日野町事件
事案の概要
1984年(昭和59年)12月29日朝、滋賀県蒲生郡日野町内の酒店店主の女性が行方不明になりました。自宅兼酒店の内部に争った形跡はなく、被害者と同居していた親族の女性も異変に気付くこともなく、被害者が「わしを置いて出て行った」等と述べていました。
翌1985年1月18日、同町内の造成地で被害者の遺体が発見され、同年4月28日、同町内の山林内で被害者所有の手提金庫が発見されました。これが、日野町事件について「間違いなく分かっていること」の全てです。遺体の状況から、被害者が殺害されたことは明らかでしたが、犯人が誰であるかという以前に、いつ、どこで殺害行為が行われたのか、まったく分からない状況でした。
警察は、1985年9月17日に、店内から検出された指紋が一致したことなどから、酒店の常連客であった阪原弘さんに任意同行を求めました。しかし、この時は、阪原さんは関与を否認し、同時に事情聴取された阪原さんの妻が、被害者が行方不明になった前の晩、阪原さんは知人方での酒宴に参加して泊まってきたとのアリバイを説明し、阪原さんは帰宅することができました。ところが、警察は、1988年3月9日に再度阪原さんを呼び出して、強圧的な取調べを続けて自白させ、3月12日に阪原さんを逮捕しました。その後も多数の自白調書が作成されたほか、阪原さんが金庫発見現場や遺体発見現場に捜査員を案内したとされる引当捜査の調書が作成され、検察官は、4月2日に阪原さんを強盗殺人罪で起訴しました。
経過と問題点
阪原さんは、第一回公判からは一貫して無実を訴えましたが、第一審(大津地方裁判所)は、1995年6月30日、有罪(無期懲役)の判決を言渡しました。ただ、同判決は、阪原さんの自白(自白調書)については、内容の変遷や不自然な点、他の証拠と矛盾する点があり「その内容に従った事実認定ができるほど信用性が高いとはいえない」、つまり自白を有罪認定の根拠とすることはできないとしています。そうであるならば、通常は有罪認定ができないことになるはずですが、裁判所は、自白以外の証拠から認められる間接事実を根拠として、阪原さんが犯人であると認めることができるとしたのです。この間接事実には、店内で指紋が発見されたことや、被害者の失踪前頃に被害者方近くで阪原さんを見かけたという証言など、阪原さんが被害者方酒店に出入りする常連客であり、近所に住んでいたことから考えれば、犯人と断定する根拠として疑問のあるものばかりでした。また、阪原さんのアリバイ(知人宅での酒宴への参加)について、知人らが否定するような証言をしたため、第一審判決は、阪原さんが「虚偽のアリバイ主張に固執」したことも間接事実であるとしました。しかし、本来、期待した証言が得られずアリバイの証明が成功しなかったことと、「虚偽アリバイの主張」をしたことは、まったく異なります。仮に、第一審判決の言うとおりならば、阪原さんは「最初から否定されることが分かっている架空のアリバイ」に固執したことになりますが、そのようなことをする真犯人がいるのかも疑問です。
控訴審(大阪高等裁判所)も、1997年5月30日、控訴を棄却し有罪の結論を維持しましたが、有罪とする根拠は第一審判決とはまったく異なりました。控訴審判決は、第一審判決が有罪の根拠とした間接事実は「それだけでは犯人と認める根拠とならない」とする一方、第一審判決が「信用性が高いとはいえない」とした自白については、「基本的根幹部分は十分信用することができる」から、自白と間接事実を併せれば有罪認定ができる、と判断したのです。このように、第一審判決は「自白は有罪の根拠とできない」が、「間接事実だけで有罪と判断できる」、控訴審判決は「間接事実だけでは有罪と判断することができない」が「基本的根幹部分は信用できる自白」と併せれば有罪と判断できる、として、証拠の評価がまったく逆となっていることが、日野町事件の大きな特徴であり、有罪判断の根拠の薄さを示しています。
控訴審判決に対して阪原さんは上告しましたが、最高裁判所は2000年9月27日に上告棄却の決定をし、有罪判決は確定しました。
阪原さんは、無期懲役囚として服役することになりましたが、2001年11月14日、大津地裁に第一次再審請求を行いました。第一次再審請求では、被害者失踪の前の晩に阪原さんが知人方に泊まっていたことを知人が改めて証言したことや、自白内容どおりの殺害方法と被害者の遺体の損傷状況が矛盾することを明らかにする法医学鑑定、自白内容どおりの手提金庫の破壊方法と、実際の手提金庫に残された工具痕が矛盾することを明らかにする工学鑑定など、数多くの新証拠が提出されました。第一次再審請求審の決定(2006年3月27日)は、これら新証拠に基づき、自白が客観的事実と整合しないことを何箇所にもわたって認めながら、その原因を「事件から3年以上経って逮捕された阪原さんの記憶が正確ではなかった可能性」にあるとした上で、自白の「少なくとも核心部分」は信用できるとして、再審請求を棄却しました。同決定の「少なくとも核心部分」とはどの部分を指すのか、必ずしも明確ではないのですが、「やりました」と言っている以上は具体的な中身が間違っていても有罪として問題はない、と言うにも等しい決定でした。
第一次再審請求棄却決定に対して、阪原さんは大阪高等裁判所に即時抗告をしましたが、即時抗告審の審理中であった2011年3月18日、阪原さんは無期懲役囚のまま亡くなられ、第一次再審請求は、最終的な結論を見ることなく、手続が終了しました。
阪原さんの遺族は、2012年3月30日に第二次再審請求を行いました。第二次再審請求審の冒頭、弁護団は、捜査の過程に関する疑問を明らかにするため証拠開示請求を行いました。裁判長は、当初、必ずしも証拠開示に積極的な姿勢とは言えませんでしたが、取調べの経過や引当捜査に関する証拠(引当捜査の際に撮影された写真のネガなど)については、検察官に提出を求めました。弁護団が開示された写真ネガを精査したところ、金庫発見現場の引当捜査の状況を記録した実況見分調書の写真は、順番が入れ替えられており、実際に金庫発見地点に捜査員を案内してたどり着くまでの写真ではなく、捜査員が最初から場所を知っている金庫発見地点から引当出発地点に戻る間に撮影した写真を「捜査員を案内している状況」として貼り付けられていたことが判明しました。
確定判決では、阪原さんが金庫発見現場を案内できたという事実が有罪の根拠として重視されていましたが、その根拠が、開示されたネガによって大きく揺らいだのです。これが大きな原動力となり、第二次再審請求審では、さらに証拠開示が進むことになり、引当を担当した当時の警察官や、自白による殺害方法と遺体の損傷状況の矛盾を明らかにする法医学者の証人尋問などを経て、2018年7月11日に再審開始決定に至りました。
これに対して検察官は、即時抗告の申立をしましたが、大阪高等裁判所は、2023年2月27日に検察の即時抗告を棄却し、再審開始の結論を維持しました。これに対して、検察官はさらに特別抗告申立を行ったため、現在は最高裁判所第二小法廷において審理中です。