平和的生存権および日本国憲法9条の今日的意義を確認する宣言

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近年、政党をはじめ各界から改憲案が公表されている。2007年5月には日本国憲法の改正手続に関する法律が成立し、2010年から憲法改正の発議が可能となった。憲法改正は現実の問題となりつつある。改憲案の中には、憲法前文の平和的生存権を削除し、戦力の不保持と交戦権の否認を定めた憲法9条2項も削除して、自衛隊を憲法上の「自衛軍」とする案も存する。


当連合会は、1997年の第40回人権擁護大会において「国民主権の確立と平和のうちに安全に生きる権利の実現を求める宣言」(下関宣言)を、2005年の第48回大会において、「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」(鳥取宣言)を採択した。鳥取宣言では、憲法9条の戦争を放棄し、戦力を保持しないという徹底した恒久平和主義は、平和への指針として世界に誇りうる先駆的意義を有するものであることを確認した。


その後、当連合会は、憲法9条改正論の背景と問題点について研究と議論を重ねた上、本大会において、平和的生存権および憲法9条が、次に述べる今日的意義を有することを確認する。


  1. 平和的生存権は、すべての基本的人権保障の基礎となる人権であり、戦争や暴力の応酬が絶えることのない今日の国際社会において、全世界の人々の平和に生きる権利を実現するための具体的規範とされるべき重要性を有すること
  2. 憲法9条は、一切の戦争と武力の行使・武力による威嚇を放棄し、他国に先駆けて戦力の不保持、交戦権の否認を規定し、国際社会の中で積極的に軍縮・軍備撤廃を推進することを憲法上の責務としてわが国に課したこと 
  3. 憲法9条は、現実政治との間で深刻な緊張関係を強いられながらも、自衛隊の組織・装備・活動等に対し大きな制約を及ぼし、海外における武力行使および集団的自衛権行使を禁止するなど、憲法規範として有効に機能していること


憲法は、個人の尊厳と恒久の平和を実現するという崇高な目標を掲げ、その実現のための不可欠な前提として平和的生存権を宣言し、具体的な方策として憲法9条を定めている。


当連合会は、平和的生存権および憲法9条の意義について広く国内外の市民の共通の理解が得られるよう努力するとともに、憲法改正の是非を判断するための必要かつ的確な情報を引き続き提供しつつ、責任ある提言を行い、21世紀を輝かしい人権の世紀とするため、世界の人々と協調して基本的人権の擁護と世界平和の実現に向けて取り組むことを決意するものである。


以上のとおり宣言する。


2008年(平成20年)10月3日
日本弁護士連合会


提案理由

1.日本国憲法の基本原理としての恒久平和主義

国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義などを基本原理とする日本国憲法が制定されてから60年余りが経過した。これらを基本原理とする憲法が、戦後日本の平和と民主主義、人権と福祉のために果した役割はきわめて大きい。


憲法前文および憲法9条は、わが国が先の大戦とそれに先行する植民地支配によりアジア諸国をはじめ内外に多大な惨禍を与えたことに対する深い反省と教訓に基づき、定められたものである。


憲法前文は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにする」決意の下、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、憲法9条は、国連憲章の国際紛争の平和解決原則を更に発展させ、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を国際紛争を解決する手段としては永久に放棄し(憲法9条1項)、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を否認する(憲法9条2項)という非軍事の徹底した恒久平和主義に立脚している。恒久平和の基本原理は、戦争が最大の人権侵害・環境破壊であり、立憲主義の最大の敵であることに照らせば、平和と人権の密接不可分性を深く洞察したものであり、恒久平和への指針として世界に誇りうる先駆的意義を有しているものである。戦争を阻止し、平和を実現しなければ、基本的人権の保障も、国民が主権者として尊重されることもないのである。
ところで、衆議院では、次のとおりの決議がなされている。


まず、1995年6月9日「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」(「戦後50年決議」=「不戦決議」)をあげ、戦後50年にあたり、わが国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明するとともに、過去の戦争についての歴史観の相違を超え、歴史の教訓を謙虚に学び、平和な国際社会を築いていかなければならないこと、そして、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念の下、世界の国々と手を携えて、人類共生の未来を切り開く決意を表明した。


