数メートル後ろに黒い波が迫り,土手下の車と人をのみ込んだ。「30秒遅ければ,私たちも命がなかった」とCさんは振り返る。夫婦は普段テレビもあまり見なかった。消防団や地区の役員らが避難を呼びかけたようだが,聞こえない2人には伝わらず,「津波は全くわからなかった」という。(毎日新聞2011年12月24日東京朝刊,個人名は匿名化) ・目や耳に障がいがあると,日常生活に苦労する。ましてや,東日本大震災のような状況ではどうだったか。一般からはなかなか想像できない大震災下の聴覚・視覚に障がいのある人の困惑ぶりが2012年4月21日,東京で開かれた医療・福祉関係者の交流会で語られた。 財団法人全日本ろうあ連盟からは,手話通訳放送の必要性が報告された。最大の情報源であるテレビでは,字幕や手話通訳が重要だ。欧米ではかなり多くの番組に手話通訳が付いている。また,お隣の韓国でも放送法を改正し,聴覚障がいのある人の支援を義務づけた。 一方,日本のテレビでは総放送時間の4割強に字幕が出るが,くわしく内容を追える手話通訳付きはNHK教育放送が2%ほどで,他はほとんどなく,「努力目標」にすらなっていない。 視覚障がいのある人の支援団体・神戸アイライト協会からは,「移動と情報の不自由」の訴えがあった。視覚障がいのある人は慣れない場所では動けず,とくに避難所でのトイレは,後の処理をだれかに頼まざるをえず,苦労した。 ラジオ,テレビの情報は,ラジオ所持が少なく,テレビのテロップが音声化されない場合が多かった。また避難所のさまざまな情報が張り紙であったことで疎外された。 障害者手帳を持つ視覚障がいのある人の66%は65歳以上で,中高年になってから障がいが深刻になったケースが多く,見えない状況を家族にもはっきりいっていない場合もあった。「視覚障がいは災害時の大きなハンディキャップだ」との叫びが耳に残った。(2012年5月13日J-CASTニュース(医療ジャーナリスト・田辺功)) 4 避難訓練によって問題点が浮き彫りになり,関係者の認識の共有に有益であった事例 ・東日本大震災の避難所を映すテレビ。大分県内8社会福祉法人でつくるNPO法人チャレンジおおいた福祉共同事業協議会は中津市で大地震を見据えた避難所運営訓練をした。「入り口付近は寒いがトイレには近い」「元気な人から奥にしよう」。話し合いの末に段ボール,シートを敷き居住空間を確保。「わずかな段差でもつまずく」とシート端にテープを張ってバリアフリー化する人も。約2時間後,弁当が配られると,非日常で元気がなかった障がいのある人もようやく笑顔を見せた。記者は訓練中,障がいのある人自身やスタッフに「避難時に何が困るか」などを尋ねた。「耳が不自由です」と書かれた紙を胸に張った聴覚障がいのある方は「聴覚障がいは外見では分からない。他の人に『情報が分からない』と気付いてもらえないのが不安」▽電動車椅子の使用者は「避難所に洋式トイレがあれば」▽聴覚障がいのある方は「掲示板近くに居住空間を確保したい。助けてもらうため普段から自分のことを近所の人に積極的に知らせたい」▽視覚障がいのある80代の女性は「トイレへ誰に連れていってもらったらいいのか分からない」▽中津市の授産施設の方は「知的障がいのある方が大声を出すこともあるが,環境変化が原因。少しずつ落ち着くので理解を」と話した。主催者側に誘われ,急きょ一般参加した会社員の感想が印象的だ。「最初は障がいのある人に戸惑ったが構える必要はなかった。手を握ったり笑ってうなずくだけで障がいのある人の緊張も解け,居心地の良い空間が作れた」(毎日新聞2012年1月6日朝刊。個人名等は匿名化) W 災害時要援護者の個人情報開示 1 個人情報開示の必要性と課題 被災者が災害情報を的確に把握することにより,早期に避難し,安全を確保するための被災者個人への情報保障とは別個の問題であるが,災害対策としての救助,安否確認,緊急の医療や福祉サービスの提供,復興に向けた生活支援などを行う上で欠かすことのできないものが,災害時要援護者に関して行政が把握している情報であり,これについての取扱いを巡る問題も重要であるので,関連して述べる。 災害が大規模であればあるだけ,行政自身の災害対策能力も大きく減じられ,行政の災害対策の能力を遙かに超える事態に太刀打ちできなくなる。このような場合には,地域住民や既存の地域内の様々な社会資源だけでなく救援のために組織された民間団体などとの連携がなければ,被災住民が放置されることを防ぎ得ない事態も発生する。こうした場合に,必要不可欠となるのが,災害時要援護者に関する情報の開示と共有である。 ところが,この災害時要援護者に関する情報も個人情報であるため,個人情報保護法の適用を受けることになる。同法は,行政機関における個人情報利用の大原則として,本人同意と目的外利用禁止を定めている。 権利条約22条2項も,「締約国は,他の者との平等を基礎として,障害者の個人,健康及びリハビリテーションに関する情報に係るプライバシーを保護する。」旨定めており,本人の同意もないままみだりに個人情報が流出することが許されないのは当然である。 しかし,人の生命・身体に危険があるときにその保護がより優先すべきであることは明らかであり,個人情報保護法23条2号においても,「人の生命,身体又は財産の保護のために必要がある場合であって,本人の同意を得ることが困難であるとき」は,本人同意の例外であることが明記されている。 さらに,被災者の生活再建支援段階においても,その人の特性に配慮した生活再建支援を図る観点から個人情報の適切な利用を図ることが重要であり,明示的に第三者提供を望まない人は格別,そのような意思表明がされていない方については個人情報の適切な利用がなされるべきであった。 しかしながら,個人情報の利用について誤った解釈や過度の萎縮,ルールの不備は,結果的に,災害時要支援者の状況が支援者や防災担当者に伝わらない事態を招き,避難の妨げになったのみならず災害復興(生活再建)段階においても,被災者生活再建支援の壁となった。 日弁連は,災害時の個人情報の取扱いに関する意見書やガイドラインを公表し,個人情報の取扱いの問題点を指摘し,法改正や運用の改善を求め,被災者団体や障がい者団体などからも同様の意見が相次いだ。 政府は,2012年及び2013年に災害対策基本法を改正し,安否確認など個人情報の利用についての定め(同法86条の15),被災者台帳の作成と目的外利用可能の規定(90条の3,4)を設け,各自治体の個人情報保護条例が定める本人同意の必要性の解釈について,名簿を作る過程での部局を越えた個人情報の内部共有や,災害発生時の外部の防災関連機関への提供には「同意」を不要とするルールを明確化し,2013年6月25日には,災害対策基本法等の運用について新たな内閣府ガイドラインを策定し,個人情報の取扱いについてのルールを整備した。それでもなお過度の萎縮が生じることが懸念されるところ,確実な周知徹底と関係団体との緊密な連携が求められる。 2 情報開示に踏み切った事例 東日本大震災では,多くの自治体において,不適切な個人情報の取扱いがなされていた。しかし,福島県南相馬市では,適切な対応が行われたので,あえてその事例を紹介する。 南相馬市では,東日本大震災発生以前から,南相馬市防災計画が策定されており,毎年防災訓練が実施されていたが,避難計画策定や訓練には障がい者団体に対しての呼びかけは行っておらず,障がい者団体との連携はなかった。 「災害時要援護者名簿」は,高齢者・障がい者(要介護度3以上,身体障害者手帳1〜2級,療育手帳A)を対象に,個人情報について同意の得られた方(約67%)を対象に策定され,民生委員,区長,消防団等に配布されるなど,比較的災害対応の進んでいた自治体ではあったが,今回の震災では地域全員の市民が避難となったため,機能しなかった。 入所,通所,ホームヘルプ等,福祉サービス利用者の安否確認について,それぞれの事業所で確認を行ない避難を行ったが,ホームヘルプ等利用者等個人利用者や在宅の障がいのある人,上記のサービスを利用していない障がいのある人の安否については,当初確認できなかった。 かかる緊急事態に至り,NPO法人や,JDF被災地障害者支援センター福島から南相馬市に個人情報開示の要望があり,「緊急やむを得ないため開示ができないか」という観点から個人情報の開示について検討した結果,南相馬市個人情報保護条例の特例を適用し「障害者の生命,身体及び財産」を守るため開示することが適当との判断により開示した。 要援護者名簿は,災害発生時に活用すべきものであり,それに基づく支援は当然必要であるが,非常時においては,名簿登録の有無を問わず安全確認は必要である。また,要援護者名簿は,手帳や介護保険認定を基準に定められることが多いが,緊急時の避難の困難さは,手帳の有無や等級で決まるものではない。 南相馬市は,緊急事態の対応という観点から,個人情報保護条例の運用を適切に行ったものである。 <参考資料> 1 ジュネーブ時事 時事通信記事(2013年10月) 2 2011年度内閣府障害者週間「連続セミナー」 災害時の障害者支援−東日本大震災での取組を含めて−JDF 3 日本弁護士連合会「災害時における高齢者・障がい者の支援に関する報告書〜東日本大震災から1年を経過して〜」(2012年4月12日) 4 日本弁護士連合会「災害時要援護者及び県外避難者の情報共有に関する意見書」(2011年6月17日) 5 日本弁護士連合会「災害時における要援護者の個人情報提供・共有に関するガイドライン」(2012年10月23日) 第10節 地域生活 T 権利条約の規定 1 条文 権利条約は19条にて,「自立した生活及び地域社会への包容」との表題で全ての障がいのある人が ・他の者と平等の選択の機会をもって地域社会で生活する権利を有すること。 ・地域社会に完全に包容されつつ参加するために効果的な措置をとること。 そのための措置には次のことが確保されなければならないとして, ・居住地を選択し,どこで誰と生活するかを選択する機会を有すること,特定の生活施設で生活する義務を負わないこと。 ・地域社会での生活と地域社会への包容を支援し,孤立と隔離を防止するために必要な在宅サービス・居住サービス等の地域社会支援サービス(個別の支援を含む)を利用する機会を有すること。 ・一般住民向けの地域社会サービスを障がいのある人にとって他の者と平等に利用可能であり,その障がいのある人のニーズに対応していること。 を求め,地域での自立生活を権利として確認している。 このことは,障がいのある人が自分の意に反して入所施設等で管理された生活を強いられるべきでなく,障がいのない人であれば特段意識するまでもなく過ごしている通常の市民生活・社会生活が権利として認められることを確認するものである。 また,権利条約28条は,「相当な生活水準及び社会的な保障」との表題で, ・相当な生活水準(…住居を含む)についての権利を認め, ・差別されることなく社会保障を受ける権利を認め, ・障がいに関するニーズについて負担しやすい援助を受ける機会を認め, ・公営住宅計画を利用する機会を有する措置を取ることを締結国に求めている。 すなわち,障がいのある人が通常の住居(公営住宅を含む)で暮らすことを含めて障がいに関するニーズに対する公的援助を含め,相当な生活水準を維持する社会保障を受ける権利を認めている。 2 自立とは 権利条約は,前文(n)で「障害者にとって,個人の自律及び自立(自ら選択する自由を含む。)が重要であること」を宣言し,続いて3条で条約の一般原則として, (a)項 固有の尊厳,個人の自律(自ら選択する自由を含む。)及び個人の自立の尊重 (b)項 無差別 (c)項 社会への完全かつ効果的な参加及び包容 を確認している。 3条の(a)及び(b)の原則を踏まえつつ,(c)の原則を具体化し,障がいのある人が地域で暮らすことと,そこで必要とされる社会の側が提供すべき施策について定めたのが19条である。 このような条文の規定の仕方から,19条にいう「自立生活」とは,障がいのある人が,障がいのない人と差別されることなく,自分の生活のあり方を自ら選択し,必要な支援を受けながら,自己決定に基づく社会生活を営むことを意味すると考えられる。 決して「自立」を,「他人の手を煩わせず,自分ひとりの力で生活すること」や,「経済的に独り立ちすること」という意味に捉えるべきものではない。 権利条約19条により,上記のような自立概念が権利として確認されたのである。 3 自由権と社会権の不可分性,相互依存性 日本では,福祉施策を受ける地位は,これまでは社会施策実施の反射的利益に過ぎない恩恵的な地位と考えられがちであり,その結果,国・行政の広範な立法裁量や行政裁量が認められ,必ずしも十分な権利保障が図られてこなかった。 しかし障がいのある人が地域社会で生活するためには福祉施策が不可欠であり,これがなくてはどこで誰と生活するかを自ら選択できないことになり,近代市民社会における不可欠な自由権的基本権である居住移転の自由さえ保障されなくなる。障がいのある人を通して従来の基本的人権に関する新たな理解が迫られ,自由権と社会権は不可分一体なものとして理解されるべきこととなる。 このような点を踏まえ,権利条約19条では,「全ての障害者が他の者と平等の選択の機会をもって地域社会で生活する平等の権利」を基本的権利として規定し,その実現のために必要な施策を社会の公的責務として確保するという,従来の自由権及び社会権双方を包括し止揚する形での規定がなされている。 すなわち,このような自由権的基本権としての障がいのある人の地域での自立生活を理解するならば,それは漸進的な実施に留まらず,即時的に実施することが求められていることを確認することが重要である。 今後,日本の障がいのある人の施策推進においてこの規定の趣旨が真に生かされるか否かが問われる。 4 地域住民の意識の向上のための施策の重要性 障がいのある人が地域で共に生活することを拒む,地域住民の意識の問題がある。 この点について,権利条約8条は「意識の向上」として, ・障がい者に関する社会全体(各家庭を含む。)の意識の向上,障がい者の権利及び尊厳に対する尊重の育成。 ・あらゆる活動分野における障がい者に関する定型化された偏見と戦うこと。 ・そのためには,障がい者に対する肯定的認識及び一層の社会の啓発を促進する効果的な公衆の意識の啓発活動を行い,教育制度の全ての段階(幼年期からの全ての児童に対する教育制度を含む。)において,障がい者の権利を尊重する態度を育成すること。 ・全てのマスコミが条約に適合するように障がい者の描写をするよう奨励すること 等を規定し,積極的に公的機関が意識の向上のための施策を推進することを求めている。 U 障がいのある人の地域生活についての現行法制度等 1 「地域生活」の考え方 戦後の日本の障がい者福祉政策は,傷痍軍人を念頭に置いた職業訓練やリハビリテーションを中心として,身体障害者福祉法等を中心に展開し,1960年代には,「親亡き後」の障がいのある子どもを守るためという声から,重症障がい児・者の大型入所施設建設運動が展開され,全体として,障がいのある人の地域生活の保障という視点はなく,施策も予算配分も,入所施設偏重の政策が続いてきた。 1970年代から,管理された入所施設での暮らしではなく,地域で障がいのない人と同様のアパートなどで暮らしをしたいという当事者運動が展開され,アメリカ西海岸等の自立生活運動の影響も受け,日本でも1980年代から障がいのある当事者を中心とする自立生活運動が広がり始めた。 そこでは,従来の「人の助けを借りないようになること」という身辺自立を自立とする自立観から,「人の手を借りることは恥ずかしいことではない。必要な支援を受けながら自分の生活を自分で決めて生きていくこと」を自立とする自立観に,概念が変わってきた。しかし,2014年版障害者白書では,入所施設や病院での生活を余儀なくされている人が約51万5000人もいることが示されている。 2 地域生活の射程 障がいのある人の地域生活を考える際には,まず住む場所を確保することが不可欠であり,その保障が核となる。そのために公的な住宅政策が重要である。 また障がいのある人にとっては必要な支援を受けながら暮らしていくことが大切であり,介護保障制度,また所得制度の保障が重要となる。 更に地域住民との共生の視点が重要であり,差別・偏見の解消のための施策も不可欠である。 3 関連法規 障がいのある人の地域生活に関する国内実体法規としては,まず,ホームヘルプや施設への通所,自立訓練など,地域生活を支える福祉施策などについて定める総合支援法がある。 同法では,身体障がい,知的障がい,又は精神障がいのある人,治療方法が確立していない疾病その他の特殊の疾病の患者が対象とされており,中心的存在となる法規である。 総合支援法の対象となる身体障がい,知的障がい,精神障がいという場合の「障害」の範囲は,身体障害者福祉法,知的障害者福祉法及び精神保健福祉法でそれぞれ決められている。また障がいのある子どもの分野には児童福祉法が存在する。 その他の障がいのある人に関する法制としては,虐待の禁止及び養護者の支援を図り,もって障がいのある人の権利利益の擁護に資することを目的とする障害者虐待防止法,障害者基本法の基本的な理念にのっとり,障害者基本法4条の「差別の禁止」の規定を具体化するものとして位置付けられる差別解消法,障がいのある人の雇用を促進するための措置や職業リハビリテーションなどについて定めた雇用促進法等の関連法規が存在する。 4 現在の法制度の問題 (1)総合支援法の限界:労働基本権保障の視点の欠如 障がいのある人の地域生活を支えることを期待されている中心の法律が総合支援法である。 まず,障がいの有無に関わらず人の社会生活の重要な分野に「働く」場面がある。したがって,障がいのある人の社会生活を支えるための法規であるならば,障がいのある人の労働基本権の行使を支援する施策,制度も当然盛り込むべきである(憲法27条・権利条約27条)。 しかしながら,現行の総合支援法には,一般就労において働き続けることへの支援が極めて希薄である。 確かに,就労移行支援施策,就労継続A型・B型事業はある。 しかしながら,現実には就労継続B型利用者が移行支援事業を利用して一般就労に移行できる例はわずかであり,その果たしている機能は全体としては微々たるものといわざるを得ない。 旧障害者自立支援法導入の際の同法の理念の一つは,「働きたいと考えている障がいのある人に対して,就労の場を確保する支援の強化」「障がいのある人も働ける社会へ」というものであった。 そうであるならば,一般就労とは,公務就任と起業を除けば,労働法規の適用される民間企業に就労することを意味する以上,民間企業での就労を支援する施策を充実させるべきであるにも関わらず,同法の改正法である総合支援法は「福祉分野に適用されるので,営利企業の利益に公金を投入できない」等の理由により,企業内で働く障がいのある人の同法に基づく公的介護,通勤介護,職場適応援助者(ジョブコーチ)制度等が欠如していることは一刻も早く解消するべき矛盾というべきである。 総合支援法も改正雇用促進法も,障がいのある人の労働基本権(憲法27条等)を保障する視点は欠如しており,事業者のための法規の域を出ていないことは大きな問題である。 この点について,2011年8月30日付骨格提言では「『障害者就労センター』は障害者が必要な支援を受けながら働く場であり,障害者総合福祉法の下で実施することとし,そこで就労する障害者には,一人ひとりの労働実態等に応じて労働法を全面適用又は部分適用する。官公需や民需の安定確保の仕組みの構築や同センターの経営基盤の強化,ならびに賃金補填の制度化などにより,そこで就労する障害者に最低賃金以上を確保することを目指す。また,同センターで就労する障害者のうち,一般就労・自営を希望する者については,ハローワーク等の労働関係機関と密接に協力・連携し,一般就労・自営への移行支援及び移行後のフォローアップ支援を積極的に行う。利用期間には,期限を設けない。また,利用料の徴収はしない。なお,障害者就労センターの創設に当たっては,労働法を適用することが適切ではない人が働く場を失うことのないよう十分な配慮を行う。」とされており,その実現が課題である。 (2)総合支援法の限界:権利法体系となっていないこと 権利条約はその名のとおり,障がいのある人の「権利」に関する条約であり,国内法も権利性を明確にしなければ条約との整合性を問われる。 この点について,骨格提言「T−1 法の理念・目的・範囲」においては「地域で自立した生活を営む基本的権利を規定するべき」と提言されているが,現行の総合支援法は「サービス給付手続法」の域を超えず,権利規定が設けられていない。 すなわち,障がい福祉のサービスメニューを羅列するだけで,当事者の施策利用が権利として保障されるという明確な権利法体系となっていない点が根本的な問題である。 (3)制度の谷間が生じている問題 総合支援法に基づく施策を利用できるのは,同法にいう「障害者」に限られる。 法規上は障害者手帳の所持は同法の利用要件とはなっていないが,実務上は,手帳を持っていない障がいのある人は,居宅介護等の福祉施策を利用できない現実がある。また総合支援法により福祉施策の利用が可能となった難病患者についても,同法が「治療方法が確立していない疾病その他の特殊の疾病であって政令で定めるものによる障害の程度が厚生労働大臣が定める程度である者」のみを対象としているため,政令で指定されていない難病患者は施策を利用できない(資料A)。 