ハンセン病隔離法廷における司法の責任に関する決議

ハンセン病患者に対する強制隔離政策が90年間続けられた我が国において、ハンセン病患者は著しい差別を受け、基本的人権が侵害され、個人の尊厳が冒されてきた。このような差別と人権侵害は司法においても見られ、ハンセン病患者は、ハンセン病療養所、刑事収容施設等の強制隔離施設内に特別に設置された「特別法廷」(隔離法廷)において、非人間的な差別的取扱いの下で裁判を受けてきた(以下「ハンセン病隔離法廷」という。)。
 

強制隔離政策自体については、2001年、「らい予防法」による同政策について違憲判決が下され、政府は、ハンセン病患者・元患者に謝罪して控訴を断念し、国会も謝罪決議を行った。当連合会も、2001年11月の第44回人権擁護大会において、ハンセン病患者への人権侵害を見過ごし、また、人権救済申立事件への対処が遅延したことについて謝罪するとともに、国に対してハンセン病問題の早期かつ全面的な解決を図るよう強く要望する特別決議を採択し、その後もハンセン病問題の全面的な解決に向けた会長声明、談話を発表してきた。
 

しかし、ハンセン病隔離法廷については、2005年3月、厚生労働省が設置した「ハンセン病問題に関する検証会議」最終報告書が、これを取り上げ、憲法違反と断じたにもかかわらず、最高裁判所も最高検察庁も、そして当連合会も、個別具体的に調査し、その違憲性を指摘することはなく、各自の責任は明らかにされなかった。
 

2013年11月、全国ハンセン病療養所入所者協議会等が、最高裁判所に対して検証を要請したことを受け、2014年5月、最高裁判所は調査委員会を設置し、2016年4月、調査報告書を公表し、1948年から1972年までの間、ハンセン病患者が当事者となった95件の裁判について、裁判所外の法廷を定型的に指定してきた運用を認め、遅くとも1960年以降は、合理性を欠く差別的取扱いであったことが疑われ、裁判所法に違反し、ハンセン病患者に対する偏見・差別を助長して、ハンセン病患者の人格と尊厳を傷つけたとして、責任を認め、謝罪した。
 

当連合会も、2015年8月、上記協議会等よりハンセン病隔離法廷に関して人権回復措置を関係機関に働きかけるよう要請を受けたことを踏まえて調査を開始し、2016年7月、シンポジウム「隔離法廷と法曹の責任」を開催し、当連合会会長が謝罪の意を表明したところである。
 

ハンセン病隔離法廷は、ハンセン病の伝染力が強いという偏見を基礎とした隔離政策の延長にあり、憲法上の平等原則に違反し、個人の尊厳を侵害し、また、公開原則に実質的に反しており、憲法上の基本的人権の重大な侵害である。
 

このような司法の場における人権侵害については、同法廷に対する責任の在り方に違いはあるものの、裁判所、検察庁、弁護士会の法曹三者及び隔離法廷の場を設置・提供した法務省が、それぞれの立場において解決し、再発防止を図る責任がある。
 

よって、当連合会は、以下のとおり、決議する。


1 当連合会は、これまで長きにわたりハンセン病隔離法廷の違憲性を指摘することができなかった。前記「ハンセン病問題に関する検証会議」最終報告書において隔離法廷の違憲性が指摘された後さえも、速やかに事後的な検証・被害回復・再発防止策の構築などの人権救済活動に取り組むことがなかった。司法による人権侵害を防止、是正することができず、ハンセン病患者に対する偏見・差別を助長したと言わざるを得ない。これらについて改めて深く反省し、当該当事者をはじめ、ハンセン病患者・元患者及び家族ら被害を受けた全ての方々に対し、心から謝罪する。
 

ハンセン病患者は医療の名の下であらゆる基本的人権が奪われ、その尊厳が踏みにじられてきたものである。このようなハンセン病問題を教訓として、あらゆる疾病について差別偏見による人権侵害を繰り返さないためには、あらゆる患者が医療の客体としてではなく、主体的な権利者として個人の尊厳が保障されなければならない。
 

