安全で質の高い医療を受ける権利の実現に関する宣言

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安全で質の高い医療を受けることは、すべての人の切なる願いである。そして、すべての人は、医学・医療が到達し、実施が可能な安全で質の高い医療を受ける権利を有している。


しかしながら、現実には、患者の生命や身体に被害をもたらす医療事故が続発し、この権利が脅かされている。したがって、医療事故が発生したときには、事故原因や背景を調査分析してその改善を図り、医療事故の再発を防止することが求められる。


ところが、従前、我が国の医師や医療機関などの医療界には、医療事故を調査して「事故から学ぶ」という姿勢が広がらず、また、インフォームド・コンセントやカルテ開示などの患者の人権についての理解や実践がたち遅れていた。このようなこともあって、医療事故が発生しても病院内のみで処理され、外部に対して公表されることはもちろん、患者や遺族に対して自発的に説明がなされることは稀であった。そのようななか、1999年に、患者を取り違えて手術を実施した事故や消毒薬を誤って投与した死亡事故などが発生して社会の注目を集めた。以後、医療事故の調査の重要性が指摘され、近時、ようやく医療事故調査の取り組みが緒についたところであり、なお、医療事故の発生は続いている。


また、このようにして発生した医療事故が患者の生命や身体にもたらす被害については、迅速、公正かつ適切な救済が求められる。ところが、医師や医療機関に法的責任が認められる場合にも、訴訟に長期間を要するなど早期の被害救済が困難である例も少なくない。他方、医学・医療自体の限界や危険性から不可避的に発生し、医師や医療機関には法的責任が認められない場合には、医薬品副作用被害救済制度や治験の補償制度、今後実施が予定されている産科医療の一部に対する無過失補償制度を除き、被害救済制度は存在しない。


さらに、医師・看護師などの不足やその過酷な労働環境、診療科の休止や医療機関の閉鎖、救急患者の受け入れ困難など、人的及び物的医療提供体制が悪化している。その結果、地域や時間、診療科によっては、医療を受けることすら困難な事態に至っている。医療に十分にアクセスすることができて初めて、その安全性及び質の高さを問題にすることができるところ、かかる医療提供体制の悪化は、医療の安全性や質を脅かす要因となり、これが、医療事故調査制度及び医療が内包する危険性を制御する医療安全管理システムの不備などとあわせて、医療事故の背景となっているといえる。このような医療提供体制の悪化の重大な原因の一つには、1980年以降、国が実施してきた医療費抑制政策などにより、医療提供体制の整備に十分な予算措置がとられなかったことを指摘できる。


以上の医療の現状は、我が国における重大で差し迫った人権問題であり、これは、安全で質の高い医療を提供する体制を確保する責務を負う国が最優先で取り組むべき課題である。


よって、当連合会は、以下のとおり、国に対して求めるものである。


  1. 安全で質の高い医療を受ける権利、インフォームド・コンセントを中心とした患者の自己決定権などの患者の権利、並びに、この権利を保障するための国及び地方公共団体の責務などについて定めた患者の権利に関する法律を制定すること
  2. 医療事故を調査し、当該事故に至った経緯や原因を明らかにして、当事者に説明するとともに、再発防止や医療の安全に活かすため、医療機関の内外に次のような医療事故調査制度を整備すること
    (1)医療事故が生じた医療機関内において、当該事故について自律的かつ公正で客観的な調査を行う制度が設置されるよう促すための施策をとること
    (2)国が、医師などの医療従事者の他、患者の立場を代表する者や法律家などで構成される公正で中立的な第三者調査機関を設置すること
  3. 医療事故による被害を迅速、公正かつ適切に救済するために、無過失補償制度などを整備すること
  4. 医師や看護師などの不足の解消、医師などの労働条件の改善や救急医療体制・地域医療体制の充実などのために十分な予算措置を講じ、安全で質の高い医療を提供するにふさわしい人的及び物的な医療提供体制を整備すること
    当連合会は、すべての人々とともに叡智を結集し、手を携えて、諸制度の創設、運営にかかわるなど、安全で質の高い医療を受ける権利の実現に向けて努力する決意である。


