あるべき主権者教育の推進を求める宣言―民主的な社会を担う資質を育むために―

2015年6月17日に公職選挙法等の一部を改正する法律が成立し(同年6月19日公布)、公職の選挙の選挙権を有する者の年齢が満18歳以上に引き下げられた。これに伴い、高等学校における必修科目「公共(仮称)」の新設など、主権者教育の実施に向けた動きが急速に進んでいる。

 

ところで、主権者とは政治的権威の帰属主体を示す概念であり、有権者ではない子どもたち等も主権者に含まれる。よって、教育基本法第14条第1項が子どもたちに学習を保障している「良識ある公民として必要な政治的教養」とは、政治制度や選挙制度についての知識にとどまらず、自由で民主的な社会と立憲民主主義国家を担う資質でなければならない。そして、そのような社会や国家を担うためには、多様な価値観を適切に調整するための判断基準となる法の原理原則を理解し、価値観の異なる他者との理性的な議論の技能を習得することが必要であり、さらには、これらの知識や技能を学校や地域社会等身近な生活の中で活用しようとする意欲や態度を身につけることも必要となろう。また、そのためには、自由闊達な意見表明や議論を可能とする学習環境の整備も不可欠である。

 

当連合会は、このような資質や能力を育むために、2009年11月、「人権のための行動宣言2009」において、憲法や法の背景にある原理原則を理解し、紛争を自律的に解決する力量を備えた市民を育む「市民のための法教育」の推進を宣言し、以降、この「市民のための法教育」の実践において、教育現場を支援する多様な活動を展開してきた。ここでいう「紛争を自律的に解決する力量」とは、意見の対立点を明確にした上で他者との理性的な議論を通じて合意を形成する能力であり、主権者としての政治的判断や政治参加のために不可欠な能力でもあるから、主権者教育においても、このような資質や能力を育んでいくべきである。それによって、子どもたちは、意見表明権(子どもの権利条約第12条)や表現の自由(憲法第21条、子どもの権利条約第13条)等を行使しつつ各自の幸福を追求していける資質や能力を身につけていくことになり、ひいては、そのような資質や能力について、子どもたちの学習権(憲法第13条、第26条、子どもの権利条約第28条、第29条)を強く保障することにもつながっていく。

 

ところが、現に学校現場に導入されようとしている主権者教育については、いくつかの懸念を払拭できない。まず、学習内容の点では、中央教育審議会が2015年8月に公表した論点整理の検討過程(2015年5月25日教育課程企画特別部会)において配布された資料には、英国が2002年に義務化した「公共生活に影響を与える意思、能力、素養をもった能動的な市民を育成するための教育(シティズンシップ教育)」の日本における取組事例が「規範意識や社会モラルの低下、奉仕の心や公共心の欠如」ないし「規範意識やマナーの低下傾向」に対処するものとして紹介されている。もとより、主権者教育においては、政治制度や選挙制度等の社会制度を知識として学習することも当然に必要となるが、新科目「公共(仮称)」の提言過程に鑑みて懸念されることは、そのような知識の獲得自体が目的とされたり、さらには、これを無批判に受け入れるような態度が「規範意識」や「公共心」として指導・教育されることになりかねないということである。このような主権者教育が学校現場に普及すれば、理性的な議論は阻害され、現在の制度を憲法的価値や法の原理原則に照らして批判的に吟味するという市民的資質が育まれることは全く期待できなくなるであろう。次に、教育実践及び学習環境の点では、2015年10月29日付け文部科学省通知(27文科初第933号)は、教師に対しては、「個人的な主義主張を述べることは避け、公正かつ中立な立場で生徒を指導すること」を求め、学校に対しては、学校内外における生徒の政治的活動を制限又は禁止する措置に言及している。この文科省通知により、現実の政治的な課題を授業で扱うこと自体を避けようとするような萎縮効果が教育現場に生じたり、現実の政治的課題について子どもたちが学校内外で自由闊達に意見を表明したり議論したりすることが過度に制限されることとなりかねない。もしそうならば、学習内容が不適切な場合と同様に、子どもたちが市民的資質を身につけたり実際に活用したりすることは期待できなくなる。

 

