「有事法制」法案の今国会上程に対する理事会決議

2002年3月15日
日本弁護士連合会


政府が今国会に上程し,成立を期している「有事法制」法案は,わが国が武力攻撃される事態および武力攻撃に至らない段階(以下「有事等事態」という。)において,自衛隊および駐留米軍が効率的・効果的に対処することを中心とし,わが国における有事法制の基本的あり方を定める「基本法案」と関連法案とからなるものである。


この「有事法制」法案は,「有事等事態」であることを理由に,私有財産の徴発,国民に対する役務の徴用,国民の諸活動の規制を行うなど,憲法が保障する国民の基本的人権を制限し侵害するおそれがある。


同時に「有事法制」法案は,憲法の平和主義の原則,憲法第9条の戦争放棄,軍備および交戦権の否認に抵触するおそれがあり,政府の対処によっては,他国の招来した戦争あるいは武力紛争にわが国が巻き込まれ,人々の生命,身体,財産に重大な危害を及ぼす事態も想定される。


さらに,「有事法制」法案は,第二次世界大戦の反省を踏まえた平和主義・民主主義国家としてのわが国の基本的あり方やアジア諸国との友好関係に深く関わりをもつものである。


このように「有事法制」法案は,憲法上も基本的人権上も重大な問題を有し,わが国の基本的進路を左右しかねない重要法案であり,国民の中でも賛否が大きく分かれることが予想される。


かかる重要法案については,当然政府は国会上程に先立ち,主権者である国民一人ひとりが同法案の内容と必要性を慎重に見極めることができるよう,国民に法案の具体的内容を明らかにすべきであり,国民的論議を尽くしてその意見状況を踏まえた上で,法案の内容を決定し,国会上程の適否を判断すべきである。


しかるに「有事法制」法案は,未だ具体的内容が国民に開示さえされておらず,国民がその内容および必要性について慎重に検討して意見を述べる機会が全くないままに,国会に上程されようとしている。


遺憾ながら,今回の「有事法制」法案の上程は,国民主権に基づく民主的手続を尽くしておらず,性急・拙速であると言わざるをえない。


当連合会は,以上の理由に鑑み,政府が「有事法制」法案を今国会に上程することに反対する。


提案理由

1. 法案の基本的性格

政府は,3月末を目途に国会に「武力攻撃事態への対処に関する法案」(仮称)を上程しようとしているが,その具体的内容はもちろん大綱も未だ明らかにされていない。


2002(平成14)年1月22日,内閣官房が自民党に提示した文書「有事法制の整備について」によると,法案はわが国が「武力攻撃される事態および武力攻撃に至らない段階」に対処することを目的とするものであり,そのような事態において自衛隊および米軍が円滑に行動することを確保することを内容とするものである。法案は,有事法制の今後のあり方に関する基本方針を含む総則規定と,防衛庁が所管する法令(第1分類),他の省庁が所管する法令(第2分類),所管省庁が不明な法令(第3分類),米軍の行動の円滑化のための法令などについての個別規定を含むものと報じられている。


報道によると,2月5日,政府と与党は今国会に提出する有事法制整備の基本方針について合意し,法案を有事対応の理念や枠組を示す「基本法」的規定と,自衛隊法改正案などの個別改正規定を一体化した「包括法」案として提出するとの方針を確認したとのことである。 


したがって,政府がすでに検討を終えているとされる上記第1分類および第2分類については,地方分権推進法のような形で多数の法令改正が一括して規定される可能性が高い。


具体的には,自衛隊についていうと,自衛隊法103条(防衛出動時の病院などの管理,土地・家屋・物資の使用,業者への物資の保管命令,収用),104条(電気通信設備の利用等)などの条項を効率的・効果的に実施するため,多数の関係法令の改正が盛り込まれることが予測される。そしてこれらの実施規定は,その実効性を確保するため,刑罰等による制裁措置を伴うものと予測される。駐留米軍についても,同様の関係法令改正が予測される。