それゆえ、当連合会は、ハンセン病患者・元患者及び家族の方々が安心して社会で暮らせるよう、全力を尽くすとともに、全ての患者の権利が保障されるよう、引き続き、患者の権利の法制化を求めていくこと、ハンセン病問題を重い教訓として、人権研修を行い、今後新たな人権侵害事象に直面した際に二度と同じような過ちを繰り返さないよう、人権擁護活動に尽力する。


2 ハンセン病隔離法廷に関与した国の関係各機関に対し、以下のとおり要請する。

 

(1) 最高裁判所に対し、最高裁が作成した調査報告書において1960年以前も含めたハンセン病隔離法廷の違憲性を正面から認めていない点について再検討を求める。
 

(2) 最高検察庁に対し、ハンセン病隔離法廷における刑事事件・刑の執行について検証し、その検証結果を公表した上、再審請求・非常上告等を通じてハンセン病患者・元患者及び家族らの名誉回復を図るよう真摯に検討することを求める。
 

(3) 法務省及び政府に対し、ハンセン病患者の刑事収容施設・刑の執行の検証を求めるとともに、旧菊池医療刑務支所(ハンセン病患者専用の刑事収容施設)を保存・復元して、歴史資料館を設置することを求める。
 

(4) 上記各機関に対し、関係資料の永久保存を求めるとともに、ハンセン病隔離法廷に関して収集した資料・調査結果について個人情報を除き全て公開することを求める。
 

(5) 最高裁判所及び最高検察庁に対し、当連合会と協働して、再発防止のための人権教育・啓発活動を講じていくよう求めるとともに、真に必要かつ実効的な再発防止策等を検討するため、法曹三者のほか、元患者、有識者等を含めた「ハンセン病問題再発防止等委員会」(仮称)を設置して協議していくことを提案する。

 

憲法施行から70年を迎える本年、当連合会は、会員一人ひとりがハンセン病隔離法廷問題の教訓を心に刻んで人権感覚を研ぎ澄ませ、将来、二度と同じような過ちを繰り返さないように、憲法の定める基本的人権を擁護する使命を果たすことを改めて固く決意する。

 

2017年(平成29年)10月6日
日本弁護士連合会


提案理由

第1 はじめに

我が国では、1907年にハンセン病患者に対する強制隔離が始まり、1931年から全てのハンセン病患者が強制隔離の対象となって以後、1996年に「らい予防法」が廃止されるまでの間、ハンセン病患者を終生隔離し断種等により将来的に絶滅させることを目的とする、世界的に見ても異常な「絶対隔離絶滅政策」が遂行された。そのため、ハンセン病は極めて強い伝染病であるという偏見が作出・助長され、ハンセン病患者・元患者及び家族らは著しい差別の対象となった。
 

ハンセン病患者・元患者は、強制隔離により家族・地域社会から排除され、療養所内でも貧困な医療しか受けられず、強制的な園内作業、厳しい外出制限・懲罰、断種・堕胎を強いられるなど、未曾有の人権侵害を受けてきた。
 

しかも、今なおハンセン病患者・元患者及び家族らに対する差別・偏見は根強く社会に残されており、ハンセン病問題は決して解決してはいない。


第2 ハンセン病について

ハンセン病は、らい菌によって引き起こされる慢性の細菌感染症の一種であるが、らい菌の毒力は極めて弱く、ほとんどの人に対して病原性を持たないため、ハンセン病患者から感染し発症することは非常にまれである。
 

さらに、ハンセン病は、仮に発症しても、致死的な疾患ではなく、自然治癒する例もある上、1948年には我が国にも広く特効薬プロミンが導入されるなど有効な治療薬が開発され使用できるようになり、治癒できる疾患となっている。


第3 裁判の公開原則と開廷場所

1 裁判の公開原則

憲法82条は、裁判の対審及び判決を公開法廷で行うと定め、特に憲法37条1項では、全ての刑事被告人の公開裁判を受ける権利を保障している。

裁判の公開原則が定められた趣旨は、裁判の公正の確保であり、特に刑事裁判で重ねて規定されているのは、刑事被告人の基本的人権を擁護し、適正な刑事裁判を実現するためである。

 

