野生生物の保護を求める決議

生命の惑星地球は、30数億年の時を経て、実に1300万種以上といわれる生物を育んできた。しかるに、近年の他の生物を顧みない人類の諸活動は、この悠久の時をかけて進化した生物の多様性を破壊し、異常なスピードで動植物の絶滅を惹き起こしている。


当連合会は、1986年10月の第29回人権擁護大会において、人類は自然の一員であり、その生存基盤である自然を保全し、その恵みを受ける権利、自然享有権を現在及び将来の世代が有することを宣言し、そのための法制度の確立を求めた。しかし、依然として続く開発優先の政策によって、日本各地で自然破壊は深刻さを増し、日本版レッドデータブックによれば、生息地の荒廃や破壊によって、現在ツシマヤマネコ等283種の脊椎動物、895種の維管束植物が絶滅の危機に瀕している。


1992年6月に制定されたいわゆる「種の保存法」の第1条は、野生生物の保護の重要性を謳ってはいるが、肝心の「生息地等保護区」の指定が裁量的で、仮に指定されても、その区域内での行為規制が極めて限定的であるため、開発行為の効果的な規制は期待できない。また、「鳥獣保護法」や「文化財保護法」の天然記念物指定は、生物の多様性の保全という観点をほとんど持っていなかった。しかも、上記関連法は、いずれも所管官庁が別個で、統一的な施策を実施しにくい状況にあり、「生物多様性条約」に基づいて昨年10月閣議決定された「生物多様性国家戦略」も、これらの現行制度を前提にしているため、その実効性には疑問がある。


一方、「環境基本法」も、環境権や自然享有権の明示規定、「環境基本計画」の他計画への優位性の規定やその策定手続への住民参加規定、実効性を担保するための「市民訴訟条項」等を欠いているため、国民が野生生物・自然保護のための施策を国及び地方公共団体に求めたり、様々な開発行為の是正を司法的救済によって実現するのは、現実には極めて困難な状況にある。


われわれは、この現状を改めるために、国及び地方公共団体に対し、次の施策を求める。


  1. 「種の保存法」指定種については、直ちにそれぞれ必要な「生息地等保護区」を指定し、指定地の買取りを含めた十分な保護政策を実施すること。
  2. 「生物多様性国家戦略」を所管官庁の枠を越えて実効性あるものにするとともに、それに必要な「種の保存法」、「鳥獣保護法」、「文化財保護法」等の関連法を整備すること。
  3. 国は、「環境基本計画」、「生物多様性国家戦略」に定める、生物の多様性の確保及び野生生物の保護に関する施策の第一歩として、全国レベルでの総合的で科学的な自然環境調査に基づいた「野生生物保護管理計画」を国民参加のもとに策定し、地方公共団体は当該地域レベルの同様の計画を住民参加のもとに策定すること。
  4. 環境基本法に環境権、自然享有権の明示規定と、「市民訴訟条項」を追加し、国土利 用計画法をはじめとする開発に関する個別法にも市民訴訟条項を設けること。

以上のとおり決議する。


1996年(平成8年)10月25日
日本弁護士連合会


提案理由

1.生物の多様性

われわれが現在知りうる限り、地球は生命を宿す唯一の惑星である。しかも、1300万種とも5000万種ともいわれる、実に多様な生命に満ち溢れている。これは30数億年という途方もない時間をかけた生物の進化の結果である。


われわれ人類も、この多様な生物が織りなす豊かな生態系の中で進化をし、文化的な進歩を遂げてきた。


この生物の多様性がもたらす恩恵は、衣・食・住、燃料、医薬品の原材料といった直接的なものだけでなく、大気組成の維持、集水域・沿岸の保全、土壌生産力の維持、老廃物の分散・分解・循環等の間接的なものや、やすらぎといった精神的なものにまで及んでいる。現世代はもちろんのこと、将来の世代の人々のためにも、生物の多様性がもたらす利益を損なわないよう、これを上手に保全していかなくてはならない。


