裁判員制度施行一周年記念企画「裁判員経験者の声を聴くパネルトーク」
鈴木章夫氏  
高須巌氏
 
水戸地方裁判所 第1号事件 2009年11月25日~26日
強制わいせつ致傷事件(保釈)判決:懲役3年保護観察付執行猶予5年
(求刑:懲役3年 弁護人量刑意見:懲役2年6月 執行猶予3年)
 
【担当された事件概要】
 
 被告人は,市道で,自転車で帰宅中の女子高生に対し,背後から胸を触った上,突き倒して右手首ねんざなど全治1か月のけがを負わせたとして起訴された。
選任手続
 
 昨年の春に、裁判員候補者名簿登載の通知が来ました。茨城県では七、八千人の方に通知を出したということでした。私は、もし裁判員の候補者に選ばれたことの通知が来たら、逃げることばかり考えていました。そんなところに私が出る柄じゃない、茨城県の片田舎で鍼灸院をやっているおじさんが、とんでもないよみたいな思いがありまして。とにかく、やらない方法ばかり考えておりました。
 裁判の2カ月ぐらい前に、2回目の通知が来ました。この時には、ちょっと近づいてきたかなと思いながら、それでも、やらない方法、辞退するにはどうしたらいいかなとかを考えていました。でも、そこに入っていたアンケートを見ましたら、残念ながら私の当てはまるものはなくて、あなたは今回は辞退は無理ですね、といわれているかのように感じました。現在、妊娠中ですかとか、裁判を受けていますかとか、私がいないと仕事にならないよというものが全然なくて。「これは来ちゃったな」、みたいな感じでした。
 家族には、選ばれないだろうからすぐに帰ってくると言って、11月25日の朝、水戸地裁に行かせていただきました。天候が悪くて、どんよりした天気で。それでも、生まれて初めてですから、すぐに帰りたいし。そうしたら、裁判所の正門のところに、裁判員制度反対の人たちがいっぱいいて、素人が裁けるものじゃないだろう、みたいなことを言っているわけです。私は悪いことをしに行ったわけではないのですが、正門のところへ恐る恐る行って、「おれ、関係ないです」みたいな顔しながら裁判所に入っていきました。でも、こういう風貌なんで結構目立っていたみたいですけれども。
 部屋に入って座ると、やはり何か刻々と迫ってくるものがあるわけです。学校の教室ぐらいの部屋に机がいっぱいありまして、四十五、六番まで番号がありましたが、実際に席に着かれたのは三十数名だったと思います。
 私は、鍼灸院をやっていて、水戸までは1時間半か2時間ぐらいかかります。選任はされないから夕方には帰れると思って、夕方の患者さんはそのまま予約にしておいてと言い置いていました。ところが最終的には選ばれてしまったんです。
一番どきっとしたのは、小部屋での個別質問ですね。部屋に入ると、5人ぐらい、裁判官、検察官と弁護人の方がバッといるわけです、相対して。そういうところは生まれて初めてでした。でも別に難しい質問はなくて、事件の内容にかかわる場所の近くに住んでいますかとか、被害者になられた方が学生だったものですから、その学校にあなたの身近な方が行っていますかというようなことでした。これも、自分は全く関係ありませんでした。
 結局裁判員に選ばれてしまいました。選任手続のすぐ後に、お昼だったんですが、みんなで外にごはんを食べに行こうかと言うと、裁判所の方が、できれば外へ行かないほうがいいんじゃないですか、マスコミの方たちがいらっしゃいますので、と言うんです。そこで弁当を頼むことになって、みんなで評議室で食べました。私はあわてて弁当を食べてから、女房に電話して、「午後の患者さん、夕方の患者さんも、診療できないからお断りして。」と頼みました。単に都合が悪くなりましたと言うと、患者さん、怒りますからね、痛くて来ているのに、ふざけるなということになるので。ですから裁判員に選ばれてしまって水戸の裁判所にいるんだと、はっきり話すように女房に伝えました。あとから聞いたら、苦情を言った患者さんは全然いなくて、「そんなことなら大変ですよね。頑張ってください。」と言われたそうです(笑)。
 もう、そのころになると、結構度胸が据わってきて、何か、「どこからでもいらっしゃい」みたいな感じになってきまして。不思議なものですよね。さっきまで帰りたいなと思っていたんですけれども。そこまでいくと、逃げられないということもあるんでしょうけれども、逆にそういうふうになったんだから一生懸命やっちゃおうかなと切りかわりました。
 