よって、国は、学校現場への主権者教育の導入に際して、主権者教育の学習内容、教育実践及び学習環境に関し、以下の施策を行うべきである。

 

1 学習内容については、法務省法教育研究会報告書(2004年11月)が提言する「憲法の意義」すなわち立憲主義の学習を重視すべきである。また、現代社会の諸問題を考える上での基本的視点として現行学習指導要領が明記する「幸福・正義・公正」といった法の基本価値の学習も、これまで以上に重視されるべきである。さらに、価値観の異なる他者との理性的議論のために、事実と論理のみに基づいた法律家の議論の仕方(法的三段論法)を政治的・道徳的な議論全般に利用できる技能(例えば「トゥールミン・モデル」と呼ばれる議論の技能)等を習得することが推奨されるべきである。

 

2 教育実践については、第1に、教師の教育的裁量が尊重されるべきである。すなわち、直接に特定政党を支持し、又はこれに反対することを目的とする場合を除き、教師が自己の見解を率直に述べることも有効な教育手法の一つとして許容されるべきであり、また、副教材ないし補助教材の使用について、教育委員会への届出や承認を得ることを求める運用をすべきではない。第2に、外部専門家としては法の原理原則及び議論の専門家である弁護士が中心的に活用されるべきであり、当連合会が推進している弁護士学校派遣事業等を活用して弁護士の授業への参画を積極的に推進するほか、授業づくりにおいても、教師と弁護士が協働して多様な授業を各地で展開していくことが推奨されるべきである。

 

3 学習環境については、学校や地域社会等の子どもたちの身近な生活の場を民主的な議論の場として構築していくために、特別活動の時間を活用する等して、学校や学級内の現実的な問題や課題を議論の素材とすべきである。また、実社会における現実の政治的課題についての子どもたちの自由闊達な意見表明や議論も推奨されるべきである。そのような観点からすると、授業その他の学校教育の場面における政治的活動の一律禁止、放課後や休日における学校内外での政治的活動の必要最小限度の制約を超える制限や禁止、あるいは政治的活動の届出制を定める校則制定を許容する扱いは、表現の自由等の保障の観点から違憲・違法の疑いもあり、見直されなければならない。

 

当連合会は、国に対し、これからの主権者教育において、子どもたちの自主性・自律性を最大限に尊重しつつ、自由で民主的な社会と立憲民主主義国家を担う市民として必要な資質や能力を十分に育むために、上記のような取組を強化することを提言する。

 

また、当連合会自身も、主権者教育において果たすべき役割が重大なものであることを自覚し、弁護士学校派遣プロジェクトの一層の推進、授業づくりや教材作成における教育現場との協働、会内における研修の実施、会内外における啓発活動等の「市民のための法教育」の実践を継続し、民主的で開かれた社会を次世代へ引き継ぐために全力を尽くすことを表明する。

 

以上のとおり宣言する。

 

2016年(平成28年)10月7日
日本弁護士連合会


提案理由

第1 はじめに

民主的な社会とは、単に市民が政策決定過程に参画したり、多数決によって政策が決定されたりするというだけの社会を意味するわけではない。政策決定の過程においては少数意見をも尊重した理性的な議論が行われ、政策の選択においては共同体全体の利益だけでなく個人の自由や権利への配慮もまた十分に行われることが、民主的な社会の本質である。したがって、このような民主的な社会及び立憲民主主義国家を担うべき主権者に必要な市民的資質とは、立憲主義を含む法の原理原則を理解し、これを前提に価値観の異なる他者と理性的に議論して、正義や公平に適った合意や解決を自律的に創造していく資質に他ならない。

 

それゆえ、これから学校現場に導入されようとしている主権者教育は、このような市民的資質ないし能力を育むことを目指すものでなければならず、選挙権を行使するために政治制度や選挙制度についての知識を学習することにとどまるものであってはならない。教育基本法第14条第1項が教育上の尊重を要請している「良識ある市民として必要な政治的教養」の意味も、現代民主政治上の各種制度についての知識を身につけることにとどまらず、現実の政治の理解力、これに対する公正な批判力、民主国家の国民として必要な政治道徳及び政治的信念を含むものと解釈されている(教育法令研究會『教育基本法の解説』115頁、國立書院、初版、1947年)。もとより、ここでいう批判力や政治道徳及び政治的信念は、独断的なものであってはならず、歴史の教訓を通じて人類が共有するに至った立憲主義を含む法の原理原則に立脚し、かつ、意見や価値観を異にする他者との理性的な議論を通じて主体的に獲得されるものでなければならないのである。

