国際人権規約の活用と個人申立制度の実現を求める宣言

わが国は、1979年、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下、「国際人権(自由権)規約」という。)を批准し、同規約は、国内法的効力を有するに至った。しかしながら、批准以来17年を経た今日まで、国際人権(自由権)規約が法規範として、司法・行政等の場で機能しているとは言いがたく、国内の人権状況は、刑事手続、被拘禁者の処遇、女性の地位、在日外国人の人権を含む様々な分野において、国際人権(自由権)規約の求める国際人権保障の水準に達していない。


その原因は、第一に、国が国際人権(自由権)規約の周知徹底を怠るなど、同規約によって義務づけられた規約の国内的実施義務を果たしていないことにある。その結果、裁判官ですら、国際人権(自由権)規約の各条項やその適正な解釈についての理解を欠く場合が多いのが実情である。


第二に、わが国が、国際人権(自由権)規約に付帯する第一選択議定書を未だに批准していないことも、大きな原因の一つである。第一選択議定書は、人権を侵害された個人が国際人権(自由権)規約委員会に救済の申立をなし得る制度を定めたものであり、規約の実効性を確保する上で大きな役割を果たすものである。


当連合会は、1986年の徳島での第29回人権擁護大会、1991年度定期総会における決議等において、繰り返し第一選択議定書の批准を求めてきた。1993年、国際人権(自由権)規約委員会も、日本に対する「提言と勧告」の冒頭において、第一選択議定書の批准を強く勧告している。わが国が、これ以上批准を遅らせることは許されない。


よって、われわれは国に対し、国際人権(自由権)規約の周知徹底のための方策を講ずること、とりわけ裁判所においては同規約の適用を図る上での基盤づくりを行うこと、並びに第一選択議定書の早期批准を強く求める。


また、われわれは、国際人権(自由権)規約の積極的活用を図るとともに、第一選択議定書の批准を促進するため、更に積極的な運動を展開していくことを決意するものである。


以上のとおり宣言する。


1996年(平成8年)10月25日
日本弁護士連合会


提案理由

1.国際的人権保障の意義と国際人権規約成立の経緯

人類社会は、第二次世界大戦の惨禍を経て、国際平和の重要性を痛感するとともに、国内における人権尊重の欠如と他国に対する侵略とには、密接不可分な関係があるとの認識に達した。人権の尊重のないところに国際平和はなく、平和のないところに人権の保障もない。他方、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害が、国内法上は合法的になされたことから、人権の保障は、それぞれの国に委ねるだけでなく、国際的協力と監視の下で実現していかなければならないことも明らかとなった。


こうした認識の下に、国際連合は、1948年12月、世界人権宣言を採択し、すべての人民とすべての国が達成すべき人権の共通の基準を明らかにした。更に、国際連合は、この宣言を実効あらしめるために締約国を法的に拘束する人権条約の起草を始め、長期間の作業を経て、1966年12月、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国 際規約」(以下、「国際人権(社会権)規約」という。)、国際人権(自由権)規約及び同規約に付帯する第一選択議定書から成る国際人権規約を採択した。


わが国は、1979年6月に、国際人権(社会権)規約及び国際人権(自由権)規約を批准し、同年9月、両規約は国内法としての効力を有するに至ったが、その後17年を経ても、未だに第一選択議定書は批准していない。


2.日本の人権状況と国際人権基準

日本政府は、これまで3回にわたり、国際人権(自由権)規約により義務づけられている定期報告書を国際人権(自由権)規約委員会に提出し、同委員会による審査を受けたが、多くの委員から問題点が指摘され、1993年の第3回審査の後に採択された同委員会のコメントでは、具体的な「提言と勧告」が示された。


同コメントによれば、主要な懸念事項として、在日韓国・朝鮮人、部落民及びアイヌ少数民族に対する差別的取扱いの存続、女性の雇用・給与等における差別の存在、婚外子に対する差別的法規の存在、死刑制度とその運用、被拘禁者の状況、代用監獄制度と公判前勾留制度とその運用、表現の自由に対する制限があげられている。また、より一般的事項として、規約が国内法に優先することが明確でないこと、憲法上の「公共の福祉」による制限の運用が規約に適合するかも明瞭ではないとされている。


