日本政府が提出した第3回定期報告書に対する 国際人権〈自由権〉規約委員会の審査記録

「ジュネーブ1993 世界に問われた日本の人権」より。
日本弁護士連合会編著 こうち書房発行(発売桐書房)1993
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国際人権規約委員会、第49会期の記録

第1277回委員会

1993年10月27日(水曜日)、第1277回委員会、午前10時-午後1時


(1)開会


(議長、ディミトゥリエヴィッチ規約人権委員会副委員長) 静粛に願います。これから日本政府による定期報告書の審査を開始します。そして、日本側から、説明を受けることになります。当委員会の安藤委員長は、日頃、すばらしい議長として務めていただいていますが、今回は日本の報告書を扱うわけであり、議長の任にはあたりません。自国の報告書の審査にはあたらないというルールがありますので、そのルールにしたがって参加されないわけです。これは我々にとって残念なことです。


 しかし、日本政府代表団を初め、非常に多くの方々がこの会議のためにご参加いただいていることを嬉しく思います。この委員会の重要性を認めていただいている結果であると思います。


 では、安藤委員長に改めて敬意を表したうえで、これから日本政府報告書の審査に入りたいと思います。日本の代表団についてですが、遠藤実大使は、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使であります。また、伊藤公使、外務省総合外交政策局人権難民課長の國方俊男氏、法務省矯正局総務課長の三谷氏、法務省刑事局国際課長の渡部氏、警察庁長官官房総務課留置管理官の小野氏、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官の相沢氏、警察庁刑事局国際刑事課課長補佐の永井氏、総務庁長官官房地域改善対策室事務官の水野氏、外務省総合外交政策局国際社会協力部人権難民課検事兼事務官の後藤氏、同課事務官の高口氏、そして富田在ジュネーブ国際機関日本政府代表部専門調査員、以上の方々がご出席です。


 委員会としては、非常にハイ・レベルな方々が代表団としてご出席いただいたことを嬉しく思います。また、日本政府が既にさまざまな試みによって、人権の実施にあたるさまざまな分野の専門家をここに派遣されたことを嬉しく思います。


(2)日本語による通訳の問題


(ディミトゥリエヴィッチ議長) それでは、審査手続に入る前に、次のような説明あるいはアナウンスメントをしたいと思います。日本政府の費用により、会議内容は日本語からその他の言語に、またその他の言語から日本語に通訳されます。しかし、通訳者の希望により、この委員会で行われる審査のほとんどに関して、次のような留意をしていただきたいと思います。すなわち、この通訳は正式通訳ではなく、したがってメモを取ったりあるいは記録されたりしたものを記憶を新たにするという意味で用いることはかまわないわけですが、しかし、日本語からまたは日本語に通訳されたものを正式なステートメントとして用いていただかないように、ということであります。以上のことは、委員の皆さんにも明確にご理解いただきたいと思います。


 では、これから日本政府の代表の方に、日本政府による定期報告書の提出以降の手続に関してご説明したいと思います。代表団は、既に、報告書に関する「リスト・オブ・イッシューズ」(問題事項リスト)を受け取っております。これは、委員会が代表団に回答をお願いしたい問題事項のリストです。もちろん、代表団がこの問題事項リストの各章(チャプター)についてお答えいただいた後で、委員会の委員は自由に質問を付け加えていただいて結構です。また、その場合には、代表団がそれらの質問に対してこの場でお答えいただきたいと思います。しかし、質問事項の第1章に入る前に、もし日本政府代表団が「イントロダクトリー・ステートメント」(冒頭の陳述)を希望するようでしたら、それをお願いしたいと思います。


 すみません、何でしょうか。議事進行手続に関してですか。マブロマティス委員、どうぞ。もうよろしいですか。


(マブロマティス委員) 議長、ありがとうございます。お話の途中で介入して申し訳ありません。議長の発言が終わってから発言したいと思っておりましたので……議長、私はただ今の日本語の通訳に関する議長の発言の趣旨がよく分かりません。テープからの通訳の利用が拒否されているのでしょうか。もしそうだとするのであれば、そのような進め方は妥当ではないと思いますが……もちろん、我々には(通訳上の)援助が必要です。しかし、それが妥当な進め方であるとは思われないわけです。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) マブロマティス委員ありがとうございました。私の理解では、通訳者としては、彼らが通訳した事柄が何か決定的な正式の通訳であるとされる責任を負担したくない、と希望しているものと理解しています。したがって、何人も記録を利用し、メモをとり、あるいはテープをとるという権利は持っているわけですが、しかし、それがこの委員会における決定的かつ正式の通訳であるとはされない、ということです。ポカール委員どうぞ。


(ポカール委員) 議長、私は、マブロマティス委員がどのようなことを希望されているのかということについて、明確に理解しておりません。私の理解では、質問の趣旨は、テープに記録されるのは何語であるか、ということだと思います。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 私がお答えする前に、ララー委員が何か発言されたいようですが………


(ララー委員) ありがとうございます。どうもよく分からないのは、当委員会の委員会としての記憶(記録)がどのようなものになるか、ということです。この(日本語による)部分は、将来における参照のため、当委員会の記録として残されるのでしょうか。その点が明確でないように思います。というのは、我々委員のみならず、外部の方々、学者、その他の人々、また政府自体にとっても関心事である、また、委員会の文書記録の一部としても関係する、と思うからです。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) ララー委員ありがとうございました。アギラー委員、どうぞ。


(アギラー委員) 議長、ありがとうございます。私もこのことに関して懸念しています。日本語へのまたは日本語からの通訳が他の国連公用語との関連で正規のものまたは正式のものとならないことになる、と理解しています。私の理解では、日本政府代表団は日本語で発言すると思いますが、そうなると政府代表団の公式発言に関する当委員会の正式記録としての公式言語は何になるでしょうか。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) アギラー委員、ありがとうございました。私が収集した情報からすると以下のようになると思います。国連会議部から提供される公式テープが、将来における参照用の資料とされると思います。記録テープは、オリジナルな言語と英語とで録音されることになります。録音テープは爾後に訂正可能なものとされますから、私が先ほど述べたような懸念は出てこないと思います。テープに取られたものが後に訂正可能とされるわけですから、通訳者の言われていることは、この部屋の中にいる人々がテープを取ったり、または日本語で聞いたことが問題になるわけです。そして、責任との関連で、通訳者が希望していることは、通訳は通訳者が聞いた仮の通訳であって、公的な情報源からの通訳として引用することができないということです。


 国連の委員会としての公式記録に関しては、この委員会の(記録は)通例の仕方で記録され、爾後に訂正がなされうるわけです。したがって問題はないと思います。このような仕方でよろしいと思います。どうもありがとうございました。


(3)日本政府代理挨拶


 それでは、日本政府の代表団に、もし希望する場合には、冒頭の発言をしていただきたいと思います。


(伊藤公使) 議長、また規約人権委員会の著名な委員諸氏。現在、国外に出ております在ジュネーブ国際機関日本政府代表部の遠藤大使に代わり、委員会に対し私にこの短い発言をする機会を与えていただきましたことについて、まずお礼申し上げます。


 議長、人権は人類に共通の価値を有しているものであるとの考え方を、我々は多くの国々とともに共有するものです。この世界において人権を保護・推進するため、日本を含む国際社会が、国連の人権文書に規定されている基本的原則を遵守することは本質的に重要であると思います。この関連で、日本政府は、国際人権(自由権)規約における重要性を認識しております。日本は、1979年以来、この条約の締約国であります。日本は、国連が組織した人権活動に深く関与してきています。ごく最近においては、日本は、6月にウィーンで開催された国際人権会議に参加しています。これは国連が世界において人権を促進しようとする活動のハイライトでもありました。この会議が行動プログラム宣言を採択して成功裏に終了したことを心から喜んでおります。この宣言においては、国連人権センターの強化と国連高等人権弁務官の設置の問題が盛り込まれていますが、これに対しては我が国の政府は完全な支持を表明しています。


 日本政府は、この規約人権委員会の重要な役割を評価しています。その主要な任務は、規約において承認されている人権の実施の監視です。我々は、また、委員会が、報告書の審査を通じて各当事国との「建設的対話」(コンストラクティブ・ダイアローグ)を持ち続けているという事実も高く評価しています。この対話により、締約国による問題解決のための探索が実現されるものと信じております。また、規約に規定される人権が完全に実現されることを願っております。


 我々は、委員会による日本政府の第3回定期報告書の今回の審議を特に重要視しています。我々は、委員のどのような質問にも答えることができるよう、また規約上の我々の責務を十分に認識して、運用・行政にあたる担当者から成る代表団を構成いたしました。


 議長、我々代表団について既にご紹介いただきましたので、自己紹介を省かせていただきます。私が希望することは、本日および明日の対話がフランクかつオープンに行われ、双方にとって有用かつ情報に富むものとなることのみであります。


 では、次に、國方氏に発言を譲りたいと存じます。


(4)日本政府代表団の冒頭の陳述


(國方俊男、外務省総合外交政策局人権難民課長) 議長および規約人権委員会の委員の皆さん、日本政府に代わり規約人権委員会が我々をこの委員会にご招待下さったことに対し我々の心からの喜びを表明したいと存じます。


 人権は普遍的な価値を有するものである、ということを確信しております。そして、我が国の政府は人権の尊重と促進とに完全にコミットしてきております。この関連で、我々は世界における人権の促進のための規約人権委員会の役割を高く評価するものです。規約人権委員会は、国際人権(自由権)規約の多くの締約国からの定期報告書を審査することによって積極的に活動しており、また人権意識の高揚および世界中における人権の実際の促進に顕著に貢献しております。


 1979年における国際人権(自由権)規約の批准後、日本政府は規約上のその責務を忠実に実施してきています。第3回定期報告書の審査のため、東京からかなり規模の大きな代表団を派遣すること自体が、この機会を我が国の政府が非常に重要視していることを示すものです。我々は、人権関連の国連のさまざまな領域・機関に専門担当者を派遣しております。たとえば、当委員会の安藤教授、経済・社会権規約委員会の田谷検事、差別防止・少数民族保護小委員会の波多野教授および横田教授、女性差別撤廃委員会の赤松(現)文部大臣などであります。また、我々は、国連高等難民弁務官としての地位を有している緒方教授に誇りを有しております。個人の資格におけるこれらの個人が人権の発展に貢献することを期待しております。


 全体としての日本における人権は、満足のいく程度に保護されている、と確信しております。しかし、完全無欠というものは、何物においても、また特に人権の領域において、見いだすことは困難です。問題が即時に解決するとは我々は考えておりませんが、しかし、そのために努力する所存でおります。


 日本政府は、人権の周知徹底に関して非常に多くの努力をしております。1949年以降、毎年12月には人権意識高揚のため人権週間を設置してきています。今年、人権週間は人権宣言45周年を迎えます。我々は記念行事およびシンポジウムを開催し、十分な周知を試みる予定です。


 人権の保護と促進の目的で設置されている法務省という国の機関は、1万3,000名の人権擁護委員との協力のもとに、基本的人権の保護のため、広範な領域において活動しています。これらの活動は、人権違反事件の調査から、公的情報、教育プログラムにまで及んでいます。国の機関によって行われている調査は強制的なものではなく、助言的性格を持ったものですが、人権侵害ケースを防止しようと試みられています。我々は、これが人権の保護と促進のために最善のものである、と信じています。


 日本には、人権の保護のために積極的に取り組んでいる民間機関もあります。これらのひとつは日本弁護士連合会です。他の諸国の弁護士会とは異なり、日弁連は完全に非政府機関であり、私的業務に取り組んでいる弁護士のみから構成されています。大多数の裁判官、検察官および法律学教授はその構成員ではありません。この委員会において審議に資するため多くの非政府組織が報告書を提出したことを存じております。また、それらの報告書が日本における人権状況を正確に記述し、また公正に判断している限りにおいて、日本政府はそれらの報告書を真剣に検討したいと考えています。


 議長、この報告書を作成するにあたり、我々は、前の会期における委員会のジェネラル・コメントおよび委員のコメントに答えるという目的に資するため、最大の努力を払いました。しかし、もしそれらにお答えしていない部分があったとすれば、我々はそれらについてこの場で説明する準備があります。


 では、これから我々の報告書で言及された6つの領域について、前回の審査以来、発展の見られた事柄について簡単に述べたいと思います。


 第1に、1991年1月に、在日韓国人の地位改善に関し、日本政府により採択されるべき措置に関するメモが交換されました。


 第2の領域は、外国人労働者の受け入れに関するものです。1988年6月、日本政府の内閣は、特別または技術的能力を有する外国人労働者が日本において受け入れられるべきであるとする基本的雇用措置計画を採択しました。これとの関連で、政府は「出入国管理及び難民認定法」を改正し、専門的技術を持ったより多くの外国人が日本で労働することができるように、またその結果としてより多くの入国査証を発給することができるようにしました。改訂された出入国管理法は、1990年6月に施行され、また違法労働者を斡旋し、それから利益を受けるブローカーを訴追する規定を有しています。


 人権の進展における第3の例は、「育児休業法」であり、1992年4月1日に施行されています。この法律により、男女がともに育児休業をとることができるものとされています。多くの女性が労働力として社会参加をするようになったため、このような法律が女性をして労働と育児の機会を同時に持つことを可能にしたわけです。


 第4の進展は、国際私法に関するものです。1989年、「法例」が改正され、男女の平等が確保されることとなりました。


 女性の地位に関する改善も行われ、女性差別の原因を除去することの重要性が考慮されています。この点で、我々は、男女間における実質的平等を促進するため、1991年5月に改定した中期的国内行動計画を通じて強化するようにしました。これは、1991年から1995年までの5年間を通じて実現されることになっています。


 最後になりますが、しかし、重要性がもっとも少ないわけではない事項が、行政機関の保有するコンピュータ処理による個人情報の保護に関する法律であります。これは1989年に施行され、何人に対しても自己に関する情報の開示を行政機関に対して請求する権利を認めています。


 我々は、添付の資料として、CCPR/C/70/ADD.1/CORR.1を委員会に提出しておりますが、これにおいては第3回定期報告書提出以降の人権領域における進歩を記述しています。これにおいては、次の2点が指摘されています。第1は、出入国管理との関係における指紋押捺制度に関するものです。ここで、この背景について若干ご説明することが必要だと思います。1991年、日本政府は、日本国との平和条約に基づき日本国籍を放棄した者等の出入国管理に関する特別法を制定しました。この法律は、主として戦争終結以前から日本に居住している在日韓国人であって、平和条約に基づき日本国籍を放棄した者に適用されています。また、このような多くの韓国人の子孫は日本国内に居住を継続しており、また日本社会の中に定着しています。


 この法律は、これらの在日韓国人の地位をさらに安定化するため、定住の歴史的経過を考慮して、特別永住者としての地位を与えるため、1991年11月11日に施行されています。すなわち、国の基本的利益を脅かすような犯罪、たとえば内憂外患罪、を犯した者のみが国外追放処分を受けることとされています。これに対して、その他の外国人の場合は、追放処分が課される犯罪の種類はさらに広範なものとなっています。


 さらに、再入国が認められる期間の有効性は5年であり、その他の外国人の2年に比較して長くなっています。したがって、その日本における地位は保障されており、日本社会においてその生活を享受することができるようにされている、ということができます。


 外国人登録法に基づく指紋押捺の問題に立ち返りますと、日本政府は、登録に関するその他の諸方策を検討した後、この法律を改正することを決定し、永住外国人および特別永住外国人に対して指紋押捺を廃止しました。しかし、その代わりに、これらの人々には、写真、署名および家族情報を提供することが義務づけられています。改正された外国人登録法は、本年の1月8日から施行されています。


 付録文書における第2の重要な発展は、1992年6月19日に制定された「少年の保護事件に係る補償に関する法律」であり、これは同年9月1日に施行されています。この法律は、少年の保護事件においても、少年の人権をさらに確保するため、一般刑事事件における場合と同様の補償を提供することを目的として制定されました。この法律は、国に対して、審判事由の存在が認められるに至らなかった少年等に対し、少年が被った精神的および財産的損失を速やかに補償することを義務づけています。


 この法律の目的は、少年の身体の自由の拘束が違法でなかった場合または国家機関の側に何らの過失もなかった場合においても、損害の補償を提供することです。補償に関する手続では、裁判所は必要な調査を行い、補償の必要性とその範囲について決定することとされています。


 議長、委員会が私に対して冒頭の陳述を行う機会を与えて下さいましたことにたいして、我々は心から喜びを表明したいと存じます。また、我々は、本日および明日の建設的対話が委員会に対しても、また日本政府に対しても、有用かつ十分な情報を与えるものとなることを希望しています。どうもありがとうございました。


(5)問題事項リスト第1章に関する日本政府の回答


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 國方さん、冒頭の陳述どうもありがとうございました。では次に、日本政府代表団に、問題事項リストの第1章に関してお答えいただきたいと思います。第1章は、規約が実施される憲法上および法律上の枠組み、非差別、両性の平等、家族の保護および少数民族に属する人々の権利、さらに規約第2、3、4、5、23、24、26及び27条に関連するものです。ここには、いくつかの質問あるいは問題が掲げられていますが、私はそれらをここで読み上げることはいたしません。リストは既に代表団に伝えられています。代表団に対して当委員会に回答していただくようお願いいたします。どうぞ。


(國方、外務省人権難民課長) 議長、ありがとうございます。それでは、代表団に提示されたリストに掲げられている順に従って、質問に回答したく存じます。第1章(a)において、質問は次のようなものです。「報告書12項から18項に関して、規約の規定が直接適用された裁判例について、および国内法規と規約との抵触がどのように解決されるのかについて、さらに情報を提供していただきたい。」


(6)国内法規と規約との抵触関係


 我々の回答は、以下のとおりです。規約の規定の適用問題が扱われた裁判例についてはさまざまのものがあります。公式の最高裁判所判例集に登載されている判例としては2つあります。一つは、1989年3月8日の判決であり、報告書の第15項に引用されています。もう一つは、次のものです。1981年10月22日の判決であり、国家公務員法に関して、国家公務員が政治的行為を行うことを禁止する人事院規則が、規約18条、19条および25条に違反すると主張された事件です。しかし、国家公務員法および人事院規則は規約に違反しない、と判決されました。


 次に説明するものは、規約が扱われた高等裁判所の判決例です。最初の例は、大阪高等裁判所判決であり、1991年2月2日に判決が下されました。最初の外国人登録を行った後において、外国人に5年毎の定期確認申請を強制する外国人登録法が規約第2条および26条に違反するとの主張に対して、これらの規約の条項は事実上の差異によって生ずる日本人と外国人との間のアンバランスを禁止するものではない、と判決されました。また、居住および個人の身分を明確化するために設けられた外国人登録制度は、この国に対してより定住性のない外国人に異なった取り扱いを用意するものであり、合理的根拠に基づき、またその結果、規約の違反とならない、と判示されました。


 第2の事件は、東京高等裁判所の判決に係わるものであり、1991年9月18日に判決が下されました。チャージ・シート(注・「起訴状」の意味か)を日本語を解さない外国人被告に翻訳を付さずに送達することは、規約第14条(3)(a)に違反し、無効であるとの主張に対して、事実上、被告人の防御権は確保されており、規約14条(3)(a)がチャージ・シートの原本に翻訳の添付を義務づけているものではないと判決されました。


 第3の例は、広島高等裁判所の例であり、1991年11月28日の判決です。女性についてのみ再婚禁止期間を定める民法第733条が規約23条に違反するとの主張に対して、民法第733条は父性推定のために存在するのであり、憲法または規約の規定に反するものではない、と判示されました。なぜならば、規約が性に関する何らの差別をも絶対的に禁止しており、また、婚姻し、家庭を築く権利に対する合理的な規制を禁止しているものであると解すべき理由はまったく存在しないからであります。


 我が国の報告書第12項に記述されているように、日本の最高法規である日本国憲法は、日本により締結された条約および確立された国際法が忠実に遵守されるべきことを第98条第2項において規定しています。本条の趣旨に従い、日本が締結した諸条約は、それが日本に適用される場合には、国内法としての効力を持つものと考えられています。条約を締結する場合には、政府は現行の国内法との抵触の可能性について入念に審査します。また、規約との抵触が存在すると認められる限りにおいて、法規を修正することになります。


 既に述べたように、当事者の一方が規約の適用を求めている事例はさまざまなものがあります。そして、そのような違反が存在するかどうかについて裁判所は判断してきています。しかし、規約違反を理由として、裁判所がある国内法の無効を宣言した事例は皆無です。もし当該の違反が存在することになれば、規約が優先することになる、と考えられています。


 以上が、質問1(a)に対する回答です。


(7)公共の福祉と規約との関係


 質問1(b)は、「日本国憲法の12条および13条で規定されている『公共の福祉』の保護のための制約と、規約との両立について、説明いただきたい」というものです。(報告書5項および6項参照。)


 我々の回答は次のとおりです。我が国の憲法は第12条において、公共の福祉のために基本的人権を用いるという責任があり、また、公共の福祉に従う範囲において、人権が立法その他の行政手続において最大限に尊重されると、定めています。これは、絶対的にいかなる制約も人権に対して課されることができないということを意味するものではなく、ある程度においては、その本来的性格により、人権に対する制約がありうることを意味するものです。したがって、相対立する基本的人権は調整されることになり、各権利は平等に尊重されることになります。


 たとえば、他人の名誉を侵害することに対する処罰は、被告の表現の自由を制約することになりますが、しかし、このような制約は他人の名誉を保護するために必要とされるものです。そして、このような取り扱いは、公共の福祉という概念によって正当化されるわけです。したがって、他人の権利に対する侵害の可能性をまったく有しない権利に対して、公共の福祉という概念によりこれを制約するという余地はまったくありません。たとえば、内心的思想は絶対的なものであり、これに対していかなる制限も課されてはならないと解釈されてきています。


 第18条および第31条は刑事手続に関する個人の自由に関して規定しています。そして、これらの規定は非常に限定的かつ詳細なものであり、したがってその性格は公共の福祉概念による何らの制限もないということを示しています。


 さらに、人権を制約する法規が、公共の福祉という概念に基づく合理的な制約として正当化されるかどうかという問題に関して決定が行われる場合において、裁判所の先例は、財政的自由、営業の自由を制限する法規に関して、立法府による比較的広範囲の裁量を認めていますが、精神的自由を制限するものの解釈に関しては厳格な基準を提供しています。


 このように、憲法は公共の福祉に関して明確な規定を有しているわけではありませんが、しかし、公共の福祉の概念は、裁判所の判例およびそれぞれの権利に固有の性格に関する理論により特定化されてきています。したがって、政府の権力および公共の福祉という概念によって、人権が専断的に制約されるという事例はまったく存在していないのです。国際人権(自由権)規約が各権利を制約する理由を明らかにすべきことについて規定していることは確かですが、しかし、憲法に従えば、公共の福祉という概念によって人権を一般的には制約することができるのです。しかしながら、制約の仕方が異なっているに過ぎず、制約の内容は、規約において定められている人権を制約する根拠と実質的には同じものです。なぜならば、公共の福祉という概念は上に述べたように「特定化」されているからです。以上が質問1(b)に対する回答です。


(8)選択議定書の批准


 質問1(c)は以下のとおりです。「選択議定書の批准の可能性に関して日本が未だに直面している諸問題について、政府関係省庁によって行われた検討の結果は、どのようなものか。」(報告書86項(d)参照。)


 我々の回答は次のとおりです。日本は、日本の国内裁判所で裁定された人権領域における事項が、その後において、たとえば「欧州人権裁判所」などのような国際機関での司法的審査に付されるという制度を経験したことがありません。日本の司法制度が議定書批准によりどのような影響を受けるのかについては、現在、非常に詳細な検討が行われています。このような理由により、検討過程において生じてきた多くの問題に関していっそうの検討が加えられなければなりません。たとえば、個別の法的事案に関してさまざまな意見がある場合、とりわけ判決が下された後における場合、現在係属中の事案に関して選択議定書に基づき提出された事案の場合、または再審請求が行われている場合などの問題は、裁判所の独立の侵害となるかも知れません。あるいはまた、個人通報に関して手続の濫用が生じないかなどの問題です。以上が、質問1(c)に対する我々の回答です。


(9)権利を犯された者に利用可能な、救済措置を求める法的メカニズム


 質問1(d)は次のとおりです。「規約に規定されている権利と自由が侵害されたとする者が、規約の第2条3項に従って、権限のある機関が決定する執行力ある救済措置を求めた場合において、その者に利用可能とされる法的メカニズムにはどのようなものがあるか。」


 我々の回答は次のとおりです。規約に規定されている権利や自由の侵害を主張する者は、次のような救済措置を求める資格があります。第1に、当該権利侵害が行政機関によって行われた場合においては、異議申立てまたは不服申立てを「行政不服審査法」にしたがって行政機関に申立てをすることができます。第2に、「行政事件訴訟法」にしたがって行政処分の取り消しを求める訴訟を裁判所に提起することができます。異議申立てが行われた時点において、当該執行によって回復不能な損害が生じるのを回避するために緊急に必要とされる場合は、当事者は行政機関による処分の執行停止を求めることができます。第3に、公務員の悪意(マリス)または過失による違法行為によって損害が発生した場合は、「国家賠償法」にしたがって補償請求を国または公共機関に対して行うことができます。刑の宣告以前に勾留されており、その後、無罪とされた者は、当該勾留に対して補償を請求することができます。同様の補償が少年事件においても[少年の保護事件に関する]手続によって行われています。


 私人によって侵害が行われた場合、第1に、当該侵害をその他の方法によって除去することができないときは、差止め命令を求める訴訟を裁判所に提起し、財産的権利または身体的権利の保護を請求することができます。第2に、上に述べた手段による救済を待つことが困難または不可能な場合は、一定の作為もしくは不作為を求める請求、または権利の実現を図るための仮処分を求める訴えを裁判所に提起することができます。第3に、私人の悪意(マリス)または過失を原因とする不法行為によって損害を被った者は、当該不法行為によって生じた損害を民法に基づき賠償するよう求める請求を裁判所に提起することができます。


 不当な身体的拘束を受けている者は、「人身保護法」にしたがって裁判所に救済を求めることができます。


 さらに、人権違反が生じた場合には、何人も人権擁護委員、法務省法務局または人権擁護関連機関に対して、事件を調査するよう請求することができます。この手続は法的に強制可能なものとされていませんが、しかし、簡易な手続によって事実上の問題解決を図ることが可能とされています。以上が質問1(d)に対する回答です。


(10)女子差別撤廃のための措置


 質問1(e)は次のとおりです。「男女差別を撤廃するために現在とられているまたは計画されている措置は何か。特に、公共および民間部門において雇用されている女性の地位を含めて、離婚女性と未婚の母の地位に関してはどうか。」


 我々の回答は次のとおりです。「国際女性年」であった1985年の9月、日本政府は首相を長として、「女性に関する政策の計画および推進のための本部」を設置しました。また、1977年には国家行動計画を策定し、政府は積極的にこの計画を実施するための措置を推進しようとしました。この結果、女子差別撤廃条約の批准、雇用機会均等法の制定、民法典の改正、国籍法、国民年金法など、特に法律の分野において進歩が見られました。


 この他、西暦2000年をめざして、1987年5月に、計画推進本部は、新国内行動計画を立案し、基本的な長期的方向を定めました。それは、日本の政策の中で女性の地位向上のための措置を講ずるため、「ナイロビ将来戦略」を取り込んだ女性に関する施策の長期的方向を定めるものでした。これは、1991年5月に改定されています。


 国のすべての省庁と密接な連絡をとりつつ、企画推進本部は、その目的を達成するための包括的な措置を促進しています。


 次に述べるものは、女性の地位を改善するために実施された法律改正です。1976年、夫または妻(結果的には多くの事例において妻でありますが)であって、離婚により婚姻前の姓の使用を求める者は、前姓を使用しなければならないことによって生じうる社会的諸行動との関係における不都合を避けるため、届け出により、離婚の時点において使用していた姓を使用しつづけることができるという趣旨の改正が行われました。これは、民法第767条第2項に規定されています。


 1980年、配偶者の制定法上の相続割合は、配偶者、特に妻、の地位を改善するために引き上げられました。たとえば、子どもと配偶者が相続人である場合において、配偶者の相続分は三分の一から二分の一に引き上げられたのです。これは、民法900条に定められています。


 過去においては、夫妻となる者の国籍が異なる場合は、婚姻の効果は夫の国籍の法によるものと定められていました。1989年において、もし夫妻が共通の国籍を有していない場合には、婚姻の効果は夫妻が共通に住所を有する国の法によるものと改正されました。また、もし夫妻が共通の住所を有しない場合は、夫妻がもっとも密接に関係を有している国の法が適用されることになります。


 離婚女性および未婚の母に関して、彼らの法的地位に関して異なった取り扱いを認める制度は日本にはまったく存在していません。


 父のいない家庭および寡婦に関しては、その社会的・経済的な安定を促進するため、また父のいない家庭の子どもの福祉を高めるため、父のいない家庭に対するカウンセラーによるガイダンス、残された家族のための基本的年金の提供、児童手当て、ホーム・ケア、父のいない家庭および寡婦に対する福祉貸付け資金を含めて、包括的な措置が講じられています。


 議会、行政、司法などの公共部門を含むさまざまな分野において、政策決定における地位を占める女性の数は、依然として非常に少数ですが、しかし、次第に増加しています。「国連女性の10年」において、女性の政策決定過程への参加の向上のための特別行動プログラムが、1977年6月に策定されました。この線に沿った努力が行われています。新国内行動計画において、政策決定における女性の参加の拡大も、やはり推進されるべき1つの基本的政策となっています。この結果、国の審議会における女性委員の増加、すなわち1975年には2・4%であったものが1993年には10・4%に増加していることなどにおいて、達成が見られています。政府職員採用上において女性に開放されていなかった国家試験における雇用職種の除去に関して、1975年においては12職種であった数が、1989年にはゼロに削減されました。


 政策決定における女性の参加を推進することは依然として必要です。このため、本部は新国家行動計画において次のように決定し、またそれを推進してきています。それは、第1に、国の審議会や委員会における女性委員の割合を1995年までに15%まで増やすことにより参加の増大を図ること。第2に、教育と訓練を通じて、女性の政府職員の任命と昇進を推進し、その職域を拡大し、能力を開発することです。


 民間企業で働く女性に関しては、職場における平等の機会と処遇とを確保するため、法律が制定され、その確立が促進されてきています。法律は、女性労働者と使用者との間に生じうる紛争を解決するための救済措置についても定めています。以上が我々の質問1(e)に対する回答です。


(11)外国人の権利


 質問1(f)は次のとおりです。「当委員会のジェネラル・コメント第15(27)に照らして、全ての外国人が外国人に関連する規約上の全ての権利を享受しているかどうか、明確にしていただきたい。」


 報告書36項に記述されているように、選挙権その他、その性質上、日本国民のみに与えられるべき一定の権利を除き、外国人には、規約、日本国憲法、国内の法律および規則に規定されている基本的人権の享受が保障されています。外国人の地位は日本国憲法に明示に規定されていませんが、裁判所の先例は、その性質上日本国民のみに与えられるべきであると考えられる権利を除き、憲法第3章に規定される基本的人権が日本国内に居住する外国人に対しても同様に保障されている、とその基本的地位について宣言しています。これは1978年10月4日のマックリーン事件における最高裁の判決です。


 法務省の人権擁護機関は、人権宣言を擁護し、日本国内に居住するすべての人々に関する規制を導入するための公的情報活動を行ってきています。東京、大阪、高松、名古屋、福岡、広島等の法務局に、規則に従って外国人のためのカウンセリング担当官が設置されており、特に日本語を理解しない外国人に対して法的助言を提供するため、通訳も用意されています。


 その他の地方法務局においては、通訳の付された特別のカウンセリング・サービスが提供されています。そこにおいては、労働条件、婚姻、婚姻関係、帰化、国籍取得、損害賠償、刑事問題、その他のさまざまな分野においてカウンセリング・サービスが行われているのです。


(12)在日韓国人の状況改善のための具体的措置


 次は、質問1(g)であり、次のようなものです。「日韓両国間で覚書が締結された後、在日韓国人の在住、雇用および教育の分野における状況を改善するため、どのような具体的措置がとられたか、またどのような結果が得られたのか、明確にしていただきたい。」(報告書38項ないし57項。)次の回答がこの質問に対する我々の回答です。


 次の2つの問題が「居住」に関して生じます。第1のポイントは、たとえば日本政府が締結した平和条約に基づき日本国籍を喪失した者の出入国管理に関する特別法の制定および執行に関するものです。1991年11月1日に施行された法律は、第2次世界大戦終了以前から日本に居住する在日朝鮮・韓国人およびその子孫であって、1952年の平和条約の署名に基づき日本国籍を喪失した者の必要に配慮するものです。このような背景を持つものとして、歴史的背景と日本におけるその安定した定住に配慮しつつ、これらの人々により明確に定義された、またより依拠可能な法的地位を提供することを目的としたものです。第2のポイントは、当該の在日の特別永住者、その他の永住者に対する外国人登録上の指紋登録制度の廃止に関するものです。


 次に、雇用の分野に関して、在日朝鮮・韓国人の雇用に関する平等の機会を確保し、不当な慣行を除去するため、次の3措置が講じられました。第1に、日本政府は、朝鮮・韓国人労働者が直面している雇用問題に関するより明確な理解を日本人使用者にしていただくことを援助するためのセミナーを開催しました。これは、日本人使用者が、制度の必要性を十分に理解することを確保するため、また当該の朝鮮・韓国人労働者に対して平等の観点を持ったアプローチを行っていただくためのものでした。


 第2に、政府は、過去に不当な慣行が生じていた場合あるいは将来において不当な慣行が生じる懸念があると政府に思料される場合には、使用者に対して特別かつ個々の指導を行ってきました。


 第3に、政府は、在日朝鮮・韓国人の雇用関連の問題に関する、日本人公衆一般および、特定的には日本人使用者、の周知と理解を促進するための一連の広報キャンペーンを実施してきました。


 最後に、「日韓三世問題に関する諮問」のメモランダムにおける、3つの教育関連の改善があります。すなわち、公立学校の教員に関する雇用問題、朝鮮語による課外教育、そして教育案内に関する問題です。


 第1に、公立学校の教員としての雇用に関して、政府は、日本国籍を有しない在日朝鮮・韓国人である個人が、公立学校教員採用試験を受けることを許可され、試験に合格した者が専任教員として採用され、非常勤契約による教員とされないことに関する指示を出しました。この政府の指示に従うための措置が都道府県および政令指定都市の全てで既に講じられています。


 第2に、朝鮮語による課外授業の問題に関しては、政府は地方自治体に対して裁量により朝鮮語による課外教育および課外文化活動を在日朝鮮・韓国人であって日本の学校に在籍している者に行うよう助言を行っています。


 第3に、教育上のプロスペクタス(案内)に関して、政府は全ての地方の教育委員会に対して、日本に居住する学齢期の外国人子弟の親に、入学手続に関する詳細を含む学校案内を提供するよう指導を行っています。この結果、日本の地方の教育委員会は、自己の児童を日本の公立学校に入学させる意志のないことを明確に表明している者を除き、妥当な学校案内を学齢期の児童を有する全ての外国人親に発行しています。


(13)被差別部落社会の状況改善等の措置


 次の質問は1(h)です。「日本全国において被差別部落社会に属する者の状況改善のため、どのような手段がとられてきているか。同和地区の住民のための3つの特別措置法の制定によって、現在までに実質的な進展はみられたか。そうだとすれば、関連情報を提供していただきたい。」


 この質問に対する我々の回答は次のとおりです。同和問題は、我が国の政府においては日本国憲法によって保障される基本的人権の問題であると受けとめられています。日本政府は、1969年から1982年において同和事業の特別措置に関する法律、1982年から1987年における地域改善のための特別措置法、1987年からの地域改善特別事業に関する特別政府財政措置に関する法律を確立してきており、また同和地区と認定されている地域における生活環境の改善に関する特別措置、企業の促進、職業の安定化、教育の推進、人権の向上、社会福祉の保護および推進のため、3兆7,000億円を国庫から支出しています。


E@これらの促進措置により、同和地区の生活環境、その他の劣等な条件における大きな改善が見られており、その結果、同和地区とそうでない地区との格差は相当な程度において狭めることができました。また、心理的差別除去の分野における進展があり、これにより全体的に着実な進展が見られています。我々は、当委員会事務局に対して、1985年の調査資料を配布するようお願いいたしました。これには今述べた諸改善が詳細に記載されています。


 本年、我が国の政府は、大規模な調査を再び実施しており、我々は新しいデータを1994財政年度末、すなわち1995年3月までには提供することができると思います。日本政府は同和問題に関して、21世紀においてはいかなる差別も継続されることがあってはならないとの強い信念を持って、可及的速やかに解決するための努力を重ねています。


(14)アイヌ少数民族問題


 次の質問は1(i)であり、「アイヌ少数民族に属する者が未だ直面する問題について、そして北海道ウタリ福祉対策の下に導入された『総合的』措置について、説明していただきたい」(報告書234項参照)というものです。


 この質問に対する我々の回答は次のとおりです。1986年に北海道庁が実施した北海道のウタリ生活条件に関する調査によれば、周辺自治体に居住する北海道の一般公衆とウタリの人々との間には平均的生活標準、特に学校入学率または福祉手当て受給率において格差があるとされています。たとえば、高等学校入学者率においては、ウタリの人々の78・4%に対して周辺自治体の人々の93・9%という違いがあります。大学入学者の割合では、ウタリの8・1%に対して、周辺自治体の24・6%、福祉手当て受給の割合では、ウタリの6・09%に対して、周辺自治体の2・19%となっています。また、過去において、法務省人権擁護局が扱った事例ですが、ウタリの人々が婚姻に関して侮辱や差別を受けた例があります。


 北海道ウタリ対策は、教育、文化、産業、生活環境の改善を促進するあらゆる対策を統合するものとして北海道庁により7年前に策定され、これに基づきさまざまな措置が講じられています。北海道ウタリ福祉対策は、現在までに3回策定されています。


 北海道ウタリ福祉対策に基づき行われている個別対策には、次のものが含まれます。第1に、補助金の提供、高校生・大学生への奨学金貸与による教育および文化の促進、アイヌ民族の慣習および文化財産の調査および記録、第2に、下水施設の改良による生活環境の改善、新築住宅建設資金の貸付け、第3に、民族工芸作品展による産業の促進、農林業用のインフラの整備、職業訓練のための資金提供などがあります。


(15)非嫡出子の法的状況


 第1章の最後の質問1(j)は、次のとおりです。「非嫡出子の法的状況はどのようなものか。」


 我々の回答は次のとおりです。婚姻関係以外で出生した子ども(婚外子)に関して、子どもが法律上の親を有する限りにおいて、たとえば扶養・相続権など、民法所定の親子関係に基づき1親等親族の有する権利義務を取得することになります。日本民法に従った婚外子の取扱いは、婚姻により出生した子どもとは次に点において異なったものとなっています。


 第1に、婚姻関係から生まれた子どもは、出生により法律上の父親を有することになります。ほとんどの場合は、合法的な婚姻関係から生まれた子どもは嫡出子であると見做される(訳注、「推定される」)と規定する民法第772条の嫡出推定規定の適用を受けます。これに対して、婚姻外から生まれた子どもは、父親の認知によってはじめて法律上の父親を有することになります。


 第2に、婚姻関係から生まれた子どもは、その両親の姓を名乗ることになります。これに対して婚姻外から生まれた子どもは、その母親の姓を名乗ります。これは民法790条に規定されています。


 第3に、相続に関し、婚外子と嫡出子が同順位の相続人である場合において、婚外子は嫡出子の半分とされています。これは民法900条4号但書に規定されています。


 この他、出生登録において婚外子と嫡出子とが明確に区別されることを定める戸籍法によって、嫡出子はたとえば「長男」または「長女」などのように記載されますが、婚外子は「男」または「女」のように記載されます。このような区別は、すべて不可避的な事実的区別から生じるものであり、子どもが合法的な婚姻関係から生まれたかどうか、また合法的な婚姻関係を保護するための必要から行われるものです。したがって、婚外子に対してそれが何らかの不合理な差別を作り出すものではないと考えられます。


 議長、以上が質問書第1章に対する我々の回答です。ご静聴ありがとうございました。


(16)質問書第1章に対する委員からの補足的質問


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 國方さん、どうもありがとうございました。それでは、委員会の委員の皆さんに質問事項第1章に関する補足的質問、または日本政府代表団による回答に関するコメントをいただきます。委員の皆さんには、現在の発言予定者は12名であること、また時間の節約も考慮して発言していただきたいと思います。最初の発言者は、サディ氏です。サディさん発言をどうぞ。


(17)サディ委員(ヨルダン)の質問


(サディ委員) 議長、遠藤大使を団長とし、伊藤公使、人権難民課長の國方氏から成る日本政府代表団を心から歓迎したいと思います。代表団の規模がこのように大きなものであるということが、日本政府がここでの対話をきわめて重要なものであると考えているということを証明するものであると思います。これは非常に良いスタートであると思います。私は、代表団の構成上の選択がすばらしいものであり、またそれぞれが多くの任務を委ねられた規約の各分野の専門家であると思います。本当に良い審査開始になると思います。


 日本の報告書は、私の考えでは優れたものであり、委員会の指針にかなりの程度において従っているものであると思います。これが第3回定期報告書であるという事実を考慮しても、また以前の報告書を補足するものであるという点からも、全体的にみて、日本における人権の状況を明確に示しているものと考えます。


 今朝は、冒頭の陳述および質問事項に対する詳細な回答をいただきましたが、國方氏の回答は実に役に立ち、日本における人権に一層の光を当ててくださったものです。まず、日本の報告者は、一層の重要性を付加したものである、と考えます。というのは、日本はただ単なる一国家であるわけではなく、日本は地域的なパワーを持つ国です。日本は大きなパワーを持った国であり、スーパー・パワーを持った国になり、国連安全保障理事会の席を占めている国です。したがって、日本が規約に基づいて行うこと、発言することのすべてが、地域的にも国際的にも機関車的役割を果たすことになります。したがって、日本が規約の選択議定書や拷問禁止条約などのその他の条約の批准に関してやや保守的であることを残念に思います。再び申しますが、日本の地位を考えると、日本が地域のためにもまた国際的役割のためにも、基準を示すという意味における指導者的役割を果たすことを期待します。


 質問事項に関して述べる前に、いくつか申し上げたいことがあります。私は問題の全てを取り上げるつもりはありません。まず、安藤仁介氏とこうして一緒に仕事をさせていただいていることを心から感謝したいと思います。私は過去3年間知遇を得ており、彼が優れた専門家であり、学識ある専門家であり、またこの委員会の非常に貴重な委員であると思います。また、彼が委員長に選ばれているという事実こそ、安藤氏の見解や貢献に我々が多くのものを負っていることの証左です。したがって、日本政府に対してこのように有能な委員を推薦していることに関して感謝したいと思います。


 それでは、時間がありませんので、私の念頭にあるいくつかの問題を取り上げ、その他のものについては他の委員に譲りたいと思います。私の最初の質問は、規約の地位についてです。この機会が日本における規約の地位に関してうかがう第3回目のものであると思いますが、これは中心的問題ですので、この問題を再び取り上げさせていただきたいと思います。この問題について明確にしておかないと、我々としても永久に問題の明確な認識を欠くことになりますので。