 

第2 主権者教育と「市民のための法教育」の共通性

前記のような見地から、当連合会は、2009年11月、「人権のための行動宣言2009」において、憲法や法の背景にある原理原則を理解し、紛争を自律的に解決する力量を備えた市民を育む「市民のための法教育」の推進を宣言し、以降、教育現場を支援するための多様な活動を展開してきた。同宣言は、直接に主権者教育に言及するものではないものの、同宣言でいう「紛争を自律的に解決する力量」とは、共同体に波風を立てないために他者と異なる意見を述べることを回避するといった消極的なものではなく、意見の対立点を明確にした上で、他者との理性的な議論を通じて合意を形成する能力であり、これは、まさしく主権者としての政治的な判断や政治参加のために不可欠な能力でもある。

 

この点、「民主的な社会を担うべき理想的市民の育成」を教育理念に掲げる米国の法関連教育カリキュラムの多くが、理想的な市民に求められる資質として政策決定過程への参加能力と紛争の自律的解決能力を併記しているのは、民主的な社会において政策決定過程に参加するためには、私的紛争を自律的に解決する場合と同じように、近代法の原理原則の理解及び他者との理性的な議論の技能が不可欠であるからに他ならない。

 

第3 主権者教育における弁護士・弁護士会の役割の重要性

1 当連合会におけるこれまでの取組

当連合会は、1990年代の前半から司法教育への取組を始め、1993年5月に「司法に関する教育の充実を求める決議」を採択し、1998年11月には、「司法改革ビジョン」において司法教育の推進を提言した。そして、2001年6月に公表された司法制度改革審議会意見書において司法教育の充実が提言されたことを背景として、2002年度の会務執行方針に、市民のための法教育について積極的な取組を開始することを掲げた。そして、翌2003年には、「市民のための法教育シンポジウム2003-弁護士会が取り組んできたこと・取り組むべきこと」を開催し、同年、自由で公正な民主主義社会の構成員を育成・支援するための教育方策の策定・実践等を目的とする「市民のための法教育委員会」を設置して、「市民のための法教育」の普及と推進に向けた具体的取組を始めた。さらに、2009年11月、「人権のための行動宣言2009」において、法律知識や裁判員制度の概要の教育にとどまることなく、憲法や法の背景にある原理原則の理解のうえに紛争を自律的に解決する力量を備えた市民を育むことを目的とする「市民のための法教育」の推進を宣言したことは、前述のとおりである。また、各弁護士会や弁護士会連合会にも法教育を担う委員会が続々と設けられ、各地の実情に応じて地域に根ざした様々な活動が展開されてきている。

 

このように、当連合会及び各地の弁護士・弁護士会は、これからの主権者教育においても活用できる人的ネットワークや教材開発のノウハウ等を十分に蓄積してきた。

 

2 当連合会の取組の成果と教育現場の混乱

当連合会が、「市民のための法教育」の理念の学校現場への普及に尽力したこと等の効果もあって、それまでは道徳の授業で扱われていた正義や公正といった法の基本価値が、中学校社会科の公民的分野や高等学校公民科の学習指導要領に明記され、個人の行動選択基準にとどまらず民主的な社会においては全ての市民が共有すべき社会的価値であるとの位置づけが明確になされた。このことは、客観的な事実を扱うことを主眼としてきた社会科教育を一変させるものとして、市民的資質の育成という観点からは大きな意義を有するものであった。

 

