「少子化社会対策基本法案」に対する意見書

2001年9月21日
日本弁護士連合会


現在の日本において、少子化対策が必要であることは共通の認識であるといえ、「少子化社会対策基本法案」が男女共同参画社会の形成とあいまって、子育ての環境整備を図ろうとしている点などは評価できる。


しかしながら、国の施策によって、国民、なかんずく女性の自己決定権、及び国民のライフスタイルの選択がそこなわれることがないよう、本意見書に指摘した点を十分議論し、修正等がなされるべきである。


第1 はじめに

1990年に我が国の女性の合計特殊出生率が1.57に下がり、その後も急速な少子・高齢化が進んでいるが、このような事態に危機感を抱いた超党派の議員が「少子化社会対策議員連盟」を作り、少子化の進展に歯止めをかけるべく本法案を策定した。


1999年12月に衆議院内閣委員会に付託されたが廃案となり、改めて2001年6月19日に衆議院に提出され、8月7日に内閣委員会に付託されている。


当連合会は、これまで各種女性の権利に関する条約・法令等について意見を述べてきており、少子化対策が出産・育児という女性のライフスタイルに重大な影響を与えるものであることに鑑み、意見書を取りまとめた。


第2 法案の問題点

1. 立法理由と理念(法案前文)

意見の趣旨

法案は、少子化の原因分析が不十分かつ恣意的であり、国民の意識の変革を強調するあまり、女性の自己決定権に対する認識を欠いている。これは、世界的に確立されているリプロダクティブ・ヘルス/ライツの流れに反するものである。


意見の理由

(1) 環境整備と国民の意識との関連について


本法案は、少子化の対策として前文で「家庭や子育てに夢を持ち」ということを述べ、少子化の進展に歯止めをかけるためには、子どもを安心して生み育てることができる環境の整備と並んで、国民が家庭や子育てに夢を持つことを挙げている。しかし、国民の意識の改革を、環境整備と同列に論ずるべきではない。


1997年10月に発表された人口問題審議会の「少子化に関する基本的考え方について」(以下「人口問題審議会の報告書」という。)の中では、少子化の要因を「育児の負担感、仕事との両立の負担感等が女性の未婚率を上昇させて」おり、また結婚した夫婦でも「育児の負担感、仕事との両立の負担感のほか、経済的負担などが理想の子ども数を持たない要因」と分析している。従って、少子化の真の原因は、子育てと仕事の両立等のための環境が整っていないこと、育児が負担になるような社会の状況にあるのである。


さらに、上記報告によれば、夫婦の平均出生児数は平均理想子ども数を下回っており、理想子ども数は2.6人であるのに対し、実際の出生児数は2.2人に過ぎない。


また、平成10年版厚生白書によっても、18歳以上40歳以下の男女を対象とした、どのような子育て支援策が取られたら理想子ども数を持とうと思うか、のアンケートでは、子育てに理解のある職場環境の整備と保育所の充実という仕事と家庭の両立支援策をあげた女性が多く、特に子どものいない女性では、職場環境の改善に対する期待が非常に高くなっている。国民の意識調査では、たとえもっと子どもが欲しくても、現実の日本社会がそれを許さない環境にあることを示しているのである。


我が国の社会・経済制度の根底に男女の固定的役割分担意識が根強く存在し、そのことが、労働環境や家庭において、女性が子育てと仕事を両立させることを困難にしている。国や地方公共団体は、男女が望むときに子どもが持てるよう施策を講ずるべきである。


また、上記人口問題審議会の報告書も、このような少子化の要因が生まれた背景について、「個人の生き方の多様性、女性の社会進出とそれを拒む固定的な男女の役割分業や雇用慣行等がある」と結論づけている。


(2) 女性の多様な自己決定権の尊重との関連について


少子化社会にあっても、女性が結婚するか否かを含めた多様なライフスタイルを選択すること、子どもを持つか否か、何時、何人持つか(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)等、女性の自由な選択を尊重することが重要であることは論を待たない。日本が、急速な少子化社会となった背景には、女性の自由な選択に対する社会の偏見と差別意識が根強いことにも起因する。


