裁判員制度施行一周年記念企画「裁判員経験者の声を聴くパネルトーク」
鈴木章夫氏  
鈴木章夫氏
 
千葉地方裁判所(第13号事件)2009年12月15日~17日
傷害致死事件 判決懲役6年(求刑:懲役10年)
 
【担当された事件概要】
 
 2009年12月15日から千葉地方裁判所で公判が開かれた裁判員裁判事件。被告人は、ホテルの部屋で、知人の男性の頭や背中を靴べらなどで殴ったり、蹴るなどして外傷性ショックで死亡させたとして起訴された。
選任手続
 
 私が担当した裁判員裁判は、千葉地裁の第13号事件ということで、それほどマスコミの関心がないせいか、裁判所に行った時には大騒ぎということはなかったです。
 裁判員候補者のリストに載ったという通知が来たのが、3月か4月ごろだったと思います。そのときは、これは多くの人に来るので自分が呼び出されることはないなと思っていました。中に入っていたアンケートを読んだら、自分は裁判員ができないという仕事や資格にあたらなかったので、そのまま返事も出さずに放置しておいたのです。ところが9月下旬になって、あなたが裁判員候補者に選ばれました、12月15日の午前9時に千葉地裁に来てくださいという内容の書類が届いたわけです。でも、その書類は大体100人ぐらいに届くということでした。
 12月15日から3日間と記してあったので、多少、仕事のあんばいをやりくりして、一応、何があってもいいようにして、当日裁判所に出かけました。私はくじ運の悪いほうなので、半ば当たることはないと思っていました。
裁判所に集まった人は50人ちょっとでした。その中から選ばれるのは、裁判員6人に補充裁判員を加えた8人。確率から言うと、まだ何分の幾つかなと思っていました。実際に番号を呼ばれたときは、これは大変なことだなと驚いたというのが実感です。
 裁判員選任に当たって、別室で裁判長から個別に質問を受けたのは、事情があって裁判員はできないと申し出た人だけで、当日集まった人全員が個別に質問を受けたのではありませんでした。裁判員に選ばれた後は、いきなり、別室で宣誓……。中身は忘れましたが、置いてあった紙に書いてあったことを、起立して読み上げ、宣誓しました。そのころから、次第に緊張が高まってきました。裁判長から裁判員の役割について説明がされたかもしれませんが、特に印象に残っていないですね。
 裁判員に選ばれる確率は低くて、ほとんど選ばれないと思って裁判所に行っても、現実には6人プラス若干名が選ばれます。皆様方に、実際の事件についての呼び出しが来たときは、一応、これはやる可能性がかなり高いと思って、心を決めて裁判所に行かれたほうが、私のようにうろたえないで済むかと思います。
 
 
審理・・・冒頭陳述
 
 法廷に入るときから、緊張しました。真ん中の裁判長の席の後ろにあるドアから入るのですが、まず裁判官から入ります。それから裁判員1番、2番、3番が入って・・・千葉では裁判員は番号で呼び、私は3番でした・・・右折して、中央に座る裁判官の右側3つの席に座ることになります。傍聴席側から見ると左側になりますが。続いて4番、5番、6番が入り、左折して、裁判官席の左側に行き、補充裁判員が続きます。ですから、ドアを開けて法廷に入るとき、ドアの前に一応順番どおりに並んで、まず裁判官、それから1、2、3が入った後、4、5、6が左折するとか、一応そういう(笑)、何か結婚式のときの新郎新婦の歩き方の確認みたいなことから始まったので、むしろそっちのほうが緊張して、私の場合はつっかかったりしてしまいました。
 裁判官・裁判員の席は、法廷のフロアより高くなっていて、意外に高いのでびっくりしました。1番、2番、3番と着席していきますが、なかなか座りにくいんですね。着席から素人で、もちろん初めてですので、緊張しました。
 すぐに、検察側と弁護側の冒頭陳述があったんですけれども、話そのものは割合わかりやすく話されていました。ただ、席に座るのがやっとという緊張状態ですぐ始まるものですから、なかなか頭に入らなくて、その場で話を聞きながら理解するというところまでいかなかったですね。三、四十分ぐらいそれを聞いた後、すぐ短めの休憩がありました。検察官も弁護人も何か整理したペーパーを配っていたので、評議室へ戻ってそういうのを見て確認し合ったり、また裁判長が助言してくれたり、そういうようなことで初めて、頭に入るという感じでした。法廷で検察官と弁護人が言っていること自体は、我々はその事件の前に何があったのか知らないし、事件がどういう中身かも全く知らないまま、そこにぽっと放り出されたような思いなので、そこで初めて聞いて理解するというのは、なかなか難しかったですね。
 