このように当事者のニーズではなく,障がい名や病名によって制度の利用の可否が決まる仕組みは,権利条約の理念に反するといわざるを得ない。 (4)在宅生活支援制度の不備 権利条約19条では「必要な在宅サービス,居住サービスその他の地域社会支援サービス(個別の支援を含む。)を障害者が利用する機会を有すること」と定められている。これは支援の方法や内容において介護者ではなく障がいのある人が自己決定権に基づきイニシアティブを持つという「パーソナルアシスタンス」を定めたものである。 在宅介護等の在宅生活を支える施策が充実していなければ地域生活は実現できない。 しかし総合支援法の実務においては,障がいのある人自身がどこで誰とどのような生活を送りたいかという当事者の意向や個別のニーズよりも,依然として医学的観点を中心に設定された障害支援区分や,国庫から市町村に支弁される予算割合を定めた国庫負担基準に依拠して市町村の負担する額をできる限り抑えようとする観点から自治体が独自に定めた支給決定基準により個々の障がいのある人への介護支給量が決定される仕組みが採用されている。 その結果,多くの市町村で,介護支給量の上限が設定され,例えば1日24時間継続での支援が必要な重度の障がいのある人にも,1日8時間程度の公的介護しか認められないというような事例が多くみられる。また市町村格差も大きい。 「どれだけ重い障がいのある人であっても,地域で暮らすことが保障されなければならない」というのは権利条約19条から導かれる帰結であるが,そのためには1日24時間等,長時間に及ぶ在宅生活における支援が保障される必要がある。 総合支援法の下では,長時間見守り型の支援として重度訪問介護が設けられているが,2014年3月までは,その対象が障害支援区分4以上の重度の身体障がいのある人に限定されてきた。2014年4月から,行動障がいを伴う一部の知的障がいのある人,精神障がいのある人でも重度訪問介護が利用できるようになったが,いまだこれを必要とする全ての障がいのある人に認められるに至っておらず,長時間見守り型介護が不十分である。 (5)移動支援の問題 障がいのある人が障がいのない人と同じように社会生活を営むためには,障がいのある人がガイドヘルパー等による移動支援を利用し,自由に外出できることが不可欠である。 権利条約18条は「障害者が他の者との平等を基礎として移動の自由,居住の自由及び国籍についての権利を有することを認める。」とし,20条は「個人の移動を容易にすること」と題し,「障害者自身ができる限り自立して移動することを容易にすることを確保するための効果的な措置をとる。」とされ,「障害者自身が,自ら選択する方法で,自ら選択する時に,かつ,負担しやすい費用で移動することを容易にすること」としており,移動の自由が障がいのある人の権利として極めて重要であることを確認している。 しかし総合支援法の下では,移動支援は,行動援護,同行援護及び重度訪問介護の他は,個別給付たる自立支援給付ではなく,市町村が裁量的に行う地域生活支援事業に位置付けられている。その結果,市町村によって施策に大きな格差が生まれ,障がいのある人が自由に外出できない状況も生まれている。また,「プールでの利用は不可」,「居酒屋での利用は不可」など,目的に制限を付ける市町村も数多く存在する。これは,権利条約の理念に反する事態であるというべきである。 (6)介護保険優先原則の問題点 これは,社会保障制度における保険優先原理に由来する原則である。 しかしながら,多様性に富んだ障がい特性に応じた配慮と福祉国家理念を採用する日本国憲法下における基本的人権の保障をその本質とする障がい者施策を介護保険に優先的に委ねるという制度設計の根本理念に問題があるというべきである。 この点について,当連合会は2011年10月7日第54回人権擁護大会にて「障害者自立支援法を確実に廃止し,障がいのある当事者の意見を最大限尊重し,その権利を保障する総合的な福祉法の制定を求める決議」を採択し,「『支援のない状態』を『自立』と理解する現行の介護保険制度と障がいのある人の権利保障制度とを統合せず,現行の介護保険優先原則を廃止すること」と決議している。 5 手帳制度の弊害 (1)手帳制度の概要 日本の障がい者福祉は,公的機関に障がい者として認定されると発行される,各種障がい福祉サービスの受給権を徴表する「障害者手帳制度」に基づいて運用されてきた。障害者手帳には,身体障害者手帳(身体障害者福祉法15条),療育手帳(昭和48年9月27日厚生省発児156号),精神保健福祉手帳(精神保健福祉法45条)の3種類からなる。これらの手帳には,それぞれ政省令あるいは厚労省通知に基づく医学的観点からの基準が設定されており,障がいのある人の身体状況がそれぞれの基準を満たすと,手帳が発行される。 ただ,医学モデル的発想に基づく基準のみが採用されていること,また福祉サービスの受給要件としての役割から,下記のように,権利条約の理念に反する弊害が指摘されている。 (2)制度の対象となる「障害者」の矮小化 権利条約は,「障害」や「障害者」という単語については「概念」を提示するにとどめている。定義することにより,逆に条約の保護から除外される障がいのある人が生まれないよう,可能な限り対象を広く捉えようとする強い意思によるためである。 しかし,障害者手帳をとりまく日本の運用実体はこれに反しており,特に身体障害者手帳において顕著である。認定基準は,「心身の機能障がいがどの程度であるか」「症状が固定・永続しているものであるか」に執心し,そうした機能障がいによって,社会生活を営む上でどのような困難が生じているかについてはほとんど関心を払わない。 法律上,手帳取得がサービス利用の要件となるのは総合支援法に基づくサービスなど一部に限られるが,「障害者=手帳取得者」という非常に根強い固定観念により,手帳取得を利用要件としない制度(障害者虐待防止法,雇用促進法に基づく就労支援など)においても,手帳が発行されていないことを理由に制度の利用拒絶を受けるケースが多々生じている。 このように,権利条約が想定する障がいのある人のうち,日本の制度が対象とする「障害者」は極めて狭い範囲に限られており,障がいの種類(疾病/発達障がい/容貌障がいなど),程度(中程度,軽度の難聴,視覚障がい,知的障がいなど)などでさまざまな制度の谷間が生じている。 2013年に総合支援法が施行され,2014年4月から,「障害の程度」を指標とした「障害程度区分」制度から,「支援の必要性」を指標とした調査事項に基づいた「障害支援区分」制度を導入し,いくばくかは「ニーズに基づいた支援」へ舵を切ったかに見える。しかし,障害支援区分認定を受けるには,なお各種手帳を取得していることが事実上の前提となっている。手帳取得基準を完全に社会モデル化するか,手帳制度そのものを廃止するなどの手当がなされない限り,上記のような弊害が解消することはない。 (3)障がい種別間差別の温床 また,障害者手帳には,「身体」「知的」「精神」の三種類が存在するが,それぞれ受けられる各種優待が異なっている。もっとも優待の厚い身体障害者手帳と,精神保健福祉手帳との間では,受けられる優待の差が大きい。最も顕著なのが交通費の減免制度であり,内閣府や各自治体の差別事例集には頻繁に障がい間の不公平感をうかがわせる事例が登場する。 権利条約の理念は,「障がいのある人の,障がいのない人の社会への完全参加と平等」であることからすると,こうした優遇措置に関する「障がい種別間格差」は,権利条約の趣旨と直接は関係しない。しかし,不公平感が生じるということは,とりもなおさず障がいのある人個々人が,必要な支援が受けられていないがために社会参加を阻害されているということにほかならない。また,機能障がいにより生じる社会的障壁は千差万別であり,三種類で収斂し得るものではない。 6 グループホーム等の地域生活に対する反対運動が依然として根強い現状 障がいのある人が地域においてグループホーム等で暮らそうとすると,「治安が乱れる」等の根強い偏見にまみれた反対運動が展開されるのが2014年のこの国の残念な現実である。 障がいのない人が引っ越しをする際に周辺住民の了解がなければ居住できないとしたら憲法22条の居住移転の自由という基本的人権の侵害であることは明らかである。 当然のことながら障がいのある人でも同じであり,周辺住民の反対運動は障がいのある人に対する人権侵害に他ならない。 しかし,事実上の反対運動の圧力に屈して,グループホーム等の建築断念に追い込まれ,移転,開設が叶わない実例が依然として後を絶たない。 V 障がいのある人への差別事例 1 事例等の分析 「地域生活」の分野においては,以下のとおり,障がいのある人が差別等の不利益を被っている旨の事例が寄せられている。 (1)福祉施策の基礎となる制度上の不備に起因する差別事例 障がいのある人が,障がいのない人と等しく地域での暮らしに参加するためには,福祉施策の利用が不可欠である。しかし,主に法律の不備を理由に,福祉施策の利用が不十分,あるいは全く利用できないという事例が障がい種別を問わず存在する。例えば, ・本人が希望していなくても,介護支給量不足などの理由により,施設入所以外の選択肢が示されない。長期に渡る施設入所を強いられる(身体/熊本県)。 ・地域移行といっても結局は家族が介護をしなければならないが,高齢な親が介護をすることは無理である(身体/京都府)。 ・「親亡き後」の支援を充実させてほしい。信頼できるグループホームがない,あっても親が利用料を支払っている状態なのだが,私が死んだらこの支払はどうなるのかが心配(知的/千葉県・さいたま市・京都府)。 など,そもそも福祉制度の受け皿が整っていないがために,当事者の意思に基づいた地域での生活を実現するのが困難であるという現実がある。また, ・移動支援を利用する際に,外出目的について,定期的な利用はダメ,遊びはダメなど利用制限が多すぎるし,支給時間が少なすぎる。(内閣府調査)。 ・毎日入浴したいのに,市町村から,「入浴介助のためのヘルパー派遣は週3回まで」と言われて利用できない(身体/熊本県)。 など,行政あるいは法律が設定した基準などにより,利用が制限されるケースが多数挙げられている。また, ・法律上,障がい者というわけでもないが,健常者と同様に生活することもできず,微妙な立場である(内部障がい/千葉県)。 ・慢性疲労症候群という病気。ほんの短時間の動作であれば動けてしまうので,病気の特性が理解されず,必要な補装具が支給されるのに2年かかった(難病/内閣府)。 など,生活に困難が生じているにも関わらず,法律の基準を満たさないために福祉サービスを利用できないという訴えも寄せられている。 (2)行政職の職務行為に伴う差別事例 市町村の障がい福祉などを担当する窓口職員に対する知識や啓発が不足しているため,その対応によって不快な思いをしたり,実際にサービス利用が阻害されるケースが見られる。例えば, ・(総合支援法の)政令で指定されている疾患であるのに,申請に行くと,(難病も制度の対象になったなどという)そんな話は聞いたことがない,と追い返された(難病/京都)。 ・手帳を取得できない発達障がいのある人が自宅で引きこもっているので,発達障害者支援センターへ相談しに行ったところ,話は聞いてくれるが何もしてくれなかった(発達/さいたま市)。 ・行政の窓口職員の,病気(障がい)に対する無理解な発言がひどい(難病・身体・発達/千葉県・さいたま市・京都府)。 などである。また,そもそも ・福祉サービスの仕組みの内容・書類・手続が難しすぎる(内閣府・さいたま市・京都府)。 など,申請そのものが難解で当事者が理解することができないことが,福祉サービスから当事者を遠ざけ,ひいては障がいのない人との接触や共生を妨げている。 (3)近隣住民との人間関係 障がいのある人もない人も,地域でともに暮らすためには,障がい当事者と近隣住民と人間関係を形成することも大切である。しかし, ・ランドセルの背中に『障害者訓練中』と大きく貼られた(千葉県)。 ・なにか困っていることを話してお願いすると,「障がい者はわがままだ」「要求するだけではダメだ」「税金も払えないのに何をぜいたく言っているのか」などという言葉を返される(千葉県・京都府)。 ・輪番制の町内会長の順番を黙って飛ばされた(身体/さいたま市)。 などのように,障がいのある人が地域と接触しようとすると,地域から排除的な言動を受けてしまう。 (4)グループホーム等への反対運動による差別 ア 都内で今も激しく巻き起こる障がいのある人への排斥運動 知的障がいのある人,精神障がいのある人のためのグループホームを建築しようとすると周辺地域住民からの反対に遭って建築断念に追い込まれる。これが2014年現在の日本の障がいのある人への差別の現実である。 ここでは東京都文京区の例を挙げる。東京都文京区小石川の住宅街において,都有地に文京区役所の仲介で,民間事業所が知的障がいのある人のグループホームを建築しようと計画した。すると近隣住民から概要次のようなチラシが周辺に配布され,行政に対して文書での抗議申入れがあった。 抗議 私たち住民は障害者施設建設の即時中止と白紙撤回を要求する。 1 住民説明会で障害児の親御さんを除き全員がこの計画に強硬に反対する。 2 知的障害者が社会生活に重大な危険をもたらすことは明らかである。 問題行動を起こす知的障害者が与える恐怖感は,近隣の住民の平和と住民生活の基本を脅かす。 よって,本計画に近隣住民・関係者は一致団結して本計画に反対する。」 知的障がいのある人に対する無理解・偏見による,人はどこに住む権利も妨げられないという憲法上の人権に対する侵害に他ならない。 そのため,文京区役所と,地元の障がい者団体と「障害と人権全国弁護士ネット」により構成される「共生のための文京地域支援フォーラム実行委員会」を結成し,地域住民の誤解・偏見を変革するための取組を波状的に続けている。 (http://bunkyo-chiikishien.jimdo.com/) 反対運動は未だに収束しておらず,地道な取組により誰もが住みやすい地域社会をつくるための取組はまだまだ必要である。 イ 神奈川県川崎市での反対運動 2014年3月,あるNPO法人が神奈川県川崎市多摩区にて,精神障がいのある人10名のためのグループホームの開設の準備を進めようと,町会長等への挨拶をしたところ,周辺住民から猛烈な反対運動が始まった。 住民からはNPOに対しグループホーム計画絶対反対との抗議文が提出され・署名運動等が展開され,予定地の周辺には「精神障害者大量入居絶対反対」との旗が立っている。 2 裁判例の紹介 (1)介護支援を受ける権利を巡る訴訟 障がいのある人が,施設や親元での管理された生活を離れ,住み慣れた地域で自由に自立生活を送りたいと願うとき,必要不可欠となるのが十分な公的介護保障(ヘルパー派遣制度)である。身体障がいのある人などを中心とした自立生活運動により,全身性障害者介護人派遣事業,措置制度,支援費制度などを経て,現在は総合支援法に基づき,地域での在宅生活に必要なヘルパー派遣費用を市町村が決定して支給している。しかし,こうした支給量は常に自治体や国家予算上の制約を理由に,障がいのある人のニーズに応えるだけの支給決定を得られないことが多い。このため,行政交渉や裁判などを通じて,適正な支給量が争われ続けている。 東京都大田区在住の脳性まひの人の移動介護の時間数をめぐる裁判(第二次鈴木訴訟/東京地裁2010年7月28日判決)で,実質的には初めて原告の請求が認容された。その後,和歌山県で相次いで脳性まひの人の重度訪問介護支給時間数増を求める裁判(和歌山石田訴訟/大阪高裁2011年12月14日判決)と,人工呼吸器を装着し,医療的なケアを要する難病のALS患者についての裁判(和歌山ALS訴訟/和歌山地裁2012年4月25日判決)が起こり,判決では,1日24時間には満たなかったものの,自治体の支給決定は,障害者自立支援法の趣旨に反し裁量権を逸脱・濫用した違法なものであると認定された。 これらの事件を機に,全国で支給量不足で不自由な自立生活をおくる重度障がい当事者による同種の事件が顕在化するようになった。こうしたニーズに応えるべく,「介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット」が2012年11月に発足し,地域間格差なく全国どこでも自立生活を保障する支給量が確保されるよう,活動している。 (2)介護保険優先原則 日本の障がい福祉における大きな矛盾として「介護保険優先原則問題」がある。 65歳以上の高齢者及び特定の16疾病を有する40歳以上の障がいのある人について,まず介護保険制度を利用した上で,それで足りない場合に例外的に障がい福祉が利用できるという「原則」である。 この「原則」が各地で様々な問題を生じさせている。 a 岡山での介護保険優先原則による不利益を問う訴訟 岡山の重度障がいのあるAさんは障がい者福祉のヘルパーを使い暮らしていた。 Aさんは所得が低いため利用者負担は障がい者福祉においてゼロ円だった。 しかし,2013年に65歳になったため,介護保険を利用することを強制されたため月額1万5000円の負担が発生し,少ない収入で生活していくことは困難になったため岡山地裁にて2013年9月から訴訟が起きている。 b 東京都江東区のOさんによる行政不服審査 Oさんは52歳から特定疾病のため介護保険を利用していた。主に訪問看護・訪問入浴を利用し,ヘルパー利用はわずかだった。障がいの程度が悪化し,64歳ころから障がい者福祉でのヘルパー1日8時間を利用することが必要になり,実際利用することで生活が成り立っていた。 ところが65歳になった途端,行政から介護保険優先を理由として障がい者福祉のヘルパーは1日4時間に減らされた。「優先」と言われても介護保険は訪問看護等で使い切っているため介護保険のヘルパーを使えないOさんは納得できず交渉したが1日6時間にしかならなかった。Oさんはこのままでは生きていけないと行政不服審査法に基づく審査請求手続を起こしている。 <参考資料> 藤岡毅,長岡健太郎『障害者の介護保障訴訟とは何か!支援を得て当たり前に生きるために』(現代書館,2013年) 第11節 商品・サービス・不動産 本節では,@施設及びサービス提供の場面における差別,A製品及びサービスのユニバーサルデザイン,B公営・民営の住宅又は事業用不動産の賃貸借等に関する施策及び差別の問題を取り上げる。 T 権利条約の規定 1 権利条約は,2条の定義において,障がいに基づく差別があらゆる分野を網羅することを明らかにし,これを前提に5条(平等及び無差別)2項はあらゆる差別を禁止している。この「あらゆる分野」におけるあらゆる差別として,商品・サービスの分野における差別も禁止されるものである。 2 権利条約9条は施設及びサービスにおけるアクセシビリティに関して,概要次のように規定する。 「1項  締約国は,障害者が自立して生活し,及び生活のあらゆる側面に完全に参加することを可能にすることを目的として,障害者が,他の者との平等を基礎として,物理的環境,輸送機関,情報通信(情報通信機器及び情報通信システムを含む。)並びに公衆に開放され,又は提供される他の施設及びサービスを利用する機会を有することを確保するための適当な措置をとる。この措置は,施設及びサービス等の利用の容易さに対する妨げ及び障壁を特定し,及び撤廃することを含むものとし,特に次の事項について適用する。 (b)情報,通信その他のサービス(略) 2項 締約国は,また,次のことのための適当な措置をとる。 (a) 施設及びサービスの利用の容易さに関する最低基準及び指針の作成・公表と実施の監視。 (b) 施設及びサービスを提供する民間の団体が,当該施設及びサービスの障害者にとっての利用の容易さについてあらゆる側面を考慮することを確保すること。」 ここでいう「施設及びサービス」とは,公共的施設の利用及びサービス提供の場面を指す。 このように権利条約はサービス提供において,障がいのある人が障がいのない人と差別されることなく利用できるよう,バリアを撤廃して容易に利用できるよう最善の努力をすることを締結国に求めている。 3 権利条約2条の定義において「ユニバーサルデザイン」とは,「調整又は特別な設計を必要とすることなく,最大限可能な範囲で全ての人が使用することのできる製品,環境,計画及びサービスの設計をいう。」とし,4条一般的義務1項(f)において,ユニバーサルデザインの研究・開発を実施・促進すること等としている。すなわち,権利条約は,障がいのある人を含めたあらゆる人が利用可能な製品やサービスの開発を促進することを締結国に求めている。 4 権利条約28条は「相当な生活水準及び社会的な保障」と題し,障がいのある人の生活保障を権利として認め,そのために実施すべき措置として,2項(d)は「障害者が公営住宅計画を利用する機会を有すること。」と明記している。 U 障がいのある人と商品・サービス・不動産についての現行法制度等 1 法制度 障害者基本法には,商品・サービスを特に意識した条項は見当たらないが,不動産については,「住宅の確保」として,「国及び地方公共団体は,障害者が地域社会において安定した生活を営むことができるようにするため,障害者のための住宅を確保し,及び障害者の日常生活に適するような住宅の整備を促進するよう必要な施策を講じなければならない(20条)。」