人権神戸宣言

本文

1948年12月10日、第3回国際連合総会で採択された世界人権宣言の前文では「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」と高らかに謳われている。この宣言は、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」とされ、今日に至るまで、人権に関する国際的な規範として、世界各国における人権の擁護と伸張に大きな役割を果たしてきた。


世界人権宣言の内容を条約化した国際人権規約について、わが国は1979年に経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約、社会権規約)、市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約、自由権規約)の両規約を批准したが、B規約選択議定書は未だに批准していない。


A、B両規約の国内における実施状況をみるに、男女平等、内外人平等の原則や刑事手続きにおける被疑者・被告人等の人権について、たとえば代用監獄、接見交通権、保釈などの重要な手続き及び少年司法手続等の点において、国際人権規約に定められた権利が完全に実現されているとは到底いい難い。加えて、政府は現在、刑事施設法案・留置施設法案等(いわゆる拘禁二法案)を国会に提出し国際人権規約に違反する代用監獄の恒久化をはかろうとしている。


また、従来から問題とされてきた長期在留外国人の出入国管理上や雇用上の差別問題に加え、最近ではアジアからの外国人労働者について、劣悪・差別的な労働条件、女性の人身売買、売春強要など人権上の由々しい問題も生じている。


このようなわが国における人権侵害の絶滅のためには、国際人権規約や人権関係諸条約の完全な実施とともに、国家による人権保障を国際的監視のもとに置く人権の国際的保障体制の確立が今、必要とされている。現在は人権を国際的な視野でとらえ、国際的な手段でこれを擁護する実践の段階である。


われわれは、世界人権宣言40周年に当たり、日本政府に対し、個別的人権侵害の国際的監視措置を定めたB規約選択議定書及び人権関係諸条約の完全批准を強く要請するとともに、アジアの人々と共に地域的人権保障機構の確立に努力することを誓い、さらに神戸市から世界に向けて、すべての国において国際人権規約の完全なる批准・加入が促進され、人権の国際的保障体制の下で、世界人権宣言が真に実現されることを強く訴えるものである。


右宣言する。


1988年11月5日
日本弁護士連合会


理由

1. 今を去る40年前の1948年12月10日、国際連合総会は、世界人権宣言を採択した。この宣言は、人類に大きな惨禍をもたらした二度にわたる世界大戦の反省の上にたって成立したものである。この宣言は、人権尊重の思想が結実したものということができるが、これに至るまでには長い歴史があった。


近代的な人権の思想は、18世紀の市民革命の発展とともに確立されて行き、1776年のアメリカ独立宣言、1789年のフランス革命における「人民及び市民の権利宣言」の中に明確に示された。


これらの宣言を貫く考え方は、天賦人権思想に基づき、人間の生来の自由と平等を求め、それを基本的人権として保障し、国家権力からの干渉を排除しようとするものであった。このように基本的人権尊重の思想は、天賦人権説によりながらも、個人の権利義務は、それぞれの国の憲法、法律等によって定められた。自国内にある個人にいかなる権利を保障し、義務を課すかは、その国の主義に属することとされ、他国がこれに口を出すことは内政干渉として退けられた。もちろん、例外として1920年に労働に関する権利を国際的に保障しようとした国際労働機構が成立し、その分野における人権の国際的保障に大きな役割を果たした。しかし、これは人権一般に及ぶものではなかった。


第二次大戦前、ナチ支配下のドイツがユダヤ人を迫害したことは周知の事実であるが、当時の国際連盟は、これについての訴を受けても、ドイツの国家主権の前になんら有効な手段をとることはできなかった。このことは、人権の国内的保障、すなわち各国ごとの憲法的保障のみでは、人権の保障として不十分であることを国際的に強く認識させた。


第一次大戦後の国際連盟等の努力によっても第二次大戦を阻止することはできず、ナチスドイツのユダヤ人虐殺や、日本軍の占領地域における殺害、暴行を防ぐことはできなかった。


国際連合は、こうしたことの反省の上に立って、人権は平和の基盤であり、人権の尊重なくして真の平和はあり得ないとの確信の上に立ち、国際の平和と安全の維持、人民の同権及び自決の原則の尊重、人権及び基本的自由の尊重等を目的として設立された。


