性同一性障害者の法的性別に関する意見書

2003(平成15)年7月8日
日本弁護士連合会


 

本意見書について

第1 はじめに

1 1997年7月、日本精神神経学会の性同一性障害に関する特別委員会から「性同一性障害に関する答申と提言」が公表され、1998年、同提言にまとめられた治療のガイドライン(第1版)に基づき、性別適合手術が行われた。これにより、性別適合手術を行った医師が処罰された、いわゆるブルーボーイ事件以来、母体保護法第28条(同法に規定した以外の不妊手術を禁止する規定)により困難とされた性別適合手術を含めた性同一性障害に対する治療の道が開かれ、ガイドライン公表後、多くの人が性同一性障害の診断を受けると共に、性同一性障害の存在自体が社会に認知されるようになった。


一方、性同一性障害に関して関心が向けられるようになったことから、性同一性障害を有する人の置かれた社会的な状況、とりわけ、戸籍を中心とする身分証明に関して生じる問題状況についても明らかになってきている。


2 こうした中、2001年5月、日本弁護士連合会に対し、日本精神神経学会より、性同一性障害を有する人の医学的性別と法的性別の一致を求める要望書が提出された。


この要望書を受け、日本弁護士連合会人権擁護委員会において調査を行い、今般、戸籍訂正に関する意見書をまとめた次第である。


特に、現在国会に提出されている「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律案」について、一定評価しつつも、戸籍変更の要件に問題があると考え、意見を述べるものである。


第2 性同一性障害者の現状、戸籍変更の必要性

1 性同一性障害とは「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性に属しているかをはっきり認知していながら、その反面で人格的には自分が別の性に属していると確信している状態」を言い、同障害を有する者は、正確な把握は困難であるが、日本において数千人存在すると言われている。


性同一性障害を有する者は、幼少の頃より、自らの性自認に従った行動を取る様になることが多いとされるが、とりわけ第2次性徴を受け入れることができず、自傷行為を行うなどの状態にまで至ることもある。こうしたことから、1997年、日本精神神経学会は、「性同一性障害に関する答申と提言」を発表し、性別適合手術を含めた、性同一性障害に対する治療の指針を示し、性同一性障害に対する医学的救済の道を開いた


2 しかしながら、性同一性障害を有する者が、治療によって性自認に従った性としての外見を獲得し、それに基づいた社会生活を確立しようとする際に、戸籍を中心とする身分証明上の性別、いわば法的な性別が依然として変更できないため、社会適応を阻害されているという事実が認められる。具体的には、身分証明書の提示によって性同一性障害を有することが明らかになることをおそれ、職場に戸籍謄本を提出できず、安定した職を得られない、同様に保険証の提示もできないため、保健医療を受けることができないといった事例が存する。当会においても、性同一性障害を有する者からの戸籍訂正を求める声を受け調査した結果、その人権侵害の深刻な実態を認識し、戸籍訂正の方法、その要件を検討してきた。


第3 戸籍変更の要件

1 戸籍変更の基本的要件


当会はこれまでの検討を踏まえ、戸籍変更の要件を以下のとおり考える。


(1) 生物学的性と異なる性としての、強固、かつ、長期間にわたる性自認
(2) 性別適合手術による、生物学的性と異なる性に近い外見の獲得
(3) 生殖能力の欠如
(4) 変更後の性自認の持続の蓋然性
(5) 婚姻していないこと
(6) 子がいる場合には、子の福祉を害しないこと


2  (1)ないし(4)の要件について


(1)ないし(4)の要件は、基本的に、日本精神神経学会の治療に関するガイドライン(第2版)における、第3段階治療を終了した段階と一致する。


まず、性自認の強固さについては、第3段階治療に至るまでに、生活歴の聞き取り等を伴った性同一性障害の診断がなされ、治療と並行して精神科領域の専門家によるカウンセリング等も行なわれており、それらを通じて、性自認の安定性が検証されている。各段階の治療が「前段階の治療では社会適応が得られないこと」を条件に進められていることからすれば、第3段階治療を受けるに至る者が、性別訂正判断時の基準である「強固な性自認」を有していると判断できるのである。


また、第3段階に至った場合、すでにその治療によって、生物学的性と異なる性に近い外見の獲得、生殖能力の欠如という条件も満たされる。


さらに、第3段階治療の条件として、一定期間、性自認の揺らぎがないかを検討する期間も設けられており、第3段階治療を経ている場合、性別変更後の性自認の持続性についても、十分満たすものであると思われる。


もっとも(1)ないし(4)の要件は、単に「ガイドライン(第2版)の第3段階治療を経ていること」自体ではなく、個別の要件として考えるべきである。


なぜなら、1つには、ガイドラインの第1版から第2版では、第3段階治療に至るまでの治療内容が変更されているため、今後も治療的な側面から、第3段階の治療条件が変更される可能性も十分考えられるからである。(1)ないし(4)の要件は、少なくとも現在のガイドラインの程度に、慎重な手続きを経て性別適合手術を行った場合に満たされると考えるべきである。


