第57回定期総会・弁護士から警察への依頼者密告制度(ゲートキーパー制度)の立法化を阻止する決議

政府の「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」は、2004年(平成16年)12月10日、「テロの未然防止に関する行動計画」を策定し、その中で弁護士にも不動産の売買、資産の管理等一定の取引について、依頼者の行う「疑わしい取引」を政府の金融情報機関に通報する義務と、通報の事実を依頼者に秘匿する義務を課す立法をすることとした。


政府は、2005年(平成17年)11月17日に、金融情報機関を金融庁から警察庁に移管することとした。それに伴い、弁護士に依頼者の「疑わしい取引」を警察庁に通報することを義務付ける立法をするべく、現在、2007年(平成19年)の通常国会への上程を目指し、作業を進めている。


弁護士は、法律専門家として依頼者の基本的人権と正当な法的利益を擁護することを職務の本質としている。この弁護士の職責を全うするためには、依頼者の全面的な信頼の下に、秘密事項を含め全ての事実の開示を受けたうえで、依頼者にとって最善の方策を立案し遂行しなければならない。弁護士の守秘義務は、依頼者が、有利不利を問わずあらゆる事実を安心して弁護士に打ち明けられることを保障する制度であり、弁護士の職務の適正な遂行のために不可欠である。また、弁護士は、人権擁護のためには、国家権力の過ちも臆することなく正すことができなければならない。そのために、弁護士は政府機関から独立し、その監督を受けない職業として位置付けられており、同時に弁護士会にも高度の自治が認められている。


しかしながら、このたびの政府の決定により、このような密告義務が弁護士に課されることになれば、弁護士制度の根幹である弁護士の絶対の守秘義務と政府機関からの独立の原則が揺るがされ、依頼者と弁護士の信頼関係は根底から覆されることとなる。となれば、市民が、安心して秘密を打ち明け、適切な法的助言を与えてもらえる相手を失うこととなり、市民の司法へのアクセスは阻害され、市民の守られるべき法的利益も損なわれる。市民が、弁護士の助言に従って法を遵守することができなくなれば、法の支配が実現する機会が失われる。その結果、弁護士制度の存在意義は危うくなり、民主的な司法制度の根幹が揺らぐこととなる。


当連合会は、弁護士が依頼者を警察に密告する制度を決して容認することはできず、全会員が一丸となってこのような立法を阻止する運動を更に強力に推し進めることを決意する。


以上のとおり決議する。


2006年(平成18年)5月26日
日本弁護士連合会


(提案理由)

1.ゲートキーパー立法とは何か。

ゲートキーパー立法とは、弁護士など法律専門家に不動産の売買、資産の管理等一定の取引について、依頼者の行う「疑わしい取引」を政府の金融情報機関(現在は金融庁に置かれているが、警察庁に移管されることとなっている)に通報する義務と、通報の事実を依頼者に秘匿する義務を課す制度を意味する。
このように、この制度は、弁護士に対して、違法の疑いのある活動を通報することを義務付ける一方で、依頼者に通報した事実を告げることを許さないものであるため、われわれはこの制度を「弁護士から警察への依頼者密告制度(ゲートキーパー制度)」と呼ぶものとする。


2.制度化の国際的背景

OECD加盟国を中心とする31か国・地域及び2国際機関が参加する政府間機関であるFATF(金融活動作業部会)は、2003年(平成15年)6月20日、弁護士、公認会計士などの専門職に対して、顧客の本人確認義務及び記録の保存義務と、マネーロンダリングやテロ資金の移動として疑わしい不動産売買、資産管理等の取引について、これを各国に設置される金融情報機関に報告する義務を課すことを定め、これを勧告した。今回のわが国の立法の動きは、この勧告を受けたものである。
この制度は、弁護士を含む専門職をいわば金融取引におけるゲートキーパー(門番)として、違法な資金移動を監視・規制しようとするものである。


3.政府の立法に関する計画

日本政府の「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」は、2004年(平成16年)12月10日「テロの未然防止に関する行動計画」を策定し、その中で専門職に対してのFATF勧告の完全実施を決定した。
そして、2005年(平成17年)11月17日には、FATF勧告実施のための法律の整備に関する骨子を定めた。
同骨子は、


・法律の目的は、資金洗浄及びテロ資金対策とし、警察庁、法務省、金融庁、経済産業省、国土交通省、財務省、厚生労働省、農林水産省及び総務省の所管とし、法律案の作成は警察庁が行う。