平成10年10月30日付「少子化の対応を考える有識者会議-働き方分科会報告書-」の中でも指摘されているように、女性の社会進出の高まりは、出生率の低下と不可避的に結びつくわけではなく、OECD諸国のように、女性の就業率が高く、女性の自己決定権が尊重され、男女共同参画社会が実現している国ほど、むしろ出生率も高い。先進国における合計特殊出生率は、日本1.43(1996年)に対し、フランス1.71(1997年)、スウェーデン1.61(1996年)、イギリス1.71(1995年)、アメリカ2.06(1996年)である(平成10年版厚生白書)。上記人口問題審議会の報告書も、北欧諸国など男女の共同参画の進んだ諸外国における最近の出生率は、1980年代に比べて高い水準となっていることを指摘している。


また、我が国では、夫婦同姓が強制されていることから、選択的夫婦別姓制度の導入までは事実婚を選択している夫婦も増えてきている。これらの夫婦の中には、民法改正まで出産をひかえている夫婦も多い。


このように、出産や結婚の選択の幅を狭め、多様な生き方を認めない社会のあり方が少子化の一因となっているにもかかわらず、本法案では、そのような視点が弱い。人口問題審議会の報告書にあるとおり、「妊娠、出産に関する個人の自己決定権を制約してはならないことはもとより、男女を問わず、個人の生き方の多様性を損ねるような対応はとられるべきではない、ということが基本的な前提である」ことを前文にも明記すべきである。


2. 目的(法案第1条)、施策の基本理念(第2条)

意見の趣旨

少子化の要因に対する対策が必要であることは否定はしないが、目的、基本理念に女性の選択・自己決定権の視点が欠如しており、これらを明文化すべきである。


意見の理由

本法案は、立法趣旨を述べている前文や第1条の(目的)、第2条の(施策の基本理念)のいずれの法文にも、少子化対策において、「女性を含む個人の選択を損ねてはならない」という趣旨の文言がない。すなわち、人口問題審議会の基本的考え方の中にも明記されているように、「少子化の要因への対応のあり方を論ずるにあたっては、繰り返しになるが、妊娠、出産に関する個人の自己決定権を制約してはならないことはもとより、男女を問わず、個人の生き方の多様性を損ねるような対応はとられるべきではない」と明記されていたのであるが、このような「個人の選択の尊重」の視点が欠けている。


本法案が述べるとおり、少子化対策として仕事と育児の両立可能な環境の整備を目指すことは重要であるが、対策自体が結婚や子どもを持つことを奨励し、個人の選択に対する干渉・抑圧となってはならない。対策は、あくまでも環境整備にとどまるものであって、ライフスタイルの選択に一つの方向性を与えるようなものであってはならないのである。


このように、女性が結婚するか否か、子どもを持つか否か、持つとすれば何人か等を含む多様なライフスタイルを選択する権利があることは、北京世界女性会議やカイロ人口会議で世界的に明確に示されてきている。すなわち、1994年の国際人口開発会議のICPD行動計画では「差別・強制・暴力を受けることなく、生殖に関して決定を下す」権利が女性にあることを明言し、1995年の北京世界女性会議での行動綱領でも同様に「生殖の自由に関する決定はカップル及び個人の自由」であることを、それぞれ繰り返し述べているのである。さらに、1999年成立の男女共同参画社会基本法第4条にも「社会における制度は慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響をできる限り中立なものとするように配慮されなければならない」とあり、本条文は男女共同参画プラン・同ビジョンにある個人の多様な生き方を国が妨げてはならず、国の制度は多様な生き方から中立でなければならないという趣旨を条文化したものであるところ、もっとも個人的選択であるべき結婚・出産については、当然男女の選択に委ねられ、国の制度は中立であるべきことを規定している。


にもかかわらず、少子化の対策という名目の下に、カップルや女性の選択が基本になるということに一切触れずに少子化対策を講じることは、女性の自己決定権を軽視し、ひいては抑圧するものである。女性の多様な生き方を認め、いかなる選択をしても不利益を被らないような施策をとることこそ女性が安心して子どもを産み育てる環境づくりにつながり、ひいては少子化の要因を除去することになるのである。


従って、女性の自己決定権が基本であることを明記していない各条文については反 対である。


3. 施策の基本理念(法案第2条1項)

意見の趣旨

国の責務として、法案第3条に定める総合的施策策定・実施の責務に加えて、法案第2条の施策の基本理念の中にも、子育ての責任については、国が父母その他の保護者の養育を援助する等の責任を負うことを盛り込むべきである。