しかし、それゆえに教育現場の戸惑いも大きく、法教育として実践されている教育実践は、模擬裁判の例で見ても、当連合会が高校生模擬裁判選手権の目標としている「刑事訴訟制度の基礎にある法の原理原則の理解」や「事実と論理に基づいた議論の技能の習得」を十分に意識していない裁判員制度の制度面だけの学習や、形式的に刑事裁判手続をなぞるようなものが多い。さらに、教師の側にも往々にして正解指向が見受けられ、事実と論理に基づいた議論によって紛争を自律的に解決したり正解のない問題について合意を形成したりする教育実践の経験に乏しいことも、これまで法教育の授業に参画してきた多くの弁護士から報告されている。これと同様のことは、これから学校現場に導入されようとしている主権者教育においても懸念されるところであって、弁護士・弁護士会による適切な支援や教育現場との協働がなければ、政治制度や選挙制度の制度面のみを学習したり、政策選択の論拠を考えたり議論したりすることもなく模擬投票を行うような主権者教育の実践が一般化しかねない。

 

3 諸外国の取組(トゥールミン・モデル等)と弁護士・弁護士会の役割

この点、米国における法関連教育カリキュラムが「民主的な社会を担う市民」に必要な資質として政策決定過程への参加能力と紛争の自律的解決能力を掲げていることは前述のとおりであるが、このような教育の源流は、連邦憲法裁判所の判決に含まれる憲法的価値を子どもたちが日常生活のレベルで理解する教育実践にあったとされており、そこでは、憲法的価値を含む法の原理原則の理解が特に重視されている。また、英国のシティズンシップ教育やドイツの政治教育等、ヨーロッパにおける社会参加や政治参加の能力・資質を育む教育においては、正解のない価値判断問題について価値観の異なる他者と理性的に議論する能力を育むために、事実と論理に基づいた議論の技能の習得が重視されている。そのような技能の代表的なものは、トゥールミン・モデルと呼ばれる議論の技法である。これは、英国の分析哲学者スティーブン・トゥールミン(1922年~2009年)が、形式論理学では解決できない日常生活における実践的な議論の論理は数学ではなく法学をモデルとすべきことを主張して、法的三段論法を法廷弁論以外の政治的・道徳的な議論全般に利用可能なものとした議論のモデルである。そうであるならば、日本の主権者教育においても、法の原理原則や理性的な議論の専門家である弁護士が担うべき役割は重大と言わなければならない。米国法曹協会(ABA)が、2002年に、「知識と民主的考え方の基礎を有する弁護士ならびに実務家の教育分野に対する責任は重大である。」との提言を行っているのも、弁護士が近代法の原理原則のみならず他者との理性的な議論の技能の専門家でもあることを確認するものと言える。この点、中央教育審議会教育課程企画特別部会(2015年5月25日)の配布資料では、主権者教育の実践における「学校外部の専門性を有する人材(弁護士、税理士、社会保険労務士、選挙管理委員会などの関係行政部局の担当者、消費生活相談員など)」の積極的な活用を図る手立ての検討が必要とされているが、主権者教育の目的として法の基本価値の理解や理性的な議論の技能の習得を重視すべき以上、学校外部の専門性を有する人材としては弁護士が中心的に活用されるべきである。当連合会は、2012年度に弁護士学校派遣制度検討ワーキンググループを設置し、主として高等学校への講師派遣を全国的規模で組織的に展開することを目指して、現在、モデル事業を推進している。この弁護士学校派遣事業を学校現場が十分に活用することによって、当連合会は、これまで以上に多くの教育現場に対して人的支援を提供することが可能となろう。

 

第4 これからの主権者教育に対する懸念

1 しかしながら、これから学校現場において実践されることとなる主権者教育については、以下のようないくつかの懸念を払拭できない。

 

2 第1に、学習内容についての懸念がある。すなわち、政治的関心を高めるために政治制度や選挙制度を知識として学習することのみが目指され、さらには、それらの社会制度に無批判に従おうとする意欲や態度を規範意識や公共心として教え込むような教育となってしまわないかという懸念である。

 