また、2000年5月30日「戦争決別宣言決議」では、人類は二度の大戦はじめ多くの戦争により言語に絶する惨禍を被りながらも、冷戦終結後10年を経た今日にあっても続発する武力衝突や核、ミサイル等の大量破壊兵器の開発、拡散が憂慮されていること、今、21世紀を迎えるに当たり、日本はじめ各国は、過去の戦争の傷跡や新たな武力の脅威に対し、人類の最大の願いである国際平和の実現への決意を新たにし、戦争の惨害から将来の世代を救わねばならないこと、唯一の被爆体験を持つわが国は、日本国憲法に掲げる恒久平和の理念の下、歴史の教訓に学び、国際平和への貢献に最大限努力するとともに、日本はじめ各国が国家間の対立や紛争を平和的な手段によって解決し、戦争を絶対に引き起こさないよう誓い合うことについて、世界に向け強く訴えることを表明した。


さらに、2005年8月2日「国連創設及びわが国の終戦・被爆60周年に当たり、更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議」では、「政府は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念のもと、唯一の被爆国として、世界のすべての人々と手を携え、核兵器等の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦実現への探究など、持続可能な人類共生の未来を切り開くための最大限の努力をすべきである」ことを表明した。


憲法の恒久平和主義を尊重する上記決議は、これからの日本が進むべき道の指針とされるべきである。


2.憲法改正手続法の制定と憲法改正をめぐる情勢

(1)下関宣言と鳥取宣言

当連合会は、1997年の下関人権擁護大会において「国民主権の確立と平和のうちに安全に生きる権利の実現を求める宣言」(下関宣言)、2005年の鳥取人権擁護大会において「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」(鳥取宣言)、をそれぞれ採択した。


下関宣言は、憲法施行50年にあたり、国民主権の確立と平和のうちに安全に生きる権利(平和的生存権)の実現をはじめとする憲法の基本原理の実現と定着を目指したものである。鳥取宣言は、政党、財界、新聞社などから多くの改憲案や改憲に向けた意見が述べられるといった、憲法改正をめぐる議論がなされているなかで、「憲法は、全ての人々が個人として尊重されるために、最高法規として国家権力を制限し、人権保障などをはかるという立憲主義の理念が堅持されること、国民主権・基本的人権の尊重・恒久平和主義など日本国憲法の基本原理が尊重されること」を求めるとともに、憲法9条の戦争を放棄し、戦力を保持しないというより徹底した恒久平和主義は、平和への指針として世界に誇りうる先駆的意義を有することを確認したものである。


(2)憲法改正手続法の成立とその問題点

しかし、その後、憲法改正に向けての法整備はすすめられ、2007年5月14日には、日本国憲法の改正手続に関する法律(以下「憲法改正手続法」という。)が可決成立し、同月18日に公布された。


当連合会は、国民主権主義などの憲法の基本原理を尊重する見地から、また硬性憲法の趣旨からも、憲法改正手続法については、最低投票率の定めがないことをはじめ、本来自由な国民の議論がなされるべき国民投票運動に萎縮効果を与えるような多くの制約が課されること、資金の多寡により影響を受けないテレビ・ラジオ・新聞利用のルール作りが不十分であること等多くの問題があることを指摘してきた。しかし、これらの重大な問題点が解消されず、広く国民的論議が尽くされることなく、憲法改正手続法は可決成立したものであり、同法が十分な審議を経ていないものであることは、参議院において最低投票率制度の意義・是非について検討することを含む18項目にも亘る附帯決議がなされたことからも明らかである。


ところで、この憲法改正手続法は、2010年5月18日から施行されることとなるが、憲法審査会の設置に関する規定については既に施行されており、法的に憲法審査会を設置することは可能な状況にある。


自由民主党は、同法施行以前であっても、憲法改正案の審議はできないものの、憲法改正のための大綱や骨子のようなものを作成することは可能であるとの見解を示している。このような情勢に鑑みれば、憲法改正は現実の問題となりつつあると言わざるを得ない。


