清浄な飲料水を享受するための決議

地球は、水の惑星といわれ、地球上の生命体は水により生存可能となる。ところが、清浄であるべき飲料水に対する不安が近年増大している。浄水場では、トリハロメタンなどの発ガン物質が生成されている。


河川などの水源には、ゴルフ場や廃棄物処分場などから有害物質が流入し、さらにハイテク工場やドライクリーニングで使われているトリクロロエチレンなどが地下水を汚染している。最近では、除草剤のCNPと胆のうガンとの因果関係が疑われるなど、水汚染による健康被害の現実化が懸念されている。


これに対し、一部水道事業者は、浄水場での高度処理の導入を進めている。そして、国は、一昨年水道水質基準を改正して、水質基準項目を増加するとともに、快適項目や監視項目を新たに設置し、これにあわせて、公共用水域の環境基準や排水基準も変更した。さらに、本年2月には、生活排水対策とトリハロメタンの原因物質の削減を中心とする、いわゆる水源二法を制定した。


しかし、高度浄水処理は対症療法にすぎないし、水源二法についても、ゴルフ場などの立地規制に目をつむるなど抜本的対策とはいえない。また、国や地方自治体は、完成までに長期間を要する大規模下水道中心の生活排水対策を変更しようとはしていない。さらに、今回の新しい水道水質基準などは、有害化学物質ごとに規制しているため、多くの未規制物質に対処できていない。しかも、今回の基準設定について、その根拠が必ずしも明らかにされておらず、決定手続も住民不在といわざるをえない。


清浄な飲料水を享受することは、人の生存と健康で文化的な生活を営むうえで不可欠の条件である。また、清浄な飲料水を享受しうる環境を確保することは、われわれの次世代に対する責務でもある。そのために、われわれは水循環の視点に立って、水政策の転換をはからなければならないが、緊急にとるべき対策として、以下の措置を求める。


  1. 国および地方自治体は、水源地域において、ゴルフ場、廃棄物処分場などの施設の立地規制および汚染物質の規制強化を行うこと。
  2. 国は、地方公共団体が地域の実情に応じた生活排水対策を実施できるように、財政的措置を含めた支援を積極的に行うこと。
  3. 国は、水の安全性の評価について、物質ごとの規制にとどまらず、総括的な管理指標を採用し、あわせて生態毒性をも考慮すること。
  4. 国および地方自治体は、水の安全性評価基準の設定などに関して、住民に情報を公開し、その決定手続に住民参加を保障すること。

以上のとおり決議する。


1994年(平成6年)10月21日
日本弁護士連合会


提案理由

1.水惑星

地球は、水の惑星といわれ、全ての生命の源は海から誕生し、生命体にとって水は、必要不可欠のものである。


しかし、人間の利用可能な河川・湖沼などの表流水および地下水などの淡水は、ごくわずかにすぎない。にもかかわらず、人類が生命を維持できたのは、自然の水循環があったからである。


2.飲料水の汚染の実態

1992年の地球サミットで策定された「アジェンダ21」の第18章で安全な飲料水の確保が強調されている。わが国では、水道水の普及がすすんだものの、浄水器やボトルウォーターの爆発的売れゆきに見られるとおり、飲料水に対する信頼が近年大きく揺らいでいる。


(1) 異臭味被害

飲料水の異臭味被害は、琵琶湖、淀川水系で発生したが、その後全国的に被害水系を広げながら、ついには約2000万人が異臭味を訴えるに至っている。生活排水などの流入で富栄養化した水源に、植物性プランクトンが大量発生したからである。


(2) トリハロメタンの生成

浄水場は、本来水を清浄にする場所である。しかし、水道原水の汚濁がすすむと、浄水場で投入される塩素と有機物質とが反応して、トリハロメタンなどの発ガン性をもった有害なTOX(全有機ハロゲン化合物)が増加する。