2 開廷場所

開廷場所は、原則として裁判所と定められ(裁判所法69条1項)、例外として、最高裁判所が必要と認めるときは、他の場所で法廷を開くことができる(同条2項)。
 

裁判所外の開廷場所指定の手続は、担当下級審からの上申により、最高裁判所の司法行政権の行使として、裁判官会議の議によるべきものとされている(裁判所法12条1項)。
 

また、開廷場所が、裁判所の内であるか外であるかを問わず、裁判の対審及び判決等が行われる場所(法廷)は、憲法上の公開原則が満たされなければならない。


第4 ハンセン病隔離法廷について

1 ハンセン病隔離法廷とは

ハンセン病患者とされた者を当事者とする裁判は、裁判所内の法廷ではなく、ハンセン病療養所、刑事収容施設等の強制隔離施設内に特別に設置された法廷で行われ、極めて非人間的な差別的取扱いがされてきた(「特別法廷」とも呼ばれている。)。
 ハンセン病隔離法廷は、裁判所法の上記例外規定により、最高裁判所によって認可され続けてきた。


2 ハンセン病隔離法廷の設置の経緯

我が国では、まず、1907年、浮浪患者を対象としたハンセン病患者の強制隔離政策が始まり、1916年、療養所内の秩序維持のため、療養所長に懲戒検束権が付与され、懲罰として療養所内の監禁室に収容するなどした。
 

そして、1931年制定の旧「癩予防法」において、強制隔離の対象が全てのハンセン病患者に広げられた後、更に懲罰を強化し、1938年、群馬県草津にあるハンセン病療養所栗生楽泉園に「特別病室」と名付けた施設を設置して、全国から特に重い懲罰が必要と考えた患者を収容するようになった。この施設は、その実態から「重監房」といわれている。
 

1947年、国会において、「重監房」の劣悪な環境のため収容者のべ93名中23名が死亡した事実が明らかになったことから、国は、同年、「重監房」を廃止し、ハンセン病患者も、裁判所による裁判を受けることとした一方で、裁判所内の法廷を使用するのは消毒の問題があるとして、当時司法行政権を有していた司法省は、裁判所外に設置した臨時法廷を使用する方針とした(1947年11月13日、衆議院厚生委員会・鈴木義男司法大臣答弁)。
 

そのため、最高裁判所は、1948年以降、1972年までの25年間、下級裁判所からのハンセン病を理由とする裁判所外での開廷の上申を全て認可し、ハンセン病療養所、刑事収容施設等に特別に設置された法廷で裁判が常時実施されてきた(1954年3月25日、衆議院法務委員会・磯崎良誉最高裁判所総務課長答弁、1975年2月5日、参議院決算委員会・寺田治郎最高裁判所事務総長答弁参照)。


3 ハンセン病隔離法廷の原因・背景

我が国では、戦前・戦後を通じて、ハンセン病患者に対する「絶対隔離絶滅政策」が遂行される中、地域社会から全ての患者をなくすという官民一体の「無らい県運動」が全国展開され、ハンセン病は強烈な伝染病であるという誤った認識による著しい差別・偏見が作出・助長された。
 

かかる差別・偏見は司法も支配し、ハンセン病隔離法廷における人権侵害が生じたが、最高裁判所は、日本国憲法下で25年間にもわたり、ハンセン病隔離法廷を認可し続け、法曹界も人権侵害性を問題にしてこなかった。
 

また、法曹界全体が、基本的人権、特に少数者の人権保障の意義を十分に理解せず、ハンセン病患者を隔離することで社会から差別されているハンセン病患者を守ってあげるというパターナリズムに支配され、ハンセン病患者の基本的人権・尊厳が冒されていたことに気付かなかったこともハンセン病隔離法廷問題の原因・背景として指摘される。


4 熊本地裁違憲判決・厚労省検証会議最終報告書

2001年5月、熊本地方裁判所が「らい予防法」(1953年制定、1996年廃止)による強制隔離政策を違憲とする判決(以下「熊本地裁違憲判決」という。)を下した。
 

そして、その後、厚生労働省が設置した「ハンセン病問題に関する検証会議」(以下「検証会議」という。)は、2005年3月に公表した最終報告書(「法曹の責任」部分)において、ハンセン病を理由とする出張裁判(裁判所外における開廷場所の指定)について、憲法が定める法の下の平等、裁判を受ける権利、裁判の公開に違反する旨の指摘を行った。


