第26回定期総会・司法研修所弁護教官の選任及び新任拒否に関する決議

(決議)

最高裁判所は、本年4月、司法研修所弁護教官の選任にあたり、なんらの合理的な理由を示さず、また事前の協議を十分に尽すことなく、法曹養成に大きな責任を負う日本弁護士連合会の推薦を著しく無視する異例の措置をとった。


また、27期司法修習終了者の裁判官志望者のうち、2名の青年法律家協会会員を含む4名を、なんらの理由を示すことなく不採用とした。


最高裁判所が今回とったこれらの措置は、いずれも思想・信条による差別を行ったという疑惑を抱かしめるものであって、はなはだ遺憾である。


最高裁判所は、従来の不明朗で官僚的な態度を改め、司法研修所弁護教官の選任については法曹一元の理念にしたがい、日本弁護士連合会の意思を尊重し、また裁判官の新任については、国民が納得するような採用基準を明示するなど適切な措置をとり、今後かかる疑惑を生ずるような事態を繰り返すことのないよう強く要望する。


右決議する。


1975年(昭和50年)5月24日
第26回定期総会


理由

1.本年4月、最高裁判所は、二つの不当な司法行政を行った。第一は、司法研修所弁護教官の選任について、最高裁当局が当連合会と協議することなく、当連合会の推せん順位を無視したことであり、第二は、今年も司法修習終了者中からの裁判官新任に当り、2名の青年法律家協会会員を含む4名の任官志望者を不採用としたことである。


後者は、昭和45年以来毎年行われてきた、いわゆる「新任拒否」の問題であり、これまで日弁連をはじめとする広汎な世論が、これを裁判官の任命に、思想・信条・団体加入を理由とする差別を持ち込むものとして繰り返し批判してきたものであるが、今回の措置は、最高裁判所がこの世論の批判にもかかわらず、なお従来の方針を頑として変えていないことを示したものである。


前者は、新しいもう一つの事態の発生であるが、新聞論調もいち早くこの問題を重要視し、これを「進歩的弁護士締め出しか」という観点で大きく取り上げたことにも示されたように、司法研修所教育のあり方をめぐって、これも思想・信条による差別の持ち込みという問題を提起する重要な意味をもつものである。


2.日弁連は、かねてから、司法こそが国民の基本的人権擁護の砦であるという基本的観点に立脚し、司法を支える全法曹がこの人権擁護の責務を全うするに足る資質を保持するためには、その養成のあり方が肝要であり、在野法曹もまたこれに大きな責務を負うものであるという見地に立って、法曹養成について重大な関心をもってきた。


然しながら、当連合会がさきに「司法修習白書」でも明らかにしたように、近時、司法研修所における教育の趨勢は、司法修習生の自由闊達な自主的研鑽の風潮をむしろ規制する方向を強めており、法曹としての全人格的素養を高めるための自由且つ多元的な教育よりも、区々たる法律技術の修得にのみ重点がおかれる傾向が見られ、ために、民主社会における法曹の資質として最も求められる生気溌刺たる人権思覚と自主自由の気風の健全な教育を妨げる状況に立ち至っていることはきわめて遺憾とせざるをえない。最高裁判所が世論の批判にもかかわらず、ここ数年来繰り返している任官拒否は、それが思想・信条による差別に根ざしているという疑いを払拭しえないが故に、右任官拒否という司法行政行為自体に憲法上の疑義を抱かしめると同時に、それにとどまらず、右のような研修所教育の現状と相俟って、特に裁判官志望者に重大な心理的影響を及ぼさざるをえず、かかる精神的土壌の中で育成された裁判官が果たして前述のような人権擁護を基軸とする司法の責務の負託に耐えうるであろうかということを考えるならば、ことは、決してひとり任官を拒否された数名の修習生だけの問題ではなく、事態は、裁判所ひいては司法全体の命運にかかわる重大な問題として、まことに憂慮すべき状況と考えなければならない。