このように「有事法制」法案は,わが国における有事法制の今後のあり方・基本方向を決定づけ,わが国が国内外で武力または軍事力を行使する体制の整備を図るものであると同時に,必然的に憲法が保障する国民の財産権・自由等の基本的人権を制限・規制するものとなる。


2. 基本的人権を侵害するおそれ

「有事法制」は,「有事等事態」に効率的・効果的に対処するため,憲法の保障する適正手続を省略して,通信・交通・情報・運送の統制,医師・看護婦・技術者等の人的徴用,私有地・公有地の徴用,物資輸入・製造・販売の統制等を行うことにより,基本的人権の重要部分を制限するものであり,内容によっては基本的人権を侵害する危険性を有する。


また,有事法制に基づく政府の対処によっては,他国の招来した戦争あるいは紛争にわが国が巻き込まれ,人々の生命・身体・財産に重大な危害をおよぼす事態が想定される。


憲法が,「この憲法が国民に保障する基本的人権は,侵すことのできない永久の権利として,現在および将来の国民に与えられる」(11条,97条)旨宣言してることを考えると,「有事等事態」を理由に,憲法が保障した基本的人権・自由を制限・規制するには,その可否および要件と手続を厳格に審査,検討しなければならない。


3. 平和原則等への抵触のおそれ

憲法は前文において,「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意し」て主権が国民に存することを宣言し,「日本国民は,恒久の平和を念願し」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した」こと表明し,「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ,平和のうちに生きる権利を有することを確認」している。


その上で憲法第9条1項において,「国権の発動としての戦争の放棄と武力による威嚇または武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久に放棄する」と定め,2項において「前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」と規定している。


自衛隊の憲法適合性については,未だ有力な疑義が存するところ,「有事法制」は,自衛隊による武力または軍事力の行使の権限および範囲さらに拡大する法体制の整備を目的とするものであるから,憲法の平和主義の原則等に抵触するおそれがあり,とりわけ慎重な検討が必要である。


また,憲法原則に基づいたわが国周辺諸国との友好関係の構築・維持・発展という平時の安全保障外交の実践,確立こそ重要であり,有事法制の導入・整備はむしろ緊張を高め有事を誘発し国際関係における平和の維持・発展に障害をもたらすものではないかという問題も存し,この観点からも慎重な検討が必要である。


4. 国民主権と民主的手続

政府は,「有事法制」法案が以上述べたとおりきわめて重要な法案であるにもかかわらず,事前にその具体的内容を国民に明らかにしないまま,今国会に法案を上程して成立を図ろうとしている。


しかし,わが国をとりまく状況の中に,有事法制問題につき,わが国が期間をかけて国民的論議を行なうことを妨げるような状況を見出すことは困難である。


このことは,例えば,中谷防衛庁長官が「(有事等事態は)3年,5年のターム(期間)では想像ができないかもしれません」(2001年5月31日参議院外交防衛委員会)と述べ,小泉総理大臣も「現在のところ,ご指摘のような(日本が侵略をうける)事態について,わが国に脅威を与えるような特定の国を想定しているわけではない」(2002年2月8日参議院本会議)と答弁していることからも明らかである。


同法案が,基本的人権と民主主義の根幹,憲法にかかわる重要な問題を包含するだけに,当然政府は国会上程に先立ち,その構想する有事法制の具体的内容を国民の前に明らかにすべきであり,主権者である国民一人ひとりがその内容と必要性を見極めた上で判断できるように保障し,国民的議論を尽くし,その状況を踏まえて法案の内容および上程の適否を判断するという,国民主権に基づく民主的手続が不可欠である。


そうした民主的手続を抜きにして法案を国会に上程することは,国民を軽視するものであり,性急・拙速と言わざるをえない。


5. 結び

したがって当連合会は,現在政府が準備している「有事法制」法案について,国民に対し具体的な内容を明らかにし,国民が十分に論議をする機会を保障し,その意見を踏まえた上で同法案の内容をおよび上程の適否を判断すべきであるから,今国会に同法案を上程することに反対する。