そして、こうした国連の目的達成のため人権の内容を具体化したものとして、世界人権宣言の制定作業が進められ、1948年12月10日の総会において採択されるに至ったものである。


2. 世界人権宣言は、法的拘束力はもたないが、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として、道義的に高い価値を有するものであった。自由権的人権と社会権的人権とからなるこの宣言は、その具体的な実現方法として「社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と遵守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保」するよう努力することを期待した。


そして現実にこの宣言は、国連やその関係機関における場合はもちろん、各国の政府、人民が人権の問題を論ずる場合の重要な基準となり、そのことによって、世界における人権と基本的自由の確保、伸張に大きな役割を果たし、現在も果たしつつある。


3. このように、世界人権宣言は、大きな道義的影響力を持ったが、国連は世界人権宣言制定の作業に引き続いて、この宣言を条約化した国際人権規約の制定作業に着手し、世界人権宣言採択の18年後である1966年12月16日の国連総会において同規約が採択された。


国際人権規約は「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(A規約、社会権規約)、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(B規約、自由権規約)と、後者に付属する選択議定書よりなっているが、1976年、いずれも発効した(1988年8月末日現在、批准又は加入した国は、A規約については91ヶ国、B規約については87ヶ国、選択議定書は40ヶ国である)。


一方、国際連盟、国際連合は人権と基本的自由の確保という目的達成のため、多数の人権関係諸条約を制定した。その主要なものは次のとおりである。


条約名 採択(年) 発効(年) わが国の態度
奴隷条約 1926 1955 未加入
強制労働条約 1930 1932 1932批准
結社の自由及び団結権保護条約 1948 1950 1965批准
集団殺害罪防止条約(ジェノサイド条約) 1948 1950 未加入
人身売買・売春搾取禁止条約 1949 1951 1958加入
団結権及び団体交渉権条約 1949 1951 1953批准
男女同一労働同一報酬条約 1951 1953 1967批准
難民の地位に関する条約 1951 1954 1981加入
婦人の参政権に関する条約 1952 1954 1955批准
国際修正権条約 1952 1962 未加入
社会保障最低基準条約 1952 1955 1976批准
母性保護(改正)条約 1952 1955 未批准
奴隷条約改正議定書 1953 1955 未加入
無国籍者の地位に関する条約 1954 1960 未加入
奴隷制度廃止補足条約 1956 1957 未加入
既婚婦人の国籍に関する条約 1957 1958 未批准
強制労働廃止条約 1957 1959 未批准
雇用・職業上の差別待遇条約 1958 1960 未批准
教育における差別を禁止する条約 1960 1962 未批准
無国籍の削減に関する条約 1961 1975 未批准
婚姻の同意等に関する条約 1962 1964 未批准
人種差別撤廃条約 1965 1969 未批准
難民の地位に関する議定書 1966 1967 1982加入
国際人権規約(B規約) 1966 1976 1979批准
B規約選択議定書 1966 1976 未批准
国際人権規約(A規約) 1966 1976 1979批准
アパルトヘイト条約 1973 1976 未批准
女子差別撤廃条約 1979 1981 1985批准
家庭的責任を有する男女労働者の機会均等平等待遇条約 1981 1983 未批准
拷問等禁止条約 1981 1983 未批准

4. 地域的人権保障機構の発展
世界人権宣言の内容を実現するための人権の国際的保障機構は、国際人権規約などの世界的規模のものに限られず、地域的な人権保障機構も、地域の実情に応じて発展してきた。


ヨーロッパ地域では、古くから社会的文化的な共通性があり、人権意識の先進地域であることを反映して、ヨーロッパ人権条約が1953年9月に発効した。これは国際人権規約より13年も早く、ヨーロッパ人権条約の発効が、国際人権規約の制定を促進したということができる。


ヨーロッパ人権条約には、西ヨーロッパのほとんどの国が加盟している。同条約の実施機関として、ヨーロッパ人権委員会とヨーロッパ人権裁判所、ヨーロッパ理事会の閣僚委員会が設置されている。この条約の特徴の一つは、条約に定められた権利について、他の締約国の違反を問題として締約国が人権委員会に申立てることができるとともに、条約に定められた権利を侵害された個人も同委員会に申立てることができることである。もう一つの特徴は、ヨーロッパ人権裁判所の判決が当事者を拘束することである。このことは、ヨーロッパ人権条約によって、締約国の国家主権が一定の制約を受けていることを示すもので、まさに画期的なものである。人権は国家主権を超えるという考え方が具体化したものということができる。