3.憲法に関連する諸立法や解釈改憲の動きなど

ここ約10年の間に、周辺事態法、テロ特措法、イラク特措法、武力攻撃事態法などの有事法制3法、国民保護法などの有事関連7法の制定、度重なる自衛隊法の改正や防衛庁設置法の改正に基づく自衛隊の海外派遣の拡大や本来任務化、防衛庁の防衛省への格上げ、テロ特措法に代わる給油新法の制定などの立法や法改正が行われ、また、首相の私的諮問機関(有識者会議)から集団的自衛権の容認を提言する報告書が提出され、国会議員の間で「自衛隊派遣恒久法」制定の動きがあるなど、平和についてのわが国のあり方を大きく左右する立法や政治状況が続いている。


当連合会は、これらの諸立法や動向に対し、適宜、憲法に抵触するものではないか、特に憲法が認めていない集団的自衛権の行使を認めるものではないか、明文の憲法改正を先取りするものではないか、などの点を検討し、意見を述べてきた。たとえば、自衛隊をイラクへ派遣することを目的とするイラク特措法については、2004年2月3日理事会決議、同年4月17日会長声明などで、国際紛争を解決するための武力行使および他国領土における武力行使を禁じた憲法に違反するおそれが極めて大きいものであることにより反対であることを明らかにし、そのうえで、自衛隊の派遣先がイラク特措法が禁じる「戦闘地域」であることも指摘し、繰り返しイラクからの撤退を求めてきた。


名古屋高等裁判所は、2008年4月17日、いわゆる自衛隊イラク派遣差止訴訟判決において、航空自衛隊がアメリカからの要請によりクウェートからイラクのバグダッドへ武装した多国籍軍の兵員輸送を行っていることについて、バグダッドはイラク特措法にいう「戦闘地域」に該当し、この兵員輸送は他国による武力行使と一体化した行動であって、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない行動であると判断した。そして、憲法9条についての政府解釈を前提とし、イラク特措法を合憲とした場合であっても、この兵員輸送は、武力行使を禁じたイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同法同条3項に違反し、かつ憲法9条1項に違反するとの判断を示した。そのうえで判決は、原告個人が訴えの根拠とした憲法前文の平和的生存権について、現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして、全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であり、単に憲法の基本的精神や理念を表明したにとどまるものではなく、局面に応じて自由権的、社会権的、または参政権的な態様をもって表われる複合的な憲法上の法的な権利として、その侵害に対しては裁判所に対して保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求できるという意味において、具体的な権利性が肯定される場合もあり、憲法9条に違反する戦争への遂行等への加担・協力を強制される場合には平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして司法救済を求めることができる場合がある、と判示した。


当連合会は、4月18日、名古屋高等裁判所の判決について、同判決は当連合会のかねてからの主張の正しさを裏付けるものであるとともに、憲法前文の平和的生存権について具体的権利性を認めた画期的な判決として高く評価し、あらためて政府に対し、判決の趣旨を十分に考慮して自衛隊のイラクへの派遣を直ちに中止し、全面撤退を行うことを強く求める会長声明を発表した。


4.鳥取宣言の意義と課題

(1)鳥取宣言の意義

当連合会が、憲法改正に向けた動きに対して、鳥取宣言をしたのは、現在進められている改憲論議には重大な問題があり、これらの問題点は、以下のとおり日本国憲法の理念や基本原理を大きく変容させるものと危惧せざるを得なかったからである。


たとえば、改憲論の中には、憲法に「国民の責務」条項などを導入しようとするもの、憲法は権力制限規範にとどまらず国民を拘束するものであるという考え方を示しているものもあるが、これは、憲法を権力を縛るものから国民を統合・統制する行動規範に変えようとするものであり、この国のあり方を根本からくつがえし、立憲主義を否定することにつながりかねない。また、人権相互の調整原理として機能してきた「公共の福祉」を人権の上位概念として位置づけられているとみることもできる「公益」や「公の秩序」と書き換えることは、基本的人権の広汎な制約を容認することとなりかねないものである。さらに、改憲論の中には、国民が直接自らの意思を反映する機会である、最高裁判所裁判官の国民審査、憲法改正の国民投票、地方自治特別法の住民投票について、いずれも廃止ないし制限しようとする見解が存するのは、国民主権を空洞化させるものではないかとの疑問を抱かざるを得ないものである。


