国際機関就職支援 インタビュー 木田 秋津 会員(2011年2月11日)

アメリカに留学後、外務省の任期付き公務員としての経験

Q 木田秋津先生は、アメリカに留学後外務省の任期付き公務員になられたとのことですが、公務員になる前のご経験はどのようなものだったのですか。

木田秋津 会員写真1

私は修習53期ですが、弁護士登録後2年間は、一般民事の事務所に勤めていました。その後日弁連の推薦を得て、ニューヨーク大学ロースクール(NYU)に2003年の夏から留学しました。NYUでのプログラム終了後、2004年からハーバードロースクールのLL.Mに入学し、主に国際法・国際人権法を専攻しました。そして、帰国前に外務省が条約関係の業務で弁護士を募集していると知り、米国から応募して、帰国後の2005年9月に外務省の国際法局で任期付公務員になりました。


Q 帰国後外務省に赴任された経緯はどのようなものだったのですか。

外務省では国際法局に配属されて、主に人権条約を担当することになりました。私が帰国後に外務省で人権条約の担当を希望したのは、やはりアメリカでの留学経験が影響していると思います。


私は、NYUでは、グローバル・パブリックサービス・ロー・プロジェクトというところに所属していました。そこでは、アフリカ、ヨーロッパ、アジアなどの世界各国の人権活動家が集まり、公益実現のために弁護士がいかに関与できるか、社会に影響を及ぼすためにはどのような弁護方法が効果的か、国際法を国内法規にどうやって活用できるのか、ということについて日々議論していました。その中で、法律が社会を変えられるという可能性を感じ、それが帰国後外務省の国際法局に行こうと思った一つの大きな理由です。


また、NYUのプログラムが終了した夏にユニセフ(国連児童基金)のニューヨーク本部でインターンもしました。ユニセフでは、ヒューマンライツ・アプローチという、これは、これまで子どもは権利の客体と考えられていたところ、子どもは権利の客体ではなく主体であり、教育なり安全な環境なり保障されるのは受益ではなく権利なのだ、という考え方なのですが、こうしたアプローチを促進している部署(Global Policy Section, Division of Policy and Planning)におりました。そこでは、各国でこのようなアプローチがどの程度浸透しているのかということを調査をし、その中で各国の様々な状況を知ることができました。
このようなことを自分の目で見て、肌で感じ、経験していたので、帰国に際しては、外務省で仕事をすることで、国際法や条約がどうやって人々の生活を変えられるか、影響を及ぼすかということについて弁護士として関わっていけるチャンスかと思い、応募することにしたのです。


Q 今お話が出たインターンはどのようにして見つけたのですか?

インターンはそれこそ飛び込みで見つけました。もともと子どもの権利に関心があり、留学前に日弁連の国際人権問題委員会と東京弁護士会の子どもの人権委員会に所属していました。そして、当時は国際公務員になることにも興味があったので、まずはユニセフでインターンをやってみようと思いました。ただ、普通にインターンの申し込みをするだけでは他の希望者の中で埋もれてしまうので、日本人の知り合いを通じて自分の意欲をアピールして採用してもらいました。無給のインターンでしたが、すばらしい経験ができました。


Q 外務省でのお仕事はどのようなものでしたか?

外務省では、国際法局というところにいました。かつては条約局という名前だったところです。私は、主に人権条約を担当することができました。私のいた部屋は、当時、経済関係の条約の担当者と人権を含む社会関係の条約の担当者がそれぞれ10人ずつくらいいて、そのうち弁護士は私のほかに6人くらいいたと思います。弁護士は、人権のほか投資や知的財産等、それぞれの専門性を活かして仕事をしていました。


私の仕事は、条約の締結、条約の解釈や実施に関するものでした。私が所属していた国際法局の仕事は、条約に関する最後の砦ともいうべきところでしたので、ある人権条約を解釈するにあたり、果たしてその解釈で正しいかどうかということを主管である人権人道課などが問い合わせにくるわけです。こうした業務は、弁護士がクライアントに法的助言するのに近いと思います。


そして、国際法局の仕事のメインは、やはり条約の締結作業となります。一言で「締結」と言っても、条約にいかなる約束を盛り込むかといった交渉段階から、いかなる文言を選択するかといった起草段階、そして国会の承認を経て実際に締結する段階に至るまで、まさに条約を形あるものに創造し、法的拘束力あるのものとして息吹を吹き込むまでのあらゆる段階を含みます。


たとえば私は、障害者の権利条約も担当していましたが、私が外務省に入った当初は、国連総会アドホック委員会というところで起草に関する議論がなされていました。私は、政府の担当者として国連本部で開かれた会議に出席し、他国に日本の立場を説明したり、政府内の関係省庁間の調整業務も行いました。障害者権利条約が採択された後は、国内での署名作業にも携わりました。


また、国際法局では、既に締結した条約の実施にも関わります。つまり、私の担当する人権分野では日本が既に締結している自由権規約、社会権規約、子どもの権利条約、人種差別撤廃条約、女子差別撤廃条約、拷問等禁止条約等がありますが、主管である人権人道課より、各条約の委員会における議論状況や、各条約に関する国会質問や質問主意書の回答準備等につき、合議を受けていました。 


外務省で人手が足りていないということもあったので、自分の本来の担当業務のほかにもいろいろなものを担当することができ、大変勉強になりました。


Q 外務省での仕事のやりがいはどのようなものでしたか?