文部科学省が2015年8月に公表した中央教育審議会による次期学習指導要領の論点整理の検討過程(2015年5月25日教育課程企画特別部会)においては、英国のシティズンシップ教育が「公共生活に影響を与える意思、能力、素養をもった能動的な市民を育成する」ことを目的に掲げているのに対して、「規範意識や社会モラルの低下、奉仕の心や公共心の欠如」を取組の背景とする東京都品川区の「市民科」の教育実践や、「規範意識やマナーの低下傾向」を取組の背景とする神奈川県の「政治参加教育」「司法参加教育」「消費者教育」「道徳教育」を一体的に行う教育実践が「シティズンシップ教育の取組事例」として紹介されている。このような検討過程に鑑みると、高等学校公民科の新科目「公共(仮称)」の教育実践も、本来あるべき理念に反して、単に政治制度や選挙制度を知識として学習することが目的とされたり、さらには、それらの社会制度を無批判に受け入れるという意味での「規範意識」や「公共心」の育成が目的とされたりする方向に傾いていく懸念を払拭できない。仮に、実定法規や実定的制度の趣旨・目的を問うこともなく、これらを知識として学び、これらに無批判に従おうとする意欲や態度が規範意識あるいは公共心であるかのような教育がなされるならば、実定法規や実定的諸制度を憲法規範や法の原理原則に照らして批判的に吟味しようとする市民的資質が育まれることは全く期待できなくなる。そればかりか、立憲民主主義国家の維持発展を担うべき子どもたちに、憲法の価値を伝え、人権の尊さを説くことも、極めて困難になろう。これは、教育の面から憲法が破壊される事態と言っても過言ではない。

 

3 第2に、教育実践についての懸念がある。すなわち、国が教師に対して政治的中立性の確保を過度に要求し、教師が自己の見解を述べることを一切禁止することになってしまわないかという懸念である。

 

子どもたちが、様々な価値に触れながら他者との理性的議論を通じて民主的社会の主体的な形成者となり得る資質や能力を身につけるためには、現に実社会で政治的論争の対象となっている政治問題や経済問題を授業で扱うことは避けられない。しかるに、文部科学省が2015年10月29日付けで発した通知「高等学校における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」(27文科初第933号)は、直接に特定政党を支持し、又はこれに反対することを目的とするものか否かにかかわらず、「個人的な主義主張を述べることは避け、公正かつ中立な立場で生徒を指導すること」を学校に要請している(「第2」第1項)。しかしながら、政治的中立性の確保を理由に、具体的状況にかかわらず教師が自己の見解を述べることが禁止されるならば、政治的論争のある問題を授業で取り上げること自体を躊躇させる萎縮効果を教育現場にもたらしかねない。現に、山口県の高等学校2年生の授業で行われた安全保障関連法案に関する模擬投票の際に、参考として配られた資料が朝日新聞と日本経済新聞の2紙だったことについて、「政治的中立性に疑問を感じる」との質問が県議会でなされ、県教育長が謝罪したケースや(毎日新聞2015年7月4日朝刊27面)、宮城県の高等学校の部活動で実施された安全保障関連法案に関する校内アンケートについて、表現が不適切であるとの市民の意見を受けて、学校側が生徒と保護者らに謝罪したというケースがある(読売新聞2015年11月5日朝刊35面)。こうしたことが重なれば、学校現場は、トラブルを避けるために政治的対立のある問題を授業で取り上げること自体を回避しようとする可能性が高く、このことは、現実の政治状況に対する理解力や公正な批判力を身につける機会を子どもたちから奪うことにつながりかねない。

 

4 第3に、学習環境についての懸念がある。すなわち、学校の内外における生徒の政治的活動について、生徒の表現の自由を侵害するような過度の制限が許容されることになるのではないかという懸念である。前述の文部科学省通知は、学校の内外における生徒の政治的活動について、①「教科・科目等の授業」及び「生徒会活動、部活動等の授業以外の教育活動」等の学校の教育活動においては、「禁止することが必要」とし(「第3」第1項)、②「放課後や休日等」における「学校の構内」での活動は、「制限又は禁止することが必要」とし(「第3」第2項)、③「放課後や休日等」における「学校の構外」での活動についても、「違法若しくは暴力的な政治的活動等になるおそれが高いもの」については「制限又は禁止することが必要」であり、それ以外についても「必要かつ合理的な範囲内で制限又は禁止することを含め、適切に指導を行うこと」を学校に求めている(「第3」第3項(1))。しかし、現実の政治に対する公正な批判や、民主国家の国民として必要な政治道徳及び政治的信念を、学校の内外で自由に表明したり、これらについて意見を異にする他者と積極的に議論したりすることは、市民的資質を育むための主権者教育においては、むしろ積極的に推奨されるべきことである。また、表現の自由をはじめとする憲法上及び子どもの権利条約上の精神的自由権は、基本的人権の中でもとりわけ重要なものであり、一律禁止はもとより、個別の制限を課す場合でも、他者の基本的人権との調整上真にやむを得ないと認められる場合に必要最小限度の制約を課すものでなければ、表現の自由等への侵害となる。