(3) 様々な汚染源

異臭味被害とトリハロメタン生成の主たる原因は、生活排水対策の遅れである。国や地方自治体は、巨大管渠工事のために、多大な時間とコストのかかる流域下水道計画などに固執し続けてきた。このため、下流域の都市部では、中流域での下水処理水や未処理の生活排水を含む河川水を水道原水として利用していることから、被害が拡大した。


水源地にゴルフ場などのリゾート施設や廃棄物処分場などが建設され、農薬や汚染物質の水源への流入による水質汚染も発生している。現在日本で汎用している、約5万種ともいわれている化学物質に対する使用や管理の規制が不十分なことも、水源の汚染を進行させてきた。ハイテク工場やドライクリーニングで洗浄剤として使用されているトリクロロエチレンやテトラクロロエチレンという有害化学物質が、土壌を通して地下水を汚染し、除草剤などの農薬や肥料の散布も、水源を広範囲に汚染している。水源地域の森林伐採は、水源かん養能力を低下させ、また、コンクリート護岸工事はヨシなどの水生植物による自然浄化力を喪失させ、水源汚染を一層悪化させている。


3.対策の現状とその欠陥

清浄な飲料水を確保する根本的対策は、水道原水そのものの保全にあるが、現状の対策は、以下の通り不完全なものである。


(1) 高度浄水処理の導入

東京や大阪などの浄水場では、異臭味およびトリハロメタンの削減のために生物処理、オゾン処理、活性炭処理を組み合せた「高度浄水処理」を一部で導入している。しかし、これによってすべての有害物質を取り除けるわけではなく、オゾン処理が新たな有害物質を発生させるおそれも指摘されており、問題が残されている。


(2) 水道水質基準などの改定

厚生省は、1992年12月に水道水の水質基準を大幅に改定した。


従来26項目であった基準項目が46項目に増加し、さらによりよい水道水の目標値としての13の快適項目と将来的に懸念される26の監視項目が、それぞれ新たに設定された。その後に環境庁は、この水道水質基準にあわせて、公共用水域の水質環境基準の健康項目を改正、追加して23項目とし、新たに25の要監視項目を設定した。


そして、水質汚濁防止法による排出基準も、この新環境基準の10倍値で設定し直した。しかし、これらの項目や基準がどのようなデータをもとに、いかなる判断に基づいて設定されたのか、公開されていない。健康に影響を及ぼすおそれのある物質は、これらにとどまらず、多くの未規制物質が放置されたままである。


(3) 水源二法の制定

1994年2月に、「水道原水水質保全事業の実施の促進に関する法律」と「特定水道利水障害の防止のための水道水源水域の水質の保全に関する特別措置法」のいわゆる水源二法が成立した。


前者は、合併処理浄化槽やし尿処理施設などの整備事業を促進するもので、後者はトリハロメタンの原因となる有機物質の排出規制などを特別に定めたものである。しかし、いずれの法律も保護水域、保護地域や規制地域について、その指定要件が厳しく、水質の保全事業や規制が幅広く実効的に行われるか疑わしい。


そもそも、1993年2月、厚生省の諮問機関の「有識者懇談会」が発表した報告書や、厚生省の当初の「水道水源の水質保全に関する総合対策の試案」の構想では、水源地域におけるゴルフ場などの立地規制を打ち出していたにもかかわらず、水源二法で何らの規定もしていないのが問題である。


4.水循環の視点から

いうまでもなく、すべての生命は、水により生存可能となるものである。清浄な飲料水の確保は、人の生存と健康で文化的な生活を営むうえで不可欠の条件であり、清浄な飲料水を享受しうる環境を確保することは、われわれの次世代に対する責務でもある。


従来の政策は、飲料水の確保のために、ダムや堰を建設することに偏っていた。その結果、水を滞留させることで富栄養化がすすみ、ダム下流では、水量が激減して河川の浄化力が奪われてしまった。また、大規模な下水道計画も、その処理水を海に捨てることしか念頭になく、河川から水が失われていった。


われわれは、ここで発想を転換して、水循環の視点に立ち、河川に水を取り戻さなければならない。そのために、森林を中心とした自然の保水力や浄化力を再認識するとともに、水利用を含む国土利用計画について、自然の水循環の視点からの見直しが不可欠である。つまり、人間と自然との共生こそ、清浄な水を確保して、次世代にこれを引き継ぐ唯一の道であることを自覚しなければならない。