 自分にとってよく分からないのは、報告書の第12項において、日本国憲法では日本国が締結した条約が忠実に遵守される旨の記述があります。それで結構かと思います。しかし、規定の趣旨に従うという文章に関して、この「規定の趣旨」とは何をいうのでしょうか。法的術語においては、意図とか趣旨ということになった場合に、トラブルが生ずることが多いのです。そして、問題が不明確になります。規定の内容に関して実際に解釈されたことに関して「規定の趣旨に従い」ということを説明した後で、今度は、これこれのことが「………と考えられている」と言われました。この「と考えられる」とは、誰がそのように考えているということでしょうか。つまり、日本における規約の地位はトリッキーなもの(微妙なもの)となっているのです。このような私の考えが誤ったものであることを希望しているのですが、しかし、報告書を読んだ上での私のコメントをさせていただければ、そのように感じるわけです。「規定の趣旨」と「……と考えられている」というこれらの2つの言葉が、日本における規約の地位に関して少し問題を感じさせる印象を私に与えているわけです。


 さて、政府代表は、本日、規約が日本の判決でときどき言及されることがある、と言われましたが、同時に、規約が国内法の一部としての地位を占めているということを明確に述べている判決が皆無であるという事実にも触れられました。規約が裁判で取り上げられることがしばしばある、とも言われました。また、裁判所の中には、(問題とされた)法律は規約に違反していないと判決している例もある、とも言われました。


 そこで、私の直接的質問は、以下のとおりです。裁判所が規約を解釈する場合において、裁判所は、当委員会の先例を指針とするのでしょうか。たとえば、ある種の法律が規約に違反していない、とされる場合です。さまざまな規約の規定を解釈する際に、当委員会が述べていることを考慮に入れるのでしょうか。というのは、これは非常に中心的問題であり、国内裁判所が規約を国内法との関連で解釈する場合には、当委員会の先例を指針とすべきである、と私は考えます。そうでなければ、さまざまに異なった解釈が生じてしまうことになります。


 次に、第2条の差別に移りたいと思います。報告書35項で、日本国憲法は、何人も人種、信条、性別、社会的身分または門地により差別を受けないとされていますが、国籍または出生国が除外されていることに何か特別の理由があるのでしょうか。「優しい」欠落あるいは非意図的な欠落かもしれませんが、しかし、規約の観点からすれば、何故そのような規準が欠けているのかということに関してうかがわざるを得ないわけです。


 次に在日朝鮮・韓国人の問題に移りたいと思います。私は、これが経過のある問題であり、差別に関してはあまり強い主張がなされていない問題であると承知していますが、私の質問は、このような差別的取扱いは朝鮮・韓国人であることによって生じているのか、ということです。これは朝鮮・韓国人が日本国籍を喪失したことを理由とする一種の「もつれ糸」のような関係で生じていることなのでしょうか。私は、将来における問題を念頭において考えているのです。現在では第三世代が日本国内に居住しているとのことですので……質問の趣旨は、この問題が、原因結果の関係において、国籍喪失から生じた「もつれ」から発生していることなのかどうか……在日朝鮮・韓国人に関してだらだらと長期化してきている問題なのですが。


 私のもう1つの質問は、彼らを特別永住者として考える場合に、たとえば米国の居住者であるグリーン・カード保有者として取り扱うことができないのでしょうか。たとえば、カナダや米国における場合のように、(理解可能な)選挙権の問題を除き、意図や目的などあらゆる点において事実上完全に平等の取扱いを行うことは不可能なのでしょうか。もしこの点に関する情報をいただければ、毎年2万人もの在日朝鮮・韓国人が外国人登録証を携帯していないために逮捕されていると聞いていますので、それを訂正していただけるかもしれません。これが正しい情報かどうか私は知りません。しかし、正直に申し上げると、日本の報告書が、かなり広範なレベルでの緊張を生じさせているように感じています。もちろん、その他のさまざまな分野で積極的な発展が見られることは確かですが。このような情報は正しいでしょうか。というのは、問題がそのようなレベルまで達しているかどうか、私は正直なところよく分かりませんので。前の質問に移れば、消極的な差別的取扱いが、たとえば在日朝鮮・韓国人に対して行われているかどうか、という問題です。


 次に第4条にいきたいと思います。報告書における第4条の取扱いは、非常に簡素なものであると思います。緊急事態に関する問題はほとんど存在しないのではないかと思いますが、しかし、規約の下では日本は国内法を規約第4条に適合させる義務を有しているということを率直に指摘したいと思います。たとえば、緊急事態を宣言する際の理由に関して、国連事務総長に通知すること、規約の規定の適用除外の問題、その他についてです。立法に関して述べるだけでも、この問題に関してもう少し多くの取扱いが必要であると思います。


 次に、少し早口になりますが、女性の権利について扱いたいと思います。男女の平等問題に関して、市民権、子どもの出生、たとえば外国人と婚姻した母から生まれた子どもについて、母の(日本)国籍は、日本人父親の場合と同様に(子に)伝わるのでしょうか。もう既に回答されたかも知れませんが……。しかし、回答を全体的にうかがった後で、私としては、ただその点に関して確認したいのです。


 私の最後の懸念は……私の同僚の懸念も考慮しつつ……婚姻外で生まれた子どもの問題です。思うに、我々は婚外子は付加的な保護を必要とするということに皆同意することができると思います。平等の保護のみでなく、付加的な保護であり、また(婚外子であることによって)罰を受けることがあってはならないのです。非嫡出子に関しては、両親が罰を受けることがありえても、子どもが罰を受けることがあってはならないのです。それを念頭に置けば、また規約では「それぞれの子どもは」と規定しており「婚姻によって生まれた子ども」とは規定していないのですから……。


 私は、日本がこのような状況を矯正するための努力をし、またこの無実の子どもたちに対して付加的な保護を与えることにより相当の進展をしていただければ、たいへん喜ばしいと考えています。そして、それが実際にそのような子どもに対する必要な留意、ケアそして保護に拡張されることを希望しています。特に、相続を含むものとされるべきであり、私は個人的には婚外子はより少なくではなく、より多くを相続すべきであると考えます。もちろん、これは私の主観的な考えであり、他の人々にお仕着せするつもりはありません。少なくとも、それらの子どもには、同情と付加的な保護と、いかなる意味においても(その身分による)罰が与えられないことが必要だと思います。以上が私の質問です。もちろん、後ほど、別の章で質問をしたいと思っております。どうもありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) サディさん、ありがとうございました。では次に、マブロマティス氏に発言していただきます。


(18)マブロマティス委員(キプロス)の質問


(マブロマティス委員) 議長、どうもありがとうございます。私は、心からの歓迎を大規模かつ有能な日本からの代表団に表明したいと思います。報告書にも感謝したいと思います。我々の指針に従って作成されたこの報告書は、審査のためまたお互いの対話のために、非常によくできたものであると思います。特に、その後の進展に関する(口頭の)報告および我々の質問事項リストに関する実際に非常に良い回答に対しても感謝したいと思います。それにより私が有していた質問の半分以上は回答していただいたことになり、またある程度回答していただいたものもあります。


 まず申し上げたいのは、あなた方の国の出身者がこの委員会の委員長を務められているという事実であります。安藤氏は、良識あるのみならず、その貢献は第一級であり、またこの委員会を正しい方向に導いていただいている、と考えています。


 私の友人のサディ氏は、国際関係における日本の役割について言及されました。このことは報告書の審査に関連を有しないわけでありますが、にもかかわらず、サディ氏が言われたように、日本が国際的な分野において指導的な役割を演じていることは疑いのないことです。そして、国連安全保障理事会の常任理事国になるという妥当な期待も受けているわけです。これらの事柄は、より多くの責務を日本に課しているとも言えます。現代においては、指導的国家は人権の保護および促進のための模範を提供することが期待されています。私は、日本が人権の分野で非常に多くのことをしていることを知っています。また、2国間、他国間の関係において経済的諸関係の分野で開発援助を行っています。また、人権を促進する機関やセンターに対しても直接的援助を行っています。人権や基本的人権に関しても明らかに進展していることは確かです。


 しかし、にもかかわらず、ある種の分野ではさらに改善が望まれる分野もあります。その1つは、選択議定書の批准です。選択議定書を受け入れることが困難である理由に関して述べられたことに若干の懸念を有しているのですが、司法府に影響を及ぼしうるとのことです。さまざまな国が、次から次に議定書を批准しており、地域的または普遍的なものとして人権の保護に関する選択的手続を批准しているのです。これにより個人通報すなわち個人による申し立てを認めているのです。通例は、まったく問題は生じていないのです。通例は、このメカニズムは、長期間にわたって救済が得られない場合を除き、国内の救済手続が尽くされた場合に利用可能とされており、したがって(司法の独立を侵すという論理が)正当化されるものであるとは考えられません。


 ところで、これはいくつかの質問に対する回答を提供していることになります。いかなる国も、現在のところ、基本的人権を完全に保護しているとは言えないわけであり、地域的にあるいは普遍的に、さまざまな仕方で選択的手続を受け入れているのです。ところで、ラテン・アメリカであれ、アフリカであれ、我々の地域に関しては、人権保護のための地域的協定は存在していません。したがって、できるだけ早く批准することが望ましいのです。


 次に、非常に顕著な特徴について述べさせていただきたいと思います。日本が報告書を国内・国外のNGOに入手・利用可能なものとしたという事実にたいへん感銘しています。その結果、前代未聞の関心が生み出されました。日本はその場を提供したことになり、日本はこの委員会をして国々に報告書を公的に入手・利用可能なものとするよう要請していく方向を示してくれたものと考えています。なぜならば、国内のNGOは、より密接、継続的かつ首尾一貫して、人権と基本的な人間の自由の尊重を監視できるよりよい立場にいるからです。これは疑いもなく、政府とNGOのリアクションから、非常に多くの「善」が生まれてきているのであり、非常に多くの改善がNGOの努力に依存していると言えると思います。まったく自然に、NGOの性格は、弁護士連合会などのように、主たる目的として人権の促進を掲げているのです。ところで、弁護士連合会はある意味でユニークなものであると思います。検察官が入っていないからユニークであるというのではなく(ほとんどの国では彼らはその会員ではない)、その目的として人権の促進を掲げていることがユニークなのです。いずれにしても、政府は彼らの意見を聞かなければなりません。なぜなら、彼らNGOこそ特に強力なロビーであり、政府がそうすることこそ最善の利益に叶うのです。


 さて、あと規約に関していくつかあります。裁判所がどのようにして規約を利用しているかということについて我々に与えられた説明を注意深くうかがいました。どうも消極的なアプローチであるように思われます。裁判所は、(国内法が)規約と抵触するものでない、と言っているに過ぎないように思われます。もう一歩進めていただき、規約に規定されていることを根拠として(国内法における)規約違反の主張を受け入れてもらいたいと思います。日弁連からの情報に従えば、この問題に関してかなりの懸念が存在する、とうことを申し上げたいのです。日弁連の報告書によれば、裁判所は規約の規定を(国内法に)優先させ、当該事件に条約を直接的に適用して判決を下しているという(政府の)主張にもかかわらず、政府は、事実上、政府が被告の立場に立たされている事件において、逆の立場をとっている、とされています。これは事実でしょうか。この警告は真実でしょうか。規約に基づいて判決を下した裁判例は皆無である、とされています。この問題に是非回答していただきたいと思います。これは非常に重要であり、私が前に述べたケースでは、規約が国内裁判所の事件に適用される場合には委員会のジェネラル・コメントが指針として利用可能なときは用いられるとのことでしたが、しかし、他の事件、すなわち(外国人の)被告人に対するチャージが通訳を付して行われていない、とされています。私が知りたいことは、チャージが翻訳されている場合においても、いったい通訳が付されているかどうか、ということです。文書が(外国人である)被告人の自国の言葉で作成されていることが必要なわけであり、また規約上、チャージが翻訳されていることが必要です。さらに、正式の問責(起訴)が行われる前においても、被疑者・被告人に対して、その問われている内容を彼が理解する言語で知らしめておくことも必要です。


 次の問題は、公共の福祉です。これがどのように理解されているかということに関して、私は十分に理解できません。また、それがどのようなものであるかということに関する法的な先例がない場合に、当該の国は、立法によってそれを定義することがおそらく必要ではないかと思います。そうでなければ、さまざまな部面で規約違反を許してしまうことになります。日本の憲法では、政治的意見の表明における場合のように、いくつかの差別についてその理由を欠いていますので、公共の福祉や公共の利益というものが実際に何であるのかということを明確に定義する必要が一層存在する、と考えられます。私にはそれ(不存在)がまったく理解できないのです。


 人権擁護委員に関して簡単に。彼らの仕事のほとんどは、報告書の8項で示されているように、財産権や契約上の問題などの民事紛争と結びつけられているように思われます。私は、それが人権とどのような関係にあるのかよく分かりません。この点に関してご説明いただきたいと思います。いずれにしても、知りたいのは、在日朝鮮・韓国人のような少数民族や権利の実現を十分に保障されていない人々、同和地区の人々が意見を表明する機会が保障されているのかどうかということです。こういった人々にはその(人権擁護委員の援助を受ける)資格があるのでしょうか。ときには、裁判所に行くよりは、人権擁護委員に問題解決を依頼することがあると思うのですが、それが問題を混乱させることにもなると思います。人権擁護委員の場合、権利の実現よりも、説得ということに主眼が置かれることにならないでしょうか。


 在日朝鮮・韓国人問題に関して。私の前の発言者も既に述べられましたが、朝鮮・韓国人に関する問題で、同和地区における進展と同様に、この問題でも進展があったことを喜びたいと思います。過去の歴史により、個々人にその(希望や問題)が問われることなく、全体として朝鮮・韓国人が日本に滞在することとなり、また国籍を保有することになった経過からして、彼らが居住する国の政府は、外国人登録、指紋押捺、雇用などあらゆる残余の制約を除去する義務を有していると思います。公務員制度において、一定の地位までは昇進することができるが、それ以上昇進することができないようなことを、一体誰が許容することができるでしょうか。後になって昇進する機会に終止符を打たれ、そこに止まらなければならないわけですから、差別的ではないでしょうか。このようなことは除去されなければならないと思います。


 同和問題に関して、我々に与えられた新しい情報を読みました。ここでも進展が見られているとのことです。思うに、さらに必要なのは、依然として存在している差別と残余の不平等を完全に除去するための教育と啓蒙だと思います。


 子どもに関して、次のようなことが語られ、私はそれに些かの驚きを感じたわけですが、日本が「子どもの権利条約」を実際に批准したのかどうか疑問を持ちました。(日本政府の報告では、婚外子差別に関して)1つには、相続につき(嫡出子の)半分とされる合理的な区別があり、また出生証明書に表示される場合は母親の姓が示されるとのことでした。婚外で生まれた場合でも、父親が子の認知を行うことがあるのではないか、と思います。これらは、子どもに対する残酷な取扱いであり、除去されるべきことであると思います。より首尾一貫した形で、規約に適合させるべきであると思います。他にいくつかありますが、以上が私の質問です。議長、ありがとうございました。


(19)ポカール委員(イタリア)の質問


(ディミトゥリエヴィッチ議長) マブロマティスさん、ありがとうございました。では、ポカール委員に発言をお願いします。


(ポカール委員) 議長、ありがとうございます。議長、私も、遠藤大使のご欠席の下で、伊藤公使により代表される日本政府代表団を心から歓迎することから始めたいと思います。伊藤公使には、別の会議でいろいろと協力いただいています。代表団の規模および能力からして、今朝から既に開始しておりますが、質問事項の第3章に至るまで我々は良好な対話を持つことができるのではないかと考えます。時宜にかなって提出された(政府)報告書については、我々の立て込んだスケジュールの関係で直ちに審理することができませんでしたが、良い報告書であります。また、國方氏に対しては、報告書をアップ・ツー・デートなものとするための補足的説明をいただきありがとうございました。


 議長、私がいくつかのコメントをする前に、我が委員会の委員長である安藤氏について述べさせていただきたいと思います。彼にこの委員会の委員長を務めていただいているのは、我々の喜びとするところです。安藤氏は我々の活動に対して大きな貢献を行っています。我々の非差別  この問題は、ここ数日においても取り上げられることになっています  に関するジェネラル・コメントの最初のドラフトの作成のような困難な仕事においても、指導的な役割を演じています。また、最近の優れたラポルトゥール(報告者)であり、さらに我々の議論においていつも刺激的な考えを示して下さっています。最後に、また必ずしも最も重要性が低いわけではありませんが、彼の公正さ、親切、我々のすべての者との友情において、極めて顕著な方です。


 それでは、個別的な問題に移りたいと思います。まず、人権状況を改善するための近年における日本政府の大きな努力について私はよく熟知しております。国内外で、私は、アジア地域におけるさまざまな会議やワークショップに参加する機会を得ており、また個人的に、この分野における日本人の専門家や代表団が果たしている役割を知る機会がありました。そして、ここに、このように多くの政府代表団やNGOが来られていること自体が、少なくとも規約の周知に関する目的が達成されたことを示すものであると思われます。これは、多くの他の国にとっては、一般的なことであるわけではありません。特に、私は、我々に多くの情報を提供して下さったさまざまなNGOに感謝したいと思います。


 ところで、私は最近日本を訪問し、意見を交換する機会がありました。このようなことを言うのは、これから述べるいくつかの問題に関する批判について、このような背景を持って申し上げているということを理解していただきたいと思うからです。この質問事項第1章に関しては、私はごくわずかな質問しか有していません。これは、他の多くの問題が討議を必要としているということのみならず、いくつかの問題は今朝、既に代表団によって回答されているからでもあります。


 私の主要なコメントは、差別問題についてです。私の印象では、今朝、代表団が述べた日本政府のさまざまな努力にもかかわらず、また立法や実務慣行における非常に多くの改善例にもかかわらず、いくつかの領域で法と慣行の両方において一定の差別が依然として存在しています。法の点に関してまず申し上げます。私の同僚は、既に婚外子差別について述べられました。私自身も婚外子差別が存在するのみならず、正当化されているという話を聞いて、驚きを禁じえなかったわけです。相続事項に関して婚外子が差別される旨を規定する民法第900条は、規約違反です。明確に規約違反です。委員会も規約24条に関するジェネラル・コメントにおいて、相続を含むあらゆる領域における差別について言及しています。マブロマティス氏が既に述べたことを繰り返しませんが、子どもの差別に関するその他の規定もあるわけであり、出生の登録や通知など、差別の根拠とされる事項を含めて、それは出生後の社会における婚外子の差別となります。この問題は、私にとって非常に重要なものであり、代表団がただ今説明したような家族を保護するための法秩序をもってしても、子どもの権利を阻害するようなものとして確保されることがあってはならない、というのが私の意見です。その他の方法によって達成されなければなりません。私が申し上げたいのは、家族の保護をもってしても、婚外子という家族の1員が保護されない事態が生じてはならないのです。もし第1次的保護が家庭内の保護であるとしても、なぜ社会が、家族自身を保護しようとしない家庭を保護しなければならないのか理解できません。当該の状況に関してまったく責任を有しない子どもの利益を害するような仕方で、家庭を保護する理由はないのです。


 したがって、子どもの保護が第1に考えられるべきであり、次に、婚外子の不利益にならないという考え方に照らして、家庭の保護が考えられるべきである、と思います。したがって、私は、この種の差別がすべて除去されるよう希望します。


 次に、私の印象では、国のさまざまな地域で、特に職場における女性や労働者に対する差別が存在する、と思います。もちろん、さまざまな改善が行われているわけですが。この点について、NGOから一定の思想を有する労働者あるいは一定の行動を行った労働者の解雇に関するいくつかの情報を得ています。私は、このような労働慣行は法に違反するものであると理解しています。法はそのような差別について規定していないからです。代表団に確認をしてみたいことは、救済方法が不適切であるため、実際に差別が存在しているのかどうかということです。


 私の理解では、解雇された労働者は、地方(労働)委員会に申し出て、問題を討議してもらうことができるものとされている、と思います。地方(労働)委員会からは中央(労働)委員会に、さらにそこから東京の下級裁判所に、さらに最終的には最高裁判所に提起することができ、それも事件によって全体で15年以上かかると思います。


 手続を急速化したり、差止め命令が利用可能とされるメカニズムがない場合は、そのようになるわけですが、代表団は何か差止め命令について述べられたでしょうか。さまざまな分野における差別を除去するために、差止め命令が利用可能なものとされ、または適用になるかどうかうかがいたいと思います。


 議長、私は子どもの権利に関して1つ質問をするのを忘れたような気がします。また、それに関して代表団から情報をいただきたいと思います。最近、東京高等裁判所は、今年の6月ですが、民法第900条4号が憲法違反であると宣言した、と聞いています。この判決のインパクトがどのようなものであったか知りたいと思います。民法900条を違憲として無効としたのでしょうか、あるいは別の立法が必要とされたのでしょうか。もしそうであれば、この点に関する日本政府のアプローチはどのようなものとなるでしょうか。


 議長、最後に私も、日本が近い将来において我々の規約の選択議定書を批准することが非常に望ましいものであると申し上げたく存じます。マブロマティス氏と同様に、私が前述したように、問題が救済方法の問題とリンクされているのでなければ、司法システム制度上の問題や消極的影響の問題はないと思います。というのは、前述のケースにおいては当該の国で救済が不合理に引き延ばされたとの通報を送ることができたことは確かなのですから。それは司法制度に影響を及ぼすかも知れませんが、司法制度にとって何らの問題も発生させるものではありません。問題があれば、法律の改正を行えばよいことになります。と言うのは、私の国でも多くの点で司法手続の長期化の問題があるからです。わが国では、可能な場合には手続を急速化するための試みが行われています。もちろんそれは簡単ではありません。規約人権委員会のような国際機関の支援がこの点に関しても有効かと思います。議長、以上が私のコメントです。ありがとうございました。


(20)エヴァット委員(オーストラリア)の質問


(ディミトゥリエヴィッチ議長) ポカールさん、ありがとうございました。それではエヴァットさん、発言をどうぞ。


(エヴァット委員) 議長、ありがとうございます。同僚とともに、日本政府代表団を心から歓迎したいと思います。その規模と強さは、規約が日本で重要視されている証左です。ご存じのように私の国と日本とは、地理的に隣人であるという意味においてもさまざまな関係を有しています。私にとって、初めてこの委員会に対する日本の報告書の審査に参加することになり、たいへん嬉しく思います。冒頭の陳述で赤松女史への言及がありましたが、女性の(権利に関する)委員会の委員としてご一緒させていただきましたので、嬉しくうかがった次第です。また、私がこの委員会に加わりましたとき、有能な指導者である安藤仁介氏が委員長を務められていることを嬉しく思った次第です。彼は、これまで私がこの委員会で知遇を得た唯一の委員長であり、私は彼と一緒に仕事をすることができることを喜びとしています。


 日本の第3回報告書および付属資料は、非常に包括的なものです。マブロマティス氏が言われたように、先例のないほどの量の資料をNGOから受け取っています。私は20以上の団体から資料を受け取りました。そこでは多くの問題点が指摘され、あるものは大きな問題であり、あるものは小さな事柄を問題にしています。それらは、我々が日本報告書に関して取り上げるべく詳細に研究するにはあまりに多くの問題を掲げています。その点で、日本政府がこれらの資料とそこで掲げられている問題点を検討すると今朝言われたのを知り、嬉しく思っています。


 私は、日本が詳細な資料を提供して下さったことに感謝したいと思います。それらは英語で作成されていましたので、嬉しく思うわけですが、それらの中では、前回の審査で取り上げられた問題について扱われています。また、今朝、明確な回答をしていただいたことにもお礼を述べたいと思います。


 日本の報告書を見ていますと、前回の審査での当委員会委員による討議の内容は、規約の地位、勾留されている者の処遇、死刑の適用、さまざまな差別であり、これらの同じ問題が今回の報告書でも、また我々がNGOから受け取った報告書でも扱われています。


 まず初めに、第1選択議定書の批准問題からコメントしたいと思います。これは前回においても議論され、今回も本日議論されました。個人通報に関する選択議定書の、人権世界会議による普遍的な批准の要請を考慮すると、日本がこの問題にも積極的な考慮を行うことが重要であると思います。多くの国は、選択議定書を批准する手続をとっていますし、またいずれの意味においても選択議定書の批准により批准国の司法権の独立が侵害されるようなことはないわけです。また、今まであまり経験されていませんが、濫用の問題が生じても、国内的救済を尽くさなければならない、という要件もあります。


 規約の地位に関して。以前にはこれに関して若干の懸念が表明されていたようであり、またその懸念は現在でも継続しているように思います。特に、公共の福祉による制限に関してそのような懸念があります。説明によれば、この問題は個別の事件において裁判所が決めるものであるとされていますが、そのことが権利の適用の不確実性をもたらすように思われます。


 規約自体に、当該の状況を定義する法律による制約が定められています。報告書第15項における説明において、「もし法が当該の定めをしている場合は制約が許容される」と書かれていますが、これは非常に重要な要件をミスリーディングするものであり、許容される制約は人権規約において明確に認められているものでなければなりません。報告書で言及されている判決および今朝説明されたものは、いくつかの懸念を生じさせるものです。私の考えでは、選択議定書を批准することによるこの問題は、オープンな討議を必要とするものであると思います。


 報告書の第8項では、「ナショナル・インスティチューション」(国の機関)とされているものですが、人権擁護委員会の任務についてさらに、特に、その機関が行政機関による人権侵害のケースを取り上げることがあるのかどうかについて、情報をいただきたいと思います。報告書によれば、私人間の私的問題を扱う事例がほとんどである、とされていますが、公的機関が関わっている場合に、どのような手段を利用することができるかうかがいたいと思います。


 女性と差別の問題に関して、今朝かなり長い時間討議されたわけですが、国内行動計画が歓迎されるべきステップである、ということをまず申し上げたいと思います。私は、雇用機会均等と平等賃金の実施が遅れていることに関するILOの報告を読みました。育児に関する報告書第94項の記述との関係で、規約第23条4項に基づく責務を考慮すると、「家事責任を有する労働者に関するILO条約」を日本が積極的な考察を行っているのかどうかについて質問したいと思います。ここにおいて問題になっているのは、日本の家族関係における男女の役割に関する黙示的または伝統的な前提であり、それが女性の地位向上、雇用および政治参加の障害になっていると思います。


 他の委員が、(既に)子どもの権利、とりわけ婚外子に関して続けられている差別について話されましたので、私はその点に関して、次のことだけを申し上げたいと思います。氏名や家族事項の登録があまりに厳格すぎるのがこの問題の核心にあるのだと思います。それが、婚外子の継続的差別に繋がっているのです。この問題の解決のためには、それらの両方の要件を克服することが必要だと思います。なぜならば、子どもであれ大人であれ、平等に扱われなければならないのは個人の人権であるからです。ポカール氏が言われたように、高等裁判所が婚外子の相続に関して判決を下したとのことですが、私はそれが上訴されたかどうかもう少しうかがいたいと思います。


 他の委員が在日朝鮮・韓国人および被差別部落について話されましたので、私は以下のことだけを申し上げたいと思います。アイヌ社会に関して、私の認識する問題点は、個々の文化的アイデンティティーや言語を維持し続けるという当該社会の希望が取り入れられていないのではないかということです。このことは、今日ここで議論された改善以上のもの、すなわちこれらの地域社会自体が自己の発展のために協議と参加をすることが必要であるということを意味するわけです。


 議長、この章で最後に私が取り上げたいのは、選挙過程と政治参加についてです。委員会ではさまざまな委員から、選挙キャンペーンにおける人々に対する非常に厳格な制約について懸念が表明されました。私としてはこの問題を、また規約第25条における自由かつ公開の選挙過程に参加する権利との関係を、明確にしていただきたいと思います。議長、どうもありがとうございました。以上が私の論点です。


 


(21)ヒギンズ委員(英国)の質問


(ディミトゥリエヴィッチ議長) エヴァットさん、ありがとうございました。委員のご理解をいただきたいと思いますが、我々はこの報告書と審議の重要性をもちろん完全に理解しているわけですが、しかし、時間は限られており、発言リストにある発言予定者は多くおります。したがって、できるだけ簡潔に、また既に他の委員によって扱われた問題については、代表団が一まとめにして回答していただくことになっていますので、重ねて言及することのないようにお願いします。このことは、利用可能な時間を用いて発言していただくことを決して制約するものではありませんが、手続上の経済から、ご配慮をお願いするものです。では、次に、ヒギンズさん、発言をお願いします。


(ヒギンズ委員) 議長、ありがとうございます。まず初めに、私は議長も代表団も「見る」ことはできませんが、しかし議長も代表団も何処かそこにいらっしゃると信ずべき十分の理由がありますので、それぞれの方に語りかけたいと思います。私は、心から代表団を歓迎し、また第2回の審査に際して行った対話の続きをここにおいて行いたいと思います。私の同僚が我々の委員長に対して表明した言葉と同じものを、安藤教授に送りたいと思います。安藤教授は、静かに、丁寧に、かつ強力で良好な力を持って委員長席につかれています。私は、彼を委員長および同僚として高く評価しています。


 私は、そこに盛られている膨大な情報に関しては多くの対話を必要とするけれども、(日本政府)報告書をかなり良い報告書であると考えています。また、極めて有能な代表団であると思います。このように我々の質問やコメントに真に回答することができる代表団を送っていただいたことについて、日本政府に感謝したいと思います。また、國方氏に対しても、相当の準備が必要であったと思われる、当初の質問に対するあのように優れた回答をしていただいたことに関して感謝いたします。


 同僚が既に言われたように、我々は非常に多くのNGOからの提出物を受け取っています。そのあるものは規約に関してかなりの根拠を有する内容を持っており、またそうでないものもありますが、しかし、それらのものをいただいて大変喜んでいます。また、私は、人権に関するこのように健康的な公的意見の交換に対する政府の積極的な対応を喜んでいます。また、顕著な領域における最近の立法における非常に印象的な変化があったと聞いています。行政的措置においても疑いもなく改善が行われており、またさまざまな問題に対する特定的なアファーマティブ・アクションに関する解答が出されている、と聞いています。こういったことのすべてが、非常に推奨されるべきものであると考えています。


 選択議定書に関して、私は、私の同僚が既に話された、裁判所の独立に対する懸念に関する2つの主要な理由およびその他の濫用問題について非常に興味を引かれました。第2の点について私が申し上げたいことは、ただ、選択議定書自体が、濫用となる個人通報の拒否に関する規定を有しているということです。また、手続の濫用から我々自身(委員会)またその関連で締約国を保護するため、第2条および第3条にその他のメカニズムも有しています。したがって、まったく問題はない、と強く信じています。


 さて、私は、特定的問題に入る前に、一般的問題について扱いたいと思います。前回の審査において懸念された問題のいくつかは、現在でも存続しているのではないか、という疑問を持っているからです。また、その反面、いくつかの分野に関しては改善があったと思います。ただし、そのような変更の理由の背後には、たとえば他国の政府との交渉によるものがあった、ということもあったと思います。それは、我々の予備的な質問を生じさせることになります。我々の考え方が政府にどのように受け入れられたのかという意味で、我々の前回の報告書審査の後、何が実際に起こったのでしょうか。我々が述べたことが検討されたのでしょうか。その結果、どのような行為がとられたのでしょうか。よりよくご理解していただくために申し上げれば、変化に抵抗を示していた者が変化を受け入れた理由に関して、変化をもたらした他の外部的要因とは別に、我々がこの委員会で述べたことが変化に対してどのように影響を及ぼしたのか、ということです。


 それでは、これから、いくつかの特定的質問を行いたいと思います。議長が「差止め命令」を出されましたから、私は非嫡出子については、同僚委員から出されたもの、特にポカール氏によるコメント以上の質問を重ねていたしません。


 在日朝鮮・韓国人に関して継続している差別に関して、私は以下の特定的質問を持っています。長期在住者が外国人登録証を常時携帯しなければならない目的は何でしょうか。私自身、登録証を携帯させることが人権違反になるとは必ずしも考えているわけではありませんが、社会のある者が登録証を携帯することが必要とされ、別の者には必要とされないこと、また携帯しないことに対して刑罰が科されるということになれば、当該の差別的取扱いが目的とするものは何であるか、ということを知りたいと思うわけです。


 私の第2の質問は、他の外国人と比較して特権が与えられている5年以内の再入国許可についてです。永住資格を有している外国人にとっては、なぜ5年という期限が課されているか教えていただけますでしょうか。


 私の第3の質問は、文化における同化(政策)一般に関してであり、特定的には姓名に関して生じているものに関してです。率直に言って、このようなことすべてが、ヨーロッパ人には理解が困難です。しかし、私は次のように理解しています。帰化した朝鮮・韓国人にとっては、朝鮮・韓国名の継続的使用については、日本式の表記の仕方に変更せざるをえないという一定の「事実上の」制約があるものと思います。しかし、朝鮮・韓国式の姓名を保持している者にとっても、姓名は漢字で戸籍に記載され、それがローマ字化されて、異なった日本式姓名になりパスポートに記載されます。また、姓名が日本式のひらがな・カタカナで戸籍に記載される場合でも、ローマ字化されて、異なった姓名としてあるいは朝鮮・韓国式のものにいくぶん近い形で表記されます。私が一般的に知りたいのは、名前を別のものに表記させるため、なぜ圧力が存在するのかということです。


 私の次の質問は、在日朝鮮・韓国人が規約27条の規定する少数民族であると承認されているか、ということです。報告書には在日朝鮮・韓国人と27条の関係に関する記載がまったくありません。少数民族についてはアイヌに関する言及があるのみであり、彼らは日本人であり、その平等が保障されている、とされているに過ぎません。これは次のような意味で、「不吉な」記述の仕方であります。つまり、少数民族の権利は、彼らが国民である限りにおいて保障される、ということを(日本政府が)示唆しているものであり、当委員会としてはそれを受け入れることが困難であるわけです。少数民族の権利は、領域内に居住している少数民族の何人に対しても適用されなければなりません。たまたま偶然に領域内にいる者に対しても適用されるものと我々は考えていますが、永住している者に適用されるものであることは明らかです。


 私は、居住している者の権利が侵害されたかどうかという実質的問題を検討せよと言っているのではありません。私の質問は、在日朝鮮・韓国人の人々が少数民族として規約第27条の保護を受けているかどうか、ということです。


 議長、あと3つ、小さな質問をして私の質問を終わりたいと思います。第1に、許可されている朝鮮・韓国人学校において、同じ全国的カリキュラムが用いられているが、これらの学校から高校や大学への進学における問題がある、というのは正しいでしょうか。また、これらの学校に通う生徒・学生たちは、通学定期割引上、より高い金額を支払っている、というのは正しいでしょうか。また、一般的にはそうすることが推奨されているのに、67歳を超えた在日朝鮮・韓国人は、年金の保険料納入期間の通算に際して空白期間を算入することができない、というのは正しいでしょうか。以上の質問にお答えいただければ大変嬉しく存じます。ありがとうございました。


 


(22)シャネ委員(フランス)の質問


(ディミトゥリエヴィッチ議長) ヒギンズさん、ありがとうございました。次の発言者は、シャネさんです。


(シャネ委員) まず最初に、日本がこの委員会に送られた大規模な代表団を心から歓迎させていただきたいと思います。大規模のみならず、非常に有能な代表団です。これは日本が当委員会の仕事を重要視していることの表れであると思います。また、当委員会では有能な安藤仁介氏が委員長を務められているという事実も歓迎したいと思いますし、彼の親切、有能さ、友情と人間性を私はほとんど毎日のように感じております。


 議長、5年経過して、私はこの対話を続けることを大変嬉しく思っております。私がこの委員会の委員になったのは1988年の中ごろであり、そのとき(日本の報告書の審査が行われていたので)それに参加しました。この報告書が予定通りに提出され、また迅速に審議されることが大変重要であると思います。つまり、それにより一国の法的かつ制度的な枠組みを一層多く学ぶことが可能となるからです。また、審査に際して行われたコメントが考慮に入れられたのかどうか、またそうでない場合は何故この間に改善がなされなかったのかということを知ることができるからです。


 代表団は委員会に明確な説明をすることができるでしょうから、結果的にどのようなことになるか知れませんし、政府もその見解を変更するかも知れませんが、しかし、いくつかの問題が、「差別」というよりも、「違い」に関して存在するように思います。その「違い」が正当化できる違いなのかどうかについて知ることができるのではないかと思います。法律や慣行が正当化できないものである場合は、規約を遵守するものでないことになります。しかし、多くの人々や集団が異なった仕方で取り扱われているように思います。したがって、それが何故なのか、また女性、外国人、非嫡出子など、彼らの地位に関して何らかの変化が生じているのかについて知りたいと思います。また、私の個人的関心では、精神障害者の場合にも懸念を有しています。


 少数民族、外国人、特に在日朝鮮・韓国人に関して行われた質問にも同感ですし、また医療援助に関しても(質問を)個人的には付け加えたいと思います。思うに、医療援助は日本国民に対してのみ適用可能とされているようです。日本の経済に参加する形で日本で労働している外国人が、同じ条件の下で社会保障や医療援助の利益を受けることができないのでしょうか。この問題(医療援助)に関して代表団に情報を提供していただければ大変有り難く存じます。


 子どもに関しては、もし数字があれば、国籍を有しない子どもは日本にどれくらい存在するのか知りたいと思います。婚外子が嫡出子と同じ割合の相続分を受け取ることができないという出生による差別に関して、私は、前の発言者のコメントと同様の考えを持っております。民法は、その点に関して規約を遵守するものではありません。それは規約が禁止する差別にあたると思います。國方氏は、我々にその正当事由あるいは婚姻の保護について説明して下さいましたが、婚姻の保護と非嫡出子である子どもの保護、子どもの置かれた状況およびその将来とは、まったく関連すべきことであると思いません。子どもは当該の関係に何らの参加もしていないのであり、彼は、そのような規定の犠牲者です。したがって、それは、適正な正当事由ではないと思います。この件では、規約違反があると思います。


 エヴァットさんが提起した女性差別の問題に関して、またここでは女性の運命に関するすべての問題をカバーすることはできないのですが、私がうかがいたい問題は、國方さんが述べたように、公共・民間のそれぞれの部門において女性と使用者との間の紛争を解決するための措置が存在するとのことですが、もし差別的取扱いによって女性がその職場で差別された場合に、何らかの救済方法が存在するでしょうか。国の管轄(裁判所)に訴える手段や手続があるでしょうか。その救済手段の利用方法はどのようなものでしょうか。彼女は、労働者としてまたは女性として、何か特別の機関で救済を受けることができるのでしょうか。


 次に、精神障害者に関して、第2章において救済方法に関する質問がありますが、この第1章においては、私は、精神病に罹っている者に対する差別に関心を持っています。1988年に報告書を審査した際に、1987年に法律が通過したけれども、私の質問に対する回答では、依然として差別がある、とのことでした。たとえば、癲癇の人は運転免許証をとることができないとか、精神障害者は働くことができないなど、労働を禁止されているのです。


 私がうかがいたいのは、現時点において、精神病に罹っている者の非常に重大な状況を改善するための法案が存在するのでしょうか。優生学的保護に関するこのような法は、依然として施行されており、彼らの合意なしに明らかに精神障害者を制約しています。精神障害者に対するこのような差別的取扱いは、彼らの責任が否定され、また行為を行うことができないとされているにもかかわらず、1993年3月には、精神障害者が死刑の宣告をなされうる、と判決されていますから、より一層不思議なものとなります。我々が受け取った情報の一つによれば、ある精神障害者が刑法の下では自己の行為に対して責任を有するとされているのに、しかし、一方、仕事に就くことができないのです。


 議長、以上が私の質問であります。既に行われた質問については繰り返してうかがっておりません。また、できるだけ短くいたしました。代表団の方にも改めてお礼申し上げます。


 


(23)プラド・ヴァレホ委員(エクアドル)の質問


(ディミトゥリエヴィッチ議長) では次に、プラド・バレホさんに発言をお願いします。


(プラド・ヴァレホ委員) 議長、私も著名な日本代表団を歓迎したいと思います。この対話が前回のものと同様に、実りあるものとなる確信を有しています。私は、幸運にも2つの審査に参加することができ、またいずれもポジティブなものでした。日本代表団は非常に有能であり、今回もまた、日本の法律の進展状況に関して、より一層有用な対話をしたいと思います。議長、この委員会において安藤氏を構成員として有していることについて、私の満足感について表明することもお許し下さい。私は、幸運にも彼がこの委員会に委員として加わった当初から委員長の現在にいたるまで、ともに委員を務めさせていただいています。彼は(委員会にとっても)その仕事を運営していく上でも、規約の実施の上でも、才能と人間的感情を持った膨大な価値のある方であり、また討論を指揮するに際しても、この委員会に対して莫大な貢献をしています。


 今回の報告書は、前回のものと同様、良い報告書であり、今朝、著名な代表団により回答された答も日本における規約の地位に関して補足的な描写をしていただきました。議長、しかし、他の委員が既に言及されたように、いくつかの問題があります。私は、そのいくつかに関して懸念を持っており、また高名な代表団に質問したいと思います。


 他の委員と同様、選択議定書を未だ批准していないことを残念に思います。選択議定書を批准しないことに関して、報告書は何らの正当事由を提供していない、と思います。ヒギンズさんもこのことに言及されました。日本は批准を進めるべきであります。驚いたことは、日本が未だ拷問禁止条約を批准していない、ということです。これは、人権に関する分野での基本的文書です。日本が何故、拷問禁止条約を批准しないのか、本当に理解できません。何が問題なのでしょうか。日本が批准することは、人権のために役にたつと思うのです。というのは、日本国内においてのみならず、国際的にも役にたつからです。


 議長、婚外子に関して代表団が述べたことは、その点に関して差別を正当化するものではありません。嫡出子の相続分の半分しか婚外子が相続できないという事実は、明らかな差別であり、また出生登録(戸籍登録)における氏名に関しても差別があります。この分野に関して、日本は法律を改正し、婚外子に完全な平等を実現するという規約上の責任を有しています。


 議長、第2に、私が入手した警察の行動に関する情報でありますが、男性と女性の被拘禁者がいる場合に、女性の処遇が男性のそれより苛酷なものであるという事実は、確保するため何かが行われなければならない、ということを意味するものです。女性の被拘禁者に対するそのような処遇を除去する措置がとられなければなりません。


 報告書には、また、いくつかの積極的な側面も見られます。私はそのいくつかを指摘したいと思います。報告書の第88~89項において、女性の平等を促進するための中心的オフィスが設置された、とありますが、報告書において記載され、また代表団が述べられたことは、良い措置であり、良い結果を生み出しています。明らかに、それは、政府が女性の平等に関するあらゆる事柄を推進していることを示すものです。


 報告書では、国際的部面における女性の参加について触れられています。日本の代表団の中には女性は1人しかいませんが、女性が国際的分野で活躍することが一層望まれていることは明らかであり、政府が女性の向上のため、中央の担当部署を設置されたことはまさに正解であるわけです。


 議長、在日朝鮮・韓国人市民の差別に関する私の懸念は、日本政府代表団が韓国を訪問した際に合意された内容にもかかわらず、労働、雇用の可能性、その他の種類の取扱いにおける差別が依然として存在しています。このような状況は改善されるべきであり、長期間存在してきた差別が完全に消失するのを確保するための措置を講じなければなりません。


 非常に重要であると考えられるもう1つの点に関して言及したい、と思います。それは、日本政府が採用している難民の庇護政策に関するものです。日本における難民政策の適用に関して改正が必要とされているとの得られた情報によれば、難民庇護に関して制限的な態度が存在しています。それは、難民の処遇に関する問題を持っているのみならず、国際基準にしたがっていないのです。とられている手続は、国際社会で確立しているものではありません。日本が1951年の難民の地位に関する条約に署名しており、条約上の義務を負っているという事実にもかかわらず、庇護について審査する手続に関して、また実際に庇護が認められる事例が非常に少ないことからも、この条約は完全に実施されていないのです。