5 最高裁判所調査報告書

2013年11月、全国ハンセン病療養所入所者協議会、「らい予防法」違憲国賠訴訟全国原告団協議会及び国立療養所菊池恵楓園自治会が、最高裁判所に対し、ハンセン病を理由とする「特別法廷」の第三者機関による検証を求める要請を行った。そのため、最高裁判所事務総局は、2014年5月に「ハンセン病を理由とする開廷場所指定に関する調査委員会」を設置して調査を行い、2015年9月には有識者委員会を設置して、ヒアリング・現地訪問等の追加調査がなされ、2016年4月、有識者委員会意見を添付した最高裁判所事務総局調査報告書(以下「最高裁報告書」という。)を公表した。
 

最高裁報告書によれば、ハンセン病を理由とする開廷場所指定の上申は、1948年から1972年までで96件あり、うち1件の上申撤回を除き、最高裁判所は95件全てを認可して(そのうち94件が刑事事件、1件が民事事件)、ハンセン病療養所、刑事収容施設等に特別に設置した法廷において裁判が実施されたことが確認された。
 

また、最高裁報告書によれば、最高裁判所裁判官会議は、1948年2月13日、ハンセン病を理由とする2件目の開廷場所指定の上申を認可した際、ハンセン病を理由とする開廷場所指定の専決権限を事務総局に付与する議決をしたため、それ以後、事務総局の専決により、ハンセン病を理由とする開廷場所指定の上申を定型的に認可する運用がなされた。
 

他方、ハンセン病以外の病気及び老衰を理由とする開廷場所指定の上申については、裁判官会議で審議され、1990年までの61件の上申のうち、認可されたのは9件にとどまっている。ハンセン病と他の疾患などとの取扱いには、歴然とした差異が認められた。


6 当連合会の調査経過

2015年8月、全国ハンセン病療養所入所者協議会等から、当連合会に対し、ハンセン病隔離法廷に関して人権回復措置を関係機関に働きかけるよう求める要請書が提出されたことを踏まえて、当連合会では資料収集調査を開始し、2016年7月、シンポジウム「隔離法廷と法曹の責任」を開催し、当連合会会長が謝罪の意を表明した上、同年12月から翌2017年1月にかけて、各弁護士会への調査依頼、最高裁判所・最高検察庁・法務省・厚生労働省への資料開示請求及び菊池恵楓園・菊池医療刑務支所跡の現地視察・入所者聴取等を通じて調査を実施してきた。


第5 ハンセン病隔離法廷の違憲性と人権侵害

1 平等原則違反

最高裁判所が1948年から1972年までの25年間にわたり、他の疾患の場合と異なり、ハンセン病患者を当事者とする裁判について、裁判官会議での審議も省略して、機械的・定型的に、ハンセン病療養所や刑事収容施設に設置した隔離法廷で裁判を行ったことは、著しく不合理な差別的取扱いであり、憲法14条1項の平等原則に反するものである。
 

この点、最高裁報告書は、ハンセン病を理由とする開廷場所指定の運用について、遅くとも1960年以降は、合理性を欠く差別的取扱いであったことが強く疑われ、裁判所法に違反するもので、一般社会の偏見・差別の助長につながり、ハンセン病患者の人格と尊厳を傷つけたとして、反省し、謝罪した。
 

最高裁報告書が、1960年以降についてのみ差別的取扱いであるとする根拠は、熊本地裁違憲判決が、「遅くとも1960年には隔離政策の違憲性が明白になっていた」と判示している点にある。
 

しかし、熊本地裁違憲判決が述べるのは、行政政策の国家賠償責任を認める上での違憲性の判断基準であり、裁判を隔離法廷で実施することが認められるか否かの基準となるものではない。
 

そもそも、ハンセン病患者から感染し発症することがまれであることは、戦前から政府・専門家においても十分認識されていた医学的知見であって、絶対隔離絶滅政策自体が世界的に見ても異常なものであり、ましてや裁判の過程における接触程度で患者から感染して発症することは考えられない。しかも、戦前からハンセン病患者は自然減少しており、戦後まもなく特効薬も登場して治癒する病気ともなっていた。したがって、基本的人権を保障した日本国憲法施行当初から、ハンセン病患者の憲法上の基本的人権を制限して隔離法廷を実施しなければならない必要性・理由はおよそなかったと言うべきである。熊本地裁違憲判決も、1953年のらい予防法(新法)制定当初から、同法がハンセン病予防上の必要性を超えて過度の人権制限を課すものであったと判示している。
 