としている。 2 商品・サービスに関する制度の状況 (1)サービス サービス分野における差別の禁止は,いくつかの法律で定めがある。 例えば,補助犬法は,盲導犬,聴導犬,介助犬などを連れた人に対する入店拒否や施設利用拒否を広く禁じており,旅館業法は,旅館等が一定の事由に該当する場合を除いて宿泊を拒否してはならないと定めている。 しかしこれらの法律は周知不足や,罰則等の強制力がないかあっても適用されないことから,いまだに盲導犬等を同伴した者に対する入店拒否などの事例が後を絶たない。また,ハンセン病元患者の団体が熊本県のホテルに申し込んだ宿泊が拒否された事件は有名である。この事件では,当該ホテルが最後まで県知事の指導に従わなかったため,ホテル閉鎖にまで至ったが,ほとんどのケースでは,宿泊拒否に基づく行政指導は行われていないものと思われる。 (2)ユニバーサルデザイン 障がい者制度改革推進会議での経済産業省へのヒアリング結果によれば(2010年9月27日第2回等),「JISZ8071(高齢者及び障害のある人々のニーズに対応した規格作成配慮指針)」において,「アクセシブルデザイン(狭義のユニバーサルデザイン)」という概念を定義し,包装容器の識別,消費生活用製品の凸記号表示,触知案内図など約30のJIS(日本工業規格)を制定している。」とのことである。 確かに,シャンプーの容器の横に凹凸がついているなどの例はあるが,市民生活で利用する商品のごくごく一部にとどまっており,商品全般のユニバーサルデザイン化には程遠い現状である。 現状,政府における商品・サービスにおける所管官庁は経済産業省である。障がいのある人が他の者と平等な市民生活を送るためには,日常的な商品・サービスを合理的配慮を受けながら差別されることなく享受することが不可欠であるところ,様々な困難・差別が存在している。そうである以上,経産省が率先してこの点についての改善施策を推進し,経済団体・企業等に強く指導していかなければ事態の改善はなされない。 しかしながら,障がいのある人に対する施策は厚生労働省,文部科学省,内閣府等が管轄している意識が強く,経産省において自覚的に障がいのある人に対する施策が遂行されてきたとはいい難い。権利条約の国内における実現と,2016年4月1日の差別解消法施行に向けて,経産省が省を挙げて,商品・サービスにおける合理的配慮の履行と差別解消に向けて取り組むことが求められている。 3 不動産 (1)公営住宅 障がいのある人が地域で当たり前の生活を営むためには,住宅の確保が基盤となるところ,日本の公営住宅は家族を想定した政策を基本としてきた。 ようやく1980年から高齢者,身体障がいのある人向けに単身入居枠が設けられたものの,公営住宅法及び同法施行令は,「常時の介護が必要な者は除く」として,介護を必要とする障がいのある人の単身入居を制限してきた。この制限は,1999年欠格条項見直しの対象となり削除され,2000年に「居宅において介護を受けられる者」は単身入居が可能となり,2006年からは知的障がいや精神障がいのある人にも拡大されている。また,2010年「同居親族要件」も削除されるに至った。 ところが,地方自治体に移譲された公営住宅について,障がいのある人が入居に応募しようとしても,従来以上の厳しい要件が課されていることが少なくなく,障がいのある人の公営住宅を利用した地域生活の実現には大きな障壁がある。 例えば2011年時点で,大阪府枚方市の大阪府営住宅枚方管理センターでは,公営住宅公募の説明文書に,「単身者で入居される場合,介護を受けられていても,自らの力で,食事したりトイレに行ったりするなど,自活要件(一人暮らしができること)が必要です。そのため,当選後,自活要件の有無を確認するため申込者との面接を行います。」と明記していた。 このような公営住宅入居制限は,権利条約19条,28条に違背するといわざるをえない。 (2)民間不動産 民間の不動産について,居住用であれ事業用であれ,障がいのある人が購入あるいは賃借りしようとすると,拒否や制限などの差別を受けることが多いにもかかわらず,障がいのある人が他の者と平等に,持ち家を持ったり,賃貸住居等に暮らすための実効性ある施策は皆無に等しい。 障がいのある人が一般の民間賃貸アパート等を借りやすくするための近年の国の取組としては,厚生労働省が所管して自治体が実施する「居住サポート事業」,国土交通省所管の「あんしん賃貸支援事業」を挙げることができる。 前者は厚労省が掲げる事業であったが,実際に実施するのは地方自治体であること,関係者の調整を行政が助言する程度の内容であって強制力は何らないこと等,存在意義が全くないとはいえないが,実効性はあまりに限定的である。 また,同事業は,国土交通省の「あんしん賃貸支援事業」との連携により実効性を図ることを目標に掲げていたが,「あんしん賃貸支援事業」は実績が挙がらないことから,事業仕分けによって2010年度までに廃止された。 このように,障がいのある人が一般住居に住みやすいようにするための住宅施策推進を本気でやろうという姿勢が国には欠如している。 それは,政府が推進を迫られる具体的な法律が存在していないことにも大きな原因があると思われる。 この点については,米国では人種を理由とする住宅差別を禁止する1968年「公正住宅法」(Fair Housing Act)が1988年に改正され,障がいのある人々への住宅差別が禁止された。イギリスにおいても,障害者差別禁止法(DDA)の中で「不動産」が独立の項目として取り扱われ,障がいに基づく住宅差別が禁止されている(DDAはその後,平等法に統合されている)。 障がいのある人の住居も,他の者との平等の観点から,一般市民の一人として,持ち家に住み,あるいはアパート等の賃貸住居で暮らすことが当たり前な姿となることが求められる。 V 障がいのある人への差別事例 1 事例分析 (1)サービス利用に関する差別事例 ア サービス提供拒否 障がいのある人が,街に出て様々な商業サービスを受けようとすると,サービス提供を拒否される事例は枚挙にいとまがない。 障がい種別にかかわらず,「プール」「食事(レストラン)」「温泉」「バスツアー」「神社の拝観」「レンタルビデオ」「遊園地」「動物園」「習い事」「住宅ローン」「保険(生命保険・医療保険など)」などである。 また,「盲導犬・聴導犬・介助犬の入店を断られる(千葉県・さいたま市・京都府など)」など,補助犬を利用する障がいのある人に対する理解は浸透しておらず,差別事例が後を絶たない。 イ 情報保障の不備(視覚・聴覚) 情報保障が不十分であるために,結果としてサービスを利用できない事例も挙げられている。 ・金融機関での振込依頼書やクレジットカードの申込みなど,原則として本人のみが行うことのできるサービスにつき,視覚障がいがあっても自署を要求される。 ・修理依頼・契約・解約などの本人でなければできない手続について電話番号しか書かれておらず,利用できない。電話以外の方法で本人確認をしてほしいとお願いしても断られる(聴覚/京都府・熊本県)。 ・銀行で代筆をしてもらえない(視覚/熊本県・京都府)。 ・銀行のATMが利用できない(視覚・身体(車いす)/内閣府・さいたま市・京都府)。 ・邦画に字幕がつかないために映画を見られない(聴覚/千葉県・さいたま市・京都府)。 (2)不動産に関する差別事例 障がいのある人が地域で生活をする場合,障がいのない人同様,民間/公営の賃貸住宅を借りることもあれば,開設されたグループホームに住むこともある。 しかし,不動産業者と障がいのある人が個別契約をする際には,障がい種別を問わず, ・「何かあったときに困る」「物件価値が下がる」などの理由で入居契約に至らない事例(熊本県・千葉県など多数)。 が多い。また,地域にグループホームを建設する際も,多くの場合,地域住民からの反対運動により拒否される。 ・「ペット可」の物件を借りて障がいのある人のホームを経営したところ,障がいのある人を「ペット」と同視されて割増賃料を請求された(千葉県)。 という事例もあった。 2 裁判例の紹介 (1)ネットカフェ入店拒否事件東京地裁2012年11月2日判決 統合失調症を持病にもつ精神障がいのある甲さんはインターネットカフェに精神保健福祉手帳を忘れてきたため,そのことを店に告げたところ,店は,精神障がいのある人は入店お断りとした。 そのため,甲さんは障がいのある人に対する差別だと東京地裁に訴えた。 判決は甲さんの訴えを認め,入店拒否は,公序良俗に反する違法な差別行為であり,不法行為を構成するものというべきであるとして店舗を営業する会社及び店長に対して70万円の損害賠償を命じた。 (2)車椅子入浴拒否事件東京高裁2012年12月18日判決 露天風呂のあるスーパー銭湯で,障がいのある人は車椅子のまま浴室へ入ることは許されないのかが問われた訴訟。 脊髄損傷で車いすを使う障がいのあるAさんは日ごろ,レジャー的な公衆浴場である「スーパー銭湯」で車いすで浴場内を利用していたが,2007年のある日,車いすに乗ったままの浴場への入場を禁止され,入浴を拒否された。 障がい者差別,違法行為であるとしてAさんは東京地裁に提訴した。 東京地裁は2012年4月22日,請求棄却の判決を下し,控訴審の東京高裁も2013年12月18日Aさんの控訴を棄却し,上告審の最高裁も2014年7月3日上告を棄却した。 判決の理由は,銭湯は全てのお客の公衆衛生安全に配慮する義務があり,車いすに細菌が付着したり,他の客と衝突するおそれなどがあり,入浴拒否はやむを得ないというもの。 これらの判決には,車いすを利用する市民が当たり前にどこでも暮らすのが社会の自然なありかたであるという基本姿勢が欠けていると思われる。 第12節 所得保障 T 権利条約の規定 障がいの有無に関わらず,本来所得は働いて得ることができるようにするのが基本である。 そのため,障がいのある人が働くことの機会均等,合理的配慮を尽くして働く機会を保障すること,働く場を広げるための社会的雇用の拡充等が必要であるところ,それらの詳細は,第2節雇用で別途述べた。 権利条約の中で,障がいのある人の所得保障についてどのようにあるべきかを示唆するのは19条,28条である。 障がいのある人は,心身の機能障がいの故に,障がいのない人と同等の稼働能力を発揮することが難しい。このため,就労の機会均等が実現したとしても,労働の対価として得られる賃金の金額において差が生じるケースがほとんである。 この点について,19条は,他の者との平等を基礎とし,必要な支援を得ながら自律的な自己決定に基づき,地域社会に参加する権利を保障する。いくら必要な支援を受けられる体制が整っていようと,貧困にあえいでいては自律的な自己決定に基づく生活を実質的に保障することなどできない。この「差」を埋めるための所得保障を充実させることが,19条に基づく自己決定に基づく自立生活の保障にとって重要となる。 また,28条は,1項で,障がいのない人に認められている「生活条件の不断の改善を求める権利」の行使を,障がいを理由として妨げられることはない,2項では,社会的な保障についての障がいのある人の権利を保障する,と定める。生活条件の核をなす所得保障を求める権利は,「生活条件の不断の改善を求める権利」として当然保障されるべきものであろう。 U 障がいのある人の所得保障についての現行法制度等 障害者基本法は15条(年金等)において,「国及び地方公共団体は,障害者の自立及び生活の安定に資するため,年金,手当等の制度に関し必要な施策を講じなければならない。」としている。 1 多くが貧困状態を強いられる日本の障がいのある人の実情 きょうされんが2012年10月2日付で発表した障がいのある人約1万人を調査した「障害のある人の地域生活実態調査最終報告」によれば,「年収200万円を下回るいわゆるワーキングプアの状態にある人は,国の調査で22.9%を占めるとされているが,障害のある人の98.9%がこの状態におかれている」との実情である。 障がいのある人の多くは自らの所得で生活することはできず,家族に依存している現実にあることが浮き彫りになっている。 2 障害年金と「無年金障害者」 日本の場合,障がいのある人に対しては障害年金(障害基礎年金/障害厚生年金/障害共済年金)の制度がある。社会福祉国家理念を採用する日本では,全ての国民の生存権が脅かされないよう,社会保障制度及び社会福祉制度を整えるべき公的義務を負っている(憲法14条,25条)。障害基礎年金制度は,憲法25条1項の理念に基づく国民年金法(1条)による制度であり,障がいという事情が生じたことにより就労して稼働する能力を喪失したり,減退した者について保険料納付を必要としない,無拠出年金としてその生活基盤を経済的に支える所得保障制度である。同法及び厚生年金法,共済年金法所定の要件(初診日要件及び障がい状態要件)を満たす者につき,その障がいの程度(国民年金法施行令別表1級又は2級)に応じて,定額の年金が支給される。 障害年金では,生活保護法に基づく扶助と異なり,補足性の原則(生活保護法3条)は採用されていないことから,月々の年金額に就労で得た収入を加えた金額を,そのまま生活の糧とすることが可能となる。就労する障がいのある人にとって,大切な所得保障制度となっている。 しかしながら,支給要件が極めて,形式的・偏狭に過ぎるため,同じような機能障がいにより社会生活に支障を持ち,稼働所得を得ることが困難であるにも関わらず,障害年金を受給できない「無年金障害者」が多数存在していることが大きな問題である。 年金受給を阻む受給要件の問題として大きく次の点が挙げられる。 @「保険料を納付していない。」(納付要件) A「障がいの程度が受給レベルに達しない。」(障がい状態要件) B「初診日の診断書がない。」(証明の問題) C「自分が年金を受け取ることができることを知らないため,時効により権利が失効する」(周知と時効) これらの要件に従えば,20歳の誕生日の前に,障がいの原因となった傷病について,医師の診断を受けたことを証明できた者だけが障害基礎年金を受給できることになる。 これはすなわち,@20歳以降に障がいを負った者は障害基礎年金を受け取れないし,保険料を納付していないと基礎年金以外の年金も受け取れない,A20歳以前に発症していることが事実であっても,医師の診断書によって証明できない者は基礎年金を受け取れない,B障がいの程度が年金受給の程度に満たないとして受け取れない者が多数いる,C年金制度のことを知らないために受け取っていない人,知った時には時効で受け取れなくなる人が多数いる等の理不尽かつ不合理な無年金障害者が多数存在していることを意味している。 3 生活保護 憲法25条に基づく生存権は,当然障がいのある人にも等しく保障されるものであることから,生活保護を利用することも,障がいのある人にとっての大切な所得保障の1つである。 障がいのある人の場合,障がいゆえに必要となるさまざまな備品(特に自動車やパソコン)につき,障がいのない人と同じ基準でその要否を判断され,所持を認めないとする運用をされることが多い。 4 現在の法制度について 国民年金法をはじめとする法律上,障害者手帳の取得は受給要件とはなっておらず,また各種手帳における障がい等級の認定基準と,障害年金の等級の認定基準は異なるものである。しかし,この点について混同され,「障害者手帳を取得できないものには受給要件がない」という誤解が根強く,制度の積極利用に繋がっていない。例えば,がん,糖尿病その他の難治性の疾病に基づく長期の療養の場合や,高次脳機能障がいのように手帳の取得が難しい障がいの場合も対象となりうることは,あまり知られていない。また,そもそも年金における障がい等級の基準が厳しく設定されているために,中程度の障がいのある人が利用することが非常に難しいものとなっている(参考資料2)。 さらに,基準を満たして受給可能な者にとっても,年金のみで生活することは難しい支給額となっている。国民年金法1条は,「憲法25条1項に規定する理念に基づき・・・」と定めるものの,例えば障害基礎年金1級だけでは月額8万円程度の支給額でしかないことから,年金のみで生活をすることは非常に難しいのが現状である。 すなわち,最低生活の保障という本来の年金の機能を果たしていない低額の現状がある。 障がいのある人が真の意味で自立した生活を送るためには,「自分の財布と相談しながら,好きなように飯を食う」(福島智)ことの実現が不可欠である。 そのためには,まず,障がいのある人の障害基礎年金の額を引き上げることが必要である。 しかしながら,そのことだけが強調され過ぎた場合,障がいのある人の中でも,どうしても年金受給者と無年金者の大きな格差がある以上,年金額が上がれば上がるほど格差が広がるというジレンマが生じる。 したがって,無年金障害者をできるだけ生じさせない,受給資格をできる限り広くした,障がいのある人,病気になった人,失業者等のセーフティーネットとしての最低保障年金制度の構築を検討するべきである。 V 障がいのある人への差別事例 1 事例分析 全体的な傾向として,「そもそも障害年金の受給が認められない」という事例(主に軽度障がい,難病に多い)と,受給できている人であっても「障害年金だけでは暮らしていけない」という声が大半を占めた。 また「成年後見人を選任したいが後見人に対する費用を障害年金から支払うと生活が成り立たない(千葉県)」という声が多い。 2 裁判例の紹介 (1)障害年金 先天性の障がいのある人の場合に代表されるように,成人に達する前に初診日を迎えた場合,自らが障害年金の受給資格があることを知らずにいることが多い。そして気づいた時には,初診日を証明するカルテを医療機関が廃棄してしまっており,証明することができずに不支給決定を受けるケースも散見される。この点については,診断書がなくても受給を認める判決(神戸地裁2011年1月12日判決,東京地裁2013年11月8日判決)が出されている。 また,年金の受給権は5年の消滅時効にかかるところ,国民年金課担当窓口職員により,受給要件がないという誤った教示を受けたために,本来受給可能であった時期に適切に申請ができなかったことにより時効消滅した年金相当分につき国家賠償を認めた判決(東京高裁2010年2月18日判決)がある。 (2)生活保護 障がいのある人が自立生活を送るにあたっては,その心身の機能障がいを補うため,障がいのない人にとっては補充的な意味合いしか持たないものでも,障がいのある人が自立した生活を送るためには,また異なる意味合いを持つことがある。例えば移動手段として自動車や,就労のためのパソコンなどである。自動車も,パソコンも,障がいのない人にとっては「なくてもよいもの」であるが,公共交通機関や自転車での移動が困難な障がいのある人にとっては自動車がなければ自宅から外出する機会を相当程度奪われることになるし,通勤を伴う就労が困難な障がいのある人にとっては,在宅での就労が可能となるパソコンは,自立に必須なものである。 しかしながら,生活保護の現場においては,そうした障がい特有の必要性は顧慮されず,所持を認めない運用が根強く行われている。これに対し,自動車の利用を認めた判決(福岡地裁2009年5月29日判決,大阪地裁2013年4月19日判決)や,パソコン利用を認める判決(東京地裁2009年4月17日判決)などが相次いで出されている。 <参考資料> 1 藤岡毅,長岡健太郎『障害者の介護保障訴訟とは何か!支援を得て当たり前に生きるために』(現代書館,2013年) 2 蒔田備憲『難病カルテ−患者たちのいま−』(生活書院,2014年) 3 辻川圭乃『行列はできないけれど障害のある人にやさしい法律相談所―狙われる障害のある人―』(Sプランニング,2005年) 第13節 医療・健康 T 権利条約の規定 権利条約25条は,障がいのある人に対し「障害に基づく差別なしに到達可能な最高水準の健康を享受する権利」を認め,締約国に対しては,保健サービスを,とくに,障がいのある人自身が属する地域社会の可能な限り近くにおいて提供すること(c),障がいのある人の人権や尊厳に関する意識を高めることにより,インフォームドコンセントを基礎とするなど他の者と同一の質の医療を提供すること(d),保健サービスの提供等に関し,障がいに基づく差別的な拒否を防止すること(f)などを求めている。 また,権利条約は,全ての障がいのある人が他の者との平等を基礎として,その心身がそのままの状態で尊重される権利を有すること(17条)を前提に,障がいのある人に対する自由の?奪がいかなる場合においても障がいの存在によって正当化されないこと(14条1項(b)),障がいのある人が居住地を選択し,及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと(19条(a))を定めている。これらの規定は,後述のとおり日本においては精神障がいのある人について強制的に病院に入院させる制度があり,また,精神病床を居住系施設に転換させようとする政策が進んでいることとの関係でも重要な規定である。 さらに,権利条約は,全ての人が生命に対する固有の権利を有することを再確認するものとして,生命に対する権利(10条)を規定している。