戦後50年・平和と人権に関する宣言

わが国は、先の戦争とこれに先行する植民地支配により、アジア・太平洋地域をはじめ内外に、住民虐殺・生体実験・性的虐待・「従軍慰安婦」への強制・強制連行・強制労働・財産の収奪・文化の抹殺等国際人道法に違反する重大な人権侵害行為を含む、多大な惨禍と犠牲を与えた。戦後、わが国は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、平和主義、基本的人権の尊重、国民主権を原理とする憲法を制定した。


しかし、この50年間、わが国は、前記の重大な人権侵害行為の真相の究明と被害回復のための措置をとることを怠り、また、この戦争と植民地支配の実相を後世に正しく伝える教育を十分には行ってこなかった。


われわれは、国が、前記の重大な人権侵害行為の真相を明らかにし、これに対する適切・可能な被害回復を速やかに行い、かつ、この戦争と植民地支配の実相を正しく後世に伝える教育を積極的に行うよう求める。


また、われわれは戦後、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命として、憲法の下で弁護士自治を保障した弁護士法に基づいて、平和と人権に関する問題に取り組んできたが、戦時下の弁護士会を含む司法についての調査、研究は十分とはいい得ない。われわれは、戦時下の司法についての調査、研究を重ね、その成果を生かして、国民のための司法の確立のために努める。


戦後50年にあたり、われわれは改めて、基本的人権の擁護と平和のために全力を尽くすことを誓う。


以上のとおり宣言する。


1995年(平成7年)10月20日
日本弁護士連合会


提案理由

1. 第2次大戦終結50年にあたり、われわれは世界で8、000万人を越えるといわれる大戦犠牲者(『自由と正義』34巻8号90頁)に対して、心から哀悼の意を表するとともに、戦争の悲惨さと平和の大切さを改めて確認する。


2. わが国は、いわゆる15年戦争とこれに先行する植民地支配により、アジア・太平洋地域をはじめとして内外に多大な惨禍と犠牲を与えた。


とりわけ、朝鮮、中国はじめアジア・太平洋地域において一般住民や捕虜に対する虐殺・生体実験・性的虐待・「従軍慰安婦」への強制・強制連行・強制労働・財 産の収奪・文化の抹殺等、国際条約や国際慣習法など国際人道法に違反する重大な人権侵害行為が数多く行われたが、戦後の50年間、わが国は、これらの重大な人権侵害行為の被害実態の把握、責任の明確化など真相の究明及びこれらに対する謝罪と適切・可能な被害回復を怠ってきた。


(1) 先の戦争と植民地支配全般については、1993年に細川首相が、1994年に村山首相が謝罪の意を表したが、この謝罪は事実を公式に認め、責任を明らかにするものではなかった。本年6月、衆議院は、「歴史を教訓に平和の決意を新たにする決議」を採択した。同決議は、「世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、わが国が過去に行ったこうした行為や他国民、特にアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」と述べるにとどまった。この決議について、韓国外務省は、「韓国の植民地支配に関して、列強の行為と関連づけ、直接的な責任を回避しようとしている」と批判し、朝鮮民主主義人民共和国労働新聞は、過去の犯罪に対し、心から謝罪して補償し、新たな出発を期待していたが、そのような期待を裏切り、われわれを失望させたと批判し、中国各紙も、「第2次大戦中の残虐行為に対する明確な謝罪が決議の中に見られない」など、内外から少なくない批判があった。


本年8月15日、政府は、閣議決定により総理大臣談話を発表し、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与え」たとして、「痛切な反省の意を表し心からのお詫びの気持ちを表明」するに至った。しかし、被害回復については、この談話は全く触れず、政府は従来の方針を堅持している。


この談話に対して、中国外務省は、反省と謝罪をしたことを積極的な姿勢と評価しつつも、政界を含む日本社会に、歴史問題に正しい態度をとっていない人がいると指摘しており、フィリピン大統領及びオーストラリア首相は、積極的に評価した。他方、中国、韓国、シンガポール、オーストラリアなどの主要紙は、厳しい批判的論調を示しており、今後のわが国の対応を見極めようとしている。


(2) 前記の重大な人権侵害行為について、政府による真相の究明、謝罪、被害回復については、従軍慰安婦問題について若干の前進があったのみで、それ以外については未だにほとんど放置されている。


「従軍慰安婦」問題について、政府は、国会で取り上げられても関与を否定し、1992年1月、軍の関与を示す文書が発見されるに至り、ようやく国の関与の事実を認め、宮澤首相が訪韓時に謝罪の言葉を述べたが、被害回復については、日韓条約で解決済みとの態度を崩さなかった。この6月になり、政府は、「従軍慰安婦」への償いと政府の反省とお詫びを表すものとして、「女性のためのアジア平和国民基金」をした。これについては、不十分ながらも一歩前進と評価する見解もあるが、国の責任を曖昧にするという強い批判も存在する。