 
審理・・・冒頭陳述
 
 評議室は法廷の隣りにあって、法廷の裁判長席の背中のあたりにあるドアから法廷に出入りします。初めて法廷に入るときは、「さあ、皆さんいいですか。」「さあ行きますよ」みたいな、ワールドカップの、これからグランドに入るときの選手の状況ですよ(笑)、生まれて初めてという。私は裁判員席の右の端の方(傍聴側から見ると左端)あたりに座ったんですけれども、弁護人・被告人の席に近いわけですよ。顔覚えられるとまずいなとか、目立っていると困るなとか、ちょっと下を見たりしてましたですね(笑)。初めは、正直、顔を覚えられたらどうしようかなってそればっかりで。
 それから冒頭陳述という専門的なことが始まりました。検察官も弁護人も、やわらかい口調で専門用語も言わず、私たちにあわせてわかりやすく説明していただいているという印象でした。でも内容は覚えてないですね、緊張で。内容よりも、どういう風に裁判は流れていくのかなとか、これから私たちは何をしなければいけないのかなとか考えながら、キョロキョロしてましたですね。パワーポイントがあるな、これ何か映すんだよなとか、すごい場面とか出てきたらやばいよなとか。緊張して、早く落ちつかなければいけない、早く流れをつかまなければいけない、そっちのほうが強かったです。
 検察官や弁護人からメモみたいなものが手元に配られました。最初は、どういう顔して座っていいかとか、堂々としていたほうがいいかとか、そんなことばかり気になるし、どきどきしちゃって、話が頭に全然入らないんです。そういう文章なんかも最初は見る気にならない。でも、だんだん落ちついてくるんですが、そうするとその文章を見て、あ、なるほどな、こういうことなんだなって、わかりました。ですから、そういう資料があったほうが、私としてはわかりやすかったですね。
 
 
審理・・・証拠調べ
 
 証拠調べあたりから、私もちょっと慣れて、落ちついてきました。検察側と弁護側のおっしゃることも、じわじわとしみ入ってくるような感じが出てきました。
 検察側は2人いて、そのうち男性の方がほとんどお話しされていたんですけれども、ズバッ、ズバッと簡潔に、バシッと言うような感じでした。弁護側は、もっとソフトな感じで、やわらかい感じで我々に伝えていました。茨城での最初の裁判員裁判ということで、プロの方々も相当工夫されたと思うんです。そういうのは、素人の目にも伝わってきました。私たちにわかりやすく説得がされて、また私のほうも段々なれてきたので、しみ入るように頭に入ってきました。
 法廷では、被告人の方の様子は、気になってよく見ていました。今年、私は55歳になるんですが、人生経験の中で、人と話をするときには相手の目の配り方とか、話し方の乗りとか、普通にそういうものを見て、この人はこういう人なのかなと判断するわけです。最初は被告人の方をあまり正面切って見られませんでしたが、だんだん肝っ玉が据わってきて、じーっと見るようになりました。事件は強制わいせつ致傷で、被害者は高校生でしたが、被告人の方にそういう“性癖”があるのかないのかとかということを考えながら見るわけです。我々の市民感覚で見ているわけです。たとえば被告側に有利なことは、すごく意気揚々と話し、堂々としている。それが逆の不利な話になると、何かもじもじし始める。そういうところがあれば市民感覚でわかるわけです。ですから、被告人の方のいろいろな動作とか、目の配り方とか、そういうものはずっと見ていましたですね。
 