これは,とくに症例数が希少な病気であり,市場原理に任せておくだけでは採算が合わないために治療方法の調査,研究が促進されず,新治療法の開発は,難病者の生命に対する権利に直結する難病との関係では,きわめて重要な規定であり,締約国は,この規定に基づいて難病者が生命に対する権利を効果的に享有することを確保するために必要な措置をとらなければならない。 U 障がいのある人の医療・健康についての現行法制度等 1 差別禁止 医療の分野においては,従前から医師法19条1項により,医師は診察治療の求めがあった場合には,正当な事由がなければこれを拒んではならないとの定めがある。医師の応招義務と呼ばれるものである。障がいを理由とする診療拒否は,当然,同条項により禁じられることになる。 しかし同条項の違反に罰則はなく,行政処分の対象になりうるのみである。 そして実際には,後記差別事例で挙げられるように,障がいを理由とする診療拒否・入院拒否や,早期退院の強要などは後を絶たず,上記医師法の規定が何ら実効性ないことがわかる。 差別解消法が制定されたことで,障がいを理由とする診療拒否等は明確に差別に位置付けられ,差別的取扱いをしないことは医療機関の法的義務となった。民間医療機関の合理的配慮はいまだ努力義務であるが,ガイドラインで具体的な定めを置くことで,合理的配慮も含めた差別解消が進むことが期待される。 2 総合支援法に基づく自立支援医療 総合支援法では,「その心身の障害の状態の軽減を図り,自立した日常生活又は社会生活を営むために必要な医療」(自立支援医療。5条23項)として,身体の障がいを除去・軽減する手術等の治療により確実に効果が期待できる者を対象とした育成医療(18歳未満)及び更生医療(18歳以上)並びに精神通院医療を定め,医療費の自己負担額を軽減する公費負担医療制度を設けている(総合支援法施行令1条の2,同施行規則6条の17ないし19)が,それ以外の通院を支援したり,精神障がいのある人の任意の入院を支援する制度はとくに設けられていない。 このうち,通院医療に関して,精神科の外来通院患者は約287万人いると推計されるが,通院医療費公費負担制度の利用者は,2011年で151万2771人(約53%)にすぎない。さらに,精神障がいのある人に対するアンケート結果では,「『心の病になり始めたとき』と感じたときの年齢」と「初めて精神科の病院にかかった年齢」が等しい(差がない)人は半数に満たず,病に気づいても受診までに1〜5年かかっている人が約3割,それ以上の人が約1割おり,平均して1.7年受診に要しており,受診を遅らす,又は,通院のための公費負担制度の利用が進まない社会的要因があることが推測される。 3 精神保健福祉法に基づく医療 (1)入院医療 精神保健福祉法は,「精神障害者」であることを要件の一つとして,精神障がいがある人本人の同意がなくても強制的に入院させることができる措置入院(29条),緊急措置入院(29条の2),医療保護入院(33条1項)及び応急入院(33条4項)を認めている。 日本の精神科病院に入院している患者数は,2011年6月30日現在で30万4394人,そのうち措置入院患者が1501人,医療保護入院患者が13万3096人であり,44.2%が強制入院である。 OECD諸国の精神病床の平均は人口10万人当たり68床であるところ,日本は269床であり(2011年又は至近年についてのOECD調査),その病床数の多さは飛び抜けている。しかも,日本においてはその62.9%が終日閉鎖されており,退院患者平均在院日数は,一般病床が18.9日であるのに対し,精神病床は341.6日と長期化傾向にある。国際的にはOECD諸国のほとんどの国の精神病床の平均在院日数が50日以下であり,150日を超えているのが日本だけであることに鑑みると,その長期化も際立っているといえる。 また,入院医療が不要であって社会的要因によって入院させられている「受入条件が整えば退院可能な者」は公的調査においても5万0100人はいるとされており(2010年患者調査),2004年9月の精神保健医療福祉の改革ビジョンにおいて,厚生労働省が当時6万9000人(2002年患者調査)いるとされた「受入条件が整えば退院可能な者」について10年後の解消を図ると打ち出しながら,ほとんど解消されていない事実に鑑みると,その問題は根深いといえる。 (2)精神科優先 精神障がいのある人が他の疾病に罹患しても医療法施行規則10条3号は,精神病患者を精神病室でない病室に入院させないことを原則としているため,これを根拠に一般病院から入院治療を拒否されると,医療を受ける権利さえ保障されない事態となる。 (3)医療従事者に関する精神科特例 また,医療法施行規則19条によると,精神科入院機関における医師数は他の一般診療科の医師の3分の1,看護師は4分の3(通知によりさらに緩和),薬剤師は150分の70でよいとされているため,精神障がいのある人は安上がりの医療体制のもとで入院を強いられている現状にある。 (4)地域の適正な病床数を定める医療計画からの排除 前述のとおり,日本の精神病床はそもそも国際的に見ても極めて多く,いわゆる社会的入院が問題となっているほどであるから,これ以上病床を増やす必要のないことはいうまでもない。 しかしながら,これから減少するにあたっては,その最終的な病床の配置には留意すべきである。すなわち,医療法30条の4,2項11号,同施行規則30条の30,1号によれば,療養病床及び一般病床は「地理的条件等の自然的条件及び日常生活の需要の充足状況,交通事情等の社会的条件を考慮し」た区域(いわゆる二次医療圏)ごとに基準病床数を定めることとしているが,精神病床については都道府県の区域ごとに基準病床数を定めることとされており(同施行規則30条の30,2号),精神障がいのある人については身近なところで入院ができるようにベッドが配置されていない。精神病床についても一般病床と同じく地域生活に即した配置にすべきである。 (5)精神病室の設備 さらに,医療法施行規則16条1項6号によれば,「精神病室の設備については,精神疾患の特性を踏まえた適切な医療の提供及び患者の保護のために必要な方法を講ずること。」とされており,これ自体は具体的な方法を示していないものの,任意入院患者に対しても自由に外出もできない閉鎖病棟における隔離を認める根拠となっている。 4 難病者に対する医療 難病は,これまで,医療の側面だけが強調されてきたが,障害者基本法の2011年改正,総合支援法が対象とする「障害者」に130種類の病気の患者が含まれるなど,日本の障がいのある人に対する施策は,着実に難病のある人をも対象としつつある。さらに,権利条約が障がいのある人を権利の主体として位置づけた趣旨に鑑みると,難病のある人を「患者」という「医療の客体」として考察するのではなく,生活の主体,権利の主体としての考察を行うべきである。そこで,以下,本稿では「難病者」と表記する。 難病者に対する医療体制は,いわゆる「難病指定」を受けている疾患(特定疾患医療費助成制度。以下,「特定疾患」という。)であるか否かによって大きく異なる。特定疾患に指定されている場合は,自立支援医療などと比べても低廉な自己負担上限額が所得に応じて段階的に設定されている。 すなわち,1972年に,当時原因不明の疾患であったスモン対策として,「研究開発」,「医療施設の整備」,「医療費助成」の3つを柱として推進する「難病対策要綱」が制定された。特に,医療費助成の淵源は,1971年にスモン患者に対し,治療研究の協力謝金として1万円を支給したことが始まりである。その後,1973年には,スモン他5つの疾患を「特定疾患」として指定し,自己負担分を全額公費負担とする形で特定疾患医療費助成制度がスタートした。また,小児の難病については,1974年に,小児がんなどをはじめとする9疾患群を指定し,主に「小児の健全な育成」を趣旨・目的とした「小児慢性特定疾患」制度がスタートした。 その後,1995年に,本制度の対象とすべき疾患の要素として,@症例数が少ない(希少性),A原因不明,B効果的な治療法未確立,C生活面への長期にわたる支障の4つの要素が示され,おおむねこれらの要素を満たす疾患の中から,特定疾患が徐々に指定されてきた。2014年6月現在,56個の疾患が指定されており,対象となる患者数は約78万人(2011年度)である(厚生労働省難病の患者に対する医療に関する法律案参考資料による)。また,小児慢性特定疾患制度も,当初は要綱として開始されたところ,2005年に児童福祉法を改正し,同法21条の5に位置付けられることとなった。現在,小児慢性特定疾患は,11疾患群514疾患が指定されており,対象となる患児の人数は約11万人である(2011年度)。成人,小児いずれの特定疾患も,低所得者層(市県民税非課税世帯)を除き,収入に応じて月額医療費の限度額(最大2万3100円)が定められており,その限度額を超える自己負担分が公費によって助成されている。 これに対し,指定を受けていない疾患の場合,いかに自己負担額が莫大なものとなっていようと,医療保険の高額療養費制度以外に自己負担を軽減する方策がない。社会から「難病」と考えられているような疾患は,月額の医療費が保険適用後(3割負担で)数万円から数十万円に及ぶことも決して珍しいことではない。しかも治療方法が確立していないために基本的に生きている限りは「完治しない」ことから,その負担は一生涯続くことになる。 V 障がいのある人への差別事例 1 治療・入院の拒否 障がいの種別を問わず障がいがあることを理由に直接治療・入院を拒否された事例は多数ある。 ・障がい者は手がかかるからといって断られる(内閣府,さいたま市)。 ・小児科,歯科で治療できないと言われた(育成会),歯科で受診拒否を受けた(熊本県,千葉県)。 ・「聴覚障がい者はうちでは診られない」と医師に言われた(千葉県,京都府)。 ・健康診断で「ろうあ者はお断り」と言われた(大阪府)。 ・ベッドの上に一人で乗ることができないので診察を断られた(大阪府)。 ・精神科の通院歴があることを理由に眼の手術を断られた(内閣府,さいたま市)。 ・心臓発作なのに精神疾患があることを告げると入院を断られた(大阪府)。 ・腰骨を骨折して重傷の状態であったが,坑精神薬を服薬しているという理由で治療を拒否された(茨城県)。 また,障がいがあり,かつ,生活保護を受給しているなど経済的なことを理由に,あるいは,意思疎通ができないことや介助者が必要なことを理由に,間接的に治療や入院が拒否された事例も多数あった。 ・介助者や親と一緒でなければ受け入れられないと診察や入院を断られた(内閣府,大阪府)。 ・入院時に24時間の介護者を要求し,手術が終わるとすぐに対応困難であることを理由に自宅療養や転院を勧めた(京都府)。 精神障がいのある人については,医療機関や行政の要請によっても,受け入れを拒む医療機関がある。 ・精神科単科へ入院している患者の内科,外科等の疾患を患った時に受け入れ病院が少ない(さいたま市)。 ・統合失調症の治療中に出産できる病院が限られており,緊急に出産が必要になったが,病院探しと出産できる病院に着くまでに長時間かかってしまった(さいたま市)。 2 医療者側の差別的言動 医療従事者以前に人としての感覚が疑われる事例すらある。 ・「病院の院長から,『ほら,来てみて,この人足と手が全く動かないんだよ』と見世物にされた」(熊本県)。 ・「看護師に人前で『かたわ』と言われた」(千葉県)。 他にも差別的な医療者側の言動が多数見られた。 ・ 主治医に将来の夢や希望を語ったところそういうものは持つなと言われた(茨城県)。 ・赤ちゃん言葉で接すること(内閣府)。 ・車いすに乗っているだけで医師が「働いているの?」と聞くこと(内閣府)。 ・わずらわしそうな態度で接すること(内閣府)。 ・医師の処方なのに薬剤師が毎回薬の必要性を尋ねること(内閣府)。 また,発達障がいや精神疾患については,そもそも障がいや疾患について医療従事者に理解が乏しいと思われる事例が複数見られた。 ・発達障がいがあることを伝えても,子どもが指示に従えなかったことに対して医師から「わがまま,甘やかせ過ぎ」と言われた(さいたま市)。 ・精神科にかかっている事を告げただけで「話はちゃんと通じるのか」と不安そうに聞かれた(内閣府)。 3 合理的配慮の欠如 医療機関における取扱いについては,障がいに対する合理的配慮がなされていないために,障がいのある人にとって病院にかかることさえできない事例等が見られた。 ・病院の予約が電話でしかできず,FAXによる予約ができない(京都府)。 ・重度の自閉症者を料金の高い個室に入れる(内閣府)。 ・声が聞こえないからとはいえ待合室で大きなプラカードに名前を書いて回す(内閣府)。 ・人工呼吸器の利用者が風邪をひいても担当医の診療日まで診察しない(内閣府)。 4 インフォームドコンセントの欠如,不十分な意思疎通 障がいのある人本人に対するインフォームドコンセントの欠如を示す事例が多数見られた。 ・ 私がしゃべらないから理解ができないと言って,病院での説明がなかった(熊本県)。 ・本人はわからないと思って,家族にだけ話しかける(千葉県)。 ・家族ではないので自分に説明してほしいと言ってもヘルパーを呼びつけてヘルパーだけに説明した(大阪府)。 障がいに応じた意思疎通に配慮しない事例もあった。 ・医者が「パソコンの文字を見て答えるように。手話通訳の必要はない」と言って通訳を拒否した(京都府)。 ・ 聴覚障がいがあるのでマスクを取ってほしいと言っても取ってくれない(京都府)。 また,精神障がいのある人に対するアンケートによると,主治医の方からよく説明してくれると感じている人は約3割にすぎず,半数以上は質問すれば説明してくれるものの,主治医が病気や治療についてほとんど又は全く説明してくれないと答えた人も約1割いた。そのため,病状や経過,薬,治療方針などについてもっと説明してほしいという希望を持っている人は約35%に達し,また,現在服用している薬の名前も効用も知らない人は13.8%もいる。また,約4割の患者は主治医に対し,患者のことをもっと理解してほしい,患者の話を真剣に聞いてほしいという希望を持っていた。このようなコミュニケーション不足から,現在服用している薬に約2割の人は不満を感じ,約1割の人は処方どおりに薬を飲んでおらず,その理由として,4分の1の人は効果に疑問を感じ,3分の1の人は副作用が恐い,辛いという点を挙げていたという実態が明らかにされている。 5 医療機関内での暴力・虐待 精神科病院に入院している患者に対し常に罵声を浴びせている看護師がいた(さいたま市),看護師が患者に暴力をふるったりいじめた,時間がないとはいえ体を押さえ拘束して治療した,男性看護師が女性の体を洗った(以上内閣府)など,病院内での暴力や虐待の事例が見られた。1960年代から大阪の大和川病院事件・栗岡病院事件など病院内不審死・虐待等が明らかになり,1984年に発覚した宇都宮病院事件においては国際的にも強い非難を浴びたという歴史的経緯があるにもかかわらず,未だにこのような虐待事例が後を絶たないのである。 <参考資料> 1 秋元波留夫「精神障害者は20世紀をどう生きたか」月刊ノーマライゼーション障害者の福祉20巻通巻228号(2000年7月) 2 藤井克徳「障害者権利条約と自立生活」法律時報81巻4号(2009年3月) 3 井上英夫「健康権と医療保障」(朝倉新太郎,野村拓,儀我壮一郎,西岡幸泰,日野秀逸『講座日本の保健・医療』)(労働旬報社,1991年) 4 吉住昭「今後の精神科医療改革と非自発的入院医療」,伊藤哲寛「障害者権利条約と精神医療」,太田順一郎「多職種チームによるアウトリーチ地域活動」精神医学54巻2号(2012年2月) 5 山本眞理「強制医療・強制収容」(長瀬修,東俊裕,川島聡編『増補改訂障害者の権利条約と日本−概要と展望』生活書院,2012年) 6 松井亮輔,川島聡編『概説障害者権利条約』(法律文化社,2010年) 7 谷清,竹内一,植田晃『障害者の健康と医療保障』(法律文化社,2010年) 8 精神保健福祉白書編集委員会『精神保健福祉白書2014年版』(中央法規,2013年) 9 池原毅和「患者分断の壁を撤去すべき」,山本眞理「障害者権利条約にふさわしい精神障害者政策および全障害者施策を」部落解放625号(2010年2月) 10 「障害をもつ人と保健・医療保障の政策課題」河野正輝,大熊由紀子,北野誠一『講座障害をもつ人の人権3』(有斐閣,2000年) 11 内閣府『平成25年版障害者白書』(2013年6月) 12 九州ネットワーク調査研究委員会『精神医療ユーザーアンケート報告書』(2005年) 13 NPO法人全国精神障害者ネットワーク協議会『第4回精神医療ユーザー調査報告書2009年度版 誰でもできる精神病の予防とその対策 らくらく統計読本パート2』(2009年) 14 伊藤哲寛「精神保健医療のデータをどう読むか」(岡崎伸郎「精神保健・医療・福祉の根本問題」批評社),(2009年1月) 15 蒔田備憲「難病カルテ−患者たちはいま−」(生活書院,2014年) 16 泉眞樹子「難病対策の概要と立法化への経緯―医療費助成と検討経緯を中心に−」国立国会図書館調査と情報−ISSUEBRIEF−No823(2014年4月) 17 中尾久子「難病患者の医療・ケア−看護職の観点から−」(大林雅之,徳永哲也責任編集『シリーズ生命倫理学8巻高齢者・難病患者・障害者の医療福祉』丸善出版,2012年) 第14節 司法 T 権利条約の規定 1 権利条約13条「司法手続の利用」 1項は,障がいのある人が,障がいのない人と同じように司法手続を効果的に利用できるようにすることを求めている。障がいの有無にかかわらず,人権の最後の砦である裁判所による救済が,適正に行われなければならないことは当然である。また,刑事事件においては,障がいがあってもなくても等しく,適正手続が保障されなければならない。しかし,現実には,手続上の配慮及び年齢に適した配慮がなされていないことで,障がいのある人が司法手続を利用することは,障がいのない人よりはるかに高いハードルが設定されているがごとくである。そのため,障がいのある人が実際には容易に司法手続を利用できないのが現状である。 なお,本条項は,捜査段階その他予備的な段階から,刑の処遇の段階まで,司法手続の全ての段階をカバーしており,直接の当事者のみならず,証人等の間接の参加者の立場までも含む形となっており,ここにいう「司法手続」の意味は,かなり広範なものである。 2 手続上の配慮 司法手続の利用に関しては,特に「手続上の配慮」が明記されている。これは,合理的配慮が司法分野において特化されたものであるといえる。司法手続において,合理的配慮がなされないことは,実質的にみると,一般に与えられている法的保護を障がいのある人には与えないということを意味することになる。したがって,合理的配慮の際の「均衡を失した又は過度の負担」の問題は,適正手続を求められる司法分野においては,原則として考慮する必要はないと考えられる。 3 適当な研修 2項は,司法関係者の障がいに対する無知や偏見が引き起こす問題の重要性に鑑みて,司法に係る分野に携わる者に対して適当な研修を促進することを求めている。特に警察官と刑務官が例示されているが,これは,歴史的にみて,警察官による供述特性への無理解が多くの冤罪を生み,刑務官による障がい特性への無理解が虐待につながってきたことの反省に立ってのことである。 U 障がいのある人の司法手続についての現行法制度等 1 はじめに そもそも,権利条約の策定にあたり,司法手続の利用における差別の禁止に関する条文を提案したのは日本政府であった。日本の裁判や取調べで,障がいのある人が差別的対応を受けていた実態から,障がい当事者たちが声を上げ,なんとか,司法手続における差別を禁止する規定を権利条約に盛り込めないかと日本政府に働きかけを行った結果,2004年5月,日本政府が第3回特別委員会で同規定の提案を行うに至ったのである。日本政府のこの提案に対して直ちに,複数の国とNGO団体から支持が表明され,そのことがきっかけとなって13条は誕生した。まさに,13条は日本の司法手続における障がいのある人に対する差別への対応の必要性が生み出した条文だといえる。特に,2項は,差別が障がいの無理解から生まれてきた実態を受けてのものである。 2 民事手続における実態 障がいのある人は,犯罪や消費者被害などから自分を守ることに特別の困難を有しており,犯罪や事故の被害に遭う危険性が高く,法的トラブルに陥りやすいとの指摘がなされている。 にもかかわらず,心身等の状況により通常の法律相談場所における相談を受けることが困難であったり,知的障がい等により判断能力が十分でない等の事情から,自身が法的問題を抱えていることの認識が不十分である,あるいは,法的問題を抱えていることの認識があっても,法的サービスを受けなければならないとの認識が不十分であるなど,自ら弁護士等にアクセスしていくことができない場合が多い。そのため,被害等の発覚が遅れ,発覚した時には被害が甚大となっていたり,回復不能となっていたりと,取り返しのつかない場合も少なくない。 また,相談を受ける側に障がいに対する理解が不足しているために,障がいのある人が相談に行っても,たらい回しにされたり,被害の実情をうまく聞き取ってもらえなかったりして,泣き寝入りを余儀なくされることも多い。 