(3) 前記の内外の多大な惨禍と犠牲について、この実相を究明し、近・現代史として、学校教育、社会教育の場において国民に積極的に伝え、国民が正確に歴史を認識することは、過去の過ちを繰り返さぬためにも、犠牲となった関係諸国と真の友好関係を確立するためにも、必要、不可欠である。わが国は、この半世紀において、先の戦争と植民地支配における前記の重大な人権侵害行為に関して、真相の究明を怠ってきた。政府が、これらに関する資料を秘匿、廃棄したりして、究明を妨げてきたとの批判もある。また、先の戦争と植民地支配の実相を伝える歴史教育に関しては、学校教育においては、極めて簡潔に行うに留まり、社会教育においては、ほとんど行われないまま、今日に至った。特に、教科書検定制度を利用した、先の戦争等に関する記述の抑制は、アジア諸国から厳しい批判にさらされた。


このような結果、戦争経験者においても、前記の戦争と植民地支配の実相を正しく知ることなく現在に至った人々は少なくなく、さらに戦後生まれの人々においては、一層その傾向が強い。


(4) われわれは、戦後、憲法の下で弁護士自治を保障した弁護士法に基づき、日弁連及び各単位会を構成し、基本的人権の擁護及び社会正義の実現を使命とする立場から、基本的人権の擁護及び平和のために活動してきた。例えば、1983年の第26回人権擁護大会シンポジウム第1分科会「平和と人権-われわれ法律家は、何をしてきたか、また何をなしえるか」(『自由と正義』34巻8号88頁以下)において、平和と人権問題における、法律家の役割に関して取り組み、その後、これに基づいて、在韓被爆者問題、樺太抑留朝鮮人問題、中国残留邦人問題等に取り組み、最近では、1993年度人権擁護大会シンポジウム第1分科会「日本の戦後補償-戦争における人権侵害の回復を求めて-](『自由と正義』44巻9号105頁以下)で取り上げ、被害実態、法的検討等をなし、これに基づいて、「戦争における人権侵害の回復を求める宣言」を行い、国に、速やかに真相の究明と適切・可能な被害回復措置の検討を求めた。1994年には、東京都新宿区旧陸軍軍医学校跡地から発見された人骨といわゆる731部隊との関連について、政府に調査を求める勧告をなし、この1月には、「従軍慰安婦問題に関する提言」を公表した。


しかし、政府は、前記宣言以降も真相究明の姿勢すら示すに至っていない。


3. 戦時下の弁護士会を含む司法の実態については、各地の弁護士会100年史などの記録によれば、厳しい時局下にあっても、弁護士及び弁護士の人権擁護活動の努力が認められるが、次第に大勢として弁護士会を含む司法部も、また国策遂行の一端を担わざるを得なかったことが窺われる。


当時の弁護士会を含む司法が、国策の遂行とどの様に関わり、その結果、どの様な事態が生じたか等の調査、研究は、一部の単位会で年史作成などの機会に、当時の弁護士会の活動については調査されたが、司法全体については、調査が十分に及ばないまま現在に至っている。われわれは、司法の一翼を担う者として、当時の国策と司法制度との関連やその運用、弁護士会の関わりなどを調査、検討し、その成果を、今後の人権擁護活動、国民のための司法の確立、平和のための活動に生かさなければならない。


4. 戦後50年を経過し、戦争の惨禍に巻き込まれた大多数の人々は既に亡くなり、生存している人々も高齢化している。前記の重大な人権侵害行為に対する真相の究明、これに対する適切・可能な被害回復は、速やかになされなければならない。


同時に、年月の経過によって、戦争体験者においても、その実体験の記憶が薄れ、大多数の戦後生まれの人々には、戦争の実相と悲惨さが正しく引き継がれず、戦争防止の必要性、平和の重要性に対する関心が低下しているなど、いわゆる戦争体験の風化が進行している。先の戦争の実相を正しく伝え、平和と生命の尊重を認識させる教育を充実することは、平和を守ってゆくための緊急の課題である。


われわれは、国がこれらの課題を速やかに実行することを求める。


われわれは、戦時下の弁護士会を含む司法について調査、研究し、その成果を、これまで取り組んできた人権擁護の活動の発展に生かし、国民のための司法の確立に努める。


われわれは、戦後50年にあたり、内外の人々と協力して、これらの課題の達成及び基本的人権の擁護と平和のために全力を尽くす決意を新たにし、この宣言を行うものである。