患者の権利の確立に関する宣言

医療において患者の主体的な意思が尊重される権利は基本的人権に由来し、国際人権法もこれを認めるところである。


この権利の中核は、患者が自己の病状、医療行為の目的、方法、危険性、代替的治療法などにつき正しい説明を受け理解した上で自主的に選択・同意・拒否できるというインフォームド・コンセントの原則であり、適切な医療を受ける権利と並んで、医療において必要不可欠なものである。


ところが、わが国の医療現場においては、患者は、正しい説明を受け、理解した上で自主的に選択しているとはいい難いのが実情である。


われわれは、真に患者のための医療が実現されるように、医療の現場でインフォームド・コンセントを中心とする患者の諸権利が保障されることが必要であると考え、患者が自ら連帯することを支援するとともに、国、自治体、医療機関などが患者の権利の確立のために立法化を含めたあらゆる努力を尽くすことを求め、その実現に努力する。


以上のとおり宣言する。


1992年(平成4年)11月6日
日本弁護士連合会


提案理由

1. 医療は人々の生活・健康を守り育てていくものである。しかし、ときに、耐え難い苦痛、不快、不安を与え、生命・健康を損なう危険をともなう。このように医療は、人々の生命・健康ひいて人生そのものに深く関わるものであるから、どのような医療が、いつ、どのように行われるかにつき、患者は十分理解した上で自らにとって最善の選択をなしうる権限と機会が与えられることが重要である。


2. すべての人間は生命に対する固有の権利、到達可能な最高水準の身体・精神の健康を享受 する権利、そして幸福追求権を有する。(憲法13条、国際人権B規約6条、A規約12条など)。自らの生き方や生命・健康に関することがらは自らが決定するという自己決定権はこれから導かれる基本的人権である。医療において、患者が自己の病状、医療行為の目的、方法、危険性、代替的治療法などにつき、正しい説明を受け理解した上で自主的に選択・同意・拒否できるというインフォームド・コンセントの原則は、この自己決定権の中に含まれている。


3.古来、洋の東西を問わず、知らしむべからずが永く医療の伝統であり、医療父権主義(パターリズム)が支配的であった。しかし、ニュルンベルグ医師裁判、世界医師会総会のヘルシンキ宣言(1964年)が人体実験の分野でインフォームド・コンセントの原則を打ち立て、消費者運動が日常診療の分野でインフォームド・コンセントを含む患者の権利確立を促し、1970年代に入ると、アメリカでは多くの医療機関が「患者の権利宣言」を定めた。その後、WHOがプライマリーヘルスケアに関し「個人として……自らの保健サービスの計画と実施に参加する権利と義務」を謳い(1978年アルマ・アタ宣言)、世界医師会総会が患者の権利に関するリスボン宣言(1981年)を採択したのを踏まえ、患者の権利は立法化へと向かい、アメリカ各州やスウェーデンをはじめとする各国でインフォームド・コンセントを含む患者の権利法が制定されていった。さらに国連総会は、精神病者のための人権保護および保健ケア改善のための原則(1991年)を採択し、精神医療においてさえ原則として自己の治療計画検討に参加する機会が与えられインフォームド・コンセントをはじめとする一般医療の諸原則が妥当することを明確にした。


4. 今日、わが国でも、患者は大病院志向で家庭医中心の医療ではなくなり、生殖技術、臨床試験、末期医療、臓器移植など医療技術は高度化し、慢性疾患が増加し、高齢化社会が到来するなどインフォームド・コンセントへのニーズは強まっている。患者が自己の病状を知り、自らになされる医療に主体的に参加することにより、医師と患者の間に新たな信頼関係が築かれ、よりよい治療効果が得られるとの報告も相次いでいる。行政指導のガイドラインとして「医薬品の臨床試験の実施に関する基準」(1989年)でインフォームド・コンセントの遵守が義務付けられ、日本医師会も「説明と同意についての報告」(1990年)を採択して、インフォームド・コンセントの原則の重要性を会員にも社会にもアピールしている。


5. しかし、わが国では、一般的にはこの原則が日常診療に根付いているとはいい難い。 「3分間診療では実践は困難」「ガンだと説明しても後の支援体制がない」「患者が聞きたがらないし、説明しても理解してもらえない」「すべてお任せしますという患者が多い」などの医療機関の声がよく聞かれる。また曖昧で誤解させるような説明のうえ同意を得たと称するなどインフォームド・コンセントと似て非なるものを医療過誤訴訟に対する防波堤とすることも生じはじめている。


もちろん、各地でインフォームド・コンセントをはじめとする患者の人権を尊重する医療施設も少なからず存在している。そこでは、患者にカルテを示した上で病状が説明され、患者との対話の中で治療方針が決められている。しかし、このような施設は全体からみれば極めて少数で、現行の医療制度上、こうした実践を支える人的・物的裏付けは極めて乏しく、財政上の困難に直面しているのが実情である。


6. われわれは、これまで、個々の医療過誤裁判などにおける弁護活動を通じてはもとより、人権擁護大会で、医療にともなう人権侵犯の絶滅に関する宣言(1971年於神戸)、健康権宣言、人体実験に対する第三者審査委員会制度の確立に関する決議(1980年於岡山)などを採択し、患者の人権の確立をめざして努力してきた。「臨時脳死及び臓器移植調査会」の「脳死」移植についての答申に対しては、意見書(1992年3月)を公表し、わが国の医療の実情は未だにインフォームド・コンセントを含む患者の基本的人権保障のシステムが定着しておらず、「脳死」移植の安易な容認は臓器を贈る人(ドナー)のみならず、受ける人(レシピエント)の人権をも損なうおそれがあるとし、診療録などの閲覧・謄写権の原則承認など情報開示を強調した。


7. しかし、医療の現実は、全体として未だ患者の主体的な意思を尊重しているとはいい難い。


人々の医療不信は相当根強く、様々な社会問題を発生させている。また、同意なき子宮摘出などに象徴される悲惨な人権侵害事例が後を絶たない。このようなわが国の医療を直視するとき、正しいインフォームド・コンセントをはじめとする患者の権利の保障を医療の現場の隅々まで行き渡らせ、患者の人権を真に確立するために、われわれは、インフォームド・コンセントの原則、カルテの閲覧・謄写権、患者の権利擁護システムなどを含む患者の権利法の制定やガイドラインの作成などが必要不可欠であると考える。われわれは、国、自治体、医療機関に対し立法やガイドライン作成など患者の権利を確立するために必要なあらゆる努力を求めるとともに、その実現に努力する。