3 刑事手続における実態 (1)知的障がいのある人 知的障がいのある人に対して,捜査や裁判の過程で障がい特性に応じた手続上の配慮が何らなされてこなかった結果,次のような状況が生じている。 矯正統計年報によると,2012年度に新規に刑務所で受刑した者2万4780人のうち,知的障がいと診断されている者は271人である。他方,新規受刑者が入所時に受ける知能検査(CAPAS)による知能指数相当値別の統計も公表されているが,これをみると,実に21%にあたる5214人がIQ70未満である。一般社会の分布ではIQ70未満は約2%であるので,10倍以上の割合の高さを示している。もちろん,CAPASは一般に知的障がいを診断する際の参考となるウェクスラー成人知能検査(WAIS-R)などとは目的を異にする検査なので,必ずしも新規受刑者の5人に1人に知的障がいがあることを意味するものではない。しかし,少なくともその中の相当数は,今までに適正な障がいの診断がなされないまま刑事手続に乗せられて,何の支援も配慮もないまま実刑となってしまったのではないかと推測できる。そして,その中に冤罪であった者が含まれている可能性は捨てきれない。また,刑事手続上の防御のためには,罪体のみならず動機や反省などといった情状上の事実について述べることが必要であるが,コミュニケーション能力に乏しいためうまく語れず厳罰を受けてきた実態がうかがえる。障がいの認定をうけていないために福祉サービスが及ぶこともなく,本人も周囲も気づかず不利益だけを被ってきた者が刑務所内に相当数存するのである。 更に,上記矯正統計白書によると知的障がいと診断がされている271人のうち,27%にあたる73人が5回以上の入所であり,障がいのない者(5回以上の者は20%)と比べ再犯率が高いことがうかがえる。これらの新規受刑者の実態を受けて,法務省は,特別調査を行い,一般的刑務所15か所に対して聞取りを行った。その結果,回答のあった入所者2万7024名中,知的障がい又はその疑いのある者は410名であった。そのうち療育手帳を持っている者は26名であった。注目すべきはそのうち,再犯者が285名(69.5%)であったことである。しかも,前刑出所から3か月以内に再犯となった者が約3分の1で,1年以内となると約6割に上り,非常に短期間で再び罪を犯していることがわかる。その要因として考えられることは,やはり適正な障がい認定がなされていないため福祉的支援につながらないまま,刑務所に入る前の環境と何ら変更のない状態で社会に出て,結局再犯につながっている現状が存することである。他方で,障がい特性に配慮した刑事手続がなされていないがために,そのような背景事情は一切考慮されず,流れ作業的に起訴され,その結果実刑になって刑務所に戻されているのが実態である。 なお,2006年3月1日,重度の知的障がいのある被告人が,宇都宮地裁において無罪を言い渡された事件につき,人権救済申立を受けた日本弁護士連合会は,検事総長及び警察庁長官に対して警告を行った(「宇都宮誤認逮捕人権救済申立事件に関する警告書」)。同事件は,当初自白事件として争いのないまま終結したが,判決前に強盗事件の真犯人が現れたため,検察官が弁論再開を申し立て,無罪の論告をしたというものであった。当初有罪の証拠とされた自白調書が,実際は取調官の誤導によるものであったことが明白となったものである。警告の内容は,冤罪を防ぐためには,知的障がいがあると疑われる被疑者の取調べに関しては,@取調状況の全過程における録音・録画,A被疑者の保護者等被疑者を補助する立場にあり,かつ,当該被疑者に取調べの発問等の意味をよく理解させることのできる者の立会,そして,B取調官の研修をすべきというものであった。 (2)聴覚障がいのある人 聴覚障がいのある人に対しては,捜査や裁判の過程で手続上の配慮がなされていない状況が存することは,知的障がいのある人の場合と同様であるが,そのほかにも下記のような事実がある。 2011年4月に殺人罪他で逮捕されたろう者が大阪拘置所に移管され,移管の翌日,知り合いのろう者が面会に訪れたところ,手を挙げて挨拶を交わしただけで手話の使用とみなされ即時面会禁止となった。結局筆談することを堅く言い渡されて面会許可となった。ろう者の中には,現状のろう教育の問題のために十分な読み書きをできない者が少なくなくないが,手話を使用すれば十分に意思疎通ができる場合が一般的である。今回の被収容者のろう者も,読み書きは不得手で,筆談での会話では,単語を並べたり,絵を描いたりしかできず,十分な意思疎通ができなかったにもかかわらず,拘置所は2か月半以上の期間40数回の面会を全て筆談でさせていた。 なお,新聞報道後,近畿矯正管区や法務省本省から指導が入り,対応を検討した結果,大阪拘置所としては以下のような対応を執ることになった。 a 手話が必要な面会の場合は,手話のできる職員が通訳者として立ち会う。 b 上記の職員が休暇などで対応ができないときは外部に派遣を依頼する。よって,曜日を限定することなく随時手話による面会を可能とする。 c 上記によっても通訳者の手配ができない場合は,筆談での面会となる。筆談具としてホワイトボードを用意する。 d 面会時間は通常10分程度のところ,手話面会の場合は15分程度に筆談面会の場合は20分程度にそれぞれ延長する。 e 今後,手話のできる職員を養成する。 f 手話の面会についての説明文を面会所受付に貼りだし告知する。また,聴覚障がいのある人が来たときには,面会方法として手話・筆談・口話の希望を尋ねる用紙に記入してもらう。 以上で大阪拘置所での一般面会における手話使用は解決ができ,基本的に拘置所側で手話通訳者の準備をするということで「合理的配慮」といえる対応を執ることとなった。 しかし,これはあくまでも大阪拘置所限りの対応である。この「大阪方式」を基本として全国の刑事施設で同様の対応を執るべきである。 (3)被害者 障がいのある人は,自分を守る力が脆弱であるために,障がいのない人に比べて犯罪被害や虐待にあう確率は高いと思われる。しかし,コミュニケーションに障がいがある人が被害にあった場合,障がい特性に応じた合理的配慮がなされなければ,自己の被害を訴えることは相当の困難を伴う。実際,被害を訴えようとしても,うまく伝わらなかったり,どこに訴えてよいかわからなかったりしたために,発覚した時には,甚大な被害になっている事も多い。残念ながら取り返しのつかない結果に至って初めて発覚することも少なくない。 さらに,障がいのある女性が性的被害にあった場合には,コミュニケーションに障がいがなくとも,障がいと女性であるという複合的な要因が重なり,肢体不自由や難病の女性についても,抵抗もままならないまま暴力にさらされるという極めて不条理な事例などが報告されている。 4 適当な研修に関する実態 障がいのある人に対する法的支援を拡充するならば,障がいのある人の有する問題等に精通した司法関係者によって適切に支援に従事できる体制が確保される必要がある。 しかし,司法関係者の福祉分野に対する理解不足により,障がいのある人に対する効果的な法律サービスの提供がなされていないのが実態である。専門性を持った司法関係者の育成のためには,継続的で専門的なプログラムと座学だけではなく実地体験を含む研修体制を全国均一に整備することが望ましいが,いろいろな組織が単発的に実施しているにすぎない。 各地の弁護士会にあっては,福祉機関等の協力を得るなどして,障がいのある人の法的支援に知見と理解を取得するための研修を行うなどして,専門性を持った弁護士等の体制整備を図っているところも増えてきている。また,法テラスのスタッフ弁護士が福祉機関等で研修を受ける試みも始まっているが,まだまだ十分とはいえない。 V 障がいのある人への差別事例 1 事例分析 (1)日本弁護士連合会人権擁護委員会では,2013年に,弁護士会の会員に対して,「司法手続における障がいのある当事者・被告人等の特性に応じた意思疎通手段の確保をめぐるアンケート調査」を行った。その結果,司法手続の利用に関しては,次のような差別事例が認められた。 a 民事事件での送達に関して ・視覚障がいのある人が訴状の送達を受けたものの,封筒の内容が分からなかったために,出廷できず,欠席判決を受けてしまった。 ・知的障がいのある人に訴状が届いたが,内容が理解できず,そのままにしておいたら,自宅が競売にかけられた。 b 裁判所内での手続きに関して ・聴覚障がいがある人で,手話ができない人の離婚訴訟における本人尋問で,ノートテイク使用による方法を申し入れたが,裁判所からは,筆談による尋問を提案されている。 ・知的障がいと発語障がいのある原告の本人尋問で,言葉がとても聞き取りにくいので,通訳(聞き取れない時にコミュニケーション補助をする人)を付けるよう要望したが法的根拠がないとのことで認められなかった。 ・傍聴者のための手話通訳者は傍聴席に座って手話通訳をするよう指示がなされた。そのため聴覚障がいがある複数の傍聴者と手話通訳者が横並びに着席し,聴覚障がいのある人が身体をかがめて横に座っている手話通訳者の手話をのぞき込むような不自由な姿勢で手話を見るしかなかった。 ・肢体不自由で車いすに乗っている人が毎回4人傍聴にきていたが,3人までしか入れさせてもらえなかった。もう一人は車いすから傍聴席に移って傍聴した。「防災上の理由」とのことだったが災害が起きた時傍聴席から車いすに移す方が余程防災上の問題が大きかった。 ・裁判所より,「障害者基本法29条は,民事訴訟費用法11条の適用を否定するものではない」との解釈が示されて,通訳費用の予納(民事訴訟費用法12条)を求められた。 c 捜査段階での手続きに関して ・聴覚障がいのある被疑者が取調べの際に手話通訳をつけるよう求めたが拒否された。 ・知的障がいのある被疑者に対して,捜査官が誘導,誤導などを行い,意に沿わない自白がなされた。 ・漢字が読めない被疑者であったが漢字が多用された調書に署名させられていた。このような調書録取の手法は本人の知的能力(小学1年生以下)にそぐわないため,意見書を提出したが,簡易鑑定されずにそのまま起訴された(服役前科が多数あることが理由)。 ・ほぼ耳が聞こえない被疑者に対する弁護人接見の際に,聴力を補助する機器の貸与等が行われなかった。 ・アスペルガー障がいのある男性が,キャッチセールスの女性に呼び止められ,あまりにしつこいので,逃げようとその女性をついたところ,女性から暴行で通報された。駆けつけた警察官は,一方的にその女性の言い分のみを聞き,男性の言い分をまったく聞き入れようとせず,男性に対して威圧的かつ大声で事情聴取を続けた。女性がその場から逃走したため,結局逮捕されることはなかったが,以降,その男性は怖くて強迫神経症が悪化し,しばらく家で引きこもる状況が続いた。 d 公判段階での手続に関して ・難聴で極めて聴き取りが困難であったことから,裁判所が補聴器とワイヤレスマイクでの訴訟指揮の配慮を提案した。これに対し,検察官がワイヤレスマイクの使用を拒絶した。 ・被告人に知的障がいがあること自体認めず誘導又は強制による自白を採用した。 ・知的障がいと精神障がいがある被告人に対して,客観的証拠と不整合な虚偽自白により死刑判決を下した。 (2)また,日弁連人権擁護委員会では,2014年に,障がいのある当事者を対象に,「司法手続における障がいのある当事者・被告人等の特性に応じた意思疎通手段の確保をめぐるアンケート」を行った。その結果,司法手続の利用に関しては,次のような差別事例が認められた。 a 民事事件,家事事件等に関して ・裁判所から来た書類の意味が分からなかった。 ・調停の際,手話通訳をお願いしたが,発声がきれいなので,わざわざ手話通訳を派遣するほどでもないと一方的に判断された。 ・(証人に呼ばれた際)裁判以外の時間に,手話通訳者がつかず,裁判関係者に口話で話しかけられた。言われた内容がつかめなかった。 ・失語症があるため,本人の証言は無理と言われた。証言を筆記しても十分な筆記が当人にはできない。担当の言語聴覚士のサポートも無効と言われた。 b 被害の申告に関して ・被害届の口述記録作成の時,警察官の説明が難しく,派遣の手話通訳者の手話が理解できなかった。 ・事故現場で警察官の言っている意味があまりわからなかった(「あなたから見て加害者は,注意して運転していたか?」等。また,診断書の説明を聞いた時,警察署に出すべきか出さなくていいのかよくわからなかった。)。 c 捜査に関して ・警察で直接対応した人が自閉症への理解がなく混乱して暴れる本人を後ろから羽交い締めにした。こんな人間を外に出すなといわれた。今後同じことをすると捕まえると言われた。 ・警察官の話していることが,難しい言葉で分からなかった。 (3)「障害者に対する障害を理由とする差別事例等の調査」(内閣府)では,以下のような事例があった。 a 情報の確保についての配慮や工夫 ・視覚障がいのある人の分かり易い資料とその配慮(点字でも当日に莫大な量の資料を出されては現場で読み切れない)。 ・スライド様のものについて充分な説明を(視覚障がい,50代,男性)。 ・裁判所で証人になったときのこと,手話通訳はついたが,裁判長は,ここは「手話通訳しなくてよい」と勝手なことを言った。裁判の進行を知るのも証人の権利と思う。裁判員制度が施行されるので気になる(フェイスシート記載なし)。 b 手続についての配慮や工夫 ・行政への連絡や申請,裁判手続を郵送でもできるようにすること。行政手続などをわかりやすく簡略化すること。福祉行政に関わる情報などは,行政から障がいのある人に対して積極的に情宣すること(視覚障がい,50代,女性)。 ・申請書等の書類内容が障がいのある人にとって解りにくい。手続をもっと簡単にできる様にしてほしい(精神障がい,40代,男性)。 c 関係者への障がいの理解に関する配慮や工夫 ・各障がいへの理解は資料や文書だけで理解できる訳ではない。どのような特性や不便なところがあるか実際に接してコミュニケーションをとりながら理解してほしい(視覚障がい,50代,女性)。 2 裁判事例 (1)冤罪 2005年3月10日,宇都宮地裁は,重度の知的障がいのある被告人に対し,強盗事件につき無罪を言い渡した。後に,2008年2月28日宇都宮地裁は,同事件につき,知的障がいの供述特性を配慮しなかった捜査の違法性を認め,県と国に100万円の支払いを命じる判決を下した。 (2)差別的判決 2012年7月30日,大阪地方裁判所における裁判員裁判で,アスペルガー障がいがある男性が実姉を刺殺した事件において,検察官の求刑を超えて懲役20年の判決が言渡された。その量刑理由は,「社会内で被告人のアスペルガー症候群という精神障害に対応できる受け皿が何ら用意されていないし,その見込みもないという現状の下では,再犯のおそれが更に強く心配されるといわざるを得ず,この点も量刑上重視せざるを得ない。被告人に対しては,許される限り長期間刑務所に収容することで内省を深めさせる必要があり,そうすることが,社会秩序の維持にも資する。」というものであった。 同判決は,2013年2月26日,大阪高等裁判所で量刑不当を理由に破棄され,懲役14年が言渡された。しかし,高裁判決は,原判決が,障がいを理由として重い刑を科したものであるとの主張は排斥している。 (3)公訴棄却 聴覚障がいがあり,読み書きも手話もほとんどできない男性が,窃盗の罪で起訴された裁判で,1999年9月3日,岡山地方裁判所は公訴棄却の決定をした。読み書きも手話もほとんどできず,目の前の裁判で何が行われているのか理解のしようがないのであるから,本来であれば当然に刑事裁判は行えないはずである。しかるに,この男性が1980年に起訴されて以来,2度の最高裁の判断を経て差し戻された岡山地裁の前記の決定を得るまでに,実に19年もの年月がかかったのである。 (4)被害者配慮 水戸地方裁判所で行われた水戸アカス事件(1996年〜2004年)では,裁判所は,知的障がいのある原告ら及び弁護団からの要望を受け,威圧的でなくリラックスした雰囲気の中で尋問を行うために,原告ら本人の尋問を非公開のラウンドテーブル法廷で行い,また,原告らの非言語的な表現も含めて尋問を証拠化することができるよう,原告ら本人の尋問をビデオで録画し,当該ビデオテープの証拠提出を認めるなどの配慮を行った。 (5)民事事件における配慮 名古屋地方裁判所(2010年〜2012年)は,視覚障がいのある原告自らが点字を用いて作成した訴状を有効なものとして受理した上,被告に対し訴状を仮名文字訳した書面を送達した。また,同裁判所は,被告に対して答弁書の点字訳を求めたほか,被告提出にかかる書証の一部を裁判所の費用負担によって点字に翻訳し,法廷でのやりとりを録音して原告に提供する等の配慮を行った。判決言渡期日には裁判所が点訳した判決要旨が原告に渡され,判決全文を点訳したものも後日,原告へ送付されることとなった。 <参考資料> 1 東俊裕「司法へのアクセス」(長瀬修,東俊裕,川島聡編『増補改訂障害者の権利条約と日本−概要と展望』生活書院,2012年) 2 東俊裕監修『障害者の権利条約でこう変わるQ&A』(解放出版社,2007年) 3 大阪弁護士会編『知的障害者刑事弁護マニュアル』(Sプランニング,2006年) 4 辻川圭乃「司法手続における障がいのある人の差別への対応」(実践成年後見NO.48(2014年) 5 曽根英二「生涯被告『おっちゃんの裁判』」(平凡社,2010年) 6  DPI女性障害者ネットワーク「『障害者差別禁止法』に障害女性の条項明記を求めて−−『障害のある女性の生きにくさに関する調査』」から」 http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/b_18/pdf/s2.pdf 7 充実した総合法律支援を実施するための方策についての有識者検討会「充実した総合法律支援を実施するための方策についての有識者検討会報告書」  http://www.moj.go.jp/content/000124161.pdf 第15節 参政権 T 権利条約の規定 権利条約29条は,「締約国は,障害者に対して政治的権利を保障し,及び他の者との平等を基礎としてこの権利を享受する機会を保障するものとし,次のことを約束する。」として,次の規定を置いている。 (a)特に次のことを行うことにより,障がい者が,直接に,又は自由に選んだ代表者を通じて,他の者との平等を基礎として,政治的及び公的活動に効果的かつ完全に参加することができること(障がい者が投票し,及び選挙される権利及び機会を含む。)を確保すること。 (@)投票の手続,設備及び資料が適当な及び利用しやすいものであり,並びにその理解及び使用が容易であることを確保すること。 (A)障がい者が,選挙及び国民投票において脅迫を受けることなく秘密投票によって投票し,選挙に立候補し,並びに政府のあらゆる段階において実質的に在職し,及びあらゆる公務を遂行する権利を保護すること。この場合において,適当なときは支援機器及び新たな機器の使用を容易にするものとする。 (B)選挙人としての障がい者の意思の自由な表明を保障すること。このため,必要な場合には,障がい者の要請に応じて,当該障がい者により選択される者が投票の際に援助することを認めること。 (b)障がい者が,差別なしに,かつ,他の者との平等を基礎として,政治に効果的かつ完全に参加することができる環境を積極的に促進し,及び政治への障がい者の参加を奨励すること。政治への参加には,次のことを含む。 (@)国の公的及び政治的活動に関係のある非政府機関及び非政府団体に参加し,並びに政党の活動及び運営に参加すること。 (A)国際,国内,地域及び地方の各段階において障がい者を代表するための障がい者の組織を結成し,並びにこれに参加すること。 ここで保障されている「政治的権利」とは,広く政治的意思決定過程に参加する権利であり,一般的な政治的言論の自由はもちろんのこと,選挙権及び被選挙権,結社の自由,選挙運動や議員活動を含む政治活動の自由,政治的情報を知る権利等である(松井亮輔・川島聡編「概説障害者権利条約」256頁,川ア和代「政治的・公的活動」(法律文化社))。そして,これらは日本国憲法上も憲法15条1項及び3項,43条1項並びに44条ただし書あるいは14条で保障されているものである。 U 障がいのある人の参政権についての現行法制度等 1 現行の投票制度 日本における現行公職選挙法は,投票用紙に候補者の氏名等を自書するいわゆる自書式投票を原則としている。他方で,地方公共団体の選挙においては,「投票用紙に氏名又は政党名が印刷されており,その印刷された候補者又は政党のうち,選挙人が投票しようとするものに対して,○又は×等の記号を記載することにより行う投票方法」である記名式投票を条例で採用することができるとされている(公職選挙法46条の2,1項)。 また,現行の投票制度では,選挙人が,選挙の当日,自ら投票所に行き,候補者の氏名ないし記号等を自ら記載することにより投票することが原則(選挙当日投票所投票主義)とされている(公職選挙法44条1項,46条)。なお,視覚障がいのある人は,選挙当日,自ら投票所に赴けば,点字による投票ができる(公職選挙法47条)。 この例外として,代理投票制度(公職選挙法48条)と不在者投票制度(同法49条)がある。 代理投票制度は,「身体の故障または文盲」により自ら候補者の氏名等を記載することができない選挙人に対し,投票管理者が補助者2人を選挙人の許諾を得て定め,その1人に当該選挙人が指示する公職の候補者等の氏名等を記載させ,他の1人にこれに立ち会わせる制度である。