袴田事件

事件の概要  

1966年6月30日午前2時、静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社専務宅が全焼するという火事が発生しました。焼け跡からは、専務(41)の他、妻(38)、次女(17)、長男(14)の4人が刃物でめった刺しにされた死体が発見されました。


警察は、当初から、味噌工場の従業員であり元プロボクサーであった袴田巌氏を犯人であると決めつけて捜査を進めた上、8月17日に袴田氏を逮捕しました。


袴田氏は、当初否認をしていましたが、警察や検察からの連日連夜の厳しい取り調べにより、勾留期間の満了する直前に自白しましたが、その後公判において否認しました。


事件の経緯

警察は、逮捕後連日連夜、猛暑の中で取調べを行い、おまるを取調室に持ち込んでトイレにも行かせない状態にしておいて、袴田氏を自白に追い込みました。袴田氏は9月6日に自白し、9月9日に起訴されましたが、警察の取調べは起訴後にも続き、自白調書は45通にも及びました。なお、弁護人が袴田氏に会った時間はこの間合計でたったの30分程度でした。


袴田氏の自白の内容は、日替わりで変わり、動機についても当初は専務の奥さんとの肉体関係があったための犯行などと述べていましたが、最終的には、金がほしかったための強盗目的の犯行であるということになっていました。


更に、当初から犯行着衣とされていたパジャマについても、公判の中で、静岡県警の行った鑑定があてにならず、実際には血痕が付着していたこと自体が疑わしいことが明らかになってきたところ、事件から1年2か月も経過した後に新たな犯行着衣とされるものが工場の味噌樽の中から発見され、検察が自白とは全く異なる犯行着衣に主張を変更するという事態になりました。


第1審の静岡地方裁判所は、上記のような方法で取得された自白調書のうち44通を無効としながら、1通の検察官調書のみを救済し、更に、5点の衣類についても袴田氏の物であるとの判断をして、袴田氏に有罪を言い渡しました。


この判決は、最高裁でも維持され、袴田氏の死刑が確定しました。


えん罪の疑いが強いこと

袴田氏の45通にのぼる自白調書は、捜査機関のその時点においての捜査状況を反映した捜査機関の思い込みがそのまま作文にされているものです。その自白調書の内容をみるだけで、袴田氏が事件について何らの知識を有さず、無罪であることが如実に伝わってきます。これについては、「自白の心理学」で有名な浜田教授が細かく分析し指摘しているところです。


味噌樽から発見された衣類は、ズボンには血痕の付着していない場所であるのに股引には付着していたり、股引には血痕がついていないのにブリーフには付着していたり(同様のことがシャツと下着にも言えます。)など、犯行着衣と考えると非常に不自然な点が多数あります。また、1年2か月以上も2トンもの味噌につかっていたと考えるには、シャツは依然白く、血液は鮮血色であり、非常に不自然です。これについては、弁護団の実験で、1年2か月も味噌につけられていれば、衣類は焦げ茶色に変色し、血液は黒色に変色することが明らかになっています。更に、ズボンに至っては、袴田氏には小さすぎて、着衣実験では、腿の辺りまでしか上がってきませんでした。


袴田氏が通ったとされる裏木戸には鍵がかかっており、人が通れる隙間はありませんでした。これについて、捜査機関は、鍵をはずした上で通り抜け実験を行って裁判所に報告していました。すなわち、捜査機関は、袴田氏を有罪にするために虚偽の実験を行っていたのです。


現在の状況

2008年3月24日、袴田氏の第1次再審請求において、最高裁は袴田氏の特別抗告を棄却しました。

 

同年4月、弁護団は、第2次再審請求を静岡地裁に起こしました。弁護団は、支援者と協力し行った5点の衣類の味噌漬け実験の結果を新たな証拠の一つとして裁判所に提出し、定期的に三者協議を行ってきました。

 

検察は、2010年9月、本事件において初めて任意に証拠を開示し、弁護団は、その精査を行った上、新たな証拠開示請求及び主張をしてきました。

 

そして、2014年3月27日、静岡地方裁判所は、袴田氏の第2次再審請求事件について、再審を開始し、死刑及び拘置の執行を停止する旨決定をし、同日、袴田氏は釈放されました。

 

2014年3月31日に検察官から即時抗告がなされたことを受けて、現在、即時抗告審に向けての対応をしているところです。