裁判員制度施行一周年記念企画「裁判員経験者の声を聴くパネルトーク」
澁谷友光氏  
澁谷友光氏
 
青森地方裁判所(第1号事件) 2009年9月2日~4日
強盗強姦事件 判決:懲役15年(求刑:懲役15年)
 
【担当された事件概要】
 
 被告人は、女性に乱暴して現金を奪い、また、他人のアパートに侵入して現金などを盗んだとして起訴された。全国初の性犯罪を対象にした裁判員裁判である。
選任手続
 
 私が裁判員に選ばれたのは、この裁判員制度が始まって間もないときで、日本で3番目、青森では初めての裁判員裁判でした。9月1日午後に選任手続が行われました。私たち市民は、裁判所に行くというだけでも緊張するわけですが、随分注目された裁判だったので、多くの報道陣が裁判所を囲んでいて、大変驚かされました。私もマスコミの方々から囲まれて、なかなか裁判所に入れなかったんですが、裁判所の方が助けにきてくれて、やっと入ることができました。
 最初は、一体これから何が始まり、何をされるんだろうかと緊張していました。選任手続では、まずペーパーでインタビューアンケートに答えました。その事件が起こった町にかかわりがあるか、仕事等で頻繁に出かけたことがあるか、また事件は性犯罪だったので、そういう犯罪に対して落ち着いて最後まで審理していけるでしょうか、などという質問だったことを覚えています。46名の方々が出向いたのですが、皆さん、緊張の面持ちでした。私もそうでしたが、自分が選ばれたらどうしようという思いで、静かに、みんながだれと話すでもなく、沈黙の中で選任を待ちました。
 そのあと、4人ずつ呼ばれて、裁判長との面接がありました。これは、先ほどのペーパーでの質問をもう一度繰り返すような感じだったので、時間がもったいないような気がしました。待ち時間は、非常に緊張していました。あの時間を有効活用して、裁判員制度の趣旨とか、この制度を通して、どういう方向に日本が変わっていってもらいたいのかとなど説明でもしてもらえれば、裁判員となる市民が、意識を持って臨めるんじゃないかなと思えました。
 選ばれた後、宣誓をしたり、裁判長から裁判員の役割について説明があったんですが、私の場合は緊張がずっと続いていて、これからどんなことが待ち構えているのかとか、どういう流れでどうしたらいいんだとか気になって、今、振り返ってもあまり印象に残っていません。
 
 
審理・・・冒頭陳述
 
 翌9月3日から審理が始まりました。被告人や被害者の方たちの人生に大きくかかわるということですので、緊張というよりも責任を強く感じました。私たち自身が聞いて判断するということ、それをちゃんと理解できるかどうか、非常にプレッシャーでした。ですから、審理の最初にあった冒頭陳述は、本当に懸命にその内容を聞きました。私も緊張していましたが、検察官も緊張なさってるな、そして弁護人も緊張なさってるなという印象を受けました。それぞれが緊張感をもつ中で冒頭陳述が行われましたが、始まる前に心配していたよりは、わかりやすかったと思います。
 私たちにとっては、壇上に座っているだけでも非常なプレッシャーなので、多くの資料を渡されてもすべてに目を通すということは難しいですね。この冒頭陳述では、検察官がパワーポイントを映しながらやりましたが、その画面を印刷したものが配られ、ずっと手元に置いておくことができました。ポイントが書いてあったんで、それを見ながら冒頭陳述を聞いていくと、整理しやすくてわかりやすかったです。それは考えていく上で非常な助けになりました。
 なお、法廷での緊張感は、2日目、3日目になると少し薄れて、法廷にも慣れていきました。
 