この生物の多様性は、遺伝子・種・生態系の3つのレベルでの多様性を言うのであるが、これらは近年地球的規模で急速に失われている。


2.生物多様性衰退の現状

近年における種絶滅の速度は、自然状態に比して50~100倍に上ると推測されており、また、種の半数以上がここに生息していると言われる熱帯林は、1980年代初 頭から中頭にかけて、毎年約1000万haが伐採により失われ、この速度が続くと、25年後には、主として植物と鳥類の2~25%が減少すると予想されている。


わが国においても、ごく最近までは、身近でありふれた存在であったメダカやタガメ等が姿を消してしまったし、秋の七草の一つであるフジバカマも、ごく一部の河原でしか見られなくなっている。「ニッポニア・ニッポン」という学名を持つトキも、以前には水田地帯に多数生息していたのに、今は年老いた1羽を残すのみである。日本版レッドデータブックによると、ツシマヤマネコ等283種の脊椎動物、895種の維管束植 物(シダ類および花を咲かせる植物)が絶滅、あるいは絶滅の危機に瀕している。


この様に、さまざまな生物種を絶滅に追いやることは、1982年10月28日に採択された「すべての生命形態は固有のものであり、人間にとって価値があるか否かにかかわらず尊重されるべきものである」とする世界自然憲章(国連総会決議)の趣旨に反するだけでなく、人類にとっても、生物の多様性がもたらす有形、無形の恩恵を将来にわたって享受することができなくなるばかりか、生存の基盤を失う事態をも招来しかねないのである。


3.多様性喪失の原因-法制度の不備

わが国において、この様に生物多様性が失われてきた最大の理由は、様々な開発行為によって、野生動植物の生息地等が全国的に縮小・破壊されてきたことにある。


自然保護の重要性が叫ばれて数十年が経過しても、依然として効果的な対策が採られていないのは、わが国の自然保護関連法の所管が複数の官庁に分かれていて、縦割り行政の弊害を克服できず、地域指定や、保護対策に一貫性を発揮できなかったからである。それゆえ、1973年にいわゆる「ワシントン条約」が締結され、絶滅の危機に瀕する動植物種の国際取引が制限された段階でも、国内における生物多様性保全のために、アメリカ合衆国が同年に制定した Endangered Species Act (絶滅の危機に瀕する種についての法律。以下、「ESA」という。)の様な立法がなされなかっただけでなく、生物多様性保全の視点のもとでの開発規制、自然保護政策は、ほとんど行われなかった。すなわち、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律(以下、「鳥獣保護法」という。)、文化財 保護法、森林法、自然公園法には、生物多様性の保全の観点は欠いたままであったし、自然環境保全法は、生態系の保護を謳っているものの、地域指定が特にすぐれた自然に限定されているうえ、自然公園法等先行の法律による地域指定に対する配慮から、十分な地域指定ができていない。一方開発法制には、その許可基準に、当然そうした視点は欠如していたから、都市部の周辺のみでなく、比較的良好な自然環境が保たれてきた農 山村地域においても、次々と野生生物の生息地は破壊されていったのである。


4.自然享有権の提唱

この様なわが国の自然保護法制の状況に鑑み、当連合会は、1986年10月18日、徳島市で開催した第29回人権擁護大会において、「人は、生まれながらにして等しく自然の恵沢を享有する権利を有するものであり、これは自然法理に由来する。いま自然を適正に保護するために、この権利をあらためて確認する。」として、自然享有権を提唱し、その確立のための法制度の整備を求めた。


この権利の提唱は、自然に対する人類の位置づけを明確にするとともに、わが国の上記のような法制のもとで、各種開発行為による環境破壊について、司法救済を求めた際に、「私法上の権利」、あるいは「法律によって保護された利益」を欠くなどの理由で、それまでほとんど有効な対抗策を取りえなかった地域住民、環境保護団体等に対し、その理論的な根拠を示すためでもあった。


5.種の保存法、環境基本法の制定とその問題点

爾来10年が経過し、地球規模での環境破壊に対する認識の広がりを背景に、1992年に地球サミットが開催され、その際、生物の多様性を保全する目的で、生物の多様性に関する条約(以下、「生物多様性条約」という。)が締結された。