以上からすれば、日本国憲法施行以後にもかかわらず、ハンセン病であるという理由だけで、個別具体的にその必要性を審理せず、一律に、隔離法廷を認めたことは、他の疾患に比較して、明らかに不合理な差別であるから、平等原則違反と言わざるを得ない。


2 個人の尊厳の侵害

また、ハンセン病患者に対する偏見・差別に基づいた隔離法廷は、ハンセン病患者らの個人としての尊厳を根本から冒すものである。
 

1952年、熊本県で発生した殺人事件(菊池事件)では、ハンセン病患者とされた菊池恵楓園入所者が被疑者として逮捕され、菊池恵楓園及び菊池医療刑務支所に設置されたハンセン病隔離法廷で裁判が行われた。法廷には消毒液の臭いが立ちこめ、裁判官・検察官・弁護人はいずれも予防衣と呼ばれる白衣を着用し、長靴を履き、手袋を付けた上で調書や証拠物を火箸等で扱うという極めて屈辱的で非人間的な扱いがなされたことが確認されている。明らかに個人としての尊厳を害する行為である。
 

菊池事件に限らず、隔離法廷で同様の取扱いをしていたことは、1953年に開庁したハンセン病患者専用の(未決・既決の)刑事収容施設「熊本刑務所菊池医療刑務支所」で、職員が出入りする際は防毒衣(帽子・作業衣・予防衣・マスク・手袋・長靴)を着用し、消毒をしていたこと(「菊池医療刑務支所の特殊性について」『矯正医学会誌』第4巻第2号、1955年)、隔離法廷で刑事弁護人を務めた弁護士の回顧録からも容易に推認できる。
 

また、菊池事件では、被告人が否認しているにもかかわらず、一審の弁護人が公訴事実を争わず、検察官提出証拠を全て同意するなど適正な刑事弁護を受けられない中で、死刑判決が下され、再審請求棄却翌日、即時抗告の機会を与えずに死刑執行されるなど、ハンセン病隔離法廷のみならず、刑事司法手続全体を通して適正性を欠き、個人の尊厳が著しく侵害されており、このような実態・経過も、ハンセン病患者への差別が背景にあると考えられる。
 

他方、菊池事件の控訴審以降は、被告人の冤罪を主張し、死刑執行まで3次にわたり再審請求を続けるなど、献身的に弁護活動を続けていた私選弁護人らが存在した。特に上告審の第1回口頭弁論(1956年4月)では、「一審、二審とも病院内の狭い部屋で開廷され、傍聴人も患者、親族らの極く限られた少数で特殊の形態の裁判が行われた」ことについて、「被告人がらい病であるため隔離的な処理がなされたことは、やむを得ないことと一般に承認されているようであるが、私はこれが問題であると思う。らい患者は別の扱いを受けなければならないか、独りらい患者のみの関心事ではなく、良識ある国民の注意が集中し、その関心が高まりつつある特殊の事件である」と指摘し、第2回口頭弁論(1957年3月)では、ハンセン病患者故の予断と偏見を指摘するなど、ハンセン病隔離法廷の差別性を問題にしていたことは、特筆に値する。しかし、このような隔離法廷に対する評価・認識が広く弁護士や弁護士会に共有されるには至らなかった。


3 公開原則違反

最高裁報告書は、その場所で訴訟手続が行われていることを一般国民が認識可能で、傍聴のために入室可能な場所であれば、憲法上の公開原則を満たすとし、ハンセン病療養所・刑事収容施設では、裁判所の掲示場及び開廷場所の正門等に告示していたことが推認され、傍聴者がいた事例もあり、傍聴を拒否したに等しい事情は見当たらないとして、公開原則に反しないと結論付けた。
 