 
審理・・・裁判員から被告人への質問
 
 最終的に私は質問しなかったんですが、こんなことを聞こうかと考えたことはありました。被告人の方は、強制わいせつをした理由について、交際していた韓国の方と最終的に結婚ができなかった。それで悩んで悩んで、精神的におかしくなってそういう犯行をしたんだという説明でした。私は、じゃあ、そんなに大好きな、死ぬほど好きな人なら、何回ぐらい韓国にお会いしに行きましたか、連れて来たんですかと聞いてみたいと思ったんです。でも、ちょっと合わないかなと、この場ではそういうことは言うべきではないかなとか、私の中でちょっとした葛藤があって、最終的には質問はしませんでした。
 
 
論告・最終弁論
 
 私たちの担当した事件では示談が成立していて、量刑が焦点でした。強制わいせつ致傷という事件ですから、例えば自分の娘が被害者になれば、相手の男にはすごい憤りだけではなくて、殺してやりたいぐらいの気持ちになるだろうというのが市民感覚でしょうけれども、それだけではいけないんだと自分に言い聞かせながら、2日間の審理をやり終えて、論告、求刑を聞きました。
 この時私の中で、何か清々しさと言えるようなもの、込み上げるような感情が起きてきました。昨日まで、本当にこいつはただじゃおかないぞ、みたいに思っていたんです。それが、何かいとおしさまで感じるようになりました。そういう感情というのは経験したことがなく、いまだに何か不思議でしようがないんです。そういう思いをしながら論告と最終弁論を聞きました。具体的なお話にならなくて申しわけないんですけれども、自分としてはそういう感情が芽生えたということを、お話しさせていただきます。
 弁護士さんの言われていることは、私もわかったんですけれども、でも個人的には、「そうはいかないでしょう」という感じがありました。要は強制わいせつですから、性癖があり、再犯性があってまたやられたら困る、絶対あってはならないということがあったので、弁護士さん、そういうふうにはいかないでしょうという気がしました。
 またやられては困る、なんていうのは、我々に普通起きる感情ですよね。憤りはバーンと来ますので、もう言語道断だ、ぶち込めみたいな感じで最初は思っていました。それを前に押し出してもいいんじゃないか、法廷ってそんな冷静に厳粛にやらなきゃいけないんでしょうかみたいな気がしていたんです。
 それが1日目を終えて、家に帰って布団の中に入って、いや、待てよと。そんな短絡的なことじゃいけないんじゃないか、自分はこんな仕事を仰せつかって、人生に今までなかった経験をさせてもらっているんだから、自分の価値観だけで推しはかるべきではない、人生観が変わるぐらい、もっと違う角度から、もっと深く考えるべきだ、それから被告人の方の背景をもっと考えるべきだとか、ご存命のお父さん、お母さんの存在をもっと考えなければいけないとかというものが渦巻きました。そういう流れの後で、論告や最終弁論も聞いたんです。
 