 議長、私は、外国人の公務員(採用)における差別について言及したいと思います。公務員に関する第44項の記述では、外国人は雇用政策に関して(受験等を)制限されており、日本政府はこの政策に関して未だ何も決定していませんが、しかし、地方自治体に権限を委譲しており、自治体がこの分野に関して権限を持っています。また、外国人に対する雇用差別の有無に関する公的な調査もあります。規約が設定している唯一の違い(差別)は、投票および被選挙権に関する政治的権利のみであり、規約上のその他のすべての権利は、1国内におけるすべての国民および外国人に対して尊重されまた保障されなければなりません。


 報告書では、特に、国家権力を行使することになるので、一定の重要な職務・地位が外国人には認められてはならない、という政策に基礎をおいていると述べられています。また、公的決定が行われる場合は、国民でない外国人がこれに参加すべき権利を有していない、ともされています。私の申し上げたいことは、この国家権力というものをどのように理解すればよいか、その公的決定がどのようにして行われるか、ということです。


 報告書の80項は、人権の保護と促進に関する国家的諸制度について述べられていますが、しかし、これらの諸制度が国の機関によるものなのか、あるいは非政府組織によるものであるのか述べられていません。報告書第9項によれば、それらにはほとんど権限が与えられていないようにも思われます。苦情を調査することもできなければ、何も決定することもできないようです。ただ単に当事者に対して勧告するのみです。このように小さな権限しか有しない機関が、はたして人権を促進することができるでしょうか。この機関のディレクターである國方氏は、この機関がどのようにして人権を改善することができるのか、我々に語ることができるのではないかと思います。


 議長、最後に、報告書第215項において、青少年が一定の有害雑誌書籍を購入することを警察が防止することができる、と書かれていますが、これが検閲にあたるのかどうかについて知りたいと思います。警察が青少年による雑誌書籍の購入を否定するために用いる基準はどのようなものでしょうか。雑誌等が青少年に悪影響をあたえるかどうかは、どのようにして決められるのでしょうか。議長、以上が代表団に対して私が質問したいことあるいは申し上げたいことのすべてです。ありがとうございました。


 


(24)ヴェナーグレン委員、副委員長(スェーデン)の質問


(ディミトゥリエヴィッチ議長) プラド・ヴァレホさん、どうもありがとうございました。次に、ヴェナーグレンさんに発言いただきます。


(ヴェナーグレン委員) 議長、ありがとうございます。まず最初に、顕著かつ大規模な日本政府代表団を歓迎したいと思います。また、私は、あなたがたの優れた報告書と、本日の冒頭の発言の両方についてお礼を申し上げたいと思います。私の同僚と同様に、安藤仁介氏の存在を非常に高く評価していることを申し上げたいと思います。彼は、優れた、賢明の同僚であるばかりでなく、長期間にわたりこの委員を務めておられます。また、私は、この委員会の委員長としても非常に高く評価しています。


 また、伊藤氏が言われたように、今回、非常に多くのNGO報告書が委員会に提出されました。また、代表団はそれらの報告書に書かれていることを真剣に検討したいとのことです。1988年には、このようなことは困難なものとされていました。というのは、日本政府代表団は、このような報告書を受け取っていなかったからであり、我々がNGO報告書に依拠して質問を行った際にも、代表団は質問に回答することが困難であったわけです。


 さて、私は規約第23条と24条に関して質問があります。私は報告書を読み上げたいと思います。規約第23条1項において、家族は(社会および国による)保護を受ける権利を有する、とされています。「アジア移民労働者フォーラム」の報告書によれば、国籍の異なる両親から生まれた子どもが、その「外国人の親」が違法在留者またはオーバーステイを理由に強制送還される場合において、「日本人の親」から引き離される事例が述べられています。このような状況において、この家族を保護するためにどのようなことをなしうるのでしょうか。これが、私の最初の質問です。


 次の質問は、子どもに関するものです。日本人の母から生まれることになる子どもであって、父親が外国人である場合に……いえ、逆でした。外国人の母から生まれる子に対して、日本人の父親が胎児を認知しない場合において、子どもは日本国籍を取得しないことになります。また、子どもの両親の国籍がまったく知られない場合においても、同様のことが生じ、子どもは無国籍になります。このような子どもたちを助けるためにどのようなことをなしうるのでしょうか。規約の24条に注目したいのですが、子どもは保護される権利を有し、国籍を取得する権利があります。


 次に、私は、学校における体罰に関して、第21、216および217項に関して質問したいと思います。これは前回1988年の審査でも議論されました。現在では、いくつかの改善が行われていることは確かです。しかし、それらの改善が実際に効果的なものであるのか、また学校での体罰禁止を強制することは可能なのでしょうか。あまり効果的ではないように思われますし、その強制も可能であるようには思われません。


 ここで知らされていることによれば、調査によってある教師が体罰を行ったことが明らかにされた場合には、そのような行為を二度としないよう指導されるにすぎない、とのことです。また、その場合に、何らの処罰、懲罰などが課されないとのことです。政府が、学校における体罰に関し、子どもの保護の考慮または強化を検討しているのかどうか再びうかがいたいと思います。


 もう一つの問題は、多くのNGOが提起している問題、すなわち戦後補償責任の問題です。NGOは、国籍条項(の問題)を指摘しています。法や行為における戦後補償責任の中で、国籍条項は、差別的なものであると考えられる、としています。戦後補償に関する法におけるこの国籍条項に関して、代表団の見解をうかがいたいと思います。また、補償の枠外に置かれている人々の範疇についてもうかがいたいと思います。それらの中には従軍慰安婦と呼ばれている人々も含まれます。彼女等に何らかの補償を行うことが考えられているのでしょうか。彼女等は多くの点で、先の大戦で日本の軍隊に奉仕したわけですが、何らの補償も与えられることなく、補償の枠外に置かれてきています。


 次に私は、少数民族問題に関するいくつかの論点を持っています。しかし、時間が限られていますので、私は在日朝鮮・韓国人に関する一つの問題だけを取り上げたいと思います。他の同僚が述べたように、彼らは少数民族集団であると考えられなければなりません。また、彼らは規約第27条に該当するのです。日本における朝鮮・韓国人学校は、日本における通常の学校としての地位を認められてきていません。朝鮮・韓国語による教育を必要とする多くの子どもたちがいますので、朝鮮・韓国人のための学校におけるこのような状況を改善するためにどのようなことをなしうるのか、とうことを私は考えています。時間が限られていますので、ここで終わりたいと思います。議長、どうもありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) ヴェナーグレンさん、時間に非常に配慮していただき、ありがとうございました。この委員会を閉会し、15時に次の会合を開催したいと思います。


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第1278回委員会

1993年10月27日(水曜)、第1278回委員会、午後3時-午後6時


(25)再開


(ヴェナーグレン議長) これより会議を再開します。質問事項第1章に関して発言を希望されているリストにしたがって会議を進めます。もし午前中に提起された争点に関して特に発言を希望する方がいなければ、リストにしたがい、ハーンドゥル氏に発言を認めたいと思います。ハーンドゥルさん、どうぞ。


(26)ハーンドゥル委員(オーストリア)の質問


(ハーンドゥル委員) 議長、ありがとうございます。本日の午後の最初の発言者ですので、午前中における賛辞のいくつかを繰返したいと思います。まず、日本の第3回定期報告書を「提出」し、またこのような言い方が可能であれば、「防御」するためにジュネーブまでやってこられた著名な日本代表団に感謝したいと思います。代表団に是非知っておいていただきたいのは、私個人として、この委員会の尊敬されている委員である安藤氏に最大の敬意を有している、ということです。私が3年前にこの委員会の委員となってから共に仕事をさせていただいております。彼は、現在、委員長であります。私は彼に対して最高の評価を有しており、彼のこの委員会に対する貢献を称賛するものであり、また人権全般のために彼が貢献していることにたいしても称賛したいと思います。彼は、いまやさまざまに複雑な人権問題を長年にわたって扱ってきており、前述したように、彼自身非常な貢献を行っているわけです。このことを高く評価したいと思います。


 賛辞に関しては、報告書自体も高度な質を持ったものであります。私は、この報告書の起草者に賛辞を送りたいと思います。どれほど多くの作業や省察がこの文書に関して行われているか明らかです。


 議長、では以下に、質問事項第1章に関する最初の一連の問題および論議に関して質問させていただきたいと思います。私が質問したいと考えていたことのほとんどは既に質問され、また私はそれを繰返したいとは考えておりませんが、少なくとも2~3の事柄に関して質問させていただきたいと思います。というのは、それらについて若干強い印象を持っているからです。


 最初の問題は、再び称賛の言葉になりますが、明らかに、日本では規約が非常に知られている、ということです。それが何を意味するかということを別にしても、日本のNGOや個人が規約について知っており、また思うに、その証拠はこのようにたくさんの文書を委員会の我々が受け取っていること、また多くの傍聴者がこの討議を傍聴するためにこられているという諸事実によっても明らかです。NGOが言いたいことは、日本の政府によって考慮されることになるのを希望していますし、また政府もこのように膨大な  「膨大」という言葉を強調したいと思いますが  文書が、日本における規約の実施に関してNGOにより提出されているということをご存じのことと思います。


 さて、議長、私が問題にしたい最初の真に実体的なトピックは、再びその問題を取り上げて恐縮ですが、規約と国内法との関係です。私は、日本国憲法第98条を取り上げたいと思います。第98条では、この憲法が「国の最高法規であって、その条規に反する」法、条例、詔勅、政府の行為の全部または一部は法的効力または有効性を有しない、と宣言しています。


 これが、問題の核心に直接的に私の関心を引付けるのです。規約の規定と憲法自体の人権規定との間に矛盾・乖離があった場合には、憲法の文言により、規約の規定、それが国内法に融合していたとしても、何らの法的効力も有しないことになります。したがって、これは私の最初の質問ですが、実際に矛盾が生じた場合はどうなるか、ということです。


 1988年、第2回定期報告書の討議の際に、日本代表団は、規約の規定と日本の立法との間には何らの衝突もかつて発生したことがない、と言われました。これはサマリー・レコード(要約記録)の827項にあります。しかし、もし衝突があった場合には、一体どうなるかと考えるわけです。我々は、憲法の中に1組の限定された人権規範と、異なった仕方で形成された1組の規範を有していますので、締約国が報告書の中で述べているような簡単な答を出すことは困難だと思います。しかし、どのような言葉使いであろうとも原理がそこ(憲法の規定)にありますので……つまり、これは規約の規範に関する言葉使いの問題、解釈の問題であるわけです。これは私のコメント第1です。


 私のコメント第2は、人権の制約に関する問題です。報告書の第5項は、人権が公共の福祉によって制限されうると述べています。それが基本であり、続いて公共の福祉が何を意味するか、またその意味を決めるのは裁判所であるということについて説明が試みられています。


 ところが、憲法第12条および13条を見てみると、立法者または行政府が人権を制限するための権限が何ら書かれていません。第12条および13条は、個々の人権の個人自身による「利用」について定めているのです。第12条をちょっと引用してみますと、「この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は(自由および権利)を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」とされています。つまり、一定の責任が明らかに個人に課されているのです。そして、思うに、これが一般的に、人権概念と矛盾するのです。何故なら、人権概念に内在するものとして、個人と国家との関係、および国家や国家の機関により尊重されなければならない個人に属する人権が存在するのであり、したがって、利用しまたは責任を負うことまたは自己の人権を公共の福祉のために利用しなければならないことを、個人の責任とすることはありえないのです。これは、思うに、日本国憲法第12条、13条と、政府報告書第5項において説明されていることの矛盾関係です。


 他の発言者が既に述べていますので、公共の福祉の概念については言及いたしません。申し上げたいことは、規約によれば、ただ特定の権利のみが公的利益や公的秩序を理由として制限されうるのであり、また国家によってもまったく制限できない権利が存在する、ということなのです。


 私の第3のコメントは、平等および女性の平等について述べられたことに関するものです。私は、平等の報酬に関する日本政府とILO専門家委員会の間の多岐にわたる意見についていくつかの懸念を有しています。以下のような事実にはあまり言及したくないのですが……思うに、女性は、事実の問題として、明らかに、低賃金の労働を割り当てられており、調査によればわずか23%の企業しか女性をあらゆる(種類の)仕事に就かせていないとのことです。また、女性は、非常に婉曲的な言い方をすれば、「女性としての特徴および感受性を示すことのできる仕事」に就いてもらっている、と言う人もいます。このような言い方自体が、いくぶん、差別的な慣行を示しているものです。


 私は、婚外子の相続、(戸籍)登録の必要性およびその権利に関する一定の範囲における差別について、サディ氏やその他の委員が言われたことを支持したいと思います。


 私は、平等に関する私の発言との関連で、日本国憲法第14条を引用したいと思います。「人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない」と定める第14条は、2つの点において制限的なものです。第1に、問題は、差別のための理由が十分なものであるかどうか、ということです。それは、人種、信条、性別、社会的身分または門地のみに限られるのでしょうか。一般的にその他の領域においてはどうなのでしょうか。また、実体に関して、いかなる差別も政治的、経済的または社会的関係において行われてはならないのです。さて、それが、少数民族等に影響を及ぼす文化的関係におけるような、その他の問題に関する制限なのです。これらの2つの制約は、それが適用される範囲に関して、どうなっているのでしょうか。この点に関して回答していただければありがたく思います。


 議長、最後に、私は、日本社会における特定の集団の取扱いに触れたいと思います。平等に関する規約第26条、少数民族に関する第27条が適用になるものです。私は、まずアイヌ民族に関して話したいと思います。彼らの取扱いについては、第27条の下でのいくつかの説明がありましたが、私の質問は、アイヌ人に関する基本的な規範が1899年に制定された「北海道旧土人保護法」に依然として依拠しているのは事実かどうかというものです。したがって、我々は、まもなくこの法律の制定100周年記念を祝うことができるわけですが……この法律によれば、アイヌは、北海道の原住民であるとされており、「保護法」ですから、その保護について述べられています。


 私は、他国において行われているのと同様に、法律の改訂の時期がきていると思います。そして、この法律により依然として合法的なものとされている差別を除去すべきであると思います。規約第27条の下で少数民族が保護に必要とされることは、国が彼らを集団として保護することです。


 言及したいその他の日本社会における(問題)は、同和の人々、一般的には「部落民」と呼ばれている人々です。報告書の第230項に同和問題に関する短い記述があり、また部落民の(地位を)改善するために政府が過去において行ってきたことに関する補足説明がありました。さて、議長、これは5年前に報告書で討議された事柄でありますが、政府がその人々の運命を改善するためにさまざまな努力を重ねているとはいえ、我々は皆、依然として差別されている部落民と呼ばれている人々が日本には存在するということを知っています。


 私の主張は、あらゆる可能な措置を講じて、日本におけるこの「部分」を社会全体の中に統合し、またおそらくこの世代においてできなくても、次の世代においては、一般の日本人と同和地区の人々と報告書で記載されている人々との間にいかなる「区別」もないようにすべきだ、ということです。これは規約の平等条項の本質的な特徴の1つです。


 私が言及したい第3の集団は、いわゆる在日朝鮮・韓国人です。私は、在日朝鮮・韓国人に関して、既存の日本の法制度と社会の中に、彼らをより良く統合するための一定の措置が講じられたことを非常に嬉しく思います。


 日本国籍が、公権力の行使または公的政策決定にあたる公務員に必要であるという事実に言及したいと思います。報告書第44項です。私は、これは非常に法的な問題または懸念であると思います。通例、公権力を行使する公務員については、このような地位は自国の国民のみに留保されています。報告書の46項に書かれていることは、政府の非常に進歩的かつ積極的な態度であると思います。すなわち、教育の分野では、公権力の行使はまったく存在せず、したがって、在日朝鮮・韓国人は通常の学校教育活動に従事することが奨励さえされているわけです。私はこれは進歩的であり、歓迎されるべきであると思います。


 もう1つの問題は、日本社会への在日朝鮮・韓国人の統合化です。他の発言者によって既に問われている問題ですが、在日朝鮮・韓国人の三世が社会に統合化されればまた日本国籍を取得することができれば、長期的にみて日本社会にとっても役に立ち、良いことではないでしょうか。すべての子どもは日本国籍を取得する権利があると思います。私は、国籍法第2条のことを言っているのです。別の発言者が述べたあらゆる法的問題に関して、世代の問題も含めて、彼らを在留許可証を持つ外国人として取り扱う代わりに、長期的に、彼らを日本社会に完全に統合化する努力をすべきであると思います。議長、以上が、質問事項第1章に関して私が述べたい事柄およびコメントのすべてです。ありがとうございました。


(27)ララー委員(モーリシャス)の質問


(ヴェナーグレン議長) ハーンドゥルさん、ありがとうございました。ララーさん、発言をどうぞ。


(ララー委員) 議長、発言を認めていただきありがとうございます。時間を節約し、実際的かつ実務的な対話をするため、時間を浪費することになりますから、私は何も質問をいたしません。私の同僚、ヒギンズさん、マブロマティスさん、シャネさん、その他の委員は、私の有しているすべての懸念について既に質問されました。私は、私の時間を、たくさんの懸念事項を有する第2章の質問のために留保したいと思います。


 しかし、議長、発言を許されていますから、同僚と同様に代表団を歓迎し、また同僚と同様に、日本政府が推薦されて委員となられた啓蒙的な安藤委員長を称賛し、さらに我々の前にある良質かつ詳細な報告書と最も役に立った國方氏による冒頭の陳述を賞賛しなければ、儀礼を欠くことになると思います。以上のことを申し上げて、私は、他の方の発言に譲り、持ち時間を第2章において留保したいと思います。議長、どうもありがとうございました。


(28)セリ委員(ヴェネゼラ)の質問


(ヴェナーグレン議長) ララーさん、ご協力ありがとうございました。このようにして会議時間を節約したいと思います。第2章でご質問いただきたいと思います。では次に、セリさんにご発言いただきます。


(セリ委員) 議長、ありがとうございます。同僚と同様に、本日提出された詳細な報告について、日本政府およびはじめの発言をされた伊藤公使、質問事項第1章に関する冒頭の陳述をされた國方さんに感謝したいと思います。また、私も私の時間を留保し、若干のことのみを申し上げたいと思います。私は、日本の報告書の重要性を指摘したいと思います。第1に、日本は国際的に指導的立場にたつ国であり、国内的にも、また外交政策に関しても人権の点で重要な(役割を)有する国です。指導的国家として、特にアジアにおける人権の活動は、非常に重要な例を提供するのです。そして、最後に、重要性においてその程度が低くないものでありますが、当委員会における、最良の専門家の一人である安藤委員長の存在があります。


 いくつか懸念を持っているものがありますが、男女の平等に関してのみおうかがいしたいと思います。報告書で、女性の地位を向上する措置を講ずるため、日本が非常な努力をしていると述べられています。1986年の(女子差別撤廃)条約に加盟し、1986年および87年にそれに関する法律を制定し、その後、女性の平等に関する行動計画を改訂したとされています。


 国会の衆議院および参議院における女性議員数についてですが、まだ女性議員の数が足りないと思います。しかし、行政には割合においてより一層少ない女性しかおりません。報告書によれば、公務員の局長・課長の割合は、わずか1%に過ぎません。この統計は1974年のものでありますが、14年後において、実際上、まったく変化していません。つまり、女性の割合は、1990年において0・7%です。そこで、私は、これが文化的な問題なのか、政治的問題なのか、教育上の問題なのか知りたいのです。国会には議員の顔触れの大きな変化があり、また公務員にはより大きな変化があったと思います。これ以外の質問の権利を、後の質問のために留保したいと思います。ありがとうございました。


(29)ヌジャーイェ委員(セネガル)の質問


(ヴェナーグレン議長) セリさん、ありがとうございました。ヌジャーイェさん、発言をどうぞ。


(ヌジャーイェ委員) 議長、ありがとうございます。議長、最初に日本からの有能な代表団に対して、私の心からのお祝いをさせていただきたいと思います。日本は、非常に良い第3回報告書を提供して下さいましたし、それは全体として優れた、詳細な、率直なものです。私は、まず、同僚と同様に我々の現在の委員長である安藤氏に非常に満足していると申し上げたく存じます。彼は有能、熱心かつ仕事に専心している人であり、常に親切な方で、それが(委員会の作業のために)非常に役立っています。


 ただ一つ残念なのは、この委員会が日本で開催されなかったということであり、もし開催されていたならば日本の方々、また私を含むこの委員会の委員の好奇心を満足させていたはずである、と思います。


 議長、我々が日本の第2回報告書を審査した際、私は、私自身の国セネガルのように、アイデンティティーを主張したい国として、日本は特に興味深い国であると強調いたしました。何故なら、日本は非常に古くからの文明を持つ国でありながら、現在では近代化されており、いまや最も進んだ科学・技術を持っています。日本は、尊敬される夫や妻、その他に、文化的伝統が一定の諸価値に基礎をおいている国です。したがって、このような国においては、人権の尊重はさまざまな問題を生じさせるかも知れません。


 したがって、以下のような質問をして、私の質問を終わりたいと思います。人々の中に、このような進歩に対する何らかの抵抗がないでしょうか。この問題を再びうかがうのは、報告書第89(a)項において、男女の平等に関する改革の再評価がありますが、そこには、諸制度におけるもののみならず、実際の実務における、女性の向上に関するステレオ・タイプ的な性別に伴う男女の役割が記されています。


 また、母性の重要性、性の尊厳そして母性の保護の促進のための意識の向上の促進について書かれています。同じ項目の(b)、英語版の18頁の本文の89項など、中長期的プログラムに関しては、法律や命令に示されている日本政府の意志と、これらの権利に対する抵抗を示している一般的な(労働)契約との間には、一定の不調和が存在するように思われますし、それは別の項目についても同様に存在するように思います。これは、日本の国際的責任の問題をとりわけ発生させるわけではありませんが、しかし、基本的な選択に関する問題を発生させます。おそらく人権教育の分野で行われている努力があるでしょう。というのは、そのレベルにおいて規約の適用可能性に関する問題が生ずるからです。


 我々がいかに感謝しているかということに関して、日本の代表団にお知らせしたいと思います。また、さまざまなNGOが報告書を提出して下さいましたが、それらの報告書およびここにいらしてくださったNGOの方々を歓迎したいと思います。おそらく、NGOが、当委員会のさまざまなコメントを一般に知らせていただけると思います。したがって、規約第40条に基づき、これがあなた方のシステムを改善するのに役立つと思います。


 さらに、終わりにあたっていくつかのコメントをしたいと思いますが、ヒギンズさんが私の言いたいことのほとんどを言ってくださいましたので、端的に申し上げますが、日本は選択議定書批准の努力をすべきであると思います。選択議定書に関して法的機構と国際機構の関係においてあまり懸念される必要はないと思います。既に述べられてように、国内的救済を尽くさなければならないとのルールもあり、委員会は考えられるさまざまな濫用に対応することもできます。我々の先例には、我々が事案の重要性をモニターする方法や、(個人)通報が依拠すべき理由などを示す事件をお示しできるものもあります。


 また、何故、日本があらゆる形態の差別撤廃条約、アパルトヘイト禁止条約を批准をしないのかということを理解することが困難です(訳注・日本は批准しており、委員の誤認と思われる)。アパルトヘイトに関して、外交のみならず、財政的、経済的にも、日本が過去および現在において行っているさまざまな努力を知っており、南アフリカの国民の発展を可能にするプログラムや情報もあります。報告書の31項に記載されています。


 たとえば、第35項において、日本国憲法は、第14条1項において個人の尊厳と法の下における平等を定めていますが、そこでは「何人も」と定めており、「人種、信条、性別、社会的身分または門地による差別」があってはならないとされています。これらが規約に完全に一致しあるいはそれに等しいアパルトヘイト反対の基本的な規定です。あらゆる種類の人種的差別を除去するため、除去に関する条約およびアパルトヘイト禁止のための処罰が必要です。


 これらは、日本だけにおいて生ずる問題ではありません。イデオロギーや宗教に支配されているすべての国において、嫡出子および婚外子間の差別があります。また、場合によっては、姦通によって生まれた子どもに対する差別もあります。規約24条にしたがって立法が行われるべきです。


 NGOから得られた膨大な情報によれば、会社や企業の内部においてさまざまな差別が存在するようです。それらの差別によれば、人々を酷使し、忍耐に基礎を置くような差別、長時間にわたる労働可能能力による差別があるようです。ある会社では、1日14時間以上も働く必要があるとのことです。そうでなければ、労働者として適当でなく、仕事を失うこともあります。NGOから受け取ったこのような情報の中には、かつての軍人であって、日本国籍の同僚軍人であったものと同じ取扱いを受けていないことを主張している人々もいます。もし必要であれば、お渡ししてもかまいませんが、これらの文書にはこの委員会の管轄内に属することが書かれており、規約の26条に、事実、違反するものかどうか我々としても検討すべきです。我々は、それをあなた方とともに見ていかなければなりません。以上が、私が今申し上げたいことのすべてであり、また後ほど、関係の章で発言したいと思います。議長、ありがとうございました。


(30)アギラー委員(コスタリカ)の質問


(ヴェナーグレン議長) ヌジャーイェさん、ありがとうございました。発言予定者のリストには、あと一人の予定者が残されています。その後、フランシスさんに発言していただきます。では、アギラーさん、発言をどうぞ。


(アギラー委員) 議長、ありがとうございます。私が最後の発言者であることを本当は希望しません。しかし、私が考えていた質問のすべては、既に質問されました。私は、このような非常に重要な代表団を歓迎したいと思います。私がかつて経験したものの中で、最も印象深い代表団です。特に、彼らは非常に良く準備ができています。また、我々の委員長の安藤氏の貢献に対する賞賛について同僚と同意見であります。彼は、4年間、私の唯一の隣人でありました。私は、この委員会の委員となって、彼の左側の席に着席していることを心から嬉しく思っております。彼は私の右側にいるわけですが、私の最初の経験は、この委員会での居心地を良くしていただき、その援助を得たということであり、その意味でも感謝しています。


 議長、私は、他の委員によって行われた質問を再び行うためにこれ以上の発言を求めることをいたしません。しかし、私の同僚が質問したことを一層強調するために2~3の質問を非常に短く行いたいと思います。


 私の最初の質問は、日本の法律における規約の位置が正確にはどのようなものであるか、ということです。最初の2回の報告の審査において、特に第2回報告書において、委員会は、規約に関する取扱いが国内法によって変更されるべきではなく、規約は国内法の一部となっている、との報告を受けました。しかし、既にさまざまな機会に、日本の裁判所は、以下に私が引用するように述べています。東京地方裁判所は、1990年1月の判決で、規約の規範は自動執行力を有していない、と述べています。すなわち、見方によっては、これは以前に我々に語られたことに極端に反しています。したがって、私は、日本の法律における規約の位置が正確にどのようなものであるかということを知りたいのです。


 また、私のところにやってきた何人かの方々から、またここで発言された委員によって、女性、少数民族、非嫡出子に対するさまざまな差別が指摘されました。それらのケースはたくさんあります。また、個別のケースについても言及されました。また、私以前に発言されたすべての同僚に賛意を表したいと思います。また、私が個人的に重要であると考えている2つのケースについて述べたいと思います。


 第1は、非嫡出子に関するものです。相続に関する質問がありましたし、姓名に関する質問、すなわち(戸籍)登録にあたって他の日本人の子どもには認められる表記が認められないこと、などがありました。私は、これは非常に残念なことであると思います。特に、マブロマティス氏が既に言われたように、差別やその形態に関するもの以外に、第7条の定める非人間的かつ品位を傷つける取扱いが存在すると思います。他に何らの責任も持たない子どもが、社会によって責任をとらされ、また社会と日本の法律によって差別されているのであり、したがって、私は、マブロマティス氏の言われたことに賛意を有するのです。日本政府が法律を抜本的に変更し、また大規模かつ核心に迫る教育を行って、婚外子に対するこのような差別がなくなるように努力されることを促したいと思います。


 また、法律婚と事実婚における違いがあるようです。たとえば、規約23条に関して離婚後の父親のいない家族を保護するための措置が講じられている、と言われましたが、しかし、父親がまったくいない家族に関しては、何も報告されていません。これは差別にあたります。何故なら、離婚後に父親が不存在となった家族と、父親が始めから不存在であった家族との間に、差別があるからです。たとえば、子どもの保護または家族の保護のための財政的援助について言及がありましたが、コモン・ロー家族(事実上、家族を構成している人々)であって、両親が婚姻していないで同居している「家族」については何も報告されませんでした。


 重大な懸念があるもう一つの問題は、ヌジャーイェ氏が提起した最後のポイントに関してです。それは、第二次世界大戦において、自己の生命を危険に曝すことにより、自分の生命を提供しようとした人々です。現在、彼らは、他の日本軍人であった人々に与えられている権利の享受を奪われています。彼らのある者は、過去において日本国籍を有していましたが、戦後の状況により、他国の市民となり、また、日本軍に属していたことを理由に、彼らは彼らの国において差別されています。そのほか、日本国民である退役軍人と日本国民でない退役軍人との差もあります。国籍を有するものは退役軍人恩給を受ける資格がありますが、朝鮮・韓国人、台湾人の(旧日本兵であった)者は資格を持っていません。彼らは恩給を受けることができないのです。ヌジャーイェ氏が言われたように、委員会に個人通報事件として提出されたゲイエ事件がありますが、これを当委員会の先例に照らしてどのように考察すべきか考えたいと思います。


 以上、いくつか申し上げましたが、さらに報告書のいくつかのポイントに触れたいと思います。まず、公共の福祉についてですが、國方氏が今朝、規約上の権利の制限との関連で公共の福祉の問題に言及されたとき、2つの権利の衝突が問題にされました。そのような衝突は、一定のケースにおいて、法律がある権利よりも他の権利を保護するのであると(説明し)、また彼は、表現の自由との関連における名誉の保護に関して特定的な例を挙げました。しかし、報告書の付録において、日本の最高裁判所の判決のいくつかが掲げられていますが、1980年の判決は、もし公共の福祉に対する攻撃がなされた場合でも、生命に関する権利がいかなる状況においても制約されず、また法的に抑圧されない権利の1つである、としています。しかし、公共の福祉は、定義されていません。また、その定義を試みれば、その定義の仕方はさまざまであろうと思います。したがって、これは規約との矛盾であり、また非常に重要な問題です。


 もう一つ質問したいことがあります。外国人は、原則として、迫害される国に対して国外追放または強制送還されることがない、ということが記載されていますが、私は、その例外を知りたいと思います。原則には例外があるからです。すなわち、(迫害される)国に送還されれば、彼の人権が侵害される場合です。


 女性差別に関して、2つの特定的事柄を知りたいと思います。1つは、既に質問されたように、報告書はその92項で、女性が行政職に就任していることが扱われていますが、しかし、図表ではわずか0・7%の女性しか当該の職種に就いていないことを示しています。ここにはまったく政策について述べられていません。この他、雇用機会均等法があるにもかかわらず、わずか20%の企業しかそのような機会を創出していません。私は、企業がこの法律を遵守するためにどのような努力をしているのか知りたいと思います。第93項において、ほとんどすべての企業が男女の退職年令に関して異なった取扱いをしている、と書かれています。


 最後に、規約第24条(訳注・「19条」か)に関連したことに言及したいと思います。それは、警察による、出版物であって売春に若人を導くようなものの検閲に関してです。私の考えでは、社会が保護されるべきことがらに関して誤った考え方がここに見られると思います。ここで書かれていることは、警察が、出版団体による自発的な自主規制を要請している、ということですが、その自主的措置がどのようなものであれ、警察官がやってきて、あなたの家のドアをノックし、出版物を提出するよう求めるのであれば、それは検閲にあたると思います。私は、以上で質問を終わり、日本政府が選択議定書を批准することを促したいと思います。また、個人通報制度を受け入れてもらいたいと思います。


(31)フランシス委員(ジャマイカ)の質問


(ヴェナーグレン議長) アギラーさん、ありがとうございました。では、フランシスさん、あなたが最後の発言者です。発言をどうぞ。


(フランシス委員) 議長、まず最初に、日本代表団に対して、本日の報告書の説明に際し、同僚と共に善意および感謝を表明したいと思います。高名な団長である遠藤大使およびその下における伊藤公使に代表される代表団、また各代表団の団員の方々に、ご挨拶を申し上げたいと思います。私は、また代表団に優れた報告書とその説明に関して、感謝したいと思います。また委員会の委員による賛辞は、我々全員による評価を示すものです。


 議長、NGOの存在に関して、この機会に、多くの発言者が述べられたこと、また彼らのここにおける存在は、日本(政府)が規約の内容に批判を持つ人々に対して周知した結果であることを示しています。ポカール氏が言われたように、日本における人権にさまざまな改善あるいは本当に良いことが(報告書に)書かれているにもかかわらず、まだまだ行われるべきことがたくさんあります。私は、NGOの存在と、彼らが配布した資料を、批判的サイドの証拠として用いたいと思います。これらは、検討される必要があります。また、私は、私の同僚がそうであったように、NGOがそれぞれの文書で取り上げた問題が日本代表によっても真剣に考察されるであろう、との確約を得たことを嬉しく思っている次第です。


 議長、委員諸氏は、非常に熱弁を以てさまざまな基本的な事柄に関して発言されました。1つは、日本の法律制度と規約との関係に関するものであり、また、規約を厳格に遵守するべき要件と、現状における状況を調和させるためにとられるべき手段に関して発言された方もおりました。


 私が強調したいもう1つのポイントは、日本がさらに一歩進めて、選択議定書を批准していただきたい、ということです。指導的パワーを持っている国として、そうすることが自己のためにもなり、また地域の他の人々に模範を示すことにもなります。


 議長、以上取り上げた質問以外に、私は2つの質問を持っております。その他の質問は、他の委員によって既に取り上げられました。そこで、2つのコメントをしたいと思います。思うに、現代の世界は、子どもや女性がその世界の構築に参加することにより偉大なものとなります。何故なら、女性は生殖過程において非常に重要な役割をしており、子どもは次の世代を担っていく「生きている」事例であるからです。これらの2つの要素、2つの構成要素は、十分に養育されなければならず、そうでなければ社会は不統一のものとなってしまいます。我々は、このようなことが、世界のスーパーパワーとして進行中である日本で生じていないことを希望しています。


 このような観点から、私はこれらの2つの問題を取り上げたいと思っています。議長、今朝扱われたことの中の1つは、学校における体罰の問題です。法律が何らの積極的な処罰を行い得ないという結論が書かれています。この点をさらに問題にしたいのですが、もし学校教育法が体罰の禁止を規定していないならば、是非規定を盛り込むべきであることを提案したいと思います。また、私の想像ですが、もしそのような規定が既にある場合は、何故、そのような禁止された行為を行った者に注意を促すよう、目に見える形で、何らの処罰もなされないのでしょうか。


 議長、子どもに関して、人々、教師そして生徒の間に適正な関係がなければなりません。この時代において生じうる最悪のことは、そのような形でクラスに暴力が導入されることです。子どもが家庭内における問題を持つようになれば、さらに一層悪い状況になります。私が申し上げたいことは、このことが3つの重大な問題の1つであるということです。そして、街頭での暴力、地下社会が生まれてくることになるでしょう。


 議長、次に取り上げたいのは、「福祉犯罪」であり、第212項(b)に記載されているものです。この項において、都道府県の警察署が電話によるカウンセルを提供していると述べられています。そして、1990年には、31,000件の援助を求める電話相談があったとのことです。他の(行政)レベルでも同様なことが行われているかどうか、注意が喚起されています。


 したがって、私の質問は、さまざまな学校レベルで、成長したのち社会問題に直面することになる児童や人々に対し、これまで何らかの制度的カウンセリング・サービスが行われてきているか、ということです。彼らは、将来、福祉犯罪を犯すようになるかも知れません。第215項に書かれていることです。


 議長、以上が私の2~3のコメントおよび質問です。もう一度、日本代表団に対して、その優れた報告書と陳述について感謝したいと思います。議長、ありがとうございました。


(ヴェナーグレン議長) フランシスさん、ありがとうございました。委員の諸氏は、質問されたいことに関してすべての発言を終わりました。


(32)質問事項第1章の補足質問に対する日本代表団の回答


(ヴェナーグレン議長) 次に、代表団にこれらの質問にお答えいただくことになります。質問の数を数えたわけではありませんが、しかし、約50の特定的質問があったのではないかと思います。最善かつ可能な範囲でお答えいただければ結構です。國方さん、あるいは代表団の他の方、ご自由に発言いただいて結構です。しかし、まず國方さんから発言されると思います。発言がありましたらどうぞ。


(國方、外務省人権難民課長) 議長、ありがとうございます。委員の皆さん、質問をいただきましてどうもありがとうございました。率直に言って、非常に多くの質問が出されました。これらに一挙に回答することは、我々にとって、かなり困難です。しかし、いずれにしても、可能な限り回答を試みさせていただきたいと思います。規約の順序によらないで、アトランダムにご質問に回答することをお許しいただきたいと思います。といいますのは、我々は、現在でも、ご質問のいくつかについて回答を準備中ですので……


(33)日本における女性の地位


 まず、日本社会における女性の地位に関する質問がありました。すなわち、男女の平等的取扱いが、完全に実現されていないとか、社会的諸活動に対する女性の参加度が非常に低いということでした。この質問に対する説明ですが、戦後に制定された新憲法は、民主的な立法的措置のイニシアティブの下に、男女の個性として尊重され、またその平等を基本的原理として保障しています。これらの原理に基づき、さまざまな立法的改正が行われ、日本女性の法的地位の基本的な変化と改善が行われました。


 しかし、日本では、いわゆる「性的役割観念」が依然として強く、この考え方が男女間の平等を達成することに対する障害の一つとなってきました。たとえば、1992年に政府が行った世論調査の結果によれば、伝統的な性的役割観念、すなわち「金銭を得るために男性が仕事をし、女性は家庭に止まるべきである」という考え方に同意する者の割合は、60・1%であり、過半数をはるかに越えています。このような考え方は次第に減ってきているものの、「一定の分野で男女の地位が平等であるかどうか」、という質問に対しては、ほとんどの男女は、「政治、社会的基準、慣習、伝統等においては、男がより良く扱われている」と回答しています。


 女性の地位を改善し、男女間の事実上の平等を達成するためには、日本政府は特別の日、週、月を指定し、公衆に政府の政策および目標を知らせ、いわゆる性的役割観念を正しいものとする努力を払っており、また当該の週間などにおいては、さまざまな意識向上活動が行われています。


 当委員会の高名な委員諸氏のご意見を十分に考慮して、日本政府は、我が国の社会における男女間の完全に平等な取扱いを実現し、女性の地位を向上させるための努力を重ねてまいります。


(34)「部落」・「同和」問題


 次の問題は、いわゆる「部落」・「同和」の人々についてです。午前中の私の回答で申し上げたように、同和の人々の生活条件を改善するため、我が国の政府は、過去24年間の間、3つの特別措置法に基づき、関連の政策を遂行してきています。これらの措置の推進により、同和地区の生活環境および劣等な条件に大きな改善が見られてきており、したがって、一般的に、同和地区とその他の地区との間のギャップは相当程度狭められてきています。さらに、心理的差別の除去に関しても進歩が見られています。ギャップがまだ存在していることは事実ですが、この問題を可及的速やかに解決すべき必要性について我々は十分な認識を有しています。当委員会の委員諸氏のご意見を十分に考慮して、我々は、この問題をできるだけ早急に解決するための努力を行っている所存です。


(35)規約の適用除外問題


 規約の規定の適用除外について、規約第4条に関する言及がありました。我々は、第4条が日本に適用されることはほとんどありえない、と考えています。そのような原則をまず申し上げたあとでの話ですが、緊急事態に関する法令は非常に限定的なものであり、自衛隊法の中に「命令による治安出動」に関する1条があるのみです。自衛隊法第78条は以下のように定めています。


「第78条?内閣総理大臣は、間接侵略その他の緊急事態に際して、一般の警察力をもっては、治安を維持することができないと認められる場合には、自衛隊の全部または一部の出動を命ずることができる。


? 内閣総理大臣は、前項の規定による出動を命じた場合には、出動を命じた日から二十日以内に国会に付議して、その承認を求めなければならない。ただし、国会が閉会中の場合または衆議院が解散されている場合には、その後最初に召集される国会において、すみやかに、その承認を求めなければならない。


? 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、または出動の必要がなくなったときは、すみやかに、自衛隊の撤収を命じなければならない。」


 この規定は、第4条に基づく我々の義務に影響を及ぼすかも知れませんが、この規定は歴史上かつて一度も利用されたことがない、ということを強調したいと思います。


(36)難民政策


 次の点は、日本の難民政策に関するものです。難民問題は、人道上の問題であるのみならず、地域的な平和と安定性にも影響を及ぼす問題である、という認識を持っています。我が国の政府は、積極的に難民問題と取組んでおり、インドシナ難民に関しては、その大部分はベトナムからの難民です。人道的援助の提供および東南アジア地域における平和と安定性への貢献という観点から、我が国の政府は、1万人のインドシナ難民を受け入れることを決定しました。また、本年の8月末において、日本には、9,001名の人々が受け入れられており、社会に受容されています。これらの人々に対して、我が国の政府は、日本語コース、関連情報、説明、援助を提供してきており、できるだけスムースに彼らが日本の社会に受け入れられるよう、努力しています。


 1951年の難民条約の批准以後、我が国の政府は、条約上の義務を忠実に実施してきています。批准以前において、義務の完全実施を確保するため、我々は、外国人登録法を改正しました。この法律の名称も変更され、「外国人登録および難民認定法」(正しくは、「出入国管理および難民認定法」)とされました。この法律の施行にあたり、庇護を求める者が前述の条約上の難民であると認定される場合は、我々は彼らを受け入れ、または彼らが希望する場合は、安全に居住することのできる第三国に送還し、また、この法律には「ノン・ルフールマン原則」も規定されています。すなわち、我々は、これらの人々を、政治的に迫害されるかもしれない母国に、決して送還することはありません。


(37)外国人の公務員就業問題


 また、日本国籍を有しない人々の日本における居住資格に関する質問がありました。公権力または公的コンセンサス形成に、部分的に、参加または行使する職業に就く場合は、日本国籍が日本においては必要とされる、と一般的に理解されています。公務員の職務が、公権力の行使または公的コンセンサス形成に関与するものであるかどうかは、個別に判断されなければなりません。というのは、公務員は、統一的標準を確立するための2つの職務を有しているからです。また、これまで、上に述べた要件は、看護婦および郵便職員には適用されない、と一般的に理解されてきています。


 この他、日本国籍を有していない者であっても、日本の国立または公立の大学の教員、および国公立の研究所の研究公務員となることができます。この結果、外国籍を有する多くの人々が、これらの公務員の範疇に該当するものとして採用されています。


(38)精神障害者の雇用問題


 精神障害者の雇用機会の制限に関する質問がありました。通訳の方、17番を見ていただけますでしょうか。精神病に罹った者が幻覚または妄想における重症の兆候を示している場合は、彼または彼女は、その者の利益を保護しまたは事故を防止するため、特定の仕事に就く資格がありません。


 その反面、通院や受薬を怠らない限り、改善された処置・技術および新たに開発された医薬品により、精神病に罹っている者が、精神病に罹っていない者と同様の生活をすることが可能とされています。したがって、「精神保健法」は、現行の規則を緩めるため本年6月に一部改正され、精神病に罹っている者が調理師、栄養士または放射線技師となることが可能かどうかについて判定する比較無資格制度を導入しました。その際、精神障害者の症候により個別に判定され、もはや障害者の就業が不可能であった絶対的無資格制度に依らないこととされました。この他、精神障害者の就業を不当に妨げる規則を見直す努力がなされています。