しかし、裁判の公開は、裁判の公正を確保するために必要不可欠な近代憲法上の基本原則であり、裁判に対する国民の信頼を確保し、一般市民による裁判の自由な傍聴を通して裁判の適正を監視し、それによって公平な裁判を保障する意義があり、直接的な民主的基盤を有しない司法権の正当性を基礎付けるものである。特に戦前の日本では「密室裁判」による恣意的な刑事手続が行われた歴史的反省に基づき、日本国憲法で新たに全ての刑事被告人の公開裁判を受ける権利を保障した。
 

このような裁判の公開原則の重要な意義を踏まえると、掲示等によって傍聴を許し、一般国民がその場所を訪問することが可能という手続的・形式的な理由のみでは、裁判の公開原則が満たされたとは到底言えない。
 

らい予防法上、ハンセン病患者は、一般社会から隔離されたへき地などのハンセン病療養所に収容され、一般人の訪問は現実には極めて困難であった上、戦前・戦後を通じた「無らい県運動」によって、ハンセン病が強烈な伝染性を有する恐ろしい病気であるという強い偏見・差別が一般社会に蔓延しており、一般社会の認識として、ハンセン病療養所に近付き、さらに隔離法廷を自由に傍聴することは心理的に極めて困難であった。一般人の具体的・現実的な傍聴可能性は極めて低かったと言わざるを得ない。
 

菊池医療刑務支所内で行われたハンセン病隔離法廷(全認可件数の3割弱に当たる26件)についても、菊池恵楓園に隣接したハンセン病患者専用の刑事収容施設で、高さ約4メートルの塀に囲まれて厳重に警備され、隔離法廷に立ち入るための出入口は幅約1メートルしかないなど、その閉鎖性からすれば、出入口を設け、掲示等によって傍聴を許していたというだけでは、裁判が実質的に公開されていたとは評価し得ない。
 

最高裁有識者委員会意見も、激しい隔離・差別の場であるハンセン病療養所内に設けられた法廷に一般の人々は近づき難く、平等原則違反の隔離・収容の場で行われたとして、公開原則違反の疑いはなお拭いきれないと述べている。


4 ハンセン病患者に対する偏見・差別の助長

司法の場においてもこのような隔離法廷が実施されたことが、ハンセン病患者に対する偏見・差別を助長したと言わざるを得ない。


第6 司法の責任

上記のとおり、ハンセン病隔離法廷は、ハンセン病患者に対する憲法上の基本的人権を侵害し、個人の尊厳を冒した。
 

ハンセン病隔離法廷は、ハンセン病患者に対する司法における差別である。
 

同法廷に対する責任の在り方については、司法権の行使主体としての責任、国家刑罰権の行使主体としての責任、弁護士法の使命に基づく社会的な責任という違いはあるものの、裁判所、検察庁、弁護士会の法曹三者及び隔離法廷の場を設置・提供した法務省が、それぞれの立場において責任を負うものであり、司法による人権侵害は司法が主体となって解決し、再発防止を図る責任がある。
 

よって、当連合会は、以下のとおり、自ら謝罪するとともに、国の関係各機関に対し要請する。



第7 当連合会の謝罪

1996年8月、ハンセン病元患者(退所者)から当連合会に対し人権救済申立てがなされていたが、当連合会は、2001年5月に熊本地裁違憲判決が下されるまでの間に、勧告等の措置を講じることができなかった。そのため、同年11月の第44回人権擁護大会において、ハンセン病患者への人権侵害を見過ごし、また、人権救済申立事件への対処が遅延したことについて謝罪をするとともに、国に対し、謝罪・名誉回復、在園保障、社会復帰支援、真相究明、再発防止等、ハンセン病問題の早期かつ全面的な解決を図るよう強く要望する特別決議を採択した。
 

そして、その後、当連合会は、宿泊拒否事件、検証会議最終報告書公表、ハンセン病補償法改正、ハンセン病問題基本法制定の度に、ハンセン病問題の早期かつ全面的な解決に向けた勧告や会長声明・談話を発表した。また、2011年10月、第54回人権擁護大会では、「ハンセン病患者を隔離して差別から守ってあげる」という考えから引き起こされた、ハンセン病問題のような人権侵害が二度と起こらないようにするため、「患者の権利に関する法律の制定を求める決議」を採択し、2012年9月には、「患者の権利に関する法律大綱案」を公表した。
 