 
評議
 
 裁判員は評議室に閉じ込められるわけじゃないですけれども、ほかの人は入れない専用トイレがあるような環境の中で評議をしていくわけです。すべて審理が終わってから休廷して話し合いをするのかと思ったらそうではなくて、1つの項目が終わると休廷、1つの項目が終わると休廷ということで30分か40分ぐらいごとの絶妙なタイミングで評議室へ行って休み、また法廷へ行くというような2日間でした。
評議室の中では、裁判官の方が、我々が不快感を持たないような流れを作るよう、心配りをしていただきまいた。
 こっちが恐縮するぐらい低姿勢で、裁判官の意見を言うのは最後の最後です。全員同じ立場でやろうというような感じでした。私らはABCDEFで呼び合いました。裁判長さんと若い男性裁判官と女性裁判官の3人で、役割がある程度あるんです。裁判長さんは、何か一歩引いてるようなイメージで、裁判員に意見を言う時間をたくさん与えて下さった。最初は我々も緊張していますからなかなか言葉が出なかったんですけれども、法廷と休廷を繰り返す中で、だんだん流れがつかめて、非常にやりやすかったです。審議の合間、合間の休憩のときにも、今やったことについて話があって、我々素人でも、忘れないうちにやることができました。
 評議では、それまでの同じような事件の判決(量刑)についてもお聞きしました。
 被告人の方は起訴されたものの他にあと2回やっていますとおっしゃったんです。ようは3回やっているわけです。これは完全に性癖があるわけですよね。だから、罰してどうのこうのじゃなくて、同じことが繰り返されないようにするにはどうしたらいいか、率直に言ってそれを考えました。社会に出るなら、専門の保護司さんみたいな方についてもらう。それからもう1つ、お母さんは病院に、お父様は老人ホームに入っていて、彼は一人っ子です。親を誰が見てあげるのかということになりました。裁判員になる前の私だったら、問答無用だ、そんなこと言っている場合じゃないぞと言っていたかもしれませんが、私はこの法廷がある前に、去年の8月に母を亡くしていて、親御さんのことも結構響いちゃうんですよ。それで、ああ、やっぱり、お父さん、お母さんのことも考えなきゃいけないなというか、罪は絶対に許せないんですけど、やはりその方も、被告人の方もやっぱり背景が皆さんあるわけですから、そういうことも考えながら評議に臨みました。
 昼休みの時間は、私はご飯を食べているときは一切しゃべれなかったですね。めいめい黙って下向いて食べていたんですけれども、裁判長が気をきかせたんですかね。「高須さんは治療院をやっているんですよね」「ちょっと最近、肩が……」とか、「それは五十肩ですね」とか。そんな風に裁判官が気をきかせてくれました。でも裁判員同士では、どちらから見えたんですかとか、そんな話は2日間ともほとんどなかったです。
 
 
感想
 
 私のような、がらっぱちな素人が人を裁くなんて、と思いながら参加したんですけれども、それでいいんじゃないですかね。素人、市民感覚、感情がもろに出る。そういうものを出せばいいんじゃないですかね。
 参加してみて、淡々と進み過ぎるんじゃないか、何か形式的だよねという感じがありました。たとえば裁判官が、起訴されたものだけについて話し合ってくださいというわけです。でも被告人の方は前にも2回やっていると言っている、3回やっていると。それなのに「いや、今日の起訴のだけにしてください」と裁判官は言うわけです。3回と1回ではまるで違いますから、それは今でも解せないですね。再犯性があるかどうか考えるわけです、私ら普通の人は。その方が、再犯しないように努めるのが我々ではないのか、1回だけのことを言っていて良いのか、考えました。
 プロの方だけだと、素人から見て何か解せないものもいっぱいありました。やはり、我々みたいなのがいて、少しかき回すような、いや参ったな、この人が来たらちょっとスムーズに行かなくなっちゃったよぐらいでもいいと思うんですよね。市民の感覚、感情ってありますから。ただ、バランスは考えますよ。やみくもにそういうことを言うわけではないです。ちゃんとバランスは考えます。
 皆さん、行きたくないなって過半数以上の方は思っているようです。私だって、じゃあ高須さん、もう1回やってもらえますかと言われたら、「いやあ……」と言うかもしれません。けれども、やはりやった後の達成感とか、清々しさとか・・・・。今、私、被告人の方と喫茶店か何かでコーヒーでも飲みながらお話したいような気がしますものね。ああいうことをやって、「ふざけるな、この野郎!」と思っていたんですけど、ほんとうに不思議なことなんですけど、そういうことが変わってくるんですよね。
 私の場合は2日間でしたけど、こういうすごい体験をさせていただくと、刑をどうのこうのというよりも、もう自分の人間性が変わっていくんです。そのことが、何か自分の中ではすごく大きいことだったなと思いました。法廷の方々には申しわけなかったんですけど、自分の人生観がものすごく変わるぐらいの、そういう衝撃的な体験だった。私の中では、いいことをさせていただいたなと今は思っています。