(39)体罰問題


 生徒に対する教師による体罰に関する質問がありました。「学校教育法」により、教師が生徒・学生に体罰を行うことは厳格に禁止されています。これは学校教育法第11条に規定されています。しかし、毎年、この種のケースが少なからず存在していることは非常に残念です。


 体罰による懲罰は、教師と生徒の間の信頼関係を壊す原因となり得ます。また、教育効果もまったく期待することができません。したがって、文部省は、数次にわたり指針を明らかにし、またさまざまな会議で指導を行うことにより、体罰の禁止が完全に理解されることに重点を置いてきました。文部省は、また、あらゆる機会をとらえて、体罰が皆無になるまでその指導努力を継続する意志を有しています。


 1979年にこの規約を批准したのち、体罰を理由に懲戒手続をうけたの教師の数は、1980年から1991年までの12年間において434人となっています。文部省は、教育委員会に、教師の職務規則を遵守するよう要請してきました。これらの規則に反した教師に対して、文部省は厳格な対処をし、二度と当該の問題を発生させないように自己の行為を反省するよう求めています。文部省は、今後とも、体罰のような違法行為を繰り返さないため、職務規則に従うよう、教員に対する指導を続けていく予定です。


(40)在日朝鮮・韓国人問題


 在日朝鮮・韓国人に関する問題について、この大きな問題の一部を私が、また一部を、同僚の渡辺氏が彼の部局の所管に関連して回答したいと思います。まず、在日朝鮮・韓国人の歴史に関して簡単に触れさせていただきます。1945年8月、日本政府がポツダム宣言を受け入れて降伏しました。在日朝鮮・韓国人は、当時、約200万人おりました。日本政府は、朝鮮半島に帰還する希望を有する場合は、これらの人々を支援しました。その結果、約4分の3の約150万人の人々が彼らの母国に帰りました。残りの4分の1、すなわち約40万人が彼らの意志に基づき日本に残りました。在日朝鮮・韓国人のうち、前述した者とその子孫からなる者が(現在)50万人の大多数を占めます。1952年4月の日韓平和条約の後、日本政府は必要な条件に適合する場合は、彼らの帰化(ニュートラライゼイション)を進めてきました。現在までに、13万人が帰化しました。1986年末において、在日朝鮮・韓国人数は、68万人です。質問にお答えする前に、以上を(歴史的)背景として説明いたしました。


 在日朝鮮・韓国人の学生・生徒の通学定期に関する質問ですが、通学定期の割引適用は、学校教育法における学校の種別に基づき行われています。したがって、学校教育法第1条に規定する小、中、高等学校の学生・生徒(に適用される通学定期の割引)は、朝鮮・韓国人学校を含む外国人学校や特殊学校の上級コースには適用されません。このため、第1条に規定される(学校に対する)ものと同じ割引率が外国人学校の学生・生徒に適用されれば、それは特殊学校の上級コースにも適用されなければなりません。学校種別に依拠しない、民間鉄道会社の用いる単純割引制度が、通学生間の通学定期割引率上の格差を除去するために(新たに)導入されなければなりません。


 この問題は運輸省の所管にかかわる事項ですが、私が知るかぎりでは、また、朝鮮・韓国人学校に通学する学生・生徒にも通学定期割引の利益が与えられるようにするため、関係規則を修正する検討が行われています。


 次の点は、在日朝鮮・韓国人の教育制度についてです。1991年1月に決着した「三世問題に関する日韓会議」では、学校教育法第1条に定める学校に在籍する朝鮮・韓国人に、課外活動として朝鮮・韓国文化を学ぶ機会を与えることについて、各地方自治体に裁量が与えられる、と定められています。これらの活動は、当該学生・生徒の状況を考慮に入れて、地方自治体の裁量で認められることとされています。この他、学業において高等学校卒業と同等の資格を有すると認められる生徒については、基本的には、日本の大学に入学することができる、とされています。


 これに反して、日本におけるほとんどの外国人学校は、(都道府県)知事による認可を受けています。しかし、特殊学校における教育内容については何ら特定的な法的規定がありませんので、特殊学校の卒業生が学業において高等学校卒業生と同等の資格を有するかどうかを確認する方法がありません。したがって、彼らは日本の大学に入学する資格がないのです。


(41)外国人労働者と健康保険


 次の点は、健康保険です。日本の健康保険制度の下では、関係企業に正規の職員として採用されている法的に許可された外国人労働者は、保険に加入する資格があります。しかし、正規に雇用されていない短期在留外国人や外国人学生に適用することは、原則的に、妥当ではありません。5人未満の従業員を有する企業に雇用される外国人労働者は、当該企業が次のいずれかの範疇に該当する場合は、健康保険に加入することができます。第1に(「健康保険法」第13条2号に定める外国の)事業所、第2に任意に健康保険制度に加盟する企業(同第14条)です。


 この他、臨時的または季節的業務に従事する労働者も、健康保険制度の下で、日雇い労働者特別保険制度の被保険者となることができます。換言すれば、日本における健康保険に関する限り、国籍の違いにかかわらず、何人も健康保険制度に加入することに、何らの制約もありません。


(42)戦後補償


 私が触れたい次の項目は、いわゆる「戦後補償」の問題です。通訳の方、第15番を参照して下さい。質問に回答する前に、この機会が皆さんにご回答すべきものとして適正かどうか確信を持てない、ということを申し上げたいと思います。何故なら、この問題は、国連における規約の採択以前に、また日本政府がこの規約を批准した以前に発生したものであるからです。


 以上のことを申し上げた上で回答いたしますが、日本政府は、政府が第二次世界大戦において発生させた損害賠償の請求に対して、サンフランシスコ平和条約、2国間条約その他の関連条約に従い、誠実に対処してきています。戦争被害の補償の仕方は、日本の国内法に従って取り扱われており、非常に多様なものとなっています。


 補償制度のほとんどは、補償を受けるものが日本国籍を有することを要件としていますが、それらは合理的な理由に依拠しています。たとえば、以下の理由により、国籍要件は、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」に規定されています。この法律に基づき提供される援護は、軍人・軍属等が被った一定の戦争被害に対する政府による補償という特徴を有しています。援護を受給できる者の範囲、援助の内容その他の関連事項は、立法政策の問題であり、その政策決定は極めて高いオーダーのものです。援護法制定の背景的状況の一部として、日本と、戦後において日本から分離独立した地域との間の財産的請求の問題は、両者の間の特別の調整問題であることが意図されている、と理解されています。援護法における国籍要件は、これらの状況の下に確立されたのであり、廃止することは困難です。


 外国人または日本市民による日本政府に対する戦争被害請求に関しては、日本の国内裁判所で請求を求めることを妨げるものは何もありません。また、それらの事件は、裁判所により個別に判決されることになると思います。


 いずれにしても、日本政府は、過去の日本の行為が堪え難い苦痛、悲しみを非常に多くの人々に与えたという事実に対して、その深い自責の念と謝罪を表明し、また日本は、平和のためにこれまで以上に貢献することにより新たな決定を示す意思を有しています。


(43)慰安婦


 この関連で、いわゆる慰安婦に関する言及がありました。日本政府は、1991年12月に、複数の行政庁に保存されている関係文書の調査を実施することで、戦時における慰安婦問題に関する調査を開始し、また昨年7月に調査結果を公表しました。その後、政府は、調査の範囲を拡大し、多くの前軍事関係者や慰安所所有者などの関係者への詳細な聞取り調査を実施することにより、関係文書の探査を継続しました。この他、日本政府は、韓国で元従軍慰安婦にも聞取り調査を実施し、今年の8月4日に調査結果を公表しました。


 調査結果を検討した結果、日本政府は、国籍に関係なく、慰安婦として被った測ることのできない苦痛と治癒することのできない身体的・心理的な傷を与えたことについて、その衷心の謝罪と自責の念を、すべての方々に表明しました。サンフランシスコ平和条約、2国間平和条約、その他の関連条約等に従い、日本政府は、前慰安婦に対する補償問題を含む請求問題に誠実に対処しています。


 その一方、このような法的側面とは別に、問題におけるその特別の性格を考慮して、日本政府は、現在、どのようにして最善な形で我々の謝罪と自責の感情を表明することができるか、真剣に検討中です。


(44)女子労働者の雇用機会均等


 民間企業で働く女性に労働権を保障すること等に関する質問に対する私の説明との関係で、質問がありました。私の説明の中で言及した法律は、いわゆる「男女雇用機会均等法」でありますが、この法律にしたがえば、ある女子労働者が事業者に苦情を提出した場合は、事業者は当該苦情解決を任務とする機関に処理をゆだねる義務を有すること等が規定されています。


 これらの規定によって、この法律は、男女平等の取扱いの促進および女子労働者の地位の向上を目的としているのです。


(45)選択議定書の批准問題


 日本政府による規約の選択議定書または拷問禁止条約、さらにはアパルトヘイト禁止条約等の批准の見込みに関して質問がありました。午前中に説明しましたように、我々は、現在、これらの条約を真剣かつ綿密に検討しています。しかし、グレート・パワーを有する国として、日本にこれらの普遍的な条約や選択議定書をできるだけ速やかに批准することが期待されている、との当委員会の高名な委員諸氏の意見に留意したいと思います。当委員会の意見のみならず、当委員会でのフィーリングについても留意したいと思っております。これらの要素や側面を参考にして我々の努力を重ねて行きたいと考えております。


(46)渡部法務省国際課長の発言


(國方、外務省人権難民課長) それでは、渡部氏、法務省刑事局国際課長、が特に婚外子の処遇、その他の関連事項に関する委員の質問に回答する用意があります。議長の許可をいただいて、渡部氏に発言していただきたいと思います。


(ヴェナーグレンな議長) 國方さん、ありがとうございました。渡部さん、発言をどうぞ。


(47)婚外子問題


(渡部、法務省国際課長) 私は、日本語で発言します。まず、婚外子の問題について、民法第900条4号但書は、被相続人について、嫡出子と嫡出子でない子の双方があり、かつ被相続人が遺言により相続分を定めなかった場合の嫡出でない子の相続分は、嫡出子の2分の1としているわけであります。すなわち、我が民法は、相続人が嫡出子のみである場合と、相続人が嫡出子でない子のみである場合について、その相続分に差異を設けてはいません。


 また、被相続人が遺言によって自己の相続人である嫡出子でない子に対して、自己の相続人である嫡出子と同じ、またはそれよりも多い相続分を与えることも否定していません。ただ、被相続人がそのような遺言をしていない場合にのみ、嫡出子と嫡出子でない子の相続分に差異を設けているものであります。


 この規定の目的は、正当な婚姻関係にある夫婦とその間の子から形成される、正当な家族関係を保護しようとすることにあります。我が国の法制は、一夫一婦制の下での、夫と妻およびその間の未成熟の子を家族の基礎的単位としています。正当な婚姻関係によって形成された家族の保護は、憲法上の要請でもあります。この観点から、正当な婚姻関係から出生した子と、そうでない子との利益が対立する場面において、正当な婚姻関係から出生した子の利益を図ることによって、家族の保護を図ろうとしているのが、民法900条4号但書の規定であります。


 その目的は、合法的なものであります。また、相続は、私有財産制の維持の観点から、被相続人の死亡により帰属を失うことになる財産を、誰に承継させるかという問題であります。これを相続人の側から見ますと、被相続人の死亡に伴う反射的利益としての性格が強いのであります。相続分に差異を設けることによる不利益は、人が本来有する権利を剥奪することによる不利益に較べれば、小さいのであります。目的の合理性と較べても、不相当な差を設けるものとは言えないのであります。


 なお、本規約が23条において家族制度を社会の自然かつ基礎的単位として認めていること、国連事務総長によって出された規約の草案注釈の内容、それから本条約の審議経過に照らしますと、相続に関する事項について、嫡出子と被嫡出子との間の区別を廃止することを要求するものと解することはできません。民法900条4号但書は、本規約に抵触するものではないと考えます。


 なお、この規定につきましては、我が国内でも憲法の規定、本規約に違反するとの意見もあります。これと同じ見解に立つ高等裁判所の判決もございます。先ほど、委員がリファーされたのは、この判決でございます。


 他方で、この規定は、憲法および本規約の規定に反するものでないとする高等裁判所の判決もあります。この点に関する最高裁判所の判決は、いまだ出ておりません。


 一方、この問題に関します国民の意識について申し上げます。1979年に実施された世論調査によりますと、嫡出子と嫡出子でない子との相続分を平等とすることに賛成するものが16%であります。これに反対するものが48%でございます。法務省におきましては、1979年7月、司法界や大学、婦人団体等の関係各界に意見を求めました。この時点でも、先ほど話したとおり、国民の反対が多かったうえ、関係者の意見も国民感情に反し、時期尚早であるとの反対意見が少なくありませんでした。そのため、嫡出子でない子の相続分は、嫡出子である子の相続分と同等とするという案について、改正を見送りました。また、1980年の相続法の改正に関しまして、国会審議の際に反対の意見も述べられています。そのため、嫡出子と非嫡出子の相続分を同等とすることについては、国民の合意が得られていません。


 この問題は、正当な婚姻による妻や子等の家族の保護と、嫡出子でない子の保護との調和という観点から、立法政策上の問題として解決を図るべきだという意見も強い。今後も、このような取扱いを維持するか否かにつきましては、国民の価値観の変化、国民世代の動向等を見極めながら、慎重に検討する必要があると考えています。


 次に、戸籍面についての問題についてお答えします。子どもが認知されました場合には、民法791条1項の規定により、家庭裁判所の許可を得て父の氏を名乗ることができるようになっております。


 婚外子の数について質問がありましたのでお答えいたします。1990年の調査によりますと、全出生者の中に嫡出子でない子が占める割合は、約1%であります。


(48)国籍関連の諸問題


 次に、国籍の取得について、性による差別があるかどうかの質問がありました。国籍の得喪に関して、性による差別はないことを申し上げておきます。


 次に、両親が分からない時に、無国籍になるのではないかという質問がございます。我が国の国籍法におきましては、日本で生まれた場合において、父母がともに知れないときまたは国籍を有しないときには、子どもは日本国民としております。こうして、無国籍者の発生を防止する措置を講じております。なお、この点について申し上げますと、父母がともに知れないときという意味は、単に父母の所在が不明である場合は含まれないと解しております。


(49)在日朝鮮・韓国人


 次に、在日朝鮮・韓国人の関係について申し上げます。これらの人々に対して外国人登録証の携帯を求めたり、再入国制限をするのは問題ではないか、というご質問がございました。


 まず、外国人登録証について、申し上げます。国際人権B規約は、日本人と外国人との間に存します基本的な地位の相違に基づく取扱い上の合理的な差異を禁止するものではありません。外国人登録証の常時携帯制度は、外国人は日本人と異なり、当然に本邦に在留する権利を有しておりません。日本政府により許可された範囲内で在留することができます。その意味で、日本人とは基本的に地位の相違があります。そうした観点から、在留外国人の公正な管理をするためにその居住関係および身分関係を現場において即時に確認する必要があるために設けられているわけであります。これは合理的な理由に基づく制度であります。外国人を差別するものではありませんし、外国人の移動を制限するための法でもありません。日本人ではない在日朝鮮・韓国人に、外国人登録証の常時携帯を求めても、これをもって品位を傷つける取扱いであるとは言うことはできません。


 次に、再入国について申し上げます。先ほど説明したとおり、在日朝鮮・韓国人については歴史的な経緯を有しており、それから我が国への定着性も有しております。これらの理由により、法的地位をより一層安定させるために入管特例法を定めました。特別永住者に該当する人々については、4年間有効の再入国許可を与えております。出国中に1年の延長が認められております。したがって、合計5年間であります。また、再入国に際しても、有効な旅券を持ってさえいれば上陸拒否事由に該当する場合であっても、再入国を認める。その歴史的経緯や定着性に十分配慮して処遇しているのであります。


 それから、外国人登録証の常時携帯義務についての違反件数について言及がありました。この制度の運用につきましては、常識的かつ弾力的なものに徹底するように、今後とも努力していくつもりであります。また、1992年の外国人登録法改正に際しまして、外国人登録証のカードを小型化しまして、携帯に便利なものとしています。なお、委員から逮捕者が約2万人いるというようなご指摘がございました。警察庁の統計によりますと、この義務違反に対して最近送致された件数は、そのような5桁ではなくて、2桁になっていることを追加いたします。


(50)退去強制と家族の保護


 次に、退去強制に際する家族の保護について申し上げます。退去強制するか否かにつきましては、離散家族の発生の防止等、人道上の配慮をしております。当該外国人の経歴や家族の状況も総合的に考慮して決定しております。しかし、最大限の人道的配慮を払っても、出入国それから在留の公正な管理を行うという観点から、その外国人を本邦に在留させることが相当でないと判断した場合には、退去を強制することになります。もちろんこの判断に対しては、裁判所に対して不服申立てが可能であります。


(51)帰化と氏名


 それから、帰化に際しての氏の保障についてご質問がありましたので、答えます。帰化に際して戸籍上の氏名の記載は、次のようなものです。通常使う常用漢字と呼ばれているもの、それから人名漢字という人名用の漢字、それから日本語で平仮名、片仮名と言われているものであります。これらの漢字を使う限り、日本風の氏名に改めなければならないという法律上の規制はありません。また、法務省として、そのような日本風の名前を使うようにという指導はしておりません。


(52)人権擁護機関の活動などについて


 最後に、人権擁護機関についてのご質問がありましたので、その点を述べます。まず、活動状況について申し上げます。人権擁護機関が行っております人権相談をした件数は、1992年におきましては、約48万件であります。人権侵犯事件につきましては、同じ年で、約1万6千件であります。もちろんこれは人権擁護機関が受理した件数です。


 次に、人権擁護機関の機能面についてお話しいたします。人権擁護機関の調査は、人権擁護委員等によって行われます。これは任意的な手段のみでありまして、強制調査の権限は認められておりません。その理由は、以下のとおりであります。人権擁護機関の主要な任務は、関係者の人権尊重の意識を啓発することにあります。そして、人権侵害の実態を除去する、あるいは改善することにあります。したがって、人権侵害をうけたという人が、人権擁護委員に相談するか、もしくは裁判に訴えるという、どちらの手段も採れます。これらの手続をどのように選択するかは、当事者の自由です。以上です。


(ヴェナーグレン議長) 渡部さん、ありがとうございました。國方さん、残りの質問に回答するため、続けて発言なさいますか。ご発言をどうぞ。


(國方、外務省人権難民課長) 議長、ありがとうございます。残りの質問に関して、一部は警察当局に関するものですので、ご許可を得て、小野氏に発言してもらいます。小野氏は、警察庁長官官房総務課留置管理官です。


(ヴェナーグレン議長) 國方さん、ありがとうございます。小野さん、どうぞ発言して下さい。


(53)留置場における女性の処遇


(小野、警察庁留置管理官) 日本語で発言をいたします。いくつか警察に関係するご質問がありましたので、お答えをいたします。1つ目が、留置場に留置される女性には男性以上の負担が課せられているのではないか、ということでありました。お答えいたしますが、留置施設においては男性と女性の分隔、別の留置室に収容するということを徹底し、互いに接触しないように心掛けており、また女性に身体検査をする際は婦人警察官が行う等、女性特有の羞恥心にきめ細かく配慮して対応しているところであり、男性に比較して女性に格段な負担を与えている取扱いはない、と申し上げておきます。


(54)有害図書指定と検閲


 2つ目のご質問は、少年に有害な図書の指定を警察が行っているが、それが検閲にあたるのではないか、というご質問でありました。お答えをいたします。ご指摘の件は警察は行っておりません。したがって、この問題は私が答える立場にはありませんが、時間の関係もありますので事実だけ簡単に申し上げさせていただきます。我が国の各都道府県におきまして、全ての県ではありませんが、それぞれが青少年を保護する条例を定めております。この中で都道府県知事が青少年の健全育成を害する恐れのある図書類  本とか雑誌、写真、絵画等  知事が有害図書として指定することができる規定がおかれております。このような規制は、出版そのものの規制や成人への販売規制等を除外するなど、慎重な対応措置を取っており、最高裁も検閲にあたらないということを確認しております。


(55)猥褻文書と検閲


 第3のご質問は、猥褻文書に対する警察の取締りにおいて、検閲にあたることがあるのではないかということでありました。日本国憲法21条2項において、検閲をしてはならないことは明記してあります。もちろん、これを警察当局も尊重しております。日本の刑法175条において猥褻文書の頒布、販売等が処罰の対象となっております。この規定に基づき、出版後のこの規定にあたる行為を取締まることはありますが、事前に検閲をするということはありえません。


(56)福祉犯罪の取締まり


 次に、第4の質問であります。福祉犯罪の取締りについてでありますが、警察においては、少年の健全な育成が図られるよう、たとえば家出少女に無理に売春をさせる等、少年を虐待し酷使する等の犯罪を取締まっております。これがいわゆる福祉犯といわれているものであります。警察はこのような犯罪に重点をおいて取締まっており、1989年にはこのような犯罪を行ったものを1万650人検挙しております。また、これとは別の問題でありますが、警察では少年の非行、家出、自殺等を防止するため、心理学に関する知識を有する専門職員、経験豊かな警察官等がカウンセリングのサービスをする窓口を設けております。電話による相談も受け付けております。少年自身、または少年の非行に悩む親が相談にきておりまして、それにアドバイスをするサービスを行っております。以上です。


(ヴェナーグレン議長) 小野さん、ありがとうございました。國方さん、まだ何か付け加えることがありますか。終わりましたか。


(國方、外務省人権難民課長) 恐れ入りますが、かなり長い時間をお借りすることになって申し訳ないと思いますけれども、非常に多くの数の質問が委員諸氏から出されましたので。外務省国際社会協力部人権難民課の後藤氏に発言していただく前に、ちょっと2つ言及を忘れたことがありますので、その点について申し上げたいと思います。


(57)子どもの権利条約の批准問題


 第1点は、子どもの権利条約です。日本におけるこの条約の状況は、以下のとおりです。国会の前会期において、この子どもの権利条約の批准をお願いしました。しかし、国会が突然に解散されたため、この条約の批准をまだしておりません。かなりの討議を、衆議院および参議院で行いましたが、その審議の最後の段階において、国会が突然に解散されたため、批准の承認をいただくことができなかったわけです。我々は、現在、この条約の批准が早急に批准されるよう努力している次第です。


(58)在日朝鮮・韓国人と「少数民族」の定義


 第2点でありますが、在日朝鮮・韓国人が小数民族であるかどうか、という問いに関して以下のようなお答えをしたいと思います。「小数民族」に関する確立した定義、すなわち国際的に確立した定義は、まだないと思います。しかし、いずれにしても、在日朝鮮・韓国人は、固有の文化、宗教そして言語に対する彼らの権利を拒否されているわけではありません。


 以上のことを申し上げましたが、次に、議長の許可を得まして、後藤氏から、日本における規約の地位および公共の福祉の概念に関し、発言させていただきたいと思います。


(ヴェナーグレン議長) 國方さん、ありがとうございました。後藤さん、発言をどうぞ。


(59)「公共の福祉」という概念について


(後藤、外務省人権難民課検事兼事務官) 議長、ありがとうございます。私は、日本語で発言させていただきます。まず、公共の福祉に関するご質問にお答えします。委員からご指摘がありましたように、憲法12条、13条は公共の福祉が人権を制約する根拠となるとまでは必ずしも明示していないので、公共の福祉という概念が人権一般の制約原理となるかどうかについては、学説上はアカデミックの間では争いがあります。ただし、判例の立場は、一般に、公共の福祉が制約原理となると解しているように見受けられます。ただ公共の福祉による制限を認めない学者やその立場の人でも、人権が常に絶対的なものであって一切の制約を許さない、と言っているわけではありません。たとえば、名誉と表現の自由が衝突する場面において、名誉を毀損する行為が犯罪を構成することについて、そのような公共の福祉による制約を認めないまでも、名誉毀損罪の存在は認めているわけであります。


 したがって、問題は公共の福祉の概念で人権が制約されるか否かではなくて、具体的な人権の制限が憲法との間でコンパティビリティーを要するかどうかを、どのような基準で判断するかというところにあるのであります。その点に関しましては質問表リスト1(b)に対するお答えの中で述べましたように,個々の人権ごとに判例学説によって具体的に確立されてきました。


 特に、日本国憲法公布後46年経って、現在では、具体的な原理について、どのような基準でその合憲性を判断するかについて原則が確立されております。裁判所は常に、立法の趣旨、目的の正当性、それから制約手段の必要性、相当性を綿密に考慮にいれた上で、憲法と人権を制約する法律との適合性を慎重に判断しています。1の(b)の中でも述べましたように、内心の自由についてはその保障は絶対であって、一切の制約は許されないと解されています。また、人身の自由に関わる権利、刑事手続に関する規定についても、公共の福祉による制限はありえないと考えられています。さら人権を規制する法令等が公共の福祉により正当化されるか否かを判断するにあたっては、判例は営業の自由等の経済的自由を規制する法令については立法府の裁量を比較的広く認めますのに対し、精神的自由を規制する法令の解釈については厳格な基準を用いています。


(60)規約の効力問題


 次は、B規約の効力の問題についてお答えします。参考資料1の資料1を通訳の方参照して下さい。繰り返し述べていますように、日本の裁判所においてB規約は適用される可能性はあります。しかしながら、個人はB規約上の権利を有してはいるが、各締約国が規約の第2条の趣旨に従って立法措置等を行い、国の国内法上の義務を明確化するまでは、国に対して、国の与えるべき保護を与えていないとしてB規約のみを根拠として不作為を具体的に問題することはできない、と解しております。日本政府は、今述べたとおり、個人がB規約のみを根拠として国の不作為を具体的に問題することはできないということから、B規約には自動執行力はないと訴訟において主張しておりますが、これは国がB規約に違反するような一定の作為を行った場合に、その作為が規約違反であることを個人が主張することとは別の問題と考えています。


(61)ジェネラル・コメントの法的拘束力


 続きまして、裁判所において国内法が規約に違反するか否かを審査する際に、委員会のゼネラルコメントを考慮にいれているかどうか、という質問にお答えします。個々のケースにおいて実際に裁判所が考慮しているか否かは、具体的なケースにあたってみないと分かりません。ただし、一般的には、当事者が訴訟においてゼネラルコメントを援用することはもちろん可能であります。その場合、コメントには法的拘束力はないと考えておりますが、裁判所においてもそれを考慮することは、十分可能であると考えております。


(ヴェナーグレン議長) ありがとうございました。國方さん、もう1回ご発言をご希望ですか。


(國方、人権難民課長) はい。議長、ありがとうございます。議長、私どもは、あらゆる努力を払って委員諸氏のさまざまなご質問にお答えしようといたしましたけれども、まだ全てのご質問に答えてはいないと思いますし、まだ、いくつか残された問題があります。また、我々は、現在、いくつかの質問に対する我々の回答を準備しており、また補足情報や事実確認も本省から入手しなければなりません。8時間の時差がありまして、私共本日中に回答を本国から取り寄せることは不可能です。残りの質問に関しては、明日の会期でお答えさせていただきたいと思います。


(ヴェナーグレン議長) 國方さん、どうもありがとうございました。ご回答は、我々にとって非常に情報が多くかつ有用でした。ご回答は、代表団と委員会との間に開始された対話のために役立つものと思います。さて、質問を希望する委員がまだ5名おります。本日の審査を終わる前に、これらの5つの補足質問を終えたいと思います。それにより、代表団が明日の回答の準備が可能になると思います。もう時間があまりありませんので、委員の皆さんにはそれを考慮に入れ、できるだけ簡潔に質問をしていただきたいと思います。では、まず最初に、プラド・ヴァレホさんに発言していただきます。


(62)プラド・ヴァレホ委員の補足質問


(プラド・ヴァレホ委員) 議長、ありがとうございます。議長、私は、いくつかの点に関して説明を求めたいと思います。まず、日本代表団に対して、私の懸念のいくつかにお答えいただいたことに感謝します。ただ、2つのコメントをしたいと思います。第1に、難民に関するものです。代表団は、先程、庇護を求める難民の日本入国にあたって割当があるという回答をされましたが、これは難民に対する割当を決めるという問題ではないと思います。問題は、難民や庇護を求める者に対して用いられる政策または機構です。日本の政策は、難民や庇護を求める者に関する国際的な原則にしたがっていないと思います。難民資格または庇護を与えるための事前の調査期間は非常に長く、また、秘密裡に手続が行われています。また庇護の要件も、非常に制限的です。


 この点に関し、1993年8月18日付の、日本政府に宛てた事務総長の書簡がここにあります。私は、この懸念に対するなんらかの回答があったのかどうかについて、知りたいと思います。アムネスティ・インターナショナルも、この問題を政府に対して直接的に取り上げています。これは、非常に重要な点だと思います。


 第2の点は、婚外子差別の問題に関してです。代表団によれば、国内的なコンセンサスが求められており、まだこの問題に関する合意は得られておらず、また、ほとんどの人々は、現行法の改正を希望していない、とのことです。しかし、日本は、国内法を規約に適合させる義務を負っているわけであり、それは規約第2条に基づく義務です。すなわち、無差別の原則を考慮し、さまざまな措置を確立し、どのような理由に基づくものであれ、いかなる形態の差別も撤廃しなければならないのです。国内法を変えることができないと述べることはできないのです。政府は、この忌むべき婚外子差別を撤廃するため、世論を変えなければならないのであって、国内法を国際的法規に適合させなければなりません。どうもありがとうございました。


(ヴェナーグレン議長) プラド・ヴァレホさん、ありがとうございました。では、次に、ディミトゥリエヴィッチさん、ご発言下さい。


(63)ディミトゥリエヴィッチ委員(ユーゴスラビア)の補足質問


(ディミトゥリエヴィッチ委員) 議長、ありがとうございます。私は、審議手続を長引かせたいとは思いませんし、規約の解釈および理由づけの仕方について後ほどコメントしたいと思います。代表団の回答を聞いていて、少し懸念を感じた点があるからです。それを、最終発言の際に申し上げたいと思います。非常に多くの質問が既に出ているからです。


 ただし、これ以上の誤解を避けるため、今の時点で1つ申し上げておきたいことがあります。先ほど日本代表団が行った理由の説明の中に、奇妙なもの、不合理なものがありました。それは、法を基礎として行われる区別と、世論の変化を根拠として行われる区別に関してです。そのような説明を聞いて、驚きました。それは、嫡出子と非嫡出子とに関する完全に誤った区別です。もしそこに純真無垢のパラダイムがあったとした場合に、出生という生じさせた行為に対して責任を負うべき者は子どもではないのです。無差別に関する一般的規定に加えて、規約第24条に子どもに関する無差別の個別的規定があります。そこでは、出生の態様にかかわらず、十分な保護があたえられなければならない、と規定されているのです。この保護は、民法における財産権のみならず、その他のことに含まれると思われます。たとえば、出生の登録やパスポートへの記載などにおける場合です。


 次に、世論調査に依拠することに関してですが、たとえば官庁やその他の機関が実施したものに依拠することは、基本的には誤りであると思います。第1に、世論調査は、レファレンダム(国民投票)ではありません。国民投票を行うことは、日本でも可能だと思います。しかし、それは、規約の批准をすべきかどうかということに関して行うことのみが妥当であり、ある特定の規約の規定の妥当性や解釈に関して行われるべきものではありません。かなりの場合において、非常に誤った規約の解釈や、世界のさまざまな国において、たとえば女性の地位等を侵害するなど、規約に反する態度に関するさまざまな例を見いだすことは、非常に簡単なことです。規約を実施しない理由を説明するため、政府はこのような世論を参照すべきではない、と考えます。


 もし私がプラド・ヴァレホ氏の発言を正確に理解しているとすれば、規約を適正に周知させず、非嫡出子との関係で、嫡出子のみを厚遇する国民の態度に帰着させていることは、まさに政府の失敗にあたるのだと、申し上げます。議長、ありがとうございました。


(ヴェナーグレン議長) ディミトゥリエヴィッチさん、ありがとうございました。我々は、6時5分までは審査を続行することができますが、それ以上はできません。あと3人の発言予定者リストがあります。ただし、7分しか残っておりませんのでその点を念頭において下さい。では、アギラーさん、発言をどうぞ。


(64)アギラー委員の補足質問


 ヴェナーグレン議長、ありがとうございます。私も、ディミトゥリエヴィッチさんが言われた点から始めたいと思います。2つの重要な規約の規定に対して、世論調査に基づいて重大な決定を下すことに疑義を感じています。規約第2条は、権利が「すべての個人」に対して保障される、と規定しています。第26条についても同様であり、「すべての者」が無差別に権利を有している、としています。嫡出子であろうと、非嫡出子であろうと、いかなる差別も許されません。


 この点に関して差別を正当化するため、第23条では家族が保護されている、と(代表団は)述べられました。確かに家族は保護されなければなりません。しかし、規約が規定していることとは非常に異なっているのです。規約では、家族の保護を規定していますが、それは、特定のケースにおける男、女そして子どもの保護あるいは婚姻関係による出生制度を守ることとは別のものです。我々は、ここ(23条)では、家族を保護しているのです。この点を非常に明確にしておきたいと思います。


 この他、規約の(国内における)地位について言及したいと思います。代表団の回答では、第2条に従って規約が国内法に統合されるべきであり、国民は規約の利益を享受すべきである、と言われました。もしも、規約が国内法に統合されていない場合は、国民はそれを享受できないわけです。私の考えでは、規範は第2条1項に表れており、それは規約のすべての規定の「即時」の保障でなければならない、というものであると思います。ありがとうございました。


(ヴェナーグレン議長) アギラーさん、ありがとうございました。あと、ちょうど3分残されています。ポカールさん、発言をどうぞ。


(65)ポカール委員の補足質問


 議長、ありがとうございます。私が発言したかったことについては、特にディミトゥリエヴィッチ氏およびその他の発言者が述べられたこと以上の言葉を見いだすことができませんので、ごく簡潔に発言したいと思います。規約の下では、規約上の責任について世論を啓蒙していくことが政府の義務であると思います。この(婚外子に関する)法律は、私の考えでは(婚外子など)、その地位にあることに対して責任を有しない一定のカテゴリーの人々に対する制裁です。


 さらに、一言付け加えさせていただければ、世論調査に依拠する傾向を持っている(日本政府の)回答を注意深く聞いていると、この点に関して我々の委員から問われた論議に関しては何らの明確な回答がなかったように思います。家族の保護は、子どもの権利を犠牲にして行われてはならないという点です。家族に反して彼らが行動する場合において、バランスが図られるべき問題です。家庭の保護を子どもの権利に優先させるべきかどうかは、さらに議論をすべきことですが、いずれにしても子どもの権利は保護されなければならないのです。時間がありませんので、これで終わります。議長、ありがとうございました。


(ヴェナーグレン議長) ポカールさん、ありがとうございました。ヒギンズ夫人、1分ありますので、自由に使って下さい。


(66)ヒギンス委員の補足質問


 はい、議長、一言申し上げたいと思います。それは無内容の、序論的なものではなく、関連性のあるものです。委員会が行うと予想された質問に対して、(日本代表団が)入念な準備をされたことに、本当に感銘しています。詳細な準備的作業が、完全な情報を盛り込んで、明確に行われました。しかし、同時に、我々は、対話を希望しているわけです。そして、そのためには、代表団が我々に対して法律の説明をすること以上のことが必要です。特に、我々が既に当該の法律を理解していたり、また、既に公的に述べられている法律上の理由を繰返すに過ぎないときは、特にそうです。したがって、我々に真に役に立つのは、代表団が、非嫡出子の問題に関する法や実務に関して、既に述べられている理由につき、委員から出されたさまざまな批判に答えていただくことです。


 次に、私がうかがった外国人登録証に関する質問について、私は、それが合理性を有するとの回答をいただいたのですが、日本が許可する限りにおいて外国人が日本に滞在することができるのであるから、合理的な区別である、と言われたのは非常に問題である、と感じました。ところが、三世代にもわたり居住している人々も存在しているのです。彼らは、そのような範疇には全く該当しないのです。


 また、他の外国人がそのような資格を有していないのであるから、完全な居住要件を備えている者は、外国人登録証を携帯することが義務づけられる、と回答されました。思うに、もう一度考え直していただければ、代表団はそれが合理的でない、ということが分かると思います。


 最後に、朝鮮・韓国式の氏名についてですが、私は、法律により変更することが義務づけれれている、とは申しませんでした。しかし、回答は、それを前提に行われました。私は、むしろ、事実上の政策、同化政策、さらには登録済の氏名がパスポートに記載される仕方についてうかがったわけです。回答をいただいて非常に役に立ちましたが、しかし、以上の点に関しては回答をいただいておりません。ありがとうございました。


(ヴェナーグレン議長) ヒギンズさん、ありがとうございました。以上で、本日の会議を終わり、明日10時きっかりに開始したいと思います。日本政府代表団は、第1章に関する回答を終え、第2章の質問に進んでいただくことになります。


第1279回委員会

1993年10月28日(木曜)、第1279委員会、午前10時-午後1時


(67)2日目の審査の開始


(ヴェナーグレン議長) これより会議を再開します。今日は、日本の第3回定期報告書の審査を継続します。その前に今週の残りの2日間のスケジュールに関するお知らせがあります。今朝は、第1章に関して残されている質問に対する審査を継続し、次に第2章を開始する予定でしたが、第2章と第3章を一緒にして、残された質問事項リストのすべての質問をまとめて代表団にご回答いただくことを、提案したいと思います。その後、今日の午後を、日本の報告書の審査を終了するためにあてたいと思います。利用できる時間を有効に使うために、委員および代表団の諸氏には、精密にまた既に発言されたことを繰り返さないようにお願いしたいと思います。委員諸氏が見解を発表される場合は、最終発言の際にお願いします。


 もし、午後に日本の第3回定期報告書以外の事項のための時間が残りましたら、第27条に関するジェネラル・コメントのためにその時間を用いたいと思います。


 また、明日の朝は、通訳は全くありません。提案としては、報告書の提出に関して審議したいと思います。その次に、秘密会議において、アイスランドおよびノルウェーの報告書に関する委員会のコメントの審議をしたいと思います。明日の午後は、通訳があり、個人通報を扱います。以上が事務局からの提案です。残りの2日に関する、このスケジュールに関するコメントがありますでしょうか。もしなければ、日本代表団に対して、第1章の質問に関するコメントおよび回答をしていただきたいと思います。國方さん、ご発言をどうぞ。


(68)質問事項リスト第1章の残りの質問に対する日本代表団の回答の続き


(國方、外務省人権難民課長) 議長、ありがとうございます。また、委員の皆さん、おはようございます。第2章に移る前に、委員諸氏により出された第1章の残りの質問に対して回答したいと思います。


(69)難民審査手続


 まず、日本における難民の審査手続(スクリーニング・プロセス)に関する質問がありました。我々の回答は、次のとおりです。いずれの審査手続においても、我々は、庇護を求める者の人権を保護するため、できるだけ自由に、非常に入念な審査をしております。日本語は庇護を求める人々の言語とは非常に異なるため、我々は、十分な数の通訳者を確保する上で困難に直面しています。したがって、庇護を求める者が審査において許可されるか、不許可となるのかを決定するために、長い時間がかかります。難民の審査手続においては、審査手続の客観性を担保するため、法務省が国連高等難民弁務官またその代表と密接な協力の下に、審査を実施しています。したがって、結論的には、日本の難民審査システムは、1951年の難民条約上の義務を遵守するものである、と考えています。


(70)婚外子に関する文書の提出


 昨日の午後の婚外子の取扱いに関する討議において、日本政府の意見とは異なるさまざまなご意見が高名な委員諸氏から表明されました。貴重な時間を節約するために、我々としては、我々の意見を文書で詳細かつ、この委員会が終わり次第、できるだけ早くお伝えしたいと思います。したがって、それにより、日本における状況に対する委員諸氏のご理解を深めていただきたいと思います。


(71)規約と広報活動


 また、規約の広報に関するご質問もありましたが、適切な機会に公衆に対して効果的な広報を行うための努力をしていきたいと考えております。


(72)選挙における戸別訪問禁止


 次に、日本での選挙活動に際して戸別訪問を禁止している点に関する質問がありました。もし選挙活動に際して戸別訪問が許されますと、贈収賄が発生する機会が生じてしまうかも知れません。選挙の自由と公正が完全に確保されないことにもなります。これらの懸念から、この制約は合理的な根拠に基づくものであると考えている次第です。


(73)解雇された労働者の救済


 明白な理由によらずして解雇された従業員の救済方法に関する質問もありました。日本の労働基準法は、国籍、信条または社会的身分によるいかなる差別も厳格に禁止される、と明確に定めています。もし当該の差別が生ずる場合は、労働基準監督機関が事案を調査し、もし当該事案が違法であると認定されれば、当該機関が使用者に対して当該状況を矯正するよう求めます。


 この他、解雇された労働者は、何時においても、独立の委員会に対して事案を審査するよう請求することができます。この独立の委員会は、事案を審査し、当該の認定があれば、救済命令がこの委員会から発せられます。さらに、解雇された被用者は、解雇が無効であることを求める民事訴訟を裁判所に提起することもできます。


(74)規約と日本国憲法との関係


 それから、もう1つの質問として、日本における規約の地位、特に憲法と規約の関係に関するご質問もありました。この点に関しては、昨日申し上げたこと以上に付け加えることはあまりありません。しかし、この時点で、以下のことを説明したいと思います。条約と憲法の関係に関しては、何らの明示の規定もありませんが、我々は、日本国憲法が優先するものと考えています。したがって、規約と日本国憲法の間に矛盾する点があれば、日本国憲法が優先することになります。しかし、我々の報告書の第12項に記載してありますように、その表現の仕方に違いはあっても、日本国憲法により保障される人権と規約により保障される人権の間には、基本的に何らの差異もありません。したがって、我々は、規約と日本国憲法との間には、矛盾や摩擦はない、と考えています。


 議長、どうもありがとうございました。我々としては、いただいたご質問にできるだけ回答をさせていただいたつもりです。ありがとうございました。


(ヴェナーグレン議長) 國方さん、ご回答ありがとうございました。委員の皆さん、何か付け加えたいご希望があるでしょうか。なければ、フランシスさん、ご発言下さい。


(75)フランシス委員(ジャマイカ)の質問


(フランシス委員) 議長、ありがとうございます。議長、ただいまの発言者に関することをいわれているのでしょうか。もし、ご許可いただければ、ただ今の発言について質問したいことがあるのですが。


(ヴェナーグレン議長) ええ、できるだけ第1章の質問を終わりたいと思っています。もし、あなたがコメントなさりたい場合は、最終発言の際にお願いしたいと思います。しかし、明確にしておきたい点があるようでしたら、明確化のためにご発言いただいて結構です。


(フランシス委員) 議長、ありがとうございます。私は、先ほどの回答を聞いていて、少し気になったことがあります。もしも憲法と規約との間に矛盾があった場合は、憲法が優先する、と言われました。しかし、「条約法に関するウィーン条約」の第27条では、締約国が憲法または法律に言及することにより条約上の義務を回避してはならない、とされていることを代表団もご存じだと思います。この規定に照らして質問したいのですが、代表団は、条約法条約のこの規定と、規約に関する代表団の発言とを、どのように調和させるのでしょうか。


(ヴェナーグレン議長) フランシスさん、ありがとうございました。國方さん、今、その調和に関する(質問に)お答えいただけるでしょうか。すなわち、条約法条約の27条と、日本におけるその立場との調和に関する質問です。もし、条約法条約を手元にお持ちでないのであれば、午後にご回答いただいても結構ですが……。