3.今回の刑事弁護教官問題も、その意味においては、軌を一にするものというべきである。


そもそも、民主国家における司法のあるべき理念としての「法曹一元」の思想に立脚するならば、現行の法曹養成制度の下にあっても、常に国民と共にある在野法曹の立場からする教育こそが修習生教育の中核をなすものでなければならない。在野法曹による修習生教育の課題は、ただ弁護活動の技術教育にあるのではなく、「国民のための司法」についての基本的思想を、裁判官志望者を含むすべての将来の法曹に正しく理解させることにこそあるというべきであろう。


その意味においていうならば、たとえ現行制度上弁護教官の任命権が最高裁当局にあるとはいえ、その人選に当っては、最高裁当局が日弁連の責任をもって行った推せんを受け入れるべきことは当然の理であるといわなければならない。


そもそも、弁護教官の推せんについては、上述の意味において、本来ならば単数推せんがなされて然るべきなのであるが、最高裁当局は、昭和36年以来、それまでの日弁連の自主的な単独推せんに従って教官選任を行ってきた事例を変え、日弁連の再三の意見にもかかわらず、常に複数推せんを求めて来ており、本年度もまた、当連合会は不本意ながらも倍数者の推せんをしたが、その際、最高裁に対し、当連合会の自主的選考の尊重を求める意味で、被推せん者に順位を付し、仮りに順位を変更する場合は当連合会と事前に充分協議を尽すよう要望したのであった。


然るに、最高裁は今年度、右複数推せんに対して更に若干名の追加推せんを求めるという異例の挙に出、当連合会がその理由の説明を求めたのに対しても何ら合理的な理由を示そうとしなかった。


このため、当連合会は、慎重に検討を行ったが、かかる状況下において、前述のような修習生教育の基本的なあり方にかんがみ、何らの合理的な理由もなく、日弁連の責任をもった推せんの自主性を自ら否定するような追加推せんなどは到底なしえないという結論に到達した。


ところが、最高裁はこれに対し、何ら当連合会と事前の協議をおこなうことなく、且つ何らの理由を示すこともなく、従来の慣例を全く無視し、東京弁護士会及び第二東京弁護士会から推せんされた刑事弁護教官候補者の全部又は一部を排除するという異例の措置をとったのである。


4.最高裁判所は、今年度の新任拒否に当っても、例年と同様、その理由を全く明示しようとしていない。右弁護教官の推せん拒否についても、何らの合理的理由を示そうとしていないことは、全くその軌を一にしている。


そして諸般の客観的事実関係は、その実質的理由が、何れも思想・信条もしくは団体加入による差別にあるのではないかという重大な疑惑を抱かせるものであり、そしてその故にこそまた最高裁はその理由を明示しえないのではないかという疑いを濃厚にしている。


本年度任官志望を拒否された青法協会員たる2名の修習生は、当連合会司法問題対策委員会の事実調査によっても、又、右両君の実務修習地である大阪、山梨県両弁護士会の評価において成績、人格、健康等裁判官としての適格性を疑わせる理由は見出しえず、且つ友人達の信望と評価も高いことがうかがわれるのである。また、最高裁当局によって拒否された当連合会推せんの刑事弁護教官候補者は、いずれも、弁護士として人権擁護、社会正義実現の諸活動においてきわめて優れた実績を有し、その識見、能力、人格からいって弁護教官としてむしろ最適任と認められる人達である。


この事実に徴しても、今年度の新任拒否、弁護教官選任問題の基底にはますます思想・信条或いは団体加入による差別のある疑いが濃いものといわなければならない。


5.今回、最高裁のとった二つの措置については、すでにいくつかの単位弁護士会において、それぞれ抗議の決議が行われ、日弁連会長名義による抗議、談話も発表されているが、ことは法曹養成の根幹にかかわり、更には司法の民主主義の命運にもかかわる重大事であり、日弁連弁護士推せん委員会ならびに司法問題対策委員会からのそれぞれの要望もあり、本総会を機に、今回の最高裁によるきわめて遺憾な措置の実態をひろく世論に訴え、且つ二度とかかることの行われないよう最高裁に対して深刻な反省を求めるべく、当連合会の最高機関たる総会の名において決議を行うべく、本提案に及んだ次第である。