5.緊急にとるべき対策

水政策のあるべき方向としては、以上のとおり考えるが、われわれが現在緊急にとるべき対策として、以下のとおり提言する。


(1) 立地規制などの規制強化

まず、水源の汚染を食い止め、浄化をはかるために、水源地周辺でのゴルフ場などのリゾートや廃棄物処分場のような重大な水質汚染をもたらすおそれのある施設について、立地規制を行うことである。また、水道水質保全を目的として、地域ごとに汚染物質に対する排出規制の上乗せや横出しを強化し、総量規制も認める。さらに、農薬などの化学物質の使用についての指定地域での使用禁止を含む使用制限を行う。このような規制は、水質汚濁防止法や森林法などの活用により、現行法制下でも可能であると環境庁や林野庁なども指摘している。しかし、水源保全の観点から、ゴルフ場などの立地規制を認めた法律は存在しないので、国においては緊急に立法措置をはかるべきである。また、地方自治体においては、既に水源保全に関する条例を制定しているところがあるように、国の法律制定をまたずに、地方自治体の本旨に従い、より積極的な条例の制定と施策の進展をはかるべきである。


(2) 生活排水対策

次に、生活排水対策について、国や地方公共団体は、地方の排水対策の緊急度、河川の状況、財政負担などの実情を無視した従来の一律的な大規模下水道計画の見直しを早急にはからなければならない。


そして、不十分なし尿処理しかできない単独浄化槽から、生活排水全般を処理する高性能の合併処理浄化槽などへの転換・普及に向けて、地方公共団体が効率的に施策を講じられるように、国は積極的な財政支援などを行うべきである。


(3) 総括的管理指標の採用

今回改定された水道水質基準は、総トリハロメタン値を除き、依然として物質ごとの規制という手法をとっている。しかし、有害物質はほかにも多数あり、それらを全て規制対象に取り入れることは実質的に不可能であるから、この手法では、多くの物質を未規制のまま残してしまう。また、物質ごとの規制では、相乗効果による毒性増大に対処できない。そこで、水道水質基準などの設定に際しては、物質ごとの規制のほかに、水中の物質を特定しなくとも水の危険性を丸ごとに評価できる総括的管理指標を採用すべきである。この指標としては、変異原性の強さの総量や全有機炭素量(TOC)などがある。


前者は、サルモネラ菌などの増殖の状況を観察して、水道水がどの程度遺伝子に突然変異を起こさせる性質をどの程度有しているかを判断するものである。また後者は、有機物を燃やして機械で炭素の総量をはかるもので、これまでのBOD(生物化学的酵素要求量)では測定できない難分解性の化学物質の総量も判定できるのである。 また、毒性の評価に際しては、人間と自然との共生の観点から人体に対する毒性のみではなく、魚や植物などの奇形といった生物に対する毒性としての生態毒性をも考慮すべきである。動植物に対する毒性は、食物連鎖を通して、最終的に人間へも悪影響を与えることになりかねないし、また、生態毒性を判定することによって、未規制物質の毒性の判断も可能となるからである。


(4) 情報公開と住民参加

飲料水の安全性とリスクがどのように評価され、いかなる過程で基準値が作られるかは、人間の生命や健康に直結する重要事項であるだけに、広く住民一般にその情報が公開されなければならない。特に水質基準が決定される審議会では、その経過が全面的に開示されるとともに、住民への意見聴取の機会が求められるべきである。 また、住民の側による、設定された基準への異議申立権や新たな基準の設定申立権が認められなければならない。国や地方自治体は、このような保障措置を早急に講ずるべきである。さらに、水系管理に関わる工事実施基本計画や河川環境管理基本計画などの諸計画についても、地域の特性を十分に考慮して、住民の創意が生かされることが不可欠であって、そのために国および地方自治体は、最大限の考慮を払う必要がある。