・本人確認法及び組織犯罪処罰法第5章を参考として法律案を作成すること。


・金融情報機関は警察庁に移管することとし、金融情報機関が十分な機能を果たすため必要な体制を確保する。


・警察庁は2006年(平成18年)中に法律案の作成を終え、これを2007年(平成19年)の通常国会に提出する。


というものである。


4.弁護士・弁護士会の独立を侵害し、市民の信頼を損ねる

しかし、「弁護士から警察への依頼者密告制度」は、弁護士・弁護士会の存立基盤である国家権力からの独立性を危うくし、弁護士・弁護士会に対する市民の信頼を損ねるものであり、弁護士制度の根幹を揺るがすものである。
そもそも弁護士は、法律専門家として依頼者の人権と正当な法的利益を擁護することを職務の本質としている。この弁護士の職責を全うするためには、依頼者の全面的な信頼の下に、秘密事項を含め全ての事実の開示を受けたうえで、依頼者にとって最善の方策を立案し遂行しなければならない。弁護士の守秘義務は、依頼者が、有利不利を問わずあらゆる事実を安心して弁護士に打ち明けられることを保障する制度であり、弁護士の職務の適正な遂行のために不可欠なものである。
また、弁護士は、依頼者の人権の擁護のためには、国家権力の過ちも臆することなく正すことができなければならないから、弁護士は政府機関から独立し、その監督を受けない職業として認められており、弁護士会にも高度の自治が認められている。
他方、警察庁は、犯罪捜査を基本とする国家機関であり、刑事弁護などを通じて弁護士・弁護士会とは制度的に対抗関係にある。弁護士会は、政府機関の中でもとりわけ警察庁に対しては、その独立性を保たなければならないことはいうまでもない。
ところで、弁護士が依頼者の相談等を通じて得た情報を、それも単に「疑わしい」というレベルでの情報について、警察庁に通報することにより、直接の捜査協力関係にあること、あるいはまた、これにより警察庁の統制下に置かれているような外観を作ることは、われわれの依頼者である一般市民からどのように受けとめられるであろうか。この制度は一般市民にとっては、弁護士による警察への密告制度と認識されることは必至である。その結果、市民は、弁護士へ依頼者として相談するときに、安心して真実を語ることを躊躇するようになる。そのため、弁護士から、法律を遵守して行動するための適切な法的助言を受けることができなくなり、かえって違法行為を招いてしまうという事態が発生しかねない。このような規制を強行することにより、むしろ立法目的に背反する結果を生ずるおそれは大きいと言わなければならない。
また、当連合会は、マネーロンダリング、テロ資金の移動を防止するため、人権保障原則を侵害することのない限度で世界各国が協力し、国内的法制を整備することの必要性を否定するものではないが、弁護士による依頼者を密告する制度によって達せられる法執行の利益に比し、これによって失われる利益、即ち、弁護士制度ひいては民主的司法制度の根幹を揺るがす弊害、リスクの方が格段に大きいとみるべきである。
よって、当連合会はたとえ対象分野を限定したものであっても、弁護士が依頼者を警察に密告する制度を断じて容認することができない。


5.守秘義務との関係

報告義務が課せられる事項は弁護士の守秘義務の範囲外とする除外規定が設けられさえすれば許容できるというものでは決してない。
FATF勧告では、「守秘義務の対象となる…状況に関する情報」については、報告義務を負わないとされている。
しかし、警察への密告義務を課すこと自体が、依頼者と弁護士の信頼関係を根底から覆すものであり、ひいては弁護士制度を崩壊させるものである。
また、守秘義務の範囲の内か外かは一義的に定まるものではなく、当局の解釈と日弁連の解釈に差異があったことはこれまでしばしば経験してきたところである。まして、法的アドバイスを受けようとする市民が弁護士の守秘義務に属するか否かなど判断して、相談の対象を選別することなど全く不可能である。
また、今後、警察庁が守秘義務の範囲について、これを狭めるような解釈を採用しようとする可能性は否定できない。
よって、当連合会はたとえ守秘義務の対象となる情報を除外した制度であっても、依頼者を警察に密告する制度を断じて容認することができない。


6.諸外国の動き

諸外国の動きについて目を転じてみる。
注目すべきは米国の対応である。米国法曹協会(ABA)は、ゲートキーパー規制に反対の姿勢を崩しておらず、政府からの具体的立法化の提案はこれまでにない。
カナダでは、弁護士による通報義務を定めた法律が制定されたが、すべての州でゲートキーパー制度の弁護士への適用について違憲とする判断が出され、執行が停止されている。その後も弁護士による通報義務を定めた法律は制定されていない。
イギリスでは、既に1994年(平成6年)から、ソリシターをマネーロンダリング規制対象とし、報告義務懈怠に5年以下の拘禁刑を科すとしている。このためソリシターは、些細な事実についても報告を行うようになり、2004年(平成16年)は1万数千件に及ぶ報告がなされ、市民の弁護士に対する信頼を揺るがす事態となっている。
また、ベルギーやポーランドでは、弁護士がゲートキーパー制度の違憲性を指摘して、行政・憲法裁判所に提訴しており、今年度中にも判断が示される見込みである。
このように、世界中の多くの弁護士が今もなお、この制度に強く反対しており、世界の趨勢は未だ定まっていないものと評価することができる。


7.結論

当連合会は、2005年(平成17年)12月16日の理事会において、ゲートキーパー立法阻止のための運動方針を決議し、これまで市民、国会議員、政党、マスコミにこの制度の問題点、危険性を訴え続けてきており、理解と支持は広がりを得てきているものと確信する。
2006年(平成18年)度第57回日本弁護士連合会定期総会にあたり、全会員が一丸となって「弁護士から警察への依頼者密告制度」を定める立法を阻止するための運動を更に強固に推し進めることを決意し、ここに決議する。