脳死及び臓器移植に関する諸問題についての答申について

今般、「臨時脳死及び臓器移植調査会」は、2年にわたる調査審議の上、「脳死及び臓器移植に関する諸問題」について内閣総理大臣の諮問に対して答申しこれを公表した。


この答申は、いわゆる「脳死」を「人の死」と認めた上で臓器移植を行なえるとする多数意見の他に、「脳死」を「人の死」とすることに賛同しない立場の少数意見を包含するものである。国民一人一人の生と死にかかわる重要問題であるから、ことがらの性質上、多数決で決すべきものではない。この種調査会の答申として異例とはいえ、社会に存在する2つの考え方を区別して示し、答申の読者である国民に判断を委ねたものとすれば、答申のこの姿勢は評価に値する。


しかし、答申において多数意見は、「脳死」は医学・生物学的に「人の死」とするのが合理的であるともいい、1991年6月発表の中間意見書記載の意見からさらに進んで「脳死」をもって「人の死」とすることは「概ね社会的に受容され合意されている」と述べているが、果たしてそれでよいのだろうか。


日本弁護士連合会は、1991年9月、同調査会の中間意見に対する意見書を発表した。同意見書は、この問題はまず「和田心臓移植」が人権侵害であることを認識し原因究明の上、再発防止のため医学界が医療全般について患者の権利の確立に向けた体制を構築すべきこと、脳死の定義はもっとも厳格な全脳の壊死をもって定義とし、脳循環・代謝の途絶を確認すべきこと、判定方法を確実慎重なものにすべきこと、「脳死」を「人の死」とすると人権侵害の危険性があり、検視規則その他数多くの現行諸法規との整合性の検討が必要で、「脳死」を「人の死」とする新しい社会的合意は成立していないことを強調した。答申の多数意見は、「その事柄に正当性、説得性があること」を社会的合意の条件と明記しているが、「脳死」を「人の死」とする論理的根拠は薄弱であり実感としても納得できないとの少数意見の問い掛けに正面から答えていない。従って、多数意見の立論によっても社会的合意は成立していないと言わざるを得ない。


また、当連合会が、現行諸法規との整合性が必要であることを指摘したにもかかわらず、検討の跡が見当たらないのは遺憾である。


「脳死」状態からの臓器摘出・移植について、答申は、ドナー本人の意思が最大限に尊重されねばならず、ドナー本人の意思に基づいてのみこれを行なうことを認めるとの意見を纏めている。これは「脳死」を「人の死」とする社会的合意が成立していない立場から見ると、当然の帰結である。また、現行の角膜及び腎臓の移植に関する法律が「遺族」の権限を突出させていることに対し、根本的な反省を迫るものであり、その文意に多少明確さを欠くとしても、答申の少数意見のドナーに関する条件の記述でこれを補えば、答申を積極的に評価し得る。


当連合会の上記意見書が「脳死臨調のあり方と今後の国民的議論に向けて」で提案したにもかかわらず、調査会における審理の公開が不十分であったことは、答申の説得力を低めるものであることは否めないが、そこで提案したことは今後もなお有意義であると信ずる。医学界内部の論議、専門家と非専門家の対話を含む国民的議論が、答申をきっかけに十分に行なわれ、「脳死」移植に関する社会的理解が深まることを期待したい。


同時に、この答申を受けた政府が、社会的論議を深めるため努力されることを要望するものである。


1992年(平成4年)1月22日


日本弁護士連合会
会長 中坊公平