 

第5 あるべき主権者教育に向けた提言

1 学習内容に関する提言

(1) 立憲主義学習を導入すべきこと

現在の社会科学習には、憲法学習が重要な内容として含まれているが、近代憲法の基礎にある立憲主義の学習が含まれていない。立憲主義は、憲法によって公権力を制限し、国民の権利・自由を擁護することにより個人の幸福追求を保障する政治思想であり、政策判断及び政策形成過程への参画の資質を育むことを目的とする主権者教育においては、立憲主義についての学習が不可欠である。立憲主義を理解しないままに政策形成過程への参画を求めることは、ともすれば少数意見や少数者の人権に何ら配慮しない多数決による決定までもが民主主義であるかのような誤解を子どもたちに与えることになりかねないからである。

 

この点、法務省法教育研究会は、2004年11月4日に公表した報告書「我が国における法教育の普及・発展を目指して」において、「憲法の意義」という単元で民主主義と立憲主義を学習することを提言している。このことは、民主主義と立憲主義が司法制度改革の理念である自由で公正な社会を維持するための車の両輪であることを示したものと言えよう。

 

(2) 法の基本的な価値に関する学習を充実させるべきこと

高等学校公民科「現代社会」の現行学習指導要領は、現代社会の諸問題を考えるうえでの基本的な視点として、「幸福・正義・公正」という法の基本的な価値を理解し、これを現実の諸問題に適用して考えることを求めている。しかし、子どもたちがこのような抽象的価値に照らして身の回りの問題や現実の政治的・経済的課題を考えるための教育実践は、唯一の正解がない価値判断問題を現場の教師が扱い慣れていないこともあり、未だ学校現場に広く普及しているとは言い難い。高等学校公民科に必修科目「公共(仮称)」が新設された場合には、「現代社会」は廃止されることが想定されているが、いわゆる政治的中立性に配慮するあまり、民主的な社会が共有すべき基本的な価値の学習を放棄したり後退させたりすることがあってはならない。「幸福・正義・公正」という基本的な価値の学習は、主権者教育の学習内容としても、これまで以上に重視されるべきである。

 

(3) 価値観の異なる他者との理性的な議論の技能を育むべきこと

中学校公民科の現行学習指導要領が、子どもたちに理解させるべき基本的概念として「対立と合意」を掲げているように、民主的な政策形成の過程に参画するうえでは、価値観の異なる他者との意見対立を回避するのではなく、対立点を明確にした上で理性的な議論によって合意を形成する技能を身につけることが不可欠である。主権者教育においては、唯一の正解がない価値判断問題を授業で扱うことが不可欠であるから、例えば、ヨーロッパだけでなく日本でも価値学習の実践において学校現場で用いられ始めている前記のトゥールミン・モデル等は、論拠を持った政治的判断をもって政策形成過程に参画するための不可欠な技能として、これを習得する機会が子どもたちに提供されるべきである。

 

2 教育実践に関する提言

(1) 教師の教育的裁量を尊重すべきこと
①教師が自己の見解を述べることも一定の範囲で許容されるべきこと

主権者教育の目的が、現実の政治課題を批判的に検討して政治的判断を形成したり、これに基づいて政策形成過程に参画したりする資質を育むことである以上、社会で実際に生起している政治的・経済的課題や問題を積極的に授業で取り上げるべきである。しかし、そのような授業において、特定の政党を支持したり反対したりするものであるか否かを問うことなく、教師が自己の見解を述べることを一律に禁止するならば、例えば、生徒が人種差別的意見等憲法的価値や法の基本価値に反する意見を述べた場合でさえ、教師は、これに疑問を呈して考えを深めさせようとすることを躊躇しかねない。教師が場合に応じて率直に自己の見解を述べる教育手法は、子どもとの直接的な人格的接触を図るものとして、適切に運用される限り、教育の本質に沿う有効な手法というべきである。