 
審理・・・証拠調べ
 
 私の担当した事件では、検察側も弁護側もいわゆる証人はいませんでした。検察側は、男性の検事とそれから女性の検事、二人。弁護士さんのほうは一人。凶器でたたいた傷害致死事件だったんですけど、凶器は法廷に出されて、我々もそれを評議室まで持って帰って、実際に手にしたり、見分をしたりしました。
 被告人質問は、両方とも比較的中身はわかりやすかったです。ただ、私の事件は被告人が事実関係を認めていて、量刑がポイントだというような感じが、何となく弁護士さんのほうからも伝わってくるような進行だったので、それほど複雑なやりとりとか、双方の意見が違うとか、そういうようなことはなかったですね。
 私が座った3番という位置は、被告人・弁護人に近くて見やすくて、検察側はちょっと身を振らないと見えないので、被告人をずっと見ていることが多かったです。ただ、被告人の方は割合無表情で、ほぼうつむきかげんで、あまり検察側の言っていること、弁護側の言っていることなどに対して、それほど極端な反応はしない方でした。
 
 
審理・・・裁判員から被告人への質問
 
 私には1つ疑問点がありました。私たちの担当した事件は、被告人が親から受け継いだ遺産をもとに飲食店を始めようと計画したんだけれども、その途中で友人とトラブルになって、暴行して殺害してしまったという事件なんです。冒頭陳述の中で、遺産の額というのが具体的に出てこないんです。それで、ほんとうにトラブルになるほどのお金だったのかどうかということも含めて聞きたかったんです。でも、私が質問する前に、被告人質問の途中でその話が検事の口から出てきました。結局400万ぐらいだったということで、飲食店を出すにしては随分少ない額だなと感じました。
 それ以外には、事件の暴行現場に、バンドエイドなんかが散らばっている証拠写真があったんですけれども、バンドエイドを使うというのは、少なくとも傷の手当をしたんじゃないか、殴っている間に血が出たから、このバンドエイドを使ったんじゃないかということで、私以外の裁判員が、「何でバンドエイドを使ったんだ」ということを質問していました。
 
 
論告・最終弁論
 
 検察官は男性と女性の方だったんですけれども、最初に男性検事が、論告・求刑を述べた後、女性検察官が、被害者、殺された方の母親の手紙というのを読んだんです。これがなかなか上手な読み方で、母親の心情を書いた手紙、うちの息子は非常にお母さんに優しかったと、誕生日にはいつも何か買ってくれたと、そういうようなことを書いた手紙でした。検察の意図としては、こういういい子を殺しちゃった犯人は憎い人だと、そういうことを言いたかったんだと思います。検察官は、そういうふうに被害者の母親の手紙を朗読して論告を終えました。
 一方、弁護士さんのほうは、当初から事実関係を争うというよりは、被告人にも事情がいろいろあるので、できるだけ穏便な量刑をお願いしたいといったような雰囲気がかなりあるような感じで、具体的にこれは間違っていると、これは違うと、そういうようなことは述べませんでした。印象の度合としては、少し薄かったなという感じはしました。精いっぱい被告人の情状というんですか、そういうことを思っている、それ自体は理解できました。
 