(76)質問事項リスト第2章および第3章に対する、代表団の回答


 それでは、第2章と第3章の質問事項に関する審査を続けたいと思います。リストには12の質問事項があります。國方さん、ご発言下さい。


(77)法定刑としての死刑を減少させる計画の有無


(國方、外務省人権難民課長) 議長、ありがとうございます。第2章における質問事項の順番に、回答したいと思います。質問2(a)は、次のとおりです。「法定刑中に死刑の定めのある罪の数を減少させるため、関連法規を修正する計画はあるか。」


 我々の回答は次の通りです。1974年、法務省の常置の審議会である法制審議会は、その改正刑法草案に関する報告書において、死刑を宣告しうる犯罪を現行の17から8に減少することを勧告しました。日本政府は、この答申を踏まえて、刑法典の全面改正法案を国会に提出するための手段・方法を見いだす努力を重ねてきていますが、しかし、政府は、日本弁護士連合会等の反対により、これまでのところそれを行えない状態です。以上が、質問2(a)に対する我々の回答です。


(78)公務員による拷問・非人道的取扱とその処罰、再発防止策


 質問2(b)は、次のとおりです。「審査対象期間中に、公務員による拷問または非人道的取扱に関する不服申立てはあったか。もしあるとすれば、有責とされた者の処罰、被害者への賠償およびそのような行為の再発を防ぐためにいかなる措置がとられてきたか。」


 この質問に対する我々の回答は、次のとおりです。公務員による拷問または非人道的な取扱がなされた場合には、その被害を受けた者およびその家族等は、検察に対し告訴・告発をすることができます。検察官が告訴、告発事件について不起訴処分としたときには、速やかに告訴人等に対し、その旨を告げなければなりません。検察官から不起訴処分の通知を受けた告訴人等がその処分に不服がある場合には、告訴人等は、検察審査会に対し不起訴処分の当否についての審査を請求することができます。検察審査会は、一般国民の立場から検察官の不起訴処分の当否を判断することを目的として、全国に約200設置されており、11人の検察審査員をもって組織されております。検察審査員は、衆議院選挙人名簿に登録された一般市民の中から籤で選定されます。


 また、これらの事件の告訴人等は、検察審査会に対する請求をするか否かにかかわりなく、裁判所に対し、その審判に付することを請求し、裁判所がこの請求を認めて審判に付することを決定したときには、公訴の提起があったものとみなされるとの、特別刑事手続(準起訴手続)が設けられています。この手続きにおいては、裁判所が検察官としての任務を行う者を弁護士の中から指定しなければならないこととされております。検察官、矯正職員および警察官の不祥事について不当な捜査や起訴処分が起こらないよう、このような手続的セーフガードが設けられております。


 ところで、これらの事件について検察庁が告訴等を受理した人数は、人員数は近年飛躍的に減少しております、すなわち、受理人員数は、たとえば1986年には年間1,652人であったものが、その後1990年には798人、1992年には364人と減少しております。1992年の人員数は、1986年とくらべ約78%と減少しています。また、検察審査会がこれらの事件を受理した人員数は、1985年には959人でありましたが、その後前述同様に飛躍的に減少し、1990年には82人、1991年には87人、そして1992年には68名となっております。


 加えて、付審判請求がなされた人員数も減少傾向にあり、裁判所が受理した付審判請求の人員数は、たとえば1986年には年間1,182人であったものが、1990年に260人、1991年には167人、1992年には106人となっております。1992年の人員数は、1986年と比較して約91%減少しております。これに対し、1988年から89年の5年間に検察官が被害者からの告訴等に基づきこれらの事件について起訴した人員数は4人、検察審査会が検察官の不起訴処分について、審査した結果、不起訴不当と判断した人員は1人、また、裁判所が付審判決定をした人数は3名でありました。検察官が起訴した4名はいずれも、警察官であり、そのうち3名が有罪となりました。科刑は、それぞれ懲役3年、懲役2年6カ月および懲役1年でありました。残りの1人につきましては、現在、第1審で公判継続中であります。また、裁判所が付審判決定した3人はいずれも警察官でありました。3人のうち2人については無罪となりましたが、検察官役の指定弁護士が控訴し、現在、控訴審継続中であります。1名については第1審で有罪となりました。そして懲役8カ月、執行猶予つきで判決が下されましたが、被告人と、検察官役であります指定弁護士の双方が控訴し、現在、控訴審継続中であります。


 これらの事件について、検察官による起訴件数は少ないのでありますが、検察官の不起訴処分に対するチェックを行う検察審査会の審査および審判請求においても、前述の通り検察官の不起訴処分を不当とした事例はきわめて少なく、検察官の処分は適正におこなわれていると考えております。


 ところで、公務員の非人道的行為に対する苦情は、前述の通り、近年飛躍的に減少しておりますものの、なお相当数の苦情があることは事実であります。ゆえに、非人道的な行為を行った公務員を厳正に処罰することはもとより、被害者の救済および再発防止のための措置を講じる必要があることは当然なことである、と考えております。


 被害者の救済につきましては、起訴された警察官本人が被害者に賠償した事例がある他、被害者が警察官の違法行為を理由に当該警察官の所属する地方公共団体に対し損害賠償を請求し、裁判所の判断に基づきその地方公共団体が被害者に賠償金を支払った事例もあります。また、再発防止の措置につきましては、起訴された警察官がいずれも懲戒免職処分に付されているだけでなく、その警察官を監督する立場にあった上司も懲戒処分に付するなど、綱紀の粛清に努めるとともに、不祥事が生じた場合にはその原因などを検討してこれを、全職員に周知させ、再発防止に努めているところであります。


(79)懲役や労役場留置の状況


 次の質問にまいります。2(c)です。質問は次のようなものです。「刑法12条に規定される強制労働(懲役)または刑法18条に規定される労役場における留置は、どのような状況の場合に科されるのか明確にしていただきたい。そのような拘禁状態についてさらに情報を提供していただきたい。」


 我々の回答は、以下のようなものであります。意見を述べる前に、第3回政府報告書の中で、我が国の刑法上に定める自由刑の一つであります「懲役」を、penalservitudeまたはimprisonment with forced laborと訳しておりますが、この訳では強制労働を伴う重い刑であるかのような誤解を与えるおそれがあります。適切な訳でありませんので、imprisonmentwith laborに訂正したいと思います。


 日本の刑法が定める主要な刑罰は、死刑の他、自由刑として懲役、禁固、拘留、そして財産刑として罰金、科料、没収があります。このうち、懲役刑は、殺人罪、傷害罪、窃盗罪等多くの犯罪の法定刑とされており、1992年末の在所受刑者総数37,237人の内、懲役37,090人、禁固147人、拘留0となっております。


 懲役受刑者は、監獄に拘置され、定役に服すこととされております。定役に服すとは、監獄において作業を行うことであり、この刑務作業は、受刑者の心身の健康を維持し、勤労精神を養わせ、職業の知識や技能を付与することによって、改善、更正、社会復帰をはかることを目的としております。業種としては木工、印刷、洋裁、金工など20余種があります。またこの刑務作業の一対応として、免許や資格を取得させるための職業訓練、所外作業、民間の事業所への委託作業も活発に行われております。


 なお、禁固受刑者は、希望すれば作業につくことができますが、通常の場合ほとんどの禁固受刑者がその希望により作業についております。ちなみに1992年末におきましては、病気休養中、懲罰受罰中などの者を除き、35,439人が刑務作業についておりました。この数は禁固受刑者を含んでおります。


 刑務作業の就業時間は、1週間につき40時間であり、適切な休憩、休息時間が設けられております。その他、刑務作業の安全衛生管理面につきましては、一般社会の事業所に適応されている「労働安全衛生法」に定めるところに準じた配慮がされており、就業した受刑者に対しては、作業賞与金が支給されます。


 一方、労役場留置に処せられるのは、罰金または科料を完納することができない場合であり、留置の期間は、罰金額を言い渡すと同時に2年以下の範囲内で裁判所によって言い渡されておりますが、1992年末は96人であります。労役場留置者は監獄内の労役場において労役を付加されます。労役の内容はおおむね懲役受刑者の作業に準じております。これで、2(c)に対するお答えを終わります。


(80)「通常の事件」における起訴前の身柄拘束


 2(d)の質問は、以下のとおりです。「起訴前の身柄拘束の最長期間についてさらに情報を提供していただきたい。また、規約9条3項の規定との両立についてコメントしていただきたい。これとの関連で、報告書136項にある「通常の事件」とは何を意味するのか明確にしていただきたい。」


 我々の回答は次のとおりです。政府報告書136項の「通常の事件」とは、内乱、外患、国交に関する罪および騒擾の罪以外の罪を言います。これら内乱等の罪は、集団犯罪であって被疑者が多数にのぼることが予想され、あるいは国際関係が伴ったりいたしまして、何れも捜査に特に日時を要する場合でありますので、例外として裁判官の決定により、特に20日間の勾留に加え、5日以内の期間さらに勾留を延長できるとされております。最も、これらの罪に当たる事件については、過去20年近い間勾留された事例がありませんので、政府報告書においては特に言及せず、通常の事件について説明したものであります。


 したがって、通常の事件における起訴前の拘禁期間の最大限は、政府報告書133項から135項に記載のとおりでありまして、逮捕後、警察官の判断による留置期間が最長2日間、検察官の判断による留置期間が最長1日間、10日間の延長が認められた場合を含む最長20日間、合計で最長23日間であり、この法に関しては、いかに関係者が多数関与する事件であっても、例外は認められておりません。


 もっとも、実際的には全ての事件で20日間の勾留をしているわけではありません。むしろ、原則的に見ますと勾留期間は10日未満であります。たとえば、1992年の統計によりますと、自動車等による業務上過失致死傷事件および道路交通法の違反事件を除いた、一般的事件の全体では約58%、我が国において最も多い薬物違反事件である覚醒剤取締違反事件では約63%、全犯罪数の4分の1以上を占める窃盗事件についてみると約78%の被疑者が、勾留期間が10日未満で起訴または釈放されています。


(81)別件逮捕


 また、我が国の刑事手続におきまして、逮捕・勾留の基礎となった事実とは別の事実によって、別々の期間に逮捕または留置することを妨げません。たとえば、被疑者が時と場所を異にして窃盗と殺人を犯したような事件で、1つの事件毎に逮捕と留置を行うような場合があります。我が国においては、かつては1回の勾留期間に余罪についても広く捜査することが認められておりました。この運用は、起訴前の勾留期間を全体として短縮させるためには有意義でありますが、逮捕および勾留に十分な嫌疑がある比較的軽微な犯罪により逮捕および勾留し、その身柄拘束を利用して嫌疑の乏しい重大な他の事件を取り調べるという人権侵害の可能性が残ることになります。そこで、人権侵害の防止を図るため、逮捕勾留の必要性の有無について、それぞれの事件毎に判断するとの理論に基づいた運用が一般化して、今日に至っています。


 また、可能な限り複数の事件について被疑者を逮捕・勾留し、その身柄拘束期間中にこれらを並行して捜査するなど、1事件毎に逮捕・勾留を行うことによる捜査の長期化に伴う被疑者の不利益を回避する運用がなされております。さらに、当該事件については逮捕・勾留を許すだけの嫌疑がないのに、もっぱら当該事件について被疑者を取り調べる目的で他の逮捕・勾留の嫌疑がある別の罪で逮捕・勾留し、この期間にもっぱら当該事件について被疑者を取り調べることのないように、先行する逮捕・勾留が実質的に他の事件の捜査に利用されていないかという点も含めて、逮捕・勾留の必要性が裁判官により審査されています。当該勾留については、被疑者も、準抗告により不服を申し立てることが認められております。


 当然のことながら、こうした逮捕・勾留の適正さに関する問題は、その後の公判において審査され、もし違法とされた場合には、その間に得られた証拠の証拠能力が否定され、あるいは国家賠償請求が容認されるなどして、被疑者が救済されることになります。


(82)被疑者・被告人の未決勾留期間


 複数の犯罪を犯した被疑者について全ての事件の起訴が完了するまでにどの位の日数を要したか、これを直接示す統計はありませんが、第1審事件における被告人の勾留期間の統計があり、これが極めて参考になります。この統計によりますと、判決でまたは保釈その他の理由で釈放されるまでの期間が2カ月以内のものは、勾留された全被告人のうち約63%、3カ月以内のものは約83%、6カ月以内のものは約96%であります。この期間は、最初に起訴がなされてから後の勾留、すなわち公判手続上の勾留期間を示していますが、この期間には起訴後に別の罪で逮捕・勾留された期間が含まれています。したがって、逮捕・勾留が何回か行われたとしても、上記のとおりの割合で、こうした期間内に審理と捜査とが並行して行われ、被告人は判決を受け、釈放されています。


 規約9条3項第1文の前段を見ますと、「刑事上の罪に問われ逮捕されまたは抑留された者は、裁判官または司法権を行使することが法律によって認められている他の官憲の面前に速やかに連れていかれるもの」と記載していますが、政府報告書に記載の通り、被疑者は、逮捕から最長72時間以内に勾留の請求をなされると共に、裁判官の面前に連行される上、逮捕状の発布(現行犯として逮捕される場合は除きます)、勾留決定、勾留延長決定の各段階において、裁判官により逮捕または勾留の理由と必要性が審査されておりまして、このことは当初の逮捕・勾留の後に、別の時点で逮捕・勾留が行われている場合も全く同じでありますから、我が国の「刑の宣告前」(注・正しくは「起訴前」)の逮捕・勾留の制度と運用はこの規約の規定に適合している、と理解しております。


 次に9条3項第1文の後段は、「刑事上の罪に問われて逮捕されまたは抑留された者は、妥当な期間内に裁判を受ける権利または釈放される権利を有する」と規定していますが、刑の宣告前(注・正確には、「起訴前」)の身柄拘束については前に説明いたしましたとおり、通常の事件については最長23日間内に刑の宣告(注・正確には、「起訴」)または釈放され、これには例外が認められていません。また業務上過失(の自動車事故)や交通違反を除いた一般的な犯罪において、勾留された被疑者の過半数は、勾留期間10日間以内に起訴または釈放されているのでありますから、我が国の逮捕・勾留に関する法制度および運用はこの規約の規定に適合していると理解しております。


 委員会のジェネラル・オピニオン(注・正確には、「ジェネラル・コメント」)では、「刑の宣告前(注・正しくは「起訴前」)の身柄拘束は例外であり、かつできる限り短期間であるべきである」とされておりますが、我が国においては刑事訴訟法上、任意捜査が原則であるとされており、実際に、たとえば1991年および1992年の統計によれば、我が国の全刑事事件の被疑者となった者約220万人のうち、刑の宣告前(注・正しくは「起訴前」)に勾留された者の割合は、約3.6%に過ぎません。また、刑の宣告前(注・正しくは「起訴前」)の身柄拘束は例外的であるとされ、その期間も今申し上げましたように最長23日間、過半数の被疑者は勾留10日以内で起訴、または釈放されております。したがって、我が国の刑の宣告前(注・正しくは「起訴前」)の身柄拘束に関する法制度とその運用はこの規約に十分に適合しているものと理解しております。


(83)精神医療機関に入院する者の救済措置


 次に、質問2(e)は、次のとおりです。「都道府県知事または精神医療審査会の措置によって、精神病院に入院することになった者には、どのような救済措置があるのか明確にしていただきたい。」


 この質問に対する我々の回答は以下のとおりです。精神保健法の規定に基づき都道府県知事の命令により非自発的入院を決定された精神障害者については、同法の規定による退院等の請求を何時においても行うことが可能であり、当該請求が行われた場合には、第3者機関である精神医療審査会により入院継続の必要性等に関し審査が行われること、とされております。退院等の請求は、都道府県知事の決定によらない他の入院形態の場合においても行うことが可能であり、これに基づき精神医療審査会による審査が行われるとされています。また、退院請求等に基づく精神医療審査会の審査の結果、入院の継続が妥当とされた場合には、再度、退院請求を行うことが可能でありますが、その場合には運用上当初審査を行った合議体とは別の合議体において、独立して客観的に審査を行うこととしています。


 また、都道府県知事の措置による非自発的(措置)入院患者については6カ月毎に、医療保護のための入院患者については12カ月毎に、医療施設の長より、都道府県知事に対して定期的な病状報告がなされることとされており、これに基づき精神医療審査会において入院継続の必要性等につき、審査されることとされています。


 さらに、都道府県知事の決定により入院が適当とされた場合には、患者は、行政不服審査法または国家賠償法(訳注・「国家賠償法」は誤り)に基づく厚生大臣に対する審査請求を行うことが可能です。精神保険法における各入院制度の目的は、適正な医療および保護を必要とするものに対し、精神科の入院治療を提供することです。我々は、今後とも、精神障害者の人権が完全に尊重されるために、法の適正な運用に努めていきたいと思っております。


(84)被疑者による家族・弁護人への連絡と、検察官の権限


 次の問いの2(f)は、以下のとおりです。「警察により留置されている者が直ちに家族および弁護人に連絡できるのかどうか。そして、これについて検察官はどのような権限を有しているのか、明確にしていただきたい。」


 この質問に対する我々の回答は、次のとおりです。警察官または検察官は、被疑者を逮捕したときは、直ちに被疑者に対して弁護人を選任することができる旨を告げなければなりません。それは刑事訴訟法203条に規定されています。また、被疑者が弁護士または弁護士会を指定して選任を申し出た場合には、警察官または検察官は、直ちにその旨を弁護士またはその地域の弁護士会に通知しなければならないとされております。これは刑事訴訟法の209条と78条に規定されております。


 さらに、裁判所は、被疑者を勾留した場合は、直ちに弁護人にその旨を通知しなければならないとされております。これは、刑事訴訟法の79条および207条に規定されています。このように、拘禁された被疑者が弁護人と連絡する手段は十分に保障されています。その一方、刑事訴訟法は、逮捕・勾留されている被疑者が弁護人または弁護人になろうとする者と、立会人なくして接見し、または書類若しくは物の授受をすることができる、と定めています。これは刑事訴訟法39条1項に規定されています。


 ところで、政府報告書において説明されている通り、刑事訴訟法39条3項に基づき、検察官、警察官等は、捜査のため必要のあるときは、被疑者と弁護人等の接見の日時、場所および時間を指定することができます。そして、被疑者を逮捕して送致するまでの間は警察官がこの権限を行使し、送致後は原則として検察官がこの権限を行使しています。なお、刑事訴訟法39条3項では、当該の指定は、被疑者が防御の準備をする権利を不当に制限するものであってはならない、と規定しています。実際の運用においても、警察および検察において、被疑者の防御に支障が生じないよう最大限の配慮がなされています。すなわち、警察においては、逮捕した被疑者との接見の申入れが弁護人からあったときは、直ちに被疑者と接見することを原則としており、捜査の中断による支障が顕著と認められる場合においても、弁護人と協議してできる限り速やかに接見できるよう処置しています。なお、執務時間外であっても、警察の留置場の施設管理上支障がない限り、接見の便宜を図っています。


 検察官による接見指定の実務について、検察官は、接見指定を行う可能性のある事件について、予め監獄の長に対し接見指定を行うことがある旨の通知をすることとしています。1992年6月に(勾留請求人員を対象として)法務省が行った調査によれば、勾留人員合計7,808人のうち、通知書の発せられた人員は278人であり、勾留人員の約3.6%に過ぎません。それ以外の96.4%の勾留人員については、弁護人は接見の日時または接見時間の制限を受けることなく、被疑者と接見しています。このように、検察官による接見指定は厳格に運用されていますが、仮に弁護人が検察官の接見指定に不服がある場合には、裁判所に救済を求めることができます。また、前述のものと同時期に実施した法務省の調査によれば、通知の発せられた人員278人について、弁護人または弁護人になろうとするものが接見を申し出た回数は合計483回であり、そのうちの389回について接見指定がなされました。その389回のうち、弁護人が希望した接見の時間が検察官の接見指定により若干制約を受けたのは、16回です。


 また、1988年2月以降、法務省と日弁連の間で接見交通権に関する協議会を設けて、被疑者と弁護人との接見の運用状況に関する協議を続けてきましたが、この協議会においても、接見実務に関する最近の運用上の改善について、理解が得られたものと考えています。


 次は、家族との連絡についてお答えしたいと思います。警察において被疑者を逮捕したときは、捜査上特に支障がある場合を除いて、被疑者の家族またはこれに替わるべき者に対し、逮捕した事実、留置場の場所等を連絡しています。その例外となる場合としては、たとえば被疑者の自宅を捜査する予定がある等、連絡することによって証拠湮滅の恐れがある場合などです。また、裁判所は、被疑者が勾留されているばあいであって、弁護人が付されていない場合には、被疑者の指定する親族等に被疑者の拘留場所等を通知しなければならず、それは、刑事訴訟法207条および79条に規定されています。


 警察においては、逮捕された被疑者の家族と弁護人以外の者から被疑者との接見等の申し出があったときは、捜査上または留置場の施設管理上支障がある場合を除き、接見等を行わせる運用をしています。勾留された被疑者の家族または弁護士以外の者は、原則として被疑者と接見等を行うことができますが、これは刑事訴訟法207条および80条に規定されています。しかし、裁判所は逃亡しまたは証拠を湮滅すると疑うに足りる相当な理由があるときは、検察官の請求によりまたはその職権で、勾留されている被疑者と弁護人または弁護人になろうとする者以外の者との、接見等を禁じることができます。これは刑事訴訟法207条および81条に規定されております。


 しかし、実際に検察官が上述の接見等禁止を裁判所に請求する事件は、覚醒剤事件等、証拠湮滅の恐れが強く認められるものに限られています。1992年6月に法務省が実施した調査によれば、裁判所が接見等を禁止した事件は、全勾留人員の約18.7%でした。これで質問2(f)に対する我々の回答を終わります。


(85)留置施設法案の内容および適用


 質問2(g)は以下のとおりです。「報告書161項で言及されている留置施設法案の内容についてさらに説明していただきたい。この法案の規定は、未決拘禁と有罪決定後の拘禁の両方に適用されるのか。」


 この質問に対する回答は、次のとおりです。留置施設法案は、被留置者の人権を尊重しつつ、被留置者について適切な処遇を行うとともに、留置施設の適正な管理、運営を図ることを目的としています。それは、この法案の第1条に述べられています。その目的は、まず被逮捕者の処遇について法律上明確な規定を設けること、第2点として、留置施設や留置場において被逮捕者と被勾留者間の平等の処遇を保障することです。また、同法案は、被留置者の人権を保障するため、第1条において、被留置者の人権を尊重しつつ、被留置者について適切な処遇を行うことを掲げており、第5条において、留置担当官による被留置者の人権尊重や、捜査と留置の分離について規定し、捜査と留置が混同して運用されることのないよう制度的保障措置を取ることとしています。


 また、この法案の第2章は、留置施設(訳注・「刑事施設の」の誤り)と留置場に収容される者の間の平等の処遇を図ることとしており、第9条の留置における少年および女子の区分、第11条の留置開始時の告知、第21条の物品の提供等の規定、第23条の収容者の健康状態の聴取、第24条の健康診断と医師による治療等、第25条の宗教活動の自由、第28および29条の弁護人その他の者との面会、第30および31条の弁護人等とその他の者との親書の発受信等が規定され、留置者の処遇に関して詳細に規定しています。また、第36条から38条までにおいて、収容者による不服申立てのための詳細な規定を設けています。


 留置施設法案は、拘禁刑に服している有罪決定された者には適用されません。刑事施設法案第166条が、彼らが留置施設に留置されないと規定しているからです。以上が質問2(g)に対する回答です。


 ご許可をいただいて、第3章の質問に移りたいと思います。質問事項3(a)は、以下のとおりです。


(ヴェナーグレン議長) シャネさん、ご発言を希望ですか。どうぞ。


(シャネ委員) 議長、申し訳ありませんが、國方さんが第3章の方に移ろうとおっしゃったわけですね。よろしいのですか。


(ヴェナーグレン議長) そのように決めてあります。


(シャネ委員) どうも失礼いたしました。私が昨夕、不在であったときに、そういうお話しがあったのだと思います。失礼いたしました。どうぞ。


(ヴェナーグレン議長) では、國方さん続けて下さい。


(86)質問事項第3章に対する日本政府代表団の回答; 退去強制命令


(國方、外務省人権難民課長) ありがとうございます、議長。3(a)の質問は以下の通りです。「退去強制命令に対する抗告は執行停止の効力を持つのか否か、明確にしていただきたい。」


 私どもの答えは、以下の通りです。退去強制命令の発布に至るまでは、退去強制事由に該当するという入国審査官の認定に対する審査としての、特別審査官による口頭審理を求める権利が、また退去強制事由に該当するという特別審査官の判定については、法務大臣に対し異議を申し立てる権利が、被疑者に保障されています。これらの手続が継続中である限り、被疑者に対して、退去強制が実行されることはありません。上記の慎重な手続を経て退去強制命令書が発布された場合において、外国人が当該処分を争う方法は、裁判所に処分の取消等を求めることです。ただし、当該処分の取消等の訴えのみでは、行政府が行う処分の執行は妨げられません。この場合、原告となった外国人は、裁判所に当該処分の執行停止の申立てをすることができます。裁判所の執行停止の決定があった場合には、退去強制命令書の執行が停止されます。


(87)電話盗聴に関する法と実務


 質問3(b)は、以下のとおりです。「盗聴および盗聴器具の使用に関する法と実務に関する情報を提供していただきたい。」


 この質問に対する我々の回答は、以下のとおりです。電話盗聴は、電気通信事業法104条および有線電気通信法14条により禁止されている正式起訴犯罪であり、違反者は刑事処罰を受けることとなります。また盗聴器の使用につきましては、たとえば盗聴器を他人の邸宅内に設置するため、その邸宅内に侵入したような場合には、刑法130条により、住居侵入罪として処罰される場合があり得ます。


 なお、現行法上、犯罪捜査方法としての電話盗聴および盗聴器の使用について、これを直接に定めている規定はなく、その運用としては以下のような事例があるに過ぎません。すなわち、電話を利用した暴力団組織による覚醒剤密売事件について、裁判官が審査のうえ一定の条件を付して発した令状に基づいて、警察が覚醒剤密売に関する証拠収集のため電話の傍受・録音を行った場合において、この警察による捜査は適法であるとされた裁判例があります。しかし、この事例は正式の犯罪捜査における電話傍受を裁判所が公に認めた極めて例外的なものであり、電話を利用した犯罪が近年頻繁に行われるようになっている現状に鑑み、このような犯罪にどのように対処すべきかという指針が存在しないことが問題となっています。また、盗聴器の使用につきましては、近年の事例を承知しておりません。これで質問3(b)に対する回答を終わります。


(88)個人情報保護法


 質問3(c)は、以下のとおりです。「1989年10月に施行された『行政機関の保有する電子計算機処理に係わる個人情報の保護に関する法律』に基づき設置された(ママ)総務庁の現在までの機能と活動について説明していただきたい。」


 この質問に対する我々の回答は、以下のとおりです。行政機関の保有する電子計算機処理に関わる個人情報の保護に関する法律(以下、この法律を「個人情報保護法」といいます)は、国の行政機関の保有する電子計算機処理に関わる個人情報の取扱いに関する法的な基本的事項を定めることにより、個人の権利・利益を保護することを目的とした法律です。


 総務庁は、行政機関の運営の総合調整をその所管上の1つとしており、個人情報保護法についても、行政機関の保有する個人情報の取扱いに関して総合調整を行うとの立場から、同法を所管しているものであり、総務庁は個人情報保護法を根拠として設置された行政機関ではありません。すなわち、この法を根拠として設置された行政機関ではないということを繰り返し申し上げたいと思います。


 個人情報保護法においては、個人情報を実際に保有する各行政機関に対する規制として、いろいろな項目を決めております。その第1が、個人情報ファイルの保有制限であり、たとえば個人情報を磁気テープ等に記録したものに関するものです。また、個人情報の安全、正確性の確保義務、また個人情報の目的外の利用提供制限等の事項もあります。また、この個人情報保護法においては、個人に個人情報ファイルに記録されている自己情報の開示請求権を認めており、国民から請求があった場合には、原則として各行政機関は個人情報を開示しなければならないこととなっています。


 また、総務庁は、個人情報保護法の運用の統一性、法適合性を確保するために、次の役割を担っています。まず第1に、個人情報ファイル保有等の事前通知の受理、行政機関が新たに個人情報ファイルを保有しようとするときの事前通知等を各行政機関から受理することです。第2ですが、個人情報ファイルの官報公示です。すなわち、各行政機関から通知のあった個人情報ファイルについて、その概要を官報に公示することです。第3点は、資料提出説明要求および意見陳述であります。行政機関の保有する電子計算機処理に関わる個人情報の取扱いに関し、必要があると認めるときは、総務庁は各行政機関に対し資料の提出および説明を求めるとともに、意見を述べます。4番目、最後ですが、ガイドラインの作成等であります。すなわち、各行政機関において、個人情報保護法の規定が適切に運用されるよう、ガイドラインの作成や各行政機関への助言を行います。


(89)出版・報道の自由と、それに対する規制


 次の質問3(d)は、次のとおりです。「プレスとマスメディアの自由に対して行われている規制に関する情報を提供していただきたい。」


 この質問に対する我々の回答は、次のとおりです。憲法21条1項は、集会、結社および言論、出版、その他一切の表現の自由を保障することを規定しておりますが、報道の自由そのものは明示しておりません。しかし、判例では次のようにされています。報道機関の報道は、民主主義社会において国民が国政に関与するための重要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するものである。したがって、思想の表明の自由と並んで、事実の報道の自由は表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にあることはいうまでもありません。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし充分尊重に値するものと言わなければなりません。これは1969年11月26日の最高裁判所判決です。


 次に、報道の自由は憲法21条によって保障されていると言いましても、報道が放送による場合と新聞による場合では異なった扱いを受けています。放送は、利用しうる数が有限希少な電波という資源を排他的に利用するものであり、広範な地域の多数の受信者に対し即時に大量の画像情報を伝達する、社会的、文化的影響力の大きいメディアであることも考え、報道の内容に関しても、放送法等の法律に基づき、一定の規律が定められております。たとえば、放送法は放送番組の編集に当たって、まず、公安および善良な風俗を害さないこと、第2に、政治的に公平であること、また第3に、報道は事実を曲げないで行うこと、第4に、意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から取扱われること、という4つの編集準則によることを定めております。また、電波法は、憲法または政府を暴力で破壊することを主張する放送の禁止等を規定しております。これは電波法の107条です。


 ただ、新聞報道を規制する法令はありません。日本においては、新聞発行者は、自らが定めた新聞倫理綱領を指導原理として、新聞に課された社会的責務を果たしています。報道が正確な内容を持つためには、報道のための情報を集める取材の自由を保障することが必要ですが、取材活動が第3者の権利に抵触する可能性もあります。この種の制約に関して、判例があります。次のようなものです。取材の自由といっても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば公正な裁判の必要性があるときは、ある程度の制約を受けることもあることを否定することはできない、というものです。取材活動の制限に関する法令としては、刑事訴訟規則215条があり、公判廷における写真の撮影、録音または放送は、裁判所の事前の許可を得なければこれをすることはできない、と定めています。また、国家公務員法100条1項は、国家公務員の守秘義務を掲げており、同法111条は公務員が秘密を漏らすことを唆す行為をした者を、1年以下の懲役または3万円以下の罰金によって処罰すると定めております。以上が質問3(d)に対する我々の回答です。


(90)表現、結社、集会の自由


 最後の質問3(e)は、次のとおりです。「表現の自由と結社および集会の自由に対する制約について、さらに説明していただきたい。」


 この質問に対する回答は、以下のとおりです。表現の自由および集会、結社の自由については、憲法21条が規定しています。特に、表現の自由は、民主主義の維持に不可欠なものとして最大限尊重されております。他方、表現の自由は内心の自由とは異なり、本質的に社会的性質を有していますので、たとえば以下に申し上げるような制限が課せられておりますがいずれも規約19条3項の規定に合致する必要最小限のものです。


 まず第1に、これは猥褻文書の頒布の禁止であり、これは刑法175条で規定しています。第2に、他人の名誉の毀損・侮辱の禁止であり、刑法230条以下に規定されています。第3は、選挙運動のために使用する文書、図画に関する一定の規制であり、公職選挙法142条以下に規定されています。第4に、医薬品等の虚偽・誇大広告の禁止であり、これは薬事法に規定されており、また屋外広告物法に規定されている屋外広告物の制限などがあります。


 次に、集会および集団行進の制限に関する法律および地方公共団体の条例には次のようなものがあります。まず第1に、破壊活動防止法第5条です。暴力主義的破壊活動を行う団体に対する活動の制限です。次に、伝染病予防法第19条第1項第3号であり、これは伝染病予防のために行う集会の制限に関するものです。地方公共団体の条例としては、道路、公園、その他公共の場所における示威運動または集団行進に対する規制であります。第4に、道路交通法第77条第1項第4号があり、これは道路における集団示威行進に対する規制であります。これらはいずれも必要最小限のものであり、いずれも規約21条に合致するものだと考えています。


 また、破壊活動防止法による制限ですが、この法律は、第5条において集団活動その他に関して定めており、また、第7条において、団体の活動として暴力主義的破壊活動を行い、継続または反復して将来さらに暴力主義的破壊活動を行う明らかな恐れがある場合に、集団示威運動等の禁止、または解散の指定を行う旨規定しています。これらの処分は、公共の安全を確保するために必要最小限度に行うものであり、いかなる場合においても、集会と結社の自由に違反するものではありません。また、この法律によって、現在までに解散の指定、その他の規制を受けた組織はありません。


 議長、以上で第2章および第3章における一連の質問に対する我々の回答を終わりたいと思います。長いことご静聴いただき、ありがとうございました。


(ヴェナーグレン議長) 國方さん、情報に満ち、また関連性を持ったご回答を質問事項中の12の質問に関してしていただき、どうもありがとうございました。では、委員諸氏には、補足質問をしていただきたいと思います。10人の委員が、既に私のリストに掲載されています。ご存じのように、自由になる時間が限られています。そのことを皆さんはご存じだと思いますので、これ以上繰り返しません。シャネさん、あなたがリストの最初の質問者です。ご発言をどうぞ。


(91)シャネ委員(フランス)の補足質問


(シャネ委員) 議長、ありがとうございます。まず最初に、12の質問のすべてにご回答下さったことについて、國方さんに感謝いたしたいと思います。彼の「解釈」にすべて同意するわけではありませんが、特に質問2(d)に対する回答をありがたく思っております。回答の中で、規約と委員会のジェネラル・コメントを引用されておりますが、我々の質問に対し、国内法、国内政策、国内世論と比較しつつ、回答がこのようになされたのは、まさに模範的であったと思います。


 第2章に関する私の最初の質問は、死刑の実施についてです。日本において死刑が科されるケースについて、今朝うかがったことによれば、改正が行われようとしているけれども、しかし、弁護士会による反対があるため、まだ国会に上程されていない、とのことでした。私は、それがどのような反対であるのかということを知りたいと思います。また、一連の死刑が科される犯罪のリスト(を減少させること)に関して、どのようなことが考えられているのか、知りたいと思います。


 ご存じのとおり、規約の下では、死刑は最も重大な犯罪についてのみ科することができるとされています。この点に関する委員会のジェネラル・コメントは、死刑が制約的でなければならない、としています。このリストには、道路上で誰かを過って死亡させた場合、飛行機事故の結果としての殺人が載っています。「最も重大な犯罪」の基準がどのようなものか知りたいと思います。多数の人が死亡したということや、責任を有する者の責任の程度などを考慮しても、本当に責任を有する者が誰かを「殺す」ということを欲していなかった場合には、最も苛酷な刑罰が科されるのは非常に稀であるべきだ、と思います。犯罪の結果や犯罪の重大さについて、私は、代表団からもう少し明確な説明をしていただきたいと思います。


「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取扱われる」と規定する規約第10条に関し、監獄における懲戒手続についてうかがいたいと思います。NGOから得られた情報によれば、日本における監獄の中には苛酷な懲戒制度がある、と思われます。たとえば、所定の時間外に所内の他の収容者に話しかけるような行為をした者は独房内に隔離されることがある、とされていますが、このような情報は正確なものかどうかうかがいたいと思います。写真が付されて提供されているこのような情報が正しく、独房への隔離などの懲戒手続がそのように苛酷なものでしょうか。また、房内での姿勢に関する規則、昼間は横になることもできず、外からいつでも見ることのできるようにドアに面して座していなければならない、またその位置を変更することができない、さらに一定の場合には両手首が縛られ、食事に際しても紐が解かれることはない、またしたがってこの場合は食事のために手を用いることができない、ということが伝えられています。こうした情報は、果たして正確なものでしょうか。


 議長、次に、私は「ダイヨーカンゴク」(代用監獄)の制度に関して質問したいと思います。私の発音が正しいかどうか分かりませんが、この制度のもとでは最大23日間の勾留が行われ、警察の留置場が使われ、警察のコントロールの下に置かれているのでしょうか。ここに文書と写真がありますが、警察官が中央におり、そこから独房のすべてを監視しています。隅々まで見渡せ、照明もついており、24時間監視されているようです。


 この代用監獄の問題は、第2回定期報告のときに取り上げられたものであり、この委員会で国枝さんが、収容されている者の生活条件と、家族との接触について改善する計画がある、と回答されました。当委員会は、そのような改善が良いものである、と指摘すると同時に、規約のいくつかの規定、特に第7、10および17条に抵触する非常に深刻な性格の問題を持つ代用監獄を制度化してしまう危険性がある、とも指摘したわけです。警察官が常時監視していることは、刑務所における常時監視が有する問題と同じ問題を発生させることにもなります。規約第7条および第10条に関するジェネラル・コメントでは、もちろん拘禁に付随する事柄を除き、「拘禁されている者はそうでない者と同様の権利を有する」、としています。被拘禁者は最低限の私的生活を保障されるべきですが、もしも彼が1日24時間、その姿勢や動作について常に監視の状態に置かれているのであれば、問題であると言わざるをえません。これは、ただ単に物理的な意味における状態のみならず、規約第9条および第14条に基づく法的条件においても問題です。第1に、23日間という拘禁期間は、規約の規定、ジェネラル・コメントや委員会の先例において述べられている「短期的」なものではありません。


 また、規約第14条における公正な裁判や防御の平等性の問題もあります。裁判の一方の当事者である被告人が、このように完全に警察によってコントロールされており、23日間にわたって勾留されているわけですから、他方の当事者である検察官はその利益を得てはならないと思います。ある犯罪で起訴されている者が、いったいどうすれば規約に規定されている弁護権を自分のために行使することができるのでしょうか。そのような者が圧力に屈して、自白を強要されることがないかどうか。規約第14条3項(g)号に反するのではないでしょうか。判事が拘禁の合法性をコントロールすべきですが、拘禁の条件については全くコントロールをしておらず、拘禁は警察によって行われており、尋問も何らの制限なく長時間にわたって行われています。医者が介入することもないと思います。弁護士に依頼することも必要になると思いますが、しかし、尋問上の必要があれば、場合によって、弁護士が排除されることにもなると思います。


 私の質問は、このような制度が唯一つの目的のため、すなわち自白をとるための圧力を作り出すために用いられていないかどうか、またしたがって犯罪で責任を問われている被疑者・被告人の権利を制限し、自由に防護の準備をするという権利を妨害する仕方で用いられていないかということです。この制度は、日本の最高裁判所によって批判されてきています。最高裁は、一定の手続を無効としており、それは第1503号手続に基づく結果です。この制度は、NGOによっても厳しく弾劾されており、私の見るかぎりでは、規約第7、9、10条に関する重大な問題を生じさせるものです。


 1988年に、国枝さんは、この手続に関して次の定期報告書では何らかの良いニュースを持ってきたい、と言われていましたが、日本代表団に、今日、何らかの罪で責任を問われている者が自己の規約上の権利を保障されているのだということを、我々に確信させるようなニュースをお持ちいただいているかどうか、お伺いしたいと思います。ありがとうございました。


(ヴェナーグレン議長) シャネ夫人、ありがとうございました。それでは、ディミトゥリエヴィッチさん、ご発言下さい。


(92)ディミトゥリエヴィッチ委員の補足質問


(ディミトゥリエヴィッチ委員) 議長、ありがとうございます。我々に質問事項中の質問に対して詳細な回答をしていただき、日本代表団に感謝したいと思います。しかし、これらの回答は、法、規則、規範について、すなわち現実の規範的部分について説明する報告書の記述を洗練したものにすぎず、実際の状況を説明するものではありませんでした。規約に従う規範の存在は、常に必ずしも人権の状況と、それに関する政府の義務をカバーするものであるとは限らない、ということが良く知られています。私としては、これらの規範の背後にある現実について、また規約実施上の困難について、政府が具体的に言及していただくことをお願いしたいのです。


 残念ながら、昨日の経験からすると、政府はこれらの困難を克服すべき困難としてではなく、規約を実施しないことに対する言い訳として、理解しているように思われます。それが、昨日において表明された(代表団の)政策であったように思われるわけです。そのような態度は、規約にも、また規約の精神にもしたがうものではありません。代表団は、憲法の精神、法律の精神と何度か言われましたが、もし何か「精神」と呼ばれるものがあったすれば、ほとんどの法律家はそのような表現を好まないのですが、規約にも精神があることになります。その精神とは、人権意識を高める大きな社会的努力であり、普遍的に受け入れられている人権のカタログです。人権などまったく必要ないと考えている人も中にはいるかもしれませんが、もしそうであれば、そのような人々は規約を最初から批准すべきではないのです。


 時間を節約するようにとのアドバイスに従い、2、3の問題だけに焦点を当てたいと思います。シャネさんが私の考えている質問に関して発言して下さいましたので、私があまり芳しくない仕方で質問するよりも、私にとっては以下の質問がより容易なものとなっています。


 私は、規約第10条3項について代表団の注意を喚起したいと思います。10条3項は、「行刑の制度は、被拘禁者の矯正および社会復帰を基本的な目的とする処遇を含む。」と規定しています。したがって、規約に従えば、刑期をつとめるということは社会による処罰や報復ではなく、法に違反した者を矯正するという社会の努力です。思うに、さまざまな出所や報道機関から入手した情報を熟読し、またシャネさんが述べられたポイントからしてみると、日本の監獄制度がそのような結果を待つものに向けられているのかかどうかに関して、深刻な疑問を持たざるをえないわけです。たとえば、懲戒処分である独居拘禁の例をとってみると、それは人の動作を制約する非常に苛酷な措置であり、神経や血管に困難な負荷をかける何時間もの座位の状態を強制するものであり、どうしてこのようなことが規約第10条(の目的)と調和することができるのか、理解できません。第10条が実際に守られているかどうかについて検討する場合に、一つの兆候として、またそのような行刑が実際に成功しているのかどうか、検討されるべきことだと思います。したがって、私は、もし代表団がそのような事実、また常習者の数に関する事実、を紹介することができるというのであれば、ぜひうかがいたいと思いますし、また、そのような行刑では、受刑者を社会復帰させることにはならないのではないか、と考えている次第です。


 シャネさんも取り上げられたもう1つの点は、悪名高い「ダイヨー・カンゴク」の問題です。思うに、国際社会における日本のイメージのためにも、このような特定の仕方での人間の拘禁という処遇を廃止すべき時が来ています。というのは、この2語(4字)は、残念ながら、世界中に有名な言葉になっているからです。また、(きれいな写真を)見せられても……いいですか、監獄における拘禁の諸問題を語るときに、我々は、予算が足りないことから生ずるさまざまな問題や、食事や暖房が十分に施されていない拘禁の問題を聞かされることに慣れています。しかし、この代用監獄の写真を見てください。非常に現代的な施設であり、「ネガティブ・ユートピア」と呼ばれるSF小説の世界に出てくるようなものです。非常に完全に構築された施設です。しかし、常に収監者を送り込んでおり、また、既に取り上げられた規約第9条の問題以外にも、この制度自体が、既に「非人間的かつ品位を傷つける取扱」であるのです。