ヨーロッパ以外の地域では、1948年5月に採択された「人の権利及び義務に関する米州宣言」に基づく米州人権機構が存する。


また、アフリカ地域には、1981年7月に採択された「人と人民の権利に関するアフリカ憲章」に基づく人権保障機構が存する。


しかし、アジア地域においては、国家レベルでの地域的人権保障機構は存在しない。


アジア地域が広大であり、各国によって歴史的・地理的条件、社会の発展段階や政治体制が異なるなど困難な条件はあるが、こうした状況の中でも、民間レベルの地域的人権保障機構が結成され、活動している。われわれはこうした機構の発展を歓迎するとともに、国家レベルの地域的人権保障機構の実現に向かって努力すべきである。


5. 日本国憲法は、平和主義、国民主権主義、基本的人権の尊重の三原則を柱としているが、この精神は、国連憲章の目的と原則に一致しているものであり、また世界人権宣言の内容と日本国憲法の人権条項は、その大部分の点において一致している。


そして、1956年、わが国が国連加盟を承認された際、政府は、国連憲章に掲げられた義務を受諾する旨内外に宣言した。


このことは、日本が国連加盟国として、平和の維持と人権尊重の助長と奨励のために協力義務を負ったことを意味する。


しかし、国連やILOの採択した人権関係諸条約に対する日本政府の対応は、前述のように重要な条約を未だ批准していないなどなお極めて不十分であるといわざるを得ない。


6. わが国は1979年6月、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)、市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)を批准したが、B規約の選択議定書は批准しなかった。


また、A規約について、公の休日についての報酬、公務員等の同盟罷業をする権利、中高等教育の無償化の3点について保留し、かつ、B規約22条2項の「警察の構成員」には消防職員が含まれる旨の解釈宣言をおこなった。


A規約においては、締結国は、規約に定められた権利を漸進的に実現する義務を負っている(同規約2条)。これに対しB規約においては、締約国は規約に定められた権利を尊重し、確保する義務、すなわち、即時に実現する義務を負っている。両規約はその性格が異なるので、実施措置も異なっている。


A規約の場合実施措置として定められているのは、締約国の報告制度のみである。


B規約についての実施措置は、報告制度(40条)、国家間通報制度(41条、42条)、個人からの救済申立制度(選択議定書がこれについて定めている)の三つである。


そこでA、B両規約、とくに即時実施義務のあるB規約についてその国内における実施状況が問題になっている。この点について政府は、B規約40条に基づく国連事務総長への第1回の報告書(1980年10月27日)において、「本規約の各条に規定されている権利は日本国憲法及びこれを実施する法令により既に十分に保障されており、これらの法規に基づく行政上の保障措置も適切に実施されている」と述べている。第2回報告書(1987年12月24日)においてもこの見解は基本的に変ってはいない。しかし、このような政府の見解は、わが国の実情とは著しく異なっているといわざるを得ない。以下A、B両規約に照らして主要な問題点を指摘する。


(1)  A、B両規約はいずれも性による差別を禁止している。わが国においては、1985年女子差別撤廃条約の批准にともない国籍法が改正(1984年)され、雇用機会均等法が制定(1985年)された。さらに、現に作業が進められつつある法例の改正によって、性による差別は、改善の方向にある。


しかし、雇用機会均等法においては、募集・採用及び配置・昇進について男子と均等な機会を与える努力義務を規定したに過ぎないこと、差別に対する救済手段が不十分なことなどの問題がありその他、法令、社会的慣習等多くの領域において性による差別が削減していないのが現状である。


(2)  刑事手続における法令の規定と運用の実態には、さまざまな点においてB規約違反が存在するのをはじめ、国際的な人権基準に照らして問題となる状況が存する。


たとえば、不必要な逮捕(B規約9条1項違反)、被疑者の国選弁護制度がないこと(同14条3項(d)違反)、代用監獄の存置(同9条3項違反)、接見交通権の不当な制限(同14条3項(b)違反)、不必要な勾留、厳しすぎる保釈制度の運用(同9条3項違反)、外国人の被疑者・被告人の場合についての規定の不備等はいずれもB規約に違反するものである。