外務省では、弁護士は即戦力として期待され、交渉の第一線に出ることもありました。外務省としては、どんどん前にいってやって欲しい、という感じです。期待されているものが大きく、しかもいろいろなことを自由にやらせてくれるので、とてもやりがいがありました。私が担当していた業務のように、条約を扱うことは、言ってみれば規範の定立と当てはめなので、弁護士には向いている業務だとも感じました。個人的な感想ですが、外交政策を作る課よりも国際法局の仕事は弁護士に向いているのではないでしょうか。


そして何より、自分が交渉してきたものが条約になって、法的拘束力を持っていくという部分に関わることができるというところに大きなやりがいを感じました。自分がかかわった条約が成立し、内閣法制局での厳しい審査を経て国会に提出され、憲法第73条3号に定める国会の承認を得て締結まで行ったときには何ともいえない達成感を感じました。


木田秋津 会員写真2

Q 職場の雰囲気はどのようなものでしたか?

職場の雰囲気は本当によかったです。仕事は深夜に及ぶこともあり、土日のどちらかは仕事に出ていました。外務省で働いていた2年間はハイペースで働いていました。
しかし、激務であるが故に、職場では結束力があってアットホームな雰囲気がありました。また、一番心配していた、外部から来た弁護士はよそ者だから情報過疎になるんじゃないか、と言ったことは全くありませんでした。お互い相談をしあうことのできる、非常にいい環境がありました。


外務省の中では、元々の公務員と弁護士出身者との間に役割分担は特になかったように思います。弁護士については、基本的なことが分かっているという安心感が外務省側にあったような印象を受けています。


Q 外務省では語学力はどの程度のものが求められましたか?

語学力は、さほど高いものは必要されなかったと思います。読む力があればで大丈夫ではないかと思いました。もちろん、英会話能力は、実際の交渉の時に使うのが英語なのであったに越したことはありませんが、私の経験からは、その場にいけば何とかなると、いえると思います。


Q 今後はどのようなことをなさる予定ですか。

現在、育児をしつつ、少しずつ一般民事の業務に戻っています。今後、留学や外務省で得た経験を生かせればいいですね。ちなみに、私は外務省での任期満了後、家庭の事情でワシントンDCに2年程住んでいたのですが、その間、DCチルドレンズ・アドボカシー・センターというNPOでインターンとして「フォレンジック・インタビュー」というインタビュー手法を経験することができました。


これは、日本では「司法面接」といわれていますが、虐待被害の可能性のある子どもが、被害について何回も繰り返し聞かれることで更なるトラウマを受けてきたという歴史的な反省から専門家が連携することで、なるべく一度に聞き取りを行うという手法です。暗示・誘導に陥りやすい子どもの特性を踏まえて、子どもの認知発達能力にあわせた聞き方をするという意味でも特徴的です。日本でも、虐待により死に至るケースが後を絶たず、また、性虐待の実像はまだまだ明らかではなく暗数が多いのが現実だと思います。被害を受けた子どもを更に傷つけることなく、ありのままの声を聞き取るために開発されたこうした手法についても、日本でも広めていけるような活動をしたいと思っています。


Q 今留学を考えている人にメッセージをお願いします。

木田秋津 会員写真3

私も初めNYUに留学したときは、日弁連の推薦留学制度を知って、いてもたってもいられなくなり応募しました。その時点では英語は話せませんでしたが、英語は現地に飛び込んで無我夢中で勉強をしました。その中で、英語が少しずつうまくなっていき、現地で人々と意思の疎通ができたときの喜びは、今でも忘れられません。私は、当初は語学力がなくても、必ずどうにかなると自分の経験から言えると思っています。ですので、現在の語学力をもとに、留学を怖がったり、躊躇したりすることなく、ぜひ皆さんにも新しい世界に飛び込んでいってもらいたいと思っています。日本の日常の中だと、外国に行くことは生活からかけ離れているように思えてしまうことも、留学を躊躇する一つの原因だとも思いますが、行ってしまえば、度胸で切り開くことができると信じています。


アメリカでは、何かやりたい、という思いがあれば道は開けてくるものということも実際に体感してきました。その意味では自分の専門があった方がやりやすいことは事実ですが、まず手を挙げてみること、そうすれば必ず何かがつながってきます。


留学では日々大きな刺激を受けました。行かないと見えてこないものは非常に多いということも私の実感です。そのような中、やはり自分は日本人なので、アメリカで経験したことの多くを日本に照らして見るとどうか、という観点で常に見続けてきたように思います。そのような視点を持つことは、今後の日本の実務に生きてくると思いますし、外務省での仕事の上でもとても重要なものでした。


ぜひ皆さんには、何も恐れることなく、新しい世界に飛び込んでいってもらいたいと思います。道は必ず開けてきます。すばらしい世界が待っています。