労働基準法(労働時間)の改正に関する決議

本文

今日、労働時間の短縮は、国民的課題として各方面からの論議が展開され、政府は、労働基準法の改正案を次期通常国会に提出すべく準備中である。


労働時間法制のあり方は、企業経営のみならず労働基準法第1条も明示するように、労働者とその家族の基本的人権にかかわる問題である。すなわち、恒常的な時間外労働などによる長時間労働や労働時間の大幅な「弾力化」は、労働者自身の健康と生活を損うと同時に、家族のふれあいの機会を奪い、子どもの健全な成長を阻害する。とりわけ女子労働者にとってその影響は深刻であり、平等な労働とその継続を困難にするものである。


昨年わが国も批准した女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約は、子の養育を男女の共同責任とし、男女ともに職業生活と家庭生活の調和を図りつつ平等を確保することを要請している。


よって、労働基準法の労働時間に関する改正は、右条約の趣旨と国際公正労働基準を踏まえ、国民に健康で文化的な生活を営む権利を保障する憲法に則り、労働者と家族の人権を真に保障する内容とすべきである。


右決議する。


昭和61年10月18日
日本弁護士連合会


理由

1.  現在、政府は、労働基準法(以下労基法という。)を全面的に改正する準備作業を進めている。


労基法は、制定施行以来39年を経過し、各界からその改正についてさまざまな意見が出されているが、昨年12月19日、労働大臣の私的諮問機関である労働基準法研究会は、「労働者」の判断基準、就業規則、労働時間、深夜交替制労働及び退職手当に関する報告を提出した。


当連合会は、本年5月、右報告のうち、労働者とその家族の生活にとくにかかわりの深い労働時間および深夜交替制労働に関する報告に対し、週40時間労働をめざすこと、時間外・休日労働を規制すること、労働時間の「弾力化」(3カ月単位の変形労働時間および1日の労働時間を2時間延長することなど)を行うべきでないことなどを内容とする意見書(「労働基準法研究会報告書(労働時間)に対する意見書」)を発表し、残る報告については現在検討中である。


2. わが国の実労働時間は、石油ショック後の昭和50年まで減少傾向をたどっていたが、その後反転し、低成長といわれる中で所定外労働時間の延長を中心に実労働時間は増大の傾向を示している。


労働時間の国際比較によると、1983年のわが国の年間1人平均総実労働時間は2152時間であるが、アメリカ1898時間、イギリス1938時間、イタリア1622時間、西ドイツ1613時間、フランス1657時間となっており(労働省労働基準局統計)、貿易摩擦にからんで国際批判の的になっている。したがって、前記報告も指摘しているとおり、国際化への対応の一環として労働条件についても先進国の一員としてよりふさわしい水準とすることが、わが国の経済社会に求められているのである。


また、労働時間の長さに加えて、技術革新やサービス産業の拡大などによる産業構造の変動は、労働の過密化と深夜交替制労働の拡大をもたらしているが、その中で、同じく前記報告が指摘しているとおり、経済社会や企業の活力の維持・増進および雇用機会の確保を図るためにも労働時間の短縮を促進する必要がある。


3. しかし、労働時間法制のあり方は、企業経営のみならず、労働者とその家族の基本的人権にかかわる問題である。すなわち、恒常的な時間外労働や労働時間の大幅な「弾力化」は、労働者自身の健康で文化的な生活を損うと同時に、夫婦や親子のふれあいの機会を奪い、子どもの健全な成長を阻害する。


とりわけ、昭和59年現在1,518万人に達した女子労働者への影響は重大である。女子労働者の68.5パーセントは既婚であり、事実上家庭責任を担わざるを得ない状況におかれているが、本年4月1日施行の改正労働基準法によって女子保護規定が緩和ないし廃止されたため、女子労働者の母性と健康破壊が懸念される。


それだけでなく、長時間労働による父親不在に加えて、母親も長時間労働により夕食時に帰宅できないなどということになれば、子どもの成長に与える影響は重大であり、家庭崩壊にもつながりかねない。


そのような事態を避けようとする女子労働者が、退職に追いこまれたり悪条件のパートタイマーに転換せざるを得ないことになれば、雇用上の男女格差は一層拡大される。


4. 昨年わが国も批准した女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約は、子の養育を男女の共同責任とし、男女ともに職業生活と家庭生活の調和を図りつつ平等を確保することを要請している。とりわけ雇用の分野に関しては、「すべての人間の奪い得ない権利としての労働の権利」と「作業条件に係る健康の保護及び安全についての権利」を男女平等に確保するための措置を締約国に義務づけている。


さらに、わが国の政府も賛成票を投じたILO156号条約および165号勧告は、家庭責任を有する男女労働者が職業生活と家庭生活の調和を図りつつ平等を確保するために、1日当たりの労働時間および時間外労働の短縮などを求めている。


また、ILOは、労働時間に関し、1935年の47号条約によって週40時間の方向を打出し、各国は経済上の公正な競争を維持し、労働者の失業を防止する立場から労働時間短縮のための努力を続けている。


5. 日本国憲法25条1項は、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定め、労働者に対し、右生存権を具体的に保障するため、勤労条件の基準を法律で定めるとした同27条に基づいて、労基法は制定された。


したがって、労基法は、憲法の定める生存権保障を基本的理念として、労働者の「人たるに値する生活を営むに足る」労働条件の最低基準を定めるものとしているのである。


女子労働者が、労働者全体の35.6パーセントを占めるに至った現在、労働者とその家族が人たるに値する生活を営むためには、1日を単位とする生活のリズムにあった労働時間を可能な限り確保することが必要であり、そのためには総労働時間の短縮とともに時間外労働の短縮を実現し、労働時間の大幅な「弾力化」を制限すべきである。


6. よって、当連合会としては、労基法の労働時間に関する改正は、前記女子差別撤廃条約の趣旨と国際公正労働基準を踏まえ、国民に健康で文化的な生活を営む権利を保障する憲法に則り、労働者と家族の人権を真に保障する内容とするよう、前記意見書に重ねて政府に要望する必要があるので、本決議を提案する次第である。