また、被拘禁者の処遇(同10条)の実態は、国連被拘禁者処遇最低基準規則の定めを充足しているとはいい難いし、加えて、少年保護事件運用の実態には、少年の「健全育成」よりも、少年に対する取締に重点がおかれ、画一的処分へと変質しており、少年司法運営のための国連最低基準規則に反する点が数多く存する。


しかるに政府は、現在、こうした現状に目をつぶり、刑事施設法案・留置施設法案等のいわゆる拘禁二法案を国会に提出して、B規約違反の代用監獄を恒久化し、また、施設管理の名目の下に接見交通権を制限できる法制の実現をはかっている。政府のこのような態度自体が、国際人権規約の趣旨に相反するものであることは明らかである。


本年7月20日から22日までの3日間にわたり、B規約40条に基づく日本政府の報告書が、国連の規約人権委員会で審議されたが、その際、各委員より、代用監獄は、それ自体拷問その他の人権侵害の温床になるのではないかという鋭い質問が日本政府代表に浴びせられた。このことは、この問題についての日本政府の態度が国際的にも批判されたことを意味するものである。


(3)  日本に在留する外国人の人権についても幾多の問題点が存する。


第一に考えなければならないことは、過去における日本の朝鮮支配と中国及びアジアに対する侵略について、戦後、未だに完全な清算がなされていないということである。


わが日弁連も取り扱ったサハリン(旧樺太)残留韓国・朝鮮人問題、在韓被爆者問題、在日韓国・朝鮮人に対する指紋押捺、外国人登録証常時携帯問題、公立学校における教員の国籍による採用差別問題などはいずれも戦後処理に関連する問題である。


われわれは、こうした問題をはじめ、長期在留外国人の人権問題、難民問題につき、これまで、世界人権宣言やB規約等の国際的な人権規範に照らして、その問題点を指摘してきた。


さらに、最近、急激に増加してきたアジアからの外国人労働者の場合、不法残留、不法就労の形をとっている場合は勿論、正規の在留資格で執労している場合も劣悪にして差別的な労働条件で労働させられ、特に女性については人身売買にも等しい行為や売春の強要がなされるなど、人権が著しく侵害されていながら、救済の申立てが極めて困難な実態がある。


こうしたことが、世界人権宣言、B規約に反することは、いまさら説明の必要もないところである。


7. このようなわが国における人権侵害や、さらにいえば世界におけるあらゆる人権侵害を絶滅するためには、人権保障の担保を一国の国内法と、その国民自らによる監視だけに任せず、これを積極的に国際連帯による監視のもとに置くという、人権の国際的保障体制の確立が急務である。


B規約選択議定書は、人権侵害について個人からの救済申立権を認め、これに基づく国際的監視措置を定めているが、世界各国がA、B両規約と共にこの議定書の批准・加入をすることは、右保障体制に大きな法的担保を与えることになる。


現在は人権を国際的視野の中で語り、国際的な人権保障のネットワークの中で擁護し伸張していくべき実践の段階である。


前述のように、アジア地域には国家レベルの人権保障機構は存在していないし、世界の国々の中で国際人権規約の批准・加入国が多いとはいえない現状である。


われわれは、世界人権宣言40周年を迎えるに当たり、日本政府に対し、国際人権規約についての留保と解釈宣言の撤回、B規約選択議定書、人種差別撤廃条約及び拷問等禁止条約などの人権関係諸条約の完全批准・加入を強く要請するとともに、アジアの人々と共に地域的人権保障機構確立のため継続的な努力をすることを誓い、さらに世界に向けて、すべての国においてB規約選択議定書を含めた国際人権規約の批准・加入が促進され、人権の国際的保障体制の下で、世界人権宣言が完全に実現されることを強く訴えるものである。


8. 世界人権宣言40周年のこの年、日弁連が以上のような決意とアピールを大会開催地神戸市から内外に表明することは、極めて時宜にかなったことと考え、この宣言を提案するものである。