そして提言と勧告として、冒頭に第一選択議定書の批准が挙げられ、更に婚外子に対する差別をはじめとする全ての差別的な法律や取扱いの廃止を求めている。つづいて死刑制度につき、廃止への措置を講ずること及びその適用を最も重大な犯罪に限定すること、死刑の執行を待っている者の状況の再検討、被拘禁者に対する不当な取扱いを規制する予防的措置を更に改善するように勧告し、最後に公判前手続及び代用監獄制度につき、国際人権(自由権)規約のすべての要件に適合するようにされなければならず、特に、弁護の準備のための便宜に関しては、すべての保障が確保されなければならないと勧告している。


3.日本における国際人権(自由権)規約の活用状況

国際人権(自由権)規約の実体規定は、ごく一部の条項を除いては、いずれも自動執行力を有しており、直接わが国の裁判所において裁判規範としての効力を有している。しかし、実際には国際人権(自由権)規約の各条項に関する国際人権(自由権)規約委員会の解釈や学説、ヨーロッパ人権条約等の同種の人権規約に関する判例・学説などを踏えた上での、内容のある議論が裁判の場で展開されることは少ない。これまでの裁判では、国際人権(自由権)規約の解釈につき、憲法と同旨であるとして片づけてしまう例が多いが、これは同規約が保障する人権の内容や範囲が、必ずしも憲法と同一でないことを看過するものである。このため、国際人権(自由権)規約は、裁判規範としての機能を殆んど発揮し得ていない。これは大学教育では勿論、司法修習やその後の裁判官研修等においても、国際人権(自由権)規約の解釈やその適用につき、充分な知識を習得する機会が確保されていないことが大きな原因である。


更に、司法のみならず、政府・自治体の行政官、また、各種公私の団体、一般市民においても、国際人権(自由権)規約の意義・内容についての知識や関心が欠如している。国際人権(自由権)規約委員会によれば、同規約2条は、各締約国政府に対し、同規約をすべての行政・司法機関並びに個人に周知させる義務を課していると解されている。また、日本国憲法98条2項は、条約の誠実遵守義務を定めている。しかしながら、日本国政府や最高裁判所は、明らかにこの周知義務を怠っているため、一般市民はおろか、司法権を担う裁判官にすら同規約が周知されていないのが実情である。


4.第一選択議定書批准の意義と批准を阻害している要因

第一選択議定書は、国際人権(自由権)規約に定める権利を侵害された個人が、国際人権(自由権)規約委員会に申立をし、同規約違反の有無について、同委員会の「見解」を求めるという救済手段を提供するものである。同委員会は、これまでに数多くの個人申立を受理し、審査をした上、「見解」という形式で規約違反の有無を判断し、当事国に対し、適切な救済措置をとることを求めている。


わが国の最高裁においては、かつて日本軍の軍人または軍属として戦地に赴き戦死傷した台湾人及びその遺族らの補償請求を排斥しており、更に現在下級審に係属中である在日韓国・朝鮮人の元日本軍人・軍属の恩給法等に基づく補償請求も、国籍を理由に斥けられているが、国際人権(自由権)規約委員会の解釈とは正反対である。すなわち、フランスにおいては、旧フランス植民地であったセネガル出身の元フランス軍人が、セネガル独立後フランス国籍を失ったことにより、軍人年金をフランス人退役軍人より低額に据え置かれたが、これにつき、国際人権(自由権)規約委員会は、規約26条(法の前の平等)に反する国籍による差別取扱いであるとの「見解」を採択し、フランスはこれを受けて是正措置を講じている実例がある。


「見解」は、法的拘束力を有するものではないが、この判断を無視することは国際的な批判を浴びることになる。このため各国家機関や裁判官は、国際人権(自由権)規約との適合性に留意せざるを得なくなる。すなわち第一選択議定書の批准は、国際人権(自由権)規約による人権の国際的保障を実効あらしめるための重要な要素である。