 

この点、諸外国を見てみると、ドイツでは、政治教育において教師は個人的な見解を生徒に押しつけてはならないとする学術的な合意が形成されている。すなわち、政治教育の在り方自体の政治争点化という事態への対応として、バーデン・ヴィルテンブルク州の政治教育センターが全国の政治教育学者に呼びかけたボイテルスバッハ会合(1976年)の結果、政治教育実践における最低限度の学術的な合意可能事項としてボイテルスバッハ・コンセンサスが確認されており、その合意事項の一つに「教師による見解の強制の禁止」がある。しかしながら、これは、教師が自分の見解を一切述べてはならないという意味ではなく、「教師は自分の個人的な見解を隠す必要はないが、それを生徒に押しつけてはならない」との意味に解されているのである。また、英国では、シティズンシップ教育において教師が最初から自身の見解を述べるアプローチも認められている。すなわち、シティズンシップ諮問委員会の最終報告書である「クリック・レポート」において、教師が授業の中で論争的な問題を扱う際のアプローチとして、自分の意見を表明しない「中立的な議長」アプローチや、教師自身やクラス全体が同意しないものも含め異なる角度からの意見を表明する「バランスの良い」アプローチのほか、教師が自身の見解を最初から率直に述べる「明示的コミットメント」アプローチも、議論を活性化するための教育手法として認められているのである。このように、諸外国では、教師が自身の見解を生徒に押しつけない限り、教師自身の見解を率直に述べることも教育手法の一つとして許容されているのであり、日本においても、特定の政党を支持したり、これに反対したりすることを目的とするものでない限り、教師が必要に応じて自己の見解を述べることも許容されるべきである。

 

②副教材や補助教材の利用を制限すべきではないこと

文部科学省は、既に主権者教育の副教材として「私たちが拓く日本の未来」を学校現場に配布しているが、この副教材の使用のみを学校現場に強制したり、これ以外の副教材や補助教材の使用について教育委員会への届出あるいは教育委員会の許可を義務づける運用を認めたりするべきではない。このようなことは、これまで各地の弁護士会が「市民のための法教育」活動において進めてきた学校現場との連携による地域独自の授業や副教材の作成に対しても不合理な制約となりかねないのであり、子どもの学習権から導かれる教師の専門性に根ざした教育の自由の観点からも妥当でない。

 

(2) 弁護士を外部専門家として中心的に活用すべきこと
①弁護士学校派遣事業を十分活用すべきこと

前記のトゥールミン・モデルが法律家の議論の仕方(法的三段論法)を政治的・道徳的な議論一般に応用可能とした議論のモデルであることからも明らかなように、弁護士は、立憲主義を含む法の原理原則についての専門職であるだけでなく、利害や価値観を異にする他者との理性的な議論についての専門職でもある。したがって、必ずしも唯一の正解がない問題についての議論を不可欠とする主権者教育においては、授業を支援する外部専門家として弁護士が中心的に活用されるべきであり、そのためには、当連合会が2014年度から推進している弁護士学校派遣事業を十分に活用することが有益である。

 

②授業づくりにおいても弁護士との連携を推進すべきこと

弁護士が専門職として出前授業に出向いたり、専門知識を有する一市民としての立場で授業に参画したりする(いわゆるゲスト・ティーチャー)だけでなく、教師が授業で使えるような副教材ないし補助教材や授業案の作成についても、弁護士あるいは弁護士会と学校現場の連携・協働が推進されるべきである。この点、当連合会が推進してきた「市民のための法教育」活動においては、弁護士と教師による自主的な研究会が各地で活発に活動しており、大阪弁護士会の弁護士と教師で構成される「法むるーむネット」による『法むるーむ』や、横浜弁護士会(現神奈川県弁護士会)及び第二東京弁護士会所属弁護士と教師で構成される「教師と弁護士でつくる法教育研究会」による『教室から学ぶ法教育』等、副教材ないし補助教材として利用できるいくつかの成果物が存在する。主権者教育においても、これまでの法教育実践を通じて培われた各地の教師と弁護士の連携・協働を強化し、各地の実情に応じて創意工夫を凝らした教材を作成していくことが推奨されるべきである。