意見の理由

法案第2条1項は、少子化に対処するための施策は、「父母その他の保護者が子育てについての第一義的責任を有するとの認識の下」になされるとしている。しかし、少子化の原因の一つが育児の負担感と仕事の両立の困難にあることは上述のとおりであるから、子育てについて国が個人を援助する等、国にも責任があることを明記すべきである。このことは、我が国も批准している子どもの権利に関する条約第18条2項に「締約国は、この条約に定める権利を保障し及び促進するため、父母及び法定保護者が児童の養育についての責任を遂行するに当たりこれらの者に対して適当な援助を与えるものとし、また、児童の養護のための施設、設備及び役務の提供の発展を確保する」と規定されているとおりである。


4. 国民の責務(法案第6条)

意見の趣旨

家庭や子育てに夢を持つことができる社会の実現に資するよう努めることまでを一律に国民の責務とすべきではない。


意見の理由

法案第6条は、「国民の責務」として、「国民は家庭や子育てに夢を持」つことができる社会の実現に資するよう努めることを掲げる。しかしながら、本条は、結果的に個人の多様なライフスタイルの選択を否定し、国民に「子どものいる家庭」という家族像を押し付けるものとなりかねず、以下の問題点を内包している。


まず、本条は、「家庭や子育てに夢を持つ」という一定の価値観を持つことを「国民の責務」として間接的に国民に課すものであることから、憲法の定める思想信条の自由や幸福追求権等の基本的人権と相容れないという問題がある。


さらに、本条によれば、婚姻や出産に関する自己決定権の尊重という確立した考え方も否定されかねない。既に述べたように、結婚や妊娠、出産が個人の自己決定権に委ねられるべき問題であることは、カイロ人口会議等を経て国際的に承認されており、1989年に国連総会で採択された国際家族年宣言でも、「一国内、あるいは国によって《理想の家庭像》も大きく異なる。政府は、家庭に関わる政策の遂行において、明示的であれ、非明示的であれ、唯一つの理想的な家庭像の追求を避けるべきである」と述べられている。


かかる考え方は、以下の例に見られるように、国内においても常に議論の前提とされてきた。すなわち、人口問題審議会の報告書では、「基本的な前提として、妊娠、出産に関する個人の自己決定権を制約してはならない」と述べ、「少子社会」をテーマに掲げた平成10年版厚生白書も「子どもを持つ持たないという女性の自己決定は十分に尊重されるべき」としている。さらに、橋本首相(当時)の指示で設置された少子化への対応を考える有識者会議が1998年11月に発表した提言でも、「個別の提案に先立ち、常に忘れてはならない基本的な留意点」として「結婚や出産は当事者の自由な選択に委ねられるものであり、社会が個人に対し押し付けてはいけない」ことが挙げられているのである。


しかるに、「家庭や子育てに夢を持」つことができる社会の実現に資するよう努めることを国民の責務として法律で定めようとする本法案第6条は、まさに、国際家族年が避けるべきであるとする、政府が「唯一の理想的な家庭像を追及」する危険性があり、少子化への対応を考える有識者会議のいう「結婚や出産は・・・社会が個人に対し押し付けてはいけない」との考え方に反する。すなわち、個人の自己決定権の尊重という、国際的にも国内的にも承認されてきた考えや潮流を否定するおそれがある。


以上のとおり、結果的に「国民の責務」として家庭や子育てに夢を持つことを定める第6条は、個人の価値観という非常にプライベートな問題を法律で規定しようとするもので、婚姻や出産に関する自己決定権の尊重という確立した考え方を否定し、憲法に抵触するおそれがある。また、前述したように、国民の意識よりもむしろ子どもを産み育てる環境の未整備こそが少子化の原因であることが、これまでの各種審議会等の分析から明らかであり、このような条項を定める意義も乏しい。従って、本条は十分議論のうえ、削除を念頭におき再検討されるのが相当である。


5. 保育サービス等の充実(法案第11条)

意見の趣旨

多様な保育形態の中で、幼稚園の充実のみを強調することは、均衡を失している。


意見の理由

法案第11条2項は、「保育において幼稚園の果たしている役割に配慮し、その充実を図る」と規定されているが、共働き家族ないしは母子または父子家庭にとって、幼稚園の果たしている役割があるのか疑問であるし、「幼稚園と保育所との連携の強化及びこれらに係る施設の総合化」とあるが、その内容は明らかではない。そもそも、幼稚園については、第1項について規定されており、あえて第2項を設けて幼稚園を重複して規定する必要はない。


予算が従前どおり、幼稚園に配分されることに異議を述べるものではないが、現在、保育所待機児が3万3千人(2000年4月時点)いる中、本法案は、まず保育所待機児童ゼロにすることを目標とし、保育所の増加等に関する施策に予算を注入すべきである。