しかしながら、当連合会は、ハンセン病隔離法廷自体について、その設置以降、約70年もの長きに渡り、その違憲性を指摘できなかった。既に述べたとおり、1947年の司法大臣答弁や、1954年の最高裁総務課長答弁、1975年の最高裁事務総長答弁等においてはハンセン病隔離法廷について触れられていた。
 

さらに、1952年の菊池事件発生後に起きた抗議活動等を含む社会運動の高まりや、1953年の「らい予防法」制定時の反対運動、1952年のWHOにおける隔離政策見直しの提言、1958年の国際らい会議(東京)における強制隔離政策の破棄を求める決議、1960年のWHOにおける隔離法撤廃の提唱などの事実が存した。しかも、上記のとおり、2001年の人権擁護大会で特別決議を採択し、2005年の検証会議最終報告書でハンセン病隔離法廷が違憲と断じられたにもかかわらず、速やかに事後的な検証、被害回復、再発防止策の構築などの人権救済活動について取り組むことがなく、調査・検証が著しく遅れたのである。当連合会は、司法の一翼を担い、憲法・弁護士法に基づき基本的人権の擁護という重要な使命を負っている。それにもかかわらず、司法の場でなされた、司法による人権侵害を防止、是正することができず、ハンセン病患者に対する偏見・差別を助長したと言わざるを得ない。ハンセン病患者・元患者及び家族らも、「我々は憲法の外に置かれていたのに、なぜ弁護士会は活動してくれなかったのか」との思いが強く、ハンセン病隔離法廷に関し人権回復措置の実施を関係機関に働きかけるよう要請された後も、当連合会は隔離法廷の違憲性を指摘できず、十分な働きかけができなかった。
 

このような反省から、当連合会は、最高裁判所の調査報告書公表後の2016年7月、シンポジウム「隔離法廷と法曹の責任」を開催し、当連合会会長が謝罪の意を表明したのである。
 

そして、この間、並行してハンセン病隔離法廷の問題につき当連合会として調査を進めて検証し、今後なすべき具体的取組の内容についてもまとめるに至ったので、当連合会として、改めて深く反省し、当該当事者はもとより、ハンセン病患者・元患者及び家族をはじめ被害を受けた全ての方々に対して、心から謝罪するものである。


第8 当連合会の具体的取組

1 被害・名誉回復

ハンセン病患者・元患者及び家族らに対しては、未だに根強い偏見・差別が残っており、故郷に帰ることも、安心して社会で暮らすこともできない。
 

よって、ハンセン病患者、元患者及び家族の方々が安心して社会で暮らせるよう、今後も偏見・差別の除去、名誉回復、在園保障、社会復帰支援等に向けて全力を尽くす。特に、ハンセン病患者・元患者及び家族ら被害者の方々の被害・名誉回復を図るため、家族・遺族への損害賠償問題や再審問題も含め、リーフレットの作成・配布やシンポジウムの開催などを通じて社会に訴えかけ、ハンセン病問題の全面解決に向けた取組を行っていく必要がある。


2 再発防止策

ハンセン病患者は医療の名の下であらゆる基本的人権が奪われ、その尊厳が踏みにじられてきたものである。このようなハンセン病問題を教訓として、あらゆる疾病について差別偏見による人権侵害を繰り返さないためには、あらゆる患者が医療の客体としてではなく、主体的な権利者として個人の尊厳が保障されなければならず、そのためには、患者の権利を法律によって明確に保障することが必要である。
 

検証会議最終報告書でも、ハンセン病問題の再発防止提言の一つとして患者の権利の法制化を挙げ、「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」報告書(2009年4月)は「患者の権利に関する体系」をとりまとめ、法制化を具体的に提言した。当連合会も、第54回人権擁護大会(2011年10月)において、「患者の権利に関する法律の制定を求める決議」を採択し、2012年9月、「患者の権利に関する法律大綱案」を公表したが未だ法制化に至っていないので、引き続き、患者の権利の法制化を求める。
 

また、二度と同じような過ちを繰り返さないためには、私たち弁護士一人ひとりが人権感覚を鋭敏に研ぎ澄まし、敏感に人権問題を察知して、速やかに人権救済活動に取りかかるように心しなければならない。
 