 
審理・・・証拠調べ
 
 供述調書の朗読というのがありました。検察官は3人で、そのうち1人は女性でしたが、その3人が交代交代に朗読しました。これは聞いているほうも飽きずに、非常に興味を持ちながら聞けました。よく工夫がなされていたと思います。
 この事件の被告人は、生まれたときには両親が離婚していてお父さんはいない、お母さんは小学校1年生のときに急性クモ膜下出血で他界して、その後は祖母に育てられたという人です。その祖母が弁護側の情状証人として立ちました。大変高齢で、弁護人から質問をしても耳が遠くてなかなか聞き取れない。また緊張もあって、すぐさっと答えられない。非常に大変な状況でした。弁護人はちょっと大きい声で話しかけるんですが、大きい声というよりも、ちょっといらいらしているような感が伝わってきました。私は6番に座っていて、弁護人席の一番近くだったんですが、高齢の証人に対して、ちょっと気の毒な感がありましたね。一人でそこに立っているだけでも非常に心細い、不安でまた本当に大変だと思うんですね。証人に近づいてあげて聞くとか工夫をして、証人を支えていくという姿勢があったら、もっとよかったのにと感じました。
 審理の間、私は法廷で調べられる証拠や証人を意識して見るだけでなく、被告人自身をずっと注目して見ていました。それぞれの証拠調べや朗読などがされるときでも、被告人がそれをどのような表情で見ているのか、表情から窺えるものというのは、私たちにとって大きな情報です。大事な判断基準になるんじゃないかなと思って、よく見させていただきました。
 
 
審理・・・裁判員から被告人への質問
 
 私は、育ての祖母に1度、そして被告人に3度質問しました。
祖母には、被告人が小学校1年生のときに母親が他界した時、泣かなかったという話があったので、その後も被告人は泣くということがなかったのかと聞きました。とても悲しい出来事だったと思うんですが、それなのにもかかわらず、この悲しみというものを心の中に押し込めてしまったということが、良心をゆがめる1つのきっかけ、事柄になったんじゃないかということを思ったので、その後、泣く機会というのはどうだったのかということを聞きました。
 被告人は、被害者女性が帰る前から包丁を持って部屋を物色していたということなんですけれども、包丁を持ち出した理由について、被告人は、気持ちを落ちつかせるためだと言っていたんです。それに対して、包丁というのは人を傷つけることもあれば、下手すると自分も傷つくこともある、そういう包丁を持って、なぜあなたは落ちつくんですかということを聞きました。
 2つめは、犯行のときに手錠を使ったというので、私はそれを証拠として見せてもらいたかったんですが、出てきませんでした。その手錠をどこから手に入れたものなのかということを質問しました。3つめは、泣かなかったということについて、なぜ泣かなかったのか聞いたことを覚えています。
 
 
論告・最終弁論
 
 弁護人が、情状証拠というんでしょうか、文献をコピーしたものを渡してくれて、幼いころに大きな悲しみを通過してきたことによって、彼が心を閉ざしてしまうような状況があったというような話をしました。この話はちょっとわかりづらかったように思います。
 私は弁護人に一番近い6番の席から弁護人の最終弁論を聞いていました。ほんとうに不幸な被告人の生い立ちを聞いていて、私自身もこみ上げてくるものがありました。けれども、弁論の前には、別室にいる被害者たちの声をビデオリンクを通して聞き、その姿を裁判官と裁判員だけに見えるモニターで見ました。被害者の声を、訴えを聞く中で、もちろん被告人のことを考えていくということはあるんですけれども、犯した犯罪が非常にひどい犯罪であり、犯したことの大きさにも気がついてもらいたいというのがありました。それをまるきり無視するんじゃなくて、それも受け取りながら評議に臨みました。
 
