弱者の裁判を受ける権利を侵害する「弁護士報酬敗訴者負担」法案に反対する決議

政府は、本年3月2日、「民事訴訟費用等に関する法律の一部を改正する法律案」を通常国会に提出した。同法案は、当事者双方が弁護士等の訴訟代理人を選任している訴訟において、当事者双方の共同の申立てがある場合に、弁護士等訴訟代理人の報酬の一部を敗訴者の負担とする制度を設けるというものである。


当連合会は、両面的弁護士報酬敗訴者負担制度は市民の司法アクセスを不当に萎縮させるとして幅広い運動を展開し、制度の一般的導入に強く反対してきた。その反映として、法案は、各自負担を原則としかつ厳格な導入要件を付した制度設計をしている。


しかし、法案には重大な欠陥がある。法案は、共同の申立てをする旨の合意については訴訟の係属後において訴訟代理人を選任している当事者の間でされたものを除き無効としているが、これは訴訟手続法上の訴訟契約についてのもので、実体法上の契約の効力は別であるとされている。すなわち、訴訟前の契約において「この契約に関する訴訟で敗訴した者は、勝訴した者の弁護士報酬を支払う」旨の「敗訴者負担条項」が入れられた場合は、訴訟上の共同申立てがなくとも、「敗訴者負担条項」に基づいて弁護士報酬を請求されることになる。


合意による敗訴者負担制度が導入されれば、裁判外の私的契約や約款・就業規則などに「敗訴者負担条項」を記載することが広がっていくと懸念される。そうなれば消費者、労働者、中小零細業者など社会的に弱い立場にある人は、敗訴したときの「敗訴者負担条項」に基づく弁護士報酬の請求をおそれて、訴訟を提起することも受けて立つことも躊躇せざるを得ない。結果として市民の司法へのアクセスに重大な萎縮効果を及ぼす。のみならず、敗訴の場合に、社会的弱者にとって合理的に耐えうる限度を超える額の弁護士報酬を負担しなければならない事態も想定される。これでは、厳格な要件を付し、とりわけ「訴訟外の共同の申立てをする旨の合意を無効とする」措置を付して法案化した立法趣旨を没却することになる。


法案は、今秋の臨時国会において本格的審議に入る。当連合会は、社会的弱者の憲法上認められた裁判を受ける権利を実質的に保障し、司法による権利利益の救済の途を確保する見地から、少なくとも、消費者契約、労働契約(労働協約、就業規則を含む)及び一方が優越的地位にある当事者間の契約などに盛り込まれた敗訴者負担の定めは無効とし、更にこの趣旨を徹底するため、消費者訴訟、労働訴訟及び一方が優越的地位にある当事者間の訴訟においては合意による弁護士報酬敗訴者負担制度それ自体を適用しないこととする立法上の措置をとることを強く要求する。仮にその措置がとられない場合には、法案の成立には断固反対し、その廃案を求める。


以上のとおり決議する。


2004年(平成16年)10月8日
日本弁護士連合会


提案理由

1 政府は、2004年3月2日、いわゆる「合意による弁護士報酬敗訴者負担制度」の導入を内容とする「民事訴訟費用等に関する法律の一部を改正する法律」案を国会に上程したが、2004年通常国会では、実質審議に入らず、継続審議となった。今秋の臨時国会で本格的審議に入る。


2 弁護士報酬敗訴者負担制度の一般的導入は、市民に利用しやすい司法をつくることを目指す今次司法改革の理念と大きく矛盾する。


当連合会は、2002年10月11日開催の第45回人権擁護大会において「弁護士報酬の一般的な敗訴者負担制度は、市民の司法へのアクセスを抑制するおそれがあり、また裁判の人権保障機能及び法創造機能を損なうものであるから、その導入に強く反対する」との決議を満場一致で採択し、100万人署名、2003年5月30日の1、300人パレード、新聞意見広告、各種街頭行動などを実行した。また、2003年に52の単位弁護士会と8弁護士会連合会のすべてが反対決議あるいは声明を発表し、広範な市民と共に、司法アクセスを阻害する弁護士報酬の両面的敗訴者負担に反対する運動を展開した。北海道や石川県の地方議会も、制度導入反対の意見書を採択した。


3 本法案は、これらの日弁連や多くの市民の声が反映して、現行の弁護士報酬各自負担の原則を維持しつつ、訴訟提起後当事者に弁護士等訴訟代理人がついて合意した場合に弁護士等訴訟代理人の報酬の一部を訴訟費用に加えることにしている。


しかしながら、消費者契約、労働者と企業との間の就業規則、フランチャイズ契約や下請契約など力の格差のある当事者間の契約などに、「この契約に関する訴訟で敗訴した者は、勝訴した者の弁護士報酬を支払う」旨の条項が記載された場合の効力について、本法案はふれていない。司法制度改革推進本部の事務局は、本法案はあくまでも訴訟手続法上の訴訟契約に関するものであって、実体法上の契約の効力とは別の問題である、私的契約に「敗訴者負担条項」がある場合には、その条項に基づき、勝訴者は敗訴者に対し、自らの弁護士報酬を請求できると、説明している。


「合意による敗訴者負担制度」が法律によって新設された場合には、そのアナウンス効果により、私的契約上の「敗訴者負担条項」が拡大していくであろう。消費者や労働者、力の弱い事業者などは、契約締結にあたり「敗訴者負担条項」が契約書に記載されていることを理由に署名押印を拒むということは事実上できない。契約締結の後に契約に関する紛争が現実に生じた場合、契約上の「敗訴者負担条項」が前面に出てくる。社会的な弱者は、契約上の「敗訴者負担条項」に基づく弁護士報酬の請求をおそれて、裁判利用をためらってしまう。これでは、結果として現行の各自負担原則が事実上変容し、弱者の憲法上認められた裁判を受ける権利が侵害され、司法による人権救済の途を狭めることになる。


また、司法制度改革推進本部司法アクセス検討会での2003年9月までの議論では、消費者訴訟や労働訴訟など定型的に力の格差のある当事者間の訴訟については、弱者の司法アクセスを保障する観点から、両面的敗訴者負担制度を適用しない類型とすることで一致していた。ところが、今回の合意による敗訴者負担制度では、消費者訴訟や労働訴訟なども訴訟上合意すれば両面的敗訴者負担となる類型に組み込まれ、弱者の裁判を受ける権利の保障が後退している。


当連合会は、私的契約上の「敗訴者負担条項」の弊害を立法上解消することが不可欠であり、その立法上の措置がなされない限り本法案を廃案にすべきであると主張し、国会議員、マスコミ、市民への働きかけを、全力で行っている。本法案の帰趨は、まさに、市民と当連合会の運動にかかっているといってよい。


ちなみに、アメリカでは、私的契約上の「敗訴者負担条項」が広く普及している。しかし、他方で、社会的弱者や消費者、私人が行政や企業を相手にする訴訟については約200件の連邦法、約4、000件の州法で片面的敗訴者負担を明記し、これらの法律が私的契約上の「敗訴者負担条項」に優先する制度になっており、弱者の司法アクセスを保護している。アメリカの立法実例をみても、「私的契約上の敗訴者負担条項の弊害を立法で解消すべし」との当連合会の主張には根拠がある。


4 本法案は、今秋の臨時国会において、決着が付けられる。本法案の最終決着の直前に開催される当連合会第47回人権擁護大会の名において、本法案に対する当連合会の姿勢をあらためて会内外にアピールし、国会審議に強く反映させるべく、本決議を提案する。


以上