6. 母子保健医療体制の充実等(法案第13条)

意見の趣旨

現在の母子保健医療体制をめぐっては様々な問題点があるにも関わらず、不妊治療のみを強調することは適切ではない。


意見の理由

法案第13条2項は、不妊治療を望む者に対する良質かつ適切な保健医療サービスが提供されるために必要な施策を講ずる国及び地方公共団体の責務が規定されている。本法案は、基本法であるにもかかわらず、不妊治療の規定が別項に規定され、突出している。


現在生殖医療技術の利用に対する法の制定準備作業が進められているが、いまだ国民の間で十分な議論がなされないままである。生殖補助医療は、不妊原因が男性にあっても女性が治療の対象になるものであり、特に、日本のように、女性に子どもを産むことを求める家族・親族・社会の圧力の存在が否定できない社会においては、慎重にこの問題に取り組んでいくべきである。


また、後述するように、正常出産に対する助成や周産期医療の充実が不十分な現状では、不妊治療に予算配分するのは、時期尚早である。すなわち、正常出産の場合、健康保険が適用されず、自己負担となっている。費用は、非常に高額である。また、小児科病院の数が減っており、小児科医の不足が深刻となっている。その原因は、現行制度が薬の使用が多いほど収入が増える制度になっていることから、薬を使う回数・量が少ない小児科医療は採算に合わないためである。このような薬や検査を偏重している診療報酬制度の問題もいまだ手付かずである。


法案は、妊娠と出産に関するサービスの提供と不妊治療を別々に規定し、不妊治療に対して、特別に1項さいている。しかし、前述のように解決しなければならない課題があり、かつ、不妊治療について国民的議論が不十分な現状があるので、不妊治療のみを特に重点的に取り上げるのは、適切ではない。


7. 教育及び啓蒙(法案第17条)

意見の趣旨

教育啓蒙を規定するのであれば、「家庭の役割」や「生命の尊厳」についてではなく、むしろ少子化の要因となっている性別役割分業意識の解消、多様な生き方の尊重、男女共同参画社会形成の視点こそ入れるべきである。


意見の理由

法案第17条1項では、「国及び地方公共団体は、生命の尊厳並びに子育てにおいて家庭が果たす役割及び家庭生活における男女の協力の重要性について国民の認識を深めるよう必要な教育及び啓発を行う」ことを規定している。ここでは「生命の尊厳」及び「子育てにおいて家庭が果たす役割」、「家庭生活における男女の協力の重要性」が強調され、この点に関する教育・啓発が必要としている。


しかしながら、前述したとおり、現在の少子化現象は非婚化、晩婚化や女性の社会進出、ライフスタイルの多様化などが影響しており、子育てにおける家庭の役割のみを強調しても問題は解決しない。子どもの権利に関する条約第18条においても、父母等が子育てに第一次的責任を有するとしつつも、国がその遂行のために援助すべき義務を定めている。従って、子どもの養育における家庭の役割のみを強調することは均衡を失し、かつ一面的である。むしろ、育児への負担感の増大や、仕事と家事育児の両立の困難が現代の少子化の大きな原因となっているとすれば、保育サービスの充実等をはじめとする、育児の社会化こそが現在の重要な課題と言える。


また、「生命の尊厳」については、母体保護法の改正論議において、中絶の経済的理由を削除する根拠として主張されていることから言っても、無制限にこの点を強調することは女性の産む、産まないに関する選択権(自己決定権)を侵害する方向に解釈される恐れがある。


むしろ、生命の尊厳への取り組みとしては、婚外子への差別を是正して子どもを産みやすい環境づくりを進めること、性教育(バースコントロールを含む)の充実などを検討すべきであろう。


男女が共に仕事と家事・育児を両立できるよう、国がその条件整備を図る責任を有していることは、ILO156号条約、同165号勧告、男女共同参画社会基本法等で明記されている。従って、教育、啓発に関して規定するのであれば、性別役割分業の解消、男女共同参画社会形成のための教育、啓発を規定すべきである。


8. むすび

本法案には、保育サービスの充実等、男女共同参画社会基本法の理念に沿った規定も存在するので、法案自体を全面的に否定するものではない。


しかしながら、上記に述べたような重大な問題点を含むものであるので、当連合会としては慎重な議論のうえ、修正等なされるよう求めるものである。