以上のとおり宣言する。


2008年(平成20年)10月3日
日本弁護士連合会


提案理由

1.安全で質の高い医療を受ける権利

(1)安全で質の高い医療への願い

現代の我が国においては、多くの人々が、生・老・病・死という人生の様々な場面において、医療を受けている。そして、その医療がいかなるものであるかは、その人の生命や健康はもとより、ひいては、その人の人生のあり方までをも左右している。よって、疾病に罹患したり負傷したとき、あるいは、疾病を予防するために、安全で質の高い医療を受 けたいということは、すべての人々に共通する強い願いである。


(2)安全で質の高い医療を受ける権利

このような願いは、日本国憲法13条及び25条にその権利性を認めることができるほか、国際人権(社会権)規約(経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約<A規約>)によって、「到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を享受する権利」として認められ、締結国は、この権利の完全な実現を達成するための措置を執らなければならないと規定されている(同規約12条)。なお我が国も、1979年に、同規約を批准している。
よって、我が国においては、疾病に罹患したり負傷したとき、あるいは、疾病を予防するために、すべての人が、現在の医学・医療が到達し実施が可能な安全で質の高い医療を受ける権利を有しているのはもちろん、国及び地方公共団体は、このような安全で質の高い医療を提供する体制を確保するよう努める義務がある(医療法1条の3、同6条の9)。また、医師、歯科医師、薬剤師、看護師などの医療の担い手には、このような安全で質の高い医療の提供に努めるべき義務があり(同法1条の4第1項)、医療機関の管理者には医療の安全を確保するための措置を講ずるべき義務があって(同6条の10)、医療の担い手や医療機関には、より安全でより質の高い医療への取り組みが期待されている。


2.医療事故の続発

ところが、我が国においては、現在も、医療の過程で患者の身体や生命に被害をもたらす医療事故が発生を続け、現在の医学・医療が到達し、実施が可能であるはずの医療の安全性や医療の質が、必ずしも確保されず、かかる権利が脅かされている現状がある。


(1)医療事故調査の重要性

医療事故の中には、事故原因や背景を調査分析し、これを改善する取り組みによって、再発防止が可能な事故が少なくない。
したがって、医療事故の事故原因や背景を調査分析して、「事故から学ぶ」必要性は、従前から、医師らの中にも、当連合会をはじめ各種の市民団体などからも、指摘されてきたところである。当連合会人権擁護委員会は、2001年3月にも『医療事故被害者の人権と救済』を出版して、医療事故調査制度や無過失補償制度の創設などを強く訴えてきた。極めて早い時期から事故調査制度を実施している国も存するところである。たとえば、スウェーデンでは、1936年にストックホルムのマリア病院での消毒剤誤投与事故を契機として医療事故報告制度が構築され、一定の成果をおさめている等、諸外国では、そのような取り組みが相当程度広まっていたところである。