ところで、日本政府は、国際人権(自由権)規約委員会に対し、第一選択議定書を批准していない理由として、「司法権の独立」の侵害になるおそれがないかどうかを検討していること、及び「濫用のおそれ」についての懸念をあげている。


しかしながら、「司法権の独立」については、同委員会は、国内裁判所の事実認定と国内法の解釈・適用については、例外的場合を除き充分尊重しており、同委員会が第4審裁判所でないことは確立されている。問題は、国内の裁判所による規約の解釈と同委員会の解釈がくい違う場合である。委員会の「見解」は、法的拘束力はないが、各国裁判所といえども、条約締結国の一機関として、多数国間条約である同規約そのものにより設置され、批准国の総意に基づいて運営され、各締約国における規約の実施につき監視・指導に当たっている委員会の解釈を尊重しなければならない。それは、憲法98条2項に規定する条約の誠実遵守義務に沿うことではあっても、司法権の独立を害するものではあり得ない。


更に、「濫用のおそれ」は、主として国際人権(自由権)規約委員会が考慮し、対処すべき問題であり、また、同委員会の現在までの実績と87か国という多数の国々の批准の事実を見れば、そのようなおそれのないことは明らかであって、わが国のみが問題とすべきことではない。


5.今後の課題

(1) 国際人権(自由権)規約の周知と活用

国際人権(自由権)規約が、国内で充分活用されるためには、なによりもまずその周知徹底が図られなければならない。


具体的には、まず政府が、広く市民に対して、講演会の開催、詳細な説明書やパンフレットなどの作成・配付などの広報活動により、周知徹底に努めるべきである。同時に、検察官、警察官を含めた各種国家公務員に対して、研修、教育、資料配付等を行わねばならない。最高裁判所並びに各裁判所は、国際人権(自由権)規約の裁判規範としての積極的な活用を図るための基盤づくりとして、裁判官、書記官の研修などの際に、国際人権(自由権)規約委員会の「一般的意見」や「見解」、ヨーロッパ人権条約等の同種人権条約の判例などの紹介を付した同規約の詳細な解説書を作成・配付するなど、国際人権(自由権)規約の適正な解釈のための便宜を図り、周知徹底を図るべきである。さらに、司法修習生の研修において、同規約の講座を設けるなどして、同規約を周知させるべきである。


われわれ弁護士も、当連合会の関連委員会相互の連絡・協力を図りながら、会員の研修や弁護修習において国際人権(自由権)規約を取り上げるなど、会員等の活用を援助するとともに、情報収集、調査、研究に努める必要がある。また、最近東京高裁の大麻取締法違反事件、大阪高裁、徳島地裁の国賠訴訟などにおいて、国際人権(自由権)規約違反ないし違反の疑いありとする勝訴判決が得られているが、この様な成果を含め、同規約についての知識・経験を全会員の共有財産として会内に広く周知を図り、各会員が、同規約の適用を求めて積極的な法廷活動を展開できるようにする必要がある。


(2) 第一選択議定書の批准促進

また、人権を国際的に保障するとの国際人権(自由権)規約の理念に鑑みれば、第一選択議定書の批准は、何にもまして重要な課題である。1996年7月28日現在、国際人権(自由権)規約批准国133か国のうち、87か国が第一選択議定書を批准している。アジアでも、韓国、フィリピン、ネパール、モンゴルなどが既に批准している。わが国が、第一選択議定書を批准することは、自国内の人権水準を高めるため必要であるだけでなく、アジアにおける未批准の国々の批准を促進させ、アジアの人権保障の向上に寄与することとなる。


既に指摘したように、国際人権(自由権)規約委員会は、日本政府に対して、強く第一選択議定書の批准を勧告している。日本が、第一選択議定書を批准することは、国際社会の求めるところである。


よって、われわれは、政府と国会に対して、速やかに第一選択議定書を批准するよう求めるとともに、われわれもまた、当連合会における体制の整備を図り、同議定書の批准促進運動に全力を尽くすことを決意するものである。