短期賃借権の廃止に反対する意見書

2003年3月14日
日本弁護士連合会


 

本意見書について

第1 意見の趣旨

平成15年2月5日法制審議会総会で決定された担保・執行法制の見直しに関する法律要綱において、いわゆる短期賃借権について、執行妨害のおそれが高いとして、短期賃貸借制度そのものを廃止している。


しかし、短期賃貸借制度は、一部濫用事例が見られるとしても、その殆どは正常な賃貸借であり、制度それ自体を廃止することは妥当ではない。そこで、濫用的短期賃貸借に対する保全処分の拡充を検討するものとして、短期賃貸借制度それ自体は存続させるべきである。


第2 意見の理由

1 現在の担保執行法制の見直し作業における短期賃貸借についての検討状況

(1) 担保執行法制の見直しに関する要綱中間試案


平成14年3月に公表された「担保執行法制の見直しに関する要綱中間試案」(以下、「要綱中間試案」という。)において、建物に関する抵当権に後れる賃貸借の取扱について、A案(廃止案)として、「抵当権に後れる賃貸借は,その期間の長短にかかわらず,抵当権者(買受人)に対抗することができないものとする。」とされ、またB案は基本的に短期賃貸借制度修正案であり、B1案(として「[2年]以内の期間の定めのある賃貸借は,抵当権に後れるものであっても,その期間内に限り,抵当権者(買受人)に対抗することができるものとする。」、B2案として、「抵当権に後れる賃貸借は,抵当権の実行による抵当不動産の売却後一定の期間(例えば,残期[6月])以内に限り,抵当権者(買受人)に対抗することができるものとする。」という案が検討されていた。そして、B案はいずれも短期賃借権が抵当権者に損害を与えるときには、抵当権者がその解除を裁判所に請求しうるとしていた。


その後、要綱中間試案に対し、様々な意見が寄せられ、とりわけ日弁連や執行専門部を有する大規模裁判所からは、B案を支持する意見が出されるなどしたにも拘わらず、短期賃貸借にはその濫用に対する弊害が大きいとして、廃止される方向で検討されていた。


(2) 法律要綱


平成15年2月5日に法務省法制審議会総会で採択された法律要綱において、短期賃貸借は、「1 抵当権に後れる賃貸借は、その期間の長短にかかわらず、抵当権者及び競売における買受人に対抗できないものとする。2 抵当権の登記後に登記された賃貸借は、これに優先するすべての抵当権者が同意をし、その同意について登記がなされたときは、1にかかわらず、当該抵当権者及び競売における買受人に対抗することができるものとする。3 抵当権者に対抗することができない賃貸借により建物を占有するもの(競売による差押えの後に強制管理等によらず占有を始めたものを除く。)に対しては、建物の競売によりその所有権が買受人に移転した時から3月間の明渡猶予期間を与えるものとする。」とされている。


従って、最終要綱は、中間試案A案を徹底し、抵当権者の同意登記によって、抵当権に遅れる賃借人を保護しようとするものである。しかし、抵当権設定後賃借人が入れ替わる毎に、新賃借人は全ての抵当権者から同意登記を得なければならず、その実効性に疑問がある。しかも、この同意登記については、賃借人が誰であるのか、賃料の額がいくらであるのか、存続期間、敷金の額など登記事項の全てにわたり抵当権者が同意することが必要なのであるから、抵当権者がこれらを全て同意する超優良賃借人のみが保護されることになるだけであると思われる。


2 要綱の問題点

(1) 現在の我国の賃貸借


民間の賃貸マンション・アパート・賃貸オフィスビル・テナントビル等は、その殆どに抵当権が設定されている。従って、大多数の市民・企業が、その生活・活動の基盤たる住居・店舗・オフィスを短期賃貸借により取得し生活・事業を営んでいる。そのため、これら大多数の賃借人は、正常短期賃貸借として保護されていたものである。ところが、今回の改正は、およそ抵当権に後れる賃貸借は、一律に抵当権者及び買受人に対抗できないとするものであって、現在の我国の賃貸借市場からいってその基礎からの変更といわざるを得ない。


かかる改正がなされれば、「地震売買」ならぬ「地震競売」が頻発することになり、正常な賃貸借市場の形成が阻害されることになる。


そもそも、民間の賃貸ビルは、賃料収入による収益を上げることを目的に建築されるのであるから、正常な賃借人と賃貸借契約を締結することを目的に建築されている。従って、通常の買受人にとっても正常な賃借人との契約が承継されることが望ましいはずである。ところが、法的に「地震競売」が頻発することが前提になると、従前の賃貸人と賃貸借契約を締結した賃借人にとって、どのような買受人が現れるかが不明であり、競売手続後に明け渡しを要求される可能性がある以上、賃貸物件に対する内装等の設備投資を控えることになる。その結果、優良賃借人の定着率が低くなることになろう。更に、後述のように敷金の確保が困難であるから、賃借人は賃貸人に敷金などは預託しないということになる。