(2)医療事故調査制度の不備

しかしながら、我が国においては医療事故調査制度の構築が進まなかった。その要因には、医師や医療機関など医療界の中に「事故から学ぶ」姿勢が十分には広がっていなかったことや、インフォームド・コンセントやカルテ開示などの患者の権利についての理解や実践がたち遅れていたことなどのために、医療事故が生じた際、事故の経緯や原因を患者ら家族など外部の者にわかりやすく説明するというトレーニングがなされず、かつ、再発防止に活かす為に事故の経験を整理して、外部に公開するという必要性が認識されなかったためと思われる。そのために、医療事故が発生しても、病院内でのみ処理され、その内容が自発的に外部に対して公表されることはもちろん、患者や遺族に対して自発的に十分な説明がなされることすら稀であった。
そのようななか、1999年に、患者を取り違えて手術を実施した事故、消毒薬を誤って投与して死亡に至らしめる事故が相次いで発生し、医療事故の実態が顕在化して、社会の注目を集めることとなった。ただ、これらの事故は、突然、この段階で、その病院においてのみ、特異的に発生したものと捉えることはできない。類似の事故は全国で繰り返されてきたのである。例えば、上記患者取り違え事故は、社会の注目を集めた事件よりも以前に類似の事故が別の病院で発生していたのであり、この時に、事故調査が徹底され、その教訓が医療界全体に明らかにされて実践されるなど、「事故から学ぶ」姿勢が広まっていれば、防ぎえた可能性がある。
しかしながら、これらの事故が発生し社会に明らかになったことで、ようやく医療事故の調査・分析の重要性が強く認識される結果となった。厚生労働省も、2001年を医療安全推進年と位置づけ、同省内に医療安全推進室を設置するなどして、医療安全を政策課題とするようになってきた。2001年10月からは、医療安全対策ネットワーク整備事業として、ヒヤリハット事例(誤った医療行為等が実施される前に発見されたか、実施されたが患者に影響を及ぼさなかった例など)の集積をはじめ、2004年10月からは、財団法人日本医療機能評価機構内に設置された医療事故防止センターが医療事故情報収集を始めた(2008年3月31日現在の報告義務対象医療機関273施設、参加登録申請医療機関269施設)。2004年9月の日本医学会19学会による共同声明や、2005年6月の日本学術会議の報告において、専門的な医療事故調査機関を設置すべきであるとの提言がなされたことなどをうけ、2005年9月からは、厚生労働省が、診療行為に関連した死亡の調査分析にかかるモデル事業を開始し、現在、全国10地域(札幌、東京、茨城、愛知、新潟、大阪、兵庫、福岡、岡山、宮城)で実施されている。2007年3月には、診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会が設置され、第1次から第3次試案の公表を経て、2008年6月に、医療安全調査委員会設置法案の大綱案が公表されたところである。ただ、これに対しては、医療界の一部には、刑事事件への発展などを懸念した消極的意見が認められる。
これらの動きのなか、特定機能病院を中心とした医療機関のなかにも、医療事故調査委員会を組織して、事故調査を実施する機関が増えてきている。たとえば、上記の1999年に発生した患者取り違え事故については、外部委員を中心とした医療事故調査委員会が組織され、報告書が明らかにされている。
このように、我が国における医療事故調査の取り組みは、ようやく緒についたところであり、なお、近時も、医療事故が相次いでいる。これは、医療事故調査が制度として確立していないために、その実施が十分には広がらず、また、どのような医療事故を対象に調査を実施するかの範囲や事故調査の手順や調査の在り方、調査結果の公表の仕方などを模索している段階であって、依然として、発生した医療事故が充分には広く教訓とされていないことにその原因を求めることができると推測される。


3.医療事故の被害が迅速、公正かつ適切に救済されていない実情

そして、このようにして発生した医療事故の被害は、迅速、公正かつ適切に救済される必要があるが、これが、十分には実現されていない。


(1)医師や医療機関に法的責任が認められる場合

医療事故によって患者の生命や身体に発生した被害のうち、医師や医療機関に法的責任がある場合には損害賠償が認められる。しかしながら、被害救済を受けるには、訴訟提起が必要となったり、訴訟に長期間を要するなど、必ずしも迅速な救済に至らないことも少なくない。事故を調査・分析することによって、当該事故について医療機関の法的責任が存することが明らかとなる結果となり、早期の被害救済につながる事例も存すると思われるが、かような形で早期救済する制度は、なお十分に機能していない。


(2)医師や医療機関に法的責任が認められない場合

先に述べたとおり、現在の我が国において、医療を受けることなく人生を終える人はほとんどいない。そして、医学・医療は、多くの人に多大な恩恵を与えてきた。他方で、医学・医療自体のもつ限界や危険性によって不可避的に患者の生命や身体に被害が発生することもある。しかしながら、こうした被害については、医薬品・生物由来製品による健康被害についての医薬品副作用被害救済制度がある他は、民間保険を利用した治験による健康被害の補償制度があり、今後、産科医療の一部(脳性麻痺児の一部)について、民間保険を利用した補償制度の実施が予定されているにすぎない。


4.医療提供体制の悪化の現状

さらに、近年、医師・看護師などの不足やその過酷な労働環境、診療科の休止や医療機関の閉鎖、救急患者の受け入れ困難など、人的及び物的医療提供体制が悪化している。
これは、医療の安全性や質を脅かす要因となり、上記の医療事故調査制度及び医療が内包する危険性を制御する医療安全管理システムの不備などとあわせて、医療事故の背景となっている。