それゆえ、当連合会は、各弁護士会と協力し、ハンセン病問題を教訓にして、現地視察(資料館訪問・入所者聴取)などの方法を通じ、司法修習生・新人弁護士をはじめとする会員に対する人権研修やシンポジウムなどを開催する。
 

そして、あらゆる患者・弱者・少数者の差別を除去して人権保障を図るべく人権擁護活動に尽力する。


第9 国の関係各機関への要請

当連合会は、国の関係各機関に対し、次のとおり要請する。


1 最高裁判所

裁判所が、憲法違反のハンセン病隔離法廷について司法権を自ら行使してきた責任は重い。
 

最高裁判所の調査報告書では、公開原則違反を否定し、1960年以前を含めて平等原則違反に言及していない点で、重大な問題が残る。この点、最高裁有識者委員会も、1960年以前の司法行政の妥当性について一層の検証と議論が必要であると指摘している。
 

よって、最高裁判所に対しては、1960年以前も含めたハンセン病隔離法廷の違憲性について再検討することを求める。


2 最高検察庁

検察庁が、憲法違反のハンセン病隔離法廷を通じて刑事裁判を遂行し、それに基づいて刑を執行してきた、国家刑罰権行使主体としての責任は重い。
 

よって、最高検察庁に対しては、ハンセン病隔離法廷における刑事事件の手続・内容及びそれに基づく刑の執行を検証し、その検証結果を公表した上、再審請求・非常上告等の刑事手続是正措置を通じて、ハンセン病患者ら・元患者及び家族ら被害者の名誉回復を図るよう真摯に検討することを求める。
 

なお、2017年3月、最高検察庁は、ハンセン病元患者団体に対し、ハンセン病隔離法廷について謝罪したとされるが、その調査結果及び謝罪内容は公表されていない。調査結果及び謝罪内容について公表することも併せて求める。


3 法務省及び政府

法務省が、憲法違反のハンセン病隔離法廷の場を設置・提供し、それに基づいて、刑の執行をしてきた、国家刑罰権行使主体としての責任は重い。
 

よって、法務省に対しては、刑事収容施設で実施されたハンセン病隔離法廷の実態、ハンセン病患者の刑事収容施設・刑の執行におけるハンセン病患者に対する取扱いの実態等について調査・検証し、公表することを求める。
 

また、最高裁有識者委員会も提言しているとおり、世界に唯一のハンセン病患者専用の刑事収容施設として世界的な負の遺産である旧菊池医療刑務支所 (1953年建設分)の塀の保存・建物の復元を行い、また、啓発の場として、歴史資料館を設置することも併せて求める。


4 関係各機関

上記各機関に対し、今後の検証及び再発防止に資するため、関係資料を永久保存することを求めるとともに、ハンセン病隔離法廷に関して収集した資料・調査結果は、個人情報部分を除いて全て公開することを求める。


5 法曹三者の協働した取組(提案)

ハンセン病隔離法廷に関与した法曹三者は、それぞれの責任の下に協働して再発防止策を講じていく必要がある。また、当連合会、最高裁判所、最高検察庁が、形の違いはあれ、ハンセン病隔離法廷についてハンセン病患者・元患者及び家族らに謝罪をした今こそ、協働していくべきである。
 

そのため、まず、各機関が協力して、ハンセン病問題を題材にした教材・資料(テキスト・映像等)を作成し、司法修習生・司法関係機関職員・一般市民に向けた人権教育・研修を実施していくことを提案する。
 

そして、真に必要かつ実効的な再発防止策等を検討していくために、法曹三者のほか、被害者の声を反映させ、専門的・多角的視点を取り入れるため、元患者、有識者等を含めた「ハンセン病問題再発防止等委員会」(仮称)を設置して協議していくことを提案するものである。


第10 最後に

憲法施行から70年を迎える本年、当連合会は、会員一人ひとりがハンセン病隔離法廷問題の教訓を心に刻んで人権感覚を研ぎ澄ませ、将来、二度と同じような過ちを繰り返さないように、憲法の定める基本的人権を擁護する使命を果たすことを改めて固く決意する。