投票所や後述の指定病院等での投票の際に認められる。 不在者投票制度は,負傷,老衰若しくは身体の障がい等のため歩行が困難である場合に,不在者投票管理者の管理する病院,老人ホーム,身体障害者更生援護施設,労災リハビリテーション作業所等の場所(指定病院等)において行われるもの(公職選挙法49条1項)と,身体に重度の障がいのある者がその現在する場所(自宅等)において投票用紙に投票の記載をし,これを郵送する郵便投票によるもの(同法49条2項)が認められている。 2 昨今の改正点 (1)郵便投票における代理投票の保障 この点について,不在者投票制度においては点字投票や代理投票が認められているが,郵便投票においては自書が必要であるとされ,点字投票や代理投票が認められていなかった。 これに対し,筋萎縮性側索硬化症(以下「ALS」という。)の患者である原告が,投票所に行くことができず自書もできないために選挙権行使の機会を奪われたとして,国家賠償を請求する訴訟を提起した。 東京地方裁判所2002年11月28日判決は,「選挙権は,国民の政治への参加の機会を保障する基本的権利として,議会制民主主義の根幹をなすものであるから…そのような投票制度を採用し,あるいは維持するやむを得ない事由のない限り,その選挙制度は,憲法15条1項,同条3項,14条1項及び44条ただし書に違反するものといわざるを得ない。」とした上で,当時の法制度がやむを得ないものであるとは認められないとし,選挙当時に原告が選挙権を行使できるような投票制度が設けられていなかったことについて憲法に違反する状態であったと言及した(国家賠償請求については棄却)。 同判決を受け,2004年3月に公職選挙法の改正がなされ,郵便等による不在者投票をすることができる者のうち自ら投票の記載をすることができないと考えられる,身体障害者手帳に上肢の障がいの程度が1級又は視覚障がいの程度が1級と記載されている者について,代理投票制度を創設し,事前手続における自書が不要とされるなど(同法49条3項の追加),自書ができない重篤なALS患者や外出困難な視覚障がいのある人が代理投票の方法による在宅郵便投票が可能となった(以上障害と人権全国弁護士ネット編「ケーススタディ障がいと人権」278頁『ALS選挙権国家賠償請求訴訟』)。 (2)政見放送への手話通訳及び字幕の付与 政見放送については,情報保障の観点から,かねてより手話通訳や字幕を付けることの必要性が訴えられていた。この点について,総務省では2010年に「障がい者に係る投票環境向上に関する検討会」が開催され,その結果を踏まえ2011年4月以降の都道府県知事選挙においては,候補者から申込みがあったときは,政見放送に手話通訳を付すことができることとされ,手話通訳の実施が進んでいる。また,2011年3月18日に開催された総務省「障がい者に係る投票環境向上に関する検討会(第1検討チーム)」の結果を踏まえ,2013年の参議院議員通常選挙の比例代表選挙から,参議院名簿届出政党等より申込みがあったときは,政見放送に字幕を付すことができることとされ(政見放送及び経歴放送実施規程の一部を改正する告示),実施に至っている。 (3)成年被後見人の選挙権の回復 公職選挙法11条1項1号は,成年被後見人は「選挙権・被選挙権を有しない」としていた。この規定は,1950年制定の公職選挙法にあった「禁治産者は選挙権・被選挙権を有しない」という規定が,成年後見制度開始後も引き継がれたものである。 2011年2月,知的障がいがあり,従前は選挙に行っていた原告が,成年後見を利用したことにより選挙権を喪失したとして,「投票できる地位の確認」を求める裁判を提起した。 東京地方裁判所2013年3月14日判決は「そもそも後見開始の審判を受け,成年被後見人になった者であっても,日本の『国民』であることは当然のことである。 憲法が,日本国民の選挙権を,国民主権の原理に基づく議会制民主主義の根幹として位置づけ,国民の政治への参加の機会を保障する基本的権利として国民の権利として保障しているのは,自らが自らを統治するという民主主義の根本理念を実現するために,様々な境遇にある国民が,高邁な政治理念に基づくことはなくとも,自らを統治する主権者として,この国がどんなふうになったらいいか,あるいはどんな施策がされたら自分たちは幸せかなどについての意見を持ち,それを選挙権行使を通じて国政に届けることこそが,議会制民主主義の根幹であり生命線であるからにほかならない。」などとして,成年被後見人の選挙権を制限する公職選挙法11条1項1号は憲法に違反し,原告が投票できる地位にあることを確認する,と判断した。 同判決を受け,2013年5月27日,公職選挙法11条1項1号を削除する法改正が実現された。これにより,約13万6000人の被後見人の選挙権が回復した。 V 障がいのある人への差別事例 参政権に関しては,次のような差別事例が認められる。 1 選挙に関する情報保障 選挙当日までの情報保障の観点から,視覚障がい又は聴覚障がいに関し, ・選挙広報の点字版・音声版を,公職選挙法に位置づけること(内閣府)。 ・選挙広報の点訳・校正・印刷に日数がかかることにより選挙広報の点字版が告示日から数日経ってから届き,期日前選挙が困難になる現状を踏まえ,全ての選挙において選挙期間を2週間以上確保すること(内閣府)。 ・第三者が行う候補者の公開討論会などにも手話や字幕を入れること(内閣府)。 が,視覚障がい,聴覚障がい又は知的障がい等に関し, ・テレビの政見放送に手話や字幕を入れること,政見放送の内容をわかりやすくすること(内閣府)。 を要請する声が多く存在する。 2 投票機会の保障 ・ 点字投票は点字投票をする人が少ない地域では,記名投票のようになりやすいので,電子投票の普及を図ってほしい(内閣府)。 ・投票に行くのが難しいので,投票を電子メール又は郵便でできるようにしてほしい。重度の肢体不自由の人のみ郵便での投票が認められている。視覚障がいでも投票所に行くことが難しく,そのため棄権をしている友達がいる。そのことを考え,考慮していただけないだろうか(内閣府)。 など,前記法改正後も障がいから投票が困難である者から,電子投票の導入を求める声が多くみられる。また, ・「立候補者の名前を書く方法ではなく,投票用紙に立候補者の名前を印刷しておき,○をつけるなどに変更すれば,無効票を少なくできるのではないか。上肢障がいも投票を自筆にこだわらず,写真をつけたり○をつけて投票したり,穴をあけるなどの工夫」により,投票方法を変更することによる機会の保障を求める声(内閣府)。 も存在した。その他, ・重度の障がいのある人には在宅投票を認める制度が必要。投票車を配置すれば可能である ・入所施設で投票できる出張投票所などを検討して欲しい(内閣府)。 ・選挙人名簿の台帳があるのだから,投票場の拡大選択を(1か所の投票所だけでなく,管内での選択ができるように(内閣府)。 という意見も存在した。 3 投票現場における配慮 アクセスの問題として,身体障がいに関し, ・車いすでも選挙に行けるようスロープ等を設置してほしい(内閣府)。 ・投票所の段差をなくしたり,車イスが通れる幅がなかったりしたので,希望をしたが,次回も同様で改善がみられなかった(内閣府)。 視覚障がいに関し ・近くの投票所で,盲導犬同伴を複数の係員から断られた(内閣府)。 という差別事例がみられた。また,視覚障がいに関し, ・家族と投票所に行き「点字投票したい』旨のことを言うと,嫌な顔をされなかなか投票用紙が渡されなかった。その不愉快さを思うと郵便での投票をお願いしたいという理由もある(内閣府)。 などの意見をはじめとして,「必要な点字投票用紙や点字器を用意すること」「拡大文字版の投票用紙を用意すること」を要望する声が多くみられた。 聴覚障がいに関し, ・「手話通訳をつけてほしい」とお願いしたら,「一人のためには余裕がない」と言われた」(千葉県)。 という事例が存在した。また,知的障がいに関し, ・投票日のとき,まちがいやすいので,介助者がついてほしい」(内閣府)。 ・選挙投票における合理的配慮がない。投票に行ったが,どうしたらいいのか分からなかった」(育成会)。 ・選挙に行った際,ハガキを提出していたにもかかわらず,「何しに来たん?」と言われ,「投票に来てるんです」と母が返答すると「字書けるの?」と言われた」(京都)。 という意見・事例が,発達障がいに関し, ・代筆が必要な方に,代筆者をみとめること(LDなど)(内閣府)。 という意見がみられた。 第16節 法的能力 T 権利条約の規定 1 権利条約12条には,「法律の前にひとしく認められる権利」として,障がいのある人の法的な権利能力,行為能力,そして,その能力の行使に関わる次のような重要な規定がおかれることになった。 1項では,「締約国は,障害者が全ての場所において法律の前に人として認められる権利を有することを再確認する。」こと 2項では,「締約国は,障害者が生活のあらゆる側面において他の者との平等を基礎として法的能力を享有することを認める。」こと 3項では,「締約国は,障害者がその法的能力の行使に当たって必要とする支援を利用する機会を提供するための適当な措置をとる。」こと 4項では,「締約国は,法的能力の行使に関連する全ての措置において,濫用を防止するための適当かつ効果的な保障を国際人権法にしたがって定めることを確保する。当該保障は,法的能力の行使に関連する措置が,障害者の権利,意思及び選好を尊重すること,利益相反を生じさせず,及び不当な影響を及ぼさないこと,障害者の状況に応じ,かつ,適合すること,可能な限り短い期間に適用されること並びに権限のある,独立の,かつ,公平な当局又は司法機関による定期的な審査の対象となることを確保するものとする。当該保障は,当該措置が障害者の権利及び利益に及ぼす影響の程度に応じたものとする。」こと 5項では,「締約国は,この条の規定に従うことを条件として,障害者が財産を所有し,又は相続し,自己の会計を管理し,及び銀行貸付け,抵当その他の形態の金融上の信用を利用する均等な機会を有することについての平等の権利を確保するための全ての適当かつ効果的な措置をとるものとし,障害者がその財産を恣意的に奪われないことを確保する。」こと 2 12条1項は,障がいのある人も人として法の前に平等な権利を持つという,「法的人格の承認」を規定するものであり,これについては各国の間でも議論なく同意が得られたものである。国際的議論においては当然の前提が,再確認された規定である。 3 重要なのは,2項から4項である。成文化にいたる制定経過では,各国の認識の差や国内の実情,あるいは障がい者団体等の国際NGOからの主張などを巡って議論が重ねられ,数度にわたる修正がなされ,最終的には条約としての合意をめざすため,ある意味では「玉虫色的」な性格をもつ規定となった。ただ,いずれも日本を含めた各国の国内法整備や実践上,重要な条項ばかりである。 そのため,各国の批准にあたっても解釈宣言等がなされたり,審査委員会における勧告や障害者権利委員会の一般的意見において解釈指針が示されるという状況にある。 主な論点は2点である。 一つは,2項の「法的能力」は,権利能力だけではなく,行為能力を含むのかどうか,それとの関係で,成年後見制度等で行為能力を制限することが認められるのか否か,をめぐっての議論である。 もう一つは,3項の「法的能力の行使に当たって必要とする支援」及び4項の「法的能力の行使に関連する全ての措置」として,障がいのある人本人の意思決定を支援するということともに,障がいのある人本人に代わって意思決定をするという「他人による代行・代理決定」を容認するのか否か,をめぐっての議論である。 4 「法的能力(legal capacity)」の概念 まず,2項は,「締結国は,障害者が生活のあらゆる側面において他の者との平等を基礎として法的能力を享有することを認める」と定めているが,この「法的能力」が,権利能力を意味するのか,行為能力までを含むのかについてである。ここで行為能力が含まれるとすると,大陸法系の諸国(日本も含まれる)では,権利能力と行為能力を区別しており,既存の制限行為能力制度は,同項との関係で問題となる。 これについては,条約成立時において,締結国により解釈を異にしており,2項の「法的能力」は,権利能力であるとする国と,行為能力であるとする国と,権利能力と行為能力の両方を含むとする国とに,大きく分かれていた。 条約成立後の日本国内での議論では,権利条約議論の経過で,権利条約議長草案における註釈で指摘されたとおり,女子差別撤廃条約は15条2項において「女子に対し,民事に関して男子と同一の法的能力を与えるものとし,また,この能力を行使する同一の機会を与える。」と定めているが,ここでの「法的能力」には,権利条約12条2項の用語と同じ「legal capacity」という言葉が使われている。とすれば,権利義務の帰属点となる法的地位を意味するにすぎない「権利能力」の趣旨ではなく,行使が予定される法的能力として,「行為能力」を意味すると理解するのが,各条約の統一解釈の立場からみて適当ではないかという解釈が,有力に主張されてきた。 この点につき,障害者権利委員会による12条に関する一般的意見(委員会採択第10回セッション)において,次のように,2項の法的能力には権利能力と行為能力の両方を含むものであるとすることが表明された。 「A 法的能力は,権利を有することと,法律にしたがって行為することの両方を含む。前者は,法律で認められた権利が完全に保護される資格を有するということである。後者は,法律関係の設定,変更,終了をさせる権限を有する主体(agent)であることを認めるということである。このような法的主体(legal agent)性の承認は,12条5項にも規定されている。 B 法的能力(legal capacity)と意思能力(mental capacity)とは異なった概念である。前者は,権利義務を有し(法的地位(legal standing)),それを行使する(法的主体(legal agency))資格のことである。後者は,意思決定をする技能(decision-making skills)のことをいう。これは,人によって多様であり,環境や社会を含む様々な要因によっても変わってくる。この条約12条により,意思能力が現に不十分,あるいはその疑いがあることを理由として,法的能力を否定することを正当化することはできない。 C 法的能力には2つの面があり,一つ目は,権利を有し,法律の前で法的人格を有するという法的地位(legal standing)である。二つ目は,それらの権利に関わる行為をし,法律で認められた行為をする法的主体(legal agency)である。しばしば否定されるのは後者の方である。例えば,確かに法律上は障害のある人々にも財産の所有は認められるが,財産の売買においてなす行為については尊重されているわけではない。障害のある人々の法的能力を完全なものにするためには両方の地位を認めなければならない。両者は切り離せないのである。」 以上のような国内の議論や権利委員会の一般的意見に照らせば,2項は,障がいのある人も他者との平等において「行為能力」を有することが保障されることを求めているものであり,行為能力を制限することは,障がい差別に該当するため,国際人権の差別の合理性の判断基準に照らし,厳格な基準の下で必要最小限の制約であれば許容されるのか否かが,今後検討されなければならない課題として問われることになると思われる。 5 自己決定支援へのパラダイム・シフト 次に,3項と4項の解釈に関わって,権利条約は,判断能力が不十分な者の支援・保護の手法を,「支援付き意思決定」(意思決定支援)の仕組みへと完全に転換することを求めたものであるのか,他者による代行・代理決定の手法は,最終的な保護の手段(ラスト・リゾート)としても許容されないものかどうかの論点である。 条約制定経過においては,政府団体の立場と当事者団体(NGO)の立場との対立があった。ただ,政府団体の立場は,他者による代行・代理の仕組みの必要性を承認するものではあったが,それはラスト・リゾートとしてのものであり,まずは,意思決定支援型へのパラダイム・シフトを同条が打ち出すこと自体については一致していたところであり,判断能力の不十分な者に対する支援手法として,「支援付き意思決定」の仕組みが,他者による代行・代理決定に,原則として優越すること自体には異論はなかったとされる。 これに対し,当事者団体の立場は,判断能力の不十分な者の意思決定に対する支援は,完全に支援付き意思決定に一元化できるのであり,代行・代理決定の仕組みは全面的に廃止されるべきである,というものであった。 この議論を踏まえて,12条3項と4項の文言が確定されたのであるが,その文言からは,支援付き意思決定を原則とすべきとの文言もなく,代行・代理決定の仕組みを禁止する文言はなく,一方,これを許容する趣旨の文言もなく,条約の文言からは直ちに判断できないものとなった。これは,ラスト・リゾートとしての他者による代行・代理決定について明文上の表現を求める国と,その必要性は認めつつも,意思決定支援への転換を強調するためにあえて明文化をさけようとする国の立場の違いや当事者団体の強い主張の中で,最終的な条文の文言は,明確にはいずれの立場をも表現してはいないという解決をはかったものとされている。 とはいえ,繰り返すが,少なくとも,代行・代理決定の仕組みから支援付き意思決定の仕組みへのパラダイム・シフトが求められていること,代行・代理決定の仕組みはラスト・リゾートとしてのみ位置づけるべきことは,各国の最低限の共通した理解であったと解される。 これに対して,上記の権利委員会の一般的意見においては,「他者による代行・代理決定」を許容しないと受け取れる次のような解釈が示された。すなわち, 「@ 締約国に対して,法的能力の行使のための支援に対するアクセスを提供する義務があることを認めている。締約国は,障がいのある人に対して法的能力を否定することは禁止され,法的効果をもたらす決定を可能にするために必要な支援へのアクセスを提供しなければならない。 A 法的能力の行使の支援については,障がいのある人々の権利,意思,選好を尊重しなければならず,代理意思決定になってはならない。支援の形式は特定されていない。公的支援と私的支援の両方を含み,種類や量も多様である。信頼できる支援者,ピアサポート,アドボカシー(セルフアドボカシー支援を含む),コミュニケーション支援などがある。また,ユニバーサルデザインやアクセシビリティに関連する方法も含む。さらに,多様で特殊なコミュニケーション手段を開発し認知することも含む。事前の計画を行うことも重要な支援方法である。全ての障がいのある人々は,事前計画の策定を行う権利を有する。」 「代理意思決定の仕組みの特徴は,1)ただ一つの決定に関わることだけであっても,法的能力が奪われる,2)本人とは無関係の人が選ばれる可能性があり,また,その人が本人の意思に反することもありうる,3)本人の意思や選好に反していても本人の客観的な「最善の利益」と信じるところに基づいて代理意思決定者が決定するというところにある。代理意思決定の仕組みから,支援された意思決定に置き換えるという締約国の義務は,代理意思決定の廃止と支援された意思決定という代替手段の開発の双方を求めているものである。代理意思決定の仕組みを残して,支援された意思決定を開発するというのでは,12条を十分に遵守したことにはならない。」 というものであった。(以上の訳及び引用は,実行委員会の責任におけるものである。) 以上の議論の経過を踏まえ,3項は,2項で保障された行為能力の行使について必要な支援を受けることができることを定めたものであり,権利条約全体に貫かれる権利保障のための「合理的配慮」の発想を,2項で保障された本人の行為能力を行使するための意思決定の場面にも及ぼすものと理解され,これが「意思決定支援」という支援手法として具体化されることを求めているものと解される。 一方で,権利委員会の一般的意見の提起を踏まえ,4項における「法的能力の行使に関連する全ての措置」として,事前に他者が同意したり,事後に無効化するなどの行為能力の制限が一切認められないものであるのかどうか,また,意思決定支援によっては支援・保護ができない場合のラスト・リゾートとして,他者による代行・代理決定を行うことが,上記の国際人権の差別の解釈基準との関係で,厳格な基準の下で,必要最小限のものであれば合理性が認められるのかどうかが,今後大きな課題となる。 6 4項における「必要な措置」におけるセーフガード 4項は,3項の意思決定支援についての措置及びラスト・リゾートとしての成年後見制度が許容されるとした場合を含めたあらゆる関連措置については,様々なセーフガード,すなわち濫用防止策を定めることで,本人の意思決定への制約や侵害を極力少なくすることを求めている。この要請は,ラスト・リゾートであることを前提としていない日本の成年後見制度には全く盛り込まれていないものであり,少なくともこの点において日本は制度改正を直ちに迫られる重要な規定である。 7 5項は,障がいのある人が,財産管理や金融上の取引や相続による財産承継の主体として差別なく取り扱われるためのものである。 