昨年の春に、裁判員候補者名簿登載の通知が来ました。茨城県では七、八千人の方に通知を出したということでした。私は、もし裁判員の候補者に選ばれたことの通知が来たら、逃げることばかり考えていました。そんなところに私が出る柄じゃない、茨城県の片田舎で鍼灸院をやっているおじさんが、とんでもないよみたいな思いがありまして。とにかく、やらない方法ばかり考えておりました。
裁判の2カ月ぐらい前に、2回目の通知が来ました。この時には、ちょっと近づいてきたかなと思いながら、それでも、やらない方法、辞退するにはどうしたらいいかなとかを考えていました。でも、そこに入っていたアンケートを見ましたら、残念ながら私の当てはまるものはなくて、あなたは今回は辞退は無理ですね、といわれているかのように感じました。現在、妊娠中ですかとか、裁判を受けていますかとか、私がいないと仕事にならないよというものが全然なくて。「これは来ちゃったな」、みたいな感じでした。
家族には、選ばれないだろうからすぐに帰ってくると言って、11月25日の朝、水戸地裁に行かせていただきました。天候が悪くて、どんよりした天気で。それでも、生まれて初めてですから、すぐに帰りたいし。そうしたら、裁判所の正門のところに、裁判員制度反対の人たちがいっぱいいて、素人が裁けるものじゃないだろう、みたいなことを言っているわけです。私は悪いことをしに行ったわけではないのですが、正門のところへ恐る恐る行って、「おれ、関係ないです」みたいな顔しながら裁判所に入っていきました。でも、こういう風貌なんで結構目立っていたみたいですけれども。
部屋に入って座ると、やはり何か刻々と迫ってくるものがあるわけです。学校の教室ぐらいの部屋に机がいっぱいありまして、四十五、六番まで番号がありましたが、実際に席に着かれたのは三十数名だったと思います。
私は、鍼灸院をやっていて、水戸までは1時間半か2時間ぐらいかかります。選任はされないから夕方には帰れると思って、夕方の患者さんはそのまま予約にしておいてと言い置いていました。ところが最終的には選ばれてしまったんです。
一番どきっとしたのは、小部屋での個別質問ですね。部屋に入ると、5人ぐらい、裁判官、検察官と弁護人の方がバッといるわけです、相対して。そういうところは生まれて初めてでした。でも別に難しい質問はなくて、事件の内容にかかわる場所の近くに住んでいますかとか、被害者になられた方が学生だったものですから、その学校にあなたの身近な方が行っていますかというようなことでした。これも、自分は全く関係ありませんでした。
結局裁判員に選ばれてしまいました。選任手続のすぐ後に、お昼だったんですが、みんなで外にごはんを食べに行こうかと言うと、裁判所の方が、できれば外へ行かないほうがいいんじゃないですか、マスコミの方たちがいらっしゃいますので、と言うんです。そこで弁当を頼むことになって、みんなで評議室で食べました。私はあわてて弁当を食べてから、女房に電話して、「午後の患者さん、夕方の患者さんも、診療できないからお断りして。」と頼みました。単に都合が悪くなりましたと言うと、患者さん、怒りますからね、痛くて来ているのに、ふざけるなということになるので。ですから裁判員に選ばれてしまって水戸の裁判所にいるんだと、はっきり話すように女房に伝えました。あとから聞いたら、苦情を言った患者さんは全然いなくて、「そんなことなら大変ですよね。頑張ってください。」と言われたそうです(笑)。
もう、そのころになると、結構度胸が据わってきて、何か、「どこからでもいらっしゃい」みたいな感じになってきまして。不思議なものですよね。さっきまで帰りたいなと思っていたんですけれども。そこまでいくと、逃げられないということもあるんでしょうけれども、逆にそういうふうになったんだから一生懸命やっちゃおうかなと切りかわりました。 |