 また、我々が経験により知り得ている限りにおいて、このような取扱を好むという挑戦や、拷問のための行動、それも偏狭な拷問、のための理想的な可能性を持つものであるという考え方は、無罪の推定を規定する規約14条2項に関する重大な疑念を生じさせるものです。収容されている人々は、本来的に、無罪の推定を受けているのです。ところが、彼らの拘禁はかなりの長期間にわたり、その拘禁は何らかの種類の「疑い」に基づいているのです。しかし、それらの人々は、(判決によって)収監されているのではありません。まだ有罪とされていない人々を、そのような状況に置くことは、品位を傷つけ、非人間的な取扱いになるのです。これらの人々が無罪であると考えられる場合は、問題は一層悪化します。


?昨日、一般的な仕方でポカール氏が言及されたもう一つの問題は、やはり、規約第14条に関するものであり、頻繁に無視されがちなものです。第14条は、「すべての者は、その刑事上の罪の決定または民事上の権利および義務の争いについての決定のため、法律で設置された、権限のある、独立の、かつ、公平な裁判所による公正な公開審理を受ける権利を有する。」としています。この規定は、国の管轄に属するあらゆる市民その他の人々に、裁判所に対する真のアクセスを保障し、また彼の権利が裁判所において実現され、審理されるための機会を提供するものである、と理解されなければなりません。


 したがって、ポカール氏が述べたように、もし、ある問題を裁判所で解決してもらうための救済制度が、これには第2条に基づく救済を含みますが、非常に時間のかかるものである、ということになれば、(救済の)可能性は無に等しくなってしまいます。私は、唯一の例しか持っておりませんし、もしまちがっていれば代表団にできれば訂正していただきたいのですが、日本の国鉄の民営化において、新設された民間企業が、一定の状況において、歴史上よくあるように、特に労働運動史に詳しい方であればご存じのように、(旧国鉄職員を)再雇用しようとする場合には、再雇用されなかった人々や、あるいは何らかの再訓練を命じられた人々は、多くの場合、そのような(経営形態の)変化に反対する労働組合に属する人であることが多い、と思われます。


 これらの人々がそのような集団に属する人々ではないかと、既に疑問が持たれています。また、労働運動史を知る人であれば、これは既に疑問の持たれるものです。今問題になっているのは、そのような人々が中央労働委員会や地方労働委員会に救済申立てをしているということであり、労働委員会による(労働者側)勝訴の判断があれば、使用者側はさらに地方裁判所へ申立て、その後、ポカール氏が言われたように、その判決に何年もかかることになる。このようなことは、事実上、多くの人々の生活にとって重要であるところの労働問題で争っている人々には、権限を有する裁判所による決定を得るための機会がない、ということを意味します。したがって、私は、こういった手続が一般的にどの程度時間がかかるのかということを伺いたいと思います。また、選択議定書の批准とは別問題として、このような人々の状況をどの程度改善することができるのでしょうか。当委員会の先例によれば、以上のような状況における(日本の)ケースは、国内法的手段を尽くさなければならないという原則によらず、当委員会に通報されることが可能だと思います。なぜならば、あまりに長期化されたケースの場合には、(国内における)救済方法がないと考えられるからです。


 この他、「限定」をつけたい問題があります。思うに、規約17条のプライバシーの問題があるようです。日本では、生活の多くの側面において、使用者や当局は、(被用者の)私的生活について、あまりに多くのことを知りたがる傾向があるように思われます。それは、戸籍への登録の中に既に現われています。誰でも戸籍を見ることによって、名前の欄に「男」または「女」とだけ記載されていれば、非嫡出子であるといことが即時に分かってしまいます。また、使用者が被用者の親に電話をして、お宅のお嬢さんが結婚した場合には仕事を辞めていただきますというようなことを伝えたり、未婚の女性が親元を離れて暮らすようなことを会社は勧めないと伝えたりするようです。これは、あまりに多くのプライバシー侵害になると思われますし、この点、いったいどうなっているのか分かりません。


 政府転覆を狙う人々に対する電話盗聴に関する非常に頻繁に行われる報告との関連で、一般的性格を有する質問をしてみたいと考えます。それは、どの国にも存在しており、規制が必要な秘密警察・政治警察についてです。それらは、どのような活動をしているのでしょうか。民主的な手段によって、政治警察は、どのようにコントロールされているのでしょうか。国会に特別の部局があり、査察をしているのでしょうか。これは非常に微妙な問題領域であり、またそのような機関は市民のプライバシーを真っ先に侵害し、他人の生活を覗き込んで、その権限を濫用しがちです。いわば、(市民は)もう一つの「未来社会の悪夢」であり、完全に透明な世界での生活、私生活というものがまったくない生活を余儀なくされることにもなるのです。議長、ありがとうございました。


(93)ヒギンズ委員の補足質問


(ヴェナーグレン議長) ディミトゥリエヴィッチさん、ありがとうございました。では、次に、ヒギンズさんに発言をしていただきます。


(ヒギンズ委員) 議長、ありがとうございます。2つの章を扱うわけですので、普段よりは多少長くなると思いますが、私も簡単に発言したいと思います。また、國方氏には、我々のために入念に準備された非常に有益な回答をいただき、ありがとうございました。


 まず、第6条から始めたいと思います。私は、特に、死刑の執行を待っている人々の地位に関して興味を持っています。私の理解では、再審請求の可能性を求めて、死刑囚はかなり長期間にわたり拘禁されている、と思います。したがって、死刑が執行される時には、年令がかなり高くなっていると思います。また、彼らは独房に拘禁されている、と聞いています。その理由をうかがいたいと思います。


 死刑囚との面会は、彼らの精神の安定を理由に、制限されているようですが、「精神の安定」とは正確に言って、何であるのか、うかがいたいと思います。それを監獄の長が決定する、と思います。面会について定める全国的な指針がないように思いますが、それはかなり問題だと思います。さらに、規則によれば、死刑囚にはごく身近な家族・親戚や弁護士しか面会できないようであり、また、一定の許可されたリストの人に対してしか手紙を書くことができないようです。最後に、死刑執行手続に関して、全国的に適用される公表物がなぜないのかということをうかがいたいと思います。


 次に、「ダイヨーカンゴク」について申し上げたいと思います。既に述べられたことを繰り返そうとは思いませんが、しかし、私の同僚が述べられたことと同意見であると申し上げます。私が、ここで言及したいのは、我々のために代表団が準備して提供して下さった文書を概観することです。私は、これらの文書を非常に注意深く読みました。そこで、まず申し上げたいのは、代用監獄が今や制度化されてしまっており、(代表団は、その存続のために)あらゆる理由を用いてそれを弁護しようとしている、ということです。


 監獄予算が足りないための一時的な困難な性格を持ったものであるとの、前回の審査での我々の印象とは異なり、現在では、代用監獄は制度化されており、実際に運用されています。それに対して、2つの根拠理由が提供されました。第1に、それが制度全体としてうまく機能しているということです。そうかも知れませんが、しかし、私はそういった考え方を受け入れることはできません。そこには、多くの問題点がありますし、そのうちのいくつかは、規約において明確に禁止されていることなのです。それが認められるものかどうかにかかわらず、刑事行政を全体としてうまく機能させることができている、と述べられていますが、それは判断基準とはなりえません。


 第2の理由として、昨日もうかがったことですが、公衆はそれを気にしていない、と説明されました。シャネさんが明確に言われたように、規約を批准した以上、それは根拠とはなりえないのであり、政府は指導力を発揮して、規約に適合させるよう、世論を導いていかなければなりません。


 次に、いくつかの特定的問題に移りたいと思います。第1に、この制度が拘禁の期間を短期化するから良い制度である、と言われたことについてです。私としては、(たとえ短期化されたとしても)、短期間の拘禁であっても、拷問を行えばごく短期間で自白を得ることもできますし、その他さまざまな恐ろしいことを考えつくことができます。したがって、そのこと自体として理由とはならないのです。いずれにしても、委員会の考え方からすれば、23日間は短い期間ではありません。とにかく、23日間、継続的に拘禁されてしまうのです。また、別件で、さらに拘禁されることもありえるでしょう。また、問責されている事柄を超えて取調べを受けることもありえるわけです。


 さらに、次のことも申し上げたいと思います。(配布された政府側の)文書をそのとおりに読めば、「捜査と取調べが(代用監獄では)容易かつスムーズに行うことができ、また人員の配置も都合良く行うことができる。」とされていますが、それだけでは十分ではありません。この場合も、それが規準となることはできないのです。他の場所で、それを完全に好都合に行うことができるでしょうし、国側の都合は、人権の擁護における規準とはなりえないのです。


 報告によれば、日本の監獄数は154を超えないとされており、これに対して警察署の(代用)監獄施設は全部で1200を超える、とのことです。このことこそ、代用監獄を建設し、それを制度化しようとすることが行われており、必要な数の監獄を建設しようとしない判断が行われている証左であり、それは政府が決めることのできる選択肢の中から選択されたことであるわけです。


 そして、最後になりますが、(報告書の)9頁に、警察署における捜査手続と拘禁管理の分離について書かれていますが、そこに勾留されている人々にとっては、それが現実的であるというよりは、むしろ形式的に遵守されているにすぎない、と思われます。苦情申立ての制度がある、と書かれていますが、しかし、多くの手続的文書を見るかぎり、たとえば勾留時間、取調べの時間と時刻はきわめて長時間であると思いますし、医師の検診も被勾留者には利用が不可能であり、また弁護人(による援助)も、その後の公判において裁判所自体がそれを求めない限り、得られません。


 さらに、何週間にもわたる終わりなき取調べ、あるいはそれが23日間であったとしても、その取調べを受けている際に、被疑者は、その取調べ期間中においては弁護人の援助を受けることができない、という事実を見逃してはならないと思います。これは受け入れることができないと、私は、再び申し上げたいと思います。日本の名誉にかけて政府はこの件に固執して、これを頑迷に弁護することなく、またぜひ再検討していただくよう、お願いしたいと思います。


 9条3項に関する私の質問は、純粋に情報を求める質問です。精神衛生に関する新たな手続に関するものです。かなり大きな改善があったようですが、是非おうかがいしたいのは、精神医療審査会は、どのように機能しているのでしょうか。審査会に対する申請の結果、実際にどれほど多くの人が退院することができたのでしょうか。現在行われているような手続に満足されているでしょうか。


 規約22条に関してコメントがあります。ここでも、また、簡単に申し上げ、ディミトゥリエヴィッチ委員が言われたことを繰り返しません。しかし、どこか反労働組合といった雰囲気が存在するという印象を持っています。民間会社あるいは国が所有する会社が、職員の意識を変化させるために、再訓練トレーニングを用いることが認められており、その意識変化がそのまま労働組合をやめることにつながり、また新たな仕事のためのトレーニングを受けることは、労働組合をやめる意思表示でもある。また、再訓練の結果、再雇用された者は、労働組合をやめることを選択した者であることを示すデータもあります。規約22条の権利を確保するため、どのような行動がとられているのでしょうか。許可された圧力のない、本当の意味での結社の自由が確保されるための行動です。以上が私の質問およびコメントです。ありがとうございました。


(94)ララー委員の補足質問


(ヴェナーグレン議長) ヒギンズさん、ありがとうございました。ララーさん、発言をどうぞ。


(ララー委員) 議長、ありがとうございます。まず、國方さんに、質問書に対して非常に正確かつ簡潔な回答をしていただいたことに感謝したいと思います。また、ヒギンズさんに対して、この文書を回付していただいたことに感謝します。ただし、残念なことに、私は、國方さんの報告を聞きながら、この文書を読まなければなりませんでした。もう少し前にいただいていたら良かったと思っている次第です。というのは、これを事前に読んでいれば、人の身体的完全性に影響を及ぼし、また、警察や司法当局に代表される国家という巨大な存在の中で、自らそうせざるを得ないところの、最も不平等な地位に置かれている個人に対して規約が規定する保障に影響を及ぼす、非常に重要な事柄に関して、日本の政府当局が考えていることをより良く理解することが可能であろうと思われたからです。


 このようなことを言うのは、我々が扱っている規約の第7、10、9および14条などは、すべてさまざまな仕方において個人の人権の保障に関連を有するものであるので、上のようにいくぶん固執して申し上げているのです。制度を見ていて感ずるのは、政府が自由、無罪の推定の原則、裁判の公正といったものを定めた際に、「賽子はその手に握られている」(制度の運用は政府次第である)ということだけは確かなのです。ヒギンズさんが言われたのと同様に、日本政府は、世論への依拠によって事柄を正当化しようとしています。また、非常に問題であると思われたのは、たとえば他国の警察の教育程度は低く、地域社会も警察を信用していないと述べた上で、日本の警察は高度に進んでおり、統一的な訓練および教育を受けており、警察に対する公衆の信頼も高いという、エレガントでない仕方で他国と比較しようとしています。それが、実際に真実であれば、また、その内部で運用されているシステムが、関連の個人に対する外部からの調査を認めるものであれば非常に良いことだと思います。


 しかし、我々は、日本が示している態度のすべてに興味・関心を有しているわけではありません。我々が懸念しているのは、日本がいったい規約と首尾一貫した態度をとっているかどうか、ということです。


 あなたがたの代用監獄を見てみると、規約第9条3項に関するミス・リーディング(解釈の誤り)があなた方にあるのではないか、という気がします。というのは、第9条3項は、公判前の拘禁のみならず、実際の公判過程にも適用されるからです。被告人を更新可能な23日間も行政的コントロールの下に置くことに関して、日本が「気前が良い」とは思っていませんし、被疑者が逮捕され次第、彼らは適正な司法的コントロールの下に置かれなければなりません。あなたがたは、第9条を適正に解釈していない、と私は感じています。


 しかし、この問題はここだけの問題として終わるわけではありません。このように長期間にわたって行政的コントロールの下に置かれている被疑者・被告人に関して生じていることは、実際の公判過程において、公正な裁判に対する彼らの権利に不利な影響を与えうるからです。また、私は、弁護人の不在や、弁護人が自己の依頼人に援助を与えようとする際の困難について聞いていますし、あなたがたの制度は、負担を常に被告人のみに課していると思われます。釈放されるためには裁判所に行かなければならない。むしろ、逆でなければならないのです。司法裁判所で拘禁の必要や、迅速な期間を超えて拘禁しなければならないことを正当化しなければならないのは、検察官でなければなりません。ここでは、それが逆になっているのです。


 もちろん、警察に信頼が置かれているということに関して、留意しております。信頼されているのは事実かも知れませんが、彼らには力があり、腐敗につながるあまりに多くの力も持っているのです。


 議長、この他、逮捕に際して令状が必要とされることに関して、いくつかの小さな問題があります。それらの令状は、すべての国において存在していることを、提出された国々の報告書の審査を通じて、我々の全員が知っています。しかし、問題なのは、令状が発布された後に生じていることです。私は、この点に関しては、これ以上述べようとは思いません。


 日弁連から提出された報告書において、(政府の説明とは)かなり異なった説明が行われています。私が非常に驚いたのは、評決(注・刑の宣告)がなされるまでの期間において、日弁連の報告書では75%の人が拘禁されている、という数字が引用されていることです。この点に関して、何らかのコメントをいただけるでしょうか。


 第2に、あなたがたの文書では、政府報告書の最後の頁の第9項において、強要によって得られた自白の排除原則、および裁判所が自白の任意性を審査しなければならない手続的要件について触れられており、それは良い手続だと思います。しかし、その立証責任は誰が負うのでしょうか。裁判官は、自白の認容性の問題にどのようにアプローチするのでしょうか。この問題については、これ以上立ち入ることはいたしません。


 しかし、ある人が拘禁されている場合には、心理的に最も弱い状態に置かれていると思います。なんでも言ってしまうかも知れません。彼の陳述は、その者に対して再び読み聞かせられるのでしょうか。弁護士は、彼が行った陳述を入手することができるのでしょうか。それらの実際のことについては、我々は何も知らされていません。我々は、法がどのようになっているか、ということについては報告を受けました。弁護士は接見を求めることができるとか、取調べに同席することができるとか、「延期」に関して裁判所に行くことができる、というようなことです。しかし、負担は、常に被告人に課されているのです。


 法は、保釈についても規定している、と聞かされました。しかし、日弁連の報告書の中には、保釈金が高額すぎるなどのさまざまな苦情が記されています。日本には保証人の保証に基づいて保釈を認めるという、何らかの手続があるでしょうか。


 次に、公判手続に関して質問したいと思います。この問題では理解しがたい困難があります。日弁連が提出した報告書によれば、警察が作成した記録は弁護側に提供されない、とされています。いずれにしても、警察には(記録を渡す)義務があります。警察は裁判の一当事者に過ぎないのであって、被告人がもう一方の当事者なのです。裁判所は、彼らを公平な目で見なければなりません。もし物事が警察の記録において、弁護側には秘密にされるのであれば、被告人はいったいどのようにして自己の弁護を準備することができるのでしょうか。規約の第14条3項(b)号には、被告人は、「防御の準備のために十分な時間および便益をあたえられ」なければならない、と規定されています。もし記録が公判に提出された場合に、いったいどうなるでしょうか。弁護人は、「もうしわけありませんが、これらの記録を私は初めて見た次第です」と言うことができるのでしょうか。「私に時間をいただきたいと思います。被告人と相談して、私の弁護をしかるべく準備したいのです。」と言うことができるのでしょうか。「我々の公判は延期されますでしょうか。」さもなければ、警察は信頼されているのだから、また裁判所も警察が提出した証拠をそのまま受け入れるのであるから、現在の制度をそのまま受け入れろ、というのでしょうか。そして、被告人は、公判の過程において、置かれた状況を甘受しつつ、自己の弁護をしなければならないのでしょうか。


 規約第14条3項(b)号は、単純に、「便益を与えられる」と定めていますが、それは被告人が接見を受けているさいに椅子などを利用することができるということを定めているわけではない、と思います。「便益」は、被告人の防御に密接に関連しているのです。すなわち、「便益」とは、防御側が公判の過程において直面することになる検察側の主張立証(の根拠となる資料)の入手可能性を言うのであって、公判の過程でそれを被告人が(初めて)知ることになることが問題なのです。これは、思うに、規約第14条3項(b)号を遵守するものではありません。


 この情報が正しいか、あるいは間違っているか知りませんが、伝聞証拠が被告人の有罪の証拠として用いられているとの情報が、日弁連から寄せられていますし、政府もその資料を持っていることと思います。もっと正確に言えば、日弁連の報告書の中で述べられていることは、共同被告人の陳述が被告人の有罪の証拠として用いられる、ということです。しかし、我々には規約14条3項(e)号があり、そこでは被告人にどの証人に対しても反対尋問する機会が保障されているのです。しかし、共同被告人の陳述が文書で提出された場合は、いったいどのようにして反対尋問を行使すれば良いのでしょうか。(規約に保障する)このようなことが可能なのは、共同被告人が証人席につき、彼に対して反対尋問をすることができる場合なのです。


 議長、私は、「有罪の判決を受けたすべての者は、法律に基づきその判決および刑罰を上級の裁判所によって再審理される権利を有する」と定める規約第14条5項に関して、もう1点言及したいことがあります。私の理解では、あるいは誤っているかも知れませんが、上訴はさまざまな根拠によって制限されると思います。しかし、(規約の規定は)事実の認定をカバーするものではなく、またより重要なのは、上級審が無罪の決定を覆し、有罪とするものはカバーされない、ということです。想起していただきたいのは、規約14条5項では、「有罪の判決を受けた」者となっているけれども、被告人の無罪認定は上訴の対象となり、実際に上訴されている、ということです。日本だけが問題になっているのではなく、今回のセッションにおいて、他の同様のケースもあります。以上が14条に関して、申し上げたいことです。


 第7条および10条に関して、さまざまな場合において衣服を脱がされ、陰部の検査が行われているなど、個人のプライバシーが時として守られていない、ということが報告されています。もちろん、麻薬事件のように、物をそのような場所に隠し持っているかも知れませんし、身体の中に薬物を隠している者もいます。しかし、それは例外的な場合であり、私としては、警察が不必要に人の尊厳を侵すことがないよう確保するために採用されている措置がどのようなものか、お教えいただきたいと思います。


 今朝、私は、外国人が外国人登録証を常時携帯しなければならない義務に関して昨日議論となった事柄に関し、さらに情報を得たわけですが、中国人のホワン・ホワイさんという方が、警察の検問を受け、たまたま登録証を携帯していなかったため、自宅に登録証があると言ったにもかかわらず、警察により誤った取扱いを受け、警察署に連行されたとのことです。彼は、最終的には釈放されたのですが、何時間か後には彼はまた警察に止められ、その警察官の一人は先ほど彼を扱った者であった、とのことです。議長、このようなことを取り上げるのは、何か他にこのような事態に対処できる方法があるのではないか、ということを申し上げたいからです。もし、身分証明書を携帯しなければならないとしても、それを持っていなかった場合に、明日または明後日それを警察署に持ってくるように、ということはできないのでしょうか。そうしない場合に、何らかの行動をとることができないのでしょうか。


 私は、別の点に関して、ディミトゥリエヴィッチ氏の意見に賛同するものです。すなわち、労使問題に関して救済が遅れているケースです。非常にたくさんのNGOがこの問題について迅速な救済を受けることができないことにつき、苦情意見を提出しており、日本(政府)はこの問題を適正に考えていないのではないか、と思われます。救済に16年も20年もかかるのです。使用者が不服申立て権を濫用するのを防止するため、何らかの方法が考えられないか、ということを提案したいと思いますし、おそらくは、最終的に決定が行われる際に、決定がでるまでの長期間について、銀行における利子率を付加するなど、何らかの付加的な補償が与えられるようにしたらどうかと思います。議長、以上が私がこれらの2つの章に関して申し上げたいことのすべてです。ありがとうございました。


(95)プラド・ヴァレホ委員の補足質問


(ヴェナーグレン議長) ララーさん、ありがとうございました。では、プラド・ヴァレホ氏に発言していただきますが、その後、6名の発言予定者がおります。プラド・ヴァレホさん、発言をどうぞ。


(プラド・ヴァレホ委員) 議長、ありがとうございます。私も、この委員会の委員諸氏、たとえばディミトゥリエヴィッチ氏やヒギンズ夫人が提起した問題に、同感するものがあります。私の考えでは、この質問事項リストの第2章に関して日本で行われていることについては、いくつか懸念される問題があります。民主的かつ自由、また発展し繁栄しているという特質を有する社会でありながら、いったいそのような社会が、刑罰制度を見るかぎりにおいては、非常に問題を抱えているように思います。日本で現在行われている制度には、どこか誤ったところがある、と思います。そうでなければ、多数の質問に対する説明も必要ないでしょう。おそらく、質問事項に掲げられている一定の事項について、問題は今後とも提起され続けるものと思います。


 議長、日本には規約と実質的に一致する法律があることが明白であると思います。しかし、書かれた法と実際の状況との間には、差異があります。さまざまな情報源から得た情報によれば、質問事項の第2章に掲げられている刑罰および刑事の法に関して、あらゆる非常に由々しい問題が実際に存在しているのです。


 議長、たとえば、拷問や悪い処遇は禁止されている、と書かれています。にもかかわらず、我々は拷問に関する特定的かつ詳細な現実の情報であって、警察官による拷問、誤った処遇また悪い処遇に関する報告を、繰り返し受けているのです。そこで生じていることは、世界の各地で、また私の国でも生じていることです。しかし、そのような継続的な「困難」を調査し、それに対処しようとする措置がまったくとられていないように思います。問題は繰り返し発生しているように思われます。拷問や誤った処遇が行われているという情報が得られた場合、それに関する調査の結果は、どのようなものでしたでしょうか。当該拷問に対して責任を有する者が処罰されたのでしょうか。規約に反することをして有罪と決定された警察官は、処罰されたのでしょうか。


 また、被拘禁者は、非常に長い間、警察の下に置かれていると思います。単に23日間のみならず、場合によってはさらに23日間延長されるのです。また、期間の更新により、130日間も継続的に拘禁されたとされる例も報告されています。これらは、規約違反の事例の一つであるに過ぎないと思います。このように長期間にわたって、警察の下に拘禁させておくという状況からして、彼らは、自白をとる目的のため、あるいはただ単に捜査のプロセスとして、あらゆる種類の「処遇」に服せしめられていたのではないか、と思われます。


 このように高度に発展した社会であって、非常に多くの選択が可能な社会においては、警察は、適正な準備と訓練を受けているべきであり、真実を発見するために誤った処遇を行うことがあってはならないと思います。人の面目を失わさしたり、人を打ちのめすべきではなく、(規約の)権利を確保することを求めて我々に送られてきている苦情に表れているような仕方で、手続を進めるべきではないのです。我々が(規約に)規定しているような手続は、問題が生じてきている場合、特に日本からは「包括的な」苦情を受取っているのですが、日本のような国において適用されるべきである、と考えます。


 ところで、議長、日弁連から「日本の監獄における人権」という出版物が提出されています。この出版物は確かに存在しており、また日本政府も入手可能であると思います。日弁連は、非常に責任を有する団体であり、法的な基礎に基づいてできているものです。そして、法律家に関連する問題を調査してきています。また、この「日本の監獄における人権」という書物の中には、数多くの状況や誤った処遇の例が挙げられており、日本政府が採用すべき措置を要求しています。日弁連は、たとえば食事に関して、それが非人間的なものであるとの苦情を提出しています。それが、監獄で出されている食事の質を示すものであるからです。複数の者が収監されているのに、監獄の部屋が非常に小さく、また医療処置なども欠けている、と報告されています。


 また、警察官は、非拘禁者が弁護士と面会するのを許可しないことがある、と書かれています。警察官が面会に立合い、会話を聞いている、とも書かれています。政府は、日弁連がこの小さなパンフレットで取り上げているこのような状況を正しく検討しているのか、またこれに対してどうしようと考えているのか、ということを本当にうかがいたいと思います。このような責任ある機関である日弁連が公に問題を取り上げているのですから、非常に近い将来において、何らかの立場を日本政府はとらなければならないと思います。


 議長、警察による取調べについて、もう1つ問題があります。取調べまたは尋問は、非常に長い時間にわたって行われます。報告によれば、1日に10時間も拘禁者の尋問が行われるとのことです。1日に10時間です。こんなに長い間、尋問を受けるのです。それは、何週間も続き、明らかにこれは非常に広範な範囲に及ぶ心理的に重大な抑圧です。その目的は、自白を取ることです。私は、法律上、当該の状況で得られた自白にどの程度の証拠価値が与えられているのか知りませんが、しかし、そのような手続が現に取られているものです。なぜそれを許容するのでしょうか。もし、そのような自白が認容されてしまうのであれば、被拘禁者はそこで生じていることを(外部世界に)知ってもらうために、いったいどのようにすれば良いのでしょうか。また、裁判官は、そのような状況を、どのようにして考慮に入れれば良いのでしょうか。日本の国会は、これに対して、そのような継続的かつ執拗な状況に対処するため、いったいどのような措置を講じているのでしょうか。


 議長、おそらくは、一層事態を混乱させる状況がもう1つあります。それは、被拘禁者や被収容者を扱う警察部門と検察部門という異なった部門があるという事実です(訳注・「留置と捜査」の不分離の意である)。この2つの部門の間には、何らの調整も行われていないようですし、それぞれが被拘禁者を尋問し、捜査過程を継続させています。したがって、拘禁期間は23日間という非常に長い期間になります。犯罪捜査のため、複数の部門が関与することになり、また被拘禁者との関係を有することになる。1つの部門が捜査を行い、その他の行為を行う責任を有するものとすることはできないのでしょうか。このような状況を回避するために、両者の調整ができないでしょうか。思うに、日本のように非常に発展し、また文化に深く根ざした社会において、被拘禁者に関して本当に問題を有する状況を回避するため、適正な方策を講ずることができないのでしょうか。


 議長、代表団の報告によれば、死刑を廃止するという可能性がない、とのことです。コンセンサスが求められているとのことですが、今までのところ日本の社会にはそのようなコンセンサスはないとのことです。しかし、私が申し上げたいのは、このようなコンセンサスに関する問題においては、中央政府が、その適切な役割として、社会を指導していくという義務に関する指導力を発揮しなければ、達成することができない事項があります。意見や思想に関して、死刑の廃止に明らかに向けられたものとして、内部的地位を国際的社会のそれと調和させることを追求しなければならないのです。現在でも死刑は依然として存在しているわけですが、しかし、全体として死刑の廃止を要求する声が高まっており、もはやただ単にコンセンサスを求めることでは十分でなく、自己の社会において広範な合意を推進していかなければならないのです。


 死刑の問題に関して、いくつかさらに言及したいことがあります。日本における状況からして、行われてはならない問題があります。死刑は、秘密裏に執行されている、と報告されています。死刑囚の死刑が執行されるのを知っているのは警察(訳注・「看守」の誤り)だけである、とされています。彼の家族も知らなければ、死刑を宣告された本人すら執行日を知らないのです。彼らは、相続に関する最後の希望を伝えることも、家族に伝えることもできず、また死刑が行われる日についても知らされていないのです。これは、非人間的な取扱いです。私の印象では、このようなことは、回避することが可能です。


 死刑囚に関するもう1つのことは、彼らが多くの時間を独居拘禁で過ごすということです。死刑囚の場合はとりわけそうです。いいかえれば、彼らはその生命を失うという刑の宣告を受けているのであり、長期間にわたって独房で過ごさなければならないのです。生命を失うというのに、なぜ、独居拘禁されているのでしょうか。このような状況を、いったいどのように説明することができるのでしょうか。


 必ずしもすべての被告人が弁護人の援助を得ているとは限らない、とされていますが、有名な「ダイヨーカンゴク」制度において、人々は法律的援助を得られていません。これは規約違反です。これは規約14条に基づく基本的人権に影響を及ぼすものです。議長、思うに、日本は規約の文字のみならず、精神を見なおす必要があると思います。


 第14条のみならず、第6、7、10、22条をもう一度見なおす必要があるのです。それは、結社の自由に関してディミトゥリエヴィッチ氏とララー氏が言われたことにも妥当します。日本では、その権利はかならずしも完全に承認されていません。この点で、差別されており、今後とも差別が継続する鉄道労働者について言及したいのですが、結社の自由は、規約22条によって保護されているのであり、私の最終的コメントとして、全体の政策および国内法が、規約の精神に照らして全面的に再検討されるべきであると思います。それは、規約の規定のすべてを実施するという義務でもあるのです。ありがとうございました。


(96)マブロマティス委員の補足質問


駟ヴェナーグレン議長) プラド・ヴァレホさん、ありがとうございました。マブロマティスさん、発言をどうぞ。


(マブロマティス委員) 議長、ありがとうございます。できるだけ短くしたいと思いますが、しかし、さまざまな困難に直面しつつ、非常に活発かつ建設的な対話が進行しています。締約国における規約遵守の困難があるにもかかわらず、我々が何か結果を得ようとする場合には、必ず矛盾が提出され、ある点の強調やその他の問題が露呈してきます。


 私は、死刑の問題から始めたいと思いますが、この委員会の委員が(国の)最高の権限に属するものとはいえ、死刑の問題に触れないことなど不可能です。私は、既に述べられたことを繰り返さないようにいたしますが、1967(訳注・「1989」の誤り)年から始まった(死刑不執行)のモラトリアムが終わってしまったことを、非常に残念だということを申し上げたいと思います。しかし、モラトリアムの間において、死刑に値する本当に重大な犯罪の増加があったのかどうか、国は統計等に何かを示すことになるでしょうから、それが一国の一般的な重大犯罪の増加とどのように比較可能か、是非とも知りたいと思います。


 シャネさんが言われたように、死刑が科される犯罪のリストを見ると、25頁に掲載されていますが、その多くは死刑が科されるべき重要な犯罪である、ということができます。ただし、ここに来られて、次のように言うことはできないと思います。すなわち、犯罪の数を減少させることは、弁護士会が(反対している)からできないということは言えないのです。私の理解では、日弁連が死刑の全面的廃止を主張しているからできないというのはおかしな理由であり、また誰もが一定の犯罪に関しては死刑が科されるのに賛成である、と思います。それが、我々に与えられたさまざまな情報から得られるものです。しかし、人の命を奪うことに関して事前に十分計画している場合を除き、破壊や爆発などの場合において、死刑は強制的に科されるものではなく、ただ単に最高刑であるにすぎず、裁判所の裁量でより軽い刑罰を、おそらく場合によっては最低の刑罰を科することが可能である、と理解しています。この問題に関しては、相当程度の刑の減刑がありうるのです。


 もし、(死刑に関して)日弁連が障害となっているのであれば、「ダイヨーカンゴク」に関してはどうなのでしょうか。代用監獄(の廃止)を日弁連は主張しているのではないでしょうか。そこで、代用監獄の問題ですが、期間が問題になっています。日弁連とアムネスティー・インターナショナルとの(情報)の間には、違いがあります。一方は、死刑囚の拘禁年数が25年である、とされており、他方では1万400日(28・5年)とされています。私は、あまり数字に強いほうではありませんが、しかし、30年以上になると思います。したがって、これほど長期間にわたる「それ自体、残酷な」死刑囚の拘禁を減少させるための、何か裁量というものは存在するのでしょうか。期間が問題なのです。死刑を待つ期間が30年もあるということ、「それ自体が残酷」なのです。30年という年月、30年です。私には、それがなぜなのかまったく理解できません。


 プラド・ヴァレホ氏が言われたように、秘密があります。家族は知る権利を有していないのでしょうか。その権利を祈願する宗教心がある場合に、人間が他人の命を奪うのですから……もしそこに彼について祈りを捧げる何らの宗教心がないとしても、その人のことを沈思黙考することはあるのではないでしょうか。したがって、これらの人々に何らの連絡もないのは、いったい何故なのか理解できません。執行が、今晩なのか明日なのか。明後日か。あるいは、1万400日後なのか。いずれにしても彼は死刑執行されるべき運命にあるのです。したがって、このことに関する事項は、「きちんと定める」ことが必要です。できるだけ早くです。


 では、最後に、警察における勾留について述べたいと思います。私が付け加えたいことは、以下のとおりです。裁判官が(被疑者を)正式な監獄に収監するよう決定すれば、かならず検察官がそれに異議を申し立てることが多い、と主張されていること、情報が寄せられていること、それは本当でしょうか。検察官はなぜ異議をを申し立てるのでしょうか。尋問や反対尋問(訳注・「取調べ」の意か)の妨害になるからでしょうか。私には分かりません。


 この事実と一緒に考察すると、法によって、あるいは従属的立法によって、弁護人と接見する権利を規制しているという意味で、日本は唯一の国だと思います。たしかに、あらゆるトリックを用いて弁護人が接見するのを妨害しようとしている国があります。しかし、(どこの国においても)誰も法の中に接見を申請しなければならないということを書込むことを認容していません。3%の接見ですか。弁護人が自己の依頼人に合理的な時間に接見する権利は、拷問の発生や不当な処遇を減らすという効果があるのです。したがって、弁護士が自己の依頼人に接見する権利を規制することが必要だとする理由は何でしょうか。


 次に、第17条および19条に関して質問したいと思います。刑事上の名誉毀損または刑事上の文書名誉毀損に関して2、3の質問があります。現代の法制度の多くにおいては、刑事犯罪としての文書名誉毀損を廃止しようとしています。さて、日本には、刑事上の文書名誉毀損に関する一連の犯罪があります。また、そこには表現の自由を不必要に制約するという危険性も存在しています。さて、他人の名誉を毀損するのみならず、聾者の名誉を毀損するという場合もあります。民事訴訟においては、すべての人の名誉を毀損するようなことは、(訴訟原因を持つものとして)維持することはできません。なぜならば、特定の人の名誉を毀損しないからです。


 名誉を毀損するということをどのように定義するのでしょうか。死者の名誉毀損はありうるのでしょうか。知りたいのは、名誉毀損が、虚偽に基づいているからとのみ記述されていますが、どのような防御が利用可能なのでしょうか。正当事由は、この問責に対する完全な回答となりうるのでしょうか。すなわち、第1に、真実性の証明があればよいのでしょうか。第2に、名誉を毀損しようとする刑事的意図(故意)は、コメントをするだけのことや、公的、政治的またはその他の利益に適うこととどのような関係にあるのでしょうか。名誉を毀損するという故意が存在することが、構成要件なのでしょうか。もし、また、名誉毀損が一般的には犯罪となる、と言った場合に、「他人の信用を害する」とは、どういうことなのでしょうか。自分の行為を説明しようとして、そのようなことをしてしまうことがありえませんでしょうか。「他人の信用を害する」、という意味について、是非ご説明いただきたいと思います。


 次に、第19条を扱いたいと思います。前に戻って申し訳ないと思いますが、「公共の福祉」についてです。報告書の第15項において、第3項のところで、「もし法に規定があれば、表現の自由の権利の行使に対する制限も許容される」と書かれています。しかし、それは、「他人の権利の尊重、国家の安全や公的秩序の保護または公衆の健康」等を根拠として許容されるに過ぎません。もし、公共の福祉が、それ以上のものになってしまった場合に、それは規約に違反することになります。公共の福祉をもってしても、その場合には、民主主義が依って立つところの重要な権利を制約することはできません。


 もう1つあります。1つのタイプのマスメディア、すなわち放送やテレビ、に関して、彼らが放送するものは政治的に公正でなければならない、と報告書では述べています。広範な範囲に届くからです。しかし、政治的に公正であるとは、誰が判断するのでしょうか。政府に反対するものは何でも政治的に不公正だ、ということにならないでしょうか。政府に賛成するものは政治的に公正であるということにならないでしょうか。誰が判断するのでしょうか。誰が判断をし、あるいは検閲をし、その事項について決定するのでしょうか。また、報告書で強調されているように思われますが、制約されない唯一の事柄は、「内心の思想」である、とされています。ところで、それがどのようにして制約されうるのか、分かりません。いったい、誰が他人の内心の思想を制限することができるのでしょうか。それは自由のままにされる、とのことですが、内心の思想を制限する方法を私は知りません。


 議長、最後に、私は繰り返しませんが、労働組合に反対の傾向があるように思われます。それは、最初にディミトゥリエヴィッチ氏が言及されました。彼に続く3人の発言者も触れられました。また、救済の遅滞、特に鉄道の民営化との関係で、そしてまだ係属している事案との関連で、さらに活動的労働組合員に対する差別などの問題が指摘されました。議長、ありがとうございました。


(97)エヴァット委員の補足質問


(ヴェナーグレン議長) マブロマティスさん、ありがとうございました。では、エヴァット夫人に発言していただきます。


(エヴァット委員) 議長、ありがとうございます。私も時間の関係で、簡潔にしたいと思います。まず最初に、本日、質問書に回答する形で、私どもに与えていただいた重要な情報について、國方氏にお礼を申し上げたいと思います。


 第6条との関連で、ここ数年間において執行された死刑の数が少なかったということに言及したいと思います。このことは、刑事司法制度において、刑罰としても、抑制的なものとしても、死刑が現在では非常に小さな役割しかはたしていないことを示すものである、と思います。したがって、今こそ、死刑を全面的に廃止し、第2選択議定書を批准する時期ではないでしょうか。プラド・ヴァレホ氏が既に述べられたように、そのような規準に向けた世論に対する政府の役割、指導力が発揮される時です。


 私の考えでは、死刑の問題は、公正な裁判の問題と切り離して考えることのできないものだと思います。それは、いくつかの有罪決定・有罪宣告であって、その後、公正な裁判の理由に基づいて無罪とされたことに関して、我々が得ている多くの事件に関する情報からも言えることです。


 議長、第2章には、この委員会の懸念を生じさせるたくさんの問題点があります。その中でも、被拘禁者の処遇は、大きな問題です。他の委員諸氏は、逮捕されているけれどもまだ刑事問責を受けていない被疑者、身体検査等、警察の留置場に勾留される人々、有罪決定後刑罰を科せられる人々などを含む、特定的な事例についていろいろと聞いているようです。これらすべてのケースにおいて、懸念事項があります。しかし、我々の特に関心を引付けているのは「ダイヨーカンゴク」です。


 思うに、(代用監獄では)規約に基づく適正な手続が、最初から遵守されていません。公正な裁判過程の有効性が問題とされることになるでしょう。また、深刻な懸念事項となるものもあります。人々は、最高23日まで拘禁され、チャージされることもなく、また保釈されることもありません。また、平均日数はより少ないと報告されましたが、しかし、期間は依然として長すぎます。この期間において、弁護士なしで、またエレクトロニクスを用いた記録なしで、さらに何らの保障措置なしで、取調べが行われます。


 有罪率が高い、との報告も受けています。また、自白がその重要な一要素です。したがって、本日我々に配布された文書の中に、勾留されている被疑者に自白を強要することを防止する保護措置あるいは効果的な措置が講じられるべきこと、およびその人権を護るということが盛り込まれることが、絶対的に必要です。また、規約を遵守するということは、弁護士を取調べに立会わせたり、テープ、できればビデオテープを撮るということが必要であり、またそのための技術も既に存在しています。


 保釈なしにこの長期間に及ぶ拘禁が行われるということは、本当に受け入れがたいことです。いずれにしても、このような期間は許されるものではなく、規約第9条3項の意図に反することは明らかです。しかし、起訴後においても、保釈は例外的である、と聞いています。1988年には、わずか23%しか保釈されていません。しかし、近年において、保釈のために差し出す金額は大幅に増加しています。この保釈の数字等に関して、確認していただきたいと思います。


 ララー氏が言われたように、公正な裁判の要素は、被告人とその代理人がすべての必要な文書と証拠にアクセスすることができるということです。それには、検察側のファイルも含まれます。それについて規定している法もありますが、しかし、弁護側は、その存在を既に知っている文書名を特定して請求しなければならない、とされているようです。しかし、それでは十分と言えません。というのは、検察側が有している証拠については、弁護側が全く知らないかもしれないからです。


 私がうかがいたいことは、検察側には、証拠として使用する気がない場合は、(弁護側に有利な)その手持ちの証拠を開示しないことが許されるのか、またしたがって弁護側の不利となってもよいのか、ということです。思うに、たまたま当該の証拠の存在を弁護側が知らないからといって、弁護側に有利な証拠が開示されないことになれば、不正義になると思います。


 ララー氏が既に言われたように、検察側の証拠が法廷で用いられる仕方に関して、伝聞証拠がこのようにして提出される傾向がありますが、この件でララー氏のコメントと同感であります。


 全体の話の中の一部としての、日本の刑事司法制度が規約と適合したものかどうかという問題に関して、私が強調したいことは、上に述べたさまざまな問題の全体像が相互に反映している、ということです。


 残された少ない時間で、私は、第17条に触れたいと思います。警察による合法的な盗聴に関する問題が提起されています。緒方氏に関する盗聴事件に関して、違法な盗聴が明白に証明されたけれども、何らの救済方法も提供されなかった、との申立てがあるとのことです。この事件の意味は、単にこの1事件に止まらず、もっと大きな意味を持ちます。というのは、もしも何らの救済方法も提供されなかったとすれば、人々は、彼らが当局側にいた場合であれ、あるいはコミュニティー側にいた場合であれ、警察と市民の法は、それぞれ別のものである、と結論することになると思います。


 次に、言論の自由に移ります。ポピュラーな言説でなかったり、あるいは爾後において正しくないとされた事柄に関して表明することが表現の自由である、ということであれば、ほとんどの人が同意しないであろう意見や、根拠のない責任追求の言辞は、言論の自由の……