つまり,取引社会において,障がいのある人が,その意思決定の不十分さによる法的関係の不安定を理由として対等な主体として扱われなくなることの不利益を解消するために,「この条約の規定に従うことを条件として」,「全ての適当かつ効果的な措置をとるもの」とされている。 8 まとめ 以上みたように,権利条約12条は,障がいのある人の権利能力及び行為能力の行使及びその支援のあり方につき,締結国に,支援付き意思決定の仕組みへの大きなパラダイム・シフトを求めている。 その上で,行為能力の制限の可否,他者による代行・代理決定の可否についても,権利委員会の一般的意見を大きな契機として,重要な議論となっている。 日本においても,今後,国内の制度運用状況に照らして,早急にどのような制度改革が必要であるかにつき,十分な国民的議論を行うことが迫られている。 U 障がいのある人の法的能力についての現行法制度等 人が,様々な事柄について,自ら意思決定をしながら生活を送ること(自己決定)。これこそ,本来,人が人格ある主体的存在たりうる基本的な要素であり,それが最大限に尊重されることは,「個人の尊厳」の保障(憲法13条)にとってかけがえない。 この間,介護保険導入や成年後見制度改正がなされた2000年を前後して,知的障がいや精神障がいのある人,あるいは認知症の人等,「判断能力が不十分な人」については,「権利擁護」という支援が意識されるようになった。 そこでは,周囲の家族や支援者が,本人の意思を尊重して本人のために決めるという対応をし,あるいは,契約行為や財産管理といった重要な行為について成年後見制度の利用につなげ,本人に代わって判断する者を設定するという対応をとってきたように思われる。 しかし,自己決定,人にとって自ら意思決定をしながら人生を切り拓く,ということの本質的意義に照らして,この「権利擁護」の支援というのが,従来のような支援のあり方で本当にいいのかが,12条の趣旨に照らして問われることになった。 V 日本における判断能力の支援における権利侵害事例 12条の趣旨である,意思決定支援を原則とする制度設計に照らしても,判断能力の支援において,次のような権利侵害が指摘されている。 ・長期に施設入所中であった知的障がいのある本人が,支援者による長年の働きかけと準備によって,ようやくグループホームへの移行を決心し,町中での暮らしを期待するようになったにもかかわらず,後見人が,地域生活に伴うリスクを「心配」して施設からの退所契約とグループホームの利用契約を拒否し,いつまでたっても地域生活への移行がままならない,後見人は誰のためのものなのだろう,という苦情が寄せられた。 ・これまで親と住み慣れた自宅で生活してきた障がいのある人が,同居の親が亡くなったため,離れて暮らしていた兄弟が後見人になったところ,後見人が単身生活は危険であるとして,本人が理解できないまま,施設入所契約をして,自宅での生活を断念させられてしまい,すっかり元気をなくしてしまった。こういった事情は,認知症の高齢者の現場ではむしろ珍しくない実情がある。 ・障がいのある本人に,将来を案じた親が遺した十分な預貯金が相続されたにもかかわらず,後見人が就くと,「これから長年の生活でいつどんなことに必要になるかわからない」として,これまでの障害基礎年金程度での生活費の出金しか認めず,本人が休日の余暇活動や好きな趣味や旅行のために預金を使いたくても使えない。 ・親の遺産分割のために,兄弟の申立により第三者後見人が就いた途端,わずか数か月で,後見人は,本人に一度も面談することもなく,これまで両親と本人との長年の努力で生活の基盤を作ってきたグループホームから兄弟の近くの施設へ移そうとして訴訟にまでなった。 ・精神障がいのある人が,親の遺産分割が必要になり難しい法的判断が必要になったため,やむをえず後見開始の申立をしたが,後見人が就くと,そのことだけではなく,全ての金銭管理や生活上の契約の判断にも後見人の権限が発生してしまう。日常的な金銭管理や介護の必要などは周囲の人に相談しながら自分で十分に決められるのに,それまで全て指示を受け管理されてしまうし,周囲の支援者も後見人の判断を優先する。しかも一旦選任されると,一生就いたままである。遺産分割が終わったので,自分で管理させてほしい,といっても裁判所も後見人も認めてくれない。 第17節 虐待 T 権利条約の規定 1 権利条約16条 権利条約16条1項は,「搾取,暴力及び虐待からの自由」と題して,あらゆる形態の搾取,暴力及び虐待(以下,「虐待等」とする。)から家庭の内外で障がいのある人を保護するための全ての適切な立法上,行政上,社会上,教育上その他の措置をとることを締約国に義務付けている。 そのために,締約国に対して,障がいのある人並びにその家族及び介助者に対する適切な援助及び支援を確保することで,適切な防止措置(暴力や虐待等の防止,認識,報告方法に関する情報や教育の提供を含む。)をとることや,施設などを独立の当局がより効果的に監視することを確保するように求めている(同条2項,3項)。 さらに,締約国は,被害にあった場合の身体的,認知的及び心理的な回復,リハビリテーション及び社会復帰を促進するための全ての適切な措置(保護サービスの提供を通じたものを含む。)をとるものとされ,搾取,暴力及び虐待の事例が発見され,調査され,かつ,適切な場合には訴追されることを確保するための効果的な法令及び政策(女性及び子どもに焦点を合わせた法令及び政策を含む。)を定めることが義務付けられている。(同条4項,5項) U 障がいのある人への虐待についての現行法制度等 1 障がいのある人への虐待の実態 障がいのある人に対する虐待の事例は,その一端が各地で発覚されるたびに報道機関等で多く取り上げられてきた。また,障がいのある人に対する虐待についての刑事・民事の裁判例も多数存在している。日弁連が,2008年8月,「障がいのある人に対する虐待防止立法に向けた意見書」を取りまとめた際に集約をした報道,裁判等をまとめた各現場における虐待実態だけでも膨大な数に上っていた。 障がいのある人への虐待の特性として,障がいのある人は,家庭,学校,施設,病院及び職場などの生活空間において,従属的な人間関係に置かれることが多く,このような構造が虐待を生み出す要因となっている。そして,障がいのある人に対する虐待は,本人に虐待を受けたことの認識がない場合があること,被害を訴えていくことが困難であることなどに加え,虐待が行われている空間の密室性や閉鎖性,周囲の無理解により適切な初期対応がなされないなどの要因もあり,その被害が顕在化しにくいという特徴がある。 さらに,虐待の事実が発覚しても,その後の対応にも数多くの課題がある。すなわち,虐待からの救出の手段がないこと,救済に際してその受入先を見つけることが困難であること,社会制度の不備から救済後の環境調整が困難な事例が多い等の事情である。 したがって,上記のように報道や訴訟,刑事事件等で問題化された例の背後には,さらに多くの隠された実態が潜んでいるのであり,障がいのある人の人権を保障し,尊厳を護るためには,虐待を受け続けている障がいのある人の声なき声を発見し対応するため,虐待防止法の制定が緊急の課題であった。 2 障害者虐待防止法の制定の経過 こうして,虐待防止法制定の必要性が訴えられてきたが,なかなか法制度は制定されてこなかった。 それに先立ち,日本における虐待に関する法規制としては,「児童虐待防止法」が2000年に,「高齢者虐待の防止,高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」(以下「高齢者虐待防止法」という。)が2005年に,それぞれ制定され,虐待の通報義務とともに,虐待の防止と対応を行政機関の責務とし,必要な権限行使の規定を明示したこと等などで,虐待の早期発見や対応に一定の成果を上げてきた。 児童,高齢者と同様,障がいのある人は,その脆弱性ゆえに虐待の対象となる社会構造が存在し,特に障がいのある人については,児童や高齢者における典型的な虐待現場である家庭と施設だけではなく,様々な生活場面,例えば職場,学校(幼稚園・保育所),病院でも多数存在する点があった。 障害者虐待防止法は,このような必要性に答えるものとして,従来からの早期制定を求める運動や2005年からの厚生労働省内勉強会や与野党における議論等を踏まえ,権利条約の批准を念頭に,2010年5月,民主党との修正協議を経て,2011年6月に最終合意に達し,衆議院厚生労働委員会提出の法律案として国会審議に付され,同月14日,衆議院本会議で全会一致で可決され,同月17日,参議院で全会一致で可決され,「障害者虐待の防止,障害者の養護者に対する支援等に関する法律」として成立し,2012年10月から施行された。 3 障害者虐待防止法の概要 障害者虐待防止法の概要は次のとおりである。 (1)目的 障害者に対する虐待が障害者の尊厳を害するものであり,障害者の自立及び社会参加にとって障害者に対する虐待を防止することが極めて重要であること等に鑑み,障害者に対する虐待の禁止,国等の責務,障害者虐待を受けた障害者に対する保護及び自立の支援のための措置,養護者に対する支援のための措置等を定めることにより,障害者虐待の防止,養護者に対する支援等に関する施策を促進し,もって障害者の権利利益の擁護に資することを目的とする。 (2)対象となる「障害者」とは,身体・知的・精神障害その他の心身の機能の障害がある者であって,障害及び社会的障壁により継続的に日常生活・社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう(改正障害者基本法2条1号)。 (3)「障害者虐待」とは,@養護者による障害者虐待,A障害者福祉施設従事者等による障害者虐待,B使用者による障害者虐待をいう。 (4)障害者虐待の類型は,@身体的虐待,A性的虐待,B心理的虐待,C放棄・放任(ネグレクト),D経済的虐待の5つ。 (5)主な虐待防止施策 a 何人も障害者を虐待してはならない旨とともに,全ての国民に虐待の通報義務を課す。 b 障害者の虐待の防止に係る国,都道府県,市町村等の責務規定をおく。 特に,虐待通報等の受理,虐待認定と必要な措置は,市町村及び都道府県,労働行政機関において,適切な権限行使のもとに行う旨の規定がおかれる。 c 国及び地方公共団体の障害者の福祉に関する事務を所掌する部局その他の関係機関や関係協力団体における障害者虐待の早期発見の努力義務。 d 養護者(在宅),障害者施設等従事者,使用者の各現場における障害者虐待防止等に係る具体的対応スキームを規定する。 e 学校,保育所等,医療機関における虐待への対応については,国,地方自治体等の対応スキームはおかず,その防止等のための措置の実施を学校の長,保育所等の長及び医療機関の管理者に義務付ける。 f 市町村・都道府県の部局又は施設に,障害者虐待対応の窓口等となる「市町村障害者虐待防止センター」・「都道府県障害者権利擁護センター」としての機能を果たさせる。 (6)政府は,障害者虐待の防止等に関する制度について,この法律の施行後3年を目途に検討を加え,必要な措置を講ずるものとする。 4 虐待防止法施行後の相談・通報と市町村等の対応の実情 障害者虐待防止法施行の2012年10月以降,各市町村や都道府県が,対応態勢整備のために各地で取組を始めるとともに,通報義務と受理窓口の設置により,虐待が疑われる多くのケースが通報される状況が生まれており,法施行の効果が出てきている。 施行から2012年度半年間の全国の状況をまとめた厚生労働省の調査結果(平成24年度「障害者虐待の防止,障害者の養護者に対する支援等に関する法律」に基づく対応状況等に関する調査結果報告書)によれば,まだ施行から半年という状況でも,高齢者虐待に照らして,多くの虐待事案が相談・通報されている状況がうかがわれ,一方で,市町村や都道府県の虐待対応態勢については不十分さがうかがわれる状況にある。 例えば,家庭(養護者)による虐待については,相談・通報件数は半年で3260件であり(年推計6520件),高齢者虐待の初年度が年間1万8390件であったことに比べて,その母数の違いを見れば,相当の相談・通報が施行当初の割にはなされていると評価できる。相談・通報のうち,虐待認定されたものは5割となっている。ただ,市町村において事実確認調査を行わずに虐待なしとしているものが2割あり,また,事実認定において本人への訪問調査による事実確認していないものが43%もある状況にある。市町村の対応としては,養護者から分離するものが約34%,分離しない場合には,助言・指導のみが45%,見守りが28%となっており,新たなサービス利用やサービス見直しを行ったものが29%である。成年後見制度等の利用はわずか85件と低調である。 次に,障害者施設従事者の虐待については施行から半年で939件(年推計1878件)であり,これは高齢者虐待の初年度の年間273件を大きく上回っている。ただし,虐待認定されたものはこのうち9%,判断に至らなかったものが25%ある。気になるのは,都道府県や市町村の対応として事実確認を行わずに終えたものが3割ある。 虐待認定されたものについては,施設への指導が38件,改善計画提出依頼が21件,従事者への注意・指導が28件となっている。 そして,この全国傾向と,各都道府県や市町村が公表しているそれぞれの調査結果とを比べてみると,都道府県や市町村ごとに結果に大きな格差が表れているのも特徴であり,施行直後の虐待防止法の周知や地域における意識や取組の差や対応態勢の差があることがうかがわれる結果になっている。 使用者虐待については,2014年6月28日に厚労省労働紛争処理業務室がとりまとめた状況が公表された。それによれば,市町村や都道府県への相談・通報件数303件ということであったが,都道府県から労働局に報告のあった件数は61事業所に留まっている。労働局まで報告されない事案の処理が不明である。また,報告のあったもののうち虐待が認められた事業所は21事業所に留まった。全体で133事業所の虐待が認定されたが,多くは労働局などへの相談や他の調査の過程での把握(合計112事業所)となっており,虐待防止法の想定していた市町村から都道府県への報告,都道府県から労働局への報告というスキームが十分に機能していないことがうかがわれる。 全国で133事業所しか虐待認定がなされていないことも,養護者や施設従事者の数と比べても,まだまだ使用者における虐待の発見が不十分であることがうかがえる。 虐待の認定された事業所は製造業などが多く,事業所の規模は99人以下の小規模なものが多くを占めていた。 虐待を受けた従業員は194名あり,多くは知的障がいのある人であった(149名)。 虐待の認定としては,経済的虐待(賃金不払いや最低賃金法違反など)が164名と圧倒的に多く,身体的虐待や心理的虐待,ネグレクトは各1割程度に留まっている。これは,発見の端緒が都道府県からの報告ではなく,直接労働局への相談等が多数を占めていることと関連するものと思われる(都道府県の通報による認定の21事業所のうち11事業所が雇用促進法による対応をしていることからも,このことがうかがえる)。 結局,今回の調査からうかがえる状況は,小規模の製造業を中心とした使用者において,主に知的障がいのある人への賃金不払いや最低賃金法違反が,経済的虐待として労働行政の独自の把握で対応されてきているということであり,市町村や都道府県に通報が寄せられたものから,身体的虐待や心理的虐待,ネグレクトなどが的確に調査され,労働局へ報告が上げられるという障害者虐待防止法の想定したスキームに問題を抱えていることがうかがえる。 また,どのような調査によって虐待の有無を認定しているのかも,実情がわからない結果となっている。 V 障がいのある人に対する虐待事例 1 学校における虐待事例 特に,学校教育現場における虐待は,より閉鎖性の高い密室化した学校・教室・訪問学級で行われ,虐待は隠され,露見したとしてもその立証が困難なことが多い。しかもその被害は目に余るものもある。 (1)裁判に現れたケース 千葉県浦安市立小学校特殊学級在籍女児強制わいせつ事件(2003年) 千葉県浦安市立小学校の特殊学級在籍の知的障がいのある女児が,担任の教諭の男性からわいせつ行為を受けたとして,少女と両親が,教諭や浦安市,千葉県に計約2000万円の損害賠償を求めた。千葉地裁は2008年12月24日,県と市に対し,少女に慰謝料など60万円を支払うよう命じた。この事件では女児の証言の信憑性が問題になり,刑事裁判では,一審,二審ともに教諭には無罪判決が言い渡され,無罪が確定した。 民事事件では女児の証言に信憑性が認められ,全てではないが多くの事実が認容された。 (2)教職員の懲戒処分として官報に現れたケース 毎年文部科学省は懲戒処分の実態を官報に公表するが,ここからも教師による虐待が少なくないことが明らかである。文科省調査によると,懲戒処分をうけた教育職員の内,「わいせつ行為等」が原因である者は,2001年度が122人,2002年度が175人,2003年度が196人,2004年度が166人,2005年度が142人,2006年度が190人,2007年度が164人,2008年度が176人とされており,障がいの有無による詳細な数値は不明であるが,総数として高水準で推移する数値に対し,文科省が抜本的な対策をとっている様子はない。 (3)報道に現れたケース 2011年,埼玉県三郷市の特別支援学校で,女性教諭が知的障がいのある7歳の児童に対し,再三にわたって暴力をふるい,また暴言をはいていた。「帰ってくるな,もう二度と!」「人に助けを借りることばかり考えやがって」等の荒々しい女性の声やバチンとたたく音が,同校の小学部低学年のクラスを女性教諭とともに受け持っていた介助職員の女性が,教室内でひそかに録音したICレコーダーに残っていた。 このケースはたまたま介護職員がいたため発覚したのだが,問題は介護職員が教頭に通報したにもかかわらず無視され,やむなくICレコーダーで隠された教室での実態を隠し撮りをし,これを保護者に渡し,ようやく学校が重い腰を上げたのである。学校が県教委に「体罰」として報告をしたのは,介護職員が発見した時から半年後だった。このケースでは,虐待の実態とともに,障害者虐待防止法が施設などに課している虐待通報義務から学校を除外していることも問題となった。現在訴訟が提起されている。 (4)アンケートに現れた虐待 知的障がいのある人の権利擁護に取組むNPO法人が全国の知的障がいのある子どもの親などに行った調査(有効回答970件)では,学校で「虐待や不適切な対応をされたことがある」と答えたのは24.2%に上り,職場や施設よりも多かった((2009〜2010年NPO法人PandA-J「親・支援者から見た障害者虐待あるいは不適切な対応に関する実態調査」)。特別支援学校・学級は少人数教育のため,時に教師一人と児童一人になることもあり,密室化しやすく,構造的に虐待を生みやすい。しかも,知的障がいの場合は教員からの虐待を虐待であると認識できない場合もあり,学校や教師から説得や口止めがされやすい中で,それでも施設や職場よりも多いということは,特筆すべきことである。 その他アンケートで述べられている事例としては,次のものが挙げられる。 ・養護学校での保護者参観日に,土運びをしている生徒に,教員が「早く行け」と腰のあたりを足で蹴るようにして促したり,「バカ,のろま」という言葉を浴びせた。 ・小学校普通学級1年生の知的障がいのある女子が,じっと座っていなかったために,担任教師に椅子に縛られているところを,付添いを求められていた母親が休み時間に教室に様子を見に来て発見した。 2 施設における虐待 虐待防止法施行直後から,通報義務が制度化されたことにより,次々と,各地の障がい者施設における驚くべき虐待の実態が,報道により明らかになっている。そのうち代表的なものは次のとおりである。 ・千葉県南房総市の精神障がい者施設「ふるさとホーム白浜」で入所者が虐待されていると10月1日の防止法施行初日に元職員から通報があった。県は10月29日までに,運営する社会福祉法人の理事長が今年4?9月に入所者数人に虐待を繰り返していたことを確認,現理事長が関与しない新たな運営体制の整備などを法人側に勧告した。理事長は9月上旬,女性入所者(50)を孫の手でたたき全治10日のけがをさせ,「出て行け」「生活保護を打ち切る」など暴言を浴びせた。他の入所者にも,頭を何度も床に打ちつけさせたり,入所者同士でけんかをさせたりしていた。さらに,作業が終わるまで食事をさせない,節約を理由に水風呂に入れる,根拠不明な「借用書」を書かせ金銭を徴収する--など多くの「福祉サービスとはかけ離れた不当な行為」があった。 ・福岡県警は,知的障がいがある男性の頭の上に千枚通しを投げてダーツ遊びをしたとして,福岡県小郡市三沢の就労継続支援施設「ひまわり」元支援次長を暴行容疑で逮捕した。2013年10月,福岡法務局を通して福岡県に通報があり,県は県警に知らせる一方で立入調査などを実施。利用者や他の職員の話から2010年夏以降,容疑者が男性4人に対して殴る蹴るの暴行やエアガンで撃ったことを確認し,障害者自立支援法に基づき2014年1月,容疑者を施設運営から排除するよう改善勧告を施設に出した。 ・横浜市にある知的障がいのある人のケアホームで暮らす入居者の預金が使途不明になり,神奈川県がホームの指定を取消した問題で,県警はホームを運営するNPO法人の元理事で,副理事長を業務上横領容疑で逮捕した。使途不明金は入居者約20人の口座で計約1億円といい,県警は一部を着服した可能性があるとみて調べている。 3 精神科病院における虐待 精神科病院における虐待についても,かつての宇都宮病院や大和川病院における重大な人権侵害事例だけでなく,各地の精神科病院においても,日常的な虐待のおそれが,当事者アンケートなどから伺うことができる。 また,各地の弁護士会において精神科病院の入院患者を対象とした退院請求や処遇改善請求の相談活動や代理活動においても,数々の権利侵害を疑われる事案が寄せられている。 ここでは,精神病患者当事者に定期的に実施されている当事者アンケートのうち,「精神医療ユーザーアンケート報告書」(九州ネットワーク調査研究委員会編集・発行,発行日2005年5月30日)における内容を紹介する。 有効回答数533人のうち, ・治療以外の目的で保護室に入れられた110名 ・病院職員から殴られたことがある43名 ・病院職員からセクハラを受けたことがある27名 ・病院職員から暴言を受けたことがある78名 ・病院職員から病院内の掃除などを強制的にさせられた119名 ・電話することを病院職員から禁止された58名 といった状況であった。 <参考資料> 1 「虐待防止について」 障がい者制度改革推進会議第16回(H22.7.12)資料3 http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_16/pdf/s3-1.pdf 2 厚生労働省「平成24年度『障害者虐待の防止,障害者の養護者に対する支援等に関する法律』に基づく対応状況等に関する調査結果報告書」(2013年11月) 3 厚生労働省「『使用者』による障害者虐待の状況について」(2013年6月) 第18節 国内実施と監視(モニタリング) 日本国内における権利条約の実施システムの現状と課題は以下のとおりである。 T 中央連絡先(フォーカルポイント) 1 権利条約の批准にあたって,政府は,国会審議の中で,中央連絡先(フォーカルポイント)として,外務省総合外交政策局人権人道課,そして内閣府政策統括官(共生社会政策担当)付参事官障害者施策担当がこれにあたり,国連にその旨の通報を行うことを明らかにしている(第185国会参議院外交防衛委員会(2013年12月3日))。 2 国の障がい者施策は,各省の所掌する事項ごとに個々に立案され,執行されている。 例えば,障がい者手当等の給付は厚生労働省,障がいのある人の交通アクセスの問題については国土交通省,障がいのある人の教育については文部科学省などが所管し,施策が実施されている。 このように障がい者施策が各省庁の所掌する事項によって分断されて実施されている。 これらの省庁は,条約の履行そのものを目的とした機関ではなく,条約との適合性や整合性を念頭に置いた行政の執行に適した機関でもない。 3 このような中で,障害者基本法11条1項は,政府が,障害者基本計画を策定するものとしている。障害者基本計画は,閣議決定によって確定するが,具体的な障害者基本計画の立案をするのは,内閣府政策統括官(共生社会政策担当)付参事官障害者施策担当となるものと思われ,同担当は,関係行政機関の政策の整合性や条約との関係を調整しながら障害者基本計画を立案することとなる。 また,外務省人権人道課は,前記の国会審議にあるとおり,日本政府が行う国連の障害者権利委員会に対する定期報告を取りまとめる役割を担う。 ただし,内閣府は,各省庁の出向者から構成されており,当該担当官が,障がいのある人の問題について研修や経験を積み,専門性を持った者から任命されるべき特段の規程等もない。また,現状では,前記の参事官は,政策統括官の下に位置する審議官の下で,他の職務と兼務しながらその役割を担うこととなっており,その権限,人的体制などの面からの裏付けなどの点で,当該担当官が,障害者基本計画の立案にあたって実質的にイニシアティブを行使しうるかについて,その制度的保障はない。 また,外務省人権人道課は,条約機関である障害者権利委員会に対する政府報告の取りまとめを行うものの,他の人権条約の政府報告書作成において,関連法令の立案・修正・見直し等についてイニシアティブを行使した例は明らかになっていない。 U 調整の仕組み 政府は,調整機関の役割は,内閣府政策統括官(共生社会政策担当)付参事官障害者施策担当が担うこととなることを国会審議等で明らかにしている(前記外交防衛委員会)。 このように,フォーカルポイントだけでなく調整機関の役割を内閣府政策統括官(共生社会政策担当)付参事官障害者施策担当,担当付が担当することとなるが,フォーカルポイントにおいて述べたことと同様,当該担当官が,イニシアティブをもって関係各省庁の政策を調整し,条約に適合的なものとすることができるという権限,人的裏付けなどは不十分といわざるを得ない。 V 実施の促進・保護・監視の枠組み 1 政府が想定する促進・保護・監視の枠組み 政府は,権利条約33条2項が想定する促進・保護・監視の枠組みとして,概括的に障害者政策委員会を想定していると回答している場面がある(前記外交防衛委員会)。しかし,促進,保護,監視はそれぞれ異なる役割であり,障害者政策委員会は,個々の人権侵害や差別からの救済を含む保護の役割を持っていないことは明らかである。政府も,より具体的な回答では,以下のとおり,個別の役割を,個別の機関に担わせるという方向での位置付けを図っている。 (1)促進 政府は,前記外交防衛委員会での回答において「本条約上,条約の実施の促進とは,啓発等を通じて本条約の趣旨の実現を推進すること等であると解されます。」とし,「促進につきましては,例えば内閣府による障害者週間,各種行事の実施,法務省の人権擁護機関による人権週間を中心とした各種啓発活動の実施等を通じた,権利条約の趣旨を踏まえた各種周知啓発を行うことを想定しております。」と回答している。 (2)監視 政府は,同じく前記外交防衛委員会での回答において,監視は,本条約の実施状況を調査し,必要に応じて勧告等を行うことであり,条約の実施を監視することの一環として行われる勧告の内容には,必要に応じて法制度の整備に係る提案も含まれ得るとしている。その上で,国内実施状況の監視については,障害者基本計画の実施状況の監視を通じて障害者政策委員会が行うことが想定されているとしている。 また,権利条約に基づく政府報告の作成においては,障害者基本計画を通じて条約の実施に資する意見を障害者政策委員会から聴取し,政府報告にも反映させていく所存であると回答している。 (3)保護 「保護」については,前記外交防衛委員会で,要するに「幅広く現在検討している。」と回答した。 即ち,政府は,条約の求める促進,保護,監視を担う機関を個別の役割ごとに分断して考える立場に立ったとしても,「保護」を担う枠組みないし機関を,現状では想定できていないことを認めている。 2 検討 (1)「促進」と人権擁護局・法務局,内閣府の実施する「障害者週間」 政府は,人権擁護局・法務局の啓発活動をもって条約の促進にあたらせることとしているが,法務省人権擁護局と各地の法務局が実施する人権週間の啓発活動は,人権一般の啓発を目的とするものであり,権利条約の求める人権基準がいかなるものであるのか,また,その人権基準を市民や事業体などに周知し,受入れさせるために何が必要であるかについて検討することは想定されていない。人的にも,権利条約の実施に関する専門性を持った職員は存在しない。 また,内閣府の実施する「障害者週間」は,障害者基本法に基づいて毎年12月3日から9日の1週間実施されるものに過ぎない。権利条約の趣旨や内容の広報,その国内実施のためにも定められた差別解消法やそのガイドラインの周知などについて日常的に広報するには,人的にも,体制としても不十分というほかない。 (2)「監視」と障害者政策委員会の役割・パリ原則との関係 a 監視機能 政府は,障害者政策委員会に,「監視」の役割を担わせることを想定している。 障害者政策委員会は,障害者基本計画の実施状況を監視し,必要があると認めるときは,内閣総理大臣等に勧告を行うことができ(障害者基本法32条2項3号),内閣総理大臣等は,この勧告に基づいて講じた施策について障害者政策委員会に報告を義務付けられている(同条3項)。障害者政策委員会は,このような事務の遂行のため,必要があるときは,関係行政機関に対して資料の提出,意見の表明,説明等の必要な協力を求めることができる(同法34条1項)。障害者基本計画は,障がいのある人に関する施策全般に及ぶものであるから,障害者政策委員会は,障がいのある人の権利状況について,権利条約の履行という観点から監視の役割を担うことが可能である。 b 委員の多元性 パリ原則が監視の役割を担う仕組みに求める多元性という観点から見ると,障害者政策委員会は,障害者基本法32条1項により設置された委員会で,委員は,「障害者,障害者の自立及び社会参加に関する事業に従事する者並びに学識経験のある者のうちから,内閣総理大臣が任命」することとされ,この場合において,「委員の構成については,政策委員会が様々な障害者の意見を聴き障害者の実情を踏まえた調査審議を行うことができることとなるよう,配慮されなければならない」とされている(同法33条2項)。 障害者政策委員会令によれば,同委員会は,専門委員を選任することができ,この専門委員は,障害者,障害者の自立及び社会参加に関する事業に従事する者並びに当該専門の事項に関し学識経験のある者のうちから内閣総理大臣が選任する(同令3条)。 現在30名の委員で構成され,委員は,障がい者団体の代表,学識経験者,弁護士などであり,一定の多元性,専門性が確保されているとともに,権利条約4条3項が求める障がいのある人の参画が実現している。したがって,障害者政策委員会は,現状では,一定の多元性,特に障がいのある当事者の参画と専門性が確保されてはいる。 c 組織の独立性 しかしながら,パリ原則が求める政府からの独立性という観点から見てみると,障害者政策委員会は,国家行政組織法8条の審議会等として位置付けられており,委員の任期は2年で(同令1条),任免権は総理大臣の専権に委ねられている上,委員についての具体的な選任基準は定められておらず,身分保障は十全なものではない。 人事,予算,事務局などの観点からの独立性という意味では,国家行政組織法3条の規定する行政委員会(いわゆる「3条委員会」,具体例としては,公害等調整委員会,中央労働委員会,原子力規制委員会など)が,より独立性を保障された行政機関であるとされる。 条約が求める「監視」は,時の政治情勢に左右されずに,障がいのある人の人権の観点から政府の施策,法律案などに意見を述べ,時には勧告等をすることが想定されており,この観点からすると,人事及び予算において政府からの独立性を持たない機関は監視機関としての役割を十分に担うことができないというほかない。 d 小括 以上の理由から,権利条約が求める「監視」機関として,障害者政策委員会は不十分なものといわざるをえない。 (3)「保護」と現状の機関 a 裁判手続 障がいのある人に対し,日本国憲法,権利条約その他国内法規により認められている諸権利の侵害がなされた場合,その侵害に対しては,裁判手続を通じた司法的解決という方法も当然考えられる。 しかしながら,裁判手続については,「法律上の争訟性」(裁判所法3条)が要求されるなどの理由により,全ての人権侵害事例について司法的解決が可能であるとはいえない。 また,裁判手続による解決には,多大な時間と費用を要するために,人権侵害の被害者の簡易・迅速な救済は困難である。 b 法務省の人権擁護機関 ア 概観 人権擁護に取組む国の機関である法務省人権擁護局,その地方支分局である法務局,地方法務局及び支局と,法務大臣が委嘱する人権擁護委員という,合わせて「法務省の人権擁護機関」が存在する。 これら人権擁護機関は,人権侵犯事件の調査・救済,人権相談等を,その所管事務として行っているが,これらの事務には以下のような問題点があり,十分に機能していないのが実情である。 イ 調査権の限界 上記「法務省の人権擁護機関」には,強制権限のない,あくまで任意での調査権限しかない。それは公権力に対しても同様である。 よって,人権侵害事件の存在が疑われても,「法務省の人権擁護機関」の調査権限が任意である以上,事件の当事者が調査を拒否すれば,人権侵害事実の把握ができないのであり,これでは上記所管事務が十全に果たせないのは明らかである。 ウ 救済の限界 仮に,人権侵害の存在が認定できたとしても,「法務省の人権擁護機関」には,援助(関係機関への紹介等),説示・勧告(人権侵害を行った者に対する改善要請),通告(関係行政機関に対し情報提供の上,措置の発動要請)等しか行うことができず,人権侵害事件に対する,より直接的な救済を行うことができないのである。 エ 専門性の不足 人権擁護局の職員や人権擁護委員は障がいのある人の問題について特段の専門的知識や知見を有しているものではない。 オ 独立性 また,「法務省の人権擁護機関」は,あくまで法務省の内局であり,パリ原則に定める独立性を保持するものではない。 カ 小括 以上の理由から,「法務省の人権擁護機関」が,権利条約33条2項に定める,条約上の権利の実施を促進,保護及び監視する機関たりえないことは明らかである。 c 小括 以上から,政府も認めるとおり,パリ原則の求める独立性,多元性が保障された「保護」の役割を担う組織は存在しない。 3 国内人権機関設置に向けた国連の要請 日本は,現在に至るまで,国内人権機関を設置していないが,これまでの間,国連の諸機関から,下記のとおり様々な審査及び勧告を受けてきた。 (1)国連人権理事会の勧告 国連人権理事会は,安全保障理事会,経済社会理事会と並ぶ三大理事会の一つとして2006年に発足した。 国連人権理事会は,国連内の正式機関である。各国の人権状況について定期的に審査し,改善を勧告する制度を持っている(普遍的定期的審査,「UPR」と略される。)。 UPRは,全加盟国による相互審査であり,そこで多くの指摘を受けた事項は,まさに国際社会における世論を反映したものといえる。日本の人権状況についてはこれまで2度の審査があった。 a 2008年5月,第1回日本政府報告書審査が行われ,その結果,日本が未だに国内人権機関を設立していないことについて,かなりの国から指摘,勧告された。 日本政府は,その勧告を「フォローアップする」と,公式に表明した。 b 2012年10月,第2回日本政府報告書審査でも,未だにその約束が履行されていないことが指摘された。 このときも,日本政府は,その勧告を「フォローアップする」と,公式表明した。 c 国連の正式機関である国連人権理事会が,日本政府に対して,国内人権機関の早期設立を勧告し,日本政府がこれをフォローアップすると約した意味は極めて重い。 それは国連及び国際社会に対する公約であり,必ず実行しなければならないからである。 しかも,日本政府は,拷問禁止条約選択議定書の批准についても,フォローアップすることに同意している。この選択議定書は,国内にも拘禁施設に対する訪問機能を持った国内拷問防止機関を設置することを義務付けるものであり,外国の例にあるように,国内人権機関がその機能を果たすことも十分想定される。 (2)国際人権諸条約に基づく各条約機関の勧告 世界人権宣言を受けて法的拘束力のある条約として制定された国際人権規約,さらには各種の人権諸条約により設置された条約機関は,日本政府に対して再三にわたり,国内人権機関の設立を求めてきた。 ・1998年6月子どもの権利委員会 ・1998年11月国際人権(自由権)規約委員会 ・2001年3月人種差別撤廃委員会 ・2001年9月国際人権(社会権)委員会 ・2003年7月女子差別撤廃委員会 ・2004年2月子どもの権利委員会 ・2007年8月拷問禁止委員会 ・2008年10月国際人権(自由権)規約委員会 「パリ原則に則り…公権力による人権侵害の申立てを審査し,かつ行動する権限を有する独立した国内人権機関を政府の外に設立し,同機関に対して十分な財政的・人的資源を割り当てるべきである。」と勧告。 ・2009年8月女子差別撤廃委員会 ・2010年3月人種差別撤廃委員会 ・2010年6月子どもの権利委員会 ・2013年5月国際人権(社会権)規約委員会 日本政府に対して,国内人権機関の設立を急ぐよう,重ねて勧告。国際人権基準を日本国内にも広く深く浸透させるために,裁判官教育を行い,裁判における適用を進め,国内人権機関を創設して人権救済・普及・政策実現などを行うことが必要だと,前回同様指摘。 ・2013年5月拷問禁止委員会 各委員から,国内人権機関について質問が続出。 メネンデス委員(日本担当)は,「国内人権機関は,基本的な人権を実現するために必要である。今回の政権の下で実現を。」と指摘。 これに対して,日本政府は,「人権委員会設置法案が2012年11月に国会に上程されたが,廃案となった。」と答弁。 これに対して,TUGUSI委員が,「独立した国内人権機関を設置する予定があるのか」と質問。日本政府は,「今後の予定については,現在検討中で,答えられない。」と回答。 2013年5月31日,「委員会は,未だに締約国がパリ原則に則って国内人権機関を設立していないことに懸念をもって留意する。締約国が普遍的定期的審査(UPR)において行った誓約に留意しつつ,委員会は,締約国に対し,パリ原則に則った独立した国内人権機関の設立を迅速に行うよう促す。」と勧告(総括所見)。今回,正式に勧告として指摘され,その中で,UPRに触れていることが注目される。 (3)ディエン報告書 2006年,国連人権委員会(現国連人権理事会)が任命した,現代的形態の人種主義,人種差別,外国人嫌悪及び関連する不寛容に関する特別報告者であるドゥドゥ・ディエン(セネガル)が,日本訪問を踏まえた報告書を国連に提出し公表した。 そこで報告者は,(@)日本における人種差別の存在を認め,かつそれと闘う政治的意志を表明すること,(A)差別を禁止する国内法令を制定すること,(B)人種,皮膚の色,ジェンダー,世系(descent),国籍,民族的出身,障がい,年齢,宗教及び性的指向など,現代的差別における最も重要な分野を集約した,平等及び人権のための国内人権機関を設置することなど24項目にわたる勧告を行った。 (4)国際社会の期待 国際社会は,日本に対し,国内人権機関を早期に設置するよう強く求めており,国内人権機関の設置は,国際社会において責任ある日本の立場としても,直ちに実現するべき喫緊の課題である。国際社会から日本の人権状況を見て,世界に恥ずかしくない日本に少しでも近づける努力が求められているし,国際社会もそれを期待している。 しかしながら,現在政府は後ろ向きの姿勢しか示していない。 4 実効性のあるモニタリングに向けて 以上に検討したとおり,日本において,権利条約の「促進」の役割を継続的・専門的に担う枠組み,仕組みは不十分というほかない。「監視」の役割は,障害者政策委員会がこれを担うことが想定されているが,時の政治情勢に影響されず障がいのある人の権利を守り差別を防止するというためには,パリ原則が求める,権限,予算,人事においてより独立性の高い組織が必要である。また,「保護」の役割を担う,簡易迅速に権利救済を行う枠組みあるいは仕組みは存在しない。 促進,保護,監視の機能を持ち,人権状況改善に統一的に取り組むことのできる組織として想定されているパリ原則に則った国内人権機関は,権利条約33条2項が求める条約の国内実施の仕組みとしては最も望ましいものである。 日本では,上記のように障害者政策委員会が不十分ながら監視の役割を担うものとされているほかには,未だ権利条約33条2項の求める有効な仕組みは存在せず,日本においても,パリ原則に適合した,政府から独立した国内人権機関を設立することが33条2項の要請を満たす最も端的な道ということができる。 日本においては,2012年,人権委員会設置法案が閣議決定された。同法案にはなお不十分な点はあるものの,パリ原則が求める国内人権機関が担うべき任務の一定程度を担い,国家行政組織法の3条委員会としての位置づけを得るなど,政府からの独立性という観点からも一定の評価を与えることができる(2014年2月の日弁連意見書)。しかし,その後の政権交代によって同法案を成案とする動きは止まっている。 仮に,障がいのある人に限定しない広範な人権問題を扱う国内人権機関を直ちに設立することが困難であるとしても,権利条約の実施の促進,保護,監視を目的とすることに特化した独自の機関を設立することは,同条約によって求められている必須の事項というべきである。 また,国際社会は,日本に対し,早急に国内人権機関を設置するよう,重ねて求めている。 したがって,後記第4章第3節で述べるとおり,パリ原則に則った,政府から独立した国内人権機関を,直ちに創設するべきである。 <参考資料> 1 山崎公士「障害者権利条約の国内的実施・監視―障害者権利条約の批准と障害者差別禁止法の制定を控えて」,神奈川大学法学45巻1号8頁,96頁(2012年) 2 キャサリン・ブランソン「オーストラリアの人権保障における人権委員会の役割」自由と正義61巻11号(2010年)