同条約の締結に前後して、わが国でも、1992年6月に、絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法(以下、「種の保存法」という。)が、1993年11月には、環境基本法が制定されたが、以下に述べるとおり、これらは内容的に極めて不十分であり、生物の多様性を保全するための有効な法律とはなっていない。


種の保存法については、そもそも同法はその名のとおり、野生生物のうち絶滅のおそれのある種を対象としているに過ぎず、生物の多様性の保全についての効果は、限定的なものであるという限界がある。


加えて、アメリカのESAのように保護対象となる「国内希少野生動植物種」の指定について、国民の申立権や同法を実現するための訴訟は何人(any person, この言葉は個人のみではなくグループを含むと定義されている。)も、これを提起できるとのいわゆる「市民訴訟条項」がないばかりか、野生動植物の保護のためには欠かせない生息地の保全に関する「生息地等保護区」の指定も裁量的で(同法5条、36条1項)、かつ、この生息地等保護区内での行為制限も極めて限定的である(同法37条ないし39条)等、開発行為の効果的な規制は期待できない内容となっている。


同法で、国内希少野生動植物種として指定された51種のうち、生息地等保護区が設定されているのは未だミヤコタナゴ等4種に過ぎないし、長崎県上県町で準備が進められているツシマヤマネコの生息地等保護区では、強力な行為規制が行われる「管理地区」内であっても、一人当たり年3ha以内であれば、森林伐採の許可は不要であることを前提に、地権者への説明がなされているのが現状である。


「環境基本法」は、わが国における環境保全施策の基本的事項を定める法律であり、その内容如何によっては、生物多様性の保全を含めた環境全般の保全に影響するものであることから、その成立に当たって、当連合会は、1992年9月に「環境基本法」制定に対する要望書を提出する等3度にわたり提言を行った。これら要望書等の骨子は、(1)環境権を明文で認めること、(2)同法で定めることが予定されている「環境基本計画」については、他計画に対する優位性についての明文規定をおくとともに、その作成 過程での住民参加を認めること、(3)環境アセスメント制度の立法化を明記すること、(4)情報公開を市民の権利として位置づけること等であった。しかし、現行法には、当連合会の意見は十分に取り上げられておらず、概括的、一般的規定ばかりで、具体性に欠ける内容となっている。


また、同法上、国が環境保全のための施策を実施するための中核的手段である「環境基本計画」でも、生物多様性の保全に関しては、「生物多様性条約」に基づく国家戦略の策定以外は、抽象的な内容となっている。


一方、1995年10月に策定された「生物多様性国家戦略」は、生物多様性の保全を国家全体として進めようとするものであり、かつ、そのための手法として、ある程度具体的なものを提示している点で評価できるものの、生物の多様性を圧迫してきた要因である人間活動の問題点の把握とその反省に欠け、3.で述べたような既存の法体系を維持したまま国家戦略を実施しようとしている点で、これまた実効性に疑問がある。


そこで、われわれは、生物の多様性を保全し、将来にわたってそれがもたらす恵沢を確保するため、今再びわれわれが自然享有権を有することを確認し、その保障のために、所有権を背景とした人間活動の抑制を求める法制度の整備、運用が必要であると考える。


6.提言

われわれが自然享有権を有することを基本として、生物の多様性を保全するため、国及び地方公共団体に対して、次の施策を求める。


(1) 「生息地等保護区」の設定

生物は、生息環境に応じて進化を遂げてきたものであり、野生動植物を保護するた めには、生息地を保全することが必要である。とりわけ、絶滅が危惧される生物については、緊急にその対策をとる必要がある。


ところが、前述のとおり「種の保存法」による「生息地等保護区」の設定は、量的にも、質的にも極めて不十分である。早急に全ての国内希少野生動植物種について、生息地等保護区を設定するとともに、そこでの行為規制をより適正なものとすべきである。また、そのためには、土地所有権の買取りも含めた対策が必要となるが、その裏付けとして、十分な予算的手当てがなされなければならない。