(ヴェナーグレン議長) すみません、エヴァット夫人、通訳はあと2分以上はありませんが……


(エヴァット委員) では、私は、報告書の50頁の第2のケースにのみ簡単に触れ、「公共の福祉」が会社の経営側を批判する労働者の解雇を正当化しているように思われる、という点に言及したいと思います。私の質問は、このような事件において、言論の自由の制限のために、法においてどのように規定されているか、ということです。どのような法規定に依拠しているのか、ということです。


 最後に、ILO条約の下では消防署員を結社の自由について除外する理由は全くありませんが、第22条に基づき、彼らには当該の規定が適用されないという解釈である、と日本は宣言をしているということを述べたいと思います。議長、以上、私が述べたいことを、手短に述べさせていただきました。ありがとうございました。


(ヴェナーグレン議長) エヴァット夫人、ご協力をありがとうございました。会議を終わる前に、フォードル夫人宛てのメッセージの入った封筒について注意を喚起したいと思います。今日、この封筒を送付したいと思いますので、この会議が終わるまでに書簡をお書き下さい。では、これで会議を終わり、3時まで延会いたします。


第1280回委員会

1993年10月28日(木曜)、第1280回委員会、午後3時-午後6時


(98)再開


(ディミトゥリエヴィッチ議長) では、これから日本の第3回定期報告書の審査を続行したいと思います。我々は、現在、問題事項第2章および第3章の補足質問を希望する委員諸氏からの質問を受けています。午前中の最後に終えられたエヴァット夫人の他に、4名の発言者がいます。その後、日本代表団に回答をしていただき、また、委員諸氏に最終発言をしていただく時間もとりたいと思います。ご承知おきいただきたいのは、本日、6時前に会議を終了したいということです。日本代表団は提出された質問のすべてに対して回答していただいておりますので、したがって、私は、すべての発言者に対してできるだけ簡潔に、また特に、他の発言者が既に扱われた問題については重ねて触れないようよろしくお願いしたい次第です。このような「差止め命令」をお許し下さい。しかし、これはたいへん重要な審査であり、同時に時間も限られております。我々は、時間を最大の効果を有するように使用したいと思います。では、エヴァット夫人に発言をいただきます。


(99)エヴァット委員の補足質問の継続


(エヴァット委員) 議長、ありがとうございます。第19条に関して午前中に触れた点について、ごく簡単に述べて終わりたいと思います。議長、私は、英語版の報告書50頁の付録に触れられている事件について述べておりました。第2番目の1951年に判決が下された事件であり、何らの確実な証拠がないのに、会社が人員の入れ替えの際に不公正かつ不正義の措置を講じていることを被用者が公表した、として解雇された場合に、被用者の懲戒解雇は合法的であるとしたものです。


 私がコメントをしていたのは、言論の自由には「批判したり、不人気になることを述べる自由」が含まれる、ということでした。しかし、この事件について、私が本当におうかがいしたかったのは、その結果、憲法の公共の福祉の規定が、(言論の自由を制約することになる)この種の行為を正当化することができることを意味するのかどうか、ということです。また、その関連で、第19条を考慮しつつ、法の規定する一定の制約が認められるのかということ、また法自体がこのような特定的な制約を支持しているのか、ということもうかがいたいと思います。


 また、もう一つ、裁判所においてメモをとることに関して、報告書の第14項において言及されている事件があります。うかがいたいことは、裁判所では誰もメモをとることができないのかどうか、ということが判決されたのかどうかということです。あるいは、それは当該の事件の特定的状況において裁判所により決定されたことなのでしょうか。また、そこにおいて、特定の状況において公共の秩序が必要とされるということが考慮に入れられていたのでしょうか。何故ならば、前に述べたように、報道の自由や裁判所で行われていることを報道する自由は、民主的過程において非常に重要な要素であるからです。


 私が第19条に関してうかがいたい最後の点は、教科書に対する行政による検定により、教科書から日本史の一定の部分を排除しようとすることに関して、それが規約と適合するのかどうか、ということをうかがいたいと思います。我々が過去の事柄と寛大さを理解することにおいて、真実それ自体も非常に重要な要素であるという点を強調したいと思います。議長、ありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) エヴァットさん、ありがとうございました。次に、サディさん、どうぞ。


(100)サディ委員の補足質問


(サディ委員) 議長、いくつかの事柄については既に十分に説明されましたので、私も短くしたいと思います。かなりの質問をうけている國方さんの苦悩はよく理解できます。しかし、私の考えを、まず最初に誰もが関心を有している問題である「死刑」について、述べさせていただきたいと思います。マブロマティス氏が、午前中に、1989年以降の事実上の死刑執行モラトリアムを終了させたものは何か、という問いから開始されました。私は、以下の質問をすることで、もう一歩質問を進めたいと思います。まず、モラトリアムを継続させたものは何であったのかということです。このような補足的な質問をするのは、この問題に関する全国的な議論の包括的な性格を理解するために必要であると思うからです。私は、死刑に関する世論の「振り子」を理解したいのです。死刑を有していたり、それを廃止したり、あるいは導入したり、つまり、モラトリアムをもたらしたもの、それを終わらせたものが何であるか興味深く思っています。この問題を説明するのに、我々よりも良い立場におられると思います。


 さて、私の理解によれば、日本では死刑が科される犯罪の数を減らすために相当の努力が払われているようですが、私は、これは非常に奨励されるべきことであると思います。また、今朝言われたように、困難な問題もあるとのことです。私の質問は、以下のとおりです。あなた方は、政府として、死刑が科される犯罪の数を減らすという当初の計画をさらに進めるため、この委員会の先例を、あなた方の政策の一部として、「正当化の根拠」に用いるつもりはあるか、ということです。つまり、それを「正当化事由」と言おうと、そうでなかろうと、たとえば日弁連、議会、その他もろもろのものに対して用いるわけです。この委員会は、規約を公的に解釈することを国際的に認められているのですが、死刑をそのように考えているのです。もし、政府が死刑犯罪を減らすことを考えているのであれば、それが役に立つのではないか、と考えているわけです。


 議長、私は、次に、まったく別の問題についてうかがいたいと思います。そのために、まず日本の刑事法を調べてみました。私は、いくつかの例示を試みたいと思います。必ずしも網羅的ではありませんが、規約に関する限りにおいて、日本の刑法には問題が実際に存在しているということを示すために例示をしたいのです。それを示すために、いくつかについて触れたいと思います。たとえば、今、「日本の刑事立法」という資料を読み上げているのですが、たとえば刑法第92条を見てみると、「外国ニ対シ侮辱ヲ加フル目的ヲ以テ其国ノ国旗其他ノ国章ヲ損壊、除去又ハ汚穢シタル者ハ二年以下ノ懲役又ハ二十万円以下ノ罰金ニ処ス但外国政府ノ請求ヲ待テ其罪ヲ論ズ」とされています。すなわち、「ただし、外国政府の請求を待ってその罪を論ず」ることとされており、この但し書きにおいて、日本は刑事司法において差別の要素を有しているのかどうかということです。つまり、二人の個人が同じ行為をしているにもかかわらず、(外国)政府の請求があれば訴追し、請求がなければ訴追しないか、ということです。訴追される者とされない者がいる。このような手続には差別の要素があるように、私には思われます。私は、個人的には、外国の国旗等が損壊されることに対して刑罰を科すること自体は問題はないと思います。しかし、差別の要素に問題があります。


 次に、第93条を見ると、「外国ニ対シ私ニ戦闘ヲ為ス目的ヲ以テ其ノ予備又ハ陰謀ヲ為シタル者」とありますが、いったい、どうすれば外国に「私戦を為す」ことができるのでしょうか。もし法律の翻訳上に問題がないのであれば、またその可能性があるとは思いませんが、私人が外国に対して「私に戦闘を為す」ことを理由として処罰されうるのでしょうか。これは、明確化が必要なものだと思います。


 次に、第133条に行きたいと思います。これは規約の17条と関連を有しています。これは、「故ナク封緘シタル信書ヲ開披シタル者」について規定していますが、「ゆえなく」とはどのように解釈されているのでしょうか。また、その基準を、規約17条に照らして、どのように用いるのでしょうか。思うに、理由がどうであれ、たとえば裁判所の命令がなければ、信書を開封することをしてはならないのです。それは法的な理由です。「ゆえなく」とは、有効な理由であれ、無効な理由であれ、私にとってはやっかいなものです。この問題も翻訳上の問題かも知れませんが、しかし、お答えいただきたいと思います。


 次に、第175条です。「猥褻ノ文書、図画其他ノ物ヲ頒布若クハ販売シ又ハ公然之ヲ陳列シタル者」が処罰されると定めていますが、私の質問は、規約第19条との関連で、フィルムや絵画の猥褻性を判断するものは誰かということです。検閲委員会があるのでしょうか、政府委員会があるのでしょうか。そういったことが第19条との関連を有するわけです。


 刑法第177条では強姦について定めています。今、我々が刑事裁判例あるいは刑事訴追等について議論しているわけですが、刑法では強姦の扱われ方がおかしいのではないかと思います。規定では、「暴行又ハ脅迫ヲ以テ十三歳以上ノ婦女ヲ姦淫シタル者ハ強姦ノ罪ト為シ」とされていますが、この13歳の根拠は何でしょうか。12歳未満、14歳未満、15歳ではなぜいけないのでしょうか。何か理由があるはずですが、私には理解できません。また、処罰もわずか2年以上です。もし誰かが13歳の子どもを強姦し、2年という軽い刑の宣告を受けた場合に、子どもの利益を保護すべきことを定める規約に照らして、いったいどのような正当化をなしうるのでしょうか。これも法文の翻訳上の問題かも知れません。


 次に、一連の賭博に関する問題がありますが、その問題には触れることをいたしません。しかし、私の評価では、困難な問題があるように思われます。


 次に、名誉毀損に関する第230条の問題です。これも、現在、我々が討議している質問事項の章との関連を有しています。規定では、「公然事実ヲ摘示シ人ノ名誉ヲ毀損シタル者ハ其ノ事実ノ有無ヲ問ハス」刑罰を科することとしています。私は、これが正確な翻訳であると信じることができません。というのは、名誉毀損は虚偽を根拠とするからです。「事実の真実性の有無を問わず」名誉毀損とされるのは、私の考えでは規約に反するものです。


 議長、私は、この他にも質問がありますが、繰り返しを避けるようにとのことですので以上の質問に止めたいと思います。國方氏に対して、午前中の回答につき感謝したいと思いますが、また以上の質問についても同様に明快な回答をいただければ幸いです。ありがとうございました。


(101)セリ委員の補足質問


(ディミトゥリエヴィッチ議長) では、次にセリ氏に発言していただきます。


(セリ委員) ありがとうございます。ほとんど最後に発言させていただく特権をありがたく思います。私は、同僚や日本の代表団の貴重な時間を浪費することを望んでおりません。したがって、私の質問やコメントを1つの問題だけに限定して行いたいと思います。それは、既に他の委員が取り上げているけれども、十分に扱われていない側面の問題です。まず、國方氏の話によれば、1974年以降、日本政府は死刑が科される犯罪を17種類から8種類に減少させようとしてきているとのことですが、しかし、日本弁護士連合会の反対によりそれが不可能であった、と回答されました。しかし、日弁連が提出した反対の理由は、どのようなものであったでしょうか。ここに1993年4月の日付の日弁連の報告書がありますが、その中で死刑について触れられており、死刑が科された一定の裁判における一連の不規則性が批判されています。免田事件、谷口事件、斉藤事件、赤堀事件、その他の事件です。


 この同じ問題に関して、たとえば死刑の科される犯罪の第8番目の理由として「汽車又ハ電車ヲ転覆又ハ破壊シ」、「因テ人ヲ死ニ致シタル者」が死刑とされるわけですが、この「往来危険による船車転覆致死」における「危険にさらす」とは何を意味するのでしょうか。致死罪あるいは我々が「当該の死に対して責任を有する罪」と呼んでいるもの、すなわち不注意、無思慮、規則不遵守などによって生じさせられた(死亡)事件においては、実際上、故意が排除されています。したがって、故意が犯罪の構成要件とされていないのですから、当該の犯罪にはより緩やかな刑罰が科されるべきだと思います。


 ここでは、規約第6条との関連が問題になります。6条では、死刑は「最も重大な犯罪についてのみ科することができる」とされています。いわば、ある犯罪が非常に重大であるから、死刑が例外的に科されるとされているのです。私の質問は、犯罪の「重大さ」は、日本法においてどのような基準により決められているのか、ということです。犯罪の考慮に際して、犯人の故意、意志が含まれるのでしょうか。


 次に、第10項目の「謀殺」ですが、これはさまざまな要件が必要とされるものです。責任を軽くするような軽減事由もあるでしょうし、逆に罪を重くする加重要件もあると思います。


 また、日本の代表団にうかがいたいことは、報告書第10項目にあるように、あらゆる種類の謀殺(殺人)に対して死刑が科されるのかどうかということです。


 私、ひとつ別の問題の際に申し上げるのを忘れたので、今うかがうわけですが、交通危険罪(「往来危険による船車転覆致死罪」のこと)に関して、(もしも、報告書で翻訳されている法文のスペイン語の翻訳が正しいとすれば)、「交通を危険にさらす」ということは非常に頻繁に発生していることです。もしそうだとすれば、私には(交通危険罪が死刑に値するということを)理解することが困難です。


 次に第16項目の「航空機強取等致死」罪ですが、ここでもまた、「致死罪」には犯罪実行の故意というものがないのですから、たとえば航空機のハイジャックのように、致死という結果が(犯罪実行のための事前の)故意により生じたものであっても、故意を犯罪の構成要件として結びつけるものが何か必要だと思います。通例、あるいはむしろ多くの事例においてといった方がいいかも知れませんが、航空機ハイジャックといった事件においては、何らかの政治的な事柄との関連があります。規約では、政治関連の犯罪に対して死刑が科されないことについて何も触れられていませんが、しかし、いわゆる世界における人権保護の分野の一部の問題として、ハイジャックに関する条約が存在するわけであり、また一般的には、死刑の問題を検討する者はその線に沿って検討する必要があるわけです。したがって、この点に関して、死刑が科されることになる、この種の犯罪に関する日本での実務がどのようなものかということにつき、日本代表団のコメントをいただきたいと思います。ハイジャックと政治的要素がどのように考慮されるのか、ということです。ありがとうございました。


(102)アギラー委員の補足質問


(ディミトゥリエヴィッチ議長) セリさん、ありがとうございました。では、アギラーさんに発言していただきます。


(アギラー委員) 議長、ありがとうございます。時間の関係で、できるだけ早く行いたいと思います。私も規約第6条に関して問題を感じています。この問題に私は懸念を感じており、この問題だけを扱いたいと思います。セリ氏が言及された死刑が科される犯罪のリストは、非常に長いものです。また、致死罪を含むさまざまなケースがあります。死刑が科せられる致死罪ということに私は懸念を感じています。しかし、まったく犠牲者がいないにもかかわらず、あきらかに、犯人に死刑が科せられる犯罪があるからです。この点に関していっそうの説明をお願いしたいと思います。受け入れることができる以上のものを含むように思われるからです。


「現住建造物等侵害」との関連ですが、洪水により当該のことが発生した場合に、死刑が科されることがあるのでしょうか。私は、本当に、そのようなことで人が死刑に処せられなければならない、ということを理解できません。


 しかし、私は、この点で、すこし異なった観点から発言したいのですが、死刑との関連における「ダイヨー・カンゴク」(代用監獄)での拘禁です。日弁連の反対により、死刑が一定の犯罪に関しては廃止されていないとの、國方氏の発言に関して懸念を持っています。私は、國方氏と正反対のことを述べているこの報告書を、後ほど示したいと思います。この代用監獄における多くの人々の拘禁においては、被疑者被告人のすべての権利、すなわち規約7条の非人道的取り扱いの禁止規定により保護されるべきもの、が侵されています。自白を取る目的のために、人々は拷問にさらされ、非人道的かつ残酷な処遇を受けています。さらに、さまざまなケースにおいて問題はさらに深刻です。自白がそのようにして取られ、それを証拠にして死刑の宣告を受けているのです。また、事実、処刑された者もいます。


 私は、次のような質問をしたいと思います。國方氏によれば、上訴・不服申立てのため、さまざまな手段が利用できるとのことですが、それには非常に時間がかかりかつ複雑なため、多くの場合にそれを利用できないのではないでしょうか。また、直接に裁判所に行くこともできず、検察官を通じて行為しなければならない。國方氏によれば、制度における濫用を防止するため、検察官は常に必ずしも警察や当該行為を行った者を裁判所に出頭させるわけではない、とのことでした。制度の濫用の問題については、もう一度後に触れたいと思います。また、國方氏によれば、「不名誉な事情を利用すべきではない」とのことであり、それは制度の濫用を防止するためである、とのことでした。しかし、それは人権違反の婉曲語法です。


「警察に関する不名誉な事情」にはさまざまな問題があると思いますが、第1に、代用監獄においては、警察と検察は、全く自由な仕方で被疑者を取り調べるのです。これに対して弁護側は自由な行動をできない。警察と検察は共同で行動し、したがって当然に、検察は、警察に勾留されている被疑者を自由に利用することができ、弁護側はそれと同じようには行動することができないことになります。警察と検察とは裁判の当事者の一方です。しかし、当事者間には不平等が存在します。当事者の一方は、自己の権利を制限されており、他方は、同時に裁判官であり陪審でもある(といってよいほどの不平等がそこに存在する)のです。デュープロセス(法の適正な過程)に反する事例であって、死刑という刑罰により人の生命が危険にさらされることは、明らかに規約第6条に違反することになります。それは、本当に重大な問題です。


 死刑が科される犯罪のリストや、「致死」の問題を見てみると、警察や検察が拷問を加えたり、自白を強要することにより、最終的に被告人に死刑が科されることになるという状況において、この問題が、とりわけ「致死罪」の問題が、裁判所で審査されたことがあるのかどうか、うかがいたいと思います。自白を強要し、それを公判で利用し、被告人の生命が危険にさらされることを知りながらあえてそのようなことを行うことは、自白を強要した警察も、それを受け入れた検察も、「殺人」の共犯として裁判にかけられなければなりません。なぜなら、自白の強要と拷問を知りながら、真の犯人でないものを死刑台に送ったからです。


 以上が私が述べたいことであり、また時間を節約するため、第17条のプライバシーの権利と第22条の結社の権利を指摘しつつ、質問を行った同僚と同意見であることをお伝えして、次のように結論したいと思います。まず、(刑事手続における被疑者・被告人の)プライバシーの権利が存在せず、次に、結社の権利については、午前中に他の委員が触れられたように、鉄道労働者の組合が迫害されているということ、さらに第25条との関連で、労働時間外であったにもかかわらず、政治的目的で教唆扇動したことを理由に監獄に入れられている人々がいるということです。差別の問題であると同時に、これは第25条違反になるのです。ありがとうございました。


(103)ヌジャーイェ委員の補足質問


(ディミトゥリエヴィッチ議長) アギラーさん、ありがとうございました。では、次にヌジャーイェさん、発言をどうぞ。


(ヌジャーイェ委員) 議長、ありがとうございます。議長、私は非常に簡単に質問したいと思います。日本代表団にうかがいたいことは、第202、203および204項について、選挙運動費用の上限があるかどうか、国がその費用の一部を負担するかどうか、もしそうであればどの程度か、ということを知りたいと思います。


 また、終わりに、日本には労働組合の連合体が存在するかどうか、ということをうかがいたいと思います。数字によれば、720,202の単組という、かなり多くの組合があるようですが、しかし、それらは企業別組合なのか、分権化された集団としての組合なのか、それがどのような性格を有するものであるのか正確に知りたいと思うわけです。日本には、組合の全国的連合体あるいは組織体というものがあるか、という質問です。ありがとうございました。


(104)ポカール委員の補足質問


(ディミトゥリエヴィッチ議長) ヌジャーイェさん、ありがとうございました。では、私の手もとの最後の発言者は、ポカールさんです。


(ポカール委員) 議長、ありがとうございます。午前中の回答に対して國方氏に感謝したいと思います。また今までに私の同僚委員により提起された質問により、私が予定していた質問がかなり少なくなりました。第1に、第17条、6条(死刑)、その他に関して取り上げられた質問について、私も同様の質問を持っていましたので、それらには触れないこととします。第9条に関する質問についても同様です。


 しかし、被疑者被告人の拘禁制度が規約の規定、特に第9条の規定、を遵守するように変更されなければならない、ということを申し上げたいと思います。第9条第3項は、「刑事上の罪に問われて逮捕されまたは抑留された者は、裁判官……の面前に速やかに連れていかれ」なければならない、と規定しています。その目的は、逮捕が合法的であり、恣意的なものでないということを裁判官が確認し、またそうでない場合には被疑者を釈放しなければならないということだけにあるのではなく、被疑者を司法的保障の下に置き、被疑者を警察による恣意的な処遇から保護するということにあるのです。我々の全員が知っていることは、あらゆる国において警察は専断的に行動する傾向があるのです。多くの国において警察官に教育が行われており、またこの点に関し日本政府によるさまざまな努力が存在するにもかかわらず、そうなのです。


 重要なことは、逮捕された者が裁判官の面前に連れていかれた後においては、それ以前と同じ処遇を受けることができない、ということなのです。特に、被逮捕者は、司法的保障を与えられた、すなわち裁判官の監督の下での、処遇を受ける権利を有します。それは、裁判官の面前に連れていかれる前にはなかったものです。したがって、日本で現に行われているように、拘禁のために警察に送り返され、また警察の唯一のコントロールの下に置かれるということを、我々が受けている情報から知ることができるのですが、警察で被拘禁者は誤った処遇を受けることになれば、それはまさに規約第9条3項が防止しようとしていることなのです。


 また、このようなことは、必然的に悪い結果をもたらすことにもなります。今朝議論した問題や、我々が受け取っている情報からすれば、必ずしも明らかな拷問によらなくても、また自白した者と自白しない者の処遇の質を比較してみただけでも、逮捕された者が自白を強要されていることが明らかなのです。さらに、警察における拘禁が起訴までのみならず、起訴以降、公判まで継続するということにより、いっそう重大性を帯びてくることになります。したがって、この問題は規約に規定されている保障に反することは明らかであり、除去されるべきものです。


 ヒギンズ夫人がこの問題に関して既に述べられたように、この制度がなぜ変更されてはならないかということにつき日本政府が正当化しようとしている議論、また新たな拘禁施設の費用や場所を用意することに関する困難さに関する議論がありましたが、私は、これらの議論のいずれも制度の改革を妨げるのに十分なものではないと考えます。私が日本を訪問した際に感じたことですが、日本は確かに人口も多く、人口過剰かも知れません。また、拘禁施設を建築する場所を見つけること、一定の建物を拘禁施設に改築すること、そして費用の問題には、それなりの問題があるかも知れません。


 しかし、私の同僚委員も指摘しているように、日本のような大国にとってはそれほど重大な問題であるとは思われません。また、多くの場合において、人権の保護にはコストがかかることは明白なのです。規約の規定上がそれを必要なコストとして求めている場合には、このコストは支払わなければなりません。以上が私のコメントです。当初、一時的なものであると考えられていた(代用監獄)制度を変えないことにつき、何かそれ以外の正当事由が存在するのであれば、是非おうかがいしたいと思います。しかし、もう80年以上も前に一時的な措置として導入されたものなのです。議長、ありがとうございました。


(105)日本政府代表団による再説明


(ディミトゥリエヴィッチ議長) ポカールさん、ありがとうございました。これで(質問事項)第2章、第3章に関する発言予定者のリストが終了しました。では、これから以上の補足的質問に対し、日本政府代表団に発言していただきます。また、皆さんにお願いしたいことは、時間の節約と、さらに委員諸氏に審査全体の努力に関して一般的意見を述べていただく時間をとりたいということです。では、発言をどうぞ。


(國方、外務省人権難民課長) まず、議長どうもありがとうございます。また、委員会委員諸氏の質問もありがとうございました。非常に多くの質問に能率的にお答えするため、まず最初に、いくつかの問題に回答するために私が発言いたします。その後、この部屋におります同僚に残りの質問に回答させていただきたいと思います。今回は、委員の質問に順不同にお答えさせていただきたいと思います。


(106)放送の中立性


 まず、第1に放送法に関して、誰が放送の政治的中立を決定するのかという質問がありました。放送法を調べたところ、自己規律的性質を持ったものであり、いわゆる「刑事的制裁」に関する規定はありません。また、放送の政治的中立性を確保するため、各放送会社は、内部的審査委員会を設置して、その放送内容を規制することが求められています。


(107)精神障害者の処遇


 精神障害者の処遇に関して、いっそうの情報を提供するようにとの請求がありました。特に、精神医療審査会法に関するものです。回答は、次のとおりです。この精神医療審査会は、精神病患者の人権を確保する目的をもって作られたものであります。さらに、精神病患者の入院が引続き必要であるか、またその精神病院内におけるその処遇の状況というものをきちんと確保するために作られたものであります。


 この委員会の目的に資するため、委員会の委員は、次に述べる3つのカテゴリィーの中から慎重に選ばれております。まず第1のカテゴリィーとしては、この医療ケアに関しての知識経験を有している者、そして2番目としては、これに関係する法律の知識経験をもっている者、そして最後の3番目のカテゴリィーとしては、その他、それ以外の分野での知識経験を有している者です。個々のケースの審査が行われるときには、1つ目のカテゴリィからの3人、そして2番目のカテゴリィから1人、そして3番目のカテゴリィから1人の委員が任命されます。


 精神医療審査会は、この定期的な報告を検討することになっております。非任意の形で入院された患者の状況に関するレポートです。また入院患者の退院に関する報告等も審査します。都道府県知事は、定められた手段を取ることになっており、退院に対しての手続は、この精神医療審査会の審査に基づいて、その退院命令を出すことになっています。このような審査はもちろん独立した形で行われることになっています。


 さらに、質問として、この精神医療審査会の決定に基づいて退院した者の人数に関する質問がありましたが、1989年には267人、1990年には131人、1991年には174人となっております。すべての請求や非任意で入院した患者に関する関係報告書を検討した後、決定が出されるわけであります。


(108)政治資金規制法


 我々の報告書の第203項、204項に関する質問もありました。この政治活動に関する資金の流れに関して上限を定める法律があるか、というものでしたけれども、答えはイエスであります。すなわち、政治的活動に対する資金の流れをコントロールする法律はございます。これは政治活動の公正公平を確保するためのものであります。その確保により、民主主義の健全な発展を期するものであります。


 この法律によりますと、全ての金銭的取扱で5万円以上の額にのぼるものは、その関連当局に報告しなければならないことになっています。さらに、この政治資金に関してはその上限額が設けられています。たとえば、個人に関しては、その上限額は2,000万円になっております。企業法人等に関しては、750万円、1,500万円、3,000万円と金額が決められており、企業の資本金額に基づいてこの上限額が決められます。


(109)労働組合の全国組織


 さらに、労働組合連合または労働組合の連盟といったものが日本に存在するかどうかという質問がありました。お答えはイエスです。日本におきまして、労働組合は企業別労働組合になっています。これは、産業別の労働組合、いわばアメリカ型の労働組合とは形が違うものです。ゆえに日本における労働組合の数が非常に多くなっているというわけです。この点は報告書にも言及しております。


(110)労働者の解雇


 次の点に移ります。従業員および社員の解雇という問題ですが、これが内心の自由ということに関連しての問題であります。この点に関しましては、再び申し上げたいのですが、今日の午前中言ったことを繰り返したいと思います。つまり、「労働基準法」におきまして、差別をその労働者また従業員に対して国籍、信条また社会的な地位等に基づいて行うということは厳しく禁止されております。この条項に反した場合、また労働者を特定の信条を理由として解雇した場合はこの法律の違反とされ、そのような状況が証明された場合には、労働基準局が雇用者に対してその状況是正を要求することになっております。


 日本の労働組合法においては、第7条1項において、労働者および従業員をそのものが労働組合員であるという理由で不当に取り扱ってはならないと規定しています。もし不服申立てがこの点に関して行われた場合には、その地域の地方労働委員会がその件を調査します。そして、その不服に十分な理由・根拠のある場合には、適切な命令がこの救済措置を取るために発せられることになっています。当該労働者がその決定、つまり地域の地方労働委員会の決定に不満をもつ場合には、不服を中央労働委員会に対してさらに申立てることができます。また裁判所に訴えを起こすこともできます。つまりその解雇が無効であるということを申し立てることができます。


(111)旧国鉄労働者の解雇問題


 労働者の取扱い、処遇ということに関して、旧国鉄の民営化に関する点がでました。この民営化のプロセスの中で、日本の旧国鉄の法定的な枠組みを作り、国において旧国鉄職員を最大限再雇用するということになったわけです。この法的枠組みの中で、日本政府は新しい職を旧国鉄職員に与えるための最大限の努力をしているわけであります。平等かつ十分な機会が、就職希望の旧職員に提供できるよう最大限の努力をしているのです。また旧職員による不服申立てに関しては、中央労働委員会において、非常に詳細に現在検討されているところです。これは政府から独立した労働関係の行政機関です。


(112)刑法典の一部の条文の解釈および翻訳について


 さらに、刑法典の一連の条項に関する翻訳および解釈の問題があったと思いますけれども、個々具体的な言葉・文言の解釈・意味について説明すると、非常に長く時間がかかりますので、もしよろしければ、このご質問に関しましては後ほど書面でお答えしたいと思います。


(113)条約法に関するウィーン条約


 議長、ここで許可をいただいて後藤氏に代わって回答させたいと思います。条約に関するウィーン条約に関してです。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 後藤さん、発言をどうぞ。


(後藤、外務省人権難民課検事兼事務官) 議長、ありがとうございます。日本語で話したいと思います。日本では、条約と憲法の関係について、憲法は優位するという説を取っているようでありますが、これは条約法に関するウィーン条約に反するのではないかとの質問でした。この質問に対してお答えします。我が国は、条約(注・「B規約」のことか。)を誠実に履行しており、その不履行を正当化する根拠として憲法を援用したことはありません。また、今後、憲法を援用するつもりもありません。したがって、ウィーン条約の第26条それから第27条の違反は全く問題にならないと考えています。以上です。議長、ありがとうございました。


(國方、外務省人権難民課長) 再び発言の機会を与えて下さいましてありがとうございます。ではここで渡部氏、小野氏、そして永井氏の順で、代用監獄等の問題についてお答えしたいと思います。その前に率直に申し上げますと、私どもは、日本の制度の非常に基本的な要因に関わる点について、かなりの誤解がこの委員会委員の中ににあるということを知ってショックを受けております。それでは、議長の許可をいただき、ここで渡部氏から、発言させたいと思います。


(114)起訴前の勾留と、裁判官の命令


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 渡部さん、どうぞ発言してください。


(渡部、法務省刑事局国際課長) 議長、ありがとうございます。日本語で発言いたします。ただ今、國方氏からお話がありましたように、私から刑事手続に関しまして回答いたしますが、これまでの報告書審査それから今回の質問については、これまで日本の刑事司法については紹介の努力が必ずしも十分でなかったと考えます。この機会を借りて、重要なポイントについてより正しい情報をお伝えしたいと考えています。この情報がより建設的な対話に一層役立つことを望んでおります。加えて、その紹介をする際に、理解を助けるため、外国の制度の側面を引用する場合があります。それは決してその一面を批判する意図で引用するものではないことを明確にしておきます。


 それでは、今日お配りしました「代用監獄制度の問題」に関するリーフレットを見ていただければと思います。まず、全ての国において、起訴前の被疑者の身柄を拘束する制度を持っております。身柄の拘束自体が、被疑者の自由を束縛します。その人権を侵害する面があることは誰にも否定できません。我が国は、被疑者の身柄拘束につき慎重であるよう、制度上、最大限の考慮を払っております。第1に、我が国は英国の「1984年刑事警察証拠法」に認められている警察官による無令状逮捕や、フランスにおけるガルダ・ヴュのような警察による非司法的拘禁(行政拘束)を一切認めておりません。被疑者は、現行犯の場合を除いて、裁判官の発する令状によらなければ逮捕されません。これが原則であります。厳格な令状主義を取っているのであります。令状主義の要請は、逮捕に伴う拘束についても徹底しております。被疑者を勾留するには、次に述べるように、検察官、裁判官による二重の準司法的、司法的審査を必要としております。


 次に、我が国における起訴は、フランスの予審裁判所から判決裁判所への公判に付する決定にほぼ相当します。起訴前の被疑者の身柄拘束期間が、逮捕期間と勾留期間を合わせて最長23日間と厳しく限定されていることが、特に強調したい点です。すなわち、警察官に逮捕された被疑者は48時間以内に釈放されない限り、当該時間内に事件記録とともに検察官に送致されなければなりません。勾留請求を受けた裁判官は、被疑者の弁解を聞いた上、検察官の請求を正当と認めるときにのみ勾留状を発します。


 もう一度今のところをパラフレーズして述べます。すなわち、警察官に逮捕された被疑者は、48時間以内に釈放されない限り、当該時間内に事件記録と共に検察官に送致されなければなりません。検察官は、事件記録を吟味し被疑者の弁解を聞いた上で、法律家の観点から被疑者の留置を必要と認める場合のみ、裁判官に対し勾留請求をします。検察官のこの判断は24時間以内になさなければなりません。勾留請求を受けた裁判官は、被疑者の弁解を聞いた上で、検察官の請求を正当と認めるときにのみ、勾留状を発します。勾留期間は最大10日間です。勾留の延長は、検察官の請求、裁判官の決定により、最長10日間まで認められるに過ぎません。我が国の起訴前勾留中の捜査は、予審を採用している国の予審における捜査に極めて近いものです。


 逮捕・勾留期間を合わせても最長23日間という被疑者の起訴前の身柄勾留、拘束期間の制限は、フランスにおける予審段階での勾留期間としての軽罪での最長2年間、重罪での無制限の期間と比較しても、極めて短期であり、捜査する側にとっては厳しい制限となっています。しかし、我が国は、被疑者の身柄拘束自体が被疑者にとって最大の負担であることを考慮し、その人権を制度的に強く保障するため、起訴前の身柄拘束期間を最長23日間に制限しているものです。以上が私の申し上げたいことです。


 しかしながら、以上に関し、より正しい点を指摘したいと思います。まず、逮捕は現行犯の場合を除いては、裁判官の発する令状によらなければなりません。しかも緊急逮捕、これは刑訴法210条に規定されていますが、これを除いては事前の許可を得なければならないのです。逮捕状の請求は極めて謙抑的に行われております。そして警察において留置の必要がなければ釈放されます。勾留請求、これは検察官による勾留請求についてですが、裁判官が勾留の理由および必要性について審査します。そして勾留する場所についても審査します。その後、拘置所または代用監獄に勾留されます。この勾留は決して警察官の権限で勝手に行うものではありません。裁判官の命令によって行われるのであります。この点について、私は、裁判官の権限によりこの勾留が行われていることを強調したいのであります。


 勾留期間の延長についてお話しします。この延長期間についても、裁判官が決定しております。警察官や検察官の権限で行っているのではありません。委員の方の中には、別の罪で逮捕され長期間勾留されることがあることを指摘されている方もいらっしゃいます。これらの逮捕・勾留についても、すべてこれまで述べたものと同様の手続きで裁判官が審査しております。2つの逮捕・勾留があれば、その2つについてそれぞれ裁判官が審査します。すべて裁判官のコントロール下にあることを強調しておきます。もちろん、この間の勾留において自白の強制がなされれば、憲法および刑訴訟法の規則によって、その自白は証拠から排除されることは明らかです。シャネ委員からガルダ・ヴュのようなものではないかというご質問がございました。このようなものでは全くございません。あくまで裁判官の命令によってなされている勾留であります。


(115)強制による自白


 次に、代用監獄における自白強制等の実情についての質問がございましたので、それを担当している小野氏からお答えしたいと思います。


(小野、警察庁長官官房総務課留置管理官) 日本語で発言します。お手元に、「日本における警察留置施設(英文)」という資料をお渡ししてあります。この資料に基づいてご説明をさせていただきたいと思います。5頁を開いていただきたいと思います。ここでは捜査と留置の分離について述べてあります。留置場における人権の侵害という批判を防止するため、警察におきましては、1980年以降、厳格な捜査と留置の分離を行っております。この分離は厳格に行われておりまして、捜査官が警察留置場内に収容されている被疑者の処遇をコントロールしたり、これに影響力を行使することは不可能になっております。


 また被疑者の取調べは、決して代用監獄の中で行われているわけではありません。留置場の外にある取調室において行われています。この点が非常に混同されて理解されているのではないかと心配しております。捜査官は留置場の中に入ることは許されません。捜査のため被疑者を留置場から出す必要がある場合は、捜査の責任者を経由して留置の責任者の承認を得なければならないことになっております。しかも、この入出場の時間は全て出入簿に記録されます。ちょっと付け加えますが、公判において弁護側または検察側の双方から時々この資料の使用要求が出されることがございます。私どもはこれは客観的な資料であると自負しているところであります。


 次に、取調べの時間に関して回答いたします。取調べは、朝食前に行うことは禁止されています。被疑者は、昼食および夕食の際には、留置施設に戻されます。時間外に取調べを行う場合は、被疑者の就寝時間にまで及ぶことはできません。このように、被疑者の処遇および処分は、留置主任官の責任と判断のみによって厳格に行われています。彼らは、捜査を担当しない警察署の警務課長の指揮の下にあります。留置主任官は、しかも、警察本部の留置管理課、さらには警察庁の留置管理官の監督を受けることになっております。この点については、お手元の資料の12頁の「捜査と留置の分離」に簡単に略記してあります。それから、逮捕時の手続き、それから留置場からの留置人の出し入れについては、13頁および14頁に同じく記載してあります。


(116)いわゆる「代用監獄」問題と、その状況


 次に7頁をお開き下さい。第7項目のところで、いわゆる代用監獄について記載されています。刑事訴訟法は、被疑者を監獄に勾留することとしておりますが、監獄法は警察留置場を監獄に代えて用いることができるとしております。この制度は明治時代に作られたものでありますが、必ずしも未決拘禁の者につきましては、暫定的な制度というふうには理解されていないものであります。当時、帝国議会において議論がございましたが、これは1カ月以内の留置について議論になったものであり、それはすなわち、監獄法1条3項に規定する受刑者についての議論であったと理解するものであります。


 さきほどの議論の中で、警察留置場を勾留場所として使用する必要性は何かというご指摘がありました。これについては、以下にその理由が記載されています。さきほど渡部課長が説明したように、日本の刑事手続きにおいては、23日以下の勾留期間内に必要なすべての捜査を終了しなければなりません。さもなければ被疑者は起訴されずに釈放されてしまいます。これは絶対の条件であります。そのため、適切な捜査を迅速に行うためには、勾留の場所が捜査機関に近く、しかも勾留施設に充分な数の取調べ室があり、しかも護送に必要な要員が確保されていることが必要になります。警察の留置場はこの条件をすべて満たしたものでありますが、現在の日本にはこれ以外にこの条件を十分に満たすものはございません。留置場は、1,267箇所、全国の津々浦々にございますが、拘置所は全国に154箇所しかありません。このような少ない数の拘置所では23日以内に捜査を達成するということは甚だ困難であります。さきほど委員からご指摘もあったように、費用の問題もございます。


 日本の法制審議会、これは政府の法務大臣の諮問機関ですが、そこで、監獄法の改正を議論する中で、この代用監獄を廃止できないかという議論が、やはりなされています。これに対する当時の法務省の答弁は、代用監獄の廃止のためには、420の新たな拘置所を作る必要があるということであります。しかもそれに限らず、拘置所に勤務する要員として7,200人、さらに護送等に当たる要員として7,200人、もちろんそのための住居等も必要になってまいります。私どもでこれを少なく見積りましても、おそらく現在の物価で計算すれば、1兆円を越えるのではないかと思います。いくら日本が金持ち国家といっても、これは大変な金額です。しかも拘置所の建設に当たりましては、日本に土地が無いわけではありませんが、近隣住民の大きな反対を受けているのはいつもの例であります。警察留置場は拘置所よりも便利な場所に通常ございますので、実は捜査の便宜のためというだけではございませんで、被勾留者、弁護人のためにも大変に利便なものであります。


 次に、2頁の1番下の行に移りたいと思います。第3項目の「警察留置場における生活」であります。ここは詳しくはご説明いたしませんが、留置場の中において人権の配慮が十分になされている、ということを読んでいていただければ、理解していただけると思います。さきほどから委員の中でご質問がありましたが、たとえば、常時、監視の対象とされているのではないか、ということがございました。しかし、留置場につきましては、ちょっと写真を持ってまいりましたが、向かって右側が留置室の並んでいる様子でございます。この下半分に遮蔽板を貼っておりまして、監視台の位置からは中が覗けるようになっておりません。監視はこのような位置関係になります。ですから、その位置からは基本的に中が見えないという形になっております。それを大きくしたものはこういう形で、その視線から見ますとこういう形になります。したがって、監視により24時間完全なる監視の下に置かれているというようなことはございません。


 また、食事が粗末ではないかという議論がございましたが、ジュネーブに来る前に、ある県の留置場の食事の写真を撮ってくるよう係に命令しましたところ、撮影してきたものが、次の写真であります。朝食は、パン4枚とツナの入ったサラダ、ミルク等であります。昼食は、野菜と魚のテンプラの、天丼と日本ではいいますが、そういうものであります。夕食は、チキンとハム、豆、それから葡萄等の食事であります。これは決して特別良い日を選んだわけではなく、たまたま撮ってきただけであります。食事は少なくとも1日2300キロカロリー以上を確保すること、しかも栄養士等がメニューをチェックをしています。


 もちろん留置室の中では自由な姿勢をとることもできます。また、医療体制の議論もございましたが、留置場にはすべて嘱託の医師がございます。この医師は月に2回健康診断にまいります。また、留置施設の中では、新聞、ラジオについて一定の制限はございますが、聞くことは可能です。宗教行為も認められています。家族等への連絡も行えます。資料には、このような点を書いてございますので、後で読んでいただければ非常に幸いです。


 私がここで強調したい点は、第1に、捜査と留置は全く別に運営されているということであります。それから手続きも先ほど申し上げましたが、必ず捜査と留置でそれぞれの独立の手続きを踏んだ上で行われることになっております。指揮・監督ルートも違います。


 それから次に強調したい点は、取調べでいろいろ問題があった場合があるということはご指摘の通りでありますが、代用監獄はこれとは無関係であるということを強調しておきたい思います。無罪の原因としてはいろいろございましょう。証拠不十分であるとか、供述の信用性に欠けるとか、供述の任意性に欠けると言う場合がございましょう。しかし、それはすべて捜査自体の問題であります。無罪事件と代用監獄の制度的問題とを結び付けるのは、論理的に非常に無理があると思っております。私どもは、先ほどから申し上げているように、この規約に違反する運用をしていないと自負しておりますが、もし、違反しているのであると具体的にご指摘があれば、我々はそれを改善していけますし、そのつもりでおります。


 代用監獄で人権保障が徹底されていることは、次の点からも明らかではないかと思っております。最近の無罪判決の理由の中で、代用監獄の中での取り扱いが不適正であると、それが原因であると認めたものはございません。さらにもう一つあります。勾留場所は、先ほど渡部課長が説明したように、裁判官の裁量でありますが、逮捕した後、留置場に勾留される割合が97%を占めております。これは全て裁判官がその裁量で命令をしているわけであります。もし、裁判官が留置場が人権保障に差支えがあると認識しているのであれば、このような命令は出さないはずであります。我々はこの点について、自信を持って、人権保障に問題はないというふうに申し上げられます。