2つ目には、現在でも、ガイドラインから外れた治療が行われており、そうした治療を受けたとしても、直ちに戸籍訂正の道を閉ざすべきではないからである。少なくとも、ガイドラインと同程度の慎重さをもって、性自認の強固さ等を確認することにより(具体的には、複数の専門家による診断や、一定期間の性自認の変動のなさの調査を行うことによって)、上記要件を満たす場合があると考える。


3  (5)、(6)の除外要件について


さらに、家族法等との調整も勘案し、 婚姻していないことも要件とすべきである。この要件を満たさない場合には、同性婚を認めるか、離婚や婚姻無効といった法的な処理までを行わねばならないからである。


これに対し、子がいないことは、それ自体を要件とすべきではなく、「子がいる場合には、子の福祉を害しないこと」を要件として求めるべきと考える。


確かに、子がいること自体は、戸籍訂正を求める以前の性自認の安定性について、疑問を生じさせる点ではある。


しかしながら、性自認の安定性については、それ自体が要件として検討されるのであるから、子を持つに至った経緯をも含めて、性自認の安定性を認めることができるかどうかを判断すれば良いのであり、子がいることが直ちに性自認の安定性を否定するとまでは言えないと考えられる。


これに対し、「子の福祉」の観点は極めて重要であり、この点から「子がいないこと」を要件として求める意見が出されることは理解できる。しかし、性同一性障害を有する者に子がある場合、戸籍訂正による子の福祉への影響を考えざる得ないことは確かであるが、それは、戸籍訂正を求める者と子の関係、具体的には、子の年齢、親権・監護権の有無、子を含めた親族等の意識、戸籍訂正以前の生活状況等、個別に判断すべきことであり、全ての場合において、戸籍訂正が子の福祉を害するとは言い得ない。


よって、子がいることを一律に除外要件とすることは適当でないと考える。


第4 外国法制の検討

1 諸外国においては、性別変更について、立法による対応を行っている国が多数見られるが、司法による対応を行っている国もある。


2 スウェーデン(立法による対応)


スウェーデンにおいては、すでに1972年に性別変更の手続きを含めた「性の転換に関する法律」が制定されており、変更申請の要件として、「(1)申請者が18歳に達している。」「(2)不妊手術またはその他の理由による生殖能力を有しないこと。」「(3)未婚であること。」の3点を定めている。


3 ドイツ(司法及び立法による対応)


ドイツも、1980年に性転換に関する法律を定め、性別変更の問題に立法的対応を行っているが、この法律の制定に先立って性別変更を認める判決もなされている。


1980年に制定された法律では、(1)「性転換症的性格のため、出生届に申告された性とは別の性に所属する自覚をもち、かつ、少なくとも3年以上、その自覚と一致した生活を求め強い圧迫感のもとに置かれている」性自認と、(1)結婚していないこと、(3)長期の生殖不能者であること、(4)外的性徴表を変更する手術を受け、それによって他の性の表現形と明らかに類似するに至っていることを要件としている。また、性別変更の効果について、性別に由来する権利義務は、新たな性に従うとされるが、親子関係についての法律関係には、遡及的な影響がないことも規定している。


4 フランス(司法による対応)


フランスでは、性別変更に関して特別な立法はなく、判例によって身分証の性別表記の訂正が認められている。


判決で示された要件は、(1)性同一性障害であること、(2)治療目的による医学的・外科的治療の結果、元の性の特徴を失い、他の性に近似する身体的な外見を獲得していること、(3)別の性による社会行動をとっていることの3点である。


第5 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律案について

1 今般、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律案が国会に提出され、参議院では全会一致で可決されており、今国会で法律が制定される見込みである。


かような法案が国会に提出されたことは、性同一性障害を有する者の置かれた状況の改善への重要な一歩として積極的に評価できるところである。


2 しかしながら、上記法案は、戸籍変更を認める要件として、「現に子がいないこと」を要求しており、その点について疑問があると言わざるを得ない。


その理由は既に述べた通りであり、現在の法案において定められている「現に子がいないこと」という要件を「現に子がいる場合には、子の福祉に反しないこと」と改めるべきだと考える。


性同一性障害を有する者の置かれている現状を考えれば、戸籍変更を認める立法は早期に制定されるべきである。しかし、それがかえって一部の性同一性障害者の権利を不当に阻害することになってはならない。そのため、戸籍変更要件について、当事者や専門家の意見も十分に聴取して、議論を尽くすことを求める次第である。


また、仮に「現に子がいないこと」を戸籍変更の要件とする法律が成立したとしても、同立法によって全てが解決したと判断するのではなく、それが十分な救済となっているか、不備はないか等を調査し、必要な見直しを行なっていくべきである。もちろんその際には、戸籍変更の要件の点にとどまらず、性同一性障害を有する人々が、雇用や社会保障その他生活全般の局面に亘り不利益・差別を受けることがないよう、検討していくべきである。


以上


 

参考