「国旗・国歌」を強制する都教委通達を合憲とした東京高裁判決に対する会長声明

本年1月28日、東京高等裁判所は、都立学校の教職員らが、東京都と東京都教育委員会(都教委)に対し、国歌斉唱・ピアノ伴奏の義務のないこと等の確認と、式典における国歌斉唱・国旗掲揚を事実上強制する通達発出による損害賠償を求めて提起した訴訟について、原判決を覆し、教職員らの請求をいずれも却下・棄却する判決を言い渡した。


本件で問題とされたのは、都教委が2003年10月23日付けで、卒業式、入学式等の式典において、教職員に対し「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」こと、「ピアノ伴奏をする」ことを命じ、それに従わない場合は、服務事故として処分するとした上記通達の合憲性及び国歌斉唱などの義務不存在の確認の可否であった。


一審の東京地方裁判所は、「起立したくない教職員、斉唱したくない教職員、ピアノ伴奏したくない教職員に対し、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱等させることは、いわば、少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置であると思料する」として、国歌斉唱などの義務がないことなどを認め、憲法上の思想・良心の自由を尊重する判断を示していた。


これに対し、今回の東京高裁判決は、国歌をピアノ伴奏する義務の有無が問われた最高裁判所の判決(2007年2月27日)を無批判に踏襲し、君が代斉唱などが「直接的にその歴史観等を否定する行為を強制するものではないから、客観的にはその歴史観等と不可分に結び付くものということはできない」として、教職員の思想・良心の自由は侵害されないと判示した。


しかし、個人の内心の精神的活動は、外部に表出される行為と密接に関係しているものであり、自己の思想・良心を守るためにとる拒否の外部的行為は、思想・良心の自由の保障対象となるのである。そして、君が代については、大日本帝国憲法下において天皇主権の象徴として用いられた歴史的経緯に照らし、現在においても君が代を歌うこと自体が自らの思想・良心の自由に抵触し、抵抗があると考える国民が少なからず存在しており、こうした考え方も憲法19条の思想・良心に含まれるものとして憲法上の保護を受けるものと解されるから、君が代斉唱などを当然に受忍すべきものとすることは、憲法の思想・良心の自由の保障等の意義を没却するものと言わざるを得ない。また、教育とは、旭川学力テスト事件最高裁大法廷判決(1976年5月21日)も述べるように、「教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われ」る「人間の内面的価値に関する文化的営み」であり、だからこそ、「教育内容に対する国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請され」、子どもの学習権を確保するためにも、教師の自由な創意と工夫の余地が確保されなければならないのである。教師に対し国歌斉唱やピアノ伴奏を強制することは、結局のところ教師の自由な創意と工夫を大きく阻害することにつながるものであり許されないと考える(当連合会2007年2月16日付け「公立の学校現場における『日の丸』・『君が代』の強制問題に関する意見書」、2010年3月18日付け「新しい学習指導要領の問題点に対する意見書」)。


当連合会は、上記のような観点から、国旗・国歌の強制に対し、上記意見書を発表するなどして、警鐘を鳴らしてきた。当連合会は、本件の上告審において、最高裁が、外部的行為が内心的自由の表出であることを受け止め、日本国憲法及び国際人権法の水準にかなう判断を行うよう求めるものである。


2011年(平成23年)2月9日

日本弁護士連合会
会長 宇都宮 健児