 今申し上げた点について、日本弁護士連合会が提出したカウンター・レポートでは、面白い議論がなされています。裁判官が拘置所を勾留場所にしようとすると、検察が組織的に不服を申し立て、裁判官もその圧力に屈してしまいがちである、という内容が記載されています。もしこれが真実であるならば、これは大変重大な問題を指摘しているわけです。すなわち、日本においては司法権の独立がなされていない、または裁判官が人権を軽んじているかのようなことを述べているわけでありますが、この日弁連のカウンター・レポートはこのような問題を提起しながら、その具体的な根拠を全く提示していないばかりか、この問題についてこれ以上の言及もされておりません。もし本当にそうであれば、これは人権上、最大の問題と位置づけるべきではないかと思います。私どもは、日本において司法権の独立が確保されており、もちろん裁判官の身分保障も徹底され、人権の確立に裁判官が最大の努力を払っていることを表明したいと思います。そのような裁判官が、留置場を勾留場所として定めているという事実も、十分に考慮していただきたいと思います。


 また、これはちょっと個人的な話でありますが、たとえば、弁護士と話をしておりましても、被疑者・被告人は留置場の方が過ごしやすいというような声も出ております。また、弁護士自身も、留置場の方が接見しやすいということも言っております。先ほどから申し上げておりますように、留置場の現状も大きく変わり、施設そして組織体制が整備改善されてきましたのは、ある意味では日弁連やNGOの成果ともいって然るべきであると思います。どうか私の申し上げた点に疑念があるのであれば、委員の皆様が日本に来られた際に、留置場をご見学いただきたいと思います。1989年に国連人権センターの上級人権担当官のミュラー氏が来日され、次のように述べたことが非常に印象的だったと、私は聞いております。彼によれば、「私はこれまで、日本関係の苦情も扱って来たが、そこで読んだものと、今日来て、自分で直接話を聞いたものでは大違いだったと思う。」とされています。


 私どもはさまざまな努力をこれまで重ねて来ましたが、さらに留置場の法制度の明確化を図り、被留置者の人権保障の確実な徹底と、捜査と留置の分離の法律上の明確化、制度的保障を図りたいと思っております。これまで国会では、日弁連の反対もあって、改正刑法草案(訳注・「留置施設法案」の誤りか)は成立に至りませんでしたが、一日も早い法案の成立をめざして努力をしてまいりたいと考えております。委員各位の皆様にもどうかご理解を賜りたいと思います。ありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 永井さんにご発言いただく前に、私の方から日本代表団にお願いがあります。時間が非常に限られていますので、一般的にご回答いただくのは結構ですが、委員から提出された質問に対してお答えいただきたいと思います。そして、その他の問題の議論にあまり時間を費やすことのないようにお願いいたします。また、もし委員の質問が詳細なものでなければ、詳細な回答部分については省略することもあると思います。というのは、日本代表団に必要な時間のすべてをお使いいただきたいとは考えておりませんので、この点に関して代表団のご協力をお願いいたします。ありがとうございます。では、永井さん、ご発言をどうぞ。


(117)警察による捜査


(永井、警察庁刑事局国際刑事課課長補佐) 議長、ありがとうございます。日本語で発言します。警察関係の事柄につきましては、小野管理官が答えましたので、私はごく簡単にその他の点に触れたいと思います。捜査と留置の厳格な分離が行われておりますので、捜査に関係する部分を私がお答えします。警察における取調べにおいて自白強制等が行われているという指摘がございました。日弁連をはじめとする我が国のNGOは、カウンター・レポートの中におきまして、拷問や自白強制の存在を確認することができると言っております。しかし、これは客観的な事実に基づくものではなく、単に事実を主張しているに過ぎず、客観的な事実に基づかない、被告人による一方的な主張を引用しているものもございます。たとえば、拷問による強制された自白による誤判の事例として、日弁連のカウンター・レポートは死刑再審無罪判決を引用しております。しかしながら、これらの事例のうち、いくつかは確定した再審判決において、代用監獄における拘禁状態を不当に利用した自白の強要はないとして、被告の自白を肯定した事件がございます。あるいは代用監獄が勾留の場所として使われていなかった事件も含まれています。したがって、これらの事件から代用監獄が誤判の温床であると主張するのは見当違いであると言わざるを得ません。


 しかしながら、警察におきましては、1963年以来、数々の刑事警察強化に関するガイドラインを策定しまして、これに基づきまして、各都道府県警察におきまして、人権に配慮した取調べ等、適正捜査の徹底、捜査官、全警察官に対する訓練を強化しております。この結果、最近においては、取調べ時における自白の強要等によりその任意性が否定され無罪とされた事件は、極めて例外的であります。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 永井さん、ありがとうございました。では、死刑の問題につき、渡部さんどうぞ。


(118)死刑


(渡部、法務省国際課長) 議長、ありがとうございます。日本語で発言します。では、死刑の問題について述べたいと思います。死刑の問題については、沢山の問題が指摘されましたが、時間の関係で主要なポイントについてだけ簡単に述べさせていただきます。


 まず、日本での死刑事件において、人権規約の趣旨がどのように生かされているかであります。その指針として日本の最高裁判所の判決がございます。死刑は、他に選択すべき刑罰がない場合において、初めて科せられるものです。また、死刑の宣告が選択されるのは、犯行の罪質、動機、態様、ことに殺害の手段方法の執ようさ、残虐性、結果の重大性、特に殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の悔悛情状も併せ考慮し、その罪質が重大で、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、極刑がやむを得ないと認められる場合に許される。これが日本で死刑が宣告される基準となるものであります。この最高裁判決の趣旨を踏まえて、死刑の適用は極めて厳格かつ慎重に行われております。


 ところで法定刑について死刑が科せられる犯罪の数が多いことが指摘されています。この法定刑というのは、死刑しか言い渡せないものではありません。つまり、ある国では、死刑と言いますとその選択しかございません。しかし、日本では、死刑以外に裁判官が懲役刑や禁固刑を選択することができます。このことを先ず指摘しておきます。


 次に、死刑が科せられる罪の罪名について、いろいろな意見が出ております。死刑が確定したものについて調べてみますと、その全員について、殺人罪または強盗殺人罪が含まれていることを指摘しておきます。次に、改正刑法草案について申し上げておきます。この草案については、死刑に処すべき罪について争いがあるのみならず、ただいろいろなシステムについても反対があり、そのため法案を国会に提出していない状況であることを申し添えておきます。以上で終わります。


(119)盗聴


(ディミトゥリエヴィッチ議長) ありがとうございました。では、小野さんから、盗聴に関する回答をいただきたいと思います。


(小野、警察庁総務課留置管理官) 議長、ありがとうございます。日本語で発言します。盗聴に関してのご質問がございましたので、担当ではありませんが、調べた限りで得たことを申し上げます。ご質問は、1986年11月に発生した政党幹部宅に対する盗聴事件についてのことかと思います。本件については東京地方裁判所(正しくは、「検察庁」)が捜査を行い、公務員職権濫用罪については嫌疑がないと結論づけられ、また電気通信事業法違反については起訴猶予とされております。公務員職権濫用罪について嫌疑がないとの結論は、その後、高等裁判所によって追認されております。起訴猶予とされた2名の警察官は、懲戒処分を受け、マスコミの報道等による報道の社会的制裁も受けております。これまで申し上げたいずれの決定も、適切な法的手続により行われたものであります。さらにこの問題を踏まえ、警察においても通達が出され、適法妥当な職務執行に努めることが再確認されております。現在本件に関しては2つの民事訴訟が提起されております。これは現在もなお審理中でございます。以上のように、本件では適切な警察・検察の活動の確保をするための諸制度を踏まえ、各種の国内的救済手続が確保されており、その一部は現在も進行中であり、その過程で被害者となった方の権利は保障されておるところであります。


 なお、あわせて、日本に秘密警察があるかというご質問がございましたが、日本においては、法の支配が徹底されておりまして、秘密警察などというものは存在しません。以上です。


(國方、外務省人権難民課長) 議長、10分ほど時間をいただきたいと思います。時間の制限を考慮して、三谷氏の回答後、回答をすべて終了したいと思います。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 三谷さん、発言をどうぞ。ご協力に感謝します。


(120)監獄、死刑囚の実状


(三谷、法務省総務課長) 議長、ありがとうございます。日本語で発言します。日本における監獄の実状についてご説明します。委員各位には、あらかじめ「日本の行刑」というパンフレットをお配りしてございます。私の説明は、このパンフレットを引用することによって行いたいと思います。日本の受刑者に対する処遇が、矯正と社会復帰を目指しているということは明らかなことであります。その処遇のいろいろな制度につきましては、このパンフレットの11頁以下に記載されております。


 質問の中で、再犯率の問題が出されました。私どもも、受刑者の再犯をなくすることは大きな責任であると考えております。ゼロにすることは困難でありますけれども、年ごとに減少しつつあります。その数字は、このパンフレットの16頁および17頁に出ております。


 次に、日本の監獄における独居拘禁の問題が出されました。受刑者の中には他の受刑者と会うと喧嘩するとか、いろんなタイプの受刑者がおります。このように集団生活に馴染めない受刑者については、独居室で一人で生活させるということがあるわけです。「厳格な独居拘禁」と呼んでおりますが、これは原則として独居室内で一人で生活をさせるというものであります。独居室内では簡単な作業を行います。定期的に運動・入浴・面会等で室外に出ます。運動は1日30分とされております。戸外で行うことができないときは、室内で行わせます。医師による診察も定期的に行なわれます。室内で作業を行っている際には、坐る場所を指定しております。それ以外の場合は、室内での自由行動が許されています。しかし、他の受刑者の迷惑となるような音を出すというようなことを許されておりません。このように、基本的に独居室内で生活させられている受刑者の数は非常に少なく、今年5月末日現在で見ますと、全受刑者中約1.4%に過ぎません。


 次に、日本の監獄での医療の問題が提起されましたが、これもこのパンフレットに記載されております。受刑者の生活条件につきましては、このパンフレットの19頁以下に記載されております。特に医療の問題について触れてみます。施設には常勤医師226人を含めて合計355人の医師がおります。彼等355人の医師が、約4万5千人の収容者の医療を預かっているわけです。この医師の配置の数は、諸外国と比べても遜色はないと考えております。


 次に、死刑囚の処遇についての問題がございました。死刑囚は、もちろん凶悪犯罪者でありますので、厳格な身柄の確保が必要であると考えております。したがって、他の収容者との分離に気を使っております。そのため独居、単独室に収容されます。しかし、これは先ほど申し上げたような厳格な内容での独居拘禁ではありません。特に問題がなければ、運動、映画やテレビの鑑賞などについては、死刑囚を集めて共同で行っております。


 死刑囚の面会についてご質問がありました。死刑囚は、家族・近親者と面会あるいは手紙のやり取りができます。それ以外の者との面会等については制限があります。死刑囚については、社会から隔離して、身柄を厳格に確保する必要があります。また彼らは極めて大きい精神的不安と苦悩のうちにあります。我々としては、死刑囚の身柄の確保を阻害しまたは社会一般に不安を抱かせるような場合であるとか、本人の心情の安定を阻害する場合、これらの場合には、面会等を制限せざるを得ないと考えております。また死刑の執行につきましては、死刑を執行された者の家族その他の関係者の名誉、心情を傷つけないよう配慮する必要があります。また他の死刑囚の心情の安定にも配慮する必要があります。


 このようなことから、いつ誰に対して死刑を執行したかということは公表しておりません。個別の公表に代えて各年ごとの統計を公表しているわけです。最後に、死刑の執行日を事前に家族に知らせないことについて問題が提起されました。死刑の執行日が事前に外部に洩れますと、死刑の執行そのものが妨害されるなどの悪影響をもたらします。死刑囚の相続問題など、家族との間の問題については、それ以前から家族との面会などの場面で十分な機会を与えております。以上です。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 三谷さん、ありがとうございました。渡部さん、発言があるでしょうか。國方さん、ご発言をどうぞ。


(國方、外務省人権難民課長) 特に追加的なコメントはありません。時間的な制約がありますので、よろしければここで回答、説明等を終えたいと思います。しかし、委員の方々の質問の主要な点のほとんどすべてについて、今までの回答・説明で十分お答えできたのではないかと思います。ありがとうございました。


(121)委員による最終発言


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 國方さん、どうもありがとうございました。ご理解、ご協力をいただきありがとうございます。さまざまな理由により、この審議を明日まで延期することはできないからです。ではここで、委員の方々に最終発言を希望される方に、発言していただきます。リストに掲げられている最初の発言者は、サディ氏です。このリストの発言予定者の発言をできるだけ早く終了したいと考えています。このリストにない委員の方で、発言希望の方は今お知らせ下さい。それにより、後ほど、同じ時間を割当てたいと思います。この委員会において差別があってはならないからです。また、最初の発言者が最後の発言者よりもより多くの時間を利用するということは公正ではありません。したがって、発言者は、1分または1分半の発言をお願いいたします。サディさん、発言をどうぞ。


(122)サディ委員の最終発言


(サディ委員) ありがとうございます。國方さんおよび、彼の代わりに発言された彼の同僚の方に、再びお礼申し上げます。非常に大変な作業であったと思います。発言されなかった方も、日本の報告書の作成に多大な貢献をされたと思います。


 刑務所の食事のメニューの写真を見た私の印象について申し上げますと、それは国連のカフェテリアの食事より良さそうです。その意味で強い印象を受けました。しかし、より真面目に言えば、この審査は、非常に長く、かつ身近な対話であったと思います。審査日程を、非常に多くの争点のある問題について費やしたわけです。それは、死刑、子ども、勾留、公判、少数民族、外国人の権利、労働組合などにわたるものです。その一つ一つの問題に、おそらくは丸1日かかるものでしょう。したがって、あなた方にとって、非常に長くかつ困難な日程であったと思います。また、あなたがたの率直な説明に感謝いたします。この短期間において、我々に可能な限りにおける完全な説明を行われたご努力にも感謝します。


 今日の午前中において、ヒギンズ夫人が発言されたことが契機となって、私として考えるところがありました。彼女の発言を繰り返せば、日本には反労働組合的な文化が存在しているように思われる、とのことでした。また、國方氏も、今日の午後、当委員会が日本における基本的状況を十分に理解していないのではないか、ということを言われました。このような発言を聞いていると、私も、今日発生しつつある「文化的次元」という考え方に到達したわけです。このような次元に関して、今年6月の世界(人権)会議ではさまざまな議論が行われたわけです。それは、いわゆる「文化的特有性」と呼ばれているものについてです。皆さんもご存じのことと思います。もし私の記憶が正しければ、ウィーンでは、「文化的差異は人権擁護の内容を豊かにするものであり、国連の制度において求められているもの以下の状況において、人権状況を正当化するための根拠として用いられてはならない」ということが決められたと思います。


 時間が30分程度しか残されていませんから、できるだけ短く述べたいと思いますが、國方さんに申し上げたいことは、我々が原告と被告として対話をしているわけではないということです。お互いに争っているわけではないのです。この審査は、両者の対話であって、我々委員が、あなた方のために問題や欠落しているものあるいは矯正可能と思われる領域についてそれを識別し、あなた方に、規約によりその解釈を委ねられている機関としての我々のコメントを受け入れるよう求めているものなのです。全般的に見て私が感じたのは、あなた方が自己の立場を防御するのに努められた、ということです。それは、この対話の全体的目的ではないのです。


 思うに、我々は、以前に比べ、日本の状況についてより良く理解するようになっており、それも理解しはじめたばかりかも知れません。より良く理解するためには、さらに1日~2日必要かも知れません。この対話の課題と機能は、対立ではなく、また当事者対立的なものでもありません。この審査の終わりに、委員会は、その最終コメントを作成することになりますが、しかし、この最終コメントは日本における状況に関する「判決」ではありません。しかし、拙見では、判決に非常に近いものだと思います。ですから、代表団がこれらのコメントを本国政府に持ち帰り、行われていないことのいくつかを矯正するために用いていただきたいと思います。世界のどこにも一切の違反や不作為がない、という国はありません。日本も他の国と同様に、その例外ではないわけです。また、できれば、この対話がそのような意味において問題を明らかにし、またしかるべき対処が行われるようになることを希望しております。最後にもう一度、國方氏、その同僚に感謝したいと思います。たいへんすばらしい仕事をされたと思います。非常に詳しい情報を提供して下さいました。誰もこのように短い時間ではできなかったと思います。ありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) サディさん、ありがとうございました。簡単な算数によれば、発言予定者リストとの比較では、各委員は3分しか時間がありません。このような制限については強要はもちろんいたしませんが、しかし、委員が自由に発言を行った場合は、我々の寛大な同時通訳者の犠牲においてそれが行われるのである、ということを念頭に置いていただきたいと思います。その意味で、あらかじめご協力をお願いしておきます。では、エヴァット夫人に発言していただきます。


(123)エヴァット委員の最終発言


(エヴァット委員) 議長、ありがとうございます。時計を前において発言いたします。この会議において提出された最も包括的な説明と、我々の質問に対する詳細な回答と、またそれぞれの問題に対する非常に真剣なアプローチと、規約に基づく義務を履行するための完全な取組みに対して、日本代表団にお礼を申したいと思います。とりわけ、非常に多くのNGOの人々に来ていただくことになった日本政府代表団のご努力にも謝意を表したいと思います。


 私は、発言を私自身が取り上げた問題だけに限定して申し上げたいと思います。思うに、規約に基づく義務の正確な性質、その内容および拘束力についての説明が欠けています。世論や公共の福祉の問題が言及されました。また、憲法が規約に優先する、とも示唆されました。また、本日、規約上の義務を実施するための堅固な取組みをうかがい、元気づけられた次第です。


 私は、規約が「文字」であると同時に「精神」でもある、ということを強調したいと思います。そのいずれも、他のものが理解されなければ理解しえないと思います。というのは、それは見ることのできないものですし、我々が試みていることは、日本の利益のために、これらの2つの文字と精神に、光を投ずることであるからです。


 私は、私が依然として懸念を有している1つの事柄について述べたいと思います。それは、弁護士の(援助を受けることができない状態における)取調べの期間および何らの記録も残されない取調べについてです。それは、世界のどの国においても自白の強制につながる問題でもあります。どこにおいても問題であるのです。制度が検察側の証拠における自白に偏重する場合、あなたがたの文書自体において必要性が唱えられているところの何らかの保障措置を講ずることが、非常に重要なのです。したがって、このような特定的な捜査過程におけるいっそうの留意を図ることが重要であることを指摘したいと思います。この他にも他の委員が取り上げられた問題がありますが、帰路のご無事を祈ります。たいへん実りのある対話でした。ありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) エヴァット夫人、ありがとうございました。次の発言者は、シャネ夫人です。


(124)シャネ委員の最終発言


(シャネ委員) 議長、ありがとうございます。私も、國方氏はじめ、日本の代表団全員に対し、委員会における対話において技量を示され、またそれを継続していただいたことに関して、感謝したいと思います。残念であったことは、サディ氏が言われたように、規約に集中するのではなく、国内政策の正当化や世論の利用などにおいて、代表団が、いくぶん防御的であったということです。国内法は、規約との関連において考察されるべきであり、もし国内法が規約の規定と適合しない場合は、日本が、規約上の義務を果たしているとは言えないのです。日本政府代表団には、そのことをいくつかの問題について理解していただいたと思います。委員会は、(日本の)国内法において行われている実務や法が、必ずしも規約と一致しているものとは考えていません。さまざまな点に関して意見を異にしているということを、政府にお伝えいただきたいと思います。


 婚外子に関するさまざまな問題に触れたいと思います。すなわち、相続上のその地位、出生証明書における登録などは、規約24条に反するものです。死刑が科せられる犯罪の種類が多いということ。(監獄におけるものとして)説明された懲戒および厳格な制度は権利の剥脱であり、規約に規定されている社会復帰の目的に資するものではありません。


 最後に、最も問題であると思われるのは、代用監獄制度であり、この制度は完全に廃止されるべきであると思います。それにより、規約第9条および第14条を遵守することが必要です。代用監獄は、規約によって求められる基準に合致するものではありません。


 私の意見では、たとえば弁護を受ける権利(が保障されていないこと)は、無罪推定の原則に反するものです。すなわち、衡平な裁判、公正な裁判を保障することにならないのです。それは、刑事裁判の当事者の一方のみに特権を与えるものです。


 日本代表団は、この分野におけるフランスの例に言及されましたが、是非フランスに来ていただいて制度を見ていただきたいと思います。フランスは、(日本で代用監獄廃止のために必要とされるという)拘禁者や監獄職員のための1兆円という費用を負担することはできませんが、フランスでは、警察拘禁は日数によってではなく、時間数によって計算されており、20時間が経過した時点で、弁護士の同席が強制的に義務づけられ、刑事責任を追求されている者は、たとえ裁判官の面前におけるものであっても、弁護士なしで尋問されることはありえないのです。議長、以上が私の申し上げたい若干の点です。もう1度、その有能さに対して日本代表団にお礼を申し上げ、第4回定期報告書においては実質的な進展が見られるよう期待するものです。ありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) シャネさん、時間の制限を考慮にいれていただき、ありがとうございました。次は、プラド・ヴァレホさんです。


(125)プラド・ヴァレホ委員の最終発言


(プラド・ヴァレホ委員) 議長、ありがとうございます。議長、私も、日本政府代表団に対してお礼を申し上げたいと思います。非常に有効な対話であったと信じております。委員会の懸念を知っていただくことが代表団にとっても有益であり、またその逆のことも言えると思います。委員会としては、日本の制度、立法、特に刑事制度に関して非常に詳細に知ることができました。


 議長、この2日間の審査において、日本において存在する問題に関して、さまざまな情報源からの情報を得ることができました。さまざまな規約の規定に言及がなされ、委員も(日本政府によって)遵守されていない規定に言及しました。規約の実施を改善するためにもこれらの言及を検討されるよう希望します。


 私が、特に述べたいことは、難民政策、婚外子差別、23日間に及ぶ予防的拘禁(正確には、「起訴前勾留」)、被拘禁者に対する警察の行為、刑事法の規範に反しており廃止されるべき代用監獄などに関する審査(の重要性)です。これらに関する対話が、立法、政策の進歩に資するものであり、規約がいっそう効果的に実施され、また人権が保障されるよう希望するものです。議長、どうもありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 次の発言者は、ハーンドゥル氏です。


(126)ハーンドゥル委員の最終発言


(ハーンドゥル委員) 議長、ありがとうございます。私も簡単に述べたいと思います。1つは、一般的コメントであり、もう1つはこの時点での特定的コメントです。まず最初に、日本代表団が、報告書に加えて、我々に文書または口頭で提供してくれた非常に包括的な情報に対して感謝したいと思います。


 この時点で私が申し上げたいことは、この委員会は、自分の行為について防御をしなければならない法廷ではないということです。ある国に関して、どうすれば規約(の規定内容)を促進することができるかということについて助言しまたは意見を述べる委員会なのです。日本政府は規約を完全に実施する用意がある、ということを承知しております。この委員会の見解に基づいて、必要な措置も将来において採られることになると思います。自国の立法制度や実務をここで弁護するのには適当な場所ではありません。むしろ、それらについて説明し、委員会のコメントを受けていただきたいと思います。そしてその真の価値を対話の基礎とし、規約に従うためにもし必要であれば、それを改革の基礎としていただきたいと思います。


 我々はここで、規約の規定とは必ずしも完全に一致していないさまざまな実務が(日本に)存在するということを発見しました。他の委員も言及されましたが、私は一つの事柄だけを挙げたいと思います。それは、「ダイヨー・カンゴク」(代用監獄)が行われているということです。日本政府は、我々が委員会で述べたことを是非考慮していただきたいと思います。


 私の特定的発言としては、選択議定書の批准問題です。選択議定書批准に向けて、何らの人工的な障壁も作られることはないと思います。1988年に、日本政府代表団は、政府が選択議定書の批准について好意的であると述べたわけであり、また日本の法制度と選択議定書との間の矛盾を識別するため、立法の研究をするつもりであるとも発言されました。しかし、その過程は未だ批准が行われるという段階には到達していません。したがって、5年前には好意的であったのに、現在では、態度はより好意的でないものになっていると思われます。しかし、議定書の批准を真剣に検討することに向けられたさまざまな理由が、受け入れられることを希望するものです。


 私は、すべての国が、2つの国際人権規約に付属する個人通報手続を批准するよう求めた、ウィーンにおける国際人権会議の要請にも言及したいと思います。以上をもちまして、私は再び代表団がその見解を表明されたことについて感謝したいと思います。また、無事に帰国されるよう祈っております。ありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) ハーンドゥルさん、ありがとうございました。次の発言者は、ララーさんです。


(127)ララー委員の最終発言


(ララー委員) 私の同僚と同様に、國方さんと代表団に、彼等が委員会での審査に対して提供してくれた援助のすべてに関して、お礼を申し上げたいと存じます。特に、私は日本政府に対して、外務省の担当者のみならず、日本政府のそれぞれの担当部所で実際に仕事をされている人々をお送りいただいたことについて、お礼を申したいと思います。小野氏、渡部氏、および彼等の同僚であります。


 議長、私は長い発言をいたしません。私は、エヴァット夫人、シャネ夫人の発言、とりわけ司法に関する発言に同感の意を表するものです。私の懸念についてリストを掲げるとすれば、規約第9条2項および3項ならびに14条2項および3項b号、e号です。これについて申し上げるのは、それらについて注意が喚起されているからであり、規約上の義務に基づく、適正な司法に関連するものであるからです。日本代表団は、これらのさまざまな規定の意味について、本当に誤解していると考えます。また、シャネ夫人が指摘されたように、それらは他国において行われている事柄の、不適正かつ誤った分析に基づくものであると思います。議長、以上で終わります。代表団の皆さん、ご援助ありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) ララーさん、どうもありがとうございました。ヴェナーグレンさん、発言をどうぞ。


(128)ヴェナーグレン委員の最終発言


(ヴェナーグレン委員) 議長、ありがとうございます。國方さんおよびその同僚に対し、対話のために献身的に貴重な回答をしていただいたことに関し、お礼申し上げます。私は、特にかつての日本植民地における兵士および傷病者に対する戦後補償の解決の問題のみについて、発言したいと思います。


 その補償の必要性をカバーするさまざまな法律や条約がありますが、すべての分野およびすべてのグループに関して当該の必要を十分にカバーしていません。そのグループの中には、いわゆる「慰安婦」も含まれます。


 台湾人の傷病兵およびその遺族が日本政府に対し、規約第26条および(法の前における平等について規定する)日本国憲法第14条に基づき、日本人兵士と同等の取扱いを主張している事件において、最高裁判所が判決を下しています。最高裁は、1992年4月に、戦争を原因とする補償問題は立法府によって対処されるべき問題であるとして、請求を棄却しました。


 しかし、日本国憲法第14条は、すべての者が法の下に平等であって、政治的、経済的または社会的関係において差別されない、と定めています。また、規約第26条は、他方、すべての者が法の下に平等であると規定していると同時に、「いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する」と定めています。したがって、規約第26条は、憲法14条よりもより広範な保護を規定しているということが言えると思います。したがって、最高裁は、補償の問題を立法府に委ねているということにおいて正しい判断をしているものと思われますが、しかし、もしそうであれば、私の考えでは、立法府は、規約の26条によって「すべての者が、いかなる差別もなしに平等の保護を受ける権利を有する」ということに、正しく留意すべきであると思います。したがって、立法府も規約に基づく義務を有しているわけです。


 必ずしもすべての傷病者が法の下で平等の保護を受けることができているわけではありません。日本政府および日本国会は、このことを十分に検討すべきであると思います。第2次世界大戦は、規約が日本に関して発効する以前の、非常に昔に発生したことではありますが、戦争行為による個人の痛み、苦痛は、日本が規約を批准した後においても継続しているのであり、日本によって負担されるべき事柄なのです。議長、ありがとうございました。


(129)マブロマティス委員の最終発言


(マブロマティス委員) 議長、ありがとうございます。大型の代表団による完全な協力により、我々は良い対話を持つことができました。一般的に、人権や基本的自由が日本では「健康的に」尊重されているように思われます。議長、日本では、前回の審査において指摘された問題において、一定の進展があったと思います。しかし、その進展は、規約が実際に求めているものよりも、さまざまな問題に一貫して対処しなければならなかったという、規約上の国際的義務を制限するという傾向によって、阻害されてきたように思われます。私は、これらのことが、今回の審査での討議内容に照らして、さらに考察されることを希望するものです。


 残念ながら、以上のことは、人々が最も不利益を受けている部分、すなわち婚外子、在日朝鮮・韓国人、部落民、その他の問題に関連することとなり、また首尾一貫性がないという問題と妥協する結果となりました。


 さらに改善の余地があるその他の分野は、死刑の問題、長期間に及ぶ拘禁、死刑囚の長期的拘禁期間等です。警察での勾留、弁護士との勾留時の接見、一般的に刑事裁判や上訴における遅滞、また特別審判所や委員会における遅滞の問題もあります。私は、改善のための政治的意志はあると思っています。また、次の定期報告書においてまず行われるべきことは、当委員会に対して、以上の事柄が改善されたということ、すなわち(規約と日本の実態との)首尾一貫性の不存在に対処したことについて報告していただきたい、ということです。


 また、そうするための最善の方法は、選択議定書の批准です。そうすることが、人権を最も尊重している国に求められることです。代表団が無事に帰国されることを祈念しております。また、完全にご協力していただいたことに対して、心からお礼申し上げたいと思います。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) マブロマティスさん、ありがとうございました。次の発言者は、ヌジャーイェさんです。


(130)ヌジャーイェ委員の最終発言


(ヌジャーイエ委員) 議長、ありがとうございます。ごく簡単に日本代表団にお礼申し上げたいと思います。対話は、非常に実り多いものであった、と感じています。第2回定期報告書が提出された時と比べると、状況はかなり改善されたと思います。しかし、選択議定書とアパルトヘイト条約が批准されることを勧告したいと思います。シャネさんが言われたように、日本は、非嫡出子に対して特に留意する必要があると思います。同様に、女性、韓国人(正確には「台湾人」)の元軍人、一定の労働者の状況、特に「スタハーノフ式の労働」(能率をあげた労働者だけを厚遇する雇用関係)が行われている工場についても留意すべきです。


 以上が私の申し上げたいことですが、また、ララー氏の発言のすべてにも同感であります。代表団は、今日の午後において、私の質問には答えられませんでしたが、それは時間が足りなかったためであると思います。しかし、いずれにしても安藤氏と連絡を取りつつ、彼から補足的な情報を受けたいと思います。代表団が無事に帰国されるよう希望するとともに、またしばらく滞在される方の滞在が良いものとなることを希望しています。ありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) ヌジャーイェさん、ありがとうございました。ポカールさん、発言をどうぞ。


(131)ポカール委員の最終発言


(ポカール委員) 議長、ありがとうございます。議長、私も、日本代表団に対して、この委員会における対話に「参加」された仕方に関して、心からお礼申し上げたいと思います。非常にすばらしいものでした。私は、同僚により既になされた懸念の表明に関しては言及いたしません。また、私が一定の事項について既に行ったコメントも繰り返しません。私が取り上げた問題に対する回答は、ごく一部分において説得力を持つものにすぎず、日本法において依然として存在している差別が行われている一定の領域を考慮すると、その救済方法のシステムが、法と規約とに完全に一致するようなかたちで改善されるべきであります。


 しかし、この点に関してこの2日間の報告書および討議から学んだように、私は、日本におけるここ数年の改善が目に見えるものであり、また顕著なものであった、と考えています。また、我々の懸念が権限ある当局によって適正な考察を受けることになり、それによりいっそうの改善が行われるもの、と信じております。


 最後に、日本がほどなくして選択議定書を批准することを希望します。また、この2日間において与えられた説明が、この点に関して役に立つよう期待しています。議長、ありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) ポカールさん、ありがとうございました。では、セリさんの発言をお願いします。


(132)セリ委員の最終発言


(セリ委員) 議長、ありがとうございます。非常に有効な対話であったと思います。この2日間において、日本が行った報告により、状況を改善していることについて多くのことを知ることができました。しかし、人権において、この委員会に出席している代表団も我々委員も皆、さらになされるべきことが非常に多く存在しているということを感じていると思います。対話の目的は達成されたと思います。あなたがたは、今や、委員会の懸念について知ることができたと思います。それらは、国際人権委員会の懸念であることは確かなのです。日本の報告書を、規約の規定のそれぞれに関して行われた我々のコメントと比較していただければ、日本における人権を改善するという主たる目的のために、多くの重要な批判があったということに気付いたことと思います。


 もう1つ申し上げたいことは、私は、日本の人権に関する報告書を非常に重要なものであると考えている、ということです。というのは、前に述べたように、日本は本当に指導者たる国であるからです。すなわち、民主主義のリーダーであり、平和主義のリーダーであり、経済のリーダーであり、技術のリーダーです。したがって、人権のリーダー、特に、人権が保障されている顕著な国の例として、アジアという地域におけるリーダーであってもらいたいのです。


 私は、國方氏をはじめ、日本政府代表団が無事に帰国されること、またこの集中的な対話が行われている場に参加された人権NGOの方々にも同様に無事に帰国されるよう祈念しています。ありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) セリさん、ありがとうございました。では、フランシスさん、発言をどうぞ。


(133)フランシス委員の最終発言


(フランシス委員) 議長、ありがとうございます。最終的発言に際して、まず後藤氏に対して条約法に関するウィーン条約についての私の質問にお答えいただいたことに心からお礼申し上げたいと思います。しかし、憲法が条約に優先するという考え方について、立法による解決が残されていると思います。それについては、非常に多くの委員から意見が出されました。日本における法制度の中で規約にその正しい地位を与えることが重要なのです。


 また、報告書および我々へのコメント、さらに我々の意見に対する回答に対して、代表団の方々全員にお礼申し上げます。しかし、このようなことにもかかわらず、非常に大きな懸念を持っています。それは、規約上の義務を実施するにあたって、日本は改正の熱意をもってそれを行っていないように思われ、また「憲章」自体の精神に従おうとしていない、という事実に基づくものです。残念ながら、それは日本に影響を及ぼしている社会的問題に関わる責任であると言わざるを得ません。たとえば、報告書215項に報告されているような「福祉犯罪」にも表れています。代表団に、非常に高い割合の福祉犯罪が(婚外子として公的に差別されている)青少年について生じている、と考えて良いのかどうか検討するようお願いしたいと思います。この問題を心に止めておきたいと思いますし、日本がこの点に関してその立場を再検討されるよう希望するものです。


 あと、私が是非お願いしたいと考えていることは、セリ氏が先ほど言われたことと同じです。ここで、私は、メモを参照して発言したいと思います。日本は、ドルに換算しても、技術上も、専門性の点でも、また非常に熟練した労働者という点でも、非常に豊かな国です。人権の側面において、日本は幸いなことに意識的、貢献的、ネットワークを持ったNGOを持っています。これらのNGOは、人権という光を東洋に当てる際に、日本のために役に立つ用意があるように思われます。日本は、このような指導力を発揮する機会を逃さないためにも、NGOの皆さんを用いることになる、と思います。あとは、同僚と同様に、皆さんが良い旅をされること、また今始まったこの有効な対話を次の機会にも持つことができるよう希望しています。議長、ありがとうございました。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) フランシスさん、ありがとうございました。次の発言者は、アギラー氏です。


(134)アギラー委員の最終発言


(アギラー委員) 議長、ありがとうございます。簡単に述べたいと思います。同僚委員が完全にあらゆることに関して発言されたので、私は、ほとんど付け加えることはありません。しかし、同僚と同様に、死刑が広範な犯罪に科されているということに関して、私の懸念を表明したいと思います。また、「ダイヨー・カンゴク」での拘禁、日本の社会に存在しているまざまな形態の差別、特に婚外子差別、労働組合、日本軍人として戦争に参加したにもかかわらず、外国人として、今日、さまざまな利益を受けることができていない人々、に関しても懸念しています。以上のことを申し上げた後で、日本の政府が規約の内容を実現する際に「世論」に依拠している、ということにも懸念を表明したいと思います。しかし、代表団に対しては、優れた報告をされたことについてお礼申し上げます。また、無事に帰国されるよう念じております。


(135)ヒギンス委員の最終発言


(ヒギンズ委員) 議長、ありがとうございます。まず、國方氏に代表される代表団がすばらしい報告をされたこと、および我々にさまざまな情報を提供して下さったことに関して、お礼申し上げます。私も、さまざまな問題について懸念を有しております。最後の発言の機会ですが、非嫡出子の問題、国籍条項に関して今なお継続している問題、また日本の立場をより良く説明する文書による回答などがあり、もちろん我々はそれらを注意深く読むつもりでいますが、しかし、本日は審査の最終日ですので、問題は、我々が日本の立場を十分に理解することができたのかどうか、あるいはまた日本の(慣行が)規約を遵守するものであるのかどうか、ということです。したがって、そのことを念頭に置きたいと思います。


 私に残されている1分30秒を使って、我々に提供された最終段階での日本政府の回答に関して、私は、2、3のコメントをしたいと思います。代用監獄に関しては、私が申し上げたいことですが、我々が以前に理解していたことに1、2の新たな事柄を提供してくれた情報をよく吟味してみると、もし日本が、文書上ではなく、実際上の(捜査と拘禁の)分離を望むのであれば、次のことが含まれなければならないと思います。第1に、取調べの全過程を通じて弁護人を利用できなければならないということ。第2に、被疑者・被告人および弁護人の両方に、「取調べの時間」および「そこで行われたことのすべて」に関する記録が利用可能なものとされなければならないこと。第3に、取調べ時間の制限がなければならないこと。取調べは、日夜、朝食後から就寝時間後まで続くのであれば、非常に問題があります。また、私としては、以上のようなことが代用監獄の独居拘禁の状態で行われないようにすることが最善である、と思います。つまり、未だ何も有罪とされていない者に対して、長期化した独居拘禁が行われることがあってはならないのです。


 最後の回答に対する私の第2の結論は、第6条の関係で、特に死刑囚の独居拘禁、接見が許されないこと、(死刑執行に際して)まったく家族には連絡されないことなどに関してうかがった回答により、私は本当に困惑しているということです。私は、何らの躊躇もなく、これらのことがすべて規約に一致するものではないということを断言することができます。


 思うに、是非ご理解いただきたいのですが、一般的に、日本では人権が尊重されておりまた人権の進展も明らかであり、一層の発展のために真剣な検討が行われていることも確かですが、(この委員会の)要約記録が(今回は)作成されないということを本当に残念に思います。何故なら、我々はかなり短い文書の形で(審査内容を)示すことになるからです。日本にとって、また日本の政府の方々に対して、我々が提示した詳細な理由を目の前に示すことができれば本当に良いのに、と思っています。しかし、残念ながらそのようにはならないようです。しかし、我々としては、この対話が有効なものとなったことを希望しています。我々にとっては、確かに有効でした。どうもありがとうございました。


(136)ディミトゥリエヴィッチ議長のまとめの発言


(ディミトゥリエヴィッチ議長) ヒギンズさん、ありがとうございました。私も、3分以上発言することを控えたいと思います。どんなに時間があっても、感謝の気持ちを表すためには足りません。委員会全体に代わり、代表団全員による用意周到さに対し、代表団の時間・勤勉・忍耐に対し、委員会の委員が提出した質問に回答されようと努力されたことに対し、感謝したいと思います。


 もちろん、委員会は、日本における人権の状況に関する報告書について、また日本における人権規約の実施について、別の手続によりその最終コメントを作成します。そして、それは公的なチャンネルを通じてこの会期の終了以前に日本政府に送付されます。それ以前において、私としても、皆さんが多くの機会にお分りになったことと思いますが、委員会が(代表団の報告・回答から)得た印象では、日本では規約を遵守するための真剣な努力が行われている、ということを申し上げたいと思います。


 にもかかわらず、いくつかの点において困難が存在しており、それはさまざまな場面での差別であり、死刑に関する問題であり、警察・その他の拘禁の問題であり、労働に関連する問題、またおそらくは少数民族の問題であります。また、皆さんは多くの委員の希望を聞かれたわけです。もちろん、日本の政府および立法府に対する勧告に過ぎないものですが、日本による第1選択議定書の批准という問題もありました。


 さらに、審査の過程において、我々が最もエンジョイすることができたのは完全なる対話であり、また対話の中で非常に重要なことが話し合われました。この対話こそ留意されるべきことであり、それについてともに考えるということが重要なのです。我々は、事実に関する異なった情報に興味を持っているわけではありません。それは容易に修正されうるものです。しかし、委員と代表団との間において、ある問題に対する異なった思考または規約の規定の解釈の仕方の違いがあり、我々としては、委員会において規約が解釈される仕方が日本における規約の解釈となることを希望するものです。


 我々の会議は公開です。私はここで留意しておきたいのですが、非常に多くの個人や日本のNGOを代表される方々が、この部屋のみならず隣室にもおいでいただいているということこそ、日本における人権に対する重要かつ強力な興味関心が存在するということの証左である、ということです。つまり、報告手続に対する政府の誠実なアプローチがあり、また報告書および委員会による審査が政府により公表されており、それによって人々がここに来られることにもなったのであり、さらにそれによって委員会の審査にも完全性が付与されることとなり、したがって会議も公開で行われる意義があった、と我々も考えています。


 この会議を終了するにあたり、我々により多くの時間を可能としてくれた通訳の方々にお礼申し上げたいと思います。この仕事のために、我々や傍聴者が会議内容を理解することを可能として下さった日本語通訳にもお礼申し上げたいと思います。委員会全体に代わり、日本政府代表団が無事に帰国されるよう祈っております。この会議を終える前に、日本代表団の方で最終発言の希望がありましたらどうぞ発言してください。國方さん、発言をどうぞ。


(137)日本政府代表の最終発言


(國方、外務省人権難民課長) 議長、ありがとうございます。議長および人権委員会の著名な委員諸氏、我が国の第3回定期報告書の審査が終わろうとしています。本日および昨日の建設的対話は、代表団にとって非常に有効かつ有益なものでした。我々はジェットラグを克服することのみならず、言語上の不利も克服しなければなりませんでした。しかし、著名な委員諸氏の取り上げられた質問に回答することができたのではないかと願っています。我々は、ディミトゥリエヴィッチ氏およびヴェナーグレン氏という有能な議長の司会の下に対話が行われた真摯な態度に、心から感銘を受けました。我々は、委員諸氏が表明された見解や意見に留意し、また我が国の政府の将来の作業において、それらにしかるべき考慮を払いたいと考えております。最後に、日本政府に代わり、委員会の重要な仕事においてますますご活躍いただきますよう祈念するものであります。議長、ありがとうございました。申し訳ありませんが、渡部氏に一言だけ発言させていただくようお願いいたします。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 渡部さん、発言をどうぞ。


(渡部、法務省国際課長) 議長、ありがとうございます。日本語で発言いたします。國方氏の発言に加えまして、一言だけ申し述べさせていただきます。いろいろな点についていろいろご指摘をいただきましたが、特にまた代用監獄制度についてご意見が出ましたけれども、時間の関係で私は全部について説明することができませんでした。しかし、「代用監獄制度の問題点」という文書を入念にお読みいただければ、日本におけるこの制度について完全な理解ができるものと思います。後ほど、それを入念にお読みいただきますようお願いいたします。


(ディミトゥリエヴィッチ議長) 渡部さん、ありがとうございました。この会議を延会する前に、代表団にお知らせいたしますが、日本の第4回政府報告書は1996年10月31日までにご提出いただきたいと思います。また、その報告書において、検討されたすべての問題が扱われるよう希望するものです。どうもありがとうございました。これで会議を終わります。