そして、恒久平和主義に関し、改憲論の多くが述べる平和主義は、軍隊の設置を明記し、武力の行使を認める平和主義であり、これは、憲法の恒久平和主義とは異なるものである。また、軍事裁判所の設置は、下級裁判所としての位置づけとはいえ独自の法体系に基づく特別な裁判所を創設するものであり、軍隊及び軍に関する問題を司法権ないし司法救済の例外とするものにつながり、そうなれば基本的人権は強く脅かされることになり是認できない。


(2)残された課題

もっとも、憲法前文に定める平和的生存権や憲法9条の下での恒久平和主義をどう捉えるかについては、鳥取の人権擁護大会でも、平和的生存権および憲法9条の意義、日本および世界における平和の構築のあり方、日本の国際貢献のあり方などにつき、国民の中にも、また弁護士の中にも多様な意見があることが明らかになった。そして、この鳥取宣言を更なる出発点として、平和的生存権や憲法9条2項について会内の議論が深められていかなければいけないことが再認識された。
鳥取宣言を更なる出発点として、憲法の恒久平和主義をどう考えるかなど改憲問題に正面から取組み、会内の議論を深め、できる限りの意見集約を図り、市民に必要かつ的確な情報を提供しつつ、問題点を指摘し、責任ある提言をしていくことは、当連合会に課せられた重要な課題である。


(3)議論の深化

ところで、各地での議論が積み重ねられていく中、鳥取宣言当時には、十分意識されていなかった改憲論の問題点も浮き彫りになってきている。たとえば、当連合会は、憲法60年記念シンポジウム「憲法改正と人権・平和のゆくえ」として、まず、2007年4月21日に「パートⅠ 規制緩和と格差社会から考える」を開催し、「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」の問題を切り口にして、経済のグローバリズム化がもたらした規制緩和政策が、新たな貧困と格差社会を生み出し、生存権などの社会的基本権の保障のみならず、個人の尊厳(尊重)を重視する憲法の基本理念そのものを揺るがしつつある問題であること、その現実と憲法改正の動きが関連するものであることを検証した。


また、憲法9条の意義、日本と世界における平和の構築のあり方、わが国の国際貢献のあり方についても、2007年7月21日に「パートII イラク戦争から何を学ぶか」を開催し、イラクの映像を用いて、イラク戦争の真実の姿や様々な問題点が明らかにされ、アメリカ中心の国際法を無視した軍事力行使に日本としてどのように関わるべきかといった問題などについて議論をした。さらに、2008年4月22日には、「パートIII 在日米軍・自衛隊の実態から憲法9条を考える」を開催し、日米軍事同盟「再編」の実態、在日米軍基地で起きていること、テロとの対決などを名目として戦争を遂行しているアメリカにおける人権状況、憲法9条改憲の狙いは何かなどについて、検証し、議論をした。


当連合会のみならず、全国各地の弁護士会、連合会においても、このようなシンポジウムや意見交換会などが市民も交えて開かれ、平和的生存権や憲法9条、13条、25条などに関して議論が広がり、深められている。


5.憲法9条の先駆的意義と今日的意義

(1)平和的生存権と憲法9条の先駆的意義

鳥取宣言においては、憲法は、戦争が最大の人権侵害であることに照らし、恒久平和主義に立脚すべきことが確認されるとともに、日本国憲法第9条の戦争を放棄し、戦力を保持しないという非軍事の徹底した恒久平和主義は、以下のとおり平和への指針として世界に誇りうる先駆的意義を有するものであることが確認された。


すなわち、第1は、平和と人権の密接不可分性を深く洞察し、人権保障の基底的権利である全世界の国民の平和的生存権を確認した先駆性である。


第2は、日本が国際社会に対して、率先して、一切の戦争(武力行使)を行わないことを具体的に保障するため、軍隊その他の戦力を保持しないことを世界で初めて憲法に明記したことの先駆性である。国連憲章は、国際紛争の平和解決を原則としつつ、例外的に集団的な安全保障構想(相互保障)を採用しているが、憲法は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」率先して武力の行使を放棄することを宣言したものであり、国連憲章を超える先駆性を有する。