 
評議
 
 最初に裁判長がこんな話をしました。今回、この裁判員制度で私たちが事件を取り扱って考えていくというのは、1つのチームとしてやっていくんだと。裁判員が6人、裁判官が3人、9人といったら野球のチームと同じ人数です。もしだれかが体の都合等で休むならば、補充裁判員の方もチームの一員として加わってくださいます、何が最善の判断なのかということをみんなで考えていきましょうという話がありました。それは私たちをリラックスさせるとともに勇気づけてくれた内容でありました。
 裁判官の1人はムードメーカーのような役割で、食事のときには何がおいしいとか、あそこに行ってきたとか、ほんとうに市民的な会話を提供してくれました。事前にいろいろ打ち合わせをしてくださっていたんだなということが伝わってきました。私たちのきずなというか、環境をそこで築いていってくれたような感じがありました。
 そういう雰囲気の評議室だったので、思ったよりも話しやすい雰囲気が全体に流れていたと思います。その中でもなかなか意見を話さない方もいましたが、裁判長のほうで振って、どう思いますかということを聞いてくださっていたので、全員が何らかの意見を言い合えるという雰囲気でした。
 昼食などの休憩時間は、事件の話は避けているような感じがありましたね。この間あそこに家族で行ったらおもしろかったとか、あの店のラーメンがうまいとか、そういうような話は盛んに飛び交っていました。
 評議の中で、量刑データでしょうか、今までの似たような事件のデータが出されましたが、裁判長は、これはあくまでも今までの資料です、今回は裁判員制度でこのことを考えていくので、これにとらわれ過ぎないでくださいと言われました。私たちが裁判員としてこの強盗、強姦罪を考えていったときに、私たちの感覚としては、自分が住む町、地域でこのことが起こったということは、人ごとではないわけです。そう考えると真剣にならざるを得なくて、ほんとうに深く考えさせていただきました。
 私たちの結論は、求刑通りの重い量刑になりました。
 被害者の方達の意見陳述は、ビデオリンクでしたが、かなりインパクトがあり、私たち裁判員は重く受けとめるものでありました。でも、やはり最後まで思っていたのは、被告人をただ裁くだけでは何にもならないということですよね。犯した罪の大きさを自覚してもらって、そこから本当の意味での反省をもって更生してもらいたいという願いと、被害者の思いを、天びんを持つようにして考える私たちが、評議室にいました。
 
 
感想
 
 裁判所という場所は、私たちはよっぽどのことがない限りは入らない場所です。今回、裁判員という制度を通して入らせていただきました。
改めて思ったのは、社会的な大きな判断をする権威の機関だなということです。そこで私たちが考えたこと、判断したことを通じて、自分が住む社会や地域に対してメッセージとして伝えられる大きな機会になるということです。
 私の場合は青森という地域、実は東京生まれなんですが、青森という、ほんとうにすばらしい街を、子供たちや孫たちが幸せに過ごしていってもらいたい街でありますので、こういう判断をするということでメッセージを伝えられる大きな機会になるということを思いました。この裁判員制度を通して、1人1人が単なる住民に終わらずに、シチズンシップを持って、この街をどんな街にしていきたいのかというビジョン、また夢を持ち、それをその後に残すという形ができていくのではないかと思います。この裁判員制度をさらによいものとしてみんなでつくり上げていったらいいと思いました。
 私が裁いたのは、1人の青年の犯した強盗強姦罪という犯罪でした。彼の生い立ちは私と似たところがありました。私は東京の杉並区で生まれましたが、私が生まれたときには両親が離婚して、私も父親とは一度も会っていません。母親も私が3歳になったときに養育拒否しまして、私は養子に出されました。今回、私は裁判員として裁く側に座ったのですが、立っている被告人がもう1人の自分のように見えてきた瞬間がそこにありました。私はかろうじて、出会いを通して助けられて、そのような犯罪をしなくて済んでいるんだけれども、彼がなぜそのような犯罪を犯してしまったのかということを、心を痛めながらその法廷を見守りました。
 裁判の間は、向かい合って、ある意味指をさしているような立ち位置だったわけですが、裁判が終わった後は、彼の隣に行ってあげたいと思った。私たちは15年と判断をして、それを判決として伝えましたが、彼がその年数を聞いたときにまた心を閉ざして、やっぱり自分のことなんかだれも信用してくれないんじゃないか、わかってくれないんじゃないかと心を閉ざしてしまったら、私たちのその評議はほんとうにむなしいものになってしまうと思えました。裁判所にお願いして、私たちが考えた15年は、決してあなたをあきらめた15年ではない、むしろこの15年の中で、必ずあなたがその罪と向き合って深く反省し、更生を図ってくれるだろうと、心中期待の15年なんだということを伝えてほしいと言ったら、判決でそのまま伝えてもらえました。
 裁くことは決して気持ちいいことでも、格好いいことでもなく、非常に難しいことだし、私には寂しいことでもありました。裁判の後も、すごく大切だなと思っています。彼のことをずっと覚えていき、また自分のできることは何であるか、彼に対し直接にというだけでなく、この社会に対して何をどう考え、行っていったらいいんだろうかということを考えさせていただいく機会になりました。そのようにしていくならば、さらに私たちは住みよい町や、ほんとうの意味で愛せる国をつくっていけるのではないかなということを思っています。