(1)医師・看護師などの不足

現在、医師や看護師などは不足している。
2008年6月、厚生労働省は、医師総数が不足しているとの現状認識のもとに、医師養成数を増加させる 方針を明らかにしたところである。さらに、医療法の定める医師配置基準にしたがった医師充足度を都道府県別に比較すると、東京・神奈川・京都・大阪・福岡等の大都市部は90%以上であるのに対して、青森県43%、岩手県55%をはじめとする東北地方の4県、北海道、新潟県は70%以下であり、地域格差が広がっている(2004年厚生労働省医師充足状況集計)。
看護師については、2005年の厚生労働省看護職員需給見通検討報告書によれば、4万人不足しているとまとめられているうえ、看護師の有資格者数と実働数との大きな乖離がなにより重大な問題であると指摘されている。


(2)医師らの過酷な労働環境

また、医師・看護師などの労働環境は過酷となっている。
特に勤務医の労働条件は劣悪であり、厚生労働省の「医師需給に係る医師の勤務状況調査」(2006年3月27日現在の調査状況)によれば、病院等の医療機関の勤務医の1週間当たりの勤務時間は、平均で63.3時間に及んでいる。これは同省が定めている「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準」(2001年12月12日付基発第1063号)では、「業務と発症との関連性が強いと評価」される状態であり、過労死が極めて生じやすい状況と言える。
そのうえ、宿直を担当して、そのまま次の日も連続して勤務に就くことも頻繁に生じており、疲労が蓄積し注意力の低下が懸念される医師が、患者に対して診察や治療を行わざるを得ない状況になっている。諸外国の論文等によれば、24時間以上連続勤務する者が23時から7時の間に生じさせる不注意は、16時間未満の連続勤務群の2倍以上になるとも言われている。


しかも、医師の業務は、患者の容態の変化や急患による不規則な勤務、宿直による深夜勤務、そして何より患者の命と健康を預かるという精神的緊張を伴う業務である。この質的過重性を考え合わせるなら、現在の医師の勤務条件は一刻の猶予もなく改善を図らなければならない状態にあると言える。かような過酷な労働条件のために、子育てをしなければならない世代の医師、特に女性医師が病院を辞め、或いは、かような環境ではミスを犯すのではないかという不安から医師が現場を去るという事態も生じている。


(3)地域医療体制・救急医療体制の悪化

以上のようにして医師が医療現場を離れていくことによって、更に医療現場での 医師不足は悪循環を辿って深刻化し、ついには、地域によっては、当該病院での診療科を休止したり、あるいは医療機関ごと閉鎖せざるを得ない状況に至るなどして、地域医療体制が悪化したり、このような医療機関の閉鎖などと相まって救急患者を受け入れる医療機関が容易に見つからない事態が生じるなど救急医療体制も悪化していると報告されている。
これらは、当該病院を利用してきた患者・市民の「安全で質の高い医療を受ける権利」に危機を生じさせることになっている。


(4)医療提供体制悪化の重大な原因

このようにして、近年医療提供体制が悪化した原因は、我が国の医療制度全般の問題として十分な分析評価が求められるところではあるが、その重大な原因の一つには、1980年以降、国が実施してきた医療費抑制政策などにより、医療提供体制の整備に十分な予算措置がとられなかったことを指摘することができる。すなわち、我が国の国民医療費の対GDP比は、8.0%であって、アメリカの15.3%、フランスの10.5%、ドイツの10.9%などと比較し、G7中最低のレベルにある(2004年OECDヘルスデータ)。医療費を含む社会保障費の国家予算に占める割合も3.4%であり、欧米各国の1/2程度にすぎない(1997年 OECD国別統計)。


5.安全で質の高い医療を受ける権利を実現するために

以上のような医療の現状は、我が国における重大で差し迫った人権問題である。
国には、安全で質の高い医療を提供する体制を確保する責務があり、これは、国が最優先で取り組むべき課題である。
よって、当連合会は、安全で質の高い医療を受ける権利を実現するために、国に対して、次のとおり求める。