第3は、憲法は、軍隊その他の戦力を保持しないことを憲法に明記することにより、日本が、国際社会において、積極的に、軍備の縮小や軍備の撤廃実現を目指して努力する義務を憲法上の責務として課した先駆性である。


第4は、国内的には、軍隊の保有を禁じること(軍事費の支出禁止、軍事的理由による権利制約禁止等)により、国民の生活、基本的人権を優先的に保障する社会的・経済的基盤を保障したことの先駆性である。これらにより、政府は、自衛権を「自衛のための最小限度の実力」を保持するものと解し、専守防衛政策をとり、自衛隊の海外での戦闘行為や集団的自衛権の行使を否定してきた。その下で非核三原則、武器輸出禁止三原則、基盤的防衛力構想、防衛費GNP1%枠などの原則・基準を表明してきた。


第5は、憲法の平和的生存権は、1948年12月国連総会で採択された世界人権宣言、1966年国連総会で採択された国際人権自由権・社会権規約などにその理念が引きつがれた先駆性である。


そして、1978年12月15日に国連総会で採択された「平和に生きる社会の準備に関する宣言」においては、「平和に生きる固有の権利」が承認され、1984年11月12日に国連総会で採択された「人民の平和への権利についての宣言」においては、「人民の平和的生存の確保は各国家の神聖な義務である」、「地球上の人民は平和への神聖な権利を有することを厳粛に宣言する」とされ、平和のうちに生存する権利が確認された。そして、同じ認識に立つ考えが、UNDP(国連開発プログラム)の年次報告「人間開発報告書」1994年版に、新しい安全保障の概念=人間の安全保障として登場している。


(2)改憲論の主張

これに対し、有力な改憲案の中には、前記のとおり、憲法前文の平和的生存権を削除し、かつ、戦力の不保持、交戦権の否認を定めた憲法9条2項も削除して、自衛隊を憲法上の「自衛軍」と位置づける案も存する。その理由として憲法9条と現実との乖離の是正、国際社会における軍事貢献の必要性、わが国をめぐる東北アジアの安全保障、日米同盟強化などがあげられている。


このような改憲論の主張は、憲法9条に対し、自衛力による自衛権を否定し、一切の戦力を保有しないと規定したことは、わが国の安全保障を根幹から脅かすものであり、非現実的であるとの批判的見解にたつものといえよう。この批判的見解に立つと、平和的生存権や憲法9条は、制定当初先駆的意義を有していたことについては評価するもの、制定後の国際情勢の変化の中で、現実的適応能力のなさを露呈し、現在、わが国をめぐる安全保障環境に適応する憲法規範として不適切なものとなっており、今日的な意義を喪失しているとして、変更されるべきものと位置づけられる。


(3)平和的生存権および憲法9条の今日的意義

(1)当連合会は、鳥取宣言および本人権擁護大会に至る議論の深化をふまえ、平和的生存権および憲法9条が、以下のとおり今日きわめて重要な意義を有することを確認するものである。


すなわち、第1に、平和的生存権は、すべての基本的人権保障の基礎となる具体的な人権であり、パレスチナ、チェチェン、南北オセチア、コンゴ、アフガニスタン、イラクなど戦争・武力紛争や暴力の応酬が絶えることのない今日の国際社会において、全世界の国民の平和に生きる権利を実現するための具体的規範とされるべき重要性を有する。


第2に、戦争は最大の人権侵害・環境破壊であり、対人地雷、劣化ウラン弾、クラスター爆弾・バンカーバスター爆弾・デージーカッター爆弾、核兵器、生物・化学兵器などの発達に伴い、今日の戦争や武力紛争は、甚大な環境破壊を伴いながら、死者や負傷者のうち一般市民・非戦闘員が占める割合を飛躍的に増大させ、場合によっては、勝者も敗者もない残酷な殲滅戦争として続く可能性が大きい。このような状況において、軍隊・武力により平和を構築することの矛盾や困難さを想起すべきであり、今日軍隊・武力による平和の実現という思考では平和の実現は不可能ないし困難であることが意識されつつある。平和的生存権および憲法9条はそのような意識を強く後押しするものであり、平和なくして人権保障はありえないことから、きわめて重要である。


