第29回定期総会・弁護士自治の維持に関する宣言

(宣言)

弁護士自治は、弁護士がなにびとにも、どのような権力にも抑制されず、国民の人権をまもる重大な使命を達成してゆくための担保であり、人権擁護活動の源泉である。かえりみれば、弁護士自治が未だ認められず、弁護士会が司法大臣・検事正の監督下におかれた戦前、国民の権利と自由をまもるために公正な裁判を求める弁護士の活動は、しばしば懲戒の対象にされるなど、大きな制約を受けた。


その故にこそ、戦後、民主主義と基本的人権の尊重を理念とする日本国憲法のもとにはじめてわが国に弁護士自治制度が確立されるにいたったのである。


しかるに近時、いわゆる「弁護人ぬき裁判」特例法の提案に関連して、弁護士自治に対する非難、さらにはその剥奪をさえ公言する動きが見受けられる。しかしながら、国民の権利と民主主義の原則を真に擁護するための不可欠な制度的保障である弁護士自治の問題を、国家権力の体現者たる裁判官・検察官に対する弾劾・訴追等の国民的抑制機能の問題と同列に論ずることは許されない。


もとより、われわれは、この弁護士自治の意義とその基礎にある国民に対する社会的責務を自覚し、自らも常に襟を正しつつ、その適正な行使を期するものであり、たえずその実質を高め、これを一層発展させてゆく決意である。


われわれは、以上の見地にたって、弁護士自治を国民のために、国民と共にあくまでまもりぬくことを誓う。


右宣言する。


1978年(昭和53年)5月27日
第29回定期総会 於広島市


提案理由(議事録より)

今日、弁護士と、弁護士会による人権擁護の諸活動は、極めて多彩であります。私達が、広く国民とともに進むべき課題と責任は、益々大きくなっています。例えば、公害の分野では、数多くの先駆的業績が積み重ねられてきました。「弁護人抜き裁判」特例法や刑法、少年法「改正」など人権侵害立法を阻止する運動も現に力強く進められています。民主的司法の確立と発展のための努力もたゆみなく続けられてきました。また、冤罪、再審事件では、数々の無罪判決が獲得されて参りました。様々な国民の権利の救済、回復のための尽力も多様でありました。


このような活動の根底には弁護士が、何人にも、どのような権力にも抑制されることなく真に国民のために自由に活動ができることを保障する弁護士自治が貫かれているのであります。


周知の通り、今、この弁護士自治が「弁護人抜き裁判」特例法の提案に関連して重大な脅威に晒されております。


ここに至るまで100年を越えるわが国弁護士制度の歴史には人権擁護の使命を果たし、弁護士自治の獲得を目ざすための先人達の苦難の歩みが深く刻み込まれています。明治から戦前の暗黒時代までの間、わが国における人権の歴史は、正に抑圧の歴史であり、先人達による人権擁護活動も時に消長があり挫折を余儀なくされました。時代の流れ全体がそうであっただけではなく、弁護士自治が認められなかった状況の下では法廷における刑事弁護の活動がしばしば懲戒の対象にされてきたのです。例えば、証拠調べを強く求めたり、裁判所の措置を批判したり、やむなく裁判官の忌避を申立てることなどが検事長による懲戒申立ての理由とされたのであります。これでは国民の人権を擁護し、公正な裁判を実現させるための弁護活動を十分に尽くすことができなかったのも当然であります。このような歴史を二度とくり返すことは絶対に許されません。


その故にこそ、戦後、民主主義と基本的人権の尊重を理念とする日本国憲法の下においては、現行弁護士法による弁護士自治の確立が必要とされたのであります。しかし、この現行弁護士法の成立は、容易なことではありませんでした。昭和20年10月、早くも現行弁護士法とほぼ同一趣旨の東京三弁護士会案が作成され、昭和21年9月には、政府も旧弁護士法の改正に着手したのですが、弁護士自治に対する裁判所、検察庁等の反対が極めて強く、政府は、改正案を国会に提出する姿勢を示そうとしなかったのであります。当時の日本弁護士会連合会は、昭和22年12月、改正案を発表し、翌23年7月、これを議員立法によって実現すべく衆議院法務委員会に提出、付託しました。こうして現行弁護士法は、弁護士会側の各方面に対する道理を尽した粘り強い説得活動によって昭和24年5月30日にようやく成立し、6月10日交付、9月1日施行となったのであります。


私達は、弁護士自治が、一体何のために必要であったのか、それはどのように確立されたのかを明確にするためにも改めてこの経過を振り返り、かみしめる必要があります。


もともと弁護士という職業的、専門的な資格と特権は、国民の権利擁護と社会正義実現のために認められたもので、弁護士自治の確立もそのことに根ざして国民から付託されたものであります。弁護士自治は、国民の支持がない限り確立ができないのであります。従って、弁護士としての資格と特権がそれを持つ者のために認められたものであるとか、弁護士自治を狭い職業的利益に基づくものであるのだと考えることは、根本的に間違っています。もし、そのように考えますとするならば、私達は、限りのない堕落の道を歩むことになります。つまり、弁護士と弁護士会の諸活動は、常に国民の正当な批判に耐えうるものであり、広く国民の支持を受けることのできるものでなければなりません。そのために、私達は、自らの力で絶えず弁護士自治のあり方を自覚し、磨き上げてゆかねばなりません。完全な自治には重い責任が伴うことは当然であります。弁護士の法廷活動についても経験と意見の交流を深め研鑽と相互批判を強めつつ、その正しいあり方を追求し、その努力によって弁護士自治の実質を高め豊かなものにしてゆかなければなりません。特に、法廷活動のあり方については、何かというとすぐ懲戒の要否だけを論ずるのではなくその前に、このことを弁護士自治の重要な内容として強調することが特に必要であると思われます。私達は、その面でも地道な努力に基づく貴重な実績を持っているのであります。しかし、同時に、私達は、その意味での相互批判や努力をいかなる場合にも十分に尽してきたと言えるのか、先人達の苦難の歩みの成果でもあった弁護士自治の上に安住していた嫌いはないのか、などの点について更に自戒を深める必要もあります。


現在、異常な激しさを加えている弁護士自治への非難は、結局、弁護士と弁護士会による人権擁護と社会正義実現のための諸活動を抑圧しようとするものであります。国民の権利を奪おうとするものでもあります。と言っていいでしょう。このような状況に直面している私達は、改めて弁護士と弁護士会の国民に対する社会的責任を一層明確にし、裁判所、検察庁などの権力に屈従することなくあくまでも国民に対して襟を正しつつ、弁護士自治を一層発展させていく決意を表明したいと考えます。これは、私達が国民とともに正々堂々毅然として国民のための弁護士自治を徹底的に守り抜いていく揺るぎない決意の表明であるわけであります。原稿を読みまして大変失礼致しました。