(1)安全で質の高い医療を受ける権利、インフォームド・コンセントを中心とした患者の自己決定権などの患者の権利、並びに、この権利を保障するための国及び地方公共団体の責務などについて定めた患者の権利に関する法律を制定すること

患者の権利は、国や医療提供者の義務によって反射的に得られる利益ではなく、基本的人権である。多くの諸外国においては、世界医師会総会が患者の権利に関するリスボン宣言(1981年)を採択したことなどを踏まえ、患者の権利に関する法律を制定している。
それにもかかわらず、我が国においては、現在もなお、かかる法律が未整備のままである。
このような事態が、医療機関の患者ら家族への説明の有無・程度(それは事故が生じた後の事実経緯に関する説明にとどまらず、どのような治療を実施するのかについての説明も含む)に影響を及ぼし、かつ、患者に主体性があることの認識を広がらせず、これまで指摘してきたような医療事故を招き、同種事故の再発を防ぐことができない一因となっていることは否定できない。
また、患者の権利が明定されないことから、国や地方公共団体が医療において果たすべき役割が、患者の権利を保障することにあることが曖昧なままであったために、十分な予算措置を講じた医療政策に結びつかなかった可能性を否定できない。
よって、患者の権利に関する法律が、憲法13条および25条の直接的な下位規範であり、日本の医療制度の全ての基本法として、単独かつ包括的な法律として制定されることが必要である。
その内容としては、安全で質の高い医療を受ける権利、インフォームド・コンセントを中心とした患者の自己決定権、迅速かつ適切な被害救済を受ける権利、平等に医療を受ける権利、国及び地方公共団体の責務、医療従事者及び医療機関の責務などが包含されなければならない。
この点については、当連合会も、これまで、「健康権の確立に関する宣言」(1980年)、「患者の権利の確立に関する宣言」(1992年)、「医薬品被害の防止と被害者の救済のための制度の確立を求める決議」(1998年)、「人の誕生や受精卵・胚に関する先端医療・医科学研究のルール策定を求める決議」(2003年)などを採択し、患者の権利の確立に努力してきたところである。


(2)医療事故を調査し、当該事故に至った経緯や原因を明らかにして、当事者に説明するともに、再発防止や医療の安全に活かすため、医療機関の内外に次のような医療事故調査制度を整備すること

(1)医療事故が生じた医療機関内において、当該事故について自律的かつ公正で客観的な調査を行う制度が設置されるよう促すための施策をとること
多くの医療事故には、同種事故の再発防止のためのヒントが潜んでいる。よって、医療事故が発生したとき、その原因や背景を調査分析して、教訓を導き出し、再発防止策をたてて実施することが、医療事故を防止し、医療の安全を高めるためには必須の取り組みである。そして、この取り組みは、本来、医師などの医療の担い手自身が、当該医療機関内(医療機関の規模によっては、学会・医師会内など)において、自律的に、医療事故の原因・背景を公正かつ客観的に分析・評価して教訓を導き出して再発防止に取り組む制度によって支えられなければならない。よって、医師や医療機関、学会など医療界には、自主的かつ自律的に調査を行い、当事者に説明し、再発防止に積極的に役立てていく努力が強く望まれる。
そして、国は、かかる医療事故調査制度の設置を医療法上に位置づけ、そのあり方や手順を示して、かかる事故調査の実施を促進することが必要である。

(2)国が医師などの医療従事者の他、患者の立場を代表する者や法律家などで構成される公正で中立的な第三者機関を設置すること
更に、(1)に記載した当該医療機関内での事故調査制度を補完するとともに、この制度の公正性、透明性を担保し、広く教訓を共有化しその実施を促すなど、より実効性を高めるなどの為に、国は、公正で中立的な第三者機関を設置し、医療事故を調査分析して再発防止策を立て実行を促す医療事故調査制度を創設・充実することが必要である。
そして、この第三者機関が中立公正に調査をし、かつ市民から信頼を得る為には、医師らのほか患者の立場を代表する者や法律家などが参画して組織されることが必要である。特に、法律家は、事実の調査、認定等を職務とする者であり、かつ、これまで患者側、医療機関側から医療事故の内容、過失の有無等の究明に関与し、患者・市民に対して、その調査内容の説明を行い続けてきた者であって、参画が不可欠である。