 

3 学習環境に関する提言

(1) 子どもたちの身近な生活の場を民主的な議論の場にすべきこと

民主的な社会を担う主権者として必要な市民的資質は、これを教室内で抽象的に学習するだけでなく、実生活の中で実際に用いることによって身についていくものである。したがって、主権者教育においては、他者と議論し、課題や問題点への理解を深め、さらにその解決策を検討させるという手法(いわゆるアクティブ・ラーニング)が積極的に活用されるべきであるが、これにとどまらず、社会科だけでなく特別活動の時間等も活用して、子どもたち自身が現に所属している集団である学校や学級の課題を主体的に解決したり積極的に改善を提言したりする活動も重視されるべきである。

 

この点、フランスでは、生徒会の役員選挙のみならず校則の制定や改正も市民性教育の一環と位置づけて生徒自身の手で行われているほか、英国のシティズンシップ教育においても、個人の市民的な資質や能力という意味でのシティズンシップを「教授」するアプローチではなく、子どもたちを民主的な議論の場に招き入れることより自然に民主主義を「学習」することが重要であるというアプローチが有力に主張されている(カート・ビースタ[上野正道・藤井佳世・中村清二訳]『民主主義を学習する』、勁草書房、2014年)。このように、子どもたちの生活の場それ自体を民主的な意見表明と議論の場として構築していくことも重視されるべきである。

 

(2) 生徒の政治的活動を過度に制限すべきではないこと

(1)のような観点からは、学校内外における生徒の政治的活動は、むしろ主権者教育の目的に合致するものとして、積極的に推奨されるべきである。のみならず、表現の自由をはじめとする憲法上及び子どもの権利条約上の精神的自由権は、健全な民主主義の前提となる重要な人権であり、これに対する制約は、他者の基本的人権との調整上真にやむを得ないと認められる場合の必要最小限度の制約でなければならない。したがって、学校内外における高校生等の政治的活動については、これを一律に禁止することが妥当でないことはもとより、個別の制限を課す場合であっても、他の生徒等、他者の基本的人権との調整上真にやむを得ないと認められる場合に必要最小限度の制約を課すものでなければ、表現の自由等への侵害となる。

 

したがって、授業その他の学校教育の場面における政治的活動の一律禁止、放課後や休日における学校内外での政治的活動の必要最小限度の制約を超える制限や禁止、あるいは政治的活動の届出制を定める校則の制定を許容する扱いは、表現の自由等の保障の観点から違憲・違法の疑いがあり、見直されなければならない。

 

第6 結び

個人の尊厳が尊重される自由で公正な民主主義社会を築くためには、民主的な社会を担うに足りる市民的資質を育むことが重要である。そのためには、子どもたちが民主主義と立憲主義の根本的な意味を理解し、価値観が多様化する中で討論と対話を通じて自己の判断を形成し、意見の対立を調整する能力を培うことが不可欠である。そしてこのような学習が学校現場で有効に実践されるための条件としては、教師の教育の自由や生徒の政治的活動の自由を十分に尊重し、これらに対して過度の制限がなされないよう保障することが肝要である。

 

また、自由で公正な民主主義社会を築くのは、最終的には一人一人の市民であるが、弁護士及び弁護士会の役割も決して小さくない。主権者教育の内容や実践方法を「民主的な社会を担う市民に必要な資質を育む」という理念に沿ったものにするために、当連合会及び各地の弁護士や弁護士会は、「市民のための法教育」を通じて培ってきた教材や授業づくりのノウハウ、教育現場との緊密な関係といった有形無形の資源を十分に活用して、教育内容や実践方法に関する提言や教材開発、講師やいわゆるゲスト・ティーチャーの派遣において積極的役割を担うべきである。そのためには、弁護士による支援が可能であり重要であることの理解を各教育委員会や各教師等の現場に広める一方で、当連合会及び各地の弁護士会も、学校現場からの要請に応え得るよう更に充実した態勢を早急に構築する必要があり、現在モデル事業として進められている弁護士学校派遣事業は、これを可及的速やかに全国的に展開していく必要がある。

 

当連合会は、これらの活動に全力を挙げて取り組むことを宣言するものである。