裁判(さいばん)」って(なん)だろう
社会(しゃかい)(なか)ではいろいろなもめごと、トラブルがあります。

それらを公平(こうへい)解決(かいけつ)するためのルールである「法律(ほうりつ)」の役割(やくわり)については、もう勉強(べんきょう)しましたよね。みんなが安全(あんぜん)で、平和(へいわ)()らしていくには、社会(しゃかい)のルールである「法律(ほうりつ)」を(まも)ることが大切(たいせつ)です。

でも、残念(ざんねん)ながらどんな立派(りっぱ)法律(ほうりつ)があっても、それを(まも)らない(ひと)がいますし、もめごとも(かなら)()こってしまいます。


たとえば、学校(がっこう)でもめごとが()こってしまったら・・・?

(たが)いに(はな)()いだけでは解決(かいけつ)できずに、とっくみあいのけんかになってしまうことがあります。でもこれでは、()つのはいつもけんかの(つよ)()で、けんかの(よわ)()はいくら(ただ)しいことを()っていても、いつも()けてしまうことになってしまいます。それでは不公平(ふこうへい)ですよね。

社会(しゃかい)でも(おな)じです。どちらがけんかが(つよ)いかなどといった暴力(ぼうりょく)決着(けっちゃく)をつけるべきではありません。


どうしたらみんなが納得(なっとく)できるのでしょうか?

 野球(やきゅう)やサッカーなどのスポーツでは、審判(しんぱん)公平(こうへい)立場(たちば)からどちらが(ただ)しいか()めてくれます。審判(しんぱん)判断(はんだん)にしたがわない選手(せんしゅ)は「退場(たいじょう)」しなければならなくなり、試合(しあい)(つづ)けることができなくなってしまいます。

スポーツには、「ルール」があって、「ルール」にしたがって公平(こうへい)(ただ)しい判断(はんだん)をする(ひと)審判(しんぱん))が必要(ひつよう)です。

(おな)じように、社会(しゃかい)では、ルールである法律(ほうりつ)()まっていても、たくさんの事実(じじつ)複雑(ふくざつ)にからみあっていて、どちらの()っていることが(ただ)しいのか、また、どのような法律(ほうりつ)をあてはめればよいのか、判断(はんだん)がむずかしいときがよくあります。

そこで、法律(ほうりつ)専門家(せんもんか)公平(こうへい)立場(たちば)から(ただ)しい判断(はんだん)(おこな)必要(ひつよう)があります。これが「裁判(さいばん)」というしくみです。


裁判(さいばん)」ってなーに。

みなさんは、テレビのニュースやドラマで「裁判(さいばん)」という言葉(ことば)(みみ)にしたり、「裁判所(さいばんしょ)」の風景(ふうけい)()にしたことがあると(おも)います。

中央(ちゅうおう)一番高(いちばんたか)(せき)(くろ)(ふく)()(すわ)っているのが、「裁判官(さいばんかん) 」です。裁判官(さいばんかん)法律(ほうりつ)専門家(せんもんか)として、いろいろな証拠(しょうこ)(なか)から本当(ほんとう)のことは(なに)かをきちんと(かんが)えて、どのような法律(ほうりつ)をあてはめればよいかを判断(はんだん)をする役割(やくわり)(ひと)です。

 裁判(さいばん)」では、この「裁判官(さいばんかん)」が(あらそ)っている両方(りょうほう)(ひと)()(ぶん)十分(じゅうぶん)()くことが大切(たいせつ)です。そして、(なん)でもめごとが()こったのか、どちらが(ただ)しいのか、本当(ほんとう)のことは(なん)なのかをしっかり(かんが)え、そして、この事実(じじつ)にどのような法律(ほうりつ)をあてはめればよいのかを(かんが)え「 判決(はんけつ)」という判断(はんだん)()(わた)すのです。

法律(ほうりつ)」は、みんなで()めた社会(しゃかい)のルールで、みんなが(まも)らなければならないものです。「裁判(さいばん)」は、その法律(ほうりつ)にしたがって公平(こうへい)(ただ)しい解決方法(かいけつほうほう)()つけるための大切(たいせつ)なしくみなのです。


また、社会(しゃかい)時代(じだい)とともに変化(へんか)していきます。

そこである法律(ほうりつ)社会(しゃかい)(やく)()っていないように(おも)えるときは、その法律(ほうりつ)(ただ)しいか(ただ)しくないかを「裁判(さいばん)」であらそうこともできます。

裁判(さいばん)」は、社会(しゃかい)のもめごとやトラブルを解決(かいけつ)するための大切(たいせつ)役割(やくわり)()たしているということが()かってもらえましたか。

裁判(さいばん)のなかで弁護士(べんごし)がどういう役割(やくわり)をするのかについては、「弁護士(べんごし)って(なに)をする(ひと)?」のページを()てくださいね。