第37回定期総会・沖縄の基地被害の根絶と基地の整理縮小等を求める決議

(第1決議)

復帰して15年目を迎えた今日、沖縄にはなお全国の米軍専用施設の約75パーセントが集中し、基地内には核兵器の存在も疑われ、実戦さながらの軍事演習による被害や、いっこうに跡を絶たない米軍人・軍属らの犯罪によって、県民の生命・身体・財産が常に大きな危険にさらされ、その平和的生存権が著しく脅やかされ続けている。


政府は、復帰にあたって、沖縄県民の「平和憲法の下への復帰」という願いに応え、米軍基地の整理縮小、基地被害からの救済、那覇空港の民間専用化などを公約した。


しかしながら、これらはいずれもほとんど実現されないばかりか、最近では、さらに米軍基地の長期固定化の動向もみられ、そのため、復帰のスローガンとされた「平和で豊かな沖縄の建設」は著しく妨げられ、県民をしてあらためて復帰の意義を問い直させるに至っている。


よって、政府および国会は、復帰後15年目における沖縄の人権状況を直視し、基地被害の根絶と基地の整理縮小・那覇空港の民間専用化などの公約実現にあらゆる施策を講ずるとともに、いやしくも基地存続の長期化につながる措置は直ちにこれを中止すべきである。


右決議する。


1986年(昭和61年)5月31日
日本弁護士連合会


(提案理由)

1. 沖縄は、1972年(昭和47年)5月15日、祖国日本に復帰した。それまでの27年間に及ぶ米国の施政権下で、県民はありとあらゆる人権の侵害を受け、自由が奪われていた。極東最大の米軍基地が沖縄における『諸悪の根源』であった。


県民は、基本的人権の確立と平和の擁護をめざして、この諸悪の根源をとり除くため、あらゆる努力をし、復帰運動を展開した。その合言葉が「即時無条件全面返還」であり、「平和憲法下への復帰」であった。


2. 政府は、復帰に際して多くのことを県民に約束した。その一つが米軍基地の整理縮小である。しかし、復帰後14年間で返還された米軍用地は、僅かに約33平方キロメートル(約12%)で、整理縮小はあまり進んでいない。しかも、米軍から返還された土地が自衛隊基地として使用されたり、諸般の事情から事実上有効使用ができないままの状態で放置されたりして、結局県民のもとに戻ったといえないものが少なくない。


3. およそ、米軍基地の存在するかぎり、そこから派生する害悪は絶えるものではなく、いわゆる基地被害、基地公害は、毎年幾度となく行われる実戦さながらの演習による被弾、山林火災、それに水源地汚染、飛行爆音等々、枚挙にいとまがない。


米軍人・軍属による犯罪も、殺人・婦女子への暴行などの凶悪犯罪をはじめとして、その跡を絶たず、犯人の逮捕捜査をめぐる地位協定の解釈、運用上の問題も依然未解決であり、被害補償も不十分のままである。


これら基地被害・基地公害に関連して、1972年5月15日から1985年12月3日現在までの13年間において、県議会で決議(抗議ないし要請)した基地関係案件だけでも、実に73件の多数を数えるという事実に注目すべきである。


4. とくに、那覇空港の民間専用化の問題は、政府が復帰の際に県民に明らかな約束をしたにもかかわらず、未だ実現せず、自衛隊との共同使用が続くなかで、ミサイル爆発事故、自衛隊機と全日空機との衝突事故などが発生し、航空関係の専門家の指摘によれば、全国の中でも最も危険な空港の一つとなっている。沖縄の空の表玄関として、年間約200万人に及ぶ乗降客もあることを考えると、由々しい人権問題である。


5. 米軍用地確保のために、基地としての使用を肯じない契約拒否地主の土地を強制使用する目的で、政府(那覇防衛施設局)が総理大臣の使用認定を経たうえ、県収用委員会に裁決申請している問題も無視できないものである。


すなわち、沖縄の軍用地は、よく「銃剣とブルドーザー」で強制接収されたといわれるように、復帰前米軍権力によって強制的に接収されたのがほとんどである。それにもかかわらず、政府・国会は復帰に際して「公用地法」を制定して5年間の強制使用を可能にし、5年たったところで、「地籍明確化法」で更に5年間延長して計10年の強制使用を行い、さらに10年たった1982年には「米軍用地収用特措法」を適用して5年間の強制使用(計15年)をなし、この期間が満了する1987年5月15日にむけて、現在国(防衛施設局が担当)側は、20年間の強制使用を図って県収用委員会に裁決申請を行っている。もともと米軍用地収用特措法は正式には「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法」と呼ばれるように、安保条約を基礎におくものである。その安保条約は、法的には日米両当事国が1年間の猶予をもった通告により終了させることのできる暫定的性格のものである。しかるに、右のような20年にわたる強制使用は、復帰後の15年に加えて計35年、さらに米国施政権下のそれを通算すれば、実に62年にも及ぶものとなる。それは、土地所有者の意思に反する基地使用の長期固定化を意味するものであって、私権に対する重大な制約として、憲法に反する疑いがあり、正義に反するものといわなければならない。


6. 日弁連は、復帰の遥か前から沖縄の人権問題に注目し、重大な関心を払い、幾度となく現地に調査団を派遣するなどして、その改善解決に真剣に取り組み、数多くの調査報告書、提言等を行い、これを公表し、当局への要請要望を繰り返してきた。


復帰の年の11月には那覇市で人権擁護大会を開催し、次の趣旨の宣言を行った。


「人権侵害を含む諸悪の根源たる米軍基地の整理縮小と可能な限り早期の撤廃をはかり、以て平和と人権尊重を基調とする日本国憲法の完全実施を実現し、県民の人権回復と福祉の向上を期すべきである。」


さらに、1974年8月に沖縄シンポジウムを行ってその成果の上に「復帰は何をもたらしたか」と題する報告書を公表、1981年にも「復帰10年沖縄シンポジウム」を開催し「復帰10年沖縄白書」を公にした。


7. このたび復帰15年目に入ったこの時期に、はじめて沖縄で開催される日弁連定期総会に際して、沖縄の現状と日弁連のこれまでの沖縄問題への取り組みの成果の上に立って本決議を行うことは、県民の負託に応えるばかりでなく、ひろく国民に対する日弁連の使命に照してみても、極めて必要かつ有意義なことである。


よって以上の決議を提案するものである。