(2) 実効性ある野生生物保護の施策の実施

種の保存法により指定された国内希少動植物種に限らず、生物の多様性を保全するためには、その構成要素の一つである生態系を、全体として保全することが必要である。


しかし、既存の法律や「生物多様性国家戦略」については、それぞれ前述のとおりの問題点があり、その実効性に疑問がある。


これらの問題点を克服し、生物の多様性を保全するために実効性ある施策を行うには、種の保存法を、アメリカのESAの様により強力なものとすることももちろんであるが、(1)「自然環境保全法」の適用範囲を拡大すること、(2)「鳥獣保護法」、「文化財保護法」、「森林法」及び「自然公園法」等の目的に、生物多様性の保全を加え、その視点から各法律に基づくゾーニングや許可権限の行使ができるようにすること、(3)環境庁を「生物多様性国家戦略」の主務官庁であることを法律上明示すること、(4)環境庁に生物多様性保全のための調査・研究機関を設置すること、及び(5)実効性ある環境アセスメント制度を実施すること等が必要である。


そのためには、新法の制定を含めた法制度の整備を行うべきである。


(3) 「野生生物保護管理計画」の策定
生物の多様性を保全するための法整備とともに、それを具体的に実現するためには、少なくとも以下の内容をもった「野生生物保護管理計画」が、全国及び地方公共団体レベルで策定される必要がある。

第一に、絶滅が危惧される個別の種を保全するには、その種について、自然状態で生息・繁殖できるように生態学的視点から、その生息・繁殖地の環境の改善、整備、被捕食生物の捕獲規制や給餌事業等の対策、あるいはその他の具体的な保護・再生の方向性とそれを実現するための計画を策定する必要がある。


次に、個別種の保全と異なり、生態系そのものを保全するためには、白神、屋久 島の様に、生物の多様性が残されている自然度の高い地域、その他の自然林や国立公園地域、あるいは様々な形態の湿地等とともに、水田や里山など人の手によって維持・管 理されてきた二次的自然地域についても、それぞれ生態系の態様、規模等に応じて、生態学的見地から、どのような保全策が適切なのかを、国レベルでの基本的方向を計画の中で示す必要がある。地方公共団体は、この基本的施策に基づき、地域的特質を盛り込んだ計画を各レベルで策定することとなろう。この場合、行政区画を越えた全体的な生態系保全の計画の策定が必要となり、地方公共団体レベルでの協議が求められる。


いずれのレベルでも、住民や自然保護団体に対し、十分な情報の公開と住民参加の機会が保障されるのは当然のことである。


(4) 「権利の明記と「市民訴訟条項」の創設

前述のとおり、当連合会が、環境権、自然享有権を提唱し、その確立を求めてきた最大の理由の一つは、原告適格等を確立することであった。


「環境基本法」3条には、環境権を認めるような文言があるものの、未だこれらの権利を明記した法律はない。これまでの裁判所の対応を考えると、「環境基本法」の実効性を担保するためには、そのような文言のみでは不十分で、これらの権利を明示した規定を置くことが、どうしても必要である。そうすることによって、国民、市民、住民等が、あらゆる形態で環境に関する施策に参加することが保障されるし、そうした施策を求める法的根拠が確立できて、民事訴訟における「私法上の権利」、行政訴訟における当事者適格をクリアできるのである。


アメリカでは、個人の環境権を認めるか否かの議論とは別に、連邦最高裁は、以前から環境訴訟における原告適格を、原告の健康や経済被害に限らず、かなり拡げて解釈してきたし、また、前述のとおりESAは、個人の権利の侵害を前提とせず、何人も訴えを提起できるとする「市民訴訟条項」を設けている。


この「市民訴訟条項」は、特に個人では到底まかなえない費用や専門家の関与を必要とする自然保護、環境保護のための争訟を、環境保護団体が行うことをも可能にする点で非常に重要である。


わが国でも、「環境基本法」が、環境に関する全ての他の法律に対して、その優位性を確保できていれば、同法に「市民訴訟条項」を入れることによって、自然保護、野生生物保護等の実効性を担保することができようが、そうでない日本の現状では、同法のみでなく、個別の開発関連法にも、「市民訴訟条項」を設けることが必要である。