これは、賃貸物件の所有者である賃貸人のみならず、その物件を担保にとっている抵当権者にとっても、望ましい状態ではないはずである。


(2) 執行妨害と短期賃貸借


要綱は、短期賃貸借は執行妨害として利用されているとする。確かに、いわゆる非正常な短期賃貸借が存在することを否定することはできない。しかし、およそ非正常賃貸借に対して最も利害関係を有するのは、かかる非正常賃貸借により適正な価格で売却することができない抵当権者である。従って、非正常賃貸借による適正な競売市場の阻害の問題については、抵当権者による適切な解除請求や、売却のための保全処分(民事執行法55条)の改正によることで必要充分である。


今回の要綱は、自らの債権回収につき、必ずしも積極的ではなかった抵当権者を賃借人という第三者の犠牲の下で保護しようとするものであって、その妥当性に重大な疑問が残るものである。


(3) 抵当権に基づく収益管理制度との関係


担保執行法制の改正では、従来の債務名義に基づく強制管理にくわえて、抵当権者による収益管理制度を創設することとされている。そして、この収益管理制度は、競売手続きとは別個になされる制度であるとされている。そして、管理人は新規賃貸借を締結することができるとされている。


ところが、抵当権者申立の収益管理における管理人が締結した賃貸借は、当該抵当権に劣後することは明らかであるから、収益管理と別に競売手続が進行し、買受人が現れた場合には、管理人と賃貸借契約を締結した賃借人も退去を求められることになる。かかる結果に陥ることは、収益管理制度それ自体の実効性を著しく阻害するものであり、同一の法改正手続で行うこと自体、矛盾をはらみ失当である。


(4) 敷金との関係


また、今回の改正において、短期賃借人は3月間の明渡猶予は認められるとしても、買受人は、敷金の返還義務を承継しないということになる。従って、賃借人は、収益物件を競売され、著しく信用が劣悪化した賃貸人に対し無担保債権たる敷金返還請求権を行うことになる。賃借人にとって、かかる敷金返還請求権の実現可能性が殆どないことは明らかであるから、賃借人は、賃料を未払いとした上で、未払い賃料を敷金に充当すべきであるとの主張がなされることは明らかであろう(平成14年3月28日最高裁判所判決参照)。


従って、抵当権者が上述の収益管理を行っても、或いは従来とおり物上代位を行っても、買受人に敷金が承継されない以上、賃借人は自らの敷金返還請求権と同等の経済的利益を確保するために敢えて賃貸借契約における賃借人の本来的義務である賃料の支払いを遅延させることになると思われる。


かかる事態は、執行現場を現在以上に混乱させるものであり、何ら妥当性は見出せない。従って、敷金との関係でも、およそ買受人に引き継がれないとすることは妥当ではないのである。


(5) 担保権消滅請求制度との関係


現在、担保執行法制と並行して改正が進められている破産法改正において、破産管財人による担保権消滅請求制度の創設が議論されている。これは、破産管財人主導の任意売却が、不動産競売より抵当権者にとって有利であるとの実務の現状を前提とした法改正である。ところが、任意売却の場合には、賃貸人たる地位はいわゆる状態債務として買受人に承継され、その結果敷金返還義務をも承継されるのに対し、今回の短期賃貸借の改正では、競売による取得の場合買受人は賃貸借契約も敷金も承継しないことになる。かかる改正がなされると、抵当権者にとっては、管財人による任意売却を選択するメリットは全く無く、不動産競売手続を選択すべきことになる。


かかる法改正を同時に行うことは、法制度が相互に矛盾することとなり、全く妥当性を欠くものである。


(6) 不動産鑑定実務との関係


また、現在不動産鑑定実務において、再調達価格を前提とする積算方式から、当該物件の収益を前提とする収益還元方式とりわけDCF法へ評価方法が代わろうとしている。ところが、短期賃貸借制度を全廃すると、買受人との関係で賃借人がゼロということになるからDCF法の前提たる期間賃料の算定ができなくなる。この結果、不動産競売手続における最低売却価格の算定が著しく困難になることは明らかである。


すなわち、今回の改正は、不動産競売手続の全体からすれば、むしろそれを阻害する改正といわざるを得ないのである。


3 結論

よって、早急に短期賃貸借制度の存続を前提とした法改正を行うべきである。


以上