 
評議
 
 裁判は、2日目の午前中に論告・求刑と最終弁論がありまして、評議はその日の午後から行いました。これが、この3日間の裁判を通じて、一番長い時間がかかった作業でした。終わったのが、5時か、5時半か6時。もう冬の日がとっぷり暮れて、暗くなっていました。評議にかかった時間は5時間から6時間ぐらいだったと思います。翌日、判決ということになりました。
 ただ、1日目に冒頭陳述から始まって、2日目の午前中にもう求刑、2日目の夕方までには裁判員の間では量刑が決まっているというのは、単純な事件にしても、ちょっと早いなという感じはしました。量刑に入るまでの法廷での実際の審理というのは、1日弱ぐらいなわけです。我々の場合は傷害致死でしたが、被告人は事実関係を認めていて、証人も出てこないような裁判でした。ですから、そんなものかなと思うし、あるいは裁判員に長時間の負担をかけないための措置だったかもしれませんが、印象としては、もう1日ぐらいいろいろあってもよかったかなという感じはしました。
 評議そのものは、裁判所側がいろいろ気を使ってくれて、リラックスするような感じで休憩を何回か挟んだり、そんなこともあって割合順調に進んだんじゃないかと思います。
 私たちの事件では、求刑が懲役10年でした。それで、量刑の検討に入るんですけれども、とにかく10年というのが1つの目安になりました。また裁判所から、量刑のデータが出されました。我々は全くのど素人ですから、やはりその量刑データというのを、私は個人的には重視しました。専門家ではありませんのでわかりません、本当のところになると。
 弁護人は、具体的な量刑については何も言いませんでした。それで結局、裁判所から出された似たようなケースについての資料が参考になりました。
 休憩中にお茶を飲んだり、食事のときなどは、その裁判の話はほとんどしなかったですね。裁判長は結構全国各地に赴任されているようで、そういう地方の話とか、世間話に終始しました。
評議室の中には、一つは「疑わしきは被告の利益」だったような気がしますが、そういうことを書いた紙が、いたるところに貼ってありました。内容は、正確には覚えていないんですけれども。同じものが何カ所にも貼ってあって、裁判員はどの位置に座っても見えたと思います。
 
 
感想
 
 私、実は最後まで疑問に思っていたことがあるので、それを一言述べたいと思います。
 裁判所に行って、裁判員に選任されるときに、呼び出された本人であるか、身分証明書も何も見ないんです。くじ引きで裁判員に決まった人は、みんなそう言っているんです、「妹が来てもよかったのかな。」なんて。現実に、確認しないんです。今、ビデオ屋に行って借りるときでも免許証を見せろとか、宅急便を引き取りに行くときも何だかんだうるさいです。
 つまり、ほんとうにこの人が呼び出した人かどうかということは、裁判所は一切考慮していないんですね。僕は3日間行って、最後に自分の中で、つまりこれは、結局裁判員は、「何の何がし」という「人」ではなくて、人間が、日本人が6人いればいいんだという考えがあるんじゃないかというふうに思いました。我々個人としての市民の感覚というものは、ほんとうは個人の中から生まれてくるもので、それぞれの個人に存在するものではないかとは思うんです。それを、単なる数合わせだけとしてしか考えていなかったとしたら、この制度はそれでよいのだろうかと思ってしまいました。
 終わってからそんなことを言っても始まらないんですが、実はそのことが最後までちょっと引っ掛かっていました。この話をもし裁判所が聞いたら、これから急に、免許証を見せろとか、くじ引きで受かった人に保険証を持ってこいとかって言うかもしれませんけれども、あれだけ厳格な裁判所が、実に、その部分では非常にラフに感じられましたね。
 おそらく、私は二度と裁判員になることはないと思いますし、とても大事なことは、やろうと思ってもできないんですね。いくら「おれにやらせろ」と言ってもできない、システム上できません。もし皆さんの中で、そういう機会がありましたら、ぜひ嫌がらないで積極的に参加されたほうがいいと思います。自分の考えというもの、あるいは人生観だとか、家族だとか、いろいろなものを考えさせられる、私にとってもそういう3日間でした。