第3に、憲法9条は、現実政治との間で深刻な緊張関係を強いられながらも、憲法規範として有効に機能し、上記のとおり自衛隊の組織・装備・活動等に対し大きな制約を及ぼし、また、海外における武力行使や集団的自衛権の行使を禁止する根拠となっている。たとえば、周辺事態法、テロ特措法、イラク特措法、周辺事態船舶検査法などの自衛隊海外派遣法制では、武力行使禁止原則が貫徹され、任務遂行のための武器使用が禁止され、武器使用による対人殺傷は刑法第36条、37条の要件(正当防衛、緊急避難)を満たす場合のみであり、武器使用の主体は部隊ではなく、個々の自衛官である。防衛対象も限定(自己、又は自己と共に任務遂行するもの、職務を行うに当り自己の管理下に入った者)されて、「かけつけ警護」はできないとされている。自衛隊の活動地域は、前線ではなく、後方地域、非戦闘地域に限定され、活動内容も後方地域、人道復興、安全確保の各支援活動に限定されている。このような制約は憲法9条の規範的拘束力によるものとして、高い評価を受けている。


第4に、憲法9条は、軍備や軍事に充てられていた資源を人々の生存権保障や温暖化など世界的な危機にある今日の地球環境の保全・回復に向けることを可能とする。  


(2)非軍事の徹底した恒久平和主義は、21世紀の世界平和を創り出す指針として世界の市民からも注目を集め、高く評価されている。


例えば、1999年5月にオランダのハーグで世界各地のNGOが結集して開催されたハーグ平和アピール世界市民会議において採択された「公正な世界秩序のための基本10原則」は第1項に「各国議会は、日本の憲法9条のように、自国政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」と日本国憲法9条を掲げている。


武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ(GPPAC)は、2005年7月、国連本部で開催されたNGO国際会議で採択された暴力紛争予防のための世界行動提言の中で、「世界には、規範的・法的誓約が地域の安定を促進し信頼を増進させるための重要な役割を果たしている地域がある。例えば日本国憲法第9条は、紛争解決の手段としての戦争を放棄すると共に、その目的で戦力の保持を禁止している。これは、アジア太平洋地域全体の集団的安全保障の土台となってきた。」と指摘し、第9条が世界平和構築の基礎になっていることを承認している。
その他、「世界平和フォーラム」宣言(2006年6月、カナダ)、ナショナル・ロイヤーズ・ギルド(全米法律家組合)総会決議(2007年11月)、「9条世界会議」の「戦争を廃絶するための9条世界宣言」(2008年5月、日本)においても、憲法第9条の理念や価値が21世紀の今日、世界平和を実現するための指標とされ、世界各国に広められるべきことが確認されている。


6.本宣言の意義

憲法は、個人の尊厳と恒久の平和を実現するという崇高な目標を掲げ、その実現のための不可欠な前提として平和的生存権を宣言し、具体的な方策として第9条を定めたものであり、その今日的意義を確認することは、日本だけでなく世界の人々にとって極めて重要な意義を有するものである。我々弁護士は、これまで積み重ねてきた憲法9条に関する議論をさらに深化させ、人権が尊重される社会の実現と、日本と世界の平和の実現のために、憲法改正論議と正面から向き合っていかねばならない。


当連合会は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士の団体として、21世紀を輝かしい人権の世紀とするため、本宣言に基づき、さらに平和的生存権および憲法9条の意義について広く国内外の市民と議論し、共通の理解が得られるよう努力するとともに、憲法改正の是非を判断するための必要かつ的確な情報を引き続き提供しつつ、責任ある提言を行い、世界の人々と協調して基本的人権の擁護と世界平和の実現に向けて取り組むことを決意するものである。


以上