(3)医療事故の被害を迅速、公正、かつ適切に救済するために、無過失補償制度などを整備すること

(2)記載の医療事故調査制度によって事故の経過や原因が早期に明らかになることを 踏まえて、これを生かして、より迅速に医療事故の被害が救済される制度の整備が必要である。各種の裁判以外の紛争解決促進制度(ADR)などとの連携が図られる必要がある。
さらに、医療は、多くの人に恩恵をもたらしているから、医療によって不可避的に発生した重大な人的被害については、社会全体で一定の補償をする公的な無過失補償制度が求 められるところである。すでに諸外国においては、医療事故の無過失補償制度が実施されている。日本学術会議も、2005年6月には、被害者への有効で迅速な救済措置実施のために、ADRの導入や労働者災害補償制度に類似した被害補償制度の構築を図るべきであると提言しているとおりである。よって、国の制度として、医師や医療機関の法的責任の有無に関わらず速やかに補償を実施する無過失補償制度の創設が必要である。臨床試験・臨床研究の分野においても、これにともなって被験者に発生する被害については、同様に公的無過失補償制度の創設が必要である。
この点、当連合会は、2007年3月に公表した「『医療事故無過失補償制度』の創設と基本的な枠組みに関する意見書」において、


(1)迅速に公正かつ適切な補償がなされること

(2)医療事故を十分に調査して事故原因を究明し、同種事故の再発防止策を策定すること

(3)上記調査結果と再発防止策などについて当該医療事故の当事者らに報告するとともに可能な限り公表すること

(4)運用機関として市民らが参加する第三者機関を創設することをその枠組みとして示したところである。


(4)医師や看護師などの不足の解消、医師などの労働条件の改善や救急医療体制・地域医療体制の充実など、安全で質の高い医療を提供するにふさわしい人的及び物的な医療提供体制を整備するために、十分な予算措置を講ずること

上述したように、人的及び物的な医療提供体制が悪化し、医療の安全性や質が脅かされ、地域や診療科、時間によっては、医療を受けることすら阻害されている現状がある。
安全で質の高い医療を提供する体制を確保することを責務とする国が、これを放置することは許されない。
これに対する方策の一つは、例えば、勤務医の労働条件の改善については、医師の増員等を求めるとともに、(1)医師の労働時間の適正な把握、(2)「36協定」の適正な内容による届出、(3)賃金不払残業(サービス残業)の廃止、(4)宿日直勤務の許可(労基法第41条)の適正運用、(5)連続労働時間の制限を求めることが急務である。更に、(6)子育て世代の医師を支援することも重要である。現在、女性医師の割合が高まっている(1996年には国家試験合格者の25%であったが、現在は35%近くになっている)が、病院の勤務条件は過酷であり、出産や育児などのために、女性医師が病院を退職する傾向にある(日本小児科学会の2004年調査では、30代から40代にかけて半減している)。したがって、子育て世代の医師が働きやすい環境づくりとして、育児施設の充実(院内保育所の整備)や人員補充システム(公務員については、3才迄育児休業を取ることができ、その間の代替要因が確保される制度が整備されている)、ワークシェアリングシステムの構築などが重要であるし、女性医師の復職支援制度も充実させる必要がある。この点は、看護師が出産育児で退職することなく、継続して就労するための制度整備にも役立つものである。
また、医師、看護師などの増員や適正配置による不足の解消、職種間の協働・チーム医療の充実、産科医、小児科医、麻酔科医、外科、救急医などの育成やドクターカーやドクターヘリの拡充、医療機関・医師間の連携体制の確立などの種々の対策が指摘されている。早急にこれらの対策を講じて、安全で質の高い医療を提供するにふさわしい人的及び物的な医療提供体制を整備することが不可欠である。そのためには、なにより、十分な予算措 置が求められる。従前の医療費抑制政策は、速やかに政策転換が図られなくてはならない。


6.結び

安全で質の高い医療を受ける権利を実現するには、医師などの医療を担う人々をはじめとするすべての人々の叡智を結集しなければならない。当連合会も、今後とも調査研究をすすめ、すべての人々と手を携えて、これに努力する決意である。